パーソナリティ・チェック

 なかなか面白かったです。
「メンタリストDaiGoのパーソナリティチェック」。
  ↓↓↓
https://cp.yoshi-toku.jp/daigo-personalcheck/

 こちらは、「らばQ」様の記事で拝見し、へー、と思って私も拝見に行ってきました。

 私の結果は「不思議ちゃん少女」。
 不思議ちゃんといわれたことはないのですが、内容を読むとかなり心当たりがあるので、………当たってんですかねやっぱり。(^^;)
 不思議ちゃん少女については、上記、らばQ様の記事のなかでも紹介されているので(スクリーンショット)、興味がある方はそちらをどうぞ。


持ち前の観察力や分析力は自分の興味ある事柄に注ぎ込まれ、
周囲の人にそれが向くことは稀です。

空気が読めないということを通り越して、独創的な変わり者だと思われます。



 このへんが思わず「………すみません」というところなんですが。
 空気はねえ。読むんですよいちおう。
 空気は読むし、他人からの評価というのも、すんごい気にするんです。
 気にするんですが、それが、最終的になにかを決定するときの要素にならない。
 つまり、こんなことをいったらダメかなー、といいつつ、言っちゃうんですね最終的には。

 ゆえに、他人から見れば、結果的には、空気を読んでいないのと同じことになるだろう——と思ったら、思わず「すみません」と。
 そうやって謝るわりには、じっさいの行動には結びつかないです。
「悔い」はするけど、「改め」ない。(^^;)

 よく、お友達と同じようにテレビ番組を見るとか、ゲームをやらないといじめられるのでは。という、親御さんのご心配を聞くことがありますが、——私はそういうわけで、同世代のひとならたいてい知っているようなものを、知らずにここまできております。
 ことにギャングエイジ、その後の「見た目は人間、中身は野獣よりヒドイ」というお年頃、中学のころは、あとから思い出すと、ほんと、よくあれでいじめられなかったなと思うくらい、当時の流行のテレビ番組とか、見なかったです。

 いまだに、ひょうきん族のネタとか言われても、ぽかんとしているときがあります。
 アダモちゃんが近年、なつかしのキャラ、みたいにテレビに登場なさったときも、私としては「は?」でしたすみません。
 そんな調子では、友達と話が合わなかったのでは? といわれたこともありますが、——そのへんで苦労した覚えもない。
 無理して合わせようとした覚えもありません。友達がそういう話題で話しているときは、へえ、といいながら聞き役一方。その話題を離れて、私も話せることになれば、話す、というような調子でした。

 ……周囲の友人たちのほうが、あきらめていたのかもしれない。とは思ったことがありますが——「不思議ちゃん」てほどでもなかっただろうと思う……自分では。

 よくあんなんでいじめられなかったもんだと言ったらば、私よりも当時の私のことを記憶している母には、
「あんたは自分からいじめかえしたんでしょうが」
 と言われました。

 ああ……、シカトといういじめに加担するように脅迫してきたクソガキどもを追っ払った、あの一件ですね。(^^;)

2013/09/26 エントリ「願い下げ」
http://hsmile.blog4.fc2.com/blog-entry-4003.html

 私は全く記憶していませんが、この当時の私は相当「ひそかな問題児」であったようで。
 ——親や先生を手こずらせるようなことはしないし、友達ともトラブルを起こすこともないけれども、どこかこう——なじまない、周囲を完全に馬鹿にしている、というところが、周囲の大人たちからみると「問題」だったようです。

 あんたは先生にはこういうことをした、こんなことを言った、と、親のほうがよく覚えていて、本人は、え、そんなことした? ときょとんとしたり。(^^;)

 あるときなどは、当時担任のS先生は、「みずはらさんは、子どものなかに大人がひとり混ざっている、という感じで、気の毒です」と、うちの親にもらしたそうな。
 一生懸命、無理をして、周囲のクソガキレベルに合わせている、というように、先生には見えていたらしい——とのこと。

 うーん。まあ、そうなのかなあ。
 中学時代はほんとうに息苦しくてたまらず、高校で少し楽になり、大学へ行ったらもう、のびのびしていたというのは、そういう側面もあったかもしれません。

 さて、この「パーソナリティチェック」ですが。
 らばQ様の記事にもあるように、本人が直接導きだした答えと、他人が、「彼はこういうふうだと思う」ということでチェックしたときでは、だいぶ違う——というのは、あると思います。

 自分で把握している自分の姿と、他人が日常見ている自分の姿では、かなり違うということは、ありそうですね。
 とはいえもちろん、他人が見ている自分の姿が「間違っている」とか「うその自分」ということではなくて。
 それは、ペルソナというものでしょう。
 
 自分が知っている自分。他人が知っている自分。自分も他人も知っている自分。他人も自分も知らない自分。——この4つの顔がある、というのが、心理学でいわれるところ。

 そういうものを知るのにも、ちょっと面白い診断じゃないかと思います。

 それにしても、——「自分も他人も知らない自分」というのは。
 どこにどうひそんでいるものやら。
 ちょっと見てみたいですよね、それも。

 あ。自己像幻視はいいです。なんか怖いから。(^^;)
  
 
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本日おやすみ

 本日、完全に時間切れのため、おやすみいたします。

 テレビ観戦中、あまりの雪のなさに驚いていたソチですが、ここで現地はちょっと降ったようですね。
 3月7日はパラリンピック開幕。あのジャンプ、クロスカントリー、スラロームなどの会場があまりにもコンディションがひどくて、こんなところでパラリンピックやるのかと思っていたのですが、オリンピックよりはましな状態で競技ができるでしょうか。

 パラリンピック参加選手の皆様のためには、やはり、まともに雪くらいはあってほしいですから……、降ったんならよかったです。(^^)
 日本の雪を分けてやりたい……と思ったけど、本州に降った雪は水分が多くて重い雪だから、やはり競技向けとはいいがたかったでしょうか。

 松岡修造さんがソチに行っている間は現地は暖かく、日本は大雪。で、松岡さんが帰国したらその逆、ということで、私も最初は冗談として笑っていたのですが、なんかこう……また松岡修造伝説ができたのかなという気が致します。
 驚異の晴れ男……というか……のみならず気温を上げるアツい男?(笑)

 私としてはオリンピックよりもパラリンピックのほうが楽しみなくらいなんですけども、これまでですと、テレビ放送があまりにも少なく、泣いていたんですよね。
(テレビ中継がちょっとでも、あるだけまし、とは言えましょうけれど)
 今回のパラリンピックは少しはまともに放送して欲しいなあ。
 ねえ。


 ‥‥放送権料、やはり、高いんでしょうかね…。
 
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いくつか提案

 私もあれこれ考えてみましたが、ISU(国際スケート連盟)に、要望できるもので、かつ、(実行されるなら)効果はそれなりにあると見込まれることを、4点。

1)コンプライアンスの徹底
2)審判の国籍と実名の公表
3)審判への、指導監督制度
4)競技者からの質疑の受付と、それに対する回答の制度化

 1)については。
 ニワカにいってもわからないでしょうが、なぜフィギュアスケートファンがこうも運営組織に対して不信感があるかというと、
「ルールを自分たちで定めておきながら、彼ら自身がそのルールを守らない
 からなんですよね。

 よって、私としてはまず、はっきり、コンプライアンスcompliance の徹底を求める。

 2)以下は、1)の具体策、ということになります。
 2)については補足しません。このとおりを求めます。

 これもまた、だいぶ以前から言われていることなのですが(いっときますが日本人だけが言ってるんじゃないですよ)、ISUのシカトっぷりをみるに、よっぽど、ソルトレイクスキャンダルに懲りているんでしょうね。

 3)は、審判のコンプライアンスとともに、その技能向上策としても、提言したい。
 JUDO では、ジュリーという人たちが、従来の審判とはべつに存在していますし、サッカーのほうも——まあどこまで有効なのかはさておき、いちおう、審判の能力、その試合運営がどうであったか、ということを評価する制度もあります。

 フィギュアスケートも技術的にはたいへん高度なものになり、肉眼での判定が困難なところもある。
 故意ではなくても結果的に誤審になる可能性は高い。それを防ぐ意味でも、また、審判の養成という意味でも、いわば「審判を審判する」制度を設けることを求めます。

 柔道のジュリーでは「え、沢田研二さんがナニ?」とびっくりし、レスリングでは「枕が飛んだ!」とたまげ、体操では、「えー。抗議するのにお金が要るのう?」と脱力しましたが——フィギュアスケートもこのさい、考えてみたらどうですか。

 4)ということで、これは2)とも関係しますが、先日出された声明を見ても、どうもISUは、相撲協会と同じで、「しろうとに何がわかる」と馬鹿にしているというのが本音らしい。
 そうまでも自分たちがエキスパートで確実な技能があるというのなら、しろうとの疑問にも的確に答えられるでしょう。フィギュアスケートという競技の成長、進化を真に願うなら、むしろ、観客のレベルアップをも希望するのが本来ではありませんか。

 ということで、審判の名前とともにだれがそのポイントに責任を持っているのかを明示し、——さすがにいちいち、観客からの質問は受けていてもきりがないでしょうから、選手本人もしくは下部組織等からの、書面での質問を受け付け、適切な回答をする制度を設けたらどうかと思います。

 ちなみにこれはソルトレイクスキャンダルをみてもわかるとおりで、かりに誤審、不正があっても、一度確定された結果がくつがえることを保障するものではない——ということでけっこうですよ。
 これは仕方のないこと。それを言い出したら大混乱しますからね。

 また、故意であろうがなかろうが、誤審があった審判には相応のペナルティ(資格の制限や停止等)と、再教育をほどこすことも求めます。

 ざっとこんなところですかね。

 私のいちばんの希望は、「オリンピックをやめること」ですけどね。
(私も言い出したらしつこいタチなんで、すみませんね何度も同じこと言っちゃって)

       ●

 ニワカもそうだし、「なぜこの人がこんなにエラソウにものをいうの?」という「野次馬」もそうですが、どうも彼らは、フィギュアファンが、身びいき、贔屓の引き倒しで、審判への不信をいうのだと思っているようですね。

 まあそういう人もいるかもしれませんが、大多数は、ようは、先ほども申しましたとおり、 
「ルールを自分たちで定めておきながら、彼ら自身がそのルールを守らない」
 というとこで、頭に来ちゃっているんですね。

 2002年の日韓分催W杯のときも、誤審への批判が巻き起こりましたが、あのときも、日本のファンは、日本代表チームとは無関係のところでも怒りまくって、フェアなジャッジを要求しました。

 私はこれは、日本人の麗質といっていいと思っていますが、フィギュアファンも同様で、ようは、「ルールを定めた本人たちが不正を働く」ことへ、批判を強めているんですよね。自分の利益ではなく、組織全体への(真の)利益を求めるという心情は、けっこうなことだと思います個人的には。(裏返すと、ナイーブすぎるという欠点にもなりますが;;)

 ただ、どうも、そのへん、フィギュアファンのほうも、ニワカや野次馬に対して、うまく説明できていないなというのは私も認めます。

 世界的に見て、その競技自体を愛するという精神においては、私は日本のお客さんというのは、世界的にも特異な位置にあると考えるほどですよ。
 ニワカや野次馬にはなかなかわからないでしょうけどね。

 私としてもそろそろこの話題を終わらせたいのですが、私がいかにこのニワカや野次馬に(じつは)頭に来ているか、を、ひとつお話しして終わりたいと思います。

 前回、バンクーバーオリンピックのときです。
 浅田真央選手と、韓国の選手の競技内容とその審判については、ずいぶん意見が割れました。

 私もあのときは、滅多にやらない、ニュースサイトのコメント欄めぐりなどもしていたのですが、そのなかに、問題のコメントがありまして。

 そのコメント主は、浅田選手よりも韓国の選手のほうがすごいと思った、というのです。
 理由は、
韓国の選手の演技を見て勃起した
 から。

 ……………。

 ………………………。
 
 ……をい(←超低音)
 フィギュアスケートは、いったいいつから、「男性観客を勃起させる競技会」になったんだ? ああ?
 選手たちはなにを競ってんだ?
 スケート技術か? それともストリップショーの技能か?

 いやもう、私もあれは怒ったなんてもんじゃなかったですね。
 逆上しました。

 逆上したあまり、このコメントについては、この4年、取り上げたことは一度もありません。(^^;)
 思い出しただけで呪いそうなので。

 すばらしいと思ったその理由が「勃起した」から、か。
 それこそが主観というものなんでしょう。主観というのは突き詰めればそういうことだ。なるほどけっこう。

 でも、私が、フィギュアファンとして問うていたのはそういうことじゃない。
 ニワカも野次馬もそのあたりを理解しない——するわけないよねえ、勝敗の根拠に勃起の有無を挙げるようでは。

 ニワカや野次馬は、それと知らぬうちに地雷を踏む、と、昨日、私も書きました。
 そういうなかでも、この「勃起」発言は、もう、秀逸すぎて涙が出るレベルです。
 今後の人生、あとどれくらい残っているかはわかりませんが、これほどの大場外ホームランに遭遇することはないだろうし、ないことを希望しています。

 あれ以来、私はほんとにニュースサイトのコメント欄は見ていません。(^^;)
 ちなみにこのコメントは、Yahooコメントで見ました。

 それもこれも終わりにしたい。
 最後がとんでもないお下劣な話題になってすみません。
 ニワカのお下劣も相当なもんだというお話です。それだけです。

 どっとはらい。
 
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ニワカの仁義

 まあいろんなお話を聞いていますが、
「だからニワカは黙ってろ、という話になっちゃうんだよな」
 と思うことが多い。
 で、そこから巡り巡って、
「スポーツのことはスポーツ選手にまかせとけばいいんで、しょせんあたしら部外者が、どっちにしろ口を挟むことじゃない」
 となって、そこからさらにすすんで、
「だから商業オリンピックなんかやめりゃいいんだよ」
 というところに着地する。

 私の結論はこれ以上、変化しないのかなー、と、思わず晴れた空を見上げております。
 今日あたりはなんと山の稜線がかすんでましてねえ。春霞っぽい。
 遅咲きの品種である梅が咲き始めて、いい感じです。

 ニワカがなぜ嫌われるかというと、まあいろいろな側面はあるのでしょうが、私がいちばんニワカに引っかかるのは、
「モノを知らないくせにえらそうに」
 という点です。

 べつに、ニワカもモノを言ったっていいですよ。
 いいけど、ものには言いようというものがある。

 ニワカはいかに情報を集めようとも、時間、というものの量が圧倒的に足りない。
 いまここで急に脚光を浴びた人がいたとしても、その人が20歳なら20年、40歳なら40年という時間がそこにあり、その20年なり40年なり、世間に埋もれていた、いわば「影の時間」がある。

 長いこと、人に振り向かれない日陰で、それでも懸命に土から芽を出して、厳しい環境にさらされて、ときに枯れそうになりながらも成長してきた、という時間があるんですよね。
 古いファンでもそういうもののすべてを知っているわけではない。が、そういう時間の存在を知っているし、自分のことでもないのに、そういう成長しようと頑張る姿に涙してきたという歴史もあるわけですよ。

 それを、いきなりここで日が当たった、というだけで、大輪の花を褒めそやすのはいいが、勢い余ってせっかくの花をもぎとり、踏みつけにしかねない、というのが、ニワカのもつ危険性です。
 花は花でいいが、その足下の土の下には大事な根が張っているのだということを知っている古参が、ハラハラするのは当たり前でしょう。ちがいますか。

 なぜニワカにはそういう危険性があるのか、というと——花が咲くまでの長い地道な時間をニワカは知らない。ゆえに、それを見守って過ごした、「自分自身としての時間」もない。

 人間というのは基本、自分とは関係の浅いものにたいしては、驚くほど薄情、酷薄です。
 自分が酷薄だという自覚すらない。

 無自覚な酷薄さで、花を踏みつけ、その根までも寸断しかねないニワカに、古馴染みはハラハラするし、行き過ぎればふざけんな、と怒るわけですね。

 私も、「ニワカは口を利くな」と思うことが(本音では)多いのですが、自分でも、ニワカは口を利くな、はあんまりだとは、思います。
 ニワカに求めることがあるとすれば、口を利くなとはいわないが、モノのいいようには気を配ってもらいたいということ。

 自分が知らない時間や歴史がある、ということを、——つまり、「自分は何も知らない」ということを覚悟して欲しい。

 自分が如何に無知で幼稚で浅はかか、ということが自覚できれば、口の利き方にも少しは気を使うでしょう。

 私もこれでけっこう、自分があまりなじみのない業界について喋るときは、ドキドキしてんですよ。(^^;)
 私は門外漢だから失礼があったら申し訳ないのですが…、というような言い方で前置きをするのは、「避難路」を確保するということもありますが、しかしやはり、ものを知らないので、なにか、悪気はなくても非常識なふるまいをしてしまうのではないか、という気持ちがあるんですね。

 世の中のありがたいところは、そういうところであらかじめ、自分の不見識を断っておくと、仮に地雷を踏んでも、さすがにそうまでも怒られることはない、というあたり。
 地雷ですから、怒られることは怒られますが、「初心者なのですみません」というのを断っておくと、「初心者で知らないのはしょうがないけどさ」といいつつ、説明はしてもらえるんですね。どこが地雷だったのか。
 ニワカは、どれが地雷かさえわからないわけなんでね。

 で、説明を聞いて、ああ、そういうことがあるのか、と、あらためて血の気が引いたり、穴を掘って入りたくなったり。(^^;)

 地雷を踏んで、いけしゃあしゃあとしているニワカに対し、怒るのはけしからんと、まして外野にいわれては、立つ瀬がありませんよ。こちらとしても。

 新参者が入っていくときには、相応に仁義を行うのは、先人への敬意を表する意味と、知らないことを教えてもらうという意味がある。それを考えれば、無意味なことじゃないと思うんですけどね。自分がニワカであるという自覚を持って場へ入っていくというのは。

 その考え方はあんまり古すぎる、と言われれば、私には、そうですかとしかいいようがありませんが。

 知らないなら知らないなりに、自分の意見を述べるにあたっても、ものの言いようがある。
 それが私の考えるところです。

 対等な意見交換というのは、どんな無礼を働いてもいい、ということではないと思うのですがね。

 あと。
 先日はどなたのブログであったのか、スポーツを見るにあたり、その評価をするのには、「点」ではなく、「線」で、というご意見がありました。
 オリンピックの一場面だけぽつんとみて評価するのではなく、もっと長い時間をかけてじっくりと見る。
 オリンピックでの活躍も、あるいは不振も、そこへいたるまでの各競技会での成績、練習、選手の課題、組織の課題といった、過去からの流れ、線、というもので見なければ、評価はできないはず、というご意見だったかと思います。

 私としては同感です。

 フィギュアスケートの採点方法も、なぜ現行方式になったかを知らない人に、とやかく言われても困りますし。
 その採点方式にどんな問題点があるか、それがいかに放置され続けているかを知らない人に、なぜ古参のファンがある選手には同情し、ある役員らには憤慨しているか、わからないでしょうし、その事情を知らない人に一方的に非難される覚えはさらにない。

 ニワカを排除するつもりはありません。
 どんな古参ファンもニワカから始まるのですから。

 ただ、点ではなく線、できれば「面」で評価すべきところ、点しか知らないニワカが、まして、「えらそうに」ものをいう、ということには、私も人間が練れていないので、けっこう、我慢がききません。

 もちろん、古参ファンのなかにも非常識な言動をとる人がいるのは事実ですし、私もああいうのを庇い立てする考えは毛頭ございません。
 が。
 ………どちらにしろ、どうも感情的にはこじれてしまって、いけませんね。

 
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ソチオリンピック閉幕

 やっと終わったー!!!
 終わりましたよオリンピックが。
 ああ、やれやれ。

 今回のオリンピックでいちばん印象に残ったのは、
「丸腰の若い女の子をむち打つヘンタイ・コサック」
 でした。

ロシアの反政府女性バンド、ソチで民間警察組織から暴力受け負傷
http://jp.wsj.com/article/SB10001424052702304775004579394462342499226.html
2014年 2月 20日 19:07  WSJ.com

 いやーもー、これ最高じゃないですか。
 オリンピック開催都市になると、その町なり国なりの宣伝効果、知名度アップということを、そろばん勘定するものらしいですが、——その国への理解を深める、ということでは、このコサック(民間)が、最大の収穫でしたよ個人的には。

 こんなヘンタイ自警組織があるとは。
 最高ですわ露西亜。

 しかし——若い子のアホっぽいパフォーマンスにさえ、いい大人がここまでピリピリしているというところに、独裁政権の限界を見る思いがいたしますね。
 ミュンヘンオリンピック事件の再来とはならず、よかったですね——というのはロシアのためにではなく、選手たちのためにね。

 個人的にはロシアには恨みはないが、もろもろあって、ロシアという国にいい印象がないのは事実。(いい印象がないどころか;;)

 なんにしても、やっと終わった……。
 よかったよかった;;

      ●

【写真】真央や大輔ら“変顔”集合写真、素敵な空気感に絶賛の声。
2014年02月24日07時29分 ナリナリドットコム
http://news.livedoor.com/article/detail/8566685/

 閉会式は見ていませんが、昨日は、録画した、フィギュアスケートのエキシビションを見ていました。やはり、ダイジェスト再放送より生放送ですねえ。
 フィギュアファンのなかには、競技会よりこのエキシビションのほうを楽しみにする人も多いと聞きますが、それも当然だろうなあ、と思います。

 特に今回は、それぞれの重圧が凄まじかったことの証でもありましょうが、各選手がそれぞれに、のびのびと、楽しそうに演技を披露してくれて、見ているほうとしても、それこそが幸せでございました。
 この「ヘン顔」写真も、集まった選手の皆さんの、仲のいい、楽しそうなようすがつたわってきて、いい写真だと思います。

 個人的には、男子シングル、3位の、カザフスタン、デニス・テン選手! 遅ればせながら本当におめでとう!
 SPからの猛烈な巻き返しでしたね。
 テン選手は日本のファンにもすっかりおなじみ。選手同士も仲がいいようですね。
 彼も、カザフのスケート界のパイオニア。いろんな苦労もあるんだろうな——と思うと、やはり応援したくなっちゃう。

 エキシビションでは、カザフの民族衣装ふうのコスチュームがすてきでした。
 チャパンという民族衣装があるそうですが(男性が使う丈の長い上着)、そちらの、襟元や袖口の飾りのイメージなのかな、と思ってみてました。

 調べたんですが、カザフの民族衣装については詳しい情報が見つかりませんでした。
 中央アジア、騎馬民族の伝統の衣装はすごく刺繍もきれいで、きらきらしいイメージがあるのですが、詳細情報がなさすぎる;;

 チャパンといえば、アフガニスタンのカルザイ大統領の衣装で有名ですが、カザフのほうは、袖口と襟元の飾りがもっと凝っていて、かつ、形状はマントではなくロングコート、やはり装飾の美しいベルトで締めている写真がありました。
 名称は同じでも、やはり国(か民族)で違うんでしょうかね。

 ……カザフと言えば、先日、ナザルバエフ大統領が、国名を「カザフスタンではなく、カザフエリにしたい」とご発言でしたが。
 どうなんでしょうか。国民の皆様のご意見としては?

 カザフの大統領というのも、ちとビミョーなお方のようで……大統領の任期をちびりちびりと引き延ばしていましたが、現在ではとうとう「終身大統領」なるものにおなりだとか。
「終身」、「大統領」……。
 大統領は任期があるのが前提なんですけど……。
 なんじゃそりゃ。
 引退したひとに、名誉称号みたいに名前(だけ)を許すというのならわかりますが……、終身なら、大統領じゃないでしょそれ。
 ちょっと意味がわかりませんね;;

 あまり考えちゃいけないのかこういうことは。

 ちなみに、カザフのお隣、キルギスも国名を変更したそうです。
 以前にはキルギスタンと言っていたのが、1991年の独立、93年の憲法改正を経て、「キルギス共和国」と日本では呼び習わしていますが、原語発音に近いところとしては「クルグズ共和国」とするべき——という主張もあるそうです。
 
 クルグズ、というのはかまいませんが、そうしますと、吉爾吉斯(キルギス)という漢字表記も変更ですね…? どうしているんでしょうか、そのへん。外務省に聞けばわかるかな?

 そういえば、グルジアも国号がややこしいことになっていたと思うんですけど…。
 できるだけ、原語に近い発音表記を心がけるのがよろしいかとは思いますが、考えてみれば、オランダもイギリスも、原語、もしくは現地の人が使う名称とは、えらくかけ離れているんですよね。(^^;)

 こういう話を思わず掘り返すことになるのは、オリンピックの数少ない効用でしょうか。
 そんな裏話にちかいところを、いちいち掘っくり返す人も少ないんじゃないの、とは、うちの親の意見ですが。(^^ゞ
 
 
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Twitterの特性

 私はTwitterを使っていません。

 これだけだらだらブログをやってんだから、これ以上、ダラダラしてもしょうがねえべ、というのがいちばんの理由ですが。
 ——LINEをやらないというのは、また別の理由。(^^;)

 先日はぴっちぴちのティーンエイジャーに、LINEをやっていることが当たり前、という前提で話をされてしまい、慌てて、いや、LINEやってなくて、といったら、たいそう意外そうな顔をされてしまいまして。
 世の中にLINEをやってない人間がいたのか! という感じの驚愕ぶりでした。……ご、ごめんね。(←つい謝る;;)

 若い人にはLINEは「あたりまえ」なんだなーと思いました……。うーむ。

 そこから10歳くらいうえの年齢も、私から見ればじゅーぶん若い人なんですが、こちらはさすがにもうちょっとお姉さんだということと、あとは、IT系のお仕事をしているという関係からか、
「LINEは信用できない」
 というところで意見の一致を見て、ちょっとホッとしたり。(^^ゞ

 それ以前にはしかし、ミクシィにも、かたじけなくもお誘いをいただきながらお断りをしておりましたから、たぶん、LINEについても、そのシステムにたいする信頼の問題というより、私が、ああいう、「つながる」ことに、ものすっごい警戒心を持つタイプだということのほうが、理由としては大きいのかな。

 たしかに、私の根っこには、動かしがたい人間不信があるのは事実。
 でもそういうこととはべつに、「つながりたがる」ことには——どうも、警戒心があるんですよねえ。
 つながり、というものは否定しない。保守派に属するので、旧来の共同体というものを、むしろ大事にするほうです。

 が。なんかこう、むやみに——依存的に、つながりたがる、という傾向が……、あまり健全なものとも思えない。
 人はわりと簡単に、依存というところに落ち込んでしまうので、それを警戒するのかもしれない。

 ともあれ、自分がTwitterをやらないので、私には、その「つながり」のひとつの形態、——非公式RT(リツイート)と、公式RTの違いがさっぱりわかりませんでした。
 
 あるつぶやきに対し、批判を申し述べるにあたり、公式RTと非公式RT、どっちのほうが適切か、というお話を、おみかけしまして。

 この場合でいいますと、公式RTというのは、あるツイートをそのまま投稿すること。りんごを渡されたら、そのりんごのまま、ほかの人にも黙って見せる、という感じ。
 非公式RTは、あるツイートを引用しつつ、自分のコメントも合わせて送信できる。この場合は、りんごの皮を剥いたり、「ちょっと酸っぱい」という札をつけて人様に見せる、という感じ。

 しろうとながら、あ、それは確かにイカンな、と思ったのは、非公式RTの場合、自分のコメントが入れられるのはいいとしても、そのもとのツイートをも、編集可能の状態であること。
 つまり、ひとさまのツイートを勝手に改変して、投稿することが可能ということ。

 さすがにこれはモラルの問題で、そこまで悪質なことをする人はお見かけしないようですが、ただ、私のようにあくまでも傍観者でぼーっと見ている人間からすると、非公式RTの、引用文への信頼度は落ちますね。
 原文を見るまでは信用できないなという感じになる。

 さて。
 問題になっていたのは、そのリツイートが、公式の場合は、引用もとの本人には、リツイートされたことがわかりにくい。非公式RTなら、引用もと、つまりオリジナルのツイート主に自分のツイートがリツイートされたとわかる、ということですね。
 また、そのRetweetがどういう人たちに公開されることになるかという違いもあるようですが、ここは私には本気でわからないので省略。(^^;)

 つまり、自分がある人(のツイート)を批判をするときに、相手方にも知らせる形で批判するか、それとも、本人にはナイショで批判するのか。ということが、問題になっていたようでした。

 ブログの記事であれば、まあ、トラバでもとばなさないかぎり、あえて本人にお知らせしつつ批判するということはないですし、批判じゃなくて、褒めるときでも同様ですね。

 しかしTwitterというのは、最初から一方通行のブログとは違い、その気になれば当人同士直接に、簡単に、しかも公開状態でやりとりできるという特質から、なんかややこしい、感情の行き違いになりやすいようです。

 私も、放射脳の母親を嗤った、たいへんよくないエントリーがありまして(2011年06月27日エントリー「冷静に」)、それを、やはり放射脳らしいべつのブログ主様に批判されましたが。
 私にはもちろん、引用のお知らせはありませんでした。
 ただ、その問題エントリーに、あちらの記事からリンクを貼っていました。言うなれば、「さらし」ですね。(^^;)

 それがなぜわかったかというと、私が、アクセスログからたどりつき、「あら、こんなことを書かれている」と。

 ブログエントリーは、最初から、意見交換を目的にしているものではないので、べつに、それで文句を言う気はありません。(放射脳とは話す気にならんということではなく;;)
 私のエントリーへの削除要請その他もありませんでした。ただ、あちらが、こんなこと言うのってどうなのよ、という批判を、ご自分のブログに書いていらしたというだけのことなんで。

 私としては対応するようなことでもない。
 ふーん。というだけで終わりました。

 ブログならそれだけで済むのに、Twitterだとずいぶん話がややこしくなるんだな、と思いました。
 メッセージのやりとりが簡単であること、メッセージのやりとりをすることが前提であること(双方向)が、なんかかえって人間関係として、こじらせたり、ややこしいことにさせたりするんだな、と思いました。

 ブログは基本は「一方通行」。
 コメントやトラバはあるけれども、とめちゃうことは可能。
 やはり、こっちのほうが、私の性(しょう)には合っているようです。

 一方通行のブログは、「自分の意見を開陳する」だけ。
 正直言って、それに対するリアクションがかえってくることは、前提にしていないシステムですね。
 コメントもトラバもあるけれども、意見交換する「場」ではない。本質的には。

 これに対して、Twitterは、なんかこう——ややこしいですねえ;;
 双方向の「つながる」ことへの警戒心は、私も自分で不思議に思うところがありましたが、なるほど、こういうあたりを警戒するのかな、と思いました。

 議論を求める人もいますから、そういう人には、意見交換の活発さということでは、Twitterが向いているでしょう。

 が。ようは自分の意見を申し述べたいだけで、それ以上のことは求めない、ということなら、ブログのほうがいいんじゃないかな。
 
 同じ意見でわーっと盛り上がるときには、公式でも非公式でも、RTって、いいんだろうなと思いますが。

 ちょっとこう、ネガティブ方向へ話題がいくと、ややこしいことになるんだな、と思います。
 というのは、「内緒話」がしにくいから。

 ブログは、たとえ批判者が大勢いても、そういう外野の音は無視してあくまでも、発言者だけの世界、として構築できます。

 が、Twitterは、大勢の人の前で、ということが前提になっている。P2Pの面白さはあるでしょうが、独白——なんの気無し、悪気なしのひとりごとが、許されない。
 これはけっこう、厳しいなあ、と思いますね。

 ひとさまのご意見に対し、異を唱える場合、本人にきちんと通告するのがよいか。
 本人は関係のないところで、批判は自分の意見として開陳するか。
(しかし、本人には知らせずに、というのが、事実上、Twitter上では不可能に近いわけだ)
(ツイート自体は公開だから)
(たとえ本人には内緒にしても、いずれ、巡り巡って、本人の耳には入る)

 引用時のマナーと、改竄(かいざん)の問題をどうするか。

 Twitterはまだ新しいメディアであるだけに、こういう問題も、今後は解決される必要はあるんでしょうね。

 それにしてもたしかに。
 批判する、ということは、ほんとに、マナーを含めて難しいです…。

 ただ反対意見を言いたいだけで、相手、本人を悪く思っているのではない、という場合でさえ、やり方次第でもめごとになりますよね。
 私もその辺り、いろいろ考えてしまいます。
 
 批判と悪口は違うが、その違いを、きっちり「表現」することは難しい——ということについては。

 
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今日も散らかってます…

 本日は「ネコの日」ということで。
 写真はもう1年くらいまえのもので、子猫のほうはもう、けっこう大きいです。
cat-day2014.jpg

 とはいえ、病気持ちのせいか、生後1年以上なのにいまだに体が大きくないし、手術したせいもあって子猫気分のままです…。オスの三毛猫ほどではないが、ちょっと珍しい赤茶トラの女の子です。
 手前にいるネコは、そろそろ猫又になるんじゃないかという、おばあちゃんネコ。もとが野良なので正確な年齢はわかりませんが、15歳ほどにはなっているはず。

 本日はネコの日ということで、ネコを飼っていらっしゃる方は是非、本日は、おたくのネコ写真のアップをお願いします…! 私にネコを! 浴びるほどにネコ(の写真)を!!

「家にネコが(複数)いて、岩合さんの『世界ネコ歩き』見て、ネコブログを巡回するのが日課で(よっぽど忙しい日以外は欠かさない)、ケータイ(スマホ)のケースがネコ柄で、タブレットのイヤフォンジャックにはネコのアクセサリ……、でもって、まだ、ネコを見るのかい」
 と、うちの母には完全に呆れられていますが、——しょーがないじゃん。ネコは1万匹いたら1万通りの可愛さなんだ! 飽きるとかそういうことはあり得ないんだもの!

 造物主なるものがもしも本当にいるのなら、ネコはその最高傑作だと思うねあたしゃ(←真顔)。

          ●

 昨日のとっ散らかったエントリーを見て、自分でもちょっと苦笑いが出た昨夜でした。(^^;)
 早朝、とっちらかったまま書いて、ほとんどそのままアップしちゃったからもう……なんだかエラいことになってますね。(^^ゞ

 でもまあ、それもたまにはよろしいかと。
 あいかわらず、オリンピックのイメージは地に落ちて、さらに穴を掘ってマイナス方向にしか向かっていない。
 こんなもん、早くなくなりゃいいのにという気持ちは消えませんね。
 1984年のロス五輪までは、オリンピックはお金にならないので、もうやめる寸前だったというのを聞くたびに、
「アメリカさんがよけいなことをするから……。どうしてそのままオリンピックをやめさせなかったんだよ」
 と、忌々しく、罵ってしまいます。(^^;)

 アメリカさんて、商売にかけては並外れた執念を燃やすし、ビジネスモデルとやら、作るのも上手ですよね(最初にルールを作ったほうが儲けられるから)。——といってもこれ、必ずしもほめているわけじゃないので念のため。

           ●

 ところで、ぜんぜん話は違うのですが、フィギュアスケート、男子の羽生結弦選手ですが。
 ネットを見ているとなぜか彼が、ナヨナヨしているとか、そういうイメージを語る人がいるようなのでびっくりしてます個人的に。

 なぜ?
 2年前のグランプリファイナルの、あの鬼気迫るフリーの演技を見ても、彼の小さな言動を聞いても、
「なんという、オットコマエな…!」
 と、その向こうっ気の強さに衝撃を受けるもんじゃないの? 違うの?

「世間様はそんなにちゃんとものごとを見てないってことだよ」
 とあっさり言ったのはうちの母でございますが………そうなの?

 いまどき、あれほどわかりやすく、気の強さを前面に出している人は少ないと思うけどなあ。ましてや男子でさあ。(どういう意味だとは聞いてくださんすな。そういう意味だから)

 オリンピックが終わったらまとめて言おうと思うあまり、羽生選手のことには私、まったく触れずにおりました。(^^ゞ

 日本代表で参加した皆様にはそれぞれに、感謝の気持ちを捧げております。そのへんまた、オリンピック閉幕後にゆっくり書ければ……と思ってますが、トリ頭の私のことだから、そのときには忘れている可能性も高いな。

 ということで、羽生選手について少しだけ。

 あのフリーの衣装がまたも、ジョニー・ウィアさんのデザインによると聞いて、「あー! なるほど!」と思わず膝を打ちました。
 が、なにがどう「なるほど」なのか、と、自分で自分にツッコミたくなりました。

 でも、あのフリフリ、スケスケ感、いまどき流行りのビジュー(私はギミックと言いたいのですが、言ったら怒られたので、世間様に合わせて、うそっこフランス語でビジューと言っときます)がついていたのは、だからなのね! そっかー。……と、そういう納得でしょうかね。(^^;)

(追記: ギミックというのは、おもちゃについている光るなにか、のイメージでしたが、これは間違いですすみません;; ギミック gimmick は『からくり』。私の認識が間違っておりました。
ちなみに、ビジューは、フォー・ビジューとか、ビジュー・ファンタジーという言い方をすれば、ここで言いたい飾りのことを意味できるようです)


 その情報を聞くより以前に、私が気になっていたのは、羽生選手のペットボトルカバー。

 白の、たぶんニットのカバーなんですが、口の周辺に、あの衣装とおそろいという感じで、小さめビジューがついているんですね。
「衣装とお揃いなのかな。もしや手作り?」
 と、すこし気になっていました。

 ああいう気配りはやはり、お母様か、お姉さんかな、と思ってみてました。
 今回はプーさん(の、ティッシュボックスカバー)、自粛だったのでしょうかねえ……。お金関係がいちいちウッセエからなあオリンピックって。
 そういうところが……(以下悪口なので省略)

 男子シングルの「歴史」を申しますと、まず、本田武史選手が4位オリンピック入賞。
(なお、4回転ジャンプをプログラムのなかで3回とんで成功させた記録を持つ)(アランフェス協奏曲のあのフリーPは、私のなかでは『永遠の曲』)
 ご存知、高橋大輔選手が、初のオリンピックメダリストとなり。
 そして羽生選手が、金メダル、と。

 なんだかこう——考えていると、じんわりと「すごいな」という思いがこみあげてまいります。
 積み重ね、ですねえ……。

 羽生選手についてはしかし、プル様こと、プルシェンコ選手が出場して、いつもどおりの演技をしていたら、羽生選手の金メダルはなかった。(プーチンブーストで)
 そう考えると、彼は運がいいですね。
 運がいいという言い方を嫌がる人もいますが、でも、こういう大舞台では、運がいいということはたいへん重要です。

 実力は拮抗している人たちが集まっているのですから、——実力に差がないなら、どこで結果が分かれてくるのかというお話ですよ。
 運を呼び込むのはそのひとの器量です。尻の穴の小さい人間には、みずから好運を引き入れることはできません。運のほうが「自分が入るべき場所がない」といってスルーしていく。
 その人に大きな器量があるから、好運をそこへ呼び込める。
 ゆえに「運も実力のうち」というのですね。

 オリンピックの、とくに採点競技については、私はもう、興ざめ以上のものを感じていますが、しかしそういうことを誰よりもわかっていながら、なおそこで戦う人たちには、敬意を表します。

 採点競技をふくめ、ああいうもののダーティなところについては、フェンシングの太田雄貴さんがおっしゃっていたことが記憶に残ってます。

「ルールが(日本に不利なように)変更されることに批判があるけれど、問題は、ルールが変更されることではなく、ルールを作る場所に日本がいないことだ」

 ごもっとも。
 
 ごもっともなんですが、それにまともに対応すると、アタシが嫌っている「政治」の話になるんですよねー。
 どうにもやりきれない。

 やはり、オリンピックの悪口をいいながら、早く終わってくれと願いつつ、過ごすしかないんでしょうか。(^^;)

 
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アポロンの冠

 じつはまだ、演技は全然みていない。
 ただ、結果をきいて写真をみて簡単な速報記事を読んだだけで、涙ぼろぼろでした今朝。

 フィギュアスケート女子シングル、浅田真央選手のことですが。

 昨日の朝、不整脈がでたほどの「精神的ショック」というのは、彼女のSP結果を聞いたからでした。
 不思議なことに、ほんとに涙が出た。口惜しくて悲しくて。
 今朝は今朝で、その結果と、浅田真央選手の、演技後の泣き顔の写真を見て、彼女はやったんだ、やりきったんだ、と思った。
 ……ら、また、涙が、だー。

 不思議だなあ。
 これはもらい泣きなんじゃなくて、「私自身のこと」としての感情の揺れなんですよね。いえ、ホントに。
 これは浅田選手の人生であり、あたしゃ関係ないのだと、もうずいぶん言い聞かせてきたのですが、今回は——どういう加減なんですかねえこれ。
 自分でも不思議でならない。他人のことをこれほど「我がこととして」感じるというのは。

 そんなことってあるもんだろうか。
 あるからここまで大泣きしてんだけど。

 高橋大輔選手にも泣かされたけれど、あれは「泣かされた」のであって、さすがに、「我がこととして」泣いたわけではない。
 でも——今朝のこれは。
 



 ああ、プル様(涙)

プルシェンコがクワンが!真央のフリー演技に世界の名スケーターたちが感動
2014年2月21日(金)10時34分配信 東スポWeb
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140221-00000005-tospoweb-spo

 SP後、浅田選手のためにTwitterでは、彼女へ送るメッセージが多く集められていましたね。
 私はそこにある真心(まごころ)というものに、やはり感動しておりました。
(余談ですが——そういやあ、最近、とみに真心ってことば、聞かないですねえ。思わず読みがな振っちゃったよ。滅多に聞かない言葉だから、読めない人もいるだろうと思って)

 浅田選手はこれほど多くのアスリートから、尊敬され、愛されているんですね……。

 たとえばMLBでは、選手間で投票しあってオールスターや、最優秀投手賞とかを選出しますが、同業のライバルたちから選ばれるというのは、いちばん嬉しいし名誉なことだろうと思います。
 選手間で投票してもらったら、浅田選手はトップクラスだろうなあ、と思いました。

 正直なところ、浅田選手は今季、けっこう以前から、「審判による結果よりも、自分自身の目標をクリアすること」を主眼において、語っていました。
 審判があれでは、そうなるのも仕方のないことでしょうね。

 ツイートのなかでは、あまりに日本の「政治力」のなさに、「日本スケート連盟はなにやってんの」とお怒りのものがありましたが、……日スケ連はダメなんですよ。以前からフィギュアスケートを見てきたファンなら皆、知ってますが、昔っからああなんですよ日本のアレは。

 ウソかホントかしらないが、役員が在日系でおさえられちゃって、事実上、日本のスケ連ではなく朝鮮スケ連というのが実態だとのこと。
 重ねていいますが、ウソかホントかはわかりません。

 けれども、そういう噂を聞いて、「なるほどもっともだ」と思ってしまうほどのレベルだということですね。あいつら日本人じゃねえからと言われて、だからか、なるほど、と、思ってしまうほど、スケ連は目に見える成果を上げていない。
 日スケ連は仕事をしていない。これは「事実」です。

 全体の結果としては、前評判どおり、「プーチンブースト boost 」がかかったようで、何よりでした(←イヤミ)。
 とはいえ、ブーストをかけようにも、演技内容があまりにもアレだとブーストにも限度があるわけなので、まあ、ブースト対象になる選手がいてよかったねえ、と(←イヤミ)。
 ま、私個人としては、このさい、キムチくさいニオイが少しでも減るなら、なんでもいいわ(←本音。腹の底から本音)

Twitterに「#maofight」誕生 浅田真央選手を海外の名スケーターたちが応援
2014年02月20日 16時02分 更新 ITmedia ニュース
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1402/20/news106.html

 本当にありがたいことです。
 
 浅田選手が、自身実現したかったことをここで実現したのなら、それをこそ喜びます。
 浅田選手には、金属片ではなく、あの輝かしい月桂冠を贈りたい。
 彼女こそ、太陽神アポロンの栄誉を受けるにふさわしい女王でしょう。

オリンピックの金メダル
http://kids.gakken.co.jp/keywords/2006/03/post_3.html
学研キッズネット| 教えて! ニュースなキーワード

 天の神々もご照覧あれ——といいたいところですが、近代オリンピックは古代のそれとはまるで違う、「商売道具」「政治ショー」「代理戦争」の場になってしまった。
 私はアスリートたちの健闘を心から讃えますがしかし、オリンピックという「見せ物小屋」そのものには、軽蔑の念しかありません。
 私が今、どれほどオリンピックを見下げ果てているか、わかってくれる人はそうはいないだろう、というくらいの勢いで、軽蔑してます。

 アスリートたちには、このオリンピックというものを、アスリートたち自身の手に取り戻して欲しい、と願っております。

 が。
 荒川静香さんのご発言などを見るに、どうもそれは難しいようですね。
 現役を退くと結局、こうなっちまうのなー、というのが、私の、彼女への感想です。

       ●

 今日はいつも以上にとっちらかったエントリーになってしまって、申し訳ありません。m(_ _)m


  
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セイロンの王子様

 これ、面白かったです。(^^)

じつはお店の人にバカにされている度チェック
All About News Dig
http://allabout.co.jp/newsdig/w/60176

 ほかの項目はわかるんですが、「あ。それですか?」と思ったチェック項目。

7. コシがないうどんなんてうどんじゃない



 食べるものの好みついては、いろんな論争がありますが、まあ個人の好みと文化の違いですから、不毛ですよね。(^^;)
 ちなみに私は、7の項目は該当しません。
 昨年、念願のお伊勢参りのおりには、伊勢うどんをいただきましたが、美味しかったですよ。

 というかまあ、食べるものにはあんまりうるさいことは言わないので。おいしいものは美味しく頂戴いたします。

 どのみち、ただ好みの話でしかないことなのに、「〜ねばならぬ」と力んでいるのは、かったるいし、周囲にも鬱陶しく思われることが多いでしょうね。
 

世の中には二種類の人間がいます。「店と客は対等の関係だ」という言葉を見たときに、すんなり「ま、そりゃそうだ」と納得する人と、ちょっとムッとして「そんなわけないだろ!」と反発する人です。



 と解説にはありますが、——反発する人がいるのか。そうか。
 それはまあ——鬱陶しそうな話だ。
 自分の友人知人にはそういうタイプの人がいないということを、私は喜びたいと思います。(^^;)

         ●

 数日前の、為末大さんのツイートで拝見したと思うのですが(違っていたらすみません)、もう一生懸命やってきて、でも望む結果は得られなくて、「もういいや」と手放したとき、ふと、かえってそれが思いがけずふところにとびこんでくることがある、という不思議。
 そんなお話があったと思いますが。

 セレンディピティという言葉があります。
 serendipity、というつづりで、英和辞典には「偶然に大発見[発明]をする幸運」とあります。(名詞。Uncountable noun の表記があるのに、serendipities という項目が存在しているのはなぜ…?)
 国語辞典のほうがもうちょっと詳しくて、

思いがけないものを発見する能力。特に,科学分野で失敗が思わぬ大発見につながったときなどに使われる。セレンディピティ。
〔おとぎ話 The Three Princes of Serendip (セイロン=現スリランカの3人の王子)の主人公たちがこの能力をもっていることから。イギリスの作家H=ウォルポールの造語〕



 偶然の大発見というか、「失敗したことが、思いがけない成功、発見につながる」ということで、ただ思いがけない、のではなくて、失敗したことがかえってよかったのだ、という感じですかね。
 wikiによれば、発見したという「現象」ではなく、「(生まれつきの)能力」、とのこと。

 しかしこの能力って、多かれ少なかれ、人には備わっているもののような気がします。
 その能力がどこまで開花しているかは、個人差、ってことで。

 欲しくて欲しくて望んで望んで、努力して努力して、——血を吐く思いでがんばってもダメで。
 自分の命さえ削いでしまって追いつめられてやっと、ああもう、ダメなんだな、そうなんだな——と、脱力して「手放した」とき、かえって、それが、つぎの新しいステップだったり扉だったりする。そういうこと、ありますよね。

 手放す、というのは、敗北ではないし、挫折でもないし、「見捨てる」ことでもない。
 ただ、しがみつくべきではないものにしがみついている、その手をほどき、「許す」ということ——かな、と、私も最近、思います。

 執着や執念って、「重い」んですよねえ……。波動が。
 結局、同じように「あきらめないで努力を続ける」というのでも、執着、執念からそうするのと、「自分はこれが楽しいから」という、軽やかな、明るい、希望の思いからそうするのとでは、結果的に、意味も違ってくるのかも。

 人の心がもっと自由で軽やかであるように。
 それがいちばん、人にとっての「自然」であり、——宇宙の摂理そのものに、適(かな)うことじゃないんだろうか。

 だから、へんな執着心を「手放す」と、もとからあった豊かな流れが、手元へするりと入り込んでくる。
 そんな気がします。

 あるがままに。
 なるがままに。

 それが宇宙の「自然」だとわかっていても、エゴのある人間には、自然であることこそが難しい。そういうことかもしれません。
 そうやって、執着心や執念の重さで痛めつけられたとしても。
 それさえも自分の経験として大事なことなので——そういう、心の重さに苦しんだ経験があるからこそ、手放すことの意味やその明るさ、軽やかさ、すばらしさ、心が楽しいという感覚を、味わえる、わかるのですね。

 とはいえ。
 執着、執念、心の重い波動を「手放す」というのは容易なことじゃないですねえ。(^^;)

 でも、そこに希望がある、とわかっただけ、私はずいぶん楽になりましたよ。
 真っ暗闇で行き先もわからずに、恐れ、ふるえている人間としては、出口の方向がわかっただけでも、ありがたい。

 よく、「前向きに」と言われますが、「前ってどっち?」って、本気で思いましたもんね私。いまでも2/3くらいは思いますけどね。
 前向きにいこうよ! といわれても、前がどっちだかわからない。
 これが無明長夜(むみょう・ちょうや)というものかと思いますが、いまは——出口は見えないにしろ、あっちのほうにあるんだなと、おぼろげにでもわかって——「ああ、なるほど」という感じ。

 これだけでもずいぶん救われますよ。気分的に。

 手放す、許す。
 
 結果のことは神様にお任せして。
 自分がすべきことは、ひとまずは、手放す、ということなんだろうな。
 神様にもし願うことがあるのなら、あれがほしい、こうなりたい、ということではなくて、「手放す」ことを、覚えられますように、ということでしょう。
 手放すということを覚えたら、自然に救われていく。そんな気がします。

          ●

 今朝は、たぶん、一種の寒冷ショックだと思いますが、ちょっと外を歩いたらいきなり胸が苦しくなったのでびっくりしました。
 はっきり不整脈ということはないんですが、まあそんな感じだな。脈がない。(あるけど、弱すぎて感知できない)

 寒冷ショックと精神的なショックだなこれ——と、さっき、ちょっと横になって思ってました。
 くらくらして貧血、というところまではいかずに済んでよかった;;
 不整脈もばかにできませんで、下手をすると貧血で失神することがあるんですってね。
 もしくらくらしたら、無理をしないですぐにしゃがむか、横になるかしてね、とお医者様には言われています。

 私の場合は心臓に問題があるんじゃなくて自律神経の関係ですが、でも、こういうことを繰り返すうちに、本当に心臓そのものに病変がおこるんでしょうかねえ。

 思わず本気で、エンディングノートを買おうと心に決める冬の朝……。

もしものときのエンディングノートもしものときのエンディングノート
(2013/06/26)
江崎 正行

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ひねくれものの近況

 今年はオリンピック放送も、時差の都合でほとんど見ることができず、ありがたく思っております。
 かなり今回は、オリンピック放送を避けるというのが、やりやすい感じ。
 競技の生放送は日本時間の深夜ですから。その時間には熟睡している「必要がある」私としては、やはり避けやすいのでありがたい。

 それでなくても冬季オリンピックは夏季に比べて全世界的に人気がなく、放映権もあまり売れないんだそうですが(まあそうだろな)、そういうなかでは、放送権を買う国は、かえって値段を吹っかけられる。日本のテレビ局もたいへんでしょう。
 そういうお値段の都合もあり、夏季ほどには放送も多くなく、うるさくなくて、私としては助かってます。

 私が嫌っているのは、競技ではなく、そこに関わる人間のどろどろ、本来ならそんなレベルにはない選手についてまでメダルメダルいいやがる日本のマスコミや世間の風潮、平和の祭典のはずがそんなもんとっくに放棄されている政治事情、といったものです。
 競技自体は楽しみたいが、あまりにも「騒音」がうるさすぎる。

 まあ、私がひねくれ者だというのは事実ですけども。(^^;)
  
        ※

 そのひねくれモノにも、やはり言いたいことは出てくるので、簡単に。

 カーリング予選、日本対スウェーデン戦。
 ダブルテイクアウトを狙った日本のショットだったが、はじき出せたのはひとつだけで、もうひとつのほうはちょこっと動かした程度で終わった。
 解説の敦賀さんが、「男子なら(力があるので)ふたつとも出せたんですけどね」というようなことを言った、とは、テレビ観戦していたうちの母の証言です。
 うちの母が、不平らしく言ったこと。
「これは女子の試合なんだから、そこで男子だったらって無意味じゃないの」
 ………はい。
 そうですね。(^^;)

 とりあえずそういった敦賀さんには、「男子はオリンピック出場権、とれませんね」と言いたくなったアタクシ。(^^;)
 敦賀さんが若きスキップを務めたあの長野大会以来、男子は出場してないんでしたっけ……?
 がんばってほしいとは、思ってます。あんまり言うとプレッシャー&イヤミになりそうなんで言わないようにしてるんですが、心密かに、男女ともに出場、というのが、やはり見たいなあ、と。
 かつては、女子に比べるとずいぶんな扱いだったフィギュアスケート男子(シングル)は、いまや女子をもしのぐ人気ですからねえ……。カーリングもぜひ。

カーリングワールド」様サイトより

        ※

 そうそう。オリンピックに出場する選手たちに、税金使ってんだからうんたらかんたら、とエラそーなことを言う人が必ず現れるのですが、あれも嫌いで。
 ともあれ、税金使って「オリンピックに出してやっている」といういいぐさが、どうも癇に障るし、そうではなくても、なんか、「話がずれている」と思ってきました。
 が、なにがどうズレていると感じるのかが、いまいち自分では把握できず、黙っていたのですが——わかりましたよやっと。

 オリンピックに選手を「出してやっている」のではありません。

 オリンピックには「出場権」というものがありまして、出場権はお金や何かで買えるものではない。
 あくまでも、世界選手権なりオリンピック予選なりで、選手が戦ってみずから勝ち取るものです。

 そういうわけで私も毎回、マイナーな競技に出場する日本人選手を見るたびに「偉いなあ」と思うのですが、——そうですよ。出場権は選手が勝ち取ってんのよ。これにはいくら国が税金出したってダメよ、出場権はもらえないのよ。選手たちが勝ってこそなのよ。勝たなきゃどうにもならんのよ。

 あくまでも主役は選手たち。
 出場権は彼らがみずからの力で勝ち取ったもの。

 それをなんでぃ。国が金を積んで出場権を買ってやったみたいな勘違いした言い方しやがって。
 ——と。
 そういうところで違和感と反感を持つんですね、私は。

 ちなみに。
 すぐに大げさに「国民の血税」などと言いたがるやからがいますがね。
 これ、間違いなので指摘しておきますね。
 血税というのは、兵役のことです。

 その昔、日本にも徴兵制度がありましたね。
 兵役というのも一種の「税」です。
 しかもこちらは、負傷したり、命を失うこともある。まさに「血を流して購う」税です。
 ゆえに兵役のことを、血税、と言ったんです。

 徴兵制度がない現在では使わない言葉だというのが本来ですので念のため。
 辞書には「過酷な税」という意味も載っていますが、命をかける以上に過酷なことはない。ゆえに原義はあくまで兵役。
 源泉徴収票もろくに見ない人間が、たやすく言える言葉ではありません。
 そこはご確認願いたい。

 どうしてこう、おおげさな言い方をしようとするあまり、間違った言葉を、ろくに調べもせずに使う人が多いんでしょうかね
 ふだんはなんとか聞き流していますが、虫の居所が悪いときだと、けっこう本気で「ちょっとそこへ座りなさい」といって、小一時間も説教したくなります。(^^;) やらんけど。
(基本的には腹が立つと黙り込むタイプなので)

 …………なんの話でしたっけ。

 ああそうそう、税金。

 これについては、「そんなに税金投入が惜しまれるなら、『参加することに意義がある』にしとけよ、このドケチ野郎ども」、と思います。(←だいぶ機嫌が悪いな……)

 そんなに激しく主客転倒して馬鹿をさらしたあげく、あほーな勘違い発言が相次ぐようなら、もう公は手を引いて民間に任せればいいじゃないの、と。

 だから、「オリンピックなんかもうやめろよ」という結論になるんですけどね私の場合。(^^;)

 選手の皆様も、——もちろん、周囲の人々の支援に感謝するという心は尊いし美しいのですが、でも、あくまでも主役は自分だ、ということを念頭においてほしいと思います。

 その意味するところは、「マスコミ取材は受けるな」。
 これにつきます。
 あんな連中にマトモにつきあうと、いろんな意味で潰されますよホントに。

 マイナーな競技の場合、メディアに取り上げられることで知名度をあげ、競技人口を増やしたい、という思いもおありでしょうし、それはそれでわかりますが——でもやっぱり、お気をつけて。

 オリンピックの精神なんかとっくに崩壊してるんだし。
 オリンピックはもうやめろ。
 ——そうつぶやいてテレビのスイッチをオフにする。
 
 へそ曲がり人間は、いま、そんなふうに過ごしております。
 
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そこに現れる人間性

 本当にこの雪でたいへんなことになっていますね。
 うちのほうは雪は大したことはありませんでしたが、静岡県を走る2つの高速道路がえらいことになりまして、その余波で、今日の朝になってもまだ、えらいことが継続しています。

 昨日は私も外出しかけたのですが、国道だろうがどんなに狭い脇道だろうが、とにかく車であふれ、国道は大渋滞で車がそもそも動かないという状況でした。
 途中で、これはダメだとあきらめ、先様にはその旨連絡し、予定はキャンセル。

 帰りはガソリンスタンドに寄り、お天気はひさしぶりでよかったので、去年11月以来の洗車もしてもらいまして。
 この間、たぶん20分くらいでしょうか。
 目の前の国道は、車はほとんど動きませんでした。

 どういう加減なのか、いちどは、車列が、そろそろっとでも流れていったので、ああ少しは動き出したか、と思ったんですが、その後はやはり、ぴたりと止まったまま。
 そのGSから国道へ出ようとしていた車は2台、私が、洗車も終わってGSを離れるときも、まだ、動いていませんでした。

 GSのおねえさんに、すごいですねと言ったらば、「でも、昨日よりマシなんですよ〜」と明るく言われて、思わず「これで、ですか!」となかば叫んでしまいました。
 コンビニはもちろん、スーパーマーケットの棚もなんとなく空きが目立っていましたし。

 日本は、ほんとに、トラック輸送の皆様の努力で支えられているのだと実感しました。

 ちなみに。
 今回のことはたしかに天災ではあるが、高速道路の会社の対応には疑問を抱かざるを得ないところがあり——トラックの輸送会社などは、一部、損害賠償を請求したほうがいいんじゃないだろうかと思いました。
 対応に限界があるのはわかります。がしかし、すでに封鎖が始まっているのに、高速道路へとあいかわらず車を入れていたというのはどういうことなんでしょうか。

 この点については私ははるか昔から疑問に思ってます。JRは、新幹線の到着が2時間以上遅れると特急券の払い戻しがあるが、高速道路はあの超絶渋滞に対し、なんらの補償もしない。
 どんなにあほーな対応や手落ちのせいで渋滞が起きても、ひとまず通行料はとれるんだから、いいやべつにという気持ちがあるんじゃないのか? と、昔から疑っておりまして。

 結局、48時間もあんなところで缶詰にされた人々に対して、なんの責任もないというのは納得しがたいものがあります。
 高速道路が封鎖される場合の、可能な限りの円滑な対応についてとりまとめ、発表してもらいたい、というのが、個人的な希望です。

 ちなみに。
 神経過敏で緊張があるとすぐにトイレにいきたくなったり、乗り物酔いしやすかったり、あまつさえ「閉所恐怖症」がある私は、ああいう状況をことのほかおそれるために、自動車やバスを利用しての旅行、移動は、まずめったにいたしません。

 いちどだけ、しぶしぶバスツアーに参加したのも、もう15年くらいまえ(国技館へ、初場所観戦ツアーへいきました)。あれっきり高速道路にはご縁がないなあ。

 今回もあのとんでもない缶詰状態を見ているだけで気分が悪くなりそうでした。
 巻き込まれてしまったかたには、心からお見舞いを申し上げます。

 また、トラック業界の皆様にはあらためて、日頃お世話になっている御礼、感謝を申し上げます。m(_ _)m

 本気で、運転手の皆様の健康状態が心配です……。

        ●

 非常事態のときに人間性がわかる。
 震災のときにも思ったことです。

大雪のため高速道路で多くの車が立ち往生 ヤマザキパンの対応が『Twitter』などで賞賛を受ける
2014年02月16日19時00分 ガジェット通信
http://news.livedoor.com/article/detail/8542576/

「たとえ商品を万引きされても、人を助ける方が最優先は当たり前」 大雪で入店制限をしたローソンへのツイートで炎上
2014年02月17日10時00分  ガジェット通信
http://news.livedoor.com/article/detail/8543654/

 ヤマザキ製パンさんのほうはもう、困っている人から見れば後光が射して見えたでしょう。いい判断をなさいましたね。

 ローソンさんですが、これはすべての店舗でこういう対応だったのか、それとも、この一店のみ、店長さんの判断だったのかということもありますけども。
 お店側にはお店側のいい分もあるでしょうが、たとえ入店制限を設けるにせよ、外で待つ人にちょっとした気遣いを見せるだけでも違ったでしょう、とは思います。

 でもまあ、こういうときに人間性って、出るものですよ。

 私もその昔、車を運転中、突如腹痛に襲われ、冷や汗まで出てきたので車を止め、途中にあったコンビニでトイレをお借りしようとしたら、バイトのにーちゃんらしき人に、ものすっごい態度で追い払われたことがあります。

 もちろん、トイレをお借りしたあとで買い物するつもりでしたが、買い物してからトイレということができないほど切羽詰まっていたのですね。
 頭に来たのでもちろん何も買いませんでした。トイレはほかのお店でお借りできたのは幸いでした。詳細は申せませんが、そのお店ではわりと高額なお買い物をしました。

 そのコンビニには、あれから20年以上、いちども立ち寄ったことはありません。(^^;)
 
 私にもそういう経験がありますから、ローソンにヤラレた人の、頭にくるというお気持ちはよくわかるのですが、世の中にはそういう人もいる、ということで、それはしょうがないことです。
 いちいちTwitterを炎上させるほどのことではありません。

 苦情を申し立てた方へも、です。こちらはこちらで、人情としてはわかることですから。

 情けは人の為ならず。難儀している他人を足蹴にするようなひとは、いつか、自分が同じ目に遭うので、気にすることはありません。
 ただ——、今までもたびたびその話題のローソンを利用していたけれど、もう2度と利用したくないという気持ちになる人も多いでしょうから、そういう場合は、そのようにすればいいだけのこと。
 
 もうすっかりおなじみになってしまいましたが、Twitterの炎上と、個人情報の「さらし」というのは、感心しません。どちらに転んでも。
 相手に非があるからといって、自分も非を犯していいのでしょうか。
 私はそうは思いません。
 それではシナ朝鮮と同じレベルではありませんか。恥ずかしいと思いませんか。あれと同じレベルだなんて。(← 一言、二言多い)
 
 いじめ主犯がけしからんといって、ネットというせっかくの文明の利器を悪用して同じようにいじめという犯罪を犯す人々には、私はむだ毛の先ほどにも同意しません。
 言っときますが、御都合主義の正義なんかク▲未満ですからね。

 なんだか味噌もク▲もいっしょ、という感じで——いつものことですが、後味が悪いなあ。
 ローソン対応がけしからんというのなら、自分がああいう真似はしない人間になることです。
 ヤマザキ製パンのドライバーさんのすばらしい対応を見習う。
 それでいいと思います。
  
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momokoボディ

 今日は日曜日ですし、気楽なところでのんびりいきたいと思います。

momoko-jenny-1.jpg

 うちのジェニーちゃん、ボディをmomokoボディに換えてみました。



 momokoさんも、ジェニーちゃんと同じく体長27cmの、1/6サイズのお人形。
 リカちゃんやジェニーちゃんが、洋風の顔立ちなのにくらべ、momokoさんはなじみのある、アジア系とわかる顔立ち。
 しかし体型、頭身は、お人形らしく現実離れしています。



 世の中にはカスタムメイドのドールというものがあると知り、それらのなかには、各関節が自由に動いて、ポーズをとるのも容易であるものを知りました。
 リカちゃんキャッスルでも、オビツの素体を売っているので、ボディを換えちゃおうかなー、と思っていました。

 オビツの27cm用の素体がいいのかなと思っていましたが、こちらはだいたい、ジェニーちゃんサイズの服が着られますが、残念ながら、パンツ類が合わないらしい。
 オビツ素体はふとももがけっこうムッチリ系なんですね。

 個人的には、焔の大佐と同じく「ボインより太もも」派(©荒川弘「鋼の錬金術師」)ですが、ジェニーちゃんと服が共用できないのはちょっと困る。
 と思っていたところへ、momokoさんがあると聞きまして。

 ボディは、momokoさんのほうがジェニーちゃんよりも細い。足はともかく腕も長い。プロポーションとしてはmomokoさんがいちばんかもしれませんね。

 ということで、折よく、momokoボディが販売されると知り、予約を入れていたのが、先日届きまして。
 さっそく、ジェニーちゃんの頭部を外して、momokoボディにつけてみた、という次第。
momoko-jenny-5.jpg
momoko-jenny-4.jpg

 頭部の取り外しですが、ひとまず私が買った、エクステチェンジジェニーちゃんは、頭部がきわめてやわらかい。
 指で顔の左右を挟んで、むにっとつぶすと、すなおーにつぶれます。
 つまり、首の穴が楕円形におしつぶされます。そうやって、ジョイントがゆるんだ状態にしておいて、ジェニーちゃんのアゴを持ち上げるような角度にしつつ、ゆっくり引っぱり、頭部が無事、はずれました。

 ここで力任せに無理にはずすと、頭部のなかにジョイントのパーツが、折れて残ってしまうことがある、というので、かなり、おっかなびっくり、初心者ですからこわごわ及び腰でやりました。
 
 取り付けは、momokoボディのほうへ、まっすぐに頭を差し込む感じで。こちらは問題無し。

 ちなみに、リカちゃんの頭部はけっこう固くて、指では変形させられません。
 髪を傷めないようにカバーしつつ、ぬるま湯やドライヤーであたため、やわらかくしてから、という説明をあちこちでみましたが、——なるほど、リカちゃんはそうしないとダメですねえ。

 いちばんすごかったのは、万力(まんりき)で頭部をはさんで、左右からおしつぶすようにして首の穴を楕円形にするという方法でした。
 これなら握力のない人、人形の肌や髪が傷むのが心配な人でも、できますね。
 ………途中のようすは、なかなかシュールですが;;

 頭部のジョイントはこんな感じです。この写真は、もとのジェニーちゃんのボディ。
momokoボディ

 じつは、momokoボディのほうが、このジョイントが、ちょっとだけですが、小さめなんですね。
 ですので、ジェニーちゃんの頭部はいちおう、はめることはできましたが、首の安定性はイマイチです。角度をつけても、ちょっとしたことでカクカクっと動いてしまったりします。
 
 凝った方ならこれを自分でどうにか工夫するらしいのですが、初心者なのでわかりません。(^^;)

 あと、現在、困っているのは人形のスタンド。

 写真では、ジェニーちゃんに付属してきたスタンドを使用していますが、これは、太ももをはさむようにして支えるのですね。momokoさんのほうが太ももが細いので、充分には支えられないのです、これ。
 momoko DOLL用のスタンドって、単品売りがあるのでしょうか。
 だいたいは人形付属のようで、いまのところ、単品売りを見かけません。探せばあるかな?

 そしてまた、ドール服づくり、初心者向けとして好評だった本を買ってしまいました。
 ミシンがないので作るとしたら手縫いしかありませんが……、そこまでやるようになるんだろうか私。(^^;)

はじめてのドール・コーディネイト・レシピ -お人形服作りの基本とコツ- (Dolly*Dolly Books)はじめてのドール・コーディネイト・レシピ -お人形服作りの基本とコツ- (Dolly*Dolly Books)
(2008/12/26)
関口妙子

商品詳細を見る


 服や小物は、momokoさんのシリーズのほうがジェニーちゃん用よりも細工がこまかくて、こちらをおいおい、買っていきたいとは思うのですが、自分で作るのも楽しそうだなあと思っているところです。

 ちなみに、写真でリカちゃんが履いているのもmomokoさんのシリーズの靴です。よくわからないと思いますが;;
momoko-jenny-2.jpg

 という具合で、じょじょに、ドール世界へ足を踏み入れつつあるこのごろです。
 どこまでずぶずぶいくのかな〜。自分でもそのへんはちょっと不明。(^^;)

 ハマるとなると凝るタイプなのは事実ですが、飽き性でもありますので。さて。

 
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おふんどし、あれこれ

 オリンピックの話題はあんまり書かないつもりでしたが、これだけ。

 フィギュアスケート、男子シングル。高橋大輔選手。
 泣けた。
 泣けました。

 あれは演技としての表情ではなかったのではないのか、と思うのですが、ともあれ、彼がやわらかに微笑んで演技する姿を見たとき、涙、滂沱滂沱でございました。(TへT)

 オリンピックでこうまでも泣かされることがあろうとは(大泣)

       ●

 さすがです、ひこにゃん……!!
 さすが、ゆるキャラ界の王者。ひこにゃんの前にひこにゃんなく、ひこにゃんの後にひこにゃんなし…!

ひこにゃんにチョコなど305個 最多更新の勢い
2014年2月14日(金)17時55分配信 共同通信デジタル
http://news.nicovideo.jp/watch/nw951753

 それはそれとして、昨日、2月14日は「ふんどしの日」だったんだそうです。

 ふんどしの日。

【超拡散希望】慌てるな!! 本日2月14日は『ふんどしの日』! ふんどしの日である!!
http://rocketnews24.com/2014/02/14/413256/

 ………慌てるな、というのが、ちょっとわからないのですが、あー……。しかしこれ、彼氏、パートナーに、チョコの代わりにおふんどしでもいいということに……なるか? ならんのか?

 個人的にはTバックのショーツなんぞよりも、おふんどしのほうが美しいので好きです。
 にしても、いまは「おしゃれなふんどし」略して「しゃれふん」というのか…;
 音の響きからしてちょっと変なものを連想しちゃいますが、まあいいや。どうせアタシの脳内のことだし。

 この記事のお写真を拝見しますと、使用しているのは越中褌(えっちゅう・ふんどし)と思われますが、記事冒頭写真の、向かって右端のかたがお召しなのは六尺褌ですよね?
 うーん、やはり六尺褌のほうが、より美しい気がするなー。
 まあ、美しいたって、それは私の好みだというだけなんですが。(^^ゞ

 中年になってお尻が垂れるのは女性ばかりではなく男性も同様なので、ヒップアップを気にするのであれば、あまりに自由なおふんどしはよろしくございませんでしょうが——でも、局所の通気ということでは、それはもう、おふんどしですよね。

 ……ちなみに、私はなぜか、「フランス」と「ふんどし」には、無意識に「お」をつけてしまいます。なぜでしょう;;
 どちらも「ふ」の音のまえ、というあたりになにかヒントがありそうな気がしますが、よくわかりません。(^^;)

 ちなみに、ふんどし、という名称ですが、もとは「踏み出し」だったとかいう、まゆつばものの話を聞いたことがあります。
 相撲では、しめこみ、まわし、といい、漢字では褌、という同じ字を使いながら、やまとことばとしては、ふんどし、とはいわない。
 下っ端さんのことを「ふんどし担ぎ」というくらいか。

 ふんどしといえば下着のこと、同じ形状とはいえ、力士の場合はあれがアウターであり、正装ですから、漢字は同じ褌でも、日本語としては、下着とアウターを区別している——と聞いたことがあります。

 ちなみに、女性の腰巻きも同様ですね。
 下着は「腰巻き」といい、ガードルやコルセットのような役割を果たすもの——アンダーウェアであることは同じですが、肌着ではなくて補正下着、もしくはアウターの保護具としてのそれは、「裾除け」、古くは「蹴出(けだ)し」という。

江戸服飾史江戸服飾史
(1998/09)
金沢 康隆

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 また、女性では入浴時に使用するというので、入浴専用下着を女言葉では「湯文字」といいました。
 このへんの事情はふんどしも同じでして、その昔の日本では入浴時にはぜったい、すっぽんぽんにはならない。男女ともに局所は隠すようにしていたのですね。
(江戸時代までは、風呂というのは蒸し風呂のことで、湯船につかることはなかったせいもありましょう)

 男性の場合は「風呂ふんどし」といい、もちろんこれは、下着のそれとは異なります。

 また、湯具というのも本来は、貴人が入浴するのに奉仕する人たちが、腰に巻いたもののことだそうです。
 後世にはそのへん、言葉はぜんぶ、ごっちゃにされましたけどね。

 形状は同じでも、目的別に名称を変える、てところが面白いですねえ。(^^)

 ちなみに。
 子どもの相撲大会などみていますと、しめこみの下に黒っぽい半ズボンとかを着用していますね。
 あれは——個人的にはやめてほしいと思ってます;;
 おふんどし。お尻が出るのが恥ずかしいんだそうですが、そうかなあ。恥ずかしいかなあ。
 締め込みの下にあんなもん着けていると、きちんと肌に密着せず、かえって安定性が損なわれる気がするけどなあ。うーむ。

 日本人も体格が向上しているとはいえ、基本、足が短いことにはかわりはなく、そういうなかでは、あのおふんどしというのは、足の美観をもたらすと思うんだけどなー。

 え。女性ですか。

 女相撲が、江戸時代に興行されたときには、薄い肉襦袢を着て、まわしではなく、猿股(現代のハーフパンツみたいなものですね)を着用していたとか。
 ……やはり美しくはないなあ……。

 女性の場合、女性用の、ああいう形状の下着(六尺褌状態)も、あったことは、ありました。でも、それは月経のときに使用するものでしたから……、やはりアウターにはなりませんようで。

 伝統的には、日本においては女性が下肢を出すということはなかったので——いいところ、農作業などするときに、蹴出しを見せる、というくらいでしょうか。
(女性のもろ肌脱ぎはふつうでした。日本においてはおっぱいは、セックスシンボル度が低いのです、伝統としては)

 ますます話が脱線しますが、かの直江兼続さんが著した農業指南書に、「田植えなどの作業時には、女性はきものの裾をあげ、裾除けを見せるようにして使うとよい。男どもが発奮してよく働くから」と書いてあるのをみたときは、ちょっとそれマジで言ってんですかご家老様!!! と、悶えてしまいました。

 美丈夫で聞こえた名将、名政治家ですが、ユーモアセンスもおありだったようで。(^^;)

 当時は、白いすねと、赤い蹴出しで興奮してもらえたんだねー、純粋だよねー、と、へんなところで感心します。
 
 なんの話だかまるっきりわからなくなったところで、本日はここまで。m(_ _)m
 
●●●●●●●●●●●●●●●●●
《参考》

「直江兼続四季農戒書」

四月、最中男は未明より暮れまで、鍬の先のめり入るほど田をうなうべし。女房、娘は三度の飯をこしらえ、頭に赤き手巾をかぶり、田の辺へ持ち行き、老若ともに、よごれたる男の前へ、食を据えべし。あかき衣装の女房を、老若ともに、男みて、その身はよごれながらも、心はいさみ、心労を忘れるべし。男暮れて帰えらば、湯をとり足を洗わせ、姑、舅、女ともに、男のあかがり足を女房の腹の上に置き、撫でさするべし。一日の辛労を忘れるべし。

五月に入りては、吉日をえらび田を植えべし。男は苗代におりたち、めでたき草歌を諷うべし。女房は顔を化わい紅をつけ衣装をあらため笠をかぶり、尻をかかげ黒き身にも白き脚布をして、田におりたち早苗を植ゆるべし。打ちにはいかにもしやれたる男女、夫婦のたからいのことを作り歌うべし



 あかがり足、とは、あかぎれのできた足、のことでしょう。
 それを女房の腹のうえに置き、撫でさするべしとは、古事記の須勢理毘売(すせりびめ)命の歌を思い出させますね。

さやぐが下に 沫雪(あわゆき)の 
 若やる胸を たく綱(づの)の 白き腕(ただむき)
 そだたたき たたきまながり
 真玉手(またまで) 玉手さし枕(ま)き
 百長(ももなが)に 寝(い)をし寝(な)せ
 豊神酒(とよみき) 奉(たてまつ)らせ


 ちょいセクシー♡ な感じ。(^^)
 

 
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