2016年09月 / 08月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫10月

2016.09.30 (Fri)

ご隠居さんのオススメ

「(まだ)若い人には負けない!」
 というお言葉を聞くことが結構あります。

 気がつけば私も50の坂が見えつつありまして、友人どもは中学生、高校生の親をやっております。
 そういう年齢になってきて、冒頭のセリフを聞くことが増えてきたなあ。と。(^^;)

 いやもう、そういうことを口走った時点であきらめろよ、と思いますね個人的には(笑)

 気持ちが若いとか若々しいというのは、言い換えれば「健康である」ということ。
 それは結構だと思います。が。
 若いもんには負けないってのはどうもねえ。
 いやあ、負けるって絶対。——そう言っては怒られております、私(笑)

 体力そのものは、病気や怪我がなければ、加齢をしていても維持、どうかすれば増強さえできますが、どうしたって若い人にはかなわないのは回復力。
 これはもう物理的な諸条件が違うんだから、しょーがないでしょう。

 先日も、カルチャーセンターでお世話になっているH先生ともそんな話になったんですが、——あの「若いもんには負けない」というのはやめたほうがいいよねえ。と。
 先生の別のクラスに、60歳代ほどの生徒さんで、そういう「頑張る」方がいらっしゃるそうで、先生としてもときどき、そのケンカ腰のアグレッシブなことには、めげてしまうそう。

 何を持って「勝敗ライン」としているのかがそもそも謎ですし。
「もう年だから」というのは、大抵はただの言い訳なので、これは考えない方がいい。それは同意です。
 でも、へんなふうに若さというものに対して突っ張る、頑固になるべき理由もないんでは。

 心身ともに健康で好奇心旺盛、気持ちが「柔らかい」人って、私も素敵だと思いますが、しかしながら、ほんとうに心身ともに柔らかい人なら、そういう「無駄な勝負」にこだわらないんじゃない?

 私の見解としましては、そりゃもう若い人にはかなわないので、もーどんどん任せられることは任せたほうがいいと思いますね。
「若い人には負けない」どころじゃない、「若い人にはかなわないわー」つって、おまかせですよ。(^^;)

 体力的なことはお任せで、でも、人間やってるキャリアのほうがものをいう、そういう場面では、ちゃんと引き受けてやればいい。
 適材適所というのでしょうか。それでいいんじゃないでしょうか。

 江戸時代の商家なんかでは、なんと40歳そこそこで「隠居」して、さっさと若い人に仕事を任せていた、というケースが見られるようですが、これはなかなかいいシステムだったでしょう。
 まだ余力があるうちに世代交代をしておけば、トラブルがあった時に対応できるんですね、ご隠居さんも。
 ふだんは奥に引っ込んで幇間(ほうかん)さんを冷やかして遊んでいたりして(落語によく出てくる横丁のご隠居さんイメージ/笑)、でも、重大事のときだけ、ちょっと顔を出して、必要のようだったら手を貸してやる。
 用が済めば、また奥へ引っ込む。
「ご隠居さん」は、理想的な世代交代のシステムだなと思ってます。どの人にとっても無理がないから。

 若い者には素直に「負けて」おけばよろしいんじゃないかと。
 で、任せるときにはあれこれを言い置くけれども、実際に任せたら、あとはもう口出ししないで「見て」いればいい。
 放任、というのとも違う。お願いしますね、と言って任せるけど、見てる。トラブルがあったら出ていくために。
(世間ではこの逆をやっている人が多いみたいですけどねー;;)
(だから老害だなんて言われるんだよ;;)

 おしゃれ心を忘れないとか、好奇心が旺盛とか、そういう若々しさは私も是非、と思うけれど、美貌(笑)であれ、体力的なことであれ、そのへんはもう、若い人に素直に負けとけ。と思います。

 人間てのは変な生き物ですね。今日50歳の人だって昔から50歳だったわけもなく、自分だって子供だったり「若い人」だったりしてきたわけで。
 であるならば、若い人の気持ちというもの、わからないはずはない。
 ………と思うんだけどなあ。違うの? (^^;)

 日頃からそんな気持ちでぼーっとしているせいか、私はありがたいことに、お若い人に世話を焼いてもらうことが多いです。
 いやもう今日日の若い人はしっかりしてますよ。エライもんですよ。本当に。

 なんていうと、口を尖らせて反論してくる人もいますが、そういう人は、私の見るところ、「任せる」ことがなかなか、できないようです。
 あれは悪循環ですねえ——任せられない人は、つい、いらぬ口も手も出す。出された方は面白くないからなおさら、自発的に動けば怒られるんだからと指示待ちになる。
 すると、指示待ちには任せられない、と思う。

 任せたら、見てはいるけど口も手も出さない、のは基本なんですが、ご自分が優秀な人にはこれがかえって難しいみたい。
 あたしゃ馬鹿でよかったわ(笑)

 まあ自分が元気なら、誰かにやらせるより自分でやっちゃった方が早い——というのはわかりますが。
 そろそろ、そんな、自分が自分がという「我(が)」も、不要になってきてるんじゃないですかね。

 若い人には負けない! などと変に力むより、頼れるところは頼った方が、何と言っても自分が楽。
 楽、というのは何も、あきらめとか投げやりとかってことではなくて、ですね。(^^;)
 人にお任せができたその分、自分が好き勝手に出来る時間なり空間なりができてくる、ということなんで。

 加齢はどんな人にも平等なもの。好奇心その他を失わずに元気でいることには賛成ですが、本来ライバルでもなんでもない人を「仮想敵」にして、負けない! などというのは——、若い人にしてみても、わけわからん喧嘩を売られるようなもので、困るでしょう。

 もーちょっと自分にも他人にものびのびした心持ちでいる方が、無理をしないで済む分だけ、「心の若さ・柔らかさ」を保てる気がします。(疲弊・消耗しないから)

 若々しい、ということと、「若作り」は、どうも根本から違うものだよねえ——と、H先生と話し込んで、得られた結論はそんなことでした。

 結論。
 ——若いもんには素直に負けとけ(笑)
 
 
関連記事
11:22  |  身辺雑記2016  |  EDIT  |  Top↑

2016.09.29 (Thu)

科学者、JTにガチギレす




受動喫煙と肺がんに関するJTコメントへの見解
2016年9月28日
国立研究開発法人国立がん研究センター
http://www.ncc.go.jp/jp/information/20160928.html

 上記のツイートではツイ主(ぬし)様が「ブチ切れ」と表現しておいでですが、——私も本文、頑張って読んだけど、本当ですね;; 論文としてのちゃんとした文章なんだけど、でも、「ああ……キレてる」っていうのが伝わってくる。(^^;)

 どうしてこう、喫煙者並びにその関係者って、自分の行為が「加害行為」だと認めてくれないのかなあ…。
 私も、結構なスモーカー何人かに、「これは好き嫌いでいうのではない」「健康の問題である」と言ってきたんですが、素直に頷いてもらえた記憶は一度もありません。

 言い逃れをしていくくらいならまだいい方で、文字通り、何でそんなに怒るのさというくらい、激昂されたことが何度もある。
 こちらからしたら文字通りの逆ギレ。寝ぼけてんのかこいつ、と何度思ったかわからない。

 ついでに言うと、タバコが「くさい」というのもまごうことなき「事実」なんですが、これもまた、タバコはくさいんだよねと言って、もんのすごい勢いで怒られたことも何度もある。
 食事中や食後、近くのテーブルでタバコを吸われるのは最悪というほかはない。どんなに美味しい料理も、あの悪臭のためにいっさいの味わいも風味も失われる。

 ……自分の汗臭さとか加齢臭を気にするのに、なぜ、タバコが臭いという苦情は受け入れてもらえないのか、不思議。
 私は鼻から喉にかけての粘膜が弱くて、あの煙は冗談抜きで健康に障るし、喘息持ちの友人に至っては命に関わることなので、——それでも気を使ってやんわりと、可能な限りやんわりと、そういう人が近くにいる時だけでも遠慮してもらえまいかといってきたんですが——その時の対応ときたらもう。

 その一方では、嫌煙家の、愛煙家に対する態度もひどいものがあるんですよね。これは認める。
 スモーカーを人間扱いしない、というくらいのひどい態度を取る人があることは、私も認めるところなので、可能な限り穏便に話すんですけど、ダメ。
 ものの道理もヘッタクレもあったもんじゃないです。(^^;)
 加害行為だと認めるどころか、タバコに苦情を言う奴は馬鹿だ、と言うのですから。

 今回のJTのコメントは、一部に、自分たちの都合のいいように恣意的にデータが「選別」されているとのこと。
 それが事実なら、国立がん研究センターがブチ切れるのは当然でしょうね。

 私も身内に何人か——肺がんではありませんがガンで亡くなった人がいますから、その様子は、見ても聞いてもおります。
 私自身、昨年暮れから年初にかけて、専門病院で診察(精密検査)を受けていたわけですが(今回はシロ判定だったけども)——じっさいに患者さんやご家族とご一緒になりますと、いろいろ、思うことがありました。

 その病気の重大性を感じるとともに、文字通り懸命に病気と取り組む患者さん、お医者さまがたの「気持ち」を、あらゆるところで感じましたよ。
 本当に、みんな、必死なんですよ。
 それなのに、あんな寝ぼけた声明を出されたんじゃあね。
 真面目な研究者が怒るのは無理もない。

 研究センターは、がん治療研究をしている中で、なんとかこの病気で苦しむ人を減らしたいというお気持ちがあるでしょう。
 日々がんに取り組むことがどれほどのものか、通院中、私なりに感じるものがありました。
 ので、そりゃブチ切れもするわ。と、今回の「見解」を(頑張って)読んで思いました。

 ことの重大性が、ここまで言われても、まだ認識できないのだとしたら。
 それこそが、スモーカーがすでに脳みそをやられている証拠かもしれないとさえ思います。
 放射脳と同じですねつまり。

 私も本来は、他人様の趣味嗜好についてうるさく言うのは好きではありません。
 自分自身にそういうところがあるし、喫煙者への「迫害」には、これはこれで、頭にきてるんですよ。

 でも、こういう人間をすら、自らの態度で敵に回しているのだということを。
 スモーカーの皆様には、ご理解いただきたいと、健康上ちょっとばかり問題を抱える身としては、心から、願う次第です。

  
関連記事
12:08  |  身辺雑記2016  |  EDIT  |  Top↑

2016.09.29 (Thu)

「Taking Off」

 お久しぶりでまた勝手な感想などを。(๑`・ᴗ・´๑)

 過9月16日よりデジタル配信始まっております、 ONE OK ROCK 「Taking Off」。

【iTunes Store】https://itun.es/jp/iZXMeb?i=1151016142
【OTOTOY】http://ototoy.jp/_/default/p/65991
【Amazon】http://amzn.to/2dbqX0j

……他。

・”Taking Off”歌詞、和訳:http://ilovekasi.com/takingoff

  ONE OK ROCK さん(以下OOR)に限った謎現象は健在です。脳内で音楽プレイヤーがあるみたいに、最初から最後まできっちり1曲分再生される現象。
 印象的なフレーズだけが脳内で際限なく流れ続ける俗称「ディラン効果」とは違う。
 本当に1曲分を正確に再生するんですよねこの脳みそは。
 これが仕事中だろうが食事中だろうが始まると無限ループというところも変わらず。
 この中毒性は相変わらずだなあ、と。(^^;)

 思い返せば私がOORさんを知ってそのまま坂道を転がり落ちる勢いでハマったときというのは、横浜スタジアムのあのライブがあり、「35xxxv」が作られている時期だったわけで、ちょうど、その音楽も、また変化の時期にあったんでした。

 その時期から見ているにすぎない「にわか」から見てさえ、この2年の間の成長なり変化なりには、凄まじいものがある。
 長足の進歩、という言葉がありますが、そんなもんじゃない。
 何もない暗黒空間から、一瞬ですべてが誕生したというビッグバンくらいの「変化」に思えますね。(^^;)

 で、現在以上に「にわか」であり、キョロキョロしていた時期に私が見聞きしたのは、にわかではないファンの方々からの、戸惑い、その声でした。
「らしくない」というのはどうも漠然としすぎで困った言い方ですが、でも、以前の「何か」ではないものが、そこにあるのは、にわかにもわかることでした。

 これは好き嫌いや、個人の感覚のことなので、変化か進歩かに「同意」できない人があるのも、仕方のないところ。
 それよりも「35xxxv」を聞いて思ったのは、まだ遠慮してる、まだ「使いこなせて」はいない、——ということ。

 新しいもの、今までになかったものを手に入れて、以前から望んでいた「音」に近づけたという気配は濃厚でしたが、でもまだ、自動車運転なら「若葉マーク」がくっついている印象もあって。
 ピカピカの道具を手に入れて、これを使いこなすのはこれからなんだな、と思ったことを覚えています。

 で——その後も何曲か聞いてきて、正直、まだ手探りの気配もありました。
 でも、「Taking Off」は——、新しい道具に「手が馴染んできた」印象があります。
 
 全く抽象的な「印象」の話でしかなくて申し訳ないですが、「熟(こな)れてきた」音、に思える。
 その個性と、新しい道具の、心地のいいバランス、融和する感覚。

「Cry out」が発表されたとき、これは日本人ではなく外国の(アメリカ在住)方のコメントでしたが、「 ONE OK ROCK の個性がなくなり、いかにもアメリカの音楽となって、かえって平凡なものになる」ことへの危惧を語るものがありまして。

 日本人はどうも「洋楽」というと恐れ入ってしまうところがあって、洋楽っぽい、というだけで、うわーと思っちゃう。すごいね洋楽みたいだね! ……って、ちょっと待て、それ褒め言葉なのかよ、という。(^^;)
 実際、私もそんなふうに浮かれたところがあると思いますが、そのコメントを見て、そうか、と、すっと頭が冷えた気がしました。
「こちらかすれば、うわあすごいね、となるけれど、洋楽がアタリマエの人からすると、むしろ、平凡でありきたり、ってことになるのか」

 なるほどねえ、と思ったものの、でもそれも、きっと杞憂だろうとも思いました。

 そうして「Taking Off」を聞いて、やっぱり杞憂でしたね、と、思った次第。

  ONE OK ROCK らしさ、というのはどうにも困った言葉で、じゃあそのらしさって何よと言われても、困るしかないんだけど。
 でも、確かにある個性というものが、新しい道具によってさらに際立ってくるはず、と、直感的に感じていたことを、「ほらね」といえる。

 変化とも成長とも進化とも進歩とも——言葉ではなんと言えばいいかわからないような、「この音」を聞くまでに、2年もかかっていない、というのは。
 そうなるまでにじっさい何が起きているのかは、私どもには窺い知ることもできませんが。
 
 ただ、すごいねえ、というばかりです。

 けれども、どれほどの進化なり進歩なりがあっても、その「本質」にあるものは今も変わらず聞こえている。
 いっときは戸惑いを見せたファンも、今はすなおに酔いしれるのも、変わらない魅力を受け止めているからだと思いますね。

 このブログカテゴリーでは何度か書いておりますが。
 ………物質であり、同時に波動でもある「音」の不可思議であること、不可思議だから魅了されていくことを、これほど感じられるものはありません。
 
 
関連記事
12:07  |  ONE OK ROCK  |  EDIT  |  Top↑

2016.09.28 (Wed)

小さな親切大きなお世話

 昨日ぐちゃぐちゃお話ししました、映画「君の名は。」が気に入らない方のコラム。
 昨日ご紹介の方とも違うツッコミようなので、ご紹介を。

 note なんですが、閲覧するのに会員登録が必要だったらすみません;; 自分が登録してあるのでその辺が逆に「どうだったっけ…?」になってる。(^^;)

映画『君の名は。』に感動する方法(note)
斎藤あきこ 2016/09/23、25日訂正・追記


 昨日のツイ主様に引き続き、なんでそんなに「オタクの萌え」要素が非難されなきゃいかんのかわからん。と思いました。
 で、萌え要素、描写だと指摘されている部分については、本当に萌え要素かどうか私には判別いたしかねます。

 オタクの萌えってこういうもんなんでしょ、という、ステレオタイプの決めつけがあるように思いますね。
 組紐でポニーテールっつーのの何がそんなにいかんのか私にはわかりません。

「感動する方法」というタイトルも嫌味ったらしいなあ。誰もあなたに感動してくださいなんてお願いしてないし、感動しろとも命じてないでしょ。
 ………と、私にしてはちょっと珍しく、むかっときたところが面白い。
 
 文中に引用される評論一部についても、ああアタシそういうの興味ないから……ってことで。(^^;)
 ただ、アニメとかオタクとかというものに過剰に反応されるのは、私には疑問だし、理不尽と思うばかり。

 自分の中にあるものを他人様に説明するのは、やはり困難なものです。
 
 ともあれ、あの映画には全然感動も共感もなかったという方のためにはいい文章なんじゃないかな、と思ってご紹介まで。(^^)
 自分の腹の中でもやもやしているものがあるとき、すぱっと言ってくれる誰かの言葉があって、そう! それ! と思うだけでも、もやもやストレスが軽減されるので、これはこれで、いいもんだと思います。はい。

         ●



「人間にだって諸問題あるのに、人間のことほったらかして動物の救済に自分の人生をかけて活動する人を見ると、なんでかなあ、って思う」
 という主旨のツイートを見かけたことがありまして。

 そういう疑問はごもっとも、とは、思います。

 遠い外国の、見も知らぬ子供の命を救いたいとかって、自分の近所に住んでる子供の問題には目もくれないのかよ、というのもあったっけな。

 まあ、そういう疑問を持つこと自体は、——「何も考えない」よりはいいことだろうなと思いますが。

 でも、人ひとりにできることには、限りというものがあるわけで。
 人間の勝手でひどい目に遭わされあげくに殺される、そういうものを放置できないのも、遠い異国の子供のために自分の人生を捧げちゃうのも、すべてのことが平等完璧に出来れば一番の理想ではある。
 しかし、そんなことが人間に可能なのかって話。

 それがなんであれ、自分の人生をかけることがあるとしたら、その「数」には限りがある。
 あれもこれもと色気を出した結果、すべてが中途半端、すべてが徒労に終わるというのは目に見えていること。

 遠い異国の子供に関わるのも、動物「なんか」に生涯かけて「かまける」のも、それはその人が、「自分の人生のテーマ」にしたことでしょう。

 医学部の学生さんも、いずれはテーマを決めるでしょう。医者として勉強するからって全科目を平等にカンペキにこなして全種制覇なんてできますか。
 
 それと同じことだと思う。

 自分がやりたいこと、自分にできることを「選ぶ」。

 背負いたいものは他にも山ほどある。けど、それをやろうとしたら逆に何もできないことになる。
 だから、自分はこれをやろう、というものに取り組む。
 それだけですよね。

 他人がそれを、あれが良くてこれが悪い、それは上等でそんなのは「くだらない」なんて、どうしていえるものか。

 何を自分が背負うのかは、「ご縁」というしかないなあ、と思います。

 他人から、なぜ、どうして、と聞かれても、本人も「どうしてでしょう」なんて首を傾げていることありますよね。(^^;)
 気がついたらこんなことになってた、ということも少なくない。

 それが、ご縁てもんじゃないでしょうか。
 
 それぞれの人にそれぞれの役目とかテーマとかがあって。
 一人一人がそれを追求できているなら、それだけでも世の中は良くなっていくように思います。

「機会平等」が大事だというのは、ここにあると思います。
 それぞれの人が背負ったテーマに、可能な限り、他者からの妨害なく取り組めるように。
 これまでの社会では当たり前とされてきたいろんな「障害」を取り除き、障害にエネルギーを奪われることなく全力で自分のテーマに取り組むこと。

 それがひいては社会全体をよくしていく。
 だから、「機会平等」を、まずは、これほど求めるのでは?
 新幹線を通すために整地して線路を敷設する。
 まずはそこから。……つって頑張っているのが現在の社会かもしれませんね。


 で。
 それはそれとして。
 70億ともいう人間がいて、それだけの人数でそれぞれにテーマがあるなら、その内容はもう、無限に近いくらいに種々あるでしょう。
 そういう中では、自分のテーマがあまりにも「ツマラナイ」ものに思えてがっかりすることもあるわけですが(私みたいに)。
 こればっかりはしょうがない。
 それがどんなにツマラナイ、社会的には価値のないものとみなされていても。
 自分の人生なら、それでやっていくしかないし、それが「誠実」ということでもある。

 華々しい大仕事を果たしていく人を見ては、自分のくだらなさに泣けてくるようなときもあるでしょうが。
 それがご縁でありそれが自分の人生のテーマなら、つまらないものに見えても、何もつまらないことはない。
 
 動物を救うのも遠い異国の子を助けるのも、隣の家の子供を虐待から守るのでも。
 家庭菜園の手入れでも、重病で、苦しい中で呼吸をつづけるということであってさえ。
 自分がやるべきことなら背負っていく。

「そんなことよりもっと大事なことがあるでしょ」
 などという「雑音」に気を取られて、うっかり自分のやることを投げ出さないように。
 
 ……しかしまあなんですね、どうしてこう、他人の人生に熱心に首を突っ込んできて、責任のひとつもとる気もないのにああだこうだという人が、絶えないんでしょうかね。(^^;)
 よっぽどあんたの人生は暇なのかい。——くらいのことは言いたくなるときがある。
 これはこれで大きなお世話だけど(笑)
 
 
関連記事
12:03  |  身辺雑記2016  |  EDIT  |  Top↑

2016.09.27 (Tue)

嫌いの構造

【追記あり】『君の名は。』を見て感じた気持ち悪さについて
Togetter まとめ (ネタバレ注意)
http://togetter.com/li/1029154

 映画「君の名は。」についての話題ではございますが、ネタバレにはならないところで話がぐるぐるいたします。
 ですので、ネタバレがないならいいか、ということでしたら、お付き合い願えればと思います。(^^)
 私自身はネタバレはしませんが、上記「まとめ」はネタバレになるかと思うので、ご注意ください。


 タイトル通りで「君の名は。」についての「苦情」ツイートのまとめですが。
 ふーん、と思ってニヤニヤしてしまったのは、ツイ主様が一生懸命「君の名は。」の「ダメ」なところをおっしゃるのですが、これがもう見事なくらいに上滑りしていくので、興味深く思いまして。

 主様本人もチラリというように、実のところ、主様が指摘する駄目なところは、欠点、瑕疵、というものではありません。
 言うとすれば「欠点」「駄目」なのではなく、「自分はこれが嫌い」だという、それだけの話なんですよね——主様もおっしゃるように。

 ただ惜しいなと思うのは、嫌いだ、と叫んでいるだけで終始しているところ。

 自分の好き嫌いと、物事の良し悪しを取り違えることには感心しない。
 どのみち本当の意味での客観性なんぞこの世にはないけれど、とはいえ、一応の「事実」と言えることと、好き嫌いの「感情」は、全くべつのもの。

 主様、「自分はこれが嫌い」と言った上でさらに「なぜ嫌いか」を語っていただけたら、もっとよかった。

 私がざっと見たところでは、——主様の性別も年齢も存じませんが、とにかく何か——性的なもの込みで、恋愛へのこだわりがおありのように思われます。

 それは作品の瑕疵では無く、見る側がどこまで気にしているか、の問題でしかない。
 監督はその辺りきちんと認識して、瑕疵、欠点といえるような重大なもののまま、放置はしていない。
 じっさい、たいていの人は「気にしていない」。

 いちいちご指摘のことは、欠点というほどのものではなく、主観として「自分が嫌っている」だけ。
「君の名は。」の「悪口」を言うのではなくて、「嫌いと感じる、自分が持っている原因」を探って語った方が、主様にとっても「自己発見」をもたらしたかもしれないし、なんだか明後日の方からの「反論」「反証」を食らうこともなかっただろうと思います。

 自分が嫌いなもの、なぜ嫌いなのか、——「嫌いの構造」を自覚するのって、なかなか、いい経験になるもので。(^^;)
 好きなもの、なぜ好きか、というのを探るのも、自己発見にはなるのですが、嫌いである理由を探って出てくるものの方が、自分にとってはなかなかのショックです。

 嫌い、という感情は、「それを嫌うことで自分からは遠ざけようとする」ためのもの。

 嫌いだと感じる対象に対して、不安や、恐怖感、「いやな記憶」があるから、「自分を守るために」「遠ざける」必要がある、と判断する。
 遠ざけるために、嫌いだと感じるわけなので。

 嫌いなものって、嫌いだから嫌いなんじゃなく、「自分の身を守るために嫌いと感じる」ようになっているわけです。
 嫌いというのは後付けの理由に過ぎない。
 だから、他人から見れば、「なんで?」で終わる。納得はされない。

 主様自身にはその辺り、どんな不安なり恐れなり不快な記憶なりがあるかは存じませんが、無責任に読んだ赤の他人として思ったのは、「何もそこまで(性的なこと含めて)ゲンジツの恋愛にこだわらなくても……」でした。(^^;)
 何かのコンプレックスを刺激されどおしだったようにお見受けする。
 そりゃ不快ですよね。(^^;) 本当にそうなら、だけど。
 私の目には、そのように見えたということで、お許しを。

 その人がコンプレックスに感じていることが共有できない限り、いちいち「駄目」「気持ち悪い」と指摘されることは、「へえ? そう?」だけで上滑りしていく。
 そうではなく、そのコンプレックスと向き合ったうえで、こういうコンプレックスがあるのでこういう描写に引っかかる——というお話なら、ああそうですか、それは不快ですよね、ということになるのになと。

 ただ、どんなに素晴らしいものでも賞賛「のみ」ということはありえない。
 そういう中で「君の名は。」は、これまでほとんど、否定する意見を見なかったので、そのこと自体が、すごいなと思っていました。
 だから、ああようやく否定するご意見が出てきたか、と思ったのも確かです。

 先日私が、「こういう映画がヒットするようなら、日本人もそう悪くはないんじゃないか」と思った、と申しましたのは、そんなあたり。

 この映画は、「人の気持ち」にだけ焦点を当てて、極端に言うと、「物語」にはなってない、んですよね。
 物語以前。

 いやもちろん映画として起承転結あるしちゃんとした「ドラマ」ですが、主題として扱っているのは、人の気持ち。

 ラブストーリーというものがあるとしたら、そのラブストーリーになる「準備段階」だけ、になっている、というか。

 通常の恋愛映画なら、ほんのわずか、登場人物のセリフなり仕草なりで表されて終わり、というだけの、それだけのものを、「純粋培養」して見せている。

 物語は、始まってもいない。

 時間のクレバスに落ち込んだ小さな粒子を、それだけを、拡大したか培養したかで見せているのが「君の名は。」なんで。
 まあ、消化不良になったり肩透かしでがっかりしたり、ひどい場合は「意味不明」で片付けられてしまうだろうものを、ちゃんと映画にした、というところが、偉大だ——と思っております。

 もちろんこれは、監督さんの手腕によるもので大いに敬意を払うところではございますが。

 ただ。
 こうやってその「物語になる以前」であることにフラストレーションを高める人がある方が、むしろ当然というくらいなのに。
 特に10代の若い方がこれをしっかり「拾って」夢中になる、大人どもも、バカにすることなく、その「一瞬の気持ちだけ」に心を寄せた。
 その辺りが、「この映画がヒットするようなら、日本人もそう悪くない」と思った理由です。

 と言って、別に、この映画のアンチ派が「悪い」ということではありません。
 むしろ、そういう反応がある方が現実的だと思うくらいだし——、そうではなくても、好き嫌いって、どうしようもないものですから。(^^;) あって当然なんですよね。嫌い、という人が現れるのも。

 好きにしろ嫌いにしろ、でも、思わず、長々と語らせてしまう、そういう「情熱」を掻き立てるわけですから(嫌いという感情もまた情熱)、——私どもはまとめて、監督の思惑に乗っているんだろうな、と思って、これまた、にやにや、でございます(笑)
 
 
 
関連記事
12:39  |  身辺雑記2016  |  EDIT  |  Top↑

2016.09.26 (Mon)

人間の格

 盛り上がっておりますNHK大河ドラマ、「真田丸」。

 このドラマでは最強の人は実は、ナレーション担当の有働由美子アナウンサーだと言われています。
 なぜかっつーとあまたの、しかも名だたる名将でさえ、あっさり彼女のナレーション「だけ」で死亡宣告されてドラマを去って行ったからで、「ナレ死」という言葉さえ作られる始末(笑)

 ナレ死とは、ナレーションであっさり死亡してしまうこと。華々しいいくさ働きの描写も、涙を誘う愁嘆場さえもなく(笑)

 逆に、あれはもうお亡くなりになったんだろうなーと思ったけど、死亡したというナレーションがなかったよ、まさか?! と言っていたら、本当に、ギリギリではあったけどご存命だったという人もありまして。

 そんなわけで、昨日は、真田パパ、真田昌幸さんがご逝去かというシーンでも、
「いやいやいやいや、有働アナのナレーションがあるまでは信じない…!」
 と思ってしまいました(笑)
 
 それを見越したように、最後の最後でやっと「死亡宣告」があって、……やっぱりなー…という。
 そんな人、昨夜は多くいたようで、ツイッターでそんなツイートを見ては、「ですよねー」と頷いていたり。

 ……そろそろ、今年も終わるんだなあ、と、大河ドラマで知る1年の流れ。

        ●

 以前のことですが、イベント会場の、女子トイレをお借りしまして。

 イベント自体がなかなか盛況だったせいもあり、女子トイレの方もかなりの盛況;;
 それでなくても女子トイレっつーところは何かと混み合う場所。
 人でいっぱいになっていて洗面所も順番待ちするくらいの状態でしたが、そこへ突如、
「○山○子さん!!」
 と、元気いっぱいの声が響き渡りました。

 へ? と振り返ると、3歳くらいの男の子が「○山○子さん!!」と呼び続けているんですね。
 どーみても彼は迷子さんなんですが、でも、恐れるふうもなく、実に威風堂々(?)としている。
 もちろん泣く様子なぞ微塵もない。

 私を含めて周囲の大人どもは、ちょっと困惑して、——その場に居合わせた他人同士ですが、思わず「どーします?」と顔を見合わせてしまいました。

 通常、迷子さんは心細くてしくしく泣いているものですが、そういう雰囲気ではまったくない。連呼する○山○子さんというのはお母様のお名前と思われる。
 あまりに彼が堂々としているので、ボク、どうしたの? などと「子ども扱い」したら「失礼」なのでは……という雰囲気さえありました。

 彼に声をかけるより、その○山○子さんを呼び出してもらう方がいいかな……と思っていたところへ、——ちょっと広いトイレだったので、はぐれちゃったんでしょうか、別のブロックからお母さんが慌てて走ってきまして。

 あ、よかった、親御さん、きた——と、その場にいた人々が、はい解散、という雰囲気になった瞬間、さらに少年の声が響き渡りました。
「おかーさん! 勝手にどっか行ったらダメでしょ!」
 たまらず爆笑。

 また別のときには、病院で、私より先に治療を終えた、やはり3歳くらいの男の子が——耳鼻科だったので、ちょっと治療で痛いこともあったんでしょうね、半泣きで診療室から出てきましたが、お医者様や看護師さんひとりひとりに、ありがとう、といいながら飴玉を渡してまして。

 本来は患者さんから金品を受けっとってはいかんのでしょうが、3歳の子ですからお断りもしがたいようで、あら、ありがとう、と言って先生も受け取ってました。
 診療の順番待ちのこちらも、ほっこり♡

 そんな光景に、——ああ人間てのは年齢じゃないなー、としみじみ思いましたね。(^^;)

 本来はそんなもんじゃないものにまで「格差」というラベルを貼り付けて異様に憎む人たちがいますが、でもねえ——やっぱり「格の違い」ってあると思うんですよねえ。

「人間ができている」人って、たとえ3歳の時点でも、すでに、できていますよね。

 世の中にはやけに年齢にこだわって、相手が自分より年上か年下かによって、ぜんっぜん態度が違うという、私から見ると意味不明というくらいの人がいますが——、でも、「教えてもらえる」相手というのは、年齢じゃないですね。実際。

 相手が3歳の子でも、「教え」られることって、あるもので。

 本人には別に、人に「教える」なんてつもりはなくても、受け取る側が、はっとするようなことを示している。
 年齢や立場や階級や地位——、「師と仰ぐ人」にはそういうこと、関係ないな、と。

 また、本好きの人にはこういうの、多いかと思いますが、——人の寿命は頑張っても100年足らずでも、著作物というのはうまくしてくれればずーっと後にも残るものなので、とっくに亡くなった人でも、今、目の前にいるように、友とし、師匠とする、ということもある。

 あんまり物質的なことにこだわって、——年齢とか地位とか財産とか——せっかくの「師匠」を逃すのも、モッタイナイことだと思います。
 人を見るときには、あんまりそのへんにこだわらない方が、きっと「面白い」でしょう。


 塩野七生さんは、またちょっと特殊な本(というか史料)の読み方をなさるかたで、歴史上の人物を、史料を通して、文字通りまざまざと「見る」んだそうですね。
 マキアヴェッリを友とし、ユリウス=カエサルを愛人とする、とおっしゃる。
 そこまでくると贅沢だなあ……ちょっと羨ましい(笑)
  
  
関連記事
12:19  |  身辺雑記2016  |  EDIT  |  Top↑

2016.09.25 (Sun)

運命のロマンス

 今日は日曜日ですし、お気楽に参りたいと思います。( ^ω^ )

 ときどき、朝っぱらからスッゴイ直球を投げることで有名な(……たぶん)、NHKの番組、「朝イチ」。
 なんですか先日の金曜日は俳優の斎藤工さんがゲストで、ファックス・メールでのお便り募集コーナーのお題は「運命だと思ったけどそうじゃなかったもの」だったとか。

 昨日は某所で、そんな話題で女性陣が盛り上がっておりました。
 なかなか、ロマンに満ち満ちた(笑)お話やら妄想やらで、私もニヤニヤしながら聞いておりましたが。
「運命の出会いなんてないもんだよねー」
 と、最後にはやや重めのため息——冗談交じりではありますが——となりましたので。

 あいや待たれい、お女中がた。——とちょっと口を挟ませてもらいました。
「運命の出会いとか運命の相手、イコール、うまくいく相手、とは限らないじゃん」
「…えー……?」
「運命ったっていろいろあるわけでしょ。運命の糸だって赤いとは限らないわけじゃん? 真っ黒な糸こそが自分の運命ってこともさ、……だとしたらちゃんと運命の人に出会ってるってことじゃないの?」

 いやもうこのあと、むちゃくちゃ怒られました(笑)
 ごめんって(笑)

 でも、そういうこともあるんじゃないですかね。(^^;)

 運命、というといきなり、たいそう幸せなイメージになってしまうのはなぜだろう。
 だってさ、冷静になって考えてみてくださいよ、運命=幸運、とは限らないわけでしょ。

 喜ばしい運命もあれば、呪われてるとしか思えない運命もある。

 運命の出会い、運命の人だってそうなりますと同様でして、ただ「運命の」というだけでは、それが赤いんだか黒いんだかわからない。——でしょ?

 どす黒い運命の波の果てに自分の学びや成長が設定されている、ということもあるわけで、ずいぶんな目に合わせてくれた人こそが、運命の人、ということも言えるはず。

 それなのに「運命の人」と言った途端、赤い糸、何もかもが幸せでうまくいく相手——というイメージを持ってしまうのは何故なのか。(^^;)
 ……などと、はるけきロマンに水を差すようなことを言えば、そりゃ怒られますよね(笑) すみません(笑)

 でもまあ、「運命の人だと思ったのになあ」という(ちょっとガッカリな)ことがあっても、赤以外の色だったのかもしれないなと思えば、それはそれで、よろしいのではないでしょうか。

 ぶつくさ言いながらも長いこと一緒にいるなら、それはもうじゅーぶん「運命の人」だと思うけどなあ(笑) なんでそう言うと「夢も希望もないこと言わないでよ!」つって怒られるんだろう(笑)

「運命の人」ってそういうもんじゃないとは承知していても、ま、多少の——、妄想が暴走気味のロマンも、人の心のうるおいのためには、必要な要素なのかもしれませんね。(*^_^*)

      ●

 といったところで、実は今日、私はちょっとお出かけで、これも予約投稿中です。
 今年の九月はずいぶん水浸しなことになっておりますが、どうぞ皆様、穏やかな日をお過ごしでありますように。

 では、行ってきます。m(_ _)m
  
 
関連記事
11:00  |  身辺雑記2016  |  EDIT  |  Top↑

2016.09.24 (Sat)

F−35A・ロールアウト式典


ステルス戦闘機F35 自衛隊へ引き渡し前に公開
2016年9月24日 7時08分 NHKニュース

 ミリタリーオタク、通称ミリオタでもなんでもございませんが、ちょうど金曜日の夜だし、午前0時頃なら起きていられないこともないし、こんなん絶対テレビじゃ見られないし、ということで、昨夜はライブストリーミング配信をお待ちしておりました。(^^)

 なかなか面白かったですよ。

 ロールアウトというのは船で言えば「進水式」みたいなもの、という説明がありましたが、ようは「出荷」ですね。
 すべてのロールアウトがこうも華々しく、祝典が設けられるわけではもちろんなく、F-35Aというのが「次世代機」であり、従来型とはいろいろ異なる点も多いからですね。

 生産はこの後は日本国内で行われるほか、寝ぼけながら聞いていたので詳細をあんまり覚えていませんが、戦闘機の整備を行うアジア域の主力施設が、日本に置かれたのか置かれるのか、そういうお話もありまして。
 政治関係の意味でも、大きな節目ということのようでした。

 ふーん、と思ったのは、ご出席の若宮防衛副大臣も、なかなかいいスピーチをなさったこと。
 杓子定規で法律の条文のような「挨拶」ではなくて、この式典が挙行されるだけの「意味」を、わかりやすく、あるいはちょっとユーモアも入れながらのスピーチで(……日本語でしたけど)、日本の政治家もちょっとずつ変わってきてるかな、というのが印象的でした。

 またニュースではすっぱり切られていますが、航空自衛隊からももちろん出席者があり、今回「出荷」された機体で、米軍との訓練に参加するのであろう自衛官もいらっしゃいました。(ビデオ中にご登場の際には英語で話していらっしゃいましたが、訓練に参加するなら英語は話すよねえそりゃ;;)

 ジェネラル、と紹介されていましたが空自の偉い方……ジェネラルなら「将軍」だけど、実際の階級がどれくらいかはわかりません;; すみません;;
 訓練参加の方についても「colonel」と表記されていましたが、これも通常なら「大佐」ですから、そのままなら一等空佐、が該当しましょうか。

 ジェネラルはスピーチの冒頭は流暢な英語でしたので、本当は英語でスピーチできるのでしょうね。でも、冒頭以後は日本語だったので私でもなんとか(笑)

 ジェネラルのスピーチは副大臣以上にユーモアを感じさせるもので、——かっこいいなあ、と。(^^)
 ニューヨークはハドソン川で、護衛艦「かしま」が、あの豪華客船、クイーン・エリザベス(QE2)にぶつけられたときのエピソードを思い出しました。

 QE2がかしま艦首に舷側をこすりつけたような格好で、これはもう、その時の川の流れや風の関係でしょーがない事故だったようですが、それでも、軍艦に傷をつけたというのは大変なこと。
 血相変えてQE2の機関士などが謝罪に来たそうですが、かしまの艦長は
「幸い損傷も軽いし気にしておりません。それより、女王陛下にキスされて光栄です」
 とお答えになったとか。

 ネイバルオフィサーのこのユーモアの上質なことは、瞬く間に報道され、私の耳にすら入ったほど。
 ユーモア。大事。

 ところで、ジェネラルが、ご自身をF4(世代)になぞらえて、F35(に搭乗する人)に嫉妬しちゃう、といったジョークは通訳されてたかな? もしや省略された? と思ったんですが。(^^;)

 F4そのものではないですが同じ系列のエンジンを積んだ、F−104が、訓練とはいえ、はるか「格上」のアメリカさんのF22を「撃墜」した例もあるそうだし(……猛者すぎる…)、いいじゃありませんかF4だってかっこいいですよ、と思いながら聞いておりました。

 肝心のF-35Aは、まあ、最新鋭なんだし見せてはくれないかな、と思っていたら、さすがにロールアウトの祝典ですから、一応、見せてもらえました。すごいチラ見せ状態だったけど(笑)
 
 どなたのスピーチでだったか、F−35Aが活躍するように…というのがありましたが、これが活躍するってのも、望ましいこととは言い切れないけどなあ、とも、思いましたね。
 とはいえ、某国や某国やらのおかげでスクランブルの回数は増えるばかり、おかげで空自の練度も上がる一方……と聞いてはおりますけども。

 こういうことを書いているとミリオタかと思われるかもしれませんがとんでもない。ミリオタの世界は奥深い。
 オタクと言われるのにもいろんなジャンルがありますが、私はミリオタという方々には、その博識なることと謙虚なること(でも厳しい)、でもって紳士な方が多いことには、特別な敬意を抱くものでございます。

 私なぞはただの制服萌え。(……ホント、しょーもな)
 特に、どの国でも、海軍、空軍の制服のかっこよさというのは格別の感がございます。

 ……なんて言っていると、「脱いでもすごいんですよ」みたいなことも言われますが、…わかってないなー。制服萌えする奴はですね、脱がれちゃったら興味なくなるの。脱いではいけません。

 ハンガーやトルソーにかかるだけの制服に興味はないのはもちろんで、あれは、人が身にまとっていてこそ魅力があるわけですが、だからって脱いじゃったら、これはこれで意味がない。

 そんなバカなことを言っているレベルです。(^^;)

 ついでだからと真夜中にアイロンかけながら拝見しておりました式典ですが、なかなかこんな機会もないことで、なるほどネットって便利だなーと思ったことでした。
 
 
関連記事

タグ : 腐女子

12:20  |  身辺雑記2016  |  EDIT  |  Top↑

2016.09.23 (Fri)

アンチ知る権利



 知る権利という言葉を嫌いになってから、久しいですねえそういえば。

 知る権利が嫌いなんじゃなくて、知る権利という「言葉」が嫌い。
 さらに正確に言うならば、この言葉を使う、その行為が嫌い。

 知る権利という概念自体は、まあ大して尊敬はしてないかもしれないけど、存在意義は認めてます。

 この言葉が嫌いになったのは、夏目漱石先生おっしゃるところの、「人の尻の穴をのぞいては、形が丸いだの四角だのと言い立てる」連中が、その下劣な覗き見趣味を非難されると、「知る権利」を錦の御旗として自分たちの品性下劣なることを正当化しようとするから。

 なんと言おうと理屈で飾り立てようと、くだらないことはくだらないし、下品なことは変わらない。無駄な努力をしてるな、と思いますけどね。

 ということで——実のところ、ゴシップに協力はしたくないので、上記ツイートについても実名になっているところさえ本当は削除を願いたいくらいです。
 くだらない話に頭にきて、でも、頭にきた、と書こうとすると、結果的に、そのデマなり噂話なりを拡散することになってしまうという皮肉。
 ゆえに、不愉快に思いながらも、こういう話への一番いい対処法は「黙って無視」するしかないんですよね。

 沈黙は金なりとはいえ、本当に自分がぶん殴られるまで全く何もわからないってヤツがいるのも事実なので、なかなかストレスがたまります;;

 私としては、そういうわけで、ニュースサイトに物々しく記事にされるのを見ても、中身は見ないようにしています。
 どうせ売らんかなの連中だ。無視しているのが一番いい。
 苦情でさえ彼らを喜ばせることになる。無視するしかない。

 私は何も、ご本人がブログを書くこと自体を、否定しているのではありません。
 ご本人が望むように、それで多くの人にとっての警鐘にも、場合によっては同じような場所にいる人にとっての励ましにもなる、そういうこともあるでしょうし。
 何より、私も、「書くことの効用」を知っているので。
 
 でも。ですね。
 そうはいっても、個人情報にも関わることだし、人様のプライバシーに深く関わることですから、他人があれこれ「面白がる」ものではないという、「大原則」は何も変わらないわけです。

 本人が書いているんだからいいだろうってそういう問題じゃない。
 
 他人は騒がず、静かに見守る、というのが、いちばんの思いやりであり、人としての節度でしょうよ。

 ……言っちゃ何だけど、ホント、ご親切そうな顔をしてその実は「面白がってる」ってわかる記事やツイート、ありましたもんね。
 テレビのワイドショーや週刊誌がアレなのは当たり前になってるから、いちいち言いませんていうだけ。

 上のツイートでもそうですし、私の周囲でも、自分自身が同じご病気だったりする方には、「辛いからブログは見ない」ということ、多いんですよ。
 励まされるという方もあるでしょうが、そういうこともあるけどでも、読むのはつらい、と。

 詳しい話を聞くほど、自分のあれこれも思い出してつらいし。
 逆に、「サバイバー」と言われる「生還者」の回想録も、「自分は回復しました」という「自慢話」を聞かされるようで、つらい。そんな気持ちになる。

 病気というのは、病名は同じでも、その治療過程等はまったく個人個人で異なるものなんですよね。
 予防ということを考える人には参考になっても、むしろ、今、同じ立場にあるという人にとっては、意外と参考にはならない。——このことひとつとっても、まして他人が面白がって騒ぐことがどれほど「ひどい」ことかわかるはず。

 そういう意味でも、世間様の、浅薄にして残酷かつ浅慮な「ばか騒ぎ」は、控えるべきだと思いますね。

 知る権利? ク▲食らえですよそんなもん。

 政治家の政治資金規正法違反をわあわあ言うんだったら、公私の区別ってやつ、ちゃんとお分かりのはずですよね。
 これは公私でいうならこの上ない「私」のことであり、であれば、他人が踏み込むことじゃないという判断は、当然できるはずですよね?

「世間様」という化け物に腹をたてるのはいつものことで、これが最後ともなっちゃくれないんでしょうが、でも——「知る権利」なんかよりも優先されることをきっちり判断して、自分の品位を保って自分で自分の尊厳を守れよ、と。

 自分を下劣な人間にしているのは、自分自身なんだよ? 自分のやることが、自分という人間を作ってる。

 自分で自分をくだらない人間にしておいて、他人から指摘されて怒ることはないでしょう。恥じいったり、反省したりする代わりに、知る権利という屁理屈で言い訳をするなどは、なおさら見苦しい。

 そのように思います。
 
 
関連記事
12:35  |  身辺雑記2016  |  EDIT  |  Top↑

2016.09.22 (Thu)

安楽死と尊厳死



ベルギーで未成年に初めての安楽死が施行される
2016.09.20 ギズモード Gizmodo
http://www.gizmodo.jp/2016/09/belgium-youth-euthanasia.html

 尊厳死と安楽死は、同じようでいて同じではないところがありまして。
 
 どちらも病態が末期症状であることは同じでしょうが、安楽死は「苦しみからの解放」であるのに対し、尊厳死は「いたずらに死期を伸ばすだけの延命措置は行わず、人としての尊厳を保った状態で死を迎えること」。

 安楽死は医師によって死を迎える処置がされること。尊厳死は、「延命措置を行わない」で死を迎えること——と言えましょうか。

 人には「よりよく生きたい」という欲求があるものですが、「よりよく生きるために、自ら望む形で死を選ぶ」というのは矛盾にも思えるかもしれません。

 でも、私は、自ら死を選ぶことで「自分を生きる」ことはある、と思いますね。
 安楽死や尊厳死に対し、簡単に反対や非難「できる」人は、なまじ医療が発達しているために肉体的な苦痛が増している、病態末期の壮絶であることをご存じないはずです。
 あるいは、それらを見聞きしても「自分とは関係ない」と思っているはず。

 森鴎外の「高瀬舟」は。その辺りをよく描いて秀逸。安楽死や尊厳死を語る前にはご一読をおすすめします。

 私の父も事実上、尊厳死を選んだと言えますし、それを見ればなおさら、安易に本人以外の人が口出しできることではないと思います。

 死を迎えることができると言って心の底から安堵する、という感覚は、通常の人にはなかなかわからないことかもしれません。
 
 私にも思うところはありますが、尊厳死はまだしも、安楽死を考えるほどの人のことを思えば、全く私の苦痛などは、苦痛のうちにも入らない、甘ったれの愚痴でしかないように思えます。

 けれども、先日ご逝去なさったある人には、
「人の苦しみというのは人それぞれであって、比べられるものではない」
 と言われたことを思い出しました。

 安楽死と言うものと向き合わなければならない人に比べれば、自分の抱える苦しみなどはゴミみたいなものだ、というのは、——そう考えることで自分を「救える」のならそれでもいいが、でも、それはいわば方便。
 人の苦しみは人それぞれ。どの人の苦しみが大きくて、どの人の苦しみが小さいか、などとは、言えるものではない。
 苦しんでいる人にとっては大きいも小さいもない。上も下もない。
 苦しみは、誰かと比べられるようなものではないのだ——と、そういうお話でした。
 ……確か。(^^;) ←おい

 そういうわけですから、人をうらやむことは無意味だし、人を哀れんだりするものでもない。

 いろいろご意見もあるでしょうが、でも、ご家族、お医者様がた、ご友人などの周りの方々含めて、安楽死を選ぶことでその人はその人の人生を生きたはず。
 他人には、それを尊重する、という以外の態度はないはずだと思っております。

 記事本文中、
深刻に苦しむ人たちを見過ごさないのは社会にとって重要なことです
 という、ベルギーの上院議員のコメントがありますが、この言葉が、ものごとの「核」、そのものだろうな、と思います。

【参考】
尊厳死と「リビングウィル」、どんな関係がある?
2015/11/02更新  Careme ケアミー

23b181de2d89a0b10b97989e3aec70ce.jpg

 
 
関連記事

タグ : 人間

12:02  |  身辺雑記2016  |  EDIT  |  Top↑

2016.09.21 (Wed)

事実の腑分け

 東京の築地市場が、現在地から豊洲へ移転する件について。
 相変わらず、諸事ぐだぐだで、もう何が何だか。(^^;)

 移転予定地に土壌汚染が確認されたあと、土壌を改良し、盛り土をし、その上に建物を建てたはずが。
 実際は建物の下には盛り土はなく、地下空洞になっていること。
 地下水がたまっていること。
 なぜ、従来の説明とは異なることになったのかが不明であること。
 誰の決定によるものかが不明であること。

 あとは。

 地下にたまっていた水は地下水由来とみられること。
 その水に、有害物質(ヒ素など)が含まれていること。
 但しその量は環境基準値以下であること。

 以上でよろしいでしょうかね。「事実として確認できること」は。

 で、例によってマスコミが、ミソもクソも一緒という風情で、以上の事実関係の整理すらしないまま、わあわあ喚くばかりで話がさっぱり見えません。(^^;)

 説明通りの盛り土がされていなかったこと、につきましては、浸水中の有害物質は環境基準値以下なので、別に移転しても問題ない、というご意見もあるようです。
 安全基準についてはまあ専門家にお任せするしかありませんが、とにかく、この問題。
 わあわあ言ってることの大半はどーでもいい。

 結局、豊洲に市場が移ることは「適切」なのかどうか。

 一番のテーマはこれですよね。
 あんまりそこから離れないほうがいいんじゃないの、と思って見ております。——あまりに本論からかけ離れると、本当にわけわかんないことになるよ? と。
 ……もうなってんのか;;

 私としては、
・東京都が(結果的に)虚偽の説明を広報した(盛り土の件)
 ということだけはまごうことなき「事実」だと確認した上で、

・盛り土がない、地下空洞がある、地下水がたまっている、ということから、考えうる「問題」「デメリット」は何か

 について、検討結果くらいは教えてもらってもいいかなと思ってます。
 地下空洞があっても問題ない、あるいは、あの地下水は安全基準をクリアしているので問題ない、というご意見もあるようですが。

・地下空洞があっても問題ない、ということは設計上、確かなのか。
・地下水の汚染状態に問題がないことは結構だが、水があることによってコンクリートの腐食が(ない場合に比べ)進むだろう、と素人は予想するが、その予想は正しいのか。

 ってあたりは、個人的には気になってます。
 なんせ、道路のトンネルでは、高度経済成長期に造られたトンネル、予想よりも早くにコンクリート等の劣化、腐食が進んでいるという問題が、実際目の前にあるから、これは気になりますよ。
 一度、市場全体で引っ越してきて運用が始まって、ものの30年でもう建物が腐食しちゃって安全が脅かされるなどとなったら、そう簡単には運用を止めたり休んだりはできないところだから、それはそれでまた大変でしょうしね。

 マスコミにおかれましては、「イメージで」わあわあ「騒ぐ」んじゃなく、「事実」を詰めて「報道」して欲しいと思っております。

 それにしても。
 小池都知事はこの件については、事前にある程度の情報を持っていたのかな、という印象ですね。
 動きが早い。

 世の中にはこの件については「臭いものにはフタ」でいいじゃない、そのままやっちゃえばいいじゃない、とお考えの方も少なくないかとは思いますが。
 まあ、でも——、「問題」があることは確かだし、ばれちゃった以上は諦めて、法律通りに対処した方がすっきりするんじゃないすか、と思います、個人的には。
 一刻も早く移転したい、という方々にとっても、問題があるかないかを含めて洗い出してすっきりした方が、有耶無耶にしたという「印象」を持たれて変なイロ眼鏡で見られるよりもいいはず。

 私自身は直接には、築地市場で扱われる食材とはご縁はありませんので——まあ大変ですねえ、というばかり。(無責任)

 ともあれ一番のテーマ、離れてはいけない「お題」は、「築地市場が豊洲へ移転するのは、適切か? 誰にとって適切なのか?」ということかと思います。

 安全面ばかりじゃない。お世辞にも交通の便がいいとは言えない「あんな」場所に、流通の要と言える市場を置くことは——立地条件としては、好条件のようには思えませんけどねえ。

 国際展示場から東京駅へ行くのに、毎回どれほど面倒な、難儀なことになっているか。これは私の実体験。
 その体験上、「こんな不便なところに——渋滞になったら二進も三進もいかないようなところに、輸送の時間の早さを競う市場なんてものを置いて大丈夫なのか」という疑問があります。
 この移転話を聞いたときからずーっと疑問に思ってきたこと。
 橋の数は当時よりは増えてはいますが——それでもこのあいだの夏コミの帰りには、タクシーの運転手さんと、「どーすんですかねこんなところに」という話題で盛り上がるほど「不便」を感じましたからね——渋滞由来の信号待ちのため、上がり続けるメーターを眺めながら、あきらめ気分で。

 いろんな人のいろんな思惑、もとい、お考えも利益もあるのでしょうが。

 あの場所へ移転することは「適切」なのかどうか?

 常にその問いかけを中心において、諸事、考えたり対応したり、した方がいいんじゃないすか。

 とはいえ、マスコミが、相変わらずのイメージ操作で遊んでいるのは、本当に勘弁して欲しい。
 確認された事実と、自分たちの勝手な憶測を、テキトーに混ぜてものをいうのはやめて欲しいですよいい加減。

 都知事は、防衛大臣在任時に、防衛省の不正問題をさばいた実績がおありになる。
 今回の築地市場のことも、「内部」でごちゃごちゃやっているところが多いようですから(意思決定プロセスすらはっきりしないとはどういうことか)、今回もきれいに「腑分け」して、整理してもらった方が、後々のためになるのではないでしょうかね。

 そう考えると都知事選挙のとき、石原慎太郎氏、石原伸晃氏が、なんですかやけに小池さんを罵倒して嫌がっていた「気持ち」もわかる——気もしますが、すみませんこの辺は「憶測」よりも悪い、私の「妄想」ですね(笑)

 マスコミにおかれましては、感情論と憶測は禁止事項にして、現在確認できる事実だけを発表するようにお願いしたいと思います。
 こういう大事なことを、程度の低いエンターテイメントにしてんじゃねえや、と——
 まあ、そういうことです。言いたいことは。
 
 
関連記事

タグ : 時事問題

13:51  |  身辺雑記2016  |  EDIT  |  Top↑

2016.09.20 (Tue)

映画「君の名は。」(多分ネタバレ含む)

 本日は小田和正さんのお誕生日です(めでたい♡)が、だからと言って何をするわけでもなく、ただ手を合わせて感謝を捧げるのみでございます。
 
 ………気がつくとここ何年かのうちに、ずいぶんと、——子どもの頃から頼りにしてきた、あるいはファンでいた人々が、彼岸の人となっておしまいになって。
 ときどき、もうあの人はいないんだなあという不在感に胃が痛くなるような、心細い気持ちになることが増えておりまして。

 小田さんも——「さよなら」を聞いてノックアウトされたのが、当方 12 歳のおりでした。
 未だファンをやっていられるありがたさ。
 そんなあたりをしみじみ感じ入る今日でございます。

       ●

 で、築地市場の移転をめぐる話題で、またしてもマスコミがヒドイなということを書こうかと思っておりましたが。
 昨日、映画「君の名は。」を見てまいりまして、思うこと幾つかを——こういうことってもう「なまもの」でして、時間を置いてしまうとこの勢いも感覚もなくなってしまうので、こちらを優先でまいります。

 いわゆるネタバレをせずに映画感想を書けるか、と考えましたがどうにも自信がありません。
 ということで、本文は以下「続きを読む」(追記部分)に隠しております。

 ケータイからですとこの本文の折りたたみがなくて、そのまま引き続いて表示されておりますのでご注意ください。
 ケータイ、スマホからご覧になっている場合はこの辺でページそのものを閉じてやってくださいませ。
 というわけで、ネタバレ駄目ですよという方、本日はこれにて失礼いたします。m(_ _)m

 御機嫌よう。

関連記事
14:03  |  映画/ドラマ/演劇  |  EDIT  |  Top↑

2016.09.19 (Mon)

好みの香り

 お彼岸の入りと、敬老の日ということで。
 昨日は、少々気が重い、気が滅入るところを(ヘンなふうに)気合を入れたせいで、今日はちょっと虚脱状態。(^^;)
 そんなわけで今日は本当に雑談で、お気楽に。(^-^)

 現在使っている香水が、この2種類に絞られてしまいました、というお話。

 左が、ジェニファーロペス グロウバイジェイロー。 右が、ニナリッチ レールデュタン。

IMG_1313.jpg

 ジェニファーロペス・グロウバイジェイロー glow by J.Lo はもう、定番そのものになりまして。
 いまのところ、これにとって代わるようなものが見つかりません。
 基本的には「ホワイトローズ」の香り、ではありますがベタつかず、なぜか、ほんのり、石鹸のような、あの湯上りにふわっと香る、あんな感じの香りがするところがお気に入り。

トップノート: ネロリ、オレンジブロッサム、ピンクグレープフルーツ
ミドルノート: ローズ、サンダルウッド、アンバー
ラストノート: ソフトムスク、ジャスミン、ニオイイリス、バニラ



 となっておりますが、オードトワレと聞いても、え、そうなの? というくらいに軽いです。
 何がありがたいかって、割とすぐに香りが引いていくところ。
 
 なぜああなるのか存じませんが、コロンと言われるものであっても、中には、いつまでもいつまでもいつまでもいつまでも匂いが残るものってありますよね。
 本当にこれコロンなのか? と疑ってしまうようなものがあります。

 ラストノートが、いつまでもしつこく残るものは苦手です。香りが好きか嫌いかの問題ではなく、朝つけたなら夕方にはもうほとんどわからない、くらいにあっさりしたものがいいなあ。

 ……と思いながらなかなか気に入ったものがなくて、かなりいろんなものを試してきました。もう何年も「香水ジプシー」状態。(^^;)
 ほとんどあきらめかけた頃、ようやく巡り合えたのがこの香水でした。
 
 自分の定番として使えるものが1種類だけではちょっとツマラナイな、と思って、その後もあれこれ探してきましたが、そういうわけで、なかなか、これはというものがない。(^^;)
 もとから、たぶん日本人は香水を使う「必要」があるほどの体臭はないせいでしょうが——まあとにかく、「合わない」ですね;;
 
 トップはいいようでも、ラストのムスクが凄すぎて気持ち悪くなるとか。
 なんとなくいつまでもジャスミンが匂いすぎて気持ち悪くなるとか。

 だからって「無香料」も面白くない…ということで試すんですが、なかなか。(^^;)

 そういう中でいちおう使える、ということで今、残っているのは、ニナ・リッチの「レールデュタンL’air du Temps」——「時の流れ」という意味だそうで。
 発売は1948年、戦後まもない頃ですね。ニナリッチの古典的名昨、というところらしい。
 やはり長いこと人気が絶えない香水っていいのかもなあ、と思います。
 基調は、やはりベタつかない、フローラルスパイシー。

トップノート: ベルガモット、シトロン、ピーチ、ジャスミン、ガーデニア
ミドルノート: ローズ、カーネーション、イリス、イランイラン、リリー、
ラストノート: サンダルウッド、ベチバー、シダー、クローブ、ブラックペッパー、ナツメグ、バニラ、ムスク



 ということで、こちらも、フローラル系で、かつ、さっぱりしたもの。
 こういうものが好みなんでしょうね。
 
 自分の好みなのに「なんでしょうね」とはいい加減なと思われるかもしれませんが、香りの好みって「私の」好みというより、体質、体そのものの好み、ではないかと。

 ミントの香りなども、「私は」好きですが、でも、これも長い時間は持たないんですよ;; 気持ち悪くなる;;
 友人は、リラックスアロマとして有名なラベンダーがなぜかダメで、気持ち悪くなるという。

 自分の好みではなく「体質に合うか合わないか」が、香りの基準にはあるようです。自分の意志や好みは関係ない。(^^;) 面白いもんですね。

 だから、自分にとってはいい香りでも、人さまにはそうではない、というのも当たり前のことなんでしょう。
 自分で自分の香りがわかるようでは「香水のつけすぎ」だと思って間違いない。自分ではほとんどわからない、くらいでいいでしょうね。

 それではつまらないということなら、ハンカチに香りを染み込ませるとか、夏であれば扇子にちょっとだけつけておくと、自分だけでそっと香りを楽しむことは可能。
 扇子につけた場合は、扇子を半分程度に開き、自分の顔にそよ風が当たる、くらいで。全面開いてバタバタ煽ると、当然、周囲に香りが行っちゃいますので、「香害」にならないようにご注意を。
 仮に香りがなくても、扇子というのはそんなに、周囲に風が行くほどバタバタやるもんじゃないですけどね。マナーとして。(^^;)

 ……閑話休題。

 とはいえ、私、レールデュタンすら実はあんまり使っていなくて、本当にジェイローの方ばかりになってます。(^^;)
 これひとつだけじゃちょっと寂しいかな、とは思うんですが、香りはやはり難しいもので、なかなか、これほど使いやすいものは他にはちょっと見つかりません;;
 
 当面は、ジェイローを自分の定番とするしかありませんが——そういうわけで代替の利かないものなので、これ、廃番になったら泣くよ;;
 レールデュタンみたいに、古典的名作ってことで、何十年もこの先、残っていて欲しいです。


 余談ですが、香水というのはやたらには他人にプレゼントしない方がいい、とも言われますね;;
 人に香水を贈るのは、「お前、ちょっと臭うからこれでもつけてろ」という意味になるとか。
 ハンカチを贈るのが別れの合図というような感じで、そんな風に言われることもあるようです。

 香水を贈るのって、でも、そういうわけで、好みというよりその人の体質によると考えるとなかなか難しいものですから、勝手に贈るのではなく、相手の意向を聞きながら、という方がいいでしょうね。
 そういうことからの「知恵」かもしれない………と、できるだけ好意的に考えてみる。(^^;)
 
 
関連記事
11:38  |  香水・コスメ  |  EDIT  |  Top↑
 | BLOGTOP |  NEXT