使用1ヶ月

 Twitterを始めて、まだ正確には1ヶ月経っていませんが、ちょっとずつ、落ち着いてきました。

 いまのところ、リツイートやお気に入りは、スクラップブックを作っているような感覚です。
 あれこれ面白いと思ったものをリツイートしてしまいますが、でも、ひとさまのTLを「汚す」ことはないように、という注意を思い出してときどきハッとしてます。(^^;)
 その辺はマナーってことですね。

 Twitterは、アカウントを非公開にする設定があるようですが、アカウントまるごとではなく、ツイートごとに設定できたらいいんじゃないかなあ、と思うことがあります。
 ごくごく身内だけに流したいツイートが、まったくないわけでもないので。

 私の場合、やはりオタク関係のツイートは、「なんか………すみません;;」と言いながらツイートすることが多いです;;
 これはほんとにお目汚しで申し訳ない;;

 いまのところ、引用リツイートというのはそんなにしてません。
 私の場合は、面白いと思ったものや、感銘を受けたもの、これについてはちょっと考えたいと思ったものを(スクラップブックを作る感覚で)リツイートするので、私の感想がどうたらよりも、その原文の方が大事。
 とくに文字数ぎりぎりのツイートを引用すると、途中でぶったぎることになるから、そりゃもう、そんなことはできませんて。(^^;)

 それでもちょっと一言添えたいことはある。そういうときに便利なのが「>RT」表示。
 ああ、そういう「書式」があるのか、と思って、だいぶ便利に使ってます。

 公式リツイートをして、直後に、この書式を使って、一言添えてツイート。
 なかなか便利ですね。(^^)

 ただ、公式リツイートですから、ツイート主さまがそのツイートを削除しちゃうと消えてしまいます。すると、意味不明の自分のツイートだけが残るという——これは悲しい;;
 まあ、そのへんは一長一短ですね。

 >RT書式を使うと、もとのツイート主さまのところに直接、リプのようにいくことはない。それゆえに、公式リツイートしたものについての悪口ツイートをする人もあるようですが。
 しかし世の中あまくない。「公式リツイート直後のツイート」を表示するツールがあるんだそうで。(^^;)
 そこはさすがに、SNSを名乗るだけあって、そういう意味では隠れる場所はないようになってるんですね。

 どのみち、Twitterは、かなり刹那主義、過去は振り返らない! というもののようです。
 過去を振り返ってはついうじうじする私としては、やはり人生前だけを向いていけってことよね、と思うわけですが。
 それでも——「お気に入り」にいれたものは、保存したいな〜(涙)
 そういうところがダメなんですかね私も。(^^;)

 残したいものはあっさりと消え、その一方では、消したいものはぜんぜん消えずに、いつまでーもネットの海を漂い、いきなり人を傷つけることがある、ってあたりに納得しがたいものを感じたりもしますが。

 諸刃の剣(つるぎ)。
 その特性については忘れることなく、使っていきたいと思います。

 1ヶ月ほど使ってみての私にとってのTwitterとは。
「一期一会のスクラップブック」。(意味不明)

  
 
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under the sun

 じっさい詳しいことは何も知らないし、そもそもジャンルが意味することも、特徴さえもわかってないし、新参者だし、モノを言える場所にはいない人間だということは、言われるまでもなくよくわかっているけど。
 でも、ひとつだけ、思ったことを。

ONE OK ROCK - Cry out [Official Music Video]
http://youtu.be/JWSRqWpWPzE


「Cry out」に対する反応のなかに、私からすると意外としかいいようのないものがあって、ちょっと驚いているというのが本音です。
 なにしろ、否定〜否定寄りの人の言わんとするところが、ほとんど理解できないから、戸惑っています。
 だれかひとりくらい、感情的なことじゃなくてきっちり理屈で説明してくれないものですかね。(´・_・`)

 それでも、あれこれコメントを拝見してふと思い出したのは、「慣れ」のこと。

 その昔、好きだったアーティストの新曲が、それまでとはずいぶんイメージを変えた、ということがありました。
 それを友達のひとりが、なんだかひどく嫌って、けなしまくっておりまして。
 私はとくに嫌だとも思わなかったから、そうかな、としか言えず、でもあんまり彼女が「怒って」いて、ボロクソにいうので、しばらくそのアーティストの名前も話題に出さないようにしていました。

 ところが、半年以上経ってからいきなり、やっぱり●●っていいよね! などと言い出したのにはびっくり。
 アンタ、もうファンをやめるって言ってたじゃん、と申しましたら、全開の笑顔で「あらためて聞いたらやっぱりよかった」だと。
 ようは「慣れ」の問題かい——と、呆れて返事もできなかったという思い出。

 こういう言い方も、これはこれで角が立つでしょうが、私としては「新しい」などと言われても、「日のもとに新しきものはなし」There is nothing new under the sun と思ってるんですよね。
(これってもとは英語のことわざだったんですか。(°_°))

 本当の意味で新しいものというのは、そうそうあるものではない。
 誰かがちょっと「イメチェン」したくらいでは、どうということもない。その髪型、似合ってるね、というくらいのもんです。
(………角が立つなあこれはこれで;; すみません;;)

 ただ、「いままでとは違う」——なじみがあって親しんできたものが形を変えると、「消えた」ように感じる人というのはあるようですね。
 自分が馴染んだものこそが「正しい」ものだという感じかた。
 馴染んだものが失われることは、間違ったことであり、否定されるべきこと、と。

 いいか悪いかはいってもしょうがないけど、でも、そういうしがみつき方って、自分で、しんどいことを増やしちゃうんだろうな、と思ってみたり。
(大きなお世話ですが)

 コメントの中には、プロデューサー? ミキシング? なんていうのかな、その人の影響について、ちょっとネガティブな反応を見せるものもありましたが。
 そういう部分もあるかもしれませんね。それは私も漠然と感じたこと。

 そういう、「外部」からもたらされたものが、「異物混入」のような印象を与えることはあるでしょう。

 今はそれが「浮いて」いるように思えるかもしれないけれど、じっさいはそうでもないでしょうし(個人的見解)、いずれ、彼らはそういうものも自分たちのものとして充分以上に「消化」していくでしょう。
 そういう気配はいまでも充分ある。だから面白いんじゃないですかね。(心臓わしづかみにされている人にとっては)
 
 どちらにしろ私には、なんでこんなコメントが出てくるんだろうかと、意外というより驚きですらあります。

 とはいえ、私はたいして「わかってない」人間だというのは自覚しているので、言い難いところもあるんですが。(^^ゞ
 言い難いといいながら結局、言ってしまう図々しさ(笑)

 なじみがないって、そんなに「悪い」ことかい? という疑問と驚き。
 でも、だったら慣れればいいだけのことじゃん? という(無責任な)感想。

 そんなあたりを、オノレの立場も顧みず、好きに書かせていただきました。m(_ _)m

 なんにしても、アルバムリリースが待ち遠しい。
  
 
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衝動と欲求と、理屈の関係

 寒いの大の苦手なんで、雪を見てはしゃいだ記憶なんてのは小学校2年生で終わってる;;
 そもそも毎年雪が降るわけじゃないですが、中学生のときには雪を見たら死ねると思ってましたからねー。
 雪見てはしゃがなくなったら中年、は、私には当てはまらない。もとからですわそれ。
 雪国育ちの方はいかがでしょうか、そのへん。

 ともあれ今日は(午前中は)まったりできるのでよかった……。

        ●

 自称イスラム国は、なぜイスラムではないか、ということは、超絶門外漢の私ごときが述べるようなことではないので(僭越というものです)、その理由はほかへあたっていただくこととして。
 なぜ、日本の若者もけっこうアレにはまる奴がいるのか、という疑問を、ちょこちょこ聞きました。

 私としては、かつてのオウム真理教にハマった人たちと、その「理由の構造」は同じだろうと思って見ています。

 自称イスラムの教え、あるいは自称イスラム国の主張に賛同したから、参加してその破壊活動に協力する。
 のではなく。
 殺人衝動や破壊欲求があるから、それを正当化してくれる(と思える)「教え」に傾倒する。

 因果関係が逆なんです。ようは。

 人間てのはそんなに理性的な生き物じゃないというのが私の見ているところでございまして。
 そんなに冷静で、理知的で、理屈や論理というものに忠実な生き物なら、これほどまで世の中に「放射脳」がはびこるわけはない。

 感情や、衝動、欲求というものが先にある。
 でも、そういうものをむきだしにして行動することは、「社会」という枠組みのなかではなかなか難しい。
 感情、衝動、欲求は誰でも持っているけれど、それをマトモに表現することは動物的で、「人間」のふるまいではないことになってる。

 そういうなかで、自分の欲求は通したい、でも、それと同時に、社会に認められる自分でありたい、というのは、かなりの矛盾です。
 ゆえに彼の内心では激しい葛藤が生まれる。
 その矛盾を解消するにはどうしたらいいか?

 ——もっともらしい理屈を作って、ほかの人間たちになるほどもっともだと思わせればいい。

 若さは馬鹿さ、という言い方もあるように、若い人は(当然ですが)経験も知識もあまりない。だから、彼らなりに考えた理屈は、社会ではなかなか通らない。未熟で浅くて不恰好だから。

 そういうとき、彼らよりは甲羅を経ていて、社会に対してそれなりの説得力を持っている「理屈」に出会ったら。
 これこそが「正しい」教えだ、これが自分の求めていたものだ、といって飛び込んでいく。

 ………世間で考えられていることとは、因果関係が逆だ、というのはこういうことです。私の見るところは、ですが。

 日本赤軍がパーになればオウム真理教、それが挫折したら自称イスラム国。
 ようは、理屈はなんでもいいんです。
 たいしてイスラムを理解しているわけでもない、「信心」深いとも思えない若者が、異常なまでに傾倒するのは、だから。
 自分の殺人衝動や破壊欲求を、社会の中で大手を振って実現させてくれる、と彼らが信じられるものであるなら、彼らはなんにでも飛びつくでしょう。
 それこそイワシの頭でも。

「正しい」「正論」なんて判断なんか、およそ信じらんないね、と私が横をむくのは、こういうふうに見ているからです。(^^;)

 どのみち正義なんてのは相対的なものでしかない。
 立場が変われば正反対になる。
 そんないい加減な物差しを、まともに聞けるわけないでしょうよ。ねえ。

 で、じゃあその殺人衝動や破壊欲求はどこからくるのか、ということなんですが。
 これはもう、人それぞれだろうなと思っています。

 ともあれ言えるのは、なぜ彼らは自称イスラム国にはまるのか、なんてのは、あんまり考えなくてもいいことだということ。
 あんなのはイスラムの教えじゃないよとか、テロはいけませんよとか、そんなことを彼らに100万回説いたって無駄ですよということ。
 彼らはテロ——破壊行為をしたいという衝動・欲求を持ってる。
 それが社会的には「悪いこと」だとも承知している。
 そういう人にむかって、そんなわかりきったことを説いたって意味はないでしょう。

 そういう理屈じゃなくて、衝動や欲求を解消もしくは昇華させることが、本当の意味での必要な手当てだと思います。
 
 思いますが。
 その手当ては可能か、と言われると。

 ——日本海溝(並)の沈黙……。

       ●

 専門家の手によるものには相応の魅力があるのはもちろんで、それも見て嬉しいものですが、でも、ご本人の手によるもの、というところには、それとはまったく異なる魅力、味わいがあるんですよね。
 それを拝見できる有り難さ。
 ありがたいことです。(-人-) ←思わず拝む
 
 
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春を待つ

 今日はまた予約投稿してます。
 とはいえ、投稿される時間帯には、どんなことがどんなふうに世の中で動いているのか予想もつきません。ゆえに、あまりにもズレたことを書いたのが投稿されるのもちょっとな、ということで。
 今日のところは徹頭徹尾気楽なことを書いております。m(_ _)m

 本当に息抜きの日、ということで——たまにはこういうことがあってもいいかなということで、お許しいただければと思います。(^^;)
(このブログって、でも基本、私のストレス解消で書いているものなので、息抜きといえば毎日が息抜きなんですけど;;)



 上記ツイートの件についてリプライで教えていただいております。
 ありがとうございました! m(_ _)m

「恵方巻きは海苔屋さんによる仕掛け」説。
 ……ほ、…本当にそうだったんですね……;;

 恵方巻きそれ自体の起源としては諸説あるし(板のりが発明されて以後というのは確かでしょうね)、太巻きの具が7種というのも決まったことでもない、…とか、いろいろあるようですが、たこ昌の社長さん(の、ご実家のご商売)から始まったというのは間違いのないところのようで。

 私にとっては「黙って」食べるというのがどうも耐えられないことで、結局は母とあれこれ話しながら、ふつーに食べてしまいます。(^^;)
 まるまる一本、というのも食べにくいので結局は切り分けているし……。
 恵方巻きの意味はなくなってますね厳密には。(^^;)
 
 でも、だからって恵方巻きを否定しているわけではございません。
 今日は節分だから恵方巻きですよー、ということにすると、世の主婦・主夫のみなさまの、献立を考える手間が省けるわけですよ。これは大きいと思う。
 ゆえに、恵方巻きはこのままいってくれればいいと思います。(^^;)

 今日は何にしよう、と考えるのが、結局いちばん負担になるというかね……。
(どうも話が現実的に;;)

 で、なぜか日本人て巻物が好きなのかな? と思うのは……、
 これも一種の便乗商法ではあるのでしょうが……サンドイッチがねえ……。
 これは「丸かぶり」というだけで、べつに巻いてはいないようです(さすがに)


 
 サンドイッチだのロールケーキだのまでくると、もう完全に海苔屋さんは関係無いわけですね。



 その恵方ロールケーキにキャラがついたり、ここにはありませんが、さらにはバレンタインデーまでもがくっついてくるとなるともう……。
 楽しくていいですよね。(^^;)
 個人的にはリラックマがいいな〜。



 節分まであと1週間足らず、と、カレンダーをみて気がついたら、やけに嬉しくなりまして。(^^;)

 気象庁は暖冬予想を撤回しないし、週末にかけてはまた猛烈に冷え込むみたいだけど、でもいいんです。
 名のみであっても春は春。
 
 楽しみに待ってます、恵方巻き……じゃなくて立春。(^^)
 
 
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脳内無限ループ、ふたたび

 
 珍しく本日の投稿2本目。

ONE OK ROCK - Cry out [Official Music Video]
http://youtu.be/JWSRqWpWPzE


 そういったわけで。
 とりあえず身動き取れない平日にいきなり、PV解禁だよーという知らせを受けるのは、なかなか大変なものがありました。

 昼休み、こそこそスマホで見るだけ見て、それでももう、脳内リピート、無限ループ状態になりまして。
 ………今日はじつのところ、午後はちょっとした(脳内)地獄でございました。

 感想をということなら、カッコイイ、という以外の言葉はない状態です。
 カッコイイ以外になにかないのか、と言われると……あとはもう、——水も滴るいい男(×4)を地でいってますね、というくらい。
(たぶん、しばらくは、ちょっと麻痺しているような状態がつづくと思います)
(まともに言語野は動きません/笑)

 そうして、動画サイトでは、あっというまに跳ね上がる再生回数、コメントの多言語状態。
 すごいねえ、と思って眺めております。

 ただひとつ、ああやっぱりなーと思ったのは。

 あれは昨年11月某日のことでした、……あのアバンギャルド、シュールレアリスム的ドローイングのことは、やはりどうしても思い出されてしまいまして。
 どこまで真顔でこのPVを見ればいいのだろうかという思いも、ちらりほらりと脳裏をよぎる。
 それもまた、事実でございます。(^^;)

 あのとき、PV完成したら、見るたびに思い出すんじゃないのかなと思いましたが、そのへんは予想通りでした。

 でもまあ、あんまり真顔でのめり込んで陶酔しきるのもアブナイ気がしますから(仕事が手につかない、夜も眠れない)、なんとなく、ふっと気がそれていく部分があるのも、健康のためにはいいのかもしれません(笑)

 それはそれとして。
 私、今日これから、ちゃんと眠れるんでしょうかねえ……。
 
 
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「風邪の効用」

 いつもお世話になっている整体院。
 何が楽しみかってそこの本棚。
 
 壁一面、床から天井までの本棚があるんですよね。ああいう本棚、憧れです。
 で、そこにはびっしり本が詰まってる。本棚ですから。

 先生が本をよく読む方なんで——ときどき入れ替えがあるのでなお飽きない。
 
 ちょっと混んでいて自分の順番が来るまでに時間があるときには、ゆっくり本を読んでます。
 ということで、先日その本棚で見つけて面白かった本。

「風邪の効用」。
風邪の効用 (ちくま文庫)風邪の効用 (ちくま文庫)
(2003/02)
野口 晴哉

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 まだ全部は読んでいませんが、かねてからひそかに私が考えていたことを補強してくれるものでした。

 風邪は、忌避すべきものではないこと。

 風邪一つ引かない、なんて健康、体力自慢をしているひとほど、大病にかかったかと思うとあっさりお亡くなりになってしまう。
 私にはこれが以前から不思議でした。
 体力自慢をするくらいの人って、知らず識らずのうちに、逆に消耗がすすんじゃうのかな、昔の人が「一病息災」などといったのは、ちょっとくらい持病があるほうが、自分の体に気を使うからかな、——と思ってました。

 で、こちらの著者によると、私の考えも当たらずといえど遠からず、——風邪は体を整えてくれるものなのだ、と。

 風邪が治ると、風邪を引く以前よりも、体が軽くなってよく動きますよね。
 風邪が治って健康のありがたみを感じるから、ということもありますが、じっさい、小さな、でも蓄積していた体のゆがみ、疲れを、「風邪が治してくれた」からだという。

 著者によれば、健康自慢、風邪ひとつひきませんなんていうのは、本当に体が健康なわけではなくて、本来ならちょっと風邪をひいて治すべきところ、もう体がバリバリに硬くなって鈍感になって、風邪を引くことさえできない状態になっているのだ、とのこと。

 小さな不調を感じ取れるほうが、体は自分の調整機能を保っている証拠、ということ。

 ただ、読んでいて、へー、と思ったのは、「風邪の引き方」。
 内臓の疲れから、鼻やのどにくる風邪を引いたとして、それは体の調整のためですから、あ、鼻風邪きた、と思ったら腰椎だか頚椎だったかの、何番のあたりを整えましょう、という。
 不調がとれれば風邪の役目は終わるので、風邪も終わっちゃう。

 風邪は、数十分から、せいぜい1晩あれば「経過する」。
 それ以上——2日も3日もかかっているのは、体の調整機能が落ちているから。
 だそうです。

 風邪を引くのって大事よといわれても、……でもねえ、いちいち寝込むのも鬱陶しいし、あんまり引きたくはないよねえ、……と思ったら、寝込んじゃうなんてのは、体の機能がすでにダメってことなんだそうで。(^^;)
 
 風邪は治すものではなく、「経過させる」、と、著者は表現します。
「経過」させる。
 この言葉が印象的。

 風邪は、病気ではない。
 体自身が「治療している」状態のこと。

 治すべきものがあるとしたら、風邪を治すんじゃなくて、風邪が治そうとしている不調のほうを治すのが本来。
 風邪を治そうとあがくことは、つまりは、本来の不調を治しているのをとめてしまうこと。

 だからへんに足掻くとかえって風邪が悪化したり、気管支炎にまで拡大したりする。

 なるほど面白い。
 ——と思ったところで時間切れでした。

 はいどうぞー、と、呼ばれたところで読書もタイムアップ。
 もうちょっと読んでいたかったので、「あ、私、(次の人の)あとでいいです」といったら笑われました。


 東洋医学のほうではじつは、がんですら、「身体の浄化作用」ではないのかと言われているんですよね。
 基本的には、血の汚れを浄化するためのもの。
 体そのものが浄化されない限り、いくらがん細胞を取り除いても、血液を浄化する必要がある限り体はそれをなんとかしようとして、がん細胞を発生させつづける。

 ゆえにガンを治そうと思うなら、根本的な対応——生活態度や習慣の改善をして、体質を変えることが必要。

 でも、難しいのは。
 この風邪の話もそうですが、生活習慣もそうだけど、「心のクセ」つまり精神状態の不具合から体の不調になっている場合。
 心のクセの改善は——そもそも本人がそれを認めるかどうかがまず大きな関門だし、そこがクリアできても、心のクセを変えるというのは、なかなか。ね。

 私もかつては月に一度は扁桃腺炎を起こして、高熱で寝込むような子供でしたが、あれは——扁桃腺炎は「なにかを飲み込めない」抵抗の限界を超えたことによるもの、また、炎症というのはためこんだ「怒り」を解消するもの、と聞いて、あーナルホドねー、と、思いました。
 心当たりがあるどころか。

 でも、扁桃腺炎が治っても、飲み込めないこと、のみこませようとするものへの怒り、という原因は消えていないから、毎月のように繰り返すしかなかった。
 うっとうしいとばかり思っていたけど、あれで私の体は、ひいては命は守られていた、と思うと、………なんかもう、文句ばっかり言っててすみませんでした;; という気持ちに。

 本当の意味での「風邪薬」ができたら、ノーベル賞をもらえる、といわれています。
 風邪というのは正確には「風邪症候群」であり、ひとつの病気ではない。
 ゆえに、現在ある風邪薬というのは対症療法にすぎず、「風邪を治す」薬はないのだ、という話は聞いていました。

 でもそれは、もっともなことだったんですね。
 体の使い方のクセも、心のクセも、それは百人百様。

 不心得による不調を、体自身がせっせと治してくれている現象が風邪だとすれば、風邪を引いてくれたことに感謝するのが、筋ってもんですね。本来は。(^^;)
 
 ようは、上手に風邪を引くようにすればいいんですよね? と思いましたが。
(風邪をひいて数十分で治れば問題ないわなそりゃ)

 ……そのお話のつづきは、またの機会に(笑)

(自分で買えばいいのよねこの本)
 
 
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さびしい気持ち



 Twitterでは「避けるべき話題・3つのS」——政治、宗教、性(セックス)についてはあまり触れないようにしようと思っておりますが、これはさすがに。(^^;)

 とはいえ——現在人質とされている方のお母様も、じつのところかーなり微妙なところでした……。
 息子さんのお話だけならわかるけど、なんでそこで原子力がどうとかって話を差し込んでくるのかがわからず、最初は私もぼーぜんとしてました。(^^;)

 私がなにか、聞くべき話のすじを聞き逃していただろうか、私の理解力がオカシイんだろうかと考えていましたが、これはどう考えても、「本来無関係の話を差し込んできている」とわかりまして。
 …………なんでこういうことをするのかなあ、左の人って。
 
 同情心はそれとして、でも、話を聞いたこちらとしては、自分の軸足をどこに置いていいか迷う。そんな感じでした。

 本来の話題を無視して、テメエの言いたいことにばかり集中している。つまりは「人の話なんか聞いちゃいない」わけですが、でも、こういう手合いに限って、すぐに、話し合いだ話し合いだというんだから図々しい、と思ってます。
 人の話を聞けない人間が、話し合いで解決なんかできるわけないと思っております。

 ちなみに。
 あの人質解放条件ですが。
 あれ、どー聞いても本気じゃないですから、気分が悪いです。

 猫が、とってきたネズミをいたぶって遊んでいることがありますが、あれと同じ。
 気分が悪いのです私も。
 気分の悪さを伝播させててすみません。(ー ー;)

        ●

 ときどき起こる発作のようなものなので、ほっときゃなおるわ、と、気にしてはいませんが。
 ただいま、しみじみと、寂しいなあ、と思っているところ。

 なにかがあったからでもなく、思わずわが身を振り返ったからでもなく(いまさらね/笑)、ときどき、こういう「気分の波」がくることがありまして。
 季節の変わり目に多いということは、自律神経の関係かもしれませんね。
 
 この、しみじみとした寂しいという感覚は、それでも、なぜか嫌いではありません。
 この「発作」が起きたとき、ゆっくりひとりになれない状況だとつらくなりますが、ひとりになることができるなら、そう悪い感覚でもないのです。
 面白いことに、原因がない寂しさの感覚は、年を重ねるごとにその「味わい」も変化しているんですよね。(^^;)
 
 いまは、この感覚も味わいがあってそれなりにいいもんだ、と思ってます。

 小松左京さんの小説、「旅する女」が、とにかく大好きなんですが、10代のころにはわからないまま心惹かれていたセリフが、ただいまは、肌に沁みるように感じられます。
 昔はただ、理由もわからず闇雲に、いいなと思っていたものを、いまははっきりした形で理解して、いいねえ、と思う。
 これだって、成長のひとつには違いない。

「地球って、意外にさびしい星なのね……」かすれたような声で、いった。「はじめて海外旅行に出るまでは、もうちょっとにぎやかな所かと思っていたけど……」
 …………
「さびしいのはおきらいですか?」
「好ききらいの問題じゃなくて……」夫人は急にはっきりした、断定的な口調でいった。「どうしようもない事でしょう……」

 ——小松左京「旅する女」(1973)



        ●
 
 さすが、皆様のどの写真もカッコイイ♡
 惚れ惚れしますね〜♡♡

 個人的にはそれでも、カメラ目線セルフィーをお待ちしておりますが、なにかそのへんについては禁止もしくは制限が課されているのでしょうか。
 あるいは自主的に。
 
 
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異次元のお話

 昨日は午前中掃除。午後は買い出し。近所のホームセンターに、猫のトイレ砂などを。
 お天気もいいしわりと暖かいしで人出も多く、レジはけっこう混んでました。
 暖かいのはありがたいけど、空気が乾燥しているのはあいかわらず。
 待ち時間はあるからと思い、目薬を差してました。

 ドライアイというほどでもないのでしょうが、この季節はやはり乾燥がつらい。そんなわけで目薬はカバンに常備しております。
 とはいえ、レジ待ちのあいだに目薬を差す人もあんまりいるもんじゃないですよね。(^^;)
 目立たないようにさっと差していたら、案外あっさり、レジの順番がきていました。
 このお店では、ひとりがレジ打ち、もうひとりが荷物を袋に詰めてくれます。

 で、袋詰めをしてくれたのは、高校生のアルバイトかな、という感じの男の子。
 ですが、彼がみょーに対応が丁寧かつやさしいんですね。これはどうしますか、袋をべつにしますか、とか——そういう通常のセリフながら。
 なんかみょーにいたわってくれる気配なので、「????」状態でしたが、すぐにはっと気がつきまして。

 ごめん! 目薬差してただけだから!!
 泣いてないから!!

 ………そりゃーこんなところで目薬さしてるバカがいるなんて思わないですよね。
 非常識です。ごめんなさい。(ー ー;)
 いえこれ目薬なんで、などというのも今更だし、消え入りたいような気持ちで、袋詰めしてもらって帰って来ました。
 
 紛らわしいことをした、という点については申し訳もなく、反省いたしますが。
 それはそれとしても。
 いい子ですよね〜。やさしいな〜。
 将来はいい男に育つんだろうなー、と、しみじみ思いながら帰ってまいりました。

        ●

 槇原敬之さんの「世界に一つだけの花」が世に広まっていったとき、素直にそれを聞いた人と、なんだかやけに攻撃する人に分かれたように見えました。

 ナンバーワンではなく、オンリーワンを、というその歌のメッセージが、そりゃーもー癇に障った、というふうに、男性向け週刊誌などは、なんでそんなにヒスってんの? というくらいの記事を書いてましたね。

 これは「次元」の異なる話、と、私は聞きました。

 人と競い合い、そこでそれなりの結果を出すことに、価値がないといってるわけではない。
 ナンバーワンを目指すとか、現実的な結果を出すとか、それはもちろん大事なことだし、それが生きることと不可分の課題であるのは間違いない。

 ただ、オンリーワンであることというのは、内的な話なんですよね。
 他人との関係、「世界」や現実のなかにいる自分——とはまた違う、自分の内側の世界。
 
 自分一人だけの、静かな、深い場所に「戻る」とき。
 それは自分だけの「王国」。
 自由とか自信とか安らぎとか——まとめて言っちゃえば愛——がある場所。

 自分以外は誰もいない、内的な場所。
 オンリーワン、という感覚は、ここにあるんですよね。

 大勢の人がいていろんなしがらみがあって、競争していて、獲得をして、奪って奪われて、——という、「現実」の、「外」の世界に生きることはもちろん至上命題ですが。
 でも、ここに自分がいること、自分の存在をたしかに見失わずにいることも、大事なこと。

 自分を見失うと、その現実の中で生きていくのも困難になってしまう。

 自分というものをたしかに見る、感じ取る——そのことを言ってるんだろうと、私は解釈しています。

 オンリーワンとナンバーワンを目指すことは同時に成立するか、というと。
 成立しますね。
 仮に、マラソン大会でビリであっても、自分の存在はただひとつ、という感覚は持っていられる。

 ツイッターを始めて以来、サッカーの長友選手や本田圭祐選手の「お言葉」を眺めていますが、それで思ったのは——困難な状況にあったときの、世の人々が「メンタルの強さ」と呼ぶものは、この「オンリーワンである自分」と、しっかり内側でつながっていることからくるんだな、ということ。

 状況を冷静に見ること。不本意な結果や現実に打ちひしがれていても、さらになお、その状況を分析して、必要だと思うことを見つけて取り掛かる——泣き言ひとついうかわりに、まず一歩、足を踏み出す——この強さは、他人がどうだろうと何を言われようと、自分が自由な存在であることを絶対に忘れていないから、できることだとお見受けしました。

 ナンバーワンというのは現実の中で目指すものでしょうが、オンリーワンであること、というのは、それを認めようが認めまいが、すでに確定していることなんですよね。
 オンリーワンは目指すものではない。それが自分というものだ、ということ。

 ………わかってもらえるもんでしょうかね、こんな言い方で。(^^;)
 どっちにしろ、私はそのように思いますってことで、これが正解だと言っているわけではありませんので念のため。

 オンリーワンという「ものの見方」には、競争の厳しいところにいる人ほど、やけに強く反応してくるなあ、と思って見ています。
 オンリーワン、と聞いたときに、ナンバーワンを競っている自分の価値観や努力その他が、否定されたように感じるのでしょうか。
 そういうことでもない? (^^;)

 オンリーワンである自分、は、すでに揺るがない。
(好き嫌いや、認める認めないは別の話)
 ナンバーワン云々は、現実世界の価値観。
 同列に並べられる話じゃない。
 砂糖と塩と、どっちが美味いか、「正しい」か、なんて議論したってしょーがない、というのが、私の見るところです。

        ●


 
 
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「六本木心中」

 今日の朝刊にあった、化粧品の広告には、湯川れい子さんのお話がありまして。
 そのなかで、アン・ルイスさんの「六本木心中」の歌詞のお話もあったので、うわーなつかしい! と。
「六本木心中」の作詞は湯川れい子さんでいらしたんですね。
 その昔はずいぶんお世話になりました。カラオケで(笑)

六本木心中(stereo)
http://youtu.be/UFzpj4JhmGM


 私と同世代には、懐かしく思う人が大多数でしょう。

 別に懐かしくはない世代の方々には、この「音」はどう聞こえるんでしょうね。
(見た目のバブルのにおい芬芬たるところは私にもわかるけど/笑)

 先日は安全地帯だったし、今朝はアン・ルイスさんか〜ということで、懐かしくてついYouTubeで探してしまいました。純粋に、わーなつかしーということで、他意はまったくございませんので念のため。(なんのいいわけだか;;)

 カラオケは付き合いとしてどうしても避けられない、しょーがないなあもう、という投げやりな態度でおりましたので、カラオケに連れて行かれても、なにを歌っていいかもわからない。
 そういうとき、男の友達にはわりと可愛い系の曲を勧められ、同性の友達にはアン・ルイスを勧められたというところが、面白かったですね。いま思えば、だけど。

「六本木心中」は、女の子の集まりのときだけ歌っておりましたが、いちど、酔っ払ったときに野郎どももいる席で歌ったら、(選曲が)意外だねー、などといわれてイラッとした記憶があります。
(で、もう2度と歌わなかった)

 ひとさまが押し付けてくる「イメージ」というものに、絶大なる不信感を持っていた当時でした。
 いまはだいぶ丸くなりましたので、大丈夫です。(なにが)

 でも、女の子の友達からはアン・ルイス推しされたあたり、やはり君たちはわかってるね! と思ったものでございました。

         ●

 昨日は、任期最後の福祉関係のイベントでした。
 今年は新春餅つき大会。

 べつに毎年やると決まっていることではないのですが、今回、主催担当のTさんが、ぜひ餅つきをやりたい、というので昨年中からあれこれ根回しをしてまして。
 11月のイベントのときに、これは地元コミュニティのお祭りで餅つきをやったんですね。
 私はこれに参加したわけですが、帰ってきてから、杵と臼でついたお餅の美味しさを滔々としゃべっていたら、Tさんが触発されちゃったらしい。(^^;)
 うちも! うちもやろう餅つき! とそりゃもう熱心に。

 やけに熱心だなーと思っていたら、あれですね。子供さんたちに「ほんものの」餅つきを体験させたい、ということだったんですね。
 Tさんの顔が、しっかりお母さんの顔になってて、うーんそっかー、とちょっと感動。
 じゃ、そういうことならやりましょうか。ということで。
 全面的に協力させていただきましたよ。

 とはいえ、私もじつのところは詳しいことを知っているわけでもない。
 どうなるかなーと思いましたが、しかしそこはまだ適度に田舎のおかげで、ちゃんと町内で、蒸篭(せいろ)、羽釜、かまどまでふくめ、杵と臼等等、道具も揃いましたし、探してみたら経験者もいる。

 そんなわけで、昨日、餅つき大会でした。
 お天気も良く、なによりも風のない穏やかな日になったのがありがたかった。なにしろ火は薪ですから、強風はかんべんされたい。
 子供たちは、ついでにその火で焼き芋を焼いていたらしい(笑)

 どうなるかと思いましたが、子供達には餅つきを体験してもらったし、——なにより「見る」ことが記憶としては大きい、というのは私の実体験でもあるので、よかったなと思います。
 中学生の男の子だと、もう立派に餅つき、できますねー。なかなか頼もしい。
 杵の扱いは、重さもあるのでたいへんなんですが、上手でしたよ。(^^)

 どれくらいの人数が集まってくれるかもわからない状態でしたが、幸い、ふだん、あまり顔を見せてくれないご年配のかたも、ご近所で連れだって来てくださって、よかったです。数ヶ月ぶりどころか、何年ぶりですか◯◯さんのおじいちゃん! とか、そりゃもう懐かしい方が(笑)

 ……つきたての餅、の、日本人への威力を思い知った気がします。
(とくにご年配の方には)

 で、私が間抜けにもやけどしたというのは、手返しのとき、運悪く、まだ熱くて捏(こ)ねが不十分だった部分が、指に貼り付いてしまったから。
 手返しは手を水で濡らしながらやるので、そういうことも珍しいんですが、……ちょっと間が悪かったかな。
 すぐに流水で冷やせばよかったんでしょうが、そういう暇もちょっとなかったし。
 やけどするくらいの温度ですよ、お餅って。(そうじゃないと、蒸したもち米→餅にはならない)

 帰宅してみてみたら、水ぶくれになっていたのでこれはいかんな、と。

 いまさらとは思いつつ水で冷やし、薬師堂のソンバーユにお世話になりました。

 効果はなかなかのもので、今朝には水ぶくれは引いてました。あの水を外へ出さないとダメかなと思っていたのですが、おおむね、引きました。よかったよかった。痛みもほとんどありません。(たまに、タイピングしてるとちくっとくる程度)

 ともあれこれで、私もほぼ、お役御免。
 あとは引き継ぎと会計報告だけ!

 そんなにストレスに思っていたわけではありませんが、でも、ひとつ終わったと思うと、やはり解放感がありますね。

 ほかのことはともかく、時間的に拘束されることがいちばんきつかったかな。土日はほとんど潰れてしまうから、旅行も難しかったので、今年は去年の分まで、出かけられるといいなと思ってます。
 それこそもう——春になったら。
 
  
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事実上、おやすみです

 本日は予約投稿です。
 今日は多分、少なくともお昼まではどうにもならない感じかなー。
 帰ってきたらそのまま倒れても不思議はない感じなので、いまのうちに予約投稿。

 とはいえ、時間がないから「明日やすみますね!」みたいなことしか書けないので、……意味あるんだろうかねこれ;; と思いつつやってます。

      ●

 Twitterをぼちぼち使い始めて、まだ1ヶ月経っていないわけですが、すでにちょっと怖い、というか不気味なことがあったりして。(^^;)
 なんか気持ち悪いなあということで、アプリ連携をとめています。

 アカウント乗っ取りとまではいきませんが、知らないうちに知らない人をフォローさせられている、ということがありまして。
 やはり、これはちょっと気持ち悪い。
 純正であるかないかを問わず、とにかく、すべてのアプリ連携を解除しました。

 ある種のスパムを避けようとすると、せっかくある機能を制限するしかない——というのは残念ですね。
 スパム避けのためにリツイートを非表示にしたり、アプリ連携を解除したりでは、せっかくの機能も、ないも同じ。
 
 それにしても、強制的にフォローさせるというのは、どういうつもりなんでしょうね。
 興味がないところへ引っ張られてもこちらとしては意味のないこと。
 そもそも、見ず知らずの人になにかを強要されるというのも、不気味以外のなにものでもないです。
 無理にフォローさせたところで、すぐに解除されちゃうでしょうに。

 世の中にはおおらかな人がいて、そういうことがあっても気にしない、ということはあるのかもしれませんが、私としてはどうも…;;

      ●

 たしか勝海舟のことば、ということで聞いたと思うんですが、——それが、
「得意恬然、失意悠然」。

 でもこれ、意味は大体同じだけど、ちょっとずつ言葉が違うというのをよく見るので、本当に勝海舟だったかどうかもあやしいです。(^^;)

 ともあれ、意味は
「好調のときには(天狗にならず)淡々としている。逆境においては(いじけたり焦ったり腐ったりせず)悠然としている」。

 ふつーの人間はそれの逆をやりますから。(^^;)

 勝って驕(おご)らず、負けて腐らず——という言い方もありますね。
 そういったことです。

 恬然(てんぜん)というのはちょっと面白い言葉で。
 恬として恥じない、という言い方がありますが、これは、本来ならたいへんに恥ずべきであるところ、平然としてなにも感じていない、ぜんぜん気にしてない、という態度、状態ですね。
 恬として恥じない、というのは、「この恥知らず」と罵っているのとほぼ同義。

 恬然は、ちょっと鈍感、図々しい、みたいな意味でも使えますが、「得意恬然」のように、うれしいこと喜ばしいこと、ふつうの人間なら舞い上がっちゃいそうなことにも、ふうん、というくらいで何とも思ってない、——そういう表現にもなるんですね。

 いいことにも、悪いことにも、あまりこだわらない——そういう態度のこと、と解釈しています。
 ようは、塞翁が馬、みたいに、なにがあろうと平常心であることを説いているんだろうと思いますが。

 表面的な、一時的な「いいこと、悪いこと」というのは、あくまで自分の都合のこと。
 どんなことでも、自分の都合、というものを外して考えると、よくても悪くても、どってことはない——ということは多いです。

 いっときの事情と自分だけの都合にとらわれなければ、得意、失意にかかわらず、自分の心は自由でいられる。
 そういう境地のこと、と解釈しておりまして——目先のことばかりに気をとられる私としては、憧れの境地です。
 かくありたい、と思いつつ幾星霜(笑)
 
 
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肝臓と腎臓(または心臓)

 そういえば以前にも、これ、見たことあるなー。
 Twitterの、アカウント凍結。

Twitterアカウントが凍結される16の理由+凍結の解除法教えます。
 Affiliate Japan
http://affiliate-jpn.com/archives/2777

 好きでずっと拝見していたツイート主さまでしたが、ある日突然「このアカウントは凍結されています」という表示が出るだけになってしまいまして。
 上記記事を見ると、復帰することはそう難しいことではないようにも思うんですが——あれは結局そのまま、削除されたのかな。

 昨日、一昨日くらいも、いくつかのアカウントがその状態になっていて、ちょっと焦りました。
 すぐに復帰したアカウントもありましたが、いまだ動きのないところもありまして——このまま削除になっちゃうのかな;;

 凍結される条件を拝見しましたが、以前、どうやら削除されちゃったんだろうなという主さまは、「ツイート内容がリンクばかりで、個人的なつぶやきではない場合」に引っかかったのかなという感じ。
 ご自身のツイートではなく、書籍等からの引用をツイートするものだったのですが……。うーん、わからない。

 まだまだ、Twitter若葉マークははずせません。(^^;)

 ともあれ、復帰してくれたアカウントもあって、ほんとよかった;;

         ●

 やっと出ましたね、こういうの。

東京のモスクが2人の解放求める声明
2015年1月22日 17時04分 NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150122/k10014885901000.html

「2人の拘束は犯罪行為で、すべてのイスラム教徒を罪人のような立場に追いやり、深刻な影響をもたらしている。暴力に訴える残虐なテロ行為は平和を重んじるイスラムの教えと相いれないものだ」



 奥歯と前歯にものがはさまってはっきりものが言えないらしい日経新聞コラム「春秋」も、テロリストは一般のイスラム教徒とは無関係だ、イスラムへの憎悪はまちがっている、とぼそぼそ聞き取りにくい声で言ってますが、それはそのとおりだと思います。

 私がイスラム嫌いというのはもとから、一神教は平等にどれも嫌いだからだし(理由は『男性原理が嫌い』)、それに、「悪魔の詩」に関連することを思えば、もはや「仇」だというのも本気で思っていること。
 私などは、テロリストとは無関係にもとから嫌いですから、いまさらべつに、どうということはないです。

 それに——ほんのちょっとでもコーランの講義をかじった人間なら、あのテロリストのいうことは、本来のイスラムとは無関係、というよりむしろ教えに反しているということは、すぐに気がつくことですよね。

 私がイライラしていたのは、私のような、なにもものがわかっているわけではない人間ですら、「テロリストはイスラムの教えに反している」とわかるのに、あちらの偉い人たちは、そのことを、だれも、一言も、言わないからでした。

 まあ、聖職者が人殺しを扇動する側面があるのは事実なんで、こんなときだけきれいごとをいうのは(さすがに)はばかられるところもあるのでしょうし、武装勢力の報復を恐れるのも事実でしょうけれど。

 あれは単なるテロリストであって、本来のイスラム教とは無関係、というよりむしろ教えに反している——ということを、イスラム自身がアナウンスしなければならない場面ですよね本来。
 それなのに、だれもが石のように黙りこんでいる。

 イスラムの教えに彼らは反している、あんな連中は破門だ、くらいの強い声明が、「本来のイスラム教徒」とかいうところから出れば、世間一般の人間でも、そうか、違うのか、と思うでしょうに。

 なぜ、そういうことをきちんと言わないんだろう、というあたりでイラッとしてました。
 なぜいわないのか。言えないのか。とするならやっぱり同類だと見なすことになるな——と。

 言うべきことも言わないで、ただ理解しろ理解しろ、と一方的に言われても困りますよね。
 示されるべきことをなにも聞いてないのに、理解しろって、なにを理解しろというんでしょうか。

 ということで。
 だいぶ言いにくそうなのは気の毒にも思いますが、やっと、日本国内にいるムスリムが、「まっとうな」声明を出してくださったことには感謝したいと思います。

 マスコミも——諸般の事情としがらみのせいで、イスラム教徒自身からは言いにくそうだな、と思うんだったら、お題目みたいに「一般のイスラム教徒は、テロリストとは違う」とだけ唱えていないで、なにがどう違うのか、ちゃんと説明すればいいと思うんですがね。

 言うべきことをいわず、肝心/肝腎なところはぼかしたまま、ただ、誤解するな理解しろ、とだけ言う。
 ——こういう言い方ってなにかを思い出す、と思ってたんですが——あれですね、詐欺師が、信用してください、とだけやたらに繰り返す、ああいう手法と同じなんですね。
 だから聞いていてだんだん気分が悪くなってくるんだな——なるほど納得。

         ●

 世情には疎い方なので、わからずにいるところはご容赦ねがいたく。
 ただただ、お元気であればそれがなにより。
 いつもながら感謝。(-人-)
  
 
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読書感想文?

 今日は「カレーの日」。
 とはいえ、もうずっと、カレーを食べていない。
 カレーも案外、油を使うもので、母がカレーを食べると胃がもたれると言いだして以来、結局食べなくなっちゃっいましたねー…。

 市販のルーを使わなければいいんで、ルーではなくてあのスパイスのみのほうを使うだけなら大丈夫。
 ……のはずなんだけど、味覚と記憶はリンクが深いのか、香りだけであってもちょっと気になるそうで。
 そう言われたらもう、カレーの香りがするものはほぼアウトってことじゃん;;

 ということで、母に付き合って私も久しく味わってないなーと思っていたら、なんだかむしょーに食べたくなってきましたよ;;
 現在はどっちかというとカレーパンをいただきたい気分。

        ●

 とにかくネタバレというのは、やれば怒られるものと思っていろいろ気を使ってきましたが。
 ここ1、2ヶ月くらいかな、菊池寛の「藤十郎の恋」、そのネタバレ、というような検索ワードから、当方へおいでになる方がかなりの数、いらっしゃいまして。

 ネタバレというより、あらすじ、かな。「需要」としては。(^^;)
 それでおいでになる方がたまにいる、というくらいならわかりますが、けっこうな人数がいらっしゃる、ということで、——学校の宿題とかで出てるんでしょうかね? 読んで感想文をかけ、みたいなの。

 苦手でした、感想文。
 学校の先生とは基本的に趣味が合わないようで、読めというなら読みもするが、読んだからってこんなん(失言)で、どんな感想文をかけというのか、と、ぼーぜんとすることが多かったんですよね。

 感想を書け、ていったって、感想なんかありませんよどうしろっていうんですよこんなん(失言)、——と強烈に思ったのは、川端康成「古都」。

 書くこと自体は得意な方なので、通常なら、書くことがない、ということについて書くくらいのことはできるはずですが、あの「古都」だけは、ほんっっっとに、なんにも! なかったです。
 きれいで——平易で。
 それだけ。

 掛け値なしでなんの感想もなかったので、仕方なく、遠回しに、——ひたすらキレイな(だけの)小説ですね、感想なんか書きようがないくらいきれいですね、と書いたら、翌月の課題が安部公房の「壁」だった。
 ………これはさすがに泣いた;;
「古都」とは正反対の意味で感想文が書けませんでした。(難解で)

壁 (新潮文庫)壁 (新潮文庫)
(1969/05/20)
安部 公房

商品詳細を見る


 ケンカを売るときは相手を見ようというお話。(ー ー;)

 藤十郎の恋は、ドラマティックではあることだし、登場人物も「わかりやすい」ので、そういう意味でなら感想文はかきやすいかもしれませんね。
 でも。
 あの永遠の裏切り者について、どーゆー感想文をかけというのだろう、とも思います。……学生さんも大変ですねえ。(^^;)
 あの小説は18歳未満への宿題には向いていないと思うので、高校生以下ではないといいな、——と、大きなお世話ながらぼんやり考えてみたり。

 まあ、なんにしても、うちの記事——ネタバレ——が何かのお役に立てるようなら、けっこうなことです。はい。

 本来なら、あらすじなんて読まないで自分でちゃんと読んだ方がいいと思うよ、というところですが、「藤十郎の恋」は、あまりに(私には)衝撃的で、トラウマ化したあげくに読んだ記憶を封印したくらいのものなので、そうそう気軽におすすめもできない物語なんでした。

 あれは小説と戯曲があって、私もいちおう、両方読んではおります。でも、小説版の方が好きかな。(戯曲になると生々しい気がして)
 菊池寛の文章自体は、すごく好きなんですよね。読みやすいしわかりやすいし、伝わってくるし。
(伝わるからこそトラウマ化したともいえる;;)

        ●

 な…懐かしい……;;
 でも、オリジナルよりすてきだと思う……とは、思っても言わないほうがいいでしょうか;;
  
 
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またぞろ


 黙ーってニュースを見て、黙ーって首相の記者会見を見て、たいへんおとなしくしていたら、母が一言、
「……怒ってんの?」

 ——怒ってないと思う?

 そういえば、B型あるあるのなかにも「マジギレすると黙る」がありました。たぶん、口先でああだこうだと文句を言っているあいだは、怒りボルテージは大したことはない(他人からはとてもそうは見えなくても)というのはホントですね。
 本気でキレたら黙る。

 だからといってどうしようもないけど、怒ってますよエエ。
 テロリストというけれど、その名称さえ、彼らには高尚すぎます。

 あの「身代金」のふっかけ具合といい、72時間という設定のいいかげんさといい、最初からまともに交渉なんかする気はないのは明白。
 人の命をおもちゃにして遊んでいる。

 なかでも、なにが気に入らないかって、「日本国民へ」などと言われたこと。
 あの薄汚い舌をつかって日本という名前を発音された、ということに怒っております。
(国号も名前。名前というのもひとつの『言霊』ですから、これがすでにスピリットなんですよね、ゆえに——、気安く人の名前を呼ぶんじゃねーよ! という怒りです)
 
 Twitterのほうではリツイートさせてもらったマンガ。



 暴力バカに怒るのは当然としても、でも、日本人のこういう態度にも、嫌悪感が募ります。
 この漫画はそういう人々の姿を指摘しているのであって、そういう態度に賛同しているわけではないでしょう。
 私も、昨日はニュースを聞きながら、こういう漫画のような寝言をいう日本人がまたぞろ出てくるんだなと考えてうんざりしてました。

 自己責任ねえ。
 人様に向かってそんなご立派なことをいえるほど、みなさん、そんなに責任感が強い人々だったかなあ。
 日本人ひとりひとり、そんなに責任感があるんだったら、あんなに右に左にバカみたいに大挙してものごとに流される現象が、そうしょっちゅう起きるわけないと思うんだけど。

 自己責任といいながら、じつのところは「こっちに迷惑をかけるな」といっているだけですもんね、これ。

 この手のことはたびたびあるんですが、私はどうもこういう「言い換え」が嫌いみたいで。
 ある種のエエカッコシイというべきか、ある種の自己欺瞞というべきか、——自分の(醜い)本音を、いかにももっともらしい言葉で、まともな理屈っぽいなにかで「偽装する」。
 この態度には、どうも厳しい目を向けてしまいます。

 ふだんはそれでも、黙って見過ごしているつもりなんですが、今回みたいに虫の居所が悪いときは、つい、わっとばかりに文句を言っちゃいますね。

 暴力バカも気に入らないけど、こういうええかっこしい、もっともらしいことを言うのも、どうも気に入らない。

 なんにしても。
 人質となっている方のご無事の解放を願うばかりです。
 
 だれがやっても困難である仕事に、——でもそのことは理解されず結局、誰からも認められることはないだろう厳しい仕事に、黙々と取り組んでいる方々には、ひそかに、でも心から、手を合わせてしまいます。

       ●

 気がつくのが遅れたのは不覚でした;;

 なにかのお題みたいですね。(^^;)
 人間、見た目ほどにはじっさいはそうでもない、外見と中身は案外ちがう、ということは多いでしょうね。
 でも、「見た目のとおり」ということも、それなりにあるのが世の中かな、と(笑)
 どちらにしろ、世間様って、そんなに丁寧に人のことを観察はしないもの——と思っております。
 
 どちらにしても可愛くていらっしゃるのはいいんですが…。
 時間として——ちゃんとおやすみになっているのか、というあたりが気になります…。
 
 
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