現実的な対応とは

 このへんは見習って欲しいところだなあ、歴史の背景が違うということはあるにせよ。——と思った記事。

佐藤琢磨選手のインディ500優勝は大変な快挙
2017年05月30日(火)16時10分 Newsweek 日本版/冷泉彰彦

 私はモータースポーツにはほぼ興味がないので(いくらかまともに見ていたのは、アイルトン・セナがご活躍だった頃だけ;;)詳細は分かっていませんが、それでも、佐藤琢磨さんのこの偉業がどれほどのものかはわかる、つもりでおります。

 最初は、これほどの偉業を日本のマスコミは無視しかねない態度だったことにイラっときていましたが、次にはそれどころではなくなってしまいました。

 地元紙デンバー・ポストの記者が、「日本人の優勝は不愉快」とネット上に公開される場所で書いたそう。
 そりゃまあ、優勝どころか日本人がいること自体、ふつーだったらあり得ないことですから、不意打ちくらった気分だったんでしょうね。
 
 興味深いのはそのあとのこと。
 その記者の発言から数日とおかず、デンバー・ポストは彼を(実質)解雇し、これはデンバー・ポストの意見ではないことを表明したうえで謝罪。同記者が失職したことも合わせて公表。

 素早い。それにはっきりしてる。
 これはエライなあ…と、ため息が漏れました。

 以前から大相撲での、「日本人力士への露骨な贔屓」「外国出身力士への差別」についてイライラし、しかも、それを相撲協会も、マスコミも指摘もせず、それどころか、むしろ、日本人贔屓、外国人差別を煽るようなことを平気でNHKの実況すら言っていたわけで。
 ついには先場所、客による差別発言が、これはもうごましようもなく放送されてしまい、さすがに、相撲などどーでもいいと思っている人々も見過ごせないことになりました。

 これがサッカーだったらその人物を特定して出入り禁止にし、その人がサポートしていたチームにも処分がくだる。それほどのこと。

 発言者の特定ができないわけがない。技術的なことでもそうだし、何より、いまだ「茶屋」制度が生きている以上、本気で調べればどの客だったかくらいのことが、わからないはずはない。
 でも、うやむや。
 ここ何場所かは私もアッタマに来ちゃってろくに本場所なんか見ていませんでしたが、この五月場所はさすがにおとなしくなってましたね。私が癇に障って見ちゃいられない、ということはなかったようです。ふん。(←鼻息)
(ほとぼりが冷めたらまたぞろ始めるんじゃないの、と冷たく予想してますが)

 そういうところにイライラしたり情けない思いをしていたりだったので、——このデンバー・ポストの対応は素晴らしい……と、頭がさがる思いでした。

 もちろんこれを持って「だからアメリカは素晴らしい」とは言う気はありませんが(特に現状においては)、でも、そういう、社会的なコンセンサスがある程度はできている、それは見習いたいところだと思いました。

 これまで果敢に国外での活躍に挑戦した日本人が、何の差別も受けなかったかというともちろんそうではなかった。
 そういうことにそれなりに怒っていたはずの人が、けれども、相撲についてはあの醜態。
 情けないなんてもんじゃない、と思っているところだったので。
 これは、見習いたいし、見習って欲しいとも思ったんでした。

「いじめ対策」も例えば、こういうこと。
 問題はなくなることはない。必ず、こういう元記者みたいな人は出てくる。
 問題をなくす努力も必要だけど、それ以上に、「問題が起きたとき、早期に解決する」そのための準備は大事だ、ということなんですよね。

 コンセンサスと一言でいっても簡単じゃないことはよくわかってはいますが、けれども、この対応は見習いたいと思ったことでした。素早い対応のおかげで、佐藤琢磨さんの偉業も、それへの評価も、損なわれずにすみました。
 ありがたいことであり、見習いたいところです。
 これを見れば、早期解決がなぜ必要か、よほどのボンクラか、あるいは故意に解決させまいとする人でない限り、わかるはずだと思います。


 佐藤琢磨さんの今後のご活躍をお祈りしますとともに。
 これ↓も前後して聞こえてきたニュースである、ということも、残しておきたいと思います。

差別暴言からムスリム少女守った乗客、2人死亡1人重傷 米西岸
2017年05月29日 BBC NEWS JAPAN

 
 
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日本海落下

 春、というか季節の変わり目恒例の体調イマイチぶりで、本日はあっさり軽めで。……というか実質サボりだったりして。(^^ゞ

 昨日とにかく大笑いしていたのがこちら。

NHK「官房長官 日本海に落下か」 記事タイトルが紛らわし過ぎると落下速度のごとく一瞬で大喜利化
ラストの官房長官が親指を立てて海に落下していくシーンは涙なしには見られなかった。

2017年05月29日 15時54分 更新 ねとらぼ

 たぶんもう国を挙げて日本語力が低下しているので、新聞等の見出しの日本語がひどいことになっているのは全体的にしょーがないんだろうとは思いますが。
 なるほど「官房長官 隠岐諸島から約300キロの日本海に落下か」はさすがにヒドイ(笑)
 これ、素直に読めば、官房長官が日本海に落下、と思いますよね。

 実際は北朝鮮のミサイルが日本海に落下したとみられる、と、官房長官が記者会見で発表した、ということなんですがこの見出しではとてもそうは思えない。

 日本語の基本は助詞であり、助詞一つで意味がまるっきり変わってくる。名詞の羅列でも助詞を適切に使えばそれほどひどい齟齬(そご)にはならないはずですが、……しかしこれはもうそういう問題でもないな(笑)
 以前にも、助詞の「を」なり「は」なりをまったく使わないせいで、被害者と加害者を逆に思い込みそうになった見出しがあって、ホント、主語、主格くらいははっきりさせなさいよ紛らわしい、と思ったこともあります。

 今回のこれも、各社、似たような見出しになっていたらしく、機械翻訳にかけたら(……かけちゃダメだって・笑)「官房長官が日本海に落下」「隠岐の島が日本海に落下」などともなったらしく大笑いの方もいらしたもよう。
 ミサイル日本海落下、でもわかりやすいとは言い難い。
 日本語の基礎は助詞であり、奥義も助詞なんだから、助詞を使えって助詞を(笑)
(ミサイルが日本海に落下、だったらなんの問題もなかろうよ)
 
 なかなか日本語は難しい。

 今でも忘れ難いのは、財務省がまだ大蔵省だったころ、大手銀行さんが大蔵省エリート官僚を接待するのに「ノーパンしゃぶしゃぶ」のお店を利用しており(エリート向けがノーパンしゃぶしゃぶ。気の毒に、大蔵官僚でも下っ端の方々は関係なかったそうな)、その関係で、当時の大蔵大臣が実質、引責辞任したことがありまして。
 あの時の速報のニューステロップも衝撃度は強烈で、もう一生忘れないと思う。
「大蔵大臣ノーパン辞任」

 辞任するにしてもぱんつくらい穿いたら……と言いたくなるテロップでした。

 事情を知っていれば、あーハイハイ、と思うけど、知らなかったら何事かと思いますよね(笑)

 限られた文字数の中で要旨を拾わなければならない、とは難しいことだとは理解しますが、主格と目的格くらいはわかるようにしておけば、こういう面白いことにはならないと思います。

 しかし、これで一斉に大喜利状態になるツイッター上も、面白いものがありました。
 そういう中で私のお気に入りツイートがこちら↓

 本当にこんなんだったら、「これで日本も安心だ」と本気で言える(笑)



(ツイートはフィーチャーフォンでは表示されないんでしたっけ……、すみません、ここはこらえて、パソコンかタブレット端末ででもご覧いただければと思います)
(ツイッターさん、フィーチャーフォンの環境に戻ってきてくれることは……ないですよねやっぱり;;)
 
 
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悲しくなる無知

 私は直接には拝見していないのですが、おととい夜から昨日にかけて、ツイッター上では、「男性の無知に呆れ果てる」話題があったもよう。
 私が見ていたのは、その話題について各々が感想を述べているツイートばかりだったんですが、それでもちらりと聞こえた話に、私も仰天しております。

 震災の折、女性の衛生品と言うことで生理用ナプキンがあったのを、「この非常時に」と言って「怒って」「送り返した」と言う例が本当にあった、とのこと。

 ………意味わかります?

 私もあのときは「こういうときだからさぞお困りだろう」と思ってナプキンもショーツも送りましたよ。
 非常時だから送ったんだよ。なんで怒られなきゃいけないの?
 意味わかんねえ、と思って詳しく聞いたら、生理=セックスしたときの出血 だと思ってるアホがいたんですと!!!!
 バカか!!

 と、さすがに私もパソコンの前で凍りつきましたねー。
 アホじゃアホじゃと思ってきたが、まさかそこまでだったとは!!!

 いえ私が呆れているのは「知らない」ことそのものよりも(もちろんそれにも呆れてはいますが)、仮にですよ、仮にそれがセックス時の出血用だったとして、それでなんで怒るの。なんで返送なの。

 実際避難所では、腹立たしいことですが性犯罪もあるとのことでした。本来なら配合経口避妊薬も、万が一に備えモーニングアフターピルも用意できるといいのになと思うくらい。(体調のことがあるので、やはりお医者さんがいてくれればそれが一番ですが)
 いい悪いじゃないの。現実の話をしてんのアタシは。
 じっさい困っている人に、いかに困らずに過ごしてもらうか、それ以外に何があるっていうんだ。他人の性生活の心配までする必要がどこにあるんだ。繰り返して念を押すようだけどアホか。

 ………どうも以前から不思議なんですけど、なんでこういう発想になるのかな? ピルの認可についても散々、認可したら世の中乱交パーティだらけになると主張したり、性病が蔓延すると主張したり、一度精神科へかかった方がいいんじゃないのというくらいの誇大妄想を並べる連中がいたしなー。
 とにかく女性側の保健衛生を整えることが「性倫理の乱れ」になる、という発想なんですね。
 わかりません、あれは。

 しかし、いい年をした大人が月経のこともきちんと知らないというのは驚きであり、驚きではあるけれども、日本じゃまともな性教育をしてないんだから無理もないのかなあとも思ったり。
 最近、性教育というとなんでアダルトソフトの話になると思ってんだよと嘆いたばかりでもあったので、あらためて考え込んでしまいました。

 とはいえ——月経のこともちゃんと知らない、って、これ、女性にも結構あったりするもんなー……。うーん。
 
 さらに、どなたかが、ちょっと気になったので聞かせてくれと言って、男性に回答を求めるアンケート形式のツイートをしてましたが、月経について、「ちゃんと知っている」「知らない」、そして「知りたくない」という選択肢がありまして。
 見たら「知りたくない」が結構あったので、ここでもまた頭を抱えてしまいました。

 繊細な殿方は「現実」を知ることで自分の妄想が成立しなくなり、萎えることを心配しているゆえに知りたくない、そういう意味の回答だ、と解説している方もいっしゃいましたが——まあなんですね、そんなことで役に立たなくなるんだったら、早いうちにそうしてもらった方が性犯罪も減らせるし、やっぱり現実を知ってもらう方がいいですね。

 パートナーシップの考え方なんて、説明する気にもなりませんねこれでは;;
 虚しいなあ……と思った、というお話でした。


 週明け月曜日からサワヤカな話題になってしまってすみません。(^^;)
 
 
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【ディオール】プワゾン・ガール

 本日お出かけのため実質、おやすみ。
  
 ですが、休むんだったらちょこっと書くのにちょうどいいなということで、ひさびさ、コスメ関係。

 ディオールの香水、試供品をいただきまして。
「プアゾンガール」。
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 昨年6月に発売され、実店舗ではGINZA SIX、表参道で販売される以外はないようで、どっちかというとオンラインショップでの目玉商品の位置づけでしょうか。

 プワゾンと聞くと結構キョーレツなイメージで、恐る恐る×2くらいの弱々しさで、そーっとつけてみましたが、思いがけない甘さで、おお、と思いました。
 なるほどそれで「girl」っていうのかー。と。

 ガールとはいえ必ずしも若い女性を固定して念頭に置いているという感じでもないですねえ。香調はフローラルなので甘くはありますが「可愛い」だけのイメージでもない。

「プアゾンの中では」可愛いほう、ってところかな(笑)

 私個人は嫌いな感じではありません。最初の印象は、パウダリーな感じで柔らかい、というもの。
 フレングランス(ボディ)パウダーのようなイメージです。

トップ:ビターオレンジ
ミドル:ダマスクローズ、グラースローズ
ラスト:トンカビーン、サンダルウッド、バニラ、アーモンド、トルーバルサム



 しかし、そこはそれ、やはりディオール。
 これでオードトワレっすか? マジで? と言いたくなるほど「強い」。この強さでは、コロンにしてもらってもどうだろう? という感じ。

 好きな香調ですが、とにかく、強い。強すぎる;;
 試供品のスプレーはごくごくごく微量しか出ないはずですが、それでも私はワンプッシュはしていない。
 であるにもかかわらず、私がそばを歩いただけで、母が「はっきりわかる」といったほど香ったそうです。

 香水をつける場所も諸説ありますが、元から体臭が強くない日本人にはどうしても、どこにつけても、過剰になりやすいですよね。
 私は内腿にごくごく微量を。
 自分では香りがわからないくらいにしておいてちょうどいい。

 結局、私の場合香水をつける現実的な目的は、外出先でのトイレ。
 空いているときならいいんですが、自分の使用後に続けて人が入るような状況だと、どーしてもにおいは気になる。
 自分の経験上、そういうときにほんのりほのかに香水が香るのは印象として悪くない。
 何も悪臭がするわけではなくても、人の生々しいにおいがもろにしているよりは、薄くレースをかけた感じがあるのは「奥ゆかしい」印象で、いいな、と思いまして。
 ゆえに、つける場所は内腿。ふだんは衣類の生地に何重かに覆われているようなところ。
 あれこれ試してここに落ち着きました。

 私が想定しているのはそういう「現実的な」お話。
 色っぽさには欠けます(笑)

 そういうわけですから、そばを歩いただけでも香ると言われると、そりゃーきつすぎるわ、ということになります。
 好きな香調なだけに、残念……。

 メーカーさんとの相性はあって、どーしても昔から、ディオールさんとシャネルさんはアカンのですよねえ私;; 香りは好きでも、香り方が強すぎる。もっとふんわり優しい香り方、できるはずだと思うんですけどねえ。
 あっさりつけられるトワレもあるし、しつこすぎてめげめげになるコロンもあるということから推測するに、この香り方の強さは、香水の濃度の問題ではないはず。
 何か——揮発させるときの薬剤の調整の関係ではないか、という気がします。
 そのへんにメーカーさんの違いがあるんじゃないかな、と、勝手ながら推測中。

 とはいえ。
 プワゾン・ガールは、元からディオールがお好きという方になら、「これいいですよ」とお勧めできる。

 オンラインショップでは現在、返品も可能とのこと。

 オンラインショップで購入すると、試供品(たぶん私がもらったものと同じでしょう。10ml入り)が付いてくるので、まずはそれで試してみて、残念だけど合わない…ということなら、返品OKだそうです。

オンラインショップ・プワゾン・ガール(詳細)

【期間限定 返品保証】
オンラインブティックでご購入頂いた方に限り、同梱されているサンプルをお試し頂き、万が一返品をご希望の場合は、ご購入から30日間に限り、返品を受け付けております。


 
 

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彼も人なり予も人なり

 えー…明日もたぶんこちらおやすみ…するかもしれません…。
 予約投稿をしていけばいいんだけど、どうなりますか…。

       ●

 先日、「客とは誰のことか?」(2017/05/17 エントリ)と言っていた件。

 お客様は神様ですというのは接客する側の「心構え」であり、実際現実、客が神様ってわけではない。このへん、勘違いしているやつというのはどーしてもいるものだが、こういうスカタンを客扱いする必要はない。
 それはいうまでもないことだけれども、さて、ならば「客」とは誰のことなのか? ちょっと考えます、と言っておりました。

 そのかみ、私の仲間内の野郎どもが何をしたやらご店主に「客には客の仁義ってもんがある」と叱られたというのはもっともなこと、と思ったのを手掛かりに考えてみたんですけど。
 
 人と人とがまともに関わろうとすれば全てに言えることなんでしょうが、接客側と客というのも、「人間関係」ってことだろうな、と。

 人と人との関係であることには変わりなくて、お互いにどちらも人間である。神様なんてもんがここにいるわけがない。
 私は神であると言えるのは本物の神様だけで、人間がそんなこと言ったらただの基地外ですわ。
 まずはこれを確認。

 そう考えればすべてのことは人間関係で、「人の上に人を作らず人の下に人を作らず」ってことですね。
 客と呼べるのは、「人間関係」を結べる人、だと言える。

 どんな人間関係でも相手に対する敬意というものが基本になります。
 大げさに尊敬するとかっていう意味じゃなく、自分も相手も「同じ」人間だという認識、相手を人だと「認める」気持ち、と言えましょうか。

 私はどーも、何かっつーと損だの得だのいう人が苦手なんですが、(二言目には、それだと損だよ、という。不思議なことにこういう人はじつは、得だということはあまり言わない)あれもまた、そのお店やお店の人を「もの」として見る意識の方が強いからかもしれない。

 相手には相手の思いも気持ちも都合もある、ということ。
 気配り、ということになるでしょうが、でもまあそんなに大げさなことに考えるまでもない——と思ってる。

 誰かに向かって「自分は神様だ」と踏ん反り返り、無理難題をふっかけるなんて態度は、どんな人間関係でも許されるものではなく、人間関係は破綻する。
 この態度はたとえ親子間でも、愛情も敬意もない態度なんだから、関係など蹴散らしてしまう。
 敬意が介在しない人間関係なんてない。

 まして相手がお店の人となれば人間関係としては儚いもの。儚いからぞんざいに扱っていいかというとそうではなく、まさしく袖が触れ合う程度でしかないからこそ、気をつけて相手に「気を使う」必要があるんでしょう。

 客と言えるのは、「人間関係」を結んでいる人。その結び目はほんの数秒で終わるようなものだとしても——というより、数秒で終わるからこそ、お互い気持ちよく過ごすために、気をつけて扱うべきもの。

 じつのところはそんなに難しく考えていたら「持たない」ので、ほとんどは「習慣」だと思いますけどね。
 日頃他人に威張っている人は、たまーに気を使うべきエライ人、あるいは震えがくるくらい好きな人の前に出たときは、なんとか「うまく」振る舞いたいと思って「猫をかぶる」んだけど、ついつい普段の威張った態度や言葉が出て、嫌われたりする。

 小さいことの積み重ねは、こんなことにも言えるのかもしれませんね。

 ものやサービスを売るとき、売る側にはなんらかの意図や、イメージ、自分はこのようにしたい、という思いもがあるもの。
 その「思い」を汲んで、敬意を払い、その思いに沿っていけるのが、本来の意味での「お客様」ではないのかなあ。

 お高いレストランとかで、それこそ、お金を払っているのだからとずいぶん不必要なまでに偉そうに振る舞う人もお見かけしますが、食事を楽しく、いい雰囲気の中で楽しんでほしいという店側の「気持ち」を、あれも、踏みにじる振る舞いですね。
 である以上、どんだけお金を使っていようと、「お客様」とは言えまい、と思います。

 必要なリクエストや、わからないことなどはそれこそスタッフさんを「利用」してもいいけど、客側もまた、楽しむ雰囲気作りの「要素」なので、料理が美味しければそのように伝え、スタッフさんとも気持ちよく会話するのがよろしいでしょう。
 相手もまた人間。楽しく話せる方がいい。それもまた「雰囲気作り」になることですから。(あんまりうるさく話しかけてお仕事の邪魔をしてはいけませんが)

 これはスーパーの売り場でもなんでも同じこと。

 その場だけの、はかない「関係」に気を配るだけではなくて、そのお店が持つ「思い」に賛同し、ファンにまでなったら、それはもうお客様を超えた「得意先」となれるんでしょうね。
 本来はそういうものだと思います……いろいろ身につまされつつこのへん書いてますが(涙)

 彼も人なり予も人なり、って、出典なんでしたっけ。
 でもまあ、人と人とが関わるときは、必ずそこに「人間関係」がある、という、それだけのことだな、というのが、ひとまずの私の結論。

 その人間関係を破壊するからモンスターって呼ばれるのだと思うと納得する。
 あれはつまり人間じゃない、ってこと。
 人間ではないように振る舞えば、それ相応の扱いを受けるというだけのこと。

 神様だなんて誇大妄想にヤられる奴がどだいマトモなわけはないんだわ、化け物は化け物扱いするのが妥当だわな、——という結論になりました。(^^;)

 とっぴんぱらりのぷぅ。
(↑何度聞いても可愛い響きですねこれ・笑)
 
 
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根は同じ

 明日はまたお出かけのため、こちらお休みいたします。m(_ _)m
 みなさま、どうぞよい週末を。

       ●



タブー視される日本の性教育  今のままで良いか?
2017/05/24(水) 10:51 配信
https://news.yahoo.co.jp/feature/612

 まあヤフーの記事なんでしょーがないとは思いますが、この記事には、
「世の中てのはどーしてこう頭の悪い奴の方が先に目につくんだろう」
 と、ゼツボー的な気分を濃厚にしてくれるコメントが付いているのでちょっと悩んだんですが。
 はっきり言ってコメント欄とか見なくていいです。不愉快になるだけです。

 引用しましたタビトラ先生のツイートにもありますように、性教育というとアダルトビデオの内容を思い浮かべる人が多いみたいですね。あれは、むしろこっちが聞きたい。なんでそうなるの?
 取り上げるのは、保健衛生、公衆衛生の問題なんだし、道徳というより「現実そのもの」の話ですよ。アダルトソフトの出番なんかこれっぽっちもないよ。

「知らない」ことが原因で起こる問題や悲劇を防ぐことが大事。ほんの少しの知識を持たないせいで、その後の人生が狂うこともある。
 それを防ごう、というだけのことが、なぜこれほど理解されないのかが理解できない。

 セックスというものが、なぜ、これほど歪んだイメージで捉えられているのかが私にはわかりません。
 医学や衛生の話として捉えられず、何か——「口にしてはいけない」「陰湿、陰険」なもの、「反道徳的なもの」という扱いをされている。なぜです?
 
 ミョーな道具や特殊な嗜好については詳しいのに、基本的な生殖に関する知識、衛生学からの知識が「ない」人も多くてびっくりする。
 エイズの話をしていても、未だに「空気感染」すると思ってる人がいて(本当です!)、誰か私を殺してくれ! とわめきたくなることもある。

 それで、ちゃんとした説明をしようとすると「変なこと言わないで」と遮られたり(変なことってなんだよ。エイズが空気感染すると思い込んでる以上に変なことが世の中にあるのかよ)、露骨に嫌な顔をされたり、何を言ってもあーはいはいって感じで聞いちゃいないってことも。
 説明して、わかったのかな? と思った次の瞬間、「でも…」と言って最初の質問を繰り返されることもある。

 ……今、思ったんですけど、これって「放射脳」と同じですよね…。
 強い思い込みがあり、それに対して疑問を持たないし、持つことを自分のみならず他人にも許さない。
 情報や知識の「更新」をするという考えもない。
 理由はわかりませんがその「思い込み」に自らしがみつき、思い込みを崩そうとする他人があれば、これを殺そうとさえする。
 
 この精神の殺伐さはいったいなんなのか。

 こういう話をきちんとできない人ほど、実際には、セックスに歪んだ興味と妄想を持っていることがだんだんわかってきて、一時期は私もずいぶん考え込んでました。

 問題なのは、なぜか、社会全体がそうなってる、てことなんですよね。

 おおもとは——あんまり私もこういうことは言いたくはないですが、明治からこちらの、男性の価値観や考え方一辺倒だったことに、どうしてもたどり着く。
 この辺をいうとミソジニストが文字通り「発狂」するので私も嫌なんですけど、しょーがない。あの当時の社会の「倫理」というものがどんなだったか、ちょっとでもいいから掘り返してみるといい。歪んだものの考えの系譜が見えるから。
(見えないかもしれないな……放射脳と同質なら……)
 
 男性の価値観が問題なのではありません。何かを決めつけてそれ以外を一切認めないという「態度」が問題なんですよね。だから、これが仮に女性の価値観でも同じことです。

 性的少数派に対して信じがたい偏見に満ちたことを平気で言う人は、大抵、突っ込んでいくと「そんな(詳しい)ことは知らないけど」と、なぜかバカしたような半笑いをするんですが、詳しいこと、きちんとした知識がないのになに威張ってんの? 知識がないことが「エライ」と思ってんの? ——バカにされて冷笑されるのはそういうあんたの態度の方だぞ?

 結局——どの問題も根っこは同じで、「自分が持っている”思い込み”からほんの1ミリも動けないもの知らず」、「もの知らずが、なぜかものを知っている人を見下す」というあたりでしょうか。

 医学、衛生学、倫理、道徳、自分と他者に対する思いやり、愛情——、それらひとつひとつについて取り上げていけばきりがない。
 この問題の根は、「知ろうともしない人」たちの、その態度にあるのかもしれません。

 しかし、そう言う大人の犠牲になる子どものことを思うと、この物知らず、バーカ、つって放置しておけばいいと言うこともできず。

 古代の日本人は性についてはおおらかで、日常であると同時に聖性を認め、なおかつ、それが両性にとって大事なことだと知っていたし、コミュニケーションだとも知っていた。
 そのことを思うと、現代人はなんとも情けないことになってるなあ、と思います。

「自分とは異なる在りようの人を、人間扱いしない」という態度が、ここでも顔を出す。


 道徳や倫理なんかこの際どーでもいい。この状況を少しでも動かすには、とにかく医学と衛生面の知識を広めるしかない、ですかね。
 知識があれば、後のことは(人格障害者でもない限り)自分で判断できる人が、少しずつでも、出てきてくれる。
 ——と期待するのも甘いのかなあ……。どうだろう…。
 

 ひとまず、タビトラ先生のおっしゃる、「目の前の相手を傷つけない、NOを無視しない」は、すべてのことに基本となる態度・考えだと思いました…。
 だいたいいじめとか(ストーカー系の)犯罪者はいうんですよ……「冗談のつもりだった」「愛情・親愛の情だ」って。
 寝言ってのは寝てるときに言うもんだ。目を開けて言うことじゃない。
 
 
  
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変わるもの変わらないもの



 若いときにはやたら反抗的だった奴が(本人は反骨のつもりらしいが私から見るとそうでもなかったのでこの評価)、気がついたら「今時の若いものは」という、定型の愚痴を言っているのを聞いたときの情けなさ。

 わかりやすい例では(こんなところに引っ張り出して申し訳ないが)、舞の海秀平さん。
 元幕内力士(関取)であり、その後はスポーツキャスターとしてご活躍。
 大相撲のNHKの中継では解説をなさっているので、大抵の方にはわかりやすいだろうということで。

 私は舞の海さんと同い歳ですが(学年は違う)、引退からそう何年も経たない頃はよかったんですよね。解説。
 わかりやすく、理論的でした。

 が、……そうですねえ、40代半ば頃でしたか、気がついたらミョーに愚痴っぽくなってて。
 まさしく「今時の若いものは」的なことが、「解説」の中に混ざるようになってきました。
 今の力士はああしない、こうしない、って、そんなことですね。

 私は彼と同世代ですから当然、彼の現役時代を知ってます。ゆえに、鼻の先で笑う羽目になる。
 そうでしたか? そんなにご立派だったかしら、20年ほども前の力士の皆さんて?

 人は都合よく記憶の改ざんを行う。それは知ってた。知ってたけど、それを自分と同世代の人が始めるのを見るのは、情けないもんですよ実際。

 ということで冒頭の引用ツイートなんですが、自分が35歳以降に出会ったテクノロジーには反感を持つというのと関係がありそうだなあと。

 新しいものに対してどういう反応を示すかは多分に性格上の問題もあるようで、若いからって受容的で柔軟とは限らず、年寄りでも新しもの好きの人もいる。
 とはいえ、自分の生まれたとき〜成人としてある程度の完成を見るまでの期間に出会ったものには抵抗を持たないが、それ以降に出会ったものには「違和感」を持つ、という「傾向」は確かにあるようです。
 価値観なり世界観なりって、自分でも意識しない領域にも確立されている。意識しない領域の場合は、自分がどんな価値観や世界観を持っているか、なかなか自覚できない。

 例えば、——昔、若い頃には、「ゲーム悪玉論」に怒ってたのに、今は「スマホ悪玉論」の信奉者になってる、とか。(^^;)
 かつて自分が嫌っていた誰かとまったく同じことを、20年後の今は自分がやってる。しかも無自覚。
 そんな人、多いです。

 ——お若い方。でも、ここで「歳をとるのは嫌なこと」と思ってはいけません。

 不思議なのは、ゲーム悪玉論は論外としても、当時、ある種の依存症状を示したり、何の考えもなしに耽溺していた人ほど、今は、何の考えもなしにスマホ悪玉論を唱えていることなんですよ。何しろ同世代ですから彼らが当時どんなだったか知ってる。
 アンタ、昔はそれと逆のこと言ってたよね? と。

 まるで歳をとって「心変わり」したように見えますが、動かない共通点があります。それは、「何の考えもなしに」ってところ。

 自分が若いときは年長者なり社会なりをあしざまにののしり、自分が歳をとったら若い人たちを罵る。こういう人は、今も昔も「自分の都合のいいことしか考えない」のであり、その点において、彼らは「一貫している」のです。
 彼らは変わってしまったんじゃない。むしろ逆。
 彼らは、ものの見方、考え方の根本において、まるっきり「変わっていない」のです。
 言い方を変えるなら「成長がない」。

 誰でも知っているはずと「無意識に」思い込んでいた商品名を何気なく言ったら、若い人にそれは何ですかと聞かれてショックだった、とか、聞かされるたびに「そりゃ知らないでしょう、その子が生まれる前のことですもの」と返事をすることも増えてきました。

 何でしょうかねえ……万物は流転するのに、自分や自分の「世界」は永遠に変化しない、というような感覚に陥るんですかね。
 
 世の中の変化について、まあそりゃ変化するよな、と、思う人はべつに何とも思わない。
 確かに昔に比べれば失われたものもある。けれども、それと同じくらいかそれ以上に、昔にはなかったものが、今は、ある。

 物質的な有る無しの「総量」を図ることができるなら、あんまり変わってないんじゃないですかね。

 ただ、新しく現れたものが自分にとってどれほど馴染むものかは別問題で、ここで新しいものと(それなりに)親しめないなら、そりゃまあ、失われたものばかりが、目につくんでしょう。

 私は、この世は、その本質においてはもう何千年も「変わっていない」という考えでおります。
 寿命が尽きたものは去り、新しいものは生まれてくる。
 問題がなかった時代なんかこれまで一瞬だってなかったし、次々持ち上がる問題を、それでも人々は、少しずつでも解決してきた。

 その「本質」はまるで変わらない。
 かつてあったものが去っていき、新しいものが目の前にあるとき。
 新しいものを受け入れるかどうかは自分が好きにすればいいだけで、何も「怖がる」必要はない。
 新しいものについて「悪いこと」があるとすれば、新しいことが悪いのではなく、自分には理解できないものがあればとにかく「悪」だと決めつける———、これが、人間の悪いところだと言えますね。

 歳をとることが必ずしも「悪いこと」ではないように。

 自分が理解できないものをとにかく悪だとする、というのは、じつは年齢には関係ない、その人の性質、性格によるもの。
 ただ、年をとると、理解できないものが増えていく、という「傾向」があるので、そう見えるんじゃないかな。

 私などよりよほど頭の回転も速くて記憶力もあってパソコン・スマホを持ち歩く90歳代に会ってみなさいよ——感心、感動はするけど、ある意味、自信喪失しますよ;;
 でも、結局はその人の考え方次第なんだな、とは、よくわかる。ありがたいことです。

 他人のことをとやかく悪くいうのは簡単だ。——問題は、例えばあなたが大人や年寄りを悪くいうなら、自分はそうならないためにどうしたらいいかを、よくよく考え実行できるか、ってこと。
 それが分かっていれば、時代がどうなろうと問題じゃなくなる。

 口で言うほど簡単じゃないことは私も身をもって実感中ですが(笑)、まあ、そういうことで。
 いい意味で、自分を変化させていけたら……、と、あらためて願いを感じたツイートでした。


 
 
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おやすみ&ゾロ目のお話

 今日はちょっとおやすみいたします。m(_ _)m

 自分の息抜きでやってるブログなのに「休む」というのは、なーんかチガウ感じがするんですけどねー(笑)
 でも他に言いようも思いつかないので……。うーむ。息抜きを休止するんだから「真面目に働いてきます」とか? でも該当しないことも結構あったり。(ダメじゃん…)

 そういう中ではございますが、これ!
 これはもう保存しとこうと思いまして!

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 昨日、スーパーで買い物をして、そのお会計のとき。
 買ったもののレジ打ちのあいだって暇なんで、ぼーっとレジの表示を見てるんですが、2222が表示されたとき、
「おや、ゾロ目」
 と思ったんですよね。
 でも、それから消費税がついて数字が変わっちゃうんだろうと思っていたら、変わらない。

 ん? と思ってたら、お店の人が、
「二千二百二十二円です………、珍しいゾロ目ですねえ…」
 と言うので、えっマジで! とびっくり。
 税込で2,222円。
 狙って狙える数字じゃない。(暗算が得意な人は別)

「や〜、こんなことってあるんですねえ…」
「珍しいですよね」
「消費税、ありますからね〜(←あえて、ちょうどぴったりの金額とかゾロ目とかを狙うのは難しい、と言いたい)」
 なんとなく「おお〜」と、お店の人と感動しながらお会計しました(笑)

 ゾロ目の数字を見るのはなんらかの「合図」という説もある。
「2」のキーワードは「信じる心」「勇気」であり、カバラでは「22」は神秘性の高い数字なんだとか。

「2の4桁のゾロ目」とも、「22のゾロ目」とも思える数字ですから、何か意味はあるのかも?(笑)

 また、これをこうやってご覧になる方にも意味があるともいうそうなので。
 ご覧くださった方にも、メッセージになるってことでしょうね。

 たとえそういうことではなくても、わー! びっくり!! 珍しいよね!!! ってことで、ツイッター、インスタ、ブログにぺたぺた貼って歩いてます(笑)
 私の人生、あと何年あるか知らないけれど、もう二度とないんじゃないかと思うので。( *´艸`)♪
 
 
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パブリックビューイング

 またすんごくバカなことを思いついたんですけどね。
 ライブ(コンサート)の、パブリックビューイングって、どうでしょうかね?

「若者のナントカ離れ」にもいろいろありますが、あえて〇〇離れとは言われないけど、昨今のお若い方は音楽といえばCDはあまり買わず(私も真顔で高校生に、なんでCD買うんですかと聞かれたことが;; DLがあるのになんでわざわざ? というニュアンスでした)、その代わり、ライブが人気なんだそうで。

 も少しライブやりたいけど、会場がなかなか押さえられないんだよね、ということも聞きます。全体的にライブ、コンサートの数が増えたけど会場はそうそう増やせない。結果、需要に対して不足気味になる、と。

 その一方でライブのチケットはどんどん入手が難しくなってきているのは確かですねえ。私はチケットと言われると捌くのに苦労する、というイメージが強いんですが、人気の高いイベントでは抽選にしても「公平に行き渡らせる」には間に合わない。
 転売、高額の不正な取引も、問題視されるようになって久しい。

 そりゃ誰だって行きたいライブにはあっさり行きたい。種々苦労して時間も体力も労力もかけ、可能な限りの人的ネットワークを頼り、やっとの思いで手に入れる、というのも、それも醍醐味と言えばそうですが、これが闇取引の背景にあることも見逃せないわけで。

 行きたくても行けなかったライブがあれば、ネットを頼り人を頼りメディアを頼って「レポート」をきき、それで多少でも満足するしかない。
 それでもそれらは「人からの又聞き」だし、DVDなどになったとしても、「編集」されたものでしかない。

 ライブの大きな意味は「即時性」、リアルタイム、という点にある。編集も修正も何もないもの。
 チケットがないから入れないけど、会場の外まで行って漏れてくる音を聞くという、健気もいじらしいのも通り越したような話を聞いて、なんとかならないものか……、と。
 思っているうちに思いついた「妄想」です。パブリックビューイング。

 ライブ本数には限りがあり、会場の収容人数にも限りがある。できれば希望する人誰もがライブに行ければいいけど、どー考えても物理的な制限がある。
 とするなら。
 サッカーでおなじみの、アレはどうだろうか、と思いついた次第。

 現在の映像技術であれば、映像にしろ音にしろ品質を維持できるし、厳密には何秒かのズレはあるにしろ、概ね「リアルタイム」でもある。
 サテライト中継できればパブリックビューイングの会場をあちこちに置ける、海外ででも「参加」は不可能ではない。

 もちろん本物のライブと同じ扱いにはできないけど、そのぶんチケットをお安くできれば納得もしてもらえるのでは。
 会場も、その使用料、設備費、機材の運搬や設置、設営、あとはもろもろ人件費とあるので、無料ってわけにいかないのは当然。

 そんなことをふと思いついたのも、その昔——もう30年以上まえですね、オフコースが活動休止となったときに「フィルムコンサート」というものがありまして。
 当時も今も聞きなれない言葉です。フィルムコンサート。

 武道館のときの映像ですね、「Off Course Concert 1982.6.30」と銘打ちまして、ウィキによりますと、1983年1月31日まで、全国240か所で、じつに合計393回上映されたとのこと。
 私もほぼ地元であったんですが当時は保護者が必要な中学生ってことで、行けませんでした。

 ただ、このフィルムコンサート、まるで本当のライブのようにお客さんが盛り上がり、各メンバーへの声援が飛ぶのも通常のコンサートと全く同じ、「YES-YES-YES」のときの——えー……、シンガロングってんですか、本当に凄まじいばかり。(残された録音を聞くとお客さん、最後のあたりでちょっと間違えてるんですけどそれはまあご愛嬌)
 
 ライブのパブリックビューイングぅ? と懐疑的に思う人もあるとは思いますが、私は、あの「フィルムコンサート」の一件を思い出しますと、ましてリアルタイムであればちゃんと盛り上がるだろうと。

 などと思っていたら、こちら↓の記事を見つけてしまった(笑)

サテライト中継ってのはどうでしょう
2010-06-11「エレカシブログ 俺の道」様
http://orenomichi.hateblo.jp/entry/20100611/p2

 ですよねえ。やっぱり考えてしまいますよね。中継でもいいからライブに行きたいなー、というのは。
 
 しかしこれが実現しないだろうことは、これまた会場の問題。ただでさえ不足気味だっつってんのに、それを一斉に同時に複数個所を押さえるなんて、アホか! と一喝されておしまいですね。(* ̄ー ̄)>
 だから妄想だというのですが。

 あとは——「ネットでリアルタイム配信」。

 これなら多少実現に近いところにはくるんですが、有料配信にするとなると(……そりゃやっぱりタダってわけには行きませんよ)………権利保護を含めて、またいろいろねえ……。引っかかりますよねえ……。

 どちらにも言えるのは、「技術的には充分可能だが、運用面で問題が多すぎる」ってこと。

 それでもチケットの高額転売が横行するよりはいいんじゃないかなあ(特にネット配信の方)、と、個人的には思ってます。
 まあそれも、あと何十年かたつと、それなりの解決策は出てくるような気がします。
 現在の、「ライブ中心での客の取りこぼし」は結構シャレになってない、と思うから。

 夢の世界も、結局はリアルな事情によって支えられている。
 そのことは承知しながら、できたらいいなあ、と妄想中。
 
 
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人類進化

 来週とその次の週末はちょっと無理かなということで、昨日は、ふだんなかなか手をかけられない場所を磨き、衣替えをしておりまして。
 ……衣替えもタイミングが難しいですよね;; もう使わないだろうと思ってクリーニングに出したら急に冷え込んだりね;;
 収納でも、一度手をつけたら途中でやめるわけにはいかなくなるので、やはり時間が取れるときでないとなかなか手をつけられない。
 昨日は穏やかな、気温も高めの土曜日となりましたので、着手。

 とこうして、作業しながら横目で見ていたのは、「電王戦」第2局。
 いわば人間のチャンピオンと将棋ソフトのチャンピオンとの対局ですが、今回でそれも終了とのこと。

 結局は将棋ソフト「ポナンザ PONANZA」(……記事ではBONANZAってなってたみたいだけど…)の勝利で終わりました。

トップ棋士超えを証明 AIで研究、いまや当然に
2017年5月20日23時00分 朝日新聞 DIGITAL
http://www.asahi.com/articles/ASK5N63J5K5NUCLV008.html

 以前には将棋ソフトに人間が勝つのは当たり前でしたが、AI(Airtificial Intelligence 人工知能)の発達はめざましく、今や、「あー、やっぱりポナさんが勝ったか〜」と思うほど、「コンピュータが勝って当たり前」になりましたね。
 通常の将棋のタイトル戦とか見ていても、「ポナさんの予想は?」とか「ポナさんはどっち有利としてる?」とか、フツーにいうようになりました。みんな、予想については、それなりにソフトを当てにしてるんですね

 まあ、記憶力や戦型の吟味、予想は、その量、速度とも、本来ならコンピュータに人間が敵うものではないので、よーやくコンピュータも、ハード性能を生かせるソフトが出来てきた、というべきなんでしょうね。

 佐藤名人は先日、名人戦を戦ったばかり。いかにお若いといえどもそうそう集中力も続くものではないでしょう。
 コンピュータは疲れ知らずだし風邪もひかないし、メンタル的に動揺もしないし、ごはんもおやつも食べないんだし、人間が敵わないで当たり前、ですよね。
 うちの母などは、これまでの将棋ソフトの歩みは知りませんから、「人間が機械に敵うわけないじゃない」という感じでした。

 坂村健先生だったと思いますが(違ったらすみません;;)この将棋ソフト対人間の企画が始まった頃、ゲストでお見えになり、「人間対コンピュータというのは、本来は、あんまり意味のないもので、むしろ人間とコンピュータでペアを作り、ペア同士で対戦するというのはどうだろうか」とお話しになってましたね。
 
 単純にハードウェアとして考えたら人間が機械に勝てるはずはない。将棋ソフトもやっとそのハード性能を生かせるレベルになったとすれば、そりゃもう人間対機械で、人に勝ち目があるわけはない。
 そうではなく、人と機械が組んで「仕事」をする、というのが本来の「使い方」なんで、その方が意義があると思う、というのは、ごもっとも。

 ……とはいえ、それを聞いたとき私が思ったのは「攻殻機動隊だ……」でした(笑)

 労働は、機械が「請け負う」ことになり、人間は今後、そのぶん「創造的な」作業に集中できるようになる——という予想もありますね。

 例えば人間の各対局者がポナンザと組んだら——ちょっと面白いことになりそうな気がします。
 対局者はそれぞれ違うけど「支援」に使用するソフトはポナさんで統一したり。
 あるいは棋士がそれぞれお好みのソフトを利用したり。

 現行の将棋とは全く違ってくるでしょうけども(おそらくルールも変わってくるでしょうし)、なかなか、考えていると楽しそうだなー、という気がします。

 人工知能がどうこうというと、何やら怯えたことをいう人もありますが。
 道具は、人が使うためにあるもの。
 道具に使われることはないように、という、その点さえ誤らなければ、そんなに怖がる必要もない、と思いますね。

 自分の創造性をより発揮しやすくなるもの、と思えば、AIの発展には、なお期待、と言えるんじゃないでしょうか。
 強いていうなら、今後の人間は、人間力——良識とか見識とか、そういうものを育てて鍛えることが、より重要になるかもしれませんね。
 道具に使われるのではなく、道具を「正しく」使うために。

 道具がこれだけ進化しているんだから人間も進化しようね、ってことでしょうね。(^^;)

 そう言われちゃうと、どうも自信がないですが(笑)
 
 
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誰にも奪えない宝




 不肖わたくし、子どもの頃はすでに同級生並びにその保護者にも「本をよく読む子」という認識をされておりまして。
 ときどき、友達の家に遊びに行くと、その親御さんからしみじみ、「どーしたらうちの〇〇も、水原ちゃん(仮名)みたいに本を読むようになるかしらね〜」と、ため息交じりに言われておりました。

 子どもですから一応遠慮はあって私は黙っていましたが、本を読む子にしたい、というの、「そりゃ無理だよ小母さん」と思ってました。
 なぜというに、そういうお宅には100%と言っていいほど、本がない。本棚がない。雑誌すらろくにない。

 この環境で本を読めというのは無理ってもんだろ……と、子ども心にも思いましたね。

 子どもは、親の言った通りには育たない。親がやっている通りに育つ。
 という言葉を聞いたことがありますが、まあそういうことじゃないかと思います。はい。

 何も文学全集を、ものものしい本棚に並べておけって話じゃない。とにかく親御さん自身が、それこそ漫画雑誌でもなんでもいいからとにかく本を見る習慣がなければ、子どもだって接触のしようがない。
 うちの親は特別な読書家ではありませんでしたが、それぞれ、好きな作家や作品はあって、そういう本は置いてありました。
 本に親しむ人は本を買うことに戸惑いも抵抗もない。だから子どもへのプレゼントと考えた時、ごく自然に本を選んでくれていましたね。そういう影響もあったかと。

 読書家というより乱読に傾いていったのはそれは私の先天の性質ですが、その性質にたどり着く入り口は、やはり環境にあったと思います。

 本は。
 …………いやもう、それこそ、本がなかったら生きていけませんね私は。(^^;)
 この退屈で退屈でどうしようもないこの世に、本がなかったらどうしていいかもわからない。
 まあ現在であれば、もしも文字をすべて奪われた世界に放り出されても、自分の妄想でけっこうやっていけると思いますが、妄想——というと人聞きがあんまり良くないので「想像力」と申しますが、それを教えてくれたのは本だったわけで。

 どんな宝物でもなくしたり奪われたりすることがあるが、知識はもう誰にも奪えない、という言葉もありましたっけ。そういうことですね、きっと。

 ツイ主さまのおっしゃることには私も全面的に同意。本は本であってそれぞれに豊かに世界を内包している。「どうでもいい」本なんてない。
 ……(小声)そもそも岩波文庫を「エライ」と思ってる時点で、もうアウトだと思うね…(ひそひそ)

 漫画だって同人誌だってなんだっていい。面白いと思うもの、興味を惹かれたものはなんでも手にしてみるといいよ——それが私から言えること。
 ちょっと年齢的に難しい、わからない、という本もあるかもしれないけど、それはそれで、いずれ成長するうちにわかるようになっていって、これは楽しいですよね。自分の成長が自分でわかるし。

 とにかく、こうでなければならない、ということは、本の世界にはない。
 老いも若きも、大いに遊べ。
 そう思います。
 
 
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敬意を払うこと

 子供の頃から、社会的弱者という言葉が嫌いでした。

 正確には、私の子供の頃に社会的弱者という言葉はなかったかもしれません。ただ、これはリベラルの得意とするジャンルの話なので、言葉があろうがなかろうが、いわゆるリベラルのものは嫌いと決めてます。
 共産党の反対により、ひな祭りが祝日になり損ねた日から、私はリベラル嫌いでございます。
(思えば当時から野党って反対するしか能がなかったんですかね)(しかしリベラル嫌いになった理由が、我ながら情けない・笑)

 ともあれ社会的弱者という言葉(とその類語)を聞くたびに気持ち悪いなあと思ってきたけれど、その気持ちの悪さがなんなのか、なかなかわからずにおりました。

 世間じゃなんの疑問もなく使用される言葉や概念に疑問を持つと、自分の疑問がどこからきているのかを探るのもなかなかの苦労となります。既成概念の厄介なところですね。
 多くの人はいちいち既成概念をひっくり返すようなことはしないのは、無理もないだろうとも思ってます。既成概念の「根っこ」をつかまえるのは難しい。面倒だと感じる人がほとんどでしょう。私はこういうしょーもないことをひっくり返しひっくり返し考えるのが「趣味」なので気にしてませんが。

 ともあれ「弱者」。
 気がついてみれば難しいことは何もなかった。
 よーするに他人さまに「弱者」なんてラベルを貼る、こんな失礼な話はございません。だから私は嫌がったんですね。
 やたら他人をつかまえては可哀想可哀想と、「いい人ぶって同情する」態度が嫌いなのと同じ。

 この非礼ぶりを、世間はうっかり見落としている。
 人様をつかまえて「お前は無能無力だ」と「決めつける」ことが、なぜこれほど大手をふってまかり通っているのか、気がついてみればそっちの方がよほど驚きですよ。

 弱者というものは存在しない、というのが私の思うところです。
 立場上、あるいは現行の社会の”組織”の中では「不利」な立場にいる人、というのは存在するけれど、不利、ということは「弱者」であることとは違う。

 弱者というのは無力無能であり、左巻きは、それゆえに、無力無能の人たちを特別扱いするように求め、彼らのためという名目ならどんな無理難題も通ると思っているし、通すべきだという主張をする。
 これは本当に、その「弱者」とされる人のためになることでしょうか?

 彼らを特別扱いし、手厚く保護し、どんな無理でもいいよいいよと聞いてあげる、ということは、その人たちの自立を損なうもの、と私は考えます。

 不利な条件があったり、不利な立場にあるゆえに「正当な」権利を認められない、ということはあるんで、そういうところで支援したり、お手伝いしたり、法整備をしたりはわかる。
 その不利な条件が「解除」されたら、立派に独り立ちして社会生活を営める人は無力無能なんかじゃない。その環境さえ整えば、立派にやっていけるだけの力がある人を「弱者」呼ばわりするなんてこんな失礼な話がありますかい。

 なのに、リベラルの好きな「弱者」というラベルは、あなたは弱者です無能無力ですだから私たちがなんでもやってあげます——という考え方。
 本来その人が持つ尊厳も能力も無視して、無能と決めつけ、自主独立を「阻害」する。しかもそれを「弱者の立場に寄り添う」「正義」だと思ってる。
 少なくとも、私にはそのように見えます。

 同情なんかいらないんですよ、大抵の人間には。
 ただ、うまく立ち上がるきっかけがないだけで、立ち上がる手助けさえしてもらえれば、あとは、杖を使ってでも自分で歩いていきたい、それがどんな人にも本来備わっている自尊心というものじゃありませんかね。

  人様をつかまえて勝手に弱者などということがどれほど尊厳を踏みにじる行為か、なぜこうも彼らには通じないんだろうかと思っていたとき、目についたのがこちら↓のツイート。



 これを見たとき、なるほどな〜と納得し、であるならば、彼らに「敬意を払われる」とはどういうことかを、どれほど説明しても意味がないだろうとも、思いました。
 現在はそのあたりはあきらめております。

 どんなことも結局は、自分でどこまで「実感」できるか、なんでしょうね。
 理屈で考え、本でも読み、人の話も聞いて、ひととおり「理屈」として、なるほどと思っても、自分が実地にその感覚を味わわないと、本当には「わかった」ことにはならない。

 自分が実際その立場になって経験したとき、なるほど話に聞いてはいたけどこういうことか〜と思う、結局はそこまで行って、やっと「わかる」と言える。
 とするなら、左巻きに、弱者というラベル貼りの「意味」を説いても無駄だな……と思いました。


 そういうわけで私は、ナントカ弱者という言葉はいっさい使いません。(^^;)
 ハタから見ればただの意固地でしかなかろうな、とも、承知しつつ。
 それをいちいち他人に説明することも、以後、やめておこうと思います。

 わかる人は、黙っていても分かってくれる。わからない人は、どれほど時間と言葉をかけてもわからない——そういうものなんでしょうねえ。
 
 
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シュガーハンマー

 だいぶ復活しましたが体調がまだちょっとアレでして、今日のところは気楽なよもやま話。

      ●

「名探偵ポワロ」の再放送(『マギンティ夫人は死んだ』)を昨日は見るともなしに見ておりましたが、ふと耳についたのが「シュガーハンマー」という言葉。
 思わずテレビを振り返りますと、確かにハンマーの形をしていますが、大きさとしてはごく小ぶりで、女性にも扱いやすそう(犯人の性別が問題になっていたのでこの辺りにちょっと注目が集まってた——ドラマの中で)。
 それに、ちょっと装飾も施されていてなんかカワイイ。
 
 実用品ではなく、何かのミニチュアとか、飾るものかな? と思って検索したんですが、出てこない。
 ほぼ唯一、ヒットしたのがこちら。

古い謎の道具
http://burghleyantiques.com/rare-item/old-mysterious-tools/

 こちらのブログは、「英国バーリーハウスでアンティーク修復士兼ディーラーとして働く岩田年史セレクトのアンティークショップ」とのことです。そのブログエントリーにシュガーハンマーそのものではありませんが、類似品と思われるものについての記述が。

「シュガーニッパー」「シュガーカッター」という道具で、「これはイギリス人でもほとんどの人が知らないちょっとめずらしい道具です。
イギリスのアンティークディーラーでも知らなかったりします。」


 とのこと。

 砂糖というと私どもは粉末状で想像しますが、昔は、砂糖は塊の状態で販売されていたそうなんですね。
 上の記事の中に、当時(19世紀)の砂糖の写真がありますが、途中までは円柱状、先端がロウソクのような形状になってます。
 これを砕いて使っていたとのこと。
 かなり固いんでしょうね〜。

 黒糖を最初に知ったとき面白いなと思ったのは、黒糖は口に入れるとするっと溶けてしまうので柔らかいイメージなんだけど、大きめの塊を手で割ろうとしてもなかなかできない、それこそ、カナヅチで叩かないと割れない。
 柔らかいようで固いんだな、面白いな、と思った記憶。

 ということで、この19世紀当時の(小売の状態での)砂糖、この円柱を砕くのは大変そうです。
 それで、このシュガーカッター/シュガーニッパーの出番だったということなんでしょうね。

 で、シュガーカッターを使うよりも前の段階で、ハンマーで大雑把に砕く、ということも、当然あったんだろうな、と思われます。
 上に引用の記事には直接の記述、画像ははありませんが、ドラマ中にあったハンマーなら、なるほど砂糖を砕くには良さそうな大きさでした。

 このシュガーニッパーは19世紀半ばまで使用されていたとのことですが、砂糖の小売はいつからサラサラの粉末状になったのか、角砂糖の発明はいつ頃でいつ一般に普及したのか、調べたら面白そうだなあ♡

 現在では、イギリス人でも知らない人が結構いるというシュガーニッパー。
 ポワロさんは原作は1920年代〜、ドラマは1930年代に固定されているようだとも聞きますが、そのあたりまでは、一般的な使用は無くなっていたとしても、まだその道具を知っている人は多かったんでしょうね。

 こういう小道具、小さい「世俗」、風俗の話って、当時の人の生活感がぐっと近くに感じられるので好きです。
 大きな歴史の事件の中でも、人々には日常があった、と感じられるのが、私には楽しい。(*’U`*)
 
 
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