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2017.09.30 (Sat)

ツイッター、280文字

 これはちょっと目を引きました。

「リベラル派は排除する」希望・小池百合子代表が明言
2017/9/29(金) 15:28配信 Yahoo!ニュース/産經新聞

 来る衆院選挙では、新党「希望の党」は、議席の過半数の候補者を立てるとか。急造でできることではないので、それが実現するのであれば、だいぶ周到に準備してきたことだろうと拝察します(実際どうなるのかは現時点ではわかりませんが)。

 なにゆえにそんなに戦々恐々としているのかと思ったら、そうか、小池都知事が希望の党の「代表」ですから(党首とは言わないらしい)、議会過半数を抑えた場合、首相になる可能性があるからなんですね。へえ。
 都議会選挙ではこれほど「自民党は嫌だなあ」票があるとは、と驚いた方もあったでしょうが、逆にいうと、あれだけの「気分」があるのに、野党はまったく相手にされていなかったということでもあるんですね。

 ともあれ、私としては、へえっと思ったのが上記記事。
 リベラルを排除する、とこれほどきっぱりいうのも珍しいですよね。誰がいうにしろ。

 ただ、厳密にいうと日本には本来の意味でのリベラルというものはほぼ存在しないと私は思っておりまして——ある種の目的を持つ人にはリベラルの隠れ蓑は都合が良かったので、リベラルの「ふり」をしてきたというのが実態だと見ております。
 本当の意味でのリベラル・左翼ではない、という意味を込めて、そんなわけで、私は彼らを「左巻き」と呼ぶのですが。

 ともあれ、そういうものを本当に「排除」するのなら、私としては結構なことだと思いました。
 私の認識では、社民党、民主党あたりは日本の政党とは思えないので、——ではなんなのかと言われると私としてもナゾですとしか言いようがなく、だからこそ気味が悪いということになるわけですね。

 何かあると大声で騒いでうるさくってしょーがない人々ですから、これまで、彼らを排除するとはっきりいう人はいなかった。やたらにいうとウルサイですもんね。
 なにがどこまで真意なのか実際にはどうなるかは別としても、こうもはっきり言うのは珍しいし、聞いていて私にはスッキリする。
 奥歯と前歯に物がはさまったような、ぐずぐずした物言いよりはいい。

 ということで個人的にこの記事にちょっと注目してみました。

        ●



 ツイッターはこれまで頑なに140文字制限を維持する一方、リンクや画像のぶんは制限対象からは外すなど、対策はしてくれていました。
 が、Facebookやインスタグラムを意識してか、この度、140文字から280文字に、制限の範囲を緩めました。
 ただし、日本語、中国語、韓国語は除外で、こちらは140文字のまま。

 というのは、他は詳細がわからないので日本語の場合は、で申しますが、日本語は全角文字で140文字だし、なんといっても一文字で複数の音を含める漢字があるし、仮名文字でも1文字で1音はあるので、実質、半角に比べれば倍以上の余裕があるんですね。
 だから、日本は140文字制限据え置きね、というのにも納得しております。

 ただ、これ、日本のツイッターで英文ツイートを行う場合、140文字はそのままなんでしょうかね…。ちょっとその辺りが気になっています。
 現状のざっくりした情報だけですと、日本のツイッターユーザーは140文字制限据え置きで、半角全角の区別の話はないですよね。
 なので、日本ツイッターユーザーが英文ツイートをする場合、半角でも140文字制限のままなのかな……と気になってます。

 と申しますのは、ときどき、英文の名言などから引用してツイートするんですが、その窮屈さときたらもう!
 シェークスピアのセリフなんて、本当は前後含めたいけど入らないから、本当に核心部分しか書けない。
 先日もニーチェの名言からツイートしようとしたら、どーーーーーーおしても! 入らない。
 
 可能な限りカッコなども省略したけど入らない。

 泣く泣く、この単語は省略してもまあ意味は通じるだろう関係代名詞を(勝手に💧)1つ外してしまいました💧

 ということで、日本ユーザーも日本語以外でツイートすることもあるので、半角全角で区別してくれたら嬉しいんだけどなーと思いまして。……どうなんでしょうねこのへん💧

 文字制限については、只今絶賛放置中の顔本については私も存じませんが、インスタの「キャプション」と呼ばれるものは、文字数は1万文字になるようです。
 無制限に入力できるのかと思ったら(さすがに)そうではなく、だいたい1万字。
 でも、それだけあれば記事和訳なんてものにも十分で、なるほどありがたいなと思いますねあれは。

 日本語の140文字制限については、なんとかこれで収めようと文章を考え、練るから、いい鍛錬になる、というご意見もお見かけしまして。
 これは確かに一理ありますね。
 簡潔に要旨だけをあやまたず書こうとするのはいいことだと思ってます。私も冗漫になってしまうのでいい勉強になるなと思ったんでした。(^^ゞ

 ともあれ。
 全角と半角で区別するのも嫌がられるかもしれませんが……、日本語話者でも英文は書くことあるよ、ってことで、……どーなんでしょうね….
 
 
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2017.09.29 (Fri)

よもやま話

 国会をめぐるお話ですが。
 小池東京都知事が代表を務める「希望の党」。
 政党なんてもんはほぼ意味がなくなっているのに、期待するもしないもない、というのは変わりませんが、昨日のニュースをざっと聞いて、「あ〜あ💧」と思っているのは確か。😅
 民進党=民主党からの合流があるようでは、どーですかねー……と思ってみているところ。

 なんだかオウム真理教みたいですね。破防法を適用しておけば良かったものを、分派分派でなんだかどんどん怪しくなっていく、あの感じを思い出します、なんとなく。
 民主党を名乗ると勝てないので看板だけすげ替えておこう、というようにしか私には見えないし、希望の党としてはそれこそポリシーも聞いてないのでなんともいえないなあというところ。

 私個人の見解は現在はそんな感じです。

        ●

 個人的と申せば。
 昨日は母が急遽入院騒ぎってことで、お騒がせいたしました。m(_ _)m
 
 母の症状を申しますと、本人が言うには午前2時ごろ腹痛で目を覚ましたそうで。腹痛と吐き気。下痢はなし。
 一時は落ち着いたようにも思ったそうですが痛みは引かず、むしろ酷くなるようだし、吐き気があるけど、嘔吐しても何も出ない。本来なら胃が空っぽになる時間帯ですからそれもまあそうかなと。

 もっと早くに私を叩き起こしてくれても良かったんですが、朝6時まで我慢しちゃったんですね。私が様子を見る頃にはもう自力で歩けない状態でした。意識はある。痛み、吐き気、冷や汗。
 これはもう…、と思って救急車に来てもらいまして。

 驚いたのは、病院に着いて最初の検査結果を聞いたとき。先生がおっしゃるには、「胃の中がまだいっぱいなので、今は胃カメラができない」と。
 前日の夕食から14時間ほども経っています。それなのに胃がいっぱい?! とびっくりですよね。よーするに胃から十二指腸から動いてないということ。

 先生からは、まずは結石のないことを検査で確認しましたから、胃カメラは午後にやってみましょう、とのことでした。

 結果から申しますと、小さい無害のポリープが1つあるほかはなんの異常もない。と。
 いやはや、ホッとしましたねえ……。鳩尾(みぞおち)から右にかけての方が、他のところより痛みが強いようだと言っていたので——、右の方には十二指腸、胆のう、膵臓、肝臓があります。重大臓器が詰まってるんですよねこのあたりは。ですので、けっこう重大なことかも、ともちょっと心配していたので、まずはほっとしました。

 そのポリープが炎症がある状態とのことでしたので、だからこれほどの痛みになったのかなあ。昨日の時点では少し熱がありましたし。
(最終的な診断は「胃炎」とのことです。ポリープ周辺が炎症を起こしたそうです💧)

 今日は様子を見ながら少しずつ食事をとってみて、それで問題なければ明日にも退院と言われております。
 食べてどうなるか、ですねえ…。

 それにしても今年は8月から気候不順というほかはなく、あちこちで体調を崩す人を見かけるのですが、とうとううちにも来たか…と思いました。
 その前の週には台風で、私も自律神経やられましたし。

 そんなわけでまだちょっと落ち着きませんが、おかげさまで、これくらいで済みました。
 ご心配くださった皆様、ありがとうございました。m(_ _)m

 こういうときには本当に、お気持ち、胸に沁みます。(T ^ T)
 ありがとうございました。
 
 
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2017.09.28 (Thu)

本日臨時休業?

休業というのもちょっとどうかと思いますが😅
急遽、母が入院となりましたもので、ちょっとバタバタしております。
本日のところはひとまず、お休みいたします。m(_ _)m

明日にはなんとかなると思うんですけども……。
何せ本当に急だし人手がないし、今回はちょっと遠目の病院になったしで、どうにも💧
遠めと行っても車でなら片道30分くらいでしょうか…。

寝てない食べてない猫は待っているで、さすがにパソコン前に悠長に座っていられず。

ツイッターではまた何かぶつくさ言っているかもしれません。
明日どうなるかはツイッターで言えるはず……だと思います。
母の状態としましては、ここではまず検査入院ということで、差し迫った状況では(今のところ)ありませんので、そのあたりは大丈夫かと。

どうも今年は体調不良が多いなあと思っていたら、こっちにも来たか〜という感じ。

皆様もどうぞくれぐれも、体調にはお気をつけて。

それでは本日はこれにて。m(_ _)m

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2017.09.27 (Wed)

入り団子、明け団子

 昨日はちょっと肩の凝る話になったので、今日は柔らかめに。

       ●

 けもフレこと「けものフレンズ」、2期制作にあたり監督が降板なさるとの一件については、いろいろ、それぞれの立場で思うことはあるようですが、ファンの立場とするならもうちょっとどうにかならんのかい、というところですよね。
 私は熱心なファンというのでもないのでそっと遠くから見ておりますが……。ファンの気持ちを思うと、なんとか丸く収まってくれないかと。ねえ💧

「けものフレンズ」たつき監督降板騒動、原因は制作会社との条件不一致 製作委員会が正式にコメント
 たつき監督がTwitterで「けものフレンズのアニメから外れる事になりました」とツイートしたことで、ファンの間に混乱と衝撃が広がっていました。

2017年09月27日 00時45分 ねとらぼ

       ●

 お彼岸も昨日で明けとなりましたが、「入りおはぎに明けだんご、なかの中日小豆めし」というの、ご存知でしたか? 私は存じませんでした💦

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 お彼岸は春と秋の年2回。いずれも春分の日、秋分の日の前後3日ずつ、合計7日間あります。

 明日は秋彼岸の明けだねえ、といったときに、うちの母が「明け団子を買ってこなくちゃ」と何気なく申しまして、で、「なにそれ?」

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©️Kitchen garden秋田犬大福と御殿場暮らし

 春はぼた餅、秋はおはぎ、それと積み団子というのはなんとなく知っていましたが、そういう言い伝えというのか風習があるとは存じませんで。

 上記の言葉も実際には地域差もあり、うちの方(静岡県東部)ではあまり聞きません——と安易にいうとまた怒られるかもしれないので、私は聞いたことがありませんでした、といっておこう😅

 彼岸の入りの日にはおはぎをお供えし、お中日(ちゅうにち)つまり秋分の日には小豆飯(あずきめし)を食べ、最後の明けの日には「明け団子」をお供えする、という。

 ざっと調べたところこれも地域によっても違いがあるようで、全国一律ではないんですね。

 少なくともうちの母は入りの日に積み団子を買ってきてお供えし、同時におはぎもお供えし、本来は明けの日にまたお団子、という習慣でやっていたようです。あんまりちゃんと見聞きしてなかったので私もうっかりしてましたが。

 入りの日に用意した団子は、さすがにもう食べられません。お供えして、どのタイミングなのかはわかりませんが下ろしてきて皆でいただく、という記述もあった……うーん。
 おはぎはひとまず入りの日に食べますが今回初耳だったのは、お中日の「小豆飯」。

 これ、お赤飯とも違う。
 お祝い事のお赤飯はもち米ですが、小豆飯はフツーにうるち米。で、「あらかじめ煮ておいた小豆と、その煮汁」を、ご飯に混ぜて炊く、とのことなので、「小豆の炊き込み」でしょうかね。区分としては。
 
 これは存じませんでした。元から土地の風習にはないのか、それともすっかり廃れてしまったのかはわかりませんが……。
 関東では大角豆(ささげ)を使うとか、北海道や山梨は甘納豆を使うとかもありました。
 ……面白い……。

 で、「明け団子」ですが。

 これもお月見団子みたいにピラミッド様に積み上げるそうです。
 なぜ団子かというと、お彼岸も終わってあちらへお帰りになる祖霊が、転がしながら帰る、という説が……。
 …………転がしながら……(←イメージ中)
 ………(サッカーの)ドリブル?……

 まとめますと。
・お彼岸の入りには、祖霊を「お迎え」する「入り団子」。(ウェルカムケーキというか)
・おはぎ/小豆飯はお中日に。赤い色には魔除けの意味がある。(赤い色で厄除け、は古来万能)
・明けの日には、おかえりになるご先祖にお土産として「明け団子」を。(ドリブルで帰るのは謎)
 ということでしょうか。

 ちなみに。
 私もいい加減なので、昨日はお菓子を買いに行ったのはいいけれど、積み団子でもおはぎでもなく、フルーツ大福と「白玉ぜんざい」をお供えしたという……。
 ご先祖様すみません、まったく私自身の食べたいものしかお供えしませんでした💦

 白玉だからいいかなあと思ったけど……そういう由来なのでは、アウトですよねえ💧
  
 
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2017.09.26 (Tue)

政党の終わり

 多様性、という「価値観」が言われるようになって結構たちます。
 その中ではもう政党は意味をなさない時代になってきている、というのが、私の見るところだったりします。

 昨日はツイッター上で、小池東京都知事がその政党代表に就いた「希望の党」について、期待するかしないかという4択アンケートのツイートが流れてきました。
 が、どうもそういう問題でもないなあ……と思いまして。

 政治家さんの中には好んでこの言葉を使う人がいますね——「是々非々」ってやつ。
 是々非々は、是は是,非は非、良いことは良い、悪いことは悪いとする、という意味。
 大辞泉では「一定の立場にとらわれず,よいことをよいとして賛成し、悪いことは悪いとして反対すること」と説明しています。

 そんなの当たり前じゃないかというかもしれませんが、本当にそうでしょうか? 自分の立場や利害関係、ひどいときだとだたの自分の好き嫌いによって、白でも黒、黒でもシロにしてしまうこと、ありませんか? ほんとうに?

 まあそれを悪いというわけじゃない。そういうことが必要な場合もあるので頭っから悪いとは私も言いません、是々非々を実現するのは簡単じゃないですよと言いたいだけで。

 で。
 是々非々というわけにはいかないのが、現在の「政党政治」ってやつ。(さっきから”やつ”呼ばわり💧)

 政党は本来は、政治上の主義主張、信条というものを同じくする人が集まって作られるもの。〇〇党所属といえば、その人個人のことは何も知らなくても、「政治上の考え方」がある程度は推し量れるものでした。

 でも、最近はもう、そうじゃないですよね。
 これほど価値観も多様化し、今までの社会なら幽霊ほどにも認識されず無視されてきた人々にもその存在を認めようとして、今はもう、いろんな価値観や主義主張が入り乱れている。

 ある問題に対する対応も、例えば従来の、保守だの左翼だのの区分だけでは間に合わなくなってきている。
 今までの保守主義では直ちに却下されたような主張でも、「この問題についてのベストは無理でもベターな回答」なら、政党に関係なく推し進めるべき、という事態が出てきました。
 
 もはや、政治上の主義だの信条だのを「優先」していたら、「現実」の問題には対応できないことが増えてきたわけですね。
 これは保守でもリベラルでも同じ。

 基本的なポリシー(政治方針)があるのはいいが、「問題を解決することよりも、自分たちの主張を通すことを優先する」という態度でいられたのでは、問題解決がはるかに遠のくばかり。

 これまでの政党政治のやり方では、この多種多様でめまぐるしく変化していく、しかもその変化の要素が複雑に絡み合っている時代には、対応できないってこと。
 今は政党政治は、何かの推進力になる、人々をまとめるどころか、進もうとするものを「妨害」するようになっている。

 政党をなくせという話ではなく、それにこだわっていたら現状に必要な本当の意味での政治ができないよというお話。

 政党政治が悪いのではなく、今の時代には間に合わない、ということ。

 議会は、ゆるやかな大連合に近づいていくしかないんだろうな——本来は。
 ゆえに、新党がどうたらの問題でもない。
 私はそのように考える次第です。

 小池都知事についてはちょっと面白いなと思うところもあるのですが、今のところはなんとも言えない。思うこともあるけど、さあてねえ——と。
 世間ではずいぶん彼女を悪者にしているようですが、マスコミを含め「世間」というものがどんなものだったかを考えると、私としては安易にそこに同意はできない。

 本来なら、与党野党関係なしに、諸問題に「是々非々」の回答を出すべきところ、旧態依然というか、民進党(民主党)の様子を見ていると、政党政治がどうこう以前の状態だとも言え(共産党は安定してますねえある意味で)——、まあ、有り体に言えば「論外」だとしか言いようがない。
 なんせ想定している国益の、言葉の定義自体が全然違うので、政党かもしれないが日本の政党だとは認めがたいから、そりゃまあ、論外としか言えません。

 まあ、なんにせよ、日本に限ったことではなくても、少なくとも現状では世界的にも、政党政治は「間に合わない」ように思います。

 政策について論じるのではなく、選挙に勝つことを最優先して、国会で通すべき法案も軒並み廃案になるような現状では、政党なんかない方がいいわ、と思わない方が不思議なくらいです。

 政党に意味がないとなると、あとは議員、あるいは政治家本人の能力そのものが問題になるんですが、彼らにちゃんと仕事をしてもらう条件には、国民そのものがしっかりした政治判断をする必要がある。

 形態こそ間接民主制であっても、有権者に政治的な判断能力がなければ、政治ができる人を代議士に選ぶことはできない。

 自由というものが本来はとても過酷なものであるように、民主主義というのも本来は、「私は政治はわからない」なんて言い訳を許してくれるような甘ちょろいものではない。
 というあたりが、そろそろ、バレてきてもいいんじゃないですかね。

 選挙投票は権利なんかじゃない、責任と義務だ、と言って憤慨してきましたが、そのあたりの再確認、必要じゃないですかね。

 問題は政党じゃなくなっている、という現状。

 でも、長いこと親しんできたものを捨てる、改める、変える、というのは、人間の心情としては難しいもの。
 もう変えるべきだと思いながらもなかなか踏ん切りがつかないで、つい、グズグズする、そのことはよく分かります。
 私も尻に火がつかないと動かない、そんで締め切りに追われて泣く、という情けないタイプなので、よっっっっく! 分かります。

 でも、政党を「優先」していては間に合わない——これももう、だいぶ、お尻に火がついてきているんじゃないでしょうかね。
 いつまでも頬被りを決め込んでいるわけにもいかないはずだけどな——と思いつつ、新聞その他を横目にみる日々。

 実際、政党政治とともにメディアは自ら「死」に向かってますからねえ。ご苦労様なことです。
 少なくとも日本のメディアは、特に今年に入ってからは、自分の首にかけた縄を引く力を強めたわけで。
 
 このどん詰まりの状況から、変化が起こるのか、否か。
 いちばん覚悟を問われているのは、私ども「一般」の、個々人だと思っております。
 
 
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2017.09.25 (Mon)

DEATH IS A LONELY BUSINESS

 人の不安を煽ってはものやサービスを売って儲けるというスタイルはなかなかしぶといようです。
 商売人がそういうことをするのは理解できますが、でも、マスメディアがそういうのを煽って何の儲けにするんだろうか? と思うことがたまに。
 儲けたい業界とタイアップしてるんでしょうかねあれって。

 孤独死、無縁死、無縁社会、に引き続き、やっぱり「ひとり死」「おひとり死」という言葉が出てきて、「またですか」と。

 結婚しないと孤独死するよと刷り込もうとするものにも、イマドキの若い人が、「現在、孤独死している人って大半が既婚者じゃん」とあっさりいうのを聞いて、そーだよねえ、と思いました。この手のロジックには騙されない、イマドキの若い人は、古い人とは違ってしっかりしてる(笑)
 
 現在の「トレンド」はゆるやかながら、恐れや不安を煽ってこうなったら大変ですよ、だからこれを買いなさい、このサービスを買いなさい、というものから、こうすると素敵ですよ、楽しいですよ、ということで人が動くようになってきていると思うんですよね。

 不安や恐れで始めたことは、それを避けたかったはずなのに結局は、不安や恐れの「実現」に終わる。
 でも、楽しいこと、素敵だなと思うこと、これが好きだなと思うことから始めたものは、結果のことよりもその過程自体が楽しめる——ということに、無意識にしろ多くの人が気付き始めている。
 または、怖がることにうんざりして、楽しめるものへ目を向けるようになってきているんじゃないでしょうか。

 ものの大きさや量、あるいは「高級」ではくても、小さいけれども本当に楽しいと思うことの方が価値がある、と——そちらへ向かって、ゆるやかながら人の意識は動いているように思います。

 であるにもかかわらず、まーだこういう、不安を煽る商売ってなくならないんだねえ💧

 まあ、保険の商品のように、「不測の事態に備える」という考え方ももちろん大事ですが、不必要に人の恐怖を煽るのももう流行らないんじゃないかなあ。

 ひとり死、という言葉を聞いたときに反射的に口をついて出たのは、
「んなもん当ったり前でしょうが」
 でした。

 たとえ多くの医師や家族に囲まれていても、死という「作業」は、自分ひとりの「仕事」。
 その作業中に孤独を感じるかどうかは環境ではなく、自分の気持ち、心持ちが決めることではないのかと思いますね。

 何匹も猫たちの死を看取り、自分の父親も看取る中で、私が感じたのはそういうことでした。

 それがどういう状況になるにしろ、死に向かうという作業には自分以外の、他の誰も立ち入ってはいけないのだ、ということ。
 逆にいうと、その最期までの時間、いかに本人に幸福であってほしいと他人が(この場合は家族血族でも他人)望んでも、本人の「気持ち」に、立ち入ることはできない。可能な限りの「手助け」はするにしろ、幸福感には関与できない。

 死は、自分ひとりで行う作業。
 孤独といえば孤独かもしれませんが、死とはそういうもの。泣こうが喚こうが本質は変わるものではない。
 
 ひとり死、という言葉に感じる違和感は、「馬から落ちて落馬しました」と同じ種類の滑稽さを感じるから、のようです。私の場合はですが。
 ひとりで死ぬのは当たり前だろうという感覚。

 何の変哲も無いことを、さも意味がある——社会現象なのか不幸の烙印なのかは知りませんが——かのようにいうのは、いったい、誰にとってメリットがあることなんだろう?

 ホスピスの運営に関わる方のお話で——もうそれこそ数え切れないほどの人を看取ってきた方——、多くの人は最後の時、じっと空を見ているときがあり、その時間がだんだん増えていく、と聞いたとき、うちの父も同じだったので、ああやはりそうなのか、と思いまして。

 ある患者さんに、やはりじっと中空を見ているので、どうしましたかと話しかけたら、「今忙しいから、話しかけないで」と言われたそうです。
 他人の目からは、横たわったまま動かず、ただ何も無い空間を見つめているだけのように見えますが、その人の心のうちでは何かの作業が行われていて、それで「忙しい」のではないか、ということでした。

 本質的に自分ひとりの時間であるものを、ことさら、ひとりだの孤独だの無縁だのと言って「煽る」のは、なんとも、人の尊厳への敬意を欠いた態度だな、と思いますね。
 まあ、大メディアに、他者への敬意だなんてもんが生きているとも私は期待してませんが。

 今日のお題は、レイ・ブラッドベリの小説のタイトル。
 邦題は——これまた、「死ぬときはひとりぼっち」というのですが、原題はご覧のとおり、「死は孤独な仕事」。

 個人的には、lonely より、alone を使う方が妥当かな(小説の内容のことじゃなく)、と思ったり。

 ひとり=不幸、という概念、なかなかしぶといようですが、ひとり、ということが、死の、ひいては存在の「本質」だということは、そろそろ、もーちょっと広まってくれてもいいように思います。

 その本質を見るメリットは何か?
 存在の本質は「ひとり」だと知ると、いやでも他人にやさしくなる。

 今の世の中、もーちょっとやさしさがあってもいいなと思うので。
 そんな風に思います。


 
 
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2017.09.24 (Sun)

美容=健康管理

 あくまでも「平均」の話なので、誰もがそうということではないけど、女性の方が平均寿命が長いことについて。
 ミソジニスト(女嫌い)はとにかく何にでも文句をつけないと生きていけないらしく、こんなこと(女性の方が平均寿命が長いこと)にさえ、なんだかよく分からない悪口を言うようです。

 そんな悪口を聞いているとき、でも、ごく若い頃から「美容」を気にする女性の方が長生きなのは当然なのでは? と思ったんですよね。
 美容とはすなわち、健康のことなので。

 どんなお高い化粧品を使おうと神の手エステにかかろうと、健康で血色のいいお肌のツヤに勝るものはない。
 体型についての関心は自然に体脂肪(率)に目を向けさせる。食生活や生活習慣はもちろん、やはり筋肉量も考えざるを得ない。

 美容に気を配ることは、健康維持に関心を持つこととほぼ同じ意味になる。
 とすれば、なんだかんだで若い頃から美容に気を配る女性の「平均」寿命が延びるのも自然なことかもしれない。——とふと思った次第。

 とはいえやはり気の毒だと思うことはあって、男性の場合、お肌の状態や食事に気を配る人を、「男らしくない」といって非難する、わけのわからない「文化」があるんですよね。
 食事にあれこれ気を使うのは当たり前だと思うけれど、そんな細かいことを気にしているなんてバカみたい、という。
 お肌のお手入れに熱心になるのを「女みたい」とバカにする。(男性同士でいうのはまだわかるが、これを女性がいうのは本来由々しきことだと思ってる)

 美容は健康と同義。とすれば、男性だって美容に気を配るのはむしろ「望ましい」ことだと思うんだけどなあ。ねえ?(誰に同意を求めるのか😅)

 何せお肌は「外に出ている内臓」とも言われ、内臓というのはふつうは人間の目では見えませんから、病気とまでは言わなくても、快調なのか不調なのかもチェックしようがない。
 さりながらお肌は「外に現れている臓器」とすれば、体調の良し悪しはお肌を見ればわかるということになります。

 顔色というのがまずありますし、吹き出物が知らせてくる「情報」もある。今はそんなお医者さんも少ないかもしれませんが、舌の状態で体調を見るのは以前には一般的でしたし。
(今は何かっつーとすぐに検査検査検査……)(モニターを見て患者の顔をろくに見ないお医者さんもいる)

 私がもともと、男らしいだの女らしいだのという「価値観」がキライ、というせいもありますが、それを別にしても、ちゃんと自分で自分のことを気にかけて、自分の面倒を見る、手入れをする、そんなことさえ、訳のわからないことをいって「妨害」する「文化」には感心できない。

 周囲から男らしくないだのなんだのと言われるのも嫌なことではあるでしょうが、自分のことを大事にして、殿方にも是非「美容」にも気を配っていただきたい、と思います。

 美容と健康は「ほぼ」同義、と申しましたのは、本来的にはストレートに同義なんですが、関心の持ち方、あるいは対処の仕方が間違っているという例もあるため。

 痩せてりゃいいと思って無茶苦茶な食生活になったり、食費を削ってお高い化粧品を購入したり、というのは、これは健康のことを考えていないというのはいうまでもないことで。
 でも、そういう方向へ走ってしまう人もいないわけではない。
 美容に関心があれば健康に配慮するようになるかというと100%そうとはいえない。残念ですが。
 だから「ほぼ」が付く。

 無理な減食、絶食で入院騒ぎにまでなるとか……ありますもんねえ💧

 でも、何と言っても「顔色が良くて、気分が良さそうで」というのが、化粧するにしろ何を着るにしろ、それが美の基本となることは確認しておきたいと思います。

 綺麗になりたい、綺麗でいたい、という人(男女共)をバカにする人(男女共)の、バカな発言に傷つくことも少なくないとは私も承知していますが、ああいうものを相手にしてはいけません、ということで。

 あれはどういう心理なのかな……特に同性間での発言であれば「お仲間欲しい」の例の心理なんでしょうかねえ。
 体にいいことを実践したり、自分の心と体を「大事にする」のはいいことなのに、それができてない人に限って、自分と同じレベルに他人を引き込もうとする——私の目にはそう見えるときがあって。

 でも、自分を大事にする、いたわる、あるいは自分を「綺麗にする」のはいいことだし、何より自分がそうしたいと願うなら、それをそのまま実行していればいいと思います。

 自分を大事にするという感覚がある人は自然に、他人のこともいたわることができる。

 そういう人が増えてくれるようにと願う意味で。
 美容=健康管理、という本質を抑えつつ、性別を問わず、自然に美容に関心を持てる雰囲気が広がるといいなと思うこの頃。
 
 
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2017.09.23 (Sat)

本日おやすみ

急遽野暮用でお出かけのため、本日お休みいたします。m(_ _)m

今日はお彼岸お中日、秋分の日。
まだ暑さが残るせいで夏の気分が取りきれませんが、でも、あっという間に暗くなる空に、なるほどもう秋分か、と思います。

これからいよいよ加速して冬へ向かうんだなと思うと、寒さと、昼間の時間が短いのが苦手な私としてはため息も出ますが、まあ、それはそれとして。

画像はうちの庭の彼岸花。
鮮烈な赤も綺麗ですが、白い彼岸花もちょっと雰囲気があっていいですよね。😊

それではまた明日、お目にかかります。
良い週末を。

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2017.09.22 (Fri)

一汁一菜

 食べることは大事だ、という考えなんですが、そういう割に、何かあって切羽詰まると真っ先に食べることを「切る」というのも困ったものだと自分でも思ったり。
 それでも切羽詰まって時間がない、でも食べたいという「日常の食事」については、いつも示唆に富むお話を聞かせてくださいます、土井善晴さんのインタビュー。

料理がずらり並ぶ食卓でなくていい 土井さんの提言は
料理研究家・土井善晴さんスペシャルインタビュー

2017年9月20日 日経WOMAN ONLINE

 子供の頃、最初にシャーロックホームズものを読んだときは、そりゃ嘘だろうと思ったのは、とにかく先生、捜査と推理に夢中になると、パイプはふかしてもとにかく食事をしないという描写についてでした。
 まだ成長中の子供ですから何があろうとお腹が空かないというのはありえない、と思っていたんですよね。少なくとも自分はそうだと。

 ところが一人暮らしになって最初の年、試験とレポートに追いまくられて食事なんか作ってる暇はないとなったとき、1週間、コーヒーとトーストで過ごした時には自分で自分にびっくりしましたわ。
 本当にお腹が空いたという感覚がないし、食べるのは「面倒臭い」感覚で、食事に何かを「邪魔される」感じでした。

 ああホームズ先生の感覚ってこれなんだわ、あれフィクションじゃないんだわ、としみじみ思ったんでした。
 でも、体に悪いのはいうまでもない。試験が終わった途端にひどい風邪をひいて寝込み、食欲なくても食べないとダメだ、と、文字通り、身をもって知りまして。
 
 それで、どんなに忙しくてもご飯は作るようになった——と言えればカッコイイんですが、食欲がないものはない。ようは栄養取れてりゃいいんだろうと、翌年から何をしたかというと、試験前に1週間分の食事を作ること。

 と言ってもメニューを考えてのことではない。
 朝食は、目玉焼きと御御御付け、納豆、というのは不変なのでこれはいいとして、お昼は学食の定食に。
 一番の問題は夕食ですが、これのためにホワイトシチューをまとめて作って、1週間、食べ続けた。

 野菜とお肉がとれるし、冷凍しておいて温めなおせばいいだけ。
 食器洗いも最小限にという理由から、「シチューライス」にしていました。

 ご飯に、カレーのようにシチューをかけられるか、という論争もどこかでありましたが、あれは結構いけますよ。ドリアに抵抗がないなら、ホワイトシチューライスにも抵抗がないはずです。理屈ではね。
 ご飯にミルク系ってあいますよ。意外と。

 ともあれそれを1週間毎日で、よく飽きないね、とは言われましたが、平気でしたねえ。食べたくて食べてるわけではなく、本当に機械的な「作業」になってしまうので、——で、もちろん不味いわけでもないし。
 あのときつくづく、私は本当は食べることには執着の薄い、ややあぶねータイプなんだなと実感しました。

 でも、あの経験から、土井先生がおっしゃる、「褻(日常)の食事」のこの論理が、よくわかるんですよね。

 私のような食べ方は論外ですが、でも、「日常の食事」についての考え方は、おっしゃる通りだと思います。

 お貴族様じゃあるまいし、毎日毎日、何品も、彩も美しく作る「べき」だという考え方はナンセンスだ、ということですね。

 そういう贅沢をするときがあってもいいが、日常毎日のことで、そこまで気を張っていたら疲れてしまう、という。
 だからと言って粗末な食事でいいというのでもない。

 なんていうんですかね——「名より実を取る」というとちょっとズレますが、美味しくいただいて栄養が取れればいいじゃないの、という考え。

 粗食ではない。メニューを見るとわかりますが、食材は豊富ですから、「食事のピラミッド」でしたっけ? あの栄養バランスを説明したピラミッドの実現は可能。

 もちろん丁寧に見た目もきれいに、何品も作れる人はそうしたらいい。でも、そう「しなければ」ならない、という妙なプレッシャーをかけ、挙句には押しつぶされ、やけになってサプリメントに頼ったり、外食、インスタント食品、お惣菜を買い込むので自宅には包丁すらないなんてことになるのでは本末転倒。

 シンプルだけれど栄養豊富という食事は実現可能だし、「日常=褻」の食事というのは本来はそういうものだ、という考えには、私は全面的に賛成です。

 具沢山のおみおつけ、美味しいですよね。豚汁や芋煮のあの美味しさだと思えばいい。

 今の世の中はどうもいろんなことが極端化しているなと感じますが、食事もそうですねえ——家に包丁が1本もないなんて話も聞くし(子供さんは学校が休みで給食がない間に栄養失調になる。これ、本当に事実あることなんです…)、そうかと思うと、本当に、食事は何がなんでも全て手作りでないと「だめ」だという主張をする人もある。

 どーしてそう、いうことが極端になるんだよ……と、ぼうぜんとする。

 そういう中で土井先生おっしゃること、ごもっとも。と深く頷く次第です。

 気楽に、でも楽しく。美味しく。いただいて明日への力に。
 食事の「基本」、その「もと」を示してもらえる。そんな気がします。


 余談ですが、おみおつけの具にはやたらこだわる人がありますね。
 夫婦喧嘩の原因が、具が豆腐だったら一緒になる具は、わかめか、はたまた油揚げか? で揉めた、なんて、実際にあるんだそうで💧

 具沢山ならそんな喧嘩にもならんと思うけどなあ。

 どのみち、何につけ、「〜であらねばならない」という思い込みは何かと柔軟思考の邪魔になるので、可能なかぎり排除したほうがいいというのが私の思うところ。

 そもそも「こだわり」っていい言葉じゃないんですよ。本来。
 そんなことにこだわるな、と言って、人をたしなめるような表現。
 いつからこんな言葉が、あたかも一つの美徳のように言われだしたんだろう、というのが、私のひそかな疑問だったりします。

 こだわりは自分の首を絞める。
 信条や信念があるのはいいけれど、それこそ、こだわりすぎて自分を傷つけることのないように、と願います。
 私自身がひじょーに頑固なところがあって、自分でもよくないなーというのを実感しているので💧
 
 ちなみに、味噌汁という言葉はあんまり使いません。人様にまで、この言葉を使えなどとは言いませんが、おみおつけは女性言葉だとも言いますがそのせいか、響きが柔らかで好き。
 漢字で書けば御御御付け。どこまでも主食を補う美味しい副菜への敬意があるようで、ちょっと面白いなと思う、好きな言葉です。
 
 
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2017.09.21 (Thu)

等身大の主語

「ダーリンは外国人」のどこかにも「大きい主語」の話ってあったっけなそういえば。と思い出しまして。


 私も先日、「(女性である)私はこうだ」というのなら、そうですか〜で済むけれど、「女性はこうだ」と言われると「そおですかあ?⤴︎」になってしまう、とお話ししたところだったので(2017/09/16「巻き込み型自己紹介」)、あ、やっぱりですか、と。

 そういうわけで「ダーリンは外国人」でも、私は〜、というべきところ、「我々は」と言って大きく出るのを冷やかす話題があったと記憶していますが(今ちょっと確認している時間がないので、後で探してきます💧)、やはりそういうの、やめたほうがいいんだなあと思いました。

 もう半分以上忘れていましたが、けっこう昔、「私は、私が、といちいち書く文章はうざい」というご意見を見かけて、ちょっと動揺し、考え込んでいたことがありまして。
 私は明らかに、私は、私が、という主語を突っ込むタイプ。そうかこれって鬱陶しいかな、日本語としては押し付けがましいというか主張したがりというのか、そういう感じになるのかな(その感覚もわかる気がする)——やめたほうがいいかしら。と。

 別に自分が名指しで非難されたわけじゃないんですが、でも気になってしまいまして。

 実際、日本語って徹底して主語を省略すること「も」可能なんですよね。それゆえはっきりしないなどと悪口を言われることもありますが、日本語のすごいところは、主語を省略しても、動詞の変化や助詞、助動詞の示す意味から、誰の発言かがわかる構造を持っていること。
(源氏物語の原文……あれはすごい……)

 わからないという場合は話し手・書き手がボンクラか、あえてぼかしているかのどちらかなので、日本語が曖昧というのは的外れの批判。
 実際、一人称一つとっても、単数、複数はもちろん、身分階級の違い、職業、性別による区別、さらには敬語、謙譲語、卑語までがある日本語は、きっちり使いこなすのには相当の論理性が求められる。
 日本語ほど論理的な言語はないだろうと私などは密かに考えております。

 ボケた日本語になるのは、話し手か、受け手のどちらか、あるいはその両方に論理性が欠けているからだと言ってもいいくらいでしょう。

 ということで。
 実際、文章の場合ですが、日本語ではあんまり主語を主張しなくてもいいんですよね、むしろ、あんまり頻出させると「うるさい」印象になる。ボコボコと小石がある未舗装の道みたいな感じ。

 でも。
 ——詩文なら主語省略でもいいが(むしろそのほうが通りがいいが)私が書いているのは、じつはけっこう人の内面に触れる繊細な話題が多い。
 主語をはっきりさせないと、自分で自分のことを反省しながら書いているのに、他人を非難したように思われる危険性が跳ね上がるんですよね。

 私には、人様のことをあげつらうような度胸はありません。ものすごい小心者です、そのへん。
 なので、「これは人様のことをいうのではありません、私はそのようである、そのように思う、というだけのこと」「通販番組でいう『個人の感想です』ってやつです」というのを補足しておかないと怖くてしょーがないのです💧 ホントに💧

 で、あれこれ考えて、
「やっぱり私は、主語をはっきりさせよう」
「うるさいとか不細工に思われてもいいや。責任の所在をはっきりさせるほうが大事」
 ということで、自分のスタイルとして決めました。

 私はこのようにします、というだけであり、他人にも同じようにせよとは言わないし、すべきだなんてなおさら言わない。——というリマーク(注釈)のつもりでおります。

 ゴツゴツして鬱陶しい文章になることは承知。でも、「これは他人様のことを言ってんじゃないんです」と示すことを優先する、と決めました。

 でもまあ、——私はそう思う、そうしている、というのを主語なしにするのも危険ですが、「我々は」と大上段に構えたり、女性は、男性は、〇〇人は、などと大雑把なグループ化をすると、そんなところに入れてもらいたくない人からは、そりゃー怒られるわな……、と、あらためて納得しました。

「主語を大きくする」とは、納得の表現ですね。……うん、ホントにそうだ。

 私はこうですとか私はこれが好きですと言ってりゃいいのに、なぜ主語を大きくしてしまうのか、というのは。
 一つには、「自分を基準に考え、自分の考えが常識だと思い込む」人間の習性もあると思われますし。
 もう一つには、やっぱり、自分だけではないはず、「お仲間」が欲しい、あるいはお仲間がいると信じたい、そんな気持ちが無意識に働くのかも。そんな気もする。

 こういう考えや態度なのが自分一人だったら嫌だから、みんなそうだよね! という、お仲間欲しさの気持ち。……そういうのってないかな。

 私はこうです、というとき、気持ちのどこかに寂しさはあるかもしれない。
 だから、誰かと「私たち」になれたとき、そう感じたときには「特別感」があり、安堵感があり、幸福感さえあるのかもしれません。

 確かに「私たち」と言い合える人はいるかもしれない——いたとしても、でも、それでも、何かを主張するときには、「我と等しき人しなければ(※)」の思いを持つことは、必須のように思います。

 自分の当たり前は誰かの非常識、ということは念頭におくべきところですが、どーしても人間は自分のことは当たり前だと思い込むので、それくらいの気持ちでいてちょうどいいかもしれません。

 なんにしろ、「主語を大きくしない」「責任の所在を明確に」ってことは、たとえ見苦しい文章になっても、肝に銘じておきたいと思います。はい。

(※)在原業平
「思ふこと 言はでぞ ただに止みぬべき 我とひとしき 人しなければ」
 
 
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2017.09.20 (Wed)

不倫問答

 人生これからという現役女子高生が、昨今の連続する不倫報道には本気で疑問を感じているらしく、「なぜ”みんな”不倫をするのか」という、とんでもねーご質問を頂戴して、頼りないながらなんとかご返答申し上げておりました件。
 私の、無い知恵を絞った回答でどこまで納得してもらえたかは不明ながら、またちょっと話がずれて、自分はどうだったのかと聞かれました。

 ……すでに過去形で言われるところがちょっとせつないな、おばさん(笑)
 いや、だからこそ気楽になったところもあるんで、そこは嬉しいんですけどね。

 つまり、長いこと独身でいて、自分が不倫の泥沼にはまることはなかったのかというご質問ですね。
 ——ないよ。(シンプル)

 あれはねえ……どういう了見なのかと考えていると本当に暴行・傷害罪を犯したくなるからあんまり考えないようにしてるんだけど、既婚者でありながら、ヒマそーにしている女ならちょっかいかけてもいいだろうと思う男って本当にいるのね〜。

 私もいい加減ぼんやり生きている人間なので、最初は何を言われているのか意味不明、わかった瞬間グーで殴りたくなったわけですが。
 なんでしょうかね……どこまで人を馬鹿にしてんだテメエはというのが私の思うところであって、ちやほやされているという感覚すらなかったですね。

 もっと腹たつのは仕事関係でそういう奴がいたことですが、こちらは幸い、上司がそういうところで理解してくれて、担当をかえる等の対応でなんとかなりまして。
 やっぱり上司というのも大事なものですよね…その点では私は本当に恵まれていたと感謝してます。

 とまあそんな感じ。
 粉をかけられているだけなのに、モテているとか、ちやほやされていい気分になるとか、そう思う人もあるそうなんですが、私は男嫌いが幸いしてか、元々の気質か(基本的には平和主義ですが売られた喧嘩は買う)(既婚者にコナかけられる=喧嘩を売られたと解釈する😅)、いい気分どころか「既婚者のくせに」と怖気を震ったというのが正直なところ。

 そういうわけで、不倫する人の気持ちは私にはわからないのよねえ……といったら、女子高生、ふーんと笑ってましたが、安心したところもあるようでした。
 
 世の中はきっとロクでもない場所だけれど、あなたが思うほど「最悪」の場所でもないんだと、私は思う。

 ——最悪の場所へ引き込もうとするものに出会うことはあるけれど、それをどうするかは自分次第とも言える。
 もっとも、私が上司に助けられたみたいに、人に恵まれるなどの環境も大きい。それも確かだけれど。

 不倫する人の気持ちはわからないが、他の人のように非難もしないということについては、彼女としては若干「不満」に思うところもあるようでしたが——そのへんは私も話していません。

 基本的にそれは「他人のこと」なので、第三者が悪口を言うようなことでもないんだけど、なかなかねえ……。

 昔には、不倫中の知人から、それを「愛」だといって滔々と説かれたこともあるけど、そんなもんが愛ならあたしゃ死ぬまで用はないね、と思いました。
 が。本人にはいってない。
 そんなもの、関係する誰にとってもいいことなど一つもない。愛であろうがなかろうが、当事者になんの苦しみもないと言うことはない。
 ただでさえ苦しみがあるものを、第三者がそれ以上に鞭打つべきことではない。

 理性ではどうしようもなく巻き込まれていく場所というのが、誰にでもあって、本人にそんなつもりはないのに、どう抗ってもそうなってしまう、ということはある。
 それぞれの人にそれぞれ負うものがある。何を負うかは人それぞれだし、負ったものについてはいいも悪いも、えらいもエラくないもない。
 自分がやるべきことをやるしかない。

 不倫で苦しむこともそういうもののひとつで、その人は、苦しむこともそこから抜け出すための気づきや努力も、課題として課せられて、取り組んでいる。
 宿題がそれぞれで違うようなもんですね。他人の、他の科目の宿題に、違う科目の宿題で泣いている自分が、なぜ口出しなどできましょうか。

 やたらな非難はしないというのは、そういうこと。

 ………なんだけど、現時点では、まあいいか、と思って、そのへんは話さない。
 なぜ、他の人たち(例えば彼女の母上)のように、ああだこうだと悪く言わないのか、という疑問がもっと大きくなったなら、話してもいいけど。
 今はまだそんな用もなかろ、と思って言わないでおります。

 だからってもちろん私が不倫容認主義ってことはないし、ふざけた態度の野郎への殺意がないということでもないので、その辺りは念押し。

 しかしまあ、若い人にああいうことを言われてしまうのもいーかげんみっともないことではあるので、本当にもう、どうにかならんのかその下半身事情。
 と思っているのも私の本音です。
 

 今気がついたので補足。
「粉かける」ってわかります? これも #昭和語感 なのかあるいはもっと古いかもしれませんが(私と同年代の人であっても通じない気がする……😅)、俗な表現で、異性に声をかける、誘惑する、という意味。
 なんとなく女性が男性を誘惑するという場合には使用されないという印象を持っていたけど、そうでもなかったのかな……どうかな。
 ナンパ、逆ナンよりは悪意のある表現だと私は解釈しております。
 
 
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11:51  |  身辺雑記2017  |  EDIT  |  Top↑

2017.09.19 (Tue)

急がない付加価値

 これ面白いなというのと、いいなというのと、こういうのを聞いて「へーえ」というようになっちゃった経緯についての感慨と、いろいろなことが思い浮かびます。

最速、最安は本当に必要?通販サイトが「急ぎません。便」導入 狙いと反響を聞く
2017/9/19 Yahoo!ニュース/BUZZ FEED Japan

 私も通販大魔王で、買い物は通販がほとんどという地元経済に貢献しないタイプなので、どうも肩身がせまいのですが(好みと時間の都合でどうしても💧)かえり見ると、そうだよねえ、昔はそんなに急ぎだなんて言わなかったなあ。と思い出す。
 学生のときに、下着やパジャマ類を購入するのにセシールさんにお世話になったのが、通販大魔王のそもそものきっかけですが、あの頃は、注文も郵便で、注文書を投函してから届くまでに1週間くらいが目安でしたかね。

 下手をしたら忘れた頃に荷物が届くなんてこともありました。世はすでにバブルのニオイが濃くなりつつあった中ですが、そんな感じでした。あんまりスピードを競うことはなかったですね。

 有料サービスで急ぎができたのいつからかなあ。私はそういうの利用しなかったので記憶にありません。
 有料でも早くに欲しい人もあるだろうし、ふーん、という感じで横目に見てたかな。

 通販の取り扱い量が増えるに従い、競争も激しくなり、そういう中でサービス過剰になってきたんでしょうか。
 いつからこんなことになっていただろう、と、私もしばし考え込んでました。(そして考えても思い出せないという記憶力(笑))

 昔は「急ぎ便」の方が特例だったのに、今や「急ぎません」の方が特例扱いになるとは——一体いつから、世の中はここまで狂っていたのだろう、と。
 つい、ここまでの経緯を振り返りたくもなる。

 Amazonプライムでは、お急ぎ便の方が標準ですね。というか、商品の在庫がすぐにはないという場合を除くと「急ぎ便一択」状態なわけか……うーん。アマゾンプライムって開始されたの何年ごろでしたっけ?💧 あれもどんどんサービス内容が拡充されているので記憶が…💧

 もちろん早めに届いてくれればありがたいですけど、何でもかんでも急ぐ必要があるわけでもないし、せっかく早めにきてくれても、受け取るタイミングが悪くて結局、そこから数日かかることもある。
 実際には、さほど急ぎ便というのは、消費者側からは「必要性」の高いものではなかったのかもしれませんねえ。

 競争というのは市場なり業界なりを活性化させる燃料になりますが、それが過剰なものになると「害」にもなる。
 坂道を転がり落ちていく石を止めることが難しいようなもので、一度そういう変な動きが始まると、止めるのは難しい。

 それでも運送会社が撤退するしかないほどに過熱したのは異常。
 少しずつ「正常化」に向いているようですが、そういう中で「急ぎません便」というのもいいアイデアだし、それでいいです、と応じた消費者も良心的でよかったなあ、と。

 急ぎ便は、それはそれであってくれればありがたいですが、でも、しょっちゅう「必要」でもないということが今回のロコンドさんの試みからわかったってことで、この動き、他にも広がっていくといいですね。

 Amazonプライムの場合も、「急ぎません」便の選択肢がついてくれてもいいように思います。本当に急ぐときは急ぎ便でお願いするし——私は利用していませんが、日用品をボタン一つで発注できるというサービスもあることだし。ね。


 完全に話がそれるんですが、「急ぎません」という丁寧語の名称もいいなあと思いました。

 最初に聞いたときも、急ぎません便、という音の響きが柔らかでいいなとうっすら思ったんですが、昨夜はその対極の——、「内容はいいんだけど、その物言いはどうにかならない?」と思うものを見てしまって(笑)

「急がなくて結構です、今回注文分はまとめて1つの荷物で送ってください。どうぞ1箱にまとめて送ってください。複数個に分ける必要はございません、なにとぞよろしくお願いします」便——を、アマゾンさんには導入してほしい、という内容のツイートがありまして。

 主旨はその通りでいいんですが、これ、原文はものすごいぞんざいな命令文になってまして。
 ちょっと気分が悪いので、私は丁寧文に変えさせてもらいました(笑)

 お客様は神様ではない、ということがちょっとずつ言われるようにはなったものの、世の風潮してはまだまだだなあ、と思う中ですから——、客だからってこんな口を叩くようでは「急ぎません便」を選択したとしても良識を疑いたくなる。

 言葉遣いは大事ですよ。着る服に気を使うように、言葉にも気をつけた方がいい。ぞんざいで乱暴な口を利いて他人を不快にさせていながら、私は悪い人ではない、いい人です、などと名乗られても、信じる人はいないでしょう。

 ということで、プライムの注文だからって無理に矢継ぎ早に送る必要はないでしょう、急がないのでこちらはひとまとめで送ってくださいねという選択肢を導入してほしいという、そのお志には同意なんだけど、この口のききようは何? と思い、一瞬、RTするのを躊躇ったんでした。

 せっかく業者さん含めて気遣いするのなら、その気持ちが伝わるよう、言葉にも気を配ってもらえるといいんだけどな、と。

 タメ口ならまだいい方で、本当に、原文はどこのどちら様で? と言いたくなるような乱暴な口調なので。
 ひとつのシャレとしての言葉だろうとは思うんですが、ちょっとね。「急ぎません便」のネーミングに比べるとどうも嫌な印象になったので、惜しい、と思いまして。

 丁寧に言っていると140文字では足りなくなるという都合は勘案しても、でももうちょっとなんとか。
 ——と思って、ちょっと改竄しました。ゴメンナサイ。(^^ゞ
 
 
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13:50  |  身辺雑記2017  |  EDIT  |  Top↑

2017.09.18 (Mon)

無許可RT

 ソーシャルメディアは、Facebookやmixiから始まり、Twitter、Instagram、その後も諸々のサービスが出てきていますが、それぞれの「社会」に、それぞれの特色があるのは興味深いところ。
 私は古くはプロバイダーさんが提供する「掲示板」「日記」のサービスから、ブログへ、そこからTwitter、恐る恐るインスタ、という順序で来ていますが、それぞれの社会に暗黙の了解があるんですね。

 インスタを始めたときにびっくりしたのは「自分の投稿(ポスト)を勝手にRTする人がいる」と言って「怒っている」人を見たときでした。
 インスタは公式にはRT——リポスト、またはリグラムというものをサポートしていません。インスタ運営はそういうものを「認めていない」ことになります。ので、まあ、怒るのも無理ないのかしらとも思うけども。
(でも、インスタのポストを第三者が、Facebookやツイッターに投稿する機能はあるんだよねえ……URLをツイートするだけではあるけれど)

 インスタはそういうわけで、多分あれは画像を扱うせいかなとも思いますがいわゆるRTは認めない。それはいい。
 でも、ツイッターは「共有」という概念のもと、見た人が、これはと思ったものをどんどん他人に伝えていく、それをこそツールの目的にしている。
 ので、少なくともツイッターにおいては、RTは、許可も無許可もない。
 規約でもそのようになっている——そうです💧(←読んだはずだが記憶になかった人)



 ツイッターもRTについては試行錯誤の歴史があり、以前に問題になっていたのは「引用RT」だったそうで(この時期は私は使用していないので詳細を知りません)。
 この場合の問題は、元のツイートを引用者が「改ざん」する可能性があったから。

 RTという「再配信」はよろしいが、他人の書いた内容を勝手に変えるのはいかん、という。……ま、そりゃそうですよねえ。
 著作権自体はあるものの、使用については公共物(雑誌新聞書籍など)だという概念なんですね。

 ゆえに。
 内容を改ざんされたら問題だと私も思いますが、RT自体は文句を言う筋合いではない。面白いと思われたかバーカと思われたかは関係ない。RT自体には問題はないし、ツイートを公開にしている時点で、「無許可RT」を承知しているというのが、ツイッターの「規約」になります。

「無許可RT」されることに私が抵抗なかったのは、ブログから来ているせいかもしれません。ブログというのは裁判でも「公共物」だと認識が認められました。
 著作権はもちろん書いた人にある。でも公共物である以上、不特定多数の人々に利用されることが「前提」なんですよね。
 実際ブログエントリーはRTされるも何もありません。トラックバックという機能はありましたが(……過去形で言うのはおかしいか💦)どこでどう人様にご利用いただいているかわからない。
  
 商用利用されていたり、内容を改ざんされたり、「盗作」された場合はこちらとしては権利行使の可能性がありますが、RTに該当するものについてだけなら、まあご自由に、ということ。

 そういう概念できているので、むしろ、インスタの「勝手にリポストされた」と怒る人を見て「ネットという公共空間に公開にしているのに、なんで?」とびっくりしたんでした。

 無許可RTに怒っている人に「嫌なら非公開にすればいいのに…」とおっしゃる人々がいます。その通りですね💧

 インスタもツイッターも、限られた人にしか知られたくないなら非公開にすることは可能です。
 アカウントを公開の状態にしているというのは、——ともあれツイッターにおいては、

「コンテンツを使用、コピー、複製、改変、修正、好評、送信、表示及び配信するための、世界的かつ非独占ライセンス(サブライセンスを許諾する権利とともに)を当社(ツイッター社)に対し、無償で許諾することになります。」


 という規約があってそれを承知して、アカウントを取得しているので、しかも同じツイッターユーザーにRTされるのに許可もへったくれもない。

 私はむしろ、インスタの、「ネット上に公開しているものなのに、なぜ、(雑誌などへの転用でもない)リポストに『怒る』のだ」と、そっちの方が不思議です。(非公開アカウントならまた別ですが)

 どうもなあ——「ソーシャルメディア」という言葉を真に受けすぎるのか、グループ化されていようがいまいが、ネットというのはこれ以上ないほどの公共空間だという概念が「ない」人がいるんですねえ……。うーん。

 オトモダチとの内緒話のつもりで使用しても(そう”思わせる”機能はあるけど)、実際には、街の大通り、そのど真ん中で、メガホン持って大勢の人に聞こえるように言っているのと同じなんですよね。本来は。
 ものが何であれ、ネット上にある以上はその本質は「公共物」だということは、理解しておいた方がいいように思います。

 おめでたいことや嬉しいことなら実名は出すけど、ちょっとネガティブな話題の場合、可能な限り実名を書かないのは私のポリシーですが、このポリシーの理由でもあります。
 公共物、「おおやけ」に個人名を挙げると言うのはそれなりに配慮すべきことがある、という考えがあるからで、つまりはネット空間は公共、公の場所だだから。

 とはいえ、ツイートはこの上もなく、本当にただ単なる独り言(寝言)をつぶやいているのも事実。
 その辺を突っ込まれると私もまだ考えがまとまっていない……もう少し考えます💧
 プライバシーとパブリックの概念も、なかなか入り組んではいますよねえ……。

 
 ツイッターは「ミニブログ」だとどなたかおっしゃってましたね。私が顔本は放置、インスタは未だに使いきれずに及び腰なのに対し、ツイッターにはミョーに馴染んだのは、ブログと似たような感覚だからかもしれません。

 とはいえ、ツイッターに馴染んでのんびりやっているのは、いわゆるクソリプも来ない、気楽な立場でできているからだというのも、承知しております…。
 ブログやインスタはコメントの受付を止めることができますが、ツイッターにはその機能はありません(……よね?💧)から、他人事ながらちょっとお気の毒になって、たまに、「リプの受付、止められるといいのになあ」と思うことがある。(^^;)
 いわゆるクソリプは、他人から見ても気分が悪いものが多いので。

 ツイッターの規約には、「ユーザーの権利」の先に、まずこちらがあります。

ユーザーは、適用される法令や規則への遵守を含め、本サービスの利用および自身が提供するコンテンツに対して責任を負います。
提供されるコンテンツは、他の人たちと共有して差し支えのないものに限定してください。

(赤文字、下線、引用者)

サービス利用規約
https://twitter.com/ja/tos


 
 何よりもの前提は、こちらの方だということも、再確認が必要かもしれません。
 
  
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