命の使い道
2014年06月30日 (月) | 編集 |
 どうも最近、迷惑メールが激しいんですよね。
 楽天市場を名乗って「ご注文ありがとうございました」とか、Amazonを名乗って商品紹介を装うとか。
 また、Amazonを名乗ってきたほうなんですが、日本語がヒドイ。
 言いたいことの、主旨はわかるけれども、なんとも遠回しでもあり助詞がまつがっていたり。

 外国人がこの手の迷惑メールを送ることも多いらしいのですが、この日本語。
 日本人が犯人だったら、なんとも嘆かわしいですねえ……。
 外国人なら「まあ、異人さんじゃ日本語がヘンでもしょうがないか……」と思うけど、まがりなりにもネイティブがこんな文章を書いたのだとしたら、イロイロ心配になりますよ。(--;)

 とはいえ——そういうものかもしれないなあ。ネットを見ると、掲示板等の書き込みではなくて、ふつーのマスメディアがもう、日本語が崩壊状態だものな。
 先日も日経新聞が「的を得た」とやってやがりましたよ。その前は「雪辱を晴らす」もありましたし。
 日経新聞、校閲ないの? 新聞は時間におわれて記事を書くのでそういうチェックはせずに、記者本人、いいとこ、チーフ役の人が見る程度なの?

 迷惑メールがくることよりも、その日本語がまつがっていることのほうが多いに気になる今日この頃。(^^;)
 もういっそ英語で書いてよこせ。(迷惑メールでくると本文は読まないけどね)

       ●

 だいぶ以前に聞いたと思うんで、私の記憶ですからまったくアテにはなりませんが、ともあれ。
 焼身自殺、放火、といったように、なにかの主張で「火」を使うのは、「恨み」の気持ちからくる。——と聞いたことがあります。

 たぶん、同じように自己主張のアピールするなら、基本的には言論でいいはずなんですが、言論では間に合わないとなると「街頭演説」、賛同者がいてくれるなら署名集めとか、(警察の許可が出るなら)デモとか、それでも足りなきゃハンガーストライキという手もある。(推奨はしませんよ)
 ほかに手段もあろうものを、放火とか焼身自殺とか、なんでいちいち、ひとさまにご迷惑をおかけする「火」を使うのか。
 それはただの主張ではなくて「恨み」の気持ちがあるから。——と。
 聞いたときはなるほどな、と思いました。

 ほかにいくつか手段はある中でわざわざ火を選ぶとき、その人の心には何があるか、というと、恨みの炎、なんでしょうな。
  
 恨みというのは、怒りとも、ちょっと違う。
 ただ怒るということに比べると、恨みとなると、もうちょっとこう……、じめついた、暗い、「被害者意識」があるような気がする。

 まあ、なんにしろ、自殺してアピールするというのは、感心できませんし、社会としては、個人を気の毒に思うことはあっても、その主張は容れられません。

 昨年でしたか、小学生が、自分の通う小学校の統廃合の中止を求めて自死したというニュースを聞きました。
 私としてはその子の親御さんが、どれほどおつらい気持ちだろうかと考えると、本当に胸の塞がる思いでおりました。

 学校の統廃合というのは、社会的な諸事情あってのことなので、好きとか嫌いとか、そういうことでどうにかなることではないんですよね。
 それを子供には理解できないというのは致し方ないことだと思いますが、問題は——「自分が死ぬので、自分の死に免じて、統廃合をやめてくれ」ということを、その子が言い残していた、ということ。
 これを聞いたときはもうね……どういえばいいんでしょうかね、脳貧血みたいな感じになりました。

 人の命は地球よりも重い、と、たしかに大人たちは言ったでしょうが、そのいっぽうで、人の死くらいでは、じつは、世の中は動きゃしない。
 いいとか悪いとかいってもしょうがない。
 自死というのはあくまでも「個人の事情」であり、社会の諸懸案というのは「大勢の人にとっての利益・不利益」ですから、ひとりの事情「だけ」で動くわけにはいかない。

 むしろ、大勢の人それぞれの意見や利益を考えて決めるべきことを、一人の「勝手な」考えだけで決めてしまうのは、あまりにも独善的であり、その一人によって「無視」された複数の人にしてみれば、不公平この上ない。

 社会の難しいところは、大勢の人の利益も不利益も洗い出し、なおかつ、「全体にとって」の利益をとらなければならないというところ。
 この世に存在する人間が自分一人であったなら、好きにしていればいいのですが、世の中には大勢の人がいるということを——受け入れなければならない。

 自死は痛ましいことですが、だからといって、なくなった人の「思い通り」にすることはできない。
 自死がそうまで「有効」であるとなると、こんどは、その決定事項に不満を持つ人が、「決定をくつがえせ」といって、また自死をするかもしれない。
 そうなったら、また、決定したことを覆すのか? ——キリがない。

 この場合、「自分は死ぬから、それに免じて決定を変えろ」というのも、一種の脅迫だということを、私としては確認しておきたいです。
 それがいかなるものであれ、社会は、脅迫によって動くことはあってはならない。

 バスジャックなどでも、とにかく犯人のいうことは聞かないというのが、第一の鉄則になっていますね。
 いかなる事情であっても、社会は脅迫を受け入れられないし、受け入れてはならないのです。
 脅迫によって社会が動く、という例を作ってしまうと、大勢の人が、まともな言論によってではなく、脅迫によって動かそうとするからです。
 てんでが勝手なことを言う。これでは社会は崩壊します。

 それにしても。
 自分の命ひとつに、それほどの価値があるかどうか。
 
 冷たいことをいうようですが、でも、それが現実ってやつです。
 人の命は——いえ、人に限らず命というものは大事なものだけれども、たったひとつで、残りすべての命を無視できるほどのものではない。

 なんにしろ。
 自死と「引き換え」の要求は、ようは脅迫になるんだからいけませんよ、といっても、「崇高な目的のためなら殺人でも脅迫でもかまわない」という考えの人がいるのも、世の中ではあります。
 ありますが、目的のためなら手段は選ばないって、それはあなた、犯罪者の理屈ですよ。いつのときでも。

追記:目的が正しければ人を殺してもいいというのは、左巻き連中のいうことだ、と考えながらこのあたりを書いていたのですが、でもこれどこかで聞いたようなと思ったら、あれだ——「罪と罰」ですね。ラスコーリニコフですよ;; この手の人間の愚かさは、時代の今昔、洋の東西を問わない、ということか……)

 となると、私どもはどうあっても、面倒でもつらくてもなんでも、言論というものを守って戦っていくしかないのです。

 そう考えると、ヴォルテールのあの「覚悟」の厳しさが、肌に圧着するように、感じられるのではないでしょうか。

I disapprove of what you say, but I will defend to the death your right to say it.
私は、あなたの言うことに反対だ。
だが、あなたがそれを言う権利を、命にかえても守ろう。
[出典]
ヴォルテール(ボルテール)
(18世紀フランスの小説家・劇作家・思想家、1694~1778)



 命をかけるとしたら、やはり、こういうことじゃないと、「社会的動物」をやっている意味がないのかもしれない。
 
「お金は使うためにある」のと同様、命というものも、やはり使うためにあるものでしょうが、人間としましては、なににその命を使うのか、使うだけの価値があるのかを、しっかり見極めていきたい、ように思います。


 
関連記事
本日おやすみ
2014年06月29日 (日) | 編集 |
moblog_ec3f6c8b.jpg

本日はお出かけのためお休みいたします。

鳩よりも、ネコこそが平和の象徴にふさわしい、と信じております。
ネコを見ただけで一気にやる気が失せて、ゴロゴロしたくなる……。(^_^;)

ああ、私も猫みたいにゴロゴロしていたい(笑)

猫を見た瞬間の、「ま、いっか~どうでも」という気分になる、アレは一体何なんでしょうか。

実際はどうでもいいとはいかんのですが。
でも、何かとギスギスする外交交渉のテーブルには猫を寝かせておくといいのでは? とかなり本気で考えてます。
緊張が適度にほぐれて、ま、いっか~となれば、話も進展しやすいのでは? と思うんですが。
ダメかしら。(^_^;)
猫のほうがイヤがる気もするしね……。
 
 
関連記事
膝と肝臓の関係
2014年06月28日 (土) | 編集 |
 もうかれこれ一ヶ月近く、なんとなく右の膝が痛いことがあったので、いつもお世話になっている整体へいってきました。
 
「どこが痛い? 右ひざ? ひざのどのへん?」
「内側なんですけど」
「膝の内側か〜。そこはね、肝臓」
「……へ?」
「肝臓が悪いと、膝の内側が痛くなるの」
「………えええ?!」

 膝の内側から、そのまままっすぐたどった、太ももの内側。ここを軽く押されただけでもー、痛いのなんの。

「肝臓が悪くなると、この(太ももの)ところが固くなって、膝の内側が引っ張られる。だから膝の内側が痛くなる」
「へえ〜!」

 前回は、皮膚炎の症状がなかなか治まらない、といったら、「それは脾臓(ひぞう)」と言われました……。
 これがまた、痛いのなんのってもー。

 しかしそれで本当に皮膚の炎症がすっとおさまったからすごいものです。
 私と前後して、やはり、皮膚科では治るのに何ヶ月もかかるといわれた人が、この脾臓を治療してもらったらあっさり2週間で完治した人もいたんですよね。

 数ヶ月と2週間ではえらい違いだ……。

 ということで、今回は、肝臓をぐいぐいと押されて参りました。
 石でも入っているみたいに、右側の背中が硬くなってました。
 その場では、痛いというほどではなかったのですが……、一晩たったら、押されたところがピリピリ痛い(笑)
 痛くて笑うってなによとお思いかもしれませんが、あんまり痛いと笑っちゃうことってないですか? なんなんでしょうかねこの笑いって。
 イーターイー! と叫びながらなんだか笑っちゃう。
 痛がって叫んでいる自分が、自分でも可笑しいのかもしれない。(^^;)

 で。肝臓が弱った原因ですが。
 私の場合、酒もタバコも男もやりませんが(………)、ただ、今年度に入ってからはちょっとした役を引き受けたり、個人的に勉強を始めたり、さらにそのうえに葬式が3件も続いたということで、けっこう時間的には厳しいことになっていまして。
 ストレスということも多少はあるでしょうが、肝臓が弱った原因は睡眠時間の不足だろう、ということでした。

 先日の京都・神戸行きでは、ホテルに入ればほんとに家事も何もないから(いいですよねえ!)、デパス(安定剤)をのんでぐわーっと8時間超、たっぷり寝ておりました。
 ああいうことを2、3日、続けられればいいんでしょうね。

 ………今日はとくに予定もないし、雨も降っているし、午後から寝ようかな;; と思っております。
 人間の体は寝だめはできないようになっているそうですが、まあ、ようは疲労だから、眠って悪いことはないですよね。

 以前にも書いた気がしますが、ホントに——「ちゃんと休む」って、難しいです。

 頭の切り替えができないタイプなので、休むべきときでもつい、あれこれを考えてしまい、いちどは寝床にはいっても、「あ、そうだ、あれやっておこう!」といってもぞもぞ起きだしたりするんですね。
 ほんの10分で終わるし、と思って始めるのですが、なに結局1時間くらいは起きている。

 ………いまはそれでテレビをつけるとサッカーやらテニスやら放送しているのでなお悪い。(^^;)

 せんだってはNHK「ためしてガッテン」ではやる気スイッチの話をしていましたが、「頭の切り替え(スイッチ)」ってなんかないですかね。
 そんなのはそれこそ、「自分の意志で決める」ことなんでしょうが……うーむ。
 つい、コトがしっかり片付かないうちは、どうしても、頭の隅は気にして動いてしまって、で、ちゃんと休めなくて、結局ばてる。
 いいかげん、このパターン、やめないとなー……。

 ともあれ、そんな具合で。
 東洋医学というのもたいしたもんだと思いますね。

 西洋医学は、もーほんとうに病気になったときには有効だと思いますが、病気になる前の「不調」には、まったく無力。
 不調があるから病院へ行ったのに「異常ありません」というのは、たまに本気で頭にくる。

 そういうときはやはり東洋医学ですね。

 皮膚炎のときは脾臓、膝の痛みが肝臓、私が子供のころからさんざん苦しめられてきた扁桃腺膿症は、頸椎の2番だか3番だかのズレ。
 そこを調整すると不調があっさり消えてしまう。
 こういうのは、西洋医学では想像もできないこと。

 ちょっとした不調、という段階のときにこういう手当ができれば、おおげさな病気にならずに済むんですから、結局、医療費の節約にもなるんですよね。
 混合診療についての国の方針には、私はまったく不満ですし反対です。

 ま、厚労省(旧厚生省)は、国民を薬漬けにし、病気にして苦しめるのが伝統だものな(イヤミ)。
 病人が減るのはマズイんでしょうねきっと。

 ただ、東洋医学にもひとつ難点があるとすれば。
 もっかのところ、東洋医学のほうは、治療してくれる人の技術や知識にかなりの差があるので、全国でどこでも、ある程度のレベルを維持した治療が受けられるわけではない、ということ。

 とはいえ——西洋医学のほうだって、きちんとした知識のある医者もいるし、いまだに「血中のコレステロール値が高い人は卵を食うな」と真顔でいうヤブにもならないタケノコ医者もいるから、同じことですかねえ。

 卵にはレシチンという物質が含まれているので、LDLが高い人はむしろ卵を食べたほうがいいくらいなんだけど(食べ過ぎはダメですけども。もちろん)、………まだそんな時代遅れのことをいう医者がいるのか、と、思うことがありますもんねえ。
(レシチンは脂肪代謝を活性化する働きがあり、脂肪肝、肝硬変の予防も期待される)
(受験生には、頭の働きもよくなるからおすすめですよ! 中高年以上には認知症の予防改善)

 ちなみに。
 いずれこういうことも医学の現場には取り入れられていくと思うのですが、メタフィジカルから申しますと肝臓は「抑圧された怒りの貯蔵庫」とのこと。
 漢方でも肝臓を怒りの臓器といいますね。

 怒りと言ってもさまざまありますが、肝臓にトラブルを抱える人は、「怒りを表現できない」人だそうです。

「攻撃された場合、自分に力がないと感じ、やり返すことができないのです。怒りをあらわにする人たち、コントロールを失ってしまう人たちに対して違和感を感じます。
 というのも、自分自身は、怒りを表さないためにものすごい努力をしているからです。
 しかし、心の中では、悲しみや恨みを感じています。()」



 私が思わずサッカーファンを(名乗るのを)やめた理由もこのへんにあるかなー。
 結局、「いちばん何もしないヤツが、いちばん悪口を言う」というのを、もう、W杯のたびに見たり聞いたりするのが、私にはつらくてたまりません。
 とりあえずセルジオ越後さんには、本国(ブラジル)にお帰り願いたいです。国籍はブラジルなんだし、日本のことには口出ししないでほしい。(←もう、相当、頭に来ている)

 日本のみならず、世界各国、あいかわらず、サッカーに関係する人たち、メディアもファンもそりゃあひどいもんです。ああいう人たちをみんなまとめて簀巻きにして海でも川でも流したくなる。「精神のヒルコ」というところですかね。

 そういうあたりでも、いま、またヘンな怒りをためているのかもしれません。
 気をつけよう。(^^;)

 なにはともあれ、ちゃんと眠る、ということを心がけます。
 
…「病気と不調があなたに伝える〈からだ〉からのメッセージ
リズ・ブルボー/浅岡夢二・訳 ハート出版 2007/10/31
 
関連記事
エストロゲンに期待
2014年06月27日 (金) | 編集 |


 できるだけ無関係の方のツイートは混ぜたくないなと思うんですが、この場合はしょーがないということでご容赦を。

 自分のポリシーはこういうこと、自分はこういうことを大事にしている、というものがあるのはいいことだと思いますが、それがなんであれ、お前も同じようにしろ、は、やはりいかんよなー、と。
 反省してます。(←あれ?

 いや、私は基本的に他人には興味がなく、興味がないから薄情でもあり、たいていことは、「ふーん。そう」くらいで終わるんですが。
 それでも、ものの内容によってはほんとにガーッと怒ってしまって、「馬鹿は口を利くな!」くらいのことを言いそうになっていることがあるので。

 反省します;;

 でも、上記のツイートと前後して、
「自分のことを精一杯やっていれば、他人のファンになったりするヒマはない」
 という趣旨のご意見があり、ああこれはまったくそのとおりだなと思いました。

 この場合のファンになるというのは、ただ好きになるということではなく、自分の私生活さえ投げ出して、追っかけをしたり買い物をしたり応援したり、「期待」したり、ということですね。

 なにかを好きになるというのはいいことですが、自分の私生活や家族まで「犠牲」にし、自分はマトモに社会生活を送れないまでにのめりこむというのは、たしかに、ちょっと行き過ぎのようです。
 挙げ句の果てには、その好きになった対象が、自分の思い通りではなかった、ということで勝手に失望し勝手に怒り、ようはお前は俺の期待通りでいろ、という。(言い方は他のいい方ですが、言っている内容の主旨はそういうこと)

 ここまでくるとたしかに、「他人のことより自分のことをちゃんとやれよ」と言われますよね。(^^;)

 私の場合は他人に対して(拒否の)ラインがくっきりし過ぎなんですが、そのラインが全然なくて、自意識がへんなふうに、他人のテリトリーの中にまで伸張しているというのは——テリトリーに侵入されたほうにしたらまったくたまりませんよね。(^^;)

 昭和初期、テメエは強盗、強姦犯のくせに、被害者に向かって戸締まりが甘いだのなんだのとセッキョーしたという、人呼んで「説教強盗」という犯罪者があったそうですけども。
 こういうのも、自分と他人の区別がつかないタイプなのかもしれませんね。

 自分の人生がぱっとしないからといって他人の人生に感情移入して、自分が成功者であるという空しい夢を見るのも、自分のものは自分のもの、他人のものも自分のもの、という意識になるのも、悲しいこと。
 自分の人生を生きることを放棄している態度ですから。

 自分と他人の区別をする、自分は自分ということを見極めるということを、確認する必要があるのかな。
 自分の人生に一生懸命取り組むと、他人のことどころではない、というのは、確かにそれは言えるなーと思いました。

 私どもはなぜ、これほど、自他の区別をつけずに、他人のことばかり気にしているんでしょうかねえ。

       ●

 サッカーW杯、中南米勢がご活躍なのはやはり地の利でいいかもしれませんが、どうも、それでいきなり意気消沈している自分が、自分で意外。

 あんまり意識してなかったんだけど、私、ヨーロッパのほうのチームに思い入れがあるんでしょうかねえ。自分ではそうとも思わなかったんだけど、今回あまりにも、ひそかに目当てにしてきたチームが相次いで敗退ということで、えらくガックリきてるんです。気力が萎えている感じ。

 それにしても、スアレス選手の噛み付き事件にはびっくりしました。
 そういえば以前にもそんな話を聞いていたし、ようは暴力馬鹿なんだろうと思っていましたが、じっさいの、彼の暴行を映像で見たのは初めてで、ショックでした。

 一言で言うなら「気持ちが悪い」。

 たしかに今大会は、手を使ったファールは厳しく取っている。
 それで、手がダメだから口でってか?!

 ただでさえ、私の目から見るとアチラの男性というのは野獣じみて見えるというのに(日本のおのこはいいですのう。爽やかで)、あんな気違いじみた、ケダモノのふるまいを見てしまっては、……申し訳ないけど本気で気持ち悪い。

 あの人、精神鑑定を受けたほうがいいんじゃないですか? 診察受けたことがあるのかな?
 それとも、あちらでは、あれくらいの狂人は珍しくなくて、「当たり前」なの?
 だから、ウルグアイ側は、大げさな処分だ、という異議申し立てをしたの?

 W杯になると、なぜ、ファール判定の基準が厳しくなるかというと、すぐに試合が大荒れになって収拾がつかなくなるからで——ドイツ大会のときでしたか、両チームの選手が乱闘状態で、審判も頭に血が上って赤と黄色のカードが乱舞、ファール、ファールで試合にならない、というのがありましたね。

 もういっそのこと全員に赤いカード出して没収試合にしてやりゃいいんだ。と思いました。
(過去にそういう実例がある)(日本じゃないけど)

 私としては、いまはクラブW杯があるのだから、国別のほうはやめるべきだという考えです。

 が、「金のなる木」は手放せない、球技とは思えない乱闘沙汰でも大会を続けたいというのなら、ひとつ提案があります。

 スタッフ、選手全員に、女性ホルモンを打て。
 
 その昔、イギリスの刑務所でマジで使っていた手段です。ホントにホント。
 ロボトミーとか向精神薬を打つよりはマシだし。
 女性ホルモンなら薬物違反にもひっかからないでしょ?(←目が本気)

 選手関係者も、お肌すべすべ、髪もサラサラ、ツヤツヤになるかもよ。ふん(←鼻息)

 ………………。
 うーん。
 ………だいぶ頭に来てますね私も;;
(ポルトガルも敗退でマジ泣きだよあたしゃ)
 
 
関連記事
自尊心養成講座
2014年06月26日 (木) | 編集 |
 ごもっとも。と思ったツイート。


 日本人はなんですぐに謝るのか、という疑問もしくはクレームを外国人からうけた日本人てのはけっこういると思います。
 日本人は、自分が発した意見なり、行動なりに非があった、ということを認めて謝るのではない。
 自分が言ったことによって、あなたが不愉快になったなら、その不愉快にさせたこと自体について謝るのだ。
 
 たとえ自分の意見が正しくても、つまり自分の言動行動に非があるのではなくとも、誰かの「気持ち」を損なったなら、そのこと自体について謝る。
 不愉快にさせて「ごめんなさい」というだけのことで、自らを非があったと思っているとは限らない。

 なんてな説明をして、あっさりわかってもらえた経験はありませんが。(^^;)
 そんなにわかりにくい概念かねこれ。

 しかしあらためてそういうことを説明している間に、「いかに日本では、誰かの気分を損なうということを(ことの是非に関わらず)恐れているか」ということを感じましたわ。
 共同体意識——というのか知らんけれど、でもまあ、「みんなで」という意識の裏返しではあるんだろうな。

 怒りというのはともあれ「悪い」もの、排除すべきもの、という認識を、つい、持ってしまうのですが、精神衛生の面から考えると、「ちゃんと怒る」ことは、必要なことだそうです。

自信を持つためには「怒りを感じる」こと
「怒り」とは「自分を守るための大切な手段」

2013年2月4日 日経ウーマンオンライン
http://wol.nikkeibp.co.jp/article/column/20130127/144622/?P=1&ST=career

 ………あれ?
 日経ウーマンオンラインて、閲覧には会員登録が必要なんでしたっけ?
 と思って調べましたが……、そうみたいです、無料だけど登録が必要なんですねこれ。
 私の場合、あんまり何年も経っているので忘れてました。(^^;)

 えーと。
 上記記事は「自尊心養成講座」という項目のひとつなんですが。

 ちゃんと怒るって必要だよというお話。

 自尊心を持てない人の特徴に、怒りを感じるのは悪いことだ、という意識があることが挙げられるそうです。
 怒りというのは本来、「自分の領域を侵されたときや、命の危険にあるとき、自分を守るための本能」とのこと。このへんは、なんとなくわかる。

 さりながら、あんまりしょっちゅう怒っていると、他人様からは敬遠されることが多いので、それで、怒ると嫌われてしまう、という強迫観念が生じ、怒ることを放棄する。

 でも、あまりにも、怒るべき場面ですら怒らないと、なんでもかんでも受け入れる、他人の侵入を許すことになり、それで、世の中の図々しい人からはなめられて、暴力、暴行、暴言、無視、各種ハラスメントを受けることにもつながる、と。

 必要なときにきちんと怒ることは必要。
 それができれば、以下のことが実現する。

◆不適切な暴言を吐く相手に対して、きちんと「嫌だ」ということを表現することで自分を守れる
◆怒りを感じさせる不愉快な態度をとる相手から距離を置くことで、自分のテリトリーに相手を侵入させない
◆相手から圧倒されず、相手の意見と自分の意見を区別して考えることができる
◆格下扱いする人を見極め、対等に扱ってくれる人を選択する力を持つことができる
◆何かと押しつけてきて都合の良いように扱う相手を拒絶し、自分の責任をまっとうすることができる



 思わぬところでとんでもない暴言を受けたとき、つい、へらっと笑ってしまい、怒らなかった人を見ました。
 あ。これだ。と、思いました。

 これ、本当に他人事じゃないんですよね。
「ここは自分さえ我慢していればいい」と思う心のクセを持つ人は、世の中にはかなりの人数がいますよね。
 私もこれ、やっちゃいますわ。

 で、あとから時間が経つほどに怒りがこみあげてきて、でももう「現場」ではないから怒る相手もいないしタイミングを逸しているし、だからなおさら、間抜けな自分にも腹が立って、もとの怒りが何倍にも増幅し、憎悪というレベルにまで発展する。

 結局、自分なんかいいよいいいよ、あたしが黙っていればいいよ、自分なんか、あたしなんか、……という意識があると、怒るときにちゃんと怒れない。
 相手が怒らないのを見るとますます、図々しいヤツはのさばってきますから、悪循環ですよね。

 でも、自分の身近に、しょっちゅう、すっごい些細なことでキレまくる人がいて、ああいうの、やだなあ、……とお思いかもしれませんが。

 自尊心、自分をきちんと守るために怒る、というのと、ああやって些細なことでキレる、というのは、基本、ぜんぜん違うと思いますよ。

 怒るべきときに怒れないのが自尊心の低さを物語るものであるならば、べつに怒る必要もないのに過剰反応してキーキーわめく、というのは、あれはあれで「劣等感の塊」であることの証拠なんですよね。

 世の人の多くは劣等感のことをプライドと呼ぶ。
 でもこれは、本来の意味では間違っています。

 上記記事によれば、怒るべきときには、自分をきちんと守って怒ることが必要。
 で、怒ったときの表現の仕方、相手への伝達方法。これがまた大事なことで。

 怒りを感じても、「相手にわからせようとしなくていい」「攻撃しなくてもいい」。

 基本、自分が我慢すれば場はおさまるんだから、と思う人というのは、他人と争いごとをするのを好まない人でしょう。だから、怒ったからと言って、相手を攻撃しなくてもいいのです。
 なぜ怒ったかを相手に無理にわからせようとしなくていい。これも、説明するだけ無駄というかね。——セクハラをしていて「いいじゃないかそれくらい」なんていうヤツ、こういうヤツにはもう半永久的にわからないし、わからないからこそ、こういうふざけた真似をするんで、わからせようなんて思わないことです。

 あくまでも、目的は「自分を守ること」です。
 ゆえに、いたずらにケンカをする必要もない。
 ただ、端的に、はっきりと、No,という。これは必須。
 このことこそが大事なこと。

 自分は何について怒ったのかを端的に指摘し、だから私はあなたにはノーというのだと示し、私はあなたにはこのように(改善を)してほしい、と伝える。——ここまでできたらパーフェクトですね。

 コンプレックス丸出しでキーキー言うのも、正しい「怒りの感じ方」ではない。
 たとえば、自分はあくまでも外野、「関係者」であることを忘れ、自分が勝手に思い入れたとおりにならないからといって、日本代表チームのオーナー気取りでギャーギャーわめきちらす、ああいうのね。

 そこにも自尊心はない。
 ああいうのは「正しい怒り方」ではないので。どうぞご安心を。

 誰かが自分を攻撃し、あるいは虐げてきたとき、そのことに対してきちんと怒ること。
 相手の行為に「傷ついた」と思うのは、ある意味、相手の仕掛けてきたものに同調している態度なんでしょうね。
 もうやめましょう、そういうの。

 傷つく必要はない。

 ただ、ちゃんと自分を守るために、ちゃんと怒る。

 怒っても、相手を攻撃する必要はなくて、ただ、相手に、そういうことはやめろ、こちらのテリトリーから出て行け、とだけ、伝えればいい。

 自尊心。

 本当の意味で自分で自分を大切にし、守る。
 そういうことができるようになれたら、ずいぶん世の中も変わるんだろうな。

 傷ついた、とは思わなくていい。
 ただ、ちゃんと、自分を守るために怒りを感じて、それを受け入れましょう。
 受け入れて、言うべきノーを、言いましょう、と。

 なるほどなあ、と思った、そんなお話でした。

 
関連記事
雑感
2014年06月25日 (水) | 編集 |
 いきなり私信ですが、メールくださいましたF様。ありがとうございました! (^o^)
 教えていただいたツイート、拝見してきました。
 なんかこう……ニヤニヤしちゃうツイートですね。

 私もあの発言を聞いたときは、「……とばっちりだな…」と思いましたが。
 まあ、親にしてみれば1回くらいは、いちおう結婚してほしいという気持ちがあるものかもしれませんね。

 私も、その昔、「結婚したいとはあんまり思わないけど、式と披露宴はしたい。んで、海外旅行へ出発する成田空港で解散」といったら、親にはかなり本気で怒られました。
 こういう冗談、通じないのね〜と思いました(笑)

 でもまあ結婚すれば親も安心かというとそういうものでもありませんからねえ。とんでもない男に引っかかったとなると親は安心どころじゃない、実害さえ自分たちがこうむることもあり得るんだし、なにがどうであろうとも、平穏に過ごせるならそれでいいと思います。

 とにかく親より先に死なない。これが最大の親孝行だと思っているので、親としてもそのへんで手を打ってもらいたいと思います。(^^;)

        ●

 どうも今回の、サッカーW杯は盛り上がらないんですよ……。個人的に。

 我らが全日本チームですが、私としては、よく頑張った、とその健闘を称えます。
 ご本人たちにはたいへん不本意なことが頭からシッポの先まであるでしょうが、でも、そのときにできることを全力でやったということはまぎれもない事実ですからね。

 お疲れ様でした。

 本田選手のコメントが聞いて切ないのですが、でもねえ。私は、志を高く持つ、ということは大事だと思うんです。彼は少しずつでもちゃんとそのとおりに歩いてきた人。たぶん、ここはまだ、道の途中なんですから、まあ、あんまりがっかりしないで欲しい。
 本田選手の気性を思うと、このままがっかりして引退、とはいわないでくれると思うので、それが、私には救いです。(^^;)
 あたしゃどっちかというと、アレのほうががっかりだったものなあ。人それぞれの生き方とその決断は尊重するけれども、ああ、そうなるのか、と。

 私は実のところ今回、日本のベスト16を信じていたかといわれると、申し訳ないが信じてはいなかった。昨年のプレ大会であるコンフェデを見たとき、どうも、相手チームをどうこういうより前に、あの気候に「つぶされる」感じが、ヒリヒリしていたので。

 信じてはいなかったが、でも、願い、祈っていました。
 そういう気持ちは大事だと思うんで。
 お疲れ様でした。
 少し休んで、また次の活躍の場に臨んでもらいたいと思います。

 なによりもサポーターの方々には、その身の安全のために、早期の無事のご帰国をお祈りします。
 本当にシャレにならんわ、今回のこの雰囲気の悪さ。

        ※

 1次リーグもほぼ終わったわけですが、終わってみれば、スペイン、イングランド、イタリアが敗退ということで、私としてはなにをこの先、楽しみにすればいいんだ、というのが本音。ポルトガル、頑張って〜(←切実)

 眺めておりますと、どうもねえ、やはり今回は、あまりにも気候が厳しいんでしょうかねえ。
 日本の場合も、会場のコンディションを聞いたとき、「その気象条件だけで体力を削られる。本来フィジカルは強くない日本には不利だ」と思っておりましたが、まあそのとおりだったようで。

 見ているとやはり地の利というべきか、南米勢とアフリカ勢が予想外…といったら失礼だな、予想「以上」に活躍しているので、気象条件などは影響が大きいように思います。

 これまで守備的すぎると批判されがちだった、5バックのチームがわりと手堅く勝っているというデータになるんだそうで、…結局、みんなが疲れてきて足が止まる後半、5バックの守備の堅牢さがものをいう、ということかもしれませんね。

 しかしそれもこれも、結果が出たからあれこれ言えること。
 結果を見てから過去にさかのぼり、ウルサイ批判をするのは私の趣味ではないし、そういうものを聞く気もありませんわ。

 勝負は水物。それぞれが精一杯にやった結果なら、しょうがないことです。

 ただ、今回は、そういうことを差し引いてもなーんかつまんないな、盛り上がらないな、と思ってみています。
 さきほども申しました、気候の厳しさから、全体に守備的にならざるを得ないからか。
 それとも、すでに大会は始まっているというのに、反対運動のデモだの暴動だの、犯罪が多発しているだの、そういう「雰囲気」のせいか。

 デモ、暴動、犯罪は、ピッチ上にはありませんが、でも、「雰囲気」ってものがあるのも事実。

 盛り上がらないなあ(私の気分が)、と言っているうちに、全英オープンテニス、ウィンブルドンが開幕したので、今回はどうもこちらに流れそうな予感。

 いつぞやは、サッカーとテニスと、いったいあたしゃいつ寝ればいいんだ! というくらい、双方で盛り上がって楽しめたことを思うと…………、なんだろうかね今回は。
 自分でも不思議に思ってます。(^^;)

 決勝トーナメントはのんびり見るつもりですが……、まあブラジルは地元の期待が大きくて、たいへんだなー、と思ってみています。(←他人事)

 
関連記事
自己暗示
2014年06月24日 (火) | 編集 |
 まだこの話題から離れられなくてごめんなさい。m(_ _)m

 昨日の午後になって、例の東京都議会で、聞くに堪えない野次を飛ばした議員さんということで、おひとりが名乗り出たということですが。
 どうなんでしょうね。ひとりってことはないでしょう? 他の人は?
 
 名乗り出た方ひとりを「犠牲」にして、これで幕引きというのは、感心しないなあ。
 ということで私はいま、むしろ、あの議員さんには「お気の毒に」と同情しております。
 記者会見も吊るし上げ状態でちょっと気の毒でしたよ。

 どーおしてもほかの「不規則発言者」が出てこない、特定できない、ということなら、議会全員に始末書を書いてもらい、不規則発言は全面禁止とする、ということを、明文化することをおすすめしたいですね。
 国会もね。
 せっかくの党首討論も、外野がうるさすぎて何も聞こえないって、あれじゃあ意味ないですもんね。討論会の意味が。

 で、いま気になっているのは、やじられた女性議員をあきらかに貶める、名誉毀損罪もののブログエントリや書き込みが増えていることです。
 これ、なんの復讐なんですかね。
 結局、やじった議員が責任を取らされたのがそんなに気に入らないんですかね。
 
 問題の本質がわかっていないのはまあいいとしても、私はこの中傷を重ねている人々が、なにか得体の知れない復讐心に燃えているところが、気持ち悪くてしょうがないです。
 ストーカーは、男女ともに存在しますが、やはり全体としては男性のほうが多い上、殺人等、重犯罪を犯すのは圧倒的に、男性ストーカーが多いのですが、その理由が、あの中傷を見ているとわかるようです。

 その昔、「Brain Sex」という本がありましたが——こういうのを見ているともしや男の脳味噌には、なにか重大な設計ミス、もしくは機能不全があるのではないかと思えてきますねえ。
 これもあんまり真顔で言うと、差別発言になりますが。(^^;)

Brain SexBrain Sex
(1992/08/01)
Anne Moir Ph.D.

商品詳細を見る

 まあでも、ちゃんとものがわかっている男性だってもちろんいるわけですから——マイナスではなく、やはり、ちゃんとした「マトモな」人のほうを、私も見るべきですね。
 お恥ずかしいことですが、根が男嫌いなもんだから、つい、ネガティブなほうにばかり顔を向けてしまう。
 結局人は自分が見たいものを見る、ということから考えると、私もここはあえて、ああいうバカ男からは目をそらし、ちゃんとしている男性のほうを、しっかり見るべきですね。

 でもって。
 くどいようですがこの問題は、女性蔑視がどうとかではなく(そういう問題もあるでしょうが)、有権者の意を受けて働くはずの議員が、じつは、そんな気は全然ない(=有権者が託した政策を、じつはぜんぜん、まともに実行する気がない)ということを、本人がバラしてしまったということにあります。

 やる気がないならやめてもらえ、と私も思いますけれども。

 少子化対策等、真面目にやる気がないなら、なぜあんたはそこ(議席)に座っているんだね、と。
 そういうことが、ホントには、いちばんの問題ですね。

 ということで、じつは——今回の件で、「傷ついた」といっている女性もありますが、そんなことは言うもんじゃありませんよ、と、私としては申し上げたい。

 じつは昨夜も、某所でそんな話になって、
「あんなふうに女性を傷つける言い方はよくない」
 みたいな話になったんですが——いや、あんなもんでいちいち傷ついてあげる必要はないですよ、と、言いたくなりました。

 が、じっさいにそう言っちゃうとまた誤解されるだろうし説明すると時間がかかるので、そうですねえ、と曖昧にうなずいてしまった自分に今とっても後悔を感じてます。(^^;)

 いや、でも、ほんとそうなのよ——考えてもご覧なさいまし。世の中には他人を、とくに異性を傷つけたくて、なにかの「復讐」心にかられているキチガイが大勢いる、ということが、今回のことでよくわかりましたでしょ。
 でも、それらは基本的にはただの八つ当たり。
 私どもには関係のない話です。

 ただの八つ当たりを真に受けて、傷ついた、などというのは、相手の仕掛けたゲームにのってあげることを意味します。
 私はこれは、愚の骨頂だと思います。

 ただの八つ当たり、という、相手の非を、きっちり指摘するのは必要なことでもあるのでいいんですが、それでいちいち、こちらが「傷ついた」という必要はありません。

 じっさい、そんなことで傷ついてあげるべき理由はありません。

 馬鹿がなにをほざいていようと、こちらには関係ない。——それが「実相」のはずです。

 相手が、赤の他人にたいして八つ当たりしてくる。
 たわけ、と、その非を指摘するのは当たり前でも、本当にはなにも関係ないことなのに、傷つくわけはないのです。

 どういえばいいかな——たとえば、こちらはふつーに、自分の用事のために町を歩いている。すると、脇道からどこぞのガキが現れて、おもちゃのピストルをかまえ、「ばーん!」などという。
 たいていは、なんだこりゃ、と思って笑って通り過ぎますよね。

 でも、やられた! 傷ついた! 痛い! とわめくのは——それは、相手のガキは喜ぶでしょうけども、私がそれをハタから見ていたら、「え。ホントに痛いですか? いいんですよ、あのガキに合わせてあげなくても」と言いますよ。

 私としては、そんな感じ。

 クソガキの「ごっこ遊び」に、大人が真顔で痛がってあげる必要はありません。遊んであげるとしても、自分は何も痛みも怪我も負っていないことはわかったうえで、ガキに合わせてあげる。それでいいでしょうね。

 私はああいうクソガキと遊ぶ趣味はないので、なに言ってんだクソガキ、と思いながら道を急ぐだけですが。

 じつのところ。
 他人の言葉で傷つくということは、本来的にはありません。
 もし、そういうことがあるのだとしたら、それは、あなた自身が、自分で自分にそういう言葉を向けている——責めたり、罵倒したりしているからです。

 ようは、今回のような発言も、気にしない人間は、気にしない。
 気になって、傷ついた、と思うのは、自分自身が、自分をそうやって、心のどこかで責め苛んでいるからです。

 自分を救えるのは自分一人であるように、自分を、本当の意味で傷つけられるのは自分だけです。

 もちろん、通りすがりの他人にいきなり罵声を浴びせるクソガキの「遊び」は、遊びの範疇を超えているので、相手の非というものはきちんと指摘するべきですが。
 それは悪いことを悪いことだというだけのことで、自分がそれによって傷つくとは、思わないでほしい。

 私はこの言葉に傷ついた、なんて、そんな「自己暗示」は、かけないでください。

 私以上に私自身を傷つけ、損なえる人はいない。
 傷ついたと思うなら、それは、私が日頃、私自身についてそのように考えていることを指摘されたからに過ぎません。
 その他人に言われたことに傷ついたのではなく、日頃からそうやって自分をせめては自分を傷つけているのを、自分ではなかなか自覚できない。その自覚できなかったことを、他人によって自覚した。
 それだけのことです。

 そういうあたりに、もうちょっと気がついてもらえたらいいな。
 ——とは思ったんですけどねえ。
 これ、すぱっと一言で、「いや、そんなことじゃ傷つかないでしょ」などといったら、誤解されて怒られる。
 難しいですね、「話す」というのは。
  
 まあ、ああいう「クソガキ」にはクソガキなりの事情も理由もあるのであって、彼ら自身も、自分で自分にナイフの刃を突き立てているのですが——私がそういうあたりを関知するべき「義理」はないですね。(←それなりに怒ってはいる)

 本来人は、少なくともあの程度のことで傷つくようなことはない。

 他人の言葉で傷ついた、というイメージを、持たないでください。
 それは事実ではありませんが、そのイメージを持っていると、本当に自分が、簡単に他人に足蹴にされるくらいの弱い存在だと思い込んでしまうから。

 毅然としていてください。
 今回のようなことがあったなら、毅然として、何も傷ついてはいない自分を確かめてください。
 毅然として、その非を静かに指摘してあげれば、それだけでいい。

 自分を傷つけられるのは自分だけ。
 
 自分で、他人の言葉によって傷ついた自分、というイメージは持たないでください。
 ただ毅然として顔を上げてください。
 
 ということを、うまいこと、手短に、さっと表現する方法ってなんかないですかねえ。うーん。

 
関連記事
彼を知り己を知れば…とは言うものの
2014年06月23日 (月) | 編集 |
 東京都議会の質疑中の野次「事件」についてですが。
 すみません、いいかげんにその話題はなれろ、って思いますよね。(^^ゞ

 これ、とうとう海外で報道されてしまいまして。(--;)
 いやまあ、べつに、どこの国でもいまやマスメディアはアレなんで、いまさら驚きゃしませんが、ただ、これを甘く考えないほうがいいと思いまして。

 案の定、ネット上では「海外、騒ぎ過ぎ」というご意見がありますが、これがねえ、そうとも言えないんですよ。

 こういう「差別」問題については、アチラはそりゃあ敏感なんですよ。
 日本社会は本音と建前がひどいとか、アチラの連中はいいますが、なに、欧米の、キリスト教文明社会はある意味、日本よりも激しいですよ。その「建前」の厳しさは。

 これは昨今ではもう女性に限らなくなりましたが、とにかく、ひとさまの年齢を聞くのはタブー、というのも厳しいです。本人が言いださない限り、相手が女性でも男性でも、年齢を聞くのは基本的に無礼なこと。

 本来、「プライバシー」という概念はきわめて強いものです。日本のカタカナ語のプライバシーは大した意味を持ちませんが(『パーソナル』程度の意味しかない。たいていは)、本来の意味でのプライバシーというのは、かなり厳しいです。

 日本でも、いくら友人宅であっても勝手に鍵を開けて家の中に入り込んだりしませんよね。プライバシー、というのは、そういうものです。

 私もダメだなーと思ったことがあるのは、何を言ったのか自分でも覚えていませんが、まあ、そういう、女性を貶めるような言い方をしたとき、アメリカ人男性からびしっと、そういうことをいうものではない、と指摘されまして。
 同じく、ヨーロッパ某国出身の、当時の上司にも、そんなことを言われたなあ。
 
 来客時に、日本人上司がお茶を出して、といって来たので、席を立とうとしたら、ヨーロッパ某国出身の上司が見とがめて、
「彼女はいま、別の仕事をしている。ほかの手隙のものに言いなさい」
 と言いました。
 いえべつにいいですよ、と言ったら、「あなたはあなたの仕事をしなさい」とびしっと言われてしまいました。
 
 結局、ほかの人が、気の毒に休憩中だったのに、お茶の準備に呼ばれて行きましたが、あとから、その上司には「お茶汲みは女性という慣習が日本にあるのは知っているが、よくないことだ」と、こそっと言われました。

 厳しいな、と思いましたよ。
 というか、私自身の認識の甘さを感じたというべきか。
 私は男尊女卑嫌い、同じ理由でフェミニズム苦手、という人間ですが、それでも——旧来の文化を我が常識にしてしまっているんだな、と思いました。

 これがかれこれ20年前の話ですからねえ。今は、もっとそういう意識が浸透しているんじゃないかな。社会全体として。
 ゆえに、そういう社会からみれば今回のようなことは、とてつもなく非文明的なことに思われるでしょう。とするなら、あの反応はそう意外なものではありません。

 そんなの常識、当たり前——と思うことほど、じつはただの自分の思い込みや習慣に過ぎない。そういうことが多いんじゃないかな。
 常識を疑え、といったところで、本当にしみついているものですと、自分はコレを常識だと思っている、とさえ認識できない。
 疑える常識なら、まだまだ自分の身にはしみついてはいない、ということでしょうかね。
 自分ではをそれを当たり前だと思っているけど本当にそうか? と思うのは、たいてい、こうやって、「外部」からの刺激があったときですもんねえ。

 なんにしろ、このような話になりますと、外国流を日本に持ち込むな、と、「日本的価値観をもつ人々」は反発するでしょうね。
 私としても面倒なんで、そう思うならどうぞそうなさいましとしか言いませんが、自分がどう思うにせよ、欧米中心の文化では、かように、いまは厳しい意識を持っている、ということは、「現実」として、わきまえておくべきことと思います。

 自分流を通したいなら、それはそれでけっこうですが、相手方の流儀をわきまえておくことも必要です。

 なぜというに、相手流のやりかたを知っておかないと、自分流を通すことはできませんから。

 不要な摩擦を避けつつ、自分のやりたい方法を通す。これが知恵というものです。

 私個人がああいう「欧米流建前」をどう思うかというと、「本音が違うとしても、建前だけでも守ろうとするところはエライ」です。
 日本ではわりとそういうあたり、なあなあのなし崩しになって、それで元の木阿弥ということが多いからなあ。

 ただ、本音にしろ建前にしろ、あんまり強くこだわると、——つまり、「ねばならぬ」の意識で凝り固まると、自由に身動きとれなくなりますから、それは避けたい。
 本音も建前もあるでしょうが、臨機応変、柔軟に動けるように、そのどちらにも拘泥しない、という心がけが必要だと思っております。
 なかなか「修行」が要ることですが。

 しかしまあ——ネットというのはホントによくよく、馬鹿をあぶり出してくれますよねえ。不愉快ではあるにしても、その点については感心しています。
 
 
関連記事
あきめくら
2014年06月22日 (日) | 編集 |
 それはいったい、なんの言い訳のつもりだ? と思いますね。

 東京都議会の、女性議員が質疑中に野次という形で誹謗された件。

 この問題は何が問題かというなら、質疑とは無関係の、その女性議員の「プライバシー」に踏み込んだ侮辱がなされたという、いわば「公衆の面前での名誉毀損」があった、ということが、まずひとつ。

 名誉毀損だけでも立派なもんですが、それが、こともあろうに議会の質疑中、という「おおやけ」の場所と時間だったということも、さらなる悪質さをもたらしている、ということ。
 さらに、おおやけでそういうことを表明したことにより、議会は、——少なくともそのヤジをとばした議員は、たいへん重大な、「職務放棄」を宣言した。
 たぶん、これがいっちばんの「問題」です。

 野次くらい「常識」だ、というご意見もありますが、そもそも、そういう聞くに堪えない、放送禁止用語が飛び交う事態が異常ですし、その異常に対して無感覚になっているとなると、すでに精神衛生に問題が生じています。

 議会は、子供たちが「社会科見学」の一環で訪れることもありますが、子供たちの面前で、ああいう、学級崩壊の有様を見せることにためらいがない、「これが常識」と言い放つ、さもしい精神はさすがに問題です。

 小学校ではなく、議会こそが学級崩壊である、とは、たしかに現実ではありますが、見苦しいもの、劣ったもの、問題であることを解決し、向上しようというのが人間社会のひとつのありようでしょう。
 自堕落に過ごすことを「常識」と言い放ち、犯罪者を野放しにする。これは公人としての適性とはいいがたい。

 私は今回のことは、あらためて議会運営の在り方、不規則発言を野放しにしすぎてきたことによる弊害をただす、いい機会にできる、そのチャンスだと感じました。

 さて、ところが。
 この野次について、この女性議員が鼻持ちならない女で、過去にはふざけた発言をしている、という、それこそどーでもいいプライバシーを持ち出して、「ああいう侮辱をされて当然」という理由で、あの野次を正当化しようとするご意見があることには、さすがにびっくりですね。

 なんの言い訳になるのかねそれが。

 名誉毀損は名誉毀損ですよ。
 Aさんは品行方正だから、名誉毀損をした犯人は有罪だけど、Bさんは嫌われものだから、犯人は無罪だよ。
 ——こういう発想がまかり通ると思っているのでしょうか。
 これはシナ人や朝鮮人の発想ですよ? あの法治の概念のない、情実——「人治」社会のね。
 
 そういう理屈が通ると思っているのなら、その人は「法の支配」の概念を理解していない。
「おおやけ」とはどういうことか、わかっていない。
 つまり左巻きですね。

 この場合、問題は、あの罵倒が、「公の場」で行われた、ということが大きい。
 議会休憩中、お茶を飲みながらの場所と時間で、とあるセンセイが、この女性議員に、「あんな質疑してないで自分が結婚しろ」と言ったのなら、まあこれは、そのセンセイと議員との個人的なケンカでしょう。

 がしかし、議会という場所において、議員という公人に向かって、プライバシーに踏み込んだ侮辱を行ったということは、個人を侮辱したというのとは全く異なる性質を帯びることになります。

 その侮辱は、議員一人へ向けたものではなく、議員がその背中に背負っているもの——有権者、この場合は都民全体に対し、「女はさっさと結婚して子供を産め」と発言したことになる。

 結婚にしろ、子供を持つことにしろ、それがなかなかできないということの原因には、社会的背景の影響は少なくない。
 だからその住民たちは、自分が努力するのは当たり前としても、「おおやけ」も、制度を作る、あらためる。企業をふくめた社会そのものを整え、「改善」してもらうことを期待している。

 問題があるから少子化という「現象」がある。
 この現象を解消するために、問題を解決する。

 それが「おおやけ」のすることであるにもかかわらず、その問題を解決する意志はありません、ということを、あの野次は示したことになります。

 つまり、俺ら都議会議員は、この問題について仕事をする気はないよ、と。
 あんたら庶民がうまいことやればいいんだよ。と。

 こういうことを言ったに等しい(と思われている)わけで、だから、「職務放棄か? ふざけんな」ということにも、なっているわけ。

 まあ、ご本人にしたら「そういうつもりはなかった」のかもしれないので、さっさと本人が名乗り出て、発言の真意を説明すべきでしょう。
 そうじゃないと、上記の解釈がそのまま採用されていきますが、それでいいんでしょうかね。
 本人が、その解釈されているとおりですというなら、このまま黙って隠れていてもいいと思いますけど。

 ………あー……。
 なんでこんなわかりきったことを、いちいちいちいちいちいち説明しないといけないんでしょうかね。
 ばからしい。

 ということで、あくまでもこれは、公の機関が、自分たちの職務放棄を示した、ということが、もっとも大きな問題点です。
 この問題点に対し、「あの女はああいうことを言われて当然」 などというのが、いかに的外れな「擁護」か、わかるでしょういいかげん。

 あの女性議員が過去に何を言ったとか、そういうことはいっさい、この場合の問題には関わりはない。
 そこを理解していないというだけで、みずからの脳味噌の貧弱さを暴露しているということを、自覚してもらいたいです。面倒くさいから。いちいち。

 社会的な問題を解決するために、知恵を出し合って解決策を形にするのが、地方の行政、ときに立法をも行う機関の役割なのに、「問題はあるけど、解決しない。おまえら勝手にやれ」とはいい度胸です。

 この問題の本質は、議員のそういう「本音」を、自らが暴露したところにある。違いますかね。
 
 もちろん女性蔑視、「学級崩壊」、ということも、問題ではありますが——この場合はそちらのほうは、問題の「本質」ではないな。
 本質ではないところであれこれいっても、時間の無駄です。

 今回の場合、いちばん根源的な問題は、このセンセイがたは、惰眠と無駄飯をむさぼっているだけだ、ということを、自ら示したことにある。
 ゆえに、その女性議員の人柄なんてのはどうでもいい話。
 その人柄を攻撃する事自体、たいへん愚かな中傷行為だというしかありませんが、それにしても、そんなことは言い訳にもなりませんということです。

 どうしてこう、どいつこいつも、こうも気持ちよく、ものごとの本質、本論を見落として、勝手な「怨念」をぶつけてくるんですかねえ。

 ところで、その結婚問題なんですが。

 私もそうでしたし、私の周囲でも、女性は子供を欲しがらないのではありませんよ。
 私としては、結婚と子供を持つことを切り離してほしいと思いましたし、また、既婚の友人たちもみな、ため息まじりに言ったのは、「子供はほしいが、希望する人数の子供をもち、育てることは経済的にできない」ということでした。

 このへんは個人の力だけではいかんともしがたい。だから公的な機関への対策をお願いしているというのに、この態度。
 そりゃ怒られて当たり前ですよ。
 この問題について、鼻くそほじって周囲に飛ばすくらいのことしかやらないよ、と「自白」したんですから。

 ちなみに。
 もしも本当に、その野次野郎が、かの女性議員に早く身を固めてほしいと思うなら、いい人を紹介するのがいちばんでしょう。なぜそうしないの?

 ——私なんぞも、その昔、会社のオジサン、仮名Aさんに、
「みずはらさんは結婚しないの?」
 と言われたので、超・真顔で、
「私も早く結婚したいんですけど、なかなかいい人がいなくて。Aさん、ぜひ、どなたかご紹介いただけませんか?」
 といったら、その場は笑ってごまかされ、その後はもう2度と、そんなことは言われませんでした。

 どういうことだよ、失敬な(笑)
 ちゃんと面倒を見る気がないんだったら、人のプライバシーを侵害すんな、てんですよ。ねえ。

 
 
関連記事
サイコパス議会
2014年06月21日 (土) | 編集 |
 本日は、1年の中でもっとも日の長い、夏至でございます。midsummer ですね。
 とはいえ——今年もこんな天気か〜、と、どんより曇った空を眺めております。

 まったく日本も因果なもんです。1年で最も美しい、快適なはずの季節が、梅雨の時期になっているとは。
 暗く雨雲に閉ざされているせいで、日本では夏至はあんまり人々に気づかれもせずに通り過ぎていく。

 なんかこう——ぱあっとできませんかねぱあっと。

        ●

 昨日のエントリーでは、東京都議会の質疑中、不規則発言が相次いだこと、その発言が個人を誹謗をしたものであったことをとりあげ、その「匿名の発言者」について、私は「精神構造が強姦魔と同じ」と申しました。

 基本、ケガレという思想、信仰を持つ日本では、犯罪者というのはケガレのかたまりであり、犯罪者というだけでも忌避されますが、なかんずく、この性犯罪者というのは、犯罪者というよりも、「病気」であるゆえに——しかも生きている限りは治らない病気もちなので——、なおいっそう、嫌悪感がつのる。と思います。
 
 さてしかし——こういう発言をする人って精神的な強姦魔だよねと、ポンといっても、あんまり理解はされないんじゃないかな、と自分でも思い、1日、ぼんやり考えておりました。

 精神構造が強姦魔——と言ったとき、ひとさまは、どういうものをイメージするだろう。

 私もいささか直感頼みのところがあって、直感的にものの形や本質をつかむというのはいいとしても、そのつかんだものを言語化する、という作業が、案外、苦手です。
 自分一人だけが納得する言葉にするから(ようは独りよがり)、ひとさまがそれを聞いたらどう思うか、というあたりに、想像力が働かないというところがあるんですよね。(--;)

 ともあれ、精神構造が強姦魔、という言い方もちょっとあぶねーかな、と思い、………まして、「女性にも、精神構造が強姦魔、という人はいる」とは、へんなほうへ誤解されるかもしれないなと反省しまして。

 では、強姦魔の精神構造、と私が口走るとき、なにをつかまえているのか。

 ——たぶん、わりと一般的にわかりやすい言い方に直すなら「サイコパス」ですね。

 サイコパス psychopath というのはある種の異常心理の持ち主のことで、まあ詳細は、ウィキペディアか、あるいは下記サイト様がわかりやすいかと。

サイコパスとは何か  What is Psychopath?
http://www.psy-nd.info

 サイコパスというのは異常性格を持ち、反社会的であり、良心が欠如している異常者ですが、でもこれ——案外「正常」との境ははっきりしないんですよね。
 以下はその主な特徴なんですが。

1. 口達者/表面的な魅力
2. 誇大的な自己価値観
3. 刺激を求める/退屈しやすい
4. 病的な虚言
5. 偽り騙す傾向/操作的(人を操る)
6. 良心の呵責・罪悪感の欠如
7. 浅薄な感情
8. 冷淡で共感性の欠如
9. 寄生的生活様式
10. 行動のコントロールができない
11. 放逸な性行動
12. 幼少期の問題行動
13. 現実的・長期的な目標の欠如
14. 衝動的
15. 無責任
16. 自分の行動に対して責任が取れない
17. 数多くの婚姻関係
18. 少年非行
19. 仮釈放の取消
20. 多種多様な犯罪歴

 強姦魔もそうですし、テロリストもかなりこれに該当すると言われているそうで。

 特徴を見ると、どれかひとつふたつ、自分にも心当たりがある、というものがありませんか。
 異常心理を持つとはいえ、正常者とサイコパスというのは、それほど明確な境界があるわけではない。——というあたりが、事態を複雑そうに見せる理由なんだろうな、と思っております。

 今回の発言者ですと、上記リストのうち、やはり、口達者、良心の欠如、共感能力の欠如、行動のコントロールができない、衝動的、無責任、あたりが該当しますね。

 異常性格の人というのはふだんはそれなりに「隠す」ことができる。ゆえに、私どもは、自分がもしかしたらサイコパスであることにも、隣にいる「普通の人」がじつはサイコパスであることにも、なかなか気づかない。そういうことは多いようです。
 大きな事件を起こしたときに、あの人が? とびっくりする。

 今回のヤジを飛ばした人たちも、そのあたりに該当するんだろうなと思っています。

 あとは——毎度のことですが、あのヤジ議員を擁護するご意見の中に「ヤジはよくないだろうが、言っている内容は正論」というのがあってこれ、ほんとにうんざりしますね。

 ただ単に、「自分と同じ意見」のことを「正論」というのは、ホントにやめてもらいたい。「問題日本語」のひとつですねこれ。

 ちなみに、その擁護派のご意見に反論するなら。
 結婚もしていない、子供も産んでいないヤツが少子化対策を論じることは適任ではないというのなら、議会議題にあがることについて、議員全員が参加することはごくまれである、という事態になる。
 それでもこれを正論というのか。

 教育者をやったことはない人は教育政策に関われない。国防の前線にいったことがないひとは国防を語れない。高校卒業者は大学改革を語れない。外国語を話せないやつは外務委員会(国会ならね)の委員は務まらない。
 そういうことでよろしいか?

 あんまりガキくせー意見なのでとりあげるのもどうかとは思いましたが、ようは今回のヤジの中には「独身者はこの政策を語る資格はない」というものがあったので、——いい大人がいうことじゃないだろう、と思いましたが、「公人」たる、東京都議会議員の先生がそんなことをおっしゃるのでは、やはり黙っているのもよろしくないと思い、書きました。

 しかし——世の中、年齢に関係ない「精神的なクソガキ」が多すぎませんかね;;

 やっと話が元に戻りますが。

 そんなわけで、「精神構造が強姦魔と同じ」「女性にもその精神構造は存在する」というと誤解されるでしょうが、サイコパスの要素がある、という言い方なら、「女性にもこういう人がいる」ことは、わかっていただけるかな、と。

 良心の欠如。共感(能力)がない。冷酷。自己中心的。善意がない。
 衝動的に行動し、嘘をつき、責任を取るということができない。

 ——ね。
 今回のヤジとその発言者の行動の内容に、合致しますでしょ。
 議員としての信条あっての発言ならその責任を自覚して行動するのが当たり前なのに、いまにいたるも、発言者は名乗り出ない。

 ママのスカートの陰に隠れ、こっそり周囲の大人たちのようすを上目遣いでうかがっている、蛇のような目をしたクソガキが、私の脳裏には思い浮かびますよ。

 たぶん、そのサイコパスの行動のなかでも、もっともわかりやすいのが強姦という犯罪なので、それで、私もつい、「精神構造が強姦魔と同じ」と、表現してしまいました。

 ただ、やはりひとつ気をつけておきたいと思うのは。
 この異常心理は、誰にとっても他人事ではないということ。

 異常心理が定着しきって「異常性格」になると完全に犯罪者ですが(サイコパスの特徴のひとつに反社会的ということがある)、性格というところにまで定着していなくても、状況次第では、こういう傾向を発揮してしまう危険性は、たいていの人は持っている。
 
 サイコパスは社会の中に潜み、見つけにくいといわれるのは、そういうことなんじゃないかな、と思います。

 サイコパスにはなりたくないなと思うのなら。
 
 気持ちを明るく持ち、「愛」の思いを身につける。これがいちばんです。

 サイコパスの特徴や、そのチェックリストというのを眺めていると気がつくのは、「すべて、愛があれば実現しないことばかり」ということ。

 自分を愛すること。
 いわゆる自己中というのは自分を愛してはいません。エゴに愛はありません。エゴはむしろ、愛のない自我のことだと思います。

 All you need is Love って、あれ、嘘じゃなかったんだな、としみじみ思いますよ。
 ビートルズは偉大でしたね。(^^;)

 
関連記事
京都、神戸行き(2)
2014年06月20日 (金) | 編集 |
 なにかと時事問題等で文句を垂れる私ですので、この件についても何か言っても不思議はないところでしょうが。
 でも、あんまり、言いたくないです。(^^;)

塩村文夏都議へセクハラ発言 声紋分析も
2014年6月20日8時50分 日刊スポーツ
http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp0-20140620-1320744.html

 都議会において、質疑中の女性議員に対し、自民党会派のほうから、「自分が早く結婚しろ」「産めないのか」という野次が飛んだという「事件」。

 なんかもうねー。全方位的に馬鹿だとしかいいようがないし、この場合、侮辱されたのは議員一人ではないことになるので、ただただ、その非常識ぶり、考えのなさ、愚かさには驚き、呆れるばかり。
 質疑を一時中断し、「今言ったのはだれだ。テメエ、前に出てこい!」とくらいは言ってもよかったと思います。

 こういうこと(=性犯罪発言)を言える人というのは(男女を問わず)ようは、精神構造が、強姦魔と同じなんですよね。
(女性で強姦魔の精神構造? と思うかもしれませんが、ありますよ〜。じっさいにそういう犯行に及ぶかどうかはともかく、価値観や考え方、精神のありようということでは)

 じっさいに今回の発言者たちが、陰でそういう犯罪を犯していても私は驚かないな。ホントに実行してんじゃないのこの連中。
 ——と、思ってしまうほど、同じ精神構造が透けてみえる。

 強姦魔をみたとき、ふつーの人なら、男女を問わず嫌悪感を持つものですよ。
 近寄りたくないし口も利きたくない。視界に入ってくること自体、ケガレというものです。まったくなんと汚らわしいことか。
 ただいまの私の感覚はそんなところです。(^^;)
 だから、いまはあんまり、話す気も起きない。

 音声等、記録されているものには限界はあるでしょうが、可能な限り、個人特定がなされることを希望します。
 なにしろこの発言者らは、都民の代表たる立派な公人であるうえ、議会という公の場でのことですから、その発言にももちろん公的な責任を負っているのです。百もご承知のことでしょうが。
 発言の趣旨を説明するのが筋です。

 公人である以上、本来は、特定される前にみずから名乗り出て、己の信ずるところをどうどうと開陳なさるのが、ほんとうはいちばん真っ当な対応です。

 でも、性犯罪者に真っ当な対応を期待できるものではない。それも事実ですから。
 個人の特定とその公表を望みます。

 それとも警察に捜査に入ってもらったほうがいいですか?

       ●

 ホテルから荷物といっしょに送った、「北斎展」の図録が帰ってきました。
IMG_0432.jpg

 今回はもう足の痛みがどうしようもなくて、根性なくも荷物をホテルから自宅に送っておりました。——体力をお金で購(あがな)う五月(さつき)かな。……うーん意味不明。

 ともあれ図録。
 あらためて見ますと、作品解説が詳細なので、読み物としても迫力満点です。英文解説も詳細なものです。

 ちなみに、会場では音声ガイドの貸し出しもありまして、500円+消費税。
 私としては音声ガイドのご使用をおすすめしたいです。

 もちろん展示物の周辺にも解説は掲示されていますが、音声ガイドですともうちょっと詳細な説明もありますし、トリビア的なお話やエピソードも聞けますし、作品を見る楽しさが増します。

 ちなみに、今回の音声ガイドは市川猿之助丈でした。………音声ガイドがどなたかということを知ったときは、あらエン様だわ♡ と喜んでおりました。(^^;)

 それにしても。
 今回は私、運がよかった。

 ホテルから神戸市立博物館までは歩いて10分ちょっと、という距離だったし、ホテルのチェックアウトタイムが正午ということで、朝ご飯をそうそうに済ませ、朝イチで博物館へ行くことにしました。
 観覧に1時間、移動その他に1時間を見込んでも、11時半ころにはホテルに戻れるから、チェックアウトタイムにも間に合うしということで。
 ホテルに荷物を置いて身軽にいきました。

 朝はまだ小雨がぱらついている(でもほとんどやんでいる)程度でしたが。
 びっくりしたのは、いきなりそこで並んだこと。
 平日ですから、朝イチとはいえ、そんなに混まないだろうと思ったんですけどねえ。甘かったです。

 とはいえ、さすがにそこは朝イチ。チケットを買うとすぐに中へ入れました。
 予想よりも人が多いのにはちょっとだけ、めげましたが、でもまあ、絵を見たくても人の頭しか見えないなんてこともない程度で、よかったです。

 じっくり見て、図録も買って、できればここのティールームでお茶したかったな〜と未練を残しつつ1階へ、階段でおりていったら。
 エントランスホールには、入場待ちの人の列が!!

 入場まで30分ほど待つ、と書かれた札を見て、うわ、と思いました。
 …………朝イチでいって正解でした。

 さすが葛飾北斎。やっぱり、見たいという人は大勢いるんですね。あれで土日に行ったらどうなるんだろう。

 展示品のほうですが。
 前回のボストン美術館展は、肉筆浮世絵、ということで、じっさい本人が描いた絵が中心でした。
 今回は、肉筆ではなく、印刷された浮世絵。

 やはり筆遣いのタッチの面白さは肉筆画ですが、浮世絵も——やっぱり、じっさいに見ると感動しますね。
 細いペンで書いたとしか思えない繊細な線、これがぜんぶ、木に彫り込まれたものかと思うとくらくらしました。(^^;)

 面白かったのは、空摺り(からすり)って言うんだったかな。版木に、わざとなにも色を載せず、そのまま紙をおいて摺るのですが、色がないから、版木の線だけが、紙に写る。つまり紙に凹凸の線だけがうつるのですね。
 エンボス加工みたいな——こればっかりはもう、印刷には出ませんねー。
 これは自分の目で見られるからこそだな、と思いつつ、その凝りように感心しました。

 じっくり楽しく見た後はホテルへ戻り、チェックアウトし、荷物を発送し、新神戸駅へ。
 ここのコインロッカーにお土産を預けて、布引ハーブ園へ。

IMG_0412.jpg

 お天気は——雨はほとんどやんでいましたが、晴れ間ということもなくて、どよよんとした空でしたが。
 でも、バラの季節でもあり、ローズガーデンで、期間限定のハーブティーも美味しく——鳥の声はにぎやかだし、雨がぱらぱらしているのに日が射してきたりして、狐の嫁入りも面白く。

IMG_0416.jpg

 園内も、以前よりもいろいろと植物の種類も増えているし、遊歩道というのでしょうか、そちらの整備もすすんでいて、ベンチの数も多く、ゆっくり、のんびりできました。

IMG_0426.jpg
IMG_0424.jpg
IMG_0413.jpg

 で、「ああ俗界へ戻りたくない」と嘆くわけですが。(^^;)

 今回はロープウェイに乗っているとき、ちょっと風に吹かれまして。
 ゴンドラが通常よりはちょっとだけ横揺れしたときは、このまま止まったら面白いな、などと考えておりました。じっさいそうなったら面白いどころじゃないけど。

 私は狭いところはダメなんですが、高いところはわりと平気。ナントカは高いところが好きというアレです(笑)

 そんなこんなの神戸行き。楽しんでまいりました。
 お天気がよかったら、もっとよかったけどなあ。(^^;)
 でも、いつぞやのように土砂降りの雨ではなかったので、やはり、よかったです。

 
 
関連記事
京都、神戸行き(1)
2014年06月19日 (木) | 編集 |
 そんなわけで、京都、神戸から戻りました。

 6月というのは閑散期のひとつで、ホテルもお安くなるのですが、まあ時期として、天気には恵まれないことは多い。(^^;)
 まあ、しょうがないですねこのへん。
 今日はわりと晴れているところが多いようで「昨日、この天気だったなら」と口惜しく思っておりますが………うん、まあ、安いし空いているから快適だし、それはもうしょうがない。どちらか、ですよね。(^^;)

 今回は、京都では、京都国立近代美術館でただいま開催中の「上村松篁展」。
 神戸では、神戸市博物館では、「北斎展」へ、いってまいりました。

 上村松園さんの絵というのはわりと目にする機会があるのですが、そのご子息である松篁さんは、私にはなかなかご縁がなく、また、作品がこうやって集まるのも貴重な機会と思えたのでいってきました。

IMG_0364.jpg

 美術学校の卒業制作の作品から最晩年のものまであるので——迫力ありましたよ〜。変遷、というものが、よくわかりました。
 
 さすがに90歳を超えてきた、最晩年の作品は、若い頃のそれと比べると細密さを保つことはできない(技量ではなく体力の問題で)ということが察せられる感じでしたが、でも——細密さはありませんが、数歩離れて画面全体を見るときのバランスというのは——円熟というものを感じますと同時に、まるで子供が描いたような無邪気な——ケレンのない、素直な視線があるようで、面白いなあと思いました。

 絵の迫力、気力横溢といえば、40代〜60代くらいがやはり最高なんだろうなという感じですが、しかし、「枯れた」わけではない、ただ子供と、円熟の老人が同居しているようなタッチが印象に残りました。

 4階の常設展には、上村松園さんの絵もありまして。
 やはりこちらも、きれいなものでした。

 図録は——じつは今回は買わずにきちゃったんですけども。
 というのは、展示会へいくといつもこうなんだど、実物を目にした後で図録の写真を見ると、なんかこう、無闇にがっかりするんですよね。(^^;)
 ああやはり印刷には出ていない……、と思うとがっかりする。

 それでも、家に帰れば、記憶を辿るものとして、図録があるといいということは、経験上わかっているのに。
 今回は、まだ図録以外の各書籍もあるということと——なによりも、じつは今回、少々、膝を傷め気味で痛かったので——で、重い本をもって神苑へいくのもどうかと思いまして、買わずにきてしまいました。

 しかしやはり今になると——原画のよさはほとんど写されていない図録でも、でも、やはり買えばよかった、と後悔中です;;

 今回の旅行は、1日目京都、2日目神戸。
 どちらも、展覧会をみたあとは、平安神宮から神苑、神戸では、布引山へ登って布引ハーブ園ということで、お庭めぐりというコースになりました。
 天候次第では、ハーブ園は諦めてモザイクか三宮で買い物かな、と思っていましたが、——昨日は晴れではないにしろ、土砂降りということでもなくて、無事、お庭をめぐってまいりました。

 平安神宮から神苑(入園料600円也)へ参りましたのは、20数年ぶりでした。
 以前にいったときは真冬、2月でしたから、お庭も、きれいっちゃあきれいですけど、所詮(?)冬ですからね……。
 今回は緑はあるしお花も多いし、ああいいなあ、と思ってゆっくり歩いてきました。

 池にある、飛び石を連ねた「橋」「臥龍橋」——橋がわたっているというよりは、飛び石がつづいていて、池をわたることができるという形状です。
 その橋のたもとに、「ご覧のとおりの飛び石なので、水に落ちないように気をつけて」的な注意書きがありました。
 ちゃんと読んでいませんが(←コラ;;)、ようは、水に落ちても自己責任だよ、という趣旨に受け止めました。
「てことは、この橋を渡ること自体は、禁止はしていないんだな?」
 と思い、踏み石を気をつけて踏みながら通りました。
 池の中央とはいいませんが、水のなかから周囲を見渡すというのも、なかなか楽しかったです。(^-^)
IMG_0390.jpg
IMG_0389.jpg
IMG_0384.jpg
IMG_0382.jpg
IMG_0375.jpg

 天気がイマイチなせいかどうか、人が少なくて、ゆっくりできてよかったです。
 20年前よりも、庭が落ち着いているというか馴染んでいるというか——20年前にいったときには、まだ、やけに「人工」のニオイがしていたように記憶しておりますが……それともあれは、冬枯れの景色だったせいか。

 神苑がニュース等でテレビに映るときには必ず映される、橋殿(はしどの)、「泰平閣(たいへいかく)」にはさすがに人がそれなりにいましたが、人でびっしり、ということもなく、これまたゆっくり、景色を味わうことができてようございました。

IMG_0395.jpg
IMG_0403.jpg

 私は橋殿のうえから、身を乗り出すようにしていたのですが、ふと、下を見ると亀がひょいひょいと泳いでくる。
 あ、亀だ、と思って見ていると、亀さん、首を水面上に出したまま、向こうに行くかと思いきや、またこっちへ戻ってくる。
 なんとなくそのへんでうろうろしている感じだったので気がつき、
「ああ、悪い悪い。エサはないんだよ〜」
 といって、離れました。

 水面上に体を伸ばしていたので、亀が、エサをくれると思ったのかどうか。
 ともあれ私の影の下で右にいったり左に行ったりしていたので——勘違いさせていたならごめんなさい、でした。(^^;)

 鯉も大きくて立派な鯉が多かったしなあ。いい環境なんでしょうねえ。——あの分だったら池の主もいそうですね。……あの池の主は、鯉か、亀か。

 今朝の新聞には、外国人のツアーが増えていて、バスが間に合わない状況になっているとありましたが、ほんとに、多かったですねえ。

 京都は昔から外国からのお客さんは多かったでしょうが、今回はホントに、多いなと感じました。

 近代美術館では、白人の団体さんがいらっしゃってちょっとびっくり。
 欧米のお客さんというのはわりと個人旅行が多いという印象で、団体さんでくるイメージがなかったので。

 で、やっぱり多いなあと思ったのはシナ人。
 観光バスもありましたし、——私は京都駅から市バスで行きましたが、バスのなかでも、大勢いらっしゃいました。
 個人旅行らしい人もいたし、団体さんがフリータイムで個別に行動しているんだな、という人たちもいました。
 
 ……………いやべつにいいんですけど。
 ただ、多いな、と思って。(^^;)

 
関連記事
本日は神戸
2014年06月18日 (水) | 編集 |
IMG_0414.jpg

ということで、神戸におります。

最大の目的、葛飾北斎展をまわりまして、ただいま一服しております。

雨交じりの森というのもいいものですね。
風が渡るたび聞こえる葉擦れの音が、いいんですよ。

さっきからウグイスがいい声を聞かせてくれています。
鳥がこれだけにぎやかなら、雨もこれから落ち着いていくんでしょう。(^_^)

なんかもう俗界には戻りたくない感じなんですが、それはそれとして、すでに足の裏の皮が剥けるんじゃないかと思うほど痛いんで、これからどうしようかな、と考え中……。

  
関連記事