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2016.06.30 (Thu)

話を聞く

 早いもので本日で6月も終わりですね。
 ということで、今日は「夏越の祓え」、半年ぶりの罪・穢れを祓うというご神事がございます。

 私もなんどか、地元、三嶋大社の夏越の祓えにお参りしたことがあります。
 
img_H24_tinowa.jpg
http://www.mishimataisha.or.jp

 半年分の罪・穢れかあ……。
 まあ、半年もあればじゅーぶんイロイロ、積もり積もってますよね。(^^;)

 今年はお参りはできないので、人形(ひとがた)をお送りしております。
 これでまた夏が来るわけですね。
 でも、本来の旧暦での夏越の祓えの季節感は、文字通り、「夏を送る行事」なんでしょうかね? 現在の暦で6月30日というと梅雨明けもまだですが、旧暦だと現在の7月下旬〜8月初旬くらいにはなるでしょうか。
 旧暦七夕は、晩夏から「秋」の行事ですもんね。
 季節感の違いについてはときどき考える……。

 ともあれ今日は和菓子「水無月」を召し上がって、夏の厄除けってことでいかがでしょう。(^^)

        ●



 そうそう、そういうこと多いよなーと思ったツイート。

 マウンティングという言葉を聞いたときは、わかりやすい、イメージしやすいといえばそうだけどまたなんつー表現をするのだ、と、ちょっとびっくりいたしました。(^^;)
 本来のマウンティングは動物の交尾の態勢のことですが、人間関係におけるそれは、「他人の話を横取りして、自分の優位性を示す」ことだそうです。

 誰かが自分の買い物の話をすると、よこから割って入って自分はもっといい買い物をしたのだという自慢話にすりかえる、というような。

 基本的に、人の話を聞かない、という姿勢ですね。

 上記ツイートも、これの前のツイートでは主さまが、とあるリアリティ系の番組中にみられた場面から、思いついたことをつぶやいておいででした。
 が、主さまのいいたいこと、あるいはお話になったことはまるっと無視して、「リアリティ番組なんて結局はやらせであり、まともに受け取るものではない」ということを言ってきた人がある、んでしょうねこのようすだと。
 マウンティングもそうですが、こういう「人の話を聞かない」人ってけっこういるなあ、と思いまして。 

 顕著なのは、「ほんとうにあった怖い話」のような、個人の体験談かな。
 ちょっと不思議な体験について話を聞いていると、そんなもん幻覚だろう勘違いだろう見間違い思い違いだろう、そんなものがあるわけがない非科学的迷信……と、まあなんでそんなに必死になってんのと言いたくなるくらい、否定しまくる人があるわけで。

 仲間内の集まりのとき、若気の至りでそんな体験談をうっかり漏らした友人が、そういう具合に「科学的な」ヤツにいじめられまして。
 私も最初は黙っていたけど、あんまりその科学野郎がしつこいので、こちらも若気の至りで、
「あんたさ。人の話を聞く気がないなら◯◯へ行ってれば?」
(合宿中のことだったので、その後の予定があり、そちらへいってこい、ということを申しました)
 と口走り、その場を凍りつかせたことがありますすみません。

 これはちょっと極端な例ではあるでしょうが、でも、こういう次第で「人の話を聞かない」ヤツって多いよな、と。

 今回のツイートでいえば、主さまは、とある場面についての感想を語っただけのこと。
 それがリアリティであろうがフィクションのドラマだろうが、思いつくことには変わりはない。
 テレビに映し出された場面が虚か実かは関係なくて、話の核はべつのところにある。

 それなのに、「あんなものを真に受けるなんて馬鹿」というコメントがとんでくるというのは——なるほどこれがマウンティングとかクソリプとか呼ばれるものなんだな、そういうことする人ってようは「他人の話を聞いてない」んだなあ。と。

 ちょっと不思議なことに遭遇しやすい友人はそんなわけで、自分の体験を話すのに、それを話していい相手かどうかを、ずいぶん慎重にみるようになりました。基本的には他人には話しません。が、本人にしてみればちょっとキョーレツなものがあるので、人に話すことで気持ちを軽くしたいんですよね。
 彼女の体験が、事実かなにかの勘違いなのかは問題じゃないのです。
 彼女が、怖い思いをしていて、それを吐き出すことで気持ちが軽くなることが、大事なことなのです。

 主題は、彼女の気持ち。でございます。
 その体験が事実かそうじゃないかなんて、どーでもいいこと。

 でも、そのどーでもいいことばかりを拡大し、それだけならまだしも、主題である人を馬鹿にするというのはどういうことか。

 私が「科学野郎」が大嫌いなのは、このへんが理由なんですが。
 でも、私が科学野郎を嫌う理由が、そうやって「人の話を聞かない」のみならず「マウンティング」してくる、というイヤラシサにあるとすれば。
 ……嫌っているのは、科学野郎「だから」ではない、ってことになるんでしょうね。(^^;)

 だれかの体験談を聞いて、自分には自分なりに、思うことも感じるものもある。それはそれで、自分の話としてだれかに聞いてもらえばいい。
 人が話しているときは、その人の話を聞け——と思いますが、たぶん、「人の話を聞く」とは、どんなことをいうのか、わかってない人って私が思うよりも多いのかも。
 ——と思ったツイートでした。

 ツイッターはそれこそ「つぶやき」ひとりごとなんですから、——だれかの話をきいて自分なりに思うことがあったなら、自分の(単独の)ツイートにしておけばいい。
 なにもわざわざ、相手に返信する必要はない。
 クソリプと、ちゃんとした(相手の話をちゃんと聞いてそれに沿った内容の)返信との違いは、このへんにあるんだろうな。

 マウンティングとはそれにしても、ひどい言い方ですね。(^^;)
 感動ポルノって言葉もそうだけど、言いたいことを誇張したいがために不必要に扇情的な——どうかすれば下品になるかもしれない言葉を使う手法は、私はあんまり好きではありません。
(売らんかなのマスコミや左巻きが好む手法だ)(好きなわけがない)
(馬鹿と基地外は声がでかい、というときの、声がデカイとはこういう手法のことも含みます)

 人の話を聞くなら聞く。
 自分にも言いたいことがあるならそのあとで。または機会や場所をあらためる。
 人の話を聞く気がないならさっさと退席。

 これだけでも、実現できたら、この世の中もけっこう風通しがよくなるんでしょうにね。
 
 
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2016.06.29 (Wed)

偽装犯罪

「炎上」は少数の繰り返し
2016年 06月 27日 ロイター

 日本経済新聞の記事ではもう少し詳細に書いてあったんだけど、見つからないのでとりあえずロイター電。
 見つからないのはうちの新聞。電子版の日経さんの記事は有料会員じゃないと読めないものなので引っ張ってきていません。(^^;)
 日経さんの記事では、その書き込みを繰り返すひとの、さらにくわしい内訳を書いていたんですが……あとで新聞(紙)みつかったら追記しますかね。

 ともあれ。
 炎上というと、大勢のひとがわーっと騒いでいるイメージですが、実態はそうではない、ということはこれまでも言われてきました。
 詳しく調査した結果、それがはっきりわかった、ということですね。

声が大きい一部の人によって炎上している実態を示す結果だ」とのことで、
「バカと基地外は声がでかい」
 という私の持論も、ちょっと補強される材料を得たように思います。(^^;)

年収高いほど、子どもいるほど「炎上」に荷担 実証研究が話題に
2016年04月04日 ITmedia ニュース

 同じく国際大学グローバル・コミュニケーション・センターの山口真一さんによる調査ということで、上記の調査結果も今回に先立って4月に発表されていたんですね。
  
 学歴や、一人暮らしであるかどうか、既婚未婚の違いは有意差とはならず、高収入、男性、子どもがある、さらに子どもと同居の場合は炎上に加担する割合が高い、という結果。
 で、今回の調査結果では、炎上の「実働」人数はじっさいはかなり少なく、少数が繰り返し書き込み等をしている、というようすが見えてきた、と。

 炎上も本当に核になっているひとは限られている、というのは、まあそんなところだろうなあ、と。
 核となる人数は少なくても、ひとつの騒ぎになれば人情としてはついつい、どーしたの、というくらいはやっちゃいますしね;;
 炎上をみたときは、やはり、黙って無視するのがいちばんいいんだなと思いました。
 で、犯罪レベルを確認したらさっさと速やかに、しかるべき機関に通報する、と。
 それしかないか……残念ですが。

 おおむね炎上というのは、アホな書き込みの山になっているので、世の中にはこういうアホがいるんだよねと指摘したくなりますが、それをやってしまうと結局、そのアホがどんなことを言ったりしたりしているかについて触れるしかないし、それは結果的にそのアホのいいぐさの拡散をしていることになる。

 炎上させてるオマエがいちばん不愉快なんだよと指摘したいところを我慢して、無視する。結局これしかないんですねえ……。(ー ー;)
 でも「被害者」のことを思うと、それも見殺しにするようで、心苦しいのも事実。
 なにか有効な対策ってないものでしょうかね。

「正義なんてクソ」だというのも私のポリシー(?)になっちゃいましたが、それを裏付けるような調査結果であり、そのへんは興味深いものがあります。

 正義ってなんだろうなあ。
 本来的には、自分の立場と利益を「表明」するものだと思っていますが。

 でも、こういう、不要の争いごとをわざわざ引き起こすのは、自分の立場や利益とも無関係なんですから、本来の「正義」ともさらに違う。
 自分のエゴを暴走させる、その「口実」になっているだけ。

 日経さんの記事では、その「炎上」を繰り返す理由として、「許せない」からというものが多かったようですが。
 許せないつったって、アンタはその話とは無関係でしょうよ、というこの理不尽さ。

 自分には無関係のことで許せないといって勝手に怒って、無関係の人にいきなり暴力を振るう。
 その非を指摘されれば「正義感からだ」といって居直るわけですね。
 まあご立派なことで(嫌味)。

 こちらとしては理不尽な攻撃をされるひとをみれば庇いたくなるのが人情ってものですが、——SNSなどの場合、下手なことをすると、かえって「犯人」の手助けをすることになってしまう。
 ほんと、どうにかならないものか。

 ただ、「正義(感)なんてろくなもんじゃない」「そんなもん、さっさとドブにでも捨ててこい」は、確かなことなんだな、という気持ちを強くした記事でした。
 
 
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2016.06.28 (Tue)

「女性と茶の湯のものがたり」



 たぶん現在ではほぼ死語と思われますが——私が子供の頃にはまだ「花嫁修行」という言葉は生きておりまして、で、その典型としてはお茶、お花が代表的な項目にありました。

 ということで、お茶=茶道なんていうと「女性の領域」にあるものというイメージでしたが、じっさいはそうではなく、お茶は「男性のもの」であり、明治までは女性はほぼ社会的には「閉め出されていた」というのが実態。

 じっさいこういう、男のものだの女のものだという「イメージ」ってほんっと、いいかげんですよね。
 私はむしろお茶は女性がやるものだと思っていたけれど、「組織」としては、社会的には「男社会」だという現実。
 
 もうかなり以前ですがNHKの「ようこそ先輩」という番組で、京舞の井上八千代さんが母校の小学校で特別授業、というのがありまして。
 そのうちの小学生の男の子が「(舞などは)女がやること、こんなことはいや」だとゴネてまして。
 ああくだらねえなあ、と思ったことを思い出します。

 あんな年頃で(というより、あんな年頃だから、か)すでに、ああいうくだらない概念はぎちぎちに人を縛ってるんだな。と。
 なにがくだらないかって、男がやるものだとか女がやるものだとかいうのは、なんの実態も根拠もない「幻想」だから。
 ご本人の「思い込み」だけなのに、それがさも当たり前の常識であるかのように「他人に押し付ける」ところ。

 舞踊は女のするものってねえ、アンタそれ、舞踊に命かけてるおじさんおにいさんたちに同じこと言えんの? と、本気でむっとしてました。(^^;) ←おとなげない
(脳裏には、例えば、玉さまがイメージされていた)

 ということを思い出したほど、この「お茶」のイメージもずいぶんいいかげんだったな、と思いました。

 興味深いのは筆者の依田徹さん。
 とあるお茶席でのひとことが、本書のきっかけになったとか。

 席主の女性から依田さんご自身が言われたんだそうですが、
私たちは男性からお茶をお預かりしているだけです
 と。

 それはお世辞あるいは謙遜だったかもしれないが、ほんとうにそれは「妥当」だろうか。——という疑問から、この本へつながっていったということで。

 いやもう、ありがたい世の中になったねえ、と思いました。
 フェミニストも、自分たちの権利その他を訴えるのもいいんだけれど、たまには、こういう殿方に感謝の意を表してもいいんじゃないかなあ。
 こういうしなやかな発想が、少しずつでも現れるようになったというのは、ありがたいことだと思ってます、個人的には。

 ともあれ。
 本書は「お茶の女性史」として読める労作ですが、でもけっして堅苦しいものではなく、全12話のアンソロジー、といった趣きで語られていくので、読みやすく、親しみやすいのです。

 千利休の後妻となり、利休を助け、またその茶道確立にも(じつは)大きな影響を残している千宗恩が第1話の主人公。
 そこから、女性茶人をピックアップしながら、江戸時代、明治大正昭和、現在にまでその歴史が綴られていきます。
 正史は「人殺し名鑑」ともいえますが、いわゆる「正史」からちょっと外れたところにある歴史もまた、見るべきものと思います。

「しばしば言われることだが、女性の茶に関する資料はとても少ない。……しかしながら、記録が残っていないことは、決して「無かった」ことを意味するものではない。むしろ資料に残らないところにこそ、女性の茶の実態があったのではないか」



 依田さんのお言葉ですが、そのとおりだと思いますねえ。
 水屋に詰める人がなければ茶事は成り立たない。記録は残っていなくても、その働きが無かったことにはならない。
 そういうものだと思いますね。

 私も「歴史」を見るのには、下世話、俗、卑俗、といわれるものを主題にした本を読むのが好きで、ときどきとんでもなく「下品」なことを知っているのを他人から驚かれたりしますが、——でも、人間の姿とか、当時の人の「感覚」は、「正史」の記録よりも下世話なところにこそ生きていると思うんですよね。
 下品とか低俗とかいわれるもののなかに、人の「実感」がある。そうおもいます。

 だから当時のトイレ事情に(へんに)くわしいとかフェノロサには否定された浮世絵大好きとか、色街の話をけっこう知ってるとか(『男でも女でもよし町と言ひ』)、川柳、都々逸の本を読むとか、妖怪譚が好きとか……あげくのはてには春画に(へんに)くわしいのがばれてドン引きされるとか。
 でもそういうところに、「生の人間」の「歴史」があるんだからしょーがない。(^^;)

 そういうなかでも女性についての歴史は、とにかく無視され記録されずにきただけに、ちょっとでも手がかりがあると聞くとついつい、手を伸ばしてしまう。

 私はそういう関心から本書を手に取りましたが、じっさいご自分がお茶をなさる方々には、さらに面白い、興味深い本なのではないかと拝察いたします。

 とにかく少ない史料をまとめる苦労は相当なものと思われますが、そのあたりのことは、飄々としてみえる文章の奥に隠れているようです。
 奥ゆかしいことですが、「ぱっと目につくものではない」からって無視しないで、そのあたりも、味わっていただきたいなと、僭越ながら思った1冊。
 
  
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2016.06.27 (Mon)

投影

 イギリスが国民投票で、「EUから離脱する」の結論を得たわけですが——だいぶ混乱しているようで。
 EUのエライ人たちは、イギリスとの早々の交渉…といったのか「話し合い」といったのか、ともあれ、その件については早く話し合いたいということを発言しているとか。

 金融市場等の動揺ぶりは目も当てられないありさまですが、でもじっさい、これ、どーなるかはまだぜんぜんわかりませんよ。
 あのEUのエライさんがたの顔色を見ても、あなた、そう簡単には話はすすまなくってよ、と思いますね。(^^;)

 離脱がそもそも可能なのかということも問題だし、かりに離脱ということになったら——あのエライさんがたは、「慰謝料」をふんだくる気満々ですね、あのようすじゃ。
 だからここでそうガタガタする理由もないはずなんだけどねえ。……いえ、そりゃ企業等は、離脱もあり得るということを考えて戦略たてておく必要はあるでしょうが。

 と思っていたら、「離脱派が勝っちゃって、イギリス人自身がびっくりしている」というニュースも入ってきまして、最初に聞いたときは、「は?」でした。(^^;)

 投票後にいちばん多く検索された言葉がグーグルから発表されたそうですが、「EUってなに?」が上位にきてるって……。

 
 よく検索された言葉、2位のところですね。EUってなに? って……。
 ……そこから? (°_°)

         ●

 あんまり固有名詞がはっきり入っているものは取り入れないようにしてますが、これは悪口の系統ではないのでいいかな、ということで引用。



 ここで登場している方々を、世情に疎い私はほとんど存じ上げませんが(すみません;; やっぱりテレビは少しくらいは見るべきでしょうか;;)言っていることにちょっと興味を惹かれまして。

 付き合う相手はなぜか(選んでいるつもりもないのに)メンヘラ女ばかり、という人がいて、なんのことはない、それは彼自身が、健康な人をもメンヘラにしてしまうようなクズなんである、というお話ですね。
 
 自分が招いている結果であるにもかかわらず、自分以外のもの——環境なり人間なり——に責任をかぶせてしまい、自分は何も悪くない、とうそぶいている。
 そういうことは、他にもけっこうあるよね、と思いまして。

 自分のことを顧みるよりも先に、だれか、なにかのせいにする——これはどうしても、やらかしてしまうことかな。
 一言で言うなら、幼稚。

 でもこの幼児性は年齢に関係なく、本人が気付かない限り、じっさいの年齢が幼児であろうと100歳にまでなっていようと、関係なく身に添ってくるんだよねえ。としみじみ。
 
 誰かの悪口を言うと、それは結局は自分自身の悪口になる、という心理実験もある。
 被験者に、なんの実験かは伏せたまま、ただ世間話のふうであれこれ話してもらうという実験。
 とにかく嫌いな人についてしゃべってもらう。最初のうちこそ誰もが嬉々として(?)、その嫌いな人のことをあれこれ悪く言う。話を聞いている人はなにも遮らず、うんうんと聞くばかりですから、調子に乗ってきてどんどん嫌いな理由、悪口を、日頃の鬱憤(うっぷん)ばらしとばかり、言い続けるわけですね。

 でも、ある時点から——大抵の人は、だんだん決まり悪そうな顔になり、最後には黙り込んでしまった。(全員ではありませんが)
 なぜかというと、その「嫌いな理由」「悪口」が、自分に当てはまることに気がつくから。

 ……ま、そういうもんだろうな、と。
 心理学でいう「投影」なんでしょうね。

 その投影の考え方に基づいていうのなら、もちろん「メンヘラメーカー」さんにもそういう側面があるでしょうが、であれば、そういう人には近づかないか、そうだとわかったら可能な限り——情がうつるまえに——なんとか、切り上げてくる、ということも、自分を守る「知恵」として、考えられたらいいなと思います。

 面白いな、と。
 面白いなどと言っては怒られるでしょうが——でも、俯瞰してみますとね。

 以前には、どうもご自身の容姿に強いコンプレックスがあるらしい男性のツイートを見たことがありまして、それによりますと、
「世の中の女性は顔で男を選んでいる。顔がいい男は当然モテるので、浮気も多いだろう、そういう相手を自分が選んでいながら、浮気されては泣いている。
 つまりは顔で男を選ぶ女が悪い。男は中身で選ぶべき」
 というのですが、それももうひとつひっくり返すと、「容姿には恵まれていないけれども、中身がよろしい自分であれば、浮気もしないのに」ということなんですよね。

 さてさて。

 顔でばかり選ぶのはご自分の方なのでは? と私は思いました。(^^;) それこそ、投影で。

 自分が外見コンプレックスであり、外見を基準にしているので、他人もみんな自分と同じで外見を基準にしているはずだという思い込みがまずある。
(中身には自信がありますというのも、なかなか「立派」なことだと思いますが、それはさておき)

 悪いのは、自分なのか他人なのか。

 他人をいくら責めても、でも、どうにもならない、ということ、多いんじゃないでしょうか。
 確かに相手も悪い。でも、それでも、自分にできることが、まったくないわけでもない。

 他人を変えることはできない。でも自分は変えられる——とは、ちょいちょい聞く言葉。
 そんな言葉を聞いてもうんざりするばかり、というお気持ちもよくわかります。苦しんでいる最中にそんなキレイごとを言われてもね、という気持ちもわかる。
 でも、じっさいそのとおりだからしょーがないです。(^^;)

 自分を変えることはしんどいことではありますが、でも、ほんのちょっとでも変えることができたときの——喜びというんでしょうか、ちょっとした充足感は間違いのないところですし。

 不思議に自分が変わると環境も人も変わる。これも確かなこと。

 誰かが悪い、ということでは、結局は、ないのかもしれません。


 どなたさまも、すこしでも、お気持ち、楽にできますように。
 ひそかに(自分のことも含めて)願うのはそんなこと。
 
 
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2016.06.26 (Sun)

本日おやすみ

今日はまたちょっとお出かけのため、こちらおやすみいたします。

梅雨も本気モードとなっているこのごろですが、雨が多すぎるところ、少ないところとあって、もうちょっと均等にいってくれないかと思ってしまいますね。
できるだけ穏便な梅雨を願いたいところですが…。(ー ー;)

今日はこちらは雨はない……予定のようですが、多少の雨ならOKという、晴雨兼用日傘持参でいってきます。

皆様もどうぞよい日曜日を。

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2016.06.25 (Sat)

声なき声

 そんなわけで昨日は、イギリスの国民投票の結果、EUから離脱ということになり、各金融市場は大混乱の阿鼻叫喚といったありさまでした。
「まあちょっと落ち着け」
 と言いたくなるような反応っぷりでしたねえ。(^^;)
 まだじっさいどうなるのかはぜんっぜんわからないっつーのに。

 私から見るとどうもあの——株式相場にかかわっている人々って落ち着きがないというのか、すぐに過剰反応するので「小心者」というイメージです。しかも、大勢さんでいっせいに同じ方向へ走りだすのが、節操ないねえという印象。

 などというと、投資をやっている人からは悪し様に罵られる、ということは承知しております——このうえなく見下されるということも。(^^;)
 まあ、相場に関係していればそうならざるを得ないという「理屈」はうかがっております。その世界の中では当たり前のことであり常識であり不可避のことでもある。
 ぼーっとしたまま「資産運用」をせずに「損をしている」「馬鹿」な私などは、あちらさまからすればオマエこそが愚かなのだということになる。
 それはそれで、承知しております。

 それでも——、「なんかちがう」という感覚を引っ込めるつもりもなくて、「たいへんですね」といって眺めている。 
 昨日もそんな感じでした。

 それはともあれ。
 いろいろお話も聞いておりますが、結局、経済条件、政策がどうたらよりも、移民問題がいちばん大きな要素となって「離脱」が選択されたように思います。

 キャメロン首相がお辞めになるのも今回は仕方のないところ——離脱とあっては政策方針がまるっきり違うのだし、「離脱の手続き含めてあとのことは、後任の『ふさわしい』人に」というのは、当然でしょうね。
 そんなにいうならお前がやれ、と。
 私ならそう言っちゃう場面だもんなこれ。と思いました。(^^;)

 私はもとから移民政策には懐疑的であり、途中からははっきり反対の立場となりました。
 人の移動そのものには反対しません。
 でも、移民には反対。

 人間にも「根」があるということを、なぜ、そうも簡単に無視するんだろうというのが、私の疑問です。
 根を持たない人間は根無し草になってしまう。根を持たないというのは単にアイデンティティーというだけの問題じゃない。たぶん多くの人はそれを理解していない。

 コスモポリタンというものは存在しない幻想だ——というのは、いわゆる「国際化」された場所へ放り出された時に思ったことでした。
 多国籍の方々とごいっしょするなかでは、コスモポリタン——「世界市民」「国際人」はいないと感じました。私について言うなら、そういう場に置かれたとき求められたのは「日本人であること」でした。

 複数の価値観や文化を飲み込むという意味でなら世界主義はわかる。けれども、それはイデオロギーなんであって、個人の「精神文化」や「信仰」のなかには落とし込めない。
 世界主義の色が濃くなればなるほど、その場に「適応」するには「自分が何者かという核」が必要になる。

 その核がしっかりしていないと、多種多様なもののなかで自分が埋没してわけわかんなくなる。わけわかんなくなって混乱した人間には、あの場に「適応」することは不可能。
 世界主義というのは、「適応した姿」のことにすぎない——と思いました。
 しっかりした根、核があってこそ、他人の持っている根や核を理解し、尊重する、その重要性がわかる。
 根、核を持たない(自覚できない)人は、他人にとってもその核がどれほど大事か、感覚的に理解できない。

 移民は。
 その「根」をいちど断ち切ること。
 不可能だとはいわないけど、誰にでもできることではないと思います。——本来は。

 今回、離脱派に目立つのは、移民政策への強い反発、反対。
 おおっぴらには言えないことが多いようで、あまり耳にすることはなかったと思いますが、「声なき声」がたしかにあった——ということなんでしょうねこの結果からすれば。

 差別というのなら、そりゃ差別はよろしくない。
 でも、移民を受け入れる側に差別は良くないというのなら、移民自身にも、「受け入れてもらう」という姿勢は必要なはず。そう思います。 
 受け入れる側に心構えがあるように、新たに入っていく側にも、そこにあるものへの敬意、自分が変容しながら適応するという心構えは必要でしょう。
 
 どうもこれまでは、受け入れ側のことばかりとやかく言っていて、入っていく側に必要なことについては、あまり語られてこなかったんじゃないでしょうかね。
 先住文化を無視して、いきなり他人の土地へ乗り込んで「自分のものとして取った」気でいるのだとしたら、これはこれで差別の精神といえるでしょう。

 そうして根を絶たれた人々は——もとの根には戻れず、といって、新たな土地は、もともとの土地とは環境も条件も違うので根をおろすのは容易なことではない(園芸をやってる人、植物を育てて手入れする人になら、わかってもらえると思います)。
 うまく根付くことができず、なかには根腐れしてしまうこともあるでしょう。

 今回、離脱派が勝利したのは経済面から考えれば「意外」でしたが、移民はひとの自然に逆らうことだという見方からすれば、——じゅうぶん、ありえる結果でした。

 こういう時代ですから、国境も飛び越えて人が移動していく、労働市場では国境は無意味になっていく、そのこと自体には私も反対なわけでないし、むしろその流れは加速こそすれ減速・後退することはないでしょうし、そのこと自体は不自然とも思いません。
 が。
「出張」と移民はまるで問題が違う——、そのことを、今回の結果は示したように思います。

 今回、残留派としては、可能であればこの移民問題についての、その声にはならない大きな不満の声に応えるべきだったんじゃないでしょうか。
 その不満を解消できるものを示せば、結果は違ったんじゃないかな。
 それができたら苦労はない——という、嘆き節が聞こえそうではありますが。(^^;)

 私としては今回のことはそれとしても、そろそろ、移民政策のきれいごとからヨーロッパは「卒業」すべきじゃないのかな、と思って見ていた昨日でした。
 
 
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2016.06.24 (Fri)

お門違い

 昨日から魂抜かれ気味で思考力も低下中。(^^;)
 通常よりさらにぼーっとしていると思われますが、ご容赦ください。

【ついに】消費者庁が Win10 強制アップグレード問題で注意喚起を発表! 回避策などをまとめる
/ ネットの声「マイクロソフトがやれよ」

2016年06月22日 rocket news24.com

 Windows10の、無慈悲な強制アップデートのお話、NHKが報じたりして、「あらいまごろ?」と思ったんですが、よくよく聞いたら、「消費者庁から注意喚起」が出た、というニュースでした。



 あいかわらずお役所と聞くと攻撃しないと気が済まないパブロフの犬の方々もいるようですが、これは消費者庁も気の毒だなと思いましたよ;;
 お役所も、「勝手なアップグレードはどうやって解除したらいいですか」って聞かれても、「うち、サポートじゃないんですけど」とびっくりするでしょうそりゃ。(^^;)

 Microsoftが悪質ですという「通報」は、理解できますけども。
 Windows10のアレがマルウェア並みと認められた場合でも、お役所の仕事はMicrosoftへの勧告あるいは「指導」がせいぜいで、ダウングレードの方法その他を指導するべきものではない。

 もう、ものの道理もヘッタクレもあったもんじゃないな、と思って消費者庁さんには同情した次第。

 とはいえ、お役所が注意喚起しなければならないほど、苦情、または通報が多いのも、事実なんでしょうね。

 じっさいMicrosoftさんも対応遅かったですからねー。メーカーとしては対応はそりゃひどいものだったんじゃないでしょうか。
 アップグレードするかしないかの自主的な選択を、事実上、ほぼ、「できないようにさせる」のは悪質。

 せんだっては、ネットからお試し商品を頼んだつもりが「定期購入」になっていて、しかも解約できない、ということが取り上げられていましたが。
 ああいうところはすぐに責められるのに、なぜ、Microsoftさんだと異様にかばいだてして、ユーザー側を悪しざまに罵る風潮があるのか——先日も書きましたが、やっぱり謎です。
 このロケットニュースの筆者の方もそれに近いお立場かな、と思って拝読。

 たしかにダウングレードもできるようですが、その場合の「犠牲」報告もかなりあるようです。
 Microsoftさんはそのへん含めて、早々にアナウンスすべきだった、というのが、私の立場でございます。

 記事のなかに「同じOSの更新でも Mac や iPhone なら、我先にと喜んでやる人も多いのになぁ」とありますが、——マックユーザーとして申し上げますと、やはりやたらなアップグレードは、それなりに警戒しますよそりゃもう。(^^;)

 ただ、MacOSやiOSの場合は、——サードパーティのソフトや周辺機器が巻き込まれることはあんまりない、という感覚はあります。
 Windowsの場合はもう昔から、下手なことをすると他のソフトや機器が一気に使えなくなるとか、とにかく怖いのはファイルを壊されたり消されたりすることで、私はいまだに、Windowsマシンについてはパソコンショップのサポートを厳重に利用してますよ;; 怖くて触れない;;

 それですら、サポートからは「こういうことが起こり得ますが、どーしますか」などと聞かれて、更新あきらめたりすることがある……。仕事で使っているので、へたな滞りが出るのは本気で困るので、滅多なことはできないという事情がありますね;;

 MacOSはたぶんunixの安定性をうまいこととりいれてくれて、だから問題の「切り分け」がわりと容易で、無関係のファイルまで消えるなんてことはない、そういう安定性を実現してくれたんじゃないかと思っていますが、——このへんの話は私の手には余る。
 ただ、Windowsはやっぱりまだ、unixほどの安定性にはいたっていないんじゃないかという気はしてます。ふつーに決まり切った業務をこなす分には、フリーズもしなくなってけっこうなことですね、という状態ではありますが。

 Windowsはなにかをやろうとしたときの「巻き込み事故」が怖すぎる——という印象が、ほんの少し薄れていたのが、このアップグレード騒ぎで、「そーだった。窓はアブナイんだよ窓は」ということを思い出してしまった——というのが、MS-DOSからお世話になっている、ひとりのユーザーの感想ではあります。(^^;)
 
 
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2016.06.23 (Thu)

パパ活に思うこと




 感想を求められても、「面白いねえ」としか言いようがないんですけども。(^^;)
(なんでアタシにそんな話題ふるんだよと疑問に思いつつ)

 パパ活ですかあ……。ネーミングがそもそも…ですね。
 まあ人の好みも考えも人生観もそれぞれなので頭から全否定はしませんが、でも、結局は寂しいなあという感じ。
 いつぞや、海外で日本の恥を晒しまくるおじさんたちは、——お金で買ったそれを「恋愛」だと思ってるんだ、という話を聞いたときはとにかく驚きまくり、そのあとはもうなんとも言えず「悲しい」気持ちになりました。

 恋愛か。……恋愛のつもりなんだってさ、あれが。
 なるほど江戸時代の吉原あたりじゃ、無理心中を迫る客から遊女たちを守る算段が、厳重に、あれこれなされたわけだよなあ、と、変な方向で納得いたしました。
 こうなってくると、恋愛ってなんでしょうね? という疑問が湧いてきますねえ。
 たぶん定義を語らせたら、もうそれこそ十人十色なんだろうな。
 ………日本では違法となる、海外での買春を、真顔で「恋愛」と言われてしまっては、私にはもう言葉もない。

 その一方では、この「パパ活」ってねえ。こちらは真顔で恋愛とまではいう気はないようですから——はっきり「収入」って書いてあるから——、そのへんは、まあよかったなと思いますが。(なにがよかったかは自分でもよくわからない)

 ただ、ここでふと思い浮かんだのは、「なにかと幸福感の低い日本の中でも、とくにお若い、未婚男性の幸福感が低い」というお話。

未婚男性の「不幸」感が突出して高い日本社会
2016年5月24日 15時45分 Newsweek 日本版

 記事の中にあることは、まあとくに目新しいこともないのでそれはいい。

 ただいまジョン・グレイ博士の本を、ショックを受けつつ目からウロコを落としつつ読んでいるわけですが、——火星人も金星人も結局は、「誰かを愛していたい」のにねえ、と思う次第で。

 これは聞けばちょっと意外に思う方も多いのではと思いますが、じつのところ、むしろ欲求としては男性の方が「愛情を与えたい」気持ちが女性よりも強いようです。
 ただ、——現在の社会、その文化や歴史において、そのへんが「許されていない」し、理解もされていない。
 愛情豊かな男性はむしろ、女性的だと排斥される「文化」になってる。

 愛情を分け与えることで自分が満たされていく、つまりは幸福感を得る、ということが、無視されたり冷笑の的とされたりで抑圧されている。
 未婚男性に幸福感がことさらに低いのは、その愛情を与える対象が(まだ)ない、ということと無関係ではないように思います。

 でもたぶん——男性自身、その欠乏感と「不幸」感の原因を、自分で認めることもできない——というのがグレイ博士の見解ですね。

 世の男性に幸福感が薄ければ、当然女性の方も同様となるわけなので、やはりここらへんで、いままでの「文化」を、ちょっと見直したほうがいいんじゃないかな。——いえ、ゆっくりとでもそういう方向へ向かっているとは思うのですが、もうちょっと加速させたほうがいいような。

 だれかに愛情を与えたい、という欲求があることは、いいことなんですよね。子供が、ちゃんと成熟した男性になった証ですから。
 まだ愛情を与えるべき対象をもたないゆえの欠乏感(幸福ではないと感じてしまう感覚)を、だから、否定はしないでもらいたい。

 でも、いまの世の中の空気とか文化とかって、そういうの、ぜんぜん認めてくれないんですよねえ……。
 愛情深い男性を「女性的」だといって否定、非難するのは、旧来型の男性のみならず、女性もそうなんだもんねえ。
 そりゃつらいですよねこの状況。

 私も自分と同世代の女性たちの、シナプスの先端まで染みついてんじゃないの? というくらい強固な「男は男らしく女は女らしく信仰」には、驚いたりうんざりしたりしてますもん、けっこう。(^^;)

 男性はじつは愛情を「与えたい」という欲求が強い(ある意味では女性よりも)のだということを、まずは自覚して認めてもらいたいし——これは世の中全体にそうなってもらいたい。
 
 女性の側にとっての落とし穴は、「信じること」の重大性を見落とすこと。
 男性にとって他者から「信頼される」ことが、命の根幹といえるほどに不可欠な要素だということを理解したいところ。
 女性は本来は、そういうことが得意なはず。——信頼感を寄せる、そのサインを送り「つづける」ということが。

 私はけっこう露骨な「男嫌いで女好き」ですが(でも残念ですがストレート;;)、女性が好きという理由がそのへんですもん。言われている意味、わかる気がします。

 ほかにもいろいろあるけれど、まずは、そのポイントを抑えるだけでも、ずいぶん「幸福感」は変わってくるんだろうなと思います。

 パパ活も——、まあそれでよろしいのであれば海外違法買春よりはまだマシともいえますから、あえて非難することもありませんが。
 おそらくここでいうSugerdaddy もまた、抑圧されちゃった欲求の、ちょっとゆがんだ形だろうと思うと、……ちょっと切ない気がします。

 愛情を与えたいという気持ちがあるのはすばらしいこと。
 私としてはまず、そのことを申し上げたいと思います。
 

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2016.06.22 (Wed)

「感情」を使いこなす



 歴史上の人物で「好き」な人はほぼいない。
 ——という話をしたときに、あんまり「感覚的に」わかってもらえないというか、はかばかしいお返事をいただけないことがありまして。
 自分の好き嫌いの感情を、ものごとの良し悪しの判断基準には用いない、って、そんなに理解不能ですかね?

 歴史上の人物でいうなら、あの人はこういうところがすごい、その人はその点がすばらしい、と「評価」すると、いきなりその人の「ファン」なんだなと思われることがあって、あれは正直言ってすんげえ迷惑です。
 坂本龍馬についてはあきらかに「ファン」ではありますが、それ以外の人々は、その行動言動思想思索選択それぞれについてを淡々と評価するのみです。
 高杉晋作の、下関戦争後の講和条約をまとめた件を褒めたところ、私を「倒幕派」だといって新撰組ファンのひとに「非難」されまして。
 私がどれほど驚き呆れ、「開いた口がふさがらな」くなっていたか、ご理解いただけるでしょうか。(^^;)

 交渉ごとはなんであれ困難なこと。それをきっちりまとめたのはすごいねと言っただけで、高杉ファンだと言われ倒幕派と罵られるのか。………意味わかんね(←ぼそっと)

 その人の業績をどう評価するかということと、人間として好きか嫌いかはまっっっっっったく!!!! 別だって考え、そんなに珍しいですか。そんなに理解できないことですか?

 ということで上記のツイートですが。
 ちゃんと前後関係を確認していなくて申し訳ありませんが、察するところ、小沢さんというのは小沢一郎さんのことでしょう。で、どなたかが——小沢さんのご夫婦関係に関わるプライバシーを引き合いに出して、たいへん侮辱的なことを言ったんでしょうね。
 それに対して、ツイート主、小田嶋隆さんがこのようにお書きになった、と。

 私はこの件については小田嶋さんに賛成ですね。
 主義主張なり政治信条なり行動基準なり過去の「実績」なりは、私は小沢一郎さんには、いい印象は決してなく、「功績」と認められるものは限りなく少ない、という立場です。
 でも、そういう「政治家としての評価」が、その人格を否定したり、侮辱するということに結びつくことには賛成しないし「理解」もしない。

 好きな人ならば無理矢理にでもよいように言い、嫌いな人ならすばらしい功績ですらクソミソに腐(くさ)す。こういう態度には賛成するわけにはいかない。
 ——先だっては舛添さんのやったことを「公私混同」だと、ずいぶん皆様、非難していたはずですが、公私混同というのなら、好き嫌いでことの良し悪しを「ねじまげる」態度も、なかなかの公私混同なんでは?

 自分の感情に、自分が振り回されるなとはお釈迦様もおっしゃったこと(法句経、他)。
 感情は、人間にとっては「道具」です。自分が使うものにすぎません。自分が使うべき道具に自分が支配されてはいけません。
 酒は飲んでも飲まれるなといいますが、そういうことですね。


 感情の使い方は、——自分の感情によって、自分がどんな人間か何を考えているのかなにを大事にしていて守りたがっているのか価値観はなにか、を知る。
 感情は、つきつめれば「自分は何者か」を知るための、道具にすぎません。
 道具は使うものであって使われるものじゃない。

 感情のもたらす力の凄まじさは私もいやというほど実感しているので、そこは否定しませんが、でも、感情に振り回されて「ものの道理をねじまげる」ことはあってはならない。
 差別の問題は、この感情の暴走と強く結びついてる。

 差別はけしからんイジメはけしからんといいながら、なぜ、自分こそが自分の好き嫌いに「負けて」人を殺すのか。

 マスコミはなぜか、ひとのこういう感情を強く刺激したがるようです。——そのほうが「商売になる」から、自然とそちらへ向かってしまうのかもしれませんが。
 ただ、私はこういう「犬畜生にも劣る」行為は賛成しない。認めるわけにはいかない。
 人でありたいと願うからには。

 感情的になれば人は自然と大声を出す、声を荒げる。「バカと基地外は声がデカイ」が私の持論ですが、ああいう人たちが大声になる理由はこのへんにあるんだろうな。

 ヴォルテールは「君の意見に賛成できないが、君が意見を述べる権利は死んでも守る」と言ってる。
(I disapprove of what you say, but I will defend to the death your right to say it.)
 この言葉にはじっさい、どれだけの覚悟と、そして理性が求められているか、このへんでいちど、見直すほうがいいのかもしれませんね。

 コーフンしちゃって大声をあげて理性をなくして暴言を言い出すと、これは暴力と同じでどんどんエスカレートしていくから、そろそろうるさくなってきな、というレベルになったら、どこかで氷水をぶっかける、そういう必要もあるのかも。

 ——なんにしても。
 正直なところ、小田嶋隆さんは、私の目から見ますと少々「ハッタリ」が過ぎるお方で、その論説には感心できないことが多いのです。
 いわゆる左巻きではないにしても、ちょっと人目を驚かせるようなことをいうのがお得意——けれどそれも真からの輝きではなくて、もんのすごい「飾り」をつけてきたねこの人……、と、そんなふうに見えております。

 ゆえに、たまーに意見が一致すると、私としてはちょっと不安に思う、というのが正直なところですが。
 あれこれとさんざん考え、いろいろな検討をくわえた結果、この件については意見が一致したのは妥当だろうと判断いたしました。(^^;)

 感情は、人にとっては大事なものだし、その竜巻よりひどい破壊力もわかってる。
 でも、だからって、「感情が正しい」わけではない。

 感情に流されることをむしろ「正義」とすることには、断固反対する。
 それを確認したツイートでございました。

(正義の正体は立場と利益の表明だと思っているのですが、感情の好き嫌いが正義とされるのは、利益が正義となるよりももっと危険な状態だと思っております)
(歴史を顧みれば、感情を正義とすることが、人間の破滅の典型的な例だとわかるはず)
 
 
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2016.06.21 (Tue)

夏至 2016

 ということで本日は夏至。
 1年で一番昼間の時間が長い日(北半球)ということで。

 冬が苦手で夏が好きという身としては、今日が1年のピークであり、「あとは下り坂」という、ちょっといやなイメージがあったりして。(^^;)

 それにしても夏至は盛り上がりに欠けるんだなあ、とあらためて思ったり。

 冬至のときには柚子湯あり、かぼちゃあり、なんだかんだで歳時記も盛り上がりますが、夏至ってわりと無視されてますよね;;
 本来は1年でいちばん昼間が長いといっても、日本では梅雨の最中で、じっさいにはその恩恵はほぼなく、昼間が長いなんて実感も薄いせいかもしれません。

 祭りというなら五月の端午の節句か、夏越の祓えのほうが盛り上がりますよね。
(旧暦五月はいまごろの季節なので、旧暦五月=梅雨、と考えていいのですね。五月雨は、旧暦五月に降り続く雨のこと。梅雨の別名)
(季節感が違うんですよねえ…)

 冬至はやはり「陰極まって陽へ向かう」、一陽来復ってことで、「再生」だし、新年だし、おめでたい! という気がしますが、夏至は、——たしかにここは「頂点」ではありますが、ここが最盛期ってことは、あとは「陰」の季節へはいって「下る」だけ、と思うと——、気分的には、ちょっと盛り上がりには欠けますよね。(^^;)
 おまけにうっとうしい長雨のころとあっては、祭りでにぎやかに、という気にもならない。そういうことかな::

 ということで、夏至にはきまった風習のようなものはほぼ、ないようです。地方によっては特定の食べ物をいただく、という習慣があるようですが………うちの地元は何にもないです;;

 やはり、夏至はそのままスルーして、六月三十日の「夏越の祓え」あたりでやっと、祭り気分になるでしょうか。
 梅雨の鬱陶しさを払い、半年分の「ケガレ」を払い、「夏」で盛り上がるぞという気分。

 ………日本においては夏至って立場がないですね。(^^;)

 ヨーロッパにおきましては(今年はちょっとアレですが本来は)1年のうちでもベストシーズン。
 夏至祭りには伝統的に力を入れてきているようで、さまざま、風習の話を聞いていても面白い。

 シェークスピアの「(真)夏の夜の夢」のあのにぎやかでバカバカしくてでも楽しげな雰囲気、好きですね〜。
 あれは原題が「A Midsummer Night’s Dream」。

 むかしは mid-summer を「真夏」と訳していたのですが、これは真夏というより「夏至」のことをいっているので、誤訳にあたるだろうということで、その後は「夏の夜の夢」という邦題のほうが主流になっているはずです。
 日本ではこの6月に真夏といわれてもその実感がないんだから、しょーがないでしょうね。(^^;)

 長雨のせいで実感が薄く、立場のないような夏至ですが、でも、せっかくだからなにか、お祝い事になるような、食べるものなり飲むものなりで、ちょっと盛り上げてやってほしい気がします。

 ということで今年も、「夏の夜の夢」から、有名なセリフで締めたいと思います。
 この、お芝居の最後、パックのセリフ、大好きっていう人、多いですよね。
 私も大好き。なんでしょうね——調子がいいし、シェークスピアの「姿」がちょっと見える感じがするところがいいのかな。

 今年はまた、夏至と満月がほぼ同時という、珍しいことにもなりました。夏至の頃の満月を「ストロベリームーン」といい、今回の月は、49年ぶりのことだそう。
 ストロベリームーンは幸運の象徴。ネイティヴアメリカンの伝承がもとなんだとか。
 好きな人といっしょに見るとめでたく結ばれるという言い伝えもあるそうですが、そういう幸運な方も昨夜にはいらっしゃったかな。(*^_^*)

 お天気があいにくで——という方のためには(うちのほうもイマイチでしたよ〜;;)昨夜撮影された、夏至の満月の画像をどうぞ。
 高度があがらないため色合いがほんのり赤くなる「ストロベリームーン」。
 クリエイティブコモンズの画像をお借りしております。
 ありがとうございます。(-人-)

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https://flic.kr/p/JhrcTo">©Alan Levine(from Flickr)https://flic.kr/p/JhrcTo

シェイクスピア「夏の夜の夢」 パックの口上/小田島雄志訳

「我ら役者は影法師(かげぼうし)、
 皆様方のお目がもし
 お気に召さずばただ夢を、見たと思ってお許しを。

 拙(つたな)い芝居ではありますが
 夢に過ぎないものですが
 皆様方が大目に見、お咎(とが)めなくば身の励み。

 私パックは正直者
 幸いにして皆様のお叱りなくば私も
 励みますゆえ、皆様も見ていてやってくださいまし。

 それでは、おやすみなさいまし。

 皆様、お手を願います、

 パックがお礼を申します。」



A Midsummer Night’s Dream” - W. Shakespeare

If we shadows have offended,
Think but this, and all is mended,
That you have but slumber'd here
While these visions did appear.
And this weak and idle theme,
No more yielding but a dream,
Gentles, do not reprehend:
if you pardon, we will mend:
And, as I am an honest Puck,
If we have unearned luck
Now to 'scape the serpent's tongue,
We will make amends ere long;
Else the Puck a liar call;
So, good night unto you all.
Give me your hands, if we be friends,
And Robin shall restore amends.


 
 
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14:01  |  身辺雑記2016  |  EDIT  |  Top↑

2016.06.20 (Mon)

ラジカセ犬パフくん

 この土日は、福島県福島市は「野地温泉」へ。
 温泉に行くのは5年ぶり、相馬野馬追にお邪魔したのももう3年前になりますか。
 お久しぶりでございましたが、おかげさまでゆっくりのんびり、幸せ〜に過ごしてまいりました。
 ありがとうございました。(^人^)
 またそのへんはあれこれ写真も整理してからお話できればと思います。

 標高1,200mってことで、まさに「下界」とは違う世界へいってきたよう。
2016-06-19 野地温泉 - 1

 また今回は、緑さかんな季節のうえ、夏至も間近の「真夏」、さらには梅雨の合間の極上の晴天ということで、景観最高。
 文字通りの命の洗濯をした気分でおります。(^^)

        ●



 読むのが遅々として進んでおりません。(^^;)
 
 目からウロコが落ちるたびに、本を脇においてはあれこれ考えたりため息をついていたりするので、もーぜんぜん進まない。
 知らずにいるよりもずっといいと思えることばかりなので、気持ちとしては「読み込んでいる」感覚なんですがね。(^^;)

 ジョン・グレイ博士のこちらの本ですが、わりと冒頭部分からがつんとくるものがありまして。
 多かれ少なかれ、たいていのひとは、異性関係で(恋愛、愛情関係とは限らず、日常の人間関係として)不満や怒りを溜め込んでいるものだと思いますが、そういうことがひとつでもあるならこの本はオススメですよ——と、もうここで書くのも何度目か。

 男性女性ともにお互いに「正反対のことば」をしゃべっているようなもの。
 せっかく思いやりも愛情もあるのに、これでは相手に伝わらない。それどころか誤解しあって諍いにいたる、——博士はその「図」をあっさり示す。
 図は、たいへんにシンプルなものなので、日頃、人間関係の複雑さにストレスを溜め込む身としては、
「たったそれだけのことで、これほどまで人は隔たってしまうのか」
 と呆然とするほど。

「たったそれだけ」ってことは、逆に言うと、ほんの少しのことで人間関係は劇的に改善するということでもありますから、そのあたりには希望をみていただきたい。
 
 基本、「ほとんどの女性が、男性が傷つきやすく、彼らもまた愛情を必要としているのだという事実に気がついていない」——といわれたときは、うーん確かに、と。
 女性が気がついていないというのは、なんせ「異星人」ですからまだわかりますが、問題はむしろ男性たち自身にその自覚がないこと、と博士はおっしゃる。

「大部分の男性は、愛情を分け与えることに飢えている。だが、彼らにとって最大の問題は、自分に何が欠けているかがわかっていないことである。

 彼らは自分の父親が愛情を与えることによって、母親を満足させることに成功した光景を目にした経験が滅多にない。

 そして男性にとって人生の充足感を味わう第一の源泉が、他人のために何かをしてあげることだという事実に気づかないまま、時間を過ごしてしまう場合がほとんどなのである」



 テイラー・スウィフトさんの「Mine」(非公式ですが『和訳』)を聞いても思うけれど、——自分の両親というのは異性関係の「モデル」なんですよね。
 本来ならそこで満たされるものを、こどもはその成長過程で受け取っておきたいところですが、なかなか、これは難しい。

 彼女のようにご両親が離婚にいたった場合、自分も同じようになるのではないか、と深く恐れる、そんな気持ちを持つ人は少なくないと聞きますし——、形式こそ離婚はしなくても、どうにもならない絶望的な断絶を「実感」してしまい、潜在的に怒りをためこんでいる子供もあります——私のように。

 親との関係はやはり影響力は大きいわけですが、だからって親を責めているわけではない。親といえども未熟な人間だし、それぞれの人生を精一杯やっているので、それをいいとか悪いとか責めても意味ないし、恨みはなんの役にも立たない。
(無理に許す必要はない。でも恨みも必要ない)

 ジョン・グレイ博士の貴重なところは、そういう「過去に支配される」ことから抜け出す道はある、と示している点にあります。
 
 いろんなことが、親子間で「連鎖」していく——その影響力は、私どもが考えるよりもずっと強力だな、とあらためて思います。

 と同時に、だからってその支配から逃げられないと思うのも間違っている——これもたしかなこと。

 数世代にわたって延々と続いていってしまう「心の傷」を、このあたりで精算する——傷を癒して、じつは数代まえからつづいている流れを変える、そんなふうになっていけばいいなあと思いつつ、ゆっくりとですが、読んでおります。


 佐々木倫子さんの漫画「動物のお医者さん」に、「ラジカセ犬パフ」くんが登場します。
 みたところなかなか体格りっぱな中型犬のパフくんですが、綱(リード)を古びたラジカセにつながれると、もう綱の長さ以上には動かない。

 怪しい人を見かけると噛みつかんばかりの勢いで吠えまくるパフくんですが、綱の長さ以上には決して動かない。ラジカセがすんごい重石のように見える。
「あのラジカセ、地面に打ち付けてあるのか?」
 と思うくらいですがそんなことはない。飼い主さんが「パフ、お家に入るよ〜」と声をかけながら片手でひょいと持ってしまう(ラジカセですから)。

 それをみて主人公のハムテルくんたちは、「ごく子供の時にああやってラジカセにつながれて、動けない、という思い込みができたんだね」と納得する。
 いまはりっぱな成犬ですから、パフくん、その気になればラジカセを引きずりながらでも走り回ることができるんですよね本当は。
 でも、彼は「あの箱に綱がつながれていると動けない」と思い込んでいるわけです。
 もう自分が大人になっていて、そんなラジカセ、邪魔ではあろうけれど振り回して走り回れるくらいだとは気づかない。

「いつ気付くだろうな」
 とハムテルくんたちは顔を見合わせるのですが。
 ——私どもの多くも、パフくんと同じなんでしょうね。なにかと。(^^;)




  
 
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2016.06.18 (Sat)

本日おやすみ

そんなわけで今日、明日、お出かけのためお休みです。m(_ _)m

ちょっと思いついてこちらの動画を。

PC版のサイドメニューのところに常時置いている動画です。Pharrell Williams の「 HAPPY」は多くの動画がありますが、もう絶対的というくらい、いちばんだなと思うのがこちら。

Pharrell Williams - HAPPY (Fukushima, Japan)


 なにがそれほどいいのかなあ、と思うんですが——たぶん、ご出演のどなたも、笑顔が素敵だからじゃないかしら、と思ってます。
 たいていの人は笑顔がいちばんいいに決まってますが、雰囲気がいい、という感じでしょうか。
 幸せなら手を叩こう。(←面白いことに大意、これで外れてはいないんですよね・笑)

 動画に寄せられたコメントの中で、Mark Barrie さんのものが感慨深い。
"Awesome. What a reminder that happiness is a choice not a situation."
(すばらしい。幸せとは、周囲の状況によって決まるものではなく、自分で(何が自分にとっての幸せかを)決めることで得られる、ということを教えてくれる動画だ)

 皆様、どうぞハッピーな週末を♡
 
  
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11:50  |  身辺雑記2016  |  EDIT  |  Top↑

2016.06.17 (Fri)

へそ曲がりが言うことにゃ

 生まれついてのへそ曲がりなので、世の大勢が左に寄ってるなと思うと私は右により、なんだか皆さん、あの場所にばかり集まるんだなあ、と思うと自分はあんまり人がいない方へ歩いていく、という傾向がございまして。

 もともと、「死者にムチ打つ」趣味がないせいもありますが、今回はどちらかというと、へそ曲がり、天邪鬼のほうが顔を出しているようで、——東京都知事の舛添さんについては、基本的には黙っております。

 ま、私からすれば「よそさま」の知事さんですから——先日も東京へいったおり、タクシーの運転手さんに話を振られましたが、「東京都民の皆さまはまた選挙ですね。たいへんですね」で押し通し、いいとも悪いとも言わずに帰ってまいりました。
 ようは運転手さんのお嘆きを、そうですかそうですかといって聞いていればいいだけでしたから、楽なもので(笑)

 なにかの論調が、ひとつになってしまう、ということを私は随分、無意識に、警戒します。
 嫌っているというより、「警戒する」。
 大勢の人がわっと一方向にかたまると、ろくなことがない、と思っているので。

 群集心理っていうんですか。ああいうの——たとえ殺されても自分はあれには埋没しないぞ、と、心に決めているところがありますね。

 暴走した群衆というものを、私はつねに恐れているところがあります。嫌悪し憎悪し、怖れている。
 だから暴走していないあいだに、「本当にそう?」「ほんとうにそれでいいの?」「違うと思うなあ」というのを有形無形に示そうとする——そんなところがあるようです。

 魔女狩り、とかね。まあ、ああいったものです。私が警戒するのは。

 言っている内容が「正しい」としても、「多数派」というのはそれだけでもう暴力みたいなものですから——あんまり、近寄りたくはない。

 ということで、私の「へそ曲がり」がまたここで顔を出しているとお考え頂けるとありがたいのですが。

 ——舛添さん。ほんとうに辞任する必要がありましたかね?
 
 よそさまのことながら、私はそのように拝見します。
 不正は不正。セコイという、本来はある業界における隠語が大々的に使われるくらいの、なんともケチくさい話でもあります。
(せこい、は、もとは、役者さんあるいは寄席芸人さんのあいだでの隠語。⇨三省堂・大辞林
 公金の横領、という見方もできる。それもわかる。

 しかしそれでも——またここで議会を機能停止状態にし、選挙となれば億というお金が吹っ飛んでいく。
 任期満了も近いからということならまだわかるが、任期半分を過ぎたばかり。この時期の辞任は「適切」だろうか。

 みっともないしケチくさいし適法ではないのは事実。
 でも、ここでこんなやめさせ方をすることの、メリットとデメリットを比べた場合、どちらのほうが大きいのか?

 話を聞いている限り、結論は最初から決まっていて、そういう検討がなされたようすさえないこと、議会が機能停止状態になり、本来懸案の議題がたなざらしに置かれていることが、どうにも気になりまして。

 どんなことにもメリットとデメリットがあるもので、選択というのはそのどちらを重要視するか、優先順位としてどちらを選ぶかという話なんですが、そういう判断がなされたふうには見えない。
 思考停止、というのがまず群集心理の条件ですから、そりゃ、私としては「それでいいの?」と疑いたくもなろうってもんです。

 よそさまのことですから私が言うのも口幅(くちはば)ったいことではありますが、——正直、今回は辞任にまでいたるべき事案とも思えません。
 ひとつ残念なのは、でも、そういう考え方をする私から見ても、「多少の懲罰はあるのは当然としても、やりかけの仕事があるのでそちらの完遂を」ということがない、ってこと。

 石原慎太郎さんはそれでも、自動車の排ガス規制、暗黒街化した町の正常化、東京マラソンで観光都市としての地位向上という仕事をきっちりしていらした。
 そういうものがあるなら、「多少の問題はあっても、あの仕事はちゃんと仕上げて欲しい」という人たちがいたでしょう。

 舛添さんについては惜しむらくは、そういう、「引き止める」べき要素が薄かった、ということでないのかな。
 よそものが言うのも申し訳ないことですが。

 まだあの仕事が途中だよここで放り出されたら困るよ——と。
 そういう声はなかったのか。なかったのなら残念ですし、本当はあったのに、あのヒステリックな「群衆」にかき消されたのだとしたらちょっとシャレにならない。

 私はいわば「部外者」ですから、なんとも申上げようはございませんが、失礼ながらひとつのケーススタディとして、そんな目で見ております。

 なんにせよ。
「大多数」であればあるほど、私は疑いを濃くする。

 この性分(しょうぶん)はもう、治りそうもないな、ということ。(^^;)

         ●

 明日と明後日はちょっと遠出いたしますために、ブログはおやすみいたします。m(_ _)m
 Twitterのほうではちょこちょこ、投稿できると思います。

 遠出といっても、私の行き先は南ではなく北。
 
 皆様もどうぞ、よい週末をお過ごしください。
 
 
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