思うこといくつか

 あんまりゴシップって好きじゃないんです……。
 
「あんまり」どころじゃないか。(^^;)

 そのゴシップを商売にしている人たちの悪口を言いだしたら、小1時間はやめらんない、というくらいのもんです。
 それはそれで、よくないことだと思いますから、やりませんけどね。

 まあ、職業ではなくて、町内でも職場でもどこでも、「放送局」とあだ名されるくらい、人のことばかりあれこれ触れて回る人っているものなんでしょうが、どうもあれは——苦手です。
 こういう人はすぐに他人を「うわさばなし」「ゴシップ」に巻き込もうとしてくるわけですが——、なにを言われようと聞かれようと、私はなにも言いません。相槌すら打ちません。
 黙ってにっこり笑ってその場を離れることにしています。

 ただ——今回はタイミングが悪かったのか、へんなところでヘンな風に荒れたコメントをいくつか見てしまい、あ〜あ、と思ってはいます。(^^;)
 ……人のことだよ、ほっとけよ。

 プライバシーがとか、個人情報がとか、そういうことではなくて。
「許可なくひとさまの家にあがりこまない」というのも、基本であり、相手を尊重する態度だと思うんですがねえ……。

 私も死ぬまでの間、あと何回こういう馬鹿騒ぎを見聞きすることになるんだろうと思ったら——ちょっとね。(^^;)
 ここしばらくはなかったのに、なんとなく、あの鬱々したものが、腹の底に湧いて来た感じ。

 うわさ話は人の心を汚す。そう思いますよつくづく。

        ●

 ということで(?)、本日予約投稿です。

 今週に入ればもう、通常の状態に戻ると思っていたんですけど、甘かったです。(^^;)

 昨日も結局、12時間以上休みなし……お昼ごはんはまた、ヨーグルト+プロテインのみを胃に流し込みました。
 「そんなん食事じゃない」とまた叱られたけど。
 時間がないんだものしょーがないじゃないですか。ねえ。

 で、ああやってろくに座ってもいられないときに下手に食べると、あとで気持ち悪くなるんですよね……。
 腹6分目でちょうどいいですよじっさいは。

 それに——ジャンクフードで済ませるよりは、ましだと思うんだけどな〜。(^^;)

        ●

 御嶽山の噴火。

 死者数が増えていくのを見るのはつらいです。
 ご家族のことを考えるとなおさらです。
 またよりにもよって当日が、すばらしい秋の休日だったから——なおいっそう、登山者も多かったんだろう、と思いますと。

 学生時代、地質学をやっていたという人が、くわしく説明してくれました。
 今回の噴火は実質、予測不可能のものだったということについて。

 マグマの影響による噴火なら、観測したデータからわかることもあるけれども、地下水がマグマに触れて一気に爆発した、この「水蒸気爆発」は、観測をしても、予知は不可能。
 フライパンで炒め物を作ろうというとき、熱した油の中に、水滴がちょっと落ちると、いきなりパーンと爆ぜますね。あれのもっとデカイのが、水蒸気爆発——だそうです。

 なるほどそれでは、観測による予知は無理なんだな、と、納得はしました。

 とにかくなにかあると、だれかを悪者にして吊るし上げないと気が済まない、という気配が、報道の中にもそろりと入っているのが、私としては気がかりです。

 もちろん、備えをすることは必要ですけど。
 備えをさえしていれば、絶対大丈夫ということはない。
 ——そういう覚悟が世の中からなくなっているように見えるのが、私には気になるのです。

 準備をして備えをして警戒していれば。
 すべての危険を回避しうる、——と考えるのは、いくらなんでも、覚悟の足りない——傲慢なことのように思えます。

 それは、あまりにも「なにか」を決定的に「なめている」態度ではないだろうか。と。

 
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無明長夜

 本日はまた予約投稿中。



 為末さんは最近「Tumblr(タンブラー)」なるものを使っておいでのようで。

 Tumblrというのは「ネット上のスクラップブック」だそうです。
 テキスト、画像、Webでみた記事、音声、動画、そういったものを、好きに投稿できるんだとか。

 Twitterよりは、ある程度まとまった文章を投稿するには、こちらのTumblrのほうがいいんだろうなと思いつつ拝読。
 読む側としても、1ページでスッキリ読めたほうが読みやすいので、ありがたい。

 Twitterですと結局、文章が途中で途切れて、その発言の一部だけが一人歩きする、ということが、どうしてもあるように思います。
 ひとつのツイートだけで話が完結すればいいんでしょうけども、ある程度のまとまった文字数が必要な文章ではそうもいかず。
 Tumblr、よろしいんじゃないでしょうか、と、私もちょっと興味を引かれました。

 ただ。

 文章のみならずいろんなもの——画像なり動画なり音声なりを投稿できるというのは面白そうだなと、ほんの一瞬、思ったんですが。
 なんですかこちらも、「Reblog」「Like」という、リアクションがくっついてくる、とわかって、萎えました……。

 我ながらどうも——この「つながる」ってやつには不信感があるな、と気づかされます……。
 mixiから始まって、なぜかそういうのを嫌って嫌って、いまだにSNS系列のもののアカウントはひとっつも! とっていない……。

 なんでしょうね——なにがそんなにイヤなのかな。
 携帯電話を持ち始めたころも、「これは自分が掛けるためのものであり、人につかまるために持つのではない」という理由で、他人には滅多なことでは携帯電話の番号は教えなかったし……。
(最近はもうあきらめてますんで、必要なら教えます。(^^;))

 スマホ持ちでも、LINEもやらない。お誘いを断ったら、現役女子高生には不満そうな顔をされたけど、やりませんよ私は。(^^;)
 どうも彼女たちの感覚では、LINEをやらないのは人間ではないくらいの感覚があるようです………ほっとけ(笑)

 うちのブログですが、ではなぜこれをやっているかというと、これ、もともとは、「仲間内の連絡帳」みたいな使い方してたんですよね。
 ブログというものが登場する以前の話です。
「日記」というサービスで、これは現在のブログと似てはいましたが、基本的には「貼り紙を張り出す場所」というようなもので、あんまり、つながりだの広がりだのはない機能でした。

 いろいろ立て込んでくるとメールをもらってもなかなか返信ができないということが多く、メーリングリストも、ちょっと面倒なところがあったし、そういう意味では、「とりあえず生きてます」と紙を貼り出しておき、気になる人は見て確認をしていく、という程度のもの。
 私にはそれで充分でした。

 その日記のサービスも途中でなくなり、そのかわりにブログサービスが始まったので、いたしかたなく乗り換えたという次第。

 スパムがひどいので、結局コメントもトラバも拍手すらもとめちゃって久しいしな〜。

 でも、特段の不自由はございません。
 なにかあれば、メールフォームからご連絡はいただけるわけだし。

 私にはこれくらいでいいな、と思います。

 もっとも——これくらいで充分です、ということと、あのリプライだとかいいねだとかを「警戒する」こととは、同じ理由によるものではない気もします。
 が。
 ひとさまに説明するときは面倒なので、そのへんを(無理に)関連づけて説明している、というのが現状ですね。(^^;)

 つながるのも広がるのも、けっこうなことではあるのでしょうが、どうも最近、為末さんのところに湧いて出てくる「ヘンなの」がひどくなってまして、正直、読者のひとりとしては鬱陶しくてしょうがない。

 ああいうものを見てしまうと、そんなに、つながりだとかにはこだわる必要もないんじゃないか——と思えてくる。それが本音。
 来るものは拒まず、去る者は追わず、を、実現できたら、それはもう、ホントに悟っているんでしょうね。(^^;)

 そういう意味なら、私はまだまだ、「無明長夜」の身ですね。

 
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個人的にはフロンティア

 地元のリアル本屋さんでも買い物したいんだけどな、と言いつつ、地元の本屋さんで入手できるのか、はたまた、寄っている時間がとれるのかも不明なため、結局、ネット本屋さんで「ぽちっとな」。

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(2014/09/27)
不明

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 勉強? と聞かれましたが、勉強なんでしょうかね……そういう側面もあるんでしょうけどね。なにしろホントに何も知らない状態ですから。

 知らない、ということにすら気づいていない。
 この世には自分の知らないことはたくさんある、とは、漠然とでも思っていても、じっさい、その「知らないこと」への入り口に立つと、なんとなく、茫然とするところもありますね。

 ただ、親しい友人でも、その人の本棚を見ると、意外なジャンルの本とか、意外な本とかがあって、こんなものがあるのか、この人にはこういう側面もあったのかと驚いているとき、——驚きつつもなんかワクワクする感覚がある。
 あれに似ている気がします。

 何を知らないのかを見つけたときはちょっとビビる。(ビビリですんで)
 でも、それがなにか興味を引かれるものなら、ビビりつつ楽しくもなってくる。

「動物のお医者さん」では、ネコの「ハナちゃん」が、菱沼さんに怯えつつも、なんかワクワクしているらしい、という描写が出てきますが。

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 あのハナちゃんの表情。
 緊張しているけれど、なんかする? なんかする? と、遊んでいるときのようなワクワク感がある、あの表情。
 ネコはあれ、やりますね。
 あれはネコに特有のものなんですかね。怖いんだけど、それが刺激になるので楽しい、みたいな。

 好奇心ネコを殺す、なんてことわざがある理由って、これかな、と思ったり。


 知らない地平線へ向かうのは怖さもあるけど楽しい。

 
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Phantom

御嶽山の噴火続く 噴石などに警戒
9月28日 9時23分 NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140928/k10014934081000.html

 寝耳に水、というのは適切ではないでしょうか。
 昨日、御嶽山が噴火、と聞いたときは、一瞬、「は?」となってしまって、意味が飲み込めませんでした。
 あれって活火山だった? と思わず間抜けなことを……。

 噴火と聞いたときは、え、だって登山者がいるよね? と思ってぞっとしました。——最初に思ったよりも遭難者が多いようですが、今日は天候の状態はよく、救助作業はできているらしいのが、せめても、ありがたいところでしょうか。

 国交省の発表では、いまのところ、噴火口が「少なくとも」3カ所あるとのこと。
 通常、御嶽山も観測されているそうですが、——相手が自然のことですから、このような噴火も、必ずしも予測できるものではないんでしょう。
 でも、またなんだかんだいって、関係機関や役所をやり玉にあげるようなのが出てくるんだろうな……;;
 
 昨日ですでに、噴火に遭遇した登山者が撮影したという噴火の映像を見ましたが(あっというまにネットにもメディアにも流れてくる。その即時性はすごいとは思う)、——怖いですね。なんともいえない、不気味な噴煙。
 今朝はもう、あのきれいだった景色が火山灰で覆い尽くされていて、怖いという感覚と、その景色の無惨さに胸が痛くなります。

 富士山も噴火のことでときどき、へんな流言飛語が出てきますね。何月何日に富士山が噴火する、なんて話は鼻の先で笑ってオシマイですが(具体的な日付を指定している段階でデマと断定できるので)、でも、富士山も、いつ噴火してもおかしくはないんだな、と、ふと思いました。

 いろいろ地震のこともふくめて研究した結果、わかったことといえば、「正確な予知は不可能」だということ、ですもんね……。
 地球の感覚にしてみたら、明日噴火するのも、200年後に噴火するのも同じこと、なんだそうで。
 寿命が、がんばっても100年そこそこの人間の感覚ではどうにもならないことだな、と思いました。

 とにかく一人でも多くの方が無事に下山なさいますように、また、救助側にもいっさいの被害のないように祈っております。

        ●

 最初にお関取を見たときは、まあ正直、びっくりでした。(^^;)

逸ノ城 2日連続で横綱戦勝利ならず
9月27日 19時04分 NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140927/k10014928551000.html

 体も大きいし、新入幕だっていうし、そもそも初土俵から5場所だっていうし、当然まげを結えてないし。
 なんですかそれは、という感じでした。(^^;)

 大関、横綱から、連続で白星ということで、インタビューも見ましたけれども。
 ——お人柄としては素直な、可愛らしいくらいの印象を受けました。
 
 とはいえもちろん、勝負にはもちろん厳しい、貪欲。
 それはわかるんですけど。
 でもなー……、いくら相手が横綱とはいえ、小兵(こひょう)の鶴竜(かくりゅう)関相手に、立ち合いの変化は感心しませんね。体格からいったら、やることが逆だよ;; 横綱が立ち合いで変化した、なんていったらそれはそれで怒る人たちがいるでしょうけどさ。
 あんな大きい体で、小兵相手になにやってんの? と、——これは私も感心できないなあと思いました。

 そういうなか、さすがに白鵬関は格の違いを見せたというところですが、——どうなんだろう。白鵬関を褒めるべきなのか、ほかの役力士がアレすぎるというべきなのか。迷うところですね。(^^;)

 逸ノ城関は、モンゴル出身とはいえ、ホンモノの(?)遊牧民出身だそうで。
 裸馬を乗りこなし、一日になんども水を汲んでは運ぶというような生活。
 体が大きいということはありますが、でも、もう、基本的な体力それ自体が全然ちがうな、と;;
 筋トレなどでは問題にならないくらい、体そのものがしっかりしているんだろうなと思います。

 さて——どうなりますことか。(^^;)

 私は、体の大きいおすもうさんにはあんまり興味がないのです。ゆえに、あんまり注目することも、じつはなさそうですが;;
 なにしろ刷り込みが、大関・初代貴ノ花ですから——体は大きくなく、いわゆるソップ型(やせ形&筋肉質)、頭が良くて業師(わざし)、というタイプが好みです。

 最近ではそういうお関取を探すのも、ちょっと苦労するくらいなんで……そこは寂しいかな。個人的には。(^^;)

        ●

 ——悩殺。

 というのは本来は、男性を虜にするような女性の魅力、それによって悩まされることを言ったんですけども。
 まあ現在はこういうご時世で——どっちがどっちでもいいんでしょうねもう。(^^;)

 参りました。

 
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覚え書き……「夕暮れは」

 ——夕暮れは雲のはたてに物ぞ思ふ
    あまつそらなる人を恋ふとて

  (よみびとしらず)
【古今集 巻第十一 恋歌一 四百八十四番】

「はたて」は「果て」、「あまつ・そら・なる」は、「遠いところにいる」(手の届かないところにいる)という感じでしょうか。
 遠い人——物理的にか心理的にかその両方か。

 ちょっと思い出したのでメモです。
 よく、上の句だけとか、下の句だけとかという思い出し方をするアタマなので。(^^;)
 
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和解のタイミング

 そんなわけで、カテゴリーを新たに作ってしまいました。

 とはいえ。まだONE OK ROCK ファンになってきわめて日も浅いし、そもそもジャンルとしての理解がぜんぜんできていないわけだし、なにを書けるわけでもないのは目に見えているので——かなり迷いましたが。(^^;)

 ただ、のどのつかえになるようなことがないように——好きにしゃべりたいと思います。

 つい先日、そうだったのか、とわかってそれなりの衝撃を受けていたのは、そのタイミングについて。
 いつも楽しみに拝見しております、ブログ「誤訳御免Δ」様のエントリーを見て、少々、ショックなことが。

外国人 Kpopper(K-POPファン)たちがJ-POPを語る「 Perfumeは完璧 」
2014/09/22 誤訳御免Δ様 
http://goyaku.blog45.fc2.com/blog-entry-716.html

 こちら↑の記事の中に、本文補足として、下記エントリー↓が紹介されていたのです。
 ちょうど1年前になりますか。

ONE OK ROCK『 Wherever you are 』を聴いた外国人たちの反応
http://japancool.sblo.jp/article/78867500.html
2013年10月22日

 これまでもじつは、何度も何度も、ワンオクにはかなり接近遭遇していたということがわかってきたのですが、そのたびに、いいな、とは言いつつも踏み込まなかったんですね。
 そのなかでも、誤訳御免さまのエントリーというのは、彗星が地球に最接近したみたいなもので、でありながら、そこで足を踏み入れなかったというのはもう——、信じらんない! なにやってんのアタシ! と、叫びたくなるような衝撃。

 誤訳御免様のエントリーにあったんなら、絶対見てる。読んでる。聞いてもいる。で、たしかに、ほろりときていた記憶もある。
 であるにもかかわらず、いいな、と思いながら、そのままにしておいた、ということが、ちょっと信じられません。
 そこまで来ていて、結局、引き返していたのか、と思うと——。
 ………過去の自分に納得できない。

 しばらく、そういうわけで軽くショックを受け、過去の自分に腹を立ててもおりましたが。
 でも——「時機」というものは、あるかもしれない。

 意識にはいってくるのにもタイミングというものがあって、それは誰か個人と出会うことと、原理としては同じかもしれません。
 適時、というものがある。

 たぶん、去年と今年では私のメンタルの状態がかなり違いますので——4、5年前はもちろんのこと、1年前でもまだ違う。
 ああいう状態のときだと、現在みたいなとんでもないハマり方はしなかっただろうなと思います。

 あとは。
 まったくもって今年の8、9月は超絶ハードワーク状態でしたが(文字通り、身も細るような)、考えてみますと、ハマッて浮かれているうちに通り過ぎていった感じです。
 この2ヶ月、これでONE OK ROCKなしだったら……と考えると、なかなか、大変でしたよこれは。やるしかないことはやりきるしかないのは同じだけど——でも、精神面が比較にならなかったように思います。

 そういう意味でなら、いいタイミングだったんだろうな、と。

 なぜ、最低でも1年前に足を踏み入れなかったのか、という気持ちもありますが、それもまた、時宜(じぎ)というものかもしれない。

 メンタル面の条件でいうと、——1年前ではまだ、自分のアニムスとは喧嘩した状態から抜け出していませんでした。
(と、またわけのわからない話になってすみません)

 理由はわかりませんが、そのあたり、今年に入ってからはなんとなく、我がアニムス——女性の無意識の領域にある男性性——とは、なーんとなく、和解できそうな、雪解けムードになってきていたんですよね。

 私には詳細はわかってはいませんが、ともあれロックというものが、本来、かなり男性性の強いものだということは、うっすらわかっている、つもりです。
 アニムスと大げんかしている状態では、その、男性性が強いものを、すなおに聞くのは難しかったかもしれない。
 
 ONE OK ROCKにハマった、と友人たちに言ったとき、何人かには、即座に「えっ? …意外」と言われたというのは、このへんが理由だろうと思ってます。(^^;)
 はっきりした言葉では指摘できなくても、ただ、「アンタそういうの(男性性の強いもの)はダメだったよね?」と、彼らは感じていたのでは、と。
 
 ユングによるなら、人は年齢を重ねるなかで、自分のアニムス/アニマ(男性の無意識にある女性性)と融合していき、人格を成長させていくのだそうで。
 私もずいぶん成長の遅いボケナスなんでしょうが、そのあたり、晩生は晩生なりに、いくらかでも進んでいるなら嬉しいこと。

 そういうことの目安になるというのも、思えば、面白い巡り合わせという気がします。

 なんにしても。
 CMを見るのには15秒はまあまあ適切でしょうが、美声を伺うのには、いささか短すぎるようです。まったく聞けないよりははるかにありがたいことではありますが。
 何回リピートすれば気がすむことになるのか。(^^;)

  
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弘法、筆を択ばず

 これはすごい。
「弘法筆を択ばず」とは言いますが……。

iPad Drum Solo
http://youtu.be/ztLEiNpE5PQ


 iPadに標準で入っている(と思う)GarageBandというアプリを使っての、タイトル通りのドラムソロの演奏なんですが……。
 ここまでくるともう………そんなことができちゃうのかこれ、と思って、しげしげ、自分のiPadを眺めちゃいます。(^^;)
 アプリはあっても、人間が違うから。無理だから(笑)

 もっと単純なアプリだと思っていたのに、イメージが全然ちがう感じ。この人のGarageBand って特殊仕様なの? とか思っちゃいそうです。……んなわけはない(笑)
 気楽に遊ぶアプリという認識自体が間違っていた、と思いますよ、こうもスッゴイのを見せられると。
 まさしく、「弘法筆を択ばず」。

 説明によると、ご本人はじっさいにドラマーではあるけれども、自宅にはドラムセットがない(設置面積の都合上)。ゆえに、iPadとそのGarageBandというアプリを入手して…、というのですが。
 練習そのものにはならないところもあるのでしょうが、やはりじっさい音が出ると、違うんでしょうかね。
 演奏後半の盛り上がりは、むしろその指の動きに目を見張る。
 超絶技巧のリストの曲を弾いているピアニストか、という感じで——すごい。

 素人のお遊びソフト程度にしか考えていなかったオノレの不明を恥じております。
 やはり道具は、道具の性能を使いこなせる「人」があってこそだな〜。(^^;)

 動画の最後、「iPad Rock! 」には、なるほどカッコイイ、と思いました。

 ………思いましたが、私にはいまだに、ROCKの意味するところが理解できておりません;;

 いちおう、ひとさまからロックとは何ぞやという説明を受けたりもしましたが(細かい品目とか)……、どうもどの説明もピンとこない。「本質」がつかめない感じでもどかしい。

 その発生、その起源の詳しい事情、「歴史」から講義を聞かないと、わからないことなのかも、と、最近では(やや投げやりに)思っております。
 事典の解説文のような説明の仕方だと、どうも表面的、上滑り、という感じがする。

 ようは、聞いて楽しければそれでいいのでは、というと、説明役をしてくれた人には笑われてしまいました。(^^;)
 それをいったら、みんなどれもそうだよ、と。
 ………ですよねえ。

 最後には、自分の好きが響けばそれでいいんじゃないの、ということに。(長々と説明させておいてこの態度…;;)
 基本であり、終極かもしれません。

 分類が必要なのは専門家であって、ただ聞いて楽しもうという側には、あんまり関係のないことでしょう、本来は。(とうとう居直った)

 なんにしても、音楽というのは、芸術の中でももっとも天に近いもの。
 いままでもそんなふうに思ってはおりましたが、……iPadのアプリでそれが実現できるというところが、なんともすごいことだと、あらためて思いました。

 そんなわけで、こちらの動画、ついつい見入ってしまいます……。見飽きない……。

 
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大顰蹙

 台風のせいなんでしょうか、今日は耳の調子がイマイチ。
 へんな耳鳴りが、キーンと響いたりして気持ちが悪い。

 ……あ。台風じゃなくて温帯低気圧になったんでしたっけ。
 でも、天候は荒れています。

 これが通りすぎれば、こちらにも爽やかな青空が…と思ったけど、また台風17号が発生ですと……。(げんなり)
 
        ●

 率直な、正直な感想を言わせてもらうなら。
「今回のことでヒップホップとやらのファンのイメージは地に落ちたな」

為末大さん、「ヒップホップ発言」で謝罪 
2014/9/22 17:32 J-CASTニュース
http://www.j-cast.com/2014/09/22216476.html

 なかには、為末さんのツイートがヒップホップへの「批判」だとしたものがありましたが、そうですか。あれ批判ですか。私には、「為末さん個人の感想」にしか思えなかったけどな。
 ま、いまは「あたし人参キライでさ〜」などと言おうものなら、「ヘイトスピーチ!」つって糾弾されるらしいですからね。
 いやなご時世です。感想もおちおち言ってらんないんですね。
 
 なにかを好きでいるというのはいい。それに傾倒して、いろんな知識や情報を積み重ねていくのも、それも「好き」の楽しみのうちのひとつでしょう。

 でも、他人が、自分と同じように好きではない、ということについて、あしざまに罵るというのは、感心しません。

 感心しませんどころか、そういうものをみた部外者には、
「○○のファンて、ああいう人たちなんだ」
 と、顰蹙を買い、嫌悪され、ますます遠巻きにされるようになりますよ——とは、指摘しておきたいところ。

 ファンという人たちの、それが本意なのだろうか。
 その「好き」が求めるところは、関係のない人たちから顰蹙され、かえってネガティブなイメージを持たれ、疎外を強めることなんでしょうか。

 ジャンルも対象も問わず、どうして、「ファン」というのは、こうなっちゃうんですかねえ。(^^;)
 こういうことをやってしまうのは、なにも、ヒップホップファンだけではなくて、たぶん、誰でも、なんのファンでも同じこと。

 他人が、自分の好きと同じ好きを持たないことが、そんなに不満か?

 なぜ、すべての他人は自分と同じでなければならないと思うのか。
 素朴に疑問に思います。

 こうしてみると、私はなるほど、いい勉強をさせてもらっていたんだなと思います。
 以前からちょいちょいお話ししているように、坂本龍馬のファンですなんていうと、新撰組のファンという人々から、わけのわかんない喧嘩を売られ続けてきたおかげで、私自身はこういう、「ファンだからこその軽率な行為」はやらずにすんできたんだな、と。

 私自身は別に、新撰組には愛も恨みもございません。
 なにがあるにしろ、「へー」でしかありません。
 そういう人間が、ただぼーっとしているのを、いきなり殴り掛かってくるようなのが、ああいう、ファンという人たちのやることなのか、と。
 高校生のときにはもう、思ってましたねえ…。

 若気の至りで、ひとりは返り討ちにしたけど、返り討ちにしたことについては大反省しました。(マジで泣かせました……ほんとゴメン;;)
 専守防衛もやらない平和主義ですよ。——ひたすら、新撰組にかかわることは避けてました。

 私もいろんなものを好きではあるけれども、アレはやるまい。アレだけは。
 と、思うようになったのは、思えば、あのわけわかんない連……もとい、方々のおかげ。(^^;)

 もともと、あんまり——熱狂ということには縁のない、みょーに冷めたところがある、そういう性格のせいもあるでしょうけど。

 むしろ、私の場合は、「好き」については自分を制御できるけど、「嫌い」となったほうが、もうどうにもならないところがあるんですよね……。怒りの「大魔神」を初めて見たとき、なんかもー、他人に思えなかったです;;

 で、個人的には、
「ファンならまだいいが、それが高じて『信者』になったヤツには絶対、さわらない」
 と決めています。(^^;)

 なにごとであれ、ファンも通り越して信者までいくと、「触らぬ神に祟りなし」でしかない。そういう認識。

 本来は。
 好き、ということは、こういうことではないはず。
 ——そう思うと残念です。

 過去、ファンたるものはこうあるべきだな、と、心の底から感心したのは、作家の、故・星新一さんと、そのファンとのお話でした。

「似て非なるもの」2009/06/05 エントリー
 
 他人のことなんて気にしないで、自分の「好き」にだけ集中していれば、誰のことも害さずにすむんでしょうにね……。
 どうして、他人に、自分と同じであることを求めてしまうんでしょうかねえ……。うーん。

        ●

 のどから食道へおりていって、でもまだ胃には届かない、くらいの、胸とも喉ともつかないあたりで、ものがつかえているような感じがするので。
 もーこのさい、カテゴリ作ります。

 
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永遠は一瞬の内

 静かな、波の音だけが聞こえる、朝焼けの浜辺。
 きれいですね。

         ●

 それを見て、恥ずかしい昔話を思い出したのでひとつ。

 失恋したばかりの友達と、朝までだらだらしゃべりつつ飲んでいたことがありました。
 学生のころのことで、当時は学生用のアパートに気楽な独り住まい。それで互いに泊めたり泊まったりしていたんでした。

 本当に完徹する気はなく、ちゃんと布団も敷いていたのですが、アルコールが入っているわりには互いに眠気もやってこず、結局、布団のうえでダラダラ飲みつつ、寝(い)も寝(ね)られずに過ごしたんでした。なかなか面白い一夜でした。
(あれで二日酔いしなかったというところが、いま思うとすごい…)
(飲むよりはしゃべるほうがメインだったからか)

 というのも、友達の失恋というのが、通常よりちょっとややこしい事情で——結論だけをいうなら、私の友人である彼女が彼氏にふられたわけです。…が、その中身自体は、彼氏に「振らせるようにした」んですね。
 見た目の「形」は、彼女が彼氏にふられた。
 でも、「実情」は、彼女のほうが、そのように仕向けた。

 そういうと彼女がひどい女みたいに聞こえるでしょうがそうではない。そうではないけど、でも、さすがに、本人もひどく落ち込んでまして。
 そういうときは、ほんとうは、温めたミルクを飲んでさっさと寝るのがいちばんですが、——若気の至りで、アルコールを飲み始めたのが運のつき。

 夜も更けると人間、ちょっとばかりアタマがおかしくなってくるようでして、それまでは口にしなかった本音が出てきたりします。
 彼女のいちばんの胸の詰まりは、こういう事態にいたったそのことよりも、「嘘をついた」ことになった、その罪悪感でした。

 それこそ若気の至りで身に覚えがある人も多いでしょうが、若いというよりまだ幼い恋というのは、盛り上がっているときには本当にしょうもないところがあって——ものすごい万能感とか、恐れなども粉砕し尽くしたみたいな無敵感、高揚感があったりしますよね。……ね?(無理に同意を求める)

 そういうなかで、彼女もまた、「永遠」のナントカを誓った覚えがあったんでした。
 それが、すべて嘘になったことが、いちばんの罪悪感。

 でもそれは、——と私は申しました。
「その瞬間には、それは『ほんとうのこと』だったんだから、それでいいじゃないの?」

 一瞬を、永遠のものにする。

 一瞬のなかに永遠を閉じ込める。

 そういうことはあると思うし、そう思うしかない、とも言える。

 彼女がどう返事をしたかは覚えていません。あるいは、返事はなかったのかも。

 量子宇宙論で考えると、この時間の概念というのも、じっさい、崩壊します。
 量子の世界では、過去も未来もない。3次元に住む私どもは、時間は過去から未来へ流れていくと思っていますが、量子という極限の世界では、時間は一定ではなく、流れもしない。存在は不確かで、過去も未来もない。

 というより、時間というものはじつは、人間が「ひとまず世界を理解するために」「便宜上」作り出した観念にすぎないのではないか——という説明で、とても私にはついていけませんが、そのような説明をみたときに、なんとなく、「ああ、それでいいのか」と思いました。

 時間という概念が「人間による作り物」なら、一瞬も永遠も、同じことかもしれない。
(興味がある方はホーキング博士の本もいいと思いますが……ヒッグス粒子が証明された最新としては、こちら↓で)

村山さん、宇宙はどこまでわかったんですか? ビッグバンからヒッグス粒子へ (朝日新書)村山さん、宇宙はどこまでわかったんですか? ビッグバンからヒッグス粒子へ (朝日新書)
(2013/04/12)
村山 斉、高橋真理子 他

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 私は数学も物理もまったくダメですが(でも宇宙論を聞くのは好き♡)、この虚時間(量子力学では虚数時間)というのは、ちょっと心引かれるものがあります。

 永遠を一瞬の中に閉じ込める。
 または、永遠が一瞬の中に凝縮され、凍結する。

 そういうことが、もしかしたら、説明できたりするのかな。

 しらじらと明ける空は、時間切れを告げたように思えて、——朝だね、とぽつり言ったきり、しーんとしてしまったあの瞬間を思い出します。

 時間も人の思いも、どこへいくのか。
 一瞬のことでも、人はその一瞬に真心をこめることができる。
 それらが「消える」とは思えない。もうここにはないにしろ。
 過去も未来もないという虚数の中にまぎれていき、それでも、消えてしまうことも嘘になることもないのではないか。
 
 誰も彼女の味方をしない。それで当たり前だと自ら言って、嗚咽すらなく、ただ静かに涙をこぼした人を思い出す。

 ………とかいって、私だって思い出したのは10年ぶりですけどね。(^^ゞ
 まあ、いまは本人、元気に子持ち主婦やってますんで。ハイ。
 
 これ、大丈夫かなあ。書いている今は夜中だからいいけど(つまり、アタマがちょっとおかしい)、朝になって読み返したら、いやになって消したくならないかな(笑)
 そうならないことを祈りつつ。

 つまらない昔話におつきあいいただき、ありがとうございました。m(_ _)m

 
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傷と、傷跡

 iPhone6ですか〜。
 ちゃんと実物を見るとまた違うかもしれませんが、手持ちの5Sを持って、これよりも何センチ大きい、とか考えると………ちょっと私には持ちにくいかなあ…。簡単につるっと滑って落としそう;;

 ともあれ、私のiPhone5は、2年縛りで買ってまだ1年未満ですから、今回のことは、ふーん、つって眺めているだけですね。

 購入にからむあれこれの騒ぎの話も、いつものことという感じで、もはや風物詩と化しているようで、とくに驚きはありませんが。
 さすがに、これはちょっとね……。

中国人、iPhone6発売で騒動 店に押し寄せ怒声、割り込みも
2014.09.20 ZAKZAK
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140920/dms1409201527010-n1.htm

 あえて感想も言いませんけど——関係のあるお役所には、あんまり気楽に入国させんなよ。と、これだけは言いたい。(^^;)

 私は結局、iPhoneとiPad mini を使っております。——スマホはスマホの大きさでいい、と思ってます。
 あまり大きくなられても困る。
 私の場合だと、いまのiPhone5の大きさが限界じゃないかな——「電話」として使うなら。

 スマホというのは、ネット端末としても使えるというのがありがたいことでして、何度、緊急事態をこれでしのげてありがたかったかわかりません。
 が、それでも。
 ふだんは、電話でいいですこれ。
 ネット利用をメインにして考えることはしない。

 スマホの画面の大きさと機能面はもうこの程度でいいので、そろそろ、なつかしの折りたたみ式にしてもらいたいです。

 先日も、ポケットにスマホを入れてちょっと力仕事をしていたら、なんかへんなふうに触ったらしくて、いきなり某さんに電話をかけていたのには焦りました。
 すぐに止めたんだけど間に合わなかったようで、律儀な某さんはすぐ折り返し電話をくれました。
 もう平身低頭、冷や汗ダラダラでしたよ;;

 折りたたみ式携帯電話が恋しいです……。
 あの質実剛健な美しさ、堅牢さ、安心感と安定感。よかったですよね。
(折りたたみ式を使ったことがないという世代って……、もしやいるのか)

 でも、折りたたみ式のよさを、Appleさんが認めるとは思えないしな〜。
 筐体の構造がまた複雑になるから、コスト面からいっても、絶対却下されるだろうな;;
(あ、スマホの場合は筐体とは言わないかな? 言う?)
 ジョブズおじさんがお元気だったら、そもそも外観の美しさを損なうということで却下されたかな。

 私はもとからMac使いという関係で、連携して使う便利さから iPhone、iPadになっているんですけども。
 iPhoneそれ自体には不満はないのですが、携帯電話は折りたたみ式がいいな。と、時間が経つほどに思うようになってます。

 ちなみに。
 もとからそんなに外へ持ち歩かない私には、iPad mini 、Wi-Fi(のみ)タイプで充分——ということがわかりました。
 買うときにはすいぶん悩んで悩んで、とにかく使ってみないことにはわからないからと、結局、Wi-Fi+セルラーにしちゃったんですけど、………そんなに外出も多くない、または長時間ではないから、テザリングできれば、それで充分でした。

 出かけた先、あるいは旅行先で、ちょっとネットを使いたい、というときに使う程度なら、テザリングで充分です。

 iPad mini の本体分の支払いはもう済ませてあるから、こんどお店へ行って、セルラーの契約は、解約しちゃおうかと思っております。
 Wi-Fiのみモデルよりも高かったんですけど…、まあ、やってみないとわからないことだったし。(^^;)
 なにごとも経験、てことで。

        ●

 ——消しがたい傷と、黙(もだ)せぬ情熱。

 メモ。(個人的に)

 もだす、と入力したら、ことえり(Macの標準 IM)ちゃんは変換しませんでした。
 ………これくらい変換しようよ、と思ったけど、古語じゃダメか。(^^;)

 私がときどき古い言葉や、すでにはっきり古語であるものを使うのは、古典文学、明治〜大正あたりの小説を読んできたからですね。
 自分としてはとくに古語とか古いとかいう意識はなくて、ただ、「こういう気持ちを表現するにはこれがいい」という選択があるだけなんですけど。
 てめえなんざこっちから願い下げだ、という啖呵が相手に通じなかったというのと同じくらい、たまに相手にきょとんとされるのは悲しいところです。(^^;)

 ただ、古い文庫本で近代日本文学なんぞを読んだおかげで、旧字体のものでもだいたい、読めます。
 読めるだけで、書けませんけれど。

 そういうなかで、「この旧字だけは書ける」というのが「恋」。
  ←これなんですけど。
 表示できているでしょうか。Unicodeならいけるはずですが……。ケータイ(たぶんShift JIS?)とかだとどうかな?

 見た瞬間はぐしゃっとして見えますが、「糸」「言」「糸」が上半分で、下が「心」なので、旧字体の「旧」⇒「舊」よりは簡単かと。(^^;)
「医」の「醫」なんかもすごいですよね;; じーっと見ていれば、まあまあわかってくるけど、ぱっと見た瞬間は、思わずなにこれ、と後ずさりしたくなる。

 で、昔の人は、恋の旧字、「戀」を、
「イトシイ イトシイ ト イフ(言う) ココロ」
 で覚えた、という話を聞きまして。

 なるほど洒落たことをおっしゃる。——と思って、私もこの旧字だけはイッパツで覚えました。
 覚えても使い道はないんですけどね〜。(^^;)

   ※     ※
 
 で。(……で?)
 傷、というものは、癒せないものはない。——と考えてみる。
 癒せない傷はない。

 だとしても、傷それ自体は消せない———だろうか?

 そうでもない、と、最近は思ったりします。

「傷跡」は、——たとえば大きな外傷がケロイドになって残っているのは、あれは「傷の跡」であって、現在ではすでに傷ではない、というように。

 跡は残る。
 でももう、それは傷ではない。

 そう考えるなら、
 癒せない傷はない。
 ——そう信じていいんじゃないかな。 

 傷を負ったこと、それ自体は決して消えない。
 というのはそれは、その人の「体験」「経験」だから。
 過去にあったことを、ないことにはできない。

 あったことは、あったこと。
 でも、そのことによって「傷つき」、いつまでも苦しみつづけるというのは、どうも理屈に合わない気がする。

 癒せない傷はない。
 傷があったことを示す跡は残っても、傷跡になっているなら、それはもう傷ではない。

 ある程度の時間が経過しているのに、いつまでも血が止まらず、組織が再生せず、痛みが継続しつづけるのは、それは、傷を「再生産」しているから。
 治りかけてはまた自分で傷つける。傷が癒えることを自分で自分に許さない。

 傷の深さに、その痛みに、執着しているのは自分自身。
 そういうことは多いような気がする。

 自分自身を愛さない、許さない、ということがどれだけ厄介なことか。
 そういうあたりが、見えてきた気がします。最近。

 誰が許さなくても、自分は自分を許していい。
 苦しいと思うなら、その苦しさから楽になる方法を「選択」していい。
 適切な治療を拒まなくていい。
 自分はこういう痛みに苦しむことにふさわしい「罪人」だと、見なす必要はない。

 誰かひとりが救われれば、その救いはまた、他の人を救うことになる。
 だから、許してほしい。自分たったひとりを。

 裏返すと、誰が許すといってくれたとしても、自分で自分を許せないなら、許しにも癒しにもならないんですよね。
 思い返すと、自分をいじめ抜いて苦しんで、荒れるだけ荒れていたとき、——あの状態では、たとえ神様に許すと言われても受け入れられなかったと思う。

 自分を許す。

 それができるのは、自分だけです。
 神様にすら、私が、私を許すように強制することはできない。

 とはいえ、ありがたいことには、天とか神仏とか宇宙とかの「許し」というのは、つねにそこにあるものなので。
 あるタイミングを外したらなかなか次のチャンスがこないとか、そういうことはない。それはありがたいところです。
 自分がその気になりさえすればいい。
 自分がその気になれば、周囲にあるものは一気に流れ込んできて傷を癒す。

 傷跡は残り、かすかな疼痛を残したりもしますが、そのときはもう、それはただの経験のひとつになっている。

 傷跡は、もう、傷そのものではない。

 消せない傷跡はあっても、癒せない傷はない。
 そう信じます。

 
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60兆の祈り

 飛び石連休というのも落ち着かないもんですね。
 同じ飛び石連休でも、間の営業日が2、3日あればいいんですが、今回は、月曜日働いて火曜日休みということですから、日程の調整でちょっと戸惑う。
「じゃあ、それは明日、午前で」
「あ、明日は休みです」
「そうでした! えーと、じゃあ水曜日…」
「そこだとちょっと不在で……」
「えーと、木曜……はこっちがダメなんだ、じゃ、じゃあ金曜日は」
「午前中ならいけます」
「承知しました、じゃあ金曜日」
 ………結局、週末になった……。週アタマでは片付かない。
(そういうこともあるさ…)

        ●




 信仰って、じっさい、なんなんでしょうかね。

 以前、友人と、純粋な信仰心には、宗教なんてもんはかえって有害なくらいだよねと話したことがあります。

 私どもが考えた信仰とは、明るく差した日の光をありがたいと思い、峻厳な山の姿に心を動かされ、夕暮れの美しさに涙を流し——そういうときに胸にあふれる「敬虔」の思いが、本来の信仰というものだろう——と。
 宗教になると、そんな「基本」さえ否定されることがある。はっきり言ってろくなことがない、という結論に、そのときはなりました。

 私の宗教アイデンティティは仏教徒と神道の氏子ですが、仏教のほうはともかく、神道って、あれ宗教なのかね。
 人によっては、ドグマ(教義)を持たず、教典を持たず、「本尊」をとくに定めない神道は、アニミズムとも違うにしろ、厳密には宗教とは言えない、とおっしゃる方もあるようです。

 宗教というものをどう定義するかにもよりましょうが、私の場合、宗教には基本的にはいい印象がないので——神道は宗教ではないということで、いいんじゃないでしょうか。と思っております。

 無宗教だ、といっていながら、私の目から見るとたいへん信心深い人、というのはいるものです。
 それはどういう人かというと、自分の人生経験のなかから、なにかを「敬う」心の篤い人ですね。
 
 信仰というのは、なにかにたいして、ぬかづく、頭を下げる、手を合わせる、——「敬意」を捧げること、と私は考えます。
 願いごとをするのではない。祈りがあれば、それはもう立派に信仰心というものだな、と。
 神様とかそういうものにではなくて、ひとりの人間に対して心から敬意を捧げるのであれば、それもまた、信仰でしょうね。

 無神論者のなかには、いかにも憎々しげに、
「この世に神も仏もあるか」
 という人がいます。
 自分の人生になにか過酷なことがあって、それを恨んでいる、という人が、そんなことを言うようです、たいていは。

 私はこの言葉を最初に聞いたのがいつなのかは思い出せませんが、わりと幼少の頃から、
「この世に神も仏もないのは、当たり前ではないか」
「何を甘えたことを言っているのか」
「仮に神仏がいたとしても、なぜ、高次の存在の神仏が、人間ごときのために働くのが『当たり前』だなどと、そんなことを前提にしているのか」
「自分を何様だと思っているのか」
 と、そういう感覚でいたようです。

 この世は「人」の世。——神仏がいるわけないでしょ。

 私はそれなりに信仰心は持っていると思うのですが、そうはいってもさすがに——父が不治の難病とわかり、ただただ、彼が弱って死んでいくのを、なにもできずに見ているだけという日々を過ごし、自分自身がぶっ倒れそうになりながら彼を見送ったあとは。
 さすがに、燃え尽きた感じがありました。

 頼むから、せめて1週間でいいから、私のことは放っておいてくれ、といいたいのに、行事は次々に押し寄せてくる。
 体力面もですが、なによりも精神面が、ほんとうにすり減りました。

 それから1年、2年くらいは、もう、神仏というものからは、ひどく「心が離れた」状態でしたね。
 自分で不思議だったのは、それこそ、神も仏もない、というくらいの、荒んだ気持ちもありながら、それでもまだ、——以前に比べればずいぶん投げやりな態度ではありましたが、それでもまだ、手を合わせ、頭を垂れ、時間にすれば1秒か2秒というものですが、でも、高みに向かって心を鎮める——そういうことは、していました。

 疲れていても荒んでいても、涙すら出てこないほどすり切れていても。
 それでも、体そのものは、祈りを放棄しなかった。
 あのとき手を合わせて頭を垂れたのは私ではなくて、私の体のほうだった気がします。
 60兆というちいさな生命体の集まりがこの肉体ですが、私の心は離れていても、彼ら自身は、外界の変化にとらわれることなく、「祈り」つづけていたような。

 そんな気がします。

 心は体を走らせ、体は心を支える。
 その間を結んでいたのは、「祈り」だったような。

 祈りというのは、身勝手な御願いごとをするのとは違います。
 祈りとは、そこに自分を投げ出すこと、かな。うまく言えないけど。
 何何になりますように、とか、そういうのは祈りじゃないです。正確には。(^^;)

 体の細胞ひとつひとつの生命が、本来、まるで食事のように求めるもの。
「還る」場所に対する、親を慕う赤ん坊のような、求め。それが、祈りであるようにも思いますね。

 で。
 人間の御都合主義の塊である宗教はむしろ、そういう、もっとも素朴な祈りを阻害する。
 そう感じることが多いです。
 
 無宗教で、信心深い。
 それが、ほんとうは、いちばん人を健やかにしてくれるありかたのような気がします。

 祈りは、私どものエゴではなくて、細胞ひとつひとつのほうが、よく知っているのかもしれませんね。
 
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予約済み

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(2014/11/12)
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 アマゾンさんで予約済み。
 以前には、予約しておいたのに、発売日より2、3日遅れて届いたことがあるので………ほんと、頼みます。
 式台で三つ指ついてお待ちしておりますので。


 どういうわけか今朝方は——目が覚めるときから、脳内に「Wherever you are 」がまた無限ループしてまして、ちょっとげっそりしました。

ONE OK ROCK 「Wherever you are」(with lyrics)
http://youtu.be/NzzZ-9TE5L4


 たしかに名曲です。名曲ですよこれは。
 でも、朝っぱらから聞く曲でもないように思います;;

 テンションあがらない——というか、ノルアドレナリンを出したいところでも、これだとβエンドルフィンあたりが出てきそう……;; 
 自分の脳味噌のやることながら、まったく訳が分からない;;

(ノルアドレナリンは「やる気ホルモン」。βエンドルフィンは「愛のホルモン」)
(簡単に言い過ぎの説明なので、あんまり真に受けないでください;;)

 ONE OK ROCK World さんということで、Twitterがあったんですね。Facebookはよくわからないのでまた、ということにして。

 また、各メンバーのInstagram があるとはつゆ存じませず……。
 なるほど各人の個性が出てくるもんなんだな、と感心しつつ拝見。

 それにしてもTakaさんは………、きれいな額をすっきり見せて男っぷりがあがりましたねと思っていたんですが……あのかっこよさとこの可愛らしさのギャップはもう……(言葉が見つからない)
 
 さて。
 それにしても、どうしようか。
 ワンオクのカテゴリーを作るか、それとも、タグ貼付け(で分類)するか。
 
 
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バルサミコ酢

 先週の土曜日曜もいいお天気でしたが、今日はまた——早朝からすばらしい晴天です。
 昨夜は「肌寒い」すら通り越して「寒い!」だった……、早朝もそんな感じだった。

 でも、日が出てきたらもう25℃ある……。太陽って、やっぱりすごいな。と思う、秋の日曜日です。
 今日もあれこれ、いろんな行事があるでしょうが、今日はもう、コンディション、最高ですね!

 ………私も、病院へ行くのと墓参り以外にも、ちょっと気持ちのいい場所へいってみたいものですが。(^^;)

        ●

 以前には、うちの弟は、オイスターソースにちょっと凝っていたと思うのですが、最近はバルサミコ酢のほうが主流のようです。
 ということで、夏休みに帰省したときにバルサミコ酢を買って、うちにも置いていきました。

 私はどうも、これの使い方がよくわからないということで、自分でバルサミコ酢を買ったことはありませんでした。
 が、目の前にあるとちょっと使ってみようかなという気持ちになり、「テキトーに」やってみたんですけども。
 ちょっと意外なまでの感動が。

 肉を焼いたり炒めたりというときに、バルサミコ酢:日本酒:塩麹=1:1:1で使うとイケるんですねこれが。

 バルサミコ酢をいれた瞬間は、加熱され、酸っぱいような匂いがたつので、一瞬、あれやばかったか、と思いますが、そのまま蒸し焼きのようにしてみますと、酸味はなくなってしまいました。

 で——醤油はつかっていないのに、なんとなく醤油っぽい風味のソースになっているんですね。
 醤油っぽい風味があるけど醤油ではない。
 独特のこくが出て、でも、さっぱりしてて(お酢だもんね…)、おいしゅうございます。

 日本酒をいれるのがやはりいいようで、塩麹にしろ酸味にしろ、上手い具合にお酒がまとめてくれた、という感じです。

 トリのムネ肉を焼くので、そのままだとパサつくかなと思い、日本酒をいれてみたんですが、やはり、しっとりした感じでいけました。
(私の調理法は、かなり、その日その日のデキゴコロ、「適当」ではなく「テキトー」にやることが多いです。その場にあるものを、テキトーに組み合わせてしまう。でも、不思議と味は悪くないですよ)
(テキトーにやっているわりにはイケル、というので、友人には『B型の食生活』と命名されたこともあります)
(べつに褒めちゃいないんでしょうな)
(なにしろレシピで再現できないというくらいのいい加減さだから;;)

 ちょっと感動したのは、アボカドとトマトのサラダ(ようはこの2種類を刻んで混ぜただけ)にはいつも、ポン酢を使うのですが、ふと思い立ち、ポン酢のあとに、バルサミコ酢をちょこっとかけてみました。
 そうしたらこれがまた——まろやかになったというところが不思議。

 ポン酢だけだと酢の味がキッとしていますが、それが、とろりと溶けて流れた、みたいなまろやかさに。
 酢+酢であるはずなのに、なぜ、酸味が強くならないのか。
 むしろまろやかになるのは、なぜなのか。
 そのへんは私にはサッパリですが。(^^;)

 通常のワインビネガーとは製法が違うというバルサミコ酢。
 なるほど、便利なものなのかな……と、いまちょっと、彼(?)を見直しているところです。

        ●

 どうも「ファンのうっとうしさ」全開になるような気がしてきたので、ONE OK ROCKについて書くときはエントリーを分けることにしました。
 こちらの、FC2ブログ(有料版)では、1日100件までエントリーできますよ、ということになっていますが、——1日に100件もエントリって、どんな人(か組織)がやることなんだろうか。

 ともあれ、1日1件でなければならない、ということはないんですよね。
 同時にエントリをアップできるとは限りませんが、お見かけの際、つき合ってやってもいいよという方、いらっしゃいましたらどうぞよろしくお願いします。m(_ _)m
 エントリがあるときは、トップにはこないようにしているので、ちょこっとスクロールダウンして探してみてやってください。

 ……それともいっそのこと、カテゴリー作っちゃおうかな。(ぼそっと)

 しかし——ほんとに、なんで非ファンからするとファンの語りって、退屈なうえに鬱陶しくなることが多いんでしょうかね。(^^;)

 
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