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2014.08.31 (Sun)

小高い場所

 ………我ながらひどいと思いますが。
 感想が「馬鹿が」しかない。

「黒子のバスケ」脅迫事件 被告人の最終意見陳述全文公開
http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20140718-00037501/

「黒子のバスケ」脅迫事件 被告人の最終意見陳述全文公開2
http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20140315-00033579/

 いちおうリンクは貼っておりますが、いちいち真面目に読むような内容ではありませんので念のため。
 読むことはないですよ。ホントに。
 ようするに馬鹿の戯言ですから。
 
 私もものすごい勢いでナナメに読んだだけです。(^^;)
 言うことは何もありませんが、強いて言うなら
「他人じゃなくて自分を見ろ」
 と。
 それがどれほどに大事なことかをあらためて感じました。

 でも、馬鹿もここまでくるともはや——他人ではなく自分を見ろといわれても、まったく理解できないだろうと思われます。

 その昔、私が誰かにいわれたこと——、
自分で自分の馬鹿がわかれば馬鹿ではない
 ——それがどういう意味だったか、いま、鳥肌が立つ思いで反芻しています。

 私はあのとき、下手な慰めを言われたと、やさぐれ気味にしか思わなかったけど、あれは——どれほど私を認めてくれていたうえでの、言葉だったことか。
 いまさらながら思い知らされます。

 受けた恩というのは、その場ではわからなくて、時間が経ってあとからじわじわわかってくる。そういうものなのでしょうか。

        ●

 先日は、「自分の生きた証を残したい」みたいな願望は、私には皆無だし、正直言ってピンと来ない、という話を致しましたが。

 残す——ということで、自分もこうでありたいと思ったことが、そういえばひとつありました。

 東日本大震災のとき、全壊した自宅の中から救助された、当時90歳すぎの男性が、
「また再建しましょう」
 と、力強く笑顔で語ったこと。

 小松左京御大は、震災のあった2011年7月にお亡くなりになりましたが、亡くなるまえには、
「日本は必ず復興する。大丈夫」
 と、若い人たちに言い残していたこと。

 もしも、あとに何かを残すとしたら、こういうものがいいなと思います。

 それは個人の業績といったこととはほぼ無関係なので、「自分の存在の証を残したい」という人の思うこととはちょっと違うのかもしれませんが。

 私は年をとるということにさほど、いやな印象はありません。むしろ年をとることであれこれがずいぶん楽になってくるので、あー加齢っていいわー、みたいな感すらある。(^^;)
 逆に言うと、若い頃は心身両面どんだけつらかったか、ということでもありましょうけれども;;

 それで思うのは、年をとると、「いろんなことが見えてくる」ということ。
 それこそロミオとジュリエットみたいに、
「なんで若い頃のほうが、せっかち、生き急ぐ、気が短い、待てない、結論を急ぎすぎる——ということになるんだろうか」
 と思うことがあります。

 春秋(しゅんじゅう)に富む、という表現があるほど、若いということは「時間がある」ということなのに(………まあじっさいには若いから時間があるとも限らないわけですが;;)、なんでですかね、若いときのほうが結論を急ぐんですよね。
 ものごとの白黒を、いいか悪いかを、急いで「決めつける」。

 でも、それなりに人生経験を積んでくると、そういうものでもない、ということが、だんだん「見えて」くる。

 自分自身の持ち時間はたしかに減っているけど、でも、少しずつ高い場所にあがっていくみたいに、視界は広くなる。
 そんな感じでしょうか。——不惑を過ぎたばかりの小娘(笑)が言うのも生意気ってもんでしょうけど。
(80、90歳から見たら、小娘どころかハナタレにもなりませんわな;;)

 親という字は、「木の上に立って見る、と書く」と、その昔、聞きました。
 年長者の役割は、ちょっと小高い場所にあがって全体を見渡して、地表でなんかわあわあやっている人たちのこともふくめ、状況を見、あるいは知らせるべきことは知らせる、ということかなと思います。

 じっさい、「これから」の時間があると思われる10代のときが、私もいちばん息苦しく感じました。
 あの、なにも見えないわからない焼かれるばかりの焦燥感は——なんだったのか。

 そういうとき、ちょっと小高い場所にいた大人から私もずいぶん、あれこれ助言も励ましももらっていたのですが、当時はそんなことには全然、思い至りませんでした。
 で、今頃になってなんとなく青ざめてんのね——上に書いたみたいに。(^^;)

 そんなわけで、私はいまごろ、「やはり年長者のいうことは聞いておくもんだな〜」と思っているわけですが、その経験から照らし合わせて、震災があったけど、だいじょうぶ、というその言葉を、私は信じます。

 迷路の中でうろうろして、出口がないように感じて怒ったり泣いたりしている人を、小高い場所から見ている人が、
「大丈夫、ちゃんと進んでる」
 と言ってくれる。

 でも迷路のルールで、うえにいる人が、右にいけ、左に行けとまでは、いちいち指示できない。
 ルート自体は無限に近いほどにあり、迷路を歩く人がどこをどう通るかまではコントロールできないから。
 それに、歩いている人だって、いちいちうるさく指示されたくはないでしょう。(^^;)

 でも、大丈夫、どっちにしろちゃんと進んでいるよ、と。

 そういう「希望」の言葉を残す。
 あとの人に残す、というのなら——私はそういうものを残せるようになりたいな。
 自分の存在がどうこうということは、やっぱりあんまり考えない。(^^;)
 
 でもって、ちょっと問題になるのは、この小高い場所なんですが。
 これ、加齢をすれば全員が登れる、というわけではないんですね。どうやら。

 私としてはせっかくこうして生きているので、ちょっとはそういう、全体を見渡せるような場所へいきたいなと思うんですけど——どうなんですかね。(^^;)

 世間には、若い人を悪く言うものがいっぱいありますが。
 面白いことに、私個人は、いまの若い人ってすごいじゃん、と思うことのほうが多いです。
 じっさい、なんだかいつのまにか、こちらのほうがお世話になっていたりして;;
(それはそれでどうなのか;;)

 人を悪く思っていると、悪い面ばかりが目につく、とか、そういう関係なんでしょうかねえ。
 私はむしろ、いまのオトナどものほうに、箸にも棒にもかからないのを見る機会が多いように思うんですけど。

 私は、小松左京さんの「遺言」を聞いたときは胸が震えました。
 阪神淡路大震災のあと、うつ病を患った、という経験があるひとが(御大は大阪在住でした)、大丈夫というのだから、きっと大丈夫、と。

 九死に一生という目にあい、被災しながら、「また再建すればいいんだよ」という90歳超の男性の言葉に、思わず泣いてしまいつつ、それまで瘧(おこり)みたいに体の芯にあった震えが、ふと楽になりました。
(薬を飲んでも1日、不整脈が治らなかったときのアレです。怯えと震え)
(本質的にはすんげえビビリなんで私)

 山に登ると、山頂からは下界のようすがよくわかる。
 でも、下界からは頂上のようすは見えないもの。

 山頂から、もう大丈夫と知らせてくれたものを、確かに私は頂戴(ちょうだい)したのだと思います。
 
 もしも。
 あとの人に残せるものがあるなら、あのとき頂戴したものを、私も残していきたい。
 
 残すということに意味を見るとするなら、私の場合はそんな感じかなあ。

 個人の業績みたいなことに関心がないのは、もとから、そんな業績を残せるような人間ではないからかもしれません。
 ま、それはそれで、妥当ってやつで、いいんじゃないかな。(^^;)

  
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11:00  |  身辺雑記2014  |  EDIT  |  Top↑

2014.08.30 (Sat)

あなたのために

 その昔の伝説的人気ドラマ、「3年B組 金八先生」では、まあいろいろの名言(名台詞)も誕生したようです。
 ようです、というのは、私はもろにそこらへんリアルタイム世代のうちに入りますが(というか……あれもけっこうご長寿番組だったしな…)、私自身はほとんど見ていないので、詳しいことは存じません。

 まったく見ていないこともない、というのは再放送を見ているから。
 自分はもうとっくに中学卒業しましたというような年齢になったときに、ちらりちらりと見た程度。

 そういうなかで、へー、と思って印象深かったのが「I love you」のお話。

 江戸時代から一気呵成の近代化を支えたもののひとつに、あのすんばらしい訳語があります。
 政治、経済、議会、憲法、その他諸々、日本語にはなかった外国語の概念を、ものの見事に漢字の言葉に訳していった。
 私はこの点だけは、本当に明治時代の人ってすごかった、と、すなおに尊敬しております。(ほかのことについては、まあね.……アレなんですけど)
 
 そういうなかで、「I love you」が、初めて日本語に訳されたとき、どうなったか?

 ウソか本当かは私は存じませんがともあれ、金八先生がおっしゃるには、
「I love you を、『あなたのためなら私は死んでもいい』と訳した」
 とのことでした。

 なるほど、面白いなと思ったので覚えております。

 愛してる、なんていうのは日本語ではない。こんなことをいう男はろくなものではない——という、これは現代の方のご意見を拝見して、あーなるほどねー、と思ったもんで、思い出しました。

 そうそう。誰だったかな。愛してるなんていえたもんではないし、言われたとしてもどうも気持ち悪い——と言っていたのは。
 じゃあ、いう必要があるときには、なんて言うわけ? というと、ま、たいてい、ごにょごにょいうばかりで返事がかえってこないんです(笑)
 少なくとも私の周囲では、この件については男女問わず、同じ現象が見られます(笑)

 外国語から日本語に翻訳され、いまや日本語として当たり前に定着しているものが数限りなくあるというのに、この「愛してる」だけは、いまだに「外国語」扱い、というところが面白い。
 日本人には消化ができない「概念」なんでしょうね(笑)

 それを考えると、「あなたのためなら私は死んでもいい」とは、みごとな訳だった——のではないかと思います。
 翻訳は、ようは「意味」を拾い、他の言語に変換することですが、それは単なる言葉の置換ではないんですよね。
 どういう「意味」なのか、どんな「概念」なのか、そこになにが「イメージ」されているのか。

 そういうものを拾って、他の言語に直す。

 直訳しているとかえって意味不明ということがあるのは、だからですね。
 問題は言葉ではなくて、そこにどんな思いや、考えや、感情や、思い描くものがあるか——それを拾って表現し直すこと。

 愛している、は、いまだに「外国語」だというのは、わかる気がする。
 言葉だけは日本語であっても、「意味するところ」「その概念」「その感情」は、あくまでも、「輸入もの」なんですね。(^^;)

 そういうなかで、「あなたのためなら死んでもいい」は、なるほど、日本人が思いのたけをこめて言うとしたら、そんな表現になるだろうし、言われたほうも、気持ち悪いということはあるまい——と思いました。
(思いを受け入れるかどうかはともかく、言葉そのものが気持ち悪い、ということはないだろう)

 とはいえ。
 わりとアチラの方は深い意味もなく I love you とおっしゃるわけなので、「死んでもいい」の訳語は、どこででも使えるものではないでしょうねえ。

 あと、私がこれを聞いたときに思ったのは、なるほど日本人としてはたしかにこっちのほうが抵抗はないだろうな、とは思いつつも。
 なーんかこう、「ちょっとチガウ」感がありました。

 なんだかザリザリした感触で、なにについて違和感を感じているのかとけっこう長い間、気になっておりましたが。

 あれだ——「死んでもいい」が、それはどうなのか、だったんですね。

 死というのはたしかに重いもの。でも、愛情を示すのに、死んでどうすんの? という気持ちになる。

 この世は生きていてこそなんぼでございましょう。
 あなたのためなら死ねる、とかいって、死なれちゃったら話はそれで終わっちゃうじゃないのよ。

 死んでもいい、は、気持ちはよくわかるけれども、ナンカチガウ、と思い続けておりまして。
 で、ある日、そうか、これ、裏返せばいいんだ。——と。
 どっちが表か裏かはともかく。

 あなたのためなら死んでもいい、ではなく。
 
 あなたのために、生きていく。

 死なれちゃったらそこで終わりですよ。あのそそっかしい思春期カップル、ロミオとジュリエットになっちゃいます。

 どうせだったら、しっかり元気に長生きしてくれ。
 この世の華も生きていてこそ。

 …………と、思ったんですが。

 あなたのために生きていきますといわれると、これはこれで、こう——下手をするとべったり依存型になりそうな印象もあるわけで、………どうもねえ……。
 いえ、まあ、依存ではなくて、ちゃんと生活していればいいだけなんだけど。

 あれですかね——やはり I love you は、日本人には、どうあっても馴染まないってことなんですかね?
 そういう思いが、私どもの胸にないわけではないんでしょうに——おかしなもんですねえ。(^^;)

 私が見聞きした中で、これはすごい、とぞっくりきたのは、夏目漱石のアレです。アレ。「それから」。

『僕の存在にはあなたが必要だ。どうしても必要だ。
 僕はあなたにそれを承知してもらいたいのです。
 承知して下さい』



 もうそれまでボケてボケてボケて、どうしようもなかった主人公が、衝撃の告白をするこれが、いまだに、私の中では最高のセリフとなっております。
 まして当時には「姦通罪」というものがありましたからねえ……。
(お相手の三千代さんは人妻です)
 昨今のお気楽な不倫小説とはわけが違う。
 これほどに真摯でありながら、直接の言葉をつかわない、こうもみごとなセリフはありません。

 このセリフの破壊力の凄まじさは、これだけを抜粋してもダメなんで、やはり最初から読んでみてほしいと思います。すっげえ退屈ではありますがね。(^^;)
 もう動く気もなかった、高等遊民などと気取っているけど死んだも同然だったヤツが、こういうところに行きつく。
 ラストシーンまでの退屈さに耐えられたものだけが、あの衝撃を味わうわけですね。

 うーん。やはり、問題は言葉じゃないところにある………のかな。

 
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11:40  |  身辺雑記2014  |  EDIT  |  Top↑

2014.08.29 (Fri)

そこに宿る光

 自分の父親がこの病気だったということから、ま、ちょっと思うこともあります。

【アイスバケツチャレンジ事故】飛行機から大量の水を男性の頭上に放水 → 男性は病院直行
2014年8月28日 ロケットニュース24
http://rocketnews24.com/2014/08/28/481080/

 ついにこの記事では、ALSのAの字もありませんな。(--;)
 完全に、本来の目的、意義、始められた理由を——みんな忘れてんでしょ?;;

 チャリティ自体はいいことだと思うんですが、なんでこんな馬鹿騒ぎになったんですかね、この話。

 ALS、筋萎縮側索硬化症。
 進行を遅らせる薬さえない病気です。

 私の父は2008年頃にその診断を受けまして、そのときに72歳でした。
 いわゆる好発年齢を大きく外していたので、お医者様にはちょっと珍しいといわれましたが。(^^;)

 父の場合は前頭葉萎縮をともなうタイプで、一言でALSといっても、やはり人によって、症状やタイプは異なります。
 iPS細胞が登場したときは、父も、早いところこれが活用されるといいなと申しておりました。
 とはいえ、それは20年先になるか30年さきか。

 この病気の好発年齢は30〜50歳代と聞きました。
 うちの父は、高齢ということもあったでしょうか、進行が早く、正式に診断を受けてから1年ちょっとで物故いたしまして、ある意味——「楽」だったと思います。私などは、苦労らしい苦労もしなかったと思います。
 若いときに発症した方、ご家族のご苦労を思いますと、胸が詰まります。

 私としてはこの病気の——せめて進行を止める方法や薬が確立されることをなによりも願いますが(治らなくてもいい。進行がとまるだけでぜんぜん違う。何度も何度もそう思った)、——たぶん、そういうことの研究費援助をふくめての支援てことですよねこれ?

 正直なところ、氷水をかぶるのと支援となんの関係があるんだと思いましたけどね最初は。(^^;)
 キモはむしろ、チャレンジした人が次の人を2、3人指名する、というシステムにあるんですねたぶん。
 それで、世に広く知らしめよう、と。——なるほど。

 ただ、私から見るとALSはむしろ、難病の中では有名なほうで、世の中にはもっと、ぜんぜん人に知られていない難病があるわけなので、……どういえばいいのかな…、ALSにとどまらず、いろんな病気があることを、もうちょっと効率よく知らせていく方法はないものだろうかと思いました。

 馬鹿騒ぎであることには(もはや)違いはないけれども、どうせこれだけの人が注目しているというのなら、難病指定されているものだけでも、いろいろ知らせていいんじゃないだろうか。

 とはいえ——先日も報道がありましたが、日本においては来年1月から、援助が認められる国が指定する難病が、約110疾患あるというのですから。
 世の中にはいろんな病気があるとは、頭ではわかっているつもりでも、こうしてあらためて話を聞くと、気が遠くなりますねえ;;

 しかもおそらく、難病指定を受けられていないものもあるわけで。

 こうしてみると、難しい病気にならずにいるとしたら、それはもう奇跡と言っていいことなんだなと思えてきますね。

 自分もまた、いつそういう疾患にかかるかわからない、これはすべて「他人事ではない」ということを感じてもらえれば、この馬鹿騒ぎにも充分な意義があるといえるのではないでしょうか。
 寄付をするとかしないとかよりも、「ひとごとではない」ことを、「知って」もらう。
 そっちのほうが、大事なことのように思います。

 バケツチャレンジの話はそういうことで。

 ——父が病気をするなかで、私がひとつ不思議に思ったのは。
 父の場合は前頭葉萎縮をともなうものだったので、そうではない人に比べると、ちょっと痴呆みたいな感じになったんですね。
 そのために、父の場合は、苦しいとかつらいとかを本人が「思い悩む」ことが、「浅い」状態ですんだようにも思います。

 いまもときどき思い出して、人間の意識って不思議だなーと思うのは。

 まあそういうわけで、最期のころにはもう、ベッドの上でぼーっと目を見開いているだけという感じになりました。
 ある日、私が病室へ入っていくと、父は顔をこちらに向けて、ぼーっとしていました。
 母が、
「お父さん。これ、誰かわかる?」
 と聞きました。
 あたしゃ「これ」扱いですかい、と思ったんですが、そのとき父は私の顔をちらっと見て、
「わかるよ。——(みずはらの本名)じゃないか」
 と、何を当たり前のことを聞くのだという調子で答えました。

 それまでは瞳のいろさえ灰色に濁って見えたのに、こちらを見、ごくふつうに答えたときには、健康な人のそれと同じように、目に力があり、光が差しました。

 目は心の窓、という言い方もありますが。
 あれは不思議だったなー。目に力がある、目に光がある、というのは、どこでどう、影響してくるものなんでしょうか。

 人間そっくりにつくったロボット、アンドロイドもいま、あれこれ見ますが、あの「目の光」だけは、やはり生身の人間にしか、宿らないもののようです。
 外見は人間そっくりなのに不気味と感じる理由は、あの目に宿る光がないからではないでしょうか。

 目に力がある、光があると感じるのも、ちょっと言葉では説明しきれないしなー。
 あれって科学的に説明できるんですかね?
 なんだかぼやーっとしている目と、意識もはっきり気力も横溢というときの、あの違いを。

 いまのところ、目の表情を見たときに感じることって主観でしかないように思えるのですが——科学的に説明できますかね? 客観的に——物理的な現象として?

 あの目に、すっといつも通りの光が差すのを見たときの、言いも言われぬ不思議さは。
 そこに命の有る無しの違いを、ことさらに示していたように思えて——思い出すたび、あの目の表情はどこからくるんだろう、光はどこからくるんだろう、と。
 そんなふうに思います。

 
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11:19  |  身辺雑記2014  |  EDIT  |  Top↑

2014.08.28 (Thu)

人差し指にリング

 今年の春からなんとなく、右手の人差し指に指輪をしています。

 石があるものではなく、エタニティタイプです。

 深い考えがあったわけではなく、ただなんとなく、人差し指にリングをしてみようかと思っただけなんですが。
 これが意外に——効いているというかハマっているというか。

 怖じ気づいたとき、怖じ気づきそうなとき、気合いを入れる意味でここにリングをつけるとなんとなく——体の芯でゆらゆら揺らいでいたものが、ぴしっと収まるという感じ。
 びよんびよんと動いていたものがぴたりと静かになる。落ち着く。

 不思議な感じです。

 鰯の頭も信心からの口じゃないのかとも思われますが、じつのところ、ほかの指ではなんの効果もしくは影響も感じたことはない。
 人差し指につけようかと思ったのも、不思議と言えば不思議だし。
 まったく突然、脳内でひらめいた思いつきでしたからねえ……。
 なぜそんなことを思いついたのかがわからない。

 まあ、イワシの頭でも何でも、だらしなく揺らいでいるよりはいい。

 ちなみに。
 指輪をつけるにあたり、右手人差し指はかまいませんが、左手は避けたほうがいい、という話も聞きました。
 どこらへんの、いつの時代の伝承かは存じませんが、左手人差し指のリングは、男性とのご縁を結ぶという意味があったとか。
 そこから転じて、結局、くろうとの女性が左手人差し指にリングをつけるようになったんだそうですね。
 まあそりゃ営業だ。とくに水商売では縁起をかつぐことが多いですしね。

 ようは、日本における、「茶柱が立つと縁起がいい」みたいな話なんだなと思いました。どこの国でも変わりませんねこのへんは。(^^;)
(そういうわけなので、茶柱が立ったとしても、一般市民には関係のない現象なんですよね。遊女たちの伝承がなんで一般市民に、縁起がいいこととして広まったのかはナゾ)
(縁起がいいのは遊女なればこそなのに)

 そういう事情から、もう最初の伝承の意味は完全にはき違えられ、「左手人差し指のリング=玄人の女性」、もしくは「男を誘っている女」の意味になったそうな。………ひどい転化だね。
 そのため、現在でも、古い世代の方の中には、女性が左手人差し指にリング、なんてのをみると、露骨にいやーな顔をする人もある。らしい。

 日本ではあんまり関係ないでしょうが、いらぬ誤解を招く(可能性もある)のも本意ではない。
 ということで、私は右手人差し指につけています。
 
 ほかの指ではとくになんの効果とも感じたことはないのに、ふと直感で、つけてみようかと思ったというあたり、私にとっては、なにかのサインだったのかもしれませんね。
 ゆえに、私がそうだからといって、他の人にも同様であるとは申せません。

 余談ながら。

 指輪は例によってネット通販で購入しましたが、そうしたら、あの履歴を参考にして広告を表示するという、まったくプライバシーもクソもあったもんじゃないなというシステムのおかげで、リング購入後、しばらくのあいだ、婚約・結婚指輪の広告が表示されるようになったのにはちょっと参りましたわ;;
 ………なんの嫌がらせだ

 とは思いつつ、まあ、せっかくなので、いろいろのぞいてきました。
 やっぱり、いいなと思うもののお値段はそれなりでしたねえ……。(^^;)

 ブランドとか流行とかぜんぜん知らないんですけど、それでも、あ、これいいな、と思うものはある。
 で、値段を見ると、やはり他より飛び抜けていたりして——そりゃまあ、そういうものなんでしょうね。伊達や酔狂でついてるものではありませんよね価格って;;
 
 
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15:36  |  身辺雑記2014  |  EDIT  |  Top↑

2014.08.27 (Wed)

猫たちの凝視

 仏教には「自灯明(じとうみょう)」という言葉があるんでした。
 例によって、本当にお釈迦様ご本人がいったことかはわかりませんが、いちおう、自灯明、法灯明ということでセットになって言われる言葉です。

 自分というものをこそ灯火(ともしび)の光として、闇を照らしていけ、ということですね。
 灯明というたとえ以外にも、とにかく、自分自身、おのれをこそ拠り所とせよというのは、もう何度も説いていらっしゃるので、お釈迦様のお言葉と考えてよろしいでしょう。

 自分を拠り所とする、ということの「意味」が、最近、ようやくわかってきた気がします。
 その場合の自分というのは、この情けないエゴのことではないんですね。なるほど、そうか——と、やっとおぼろげに見えてきたところなので、まだ、この感覚なり考えなりを、言葉に「翻訳」して話すことはできませんが、まあそのうち。おいおい。

 ともあれ——この自灯明、という言葉をぽつりと思い出して、ああ、そうそう、と思った瞬間。
 例によって脳内には「Be the Light」が流れ始めましたよ;; そういう意味じゃないはずなんだが;;(たぶん)

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 なんにしてもディラン効果——仕事中はホントやめて;; 頼むからやめて;;

 などと言っておりますと、アンタもワンオクワンオクってうるさいよと言われるかもしれませんが。
 対象が漫画でも小説でも音楽でも何でも、このハマって半年から1年というのが、いっちばん楽しい時期なので、なにとぞお許しくださいませ。

 この熱病状態については、記憶する限りでは、中学2年のとき、平家物語「敦盛最期」に死ぬほど萌えたのがいちばん最初の記憶だと思います。
 当時はこういう状態に、免疫(?)も知識も経験値もなかったので、自分がどうにかなったのかと心配するほどでした…。懐かしい……。

 いまはそのメカニズムやら「目安となる期間」もわかっているので、安定していられます。(安定してますと言ってこの程度)
 経験値って、大事ですよね。(^^;)

        ●

 友人の坊ちゃんがまだ2歳そこそこくらいのころ。

 遊びにいったら、ネコがいまして。
 あれネコを飼ったのといったらば、近所の家から「出張」してくるんだとのことでした。
 ベビーシッターのつもりだった……のかな。(^^;)

 そのとき、友人はふと真顔になり、
「ネコって人間には見えないものが見えるっていうじゃん?」
「言うね」
「ときどきね、この子が急に静かにおとなしくなって、じーっと壁の一カ所をみて動かないってことがあるのね」
「ふんふん」
「で、こないだ気がついたら、このネコが、まったく同じように、同じところをじーっと見てんのよ」
 と言って、彼女はちょっと体をすくめ、
「あれってさあ、もしかして」
「ああ——うん、そうね」
 べつに珍しくもなかろう、と、私も申しました。
「そりゃなんかいたんだわ」
「やっぱり?!」
 と、ぞっとしたらしく叫んだ友人には、
「いーじゃんべつに。じっと見てるだけでしょ? 泣いたりしないでしょ?」
「うんまあ…」
「だったら害はないものなんだよ。ほっとけばいいって」

(ここでヘンリー・ジェイムズ「ねじの回転」を思い出してはいけない;;)

 ネコが攻撃姿勢をとったり、坊ちゃんが怯えて泣くようだったら、それはさすがに気になりますが、そうではなく、じーっと見ているだけなら、害はないでしょう。

 うちにいるネコもときどき、同じところを数匹でじーっと見ていたりしますが、とくに連中が騒がないかぎりは、私も気にしません。
 なんかいるんだろうなと思うだけです。(……なんかって)

 むしろ私としては——連中が部屋の隅で、耳を前傾させヒゲをふるわせたり、身を低くしてしっぽをゆらゆら左右に振っているのを見たときのほうが、ぎゃー!! と思います。
「イヤな予感」で全身そそけだちます。おおげさではなく本当に。

 なぜと申しますに、そういうときは必ず、ネコの視線の先には、ゴキブリやクモ(しかもアシダカグモ)がいるからです。

 それがもう弱ってあんまり動かない状態になっているなら(まだ)いいんですが、まだまだ元気で、ネコの包囲網をかいくぐってこちらへ逃げてこようものなら……。
 なぜか秋も近づくとゴキブリって飛ぶし!

 ぎゃー!!(絶叫)

 …………夏の夜はこれがいちばんの恐怖です(大泣)

 ああいうのに比べたら、子供といっしょにじっと壁を見ているぐらいなんだよ。屁でもないよ。なんの害もないじゃん。

 と申しましたら、不平そうに、
「えー、でも気持ち悪いじゃん」
「どうしても気になるならお札でも貼っとけ」
「効果ある?」
「あるものもある」
 
 さすがにあきれたような顔をしていましたが、……いーじゃんか効果があるお札があれば。ゴキブリよけとかクモよけに効くお札なんかないんだよ? あれば欲しいよ本気で。

 やはり、ネコの凝視の恐怖も、私には、現実的な存在のほうが上です…。
 
 
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12:01  |  身辺雑記2014  |  EDIT  |  Top↑

2014.08.26 (Tue)

彼岸

「女性が、男性と同じように仕事をするのは、ずるいと思う」
 そう話した、おのこが昔、おりました。

 ——ずるいとはどういう意味か?

「女の人は子供を生むでしょ。自分の『なにか』をちゃんと残せるんじゃない。男はそれがないから仕事して、自分なりの何かを、ちょっとでもいいから残そうとする」
「なのに、子供も生んで、仕事もして、って——そりゃずるいよ」

 もうツッコミどころ満載ってやつですが、まあそれは置いといて、それを聞いた私が思ったのは、
「ときどき、こういうことを言う人って、いるな」
 でした。
 つまり、自分という存在の「なにか」——自分がいたことの記憶や痕跡や意義を残したいという願望を語る人。

 駄菓子菓子。(©那州雪絵)
 私はそういうこと(残すとか残さないとか)にはいっさい興味がないので、なんとも返事のしようがない。
 あんたの言うことはわからないこともないが、そういう意味でなら、他人のことなんかどうだっていいねハッキリ言って。

 ………といった会話をしたことがあるのを、例によってONE OK ROCKの曲——「Deeper Deeper」の間奏セリフを聞いて思い出しましたよ。
 若いなにかに接触すると、若かった日のあれこれが触発されて出てくるなあ。(^^;)


Deeper Deeper/Nothing HelpsDeeper Deeper/Nothing Helps
(2013/01/09)
ONE OK ROCK

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 そのセリフにいわく、
誰かの記憶に残るような人生をおすすめします
 それまでは、ワンオクの、何を聞いても読んでも、うんうんハイハイと言っておりましたが、このセリフが耳に入ってきたときだけは、
大きなお世話です」
 と、ひとりごとが出ました。(^^;)

 自分の命を燃焼させた結果、人の記憶に(思わず)残ることはあると思うけれど、人の記憶に残るような人生にしよう、というのなら、本末転倒じゃないかな。



 少女漫画の金字塔、萩尾望都さんの「トーマの心臓」でも、人の「2度目の死」について、トーマが語っていますね。
 人には2度、死が訪れる。
 まず自己の死。
 そうして、人から忘れ去られる、という死。

トーマの心臓 (小学館文庫)トーマの心臓 (小学館文庫)
(2014/08/25)
萩尾望都

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 私は怖い話大好き、世界観は輪廻転生が議論の前提、という人間でありながら、どうもこのあたりがへんにドライというか現実的で、誰かに覚えてもらえていたとしても、その人だっていつかはお亡くなりになるんだから、同じことじゃないの? としか思わない。
 ——散る桜 残る桜も 散る桜

 ということで、たまにこうやって——自分が生きた証がどうこうとか、そういうことをおっしゃる方にぶつかったり——ドラマや小説でもお見かけしたりしますが、私にはピンと来ません。

 ただ、多くの人の目と心に自分というものを焼き付けておきたいという「野望」が、この世の中で生きる上での、起爆剤や推進力になる——つまりは、バイタリティになる。そういうことはあるようだ。——とは思って眺めております。

 あとに残すも何も、それが実現できても太陽系の寿命はあと50億年だそうだし。
 最後には超新星とともに無間地獄の宇宙に還るわけですから、同じことじゃないの、と思うんですが。
 ——時間の概念が長過ぎますかね。(^^;)

 そうやって、自分の人生の痕跡を残すとか残さないとか、そこにこだわる人というのは私の目には、
「ずいぶん余裕があるんだな」
 と、見えます。

 なにしろこっちは毎日自分が呼吸するだけで精一杯、という状態なもんですから、ひとさまにどう思ってほしいとか思わせようとか、考える余裕もない。
 水辺で溺れて、必死になって足掻いているときは、生きるか死ぬか、それだけでしょ。
 たぶん私はそんな感じ。

 人間には格というものがある。
 格差とやらを否定したがる人がいるけれども、あるものはあるんだからしょうがない。

 で、そうやって、水辺で溺れかかっているところからなんとか生き残ろうとしている人と、岸に上がってすでにいろいろと、好きなことをやっている人とでは、思うこと、考えることが異なるのは当たり前。

 ということで、私がひとつ危惧することがあるとすれば、そういう——すでに岸に上がってひとさまからの喝采を浴びる人を見て、自分はああではないからダメだ、自分もああなるべきだ、という、そういう考えに取り憑かれる人があるのではないかということ。

 溺れかけているのをなんとか泳いで岸に近づいているのなら、それだけでもう立派なことですからね。
 溺れつつも沈まないでいるのだって、たいへんなパワーがいることでしょ。

 人はそれぞれ、自分がやるべきことをやっている。

 自己実現がどうたらという話は、ずいぶんカッコイイものに思えて、そうあるべきだ、そうならなければ、と、思ってしまうかもしれませんが。
 でも、それがいま、自分に必要なことなのかどうか。

 溺れかけているのに、つかまるものを探したり、手足を動かしたりするのををやめたら、水に流されて死んじゃいます。溺れかけのときはそんな「かっこいい」ことは考えなくていい。

 私もそこのあたりが、ちょっと気になっている昨今です。

 もちろん、岸に上がってすでにあれこれ頑張っている人も、応援しますよ。それだってその人にはいろんなチャレンジの連続でしょう。
 カッコイイことは、その背後には、かっこよさの100倍くらいのカッコ悪さがあるものではありませんか。そこにチャレンジの甲斐を見る人もあるでしょう。
 自分の足跡を確かに残すことが人生のテーマと言う方も大勢いらっしゃる。そういう人もいてくれないと、この世の中の華というものがなくなる。応援します。

 ただ。
 世の中は、こうあるべき、そうあるべき、ではなくて、それぞれの人が、それぞれに必要なことをしているのだ、と。
 それを静かに尊重できる世の中になってくれるといいな——そう思います。

 私はそれでも、ようやく、溺れていた流れから、どうにか自分の足先が底について、立てるとはいわないが溺れる状態でもないようなところに、流れ着いてきたという感じでしょうかね。(^^;)

 まあ、世の中にはこういう、カッコイイことを言う人がけっこういるし、じっさいカッコよかったりするから、うわーっと感動して憧れて、自分も、と、気持ちがそっちに「持っていかれる」のもわかるんだけど。
 でも、現実は、人それぞれですよ、と。
 あえて冷や水をぶっかける(『浴びせる』んじゃなくてぶっかける、か……)つもりで、言ってみたり。(^^;)

 他人を見るより、自分を見ることが先だと思います、あくまでも。

 そうやって自己を確かなものにできたら、いつか、あんなふうに——あのカッコイイ人たちのように、言うことも自然に変わってくるのかもしれません。

 でも、いまの自分がそうではないからと言って、へんなふうに落胆しないでもらいたい。

 自分は自分のやるべきことをやっているのか。
 たとえそれが、必死に水の中で足掻くことであっても。

 ちゃんとやっている、というのなら、それでいい。
 いつかは岸にたどり着く。
 大丈夫。

 ——溺れる人の、自己の揺らぎのあやうさには私も身に覚えがあるだけに、ちょっとハラハラしてみたり。(^^ゞ

 
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10:49  |  身辺雑記2014  |  EDIT  |  Top↑

2014.08.25 (Mon)

ダイ・ハード

 震災のときと同じ症状に見舞われ中。

土砂災害の死者50人に 捜索は雨で中断
2014年8月24日 10時04分 NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140824/k10014034981000.html

 気のせいかと思ったんですが……被災地のようすをニュースで見ていたらにわかに私も不整脈が。
 あのときもそうでした——震災の翌日、不整脈が出て丸1日、おさまらなかった。

 今回も、映像を見ているだけで息苦しくなり、胸の辺りがぎゅーっと痛いような感じがして脈が;;

 あ、これマズイと思ってすぐにテレビは消したんですけども。
 ………どうも情緒不安定なんですかね。
 新聞の写真を見てもいきなり涙が出てくるし。

 申し訳ないが、震災のときと違って、今は本当に私が倒れるわけにはいかないので、こういうニュース等、シャットアウトすることにいたしました。

 私にできるのは募金に協力することくらい。(T_T)
 いずれにしても今回は、とにかくいまだに雨がやまず、捜索も妨害されている状態とのことで、胸が痛みます。(比喩でなしに)

 冷夏予想もあった今年ですが、ある意味、当たったのかもしれません。
 まともな夏がない。

 梅雨は明けても、台風がくるし、台風がいったかと思ったら、戻り梅雨なのか秋雨前線なのか、とにかく列島にべったりとストーカーのように前線が張り付いている。
 すかっとした夏らしい朝なんて、軽く1ヶ月は記憶にありません。
 今年は、夏らしい夏というものが、結局なかったんじゃないでしょうか。

 もう、台風でも戻り梅雨でもなんでもいいから、前線と低気圧には早いところ出て行ってもらいたい。

 ということで、今日のところは私も事実上、身を守っておやすみいたします。m(_ _)m
 なんかもう、愚痴だけになっていてすみません;;

 本当に——体力的にも精神、神経面でも、殺しても死なないだろうと言われるくらいの、頑丈な人間になりたい。(切実)

 
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10:37  |  身辺雑記2014  |  EDIT  |  Top↑

2014.08.24 (Sun)

時のギフト

 なんだかもう、途中ですっかり頭から抜けていたのに気がついて、急いで注文しました。
 ただいま、玄関の式台に、正座して三つ指ついている、くらいの気持ちで、到着を待っております。

小田日和小田日和
(2014/07/02)
小田和正

商品詳細を見る


 小田さんの公式サイトで、アルバムができるまでの「七転八倒」映像を楽しみに見ていたというのに、——町内の葬式が立て続けに重なった時期から、もう、私の脳味噌容量からオーバーフローして、ほぼ、忘れておりました。
 なんてこったい。(T_T)

 それにしても。
 小学校6年生もそろそろ終わり、というころに、小田さんの——当時はオフコースですが、あの「さよなら」で魂を抜かれて以来、もう30数年がたったんだなーと思うと、ひじょーに感慨深いものがあります。

 ………30年超かあ……。

 WOWOWで放映された、去年のライブの映像を見ていたときも、もう、なんともいえない、幸せ〜な気持ちになりましたね。
 小学生が立派な(?)中年女になっても、小田さんはまだこうして、——いえ、当時よりも遥かに「大きく」なって、その音楽を示してくれているということに。

 来(こ)し方(かた)を振り返ると——小田さんも変わったなーとしみじみ思うのです。

 私がオフコースというものにどっぷりハマったときは、オフコースもプロデビューからすでに10年ちょっとが経っていたので、ある程度、そのバンドとしての個性といったものが、できあがっていたと思います。
 当時の、オフコースの評判というのは、なんといっても、その音楽の組み立ての精密さ、そしてコーラスの美しさでした。

 ……と同時に、これはもう絶対的に言われたのは、
「暗い」

 私もさんざん馬鹿にされましたけどねえ。オフコースだってさ、あんな暗いの好きなの、と。

 しかし、彼らが暗いと評するものは、私には「美しい」ものだったので、話になりません。
 ゆえに、私はなにも話しませんでした。
(話すとケンカになるんで)

 当時のライブでは、
「こんばんは、オフコースです」
 と挨拶し、メンバーを紹介し——あとはもう、なにもしゃべらない(笑)
 ホントに一言も(笑)

 事実上MCなしでしたが、でも、聴衆は盛り上がってました。こちとら漫談を聞きにきてんじゃない。オフコースの音楽を聴きにきてんだから、と。

 それがまああなた——「クリスマスの約束」「月曜組曲」はたまた、昨今のコンサートのようすを見た方ならお分かりでしょうが、いまや、あのしゃべりようですからねえ。
 変われば変わるもんだな、と、たまに本気で——昔を思い出すと「だまされていた」ような気持ちになることがあるほどです。(^^;)

 でも、それはファンにしたら嬉しい変化。
 音楽というより、小田さんの人間としての成長というか成熟というか、そんなところを、見るのは楽しい。

 音楽としても。
 いやはや、客層がすごいですもん(笑) 昔からのファンはそのまま居続け、その子供、最近では孫もくるわけで。
 親子三代でコンサートで楽しそうにしている、という方々もいます。
 昔には男性客の姿は少なかったのですが、最近は、けっこうお見かけしますね。

 小学生から70歳代までは確実にいますね。で、男女比も、だいぶ、差がなくなってきている感じだし。

 若い頃の、暗いと言われたアレも、私は好きでしたし、いまでも好きですし、記憶としても楽しいものですが、現在の、やわらかくてあたたかな、なめらかな球体のような雰囲気も、しみじみ、嬉しくなります。

 これは「時間」がくれた豊かさだな。と。
 そう思います。

 30年、40年と、続けること自体がたいへんなこと。
 その年数の間に、音楽を作る人にも、聞く人にも、いろんなことがありました。
 私なんぞは、本来ならば、15年ばかりまえに、すでにこの世からおさらばしていたはずなので。
 …………しみじみ、この点については生きててよかったなーと思いますもんね。
 
 生を与えるものと、それを奪って死へ導くものは、じつは同じものなのだけれども、くるときは異なる姿でやってくる——とは、岡野玲子さん「陰陽師」に登場したセリフですが。
 じっさいあのとき、私の頭上を、「奪うもの」が通り過ぎていったはずなんだけど、なんでかまだ生きてんだよな。

 本当ならいまごろはもう楽になっていたはずなのにと思うと、複雑な気持ちにもなるんですが、しかし、そんな気持ちも、小田さんの声を耳にすると雲散霧消、ああ生きててよかったと思う程度のもんです。(^^;)

 時間がもたらす豊かさ。

 それをこうして見せてもらえて聞かせてもらえる、ということは、ありがたい、幸せなことだなと。
 思います。

 なんでこんなことを書いているかというと。
 ——ONE OK ROCKのこれからの「時間」について、つい、考えていたからです。(^^;)

 小田さんは、私より20歳(と、ちょっと)上。
 ワンオクの皆様は、私のおおむね20歳下。

「上」を見て「下」をみると、自分がちょっと面白い時点にいる、という気がしたんですよね。

 まあ、私がワンオクのみなさまの30年後を見るかどうかはビミョーだなと思いますが。(^^;)
(平均寿命はあくまで平均なんであって、全員がそこまでいけるというわけではない)

 なにがあるにせよ、これからの時間が、あの方々に、豊かに流れ込んでいきますように。

 そんなこともひそかに願いつつ。
 小田さんのCD到着を玄関先で待ってます(笑)
 
 
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2014.08.23 (Sat)

美容体重

 本日は「処暑」です。
 暑さも一段落する時期、ということですね。

 私は暑さよりも、この異常なまでの湿度をどうにかしてほしいです。(^^;)
 おかげさまで体重は順調に減ってて、この1ヶ月で2kg減りましたわ…;

 それまでも、ちょっと下目の標準体重で問題なかったのですが、そこから2kg減ったので、そろそろ「美容体重」とやらに近づいています。
 これ以上減ると、おおむね現在の身長になった思春期の頃から、人生初の最軽量になります。
 体調としてはまったく問題ありません。(今のところ)

 それでも、体重減少はもうこのへんでやめたいかな。
 昔、お医者様には、「ダイエットは1ヶ月で、1.5kg 減が限度。それ以上やせると、脂肪じゃなくて筋肉が落ちたことになって、よろしくない」と言われました。

 1ヶ月で2kg 減か〜。誤差の範囲内だと思いますけど、ちょっと多めかな?

 そういえば以前、男性が考える女性の理想体重を「37kg」としている、というニュースがありましたねえ。
 あんまりばからしいので、見出しを横目でみただけで、中身を読んではいませんが。

 まあ、その人の身長がどれくらいか、というのと、年齢のこともありますが、ひとまず、
 ——37 kg じゃ献血もできねえんだよこのタコ。

日本赤十字社 献血基準
http://www.jrc.or.jp/donation/terms/

 こういうアホな回答を寄せた男というのは、どういう連中なんでしょうね。
 まともな知識を持つ成人男性だとは到底思えませんが。

 まあ過去の経緯から考えて。私が献血できない身になるとは考えられませんけれども。(^^;)
 いまはこうして暑い夏だから、なお悪いんでしょうね。
 動物としては、夏に痩せて冬太るのは自然なことなのだそうで、そういう意味では、働いたぶんだけ痩せるというのは、当たり前と言えば当たり前。
 体調が悪いと太るというタイプなので、この「当たり前」であることは、私にはありがたい。

 ただ、いまは体重が落ちる一方なので、どこらへんでどうすれば下げ止まるのかな……? と、そこのあたりをちょっと気にしております。

       ●



 先だっては、ちょっとキレ気味? と思った為末さんのツイートを拝見したときも意外な思いがしましたが(珍しいな、という意味で)、今回の、糸井重里さんのツイートは……。
 もう私としてはその「ひどいメンション」とやら、見るまでもないから、見ませんけれども。(^^;)

 やっぱりアレですよ……馬鹿とキチガイは声がデカいんですよ。
 うるせーなーもー。というだけですけどね、私としてはもはや。
 まともに相手にする気にならない。

 ただ、ひとつ言えることがあるとすれば。

「いいかげん、ヒマだよねこの人たち」

 小人閑居して不善をなすというが、これを地でいっているところがスゴイ。

 ちなみに、福島は桃のみならず、農産物はなんでも美味しいですよ。
 2011年の秋にお邪魔したときは、ここぞとばかりにお野菜を買い込んで送ってもらいましたが、トマト、白菜、キャベツ、なす、桃、梨にぶどう……おいしかった。
 桃なんてのは高級品ですからね。日頃は手が出せないんですよ私には;;
 逆に言うとそういう憧れのものが、こんなに買いたたき状態じゃダメだと思ってちょっと泣けましたが、——私もあさましい人間なもので、そうは言いつつもやっぱり美味しかったです(←複雑な心境)

 今回も、福島県のお野菜詰め合わせを頂戴しましたが(ありがとうございました!)、いろいろ楽しみすぎる。

 第5福竜丸のときは魚が売れなくなって、曾野綾子先生はここぞとばかりに、ふだんは高いマグロを買い込んでしこたま食べていらしたそうですが。

 私もしこたまとは言うことはできませんが、でも、普段は手が出せない美味しいものを、あれこれいただいてます。

 ありがたい話ではあるのですが、しかし、風評加害者の連中のことを考えると、素直には喜べない。
 
 本当にどうして——世の中って、馬鹿とキチガイは声がデカいんでしょうね?
 私の目には彼らは、人格異常とかなんとかいうより、すでに「人間をやめている」レベルなのですが、人間ではないゆえに、知性も理性も失せ果てて、妖怪と化しているように見えます。

 ………なんていうと、妖怪には「あんなんといっしょにするな」と怒られそうな気もしますが。(^^;)
 妖怪はもっと可愛いもんね。人間より義理堅いところもあるし。

       ●

 昨日のエントリー後半で、昔だったら考えもつかないほど、お下品なことをしていた自分を嘆いたわけですが。
 その話を友人にしましたら(その友人は私がブログをやっていることは知りません)、
「あー。でもさ、疲れてくるとなんか妙に話に下ネタの比率が増えない?」
「……え、…そ、それは……私のクセとして?」
「いや。世間一般論で」
「一般論か〜(露骨に安心)。…うん、………そうだよね! 疲れてくると下ネタがちょっと多くなったりキツくなったりするよね誰でも!」
 と申しましたら、私の安堵っぷりで逆に引いたのか、
「……誰でも、ってこともないかな……」
 と言われました……。どっちよ……。

  
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10:30  |  身辺雑記2014  |  EDIT  |  Top↑

2014.08.22 (Fri)

境界線というより、輪郭



 今日は時間がないのであっさりめで。
 上記のツイート、「他人が他人ということがわからない」というところ、うんうんとうなずいてしまいました。
 でも面白いことに、本当にそうやって、過剰に他人の人生に口出ししている人って、こういう言い方をされても理解しないんですね。
 
 理解できる能力がないのかそれとも、理解「したくない」という意識が、無意識レベルでうごめいているからなのか。

 結局、他人に向かってああだこうだと「怒る」というのは、他人を自分の思い通りにしようとしていて、それが実現しないから。
 思い通りにならないからって、癇癪(かんしゃく)を起こす子供。

 でも——当たり前ですけど、他人の思い通りに生きようとする人間なんぞはまず滅多にいない。
 自分だって、他人からあれこれ指図されれば、何を言ってんだといって蹴飛ばすでしょうに——なぜ、言われれば自分だっていやがるようなことを、他人に強要して当たり前ヅラするのだろう。

 この大いなる矛盾に気がつけば、自分が何をしているのか、わかると思うんだけど。
 この手の人は、自分に目隠しをしている。
 見るべきものを見ないように。

 なぜ、他人は自分の思い通りであるべきだと信じるのか。
 ——そのことを、ちゃんと疑問として見つけられるか。
 そこが、ものを考える、いっちばん最初のきっかけかな。

 考える、ということは、結局、なんであの人はああなんだろうというところからでは始まらず、なぜ、自分は、と、自分に目を向けたところから始まるものなんでしょうね。

 なのに、自分は変わらず、他人だけを変えようとする。
 考えてみればずいぶん、無精かつ図々しい話です。
 つい、やりがちですけども。(^^;)

 結局、自己と他人の区別がつかず、他人が自分の思い通りにならないからといってイライラしているけれども、——そのイライラは、相手が悪いのではなくて、「自分が作り出している」のだと、すっとわかると、それだけでも、ずいぶん楽になるんだけどな。

 リスペクト、リスペクトする、と、わりとみんな簡単にいうけど。
 たまに、リスペクトにどんな意味を載せてしゃべってんのかなこの人、と思うことがあります。
 リスペクト、という言葉の意味が、ちょっと違うんじゃないの? と。

 リスペクトとは、相手を、独立した一個の人間だと認めるということじゃないんでしょうか。
 変化するのもしないのも——また、どんな変化をしていくのかも。
 それはその人の裁量。
 他人が、ああしろこうしろ、そうなれこうなれと命令するようなことじゃない。

 他人のことをとやかく言っている場合じゃない、
 まず、自分の姿を見ろ、と。

 そんな、ある意味わかりきったことを言わなきゃならない。
 わかっている人はとっくにわかっているけれど、わからない人は、気づかないまま一生を終わるのかもしれない。

        ●

 ONE OK ROCKに「69」という曲がありまして。

ONE OK ROCK「69」歌詞(歌ネット)
http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=142708

 ああ、若いねえ、いいねえ、と、面白く聞いていたのですが。
(からかっているわけではなく、書き方が若さいっぱいだな、ということであって、内容そのものには異論はございませんで、感服しとります)
(まったく、人間の『格』は肉体の年齢とは関係しないという好例ですね)

 タイトルの「69」は。
「ロック」と読む。

 とわかって、思わず、どひゃー、と声を上げてしまいました。(^^;)

 ご、ごめんなさい、私これ、「ロック」でも「ろくじゅうきゅう」でもなくて、英語で読んでました。——シクスティ・ナイン。

 んー、歌詞のこの内容でなんでこのタイトルなんだろ? と思ってました。素で。
 ——ああ——、オトナってフケツ;;

 ものすごくナチュラルにそう読んでいた、疑いもしなかった、という自分に衝撃を受けてます。

 いつのまにか、こんなことを、なんの違和感も抵抗もなく思うような人間になってしまいました………。
(けっこう本気で落ち込んでいる;;)
 
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10:23  |  身辺雑記2014  |  EDIT  |  Top↑

2014.08.21 (Thu)

さっきだつけふ

 私はわりと下ネタは平気なほうなんですけども。
 なんなんでしょうかね、忙しくてカリカリしているときに、くだらない出会い系メールのエロタイトルを見ると、純然とした殺意が湧いてきます。

 お盆休みが明けると詐欺電話が増えるだろうからご注意を、という話を聞いていたのですが、なんですか出会い系サイト(もしくはそれを騙る詐欺)も同じような傾向があるんでしょうか。
 ………気をつけないとホントに念をとばして▲しそう……。
 自重自重。

 にしても、下ネタは平気といっていながら、これ、ものすんごく癇に障るんですけど。
 これは、下ネタどうこうではなくて詐欺だとわかっている、そこに頭に来ているのでしょうか。
 自分で自分の怒りポイントがいまいちわからない……この件については。

       ●

 あまりにもあんまりな話題なので、詳細はあえて書きませんが、——フィギュアスケート関係で、とんでもない醜聞が出てきましたね。

 事実であるなら看過しがたいものがありますが………かりに事実とすると、これって親告罪なんです……よね?
 これは、世の中の男性にはぜひ強調しておきたいのですが、「セクハラは、加害者は男で被害者は女」という、従来の社会通念には、どうぞ縛られないでください。

 犯罪被害は犯罪被害です。
 男が女がの問題じゃないですからねコレ。
 もしそういう被害があって損失があったのなら、きちんと届け出てほしいと思います。

 男女平等がどうとかというより、これって人権の問題だものな……。

 閑話休題。

 この醜聞に関しては、——私が最初にこの話を聞いたときに即座に口をついて出た言葉は、
「……内閣改造が近いからか」
 でした。

 自民党もこういうところはほんと、旧態依然ですからね。
 その古くて腐った脳味噌はもう入れ替えたらどうなのかしら、と思いますよ。

 それにしても。
 まだ事実関係が判然としないのに、すでに短絡的な反応を見せている人(金でなんとでもなる週刊誌の記事なのに、なぜ即座に真に受けるのか)の中には、自分は手が出せない憧れの人にああいうことをするなんてうらやましい、という気持ちが反転して怒りになっている人も少なくなかろうな……と思いました。

 …………こんなことをいうとまた怒られるんだろうな……(そう思うなら黙っていればいいのに;;)

       ●

 この話題についても書きたかったんですが時間切れです;;

春日部共栄敗退 “おにぎりマネ”も涙 一般入試に向け「たたいた人を見返します」
2014.08.18 ZAKZAK
http://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20140818/bbl1408181538004-n1.htm

 ここんとこ、おにぎりがどうとか、部活の女子マネージャーがどうとかという話題をお見かけして「?」と思っていたのですが、彼女のことでしたか。

 おにぎり作ってなにがいかんのか私にはわかりませんが、へんなところでへんなバッシングを受けた彼女には心からお見舞いを申し上げます。
 でも、立派だと思いますよ。

 見返してやるという気持ちもわかりますが、馬鹿は相手にする価値もないんですから、そういうことよりも、純粋に、自分の好きとかやりたい気持ちとかを「起点」にしてほしいと思います。

 しっかりしていて、いいお嬢さんじゃありませんか。
 叩くって何を叩いたのさ。
 また見苦しい嫉妬心か?
 話題になればなんでもいい、の下衆どもか?

 世の中はやはり馬鹿のほうが声が大きいようで——これ、どうにかなりませんかねホントに。
 馬鹿が騒いだあと、良識派がそっと声をかけるというパターン。
 いいかげん卒業できないのかい。

 馬鹿とキチガイは声がデカい、というのが昔からの私の持論(?)なんですが、いいかげんにしてほしいわ。
 
 
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11:10  |  身辺雑記2014  |  EDIT  |  Top↑

2014.08.20 (Wed)

無さそうであるのがネコの社会性

 ここんとこ、どうしても忙しくて猫の世話もかなり義務的というか機械的にやってました。
 ごはん! トイレ掃除! はいお水! じゃあね! という感じで。

 で、ふと気がつくと、私がそうやって、ごはんをあげたり、トイレ掃除しているときに、スリスリしてきたり、「頭と頭でごちーん♡」と遊んだり、もふもふしたり、ごろりと仰向けに寝転んでお腹を見せたりしていた、猫の諸君が。

 ………なにもしなくなりました。

 こちらが機械的に、最低限やるべきことをやっているだけ、ということが、猫にもわかるのかな。わかるよなそりゃ。
 悪いことしちゃったなあ、と、反省しつつちょっと落ち込む。

 昨日の夕方はすこし余裕があったので、ごはんでも掃除でもないのに猫のそばに寄っていきました。
 反省を込めて、いままでごめんよ、という気持ちで。
 
 そうしましたら、そのへんでゴロゴロ寝ていたのに、一斉に、わらわらわらっと猫が集まってきて、上記のような行動各種を見せたのにはちょっと驚きました。
 なぜ、いまはちょっと余裕ができた、というのがわかったんだろう? と思いつつ
「ここんとこ、ずーっと無愛想にしててごめんよー」
 と、それぞれの仔をかまいまくっておりました。

 なおざりにされているとわかったのであろう猫たちには、もうアタシ嫌われたんだな…と思っていましたが、ああしてみると、彼らは彼らなりに、
「なんかあの人、最近忙しそうだよね」
 ということで、遠慮してたんですねえ……。

 猫には、可愛がってくれる人が必要です、——と。

 これはどこで読んだ一文だったでしょうか。
 岩合光昭さんの本だったのか、ほかの本だったのか。

 たいへん印象深くて、これだけが頭の中に残っているのですが。

 猫は猫なりに——人間にかまってほしいところが、あるんでしょうね。

 ここんとこ、うちの母の姿はないし、私一人がばたばたしているしで、猫としてもなにか異変を感じて、甘えるのを我慢していたのかなと思うともうね——泣けますね(涙)

 猫は薄情、という人がいますが………それはそれで間違いではないのですが、奴らはべたべたしない、というだけであって、案外、情はあるのですよ。
 私はひとさまには、猫は多頭飼いをおすすめすることが多いですが、それは、猫には猫の社会性があり、猫のもつ特質を見るのであれば、やはり多頭飼いのほうが面白いと思うからです。

 猫にも性格がありますから、どうしても単独で飼わないとならない仔もあるでしょうが——「群れ」とは異なる「社会」をつくる猫って、見ていると面白いですよ。

 で、人間を「仲間に入れてくれる」と(ようは人間が、ネコ扱いされるのですが;;)彼らの「情」の部分が見えてきて面白い。

 このドタバタ、いつまでつづくかわかりませんが、まあ、——できるだけこちらも努力するので、よろしく頼みますわ——と、うちのボス格の「トラオ」さんにお願いしておきました。

 こういうときにはホントに、ひとさまのご厚情が身にしみるものでございますが、……ネコのご厚情もけっこう泣けますね。(笑)

 
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2014.08.19 (Tue)

ディラン効果・完全版

 まんだらけさんで鉄人28号のフィギュアを盗んだ、窃盗犯が捕まりましたね。

「まんだらけ」万引き、千葉市の50歳男逮捕
2014年08月19日11時25分  読売新聞
http://news.livedoor.com/article/detail/9159529/

 お昼のニュースで私も見ましたが、残念ながらそのご尊顔を拝することはできませんでした。

 それにしても、そのフィギュアを6万円ちょっとで売ったというのは、むかっときますね。
 あと——そのフィギュアを買ったという中古取扱店。
 捜査に協力してくれたんでしょうかね?

 あの騒ぎでしたから、ニュースを聞けば、もしやウチに売りにきたのは…? と思いますよね。
 それで、もしかしたら、と、警察に相談……していたかな。
 
 市民の義務としては、もしかしたら、あれ盗品かも、と警察に相談するところですが、どうだったんでしょうね。
 なんにしても、逮捕されたことはよかったと思います。
 
 とはいえ。
 ——鉄人……やっぱり帰ってこないんですかね?

 こういう窃盗や強盗、詐欺の話を聞くと気になるのは、その被害がどこまで回復されるのだろうかということ。
 もう少しなにか、経済的な被害については、救済策があってもいいような気がするんだけどなあ。

 ひとまず、まんだらけさんに、無事このフィギュアが戻ることを願っておりますが……どうなるんですかね法的な手続きとしては。

        ●

 以前にも、ディラン効果についてちょっと書いたことがありますが。
 ただいま私の脳内はちょっと大変なことに;;

ディラン効果とは Weblio辞書

 こちらの解説では「音楽のワンフレーズが頭の中で何度も繰り返される現象」とありますが、ワンフレーズじゃないから大変なのでございます。

 お察しでしょうが、ONE OK ROCKの各曲がそれぞれ、ちゃーんと頭から終わりまでフルに脳内再生されておりまして、怖いことったらありません。

 何が怖いか。
 じっさいにその音が流れていないにもかかわらず、脳内ではもーガンガンに響いているわけで、つられていきなり歌いだしそうになったりするところが怖い。
 仕事中、まして取引先様と話しているときはやめてー!!!

 と、悲鳴ものなのでございます。
 
 いままでも、そうですね、短い、印象的なフレーズが脳内でえんえんとリピートというのは経験がありますが(引っ越しのサカイさんの昔のCMソングとか)、さすがに、何曲かがたてつづけに、しかも全曲、たまにMVつきで流れてきている。
 こういうことは、これまでにも経験がありません。

 なんだこの集中力。

 ここ数年、私の脳味噌もボケがひどくなり、物覚えも(もとからよくないのが)さーらーに悪くなってきていたのに、おおむね2回、聞いたり見たりした曲であれば、勝手に脳内に再生される。
 …………よっぽど気に入ったんだろうか私の土気色(つちけいろ)の脳細胞は。
 なにこの記憶力と再生能力。
 そんな余力があるなら、他のことをもうちょっとまともに処理してほしい。

 ちなみに。
 そんなわけで、いまのところ、もう時系列もデタラメにあれこれ見聞きしておりましたが(あまり時間もないので、細切れにしながらですが;;)、結局、どの曲もいいんじゃんね——ということで、iTunesストアではなく、ほかで、CDで買うことにしました。

 デジタルデータも便利でいいんですが、やはり最終的には現物主義なんでしょうかねえ私も。

 それにしても。
 この脳内で勝手に流れつづけるコレは——いつになったら終わるんでしょうか……。

 ディラン効果って、ほんとに、誰か本気で研究してくれないかな……。
 ひとまず止めたいときには止まるようにしたいんですけど。(←思いのほか本気)
 
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