都々逸になった

 明日はまたちょっと所用ありまして、こちらおやすみいたします。m(_ _)m

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 昨日ツイートしていたものが、ちょっと整えたら一句できました。


——愛する人に 愛していると 言える幸せ 夏椿

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 七・七・七・五になっているので、俳句じゃなくて都々逸(どどいつ)ですね。
 こんな感じで、五・七・五にならないかな〜と思ったけど、私ではひねれませんでした。(^^;)

 柳家紫文師匠によりますと、日本語としては七・七・七・五の方が自然であるらしく、日常の言葉がそのまま七・七・七・五になっているものって多いんだそうで。
 同じ調子でリズムよくいって最後にオチがつく、というイメージかな。
 
 私は音痴なのでまっっったく! 歌えませんが、でも、都々逸というのは聞いていてなんとなく耳に心地よくて好きです。短歌、俳句のような芸術性は濃くありませんが(……よく知らないけど多分;;)、日常の、人の心の機微にはよく寄り添っているもの、という気がする。

 昨日の自分のツイートを見返して、あれ、これだけでけっこう形になってんじゃない? と気がつきまして。で、指を折って数えつつそれっぽいように考えたら、こんなものになりました。

 都々逸も形態としては自由で、俳句のように季語を必要とはしません。が、最後のオチ? として、花の名前をいくつか考えていました。
 候補として考えたのは、「夏椿」のほか、俳句で季語になっている「沙羅(さら)の花」、あと「沙羅双樹」。

 沙羅双樹といってしまうと、これは日本では自生しない植物ですから「気持ちはわかるが、うそ」ということになる。
 沙羅の花は夏椿と同じ。沙羅双樹と混同された過去があってこういう名前になっているとか。

 本物の沙羅双樹は、大辞泉によりますと、

「フタバガキ科の常緑高木。インド原産。高さ30メートルに達する。葉は長円形。花は淡黄色で小さく,大形の円錐花序につく。材は堅く建材などとし,樹脂はワニスの原料,果実は食用。シャラソウジュ。シャラノキ。」

 とのこと。まったく別物なんですね。そういうわけで日本では、温室で管理するなどしない限りは育たない。当然、日本に自然の状態で沙羅双樹はない。

 白く可憐で夏に咲く花、しかも1日しか咲かず、咲いた後は椿らしくぽとりと落ちる、そんな儚いイメージから、沙羅の花と言われたんでしょうか。

 私は短い言葉でサクッと表現する能力は欠如しているのですが、「日常の中に存在する」都々逸の形式だと、ちょっと頑張れば、意外とできたりするのかしらと思ったり。

 明日はそんなわけでこちらおやすみしますが、今日も実質、休みみたいなもんですねー。(^^;)
 どうも世間じゃ嫌な話ばかりだし、ただでさえ嫌な話なのに、誰もかれも、ますます嫌な表情と声と言葉で「わめきあっている」ので、もう、うんざりしちゃって。
 思うことはいろいろあるけれど、何もいう気にもなれない……というのが、私の現状。

 白い花を見て、静かに「その幸せ」を偲ぶ、——そんな日にしたいと思います。

 どうぞ良い週末をお過ごしください。m(_ _)m
 
 
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過激思想

 まあ、私がマスコミというものに腹をたてるのはもう日常になっているので、彼らの不見識を指摘するための例として、もはやどの話題を取り上げればいいのかわからない状態なんですが……。
 でも本来は、マスコミがどれほど愚かであろうと、それを受信する側、つまりは一般市民が賢ければ何の問題にもならないんですよね。

 東京都の築地市場移転問題についても、私はあくまで(他県民だし)傍観者の立場ですから、あんまりとやかく——というよりはえらそうに——ものをいうもんじゃないと思って見ておりますが。
 あれだけの規模とネームバリューを持つものについての考えが、「満場一致」で賛成でシャンシャンとなる方が不自然なんで、それは別にいいんだけど、
「これを都議選の争点にするんだろう」
 などと憎々しげにいうツイートを多く見て、
「争点にしたくないならしなけりゃいいじゃん」
 と、ちょっとばかり呆れております。

 ネズミの嫁入り、という昔話がありますよね。
 どうも多くの人々は、よそ見ばっかりして自分を忘れ、自分に権限があるということを忘れ果てて、自分は「常に」何かの思惑に「虐げられている」「可哀想」「無力な」「弱者」であるという意識になっているようです。

 なるほど数十年かけて左巻きが騒いで刷り込んできた「弱者意識」はこういう事態を生むのだな、と思っているところ。

 投票するのは有権者だし、選挙結果は有権者の票数で決まる。
 私は民主主義も多数決というやり方も、ぜんっぜん「いいもの」「正義」「至上至高にして最高の価値あるもの」だなんて思ってはおりませんが、それでも現行の制度ではそういうことになっている。

 つまるところ、誰がどんな思惑で、どんなことを「選挙の争点」にしたいと思ったって、有権者がふーん、といって横を向いてりゃ争点になりようがない。
 そのことを忘れ果てているというところが、情けないですねえ。

 争点になろうがなるまいが、自分の思惑と自分の考えで票を入れてくればいいだけでしょうよ。なぜ、そこですでに「被害者意識」めいたものがチラチラして、その上、「怨念」にまでなっているのかが私にはわからない。
 
 自分一人が票を入れたって大勢は変わらないといじけたことを言う人もいますが、それもまた当たり前。自分一人の意思で何とかなることって、この世にいくつあると思っているのか。
 権力者と呼ばれる立場になったって、自分一人の思惑がそっくりそのまま通ることなんてない。権力者というのはあれはあれで窮屈なもので、庶民よりも多くの「縛り」がある。

 独裁者と言われる人ですら実際にはそうなんで——、まして民主主義というのは、特定の人に権限を集中させないことを目的にしているシステム。
 本来は「重い」存在すら、権限を剥ぎ取り「縛り」を増やすことで「軽く」するようにしている。
 まして庶民においてをや、ですよ。

 民主主義の厳しいところは、「権利は少なく、責任は多く」ってところ。
 民主主義がその機能を果たすためには、権利は紙切れ1枚の庶民ひとりに、成熟した政治家と同じだけの判断力を求めている点。
 投票によってものごとが決し、多数であることで「正しい」方向を見出せる、という考えを実現するには、それが「必須条件」です。
 それぞれに高度な判断力がある、という前提なしに「多数決は正義」は成立しない。
 
 その通りにできればいいけれど、…………それなりに国民の教育水準はあるはずの日本でもこの有様ですから。
 元からアナーキーに走りがちなアタクシが、民主主義だあ? やってやれっか馬鹿馬鹿しい、とヤケを起こすのも仕方ないとご理解いただきたいところです、私としては。(^^;)

 仏教徒というのは本来、ちょっとアブナイんですよ。
 開祖のお釈迦様にしたってあの時代のあのインドでカーストを否定したということがどれほど「アナーキー」なことだったか、だんだん理解するようになって、私、以前とはちょっと違う意味でお釈迦様を尊敬しました。(^^ゞ
 原始仏教は実はパンクだよね、と評した人がいますが、その通りだと思います。

 そういうところからつい現世を眺めてしまうので——、民主主義ってそんなにいいもんかい。くらいのことは平気で言います(笑)

 何にしろ。
 ことごとに他人を捕まえては被害者だの弱者だのと吹き込んで、人の自尊心を奪い続けた左巻きの言説の罪深さはこういうところに現れる——という、まあ、あんまり理解されないだろうなーというところで、ニュースなどを片目片耳で承っているこのごろです。

 有権者の皆様におかれましては、権限を持っているのは政治家ではなく、自分だ、という意識を、心のうちに立て直していただけるように願う次第でございます。

 ……そもそも、社会主義を標榜する連中の方が熱心に民主主義を「神聖にして絶対不可侵のもの」とするのはなぜなのか。そのあたり、疑問に思ってもらいたい——というのが私の思うところ。
 
 
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夏越しごはん

 今日はちょっとお休みしようかなと思ってましたが、ちょっと面白いなと思ったので。

夏越ごはん 中食・外食に浸透 販売店舗 前年の2倍
2017/6/22(木) 7:01 日本農業新聞

 6月30日は「夏越(なごし)の祓(はら)え」。
 年末、大晦日には「大祓え」がありますが、それから半年後の6月末にも、半年分のケガレを払って清める行事があるんですよね。
 もし神社に行けるようでしたらお参りしてみてください。茅の輪(ちのわ)もちょっと感動する大きさですから。

 私としてはご神事も大事ですがやはりメインイベントとなるのは食べること(笑) 色気より食い気。
 こういう行事には大体、縁起ものだったり、息災を祈る象徴として食べるということが関わってますよね。

 夏越しの祓えでいただくものといえば、お菓子の「水無月(みなづき)」。
 こちらは縁起が良いというよりは「厄除け」ですね。

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 日本では古来、赤い色は魔除けの色とされ、江戸時代になっても疱瘡(ほうそう。天然痘)除けのおまじないとして、鍾馗様の絵を描くのにも、赤、朱色を用いていますね。
 端午の節句では、朱色で描かれた鍾馗さんの絵、「朱書き鍾馗(しょうき)」を飾って疱瘡除け、ひいては子供が病気になりにくいようにと祈りました。
 朱書きになったのは、赤が厄除けの力があると信じられたため。

「これは赤とは違うのでは…」とへそ曲がりの私はうっすら疑問に思いつつ、でもまあ古来、小豆も赤っぽい色というので、厄除けが期待された食べ物なんでした。
 お赤飯を見れば、ああなるほど小豆、赤いね、と思うんですけどね。(^^ゞ

 水無月は、ういろうの上に小豆を載せたお菓子で、三角形をしているのは削り出した氷を意味しているとのこと。
 庶民は暑いときに(氷室の)氷なんて手に入れようもなかったですからね-……なんかもうこのへんから「見立ての心」は始まってるんだなという気がする;;

 現在でも和菓子屋さんでは季節になると水無月を出してくれるので、もし試したことがない方いらっしゃいましたら、今年はぜひどうぞ。

 ということで、やっと話は冒頭に戻りまして。

 夏越しのお菓子は知ってたけど、「夏越しごはん」とは、また面白いことを。

 お米の消費量は減っているし、そのうえ近年は「糖質ダイエット」なんてもんが流行っちゃって、どうにもお米の立場は弱い。
 ということで業界で考え出されたのが、夏越しごはんだそうです。

 今のところメニューの内容は決まってるのかな。記事によれば「雑穀入りのご飯に夏野菜のかき揚げを載せ、おろしだれをかけた丼」とのことですが、写真を見るとやたら美味しそう(笑)
 雑穀ごはんだとGI値も(相対的に)下がることになるし食物繊維出しビタミン類だし、サラダ多めで贅沢だし、いーんじゃないでしょうか。

 暑くなると食欲が落ちがち(私は落ちませんが;;)ってことでおろしだれでさっぱり、なのかな。いいなあこれ。

 伝統行事とはあんまり関係ない、というよりきっぱり便乗といった方が適切でしょうが、でもそれで消費が増えれば幸いなこと。

 最近の日本の夏はすでに亜熱帯よりも過酷なことになってますから、またいろいろと美味しいものが考案されていくかもしれませんね。

 うちの方ではまだ夏越しごはん、みたことないけど……ちょっと探してみようかな。
 自分で作ってもいいけど、暑い季節には天ぷら・揚げ物系は自作する気力は萎える…(笑)
 
 
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ただでは去らぬ人

 本日は夏至でございます。
 一年で最も明るく、美しい季節のはずですが、あいにく日本は梅雨時。
 雨に降り込められその日差しすらろくに見ないまま、蒸し暑い夏に突入していくのですね。

 因果だな〜、こんなに(晴れている日は)美しいのに、と毎年残念に思いますが、でも、この雨期があるからさまざま恵みもあるわけで——、大のご飯党の私としては、梅雨に恨み言を言うべきではありませんね。(^^;)

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 昨日はニコ生さんで、将棋、竜王戦予選(竜王と対局する、挑戦者を決める)を見ておりまして。

 加藤一二三(かとう・ひふみ)九段は御年77歳。失礼ながらこのお歳で現役棋士と言うのは本当に大変なことですが、今年1月の順位戦でC級2組からの陥落が決まり、規定により、定年、ご引退が決定しました。
 が、この竜王戦予選が残っていたので、現役の扱いでしたが、昨日は高野智史四段に敗れたため、ご引退となりました。

加藤一二三九段が引退 「将棋界のレジェンド」は62年10カ月間、こう戦った
2017/06/20 HuffPost Japan  執筆者:吉川慧

勝負師ひふみんの闘志…「感想戦なし」に理解の声
高野智史四段に破れた加藤一二三九段。対局後に「感想戦」をせずに将棋会館を後にしたことに多くの理解の声があります。

Twitter モーメント


 今回の対局、加藤九段の「現役最後の対局」と言われ続けておりまして、もうこれが最後と決まったかのような言い方に、へそ曲がりの私は、「ふんなもん、実際終わってみるまではわからないじゃんか」と思っておりました。
 これはでも、なんについても言えることじゃないですかねえ……勝負事というのは、その場に立つ以上は、弱っていようが怪我をしていようが、ただの対戦者同士——そういうものじゃないでしょうかね。

 私は幼稚園生の頃から大相撲を見ておりまして、多くの人の引き際をも見てきたわけで——その感覚はもう、相撲でも将棋でもなんでも同じだな、と。

 おそらくは勝てないだろう、とは思われつつも、その場に立つ以上はその人は戦う人なんであって「敗戦決定者」ではない。
 じっさい勝負事というのは何が起こるかわかんないし、負けるつもりで戦う場所へ出ていく人もいないでしょう。最初から負けるつもりで行くとしたら、それはそれで相手に失礼なことになる。

 観客なんてもんは、所詮は無責任な第三者に過ぎないんだけれど、でも、最低限の敬意というものは払ってしかるべきじゃないんでしょうかね。
 ——というのが、昨日までの私の感覚でございました。

 ニコ生さんで将棋の対局を見ていると、ときどき盤面の上下を逆にした画像が表示され、これを「ひふみんアイ」と呼んでいます。
 これはもちろん加藤一二三先生にちなんだネーミングで、先生が以前、対局中、相手が離席したときに、相手の席に自分が立っていって盤面を眺め、指し手を思いついて勝ったというエピソードによるもの。

 地球儀や地図をひっくり返して——つまり南を上にして——見てみると、まるで違う星のようで面白いんですが、それだけで違うものも見えるし気づきもあるものですよね。

 加藤先生はそのお強さもさることながら数々の伝説をお持ちの超個性派。
 私もマトモに将棋を見るようになったのはネットで見られるようになってからで、先生の数々の武勇伝(笑)も、もっぱら人様から聞くばかりですが、でも、ニコ生将棋で解説をなさるのを見ただけでも、その伝説ぶりがしのばれました。

 何しろ恐ろしく頭の回転が早い。解説というよりは、途中からは自分が指し手を考えてしまい、それをまたものすごい速度で喋るので、聞いている方としてはボーゼンとするばかり(笑)
 なるほどこれじゃあお若い頃は本当に凄まじいくらいだったんだろうと、容易に思いつくほど。

 お人柄も楽しい方で人気者でいらっしゃいますが。
 それでも。
 昨日は、もう、素人目にも、形勢がはっきりして、それでも先生は粘っておいででしたね。いよいよという頃には長い時間、離席して、戻ってきたら、先に——立会人の方にでしたか、声をかけて、「感想戦はしません」とおっしゃり、それから、高野四段に向き直り正対し、——投了。

 そのあとはもう猛然としたスピードでお帰りになりました。
 
 その胸中は、とてもじゃないですが、「察するに余り有る」どころじゃないです……。
 何をいっても、僭越なんてもんじゃ済まない。きっと。

 私としては、今後は、あの名調子の、「みんなが置いていかれる解説」を聞く機会が増えたら嬉しいですけども。
 まあ、そんなことを言うのもね……、と。

 将棋ファンともいえないような「見る専門」のハンパな視聴者ですが、加藤先生の今後のご活躍を、さらに願う次第でございます。

 加藤先生は破天荒というよりは、どこか子供っぽいところがおありで、でもそれが可愛いと言うのかまったく憎めない感じなんですよね。
 あんなふうに歳を重ねていければいいなと思いつつ、でも、それも、年齢よりはお人柄だよなあ……と、思ってお見送りした昨日でした。
 
 
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ただの愚痴です

 昨日の午前中くらいだったと思いますが、ツイッターの「トレンド」に
「今こそ安倍政権の悪行を思い出そう」
 というのがありまして。
 正確にこの通りではないかもしれませんが(私もちらっと見ただけなので)、まあそんな感じで。

 どうしてこの連中はこうも馬鹿なのかねと思いましたわ。
 思い出そう、なら立派なものだ。私などは、民主党(現・民進党)政権時の悪行は大きいものから小さいものまで、思い出す必要もないくらい忘れられないよ? 忘れねばこそ思い出さず。思い出そう、なんて言わなきゃいけないようなら、安倍さん、立派なものですよ。いかにきちんとした仕事をしてきたかがわかりますね。

 私はいわゆる無党派ってやつで自民党支持ではありませんが、現政権については今のところは、とくに不支持となるべき要素はありません。
 今上陛下のご譲位についても、このどさくさまぎれにまたぞろ左巻きが変なことをいうのでヒヤヒヤしてましたが、なんとか実現に漕ぎ付けましたしね。立派なもんだと思ってますよ。

 昨夜の記者会見は見ておりませんが、くだらないスキャンダルを一生懸命、野党が煽るのに付き合わざるをえず、きちんとした政策についての話ができなかったという「反省の弁」は、——総理が悪いという意味では全くなく、ごもっとも、と思って伝聞ながら承っております。

「バカと基地外は声がでかい」というのは、私は自分自身の身内——親戚縁者のようすを幼い頃から見て自然に獲得した考えですが、歳を経るごとにこれは全くそのとおりなんだなと思うようになっています。
 ……だとしても、野党にしろメディアにしろ、うるさすぎますね。どんだけひどい〇〇と〇〇〇なんだあいつら、と思って見てます。
 それであらん限りの力で騒いで騒いで、内閣支持率がやっと下がったので嬉しくってしょーがない、というようすを見て、馬鹿につける薬はない、ということわざをしみじみ思い出している次第です。

 国会は本来は国の行く末を考えて議論する場。
 そのことを忘れ果てて、自分の私利私欲のために「私物化」しているあの有様には、もはや言葉もありません。
 
 とはいえ。
 ネットを見ていると、安倍内閣支持の人々の中にも、かなりのはねっかえり、考えなしの人がいて、こういう人たちが、支持するどころか足を引っ張ってるんだよねえ、と思うと「イタマがアタい(©小松左京)」。
 こういう、善意のつもりでどうしようもなく足を引っ張ってくれる人って、獅子身中の虫というのもどうかとは思いますが(身内にした覚えはないだろうから)、ほんっとに始末に負えないんだろうなあ……;;

 ということで、本日は私の、ただの愚痴です、すみません。(^^;)

 ツイッターではやはり、こういうことをなかなか書けないんですよね。ただの愚痴でも、140文字におさめようと思うとどうしても短い言葉になるし、短い言葉というのは、鞘のない、抜き身のようなもの。
 簡潔に伝えるのには短い言葉は効果的ですが、鋭い刃となってしまうこともある。
 
 先日も、私のツイートを見て、もっと本音を書いてもいいんじゃないかと心配してくださった方もありましたが、いえ、その「本音」の方はブログで発散してますから大丈夫です、とお答えしました(笑)
 思考が冗漫なところが文章にもモロに出て、私はむしろ短く簡潔に表現するのは下手だと思います。
 だらだらと書いてしまうし、そうでないと気が済まないところがあるので、140文字は私には過酷すぎます(笑)

 なのであちらでは(基本的には)軽いことを言うか、もう本当の本気の「独り言」を言うか。
 多少なりとも人様にお伝えしようと思うものについてはブログで書くほうが「合って」ますね。

 それにやはりツイッターでは、本来は結構な長文のところをツイートの連投という形式をとったがために誤解されるというのをよく見かけます。
 それなりの長さのあるパラグラフの、ほんの一文だけがリツイートされたり、それ「しか」読まれなかったりする確率が高いので、そうなりやすいんでしょう。
 テレビ局が、記者会見をわざと捻じ曲げて「編集」しては「印象操作」をしますが、あれと同じ効果になってしまう。

 連投をするにしても、ツイートひとつで誤解を招かないようにするには、連投のうちの一つでありながらツイートひとつひとつは「完結」している必要がある。——これができる人はそう多くないだろうなあ、と思います。(^^;)
 
 伝える、何かをいう、というのも、ただ思うままを言えばいいということではない。なかなか、難しいものですね。
 
 それはそれとしても、——私としても、この冗漫な思考と文章、もーちょっとどうにかしたい、とは思っております。
 こんなダラダラしたものにお付き合いくださる方は、もう、どれほどお心の広い方かと、あらためて御礼とお詫びを申し上げます;;

 実際、短歌や俳句をものする人ってすごい、と思ってます。はい。
 
  
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the reached idol

 昨日の話のちょっと補足。というより蛇足。

 アイドルというのはその意味するところを考えるのもなかなか興味深くて面白いんですが、しかし公私混同も甚だしく、ご結婚というプライバシーにズカズカ踏み込んで「裏切り」だなどというのはいかがなものか、と思ったわけですが。

 その後見かけたツイートに、「じつはファンはそれほど怒っていなくて(あれで!)、むしろ元メンバーだった人の方が怒っている、ように思える」というのがありまして。
 ああそれは考えてなかったな、と思い、「まとめ」などをちょこっと見ておりました。

 現在はそのアイドルグループを離れている(卒業したっていうの? ふーん)方に、なるほど厳しめのご意見があるようで。
 それもこういうことに詳しい方の説明によれば、やはりこれほどの人気グループに成長した初期メンバーというのはそれ相応の覚悟もあって、当然自分のプライバシーを犠牲にするくらいのものがあった。そのうえでの今日(こんにち)である。それなのに、そういう人たちが築いてきたものをあっさり踏みにじられれば、腹が立つくらいは当然だろう、とのこと。

 それが何であれ、「最初」の立ち上げというのは苦労を伴うもの。いわば「先人の苦労」を思わず、それを踏みにじる行為だという非難は、結婚というプライベートなことそのものではなく、それをああいう場で言うことが適切ではない、と言うご指摘ですね。
 なるほどそう言うことならわかる。
 ——とはいえ、そこまできちんと理性的に書いている人は私の目にはほとんど止まりませんでしたが。(^^;)

 ショックを受けてそのまま書けば、でもまあそうなりますよね……。そのへんは仕方ない。

 で。
 あの場でああいうことをいうのは不適切であるというのも、まあもっともといえばもっともなんだけど。
 それなら、先人が「築いた」ものって、なんなんでしょう?
 きれいで才能もあって、そういうステキなお嬢さんが「恋愛禁止」を打ち出し、ありもしない「疑似恋愛」を色濃く打ち出すことで「築いた」ものとは、なんだったんでしょう。

 私は自分がそういうアイドルといったものにはてんで興味がないままきてしまったので、どうもそのへんのことが、全然わかってはいないようです。

 その疑似恋愛をいかに多くの人が求め溺れるのか——アイドルは「偶像」ですが、生きた身でありながら偶像に自ら徹していく。
 虚像の上にさらに虚構を塗り固めることで築かれたものとは、なんなのか。

 私は生身の人間を「信仰」する趣味はない。それがどんな人でも人である以上は(自分と同じに)人間だ、という意識から動けない。

 以前から、アイドルにハマっていく人を興味深く思ってきましたが、こうなってきますと、「自らアイドルになろうとする」人は、なおさら、深まる謎となってまいります。

 なにオマエだって漫画だの小説だのにハマるオタク属性ではないか、と言われればその通りですが、媒体がそういうものですから、虚構は虚構だという意識はハッキリしてるんですよね。
 オタク用語では三次元とかナマモノとかいう、そこに生きている人間に、そんな虚構を載せることは、私にはむしろ、やれと言われてもできないこと。

 ネズミーランドでもなんでも、せっかくエンターテイメントとして用意されているものに対し、私は、そこにいる人間の苦労や現実を考えてしまう。
 こういうことがあるんだろう、そういうところが大変だよね……と思ってしまう。
「中の人などいない」とよく叱られるんですが、でも、あの世界一有名なネズミを見ても、心から楽しいと思ったことは一度もない。

 何かのショーを見ても、舞台装置や何かを操作している人たちのことが脳裏に浮かんで、どこか頭が冷えている。
 それゆえに、ああすごいな、と唸ることもありますが、でも、夢の世界に没頭することはない。
 これはもう性分でしょうから、しょーがないですね。(^^;)

 たぶん、娯楽——エンターテイメントというのは虚像なり虚構なりを楽しむものなんでしょうが、他人から祭り上げられてアイドルになるのではなく、自分からアイドルになる人、なろうとする人の——現実を、生身の自分を犠牲にして、虚像になろうとする心理は、アイドルのファンよりもさらに私には謎であり、興味深いものとなりました。

 そういう人たちが目指しているものはなんなのか。
 虚像に徹して篤い信仰の対象となることで、何を得ることを目指すのか。

 今の私ではそのあたりは「想像を絶している」としかいえませんが。
 いつか、そのあたりが、なるほど、と腑に落ちるといいな——。
 そんなことを思いました。

(本日のお題を the reached idol としたのは——これで意味が通じるかもわかりませんが——、”The Fallen Idol”のもじりのつもりです。(^^ゞ)
(”The Fallen Idol(=落ちた偶像)” は、グレアム・グリーンの短編を原作にした映画のお題)

 
 
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情けは人の為ならず

 モテるモテないの話になると、女性よりは男性の方が顔や外見のことをより強く主張する傾向があるように思います。
 これは物事の裏返しで、男性はやはりビジュアル重視であり、「見る」ことから欲望が始まる(by レクター博士)リビドーの関係もあって、男性がそれだけ異性については外見を重視している、ということを示すものなんでしょう。

 もちろん大抵の人は性別関係なく、自分の外見が美しいと思われる方が嬉しいでしょうが、それだけで「すべて」が決まると思うかどうかは、また別のこと。
 で、私の周辺では、「自分はモテない」という嘆きの場面において、女性よりは男性の方が自分の外見をまず第一にいう「傾向」が強い。
 私の見るところ、女性はそこまでは男性の外見にはこだわらない。なぜかというと女性からすると異性とは男性のことですが、この異性というもの、何がどうであろうとその外見は見て麗しいものではないから。(身もふたもない…)

 超絶美形ならいいんだろうと思うでしょうがそれは甘い。

 外見といえば顔のことばかりではない。こう言ったらなんですが二次性徴後の男性は、お世辞にも「美しい」生き物とはいえない。このあたりについては私は気の毒に思うほど。
 カフカの「変身」の、自身の姿への絶望感、その描写に衝撃を受け、次には、これは女性には生涯理解し得ない感覚なんじゃないかと思ったことがあります。
 あの虫の解釈には色々あると思いますが、私は、「この描写は一体なんだ」と衝撃を受けて以後、けっこう長いこと考えていて、思いついたのはそんな「解釈」でした。
 私見で失礼をいたします。

 話が脱線したので戻しますが、そりゃまあ外見を気にしないとは言わないけど、実際、男性が女性にモテるかどうかは外見のことはさほど問題ではない。少なくとも優先順位1位ではない。
 何が、モテるモテないを分けるのか。
 ——それを知りたかったら江戸時代の色里の話を聞くといい。
 というのが私の思うところ。

 ある程度のランク以上の女郎に限ったことではあるにせよ、公許の遊郭においては、モテるモテないというのには、客の外見も地位もお金も、あまり関係なかった。
 もちろん上客であれば表面上は丁重に扱われますが、モテない客への「実際の」評価、扱いは、読んでいるほうが気の毒に思うくらい(ひどい)。

 ああいうところでモテないと、野暮、野暮天、田夫、浅黄、浅黄裏などと、えらい言われよう。
 浮世絵には揚がっては見たものの、一晩中待ちぼうけにされて敵娼(あいかた)は現れず、結局そのまま朝になった、という気の毒な客の姿もありますが、そういうことは実際にあったらしい。

 お金を払っているのに、などと言ってはいけません。
 そこで騒げばなおバカにされる。

 たしかに買春には「疑似恋愛」の性質があるんでしょう。本人は甘酸っぱい恋愛気分でもある。それはわかる。
 でも、その恋愛のアタマには「擬似」の二文字がついているのを忘れてはいけない。
 擬似と言ってわかりにくいなら、「仮想」ってことですよ。バーチャルね。

 粋な人とされてモテたのは、「仮想空間」であることを忘れることなく、その絶妙な、虚と実の距離を保ちながら遊べる人。
 仮想だからと薄情、酷薄になることはない。けれども人間関係であることは忘れない。いわば思いやりというものは持ちながら、これはあくまで仮想の恋愛だということも忘れず、また、女郎衆だけではなくそこに働く他の女性たち、妓夫をはじめとする店の男衆にも心配りもできる人。

 遊びは遊びで楽しみながら、「現実」のことも忘れない——そういう適切な関係を保っている人は、「粋」と呼ばれてモテたわけですね。

 じつのところ。
 これ、現代でも(売買春でこそないけれど)通用するんだよなあ……、と思ってツイッターなどを眺めていたんでした。

NMB須藤凜々花「結婚します…」 衝撃が走った総選挙舞台裏
2017-06-18 06:00 ORICON NEWS

 詳細なことは私はなーんにも知らないので申しません。が、そもそもお年頃の女性に「恋愛禁止」って意味わかんねえと思っているうえ、恋愛だろうが結婚だろうが、それはその人のプライバシーですから、そこで「怒る」意味が尚更わからん、と思っているところ。

 仕事に支障が出るのではない限り、その人のプライバシーは「顧客」には関係ありません。「仮想」ではない「現実」では、赤の他人である人間が、口出しするようなことじゃない。

 それに、いくら金をかけたと思ってるんだというのは最悪の言い草。これはもうモテるモテない以前の問題。

 ファンなら祝福してやれよ、というのはもっともなれど、でもそこまでは言えないというお気持ちもお察しします。
 でも、本来その人は「仮想現実」だということを、ちゃんと認識すべきだなあとも思う。
 ファンと称する人がストーカーから殺人鬼にまでなった事件もありましたが、どうも今は、粋というのはその概念すらなくなり、田夫野人がむしろ自己正当化をして大威張りするのかと思うと、………どうもね。

 ここでは主に男性ファンの態度についてのことですが、これは女性にも言えること。
 ホスト遊びに狂ってしまった人の話も聞きますが、同じこと。たぶんこのへん、ものの本質は同じですね。

 公私混同をしない、ということが、「滅私奉公」を美徳してきた日本にはなかなか定着しませんかねえ? とも思ったり。
 ……とはいえ、日本よりも個人主義が浸透しているはずの文化圏においてもやっぱりストーカーは存在するから、最終的には「人の業(ごう)」ということになるんでしょうが。

 おめでたいことなら祝っておあげなさいまし。できる範囲でいいから。
 それが自分自身のためでもあります。

 誰かの喜びは素直に喜んであげること。
 それは誰かのためではなく、自分のためになることなので。
 
 
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本日おやすみ

またいろいろ所用が重なりまして、本日こちらお休みいたします。m(_ _)m

黙って休めばいいんですが、なんとなくそれも義理にかける気がしまして。(^^ゞ
今日はゆっくりしてるつもりだったんですが……まあ、しょーがない。

こちらは今日は気持ちのいい初夏となっております。私としては嬉しいのですが、空梅雨となりますと、それはそれでまた心配にもなりますね。

ともあれこの爽やかな風は嬉しいもの。
皆様、どうぞよい週末をお過ごしください。

フレンチトースト2
 
 
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見境のない

 いささか頭にきながらいうんですが。
 世間一般じゃどういう認識かは知らないけど、オタクという人たちは一般人より知的なんじゃないかと思ってます。
 現実と妄想の明確な区別をする、その厳格さにおいて。

漫画を模倣した強制わいせつ事件 埼玉県警が作者に配慮を申し入れ物議
2017/6/14(水)12:27 BIGLOBEニュース

 苦しい言い訳をするヤ…もとい人というのは、本当にとんでもないことをいうものですよね。整合性の取れないことも、いやそれ実行不可能だからということも(クスリの現行犯で捕まってるのに、カバンに”勝手に”入っていた、とか)、気はたしかか? ということを言います。
 強制わいせつで捕まったバ…犯罪者に、警察も動機を聞くんですね。でもそこでちゃんとした動機なり理由なりをいえばいいのにくだらない「言い訳」をする。

 今回はその言い訳が、「そういう漫画があったから」か。
 これだけでもジューブン「ふざけんな」なのですが、その後の警察の対応がひどい。
 その漫画の原作者に「作中の行為をまねすると犯罪になる」などの注意喚起を促すなどを求めたというのですが。
 ……表現についての規制や、タバコの箱にも書いてあるような注意書きを入れるならそれは作者がやることではなくて編集、出版の側がやること。

 血迷ったか埼玉県警。

 ——というのが私の感想でしたけども。

 でも、冷静になって振り返ると、こういうことって本当にもー、何十年経っても結局、全然「進歩」してないんですね。
 私が子供の頃にはゲーム悪玉論が大にぎわいでしたし(ゲームをやると犯罪者になるみたいに言われた)、当時の子供が大人になってきた現在、そちらは少しは落ち着きましたが、「エロ漫画を読む奴は性犯罪者」というのは未だに何も改善されない。

 東京都の青少年健全育成条例(案)においては「非実在青少年」というものを「考案」して、いわばフィクションの世界にも規制を加えようとしたのは記憶に新しいところ。

 たとえフィクションの規制を強めても実際の現実の生身の子供の犯罪被害は減らない。当たり前ですよ無関係なんだもの。
 そんなくだらないことを言っている暇があるなら、親権の制限、児相の予算拡大、人員の拡充、警察権の付与くらいしたらどうなのさ! と言って、私も相当、カリカリしていた記憶。

 ああいう異常犯罪とか性犯罪というのは外部から刺激されて思いつくのではなく、もともと本人が持っている「イメージ」があるんですよね(ネタ元はFBI心理分析官)。外部からじゃない。

 そりゃ私だっていわゆるロリっ子エロ漫画なんか気持ち悪くて、本や雑誌も触るのも嫌ですよ。でも、それとこれとは話は別! フィクションはフィクション、現実は現実!

 こういってはなんですがオタクの人々というのは意外と現実世界では「紳士」な人が多い。妄想世界で遊ぶことを知っているぶん、良くも悪くも現実世界の厳しさへの対応には慎重なところがあるんでしょう。
 ゲームむしろ「善玉」論も少しですが見かけることもあるし、外国に比べて幼児性愛の「フィクション」規制がゆるい日本の方が、実際の犯罪数は大幅に少ないことに注目する向きもある。

 現実と妄想を区別するのは私は当たり前だと思っているけれど、むしろ、その妄想世界の「豊かさ」を知らない人の方が、すぐにこうやって現実とフィクションを混同するのではないかと疑っています。

 表現の自由がどうたらなんてことは私は言わない。私が問題にしたいのはそういうことじゃない。
 自分が現実と妄想を区別できないパラノイアだからって(………いまはこの言葉は使ったらいけないんでしたっけ?;;)、世の中全部がそんなにだらしのない人間だなんて思うなよ、ってことです。

 ある意味、オタクはそういう意味では、妄想と現実を区別する「知的な」作業に秀でているのかもしれない……と思います。

 こういうことって頻発しているのが頭の痛いところ。こちら↓の記事も、あれはいつだったかなと思って調べたら、わずか三ヶ月前のことだった…。
 
青少年犯罪を漫画のせいにする意見に自民党議員が反論「筋違いの責任転化」
2017年3月16日 15時23分 トピックニュース

 オタクはむしろ知的で紳士な人が多い、などというと、ならばなぜ「モテない」のだ、と(一般人に)半笑いで言われたこともありますが、私の見るところ、彼らはモテないのではなく、彼ら自身が「現実の」女性を相手にしないだけ。

 オタクの「好き」の情熱はたいしたものですが、そういう方へ自分の情熱を傾けているので、ある意味当たり前でしょうが現実の女性になどかまけている暇はない。
 自分らはモテない、というのは彼らなりの諧謔(かいぎゃく。ユーモア)であり、「予防線」ではないでしょうかね。(^^;)
 彼らの多くが自称する「コミュ障」も、ほとんどは「慣れ」と、あとは本人の「その気」の問題だなと思うことが多いです。
 本気でモテたくなったらモテるよ、でもその気がないんじゃしょーがないよね、と思って眺めている次第です。

 私からすると、今回の埼玉県警みたいにフィクションと現実を混同する「一般人」の方がよほど頭が悪いし現実とフィクションの切り分けができない「妄想狂」に見えますよ


「現実」と自分とを、厳しすぎるほど厳しく「分ける」人々と、根っからの犯罪者をごっちゃにする、この「一般人」の態度には、いい加減、腹に据えかねるものがある昨今です。
 
 
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古典落語「平林」

 私も最近いよいよボケぶりがひどくなってまして、このブログも、こういうことについて書こうと思っていたはずなのに、いざパソコン前に座ると、何を書こうと思っていたか忘れている、ということが続出してます。(^^;)

 同じ年齢の方々はそんなあたりで「年齢による衰え」と感じるらしいんですが、私の場合は10代のころからそんなんだったので(……いえ本当に)、特に年齢によるものという感じは(あんまり)ない。
 ただ、そんな現象が起きる頻度が上がっているので、ああ年なのねという感じ。

 古典落語に「平林」というのがありますが、主人公の丁稚(でっち)(だと思う)の定吉(さだきち)くんが、もうどうにもこうにも気の毒になるほど、他人ごととは思えなかった、というくらいのボケでしたからねー……。

「平林」はひらばやし、または「たいらばやし」と読むと思われます。
 定吉くんが番頭さんから手紙を届けるように言われるのですが、定吉くんは字が読めない。ので、宛名の「平林」も、「ひらばやし」さんだとは教えてもらっていくのですね。
 忘れないように、ひらばやし、ひらばやし、…と言いながら歩いていくんですが、水たまりを避けようとして「どっこいしょ」とつぶやいてしまい、その瞬間、彼はもう「ひらばやし」を失念するのですね。

 忘れちゃったなら人に読んでもらえばいいやと思うのですが、読んだ方もこれまたデタラメってところから定やんの悲劇は始まる……。

東西落語特選「平林」
(↑↑ 読みやすいお話なのでよろしければどうぞご一読を♡)

 ………これがもう本気で他人事じゃないんです私;;
 平林くらいは読めますが、類似の案件は山ほどあります;; もともと、それくらいひどい脳味噌。
 元々がアレですから、多少、加齢で衰えましたと言ってもあんまり違いを感じない——というのは、ひどい脳味噌を持ったことの(数少ない)メリットかなとも思うこの頃。

 ……とはいえ、単純に知能だけの話にすれば、人の知能は50、60代くらいがピークとも聞きました。
 実際には、脳みそは、老化による衰えよりも、これまでの経験なり考えてきたことなりの積み重ねと「熟成」で、むしろまだまだ賢くなるんだそうですね。

 さすがに80歳代以降になるとそうとばかりはいえなくなるのかもしれませんが、知能のピーク時は60〜70歳代だとするなら、私なぞが老化を嘆くなんてのは気障りでいやらしい、ってことになります。(^^;)

 まあ、現実問題としては、知能の面ではそうであっても、内臓や神経の機能の衰えが、せっかくの円熟期の知能を生かすには、障害になってしまう、とは言えるのかもしれません。
 でも逆にいうと、身体面が健康に保てるのであれば、まだ賢くなっていける、とも言える。

(あとは、先日話題にしましたセクハラGGみたいなのを見てもわかる通りで、むしろ年齢よりも人間性の方が問題とも思われますが、それをいうとまた面倒なことになるのでここでは触れないことにします)

 そう考えている方が楽しくていいんじゃないでしょうか。

 若いもんには負けない! と言って「無理をする」のも趣味じゃありませんし、「もう年だから」と不必要に(自分から)老け込むのも趣味じゃない。
 自分はまだまだ賢くなれる、と思っていると、好奇心も磨耗する暇もなくていいんじゃないかと思います。

 ……え、見た目?
 見た目は、まあ……、それなりに(笑)
 それこそ、元が大したことはないから、歳をとったからどうとこだわる必要もない気がしますね。人様に不快感を与えないように身だしなみができていれば、ひとまずはよろしいんじゃないでしょうか。

 ただ、猫を見ていると、ああいいなあ、と思うのも確かですけども。
 猫にはシミもシワもたるみもほぼない。人間でいうと(飼い猫さんで栄養状態が良ければ)80歳くらいまではその美貌にはほぼ衰えがありません。

 昨年18歳で亡くなった猫がいましたが、彼女もギリギリまでほんと綺麗なサビトラでした。
 猫はなかなか美貌が衰えなくて、いいねえ、うらやましい、と言いましたところ、興味なさそうに目を細めていたのが思い出深い。
(目と目があったとき、猫が目を細めるのは挨拶。人間語でいうとこの場合は、あらそう、って感じでしょうか)
  
 
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本日おやすみ

急遽まだお出かけとなりまして、本日こちら、おやすみいたします。m(_ _)m

梅雨入りはしたけれど、今のところウチの方は空梅雨のようです。
でも6月に雨が少ないときって7月に入ってから豪雨に見舞われることが多いんですよね……なぜか。下手をすると台風が来たりする;;

それに、今年はこの時期になっても最低気温が上がってきませんね。今日も少し肌寒いくらいです。どこでしたっけ、今日は4月中旬並みの気温と予報されていた地域もありましたね。
そうかと思うと暑い日は真夏日になるしで、私よりははるかに体力的にはお元気な人さえ、ちょっと体調くずし気味だそうです。

寒暖差からくる、例えば自律神経の乱れっていうのは体力そのものとも違う機能だから影響されるのも仕方ないかもしれません。
なんかおかしい、と思ってたら実は熱中症でした、ということもあるそうですし……、うーん、それもあったかー。

皆様も、どうぞ体調にはお気をつけてお過ごしください。
ちょっとおかしいと思ったら、できる限りで無理なさいませんように。(´・Д・)」

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絶対断裂

 まあそうやたら人様を気持ち悪いのなんのという気もなかったんですが、しかし、こればかりはどうにも。

「ちょいワルジジ」になるには美術館へ行き、牛肉の部位知れ
2017.06.10  NEWS ポストセブン

 50代、60代という年齢であっても「枯れる」ことなかれ、というのはまことに結構なことなんですが、いやこんなんだったら素直に枯れててくださいと思ってしまいます。
 もうどこがどう気持ち悪いかはともあれ読んでくださいとしか言えないんですが(おぞましくて口にするのもイヤ)、特に、上記リンクの、次のページまでご覧頂ければ、多くの人が怖気(おぞけ)を振るった理由もお分かりいただけるかと。

 これを読んで違和感ない人は筆者の方と同類項でしょうから説明する必要もありませんでしょう。説明したって無駄ってことで。

 基本、女性の方が好奇心は旺盛だと私は思っておりますが、そういう人は自分でどんどん美術展、各種展覧会へも出かけてしまいますよね。
 で、一人でゆっくり鑑賞しているところへ、うるさく話しかけてくるやつがいて、もーうんざり! という経験のある女性、ほんっとに多いんだな、と、昨日はもう大荒れに荒れたツイート群を見て思いました。

 それにしても、付け焼き刃のつまらない「ウンチク」を語れば女性は感心するのだ、というこの思い込みは一体なんなんでしょうか。(そもそも薀蓄というのは本来はそんな浅いもののことじゃない)
 そういうことに興味のある人は(男女問わず)自分でどんどん勉強しているのですから、改めて説明など不要ですし、むしろ、付け焼き刃の浅い「知識」、どうかしたら現在はもう研究が進んで学説も変わっており、おじいちゃん一体いつの時代の通説語ってんの? と思われるのが関の山ですよ?
 
 私も若い頃には、そういう男性の話に、腹のなかでは罵倒しつつ、でも怒らせるとあとあとメンドクセーので、すごいですねえ、よく知ってますねえとか馬鹿面下げて相手をしてましたが——ある時、バカに付き合うとバカになる、と思い、スッパリやめました。

 あの苦労を多くの人も味わっているのだな…と思った昨日のツイッターTL(タイムライン)でした。

 この「喜ぶはずだ」」「感心するはずだ」「好意を持つはずだ」の思い込みは何事でしょうか。これ、ストーカーがいうことと一致しますよね。
 ああ気持ち悪い;;

 これが女性同士なら、相手がにっこり笑ってすごいですねーとか言っていても、実際には顔の表情、声の調子、ふとした視線ひとつからでも、ああ困ってるんだな、怒ってるんだな、迷惑に思ってるんだな、と「読み取り」ますが、もともと男性にはそれが(女性よりは)弱い傾向があるようです。
(男性は女性より脳幹が細いからという説もあり)(真偽不明)

 これはもちろん個人差で、ストーカーになる女性もいるし、人の心の機微をよく読む男性もいる。あくまでも私のいうのは「傾向」の話ってことでご容赦ください。

 ただでさえそういう能力が弱いのに、加齢による機能低下も加わって、欲動だけが肥大すると、こーゆージジイになっちゃうんでしょうかねえ……と、その世代に近づきつつある私としては、むしろ悲しい気持ちになりました。

 こういう話からすぐに男女間の越えられない壁の話に持っていくのは不適切かもしれませんが、でも、こーゆー迷惑な男性って実際かなりの数、いるので、つい、考えてしまいます。
 この「話が通じない」感覚というのは双方にとってつらいことでもありましょう。
 その解決策としてはカウンセリングもあるし、脳科学もある。いずれ、相互の違いを乗り越えられるようになるかもしれない。そうであってほしいですね。

NHKスペシャル
 ニッポンの家族が非常事態!?
 第2集 妻が夫にキレる本当のワケ

2017年6月11日(日)  午後9時00分~9時49分

 私はこちら↑は見ていませんが、カウンセリングもハードル高いところがあるし、まずは脳科学から入るというのもいいかもしれません。

 昨日のTLの(怒りの)盛り上がりを、筆者の方が聞いたらなんとおっしゃるかしら、とふと気になりまして。
 自分のいうことが、どういう意味であれ「理解されていない」のは確かなんで、なぜこれほど多くの人が不快に思うのか、不満をお持ちになるかもしれない。
 そう思うと、それはそれでちょっとお気の毒にも思います;;

 でもセクハラは犯罪ですからね。そこはご理解いただきたいですね。

 ということで、その後、見つけて、うわあ…と思ったツイートはこちら。



 キュレーターさんとのことですが、美術館各地で緊急会議、テーマはもちろん「ちょいワルジジがやってきて熱心に作品を鑑賞している女性にさりげなく話しかけたら美術館としてはどう対処すべきか」「会場入口やチケット裏面に『他のお客様に声はかけないでください』という文言は書けるのか」——。
 マジですか……と思ってしまいましたが、ある意味、本当に本当なんでしょうねえ……。

 こちら↓は香川県金刀比羅宮にマジである看板。



 やっぱりそういう参拝者などを狙って声をかける人っているらしくて、しかもその「ウンチク」がデタラメらしい。
 金刀比羅宮のこの立て看には連中について、
「神様の尊厳を汚したり、ご参拝の皆様に無礼なふるまいをする者たちでございます。十分お気をつけてご参拝戴きますとともに当宮職員へお申し出いただきますようお願い申し上げます」
 とのことです………。

 オニイチャンだかオッサンだかジジイだかは存じませんが……、これ、本気で怒ってますよ金毘羅さん;;
 
 でも、ここまで言われても認めない人は認めないんだよな、と思うと、虚しい限りで……。

 ストーキングもセクハラも犯罪です、ってことで、まとめておきましょうか;;
 皆様もどうぞお気をつけ遊ばして;;
 
 
 
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マイルールは常識か?

 数日内にどこかで見かけたはずだけど、どこで見たのかを思い出せない…。
 SNSと言われるサービスは色々ありますが、実際にはそれぞれには違いがある。それを理解しないでいると他ユーザーとのトラブルになることも……というような話題だったはず。

 どこで見たんだったかな〜……。
 詳しい人と初心者の対話形式だったんだけど思い出せない。
 
 ともあれ。
 インスタで見ていて、
「自分の投稿を勝手にツイートした人がいる」
 と言って怒っている人をお見かけして、え? とびっくり。

 ネット上に公開される以上は、基本、それはオープンなものなのでは? というのが私の感じた驚き。

 これに限らず見ていて思うのは、「〇〇する/しないのは当たり前でしょ!」というのが、各人にあって、で、当たり前、常識だと思い込んでいるので、そうは思わない他人と遭遇したときに、トラブルになるわけですね。

 ということで私も一瞬驚いたけれど、やはり感覚が違うんだなあ、と思っておりまして。
 で、その何日か前に見たコラムでは、Facebookや Instagram 、Twitterではそれぞれ「同じ」サービスではない、という解説でした。

 顔本やインスタは現実の、日常生活の延長であり、人と人との繋がりを求めるが、ツイッターは日常とは別の世界。厳密には「閉じた」サービスではなく、求めるところは「繋がり」より「発信する」こと。
 ツイッターは決まった「輪」の中に閉じられているものではなくて、「ミニブログ」ともいうべき、「発信」が主体となっているものである。と。

 そうなりますと使い方も、使う目的も、まるっきり違うのは、当然ですね。

 私は現在、顔本は放置、インスタは「あ〜……そうなるんですね〜……」と、その「個人事業主」感覚にやや腰が引けてきているところ。

 でもツイッターは平気なんだよねえ? と自分でも不思議に思っていたところがありまして、そこへ、
「他のSNSは閉じた繋がりでの”やりとり”が主体、ツイッターは”発信”が主体」
 という指摘に、ああなるほど! と腑に落ちました。

 繋がりだ繋がりだと言われるのがどーにも「気持ち悪い」と感じるところがありまして。
 多分、この気持ちの悪さは、ネットでは繋がり繋がりいうくせに、リアルな社会じゃ知り合いにろくに挨拶もしないというのはどーゆーこった、という疑問の、裏返しだろうと自分では思っております。

 インスタ等での繋がりは、現実の、日常生活をそのまま延長した感覚。
 しかしツイッターは、自分の日常生活とはまたべつのところにある。非日常とも、仮想空間とも言えますね。
 日常とは違う場所にあり、自分から何かを「発信する」ことを主体にしている。
 つまりは「お友達」など求めていない、という指摘。

 それは確かにあるなー…。
 ひょんなことからネット上での知り合いとなっていくのも面白いもので、これはこれで楽しんでおりますけれども、それが「目的」ではないんですよね、確かに。
 それも面白いねえ、というだけであって、本来的な目的は、これは私も最初から言ってますが、ブログもメールも止まっているとき、友人知人に、「生きてます」と知らせることができる、……ってことでツイッターを始めたんでした。

 つまりは「発信」ですね。

 自分も、どうでもいいことではあるけど発信するし、人さまの発信したものを受信して、ああなるほど、と思ったら「これ面白いです」と言って発信する。
 人間そのものを目的にはしていない。

 ……てことで、自分の投稿を「勝手にツイートした奴がいる」つって怒っているインスタグラマーさんには驚きましたが、サービスの違いを理解して、インスタグラマーの「感覚」がどんなものか、私にもようやく腑に落ちたんでした。

 しかし。
 となりますと、インスタは顔本よりはマシではあるものの、あんまり私には向いていそうもないなー…と感じているところ。

 ツイッターではできないことがインスタではできる、という面白さ、メリットというものがはっきりわかればまた違ってくるでしょうが、今のところは、インスタの方は「画像倉庫」になりつつある…。
 
 現実世界での実際の友達や知人があれば、インスタも面白くなるのかもしれないな、とは思いつつ。
 あえて「こういう人たちと繋がりたい」という気持ちもほぼゼロだし、倉庫がわりになっていくのは仕方ないのかもしれない。

 何よりも。
 結構あちこちで、「インスタでおしゃれな写真を載せるには」というお題の記事が見つかるってあたりから、
「インスタにはオサレな写真を載せるのが基本なのかあ……」
 とわかりました。
 オサレな写真——、これまた、そんな気はほぼゼロである私、何となく自分は場違いだと感じてきた理由も、はっきりしてきましたね;;

 ごく最近ツイッターを始めたばかりの友人、ブログはぜんぜん更新しなかったのにツイッターは楽しそうにマメにやっているんですよね。類は友を呼ぶ、やっぱりアンタもこっちの方が向いてるんだねえ、と感心しているところです。
 ほんと、あっという間に馴染んだもんね。

 ただ、それぞれのソーシャルメディアの違い、特質、使う目的というものが最初からわかっていれば、「〇〇する/しないのは当たり前でしょ!」でトラブルになることも減らせるだろうと思います。

 ツイッターじゃフォロワー気にしないしいいねもする「義理」もない。リツイートは誰にでもどうぞとオープンにしているから「RTするならいちいち断りを入れるのが常識」などと言われれば困惑するし、そういう使い方も想定されていない。
 常識は、それぞれのサービスのあり方がどうかによって変わる。

 でも、そのサービスの特徴が違うのに、違うということを認識しないまま、別サービスを使うと、「常識」が違うことからトラブルになる、というのも、不合理なことですね。
 最初からある程度、使い方、目的、「常識」の概要が、わかればいいんだろうな、と思います。

 あちこちで痛い目にあってから「……あ。違うのか」とわかった私からすれば、「最初からわかっていれば」と思うところはありますね。

 人間社会においては、そのゆるさきつさには違いがあるにしろ、どうしたってルールとかマナーとか言われる「規則」は必要で、必要だから無言のうちに成立していく。
 であるにもかかわらず、「使い方は自由です」という「うそ」をいうのが、そもそもの間違いなのかもしれません。

 常識というのもいい加減なものだし、まして「マイ・ルール」を「常識」だと決めつけ、思い込み、自分の思い込みとは違う思い込みを持つ他人を見ると、いきなり罵倒するというトラブルは、回避できるなら回避したいもんだと思いました。まる。
 
 
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