ドールの世界

 明日はまたお出かけのため、こちら、おやすみいたします。(予定)
 明日はもう2月なんですねえ。早いわ〜。

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 ピンタレストで遊んでいるとき、「momoko」の画像がありまして。
 ハマりかけて足止めを食らったままになっている、ドール熱がじわじわ再燃の気配。



 momokoは、リカちゃんやジェニーちゃんなどと同じくファッションドールのひとつで、主に(株)セキグチ様から発売中。

 リカちゃんは基本的には子供向けに、可愛らしく、子供さんに親しみやすい、少女マンガ風の造形であるのに対し、momokoは造形が比較的リアルで関節も可動域があり(完全ではないですけどね)、その表情も、リカちゃんなどが少女マンガか「西洋的」なのに比べ、momokoは実際の日本人、東アジア系としての馴染み深さがあるんだとか。

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(ブログ「MM*Doll」様)

 大きさは27cmと9cmのものがあり、27cmというとタカラさんのジェニーちゃんと同じ大きさですね。

 ドールの世界も奥深くてですね、こういう市販品でも、カスタムドールと言って自分で、人形の顔から髪から自分で作ってしまう方々がいらっしゃる。
 正直なところ、お金もかかります。ので、ドールを楽しめるのは、本当は、子供じゃなくて大人だよねということになりますね。(^^;)

 そういうわけで自分でドールの服を作るための本も各種でていたりします。なかなか楽しい世界ですよ。

 今回ピンタレストで、momokoから始まって、リカちゃんはもちろん、カスタムドールの写真もたくさん拝見してため息をついております。
 ……しかし、見れば見るほど、人形って不思議な魅力ですねえ。

 人の形をしているようで、正確には人の体の形ではない(たいていの場合)。
 実際の人間ならオカシイはずの形だったり、大きさの比率だったりしても、それはそれで一つの「バランス」として美しい。

 それに——人形って、なんとも言えないエロスがあります。これが不思議。
 人に似ている。でも人ではない。現実の人であったらむしろバケモノじみて見えるはずのものが、そうは見えず、ただ、妖しく、美しい。

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(ブログ「琴姫工房」様)

 その美しさも、どことなく、太陽の光ではそぐわない感じ。
「陰影」の方が「似合う」し、陰影こそが魅力となる。
 ——人間でいう「健康的」な感じとはちょっと違うんですよね。
 明るい雰囲気に作られている人形でも、じっと見つめていると、やはりどこか、何か、「秘めた」翳りがある。
 その翳りがあるからこそ、固定されているはずなのに少しずつ表情が違って見える。だから何分でも何十分でも、飽かず見つめていられるんですね。
(興味ない人はそうではないでしょうがもちろん・笑)

 人の形に近いから親しみを覚えるが、でも、その無機質な肌と表情は、「異界」を思い出させる。
 セクシャルなものではない、特有のエロスがある——

 なんて言っていると思い出すのは、押井守監督の「イノセンス」なんですが。


 あれ、原作のファンの方を主にしてオタクの皆様には概して評判がよくなかったそうですが、私は好きでして♡
 人に似ているが人ではない。それゆえの美しさとグロテスクさ。
 不気味だとも怖いとも思うのに、思うからこそ、引き込まれていく魅力。

 人と人形を区別させているものは何か——という作中の問いかけは、興味深い。
 人と人形、生と死の違いは、私どもが日常、考えているよりも、ずっと曖昧で、それぞれが「近しい」もの。
 近しいけれど、決定的に違う。
 ——なぜ? 何が?

 ファッションドールでも、カスタムドールでも、子供向けの「かわいい」お人形でも、この辺の「事情」は同じですね。そこがまた興味深い。
 じっと見ていると、そこに何かが存在する「気配」を感じる。でもそれは、事実そのとおりなのか、自分の妄想か?

 セクサロイド(=セックス用アンドロイド)も、そのうちにはマジで作られて問題になったりならなかったりするんだろうなあ、とも思いながら。
(セクサロイドについては去年、イギリスの科学者が真顔でその製造には反対の声明を出しましたもんねえ…。耽溺の恐れがあるとして)
 芸術的とすら言える人形たちの画像をピンタレスト上で眺めているところです。

 ドールにもハマりたいけど、時間とお金がねえ(笑)
 ひとまず、せめて、ドール服を作る方から再度、挑戦してみたい。



 ドール服も、自作なさってはネットオークションに出品する、私から見るともう神様みたいな方々がいらっしゃるわけですが、このドールの「沼」もまた、下手にハマると深すぎてけっこう危険(笑) でも眺めるだけでも楽しめるのでやめられない(笑)
 
 
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1984

 連日、アメリカのトランプ大統領の話題になるのも恐縮ですが、なかなか露骨なところが珍しいので。

 就任するやいなや大統領令を連発し、うちの母が「あれじゃあ議会なんていらないじゃん」と呆れているようですが、まあ、私どもが知らないだけで、どの大統領も在任中、けっこう発令しているようです。
 ただ、人々を大混乱の中に陥れるような執行命令が出るのは珍しい、とはいえましょうね。

 そんなわけで難民の受け入れを停止くらいならまだしも、中東やアフリカからの人を問答無用で入国禁止というのはさすがに、大混乱を招いているようですね。

 国際的な規模の大企業となりますと、社員さんも複数の国をまたいで仕事をする人も珍しくない。法律上の瑕疵があるわけでもないのにいきなり入国を止められては仕事にならないし会社の方だって困る。
 なにやってんの? と思いますよねそりゃ。

 大統領令は、大統領行政命令、執行命令ともいい、王様がいる国であれば「勅令」に相当する、というのですからかなりの強権ですね。
 アメリカの憲法で明確に規定があるわけではないそうなんですが(……そうだったの?)、法律と同等の効力があるとされる、そうです。たぶん慣習的に。

 本来なら議会でもって議論して、法律として制定したりしなかったりするべきところ、いわば大統領「個人」の一存で法律ができてしまうようなもの。

 今回の入国禁止については、きちんとしたビザもあり、法的には何の問題もない人も同様の措置を受けた。これは「法律違反」だ、として訴えた人もあるとか。
 これってどうなるんでしょうね。従来の法律に則ってきちんとルールを守っているのに、いわば罪もないのに「犯罪者」の扱いを受けた、これはは法律違反か? といえば、法律違反ですよね。
 でも、お役人様にしてみれば、大統領令も法律ですからこれを守らないというのも立場上できない。

 板挟みで苦しいところだろうな、とお気持ちをお察ししますが、ともあれ、矛盾した法律がある場合はどうなるんでしょうか。

 大統領令が「独裁的」だからけしからん、という気はありません。元から、「優れたリーダーがいるなら、独裁、大いにけっこう」というのが私の考えでございますので。
 ただし、「優れたリーダー」なら。という条件付き。

 独裁手法自体の問題ではなく、やはり、その大統領令は法律として守ることが妥当なのか、というところが問題になりますね。

 前政権からの引き継ぎも終わっていないのに実務者高官をばんばんクビにするわ、気に入らないメディアは買収するぞと脅すわ、嘘を「代替的事実」というわ、旧来の友好国に喧嘩を売って歩くわ、挙げ句の果てには犯罪者でもない人を犯罪者扱い。

 日本で民主党政権の時も「だから言わんこっちゃないんだ」とさんざん頭にきてましたが、今回のトランプ大統領はなまじ権限が強いばっかりに、さらに露骨でスピーディですね。
 アメリカ国民じゃなくてよかったわ…というのが私の、現在の偽らざる本音です。
 
 その時代を直接、知っているわけではありませんが、何となく——禁酒法時代、戦後のマッカーシズム俗称「アカ狩り」、そんな時代のことが彷彿としてきます。
 頭の中は1980年代で止まってるんじゃないの? と私も申しましたが、それどころじゃないかもしれない、アカ狩りは1950年代、禁酒法に至っては1930年代。

 自分と同じ意見ではないものを「不誠実」と呼び、自分の言うとおりにしないメディアはかたっぱしから「潰す」と脅迫する——もしメディアや人々が、これらによって従うようになれば、行き着くところは「魔女狩り」に似てくるだろうなあ、と予想されます。
 ちなみに、セイラムの魔女裁判は1692年です。………どこまでアメリカの歴史を遡るのかね。

 最近、アメリカでは古典的SFの名作、ジョージ・オーウェルの「1984年」が売れているそうですが……でも、今は曲がりなりにも2010年代も後半に入ったところ。それに、どこか一国だけで「閉じて」いることは、望もうと望むまいとすでに「不可能」な状況にもなっているわけですし。

 オーウェル自身も、あの絶望的な「1984」が永続することはない、いつか体制は破られるということは示唆している(と思われる)し。
 絶望する段階でもない——と思って見ております。

 それにしても——この21世紀に、こんなものを、ことにアメリカで、見ることになろうとは、予想もしていなかったので。
 いかな民主主義を信じていないニヒリストの私でも、この状況にはいささか、驚いております。

 ………驚きすぎちゃって冗談ひとつ言ってないよ今日;;
 ここまで最初から最後まで真顔のエントリって久しぶりに書いている気がする……。(;´д`)
 
 
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代替的事実

 オルタナティヴ alternative の意味と、その意味が変化してきた歴史についても解説しているので、一番わかりやすいと思われたのは、ウォール・ストリートジャーナルのこちらの記事。

トランプ政権の「事実」と「代替的事実」
新政権が生んだバズワードはSNSでも話題に

2017 年 1 月 27 日 12:59 JST By BEN ZIMMER for WJS

 その就任式にどれほどの人数が参加したか、という件について、報道では、オバマ大統領の就任式より少なかったと伝えまして。
 それに対して、トランプ大統領は「怒って」反論してきたわけですね。就任式後の記者会見で、スパイサー報道官が、史上最大の聴衆の数だったと「発表」。質問は受けなかった。
  
 その後、実際の写真を引っ張り出して見てみれば……、まあそりゃ写真ですからこのご時世、加工することは不可能じゃないですが、それはそれとして、確かに、目で見てわかるほどの空間が空いてました。
 少なくとも「史上最大」ではないのは見りゃわかること。

 なぜ、これほど頭のいい人たちが揃っているのに、すぐにバレるような嘘を言うのか不思議にも思いますが、トランプ陣営の中でもトップと言える「上級顧問」のコンウェイ氏は嘘だとは言わず、「代替的事実」だと言ったとのこと。
 
 代替的事実、原語では alternative facts。
 alternative の意味は、上記記事の中にあるのでご覧いただくことにして。

「事実の代わりの事実」ってなんですのん。——と思いますよね。
 つまりそれは事実ではない。代替的事実という言葉自体は、20世紀初期には、SF作家が多く使った言葉だそうで、案外、歴史はある言葉なんですね。
 SF作家がいう代替的事実とは、作家が描いている空想世界のこと。

 ……つまりは「フィクション(虚構)」であり(SFはScience Fiction)、虚構というのは、簡単に言えば「嘘」のことですね。

 嘘という言葉は使わなかったが、嘘だということは、コンウェイ氏も認めたことになるはずですが、そういう話にはなっておらず、あくまでも「代替的事実」だと言い張り、「自分たちが代替的事実を持ち出す羽目になったのは、メディアが事実を言ったからだ」と聞こえることを言っている、ってあたりが、うわ、すごいね(いろんな意味で)、と興味深く。

 IQ高い人たちが揃ってるのになあ……。なんでこんなことを言うのかな。私の友人がその昔、ある人の頭のキレ具合に感心するのを通り越し、なかば呆れたように
「〇〇さんてバカみたいに頭いいよね!」
 と言ったことを思い出す(笑) バカみたいに頭いいってアンタね(笑)

 でも、そんな感じはするなあ。——個人的にはこのスパイサー報道官には今後も注目したいと思います。他の報道官もいるんでしょうが、まずはね。
 クリントン大統領のときの広報(担当大統領補佐官)を務めていた、ステファノプロスさんみたいになるかな? という、そんな興味なので、ちょっとヨコシマですすみません。(^^ゞ

 ただ、この代替的事実は、私どもも日常でやってることだよなあ、と思ったら、なんとなくしんみりしてしまいまして。

 事実というのは難しい。芥川龍之介の「藪の中」(映画じゃなくて原作の方)はそのへん的確だなあと思うんですが、同じものを同時に見ていたはずなのに、「解釈」によってぜんぜん違ってしまう。一体どれが「事実」だと思えばいいのか、という。

 事実というのは揺らぐもの。だから、私どもは無意識に「自分にとって都合のいい事実」を選ぶ。
 それは本人にしたら事実だけど、他人から見れば嘘にも等しい。

 そういうことは日常、あります。

 誰が見ても、まあ間違いないねと言えるものって、ものすごく小さい、狭い、ほんの少しのことしかない。
 自分にとって都合が悪いことでも、認めていけるかどうか。

 自分にとって都合が悪いことでも、そのまま、それが事実であり現実ならばと受け入れないと、その現実に即した、「適切な」対応はできないし、適切な対応がなければ、問題解決も、自分の成長もない。

 演技性人格障害というものがありますが、多くの人にも、この演技性人格障害みたいな、「自分にとって都合のいい事実=ウソ」を、認められないあまりに、それを事実だと信じ込む、という、そういうことってやらかしてしまう。

 そういう自分を、他人の目で客観視する——今、自分は、どんなことをどんな風に「信じ込んで」いるのかを検証することって、やはり必要なことだと思いますね。
 メタ認知、というそうですが、これが、知性といわれるものの存在価値なんでしょう。

 その知性の働きが十分ではないと思われる人を見て、「動物的(悪い意味で)」と感じるわけだな——と思いつつ、この記事を拝読。

 人のことを言ってる場合じゃない、自分がどんな「代替的事実」を持ち込んでいるのか、考えた方がいいなとも、思っております。

 ……とはいえ、嘘を嘘ともいわず、代替的事実を事実だと言い張るのは、どのみち感心しませんね。

 こういうことってIQとも学歴とも関係しないらしい。
 頭がいいことと、知性的であることが一致しないというのも人間の面白いところかな。
  
 
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愚者は十年一日のごとく

 寒いとなんとなく人も不活発になるものでしょうか。
 私もそうですが、風邪をひいたとかではないんですが、どうも体もだるいし気分も晴れない。自然、何やら不活発になるのですが、ツイッターやインスタのTLもまた、ひどく静かで動きがない、あるいは少ない。
 それなりに時間は経過しているのに、ほとんど動きがない、新しい投稿がない、という事態で、
「皆さんもなんとなく”冬バテ”状態なのだろうか……」
 と思っているところです。

 自分の息抜きでやっているこのブログですが、そういうわけで明日はまたちょっと休むか、あるいは時間が遅れるかするかもしれません。

 明日はですね、またボランティアで餅つき大会がありまして♡ 多少の気だるさも体調のアレなのも蹴散らして行ってきたいと思います♡ つきたてのお餅の誘惑は本当に強烈♡ なんせ数年間も外へ出なかったお年寄りが、「つきたての餅」で外出してくださいますからね。

 ………で、そのためにこっちの、息抜きブログがちょっと犠牲になるかもね〜という……。(^^ゞ

 体が3つ4つあればいいのにな、と思うこと、ありませんか? いくつか顔を出したい先があって重複しても対応できるし、うち一つは完全休養でぐーぐー寝てることも可能、とかね。やりたい。
 ……先日も、私の知人の上司になる人が、年が明けてから随分忙しくしていたそうですが、ここで脳出血で倒れたとかで。
 休養も仕事のうちです。
 ちゃんと休むことに、どうか、罪悪感などお持ちになりませんように。

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・「発見の話」
今日の亮君 2007/09/05 エントリ
http://www.55mth.com/ryotoday/index.php?n=20070905

 十年一日(じゅうねん・いちじつ)という言葉がありまして。
 何年経とうと全く同じで進歩がない、という意味なんですが、実際そういうのって、ありますね。

 若い人の「大人になんかなりたくない」という愚痴、オトナどもの「イマドキの若い者は」という愚痴もそう。
 なぜか、人が変わっても世代が変わっても、まっっっったく同じ光景が繰り広げられることってありますねえ。

 上記ブログでも話題になっている、この種の馬鹿というのはどこでもいつでも一定数いる。決して消えて無くなることはないうえ、人が変わり世代が変わっても同じ光景はくりかえされる種類のものなので、その都度、対応するしかないんでしょう。
 どうしても言ってやらないといけないことはあって、言う方にしたら本当に嫌な「仕事」だと思います。でもそれは、その馬鹿のためではなく、馬鹿のせいで迷惑している人々を助けるためなので、堪えてやってください。
 ——と思わず手を合わせてしまいますよ;;

 こんなときにも、
「自分で自分の馬鹿がわかれば馬鹿ではない」
 という教えが思い出されます。——至言ですよねこれって。

 でもその至言を与えてくれた恩人が誰だったかを思い出せないとは、若気の至りとはいえ(荒んでましたからねえ…)、私も相当な馬鹿でした。(^^;)
 馬鹿は馬鹿なりに、少しでも自分の馬鹿に気づいていければいい——と思うしか、ありませんねえ…。
 
 
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タバコをやめた人

 こちら↓のツイート、添付されている画像の猫の表情が好き♡



 ちゃんとは話を聞いてないんですが、飲食店での禁煙を、努力項目から義務化させましょうかという話題があったそうで。国会へ提出されるような段階の話ではなかったようですが。

 嫌煙家としては大歓迎だけど、愛煙家の方には気の毒だよねえ、などと喋っていたときに、
「元からタバコを吸わない人よりも、自分はもともとスモーカーで、その後禁煙した、という人の方が、タバコにはうるさい。なぜだろう」
 という話題になりまして。

 ちゃんとした統計があるわけじゃないですから、事実かどうかはもちろんわかりませんが、私も、その場にいた数人も、しばらく記憶を手繰ったのち、
「…………そーいやそうだね」
 と頷いたんでした。

 私の周囲では、そもそも禁煙に成功した人自体が少ないので、サンプリング数としては心もとないんですがそれでも3人いる。
 で、言われてみるとその3人ともが、私などよりははるかに態度が厳しいんですよね、喫煙者には。

 マナーのこともそうだし、たとえ自分の目の前で吸っていなくても匂いが本人の服にはついていたりしますが、そういうものへの苦情がちょっとすごい。
 何もそこまで言わんでも…ということも、ちょいちょい言います。

 自分だって吸っていたのに、とはよく指摘されるらしいんですが、顔をしかめて、「自分でも信じらんない、あんなクサイのに」とかいうので、うへえと思いますね。(^^;)

 カナダから日本へ戻ってきた何某さんには、あちらはマリファナが合法なのかな、タバコどころかそういうのを使う人を身近に見てきたそうですが。
「ホンモノの麻薬にハマるくらいなら、タバコ吸っててくれた方がいい」
 とのことでした。……うーん。そうか。

 人間てのは抑圧されたり禁止されたりするとかえって、内圧を高めてさらに悪い方向へ行っちゃうこともあるし、………禁煙成功者の方が、非喫煙者よりも、喫煙者には態度が厳しいというのも、同じ原理から始まっている気がする。

 タバコは、その害を感じない人には無害に近いくらいでしょうが、「感受性」は個人差のあることで、害になる人には超絶有害なもの。
 故にある程度のルールは必要だし分煙化も必要だと思いますが、禁止もやりすぎると危ないよね……ということで、しばらく話題がぐるぐるしてました(結論がでない)。

 私も、マリファナとか大麻とかに行かれるくらいならタバコ吸っててくださいなと思いますが……。
 さてさて。

 共存共栄、何かいい解決策が見つかるといいな、と思います。

 今回の井戸端会議での発見は、「自分もかつてはタバコを吸っていて現在は禁煙に成功している人の方が、元からタバコを吸わない人よりも、喫煙者に対し態度が厳しい」ことでした。
 自分でもそういうのを見ていたけど、他の人からも同じ話を聞くとは思っていなくて、「あ、じゃあこれは結構あることなのかな?」というのが、ちょっとした「発見」になりました。

 ちょっとまじめな統計、とってみたいですね。
 かつての経験者の方が、「部外者」より厳しいというの——「事実」と言えるだけの確証が出てきたら面白いな、と。

 ……ただ面白がってるだけであり、だからなんだということはございません。(^^ゞ ←無責任
 
 
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有名税・再考

 出る杭は打たれるが、出すぎた杭は打たれない。
 ——なんてことを書いたのは割と最近のような気がするんですが、例によって、それがいつだったかは思い出せない私の脳ミソ。(^^;)

 思うことはいくつもあって、しかも多方面にわたっているので思ったことをそのまま書くと意味不明の大混乱になることは必至。
 私自身がいちばん引っかかって、いちばん指摘しておきたいことは何か、と考えてみたんですが。

「有名税という言い訳をする奴は■■(自主規制)だ」
 これに尽きる。

 私のゴシップ嫌いも相当なものですが、それと同じところを出どころとして、例えば、街でいわゆる有名人に遭遇したからといって突撃していく趣味はない。
 人さまのプライバシーも何も蹴散らして恥じない人が私には不思議でならない。
 そういう人にその点を指摘すると、だいたい出てくる言い草なんですよね、「有名人なんだからそれくらい当たり前」「それが嫌ならやめればいい」「有名税だ」。

 つまり自分は悪くない、自分がしていることは「悪いこと」ではないのだと。
 これは、泥棒が、そこに現金を置いておく方が悪い、などというのと同じことです。
 措きやがれてんですよ、まったくのところ。

 中学の時の修学旅行中、有名な歌手の方と新幹線のホームでニアミスしたらしいんですが、そちらへわーっと走っていった同級生どもに「みっともないことをするな」と苦情を言ったことがあります。
 私もまだ言葉が剥き出しになっているお年頃で、かなりきつい言い方をしました。
 それに対する言い訳(反論とは認めない)の中にその有名税があり、
「じゃあ、あれが小田(和正)さんだったら、アンタどうすんのよ」
 などと言われました。
 アホかい、と思いながら返答したのは、
「どうもしないよ。——どうしたらいいっての?」
 逆質問したら絶句されましたな。

 私は小田さんのファンですから、そりゃいろいろと存じ上げている。けれども街で遭遇したときの小田さんと私の「関係」は何かと言えば、「無関係の関係」なんですよね。
 コンサート会場でなら、ファンであり、聴衆の一人、という関係だけど、街ですれ違う時には、知り合いではないし顔見知りですらない。
 街を歩けば多くの見知らぬ人とすれ違いますが、そういう関係。
 なんと言おうと、それが「現実」。
 現実の関係性を無視してしまう態度が、私には理解できない。
 
 ドラマ「おしん」が大ヒットしたときに、おしんちゃんに、と言ってNHKさんに米を送ったとか、そういう話も理解不能ですね。現実と虚構の区別がない。
 ときどきテレビで見る光景ですが、カメラと一緒に街を歩いているタレントさんなどに、通りかかった人が「あらお久しぶり」なんていう。え、お知り合い? とびっくりしていると「いつもテレビで見てるから」という。
 そりゃもちろん見てはいるでしょうが、「関係」で言ったらこのうえないほどの赤の他人でしょうが。何言ってんの?
 ——と、見ている方がげっそりするんですが——あれ、じっさい、なんなんですかね。

 なぜ。と不思議に思うのは、ファンだとか好きだからとかいうけど、その行動には相手に対する敬意も思いやりもないことなんですよね。
 ファンだったら見知らぬ他人相手でも、何をしてもいいとでも思ってるんだろうか。
 
 という疑問をぶつけるとだいたい出てくるわけですよ、「有名税」という言い訳が。
 盗人猛猛しいとはまさにこのことだな、と、最近では私は返事もしなくなってます。(^^;)

 人間は、腹の中では、あ、しまった、と気づいてはいても、それをあえて無視してくだらない自己弁護に走るものとは承知していますが。
 やっぱりわからない。
 赤の他人という以上に他人だという「現実」を無視すること、「好き」が理由なら他人をどれほど傷つけてもいいと信じていること(自分がやられれば怒るくせに)、世界は自分のためにある「べき」だという思い込みがあること、それを裏切られると逆恨みすることくらい屁とも思ってないこと。

 これらの行動は、「自分を客観視する視点の欠如」から始まっている。
 認識というより、「認知能力」がない。
 
 もう、こういう人たちについては、それ相応の対応をするべきだと思いますね。

 インターネット上でも、最近、「きちんとしたクレームと、ただのバカは区別して対応しよう」というご意見が出てくるようになりました。
 お客様は神様です、はいいけど、意味不明の言いがかりで他人に土下座を要求するやつはそもそも客ではない、ということを、はっきりいう向きも見られるようになりました。

 いいことだと思います。

 結局、バカに付き合っていると、本来の業務に差し障りが出たり、きちんとした「お客様」への対応までおろそかになったりする。
 有り体に言えば「迷惑」なので。
 そういうものにはかかずらうべきではない。時間とコストの無駄でもあるし。

 こういう話になるとムキになって怒り出し、じゃあもうファンをやめる、という人もいますが、これはむしろありがたいことだと受け止めたい。
 こういう人は、残念だけれどもとからファンではなかったのだと思いますね。——本来、人は、自分が好きなもの、好きな人には、気を使うし心を砕くし、敬意を払うもんですよ。
 そういうものがない「好き」は、本当は好きなんかじゃなく、何か別のものを「好き」だと思い込んだだけのこと。

 そういう区別ができるのはむしろありがたいこと。
 ミソもクソも一緒にされたのでは逆に味噌に迷惑ですから、味噌のためにも、ミソとクソとはきっちり区別して対応する、というのは「正しい」ことだと思います。

 有名税だなんてくだらない言い訳、ゴシップといっしょに絶滅してくれないものかしらん。だいたいセットになってるみたいだし。

 ——と人さまのことばかり言うのは不公平なので、自分はどうなのかと言うと。

 自分では実は、そのうち、誰かに「なぜそうもゴシップを嫌うのか?」と突っ込まれそうだな、とひそかに恐れているのです。(^^;)
 これはこれで、ロクデモナイ理由があるのを自覚している。言いたくないし認めたくもない。
 
 ですが、ゴシップが好きな人、有名税という言い訳に抵抗がない人には到底、考えつかないようなことなので、まず、そんなツッコミが飛んでくることはないだろうとも踏んでいる——というのが私の卑怯なところです(笑)
 
 
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Honey Moon

菅長官が反論「アメリカ車、関税はゼロ」
2017年1月25日 02:02 日テレ NEWS 24
http://www.news24.jp/articles/2017/01/25/04352373.html

 アメリカのトランプ新大統領閣下ですが、やっぱりその脳みその中身は1980年代末〜90年代で止まってんじゃないのかなあ…と少々不安になりました。

 日本の自動車輸出を非難するのを聞いて「はあ?!」と言った人は多いはず。
 あの貿易摩擦でえっらいことになっていた時代に散々聞いてきたことで、私としては(過去への)タイムスリップ感が凄まじい。カレンダーを見て今が西暦何年か確かめたくなる。
 これについてはウォール・ストリートジャーナルが「状況は全く違う」と指摘しているし、現在は、輸入関税をかけているのはアメリカさんの方なんであって、日本はアメリカからの輸入車には関税かけてません。
 そんなこともご存知ない?
 大丈夫なのかな本当に……。

 こう言っては失礼ではありますが、でも、ご年齢からしても認知症傾向があっても不思議ではありませんよね。認知症も厳密には診断が難しいものもありますし、俗に「まだらボケ」と言われる、「時々」その症状が出る、ということもあります。

 私としてはお話を聞いていると、自分が20歳も若返ったような気分になるときがあるので、そういう意味ではありがたい気さえしますが(笑)、でもなあ。

 就任式に参列した人々の人数が多いの少ないのでも、くっだらない、子供の喧嘩みたいなことを、報道官が真顔で言っているし。
 全方位外交という言葉がありますが、全方位的に喧嘩を売って歩く姿を見て「大丈夫なのかこの人……」という気持ちが募ります。

 トランプさんに期待しようという人は日本国内にもいますが、まあ、今の段階では悪し様に罵る必要もありませんが、「期待」っていうのもどうなのかと。
 
 日本ではマスコミの言うことに人々が唯々諾々(いい・だくだく)として従うが、これに対して、アメリカは、マスコミはトランプさんを総攻撃したのに市民は「マスコミの言うことに疑いを持ち」「騙されなかった」「素晴らしいことだ」——というご意見があって、これについても考えてきました。
 これもちょっとばかり、楽観にすぎる見方かと。

 と言うのは、アメリカではマスメディアはよく、どの候補者を支持するか、あるいは政策を支持するかしないか、と言うことを鮮明に打ち出しますね。日本のメディアは「中立公正」であるべき、と言う意識が強くて、どの政党を支持するとか候補者を支援するとかは、言いません。

 バイアスのない情報などないので、メディアは「中立公正」だという前提あるいは建前はやめちゃって、うちはどこそこ党を支持しますとか、〇〇候補を支持します、と打ち出す方がいいんじゃないかと思います。
 アメリカさんの場合は比較的、そういうことが行われてきたので、人々もまた、このメディアはどういう「立場」を取るのか、ということを考慮する、そういう下地はあったわけですね。

 中立公正という「理念」は正しいにしろ、実際には「立場の表明」があり、それを不公正とは思わないで、自分の立場と照らし合わせるということは、ある程度はできているのでは。

 メディアに「騙され」にくい、というのなら、それは各々の立場をはっきりさせるという「文化」があることは、無視できないことでしょうね。

 その点、日本は未だに、マスメディアは「権威」ですからねえ。良くも悪くも。

 で、そういうマスメディアに騙されなかった結果がトランプ大統領であり、マスメディアに騙されなかったのでトランプ大統領は「正しい」——というロジックには、私は賛成しない。

 マスメディアの存在があろうがなかろうが、ポピュリズムはポピュリズムです。理性的な判断というものを、人間が容易に実現するとは私には思えない。
「空気」とやらに流されるのは何も日本人ばかりじゃない。これは人間の特質であり、「業」だと言いたいくらいですよ私は。

 いまだご健在で驚いたけれど、キッシンジャー氏の、安倍さん評は「国益というものをよく理解している。故に信頼できる」というものでした。
 これは、安倍さんを支持するという意味ではなく、「まともに交渉できる」相手だ、という評価だと私は理解しました。
 リアルポリティクス、ってやつですね。

 価値観や行動原理が異なる相手とは、駆け引きさえできないものです。キューバ危機を見ればわかる通りで。
 そういう意味で、キッシンジャー氏は安倍総理を評価した、と私は見ております。

 トランプ大統領は、どうでしょうか。

 聞いている一般庶民がこめかみがキリキリしてくるほど「懐かしい」昔話を、現在のことのようにいうのを聞いて、なんの不安も覚えないという人の方が、よほど無理をしてるんじゃないのか。
 そんなふうに思いつつ、ニュースを聞いております。今のところは。

 なんでしたっけ、就任して100日間くらいは大目にみるっていう慣習があるんでしたよね。
 現在はその期間中ですから、そんなつもりで、拝見しております。
 
 
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みんな違って当たり前

 夏バテというものがありますが、私の場合は冬バテします。
 ということで昨日からちょっとダウン気味で(と言いながら出かけてさらに悪化…)、今日もこちらお休みします、とだけ書いて逃亡する気でしたが。
 またなにやら泣けてしまったのでちょっとだけ。

 ゴシップの絶滅を本気で願うくらいの人間なので、申し訳ないんですがほんっとに! 芸能人と言われる方々のことは、人に驚かれるくらい知らない;;
 たまにはテレビくらい見たらと言われたこともありますが、テレビは見てますよ結構。でも、いわゆるバラエティ番組と言われるものは「絶対」と言いたいくらい見ないから、そのせいでしょうかね…本当に知らないのは;;

 あんまり知らん知らんというのも失礼なので、ちょっと考え直した方がいいのかなと弱気になっているところなんですが。
(だからって週刊誌読んだりバラエティ番組見たりって、それは私には立派な拷問なんですよね……悩む;;)

 そんな中で昨日は、インスタグラムで、性同一性障害の診断書というものを拝見することがありまして。
 何分にも例によってあまりちゃんとした事情、これまでの経緯を存じ上げずにいるので、あんまりテキトーにも喋れない。
 それでも、ご本人のコメントを拝読するうちに泣けてしまい、念のため確認と思ったらまた新たな投稿があってそれを見てもまた泣けてしまい。

 なんの重荷もなくこの世に生きている人間など、そうそういるもんじゃないと思いますが、それぞれの重荷を思いあっていければいいのになあ、としみじみ。

 これまでも性同一性障害について自ら語った方がいらっしゃいまして、どの人も望んだことは、自分が公表することで——当事者が語ることで、広く社会からの理解を得られるように、同じ立場の人たちが少しでも生きやすくなるようにという、絞り出すような祈りがありました。
 
 差別や偏見と言われるものは世の中には星の数ほどあり、それらひとつひとつ、個別に「理解」されるというのは、正直なところ、現実的ではないと私は思います。

 結局、差別や偏見が「なにを言っているか」は同じで、「みんなとは違う」「自分とは違う」ことが、全ての理由。
 だから、心ない言葉を投げつけられた方が、自分のここが悪いのか自分のそれを正せばいいのか、と必死に考えることも、考えた末に、「確かにこれは『違う』ことだけど、その違いを理解して欲しい」と訴える必要もない。

 差別の理由は差別される側にあるのではなく、する側にある。
 だから差別される側が必死で「理解」など求める必要はないんですよ。
 理解が必要というなら、テメエが何を言っているのかさえ理解していない側が自分が何をしているのかを理解しなきゃいけないところ。——立場が逆ですよ、本当は。

 理由を見つけ、自分を正す必要があるのは、「自分とは違う」ものへの嫌悪や憎悪を持つ連ちゅ……、もとい、人々の方。
 違うということを憎む方が「オカシイ」んであって、他人との違いがある側ではない。

 なぜというに、他人との一切の違いがない人間なぞ、この世にただ一人もいないからです。
 そんな化け物みたいな人間がいるなら連れてきてみろっつーんですよ。

 よく引用される相田みつをさんの「みんな違って みんないい」というのがありますが、いつぞや、ツイッターの方で、「みんないい」というのはチガウだろう、というご意見をお見かけしました。
 曰く。
「みんな違って 当たり前」
 だろう、そうじゃないと意味ないわ、とのご意見。

 あー、ほんとだねえ、なるほどなーと感心した割には、ツイ主様がどなただったか思い出せない私の頭。(^^;)
 どなたのツイートだったかご存知の方、いらっしゃいましたら教えてください;;

 ともあれ、「みんな違って当たり前」の感覚にならないと、やはり、差別や偏見というところに落ち込む。
 
 だから、こういう件について、苦しむべき人がいるんだとしたら、それは、この診断書を手にする人ではなく、こういう診断を受けた人を傷つけようとしている人間の方なんですよね本来は。

「みんな違って当たり前」を当たり前にできていない、というのが、最大の原因であって、この人がこれほど傷つく必要はないはずなのにな、と思うとどうにも——。
 
 私は高校生になるまで、「〇〇さんて変わってるよね」というのが褒め言葉だと信じていたくらいのノーテンキな人間ですが、でも、本来はやはり、それは褒め言葉だと思うんですよね。

 それができていない方こそ、己の身を慚(は)じよ。そう思います。

 ………じつのところ、今朝の新聞を読んでも、新横綱の誕生について、ことさらにその国籍のことを取り上げていました。
 そういうことに疑問を持たない、というのは、あぶない。
 実際、そういうことを平気で言う人々が大勢いるわけで、……危ういな、と、なんだかひどく、いやーな気持ちになっております。お祝いどころじゃないなこれ。と。
 
 寒さで頭の中まで凍りそうになりながら、思ったのはそんなこと。
 
 
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過去の実績

 じつのところ、朝日新聞さんとご意見が一致すると、かなり不安を覚えるんですが。(^^;)

甘い横綱昇進、稀勢の里の負担に? かき消された慎重論
2017年1月23日00時32分 朝日新聞デジタル/竹園隆浩 氏
http://digital.asahi.com/articles/ASK1Q3K1KK1QUTQP00G.html?rm=323

 でもこれは相撲の話なので政治や経済の話とはまた別ですから。意見が一致することがあってもいいですよね。(自分に言い聞かせる……)

 稀勢の里関の横綱昇進は、私も不適当だと思います。少なくとも今回は。
 上記記事の中にもありますが、貴乃花が横綱になるときの事情一切を記憶しているファンからの、「相撲協会、横綱審議委員会はいいかげん」「情実(じょうじつ)」という誹(そし)りは免れないところでしょう。

 内規を厳密に取るなら、横綱昇進は優勝2回を以って諮(はか)られるもの。稀勢の里関は先場所は優勝しておらず、「優勝につぐ」成績とはいえ星の差は二つ、「準優勝」とは言い難い成績。
 今回の稀勢の里関は形こそ優勝ですが、不戦勝がひとつあり、横綱お二人が休場という事態の中のこと。

 ま、それでも優勝は優勝だと開き直ることは可能ですがね——コアな大相撲ファンは納得してない人が多いでしょう。それも記事にある通り。

 ファンは何も稀勢の里関にいちゃもんをつけたいんじゃない。それがかえって本人を潰すことになるのを心配してんの。過去にそういう例が(ゴロゴロ)あるから。

 横綱だけではなく、大関でも、
「ちょっとお。ここでの昇進は早いでしょうよ何いってんの!」
 と私が思わずぶーたれた大関は、やはり怪我が続いて成績は振るわないまま、短命で引退となった例もある。
「あんたは”ひとり横審”だね」と親には冷やかされますが、まあ、こちらも伊達に40何年、幼稚園児の頃から相撲を見てるわけじゃないんで。いやでもそれくらいの「目」は養われますよ。

 不思議なもので、「格」としか言いようがないものがあるんですよね。その格ができていないのに昇進すると「潰れてしまう」のです。これについては例外はない。今の所。
 格って何よと言われると説明に困りますが、よくいう、「オーラがある」って感じかな。

 その地位にふさわしい条件、あるいは「状態」がないまま、無理に「情実」で昇進させても、結果は悲惨なだけです。
 双羽黒などはその典型的な(わかりやすい)例と言えましょうね。

 他にも、昇進したと同時に引退というくらい短命だった人もあるし、怪我や病気のせいもあるにせよ、土俵がまともに務まらないまま、ひっそりお辞めにやった方も。

 そういうのを残念に思い、——無理に横綱にさせなければ「名大関」として、もっと長く土俵を務め、いい成績も残せたのに、というのを見てきていますからねえ。
 相撲協会——お相撲さんの脳みそってやっぱり「ごっつぁんです回路」なの? ●●なの? くらいのことは言いたくもなりますよ。
 横審については、……昔は本当に相撲が好きな有力者著名人がなったもんですが、現在はもう、とっくにそんなんじゃなくなってますから、横審に見識があるとは思ってません。

 今回、稀勢の里関の昇進が異様に急がれたのは、「日本人横綱」を「作りたい」という思惑があるようです。
 私はこれも気に入らない。
 力士として、この異常なまでの文化の違いに適応して立派に土俵を務めるのなら、日本人も外国人もないわタワケ! …と思うので、ここんとこ、NHKがどうたらじゃなくて、あの会場全体の、お客さん含めての、雰囲気が気持ち悪くてねえ。まともにテレビ中継見てません;;

 昨日だって中継の刈屋アナが稀勢の里関の優勝をずいぶんお涙頂戴的に盛り上げようとしていましたが(ひねくれている私の耳にはそう聞こえた)、ばからしい、の一言でした。

 優勝は優勝ですけどね、褒められた内容じゃないってこと、わかってるでしょうよ。いったい誰のどういう思惑でこんな茶番に付き合わされてんの私ら?

 と、私としてはうんざりしてます。

 サッカーと同じで、その競技自体は好きだけど、周辺の腐敗臭に耐えがたいものがある、ってところですね。(^^;)

 私としても残念です、本来なら稀勢の里関の優勝を素直に祝福したい。でも、あまりにも周辺のあれこれが腐っているので、なかなか、素直に祝福ってわけにはいかない。
 ご本人にはかえって気の毒だ——というのも、こんなあたりからですね。

 当たり前ですが横綱ってのは、なって終わりじゃなくて、なってからの方が問題なんでして。無理矢理でも昇進させりゃいいってもんじゃない。もちろんお分かりでしょうけどこんなこと。
 お分かりのはずなのに、なぜ、「また」こんな馬鹿なことをしてんだよ——と、そういう思いでいるファンも、やっぱりある程度はいるんだろうな、と思った記事でした。

 私は、おめでとうとは言えない。言わない。
 それを、あれは私の不見識でしたごめんなさいと言わせるような横綱になっていただけば、ファンとしては嬉しい事です。
 
 
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45代め

 明日はこちら、所用がございますので、お休みします。m(_ _)m

 ………この極寒気象の中をしかも早朝から……ああ、行きたくない;;(本音すぎる)

       ●

 昨夜は第45代アメリカ大統領の就任式(現地時間1月20日正午を持って交代となるんだそうで)でした。
 日本時間では真夜中でしたが金曜日の夜ということで、割と見ている人も多かったみたいですね。
 私が聞いた限りではNHK総合、ニコ生、YouTube、AbemaTV、ツイッターでもライブ配信していたもよう。私はニコ生で拝見しておりまし————、あ、拝見はしてません、就任式直前くらいで寝てしまったんでした;;

 式典が始まる前って長いですよね。そこに集まっている人々の服装や装備を見て、寒い上に、雪か雨も少し降ったんでしょうか? 寒いのに大変だなあ、と。

 通常なら新大統領が誕生となれば、しばらくの間は人々も様子見、株式市場などもちょっとくらいはご祝儀相場の様相を見せるというのに、アンケートに支持すると答えた人は4割、過去最低の事前人気とのこと。

 まあ、人気があろうがなかろうが、為政者はきちんと仕事をしてくれればそれでいい。権力者というのは人に「好かれる」必要はない。日本でも、一生懸命、安倍さんのどこが「いや」かを熱心に説いている人がいますが、好きか嫌いかはどーでもいい。すべきことをしているのかどうか、それだけですよ。

 トランプさんについては、無理もないと思うけれど嫌悪する人のご意見と、それに抗する、いわば「トランプさん擁護」のご意見とがあるわけですが、私としてはどちらも「ふーん」という感じで聞いてます。

 都知事選挙に立候補なさった、高橋しょうごさんは、トランプ支持というよりは、「アンチマスコミ」あるいは、「マスコミによる印象操作に反対」というところからのご発言。

 日本の民主党政権誕生は見事にマスコミの誘導に「してやられた」けれど、トランプさんはマスコミからは総叩き状態、それでも勝った、というところが決定的に違うので、トランプさんの方が支持できる、という論理になるようです。
 


 マスコミによる印象操作や「世論誘導」の悪辣さについては私も同意ですが、日本の民主党政権誕生とは違ってトランプさんは「まとも」だというのには賛成できない。

 キーワードはポピュリズム。一見、ポジとネガほどに「画」は違って見えるけれど、写し出された画像は、ポピュリズムというあやうい絵なんじゃないですかね。私にはそう思える。
 
 そもそも私は民主主義ってあんまり信じてないしなあ。(^^;) 人間そのものにも不信感がありますが、ましてそれが集団になったときの危険性については、不信感どころじゃないものを感じてますから。
 集団になると暴走して気が大きくなって、とんでもない犯罪行為でも正義を名乗ってやりたい放題。後から熱が冷めればさすがにまずかったとは思うけど、そうなると今度は反省などするどころか、誰が悪い彼が悪い、自分は悪くないといって逃げ出していく。

 そういう醜態は歴史を見れば枚挙に遑(いとま)がないなんてもんじゃないほど多くある。

 行き過ぎたグローバリズムや行き過ぎた理想主義、拝金主義への反動が起こるのは当然のことで、ある意味、「正常」とも言えるけれど。
 だからって、それが即座にトランプ氏を支持する理由にはならない。当たり前だけど。

 どうも話を聞いていると、トランプさんにとっての「世界」は1980年代くらいで止まってんじゃないのかという気配を感じて、私個人としては、今のところは様子見、としか言いようがない感じです。

 アンチトランプさんのご意見も同様で、気持ち、感情、というところではわかるけど、嫌いだという感情のあまりに政治とは無関係のことで個人を誹謗中傷というのは感心しません。
 
 私は、トランプさんが共和党候補として出てきたときは「まあこういうおっさん、結構いるんだろうな」と思い、「でもまあ、いろんな候補がいるし、色物としては面白いよ」くらいに思ってました。
 まーさーか、その色物が、マジでここまで来るとは思ってなかったし、共和党候補になったとき、「アメリカさんも相当だわ」と思いました。

 うちの母もトランプさんの顔を見るのも嫌だそうですが、
「問題なのはトランプさん『個人』ではない。こういう人物を支持した人々の方だ」
 と言っておきました。
 私は民主主義は大して評価してないし、まして多数決の原理なんて、爪の先ほども支持しない。でも、現行法では仕方がない、と思ってます。

 なぜトランプさんがそうも支持されたのかは考えなくてはいけませんが、それを考えれば、あんまり感情的にトランプさん『個人』を叩いても意味がないことも、見えてくると思います。

 高橋しょうごさんはアメリカ市民を信じてる、とおっしゃった。
 私は、アメリカ市民がどうこうではなく、「人間そのもの」の性質を鑑み、「大丈夫なのか」と心配している。そういったところですね。

 トランプ支持者も諸手を挙げて彼を支持してるわけではないという、言い訳めいたお話もチラチラ聞こえてきますが、——まあ、そのへんは、この賭け、賽の目がいい方へ転がってくれるのを祈るしかないですね、と思うばかり。

 私が深く恐れているのは、「集団化した人間」の暴虐性。
 故に、トランプさん支持派・擁護派、反対派それぞれのご意見を、どちらに対しても「ふーん」と思うだけ。

 極度のグローバリズム、移民政策、拝金主義には、私は反対してきました。それらを妙なオブラートに包んでおキレイなことを言う、理想主義にも。

 ですからここでそういったものへの反動が見られるようになった、そのこと自体には驚きはありませんが。
 ……どっちに転んでも、どちらにも、支持するべき理由はないですね。

 ただ、世の中は思いもかけないことが起こるもの。
 終わり良ければすべて良し、とにかく、いい方向へ転がってくれればいい——人間の作為はたかが知れてる——そう願うばかりです。
 
 
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正当な対価

 タダほど高いものはない、というのが、うちの親の教えでした。

 タダ、というけど、それは何もタダではないんですよね実際には。
 例えば、——タダで何かを入手できたりサービスを利用できたりしているようでも、実際は自分や他人の個人情報を「売っている」、というのがよくある手口で。
 で、個人情報を売っているんだとしたら、その売値はとんでもなく安い、バカみたいな値段で「買い叩かれて」いる。
 それなのに「得をした」といってホクホクしている。

 対価をきちんと払う、その重要性がわかっていない人というのはいるようです。
 そういう人はいつの時代でも一定数いたでしょうが、ことにバブル崩壊後の日本では、その一定数が少し大きくなったのかもしれない。

 何かっつーと無料、無料といって無料のものを探す。
 本来支払うべき対価を、安く抑えようというくらいならまだしも、とにかく「タダ」である「べき」だというのは、なかなか「怖い」感覚だな、と思います。
 ………そりゃ二度見もしますわね。と思ったツイート。↓


 正気とは思えない;;
 で、こちら。

キンコン西野、絵本「無料公開」で騒然 「お金の奴隷解放宣言」に賛否
2017/1/19  J-CAST

「お金の奴隷解放宣言」ということをおっしゃったそうですが、さてねえ。
 私の目には、「なんでもタダでありつこうとする」方が、「お金の奴隷」に見えますよ。

 お金というのは人が使うためにあるもの。使うべきものをきちんと使えない、というのは、奴隷以下ではないですか。精神的に。

 絵本の無料公開のきっかけは、小学生だという人から「2000円は高い、自分では買えない」と言われたことだそうですが。
 その人自身やその人の家庭の経済事情はわかりませんが、「高い」と思うなら買わないだけのことでしょう。
 価格としては自分にとっては高いけれども「価値がある」と思うなら、お金を貯めてもいいし(今日明日で腐って消えるようなものじゃないんだから)、図書館で探してみる、持っている人があれば貸してもらう、という手段もある。

 自分には高い、だからタダでよこせ、ってねえ。これ。
 乞食か泥棒の言い草だってこと、わかってる?

 私はむしろ、こういう「お金に振り回される」人の方が「お金の奴隷」とやらになっている気がしますよ。
 たとえ現在、財力がなくてお金がないんだとしても、自分なりにやりくりして、つかうべきところでお金を「使える」のなら、その人はちゃんとお金に対しての自分の主体性を持っている。
 奴隷かそうじゃないかは結局、自分の心が決めることじゃないですか?

 その昔、私が教わったことですが、「人間には大雑把に行って4種類ある」と。

1。お金持ちの金持ち
2。お金持ちの貧乏人
3。貧乏人の金持ち
4。貧乏人の貧乏人

 お金持ちの金持ちとは、「実際の財力があって、なおかつ、精神的にも豊かな人」であり、「貧乏人の貧乏人」は「財産もないし精神的にも貧しい」人、ということ。
 最後の4番目にはなりなさんなよ、と教えてもらいました。

 お金というものをどう考えるかどう扱うかってところで、その人の人間性がわかるなあ、と思います。
 お金にだらしがない人も、そんな必要はないのにめったやたらに「けち」な人も、「精神の貧乏人」と言えますね。
 お金は使うためにあるものですが、それをきちんと使えない、自分の意思や考えに基づいてお金と付き合えない、というのはそういうこと。
 お金がないわけじゃないのに給食費を払わない人などは「金持ちの貧乏人」に分類していいでしょうね。

 2千円の本が高いと言った人に、そうですかつってタダで内容を公開することはむしろ、「お金の奴隷」根性を助長したことにしかならない。
 価格としてではなく、その本の「価値」を自分はどう評価するのか、ということの方が、大事なことじゃないですかね。

 価格を聞いてびっくりして、うわ高い、と思っても、でも、自分にとってはそれだけの値打ちはあると思えば、ちまちま貯金してでも買う。
 そこには「価値」への敬意というものがある。

 でも、物欲しげな顔をしていれば誰かが「いいよタダで持っていきなよ」と渡してくれると期待してる、それを当たり前だと思う——、そういう人が本当に本心から、渡された本を、ありがたい、と思うでしょうか?
 
 作者への敬意があれば、無料でもらうなんてとんでもない、となりますよ。
 ものの価値というのは面白いものです。なぜ、それが100円であっちが一千万円もするのさ、と思うものは世の中にゴロゴロあるけど、その意味を考えているだけでも、「価値」を知る勉強になる。

 そうしていろんな価値が世の中にはあるけれど、自分にとって何が価値なのか、何が正当な「価格」なのか、——それを決めるのは自分自身だということにも、必ず、気付くはずです。
 ものの価値を知るということは、自分自身を知ることと関係している。

 そもそも、このお金の奴隷とかっていう大げさな言葉も、私は個人的には気に入らない。
 ナントカ弱者とか、そういう言い方、好きな人っていますね。で、自分はそういう「弱い」人の味方です私は正義の味方です、って顔をする。

 でも、私だったらこんなラベル貼られたら怒りますよ。
 痩せても枯れても、って言い方があるけど、立場的に不利だったり、諸事情あって人様の手助けを必要とする身だったりしても、弱者だの奴隷だの被害者だの、挙げ句の果てには「かわいそう」だなんて言われる覚えはないですね。

 痩せても枯れても落ちぶれてもお金がなくても、路傍に捨てられた死にかけの身になっても、そんなくだらないラベルを貼ってくるやつを、私は「正義の味方」だなんて思わない。
 自分はいい人だと思いたいがために、誰かを自分の「下位」において、自分を「上位」に見せる、そう思い込む、その根性のくだらなさに自分で気づかないのか?
  
 ………とまあ、言葉は厳しくなりましたが、そんな感じで見ております。

 お金は不浄なものじゃないし、人間の「主人」でもない。
 お金は大事なものだし、大切に扱うべきものだし、そこには敬意と愛が必要。
 くだらない極論で、自分や他人を惑わすな。

 それが私の結論てことで。

 なんにしろ、——それでなくても人間なんぞは精神的なビンボーにハマりやすいんだから、何でもかんでもタダタダいうの、やめたほうがいい。
 そう思います。
 
 
 
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オタクネタはこっそりと

使用禁止「保護なめんな」ジャンパー  ネットでは「何が悪いのか」激励相次ぐ
2017年1月18日 18時33分 J-CASTニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/12558411/

 よくあることですが、いろんな話がごっちゃにされたまま、それぞれの人がてんでにわあわあ言っている、という印象。
 なので、可能な限りひとつひとつにほぐしてみますと。

【生活保護費の不正受給は違法】
 ま、当たり前っちゃ当たり前ですね。

【不正受給を正すのは市職員の正当な職務】
 これも当たり前。

【不正を正す職員を不正受給者が脅すのは犯罪】
【不正受給は認められるものではない】
【脅迫に屈して不正受給を見逃すことがあれば、見逃した職員もまた犯罪者となる】


 ここまではよろしいかと思いますが、その問題となったジャンパー。

【不正受給を許さない、というのは当然】
【本来はこれは人に見せるために作られたわけではない】
【人目につかないところで着用するのは自由】


 ファーストガンダムにあったセリフからの引用ってことで、私としてはその文言を聞いたときにはミョーな笑いがこみ上げてくるのを禁じ得ませんでした(笑)

 ということで

【職務に忠実であろうとすることは正しい。市民として支持する】
【ジャンパーを着ての外出は、不適当】
【不適当ではあるが法的に処罰されるようなことではない】


 というあたりにまとめられるかと思います。

 まあ今後はそういうジャンパーを着て外は歩かないようにしてください。
 って、それだけですね。

 ただ、この記事に限った話としてお聞き願いたいのですが、この記事で読む限りでは、
「やはり後ろ暗いところがある人間は敏感になるのかね」
 というのが、私の感想です。

 職員さんがなんだかお揃いのジャンパーを着ている、というとき、その文字が何か、何を意味しているかなんてことは私はほとんど気にしませんし、仮に分かったとしても、「あえて言おう、カスであると(by ギレン)」であれば、何やってんすか、と、鼻の奥でぐずぐず広がる変な笑いを堪えるだけですわね。(^^;)
 ガンオタ(ガンダムオタク)ではないけれど、まあ、それに多少なりとも近いところにいる人間としては。

 その程度のことであるにもかかわらず、この文言をあたかも「脅迫」のように感じたのだとしたら、そんな風に感じる方に、何か脅されるべき心当たりでもあるんですか、ということになりますよ。
 
 心当たりがあるかないかはともかく、少なくとも——、これに反応した人はずいぶん敏感だね、とは言えるんじゃないでしょうか?

 不正受給を正すことと、このジャンパーが外部に着ていくには不適切であったということは全く別次元の問題。
 なのに、なんだかミョーなコメントとかリプとかをお見かけしてしまいまして。
 不正受給者を取り締まる職員を「悪者」みたいにいう人がね、ちょこちょこいるようです。
 あの話題とその話題をごっちゃにしたままものを言ってるなという印象。

 なので、ちょっとここでは、ごちゃっとした話題を「分離」してみました。

 分離したのに、なおゴタゴタ言うと、「不正受給を正してもらっては困る」と言う発言に受け止められかねないので、その辺りにはご注意を。

 不正受給は犯罪ですから、きちんと取り締まり、正してもらうことは必要ですし、そのいっぽうで本当に支援が必要な人に、正しく給付がおこなわれるようにとも、念を押したい。
 不正を正すことと、適正に行われることは表裏の関係ですから、そのことも大事にしたい。

 で。
 私もオタクの端くれの端くれなので、このジャンパーそのものにつきましては——、こういう笑えない事態を、アニメのセリフでちょっとだけ茶化して気分を「軽い」ものにしようと言う、いわばユーモアの感覚は嫌いではありません。(^^;)

 でも、こういう「内輪ネタ」って、外にバレると恥ずかしいんだよね〜;; と、あらためて実感してもおります;;

 とか言いつつ、不正受給を正しに行った、職務に忠実な職員さんに切りつけたという犯罪者がもしあるなら、「職員さんをいじめる、悪い人!」と、こっそり呟いておきたいと思います。

 こっそり。
 ……ひっそり。(どこが)
 
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大熊猫談義



 故・中島梓御大は、エッセイ「人間動物園」で、あのパンダちゅうの、可愛い可愛い言われてっけど、あの目の周りの黒いやつとったら、別にそんなに(特別に)かわいいわけじゃないよ、要はクマだよクマ。——と書いていらっしゃる。
 それを読んでいたので、あーそーいやそーですねー? と思っておりましたが、なんで最後に「?」がつくかというと、私は直接、あの黒い縁取りなしのパンダの顔って見たことがなかったから。

 上のツイートの画像も実際には縁取りを画像処理で外してあるわけで、実際とはまた違うのかもしれませんが、でもまあ、ああなるほどこうなるのね、ということで、ようやく「?」も取れました(笑)

 面白いなと思ったことは2点あって。
 ひとつは、このツイートには「女性のアイメイクの大事さが理解できる」とあること。
 
 アイメイクというか、眉毛だけで顔の印象は大きく変わりますが、アイメイクには私、個人的には憧れがありまして。
 どうも私は粘膜系統が弱く(鼻、喉が弱いのはその典型)、何かあるとすぐにトラブルとなるため、眼科の先生からも「あんまり目の周りはいじらないほうがいい」と言われ、アイラインすら引かないでおります。(引いたところで大して変わり映えもしないので、まあどうだっていいことですが)

 発表会なんてときにはそれでも、つけまつげ含めてアイメイク一式はやらざるを得ず、結構ドキドキしていたりしますが、たまに、のことなら害もないようで。ものもらいみたいなトラブルも、今の所、ありません。

 電車の中で化粧する人のことも話題になりますが、いい悪いは置いといて、電車の中でアイメイクしている女の子を見つけた時は、思わず感心しながら心配しながら(電車だって揺れますから)、でも、ついつい、じーっと見てしまいました。

 で、やはり、その効果はすごいものがあるな、と。
 費用対効果で考えたら眉毛(を整えたり描いたり)の方が、手間と効果の大きさの相関関係から見れば絶大と言えますね。
 でも、アイシャドウ、アイライン、ビューラーからつけまつげまで、大げさではなく人相まで変わる(ように見える)。これは、化粧というより「仮装」にも近いのでは? と思います。

 で、こういう化粧を普段からしている人は、すっぴんというのではなくても、アイメイクなしで人前に出ることは裸になることと同じくらいに抵抗があるようです。
 とすれば、これはその人なりの、ひとつの儀式なんじゃないだろうか、と思いました。
 きっちり戦闘服を着込んで戦場へ飛び出していく、みたいな。

 化粧というと女性のことが言われがちですが歴史を顧みれば男性も化粧をしてきたわけで、社会的にも、呪術性の意味でも、これは女性だけの話ではないんですよね。
 それなのに殊更に「女性の」とあげつらわれる「意味」に、改めて、「ふーん」と思った、ということと。
(もう面倒なんでいちいち詳細は言わない;;)(ミソジニストに播き餌みたいなことはしません;;)

 2つ目は、縁取りを取っちゃったパンダへの感想。
 ツイートについたリプライ、返信やコメントを眺めてみると、縁取りを取っちゃうとブサイク、という人もあるし、「つぶらな目」「こっちの方がいい」「こんなに可愛かったの」というご意見もある。

 ブサイクと見るか、その素朴な表情に、かえって心惹かれるか。
 同じものを見ても反応はそれぞれ、ってあたりが、面白いなと思ったことの、2点目。

 私は子供の頃からパンダにはあんまり興味がなく、——別にあの「アイメイク」故に憎むなんてことはなかったですが(笑)、と言って、中島梓御大じゃありませんが、そんなに可愛いかねあれが? という感じで、特に可愛いともなんとも思わずにおりまして。

 世代的には、上野の動物園にパンダがきて——ランランとカンカンと申しました——、アホみたいな大行列ができていた頃の子供なんですが。
 まるっきり興味がなかった。
 それよりも、そんなもん(失言)に群がる人間の方が、よほど見ものだと思いましたね。田舎者なので、あれだけの数の人間がいること自体が、見世物めいて見えたと言うお話。(^^;;

 そんなわけで、特にパンダには思い入れもなかったんですが、今回の写真を見て、「あ、こっちの方が可愛いんじゃない?」と思いました。
 クマのぬいぐるみの、黒い丸いボタンで作った目のよう♡ ——まさしく、「円(つぶ)ら」な目が可愛い♡ と思ったクチです。

 パンダにして見れば、黒い縁取りだって別にアイメイクなんかじゃないんだし、勝手に画像処理しといて、何を好き勝手なことを言うのか、といったところでしょうけども。(^^;)
 
 
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