自問自答
2017年08月04日 (金) | 編集 |
 ツイッターTLにこの雑誌の情報が流れてきて、ああ面白そうだなあ、と購入。

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 何分にも、見出しを見ればわかる通り、重い話題ばかりが並んでいるので一気読みもできませんで、少しずつ読んでます。

 今年に入ってからのマスメディアや左巻きの、安倍憎しは異常というほかはないレベル。
 とうとう、「火のないところに煙を立てる」という、はっきり言って「冤罪(えんざい)」を引き起こしつつある。
 眼に余るというよりも、ここまでくると気持ちが悪いのですよ。
 精神的な病気ならまだいい。人格障害というのは(あ、今はパーソナリティ障害っていうんでしたっけ)、一般社会の中で平気で生きているから恐ろしい。自分で自分の異常性がわからないところが恐ろしい。

 私はもともと人間という生き物がさして好きでもないし信用もしないところがあるので(人に対して悪意があるということではない)、まあ、ああいう発狂状態を見ても、怒りというのはあんまりないんですけど。
「ま、そんなとこだろうな」という、あきらめに似た感情で。

 とはいえ、ホモ・サピエンス(知恵ある人)を名乗る資格もない人がこれほど多くいるのかと思うと、さすがに、世を儚みたくもなろうってもんです。
 
 NHKさんでは「○時のニュースです」と言ってニュースを読みあげることが多いですが、
「ニュース? どこが? どれが? ——アタマに”フェイク”(イカサマ)ってつけるの忘れてるよ?」
 と思わず独り言が出てくるくらいに気持ちが悪い。

 しかも、これは演技性人格障害にある特徴ですが、嘘をついているうち、本人は自己暗示にかかったようになり、自分の嘘を嘘だとは思わなくなる。そういう現象が見て取れる。

 ある悪意や目的があり、はっきりと、人を陥れる、という意図がある方がまだ理解できます。
 憎い、という感情に支配され、「こういうことだったらいいのに」という思いが「こういうことだったのだ、事実だ、真実だ」という自己暗示になる。
 そう思い込み、信じ込む。

 そこにあるのは思い込みだけですから、客観的事実の検証なんてものはない。
 彼らが、理詰めに分析されることを異様に嫌がるのは、思い込みがあるだけで物証なんかない、ということを、意識の底ではちゃんとわかっているからなんでしょうね。

 ……ビョーキ以上のものがあります。
 知性がどうのという以前ですよこれ。

 気持ち悪いなあ、と思っているところに、こちらの雑誌の広告が眼に入ったので、あの発狂ぶりをどう「理解」すべきか、その手がかりになろうかと思いまして、買いました。

 読んでいると、なるほどねえと思えるところはある。
 つまりは、私が「まだ理解できる」意図を、意識的に持っている(悪意ある)人が、パーソナリティ障害の人を「利用」している、という図式がいちばん現状に近いかな。
 まさに、ナントカとハサミは使いよう、の状態なんですね。なるほど。

 とはいえ。
 私もこれを、100%真に受けているわけではありません。

 というよりも、それがどんなものでも、誰が言ったことでも、100%信じるということは、ない。
 ない、と言えるように、心がけております。

 というのは、情報というのは、「メディア(媒体=仲立ちをするもの)」を通す以上、「誰かから聞いた話」でしかないんですね。
 サッカーでは最近、ゴール判定に映像の再生を用いる試みがされていますが、カメラのアングルによって、ボールがラインを割っているようにも、いないようにも見える、てこと、結構あります。

 媒体とは、そういうもの。

 現場にいた人の証言だからと言って、それが必ずしも「正しい」とは限らないんですよね。

 それに、媒体は必ず「人」を通す。誰かが原稿を書き、映像を編集する。ということは、書く人、映像を撮った人、編集した人の「主観」は必ず、どこかにある。
 情報とは所詮、「私はこう思う」というものでしかないわけ。

 そのことを、受信者は忘れてはいけない。

 それでなくても人間は自分に都合のいい情報を信じたがる。つまり受信者自身にも主観がある。バイアス(偏見)はある。

 偏見をきき、偏見を見て、さらにそれを偏見で判断する。

 私どもが日常何をしているかといえば、そーゆーこと「しか」してないわけですね。
 そう思えば、それがどんなものであれ、100%信じるなんてことはありえない——というの、わかっていただけるかな。

 なんせお釈迦様のおっしゃることさえ、そのまま飲み込まず、「どういう意味だろう」「本当にそうだろうか」と考え込むようなやつですからねえ……。まして、あれだけ世俗の垢に汚れきっている人間が伝えてくることなんて、どうしようもないものですよ本来。
 受け手の自分も、そりゃーもー独断と偏見の塊ですし。(^^;)

 ただこれをあんまりクソ真面目に突き詰めていると、これはこれで発狂状態になりますから、薄目で眺める、くらいでちょうどいいと思います。
 気の毒に、クソ真面目に見ちゃっていたのが芥川龍之介さんだと私は思っております。
 あなたそんなに大きい目でくっきりまともに世の中を見たらダメでしょう……、というのが「河童」の感想であり、なるほどこれでは自死を選ぶしかなかったなと納得もしてしまう。

 ただ、ね。

 それでも、他人のことなんかどーでも、人として、やっていいこと悪いことというのはあるわけで。
「月刊 Hanada」掲載の記事や見解が「正しい」という気は無いけれども、「無実の罪を着せている」今のメディアは、すでに犯罪である、という、それだけは、指摘していい。そう思います。

 嘘をつくな、他人を欺くな、というのは、どんな宗教でも道徳でも言われること。これは人としてやってはいけないタブーそのものだからでしょう。

 ゴミの山みたいな「情報」から、人としての善きこと悪しきことを選り分ける——この作業は、続けて行かなきゃいけませんね。
 人のためでも社会のためでも無い、それは、自分自身のために。です。

 自分のためにやることなので、人のことをとやかくいう必要もないし、利害の対立があるからといって、個人を「憎悪」する必要もない。自分が、どうなのか。問うのはそれだけでいい。

 そんなことを、とつおいつ思いながら、ページを繰っております。
 
 
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