インペリアル・フィズ Imperial Fizz
2015年05月31日 (日) | 編集 |


ウイスキー…………………45ml
ホワイト・ラム……………15ml
レモン・ジュース…………20ml
ソーダ………………………適量

ソーダ以外をシェークしてコリンズ・グラスに注ぐ。氷を加え、ソーダで満たしてステアする。
レモンとレッド・チェリーをカクテル・ピンに刺して飾ってもよい。

ラムが入るせいか、アルコール度数は15〜20%ほどで、フィズの中では高め。

ラム酒はサトウキビを原料にする蒸留酒。西インド諸島が原産だそうです。
ラムの分類は、風味によって、ヘビー、ミディアム、ライト。
色調により、ダーク、ゴールド、ホワイトに分類される、とのことです。

ラム酒というと個人的に思い出すのは「宝島」。雑誌のことじゃなくて、ロバート・ルイス・スティーヴンソンの、子供むけ冒険小説(1883年刊行)のほうですね。
ジョン・シルバーさんちがなにかといっては飲んでいるのがラム酒ですが、ラム酒とはどんなものか、ぜんぜんわからなかった(小学生の頃ですから;; わかってたら問題だ)。
でもなんだか美味しそうだなと思ったのは、ラムというのがラムネを思い出させたからでしょう。(単純)

インペリアルフィズはレモンと砂糖が入って、さっぱり爽やかな風味。
ロングドリンク。食前酒のほか、ほんのーり甘いせいか食後、デザート、ナイトキャップにもよろしい、とのこと。

インペリアルフィズとは、「皇帝のフィズ」という意味ですが、由来は不明だそうです。
カクテル言葉も、例によって由来等は不明。
皇帝陛下と楽しくおしゃべり、ってイメージないなあ。(^^;) 由来を知りたい由来を。


カクテル言葉:「楽しい会話」
 
 
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科学者の矜持
2015年05月31日 (日) | 編集 |
 昨日、午後8時20分すぎに、小笠原あたりを震源とする地震がございまして。
 うちのほうは震度3ほどで大したことはなかったんですが、揺れている時間が長くて、1分くらいはあったんでしょうか、ちょっと気持ち悪かったです。

 それにしても——大きな地震が来るからといって40年程もまえから待ち構えている地域には地震がなくて、むしろ地震がないということになっている、そんなあたりにばかり地震が来るというのは。
「天災は忘れた頃にやって来る」
 って、案外ホントなのかな。

 東日本大震災では、保険金の支払い総額がけっこうなことになり、保険会社さんもさすがにめげたという話を聞いたときは、
「この保険会社さんの本音って、せめて保険料が高い静岡あたりだったらよかったのに、ってことだろうな」
 と思いました。

 東海地震が予想されるために、このへんは地震保険の保険料は割高です。
 が、阪神淡路大震災、東日本大震災、いずれも、地震はあまりなくて、保険料はむしろお安いくらいのところが多かったんだそうで。
 もちろん震災後は、がっちり保険料は上がってます。(^^;)

 それにしても人間てのは不思議なもので——1995年の震災のとき、「関西には地震がない」ことになっていた、と聞いたときは驚きました。で、思わず言った言葉が、
「地震がないわけないでしょ? 有馬温泉があるじゃん!」
 でした。

 言われた相手は一瞬、へんな顔をしました(笑)
 わかりにくくて申し訳ない。脳内でいくつかの話題をスキップして、いきなり結論だけをいうクセが私にはありまして。

 有馬温泉が有名 → 温泉は火山帯の恩恵 → 火山があって地震がないということはありえない → そういう地域なのに、なんで地震がないなんてことになっていたのか、おかしいじゃないか。

 私が言いたかったのはそういうことですが、いきなり、関西には地震がないということになってたって? 有馬温泉があるじゃん! とは、言われたほうは、は? となりますよねそりゃ。(^^;)

 そんなわけで、少なくとも日本に住んでいて地震がないなんて地域があるわけがない。それでなくてもいろんなプレートの「集合場所」ですもんねえ、ここ;;
 人の思い込みっていいかげんだよなと思うと同時に、がめつくいかなきゃならない保険会社さんが、そうはできなかった理由について、つらつら考えておりました。

 面白いといえば、原子力発電所の再稼動について、活断層か、そうでないかの「専門家」とやらの議論は面白かったですね。
 発電所の下には活断層がある、という結論に「したい」という気持ちがミエミエなんですが、それでも、科学者のはしくれとしては、「科学的に証明されないものを断言はできない」という、ギリギリの倫理観はあったようです。

 本来なら、あれは活断層だ、危険だ、再稼動はまかりならん、と、そういう結論を言いたいのに、——言えるものならとっくに言っているでしょうに。
 そんなに言いたければいえばいいのに、と、私などは意地が悪いのでにやにやして聞いてました。

 言いたければいえばいい。専門家という「権威」をふりまわして、あれは活断層だと「断言」すればいい。
 
 でも、それをやった瞬間、彼らはもはや科学者ではなくなる。
 ただのイデオロギー信者、あるいは感情論に振り回される「一般市民」になる。
 それがわからないほどの馬鹿では(さすがに)ないだろう——言いたければさっさと言え。

 と思って見てましたが、さすがに、100%活断層である、という断言はしませんでしたね。
 ふーん。と思いました。
 それでも科学者としての矜持は、わずかにでもあるものなのね、と。

 逆に言うと、ほんのちょっとでも「証拠」があるなら活断層だと言いたい、そういう人たちが、そうは言わなかったということの意味は大きいです。
 現在の科学の知見においては、という制限付きではありますが、あのへんは活断層ではない、と思っていてよいということでしょう。
 逆説の論理ですわ。

 放射脳の特徴は自分の「願望」を現実にすりかえるところだと思っておりますが(現在はパラノイアという言葉は使わないそうですが…それなら、なんて言えば?)、さすがに——科学者という名目を持つ人は、そこまで妄想主義にもなれなかったか。
 私はそう思って聞いておりました。 

 私自身は、東海村の事故以来、原発はなくそうよ派です。
 ですが、現在の放射脳や反原発とは、なんの関係もございませんので念のため。

 ともあれ、深海についてもそうだし、地の深い場所についても、現在の科学はほとんどなにもわかっていないに等しいわけで。
 わからない、ということは、たしかに不安の原因になることもあるでしょうが、でも、不安かどうかはじつはまったく主観の問題でしかないんですよね。
 有馬温泉があるのに地震はないと思い込んでいた、というのも主観。そういうことで。

 天災は忘れた頃にやって来る、というのが一面、たしかに言えることなら、悲観でも楽観でもない気持ちで、現実を見るようにする——それしかないかな。
 と思っております。

        ●

 いずれもきれいな緑色。
 みごとな若葉ぶりですね。(^^)

 その色を取り込んで、すこやかでいらっしゃいますように。
 快い時間を願っております。
 
 
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アースクエイク Earthquake
2015年05月31日 (日) | 編集 |


ドライ・ジン………………20ml
ウイスキー…………………20ml
アブサンまたはぺルノー…20ml

ペルノーはアブサンと同じく香草酒。アルコール度数が40度あります。アブサンはもっとすごくて、40〜70%あります。で、そこにジンとウィスキーがくる、と。
………そのまま飲んだら火を噴きそう;;

アースクエイクは、その材料から別名を「アブ・ジン・スキー」とも言います。見ればわかるとおりで、原材料の名前を並べたんですね。アブサン・ドライジン・ウィスキー。

アースクエイクとは地震のこと。
深刻な被害の情報はいまのところないけれど、じっさいに地震があった日にこんなものを持ってくるとは、不謹慎だと叱られるかしらと軽く怯えつつ、今日はこれを選んでしまいました;;

ショートドリンク、オールデイカクテル、アルコール度数は35前後の辛口。

私は試したことはないのですが、でも、レシピを見ているだけで、うひゃーと思います。(^^;)
私が恐れをなしているものというと、「ボイラーメーカー」というカクテルがありますが、それよりもこっちのほうがヤバイ気もする。

このアースクエイクのカクテル言葉は、「衝撃」です。
そりゃそうだ、という感じですね。地震ですもんね。(^^;)


カクテル言葉:「衝撃」
 

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三太刀七太刀
2015年05月30日 (土) | 編集 |
 昨日の、将棋第73期名人戦第5局、すごかったですねえ。
 ろくにルールもわからないのに見て楽しめるとは器用なヤツ、とたびたび言われますが、詳細はわからないほうがむしろ面白いかもしれませんよ。(^^)
 囲碁はようは陣(地)取り合戦だし、将棋はようは大将を落とせばいいわけでしょ、というと、まあそうだけど、と言われつつ呆れたような顔をされる。ええわかってますよ、「ようは」って、要約しすぎだって言いたいんでショ(笑)

 囲碁のほうはそういう意味でなら難しいんですが、将棋は、各駒の動きや役割が(成ったり成らなかったりふくめて)わりとはっきりしているので、概要としては、守る、攻める、トラップを作る、くらいの分類になりますから——、まあ、だいたいのことは、もんんんのすごく大雑把にですが、「見え」ます。

 ということで——昨日も、わあ入玉(にゅうぎょく)したよ、これ初めて見る、と思いながらでした。
 本陣にどっしりすわっているべき大将が敵陣に入るというのは、なるほど諸刃の剣的戦法なんですねえ。点数がどうたらという、もう通常とは異なるルールの話になるとお手上げでしたが、それでも面白く拝見しました。

 じっさいは面白くどころではなく、なぜかこちらも、ドキドキしてました。——気迫がすごかったですね。羽生名人も、挑戦者の行方八段も。
 例によってiPad抱えてあちこち移動しながら拝見、でもついつい手がお留守になりがちに。(^^;)

 できればせめてあと1局、見たいところでしたが——名人、本気でしたねえ。いえ、つねに本気でしょうけども、ここぞという「決めどき」と見たときの、集中力はすごいんだな、と。
 面白いのは、解説者の解説が当たらなくなってくると、羽生名人がぐっと勢いを引き寄せるんですね。解説が当たらなくなってきたらご注目、です。次回から覚えておきます(笑)

 ときどき妙なときに妙なものを連想するアタマですが、昨日はそんなわけで、入玉を見てから脳内には、あの上杉まつりで見た川中島合戦のクライマックス、三太刀七太刀のようすが再生されておりました。
 謙信公が敵陣、本陣にまで駆け入って、信玄公に切りつけ、信玄公は軍配でこれを防ぐという——もちろんフィクションですが、なかなか面白いアレです。

 へんなもんを思い出してるなあアタシ、と自分でも思いました。でもまあ、それに近いといえば近い状況ではある。

 米沢の上杉まつりに最後にお邪魔したのももう10年以上まえになるんですね。現在はどんな感じかな。いろいろ整備されてきれいになっている旨も聞いておりますが。

米沢 上杉まつり
http://uesugi.yonezawa-matsuri.jp

 なぜか雨が降ることが多いと言われる、お祭り前夜の「出陣式」——「武禘(ぶてい)式」。私は不思議と降られたことはなく、桜と月とを眺めつつ、いい風情だったりして。
 上杉太鼓は出陣前に演奏されたものですね。
 現在は「伝統芸能」ですが、当時は、出陣にむけて気持ちを高める意味がモロだったから、迫力あっただろうなと思いました。

 和太鼓の音というのは、原初的な力強さを感じますが、夜の暗がりのなかであの音を聞いていると、だんだん体中の血液がふつふつ温度を上げてくる感じがして、うわーと思いました。
 伝統芸能として演奏されてこれだもの。命がけの場所へ行こうというときの演奏はこんなもんじゃなかっただろうし、血の滾りもすさまじいものがあっただろう。そう思いまして。
 
 たぶん、そんなこともふくめて、昨日は思い出していたのかな。

 もとから(なぜか)種類を問わず打楽器の音が好きですが、あの陣太鼓は、いまも忘れがたいものがありますね。
  
 
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ラム・クーラー Rum Cooler
2015年05月30日 (土) | 編集 |


ホワイト・ラム………………45ml
ライムジュース………………20ml
グレナデンシロップ…………1tsp
ソーダ…………………………適量

今回引用しましたレシピではシェイクしてますが、ビルドでもよしとするものもありました。
たぶん、シェイクしたほうが空気が入ってまろやかになると思われますが、そのままコリンズグラスに注いでビルド、ステアしてもいけますね。

アルコール度数は10 〜15%、中口。
カクテルの綺麗な色は、グレナデンシロップ(ざくろのシロップ)の色。ですが、シロップの量は少ないので、甘さを感じることはないようです。
ソーダ水で割るので、より爽やかな口当たりです。

たぶんロングドリンクだと思われますが記述を見つけられず。カクテルタイプは、オールデイカクテルと思われます。

カクテル言葉は「称賛」。
今日はちょっと——将棋の名人戦で、本当にすごい対局を拝見しまして。
第73期 名人戦 第5局

入玉(にゅうぎょく)、つまり王将が敵陣に入るものをじっさいに見たのは初めてで、それだけでもけっこう興奮しましたが、その後の展開がまた、——もうなにがなにやら、という息詰まるものになりまして。

「美しい」ものではなかったのかもしれませんが、でも、文字通りの真剣勝負だなあと思って見ておりました。
今日、名人が勝てばこのタイトル戦も終わってしまう、それが惜しい気がして、持将棋(じしょうぎ。もちしょうぎ、とも)(ようは引き分け)に持ち込んで、もう1局、対戦があれば——と思いました。
が。

もちろん、勝負師はそんな甘いことは言わないのでした。当然ですね。

それでも、ちょっとすさまじいものを見てしまった——ということで、今日はまだ、なんとなく気持ちが高ぶっているところもありまして。
それで、今日のカクテルには、ラムクーラーを選んでみました。

あくまで爽やかな——クーラー、フィズって好きなんですよね。(^^)
宵風が気持ちいい夜にもふさわしい爽やかさですし。
それに——ラム・クーラーのカクテル言葉は、「称賛」というのです。
今日はなんといっても、これに尽きます。


カクテル言葉:「称賛」
 
 
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超論理
2015年05月29日 (金) | 編集 |
 倫理道徳の話ではなく、ひとつの「論理」ロジックの話として聞くと面白い。
 道徳面からは考えないで聞いていただく方がいいですねこの話。(^^;)
「べき」論はかえって判断を狂わせますんで。

銀座のクラブママが夫に「枕営業」 妻の賠償請求を棄却
2015年 5月28日(木) 5時15分  朝日新聞デジタル
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150528-00000007-asahi-soci

 クラブのママさんが「優良顧客」をつなぎとめるために「枕営業」すなわち性交渉を持った。その顧客の奥様が、ママを相手取って訴えた——という話になってますが、詳細を聞くと、だいぶ話が違いますよこれ。

 枕営業がどうたらというのは裁判長が持ち出した話で、原告側、被告側、双方、そんな話はしていない、という。
 たぶん、弁論にも登場していない単語でしたか。
 原告の訴えはおそらく、不倫関係による精神的苦痛に対する、賠償請求ではないかと思われます。
 つまり、枕営業がどうとかという話ではなく、原告の精神的苦痛が認められるかられないかという話だし。
 また、その訴えられた側の女性も、「枕営業」は否定している。

 なんだこりゃ。
 
 さらに興味深いのは、これ、去年4月の判決で、控訴はされていないので結審してるんですね。
 なんでこんな話がいまごろまた出てきたんでしょう。ほかに話題がなかったのかな?

 なんにしてもいろいろと面白い——または不思議な話。
 原告も被告も言っていないことを裁判長が(あるいは裁判官が)突如もちだして、原告(奥様)の訴えを退けているんですね。

 こうなりますと、この裁判長の「背景」をちょっと疑いたくもなりますね(笑) これ以上は言わないけど(笑)

 とにかくこの判決が示した論理がすんげえ面白い、と思ったので少々。

 まず、「枕営業」は犯罪、不法行為ではない、と断じている点。
 判決では、売春を引き合いにだして、ビジネスであれば、賠償請求の対象つまり「不貞行為」ではない、と。

 ビジネスであれば不貞でもないし不法でもないということになります。
 いいんですかこれ。
 日本では売春はビジネスじゃなくて違法行為なのに。
 その枕営業とやらを売春と捉えても、あるいは「賄賂」ととらえても(こっちのほうが実情に近いかな)、つまりは不法なんですけど?

 民事裁判なので、民事で有責とならないことだけを、この裁判官が目的にした、としか思えないロジックですね。
 この裁判官、なにをそんなに必死になってんの? というのが、私のまっさきにきた「感想」でしたよ。(^^;)

 民事裁判で有責にならないためなら、売春はビジネスだから不法じゃないと言い張るとは。売春防止法(施行:1958年4月1日、沖縄では1972年5月15日より完全施行)の立場がないですね、これでは。

 大丈夫なのこの人?(いろんな意味で) と思っちゃいました。
 裁判官自ら、れっきとした法律違反を盾にするとは、正気とは思えません。

 あと、ビジネスのことなので結婚生活の妨げにならないというのもすごいロジック。
 これ、じっさいには離婚していないから、こういうことを言われちゃったのかな。
 もし、離婚したあとでこの訴訟があったのなら、結婚生活の妨げにならない、とは、ちょっと言いにくかったでしょうね。さすがに。この裁判官でも。
 離婚事由はほかのことによるので、直接の原因ではない、と、言い張ることはもちろん可能ですが。

 私は裁判の関係者よりも、この裁判官の個人的なプロフィールとそのむちゃくちゃな論理性に興味が出てきましたよ。(^^;)

 理屈にもならない理屈を押し通されたほうも気の毒ですが(原告のみならず被告もですよ。被告は売春をしたと公的にお墨付きもらっちゃったわけなんで)、——この裁判官さん、大丈夫なんですかね。

 ニュースなどで聞いていても、最近、地方裁判所での判決というのは、頭がイカれてるとしか思えないものが増えていますね。どうしてなんでしょうね。

 これじゃあ、裁判員制度を取り入れても、日本の裁判の異常さが是正されるとは思えないなあ。——と、そっちのほうを心配してしまいました。

 なんにしても、1年前の判決が、ここで急にわっと出てきて、昨日はNHKニュースでも取り上げてましたけど、なんでこんなことになったんでしょうか?
 火元はどこなんでしょう? (^^;)
 

       ●

 なにはともあれ、ご無事と健康をお祈りするばかりです。(^^;)
 お顔を拝見できればちょっとホッとできるのは確かですが、そうはいっても……というところ。
 季節の変わり目、やはりいろいろあるようで…お大事にしていただきたいです。
 
 
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バイオリン&ビオラ リサイタル
2015年05月29日 (金) | 編集 |


「三浦文彰バイオリン&ビオラ・リサイタル 〜ピアニスト田村響を迎えて〜」

 へ、行ってまいりました。
 バイオリンとビオラですと、やはり厳密には演奏方法、というか技術というか? そのあたりにそれなりに違いはあるのでは、としろうとながら思うわけですが——どちらも素晴らしかったです。
 考えてみるとビオラのソロというのは初めて聞いたと思います。ビオラの音があれほど深みがあって魅力的なものとは存知ませんでした。

 昨年は、田村響さんと、チェロの宮田大さんとの3人でのコンサートでした。(この顔ぶれでまた秋にあるようです)
 ピアノも、本当にふくよかな音で、うっとりでした。(^^)

 ということで今日のところはカクテルはおやすみ。
 
 ヤマハホールは大きくはありませんが、音響、いいですね〜。とある大型ホールよりもいいな、と思ってます。さすがにこれは楽器メーカーさんの面目躍如というところでしょうか。

 ——プログラム——

ベートーベン / バイオリンソナタ第1番 ニ長調 Op.12-1
 第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ、ニ長調 4/4拍子 ソナタ形式
 第2楽章 アンダンテ・コン・モト、イ長調 2/4拍子 主題と4つの変奏
 第3楽章 ロンド、アレグロ、ニ長調 6/8拍子


ブラームス / ビオラ・ソナタ第1番 ヘ短調 Op.120-1
 第1楽章 アレグレット・アパッショナート ヘ短調 3/4拍子 ソナタ形式
 第2楽章 アンダンテ・ウン・ポーコ・アダージョ 変イ長調 2/4拍子
 第3楽章 アレグレット・グラツィオーソ、変イ長調  3/4拍子 
 第4楽章 ヴィヴィアーチェ、ヘ長調 2/2拍子、ロンド形式

(休憩20分)

C.フランク / バイオリン・ソナタ イ長調
 第1楽章 アレグレット・ベン・モデラート イ長調 9/8拍子 展開部を欠くソナタ形式
 第2楽章 アレグロ、ニ短調、4/4拍子 ソナタ形式
 第3楽章 レチタティーボーファンタジア、ベン・モデラート
 第4楽章 アレグレット・ポーコ・モッソ イ長調 2/2拍子

(アンコール曲)
  パラディス「シチリアーナ」
  ブラームス「ハンガリー舞曲 第5番 ト短調」

 なお、三浦さんの使用楽器は、バイオリンが J.B.Guadagnini(1748年製)、ビオラがストリオーニスクール Ex-Rachlin(1780年製)だそうです。
(いずれも、NPO法人イエロー・エンジェルより貸与)

 
 
 
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覚悟する
2015年05月28日 (木) | 編集 |
くるねこ」様で、また愛らしい子猫をみるにつけ、やはりこの季節にはあれこれ考えちゃうなあ、と思いました。

 外国では、大富豪の遺産を「相続」した、とんでもない大金持ちの猫の話もありましたが(文字通りの猫に小判/笑)、そうやって、下にも置かないというような扱いをされる猫もあるかと思えば、生まれてきた次の瞬間、水の中に沈められてしまう子猫もある。

 命の大切さという言葉が、もはやどうにも苦手で気持ち悪くてしょーがないんですが、そういう現実をみるときにはなおさら、「なーにが」と、ひねくれた物言いも、したくもなりますね。

 動物ばかりではなく、人間もまた。
 世界に2つとない宝物の扱いをされる人もあれば、紙くずよりもひどい扱いを受ける人もある。
 命はなにも大切ではなく平等でもない、と。
 これはこれで、この世の実相ではあります。

 格差だ格差だと、いちいちウルサイ人たちも増えましたが、そんなもん当たり前じゃないか、なにをガタガタ言ってんだと言いたくもなりますね。
 ああいう人たちって、本当の階級社会ってどういうものだと思ってんだろう。
 ああいうものに比べたら、こんなもの格差でもなんでもない、と、たまに吐き捨ててます。

 命の大切さという理念はよしとしながらも、この言葉の嘘臭さって、どうにかならないのかとうんざりしてます。
 
 じっさい現実は、すべてのことにずいぶんな差がある。
 でもそれでも——存在の「重さ」は同じだと、思っていたい。

 私も猫を飼ってそれなりの年数がたっていますので(初代から考えるともう30年か〜)、やはりいろんなことがありました。
 奇形に生まれて数時間で息絶えた子猫を手のひらの中につつんで泣いたこともありますし。
 福猫というのか、とにかく福の神そのものみたいな、自分も人間をも満たしていく、ちょっとスゴイ迫力のある猫もいましたし。
 可愛がっていた子が病気になり、余命いくばくもないとわかったとき、人間の方がしくしく泣いていたら、とうの本猫に、なにを泣くことがあるのかと逆に叱るような顔をされたこともあるし。(本当)

 俗世的にはどれほど平等ではなく、ひどい差があるようにみえても、結局は「同じ」だということを、猫を通じて理解してきたような気がします。
 なにしろ——いずれの場合でも、猫は、猫だったので。(^^;)

 私はそれでもたぶん、この世は少しずつでも、ひどい差をなくす方向へ動いていると信じていますが(あまりにも時間がかかっているので実感するのは難しいけど)、億万長者の猫も、奇形で生まれた猫も、存在としては「同じ重さ」だということを、「わきまえて」おきたい。

 命の、というより、やはり「存在の」という言葉が、私にはしっくりきますね。
 命の、と言っちゃうと、生きている間のことという感じがするのかな(私には)。

 人が、不平等だと憤るのはようは「条件」「環境」のことがほとんどだと思われますが、それは、その存在にとっては意味のあることだからそうなっている。いろいろ考えたけど、そう考えるしかないところがありますね。
 なぜかほどに違いがあるのか。その違いをなくすことはできないのか、できないとしたら、それはなぜか?

 つらつら考えてきましたが、「その人は、その人にとって必要なことをやっている」。
 どうしてもここに行き着くんですよね。
 幸も不幸も人間の勝手な決め付け。だから逆に、幸か不幸かは自分で決められる、というのでしょう。

 で、少しでもそういう苛酷な差を減らしていきたいと願い、活動するのも、「その人にとってやるべきことをやっている」わけなので、なにも、差があるのがこの世の当然の姿だから、その差を放置しておけばいいということではありません。

 ただ、人の目には不平等と見えても、存在する意味、その重さは同じだということは、わきまえておきたい。
 わきまえる、とは、「覚悟」に似ているかもしれません。

 条件や環境は、その人がそこで学ぶべきものがあるから発生しているだけで、それがこの世の「真相」ではない。格差があると見えるのは、それは人の勝手な思い込みにすぎない。
 なんて書いたらまた怒られそうですねえ。(^^;)

 人を羨むことも、自分を哀れむことも、どちらも必要のないこと。
 すべきことをしている。その意味は、みんな同じだと。
 
 どれほどの現実に打ちのめされても、そのことは、「覚悟」として、わきまえておきたい。

 そうはいっても、泣くときには泣いちゃうけど。(^^;)
 泣くこともまた、「そこですべきこと」のひとつだと思えば、許してもらえるかな。
  
 
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アメリカーノ Americano
2015年05月28日 (木) | 編集 |

スイートベルモット …30ml
カンパリ ………………30ml
ソーダ …………………適量

ネグローニ伯爵が、もともと食前酒として飲んでいたというのがこちら、アメリカーノ。

コーヒーにもアメリカーノというものがあるんだそうですが、そちらは「エスプレッソをお湯で割ったもの」だそうです。……美味しいんですかねそれは;;

アメリカーノ(コーヒー))
http://ja.wikipedia.org/wiki/アメリカーノ_(コーヒー)

カクテルのアメリカーノは、リキュールベース、ソーダ割りですから、いかにも食前酒、という感じですね。スイートベルモットのほんのりした甘さ、カンパリの苦さ、炭酸の爽やかさで、食欲を整える役目はばっちり、というところでしょう。

で、ネグローニ伯爵はこれでは物足りなくて、ソーダの代わりにジンを——ドライジンを——入れるようにとおっしゃったわけですね。(^^;)

こちら、アメリカーノも、ネグローニと同じくロングドリンクです。
本によっては、オールデイカクテルとするものと、食前酒とするものとがあるようです。
もっとも、オールデイカクテルは食前酒としてもいけるよということですから、……どっちでもいいのかな。

私はアメリカーノは存知ませんでした。コーヒーのアメリカーノも初耳でした。(^^;)

で、昨日は「ネグローニ」、このキックの強いカクテルの、カクテル言葉がなんで「初恋」なのか、初恋の味といえばカルピスのような甘酸っぱいものじゃないのか? と不思議に思っておりましたが、これは、ネグローニのもととなった、アメリカーノの関係なんでしょうか。

アメリカーノのカクテル言葉は「届かぬ思い」というのですね。

なんだか切ない言葉なんですが、……ベルモットの甘さ、カンパリの苦さ、……甘くて苦いゆえにそんな切ない言葉になったんでしょうか。知らんけど。
たいていの初恋は、まあ、結末はけっこうせつないというのが相場になっております。初恋からそのまますんなり成就してしまう人もありますが、ほとんどの初恋は、甘くせつなくやるせない思い出になっていくようです。

届かぬ思い、初恋の思い出、という経路なんでしょうかねこれ。

アメリカーノはともかく、でもやっぱりネグローニで初恋はないわ、という感想は変わりませんが。(^^;)


カクテル言葉:「届かぬ思い」
 
 
 
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ひとつの解消法として
2015年05月27日 (水) | 編集 |
 来月、神戸行きのお宿を押えました。
 毎年、5月のGW直後くらいで行くことが多いのですが、今年はちょっとのんびりめ。
 ただ、いつも予約の時に出している、ホテルへのリクエスト、今回書き忘れたことに気がつきまして。
 今からでも送れるかな;;

 年に1度の楽しみなんですが、今年はどうしようかなと考え中。去年は京都から神戸で美術館とお庭巡りになりましたが、今年は——久しぶりで、いかにもな観光コースにしようかな、と。
 たぶんもう梅雨入りしていると思われるので、晴れの日コースと雨の日コースを考えておかないと。

         ●

 それも差別といえば差別なんでしょうが、通常、差別と言われたときに想像する精神状態とは、ちょっと違うものを感じる時があります。

 身体上、あるいは知的発達の部分などで、障害者とされる人々へ、ちょっと信じられないような態度を見せる人たちのことなんですが。

 身体上の機能や器質にハンデがあっても、ほんのちょっと人の手助けがあればじゅうぶん活動できるのに、「わざわざ出てくるな」ということを言ったり、言わなくても態度で見せたり。
 そういう人たちをみて私が不思議に思ったのは、彼らの目の奥に「恐怖」があることでした。

 子供のころよく利用した路線バスでは、途中のバス停が特別支援学級のある学校に近くて、そこの児童・生徒さんと乗り合わせることが多かったんですよね。
 で、ほかの乗客のなかに、露骨に生徒さんたちを嫌悪し、手が触れることさえ汚らしいといわんばかりの顔をする人たちがいまして。
 当時は私も小学生ですが、なんであんな顔するんだろう、と思ってみてました。

 特別支援学級の生徒さんは概して大人しいし、バスの乗降マナーも、いわゆる健常者よりきっちりしてるくらいなのに、乗り込んできた彼らが席を探しているときに露骨に身を縮め肩をすくめ顔を背け——こっちにくるなというのを全身で表すんですね。
 なにやってんだろうと思ってみてましたが、いちばん不思議だったのは、彼らからは「恐怖」を感じ取れたこと。

 差別だ、といって彼らに憤るより先に、私は、「なんで怖いの?」と、そちらのほうが気になりました。
 人畜無害といいたいくらい、大人しい人たちにたいして、なにがそんなに怖いのか?

 このへんの答えがわかってきたのは高校生くらいのときかな。
 あの恐怖はひとつには、「自分と異なる」ものへの警戒と恐怖があるんですね。
 動物は、見慣れないものを見れば警戒しますから、そのへんはまあ、わかる、としておきます。

 もうひとつには、——あの人たちは、「気の毒な人」に対して、どう接していいのかわからないのだ、ということでした。

 視覚障害のかたが駅でちょっと困っていらっしゃる。私からすれば声をかけて、お手伝いはどのようにしたらいいかを聞くだけですが、このことに、もんのすごい「恐怖」を感じる人がいるんですね。
 自分とは異なるものへの警戒心が、やはり原因かもしれません。
 ちょっと行動にハンデがあるかたがいれば、手伝えばいいだけですが、「ああいう人をみたら手をかすべきだ」という、理性的な判断はあるんだけど、「怖い」んですね。
 関わることが。
 
 それで、「いい人」としてはどう行動すべきかはわかってるけど、怖い、できない、というところで葛藤になり、葛藤するのは自分の問題なのに、自分の問題を棚上げにして、あんな人が外を一人でふらふらするから悪いんだ、となる。
 ハンデのある人を助けるべきだけど助けたくない、こんな葛藤を感じるのは嫌なことだ、その嫌なことは、あの人がこんなところにいることが原因で生じているわけで、自分が悪いんじゃない、あの人が悪い、ハンデがあるんだったら一人で出歩いたりするな。と。

 面白い理屈だ、と思いました。

 なんらかの障害を持つ人に対して、気の毒だと感じるまではいいんですが、それが、「自分とは異なるものへの警戒と恐れ」になる。気の毒な人を見ると落ち着かない。気分が悪い。だから自分の前には現れて欲しくない。

 差別といえば差別なんでしょうが(見かけ上)、この心理って、ちょっと面白いな、と。
 
 気の毒だなと思うと、手助けしたくなるのが人情だと私は単純に思っていたので、——大丈夫ですかと駆け寄るよりも、え、なんなのあれ、見慣れない、気持ち悪い、と後ずさりする反応のほうが強いのだとわかったときはなかなか——興味深いものがありました。

 私は本格的なことはなにもしてませんが、ボランティア活動にはちょいちょい顔を出す機会もありまして、そういうとき、「気の毒と思うことを苦手にしている」人が多いなと感じることがあります。

 気の毒、可哀想、——そういう人や存在を見ると、落ち着かない気持ちになるんですね。
 いやまあ、ハンデの分はしょーがないけど、べつに、そんな「特別な」人たちじゃないですよ? といったこともありますが、通じませんでした。私の言っている意味は。(^^;)

 私もかなりのビビリですが、こういうことにはべつに——恐怖は感じない。そこまで荷物をお持ちしましょうか、というのの、なにがそんなに怖いのか?

 けっこう長い間、彼らが何を恐怖するのかがわかりませんでしたが、ひらたくいえば「自分とは違う」ことに恐怖を感じるんだなということがわかりました。
 自分とは違う——というものに嫌悪を抱きやすいのはわかるけど、恐怖っていうのは……。うーん。

 差別問題がどうたらというのは、もちろん啓発活動みたいなことも、「教育」も必要でしょうが、ある種の人々には、恐怖心を取り除くというアプローチのほうが有効だろうと思ってます。
 過剰な恐れを持つというのは、本人にとってもつらいことですから。つらいというか——「生きづらい」。かな。
  
 
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ネグローニ Negroni
2015年05月27日 (水) | 編集 |


ドライジン ……………30ml
カンパリ ………………30ml
スイートベルモット …30ml
スライス・オレンジ(飾り用)

なんで?! と叫びたくなるカクテル。

区分としては食前酒——アペリティーボであり、スタイルはロングドリンクなのですが、こんなに強いものが、なんで?! と叫びたくなるほど強いです。
レシピを見ればわかるとおりで——けっこうきつめのお酒ばかりで果汁は一滴もありません。砂糖もありません。
スイートベルモットは、「フレーバードワイン」のひとつで、これは白ワインにブランデーを加え、香草の香りをつけたもの。スイートとはいえべつに甘口でもないんですよね。ドライベルモットよりは甘口、という程度ではないかと。

フィレンツェの老舗レストラン「カソーニ」で、ネグローニ伯爵がこのカクテルを食前酒として愛飲なさっていた。伯爵のためのオリジナルカクテルだったので、伯爵の許可を得て、カクテルの名前にしたそうです。
言い伝えによれば、伯爵はそれまではアメリカーノというカクテルを飲んでいたけれど、物足りなかったんでしょうか、ソーダの代わりにジンを入れるようにとリクエストなさって、これがこのカクテルの始まりなんだとか。

伯爵は、お酒に強い方で、アメリカーノやカンパリソーダじゃ物足りない、あんなんジュースみたいなもん、という感覚でいらしたのかもしれませんね。
私としてはこれほど強いのなら食前酒じゃなくて、アフターディナーだろうという気がしますが。

なんで、と叫びたくなるものはもうひとつありまして。
ネグローニのカクテル言葉。「初恋」だっていうんですよね。
このキツさで。

初恋の味といえばカルピス。カルピスは体にもいい乳酸菌飲料で、あの甘さと酸味です。あれはわかりますよ初恋の味。ちょっと甘くてせつなくてね。懐かしいもの。

でもこのネグローニは……。
これのどこが初恋のイメージにつながるのか? と、疑問に思わざるを得ません。

ツルゲーネフの「はつ恋」みたいな、人間不信の塊になるくらいの、深い心の傷をもたらす、ああいうものをイメージしているのだというのならわかりますが。
でも、あれは一般的な「初恋」像ではないと思う……。


カクテル言葉:「初恋」 


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「純粋」の危険性
2015年05月26日 (火) | 編集 |
 昨日の続きということで。

 生身の人間を信仰するのはいかんと思う——という結論が、ポンとあって、自分でも、はて、それはなぜ? と思い、あれこれ考えてみました。

 今のところ、思いついた理由は2つ。

 ひとつには、これはもう基本的なことで、たぶん、誰についても思うことですが。
 ——だって人間だし。
 という感覚。

 人間である以上は、あんまり、いいとか悪いとかには違いはない、という考えでおりまして。
 人より多くを恵まれているようでも。華やかでも。他人からは妬まれるほどに幸せに見える人でも。
 これほど過酷なものを背負わされる人がいるのかと、多くの人がかえって顔を背けるほど、悲惨に思える人でも。
 
 人間である以上、なんの苦痛ももたない人はないし、なんの幸いもない人もいない。
「内実」は同じだ、という感覚でおります。

 うらやむべき人も、顔を背けるべき人も、いない。
 内実は、どの人も同じ。

 理由の2つ目がここで浮かび上がってくるんですが、——てことは、信仰の対象というのは、「自分と同位または同質のものはありえない」と思ってんですね私。

 俗世の垢にまみれているものは信仰の対象にはならないし、すべきでもない。
 生身の人間は、たとえどれほどのカリスマといえども生きている間はその垢からは逃れ得ないので、100%、誰かを信仰対象にはできないと思ってる。

 信仰——自分を投げ出し、もうなにに遠慮もいらず、全力で、恐れと敬いと感謝を捧げること——、その対象には、そういう純粋な思いをぶつけても歪まないくらいの純度と強度が必要。
 
 ある意味、絶対の隔絶があり、双方向性はなく、純粋なものをわずかにでも歪ませたりしない——「利害」が絶対に生じないもの。

 恐れ、敬い、感謝——きれいな湧水のようなそれらは、捧げると同時に自分にもかえってきて、自分もまた清められる。
 となると、信仰の対象と、ほんのわずかでも俗世の利害なんてもんが生じてもらったら困る。
 
 純粋を保つというのはたいへんなことだし、これはもう——この世に生きているどんなものにも、本当にはできないことだと思ってんですよね。

 生身の人間を信仰の対象にすると。
 その思いの、純度が高ければ高いほど、生身の人間には負担になる。本人に気の毒なんだからやめとけ、というのが理由の1。

 理由の2は、この世にあるものは純粋さを保つことはできない。ほんのわずかでも純粋ではなくなったら、自分を清めるどころかかえって身を汚す。へたをすれば双方が破滅する。だからやめとけ、と。

 純粋であるというのは美しいことではありますが、この俗世においては存在はきわめて難しいもののように思います。
 あらゆるものに善悪の判断や利害関係が存在する。いいとか悪いとかじゃない、この世はそういう場所なんだからしょうがない。
 神仏という、俗世とは完全に「機構」が異なるものを信仰するのは、だからじゃないかな。

 生身の人間を信仰の対象にすると、本人にも結局は不幸だし、神仏と違って手を伸ばせば触れられる、自分と同じ肉体を持つ存在であることは、期待も利害も作り出す。
 つまり、欲望を生じさせる。
 純粋なものほど、逆に、利害や欲といったものを増幅させる、と思っているので。
 この欲望というのも、膨らんだときには、なまじその思いが純粋なだけに、純粋な狂気に変わっていく。そんな気がするんですよね。

 この世や、この世にある人が、不純であることを責めているわけではありません。
 そういう不純なものにとっては「純粋」さは、よく切れる刃物のような二面性、その危険性があるので、「そぐわない」ということ。

 そんな捉え方をしているから、「生身の人間なんか、信仰の対象にするもんじゃない」という結論になっているんだろうなと。
 考え付いたのは、そこらへんまで。でした。

 昨日に引き続いての寝言で、すみません。(^^;)

 明日にはもうちょっと正気に戻ります(笑)。たぶん。
 
 
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ブランデー・サワー Brandy Sour
2015年05月25日 (月) | 編集 |



ブランデー………………………45ml
レモン・ジュース………………20ml
砂糖………………………………1tsp

(飾り用)
スライス・オレンジ……………1枚
マラスキーノ・チェリー‥‥…1個

材料を、氷を入れたシェイカーに入れてシェシクし、サワーグラスへ。

オレンジやチェリーは飾りですが、季節の果物をあれこれ使っても美味しいそうです。
シンプルな、古典的なカクテルで、これはブランデーベースですが、ラム、ジン、テキーラ、ウィスキーそれぞれをベースにしたサワーがあります。
古典的というからには100年くらいは経ってるんでしょうね、レシピが出来てから。

レモンと砂糖が入って飲みやすく、爽やか。
ブランデーのコクを軽やかに楽しめる感じですね。
上記レシピは炭酸水を使っていませんが、使うレシピもあります。

ロングドリンク。アルコール度数25%前後の中口。
どんな場面にもあう万能選手、オールデイカクテルです。


カクテル言葉:「甘美な思い出」
 
 
 
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