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2017.08.31 (Thu)

ケーヒニスクローネ・くまポチランチ

 今日で8月も終わり。早いもんですね。
 夏というより晩夏となりましたが、そんなわけで、一昨日昨日と、神戸へ行ってまいりました。

 今年はなかなか予定が立たず、神戸は行かずじまいになるか、それとも秋になってから行くか…と思っていましたが、ギリギリでなんとか、予定が空いたところがあったので予定を突っ込み、ぶめさん(Twitter: @bumechan)にも予定を(無理やり・笑)聞いて決定。と。(^^;)
 ぶめさん、あらためまして、ありがとうございました。m(_ _)m

 友人にくっついて最初に神戸へ行ったのが1994年の夏。(なので辛うじて、震災前の街を歩いているんですね。1回だけ、ですが)
 以来、ほぼ毎年お邪魔していますが、あんまりガイドブック通りには歩かない人間で。(^^ゞ
 というのも、混雑しているところ、行列を作ることが苦手というより嫌いなので、そういうのを避けると必然的に「穴場を探す」みたいなことになります。

 土地勘はないから穴場というほどのものは見つけられませんが、意外と、「観光の王道」は行っていない。
 京都も、中学生の頃から通い続けているのに、四条通り、祇園なんてところを歩いたのは40代に入ってからだったり。(^^;)

 ということで神戸もまた、名前はよく聞くし、お噂もかねがね承っておりますけども行ったことがない、というところが多い。
 が、今回はケーニヒスクローネさんという人気店にお邪魔することに。

 ケーニヒスクローネさんは神戸の洋菓子店で、特にドイツ菓子が元はご専門とのことで。
 サクサクのデニッシュ、パイのものがメイン、人気商品とのこと。

 クローネはその中でも特に人気の看板メニューだそうです。

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©️えん食べ

 今回行ってみたのは、そのクローネも置いてあるというランチメニュー。
 その名も「くまポチランチ」。

1,500円で絶品パンが食べ放題!ホテルケーニヒスクローネ神戸のランチが激アツ
朝食のおいしいホテルケーニヒスクローネ神戸ですが、ランチが人気を集めているよう。なんと、1500円でハイレベルなパンが食べ放題なのだとか!行列ができるとウワサのランチを食べて来ました。

2015/05/13 12:30 えん食べ
https://entabe.jp/news/gourmet/8200/hotel-konigs-krone-kobe-lunch

 ケーニヒスクローネさんがホテルを開業なさったのは2015年、レストランも併設され、こちらのランチメニューなんですね。
 上記の記事は2015年もの。

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©️えん食べ

 おおむね、内容——ランチのメニューやシステムは変更ありませんが現在は変更されている点が。

・料金は1,800円(税別)
・最初に取れるパンの数は5個まで(当初はフリーだったもよう)
・クローネはお一人様ひとつではない。
 数量限定、売り切れ御免

 それ以外には変更点はありません。

 最初に席取り札をお店の人が渡してくださったので、それをテーブルに置いてお食事を取りに行きます。
 平日午後1時ごろでしたが1階は満席。他のブログでは二階席がオススメされていたこともあり、2階へ行きましたが、異人館の中のよう。

 テーブルや椅子は、二人用から7、8人はいけるくらいの大きなセットまで様々。
 椅子、テーブルの雰囲気も、シンプルなものから豪華な応接セットみたいなものまでこれまた色々。

 ところどころに、マスコットである「くまポチ」のクッションが置いてあるのも可愛い。
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 クッションには大小あり、写真は大の方。お気に召したら、くまポチちゃんは、1階の売店で購入可能です。

 私は「野菜のシチュー」に、カフェラテで。
 このシチューには、パスタも加えてもらえるそうです(追加料金なし、カウンターでメニューを選ぶときにパスタ追加を希望するかどうか聞かれます)。が、なんせパンはおかわり自由なんだし、ってことで私は追加パスタは無しで。
 デザートはときどき変わるんでしょうね。今回はマンゴープリンでした。
 美味しかった♡(マンゴー好き♡)

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 飲み物もお代わり自由です。紅茶、コーヒーは1階のカウンター脇にあるテーブルで自由に取れますし、カフェラテなどの一部についてはカップやグラスを持ってカウンターに行けば注いでくれるとのこと。
 私は2杯目は通常のコーヒーで。
(お店も混んでいるしあんまりお手数をおかけするのも……ねえ)

 店内も思ったより広いので、人でいっぱいだなと思っても、どこかしら空いている場所は見つけられる、という感じでした。

 ホテルの方も、お部屋の写真を見るといやもう、かっわいいですねえ。(o ̄∇ ̄o)
 このレストランである「くまポチ邸」の内装もそんな感じです。ベルばらってほどじゃないですが、なんとも「いろいろ」な感じの洋風。
 悪く言えば雑然としたインテリアとも言えるわけですが、でもまあ、いろんな種類のテーブルセットがある中から選ぶというのも、面白いですし。

 空間としてはゆったりなので、混んでいてもあんまり周囲のことは気にならないというのは、いいですよね。

 なんせ行列作るのも待つのもキライというワガママものなので(田舎者なので行列には慣れてないんです)、あんまり混んでいるようなら他の店へ行きましょう、と、ぶめさんとも話していたんでした。
 今回は平日だったせいもあるでしょうしゆっくり目にいったので、2階席ならゆっくり座れる、という感じでよかった。

 パンの方は、サクサク系、パイ生地系のものが美味しくて人気だそうですが、私は今回はお食事ってことなので、そちらに合わせたパンを。
 抹茶ロール(写真、バスケットの一番奥にある丸いパン)、くるみのパン(細長いやつ)、六穀入りパンの3つ。

 パンの大きさは小さめですが、おかわり自由ってことで、いろいろ食べてみたいのなら、これくらいでいいんじゃないかな。
 抹茶のパンも、じつはこれであんぱんがあって、もんんんのすんんごく心惹かれましたが、甘いものはちょっとなーということで我慢。

 菓子パン系も多かったんですが、……ね。やっぱりお腹が張りますでしょ(笑)
 ぶめさんがお取りになったパンのうちのひとつ、サクサク系のパン、ドライプルーンが載ってるのかと思ったらそれがチョコレートだという。
 しかもその、ドライプルーン並みの大きさのチョコが2個!(笑)

 このパンだけであとは飲み物、くらいならなんとかなるでしょうが、食事していてこれはすごい(笑)
 私ではとても無理ですが、でも、甘いものがお好きな方って平気なんですよね。
 別腹というよりも、ある意味、鋼鉄の胃袋。( ˙-˙ )真顔

 結局私はパンのおかわりはせず、コーヒーだけおかわりをいただきました。
 それで税込2,000円弱。十分ですよ〜。
 デザートも好きなマンゴーだったので満足です。
 ご馳走さまでした。(-人-)

 今回の神戸は通常以上に食べ歩きツアーになっていた気がします。まとめてエントリー1つには入りきらないので、一番印象に残ったところを書いてみました。

 こういうお店の情報も細かいところが変更されていくので——、こんなエントリーですが、何かのお役に立てれば嬉しいです。

 ………もしかしてしばらく食べ歩きのエントリーが続いたりして……。(^^;)
 飽きっぽいのでそれもないかと自分では思ってますが……。(^^ゞ
 
 
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2017.08.29 (Tue)

正義は私利私欲




 文字数いっぱいなのでぎちぎちに書いてますが、でも、なるほどこれは言えるなと自分でも思ったので、ブログにも書いておこうと思いまして。(^^;)

 火のないところに煙を立てようと必死だった大マスコミですが、さすがに、報道すべきことをろくに取り上げてさえいないことがバレて、まあツイッター民にあれこれ言われるくらいは屁でもないでしょうが、著名なジャーナリストからも非難され、某番組ではスポンサーが降板する動きもあり、やっと最近、静かになりました。
 
 もはやニュースもフェイクニュースと揶揄される有様で、自分で自分の首をここまで締めないと自分が何をしているか自覚できないとは、なるほどバカとはこういうものなんだなと改めて納得しているこのごろ。

 やさぐれていた高校時代、「自分で自分の馬鹿がわかれば馬鹿ではない」という至言を当時の大人の誰かから言われていましたが、その意味がよくわかりますよ、おかげさまで。


 ツイッターで、関東大震災の折の在日朝鮮人「虐殺」とされる事件についてのツイートを見かけました。
 まあ、どっちサイドからにしろ冷静に話ができる人もまれですし、私としてはこの話題については自分で調べて自分で考える以上のことに首をつっこむ気はございません。

 べつに誰もそういう類の事件があったことを全否定はしていないはずですが、全否定があるという前提(思い込み)のもとに日本人を非難するツイート(『科学的な』根拠をお持ちなんだそうです)があり、それに対しては好意的ではないリプがつき。
 ここまではしょっちゅう見かける光景ですが、
「なぜ自分のような意見が受け入れられないのか」という再度のツイートについたリプを見て、あ、なるほどと思いました。
 曰く、
「ただこういう事実があったと報じるのではなく、それを政治目的に利用しようとするから非難されるのでは?」
 と。

 結局、現在のマスメディアと言われる人々の「誤ち」はこれなんだなあと思いました。

 それがいいか悪いかはともかく、彼らは彼らの「正義」を行動の基準にしている。例えば現在の安倍内閣を「倒す」ことが彼らの思う正義であり、その正義のためならどんな嘘をついてもいいんだというのが彼らのやっていること。

 正義というのは「正しい」ものであり「絶対的」なものであり、正義のためならどんな悪事を働いてもいい、という、その信念の矛盾と滑稽さに、いー加減に気がつけ。と思います。
 気がつかないから馬鹿だって言われるの、まだわからない?

 正義というのは「自分の立場がどこにあるか」ということでしかありません。
 自分は正義で相手が悪でも、相手からすれば相手が正義でこっちは悪です。そういうものは「相対的」というのであり、「絶対」のものではありません。

(相対→互いに他との関係をもち合って成立存在すること)
(絶対→他に並ぶものがないこと。何物にも比較されないこと。比較や対立を絶した存在であること。また,そのさま)

 戦争がなくならないのはてんでに正義をぶつけ合うからなんで、正義があるから戦争が起きるとさえ言える。
 諸悪の根源は正義であると言ってもいいと思ってますよ私は。

 自分の立場、というのは、有り体に言ってしまえば「自分の利益」ってことです。

 どの程度の利益が見込まれるかはまたそれぞれで違うでしょうが、ともあれ、自分の利益はこれであり、利益を守る、という表明が「正義の表明」なんですね。

 いいか悪いかの話じゃない。誰だって自分の身は自分で守らなきゃいけない。正義それ自体を私だって否定しません。そんな聖人君子じゃございませんもちろん。

 ただ。
 世の中にこれだけ多くの人がいて、その数だけ正義があって、正義がひしめき合っている中では、可能な限りその利益から離れて「中立・公正」の立場から、ものを見ること——自分の正義や相手の正義の「座標」を知るためには、そういう態度も必要なこと。
 本来メディアに求められるものは、それぞれの座標を見定めるための、客観的、中立性のある、公正な視点だったはずです。

 たぶん人は無意識のうちに、「自分がどこにいるか」の座標を求めるんじゃないですかね。ただ自分の利益だけで突っ走るのは、かえって迷路に入り込む危険性があることを知っていて、誰かに高い場所から、自分はどのあたりにいるのかを知らせて欲しいと思うのでは?
 自分以外の人がどこにいて、それが自分に近いのか遠いのか、互いに危険なのか安全なのか——「状況」を知る必要性もわかっているのでは?
 誰だって、出会い頭の交通事故なんて嫌ですからね。

 物見台の上で誰がどの辺にいるか知らせる役の人が、自分の利益のためにわざと間違った座標を教えて追い込もうとする——これがどれほど社会に対して有害なことか、わからないものなんでしょうかね?

 私はあんまり正義なんてもんは信じてませんし評価もしません。ただ、自分の正義がどこにあるかはわかっていないと自分で自分の身は守れないのも事実なんで、正義があること自体は否定しませんが。
 ただ、自分に正義があるように、自分以外の誰もがそれぞれの正義を持っていることは理解しているし、それらを侵すことも可能な限り避けなければならない——そうでないと社会の安定は保てない、社会の安定がなければ自分の正義も保たれない、——それくらいはわかってる。

 でも、今のマスコミのやり方は、自分の正義のためにそれ以外の正義をすべて潰そうというものでしかない。

 今のマスコミのありように、なんとも言えない不安感と嫌悪感がありましたが、なるほどそういうことね——と、腑に落ちました。

 正義は「私利私欲」の別名だ。覚えとけ。——と、「私腹を肥やす政治家」という「ストーリー」を作って攻撃したがる「正義である我々=マスコミ」には念を押しておきたい。
 そのように思います。

 ……そう言えばツイッターで、「『悪口は自己紹介』ってよくおばあちゃんが言ってた」というツイートを見ました。
 誰かを「悪」だと言って攻撃するマスコミは、すでに自分たちが悪であると宣言し続けている、と申せましょうね。

 人の悪口は言うもんじゃない、というのは、そういうことでもあるのかもしれません。

 私も自重します。
(でも、やっぱりキレるとこんなことになる。(^^;))
(三面鏡で角度をつけて、自分の鏡像を何重にも見ているときみたいですね)

      ●

 明日はお出かけ中のため、こちらはお休みいたします。m(_ _)m
 
 
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2017.08.28 (Mon)

一般名詞は「同人誌即売会」

 特殊な世界である、といっても、それがどう特殊なのかさえ伝わりにくい「業界」なんだなあと実感した話題でした……。

真木よう子 冬コミ参加中止を発表し謝罪「安易な気持ちで応募してしまいました」
2018/8/28(月) 11:01
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170828-00000093-spnannex-ent

 記事引用はしない、お名前も書かないで書くつもりでしたが、上記の記事にあるご本人のコメント、確かにそれが本意ではあっただろうと思われるので引用いたします。

「私の様な所謂「有名人」や「芸能人」は、皆様に画面越しででも、紙面越しででも、規制が入ってしまいます。其れは、芸能事務所に所属していれば当たり前の事であって。しかし、本当に己が良いと思うものにまで規制がかかり皆様にお見せ出来ないフラストレーションを、正直抱えていました。

そんな折、コミックマーケットと、いう自分で好きな物を作って、皆様にお渡しできる場がある事を知り、是非、応募しようと思ったのです。」



 これは真意だろうなと思います。
 
 コミケ=コミックマーケット——というイベントが現在は突出して有名になってしまいましたが、これは「固有名詞」でして、同種のイベント、一般名詞としては「同人誌即売会」と申します。

 音楽フェスが一般名詞で、フジロックフェスティバル、ロックインジャパン、ライジングサン、サマーソニック、と、それぞれのイベント名が「固有名詞」。
 コミックマーケットは固有名詞であり、実際には、同人誌即売会のイベントは他にもいくつか——というより個人主催のイベントも多いから無数にと言えるくらいにあるんですよね。

 同人誌即売会は「オタク」と世間からは白眼視される人々の集まりってことで、昔はほぼ無視されていまして。
 こちらからもあえて一般社会に認められようなんて思ってないですから、外部への発信はゼロ。

 そういう傾向があるせいで、以前にはコミケというものがだいぶ、ネガティブなイメージで面白半分にメディアに取り上げられる——まるで「捕獲された宇宙人」みたいな、いえ、それよりも悪い、侮辱的な扱いをされることが多かったですね。
 現在はそういうことも、だいぶ減りましたが。
 
 それでもなお、「誤解」されるんだなあと、思わずしーんとしてしまう;;

 特殊な世界だとは伝わっていても、どう特殊なのかは伝わっていない、ということが、真木さんの行動でわかって、私としてはそちらの方が「そうかー……↓↓↓」という感じ。
 そうかそんなにわかりにくいか。わかりにくいよなそりゃ。——と。

 同人誌というのは「同好の仲間で作る」もの、同好の仲間に向けて作るものですから、作るにあたっては何の規制もございません。
 自分が好きでこれを表現したいというものがあるなら、それこそ、手書きでも、コンビニでコピーとってステープラ(一般名詞。ホチキスは固有名詞)で製本したっていいんです。

 手作りのコピー本でもとにかく仲間に配る(=頒布する)にはその機会が必要であり、同人誌即売会は、そのための「場所」を提供するものなんですよね。

 本来なら、そういう「自由で開放的な」ものが同人誌即売会。
 ですが。
 これはあまりにも、ものを作るにも配るにも集まるにも、とにかく世間一般の常識、習慣、なかんずく「商習慣」からはかけ離れているので、逆に、世間からは理解されない。

 ………ということを承知しているつもりでしたが……、うーん。
 
 なぜ、本を発行する、そのためのお金をクラウドファンディングするのは「違う」のかというと、同人誌というのは「これが好き! だから表現したい!」人が「自分の責任で」作る、というのが大前提なんですよね。
 だから通常、そこにかかる費用はすべて自腹です。

 クラウドファンディングというのはいわば他人からの「投資」を募るものなので、「投資家」に対する責任が生じます。
 なんて言えばいいのかな……もうこの時点で、「違う」んですよね……自分の好きを、自分の責任と能力において「のみ」で形にするのだという「精神」とは。

 でも、これがどれほど世間一般の「常識」には「ない」考え、概念であるかを、図らずも、真木さんの行動に、見てしまいました。

 真木さんの、でも、そのお気持ち、よくわかります。
 この気持ち自体は、コミケに集まる人々の気持ちと同じでしょう。

 でも、その気持ちの「置き方」がどうなっているかは、なかなか外部には伝わらないんだなと。
 でも伝わらないのも当然だし(ほぼ発信してませんので)、逆にいうと、コミケとはどんなところか何をしているのか、人々の「気持ち」は、習慣は、規則やマナーや「常識」はどうなっているのか……と、これでもかというほどリサーチしまくった叶姉妹のすごさが、改めて見えてくる、とも、思いますね。
(くだんの『グッドルッキングガイ』ズは、『かさばる』とおっしゃったのも、冗談めかしてはいますが、コミケという場所柄をきっちり考慮していることがわかる発言でしたし)

 リサーチも丁寧だったし、ブログ越しにも寄せられた意見をさっと吸い上げるし、……ネット民とのやりとりがなければ、やはり難しいところもあったはずだと思いますから、誰もが叶姉妹並みのことができるとは、私には思えません。

 なので、真木さんを「責める」のも、おかしな話じゃないかと思っております。

 あと、同人誌即売会の醍醐味は、何と言っても「作り手と、受け取り手の直接のやりとり」ですね。
 自分で作った本を自分が直接売って、買ってくれた人に褒められたり叱られたりの面白さは——これはもう、一度味わったらなかなか抜け出せるものでは。(^^;)

 真木さんには、私としては、せっかくですから、あの「直接のやりとり」の面白さ、醍醐味も、味わっていただければ——今後にでもその機会を持ってもらえれば、と思います。
(と言って、見込みがあると思うと、沼に引き込もうとするのは悪いクセ・笑)

 多分、何かを作って「仲間」に「配る」、つまりは共有するという形態としては、同人誌即売会はかなり「純粋」なものを(まだ何とか)維持しているのですが、しかし、純粋だからこそ、世間から見たらどれほどの「非常識」であり「理解できない」ものか——、それが見えて、何となくボーゼンとしてます。

 純粋であればいいってもんじゃない……、そういうことでもあるんじゃないかと思って。
 
 
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12:31  |  腐女子/オタク考  |  EDIT  |  Top↑

2017.08.26 (Sat)

夜明け前の声

 明日はまたお出かけのため、こちらお休みいたします。
 また明後日、お目もじいたします。m(_ _)m

       ●

 グリーフgrief(悲しみ、悲嘆)ケア、というものに興味があります。
 親しい人の死や突然の災害、事件、事故といった強い衝撃は、比喩でなく人の心を打ち砕きます。
 でも、砕かれっぱなしでいるのではない、そこからの「回復」について、以前から興味がありました。

 ショックを受けてから回復していくのにはちゃんと手順というか、ステップがある、というのを知ったときにはホッとしました。
 回復することは「不可能ではない」、ということがわかって、そうなのかと安心したんですね。
 身体的な外傷が癒えていくような過程が、心にも、ちゃんとあるのだと。

【参考】心がショックから立ち直っていくプロセス(1)
    ~第一段階:心理的パニック状態~



 とはいえ、あまりにも強いショックだったり、時間が長くかかるものだと回復しきれず、そのまま、病気になったり、PTSDとなって残ったりすることもあるでしょう。
 そういうケースについてはどうなのかと気になっていたので、こちら↓の記事は、興味深く拝見しました。

夫急死で人生絶望 FBシェリルを救ったレジリエンス
2017年8月25日 日経WOMAN ON LINE


「LEAN IN(リーン・イン)」の著者であるシェリル・サンドバーグさんは、まったくの突然にご夫君と死別するという過酷なことがあり、そこからの回復を綴った、アダム・グラントさんとの共著、「OPTION B(オプション B)――逆境、レジリエンス、そして喜び」からの抄訳とのこと。

 レジリエンス resilience は回復、特に、病気やショックからの回復を意味する言葉。
 リカバリー recovery とは異なる意味ですね。物理学では弾力性、「跳ね返り」を意味する単語で、弾性のあるものが押されてもぽよんと跳ね返って元の形を取り戻す、というのをイメージすると、病気等からの回復、という言葉のイメージが湧きやすいかな。

 人の死というのはどうしたって衝撃的な体験となりますが、それが、明日も明後日も何十年も共に過ごすはずだった人と、挨拶もなしに永遠の別れとなる、というのは、どれほどのショックとなるか、私には想像もつかない。
 サンドバーグさんは現在もなお「回復途上」にあって、本当の意味での回復とはどのあたりを指すのかということも問題になるでしょうが、でも、その経験を人に話せるくらいには立ち直ったと言えるのでしょう。

 強いショックを受けた時は、もう二度と夜が明けることはない、という気持ちになりますが、今、そういう状態にある人にとっては、光明となる記事かと思います。私もこれ、本の方をちゃんと読んでみようと思います。

 ショック自体もショックですが、なお人の気持ちを重く、絶望に駆り立てていくのは「この先」を思ったとき。
 もう輝かしい過去が戻ることはない、二度とあの日々へは戻れない、ということから、この闇は二度と晴れることはないという思いは、尚更、闇を濃くしていく。

 でも、そうではない、深い刺し傷もちゃんと回復するように、心にも回復力はあると、こういう経験と体系づけられた話を聞くだけでも、違ってくると思います。
 今ショック状態の経験もない方にも、——人生何があるかわからないものなので、参考程度の気持ちででもご一読をおすすめいたします。

 私はあんまり人様に「おすすめ」はしない方ですが——ものの好き嫌いという話なら尚更——、でも、これは知っておいて損のないこと、というより災害に備えておくような気持ちで、ちょっと読んでみて、ということで。

 私もずいぶん長いこと、うつ状態でございました。うつ「病」というほどではない、というよりも、それはもう思い返すとずっと子供の頃から続いていたように思うので、病気とかいう一時的なものではなく、私自身の性質というところにまで根を張っていたように思います。

 まあ原因は簡単に言えば自分の父親の関係ですが……、話すとややこしいことになるので省略します。

 いちばんその「症状」が酷かった頃は、うつ病に多いと言われる「早朝覚醒」が続いていまして。
 ひどいなと自分でも思ったのは、ただの早朝覚醒ではない、眠りから目が覚めていくあの淡い意識の時間になると、ものすごい罵声と罵言が聞こえるんですね、——脳内で。

 ありとあらゆる罵り、罵倒、非難の言葉——自分の内側からくるものなので、むしろ他人が言うよりも核心をついたことを言ってくる。
 毎朝のように泣きながら目が覚めていたのを思い出します。

 聞いたところではこういうのって、自分が幼い頃、親に言われたことが潜在意識から浮かび上がってくるんだそうで。それは他人の言葉ではなく、かつて親に言われたことなんだと。
 私の場合は正確には親に言われたことではなく、親が何か小言を言ったときに幼い私がすくみあがって感じた、怯えや恐怖を再現するものでした。
 言葉自体が問題ではなく、そうやって自分を追い詰めていく、その「状態」を「再現」するために、あらゆる罵倒と責め苦が日毎、朝毎、行われていたということ。

 地獄と言うのなら、あれもれっきとした地獄でしょうね。

「羊たちの沈黙」という映画では、レクター博士が隣の独房にいる男を、その言葉だけで殺す(自殺に追い込む)んですが、それを見た友人が、あんなことって本当にできんのかね? と申しました。
 簡単だよそんなこと、と私は答えました。

 それでも何年かかけて、最悪の状態からは少しずつ抜け出してきました。
 毎日だったものが何日かに一度、と言うくらいになり、言葉の激しさも少しずつ落ち着いてきて。

 100%消えたわけではないにしろ、まあだいぶ良くなってきたかな、とは思いつつ。
 それでもやはり、生きている方がつらいから、早く楽になりたい、誰か一思いにやってくれないか、などと思っていたとき。
 静かな声を聞きました。

 時間帯はいつもの、夜明け前。

 うっすら意識が目覚めてきても、でも、ひどく静かだな、と思いました。

 なんの音もしない。声が聞こえない。
 シーンとした静けさは不気味なものではなく、穏やかな、やさしげなもので、そのままうとうとできそうなくらいでした。
(通常、早朝覚醒した場合は、いわゆる二度寝はできません)

 静けさを不思議と思っているとき、その声が聞こえました。

「幸せになりなさい」

 男性とも女性ともわからない、年齢もはっきりわからない、でも、やさしい、力強い声で。
 額から目の上に、そっと覆うように手を置くような優しさで。

 そのときは、えっと驚きながらも、あまりの心地よさに眠ってしまいまして。
 あらためて目覚めてから、あれは一体なんだったのかと呆然としてました。

 その声を聞いたのはそれっきりで、二度とはありませんが、——もう10年くらい経ちますが、今でもくっきり思い出せます。

 その声を聞いたのを境に、内側から聞こえる罵倒の声がピタリと止んだ——ってことは、あいにく、ないんですが(笑)
 でも、気がつくといつの間にか、そういうこともすっかりなくなりました。

 
 回復、というのも、厳密に考えると、どの時点、どの状態をもって回復したと言えるのかわからないんですが。
 でも、衝撃を跳ね返す確かな力は、自分の中にあるのではないか、と思います。

 サンドバーグさんは「レジリエンスとは、………めげない、へこたれないといった、精神論ではない。精神を支える力を育むことなのだ」とおっしゃってますが、その「力」をわかりやすいものにするなら、あの静かな力強い声になるのかもしれない。

 それがどこからやってきたかはあんまり考える必要はないことで、ただ、自分の中にそういうものが備えられていると分かれば、いま、つらい状態にある人にとっても、ひとつの手がかりになる、なるといいなと願います。
 下手な慰めなどかえって害になる時期には、これは「時期」でしかないと知るだけでも、違うのでは、と。


 
 
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2017.08.25 (Fri)

水出しインスタントラーメン

 40年くらい前から東海地震の危険性が叫ばれている静岡県民としては、どーしてもこういう話題には反応してしまいます(笑)

警視庁のお墨付きの味 災害時向けレシピ「お湯代わりに水を使う冷やしカップ麺」が普通においしそう
 災害訓練しなきゃ(もぐもぐ)。

2017年08月23日 12時15分  ねとらぼ

 その昔は災害時のための食料というと乾パンくらいしかなく……、高校のときには期限切れの乾パンが(在庫入れ替えのため)全校生徒に配られて、それ食べたけど、……ぶっちゃけ美味しくなかったです;;
 炊き出し訓練ももちろんしてますが、状況によっては炊き出しができるようになるには3日くらいはかかる(下手したら1週間)とも予想され、それまではこんなのしか食うもんないのか……と、重い気分になったのを思い出します。

 でも今は、水で戻せる食料各種もありますし、「パンの缶詰」も、これはもうふつーに菓子パンとして美味しい(甘いので菓子パンというイメージ)し、宇宙食出身の携帯食もあれこれありますし、水が何とかなれば、味覚的にも何とかなる状況になってますね。
 30年まえくらいを記憶しているので、ありがたいもんだと思います。はい。

 で、なるほど考えて見るとインスタントラーメンも長期の備蓄には向いてますよね。ただ、「お湯が手に入るとは限らない」ということで——水は何とかなっても、お湯を沸かす手段がないということは十分に考えられるので——今までは私も考えたことがほぼありませんでした。

 でも、メーカーさんおっしゃるように「乾燥しているものだから水でも戻る。時間がかかるだけで」というのは目からウロコ。
 言われてみればそうかと思うけど、インスタントラーメンはお湯がないとだめ、という「思い込み」があると、こんなもんですね。(^^;)
 コロンブスの卵ってほどじゃないですけど、やはり「思い込み」って、外せそうで外せない「枷」なんだなあ……。

 ということで「水で作ったインスタントラーメン」、お味は如何(いか)に、というと、若干、歯ごたえがあるというか硬さは残るようですが、食べられるんですね。
 使用したのはスープ付きではなく、「麺自体に味がついたもの」だそう。
 スープはやはりお湯じゃないと厳しいんでしょうね。かやくも、まず無理っぽいな……。

 私はインスタントラーメンはもう15年以上かそこらは口にしていないし、そうではなくても滅多に食べないので、「麺自体に味がついたもの」があるとは存じませんでした。(^^;)
 代表格はチキンラーメン(日清さん)なのね…他にもあるのかな?

 どうも胃腸が弱くて、ああいうの、ダメなんですよね……。インスタントラーメンは便利ではあるのでしょうが消化が良いものとは言えない。
 というか、もともとラーメン自体が消化も良くないし胃には全然優しくないんですが;;

 でもまあ他に食べるものもなく、とりあえず命を繋がなければならない、という状況で、食料はこれしかないとなったら、胃にいいも悪いも言ってられないでしょうから、知識、情報として、これは覚えておこう、と。

 興味深かったのは上記の記事、その追記部分。
 水で戻す場合は衛生面はどうなのかというご質問が読者からあったそうで。

 メーカーの日清食品ホールディングスの広報部さんの回答としては、
 カップ麺は熱湯を使うことで殺菌効果や衛生面への担保をしているという事実はない、とのこと。
 水で戻す調理法は本来的には想定していないそうですが、

「インスタントラーメンは乾燥している麺や具材が水分を吸収することで、柔らかい状態に復元するものですので、熱湯ではなく水で調理したとしても、戻るまでの時間がかかりますが、食べられる状態になることは間違いありません」
(日清食品広報部)



 とのことだそうです。
 災害時というのはもう本当に切羽詰まった状況が考えられるので、——救援が来るまでには3日から1週間かかると考え、それまでなんとか生き延びることが優先となりますから、こういう情報も貴重なものとして承りました。


 ……しかし何ですね……備えあれば憂いなしとは言え、東海地震、来る来る言って40年ですが、その間に阪神淡路大震災、東日本大震災、それ以外にもご存知の通り、北海道南西沖地震、新潟県中越地震、そして熊本地震とありまして、むしろ静岡から東海地方は「取り残されている」感じがして、どうにも不気味に感じます。

 いつかは必ず起こるものですから、そのあたりは忘れずに念頭に置いておきたい、と、密かに気持ちが強まる今日この頃でございます。

 それにしても。
 私の胃袋にはインスタントラーメンはちょっとやさしさが足りないんですが、それはそれとしても、でも、この発明って偉大な発明なんだなーとしみじみ思いました……。
 
  
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2017.08.24 (Thu)

美人は才能

 先日、ニュースサイトの隅っこに、「美人と不美人では生涯年収の差がウン千万円!」という見出しがありました。
 記事見出しなのか何かの広告の惹句なのかはわかりませんが(←ちゃんと見てない;;)、それァまあ、そういうこともあるでしょ、とちらっと思いました。

 昔から、美人は得だと嘆く声はちょいちょい耳にしておりますが、それを聞くたびに、「そりゃしょーがねーでしょ」と思って来ました。
 べつにひがんでいるわけではなく、そういうもんだろう、と。

 私の思うところでは、美人、容姿に優れている、というのも「才能」です。歌が上手い絵が上手い、スポーツが得意(身体能力が高い)、楽器演奏が素晴らしい、記憶力がずば抜けている、…といったことは「才能」だと人に認められるのに、なにゆえに、姿形のことは才能だと認められない(ことが多い)んでしょうねえ。不思議。

 容姿についてはなぜか、「人は平等」という前提が無意識のうちにドンと置かれているようですが、なぜなんでしょう。

 人には得手不得手があり、得手とはつまりは天与の才能であり、才能であるってことは本人のコントロールの外にある。
 容姿もまた、天与のものであり(美男美女の両親の子供ならば必ず美男美女が生まれるかといったらそうでもない)(通常よりは確率高いとは言えるでしょうがその程度)、本人のコントロールの外にあることであり、てことは、容姿だって「才能」でしょう。

 男女とも、「美しい人」は見る人の目を癒すという能力があるんだよなー、と、しみじみ思うことがあります。
 美しい歌声にうっとりし、楽器演奏に心癒され、素晴らしい絵画に時間を忘れるのと同様に。
 美しい人は、その容姿でもって世の中に美を示す、という役割があるのだろうと思ってます。

 私が不思議に思うのは、「なぜ美人(男女共)は、才能だと認められないのか」ってこと。

 他の才能と同じく、才能というのはそれだけでも素晴らしいものでしょうが、それを磨くか、あるいはどう「使う」かはまた別問題。

 美人と不美人の生涯年収が平均でいくら違う、と言われても、そりゃあ、その才能でしっかり稼げる人とそうでない人と考えれば、べつに不思議でもございますまい。
 でも、その才能はあくまでも「趣味」「日常」「自分の楽しみ」にして、プロにならない人も少なくないように、美人=高収入、というのも図式としては単純すぎる。(だから”平均”という言葉がこっそり付けられているわけですが)

 容姿のことだけが才能と認められないのはなぜか。
 妬み嫉み僻みのターゲットになるのはなぜか。
 これは結構長いこと考えているんですが、未だに答えも、自分なりのアイデアも得られずにいます。(^^;)

 美人は美人で日常に妙な苦労があるってことも知ってるし、私としては、きれいな人に対する嫉みのようなものはほぼありません。
 いいなあ羨ましいなあ、あんだけきれいに生まれるってどんな気分なのかなあと思うことはありますが——、でもまあ、それくらいです。

 自分についての問題と、きれいな人を見てため息をつくことは、割と「別次元」の問題、という認識でいるようです。

 不思議と容姿に優れる人たちと友達になることが多かったけど、そういう中で、それはそれなりの苦労があるもんだし本人はコンプレックスに感じていたりするという内情も見て聞いて知って、——だから、なのかもしれませんが。

 何かに秀でるというのは素晴らしいことですが、他人からの妬みやっかみに悩まされるというのはどうしてもあるようです。これは他の才能でもあることだと思います。

「美人というだけで得をしている」と、憎々しげにいう人をときどき見かけるけれど、それをいったら他の才能のある人も同じ。他の才能であれば素晴らしいと言われるのに、なぜ、容姿のこととなると、そういう見下され方をするのかが、私には謎。

 美人というだけで性格悪いように思う、といった人もいますが、これは偏見というより「願望」だろうな。(^^;)
 容姿が素晴らしい上に性格もいいなんて「不平等」だ、美人は性格が悪いくらいの欠点が「あってほしい」という気持ちの反映だろうな、と。
 ………思ったけど、言ったら張っ倒されそうなので未だに言ったことはない(直接には)。

 私は「きれいなおねえさん大好き」「いい男に国境はない」「いい男は正義」という考えでもいるので(あと、コス好きなので、『制服を着ると男振り/女振り3割り増し』という信条もある)、もともと、容姿に優れているという「才能」に対して評価が少々甘いのかもしれませんけど。(^^ゞ

 ただ、一度ギクッとしたことはあって、
「美人(の友達)と一緒にいると、自分の不具合ぶりが目立つから嫌」
 だという言葉を聞いたとき。

 あ、と思ったことはあります。
 そーいえばそうなのね、他人にはそう見える(こともある)のね、と思って思わず我が身を恥じ入って。(^^;)
 でもなあ、それをいったら音痴の我が身を顧みず、すんごい歌が上手い奴と平気でカラオケ行ったりするわけだし、美人の友達と一緒にいたって別にいいじゃん……と、思わずオノレに言い聞かせてました(笑)

 それに、美人というだけで食っていけるほど世の中は甘くない。私どもには美人は「掃き溜めに鶴」だけれど、鶴だけを集めてみると、飛び抜けて鶴ってこともあまりないわけで、その才能をどう「使う」かは別問題だと思います。

 容姿に優れたことも才能だと、世の中で広く認められ、他の才能と同様の敬意を払われるようになるといいな、と、こっそり考える次第です。
 
 
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2017.08.23 (Wed)

ツイッターの使い方

 デマッターだのバカッターだの言うばかりじゃないんですねえ、と感心したお話。

 クソリプとはよく言ったもので、上記ツイートから察するに、子育て中の親御さんが、ふとした空き時間にちょっとお疲れやお悩みのツイートをすることに対し、グダグダくだらないことを言う人があるんですね。
 それに対する、お父さんの立場からのツイートのようです。

 まあ大体は、お母さんがお悩みツイートし、それに対して、心無い(主に)男性からのクソリプやクソツイートが多いんでしょうが、このツイ主様はご自身が子育て中でいらっしゃるようで、両方の立場をまたぐ格好で、「ツイートせよ、フォローせよ」と説くもの——のようです。

 子育て中の閉塞感というのは、これは本当に経験者でないとわからないものがあるんだろうと思います。私もそういうことが皆無なので、そうなんだねえ、と話を聞くばかりですが。……すみません、ここまでの人生、テメエをロープから吊さないようにするだけで精一杯だったので、人並みのことは何もしてません。(^^ゞ

 ということでもっぱら、友人知人の苦労を傍目に見るばかりという申し訳なさなんですが、それでも、「経験者でないとわからないくらいのもの」があることくらいは理解できます。
 
 この方は男性の立場から、「自分の妻君の気持ちや苦労や経験していることを理解するのに、同じような状況にある人たちをフォローしてそのツイートを見るといいよ、よくわかるようになるよ」とおっしゃる。
 いわば相互理解のためのヒントを示しているだけなんですが、このツイ主様に対しても、またなんだかくだらないことを言う人があるんですねえ。
 ——が、それはもうまるっと無視していいと思いますね。
 伊達や酔狂でクソという枕詞がついてるわけじゃないんだな。
 
 私が拝見して、ああそうなのかと思ったのはこちらのツイート。

 ご自身がそういう——育児ノイローゼというのか、そういうところに自分も追い込まれていくのではないかとヒヤリとしたり、自分に危機感をもつ、そういう状態なんですね。
 単に、お母さんたちの苦労をツイートで見てわかってやれ、なんて話じゃなくて、そういうあやうい状態の中で、ツイートは「命綱」になるという、差し迫った実体験から、ツイッターの使い方を推奨していらっしゃるんですね。

 なのに。
 …………どういうわけなんですか、そういうあたりを全然見ないで、「”察しろ”は甘え」という意味がよくわかんない反発が出ていたり……、ナンダソリャ。
 論点がてんで違うところにあるので話として噛み合ってない。読解力がない人じゃないだろうという人ですらそうなんで……、あれですねえ、自分の怒りや恨みやコンプレックスがわっと表面化すると、読解力も理性も吹っ飛んでいくみたいですね。

 そういう「雑音」はもういいわ、ということで、そんなもんは無視無視。

 子供を虐待してしまう人の、本当に深刻なケースというのは、「他人にSOSを出せない」人なんですね。これは子供虐待だけではなくてなんの問題でも、最大のネックになることですが。
 その理由や事情はさまざまだと思いますが、第三者に介入されることを拒んで、閉塞状態からますます精神的に追い詰められていく。
 生身の人間に向かっては言えないことも、でも、ツイートであれば、半ば独り言という性質が幸いして、ここでなら「吐き出せる」ひともある。

 おそらくは、どんな問題でも、自分一人で抱え込んで押しつぶされることが一番マズイ状況なんで、自分が吐き出すのでも、他人が吐き出したものをみて我が身を振り返りハッとするのでも、お互いにレスをつけあっていくのでも、とにかくドアを半分でも開けるということが、文字通りの命綱になる。

 ツイッターは半ば閉じ、半ばワールドワイドという不思議なドア——というところが面白いんですが、その性質を生かして、こんな使い方もできる、ということを、ツイ主様は、ご自分の経験から、示していらっしゃる。

 ……まあ、震災の折にはバカッターだったりデマッターだったりしたのも事実だけど、閉ざされた部屋の中で子供と二人きりで、どんどん追い詰められていくような状態から、ほんの少しでも「外」の空気を取り込めるツールとして、なるほどツイッターは「命綱」になるんだなと思いました。

 ソーシャルメディアの名に恥じぬ使い方——と言えるのでは。

 
 
 こちらのツイート、なるほどなあ、と。
 現在では自治体の相談窓口(深夜帯あり)もありますが、そういうところに連絡するほどでもないとおもわれる、でも、どうしよう…と心細いとき、「どうしよう」とツイートして、経験者からのリプがアドバイスとしてあると、それだけでもありがたい、という、そんなこともあるでしょう。

 人目がある、ということは、閉塞状態にある人を救う、または救うきっかけにつながるんだなと思いました次第。

 どんな道具も、それが良きものとなるか犯罪の道具となるかは使う人次第。
 デマッターの汚名もあるツイッターも、でも、こういう使い方で、追い詰められている人を救う道筋になる。
 ソーシャル(社会の・社交の・社会に関する)の面目躍如ってところじゃないでしょうか。

 この件についてのツイートまとめもあって、それも見て見ましたが、どうもクソリプに属するものもあるかと思いましたので、本当の意味での関係者ツイートのみを引用させていただきました。

 ご参考までに、ツイートまとめはこちら。
  ↓↓↓
Twitterで自分の妻と同じ頃に出産した奥さんたちをフォローし、妻が何に困っていて何に絶望しているか、自分が何をしなきゃいけないかを把握するのはどうだろう
出産直後の女性は気が立っていたりするので、夫婦間で変に揉めるよりも良い方法かもしれません

togetter まとめ https://togetter.com/li/1142852
 
 
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13:59  |  身辺雑記2017  |  EDIT  |  Top↑

2017.08.21 (Mon)

美しいこと

 それなりにものがわかっていると思われていた人でさえ、ふとした瞬間に、「男らしくない」「男のくせに」などといったことを口走るのを見たとき。
 子供のころ無意識の領域に刷り込まれたことから抜け出すのは、これはもう、本当に、容易なことじゃないな、と思います。
 いえ他人事みたいにいってる場合じゃあない、私はそういうものの価値観考え方を、嫌悪というより憎悪していますが、であるにもかかわらず、やっぱり、そういう類の言葉がふと胸の奥に湧いて出る瞬間がある。

 なんかもう、絶望的な気分になりますねあれは。
 その意識のあまりのしつこさに。

 ただ不思議に思うのは、女性で、「女らしくない」「女のくせに」には猛然と反発するのに、自分自身はそういうことを平気で口にするのを見るとき。
 ………自分が言われれば怒るのに、なんで人様に向かって同じことをするんだろうか。
 というのは、消えない疑問。

 考え方というより「感覚」として、一度その文化の中で染められた意識というのは、ホンッッットにしつっっこいな、と思いますね。
 自分自身でも自覚できないうちに、(性別のことに限らず)「〜らしい」「〜であるべき」「〜であることが素晴らしい」という感覚で、物事や他人や自分を「裁いて」しまう。

 男らしくない、などという言葉が胸の奥にふと浮かんで、自分でもうわあああと思った瞬間というのは、ある意味ではチャンスでもある。
 意識できない領域にあるものが、意識できるところへのこのこ顔を出した瞬間ですから。それは。
 その尻尾を捕まえて、その「巣」を探し出す。

 なかなか「巣」の本丸まではたどり着けませんが、でもそういうことを何回か繰り返すうちには、だんだんそういう感覚からも自由になっていく。
 これは実際経験しないとわからない感覚だと思いますが、そういう巣を叩き潰したときって、軛(くびき)から解放された、なんとも言えない爽快感があるんですよね。

 人様のことを、らしいだの、らしくないだのというときは、大抵、相手のことを不快に思っている時で、不快に思うってことは自分を正当化する意識で自分を守ろうとしている時でもある。
 ので、なかなか、らしいのらしくないのという「巣」を探る気にはならないものだとも、承知しておりますが。
 でも、他人から、その意識は間違ってる、などと言われてもなかなか素直に聞く気にはなれないものでして——というより大抵の人は激昂するよね——、であれば、人から言われる前に自分から白状して片付けるのがいちばんです(笑)

「文化」といえば聞こえはいいけど、ホント、こういうのってしつこいもんですわ。
 いいことは文化と呼び、タチが悪いことは「因習」と呼ぶのが通常ですが、なんと言おうと同じ。

 で、正すべきことは正して、良い点であると思うこともまた、ときどき、尻尾を捕まえて「巣」を探るのもおすすめ。
 こちらは巣を潰すのではなく、川の美しい源泉のようなもので、その小さな純粋性を、「〜の源泉」という札でも小さく立てておいて、何かあったら、そのきれいな清水に触れられるようにしておくと、これは美点を保つことができる。

 どちらにしろ、無意識にあるものを意識化するという作業は、「より良く生きたい」という人間の欲求を満たすためにはいいことだと思っております。

 男らしくないなんて言葉で人を裁くのはどうなのか、と、例えば指摘したとき、素直に聞いてくれる人は多くはなく、むしろ、その「文化」や「習慣」を盾にして逆襲してくるひとの方が多いと思います。
 そういうのを聞いていると自分の気持ちがまたグラつくかもしれませんが、私のオススメは「それは美しいか?」という「基準」。

 一つの物差しで人を裁く、それは美しいことか? ——というところで考えると、迷いは消えます。私の場合は、ですが。

 それを自分がどこまで実行できるかどうかはまた別ですが、でも、「良心」としての答えは、自然と決まる。

 それは美しいことか? と考えてみる。

 生臭い人間ですから、答えが出ても、その通りには動けないことがほとんどではありますが、それでも、自分につまんない嘘をついて自分を正当化しているよりは、「美しいもの」はそこにあり、自分はそこには(まだ)いない、とわきまえているだけでも、長い期間のこととしてみれば、少しずつでも「自由」に近づく。
 ——のではないかと考えております。

      ●

 明日は所用ございまして、こちら、お休みいたします。m(_ _)m

 明後日は、所用ございまして、投稿時間が通常より遅れると思います。
 またお目もじ叶いますよう、ご機嫌よろしゅう。m(_ _)m
 
 
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11:45  |  身辺雑記2017  |  EDIT  |  Top↑

2017.08.20 (Sun)

禍の休眠

 毎日いろんなものの記念日ですが、今日は「蚊の日」だそうです。(^^;)
 いったい、蚊の何を記念するんだろう、と不思議に思って検索しましたら、
「イギリスの細菌学者ロナルド・ロスが、羽斑蚊類の蚊の胃の中からマラリアの原虫を発見した日(1897年)」(http://www.konnahi.com/content/category/601/)とのこと。

 1897年は明治30年ですか……マラリアの原因、感染ルートがわかったのって、思ったより最近のことなんですね。
 マラリアは熱帯・亜熱帯に多いとされる感染症で、潜伏期間は1〜3週間。発熱が周期的に続くというのですからやっかいですね。死者もでる怖い病気ではあります。

 現在の日本では流行はありませんが、かつてはかなりポピュラー……というか珍しくはないもので、源氏物語にもちょいちょい登場する病気。「わらはやみ」瘧、という名称で登場します。

 抗生物質もない時代ではやはり命取りになることも珍しくはなかったんでしょうね。周期的に発熱、悪寒、ふるえが続き、貧血、肝脾腫(かんひしゅ)も見られるとか。

 重症化すると、脳性マラリア、急性腎不全、肺水腫、播種性(はしゅせい)血管内凝固症候群(DIC)による出血傾向、重症貧血、代謝性アシドーシス、低血糖、血色素尿(けっしきそにょう)等の合併症を引き起こし、死に至ることもある——とのことなので、甘く見てはいけません。

 私もなぜかやけに蚊に刺されやすいので……海外旅行へ行くなら気をつけないといけないタイプですが、でも気をつけるっていってもねえ……。虫除けの薬をつけても、塗ったその場所を食われることなんてしょっちゅうですからね;;
 蚊に刺されやすいのってなんでなんだろ;;

 ということで、マラリアは亜熱帯等の病気だから関係ないとか、そんなことはないので、——あれですね、医学と防疫のおかげで、昔はポピュラー(?)だった感染症等がなくなるのはいいことですが、それでみんなの記憶から消えてしまい、——現在ですと結核がそうですが、病気の逆襲があったとき、お医者さんも忘れているので診断ができない、というのはちょっと困ったこと。

 先日も、ツイッターの方では、犬の飼い主さんで狂犬病予防の注射をちゃんとしていない人に対して、嵐のように「病気を甘く見るんじゃない!」というお怒りツイートを拝見しまして。
 狂犬病があれほど脅威となる恐ろしい病気だとは私も不勉強で存じませんで……。汗顔の至り。

 わらはやみ、瘧(おこり)といったマラリア、もがさ・疱瘡と言った天然痘、日本脳炎、…現在ではほぼ抑え込むことができている病気も、いつ逆襲してくるかわからないわけで、防疫というもの、あだおろそかに考えてはいけませんよね。

 ましてこれほど人々の往来が激しくなり、海外渡航が特別なものではなくなっている以上、ますます気を引き締めて行くべきところ……ですが。
 どうも人間のよろしくないところで、すーぐに「平和ボケ」するんですねえ……。
 この感染症についてもまた、「一朝(いっちょう)ことあらば」、あった時にはもうある意味「手遅れ」なんで、一朝ことのないように、厳重警戒を続けることが大事、ってことですね。

 すぐに平穏な状況に「ボケる」のは人間の習性ではありましょうが、緊張感を忘れないためにも、今日あたり、しみじみ蚊取り線香を焚いて、マラリアの脅威(現在だとデング熱の方がリアリティありますか;;)を思い返すというのも、悪いことじゃないかもしれません。

 ……と、これを書いている間にいつの間にやら首筋を蚊に刺されたみたいです;;

 どうしてこう、蚊に刺されやすいんだろうなーもー;;
 
 
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12:17  |  身辺雑記2017  |  EDIT  |  Top↑

2017.08.19 (Sat)

今年の夏は?

 今年の夏の長期予報は「暑い夏」でした。
 が、今年は夏の売れ筋——ビール(ビアガーデン)、アイスクリーム等の売り上げは伸び悩み、コンビニでははやばやおでん販売もあって好調だとか。

 ………気象庁さんの3ヶ月予報ってだいたい反対になる。
 と、私は思っているので、長期予報で「今年の冬は平年より気温高め」と言われると、「もーだめだー! 今年は厳冬なんだ〜!!」と半泣きになるほど。(←寒いの大嫌い)
 それくらい、ある意味では、気象庁の長期予報を「信じている」ともいえます(笑)
(予報とは逆になる、という形で”当たる”と言えるので)

 悩むところは「平年並み」と言われたときでして……
「平年並み……平年並みかあ……、ハズれるとしたらどっちに外れるのかなあ。平年より上か、下か?」
 これは結構、難問です(笑)

 今年の夏は暑いと聞いたときは「冷夏かな」とチラッと思いました。
 それでも、冷夏だな、と確信的には思わなかったのは、日本は亜熱帯化が進む一方なので、少しくらい涼しいといってもじゅーぶん暑いはずだと思ったため。

 で、実際のところはどうかというと。
 今年は、冷夏というよりも、「日照不足」って感じですねえ。気温が低めといえば低めですが、問題なのは気温より、とにかく雨だらけで陽の光がないこと。

 それでもやはり、ビールやアイスの売れ行きには影響するんですね〜。最低気温を見ると、データだけなら熱帯夜と言える日が結構あるんですが(最低気温が25℃を下回らない)、でも、体感と言うのはそういうものでもなくて、今年は夜はそれなりに過ごしやい、と感じます。
 夜は割とちゃんと眠れるので、それは助かりますね。

 天気図を見ると今年は、太平洋高気圧が張り出して、梅雨前線を押し上げると言うことがありませんでした……。
 実質、夏がないまま秋になるんだなあ…。

 美味しそうな肉まんのニュースを聞きながら、そんなことを思う、処暑目前の土曜日。

       ●

 人生相談のサイトをちょっとのぞいて見たら、
「私の彼氏は、結婚していて、子供もいて…」
 と言う文言がいきなり目に入ってきて、
「いやちょっと待って、そう言うのは彼氏とは言わないんじゃ……」
 と焦ったら、回答者の方も、それは彼氏とは言わぬ、とズバッとおっしゃっていて、「そ、そうですよね…」となんとなくほっと息をついた次第。

 ああびっくりした;;

 彼氏でなければなんなのかと言われそうですが、……そりゃあなた、不倫としか言いようがないじゃないですか…。私はあんまり好きな言葉じゃないけど、強いて呼称をつけるなら、愛人、てんですかねえ。
 でも、呼称さえも本来は、つかないような「もの」だと思いますよ。


 私、未成年の頃から漠然と疑問に思ってきた言葉があるんですが、——「付き合う」って、なんでしょうね? 具体的にはどんなことを指しているんでしょう?

 この相談者さんも「妻子持ちと付き合っている」という言い方なんですが、相手が妻子持ちだと「付き合っている」と言う言葉が「合わない」気がするんですよね。
 付き合うとは、肉体関係があるかないかだろう、と言われたこともありますが、でも、いわゆるセフレっていうのもあるし、そういう「関係」にいて悩んでいる人も見るわけでして、そればかりとは言えない。

 なんだか不思議だな。
 語義不明で使えない言葉が私にはいくつかありますが——、中2病と女子力って言葉が、どうもイマイチ意味がわからなくて、意味がわからない言葉は使えませんから、どういう意味だろうかと思ったまま放置していますけども。
 この「付き合う」という言葉についてはもう30年ほども、どういう意味だろうかと思った「まま」なんだよなあ……と、変な方向でしみじみしております。

 回答者さん、自分も友人に不倫していた人がいたが、いくら忠告してもやめなかった、との回想。
 そうなんですよね……私もそうなんで……。忠告を聞くどころか逆にこっちが分からず屋みたいに言われて、挙句には「愛」をとうとうと説かれるわけですよ。
 でも、その愛とやらが本当なら、アンタは今の状況に置かれることはないはずなんでは? と思いつつ、さすがにそれを言ったら殺されかねないなと思って黙っていた記憶。

「あきらめましたよ どうあきらめた あきらめきれぬと あきらめた」
 
 なんて都々逸もありますから、気持ちはわかるとも言えるんですが、でも、やはりわかっている場合じゃないですよねえ……。
 

 まあ、こういったことは理性で割り切れるものではないので、そのあたりは承知しておりますが、でも……、誰にとってもいいことなど一つもない、それどころか、関係者は全員傷つくしかないことなので、情が移ってしまう前に、その場を離れる方がいいな、と。
 完全に他人事ながら思って、そっとページを閉じた次第。

 なんだか変な話になりましたね。(^^;)
(そもそもなんでそんなページを見たのかという……。いえ、もののはずみで。(^^ゞ)
 
 
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12:34  |  身辺雑記2017  |  EDIT  |  Top↑

2017.08.18 (Fri)

上機嫌でどうぞ

 他人をコントロールすることはできないが自分は変えられる。なんて言葉がありますが。
 その通りではあるけれど、自分を変えるというのも、簡単なことではないですよねえ;;

 と思っていたら、斎藤茂太先生のお言葉に出会い、なるほど、とナットク。

「自分を変える必要はない。
 機嫌を変えるだけですむ。」



 難しく考えて、自分を変えよう、こういう考え方をしよう努力しようと力むことはない。
 ただ上機嫌でいればいい。

 なるほどそれはそうか、と。
 状況は同じでも、自分はイライラしてるけど気にしない人は全然気にしない、というのを見ればわかるんで、ようは、「反応の仕方」なんですね、その違いは。

 自分の性格を変えるとか、そんなことはしなくていい。ただ機嫌よくしていればいい。
 これは、いわゆる「形から入る」というのと同じ発想かもしれませんね。
 プロセスを細かく考えたり努力するのではなくて、すぱっと「結論」を「作ってしまう」感じ。

 上機嫌である、ご機嫌である、とはつまりは、どういう状態のことを言うか、と考えてみる。

「自分を上機嫌に保つコツは、実は二つしかない。
 一つは、他人と自分を比べて、どうのこうと思わないようにしていることだ。」


 ごもっともです。

「もう一つは、お金が足りないかもしれないとか、あの一言はひどいなあとかいうような、
 心を暗くすることは、できるだけ忘れてしまうようにすることである。
 この二つを身につけるだけで、人生の悩みのほとんどは、消えて無くなってしまうに違いない」



 自分の力ではどうにもならないこと——例えばお天気。雨が降るか晴天になるかは誰にもコントロールできない。
 過去に起きたことも変えられない。
 将来的なお金の不安も、もちろんあれこれ考えて手を打っておくのは大事なことですが、それでも、これで万全ということはないのが世の中というもの。今の時代は国内は良くても、海外で起きた事件が引き金になって経済も暗転、てことは実際ある。
 先のことは誰にもわからない。

 自分は自分のできることをして、あとはもう「天にお任せ」するしかない。自分の力ではどうにもならないことはどんなに悩もうが苦しもうが変わらない。変わらないことに悩むだなんて余計なエネルギーを使って消耗する必要はない、ということ。

 まあ、いい意味での開き直りとも言えますね。

 他人に好かれたいとか嫌われたくないというのも「自分の力ではどうにもならない」こと。
 自分ができる精一杯をやったなら、あとはもう相手の問題なので、よかったかなとか悪かったなとか、必要以上に考えない。

 こういうことができれば、あとは「自分が心地よくなる考え」だけを選んでいれば、「いつでも上機嫌」になるよ、と。

 結局、「考えること」も、クセなんですよね。
 世の中やなことばっかりだ、と思うけど、それでも、その嫌なことを考えていろなんて誰も命令してなどいない。その嫌な考えをわざわざ選んでいるのは「自分自身」。
 だったら、嫌な気分になるとわかってるなら自分で嫌なものを選ぶことはないでしょう。
 ——と、そういうことなんですね。

 他人のことはコントロールできない、だから自分を変えよう、というと、もっともだとは思いつつも、どうしたらいいのか気が遠のくくらいでしたが。

 なんのことはない、自分が気分良くいられるように、嫌なことは考えない、素敵だと思うことだけ考える。——それだけなんですね。

 上機嫌でいるということは、精神的な余裕をもたらす。
 余裕があれば、人のことを思いやるのも難しいことではなくなる。
 やさしさは、かなり「体力」でできている、と喝破した人がありましたが、体力の余裕は精神的な余裕にもつながる。
 自分が水に溺れながら他人のことを思いやることは、なかなかできません;;

 状況ひとつひとつについて、「自分を変える」には? などと考え込むところがありましたが、「自分がご機嫌でいなさい」とは。
 イメージしやすいし、ものすごい普遍性だし。
 なるほど、さすが。と思った次第です。

 でもそれだって簡単にはできない——と思うのは良くわかります。これができたら本当に人間、解脱してます。成仏してます。
 でも、何かあったとき、機嫌よくいよう、と「心がける」ことは、「習慣づけ」を作っていくことなので、全く何もしないよりは、半年後、1年後、3年後、5年後………少しずつでも確実に「身についてくる」。

 身につけば悩み事の大半はなくなる、とモタ先生もおっしゃるし、そりゃそうだなと思います。

 身体面、健康面のことも、だから、大事ですよね。お腹が痛い、頭が痛いと言いながら上機嫌というのもなかなかない。
 体調が悪いとき、不調があるとき、あまりにも他人に気を使って我慢するということもないように。

 いい意味で、「自己本位」であっていい、ということになりますかねえ、このへん。

 自分が機嫌よくいれば、機嫌の良さは他人にも「伝染」しますし(ニコニコしている人を見てぶすくれる人もそうはいないでしょう)、機嫌が良ければ人様に優しくすることもできる。
 自分が気分良く過ごせばひいては人のためにもなるので、妙な罪悪感を持つことはない。

 ご機嫌な人が増えてくれれば世の中の風通しも良くなるし。
「世直し」は自分のご機嫌から、と言えるかもしれません(笑)
 どうかご遠慮なく、上機嫌でお過ごしください。
 
 
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11:25  |  身辺雑記2017  |  EDIT  |  Top↑

2017.08.17 (Thu)

チェックアウト時の片づけは

 夏休みなんだなあ、こんな話題が重なるとは。
 ホテル泊まってチェックアウトするとき、お部屋はどのようにしておくか? というお題。
 思ったよりもいろんな「説」があるようです。

「飲みかけのペットボトルは」 ホテル従業員の『お願い』が胸にささる
2017/08/11 grape
http://grapee.jp/373051

ホテルチェックアウト時に『部屋をきれいにして出る』っていうのはやめましょう。
 使ったものは「使いました」と分かる状態にしておいてください。
  ☆次に宿泊する人のため☆に・・・

2017/08/15 togetter まとめ
https://togetter.com/li/1140645

 前者は基本的には日本におけるホテルでの話、後者は海外でのホテル利用の方が念頭に入っているだろうけど国内でも同じことですね。

 特に後者で「部屋をきれいにしないこと」というのは、え? なんで? と思いますが、「きれいにする」ことは「ホテルで掃除の人が掃除しやすいようにする」こととは違うぞ、ってことなんですね。なるほど。

「部屋を掃除の人はね、ぱっと見きれいだと「使ってない」とみなして掃除しませんから」というのにはぎょっとしますが………、まあそういうことも考えられないとは、言えませんよね;;

 私も年に何回かホテル利用しますが、明らかに「誰かが使ったもの、使用済みの何かを触る」羽目になったことは、今のところありません。海外のホテルも……まあ数えるくらいしか行ったことはないですが、そんな目には合ってない。
 回数少ないことと運がいいことの両方でしょうね;;

 ともあれ。

 掃除する人が掃除しやすいようにしておく、というのは心がけておきたいところ。特に私はチェックアウトタイムぎりぎりまでいることがあって、そういう時は周辺のお部屋はすでに清掃が始まっていて、あの申し訳なさってなんとも言えない気持ちです。(^^;)

 ところが、どういう状態なら「掃除しやすい」ものと言えるのか、というの、なかなか奥が深い。



 使ったタオル等はまとめておくのはいいとして、「バスタブに入れる」っていうの、そーいやどこかで聞いたことがあるような…? と、うっすら怪しい記憶。
 とは言え私は実行したことがなくて、理由は、いかにホテルの部屋は空気が乾燥しやすいとは言え、翌朝にはバスタブがきれーに乾いてるなんてことはほぼない。そういうところに布類を入れるのはやだなあ、と自分で思うため。

 私は、タオル類、足拭き用のマットを、バスタブのふちに掛けるようにして置いてますが……どうなんでしょうかね…。それでいいのか、他の方法がいいのか、ちょっと聞いてみたいです;;

 むしろここまできたら、掃除の方にはどういう状態が望ましいのか、まとめて聞きたい。

 ベッドについても、お客さんがチェックアウト時に良かれと思って、きれいに整えてしまうと、「ぱっと見きれいだとシーツ類の取り替えなし、ベッドメイクなし」にされるというのはちょっと怖い。(^^;)
 私は上掛け布団を外して足元に3つ折りくらいに軽くたたみ、その上に、あればパジャマ的なもの(ワンピースみたいなの、スリーパーっていうんですかね、あれは最近多いですね)も畳んでおきます。

 私はあれは「湿気を飛ばす」くらいの気分でやってましたが、でも「このベッドは使ったよ」とわかりやすくしておけ、ということには適(かな)うかな。

 それにしても、ベッドをぐちゃぐちゃで帰るのもアレですが、自分できれいに整えるなんて方もあるんですねえ。その心がけ自体はエライなあと思うけど……うーむ。

 ツインルームをシングルユースにしてもらうことが結構ありますが、そういうとき、心置き無く二つのベッドを使ってゴロゴロするという人もあるし、私は、ベッドは1台でジューブンです、ということで片方には全く手もつけずに過ごします。

 例えそうでも日本のホテルのハウスキーピングだと、それでもベッドメイク、やり直しているんじゃないかなーとも思うんですが。(^^;) 

 まあ、ホテル泊まりというのはよーするに「人様のものをお借りする」わけですから、借りたものは、できるだけきれいにして返すというのは「人として」当たり前のこと。
 チェックアウト時にはお世話になりましたの意味も込めて、できるだけ、清掃もやりやすいように整えておきたいところですね。

 こちらも良かれと思ってやったことが、かえって邪魔になったり、手間を増やしてしまうようでは悲しい。
「こういう状態にしてほしい」ということがあるなら、また聞かせてもらえる機会があればと思いますね。

 それに、部屋を掃除しやすいようにとあれこれ片付けることのメリットはこちらにもあって、あれをやると忘れ物をする率が格段に下がる。
 時間に追われてどうしてもできない場合もあるでしょうが、できるだけ、「きれいにするというより、片付ける」ようにすると、自分にもメリットあるよってことで。

 明らかに前に泊まった人が使った何かに触る……って、そりゃショックでしょうしね〜;; (^^;)
 
 
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2017.08.16 (Wed)

悪口のリスク

 他人のことをとやかくいうことのリスク、と申せましょうか。

【叶姉妹】コミケ参加は新CMのプロモーション説に憤慨~実際、弁護士さん動いて投稿者ツイ消し
(※弁護士さんのツイート有り)

https://togetter.com/li/1140305

 きちんとした「事実に基づく」「批判」ならまだしも、これ、ただの悪口ですもんね。
(ちなみに私は、非難、悪口雑言、誹謗中傷を批判という言葉にすり替えることはいっさい認めません)
(批判ならまだいい方で、批評と言いやがるのもいますけどねえ……もうそれは論外)

 あることないことを触れて回る、というような言い方がありますが、あることないことならまだマシなんで、「ないことないこと」をいう手合いも世の中少なくないですからね。日本のメディアみたいに。

 叶姉妹さんについては、コミケ初参加とは思えないその準備とリサーチの見事さには、私も敬服するのみですが、なるほどこういう「たわごと」も、クソガキの寝言として流すのではなく、悪質であると見ればきっちり法的な手段を取るというのも、立派だなあと思いました。

 感情的になって聞き苦しいことを喚き散らす必要はないのはもちろんですが、だからと言って、見過ごすべきではない「犯罪」に対処するというのは、案外、ちゃんとできないことなんですよね。
 
 あのきっちりした仕事ぶりを見ても、叶姉妹の厳しさはわかりそうなものなんですが……、というより、こういうなんの下調べも確認作業も行わずに、自分の思い込みだけで人を「おとしめる」ことを平気で言うような人であれば、それほどちゃんと「人を見る」はずもないか……、と、勝手に納得。

 まあ、ものが何であれ、ネット上にあるものは「公共の出版物と同等」と言う判断が裁判所でもなされているので、いかにツイッターが気楽に使えるツールとはいえ、その運用までは、自分の部屋でブツブツ独り言を言っているのと同じ感覚であってはならない。

 裁判で判断されたのは、ブログにおいて、ある事件の容疑者とされた人(その後は無罪確定)について、「報道(いまはこれはフェイクニュースという意味ですが)」にあったことと、あとは自分の勝手な憶測で、無実の人を貶めた件でした。
 ブログに書いたことは、公共物としての責任があるのか、あるいはあくまでも「個人の感想」にすぎないかというところで争われたわけですね。

 で、判決は、ブログは不特定多数、大勢の人が目にする可能性がある、つまり公共性があるものであり、そこへ書き込んだことであれば、新聞や雑誌の記事と同じような性格を持つと認められる。
 故に、ブログ主には、名誉毀損罪が適用される、と。
 そんなことになったんですね。

 あの事件ではブログでしたが、ツイッターでもなんでも同じこと。誰かのエントリーにつけたコメントでも同じ。

 確かにツイッターは個人の気楽な使用を前提にしていますが、内容まで気楽にしていいものではない、ということ。

 ましてツイートは140文字しかない上に、後から編集もできない。
 できるのは削除することだけですが、削除してもいくらでも痕跡は残されるのはご存知の通り。

 ツイートの気楽さは本来は、「自分のこと」「近況、現況」を伝えるためのものであり、他人のことをあげつらうためではない。
 モノがなんであれ、他人のことを言うときは、そりゃもう慎重になって情報を集めて、自分でも確認して、さらに言葉を選ぶ、と言うくらいが「当たり前」ですが、——これは表現の自由とは別個の問題。
 
 自分に人権があるのなら、他人にだって人権はある。
 そのことを忘れていい場面は、きっとこの世のどこにもない。そう言うことじゃないでしょうかね。

 他人のことを言うのならその前に自分のことを言うか、せめて自分のことも同時に書いておくのが、ある意味「マナー」かなとも思います。
 他人のことを言わざるを得ないときもあるんでしょうが、そういうときはことさら慎重に丁寧に扱うべきなんでしょうね。
 本人が目の前にいたら自分はこのとおりに言えるのか、どうか。
 そういう自問をしてみるといい。

 そういう中でもツイートは140文字しかないので、気を使ったり慎重になったり言葉を丁寧に選んだり、ということが、かなりやりにくい。
 ならばと言ってツイートを連投する人もいますが、ツイートはひとつひとつが独立して、RTやいいねができるため、ひとつのパラグラフ(まとまった意味を持つ文章の区切り。単位は「意味」なので、ひとつの段落とは限らない)だけが抜き出されると、本来言いたかったこととはかけ離れたものになり、「誤解」される危険性が高い。
 
 ということで、
「ものがなんであろうと他人のことをとやかく言わないのは基本だけれど、中でも、ツイッターは、人の悪口を言うのには”向いて”ないなー」
 と思った「まとめ」でした。

 ツイートもひとかたまりにまとめて投稿できるような仕組みでもあればいいんだろうな、と思いますが、……あの構造では無理でしょうねえ。

 少し丁寧な説明が必要なら、ウェブのページにするか、ブログエントリーにするか、したほうがいい。
 パラグラフが分解されるのは、好ましいことではありませんでしょうね。

 もちろん一番好ましくないのは、「他人の悪口、陰口を言う」行為、それ自体ですけども。

 あと、名誉毀損罪については、過去にも申し上げましたように、これ「事実であれば何を言ってもいい」ってことじゃない。
 たとえ事実であったとしても、誰かの社会的な地位や名誉を貶めるものだった、その「意図があった」と認定されれば成立する罪。

 丸い卵も切りようで四角、ものは言いようで角(かど)が立つ、という通り、同じことを言うのでも言葉が違えば印象はまるっきり違ってくるものですから、たとえ事実であっても、やはり、言葉については慎重になるべきところでしょう。

 それにしても。
 他人の悪口を言うくらいしか話題がない人って、聞いたほうが寒々しい気持ちになるものですねえ……。人のことなんでどーでもいいだろう、と言われれば、そのとおりですが…。
 どうせだったら聞いて楽しい話をしてくれるほうがいいな。
 それは誰でも同じ気持ちだと思うんですけどねえ……(遠い目)
 
 
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