ひとり外食

 今日で11月も終わりますね。
 11月はその語呂合わせで「11」を「いい」と読み、「いい何何の日」というのがつづきましたが(異色なのはやはりポッキーアンドプリッツの日)今日はそういう語呂合わせはないのかな。(^^;)

       ●

 これは聞いてみないとわからない、ということのひとつに「ひとりで外食ができるか」というのがあります。

 新聞か何かで見かけたのかな——、聞いて(読んで)えっと驚いたのは阿川佐和子さん。
 おひとりで外食するのは苦手で、基本的にはやらないのだということで。

 パキパキというかしゃきっとしたイメージがある方なので、ちょっと意外に思いまして。

 ひとりで外食できるかどうかというのは、ほんとに聞いてみないとわからないですね。イメージというものが漠然とあったりあるいは、性格から考えて当然、べつに平気でいらっしゃるだろうと思う人でも実は違う、ということが多い要素ですねこれ。

 でも面白いもので、この逆ってあんまりないような。
 つまり、ひとりで外食なんてとんでもないんだろうな、と思える人ってほぼいない。(^^;) ともあれ私の周辺には、ひとりで外食なんて嫌でしょ? と思ってしまう人っていないなあ。……なんだろうこの勝手な思い込みの根拠って。

 あれ、本当にダメな方はダメなんですね。私などは、町で、いきなり見ず知らずの女性に声をかけられて、いっしょにファミレスみたいな店につきあってくれといわれたことありまして。
 あれはびっくりしました。見るからにキャリアウーマンという感じの、かっこいいスーツを着こなしているきれいな人なんですが、最初は何の冗談かと思いましたね;;

 どうしてもひとりではレストランとかに入れないんだけれども、のっぴきならない事情でここで食事はしなければならない(スケジュールの問題だったんででしょう)、当然、お代は出すので、お茶でもいいからつきあってくれないだろうか、という。
 うへー、ほんとですか、と思いましたね内心。(^^;)

 そのときは暇な学生だったので、——あいにく昼食はすませていたので本当にケーキセットくらいだったと思いますが、それをいただきながら、その方とあれこれお話ししていたんでした。

 お話を伺っていても、頭の切れる、仕事のできる、性格的にも外向的でしっかりした方なんですが——なぜこれでひとりで外食がダメなんだろうかと心底、不思議に思いました。

 私自身の場合は——高校まではなんだかんだで友達とつるんで歩くからひとりで食事もなかったですが、卒業後は、たとえば実家に帰省するのでも一人旅ってことになるから、もう、しょうがないよねという感じでいつのまにか。
 あんまりいいとも悪いとも感じてなかったな。

 空腹になる以上の問題じゃなかったです。(^^;)

 さすがにきちんとしたレストランでひとりでコース料理をいただく勇気はありませんが、日常程度のことであればなんの抵抗もありませんね。
 最近ではおひとりさまというものが立派にひとつの「市場」と認められたので、20年まえと比べても、ひとりでは入りにくい、というお店は少なくなりました。たいていは、ひとりでもゆっくりできる場所が作られているようです。

 ひとりで外食ができるできないを決めている要素ってなんでしょうかねー。不思議。
 しっかりしている人だから大丈夫そうに思えるのに本人は絶対ダメだという。

 ……もしかしたら。
 逆かもしれませんね——外向的な性格のひとのほうが、ひとり外食を嫌がるのかも。
 私などはあきらかに内向的ですが、こういう人間のほうがひとりで行動することに抵抗がないあるいは少ない、のかもしれない。

 そうでもないかな…(どっちよ)
 ひとり外食が「ダメ」というのは本当にダメなんで、好き嫌いの問題なんではなく、わがままとかじゃなく、我慢するしないの問題ですらなく、ほんとうに「ダメ」なんですね。選択の余地はない、という。

 ひとり外食をしないためなら、見ず知らずの女の子(当時)をナンパしてごはんをおごってでも避ける。あの気合い。
 それくらい「ダメ」なことなんだ、とは。

 面白いな。なんでかな。
 
 いまのところ、ひとり外食が「ダメ」だという人たちにこれという共通項が見当たらない。
 謎は深まるばかりでございます。

 そのへん、ちょっと興味出てきた(笑)
  
 
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ホット・カルーアミルク Hot Kaluha Milk 



カルーア……30〜45ml
ホットミルク…適量

カルーア・ミルク(既出。20150-5-15 エントリー)を、ホットミルクにしただけですが、寒くなってくると温かいもの、なおかつ甘いものが欲しくなるんですよね。なのでついつい。(^^;)

カルーアミルクはまんま「コーヒー牛乳」——といって嫌がられるなら、カフェオレ、と言っておきますかね。(^^;)
1970年代のアメリカで、とくに女性に人気になったカクテルだそうで、以来ロングラン人気ですっかり定番化。アルコール度数も低いので飲みやすいですね。

みためはまんま「コーヒー牛乳」なので、それではラテアートもなんもできないし……、ということで、「カクテル日和」様のレシピでは、エスプレッソコーヒー(ダブルのリストレット)を1ショット、使用し、可愛いラテアートを施してあるんですね。見た目からしてほっこりできる♡

カルーアはコーヒーリキュールで、メキシコ産。
名前のカルーアというのは、「アラビア語でコーヒーを表す俗語、カフワ(kahua)"からきています」とのことです。
サントリーさんのお客様センター

ホットカルーアミルクは、ロングドリンク。TPOはアフターディナー。アルコール度数は10%ほどで、いうまでもなく甘口。
技法はビルド。

カクテル言葉は、ホットではないカルーアミルクを流用してもいいのかな? ホット単独のカクテル言葉はないようですので——まあ、ご参考までにってことで、書いておきますね。


カルーアミルクのカクテル言葉:「悪戯好き」「臆病」

 
 
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汲めども尽きぬ

羽生結弦、322.40点の世界最高得点で優勝「絶対王者だと言い聞かせながらやっていた」【NHK杯】
The Huffington Post
投稿日: 2015年11月28日 19時02分

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 フィギュアスケート、グランプリシリーズ、NHK杯、男子シングル。
 羽生結弦選手が世界新記録のスコアを叩き出しました。
 世界新、おめでとうございます。

 ショートプログラム(SP)の内容をかえて、より高得点狙いで来ているのは、優勝を確実にということなのか、すごいなと思っておりましたが甘かった(私が)。
 世界最高スコアを狙ってのことだったんですね。

 昨日はたまたま——生放送なのは知っておりましたがテレビの前に座っていられない状態であきらめていたんですが、ほんとにたまたま、テレビまえを通りかかったらフリー(FP)の演技が始まるところだったので、そのまま見ておりました。

 いやもう……すごかったですね。
 パーフェクト。まさに。

 解説の本田武史さんはひごろは冷静なかたですが、演技後、スコアが出るまでのあいだ、珍しく興奮したごようすでしたが無理もないですね。
 トータルスコア300ってどんなん——と思ってましたが、あんなんでした(笑)

 しかも、ギリギリ300点越えというのではなく、322点ですか。

 私がこの方に脱帽するのは、そのモチベーションの高さです。

 ふつーならオリンピックで金メダルをとったというだけで(…日本語がちょっとヘンだ;;)、燃え尽き状態になるというのに、この人は、さらに上へ上へ、という。
 上って、このうえどんな「上」があるというのか——と私などは疑問に思うほどでしたが、彼にしてみればまだいくらでも上はある、ということなんでしょうね。

 4回転の精度をあげるでも、より難しい4回転を実現するのでも。
 そうしてスコア。
 チャンピオンといわれながら、世界記録は自分のものではない。
 世界新記録を打ち立てる。
 自分のものにする。

 ——そういう思いでいらしたのか、と。
 凡夫は愕然とするばかりでした。(^^;)

 インタビュー中にも「(自分は)絶対王者だぞと言い聞かせてやってきた」というのがあり、このインタビューもわたくしライブで拝見しておりまして、なるほどなー、と感心いたしました。

 彼の真骨頂は、あの向こう気の強さにある。

 どんな偉業であれ、まずは本人の気持ちが欲していかないと、そもそものスタートもへったくれもないわけですが、通常の人間は、全身全霊を傾けたすえに目標をクリアできたら、どうしたってそこで満足しちゃう。つらい思いにもたくさん耐えてのことですから、もう、つらい思いをする場所へ戻る気力もどうしたって減退する。

 けれども、羽生選手はそうではないのですね。
 彼の真髄はここにあるのだ、と思って、昨日は圧倒されておりました。

 とある学習塾で、「やる気スイッチ」がどうこうというのがありますね。
 この「やる気」って、どこから出てくるものだろうかと、やる気どころかほぼ無気力で生きていた人間には、まぶしいも通り越して、不可思議でしかありません。

 一言で言うなら生命力といえるでしょうが——その生命力を「汲みあげる」ことができる人とできない人は、なにが違うんだろう。

 羽生選手の華々しい活躍は、本人が言うように「血がにじむような努力」があってのことで、ふつうの人間はそもそも、早起きして練習に行くという日課自体についていけない程度なんですからもうね——なんといえばいいのかな。(^^;)

 ふつうの人間のよくないところは、そういうところを見ないまま、妬んで嫉んで、その人の足を引っ張ろうとする輩さえいる、ということでしょうね。

 羽生選手の場合は、ああいう——人がもつ生命力の強さとは本来はどんなものなのかを、人々に「思い出させる」、という役目があるのかもしれません。

 そんな役目を負って生きている人って、けっこういるようですね。

 羽生選手のスゴイところは、なによりも、そのモチベーションの高さにある——彼の「強さ」はそこにある、ということを。
 多くの人が理解してくれるといいな、と思いながら拝見しました。

 ある一定の年齢以上の人間どもはもうけっこう捻くれているので、そういうところよりも、彼の華々しさにだけ目と心を奪われて、賞賛するならまだいいが妬む人さえ少なくないでしょう。それが、思い返せば残念。

 けれども、幼い子供たちのなかには、あの強さの意味、羽生選手を通して人に知らされているものをしっかり受け取っている人がいるのではないかと思います。

 いま活躍する人のなかには、先人の姿に衝撃を受け、影響されて、その競技なりなんなりを始めた、という人もけっこういますよね。
 羽生選手が示したものを「種」として受け取った人は必ずいる——そんなふうに思ました。
 
 
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カクテル:モヒート

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カクテルのツイート、エントリーもだいぶ数が増えまして。
すでにご紹介しているカクテルを再掲したいこともふえてきました。

新たにエントリーを加えてもいいんですが、再掲したいときというのは結局、「自分の気分」なんですよね。あーあれ飲みたいなー、という。(^^;)
新しく発見があった場合はべつですが、たぶん、再掲したいと思うときは単純に、アレを出せ! という気分になっているだけなので、あらたにエントリをアップするほどでもない。

考えた結果、カクテルご紹介の過去グエントリーをツイートし、ブログではそのエントリーのリンクを貼って、「再掲」としてみました。

なんだかややこしいマトリョーシカっぽくて、もうちょっとうまい方法ないかなと考えております。
気分に合わせて気楽に再掲、かつ、見やすくてわかりやすい、というふうにできるといいな。

そんなわけで、今日のところはモヒートを再掲。

モヒート Mojito (2015-6-18 エントリ)
http://hsmile.blog4.fc2.com/blog-entry-4752.html

mojito-2.jpg

本日、土曜日午前の旅番組で、キューバをとりあげていました。
キューバもめでたく経済制裁も解除へ向かい、今後は日本からも観光で行きやすくなって人が増えると思われます。
いいな。いってみたい。
キューバと言ったらヘミングウェイははずせない。

今日はその番組中で、キューバを代表するカクテル、モヒートが、——ヘミングウェイも毎日のように通ったというお店とともに紹介されていました。
ああ、モヒート、いいな〜……ということが1日、頭から離れませんでした(笑)
そんなわけで今日はモヒートを再掲したくなりまして。

ミントは夏を象徴する植物。

ミントの爽やかさとともに、すでにあの夏の日差しが恋しくなっておりまして、そんなわけで今日はモヒートを再掲。
 
 
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お気楽

 たいてい誰にでも、なにがしかの心残りや後悔というものがある……とよく言われますが。
 この間ちょっと考えてみたんですが、図々しいのか何なのか、どうも私にはあまり、そういう後悔していること、というのがないような気がする。

 ああすればよかった、もないし、あれはやめておけばよかった、もない。
 あんなふうにしたかったな、と、望んだけれども実現しなかったことはあるけど、それにも大して執着はない。

 後悔がない、というと、いいことのように思われるんですが——そうなんでしょうか;; 大丈夫なのか私;;

 後悔なり、心残りなりがないのは、本当にそうやって清々しく生きてこれたということならまことにけっこうなことでしょうが、どうも私の場合、なにかを強く望むことがなかったので、そういうふうになってんじゃないか、と、自分では疑っております。
 強く望まなければ、本当の意味での挫折も後悔もない、ということなのでは? と。

 もうひとつには、わがままを通してきたから、ということもありそうです。
 これはわりとはっきり断言できますね。(^^;)

 単純素朴な人間の作りをしているうえ、良くも悪くも嘘はつけないところがあるので、本当の意味で自分の本心を捻じ曲げたり押し殺したり「できない」。
 自分なりの思いを完全に押しつぶしたことはないようです。
 ふだんはぼーっとしているんですが、こればかりは譲れないというものについては、人間関係を終わらせてでも譲らないまま過ごしておりますね。

 けっこうなことじゃないのと言われますが、たぶん——私はいいんですけど、その分のしわ寄せが、周囲にいっているんだろうなと思いますと……ねえ;; 申し訳ない、という気持ちもあります;;
 こっちの話はわりとはっきりしているのでいいとして。

 望んだことがない、ということについてもうちょっと考えてみる。
 強く望んだことはない、というのは、どうなんだろう、いいことなんだろうか。そうでもないんだろうか。

 ひどい心残りとなっているものがない、というのが、本当に腹の底からじっさいそのとおりなら、いいことだと思いますが。
 本気で何かを望んだことがないから、強い失望も後悔もない。
 そういうことだと、ちょっとどうなのか。

 ふりかえると、どうしてもと望んだことがない、というあたりに、ちょっと引っかかりを感じますね。自分では。

 あまりにもしっかりと自分の本心を押し殺してきたので、望みそのものとつながることがなかっただけ、という可能性も捨てきれない。
 そうであった場合、なにがいかんのかというと、——それだと、時限爆弾かかえて歩いているようなものなので、それで、大丈夫かいな、と思うわけです。(^^;)

 そうはいっても。
 いくつかの「過去」が、意味を変えたというのも、ここ2、3年の間につづきまして。
 自分にとってはとてつもなく重い十字架のようなもの——人に話すこともできないような、重くてつらいとばかり思ってきたことが、そうではないものに姿を変えた、ということがいくつか。

 完全にではないにしても、それでずいぶん、息をするのが楽になったところがある。
 癒し癒しと気軽にふだんいっているけれど、本来の意味での癒しというのはこういうものなんだな、と思います。

 過去にあったこと自体は変わらないしなくなることもないけれども、それが自分にとってどんな意味があるのか。その意味が変わると、大袈裟じゃなくてほんとに世界が変わって見える。
 罪や呪いが、天からの祝福に変わったら、そりゃもう、まさに「雲泥の差」で、天地がひっくりかえるくらいの経験になりますね。

 ほんの少しも口に出せないほどつらいはずのことが、意味を変え、姿を変える。
 過去の傷は、そのときに、本格的に癒されるんでしょう。
 傷跡は残っているにしても、もはや痛みはなくなり——その過去が、懐かしい景色にさえ変わることもある。

 そういうことをいくつか経験したので、それであんまり——後悔しているようなことはないな、とお気楽なふうに思えるのかもしれません。

 お気楽に構えている場合じゃない、という「可能性」も考えにいれつつ。

 それでも、悔やんでいることは、あんまりないな——、と、ぼんやり思っているところです。
 
 
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アフター・エイト After Eight



ベイリーズ……20ml
カルーア………20ml
ホワイトペパーミント…20ml

材料をシェイクして冷やしたグラスへ。

カルーアは甘いカカオリキュール。
ベイリーズは、アイリッシュウィスキーにクリーム、スピリッツ(蒸留酒)、チョコレート、コーヒー、バニラなどを加えた、甘いクリーム・リキュール。
甘いとはいってもカルーアほど甘くはなく、さっぱりしているそうです。

カルーアもベイリーズも、単品で飲んでも甘くておいしいですよ。
でもってペパーミントは、ミントのオイルを使用して作られたリキュール。グリーンとホワイトがありまして、ホワイトというのは無色透明です。

ということでこちら、ほぼミントチョコレートの味わいです。アルコール度数も低いので飲みやすい。

聞くところによるとイギリスにアフターエイトという、ちょっと大人向けのチョコレート菓子があるそうですね。
一口サイズ個包装の洒落たチョコで、外側はビターチョコ、なかにミントペーストというもの。

お子様向けの味わいではないそうですが、さっするにこのカクテル、そのアフターエイトというチョコレートをイメージしているのでは。

カカオには、興奮した神経をなだめる効果があるのだそうで、それで、午後8時も過ぎた時間に、チョコレートを少しだけ口に含んでリラックスしたらどうでしょう……と、そんな感じでしょうか。😊

カクテル:アフターエイトは、ショートドリンク。TPOはアフターディナー。アルコール度数も20%ほどで、甘口。
技法はシェイク。

カクテル言葉はありません。

金曜の夜。午後8時過ぎです。
今週もお疲れ様でした。

チョコ菓子のほうのアフターエイト。
キットカットと同じく、ネスレさんでした。↓
 

 
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冬には冬のぬくもり

 なぜかイルミネーションというものには興味を持たない特異体質でして。

 特異体質ってこともないでしょうが、あまり「同志」にはお目にかかったことがないので、少数派ではあるのかなと。(^^ゞ

 葉を落とした冬木立の季節になりますと、電飾ぺっかぺかの——イルミネーションというものがあちこちで見られるようになりますね。
 日が暮れるのも早いし、これという花もなくなっちゃう季節だし、殺風景ななかだから、そういうもので楽しもうというのはけっこうですし、わかることでもあるのですが。

 興味がない。(^^;)

 うちのほうですと、御殿場の(……でもあのへんて裾野市じゃないの? と思ったら住所はちゃんと御殿場市だった)「時之栖(ときのすみか)」では毎年恒例となりました、イルミネーションが始まりまして。

 むかしは桜並木に電飾をつけていましたが、現在では特設のトンネルを作って文字通りの光の道になっていたり、噴水、光のツリーなど、極力、木には負担をかけないようにしているようです。

 ニュース映像、写真等でも見ていて、きれいだねえ、とはいうものの、それだけ。
 とある関係でクリスマスイベントということで、「時之栖」へ呼ばれていったことがありますが、ついにあのイルミネーションには立ち寄らずに帰ってきちゃいました。
 そうしたら、イルミネーションどうだった、と、「全員に」聞かれたというのもちょっと驚きでしたが、
「なに! あそこまで行っててイルミネーション見てこなかったの?!」
 とみんなに驚かれたのもびっくりでしたね私には。
 見てこないといけないものなのか、あれ。と。(^^;)

 皆様の反応を見て、どうもああいうものに興味がないなんていうほうが少数派らしいぞ、とやっと気がついた次第です。

 きれいだとは思うんだよね? と念を押されましたが。そうね。きれいだとは思いますよ。
 でも、興味はない。
 ほんの数メートル先というところを通りかかりながら素通りするほど興味がない。

 なんで。と言われましたが、なんででしょうね。

 個人的には。
 冬、暗いのなら暗いままに。
 冬木立は、冬木立のままに。
 そのほうがいいなあ。

 しいて何か工夫をせよというのなら、使うんだったら電飾じゃなくてたとえばロウソク。
 しかもそれを大量にやったのではおもしろくない。
 ぽつりとひとつの灯火(ともしび)、のほうがいいなあ。

 寒くて寂しい、生気のない冬景色、きらいなんだよね? と念を押されましたが。
 しいていうなら、その嫌いと感じることを回避する方法はないんですよね。
 電飾ぺかぺかは、なぜかかえって、生き物の気配がないことを強調するように思える。

 冬は本来なら、そうやって、あらゆるものが「死んだように」なって、静かな季節ですから。
 静かな季節なら、静かなままで過ごせばいいように思います。
 嫌いだけどね(笑)

 嫌いだけど、回避できるとは思ってないし、じっさい、できることでもない。

 本音をいえば、冬の間は眠っていたい。
 冬眠が許されるならぜひそうしたい。(^^;)
 冬の朝、布団から這い出るときのつらさを味わうたび、ああ冬眠したいと思います(笑)

 寒いのきらい、死に絶えて寂しい景色がイヤ——という「冬嫌い」ですが、それでも、その感覚は、イルミネーションではごまかされることはなく、むしろ、ああいう光でごまかそうとすればするほど、本当は光のない季節だと実感が強まる気がします。

 寒くて寂しいのなら、寒くて寂しいなあ、といっているほうがいい気がする。
 ごまかそうとするとかえって、ごまかしの下にあるものの存在感がきわだってくるかんじ。

 冬の楽しみはだから、ああいうものではなくて、温かい鍋料理、お酒、こたつでミカン(外せない)、夏は近寄ってもこない猫をここぞとばかりに抱っこしてモフりまくる——といったほうになりますね。

 たしかに冬は太陽が弱るせいで、光に飢えるのですが、求めているのはああいう光じゃないんだ……と、イルミネーションをみるたびに思う。
 イルミネーションよりは、寂しくても、冬木立の静けさのほうが「なつかしい」。

 少数派の見解です(笑)
 
 
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民主主義について

 個人的には、左巻き……もとい、リベラルな方々が声高に民主主義、民主主義というのは、オカシイなあ、と思います。
 政党政治の場においてはリベラルというのは社会主義政党が掲げるポリシーなんですが、理念や建前はどうあれ、社会主義という概念が打ち出されてから100年過ぎてそれなりの実績も積み上がってきたわけですが、その「実績」を見る限り、社会主義政党が行う政治は一党独裁体制であり、主権在民であった試しなど一度もない。

 いわば、自分たちはやるつもりもない政治体制を理想としてかかげて見せて、なにかあると「これは民主主義の危機だ」なぞというわけですから、こちらからみれば、どうにもおかしな矛盾に見えるわけです。

 彼らの意見を聞いていると、まるで民主主義というのは神聖にして至上至高の価値であると思い込んでいるかのようです。
 そうなりますと、少々意地の悪い人間としては、ちょっと聞いてみたくなるわけです。
 民主主義を、そうまで尊い価値あるものとする、その根拠はなんですか。と。

 民主主義ってそんなにいいものかしらね? とくに現行の議会制民主主義ってね。

 じつは、故・小松左京さんのことで思い出したんですが———小松左京さんにもまた、その「器量」から、政治家になって社会に貢献してほしいというご意見が少なからず寄せられたそうですね。じっさいのお誘いもあったようですが、ご本人、これはもう断固として拒否していらしたとか。
 
 現在、同じような光景、人を、見かけることは多くないでしょうか?
 むしろこういう人にこそ政治家になってほしいと思う人にそういうと、いいえ、とにべもなく拒否される。

 そういう人たちはむしろ、政治家なんてものは嫌がる。いまはNPOなりNGOなりもありますから、さっさとそういう組織を作って活動を始めたり、民間企業を立ちあげる人もありますね。
 そういう人たちからすると、政治なんて「まどろっこしい」ものは、やっちゃいられないようです。
 時間が惜しい。
 どんどん走り出したい。
「政治」なんてやってらんない。——と。

 議会制民主主義が真に優れた政体(政治体制)であるのなら、こういう現象はみられないはずだと思いますが、如何。

 現在の議会制民主主義の最悪なところは、「時間がかかる」ことです。
 意思決定が少なくとも日本よりは早い国であってさえ、独裁国家のそれに比べたら、やはり遅い。

 意思統一を良しとする建前があるために、いかに責任者への権限委譲をすすめようとも意思決定と実行の速度には、限界がある。

 私は、民主主義なんてのは、そんなにありがたがるようなものではないと思ってます。
 独裁だっていいんですよ。
 まともな能力があるリーダーがいてくれるのなら。

 問題はシステムではない。
 そこにどういう人間がいて何をしているか。これに尽きます。

 民主主義の最大の欠点は、機会平等をうたうあまり、本来なら人前に出てくるべきではない人にまで、その機会を与えてしまうことです。
 馬鹿と基地外は声がデカイ、というのが私の持論ですが——いまの「議会」というところでは、人前へ出てきてはいけないくらいの人がわけのわからないことを大声で喚いて議論を紛糾させる。話の内容をねじまげ、迷走させ、ただでさえ意思決定に時間がかかるシステムの欠点を、さらに助長してくれる。

 発言すべきではない人に発言させるせいで、時間と手間とコストを増やしてしまう、この重大な欠点を、今後の政治は克服しないとならないんでしょうね。ちゃんと政治を機能させたいのなら、ですが。

 能力ある人が、政治なんかじゃ世の中を動かせない、つって、ほかの活動へ走っていくようでは、本当は困るんですよね。
 有為な人が、その能力を生かすために政治家を目指す、くらいでないと。

 だれに吹き込まれるんだか存じませんが、民主主義という政体を絶対至高の価値だなどと盲目的に信じ込み、それを声高に叫ぶとあっては、その政治音痴ぶりは、論外というほかはありません。(^^;)
 欠点を克服するには、これが欠点だと認める必要がありますが、盲目的に賛美する人間には、そもそも、その第1歩が踏み出せないわけですからもうね——あんなんに任せられるわけないよね、と。
 近頃ではそんなふうに思いながら、政治に絡むあれこれを眺めています。

 民主主義をマトモに機能させるには、民主主義を「信奉」するのではなく、欠点は欠点だと冷たく認識できる程度には知性のある人材が必要なんですよね。

 そんなわけで、リベラルが、他人の顔色をうかがいながら、民主主義の危機だのなんだのとわめけばわめくほど、私の気持ちは冷えていきます。
 これだけアジってんのに、なんか反応イマイチなんだよな、なんでだろう……なんて顔をしているのを見るともう、ため息も出てきません。(^^;)


 ……今日はどうにも、日頃の鬱憤がそのまま出てしまって毒気も強くなりました……感じ悪くてごめんなさい。(^^ゞ
 おちゃらかす気にもなれないというのは、ちょっとどうかと自分でも思いますが、どうにもなりませんでした;;
 
 
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エンジェル・ディライト Angel's Delight



ジン……………………20 ml
ホワイトキュラソー…20 m
生クリーム……………40 ml
グレナデンシロップ…2 dashes

直訳すれば「天使の喜び」。
天使様はなにをいちばんにその喜びとなさるものでしょうか。

可憐なほんのりしたピンクは、グレナデンシロップ由来の色。

目を引くのは、生クリーム40ml、ですね。けっこう多いな〜。(^^;)
これはもう口当たりもかなりしっかりじゃないでしょうか。「heavy cream」とありますので、生クリームのなかでも、乳脂肪がしっかりあるタイプの生クリームを使用ということですね。

ホワイトキュラソーも、トリプル・セックという、キュラソーのなかでも辛めのもの指定だったり、キュラソーではなく、クレームドバイオレット(スミレの香りを主にした香草リキュール)とするものもあります。

クレームドバイオレットといえばブルームーンやバイオレットフィズでおなじみ。
こちらですと、グレナデンシロップと合わせると、ほんのりピンクも、やや青みがかった色になるでしょうか。

はたまた、材料は同じなのですが、シェイクせず、材料をゆっくり注いできれいな「層」にして、いわば虹のようにする「ブースカフェスタイル」とするものもあります。
このスタイルですと少しずつ材料が混ざり合い、味わいも変わっていく、その過程も楽しいでしょう。

カクテルの名前がなんとなくおめでたい感じがするので、気楽に楽しんでほしいカクテル、ってことかな。と解釈して選んでみました。材料もつくり方もお好みで、あるいはご気分で、お楽しみになるのがよろしいかと。

甘口でクリーミーで、デザートにはふさわしい華やぎもあって、いいですね。
色合いをみると、シェイクしてもらったほうがいいかな、という気がする。ほんのりピンクが可愛い。
ただし、生クリームの量には十分注意を、とのこと。
ほんのちょっとでも多すぎると、この色合いも味わいも、残念なことになりやすいとのこと。

色としては、こちら↓のサイト様の画像がしっくりくるかな。
これくらいの色合いだと可愛さも増しますね♡

Angel's Delight Cocktail Recipe
 
 
  
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怨念主義

 とある自動車メーカーさんのCMが、男尊女卑だの何だのとまた妙な言いがかりをくらっている、というのは、ネットで横目に見ておりました。
 メーカーさんには、「そういうものではないです」というくらいにとどめ、そのCMの自粛だの何だのはなさらないように願いたい。

 この世には聞いておくべきクレームと相手にしてはならない世迷いごとがある、ということを、そろそろはっきりさせたほうがいいと思うので。

 その話題のCMですが、私もテレビで見かけていたけれども、べつになんとも思わなかったなー。
 むしろ、私が子供の頃には女性ドライバーというのは特異な存在で、これはいまでもあるけれども、女性の運転は怖い、とかね。不当ないわれようをしていた記憶がありますから——むしろ、女性が旦那さんを迎えにいくのが当たり前の光景になったんだなーという感慨があるくらいですよ。(^^;)

 むかーしは、パワーステアリングというものがなくて、ハンドルの取り回しがそりゃもう大変だったので(教習所で触らせてもらったことがあるけど、重ステの名に恥じぬ?重さでした/笑)、女性の力ではなかなかシンドイという事情がたしかにありました。そのせいもあったとは思いますが。
 いまは、パワステじゃないなんてほうが驚愕されるでしょう。

 ともあれ、思ったことは、そのへんのことよりも。
 フェミニズムもいーかげん、その「怨念主義」やめればいいのになー。ということ。

 なにごとであれ、「反〜」という概念は、従来ある価値観や概念に「反対する」というもの。
 つまるところ、反〜というのは、反ではない従前の価値観に根ざした存在なんですよね。

 写真のポジとネガのような関係なので、そこにある絵は同じ。
 
 反〜という概念が無駄だとはいいませんが、反〜は、正〜の価値観が変わったときにはその役割を終えるもの、ということは、あらかじめ了解していたほうがいいように思います。

 反〜は、概念という意味においてはぜんぜん「新しい」ものではないのです。
 古い価値観を裏返しにしただけのものだから、「同じ」なんです。

 正電荷と負電荷が同数で存在すれば電荷はゼロ——中性となりますが、そんなイメージで、たぶん、反対の値をぶつけることで、従来の価値観の意味づけを変える。そういう役割はあると思いますが。

 中性になったら、それでいいんじゃないでしょうか。

 いちど中性になったのに、そこで異なる電荷のものがさらに頑張ると、また帯電してしまいます。

 私が気になるのは、世にある「反〜」の人々は、自分が「正義」だと信じすぎなんじゃないかということ。
 電荷の違いがあるだけで同じ素粒子同士だということをなぜそうも気持ち良く無視するんだろうか、と。

 フェミニズムもまた、従来の「伝統主義」に対する「反対」ですよね。
 その伝統主義が少しずつ「中性化」したのなら、フェミの「役割」も、なくなるか、薄らぐかするほうがいい。帯電はしないほうがいいでしょう。

 ………と思ったら、最近では「反フェミニズム」というのもあるんだそうで(笑)
 もー。ほんっとに人間てのは救いようがないなー。(^^;)

 この際フェミでもアンチフェミでもなんでもいいけどさ。

 反〜は恒久的な価値観ではないこと、ぜんっぜん新しいものではないこと、あとはなによりも、「怨念主義」は、正でも反でも捨てるがよろしい、と思いますね。

 怨念はろくなことをしません。ものを見る目をゆがめ、自分の精神を傷つけ、見るべきものを見損なって本来目指したはずの道を逸れていく。

 真実、自由でありたいと思うなら、「反〜」の限界を見極めることと、なによりも怨念を捨てることですね。

 怨念、怒り、恨み、というのの発生源は、不安と恐怖ですが。
 人を本当に自由にしてくれるのは、愛というもの。

 人間ですから怒りにも恨みにも囚われてしまうことはありますが。
 ただ、そんなものにかじりついたって、なんの進化も進歩もないということだけは、承知しておくべきものと思います。

 私は個人的にはあのCM、いいと思いましたけどねえ。(^^;)
 ご家族が見ても、パパ、かっこよかったんでしょ? いいじゃないですか。ねえ。

 反対ご意見を眺めていて思ったのは、「これはご本人の『投影』なんでは?」
 ここを突っ込むとまた怒られそうなのでいいません;;
 ただ、自分の不平不満を他人に投影して文句垂れるのは、ちょっとひとさまにご迷惑なんじゃないかなあ。と。
 それだけ。
(……充分言ってるだろ;;)
 
 
 
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グアバ・ネクターを使ったカクテル



ウォッカ……30ml
グァバジュース……120ml
パッションフルーツシロップ……1tsp

オリジナルのカクテルになるのかな。インカコーラにひきつづき「珍しい(外国の)飲料で作るカクテル」とのこと。

グアバのネクターとはたしかに珍しい。南米シリーズですね。インカコーラに、チチャモラーダ、そしてグアバネクター。

私としてはパッションフルーツシロップが初耳でした。(^^;)
パッションフルーツって香り、ありましたっけ? シロップというのですから甘いんでしょうけども、パッションフルーツの色や香りって、シロップになるとどうなるんでしょうね。

ウォッカは無味無臭ですから、グアバジュースとパッションフルーツのシロップでは、すなおに甘くて香りのいいカクテルになっているんでしょうね。

グアバ・ジュースのカクテルは——これも、スクリュードライバーなんかとほぼ同じ構成ですね。
パッと見たときの色がやはりきれいだし、なんとなく味わってみたいなという気持ちがしたので、本日はこちらを選んでみました。

グアバは熱帯アメリカ原産の、「常緑小高木」で、7cmほどの、種が多い実を結ぶ。
面白いのは別名(和名)ですね。「バンジロウ、バンザクロ」ともいうそうな。
由来がわかりませんが。(^^;)

このカクテルはロングドリンク、アルコール度数はあっても20%ほどかと。TPOは——甘口ですから食後でもよさそうだし、でも香りがいいから食前酒としてもいいでしょうから、オールデイカクテルか。
技法はビルド。

カクテル言葉はありません。
 
 

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ファッションに見る幻想



 化粧もそうなんですが、ファッション、服装、「人間のエクステリア(外装)」の意味というのは、考えているといろんな意味があって面白い。

 女性のファッションについて、男ウケするだのしないだの、男はそういうの好きだの嫌いだの、と言われた経験のない女性はまずいないだろうというくらい日常的な光景になってますが、こういう言い草のなにがうっとうしいかって、
「ファッションは本人のためのもの」
 という視点が完全に欠落していて、「すべての女性は男のために装うもの」という、信じがたいほど強固な概念になっているところですね。

 ウルセエなあもう、というくらいにしか私は思わず、いわばガン無視で生きてまいりましたが、では、そういう男性自身にとってのファッションとはなんなのか、というのを指摘したのが上記ツイートだったので、へーえ。と。
 そのツイートを辿って拝読したこちら。

「洗礼ダイアリー」
 第4回
 セックスすれば詩が書けるのか問題
 2015/10/14 文月悠光

http://www.webasta.jp/serial/senreidiary/post-66.php

 興味深かったのは本文よりも(すみません;;)、途中に引用されている指摘でした。

「精神分析的には、男性は身体を持っていないんですよ。言い換えると、男性の身体は透明で、日常的に身体性をほとんど意識していないんです。」

 ——「臨床現場から見た母と娘」
『母と娘はなぜこじれるのか』(NHK出版)



 身体性っていきなりぽんと言われても意味がわからないでしょうが、そこは本文を読むとわかりますので。
 ……本来この話もこれだけで本1冊になっちゃいますね。(^^;)

 その「透明な身体」を持つ人はどうやって自分の身体性を獲得するかというと、その手段のひとつが「モテ」ということになるようです。



 む、難しい;; 私には要約できないくらい難しい;;
 
 ただ、世にあるいわゆるファッション誌というのは、かなり「モテる」ことを気にしてますよね。
 ファッション誌がそういうからモテを人々が意識するのか、モテをキーワードにすると雑誌が売れるから登場するのか、私にはわかりかねますが。

 それでも世の中におけるファッション、エクステリアというのは、異性ばかりの話ではなく、職業もあるし、地域性もあるし、文化の表れでもあるし、他人とコミュニケーションとるためのツールだったりもするし、純粋に自分のため、楽しみ、自己表現ということもあるし、いろんな意味がありますからねえ。

 いくつもある意味の中で、ただ「モテ」だけを、たったひとつの基準にするのは、男女を問わず、ツマラナイことじゃないのかなとは、思います。

 しかし、男女ともに、異性を意識したはずのモテとやらファッション、案外じっさいにはモテるわけじゃなかったりするんですよね。
 ここに相互の無理解と幻想の厚ーい壁が立ちはだかってんだなーと実感しちゃいますわ。(^^;)

 文月悠光さんのおっしゃることも面白く、この超絶セクハラ発言、向こう脛を声も出ないってくらいに蹴飛ばしてやれと思うほどのご発言は——セックスしないと詩は書けないんですってさ!——、ラサール石井さんも同様のことを公然と言ってしまい、大ひんしゅくをかってたことがありましたね。

 その考え方のなにが嫌われるかは、文月さんのご指摘のとおり。
「男によって変貌する女」というのは「男のロマン」なんでしょうが、それは妄想でしかない。
 妄想は妄想でいいんですが、それを現実に持ち込むから嫌がられる。

 渡辺淳一さんの小説が、現実の女性から非難轟々、というより唾棄する勢いで嫌われたのも、この手の幻想が主題だったからですね。とはいえ、まあ、あれは小説だから。(^^;)

 ちょっと気の毒だと思うのは、そういう男性の妄想は、いままでは社会の中で実像として認められてきたということ。でも、それはじっさいには「虚像」だということ、その様相は、女性が「現実」を訴えることで崩壊しつつある。

 いままではよかったのに、今日からは急にダメになりました——というのが、ある種の人々の受け止めるところでしょう。
 そこはちょっと気の毒。なんで? としか思わないだろうなあ。なにしろ昨日まで「正義」だったものが、急に「悪」と断罪される(ように彼らには思える)わけですから。
 ついてこれないでしょうね。

 妄想を持っているのは女性も同じなのですが、こちらはいままではひたすら抑圧されるだけで、現実のげの字も口にしてはならぬ、というのがいままでの社会のありようでした。
 
 それらの意識を変えようとしても、変えられない人々がいるのは、致し方のないことでしょうね。
 まあ、少しずつでも、現実にたちかえっていただけるように、ときには向こう脛を蹴飛ばしながらでも、やっていくしかないんでしょう。

 私の見るところ、男性の強固な幻想もひどいもんですが、女性もかなりのものがありますよ;;
 こちらは抑圧され、「隠されて」きたので、かえって見つけにくいように思います。
 気がついたときにはその妄想の根強さには愕然とするほどで、——これはこれで、厄介だな、と。

 食べる、ということも不思議な行為ですが、装う、ということも、一筋縄ではいかない、玄妙なものですね。

 ただ、ファッションは、それが自分や他人を害するものではないかぎり、ご本人が楽しいのなら、可能な限り、許しあっていきたいものと思います。

 個人的にはあれこれおしゃれを楽しめる人っていいなーと思いますけどねえ。
 いろんなアイデアがあってこそ楽しめるものなんで、そういう頭の柔軟性はうらやましいな、と思ってます。
 
 
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芸は人なり

 本日、勤労感謝の日。
 新嘗祭(にいなめさい)と関係なくはないけどあんまり意味がある祝日でもないようで、なんで11月23日? と思ったら、「とくに意味はない」って。(^^;)
 そうだったの?

https://ja.wikipedia.org/wiki/勤労感謝の日

 新嘗祭とGHQがでてきちゃったよ(笑) ダブル効果で共産党さん、この日はいやだろうなあ(笑)

 でもって今日は二十四節気「小雪(しょうせつ)」。わずかながら雪が降り始めるころ、と。
 七十二候では「虹蔵不見」。虹を見かけなくなる、と。

https://ja.wikipedia.org/wiki/七十二候

 いろいろありますが、すでに立春が待ち遠しいです。(^^;)
(大雪もまだだっつーのに;;)

       ●

 ここ数日、個人的に「小松左京フェア」になってます。

 小松左京さん(1931年1月28日—2011年7月26日)にはそりゃもうハマりまくり。御大の小説群に、「知で遊ぶ」楽しさを教えてもらいました。

 最初に読んだのは忘れもしない、アンソロジーに収録されていた「くだんのはは」でした。
 当時わたくしは中学校1年。

 そのアンソロジーは、怖い話というほどでもなくて、ちょっと不思議なお話(フィクション)を集めたもので(本当にあったわけではない怖い話/笑)、申し訳ないですが本のタイトルも編者も覚えていません。
 そのなかでとくに印象的だったのは「くだんのはは」と、筒井康隆さんの「佇む女(ひと)」。
 おふたりがSFの大家であるとはまったく知らなかったのに、やはりこのおふたりが際立っていたんですね。(^^;)

 そこからはもう、ハマったの転んだのという騒ぎではなく、なにしろ多作の方でもあるしショートショートの名手でもあるし、その時点ですでに文庫化されていた本が山のようにあったというのも財布の事情が厳しい中高生にはありがたいことで——読みまくりました。しかも繰り返し繰り返し。

「日本沈没」みたいな長編もいいのですが、やはり中編に、心惹かれるものが多かったです。「くだんのはは」も短編ですし。
 その熱がここで再燃——というほどでもないけど、再読ブームきてます。
 それで読み返して思うのは、やっぱり御大はいいなあ。と。

 なにがいいかって。
 ——なんともいえない、ひとへのやさしさ。
 これに尽きます。

 芸術家でもなんでも、個性で勝負するひとの場合、作品はすばらしいのに、ご本人のお人柄はちょっとアレだったりするのも、珍しいことではないですね。
 もうお亡くなりになっている方ならともかく、まだお元気で(……まだ、って;;)いらっしゃると、そこはそれ生身の人間、いらぬスキャンダルやゴシップネタになってしまって、ファンとしてはげんなり…ということも、よくあること。

 それでも、作品とその人柄はべつものであり、よい作品を生み出すひとが人格高潔である必要はない、と。
 それは私も認めます。
 文芸批評において、作者のプライバシーまで詮索するような真似をするのは好きではないし、作品を読み解くのに「必要」なこととも思えない。

 作品と作者は切り離していい。

 ………それは当然認めてはおりますが。

 そうはいっても——これは評論じゃなくて自分の好き嫌いの話なので。
 どこがどうとは具体的には指摘できない(してもいいけどとんでもなく細かい話になります)、そのやさしさの感覚あればこそ、ああまでもハマったんだなあ、と感じます。

 御大なきあと、これほど知と情のバランスを感じさせてくれる人は現れていない。まあそのうちには——とも思いますが。
 
 人格破綻者でも史上の傑作を生み出すことがある、というのはそのとおりだと思います。
 それでも、言葉にはならないような部分で、私は「やさしい」感覚に、いれあげていたんだな、と思います。

 皮膚の上に神経をむきだしにさらして歩いているような年頃のとき、こういう感性のものにどっぷり浸かっていられたのは幸せなことだったな……と、しみじみ。

 作品と作者の人格は別問題、というのはそのとおりだと思いながらも。
 五代目・柳家小さん師匠がおっしゃったという、「芸は人なり」もまた、そのとおりのことだとも思います。

 うかれ、というあだ名がつくほど剽軽(ひょうきん)だったという小松左京さんの、けれどもその心底に、驚くほど暗い闇があるとは、後からだんだんにわかってきたことでした。

 人間というのは面白いもんですね。日頃はおどけてばかりの明るい人にこそ計り知れない闇がひそんでいたり、物固いとばかり思う人に、意外なまでの豊かな世界とユーモアがあったり。

 御大は明るいとはいえない青春時代を過ごし、阪神淡路大震災後には鬱をわずらい、それでも——やっぱり「うかれ」で、おやさしい人だったなと思います。
 お亡くなりになったのが2011年の夏、東日本大震災後です。亡くなる直前にも人を励ますメッセージを残して——ご友人がたが歌う「カンカン娘」に合わせて末期の水——じゃなくてお酒を(脱脂綿に湿らせたものを)飲んでいったとか。

 芸は人なり。
 本来、直接お会いすることもないなかから、人柄からは切り離されたはずの作品越しに、それでも感じ取ることはできる。再読するなかで、そのことを実感しています。
 
 直接は触れられないはずの人柄に惹かれていく、そういう私の「嗅覚」には自信を持ってもいいのかもねえ——と、再読を続けながら思っているところです。


 せっかくなので、小松左京さんの最後のメッセージを。

「今は大変な時期かもしれないけれど、この危機は必ず乗り越えられる。この先、日本は必ずユートピアを実現できると思う。日本と日本人を信じている」



 ——うつせみの みをかへてける 木(こ)のもとに なほ ひとがらの なつかしきかな
 
 
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