怪談・比較文化論
2017年08月05日 (土) | 編集 |
 さても土曜日。
 土曜日曜というと話題も気楽〜なアホ話にしておきたいという気持ちになるんですが、探してみると案外、そういう話題もないもんだなぁ、と。(^^;)
 気楽で馬鹿な話っていうと本気すぎて、わかる人以外にはわからないという話題になりそうだし。

 ということで、苦手な人もいるということは重々承知しつつ、私の趣味の一つ、今年もその季節がやってまいりました、ってことで。(^^ゞ

・ほぼ日の怪談 2017
https://www.1101.com/fear/

 そーゆーの嫌なんだよ、という方はリンク先を見ないでいいですからね;; いうまでもないけど;;
 
 怪談、怖い話を「聞く」(または本で読む)のが大好物なんですが、なんせ根っからのビビリですから、「ホンモノ」には興味ありません、というより「近づきたくありません」。(^^;)
 この「ほぼ日の怪談2017」、ページを開いたら、心霊スポットとまでは言わないにしろ、ちょっとした噂のある実在の場所の動画があって、「いや〜、そーゆーのは結構ですから〜」とそのまま後ずさりしそうになりました(笑)

 昨夜はNHK BSプレミアムで、小泉八雲の怪談を取り上げた番組があったそうですが、残念ながら私は見逃しました;;

 このあと他にもお盆の時期に怖いもの関係の番組があるそうですが、………映像ですか〜↓、となっております…。
 2年くらいは続けて、「BS夜話」ってことで怪談を語る「だけ」の番組がありましたが、ああいうのがいいなあ……。

 映像、つまりはフィクションなり再現ドラマになると、てんで面白くない、と思うのです。
 怖がらせポイントを意図的に作り、ほ〜ら怖いでしょう〜、とやられると、生まれつきへそ曲がりの私は「ふーん(冷)」という態度になってしまいます;;

 人に煽られると、急に冷める、という妙な習性があるんですよね……。なんででしょうね;;

 別に怖がらせる意図もなく、淡々と語られる方が、「怖い」という感情は自然に出てくるので、そちらの方が「心地いい」気がします。ああしろこうしろと人から指図されるのが、ほんっとに、根っから、嫌いなのかもしれません。(^^;)

 怖い話というのも各国、各民族の特徴があって、比較文化論的に語るのも面白いんじゃないかと思ってます。そんな論文書く人もいないでしょうが(笑)

 ゾンビやキョンシーというのを見ると、怖いというより「気持ち悪い」のが私の思うところ。あれ、気持ちは悪いが怖くはない。
 仲間になれというのなら別になってもいいけどなあ(←安直)という考えなので、そう思うと、別にどうってことはない。

 面白いのは、外国ではご遺骸に執着すること。
 日本では死後に現れるのは幽霊であって、死体がよみがえってなんちゃらというエピソードはほぼない。
 ただ蘇るのではなく新種の生き物のようになるのがゾンビなりキョンシーなりで、ああなっちゃうと人の死がどうこうって感じはしない。元は人間だったものが別の生き物に変成した、という感じですね。

 死体が別の生き物となる、という発想は日本ではあまり見かけない。八雲の怪談には、死体が一晩中走り回るエピソードもありますが、あれはその日限り、生前の恨みを晴らすべく相手を探しているだけであり、一定の時間を過ぎれば死体自体は朽ちてしまう。故に、「別種の生き物」になるわけではない。

 少なくとも日本においては、死体という「物質」は永続しない、という考えが徹底している、とわかります。
 ゾンビは、これは明らかに一神教の、最後の審判後のよみがえりの発想があるんだなあ、というのがわかる。

 そんなあたりを見るのも、各国の怪談や民話を聞く面白さと申せましょうか。

 怖い、というのは人間にとってはとても原始的な感情。
 ある意味では、この感情の前では理性も知性も吹っ飛び、ええかっこしいも通用しなくなる。
 その「裸」の感覚が、私には面白い。

 だから、人の意図によって作られる「まがい物」の再現ドラマには、ただひたすらしらけてしまうのかもしれません。

 それに、怖い話というよりも「不思議な話」というものも「ほぼ日の怪談」には多く見られて、むしろほっこりしたり、思わず涙ぐんだりします。結局「幽明(ゆうめい)界(さかい)を異(こと)にする」ことになっても、人は人だし、家族は家族だねという、そんな感覚の方が——死んだからっていきなり化け物扱いするよりは——私は好きですねえ……。
 
 そんなことを思いつつ、今年のお盆も、怪談に耳を傾けたいと思います。
 
 
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