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2015.09.30 (Wed)

ポートフリップ Port Flip



ポート・ワイン……45ml
卵黄 ……1個分
砂糖……1tsp

材料をシェイカーに入れてシェイク。
ですが、卵黄が入っているのでしっかりめに。
グラスに注ぎ、ナツメグをふりかける。

甘口で飲みやすい、ようは玉子酒、という感じなんですが、これだと物足りないという人のためなのか、ブランデー10ml を加えるレシピもありました。
そのへんはお好みで。(^^)

ポートワインは、シェリー酒と同じくもとはワイン。酒精強化ワインのひとつ。
赤・白のワインの発酵途中で、グレープ・スピリッツ(アルコール)というものを加え、発酵を途中で止める、という作り方だそうです。
発酵を途中で止めて、わざと甘さを残してあるんですね。

強いものがお好きな方のために、ブランデーをちょっと加える、といういうレシピがあるのでしょうか。

カクテル、ポートフリップはロングドリンク。TPOはアフターディナー(デザートカクテル)。
アルコール度数は10%ほどと低く、甘口。
技法はシェイク。

カクテル言葉:「恩恵」
 
 
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2015.09.30 (Wed)

選んだものが最善



 あの話はあれで幕引きと思っていたのに、赤の他人の話にえらっそうに首を突っ込んでくる人がまだいて、うんざりしていたら上記のツイートをお見かけしまして。
 そうなんですよねえ。
 ああすべきとかこうすべきとか、こうあるべきとかべきでないとか——無意識なんでしょうが刷り込まれてしまって、こういうものが飛んできたらこういう反応を「すべき」って思い込みが、「世間様」は、強すぎるんじゃないだろうか。

 いまはいろいろと、治療法も、手術の手法もかなりの数あって、その中から最善の選択をするというのは、至難の技だと思うんですよね。
 しろうとだからではない——お医者さんだって、その患者さんにとってなにがベストかなんて、そうそうわかることではないでしょう。

 というのは、人はパンのみにて生きるにあらずってことで、ただ患部をどうにかすればいいのかということではない。
 QOL Quality of Life、生活の質、という問題もある。

 病気を「やっつける」ことだけが最善とは限らないし、やっつけるなんてやめる「べき」って話でもない。
 大事なのはその人の人生なんであって、赤の他人のご意見なんかじゃない。

 赤の他人の話に首を突っ込んできて、責任なんかこれっぽっちもとれないしとる気もないしその能力もないくせに、グダグダいう輩というのには、どうも私も態度が厳しくなってしまうんですが、ああいうのを見ていていちばん思うのは
「傲慢だな」
 ということ。

 どうも現代人は「正解」というものが必ずあって、それを採るべきだし採れるはずだと、無邪気に信じ込み過ぎてるんじゃないでしょうか。
 行動経済学では、人は選択肢が多いとかえってなにも選ばなくなる、というのがありますが、——病気とどう「付き合う」か、というのも、同じことじゃないかな。
 選択肢が増えたことはありがたいことですが、それゆえに迷うようにもなってしまった。

 でも、——これは病気の話に限らないんですが、なにがベストの選択かなんて、わかることではないでしょう。

 ベストかワーストかは、それが結果となるまではわからないんだし、もう人生最悪の選択だったと長いこと思ってきたことが、ある日突然、その意味を変えてしまうこともあるし。
 最善か最悪なのか、それは人間が勝手に「意味付け」しているだけのこと。事象それ自体は実にニュートラル、中性、中立、いいも悪いもない。
 
 なにがベストかなんて誰にもわからない。
 人間は、全知全能の存在ではない。
 いくつもある選択肢のうちのどれが「最善」かなんてのは、未来透視でもできない限りはわかることじゃない。

 選択、という問題のほかにも「巡り合わせ」ようはタイミングというものがある。
 これは本当に、人の力でどうにかなることじゃない。

 病変の場所。
 それを見つけたタイミング。
「時」は人には選べない。

 海の真ん中で、波に揉まれているのが存在というものなんで、「不確定要素」の海に漂っているということもまた事実。

 なにがどうなるかわからない場所で、なにかをひとつ選んだとして、選んだ瞬間にはベストでも、次の瞬間には天候が一変して、ベストがワーストになることもある。
 人事を尽くして天命を待つという言葉もありますが、そういうことじゃないでしょうか。

 自分にできることは可能な限りやるけど。
 それがベストかどうかは結果論でしかないし、また、いいか悪いかは人間の都合でしかない。それがその人にとってよかったかどうかは、その人本人にしかわからない。

 そういうことをわきまえる謙虚さを、もーちょっと持っていてもバチは当たらないと思う。

 自分がベストと思うものを尽くすのは、ある意味「当然」のこと。

 自分の決めたことは、つねにベストだ、と言われました。
 最善以外の決定はない。決定はつねに最善のもの。
 後悔には意味はない。(反省はする)

 それがどんな結果になっても状況においても、自分がここにいて引き受けると決めてしまえば、もう「最善」しかないのだと。

 言われた当初は、意味がよくわからなかったんですが——最近ようやく、なるほどなと思うようになりました。

 病気にどう対応するかも同じじゃないかな。
 そのときの自分が精一杯のことをして決めたことなら、それはベストの選択だったということ。
 それを悔やむべき理由はない。

 違う選択肢を選んでいたら、というけれど、じっさい選ばなかった。
 そこにはもう何の意味もない。
 
 そのときの精一杯で決めたこと以上のものなんてない。

 腹をくくれ。
 ——ということなんでしょうねつまり。(^^;)

 人の生き死にもまた、自分自身の精一杯と、大海の波との、双方がもたらす結果のひとつ。

 あの大海(おおわだ)を、人間の力でどうにかできるなんて思う方がどうかしている。

 なんていうと、やけに不安そうな顔をする人がいるんですが。(^^;)
 こればっかりは、ほんと——「腹をくくれ」としかいいようないですね;;
 逆らえない抗えないものがある、というのは、動かせないこと。

 でも、そのなかでも、自分は自分の精一杯を尽くすことは可能——というのもまた、確かに言えることですから。
 そんなに「未来」を怖がる必要もありません。


 ……あー。
 すみません、また話が広がって収拾つかなくなってますね;;

 他人のことをとやかく言ってるヒマがあるなら、自分の腹をくくっていたほうが、自分のためになるのでは? ってことですかね、(無理に)まとめると;;
 
 
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2015.09.30 (Wed)

シカゴ Chicago



ブランデー……………60ml
ホワイトキュラソー…2dash
アンゴスチュラビターズ…1dash
シャンパン……………適量

シャンパン以外の材料をシェイクし、グラスへ注ぐ。シャンパンでグラスを満たす。
グラスは、グラニュー糖でスノースタイルに。

町や土地の名前をつけたカクテルをシティカクテルといいますが、これもそのうちのひとつ。

ブランデーはもとはワイン。ブランデーの語源は、オランダ語の「ブランデ=焼く/蒸溜する」と「ウェイン=ワイン」からきているそうです。ワインの蒸留酒がブランデー、ってことですね。

キュラソーはオレンジの果皮を使ったリキュールですし、アンゴスチュラビターズはラム酒にリンドウの根などからとれる、苦味成分、ジェンシアンを使ったもの。
全体的に——グラスの「雪」は砂糖ですし、すっきりした飲みやすい味わいとのこと。もとはワインのブランデーとシャンパンですから、相性も良さそう。

ちなみにシャンパンというのはフランスのシャンパーニュ地方で産される発泡性ワインのこと。
発泡性ワインをシャンパンというのではないのですね。発泡性ワイン産地のひとつがシャンパーニュということ。

カクテル言葉の由来は例によって謎。(^^;)

シカゴはショートドリンク、TPOはオールデイカクテル。
アルコール度数40%ほどで、中口。

カクテル言葉:「贅沢」
 
 
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2015.09.29 (Tue)

一生に一度の月

 昨日はまた、熱海温泉はホテルミクラスさんへ。
 仕事終わってから行って、早朝にはチェックアウトするという時短温泉行き。温泉行く意味あるのかという感じですが、まあ、それでも、ぜんぜん行けないよりはいいです。(^^;)

 母に言われるままに予約を入れたときに、当日が満月だなというのはわかっておりましたが、スーパームーンであるとは存じませんでしたし、満月だとは言っても天気がいいとは限らない。
 ということで、期待はほぼゼロでした。

 夕方、夕食の時間を待ちながら、ああ日が沈んだな、日の入りは本当にはやくなったなと思って窓を見たときの衝撃。

 赤い月が。
 まだうっすら夕日の色を残している空に、すでに煌々と照っている。
 海の上に、「光の道」が現れるほどの明るさで。

2015-9-28 super-moon - 1

 過去にも、満月の夜、黒い夜の海の上に光の道が現れるのを見たことはありますが、「道幅」がぜんぜん違うし、波間に淡く月光がたゆたう…なんて可愛らしいものではない。
 強烈なライトが当たっているように、——レッドカーペットさながらに、ゆったりとした広さで、またその道自身が光っているようで。

 写真にとってはみましたが——やはりあれは、肉眼でみるからこその迫力なんですね。(^^;)

 肉眼で見えたものに近いようにと修正してみましたが——うーん;;

2015-9-28 super-moon - 2

 赤く見えていた月が、それなりの高さに昇って、白っぽい光になりまして。
 この光の道が、通常にくらべてどれほど広いか明るいか。
 通常のものでは、スマホのカメラで撮影してもほとんどわかならないくらいに淡いものにしかならない、ということを思えば、驚異的な月でした。

 真夜中——日付が変わったときに窓からみましたら、月ははるかに頭上へ——真上にあるようでした。

2015-9-28 super-moon - 3

 満月も、スーパームーンにも遭遇する機会はそれぞれにまれ。
 さらには、今回は雲がほとんどない、絶好という以上のコンディション。
 しかもこちらは、温泉に浸かりながらです。
 なんという贅沢。
 ありがたいなあ、と思いつつ、あんまりすんごい条件が重なったので、逆になんとなく申し訳のない気持ちになりました。(^^;)

 で、翌朝にはすでに雲が現れてまして。

2015-9-28 super-moon - 4

 本当に——この月はぜひ見ていきなさいよといわれていたみたいに思えました。

 次のスーパームーンは 18年後になるんだとか。
 
 たぶん、昨夜見た月は、一生に一度の月だったんだろう、と思いますと、感慨もひとしおでございました。

2015-9-28 super-moon - 5
 
 
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2015.09.28 (Mon)

堂々たる国籍差別

 これ、いちどはNHKさんに言うだけ言おうかなあ、と思っていることは。
「大相撲中継のとき、日本人力士の優勝がどうたらって、くだらないことを喋るな」
 ということ。

 あれがどうにも気になって気になって。

 相撲の国際化、というくだらない言葉を聞いた最古の記憶は、たぶん私が小学生のころではなかったかと思います。
 当時はすでにハワイ出身の力士——高見山関がいらっしゃいまして、私はべつに外国出身力士というものには、特段、抵抗もありませんでした。が。

 外国出身力士を増やそうということだったのか、相撲の国際競技化を目指すという意味だったのかは不明ですが、ともあれ「相撲の国際化」という言葉を聞くことがありまして。

 個人的には私はそれは反対でした。
 外国出身力士にそのものに反対というよりも、日本が持つ「信仰」とも関係の深い——日本人自身すら十分には理解できないようなものを、外国の方が理解するのは至難の技だろう、彼らが十分理解できるような指導が、日本人、というかあの相撲協会にできるとは思えない。だから反対。

 なぜ、相撲協会には、外国出身力士への教育は十分にはできないと思ったかって——見ればわかるとおりで、あの方々に、十分な脳みそがあるとは思えなかったから。

 幼稚園のころから相撲を見ていて、好きではあるのですが、好きだからって盲目的にならないというのはどうも性分なのか、好きでじっくり見るからこそ欠点も見えるというべきなのか——ともあれ、そんな複雑な作業が、あの「ごっつぁんです回路」の相撲協会にできるわけなかろう、というのが私の考えでした。
 
 そうこうするうち、日本ともそれなりのゆかりのあるハワイ出身力士もこえて、これはもう、猛然たる異文化の、モンゴル出身力士が活躍するようになりまして。

 そうなりますと途端に言われるようになったのが、外国出身力士の人数制限の厳格化、彼らへの露骨な「異分子」扱い。
 彼らに十分な説明も教育もできていない現状を棚に上げての、「日本文化の無理解」批判。
 外国出身者に、そんな超絶ローカルな文化のことなんか、説明もされずにわかるわけはないし、また、理屈で理解しても、「身につける」というのは、これはもう——どうにもならない部分があるんですよね。

 私自身は、こういう混乱が起こり得るから、「国際化」なんぞは反対、と言ってましたが、こうなるともう、協会になのか世間になのかはわかりませんが猛然と腹が立ってきて。
 こういう事態は十分に予想されたことだ。こうなる覚悟もなしに安易に国際化国際化と言ってやがったのか、と。
 …って怒っていたら、うちの母の一言。
「当たり前じゃん」
「だってあの人たちの頭蓋骨の中身って筋肉なんでしょ?」

 ………お母様。
 わたくし、そこまで申しておりません;; そこまでは

 そんなわけで、私は逆に、外国出身力士の方々の努力には、敬服するしかない、という気持ちでおります。
 私が予想していたのはたぶんもっと悲惨な状態。
 それを考えると、本当に、涙ぐましいどころか、涙滂沱の苦難を、立派に乗り越えていると思うのです。

 彼らは、立派に力士である。
 力士として土俵にあがるのなら、もはや出身は関係ない。

 公務員ではそうはいきませんが、まあ、宗教行事のひとつですから。相撲は。

 それをなんですか、NHKという日本の公共放送が、毎場所毎場所——とくに楽(らく)や、楽がちかづいてくると、決まり文句のように、日本人力士が、日本人力士の優勝が……ってさ。
 あんなにどうどうと国籍差別させといていいもんだろうか。
 しかも、相撲については黒船が大砲を撃ってきたわけじゃない、こっちから勝手にドアをあけてさあどうぞと誘い込んだのにその態度か。

 ということで——どうにも気分が悪くてですね。

 私がいちばん気持ち悪いと感じるのは「その覚悟もなしに国際化なんていってたのか」ということ。
 もともとの国際化反対派の私からすると、この「覚悟のなさ」が、本当に腹立たしい。

 まあ、ああいう、短絡思考で、ものを考えてなくて、ちょっと見た目のいいものにあっさり流されていく、覚悟の足りない腰の据わらない、軽佻浮薄なところはいかにも「日本の国技」にふさわしい態度なのかもしれませんが。
(ああ嫌味がとまらない)

 いまや、「昔気質のおすもうさん」という感じなのは、白鵬関、そして今場所優勝した、鶴竜関。
 そう思って見ているので、もう、アナウンサーと北の富士さん舞の海さんあたりの、あの楽日の「公共の電波を使っての堂々たる国籍差別」は——、一言くらいは、NHKにいうべきなのかしら。
 …と、考えていた昨日でした。

 鶴竜関、優勝おめでとうございます。

 私は今場所について、鶴竜関は、審判によって無理やり「1敗させられた」と見ている勝負があります。
 あれはひどい。
 でも何も言わず、黙々とつとめを果たしたことを、ご立派でした、と申し上げたいです。
 
 
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2015.09.27 (Sun)

江戸時代信者





 まーたしかに、江戸時代の超絶リサイクル社会というのは、そのきっちりしたシステムの見事さは、見るべきものもありますが、それを「ふーん」で受け止めず、
「すばらしい! こういう時代に戻るべきだ! こうするべきだ!」
 と、異様に目を輝かせる人っていますわねえ……。

 私も江戸時代のあれこれはずいぶん面白がって本を読みましたが、こーゆーふうになる趣味はなかったです。

 たとえば、伝統の和食が体にやさしいのは事実ですが、日常の食事として冷静に考えてみれば、あれはいけませんよ。
「脂質異常には(まず)ならないというのはいいけれども、たんぱく質が圧倒的にたりない、塩分多すぎ」ということにわりとすぐに気づくはず。
 当時の平均寿命が現在の約半分という事実をなぜまるっと無視するのだ。

 私もわりと温故知新の考え方はとるほうですが、それは「温故知新」なんであって、伝統のものならなんでもありがたがる、という趣味もない。

 婦人科系の病気については、上記引用ツイートにもありますように(ちなみに、ツイート主さまは現役産婦人科医でいらっしゃいます。女性です)、ふざけんなボケ、と叫びたくなるようなデマをまことしやかにいう手合いって、なかなか絶滅しませんよねえ。
 私はFacebookは只今絶賛放置中なのですが、たしかに、「いいね」以外のボタン、欲しいでしょうね。
 いっそのこと、ユーザーごとに自分でカスタムできるといいんじゃないかな(笑)

 婦人科系の病気の増加については、やはり寿命が延びていることが理由の一つにはあると思いますがこういう話を始めるとキリがないからまあいいや。

 ともあれ、昔風の生活をしていればいいんだという、安直とも短絡ともいえる単純思考、どうにかなりませんかね。
 あそこまでくるとほとんど「信仰」だな。

「霊感の壺」を買えば幸せになれる、というのと精神構造としては同じです。

 おそらく、婦人科系の病気になった人をことさら傷つけるのは、現在の出生率の低下とからめた、出産する子供の数が少ないからという説でしょう。
 なぜこんなときだけ、明治からこっちの、国策としての産めよ増やせよの時代の話になるのさ。
 江戸時代の話をしてたんだから江戸時代の話をすれば?

 ——当時は鎖国であり、てことは経済的な成長はいっさい見込めない状態であり、ゆえに人口を増やすわけにはいかなかった。口減し、姥捨、長男以外に人権無し等等という、非人道的なことをやらざるを得なかった。
 江戸時代ざっと300年を通じて、日本の人口は約3千万人で一定しています。変化はありません。
 これが何を意味するか、わかりますよね。

 むしろあの時代の方が、生涯結婚もせず子も産まずという人はごろごろいたと言えるわけです。
 いちばん泣けるのは「間引き」ですが。
 江戸の川柳なんか、ごく当たり前に、もはやひとつのジャンルとして成立するほどの数で「中条(ちゅうじょう)」が登場しますよ…; げっそりしますよホントに;;(中条は堕胎医のこと) 

 たぶん江戸時代についてあれこれ調べる人ならこういう「現実」の記録にもぶち当たるはずなんですが、なんでそういうことをあっさり無視して、美しい理想郷のように「思える」のか、私にはむしろそのほうが不思議ですよ。

 当時としては、「成長しない経済」のなかでいろいろ工夫をしていた、というところは見るべきものもありますし、現代に応用可能な「知恵」があるのも事実なので、勉強する価値はそれなりにあるとは思いますが。
 昔通りにしていたら寿命が縮む、ということを無視してものをいわれてもな。

 最後にはもう、ほんと、ツイート主の先生のおっしゃるとおりでデマというところに堕ちる。
 ………現実を見ることができない脳みそは、たしかに世の中には存在している。

 そういえば、私もそのご著書を読むうちに途中で辟易とした、「江戸時代信者」の、とある学者先生、震災直後にお見かけしたとおもったらみごとな「放射脳」発言をしていらしたので、あーやっぱりなー、と思いました。
 知能指数と、知識の量と、知性というものはなぜか、さほど深い関係にはないらしい。

 こういう妄想とデマ、一気に削除できたらいいだろうなあ、と、ときどき考えてしまいます。(^^;)
 この発想も現実的ではないとは、承知しております。はい。
 
 
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2015.09.26 (Sat)

医療の優先順位

 本日は彼岸の明けでございます。
(彼岸の)入りのおはぎ、明けの団子、という言葉を聞きましたが本当なんでしょうかね…。ともあれ明けの日なのでお団子はお供えしますが、明日は明日で、十五夜さんです。お月見団子!
 とはいえ、今年の十五夜さんはちょっと見えないだろうな……。天気予報ではどんより曇りです。
 月の姿は見えなくても、それでも、一通りのことはしたいと思います。

       ●

 子供の頃からいわゆる虚弱体質で、健康に関わることではそれなりに苦労はしております。
 健康のことで苦労してますと言えるほど、大病したとか持病があるとか難治性の病気があるとかではぜんぜんないので、あまりえらそうにものを言えるわけでもない、ってあたりが中途半端なんですが。(^^;)

 ともあれ、保健対象の通常の病院、西洋医学から、鍼、漢方薬等の東洋医学、いずれにも属さない民間療法、はては、原因不明の痛みがとれなかったときはいわゆる「拝み屋さん」に連れて行かれたこともあります;;

 そんなわけでおおむね、病気対策についてはほとんど体験としては網羅しているようです。(^^;)
 あまり自慢にはなりませんが、病院に「慣れていない」人が、たまーに病院へ行くことへなったときの緊張ぶりをみて、なるほど、病院にさえ「場慣れ」するかどうかってあるもんなんだなと思いまして。
 そういう意味でなら、私はずいぶんなベテランじゃないかと(笑)

 で、その妙なベテランとしての経験から考えますと——、科学的な根拠がどうたらというのは私にわかることではありませんが、ともあれ、オマジナイのようなものは別として、西洋医学も東洋医学も、効果があるかないかはその人の体質や状況次第だな、ということと。
 それぞれに得意とする分野があるので、どちらかだけに決める必要はなく、とにかく本人が楽になるように適宜取り入れていくのがよろしかろう、と思います。

 西洋医学は患部と病変がはっきりしている場合は有効ですし。
 病気にならないように予防することや、西洋医学では対応しきれない苦痛への対応、あるいは予後、回復を助けるというのはもう、東洋医学は得意ですし。

 ようは患者さんが早く確実に楽になることが第一義なわけで、どちらが優れているとか正当であるとかないとか、そーゆーことじゃない。と思います。

 なのに、なんでそう、なにかをひとつに決めなきゃならない、ひとつに決めたら絶対服従でなければならない、という意識があるのかな。

 そういうわけで私はいわゆる統合医療には賛成です。

 最近ではアメリカの方が統合医療が進んでいるようで、漢方薬も積極的に利用するんですね。漢方薬の原料が不足気味なのも、これまで使わなかったところで使われるようになり、ようは需要が伸びているからと聞いております。
 ちなみに、アメリカでは日本の漢方薬のレシピ…じゃない、処方を使うことが多いとのこと。定量的なので使いやすいとのことでした。

 患者さんの利益を第一義に、という考えは、あちらさまのほうが徹底しているといえるのかもしれませんね。

 今回もちょっと、不毛な医療談義を(ネットで)お見かけしてしまいまして。
 なんでしょうかねその、なにかに「操(みさお)を立てる」」妙な熱意は。

 西洋医学にお世話になったら、鍼も漢方薬の使用もまかりならぬ、それは「裏切り」であり、そんなやつは治療してやる必要はない、——とは。

 医療というのはいったい、誰のために、なんのためにあるものなのか、完全に見失って血迷っているこの愚かしさは、もはやすがすがしいくらいだな——と思って横目で眺めてまいりました。(^^;)

 わりとなにかにこだわって、「操を立てて」、目的と手段を取り違えて、本末転倒している、というのは、あちこちで見るような気がしますが——なんなんでしょうね。(^^;)

 私としては早いところ、「患者さんの利益第一」であることを、医療の最大目標に設定しなおしていただけるように希望します。

 大きな声では言いにくいですが、医者の面子がとか、製薬会社の利益がとか、そーゆーことは——どうでもいいとまではいいませんけども、それを最大の目標にされるのは迷惑だな。
 迷惑くらいならいいけど、どうかすれば命がかかってますからねこっちは。

 面子にこだわるとかナントカの沽券とか。
 そんなことより、患者さんの利益になること優先順位ぶっちぎり第1位に設定してほしい、と願っております。
 
 
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2015.09.25 (Fri)

プリンセス・メリー Princess Mary



ドライ・ジン …………30ml
クレーム・ド・カカオ…20ml
生クリーム ………………10ml

カクテル・アレキサンダーと同じ材料ですが比率が異なる。
1922年の、イギリス王ジョージ5世の王女メアリーの結婚式のため、ロンドン「シローズ・クラブ」のバーテンダー、ハリー・マッケルホーン氏が考案したと言われる。

別の説には、ブラッディ・マリーの名の由来ともなったイギリス女王メアリー1世にちなんでいるとの説もあるそうですが、それは個人的には採れないなー。(^^;)
「血のメアリ」には、こんなに甘いイメージはないでしょうどのみち。

カクテル言葉はあきらかに、前者の説をとっていますね。

カカオリキュールと生クリームの組み合わせは最強ですね。香りはいいし、甘いし、口当たりはいいし。
ただ、生クリームが入るので、シェイクする人はちょっとたいへんかな、というところ。しっかりシェイクする必要がありますよね。

カクテル・プリンセスメリーは、ショートドリンク。TPOはアフターディナー。
アルコール度数は20%ほど。甘口。
技法はシェイク。


カクテル言葉:「祝福」
 
 
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2015.09.25 (Fri)

今日は人こそ悲しかりけれ

 今日はまたちょっと早めに寝ちゃおう、と思っていたときに、川島なお美さんの訃報が、速報されまして。
 睡眠時間を少々放棄しております。
(基本、このブログエントリは前日夜に書いておいて、翌日投稿というパターンでやってます。時制は投稿時間に合わせてますが)

 うちの家系というのはいわゆるガン家系とでもいうのでしょうか、ガンで亡くなる人が多い。私もガンにはそう他人の気はいたしませんが、近年の心境の変化としてあったのは、
「死ぬんだったらガンがいいのかな」
 ということ。

 ガンは怖い、可能ならかかりたくないと思ってきましたが、どうしても病死せねばならぬというのなら、ガンがいちばんいいんじゃないかと思えてきました。
 自分が自分ではなくなっていく、ということが、やはりいちばん恐ろしいことに思える。

 脳機能に障害が出て、知性どころの話ではなく人格そのものも変わってしまう、ということが、やはりいちばん、可能であるなら避けたいこと。

 そういう視点から考えると、ガンというのは、痛みと栄養の問題をクリアできるなら、いちばんいいんじゃないか、と。

 またいちいち私の亡父の話を引っ張り出すのもなんですが、身近な例なのでしょうがない——父の場合、同じALS(筋萎縮側索硬化症)というなかでも、前頭葉の萎縮を伴う、というタイプでした。
 
 症例を集めたいらしい病院からは、治験の話なども持ち込まれましたが、こちらにはどうも精神的にそこまでの余裕もなくお断りしましたけれども。
 前頭葉というのは、人を人たらしめている部位である、といってもいいくらいの場所。運動機能のみならず、思考、判断、あるいは精神的なもの——生きる意欲といったものさえ前頭葉に「ある」といえるんじゃないでしょうか。
 
 その前頭葉が萎縮するということで、——譫妄をおこす認知症よりはおとなしいとはいえ、それでも、その人自身ではなくなっていくように見えるんですよね。

 最後まで自分という意識はあり、意思があり、意思表示は不可能ではない(本人にはしんどいものがあるにせよ)、ガンは——そう悪いものではないのではないかと、思うようになりました。
 現在、ガンで闘病していらっしゃる方からはお叱りを受けるかとも思いますが、でも、父を見ていて思った、それが実感でした。

 川島なお美さんもまた、最後まで、ご自分自身でいることが、できたのではないかと拝察します。

 それは、むしろうらやましいことに私には思えます。

 命は大事ですが、命がありさえすればいいというものではなく。
 いちばん大事なことに使うために命があるのだと信じます。

 であるなら、最後まで自分であり続け、その意志をとおしきった、その「生き方」は、なにより尊重されるべきもの。
 どう生きるかは、その人自身の問題であり、なによりも本人が納得することが最優先されるべきこと。
 他人がいちいち口出しするようなことじゃない。

 だいいち、口を出して、かりにそのご意見の通りにだれかが振る舞ったとして、その「結果責任」を、ちゃんととれるのか、つーんですよ。
 無責任にもほどがある。

 だれかの意志を尊重すること、それ以外に、私どもが他者に対してできることはなにもない。

 よくもまあ、あんなに無責任に気軽気楽に無自覚に他人の人生に軽々しく口を出せるもんだと感心しますよ、口さがない連中には。
 
 自分の意志を通す難しさを考えると、私はその「生き方」を、ご立派だったと思うばかりです。

        ●

 話は変わりますが。
 ガン患者のじつに8割が栄養失調だといわれます。

 ガンは、痛みのケアと、栄養面を補助できれば、最後まで自分自身でいられる、稀有な病ともいえます。

 あまり広く知られていないようですが、緩和ケアの分野には NST Nutrition Support Team——栄養サポートチームというものが設立されています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/栄養サポートチーム

 すべての病院にあるわけでは、残念ながらいまのところはないようですが、治療するのであれ緩和ケアを考えるのであれ、栄養サポートは必須と思われます。

 最後までよりよく生きるためにそういうケアもあることを、補足として書いておきますね。
 ご存知の方はとっくにご存知でしょうが、いまいち、世間での認知が薄いかなあと思いまして。(^^ゞ

 中島梓さんの本にも、アルブミン値が低い、といっていながら、お医者さんがなにもしないようすが出てきて、ショックだったですよ…。
 アルブミン値が低いということは栄養失調ってことですよ?
 栄養失調を放っておいたらどうなりますか? ……てことなんですが、なにもしていない。

 ガン患者の8割は栄養失調。
 この数字は、もっと深刻に考えてもらいたい。と思ってます個人的には。

      ●

—— 明日知らぬ 我が身と思へど
    暮れぬ間の
   今日は人こそ かなしかりけれ


  紀 貫之

(古今集 838)
 
(明日のことはわからない我が身だとは言え、今日は、あまりにも早いあなたの死が悲しく思われます)
 
 
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2015.09.24 (Thu)

デュボネ Dubonnet



ドライジン……30ml
デュボネ………30ml

材料をミキシンググラスにいれてステア(かき混ぜる)。

デュボネは「セブンス・ヘブン」でも登場しましたフレーバード(アロマタイズド)ワイン。
フレーバードワインというのは、ワインにスパイスやハーブ、果汁などを加えたもの。
これにさらにアルコールを足したものは、シェリー酒などの酒精強化ワインということで、別物扱いだそうです。

デュボネは、キナ樹皮——キニーネという薬の原料になる木の樹皮を加えて、樽で発酵させたワインだそうです。
代表的なアペリティフ(食前酒)ワイン。
デュボネはこれ単品ストレートでも飲めるくらいの、飲みやすいお酒なんですね。甘口。

ということで、カクテル・デュボネは、ドライジンとの組み合わせが、いいかんじに辛さと甘さの融合になっているそうです。
キツイでしょうが、飲みやすいものでもあるようですね。

カクテル・デュボネはショートドリンク。TPOは食前酒。アルコール度数は27%ほど。中口。
技法はステア。


カクテル言葉「情愛」
 
 
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2015.09.24 (Thu)

もう踏み出している

 連休明けの木曜日でございます。
 ご機嫌うるわしくいらっしゃるでしょうか。
 私の予想としては休みボケで曜日感覚が狂っていると思われます。(予想というより過去の経験からの確信ですわ;;)

 逆にこちらには、休みで時間があるからというので、ふだんよりもあれこれ書き散らし、今日はもう軽い燃え尽き感があるという、妙なことになっております。(^^;)

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北斗晶オフィシャルブログ
 【またね】と言わせて下さい。

2015.09.23
http://ameblo.jp/hokuto-akira/entry-12076321816.html

 とにかくここへくるまでが、そもそも大変だったと思います。
 治療に専念なさって1日もはやいご回復をお待ちしたいと思います。

 なんにしても、こういうことを内内で決めるまでが、もうほんとにどれだけ大変なことか。
 天地がひっくり返るに等しい事態となっても、「外」へはなにもいえない、というのも、ほんとにつらいものです。
 たいへんだったな、ここまでよく頑張っていらしたんだな、と思いながら拝読しました。

 病気というのは、どんなに気をつけていても、人間の体のことですから、気をつけきれるものではない。可能性はだれでも等しく持っているものなんですが、ふだんはなかなか、そういう考えに至りませんね。
 私も昔、乳がんを疑ったことがあって、結果としては繊維腺腫(せんいせんしゅ)という良性のものだったのですが、いやもう、検査結果が出るまでは生きた心地もなかったです。

 まして、気楽な独り身ならまだしも、まだ小学生のお子さんもいらっしゃるし、女性の気持ちとしても考えてもつらいものもありますし、——髪を切っておく理由については、お話をうかがうだけでも泣けてきまして。

 それでも、病気が見つかるというのは、もう、「治る、という方向へ踏み出している」ということだと、私も、言われたことがあります。
 そうかもしれませんね。放っておけば——そのまま気づかずにいればどうなっていたか。その状態とを引き比べて考えれば、病気が見つかる、その意味は見えてくるように思えます。

 そういえば、以前、NHKのシリーズで、なぜ人は病気になるか、というのがありました。
 最初に聞いたときは、は? と思ったけれども——私の概念では病気は「あって当たり前」のものだったので——、本来はなくてもいいもの、という前提から、「なぜ病気になるのか」という問いは、ちょっとした「目からウロコが落ちる」問いかけでしたね。

 いまはメタフィジカルの考え方にもあれこれ触れて、物心両面から思うことも増えました。その考えはけっして悲観的なものではないんですよね。そういう考えを知れただけでもよかったと思うのですがでも——やっぱり、こういうお話を聞くと、胸の奥がぎゅっときますね。
 赤の他人がそんなことを言っていては申し訳ないんですが;;

 病気が見つかったということは、治す方向へ、もう踏み出しているのだ、と。
 私も、そういう考えでいきたいと思いました。
  
 
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2015.09.23 (Wed)

シルヴィア Sylvia


ホワイト・ラム………20ml
グラン・マニエ………15ml
パイナップルジュース…20ml
オレンジジュース………20ml
グレナディンシロップ…3dash
卵 黄………………1/2個分
カットパイナップル……1片

卵黄が入っていて少々重いので、強めにシェイクを。
カットパイナップルをグラスに飾って出来上がり。

パイナップルジュースを使ったカクテルってなんとなく華やいだ感じになるのですが、そこへ、栄養つけるぞ! というイメージの強い卵黄が(半個分ですが)入るので、ええっ? と思いますね一瞬。(^^;)

グランマニエというのはオレンジリキュールのなかでも美味しいので有名なんだそうですが、オレンジリキュールふくめてフルーツのジュースと卵黄(ラムベースで)、というのが意外といい組み合わせなんだそうです。

カクテルの名前、シルヴィアは女性の名前ですが、由来はわかりませんでした;;
ただ、ギリシャ神話に登場する「清楚な乙女の名前」だそうです。語源としては、ラテン語の「森」とのこと。

バレエ作品に「シルヴィア」というのがありまして、こちらですと、女神ディアナ(月、狩猟の女神)に仕えるニンフ(女神というより妖精)ですね。

カクテル言葉から察するに、ギリシャ神話か、このバレエ曲に関係があるのかもしれませんね。


グレナディンシロップは、もともとはザクロでつくるシロップなんだそうで、女性がイメージされるカクテルには、グレナディンシロップは頻出しますね。
グレナディンシロップふくめて、各種フルーツの香りと、卵黄のハーモニーは見事なもの——だそうですこのカクテル。


カクテル「シルヴィア」は、ロングドリンク。アルコール度数は12%ほど、中口。
TPOはオールデイカクテルとなっていますが、卵黄が入ってこっくりしているので食後がおすすめ、とする記述もあります。
技法はシェイク。


カクテル言葉:「あなたを想って」
 
 
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2015.09.23 (Wed)

正義感はゴミ箱へ



 まあ、たいていの人間の「正義感」なんてただの自己満足でしかないので、そんなもんはそのへんに捨てておけ、というのが私の基本的な考えです。

 こちらの場合、「想像力や思いやりは正義感より断然だいじ」というのには同意しますねー。
 それで、なぜ私が「世の中のたいていの正義感なんてろくなもなじゃない」というかの理由がここに現れていたので引用しております。

 ケータイからだとどうかな……PCからご覧いただいている場合は、この引用しているツイートをクリックしますと、前後の「会話」、コメントなど、別窓が開いて詳細が見えるようになると思います。
 ご注目いただきたいのは、このコメントの方かな。

 かりに、障害者用の駐車スペースなどに、その必要もなさそうな人がなぜ車を止めているのだろう、という状況にぶつかったときに、なぜか皆さん「睨みつける」と書いてますね。

 なぜ、睨む必要があるんでしょう?

 障害者用のスペースだから、健常者であればご遠慮くださいと注意するにしても、いちいち怒る必要はありませんよ。

 その怒りはなぜでしょうか。
 なんのためでしょうか。
 その怒りには「正当な理由」があるでしょうか?
 あるとしたらなにゆえでしょうか。


 なんでいちいち怒るのさ——というのは、私もけっこう日常で思うこと。
 どんな事情があるかわからない、まったくの見ず知らずの赤の他人と接触するとき、なぜ、自分勝手な怒りを前面に押したてるのでしょうか。
 自分は相手のことはなにも知らない、という「事実」を、なぜそうもあっさり無視して、自分の勝手な(想像にもとづく)怒りを平気で投げつけるのか。

 あの人、体は大丈夫そうなのになんであのスペースに車を止めようとしているのかな、と思ったら、注意する前に、なにか事情があるのかなとようすをみる、質問してみる、というほうが、見ず知らずの人と接するときのマナーには適っていると思うんですけどね。

 なぜ怒る?
 しかも、基本的には他人に対して怒りをぶつけるというのは(どちらにしても)いいことではありませんから、可能な限りそういう事態を避けるのが円滑なコミュニケーションというものでしょう。
 それなのに、怒りをぶつけることが「正しい」ことと思っているのは、なぜでしょう。

 なぜ、と聞けば、たいていの人は、公共マナーを守るべきだ、使うべき人(この場合は障害のある人)の使用を、健常者が妨害するのは道義に悖(もと)る、といった理由を挙げるかと思います。
 それらはそれで、ごもっともです。
 ごもっともですが、そこで怒る理由は何か。身障者スペースを妨害すべきではないというのがマナーなら、赤の他人にいきなり喧嘩をふっかけるのはマナー違反ではないのでしょうか。

 そういうことに目隠しをしてしまい、怒りを正当化しているのが、「正義感」ではないでしょうか。

 その正義感は、ほんとうに「正義」なんでしょうか。

 自分が他人に対して守るべき道義を捨てさせる、もしかしたら事情があるのかなと思いやる気持ちを圧殺する、——それが「正義」でしょうか。
 それが正義だというのならくだらない、そのへんのゴミ箱にでも捨ててこい——と思うわけです。

 正義感なんか捨てて、そのかわりに、思いやりってもんを探してくるほうが自分のためにもなることじゃないですかね。

 正義それ自体を否定はしませんが、世間の多くは、これがものすっごい強力な「免罪符」、そうでなければ「大義」だと思い込んでいるんじゃないかと疑ってます。
 正義の味方は人を殺していい、と、なんの疑いもなく信じてるタイプ。

 あぶないですよこういうのは。
 正義なんてのはしょせん相対的なものでしかありませんから、正義はいくらでも「作れる」。
 詐欺師やウソツキや殺人者や宗教者が作り出した正義に、簡単に扇動された大衆の暴走はなにをしてきたか。
 歴史を見ればその罪は、枚挙にいとまがない。

 正義感を持つなとはいいませんが、正義さえあれば他人への攻撃を正当化できる、正義であれば他人になにをしてもいいのだ、と(信じている)、——そんなものなら、捨てたほうがマシですわ。
 
 それが、私のいう「正義感なんか捨ててこい」の意味ですが、今回はそれを説明するのにちょうどいいお話を聞いたな、ということで。
 
 
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