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2016.02.29 (Mon)

「3月のライオン」11巻



 ……といちおうエントリのタイトルはそう書いてみたものの。
 これたぶん、正確には、3月のライオンの「感想」ではないと思います;;
 そこから触発されて考えたこと、ということで。たぶん。

 はっ。でもでももしかたらネタバレになっているところがあるかも?
 ということで、未読かつネタバレ却下、という方は、本日はここまで。
 失礼いたします。m(_ _)m

        ●

 こうしてみると我らが桐山くんは本当に成長してるなー、としみじみ。
 まだお酒も飲めないヒトなんだった、とあらためて気がついた今回でした。(^^;)

 感想と言えるものかどうか怪しみつつ申しますが——、あかりさんが、お父様について言っていたのは「演技性人格障害」ってやつですね。
 人格障害は、病気ではありません。
 病気ではないからいいのかといったらそうではなく、病気ではないので「治らない」わけです。
 一生。
 死ぬまで。
 この世で呼吸をしているかぎり。

(追記:いちおう演技性パーソナリティ障害にも治療法があるようです。……本人が治療が必要だと思ってくれるようなら、それだけでマシなほうでしょうね;;)

 このお父様もまた、人間のクズといってしまっては、あまりにも、屑(くず)に対して失礼だというくらいのクズ。このクズとはちょっとばかり守備範囲と行為が異なるというだけで、おおむね同種の人間を知っている身としては、今回のお話には、しみじみ以上のものがありました。

 この種の人間と手を切るというのは本当にたいへんなことでして——今回のお話のように、追い払っても追い払ってもつきまとってくるのが常なんですよね。こちらになんらかのメリットがあると思われているあいだはどうしようもないのです。ゆえに、手を切りたいなら、そのメリットを潰すしかない。

 しかし、その「メリット」を潰すということは多かれ少なかれ、こちらもまた、自分自身のなにかを切り捨てることが——それこそ、腕の一本も切断するくらいのことが必要になる。
 つらいことです。
 でも、あかりさんも、ひなちゃんもやり通したんですね。偉かったね、と思います。

 いちばん考えてしまったのは——あかりさんのこと。
 自分の体をつぶすことで、やっと「全部 終わりに」できたけれど、文字通り、力尽き果てて倒れてしまったというのは、無理からぬこと。
 ただ自分の身をつぶしただけではなく、彼女の場合、「自分を責める」ことが最大の重荷でした。

 家族うちのことだけではなくて、なにか思わしくない事態に遭遇したとき、力を尽くしても避けえない結果になったとき。
 自分が役に立たなかったから、自分に力がなかったから、自分が悪かったから、と、自分を責めてしまう。

 あかりさんも同様ですね。
 あの親父がクズなのは本人の責任なんであって、あかりさんにはなんの責任もない。いやらしい言い方をするならあかりさんはむしろ「被害者」でしょう。
 それでも、自分が役に立たなかったからこんなことになったと自分の罪として引き受けてしまう。

 どうしてでしょうね。
「いい人」ほど長生きしない(憎まれっ子世に憚る)のは、こんなあたりが原因だろうな;;

 大きな事故があって、救助にあたった人たちの多くが、後日、自分はもっと助けられたんじゃないか、自分はなにかを「間違った」んじゃないか、助けられる人を助けられなかったのではないかと自分を責め、罪悪感に苛まれることがありますね。
 これもいわゆるPTSDの症状、というのはわかるとしてもでも——ものの理屈で考えれば、まったく違う、そうではない、むしろそんなことで責任を感じる方が「まちがっている」くらいのことが、なぜ、人の心には起こってしまうんでしょうね。

 PTSD の現れ方もそれぞれですが、この、「まちがった」罪悪感を持ってしまうというのは、あまりに悲しいことだと感じます。

 この罪悪感というのは目に見える「症状」を見せることなく、ただ心の深いところで、癒されることのない傷となることが多いようです。
 時間をかけてゆっくり、でも確実に生命力を削いで、——ある日気がついたら重度のうつ病になっていたということも、多くある。

 あかりさんの今後がちょっと心配だったり。(^^;)
 桐山くんが「あかりさんに必要」と思ったものについては基本的には異論ないんですが、——「入れ物」は用意できても、「コンテンツ」は、こればっかりは、人間の意図だけではどーにもならないものだったりしますからねえ……。
 がんばれ主人公(笑)

 あとがき的に巻末に書かれたコラム、作者の羽海野チカさんがおっしゃる「成長」も、そのとおりだと思います。
 人は必ず変わっていくし成長もしていく、それでいて「三つ子の魂百まで」という(変わらない)こともホント。
 この一見したところでは矛盾に見えるものを、なるほどきれいに「図」になさるものだと感心いたしました。

 真顔モードは以上で切り上げて、先崎 学先生のコラム、これからじっくり拝読します。楽しみです(笑) 
 
 
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2016.02.28 (Sun)

本日おでかけ

本日はちょっとまた野暮用でおでかけにつき、おやすみいたします。
寒いので出かけるのがもうかーなり億劫ですがしかたない……。

この寒さ、まだ続くようですね。どうぞご自愛ください。

椿 赤 862dcb8479115e536e8d19399d47c7b9_s
 
 

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2016.02.27 (Sat)

魂振りの音

 あらためまして。
 
 そんなわけで2月24日の「セキスイハイム presents 辻井伸行×三浦文彰 究極の協奏曲コンサート」へいってまいりました。

2016-02-24 辻井伸行×三浦文彰 - 2

 辻井伸行さん(ピアノ)、三浦文彰さん(ヴァイオリン)。
 指揮はクリストファー・ウォーレン=グリーン Christopher Warren-Green さん。
 オーケストラは読売日本交響楽団。

 このシリーズ(?)ではプログラムは3種類ありまして、私が参りました日にはプログラムA。

 ヴァイオリン:
ベートーヴェン:ロマンス第2番 作品50
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調作品64

 20分の休憩ののち、

 ピアノ:
リスト:コンソレーション第3番
リスト:ラ・カンパネラ
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調作品18
2016-02-24 辻井伸行×三浦文彰 - 1 (1)

 うーん。一言で言うなら圧巻でした。
 これ、今年の大河ドラマコンビなんですよねえ。(^^;) 考えてみれば贅沢だな今年の大河。

 オーケストラもよく調和している感じでよかったです。ソロとオケのバランスって、じっさいにはなかなか難しいことなんでしょうね。こちらは聞くだけなのでそのあたりは、「気配」で感じるだけなんですが。

 母はこのソリストお二方のファンですから、そりゃもう今回のこのシリーズは夢のようなものだったようです。どちらの方も追っかけをしたいくらい、だそうな。
 それをやるには、時間とお金とパスポートと、なにより体力が要りますね(笑)

 なんにしてもどちらの演奏を聴いても、思うのは「たまふり」という言葉。魂振り、と書きます。

たまふり【魂振り】
① 魂に活力を与え再生させる呪術。また,その呪術を行うこと。
②  →鎮魂祭(たましずめのまつり)2に同じ。みたまふり。



 芸術にもいろいろあるなかで、音楽がいちばん「天」に近い、ということをあらためて感じておりました。いつもいうことではあるけれど。(^^;)

 理由もわからないまま涙が出てきたり、細胞のひとつひとつが振動しているのを感じたり。
 そうするうちに、なんだか日常のなかですり減っていた生命力が、また息を吹き返す。

 これはなにもクラシックだからってことじゃなく。
 音楽というのはジャンルを問わず、すべてがそうだろうなということ。

 どのジャンルや、どんな曲調や、あるいはどんな声、どんな音が自分にいちばんしっくりくるかというのは、これはもう個人の好みでしかないでしょう。
 クラシックのコンサート行きますといっては高尚な趣味だと冷やかされ、ロックバンドのライブいきますと言ったら「ええっ?!!」と驚かれ(イメージじゃないですとさ)、……つーのは、私としては、どちらも、じつに不本意ですわ。(^^;)

 いまは本当にいい世の中で、音のジャンルも種類もさまざま。自分の好みやそのときどきに必要な周波数をこまやかに選べる。
 ときどき、好きなバンドの優劣を、ファンの方が言い争っている場面を見たりしますが、あれは不毛ですねえ。
 どの音も、誰かに届くのであれば、それはもう天からのくだされもの、ということではまったく同じ。あとは自分の好みだけ。

 とはいえ。
 やはりそのなかでも、ことに神様から見込まれて、天上の音を伝えるべき「器」になる人たちがいるんだな……と、今回はしみじみ、感じ入りました。

 天界から見込まれるというのは、やはりたいへんなことで——祝福ではあるでしょうが、ご本人たちはたいへんだよなーと思って見ておりますはい。

 どんな約束があって器とされるのか。それもまた、さまざまなんでしょうけども。

 人間が作った音楽ジャンルとしてはまったく異なるけれども、この「魂振り」の感覚は、 ONE OK ROCK さんも同じだなーと、——魂を震わせる音のなかにいて、考えていたのはそんなこと。
 いーんですファンというのはそーゆーもんです。非ファンの人からは、は? と言われるようなところにいるもんなんです。(^^;)

 ジャンルっていうのはあくまでも人間の作った、便宜上のラベル、としか思えなくて、どうも私には理解できないんですよね;; その意味づけが。
 ただ、なにかを語りたいなら、語るための言葉を手に入れたいなら、ジャンルそのものをちゃんと勉強すべきだろうなとも、思った今回でした。
 そういう、言葉にするのなら、ジャンルというラベルは有効なんだろうな、と。
 
 個人的には。
 辻井さんの、和音になっていようがトリルだろうがグリッサンドだろうが、なぜか、音がひとつひとつラッピングされているような、あの際立った感じを聴くのに、「ラ・カンパネラ」は最適だろうなと思いました。
 テレビ番組中でも、辻井さんの「ラ・カンパネラ」は聞いたことがあるのですが、さすがに生演奏で聴くと違いますね〜。
 プログラムBにはこの曲は含まれていません。プログラムAの今日、来れてよかった! と思った曲でした。


 アンコール曲は、このおふたりによる、ガーシュイン、プレリュード第1番でした。
 それまでがわりと重厚な感じだったので、軽やかな(でも超絶技巧ですよね;;)ジャズは、雰囲気を和ませるようでよかったです。
 
 天国をみてきたひとときでした(笑)
 

[追記]
  
 どうでもいい余談を幾つか。(このエントリー自体が余談みたいなもんですが/笑)

 ソリストおふたりはお若いかたですが、聴衆は全体的にご年配の方が多かったです。わりとクラシック系のコンサートは行きますが、そのなかでもとくに、多いなと感じるくらいには多かったです。

 そうなりますと気になったのは会場のつくり。(^^;)
 オーチャードホールは、ビルのなかに縦に長く作られているせいか、階段、段差がかーなり多いですね〜。音響はよかったんですけども、これはご年配の方にはちょっとつらいなあ……と思って見ておりました。

2016-02-24 辻井伸行×三浦文彰 - 1 (2)

 アンコール曲はたいてい、写真のように、お知らせで貼り出してくれますが、帰り、お客さんは一斉に帰りますからかなり混雑して、人の波に押し流される感じで、その波のなかに、このお知らせも埋もれていたようです。
 もう出口近くへ来た時に、後ろにいたお嬢さんおふたりが、「アンコール曲なんだったんだろう」「ふつうは貼り出してくれるのにね」と話しているのが聞こえたのでつい、ガーシュインのプレリュード1番ですよと言ってしまいました。

 どこにありました? と聞かれましたが、わかりません。(^^;)
 人の波に流される途中で、あ、あった、と思わずケータイで撮りましたが、それがどのあたりでのことだったかは不明。
 方向音痴はこういうとき困る(笑)
(2階席から降りて行く途中のどこかだったと思うんですが、……ど、どこだったんだろ??? (・・∂) )
 
 
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2016.02.26 (Fri)

電気自動車の新常識

HV事故 救出訓練 日本自動車研究所
https://youtu.be/8clZ0R7LdOg


 こちらの動画の公開は、2014年2月20日。
 国交省が電気自動車の安全に配慮して配線にオレンジ色の被膜をするよう義務付けたのが2011年6月。

 なのに私が、ハイブリッド車(と電動車)の、事故後の感電に注意という話を聞いたのは昨夜。(^^;) 
 調べるとちゃんとあれこれ記事も見つかるのですが、これまで聞いた記憶はないんですよね。
 これも迂闊な話ではありますが、今後はハイブリッド車も電気自動車も増えていくでしょうから、聞いておいて損はない——というか、聞いておく「べき」ことかと。

大敵は「感電」、衝突ハイブリッド車の救出訓練に潜入
2014/4/14 7:00 日本経済新聞

もしハイブリッドやEVが水没したら感電しないの?
2015/09/22 08:03 by Avanti Yasunori

水没したハイブリッド車&電気自動車に危険 深刻な感電事故も
2015年9月20日 17時30分 livedoor

 昨年9月に国交省から「お知らせ」がでて、そのときにプレスリリースもされているんでしょうね、このようすだと。
 ………すみません、ぜんぜん聞いてませんでした。(^^;)

 ガソリン車だって事故って煙があがってても水は掛けないとか、通常の火災等とは異なる手当がありますが、それはもう広く知られているので驚かれないだけのことで。
 まだ電気自動車についての注意事項が広く知られていない、「常識」とはなっていないので、聞けばぎょっとするだけのこと。
 事故後や水没時に感電の恐れがあるからって、即座に、ハイブリッド車、電気自動車、コワイ、と思う必要はない;;
(でも必ずこういうことを言い出す人がでてくるんだよなあ……。怖いと思う必要をなくすために話を聞いておけ、というだけなのに)

 じっさいには事故ったらショートするようにしてあるとか、安全上の対策はメーカーさんも行っているので、まず滅多に感電はあることではないでしょうね。
(水没後にエンジンかけるのはやめれというのは徹底したほうがよさそうですが)
 滅多にはないけれども、でも100%ないともいいきれない、だからそのための対処法は聞いておきましょうねというだけのこと。

 救助訓練の動画中にもあるように、電気は目では見えないし、万が一にも救助員に怪我等「あってはならない」んだし、マニュアル作って対処する、電源も、やたらに素人はさわるな、という注意事項が一般常識になれば、とくに問題はない程度のことですよね。

 電気自動車もこれからは台数を増やしていくでしょうし、そこにはこれまでのガソリン車とは異なる「常識」がある。それは知っておく必要はあるなと思い。
 そのわりには、どうもあまり周知されていないような気がする、ってことで、取り上げてみました。

 今までのものとはちょっと違うところがあるよ、というだけなんで、そこで「怖がる」必要はない。
 でも自分や他人の身を守るために、いままでとは違うものについて、聞いておきましょうねというお話。

 検索してたらHONDAさんの取り扱いマニュアルがでてきました。
 もちろん見ても私にはわかりませんが、(^^ゞ でもまあ、こんなふうになってるんだなという雰囲気はわかりますね。

ハイブリッド車 レスキュー時の取り扱い - Honda
[PDF]


 自分は電動車には乗ってなくても、事故に遭遇することはじゅーぶんありえることですから、「これからの常識」ってことで、脳みそのかたすみにでも引っ掛けておきたいお話ですね。
 
 
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2016.02.25 (Thu)

事実上おやすみ

 昨日は母と「辻井伸行×三浦文彰 究極の協奏曲コンサート」へいってまいりました。
 2月17日〜28日にかけて各地で行われるコンサート………これも「ツアー」ですよねえ……、そのうちの1日。
 昨日の会場はオーチャードホール、渋谷Bunkamura 。
 
 チケットを取るときはあんまり会場のことは気にしておりませんで、とにかく自分が動ける日かどうかが最優先の確認事項。
 今回はまた抽選制だったのでなおさら、行けるんですかどうですか…という感じでしたので。(^^;)

 あらためてチケットとれてから確認したら、ようはBunkamura とわかって、クラクラしました。
 私はまだいいですが、母を連れてあのスクランブル交差点か……と思いましたらもう;;

 田舎住まいでもああいうの平気な人がいるので、ここで田舎住まいを理由にしてはいけない……えーと、……私は人間の作りが田舎者なので、とにかく人でいっぱい、という場所が苦手で。

 以前には野田秀樹さんのお芝居をみるのに通い詰めたところではありますが、とうとうあの街の感じそれ自体には、好意的にはなれませんで。

 そんなわけで昨日は、うちの母がとにかく大丈夫なんだろうかというところで心配しつついきましたが、本人、私なぞよりはよほど器用に歩いてました。よかったよかった;;

 コンサート内容についてはまたあらためて書きたいので今日はもう実質、おやすみ。(^^;)
 自分が行くだけならいいけど、人の心配をしながらってのは、へんなところで消耗しますね;;

 ということで、行きの新幹線車内でいただきましたお弁当。
 地元、桃中軒(とうちゅうけん)さんのお弁当。
 
 その名も「伊豆 竜馬 飛翔会席膳」。

 それはなんですか私が坂本龍馬好きと知ってのことですか、とおもわずアホなことを考えてしまいました。
 真面目な話、なんでこのへんで竜馬さん? と思いました。

2016-02-24 桃中軒の弁当2種 - 1

 お弁当についていたリーフレットによると、「伊豆龍馬会」というのがあるのだそうで。
 まあファンはどこにでもいるだろうけども。

 脱藩した龍馬さんを特別に赦免してくれと、勝海舟が、土佐藩の殿様、山内容堂さんに申し入れ、これを許されたのが、下田、宝福寺でのこと。
 ああそうか、あれ下田でした? (^^;)

2016-02-24 桃中軒の弁当2種 - 3

 美味しかったそうですので、それでよろしいかと。

 私がいただきましたのは「世界遺産登録記念 韮山反射炉弁当」。
 こちらはもう、ご説明するまでもなくて、タイトルどおりです(笑)

2016-02-24 桃中軒の弁当2種 - 6

 韮山代官だった江川太郎左衛門英龍さんの銅像写真つき。
 いえこのかたはなかなか立派な方です。地元ひいきでいうのではなく。

2016-02-24 桃中軒の弁当2種 - 7

 当時、幕府うちにも逸材はいたのですが、いかんせん、人数少なすぎだし、ネットワークはないし、ほかがもうどうしようもないし、なによりやはり「時代の趨勢」には勝てず。
 それでも、逸材はいたということはひっそりとでも、記憶しておきたいところ。

2016-02-24 桃中軒の弁当2種 - 8

 こちらも会席膳ふうですね。
 お弁当というとどうも私にはご飯の量が多くて、泣く泣く残すことが多いのですが、こちらはご飯よりおかずのほうが多めで良かったです。品数も多いですし、お味もようございました。
 むやみに味付けが濃いのは苦手なので(あとで喉が渇いてしまう;;)、これくらい上品な感じだと助かります。

 ごちそうさまでした。(-人-)
 
 
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2016.02.24 (Wed)

言論統制


 
 考えてみれば妙な世の中で、どなたかのツイートなりブログエントリなりが——つまりだれかの「意見」にすぎないものが——、「ニュース」扱いになるんですねえ。

 ということで、ネット上で情報をとる方なら、視界の端ででもご覧になっていると思われます、小池一夫さんのご発言のその後。

 どういったご発言だったのか、それに対して多くの人からどんな反応が寄せられたかはツイート中にあるブログエントリを(ご興味があれば)ご覧いただくこととして。

 私が気になったのは、ご本人、小池一夫さんがきちんと謝罪なさったのに、まーだ執念深く怨念を撒き散らす人々がいる、ということでした。
 謝罪しろって?
 何について謝れと?

 小池さんのご発言、その考え方の問題点は、ご本人がおっしゃるとおり。
 未成年、子供に対する、まともな大人としての考えが欠如していたという点、この一点のだと思います。
 多くの人が非難したのはその点でしょう。
 こどもがオカシイのだとしたら、それは大人どもがオカシイからだというのは、ある程度までは確実に言えることだと思います。

 その考え方の「不備」を、ご自身、反省なさって発言内容も訂正ということですから、それでいいはず。

 でも、まだ足りないとか気に入らないとか言っている人たちが——案の定いるなあ、と。
 私が気になったのはそちらのほう。

 小池さんの、「変わらないこと」についても気に入らず、考えをあらためろということのようです。
 ここで追い討ちをかけている人たちのいっていることってようは、
「私が気に入らないので、私が気にいるようにしろ」
 ってことなんですよね。
 ものの考え方に不備があるので、その不備のところ直してね、訂正印お願いしますね、認め印でいいですよ、という話ではない。

 ものの道理も理屈もあったもんじゃない。
 自分が気に入らないから自分の言うとおりにしろ、だって。(^^;) 
 なにさま?

 ここまでくるともう、一種の病気だろうな、と思って眺めております。

 きちんと聞くべきクレームと、相手に「してはならない」(図にのるから)たわごとは、きちんと区別すべきだなというのは私も以前から考えていたのですが、今回のことを眺めていても、それをつくづく感じました。

 私個人も、小池さんの、変わった点はいいとしても「変わらない」点については、100%の賛成はできかねます。
 現実主義なもんで、あるべきだとかべきでないとかいう「議論」になんの意味があるのか、と考えているからです。現実すでにそこにあるのに、あってはならない、て、言ったところでなんの意味がある。なんの役にたつ?

 ということで私はまったく賛成はしませんが、でもこれはもう、「考え方の不備」ではなく、その人の「個人的な見解」という範囲です。
 これは社会人としてはまずいのでちょっと直してください、ということとは性質が異なります。

 個人の見解をすら認めず、自分の気にいるようにしろって。
 ——それこそ、憲法の定めるところはどーすんの? って感じ。(^^;)
 自分が何を言ってるのかわかってないんでしょうかねえ?
 自分の気にいるように変えろだって? 言論統制したいのねつまり?

 そうではないというのなら、ビョーキですね。例の。

ネットにはびこる「謝らせないと死ぬ病」の治し方とは?
  連載「ネットは1日25時間」。本当にその人はあなたに謝る必要がありますか?

2016年01月03日 10時00分 更新 ねとらぼ

 サイコパス、デミサイコパス、というものはじつは特別な存在ではなく、日常のなかに、ふつーの人間みたいな顔をして混ざっている、というあたりが不気味ですが、現実世界なら距離を置いておけるのに、ネット上ではそれができない状態になってしまうのかもしれない。

 ものの道理も理屈も通用しない「人外」が、ネットではことさらに浮き上がって目立つ。
 バカと基地外は声がでかい、というのは私の持論のひとつですが(良識派は、おだやかな声で落ち着いて話すので、ある意味、目立たないんですよね;;)、そもそも、大声を出せばかえってひとさまに迷惑ということを考えないって時点で、もう、敬遠すべきだろうと思います。

 そんなわけなので、この手の、大声で騒ぐひとをみても、存在しないかのように黙って無視するというように、心がけたいと思います;;
 なぜかこの手合いのひとって、相手にされたと思うと嬉しくなるらしくて、ますます張り切ったりしますもんね;;


 ついでといっては失礼ですが。
 現役産婦人科医のタビトラ先生も、ブログエントリを上げてくださっているので、この「事件」とその見解そのものについてお考えになりたい方に、ご参考までにご紹介を。
 
 やっぱり、少々入り組んだ話なら、ブログエントリで長文まとめて読めるのってありがたいな。(^^;)


 
 
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2016.02.23 (Tue)

時代考証




 個人的なことですが——小説や漫画などが映画の原作になったり、アニメ化されたり実写化されたりしたときに「原作とイメージが違う」というのはアホの極みである、という結論になったのが10年くらいまえ。
 面白いもので、ああではないか、こうではないか、と考えているあいだは、相当もやもやしましたが、これはもう決裁ずみ、と決めてしまったら、その後は何を聞いてもハイハイとスルー出来るようになりまして。

 自分なりの結論を出すのも、そう無意味なことじゃないなと。

 そんな経験を踏まえ、現在、これもぜひ、自分内稟議書つくってハンコ欲しいわ、と思っているのが、「大河ドラマにうっるさい人々に対するもやもや」。

 時代考証がどうとかっていう。

 なんどもいうようで気がひけるのですが、あれ、ドラマですから。歴史ドキュメンタリーじゃないですから。
 衣装から小物から、まーなにからなにまで、史実と違うじっさいとちがう、そうじゃなかったあれはオカシイ、ってねえ……うっるさいわ! ドラマを見てんだからドラマに集中させろよ! 
 と、頭にきてしまってもう、大河ドラマに関するツイートは見なくなりました。

 絵画は「じっさいとはちがう」ものですよね。デフォルメというものが、絵画からは切り離せない。なにを誇張しなにを省略し、ものごとを「ゆがめ」、それをどう表現するかというのが絵画の面白いところ。
 その絵画を見て現実はこうじゃない、オカシイなんていってるひとをみたらどう思います?

 考証なんて現実通りにやってドラマがなりたつわけがない。日本にはあんなしゅっとしたかっこいい馬なんかいなかったし、着物だってあんなに鮮やかな色ものを庶民は着てないし、そもそも着物のパーツの形が違うんですよねあの時代。
 前身頃はもっと巨大で、体を左右から包み込むような形態で、庶民は帯なんかじゃなくて荒縄だったりします。
 やりきれますかそんなことまで。

 それに——上記ツイートにもありますが、逆に、ほんとうに、学術的に話をすると、学説というのはしょっちゅう変化している。自分が聞きかじったことなんて、もう化石みたいなものになっているのに、得意顔してひとさまにあれこれ(えらそうに)いう——これがどれほど滑稽なことか。

 滑稽ならまだいい。私のような気の短い人間は、簡単にイライラしてきますからもうね。(^^;) カンベンしてくださいほんとに。

 これって何かに似ているなと思ったらあれだ——真の着物好きの天敵、不倶戴天の敵、「お直しおばさん」と同じなんですね精神構造が。
 そりゃー私がイラついて怒るわけだわ……と自分でナットク(笑)

 お直しおばさんは、かなりよけいなことをいったりしたりします。
 着慣れていないらしいひとの、帯やらなんやらとちょっと直してあげるだけなら親切ですが、よけいなセッキョーたれたり、意味不明の批判をしたり(そんな色付きの半襟だなんて! とかね)。

 私も最初は、ふーんそんなものなの? と思っていたんですが、資格とるのに勉強したり、あとは自分の趣味として装束の深みにはまってみたらもう、あの人たちがどんだけデタラメを言っているかがわかって卒倒しそうになりました。

 ようは思い込みだったり、おばさんの作り出した正論にすぎなかったりで、根拠と歴史を求めていくと、すぐに崩壊するようなことばかり。

 ……なのにあのえらっそうな態度か。
 それで初心者を萎縮させては着物嫌いにさせるのか。

 いっときは、お直しおばさん許すまじ、とまで思いましたねあたしゃ(笑)

 たぶん。
 中途半端な知識でえらっそうに「ドラマに」文句垂れる人たちの精神構造は、お直しおばさんと同じ。
 自分を疑わず自分の知識を疑わず、しかも自分を「正義」と見立て、ひとさまを断罪する。

 なんというかもう……ドラマにおける考証にあたる方々のご苦労を考えると、頭が下がります;;
 そのうち引き受けてくれるひとがいなくなっちゃうんじゃないの? あんまり馬鹿馬鹿しすぎて;;

 他人にいちゃもんいうのを生き甲斐にしているひとって、でも、けっこういるのかな。
 迷惑な生き甲斐だな。

 ドラマは、ドラマとして楽しめるなら、私はそれでいいです。
 大河ドラマも歴史を「モデル」にしているだけのことなので、ドラマ本来が目的にするもの——「人間を描く」ことを、最優先でやっていただくほうがいい。

 歴史の勉強ならほかでやりますよ。

 それで、今年、堺雅人さんを見ていて思い出したんでした。「新撰組」のとき、山南さんの「助命嘆願」があったんですよね(笑)
 私は、ドラマなんだから、べつに助命したっていいんじゃないかなあと思って見てました(笑)
 これはフィクションです、ということを知らしめるためには、たまには、それくらいやってもいいかもしれませんよ?

 それやると、山田風太郎とか半村良とか(文中敬称略;;)になっちゃうんでは、と言われましたが——いいじゃないのさ大河で伝奇ロマン!! くだらないいちゃもんつけてるよりははるかに楽しめると思うね。

 ちょっとヤケ気味ではありますが、でも最近ほんとにそれ、考えます。(^^;)

 なんにしても。
 もしかしたら自分の知識はもう「古い情報」になってんじゃないかとか、自分には知らないことがあるのではないかという、そういう謙虚さは、学ぶときには必須というくらいのはずなのにな。

 私自身もこういういちゃもんを聞いても、モヤモヤしないよう、決裁をはやいところ終わらせたいと思います。(^^;)

(いちいち、かちんときてるってことは、まだなにか、自分の中では決めきれていないものがある証拠なんですよね;;)
  
 
 
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2016.02.22 (Mon)

天下御免の向こう傷


 猫の日。
 だからニャンだということはニャい。っていうのが猫らしい気がする(笑)

        ●

 NHKさんの朝の番組、「あさイチ」は、金曜日はゲストをお招きして、インタビューする日、なんですね。
 うちの母は、それを見たり見なかったりですが、やはりお話を聞いて飽きないひとと、わりとこう…切り上げてしまってもいいかなという気持ちになるひととがあるそうで。
 ま、それは好みですからあるでしょうが、問題はタイミング。

 午前9時から国会中継がある日は、このあさイチさんは放送時間が短くなります。8時55分で終わってしまう。
 母が申しますには、興味深く面白く、もっとじっくりお話を聞きたいわ〜というゲストの時に限って、国会中継がはいるんだそうで。
 
 先日19日には俳優の藤原竜也さんだったとのことで、案の定というべきか、予算委員会の中継があって、時間短縮。
 母のくやしがるまいことか(笑)

 いまはネットでも国会中継は見られますし、せっかくサブチャンネルもあることだし。ということで——なーにもあさイチを切り上げる必要なんかないでしょう、どーせ野党なんかひとの揚げ足とることばかりでまともな質問なんかしないんだから!!
 というのが母の言でございました。どーにかしてやってほしいですNHKさんには。(^^;)

 ともあれ今回藤原さんはNHKのドラマ「海底の君へ」にご出演とのことで、それであさイチにもおいでになったのかな。

 ドラマの主題が、いじめ、その後、ということだそうで。

 どんなインタビュー内容だったのかは存じませんが、うちの母、ひとの顔をつくづくと眺めて、
「あんたはいじめられてもいじめ返したもんねえ」
 ………いつまで昔のことをいう気なんでしょうかこの人(笑)

 いじめというほどの目には、幸い、あったことはありません。そういう問題がなかったわけでもありませんが、完全に警察沙汰になるほどの凶暴性、犯罪性にまでは、いたらなかった、ということですね。

 もともとこちらは人嫌い、人間不信、というところがあるので、あまりひとと関わりたくないという態度が、私も私で、もっとも露骨になっていたお年頃でしたから——仲間外れにしてやるぞと脅されても、おお望むところだぜひそうしろと応じるような(じっさい、ある意味、願ったり叶ったりでした。実現しなかったけど)、……たぶん、いじめるほうにもいじめる甲斐がなかったんでしょう。

 同級生の中には、知的障害とまではいかないのですが、それでも、ちょっと発育不全のような子がいました。
 彼女は体も小さく、よく男子どもに小突かれたり叩かれたりしていました。もちろん彼女はなにもしていません。
 その彼女を背にかばったことは、正直、数え切れません。田舎のことで、小学校から中学までは持ち上がりでしたので。

 そんな経験から申しまして——これはじつはいじめのみならず、痴漢の問題とも共通するのですが、なぜ——、だれもとめようとしないのか、と。

 いじめはいけません痴漢は犯罪です——それはそのとおりで、その啓蒙は必要でしょうが、なぜ、——傍観者の罪というものも、きちんと言わないんでしょうね。

 私はじつのところ、加害者が悪いのは当然としても、傍観の罪も、同罪と感じます。

 それこそ、「赤信号みんなで渡れば怖くない」という精神はこういうところでこそ発揮すべきなんじゃないの? と。

 なぜとめない?
 そのことを言えば、「いじめられる側にも問題がある」だと?
 顔を洗っておととい来やがれ。というのですよ。こういうのって。

 被害者の救済、加害者の処罰。
 それと同時に、傍観者の罪もまた、明らかにすること。

「当事者意識」の欠如が、やはりどうしても、問題の根っこにある。
 自分の経験から、私はそのように考えます。


 母の、「藤原竜也さん見たかったのに! 国会のバカ!」というわけのわからない文句から、なんだか妙な話まで引っ張りだされ、こちらも昔の古傷を思い出してしまいました。(^^;)


 ………当事者意識をもつって、そんなに難しいことなんですかね……?(独り言)
 
  
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2016.02.21 (Sun)

笑うこと



 マスコミの劣化についてはおくとしても、でも、この手のダジャレって、ちゃんと効用はあるようですよ。
 そのへんを評価しないのは不当ではあるまいかと思ったのでちょっとだけ。

 日本語は同音異義語が多いせいもあって、もともとダジャレ文化ですよね。
 あの和歌の世界の、「掛詞」だって、和歌の技巧なんていうと聞こえはいいですが、本質はダジャレですよ。(^^;)
 落語の小噺にも言葉遊びのものが多いですし。
 〜とかけて、〜と解く、というあれも、本来はたんなるダジャレではいけないんだそうですが、でも、言葉あそびですよね。

 同じダジャレのはずが、片や掛詞と称して文学表現との扱いを受け、片やオヤジギャグとことさらに蔑称されるのは、これはどうなのか、と。
 
 もちろん技巧の上手下手で区別されるのはしょーがないですけど。
 オヤジギャグって不当に悪く言われすぎでは?

 オヤジギャグを「言える」人はボケないとも言われます。医学的なきっちりしたデータがあるかどうかは存じませんが。(^^;)

 言葉遊びというのも案外脳みそを使うものですし、なにより大事なのは「笑う」「その気がある」ってこと。
 ユーモアの感覚がある。
 つまらないことをいってうふふと笑うというのは、精神的にはやはり軽やかなもので、面白くなくてもいいのですが冗談ひとつ思いつかない、なんていう「真面目」な精神状態って、あんまり健康的ではないようです。

 江戸川柳にも「真面目になるが人のおとろえ」というのがあります。これは至言だと思う。

 つまらない冗談でも、冗談を言えるというその精神状態が大事。
 メタフィジカルなんていうとまた「似非科学」だつって憎まれるのでしょうが、まあひとつのお話ってことで我慢していただいて——、メタフィジカルでは、「喜びの感情に乏しい」と、認知症等になりやすい、という見解があるそうです。

 じっさい、認知症となった方は表情に乏しい。無表情といってもじっさいにはまたいろんな「感じ」があるものですが、無表情のなかでもさらに、なにかを我慢している、こらえている、耐えている、言いたいことを我慢している——、そんな「感じ」の無表情のかたが多いように思います。

 ユマニチュード(http://www.認知症症状.com/humanitude/)で驚いたのは、そのケアによって患者さんがなんともやわらかい笑みを浮かべたことでした。
 あんなふうに柔らかに嬉しそうに微笑むと、それだけで症状が緩和されていく。

 オヤジギャグですなわち認知症予防というほど単純なことではありませんがただ、ユマニチュードの「効果」を見たときあらためて、つまらないことでもいいんで、ふわっと心が緩んで笑う——小さいけれどもそれは確かに喜びの感覚で、それがどれほど大事かを見ました。
 喜びの感覚はやはり心が柔らかであることが大事で、とするならやはり、ユーモアって大事。

 私の父親というひとは、ほんとに冗談ひとつ「言えない」タイプでしたが——たまにいうとかえって人を怒らせる始末でしたからもう、そのセンスのなさは推して知るべしですが。
 あとから考え直してみると、彼の場合、その前頭葉萎縮による、感情の鈍化は、すでに50歳代から始まっていたようです。
 それはしょーがないとしても、それが病態だと気づくことができなかったのは、もともと、若い頃から、へんなふうに感情が硬化しているタイプだったから、と言えますね。

 昔からああだった。歳をとったらなお悪くなった——としか、家族は思わない。
 あれが病気の症状だったとは思わないほど、その人のもともとの性格に強く結びついていた、と申せましょう。

 ああいうのを目の前で見ているので——私は、オヤジギャグ、大事だなと思っております。

 つまらないことでいいから笑う。これを日常的に行っている人って素晴らしいと思いますよ。思わず真顔になってしまいましたが。(^^;)

 ということで。

 その技巧的なものはともあれ、くだらないことでも人をクスッと笑わせる「気持ち」があるものを、そうまで侮蔑の対象にすることはないでしょ、と。
 思ったのはそんなこと。

 軽い話にするつもりが、思わず真顔になったあたりに妙な敗北感(笑)
 
 
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2016.02.21 (Sun)

ホテルオークラ神戸:夜景

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2016.02.20 (Sat)

七草ばやし

 今日は雨が降る静かな土曜日。
 ということで、こちらも静かに、また軽い感じで参りたいと思います。(^^;)

      ●

・七草ばやし/七草なずな/ わらべうた(音声のみ)
https://youtu.be/L6z2Kcn85gI


 お正月の、七草粥を作るときには、材料を「切る」のではなくて包丁の背で叩いて細かくする、という感じらしいんですが、そのときに歌うのが「七草ばやし」。
 とはいえ、うちはもうこういう伝統行事みたいなものにはまるっきり無神経な一族でございまして、祖母が元気な頃から、この手のことは行われておりませんで。

 七草ばやしの歌詞は調べると出てくるけど、さすがにメロディがわからないなあといっておりましたら、I子さんが教えてくださいまして。
 ありがたい。(-人-)

 遠くの親戚より近くの他人と申しますが、ネットのおかげで遠くの他人からも恩恵をいただけるという……。ありがたい時代です。

 しみるように優雅な唄い方ですが、じっさいはもっと大雑把な感じでもいいんだろうな。
 来年にはこれでいってみたいと思います。
 ありがとうございます。( ^ω^ )

        ●

 本日午後6時より、WOWOWさんで、こちら↓↓↓ が。

生中継!聖飢魔II~地球デビュー30周年記念・期間限定再集結
 大 黒ミサFINAL~

http://www.wowow.co.jp/music/seikima-ii/

 生中継ってところがすごいなあ、と。たいてい、ライブの放送というと録画なんですけども、本当に生中継。

 ちょっと意外な人が聖飢魔IIファンだったということで(私も驚かれることがあります……聞いてみないとわからないもんですよね趣味って/笑)、ひょんなことから録画をお引き受けすることに。
 …………なったとたんに、録画機おシャカでもう、あまりのことに慌てる気にもならず。

 みてもらったところ、どうもBSチューナーがイカれたらしいとのこと。
 なぜか入ってきた信号を、接続したテレビに流すことはできるのに、録画機自身は「電波とれませーん」というメッセージを表示しているという、わけのわからない症状。

 チューナー取り替えればいけると思うけど、もう7年も使っているし、というので、急遽! 絶対20日の午後5時までには! 新しいやつが使えるように!!
 ということでちょっと無理を言ったり(機種と価格で)妥協したり。(^^;)

 でもなんとかなりました〜。よかった〜;;

 で、7年も経っていれば家電製品のスペック向上ぶりはすごいものがありますね。
 無線LANいけるというのでつないでもらい、茶の間でネット——YouTubeその他、みられるようになりました。
 なによりも、リモコンにNetflix、というボタンがついている。
 登録すれば、リモコンから一発でアクセスできるんですね。

 うーん。すごい。

 そんなあたりもまたあらためて書くかもしれません。

 以前の機種はどうしたかというと、自室へ持ってきてしまいました。
 BSの録画はできませんが、地上波のほうは問題ありませんし、これまでの録画をDVD等に逃がすこともできていないので。
 画面は小さいけど、自室でゆっくり見られるというのもいいもんですね〜。+゚。*(*´∀`*)*。゚+
 
 ひょんなことからテレビ周りの環境もそんなわけで新しくなり。
 これも黒ミサのご利益……?
  
 
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2016.02.19 (Fri)

揺らぎながら立つ

デキない男が言われたい3つの「褒め」言葉
  ——自信と自慢は得るが、成長にはつながらず

2016年02月15日 東洋経済 ON LINE


 こんなタイトルの記事を持ってきてはおりますが、私が言いたいことはこの内容に直接関係することではなく。
「世の中こういう決めつけが多いけど、気にすんなよ!」
 ということでございます。
 こういうのは、話半分で聞けばじゅーぶんでしょ、と。(^^;)
【話半分】事実は話されたことの半分くらいで,あとはうそや誇張だということ(大辞泉)

 このコラムの指摘していることは「ある程度は」そのとおりでもありましょうが、だからってこれ、100%、現実このとおりってこともないので。

 こんなのがふと目に止まってしまって、自分は「デキない」ほうに該当するなと思うと、よほど神経の太……もとい、しっかりした人でなければ、多かれ少なかれ気にしちゃうし、どうかすれば落ち込んだりもしますよね。
 いちばんいけないのは「たかが」こんなことで、他人を見下したり揶揄することですけどね。

 人の成長を語るなら、時宜(じぎ)もあるし、その人となりもあるし、そう考えると、ダメな例とされているほうが100%ダメってことはないんです。
 どんなにデキるひとだって、デキない時期もあったり、デキないジャンルがあったりするわけですから、こういう決めつけはいけませんね。

 こういう、相手を見ない、状況を見ない、とにかく、上からなのか横ならなのかは知りませんが「決めつける」、型にはめこんでよしとする、乱暴に「分類」して、自分の都合で取り上げる切り捨てる——というのは「男性原理」のひとつ。
 
 私はけっこう露骨な男嫌いですが、正確にいうと、「男性性・男性原理がキライ」なんですよね。じっさいの人の性別を嫌っているんじゃなく、男性性が強い女性だって大勢いるわけなんで、そのあたり、ハタからみると混乱することがあるようです。……まぎらわしくてごめんよ;;

 これまでの人類の社会は、たいていのところは男性性有利でした。戦争ばっかりやってるんだからそれはしょーがないんでしょう。
 競争社会であり、適者生存はいいとしても不適者惨殺の原理。
 自分の食糧事情以外の理由で仲間を簡単に殺す動物は人間だけ、とも言われますね。

 その人が男性かどうかではなく、行動原理が男性原理である場合、私はずいぶん、ひどく嫌うことが多いです。
 女性でもこの男性原理に忠実な人が少なくありません。社会がそうであることを求めるんだから、適応しよう、生き延びようと思うなら、しょうがないんでしょうけど。

 勝ち組負け組という色分けも、ランキングも格付けも、——結果として存在するのはしかたないけれど、それをこれほどもてあそんでは楽しむ残虐性は、男性原理のなせるわざ。
 ……と解釈しております。

 女性性は受容的、と考えてもらうとわかりやすいかと。

 結果は結果としてたしかに存在しますが、それが「すべて」ではない。
 結果「だけ」では、人を殺さない。
 あるものは、あるように受け入れる、というのが、女性性の「性質」と考えます。

 なんていってると、気の毒なミソジニストが、(現実の)女性はそんなんではないと噛みついてくるんですけど、それはよくわかります。(^^;)
 さきほども申しましたがこれは人間の性別の話ではないので、当然です。
 私が言っているのは、エレメンツ(四大要素)と同じように、「本来ある性質」のことです。
 人の性別は、あんまり要素に関係しないのはわかっております、はい。…身をもって、ね。

 いまの社会は基本、男性原理、または男性原理有利。
 それが悪いとはいいませんが、どうも現在のところ、その男性性が強くなりすぎた——社会のもろもろの弊害は、性質の「偏り」を根としている。そのように私には思える、ということ。

 バランスを取ろうとする動きは、それでも、少しずつでも広まっているのはいいことだなと思っております。
 ——ありとあらゆる変化は、けれども人に恐怖を与えるもの。「抵抗勢力」が存在するのも致し方のないところとも、思いますが。

 そういう話はそれとして、あくまで私個人は、男性性を嫌うことが多いです。ってこと。

 殿方のほめ方、あるいは求められるほめ方のお話も、なるほどねえ、とうなずけるのですが、でもこれ、「デキない」ほうに分類されたほうには愉快じゃあるまいとも、思いまして。

 どういえばいいのかな——デキないとしたって、べつにいいんですよ。成長だって、その人得意の分野もあるし、さんざん空回りした時期を経験しないと、成長の意味も素晴らしさもわからない。その人がいま現在は、その空回りを経験する時期であるのなら、それはそれでしょーがないでしょう。

 ある分野でデキなくたって、他のところでは大活躍ってこともある。それは、ある1面だけをみて判断できることじゃない。

 こういう、白か黒かの決めつけ、好きだよなあ男社会ってやつはさ。
 ——なるほどねといいながらも、それが私の感想でした。(^^;)

 お若い頃はとくに揺らぎが多いもの。こんなコラムひとつでも思わず心が揺らいでしまう人がいるかもしれないな——と思ったので、蛇足ながら。
 
 こんなご意見を聞いて、なるほどなと思い、自分を変えていこうというのならそれはそれでもう、状況は変わったわけですよね。
 だから、こういう決めつけには感心しない。
 人間は、固定されて2度と動かないものなんかじゃない。

 私の理想はアンドロギュノス——、あるいは、水星の惑星記号。

 現実にあるかどうかが問題じゃなくて、自分の中のバランスの話です。やじろべえがきれいに立っているのは、「つねに」バランスを取るために「揺らいでいる」から。
 バランスは静止しているものではなくて、つねに動いているから実現している。

 異なる性質をバランスさせることで成長していく、という、ユングのいったこと——アニマ、アニムスとの融合による人格の成長——は、もっともなことだと信じます。


 ……とりとめない話になってしまいました……(←話をまとめられない;;)
 
 
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2016.02.18 (Thu)

現代版「もののあはれ」

 日本語の「かわいい」は、(たとえば英語の)pretty とか cute とかというのとは全然ちがう概念なので、訳語として使うことはできない。
 かわいいはかわいいというしかない。
 ——と、力説している英語ネイティブの外国の方をお見かけしたことがありまして。しかも2回。

 具体的に考えてみれば、まあそうかなあ。と。
 たぶん、pretty(もんのすごく大雑把な捉え方ですがbeautiful に近い)や、Cute(赤ちゃんのような、小さい、幼い可愛さ)の意味も含みつつも、でも、キモカワイイ、などという表現から考えると——あるいは、高校生の女の子が、いい年をしたオジさまの、とある状態を見てカワイイ、などというのを考えると、なるほど意味が広い言葉だな、と。

 かわいいと言われて怒り出す殿方もいらっしゃいまして、こちらとしては褒めているのに、なんであんなに怒るんだろう、そんなにかわいいと言われるのは侮辱的なことなのかね、と、こういう話につきあってくれる貴重な異性である弟にきいたこともあります。

 弟の返事も結局は要領を得ず、——怒り出す感覚に共感を示しつつも、説明しがたい、という感じで首を傾げておりましたねえ。
 ある意味当たり前に受け止めている感覚を、あらためて説明しろと言われると、どうしてもそんな感じになりますよね。(^^;)

 それほど深刻に考えていたわけではありませんが、ときどき「かわいい、とはなにか?」とぼんやり考えておりまして。

 あるとき、ほぼ日の、糸井重里さんの「今日のダーリン」で、その「かわいい」がとりあげられまして。
 うーんさすがだなと思ったのは、かわいい、というとき、「その存在が嬉しい」と感じている、その表明であるというお話になっていました。
 詳細思い出せなくて申し訳ないですが、概略、そんな感じで;;

 かわいい、というとき——通常の概念としての、造形美とか、小さいとか、保護欲をかきたてられるとか、そういったものとは懸け離れたものにたいしても、かわいい、と口走るときって、なるほど、喜びの感覚があるなあ、と。
 愛しい、という感情もふくまれますが、「その存在が、そこにあってくれて私は嬉しい」という、その感覚の表明がかわいい、であると。

 ゆえに、むくつけきおじさまにもいうし、きれいな花にもいうし、むしろこれグロテスクだよね? という雑貨にも、キャラクターにも、服装にも、髪型にも、ありとあらゆるものに「かわいい」ということができる。

 これは——ちょっとすごい概念じゃないだろうか。
 おかしとかあはれにつぐ、あるいはそれらをすらしのぐくらいの、理念であり、概念なのでは。

 などと考えていたらどうも勝手な感動を覚えたりして。(^^;)

 とするならなるほど、これはやたらには、外国語を「あてる」わけにはいかんのだなあ、とも思いました。
 あの外国の方々のおっしゃるところは正しい。きっと。
(私は逆に、その外国語のもつイメージや概念をきちんと理解できているわけではぜんぜんないから、わからないんですよねそのへん)

 かわいい、の再発見と申しましょうか。
 まあ「かわいい」ですぐれた文学作品とかがあるわけじゃないし、あまりにも日常(褻・け)の言葉、概念でもありすぎて、そんなこと、いちいち考えたり定義しなおしたりする人は、めったにいないでしょうけども。

 とすれば、やはり糸井さんのことばについての感覚は、さすがだなあと思いました。

 ——それが、そのように、そこにあることが、私の喜びとなってくれる。

「かわいい」が秘めている概念、理念はそういうもの。
 
 なかなかそこまで理解してくれる人も、仮に意味を理解しても認めてくれる人も少ないだろうという気がしますが、これは人に知られぬ大発見として、私としてはこっそり、でもしっかり、胸にとどめておくことにいたします。

(こういうことをしてるから、たまにことばの意味の持たせ方とかが世間様とはまるっきり異なってしまって、『通じない』羽目になるんですよね)
(でもそれを、ああそうわからない? 通じない? そっかーやっぱりねー、つって、ニヤニヤする)
(そんなことをむしろ喜ぶってあたり、考えてみれば嫌な性格/笑)
 
 
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