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2014.01.31 (Fri)

刺激惹起性多能性獲得細胞

 それにしても驚きのニュースでしたねえ。

万能細胞「STAP細胞」ヒトでも成功するか注目
1月30日 12時21分 NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140130/k10014883201000.html

弱酸性溶液に浸すだけで「万能細胞」作成に成功
1月29日 22時48分 NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140129/k10014873571000.html

 えーと、つまり? という方のために、ごく簡単に、「分化した細胞が初期化された」とはどういうことかの説明動画はこちらに。
 ↓↓↓

新たな万能細胞を開発 神戸の理研など
http://www.youtube.com/watch?v=svdh1sehCPQ


 ちなみに、STAP cell は Stimulus-Triggered Acquisition of Pluripotency cell, 刺激惹起性多能性獲得細胞、というのの、頭文字をとった名前だそうです。
 いちど聞いたくらいじゃ覚えられない。がんばろう。(^^;)

 うちのMacのIM、ことえりちゃんは、pluripotency という単語について、「つづり、間違ってるよ」と検出してきました。標準装備されている英和辞典も同様。
 科学の専門用語なんですね。だから一般的な辞書には載ってないらしい。……科学用語としては、pluripotencyは、「多能性」「多分化能」という言葉になるようです。

 昨日の会見をニュースで見ましたが、小保方(おぼかた)ユニットリーダー(理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター)の説明では、目下のところ、分化した細胞とはいえ、赤ちゃんマウスの細胞でのみ成功している、という発表でしたね。
 ところが、詳細は非公開のようですが、すでに脊椎損傷のサルで実験が行われているとか。

新万能細胞、サルの治療で実験中…ハーバード大
2014年1月30日14時37分 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20140130-OYT1T00620.htm?from=ylist

 ハーバード大学というと、小保方さんと共同研究の先生のチームなんでしょうか。
 なんにしてもこれはすごいことで、ニュースを聞いていてほんとに、恐れ入りました。

 コロンブスの卵。ブレイクスルー。

 しかしそれらは「前例のない」ことゆえに、なかなか他人からの理解を得られない。そういうことが多い。
 今回のことも、実験それ自体よりも、世間に理解されないということのほうが、難事業だったでしょう。
 そのご苦労をあらためて思ったことでした。

 しかし、サルである程度の成功が見られるなら、ヒトでの成功も、さほど無謀な夢物語ということでもないだろうと思いますが、どうでしょうか。

 治療法のない難病の患者さん、神経系を損傷しての障害、移植手術にかかわる諸問題。
 そういうものが、これら万能細胞によって少しでも、人々を救ってくれるなら——と、期待せずにはいられませんね。

 うちも親父がALS(筋萎縮性側索硬化症)でしたが、それを宣告されたときの衝撃。
 なかなか、忘れられるものではありません。
 なにしろ、治療法はない、進行を止めることさえできないわけですから。
(もっとも、私としてはいちばん不安でつらかったのは、どこへいっても病名がはっきりせず、でも、明らかに親父の症状がどんどん悪化していく——その状態のときでしたけども)

 若返りがどうとかという声もあるようですが、まあ、そこは、同じことですよね。
 美容というのは健康のことですから。

 私が、ただ、はっとしたのは、小保方リーダーの先生にあたる方が(早稲田大学の先生かな)、小保方さんは、病気で子宮を失った女性の助けになりたいということを言っていた——とお話しになったこと。
 年齢ゆえのことなら是非もない。
 しかし、まだ若くて、病気で、というのは、本当に、どれほどつらいことか。
 そういう気持ちを持ってくれるのは、やはり、女性であるからこそ、と思い、この点についてだけは、小保方リーダーが女性であることに感じ入りました。

 まあったく日本のマスコミなんてーのはレベルが低くってしょうがねえな! と昨日も思っちゃったのは、すぐに、小保方リーダーの、割烹着がどうだの実験室がどうだのと、んなことばっかり言ってやがったこと。

 上記に書きました、STAPの意味や、具体的にはどういう実験で、それが何を証したのかは、あたしゃ自分で情報をとりにいかなきゃならなかったんだぞ! なんのためのマスメディアだこのク■ったれ!
 馬鹿をさらすのも大概にしやがれ! ——と、へんなところで大荒れになりました。(^^;)

 昔——そんなことをいっていたら、とある人が、
「しょうがないんだよ。人間てのは、自分よりレベルが低いヒトのことはよくわかるけど、自分よりレベルが高い人のことはわからないものなの。だから、馬鹿がエラい人を馬鹿にする、という妙な現象が世の中にはあるんだよ」
 と、りんごの皮を手際よく剝きながら、淡々とした口調で教えてくれたんでした。

 それでも、あの人よりも自分はレベルが低いのだと、自分でわかるようなら、じゅうぶん馬鹿ではない。安心しろ——と。
 いわれたことが今も残っております。
(考えてみればそういうわけで、マスコミのあの、バカっぷりって、最低でも30年まえから変わっていないと……?)

 べつにあたしも自分のレベルが高いなんて思わないけどさ! なんせ高校生のとき、ちゃんと真面目に勉強したのに物理のテストで零点とったくらいだからな。
 ……真面目にやってんのに零点というのも、なかなかない経験ですよ。(^^;)

 しかしそういう人間でも、噛み砕いてくれれば、こういう科学の話には興味があるんですから、——噛み砕くというお手間を取らせるのは心苦しいけれども、でも、教えてほしいわけですよ。

 ああそれなのに、このマスコミどもときたら!
 なにが割烹着だなにがムーミンだ、そんなことはもっとあとでいい、まずはその論文のなにがどう画期的なことかをちゃんと報道しろよ!
 ——と。
 どうもここんとこ、気候のせいか虫の居所が悪くて、ついつい、もういまさらのはずのことなのに荒れてしまいました。(^^;)

 なんにしろ。
 iPS細胞と、このSTAP細胞で、さらに万能細胞の可能性が広がった——オプションが複数ある、ということは、基本的にはいいことだと思うので——、そのことを喜び、また、「泣き明かした」夜に耐えて耐えて、ここまできてくれた人々に、感謝を申し上げたいです。

 多くの人々の希望と救済とに、なってくれますように。
 
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2014.01.30 (Thu)

妄想選挙

 ふだんは見向きもしない週刊文春を買ったのは、ひとえに、塩野七生さんのインタビューが目当てでした。
 2013年、12月5日号の、「阿川佐和子の この人に会いたい」第997回ですね。

 なーんでこんな●●の、毛だらけのケ▲の穴みたいな雑誌にこんな面白そうなインタビューが載っちゃうんだよ! と、さんざん嘆いたあと、しかたなくAmazonさんで購入。基本的に往生際が悪い、優柔不断なんです私。(^^;)

 やはり、いろいろと面白かったんですが、「ですよねー」と思わずうなずいてしまったのは、原発についての塩野さんのコメント。

「私が最も(日本に対し:引用者注)不満に感じているのは、我々は福島の原発事故で絶対安全ということはあり得ないとわかったはずじゃないですか。それなのに、原発再開に際して、またも「絶対安全」を求めてるんですね。
 これは論理的にも矛盾しています。だけど、矛盾だと感じもしないで声を挙げているほうが、今、メディアに取り上げられている」



 いちおう、矛盾だと感じてものを言っている人もいるのですが、理由は知りませんがそう言う人は原発推進派と呼ばれて、口を塞がれているんですよね。

 このインタビューではなくて、日経新聞に載ったほうだったかな。塩野さんが、イタリアにいるととにかく日本のメディアなんか聞こえてこない。ヨーロッパあたりで伝えられる情報はみんな発信が中韓で、日本のメディアは「相手にされていない」んだとおっしゃってますね。

 困ったもんだねーと思っていたら、1月28日の日経新聞「春秋」はすごかったですね。
 例のダボス会議、経済新聞のくせにぜんぜんまともに経済に関する各国の議論を伝えないという醜態をさらしたばかりか、シナや韓国といっしょになって、靖国神社参拝のことを、あたかも大事であるかのように言いつづけたわけですが。

 春秋子の言い草はすごい。
 海外メディア礼賛状態ですよ。
 日本のメディアのくせに、言うに事欠いて、日本のことは海外メディアのほうが詳しいんですとさ。
 海外メディアのほうが、日本のことを「正しく」とらえているんですってよ。
 安倍総理をつかまえてタカ派というのは、完全にシナ朝鮮によるイメージ工作なんで、日本のメディアとしては、「タカ派ではない」ことを発信しなければならないというのに。

 海外メディア礼賛した、春秋子のしめの言葉は以下の通り。

「このさい、同業へのひいき目は抜きにして、彼ら(=海外メディア)のハナは侮れぬ。甘く見ないほうがいい」

 ば————————か。(←思わず)

 侮られてんのは自分らのほうだ。
 それがわからないからバカだって言ってんだよ。なめられてんのはアンタらのほうなの!
 シナ朝鮮に、馬鹿とハサミは使いよう、くらいにしか思われてないのが現状でしょうが!

 と、朝っぱらから、朝刊を放り出しましたねあたしゃ。(^^;)

 まあ、なめられて当然の馬鹿っぷりではあります。
 自分で自分の馬鹿がわからないんだものなあ。そりゃ、馬鹿にもされるわ。
 というか、そもそも、無視されてんのにねえ。いろんな意味で。


 そういうバカはともかくとしても。

 日本のメディアは海外に対する発信力がないというのは——本来はいいことではないので、あらためてほしいところですが、しかし、毎日“ヘンタイ”新聞みたいに、ないことないこと海外に発信されてもなあ。
 バカはできるだけ国内にとどめておきたいと思うと、どうにも複雑です。

 話は戻りまして、原発利用のお話。

 私はもとから、「安全神話」なんて聞いたこともなかったし、そんなもんがあるとも思わなかったんで、ゆえに、もともとは「原発はやめようよ」派でした。

 しかし、やめるといっても一気にやめられる話ではない。
 代替エネルギーについてはあれこれ検討されてはいるものの、いずれもじっさいの運用に耐えられる性能はない。
 ゆえに、事故の対応技術も含め、原発の運用の安全性を高めることや、万が一に備えた技術、装備の改善、充実をはかるというのが、もっとも現実に即した対応です。

 絶対安全は存在しない、とわかったのに、まーだ絶対安全じゃないと運転させないというのは、論理的におかしい、というご指摘はそのとおりです。
 でも、世の中、論理というものを理解しない人が多いようで。

 現実、事実、ではなく、自分の脳内妄想に振り回されるというのは、どうにも迷惑なことです。

 また、馬鹿とキチガイは声がデカい、というのが私のみるところですが、この法則がどんぴしゃりで合っているようで、ホントに反原発派とやらのほうが、声がデカい。
 
 なんていっていたら、東京都知事選に、瀬戸内寂聴さんがしゃしゃりでてきて反原発ですと。

【都知事選】 瀬戸内寂聴氏 脱原発にかける91歳の執念
http://blogos.com/article/79121/

 もう、しっかりしてくださいよ、と思うけど——こういうことって、でも、年齢じゃないんですよね、現実をどう見るか、その判断力というのは。

 ドイツも結局、代替エネルギーの実現は、うまくはいっていないわけでしょ。

独、再生エネ普及策を見直し 新設発電への優遇策縮小
2014/1/30 0:58 日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM2903D_Z20C14A1FF2000/

 それでも日経は

「ドイツは核分裂の研究で第2次大戦前に世界最先端の水準にあった。その自負があるにもかかわらず脱原発に動いた決意は固く、それは大連立でも揺らいでいない。再生可能エネルギーの普及策を見直すのは、脱原発が理想論から「実現段階」に移行したからだ」


 と寝言を言ってますけど。

 理想論から実現段階へ、というのが事実なら、優遇策を縮小しても再生可能エネルギーとやらの利用率が下がるおそれはないはずなんで、現状ではそのあたりの目安もないというあたり、相当、苦しいいいわけじゃないですか。
 スペインでも、結局、「発電コストは上がる、でも電力料金への転嫁を認めない」で、電力会社が経営危機に陥ったわけですね。

 私はもとから原発はやめようよ派です。
 でも、こんなに「不安と恐怖」に追い立てられる、ウソばかりの「妄想」施策が行われることを考えてはいませんでしたよ。
 なにしろ、現実主義なもんで。

 こちとら霞を食って生きてんじゃないんだよ。——当たり前でしょうそんなことは。

 私はいずれ、再生可能エネルギーの技術革新が起こること、原発を制御する技術、廃棄物処理技術の進歩があることを予想していますが、それらはしかし、今日明日ということではないことも、予想しております。

 現実、いまあるものは最大限、使うしかないでしょう。
 事故をなんどか起こしているのだから、事故想定と対応策を考えておくことはできるはず。
 予算を付けるなら、事故予防と事故対応の研究が優先課題だと思います。

 現実的に考えるって、そんなに難しいことなんですかね。
 私にはそのほうが不思議です。

 なんにしても、細川護煕さんについては、——その後見人役になっている小泉純一郎さんにしても、原発やめろはいいけれど、「代案はない」というのはすごすぎますね。(^^;)
 細川さんに至っては、原発以外の政策は考えてないんですって? 大丈夫かい。

 もしなにかの災害が起きたときには、知事は最高司令官となって働かなければならないんですよ。
 それなのに、こういう「何も考えていません」という人に、指揮がとれるのでしょうか。
 周囲に優れたスタッフがいれば「よきにはからえ」で済むでしょうけどね。
 そういうところが「お殿様気質」なんでしょうかね。

 都知事選挙なのに国政選挙と間違えている人々ばかり、というあたりについてもまた、ちょっと気になる今日この頃。

 
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2014.01.29 (Wed)

公然猥褻

 日の出の時間が早くなってきました。
 うちのほうですと、最高に日の出が遅かったとき(1月15日ごろまで)、日の出は午前6時54分くらいでしたが、今日あたりはもう、6時48分。
 ここから立春のあいだに、一気に春が進むんですよねえ。………太陽は。
 気温のほうはもうしょうがないと思ってますが。(^^;)

 それでも、はっと気づくと太陽の光はもう変わっている。
 ほっとして、胸が弾む。
 春はいいものです。

         ●

 テキサス親父さんの動画。

字幕【テキサス親父】駐日米国大使キャロラインケネディは頓痴気だ
http://youtu.be/WjRqnvCPT7k


 動画冒頭で、注意書きが現れ、「この動画には民主党という語句を使った強い表現が含まれています」というようなのがありまして、もうここで腹を抱えて大笑いしました。
 民主党は猥褻物か(笑)

 しかしまあ、面白いことに「民主党」はほんとに、ろくなのがいないようですね。
 日本の民主党はアレですし、タイで事実上の内乱騒ぎを起こしている野党も民主党だそうですし。韓国にも民主党があるんだそうですが、韓国はもう、国全体が民主党状態ですから、そこはコメントしません。(^^;)

 ということで、いまや国際的にも嘲笑の象徴となった民主党ですが、動画のなかで親父さんもおっしゃってますが、ケネディ大統領のころは民主党もあんなんじゃなかった。と。
 愛国的で、同盟国にとってもよかった。さりながら21世紀の民主党は愛国的ではなく、同盟国を軽蔑するんだ。——と。(1:58〜)

 これには私も、ふーむと考えてしまいました。
 じつは、日本の左巻きもそうなんですね。

 その昔の共産党や社会党は、ちゃんと日本の政党だったし、愛国心も、日本人としての思い、気持ちもあった。
 なのにいまや、両党にくわえ、その分派である民主党は、外国の政党であり、愛国心はあるんでしょうがそれは日本への愛国心ではなく、日本人という意識もない。
 彼らのアイデンティティがどこにあるかなんぞ、あたしゃ聞きたくもないから知りませんが。

 ともあれ、なぜか、どの国でもかつての左翼は左翼ではなくなり、なんだかしらんが途方もない阿呆になっているようです。

 彼らの行動原理はイデオロギーですらない。
「不安と恐怖」。それだけ。
 結局、威丈高で傲慢で押し付けがましく、他人に対して同情心がなく、敬意をもつという言葉の意味を理解しないのは、不安と恐怖が強い人間ゆえ。
(びくびくおびえる人間こそが他人に対しては威張ってみせるものなんです)
(実れば頭を垂れるというものなら、あいつら反っくり返っている枯れ穂ですな)

 ルサンチマンというほどにも高尚ではない。
(これはルサンチマンが高尚だと言っているのではなく、彼らの行動原理、不安と恐怖にくらべたら、ルサンチマンのほうがよほど高尚だわ、という、皮肉ですので念のため)
(私がいうと、それが皮肉だとわかってもらえない、ということがけっこうあるので、補足です;;)

 不安と恐怖からなにもかもを始める人々、となりますとこれはもう、イデオロギーですらない。
 イデオロギーとしての左翼というものは、事実上、滅びたんじゃないかと私は思っています。
 
 アメリカの民主党と、日本の民主党と、その本国である韓国との組み合わせなら、類は友を呼ぶで仲良くやれそうなもんですが、——私もそのように予想していたのですが、じっさいやらせてみたらもう、てんでダメだったというのが興味深い。
 不安と恐怖に食われた人間は所詮、「仲間」を見ても、そのような、人間らしい共感は持てないんだな、ということが、よくわかりましたよ。

 不安と恐怖は、別名「エゴ」というのですが、エゴはまさしく「自分だけ」で手一杯になっているので、同じように、自分のことしか考えられないもの同士は、いくら寄り集まっても、愛もなく共感もなくものの道理もないんですね。

 なるほどこりゃ地獄だな——。そう思いました。

 ということで、私はケネディ大使についてもとくに驚きはありませんがしかし、あのありさまを見たら、お父上はお嘆きでしょうな、とは思いました。

 うちもそうなんだけど、家系としての馬鹿というのは世代を経るごとに悪化していくところがあるんですよね。なぜなんでしょうね。自己破壊行動がひどくなっていくのです。
 家族が持つ不安と恐怖のトラウマは、代を経ても癒されないまま、むしろ悪化していく、ということかもしれません。
 救いがないねえ……。うちもだけど。

 お口直しにこちらの動画。
 火星の衛星写真で、人工の建造物みたいなものが撮影され、それが日本の古墳(前方後円墳)にそっくり、ということなんですが……。

A Large Structure On Mars The Same Structure in Kofun Japan, August 2013
http://youtu.be/Gc51ftLEE4Y


 音声によるナレーションはなく、キャプションのみですが、BGMの雰囲気から、「……おわかりいただけただろうか」というナレーションが、思わず勝手に脳内再生されました(笑)

 まあたしかによく似てますが、NASAの見解としてはもちろん人工物なぞではないということのようです。……そりゃそうだ。
 火星のこれは大きさがかなりあるようですから——仁徳天皇陵(伝)より大きいみたい。
 それはそれで面白いからいいんですが、この動画についたコメントに、
日本人(の先祖)は火星からきたんだね
 には参りました。……「Only in Japan」と言われるのにはもう慣れていたけど、……とうとう地球外生命体かい、あたしらは(笑)

 じっさい、火星に人類がかつてはいて、火星が住めない星になると、地球へ越してきたんだという説があるんだそうで、それなら日本人だけが火星出身ということはないので安心です。(なにが?)

 なんにしても面白い。聞けば火星からの衛星写真では、ピラミッドそっくりのものも写っているのがあるそうで。
 人類のルーツが火星にあるなら、それはそれで面白いなあ。
 ということでコメントも、皆さんけっこう楽しんでいるふうですね。(^^)

 ところで——「古墳」て、そのまま「Kofun」なんですかね……? 英語にも tumulus という言葉があるようなんですが、それとも前方後円墳のことを特定する言い方なんだろうか?

 なんにしても、ロマンですね〜。(^^)

 
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2014.01.28 (Tue)

千の風になるコツは

 昨日、NHKの朝イチという番組では、「夫と同じ墓に入りたくない」という女性たちのことを取り上げていたそうで。

 そういえば、うちの母のご希望はどうなっているのだろう、と思い、
「ご希望は? どうします? 親父といっしょじゃイヤだとか?」
 と聞いたらば、
「あのお墓はアタシが買ったのよ。入るわよ」
 と、ちょっと憤然として言われました。(^^;)

 うちは分家ということになるので、それまでは墓がなく、父本人も気にしていたのですが、結局は、父が亡くなったのを機に、お墓を決めることができたのでした。

 ちなみに。
 お墓というのは厳密には「借りる」ものであって、「買う」ものではないようです。
 と申しますのも、お寺さんの墓地にお墓を求めた場合、その敷地を借りる、ということでして、ゆえに、お墓を管理できる身内のものがなくなると、諸手続きののち、敷地はまたお寺さんに返し、お骨は、無縁さんとして合葬——
 うちのお墓はそういうことだそうです。
 
 それにしても、考えてみれば不思議なことで。
 死んだあとのことなんぞ、どーでもいいような気がしますけどねえ。
 嫌いな夫、舅、姑などと、死んでまで同じ場所に入りたくないんだそうですが、私が聞いたところでは、死んでしまうとさすがにそのへんは、ご縁もなくなるようですよ?

 というのは、あの世というのは物質ではなく、いわば精神状態「そのもの」の世界なので、人間性、性質といったところに従って世界は分かれてしまう。
 幼稚園児と大学生が同じ場所にいることはない。そう言う感じで。

 仮にあの世で、その嫌いな夫と接近遭遇しても、レベルが異なるなら、お互いの存在に気づきもしない。らしい。

 ——さらに不思議なのは、私は輪廻転生やら、死後の世界やらを信じているので、こういう話でも「ふーん」といって真顔で聞きますが。
 私の見るところ、現世では、「人は死ねばそれっきり」という、よーするに死後の世界などない、という考えの人が多いような気がするんですけども。
 そういう人にしたら、それこそ、お骨がどこに納められようともはや関係のない話じゃないでしょうかね?
 ちょっと矛盾じゃないでしょうか?

 ちなみに、散骨というものですが。
 親の遺言にしたがってそのとおりにしたものの、文字通り死ぬほど後悔し、苦しんでいる人を知っているので、「たいへん迷惑なのでやめろ」と言いたいです。

 葬式は結局、生き残った人間の精神衛生のために必要なのだな、と、私も父が亡くなったときに思ったんでしたが、死に行くものは、後に残された人の気持ちっつーものを、もーちょっと考えるべきだというのが、私の考えになっております。
 あれは、罪だと思いますね。自分のエゴのせいで、息子さんをああまで悲しませ、苦しませるというのは。

 死んだらなにもない、というのだったら、それこそ、墓にはいろうがどうしようが、生き残っている人間におまかせにしておいて何の不都合もないでしょうに。

 私は散骨とか、川に流すとか、そういうものには反対です。
 墓というものを作り、そこへ死者の名残をとどめることで、懐かしい死者と話す、出会う、ということをゆっくり繰り返すことができる。
 まだ生きている人間の悲しみを癒し、あるいは、生きていた間にあったさまざまな葛藤や、怒り、恨みを、浄化させることができるからです。

 気持ちのよすがになるものがない、というのは、物質世界に住んでいる人間には、想像以上の苦痛になることがある。
 半端に覚ったようなことをいって、でも結局は、しっかり悟っているわけでもないから、自分の苦しみや悲しみをいつまでも手放せずに苦しむ、あるいは自分の死後に生きている人を苦しませるようなことはすべきではない。と思います。

 悟れないから人間なんだよ。
 悟っていたら仏だよ。

 夫と同じ墓に入るのがイヤだとか、それは個人個人の事情でしょうから、うまいこと解決法が見つかることをお祈りするのみですが、でもとりあえず、なんでもいいから墓(か霊廟)には、とどめていてもらいたいですね。その物質の名残くらいは。

 それにしても。
 そういう話を聞くにつけ、結婚するってたいへんだなあ、と、そのあたりはたいへん気楽な独り身は思うのでありました。

 どうしても夫と同じ墓はイヤ、という人は、「人は死ぬときはひとり」だということを解説した本もありますから、そういうのをじっくり読んで、じっくりイメージトレーニングするといいかもしれません。

 孤独死はいやだ、なんて言う人がいるけど、死ぬときはみんな(ある意味)孤独死ですよ。
 夫と同じ墓はイヤだ、と、この世のしがらみをそこまで厭うなら、むしろ、死に際しての孤独っぷりはすがすがしく感じるでしょう。……感じない? 少なくとも、その、イヤな人間とは無関係になれますよ? これがスッキリでなければなんなのか、というくらいの勢いですよ。

 夫と同じ墓に入るのはイヤというのは、本当は、死後の自分を心配しているわけじゃないでしょう。
 生きている今、この場所にある、恨みつらみのことを、本当は、言いたいわけでしょう?

 とするなら、現世の問題は現世にあるうちに、解消、解決できますように願っています。

 まあ、死んでしまえばそういうのもなにも、全部チャラ、と考えるほうが、妥当だと思いますけどね。

 死後の世界を信じている私としては、
「そうまで夫がくだらない、つまらない、低俗、低レベルな人間だと言うのなら、そういう人間と2度と縁ができないように、死ぬまでには、少なくともその夫よりは、レベルが高い人間になること」
 を、おすすめしたいと思います。

 先ほども申しました通り、あの世は精神状態がそのまま反映される世界だそうなので、自分が(夫よりは)徳のある人間になっていれば、あの世では、別レベルの人たちとは接触がもてないわけですから、夫やその関係者とも、金輪際、会うことはありません。
 墓をわけるより、そっちのほうが確実だと思います………個人的には。

「千の風になって」でも、「そこ(お墓)に私はいません」と歌っているわけですから、墓にこだわることもないと思いますよ。
 ——と、この話題、聞いて真っ先に思ったことはそれでした。(^^;)
 じっさい——死んじゃったらもう身軽になって、どこへでも自由に行けるわけですから。
 
 そういう、お墓がどうとかってところに執着すると、気持ちよく成仏というわけにもいかないと思います。
 ——できるだけ、あの世へは、ああせいせいした、よく頑張って生きたよアタシ、と、自分で自分を褒め倒しながら、道をたどりたいものですねえ。

 徳川家康は、人生は「重き荷を背負いて、遠き道を行くがごとし」といいました。
 そうやって重い荷を持って人生を歩き終わったら、その重い荷物は、さっさと放り出すこと。
 それが成仏のコツかな〜、なんて、最近、考えております。(^^;)
 
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2014.01.27 (Mon)

イケメンパラダイスな日曜日、夜

 大河ドラマ「軍師 黒田官兵衛」。
 私は楽しく見ているのですが、またぞろ、視聴率がどうとかという記事の見出しが目について、もしやこの視聴率が悪いみたいなのって、挨拶みたいなもんなのか? と思ったり。
 だって騒ぐほど視聴率悪くないし。「八重の桜」もそうだったし、「平清盛」は過去の大河と比べての話であって、通常のドラマ視聴率としたら立派なものだったし。

 あんまりこの「視聴率が」というのには意味がないんだろうな。——と思うことにしました。

 ドラマのほうですが。
 よほど今後の予定が詰まっているのか、官兵衛殿ご若年のエピソード、急いでますね〜。ドラマというよりもあらすじを見ているような気持ちになるほど、エピソードはさくさく片付けられていく感じです。
 気が短いせいで、冗長なドラマが苦手な私にはちょうどいいのですが、私にとってちょうどいいようでは、世間様からすると慌ただしい感じになるのでは。

 昨日は官兵衛殿の奥方様、光(てる)さんが登場でしたが、楽しくて気っ風のいい感じの女性でした。(^^)
 私はこういうタイプ、好きです♡
 あと、官兵衛殿の事実上のお師匠さんとなる、竹中半兵衛さんは、まだ、織田さんちの傘下には入っていません。牢人中でしょうか。

 しかし半兵衛殿も見目麗しく、「両兵衛」と言われた、官兵衛&半兵衛がそろうと、画面がすっごくいい感じだろうなー、といまからウットリしている——のは、いささか不謹慎でございましょうか。(^^;)
 でも、さすがに岡田准一さんの体の動きがきれいでねえ……。
 初恋の人を無惨な形で失った官兵衛さんは、荒れているときでさえ太刀筋がきれいで、「おー」と感動して拝見しました。
 せっかくなので、もちょっと、ああいうの、見たいなあ。
 軍師であるゆえに、アクションシーンはあまりないようだ、というのがちょっと残念。

 私も好きと言えば好きなんだろうなあ。こういう、殺陣を見せてもらうのがかなり好きみたいです。
 いまだに忘れがたいのは、昨年の、八重さんの兄上、山本覚馬さんの槍を使った殺陣です。あれはかなり珍しいこともありました(刀ならまだしも槍!)が、さらにそのうえに、美しい動きでしたものねえ。

 ということで、官兵衛さんはただいまいろいろ仕込み中。といったところでしょうか。
 それにしても、またしても秀吉役の竹中直人さんが素晴らしいです。なんでしょうかあの若々しさ。(いえ、とくにいまはそういう年齢の設定なんですが;;)
 じっさいは信長様のほうが年下だということをうっかり失念する(笑)

          ●

NHK会長発言:民主党「誠に不適切」国会で追及へ
2014年01月26日 23時50分 毎日新聞
http://mainichi.jp/select/news/20140127k0000m010106000c.html

 これ、いいんじゃないでしょうか。
 国会で追及ですって。
 いいですねえ。このさいだから、国会内に「いわゆる従軍慰安婦問題調査特別委員会」を設けて、ことの発端である朝日新聞も証人喚問するのがいいじゃないですか?
 徹底追及しましょうよ。この問題については。
   
 なでしこアクションからの公開質問状へ、愉快な回答を寄せてくれた河野洋平氏も、みんな喚問して、ことのおこりとその経緯を、時系列でも整理して、はっきりさせるのがよろしいと思います。

歴史資料として通用しない元慰安婦調査報告書 免れない河野洋平氏の責任
2013.10.16 ZAKZAK
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20131016/plt1310161533004-n1.htm

 民主党さんへ電話して、「是非やってくれ、朝日新聞も喚問してくれ。調査委員会もうけてくれ」とリクエストをしておきましょうか。

          ●

 全豪オープンテニス。
 男子シングルス決勝、テレビで見ていたのですが——まことに、意外で、残念で、でも、恐れ入ってしまった試合でした。

-大会レポート- 最終日
フェデラーの影武者、バブリンカがナダルを倒す

WOWOW オンライン 2014/01/26
http://www.wowow.co.jp/sports/tennis/news/detail_140126_03.html

 どうも全豪とは相性の悪そうなナダル選手ですが(とはいえ、いちど優勝はしていますが)、今年は体調もよさそうで、これはいけるんじゃないかなと思っていたのに。
 第2セット途中で、腰を痛めたとか。
 サーブもまともに打てないようなありさまで、もう棄権してほしいと見ているほうが泣いちゃうくらいでしたが。

 それでもナダル選手は棄権はせず、試合をやり通した。

 対戦相手となった、バブリンカ選手には気の毒でしたが、でも、すごいなあ、とあらためて、ナダル選手のプロフェッショナルぶりに、頭が下がりました。

 バブリンカ選手は全豪優勝は初めて。というか、グランドスラム優勝が初めて、ですかね。
 おめでとうございます。試合の内容は、でも、今大会は本当によかったですよ。
 もちろん、決勝はいい試合となることを期待していましたが——、これは、バブリンカ選手にも気の毒なことでした。でも、優勝、おめでとうございます。

 それにしても解せなかったのはブーイングです。

 会場のお客さんもナダル選手の体調の異変には気づいていたはずです。
 それなのに、彼がメディカルタイムアウトからコートに戻ると、異様なブーイングが起きたんですね。
 バブリンカ選手もなんだか主審にあれこれ言っていたようにも見えました。話の内容がわからないのでなんともいえませんが。

 なぜ、あんなところであんなブーイングが起こるのか。
 なんだったんでしょうかね、あれ。
  
 うちの母なんぞはアレに怒ってしまって、
「こんな下品な客しかいないようなところでグランドスラムなんかやるな」
 と。

 お気持ちはお察ししますが——そう言う意味で観客がまともに「近い」のは、イギリスくらいだろうなあ。
 私も初めてライブで全米を見たときは、あまりのことに開いた口が塞がらない、という状態になったし。(^^;)
(それまではウィンブルドンしか見たことがなかった)

 なんにせよ、ナンバーワンであることの「オブリージュ」を、見せてくれたナダル選手には、あらためて、最大限の敬意を表します。
 思わずもらい泣きですよ……。いい男だなあホントに。
 こういういい男をリアルタイムで、しかも彼がまだ、17歳くらいのころから見ていられるって、ほんとにラッキーで、ありがたい、幸せなことだなーと思った昨日の決勝でした。

 思えば昨日は、いい男ばかりを見て過ごせた日曜日の夜だったんですねえ。(^^;)

 
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2014.01.25 (Sat)

フォアグラ弁当から

 コンビニチェーンが販売を予定していた「プレミアム黒毛和牛入りハンバーグ弁当・フォアグラパテ添え」が、「フォアグラは飼育方法が残酷」というクレームを受け、販売を中止した。
 ——と聞いたときは「はあ? またアホなことを」としか思わなかったんですが。

 これはネット上での「噂」レベルの話なので、そのおつもりで聞いていただきたいのですが、フォアグラは残酷だから弁当販売を中止しろ、といっていた人が、じつはライバルコンビニチェーンの社員だというお話が。

 その人のTwitterの、アカウントトップページという言い方でいいのだろうか、そこにプロフィールを書き込めるらしい欄がありますね。
 スクリーンショットでそのプロフィール部分が紹介されていたので、拝見しましたが、ヴィーガン、つまり菜食主義者であるのはいいとして、なるほど、どういう意味合いかはわかりかねますが、そのライバルコンビニ店とおぼしい名前が載ってますね。

 社員かどうかはともかく、関係者なのか、そのコンビニチェーンのファンなのか。

 ヴィーガンであればフォアグラに敵意を持つのはわかるようですが、んなこといったらこういう人(たち)は吉野家さんあたりを爆撃しなけりゃならんでしょうし、——なんでコンビニ弁当をそこまで狙い撃ちにするのか、というところは、たしかに疑問ではありますね。

 どのみち、胃にもたれる脂っぽいものは私はいただきませんので、どうでもいいといえば、どうでもいいのですが。

 ちなみにそのTwitterアカウント、現在は拝見することができません。
 閉鎖したのか削除したのかはわかりませんが。

 しかし——ほんと、SNSをやっているとうかうかものも喋れないですね。

 いやなに、今回の場合も、ライバルコンビニ店の関係者だとか、あるいはファンだとかいうのなら、そういう立場をはっきりさせればいいだけのことですけども。
 妙に隠し立てするから、かえって事態がややこしくなるんでして、自分の立場をはっきりさせたうえで、フォアグラ反対、と言えばいいだけのことだと思いますよ。

 もしも、その方がライバル店の社員なり関係者なりであって、フォアグラ弁当の販売を妨害したとあれば、それはまあ、それなりに法律にひっかかることはありましょうが(比較広告を禁じた景品表示法に違反か、営業妨害とみなされれば、威力業務妨害になるでしょう)、単なるライバルコンビニチェーンのファンであって、フォアグラ弁当を売ろうとしたほうのコンビニは嫌い、とか、そういうことなら、——極端な人だなーとは思いますが、思想良心の自由の、範囲内のことではありましょう。
 その場合はその場合で、なにもその人を叩く必要もないわけです。彼女のご意見に反対なら反対と表明していればいいだけのことでは?
 
 それに。
 先日、ドラマの放送についてもクレームであわや放送中止か、という「事件」のときにも思ったのですが。

 これからは——「たとえ幾千の苦情が寄せられようとも、ものの道理に照らして考えて、こちらに非はない、と思うのなら、一歩も引かない」態度って、必要だな、と。

 日本人はようやく、シナ朝鮮のおかげで、「ゆずってあげても、ダメなものはダメだ」「むしろ譲ったことで事態は悪化した」ということを学びました。
 であるならば、どう対応すべきなのか。
 現在はそこのあたりを、模索中ですね。

 これは、いま、日本人のみならず、人類全体が課題にしていることかもしれません。

 理不尽な要求には、毅然として、NOという。

 毅然としてと言っても、けんか腰で、居丈高にものを言うということではない。

 Claim clearly, but in polite way.

 はっきり(明瞭に)ものをいう。あくまでも品位を持って。
 
 明瞭に、というあたりがまずポイントですね。
 はっきりものをいう、なんて言うと、それこそ単刀直入に、「バカ正直に」いう人がいるんですが、そうじゃないんです。
 明瞭にというのは、なにを主張しているのか、その主張しているポイントを、はっきりさせる、ということです。

 そんなのとっくにやっている、というかもしれませんが、そうかなあ。そう思っているのは自分だけで、それを聞いた他人の耳には、ただ感情的な罵言にしか聞こえていないってこと、けっこうありますよ。
 あるいは、具体的に指摘しないから、いつのまにやらターゲットがずらされて議論がへんなほうへ誘導されている、とかね。これは日本はさんざん経験しているはずですね。

 理不尽なクレームがきても、ビビらない。
 もちろん、その人たちの言い分「すべて」が悪いわけではないでしょうし、感情的になっていることがあるなら、そこはまずなだめて、ちょっと冷静になってもらうことが大事なので、謝罪が必要な「部分」については謝罪し、感情的なところには、できるだけ、「共感」をしめすことは必要でしょう。

 けれども、そのうえで、やはり、理不尽な要求は理不尽だと、いわなければならない。

 これもリスク管理の話になりますね。
 バスジャック事件などもありますが、あの対応の基本のキ、——犯人の要求を、絶対に、丸呑みしない。これは基本です。
 そのうえで、交渉は粘り強く続ける必要がある。

 これはなにごとでも、同じことかもしれません。
 私は、せんだってのドラマの話でも、虚実の区別のつかない人からのクレームを丸呑みする必要はないともうしました。

 もし、ドラマが、「表現の自由」の範囲を逸脱するようなものであれば致し方ありませんが、「現実は異なる」という抗議であれば、丸呑みする必要はない。——ドラマなんですから、現実とは異なるのは当たり前です。
 これはクレームを付ける側にも落ち度があると私は思います。
 あの場合、表現に問題があるというのなら、描写、あるいは言葉の面で、訂正、手直しを求めるというのはわかりますが、そこを一気にぶっ飛ばしていきなり「放送中止」を求めるというのは、飛躍し過ぎでしょう。

 要求は、どこまでなら妥当か。どういうことなら妥当か。
 
 そこを、クレームを出す側も、きちんと考えるべきだと思います。

 そうじゃないと、ようは、「自分の要求を通したかったら脅迫すればいい」ということになりますよ。ホントに。

 フォアグラ弁当の場合。
 フォアグラの「生産」方法は残酷である、ということには私も同意しますし、同意する人は多いでしょう。
 けれども、そこで一気に、フォアグラ弁当を売るな、というのは、飛躍し過ぎ、ぶっとびすぎ、やり過ぎの、「脅迫」だと思いますね。

 そこまでフォアグラを許しがたいというのなら、いち民間企業を脅迫したってしょうがないんで、世論に訴えて、フォアグラ自体を法律で禁止するのが、筋というものでしょう。
 フォアグラがどこまで国産なのかは私は存じませんけれど。

 そういうところからコツコツやるしかないんで、でも、そういうやり方なら、賛同者も得られると思いますが如何。
 そういう堅実なやりかたをしていれば、いきなり個人的な背景をネット上で暴露されることも、ないわけですよね。

 危機管理というものが、マジで、個人レベルで必要な世の中になってきたんだなー、と思いました。

 個人でも企業でも——理不尽なものには、理不尽であることをわきまえて対処する。
 そういう「気概」が、必要になりましたね。
 危機管理ということなら、その気概は昔からずっと求められるものではあったでしょうが——現代は、その気概を持つことを、さらに求められるようになった。

 こうなりますと社会に必要なのは、実力、すなわち暴力による要求は、いかなる事情があっても許さない、という態度でしょうね。
 法律の整備、社会全体での「文化」づくり。

 暴力バカが、確実にバカを見る社会であること。

 個人が、リスク管理しやすいようであるためには、そういう社会であることが、どうしても必要ですね。

 ということで、「stalker-zero-被害者が守られる社会へ」、賛同署名いたしました。
  ↓↓↓
http://www.change.org/ja/キャンペーン/stalker-zero-被害者が守られる社会へ#share

 あー………、今日はまたなんだか、話がへんなほうへ移動してきましたね。(^^;)
 相変わらず、私の頭には計画性というものがありません。行き当たりばったり。(^^ゞ

 そういえば、そういえば、と、次々、連想で書いていくからこういうことになるんですね;;

 そういえば——日経新聞なんですが、曲がりなりにも「経済」新聞のはずなのに、ダボス会議の内容、詳細はまったくといっていいほど報道せず、ただ、靖国神社についてのシナの記者の質問に対する、安倍さんの回答を、針小棒大、例によって抜き書き捏造、あげくには、海外メディアの名前を騙って「誤報」を繰り返しています。

 昨日だけならまだしも、今日の朝刊もまだやってんですよー。
 経済新聞名乗るの、やめろよもう。

 日経ビジネスも、まーたシナ朝鮮視点で特集を組んでるしねえ。

 日経ビジネス、次はもう購読はやめますわ…。最近読むところが減ってきていたし。
 
 日経ビジネスのすごいところはですね、1年契約していて、それが契約がきれるでしょ。振込などがなければ、ふつうはそれで終わるでしょ?
 なのにここは、延々雑誌を送りつけてきて、「契約解除の連絡がなければ契約継続と見なす」っつーんですよ。で、金を払えと。

 去年はうっかりしすぎて、もうかなりの冊数を送りつけられたあとだったので、いまさらしょうがねえ、と思い、また1年分の支払いをしたんですが、今年はもうやめます。
 いまのうちから「次年度契約はしません」と連絡しておいたほうがいいですよね。すぐに忘れるからなあ、私の頭は。(^^;)
 
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2014.01.24 (Fri)

すき焼きより、素焼き

 もしかして、すき焼きって、美味しくないものなのでは?
 すき焼きというと、ごちそう、おいしいもの、というイメージがあるが、そのイメージは人から植え付けられたものであり、イメージはイメージであって現実とは異なるのでは?

 ——と疑問に思うようになったのは、米沢牛と出会ったからでした。

 基本、私はあんまり、肉類が好きなほうではありません。
 好んで食べるのは焼き鳥、鳥の唐揚げ、ローストチキン、ロールチキン……と、鶏肉ばかり。

 正体不明の感染症に悩まされ、精神的にもけっこうヤバい状況だったとき、お世話になった鍼灸の先生には、とにかく精気が足らんのよ精気が。肉を食いなさい肉を! …鶏肉? あれは肉じゃない。四つ足のものを食べるのよ四つ足!
 と言われまして。
 言われてみれば鳥は足は2本……。なるほど、鶏肉ではパワーにならんのか。

 その後、おかげさまで体調も精神状態も回復しましたが、いまでもときどき、「鳥じゃなくて四つ足」と言われたことを思い出します。

 とはいえ、基本的にはあんまり、牛肉も豚肉も、得意じゃないんですね。
 そういうなかで積極的に、これはおいしい! と思うのが、米沢牛のお肉です。

 ご縁があり、年に2、3回、米沢牛のしゃぶしゃぶセットを取り寄せるようになりました。
 しゃぶしゃぶ用のお肉ですが、私はこれはしっかり焼いて火を通していただきます。

 ある日、母が、
「たまにはすき焼きにでもする?」
 と言ったんですが、
「すき焼き? ——いやだよもったいない」
 無意識にそう口走り——口走った瞬間、あ。と思いました。

 もったいない、といったのは、「そんな食べ方をしたらせっかくのお肉が味わえない」という意味。

 つまり、私にとってはすき焼きとは、上質ではない肉の食い方なんだな——と、自覚しました。

 じっくり火を通すというのはかまいませんが(ステーキでは、ウェルダン以外は食べたことがない)、あの味の濃い割り下のおかげで、肉のうまみ、風味、味わいというものが、かき消されてしまう。
 せっかくの肉の風味が消されてしまう、さらにそのうえに、あの生卵! あれで肉の香りというものが完全に閉じ込められて、たとえ肉を噛んでも味わいは、一枚カバーをかけられたように遠くなってしまう。

 そこではたと気がついたのです。

 すき焼きって、肉の匂いを感じないような食べ方だよね? と。

 すき焼きが発明されたのは文明開化華やかなりしころの明治。
「四つ足」の肉を食うなんて、と忌避してきた日本人が、にわかに肉を食べようとしても、そりゃあもう、肉がくさく感じてしょうがなかっただろう、と容易に想像できます。
 薬食いと称して、イノシシ鍋くらいは食べる人もあっただろうが、これも一般的とはいいがたい。
 
 それになにより、当時の牛肉は、品種や飼育の問題もあるし、加工技術と、保存方法の問題から、なにをどーしたって、現在のお肉ほどには美味しいものではなかっただろう。
 そういうなかで、匂いや味をごまかしつつ、なんとかして日本人でも食える状態にする。
 その工夫の結果が、すき焼きではなかったでしょうか。

 ゆえに、風味もよく、臭みもなく、味も、歯触り、歯ごたえもよい上質の肉を食すのには、すき焼きという食べ方は、本来は、向いていないのでは?

 ちなみに。
 年に2、3回味わう貴重な米沢牛をいただくときの、私のいちばん好きな食べ方は。

 しっかりフライパンでソテー。(本来はしゃぶしゃぶ用の、薄切りのお肉なので)
 ちなみに、お肉に味付けはいっさいしない。
 それを、レタスなどの生の葉物野菜にのせ、さらに大根おろしをのせ、これにポン酢をちょいと垂らして、それらを一気に口のなかへ運ぶ。
 というのが、いちばん好きないただき方です。

 お肉には塩麹をまぶして、少し冷蔵庫で寝かせてから、というのも、美味しくていいですよ。もとから柔らかいお肉なんですけども、塩麹にちょっと漬けると、さらにうまみ、風味が増す気がします。

 ということで。
 すき焼き=ごちそう、というのは、けっこう騙されて刷り込まれたイメージかもしれないなあ、と思った、というお話でした。

 すしネタでは何が好き? と言われ、カッパ巻きと答えると、露骨にがっかりする人がいるんですが、すき焼きもまた——すき焼きをごちそうとは見なさない、あれは本来、食べにくいような牛肉を、なんとかして食うという食べ方に過ぎない、なんていったら、これもやっぱりガッカリされそうな気がする。(^^;)

 でも、案外こうして、「社会通念にだまされている」イメージって、あるんじゃないかなあ。

 もちろん、すき焼きがお好きな方には、すき焼きってごちそうでしょうけれど。

 それは本当に自分の感性なのか、それとも、「みんながそう言うんだから、きっとそうなんだ」という思い込みに過ぎないのか。
 自分の思い込み、ひとつひとつを、ヒマなときにでも——ちょっとチェックしてみるのもいいかもしれませんね。
 案外、本当は自分の意見ではないもの、自分の考えや好みとは異なるものを、思い込みだとは気づかず、信じ込んでいるだけ、というものがある気がする。

 そういうのをひとつひとつ、確認してみるのも悪いことじゃないでしょうね。

 なんにしましても、——すき焼き大好きな皆様。勝手を言って申し訳ございませんでした。m(_ _)m

 ようは私は「おいしい牛肉が手に入ったら、すき焼きよりも、素焼き(?)レタス巻、ポン酢しょうゆ、というほうが好きなんだ、というだけのことでした。(^^ゞ

 しかし我ながら——寿司はそんなに喜ばない、うな重、うな丼は三舎を避く、すき焼きは滅多に食わない、ウニやいくら、カニさえも、一般にごちそうと言われるものが、胃にもたれやすいので、できればあんまり食べたくない——という自分の食の好みを考えますと。

 キャビアはしょっぱいとしか思わないしフォアグラは脂っぽくてどうも苦手、なんてこともありまして、私は食の好みがとことん、庶民的というか、ぜいたくな食膳には興味ないという、骨の髄まで庶民派——ということなんじゃないかと思えてきた。

 わたくし、食べ物の好き嫌いはほとんどないんですが、考えてみれば、高級食材と言われるものほど苦手のものが多いんですねえ;;

 金がかからなくていいかもしれません。(^^ゞ

 
 
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2014.01.23 (Thu)

大人の、大人による、大人のための人形遊び(エロにあらず)

 じつは、冬コミ以来、カスタムメイドの人形の、奥深ーい世界をかいま見ております。

 最初は、手作りのドール服が可愛いな〜くらいだったんですが、かなり大きくて立派な人形が、「カスタムメイド」つまり自分でパーツを組み合わせて製作されたものと聞いて、すごいなーと。
 思ったところで、ネットであれこれ見始めたら、いやもう、その奥深いことにびっくりでした。
 
 カスタムメイドの人形を、オークション等で販売する人もあるんだそうで、………なんと奥深い。
 また、その人形の服がねえ。すごいんですよねえ。あまりのことにすごい以外の言葉が出てこない自分の語彙の貧弱ぶりが悲しいですが。

 ドール服は、手作りというだけでもすごいなと思いますが、やはり製作者のかたのセンス、個性、こだわり、嗜好が現れていて、見ていてまったく飽きません。
 私も、けっこうヒラヒラ、フリフリが好きなので(自分が身につけるものにはあんまりそういう趣味はないのですが、見る分には)、そういうお人形のドレスをみるとうっとり。

 いいなあ、私も欲しいなあと思いましたが、大きめの人形には手が出せない(価格的に)。
 コミケではやはり大きめの人形向けの服が多かったようですが、1/6ドールサイズのものが、おおむね、市販のリカちゃん、ジェニーちゃんに合うと聞き、まずはそこらへんから入れないだろうか、と。

 そう思って検索しましたら、Amazonさんでは、人形の服を手作りする本、型紙というものがけっこうヒットしてまいりまして。
 うわー、こんな世界があったのか! と、ひとしきり感動。

 世の中私の知らないものはいっぱいある、とは思っていても、もはやなんとなく決まりきった世界、日常のルーティンに埋もれた日々を送っておりますと、そういうものがある「はず」だと頭ではわかっていても、それを実感する機会は少ないもんですね。

 でも、こんな身近にまだこんな未知の世界があったのか! と感動。

 私としては、洋服よりも、着物に興味があるのですが——評判の良かったジェニーちゃん向けの、手作り着物の本は、絶版になっているのでしょうか、中古のものしか表示がないうえ、その中古本のお値段が、これまたけっこうなことになっておりました。

 着物がなぜほしいかというと、じっさい着付を覚えるときに、ミニチュアの人形でやってみると、イメージしやすくていいだろうな、と思ったから。

「チマちゃんの和箪笥」という本で、なかなか着付を覚えられない(着付教室の)生徒さんが、着せ替え可能な市松人形(いちまさん、と可愛く呼ばれている)に、じっさいにきものを着せてあげることで、イメージができ、めきめき腕が上がっていくというエピソードがありまして。

チマちゃんの和箪笥 (マーガレットコミックス)チマちゃんの和箪笥 (マーガレットコミックス)
(2012/12/25)
佐野 未央子

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 あ、これはいい、と思ったのでした。

 じっさい、私も、教室に通っていたとき、同じクラスになったひとで、どうも、帯の結び方が覚えられない人がいまして。
 自分着付の、通常の名古屋帯(一重太鼓)なんですが、テをお太鼓のなかに通すとき、どこに通すのかが、なかなかわからないようでした。

 自分の背中で何が起こっているか、それを正確にイメージするというのは、案外難しいものでございまして。
 人形ではなく、ボディさんと呼ばれるトルソー(マネキン)に着付をするのを見せてもらうことで、あ、なるほどこうなるのか、とイメージができる。

 結局はイメージですよね、わかる、わからない、というのは。

 じっさいそのとおりに体が動くかどうかはまた別問題ですが、でも、それがどういう動きなのか、というのが、脳内でイメージができれば、それほど苦労はない。
 着物というのは、でっかい一枚の布を、あれこれバランスをとって「服」にするわけですが、最初の頃はなかなか、そのへんがイメージできないんですね。
 
 浮いた襟を直すとか、お端折の調整とか、それは、ヒモを結んで、一枚の布がどこをどう通ってどういう形状になっているかがイメージできれば、難しいことではない。
 が。初心者には、もうなにがなんだか、って感じですよね。(^^;)

 そういうとき、いちどミニチュアの着物で客観的にできると、イメージもしやすいだろう、これは使える、と思ったんでした。

 私が泣いているのは、振袖の帯結びなので——練習だ! 練習しかない! といっても、実物大のトルソー相手にやると、ぜえぜえ息が切れて、なんべんもトライするというのが、体力的にもしんどいし、なにより、心がくじけます(泣)
 疲れてくるとなおさら、帯がうまく結べないし(腕に力が入らない;;)、集中力が落ちて、ヒダさえきれいにとれなくなる。

 ミニチュアであれば、体力を削られることもなく、あれこれ遊びながらトライできるわけなんで、あ、これはいいなと。
 ——思わず目がマジ。

 聞けばリカちゃんよりはジェニーちゃんのほうがちょっと大きいんですね。
 着物の端切れならうちにもあるので、ほんとに、作っちゃおうかな……。

ジェニー シンボル ジェニージェニー シンボル ジェニー
(2010/09/16)
タカラトミー

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ジェニー (No.13) 十二単と花嫁衣装     Heart warming life series―わたしのドールブックジェニー (No.13) 十二単と花嫁衣装 Heart warming life series―わたしのドールブック
(2002/02)
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 ちなみに、「チマちゃん…」を読んで、そうか! いちまさんか! と思ってすぐにネット検索したんですが。
 お値段に撃沈されました………。(T_T)
 着せ替え可能の市松人形となるとなおさらだったりする………。

ひな人形 雛人形 お雛様 衣裳着 市松人形 【 着せ替え市松 NO.371049 】ひな人形 雛人形 お雛様 衣裳着 市松人形 【 着せ替え市松 NO.371049 】
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 ということで、私も何となく——ジェニーちゃんあたりですが——ドールの奥深い世界の、敷居の手前くらいにかかってきつつあります。

 人形遊びは大人になってこそ、というコメントを拝見しましたが、ほんとに、そうかもしれませんね。
 
 
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2014.01.22 (Wed)

大衆による恐怖支配

 関連業界、そのご関係者などからの反発がなかなか凄まじく、打ち切りも噂されたドラマですが、なんとか、放映は継続ということのようで、そりゃあよかった、とひとりごとしておりました。

 私は基本、ドラマ、映画が「苦手」なので、あんまり見ませんし、テメエの現実だけで疲弊しきっているので、現実よりもつらそうなドラマなんぞはあらすじを聞いただけで「失礼しました」といって回り右、そのまま帰ってくるような人間でございます。
 ということで、ありていにいえば、ドラマがどうであろうが打ち切りであろうが、基本的には気にしません。
 そういう人間でも今回の抗議騒動で気になったのは、「騒いだもん勝ちの世の中はいやだな」と思うから。

 まあ、日本のマスコミは完全に、日本人の手を離れて、モノホンの外道(げどう)になってしまいましたから、視聴者や読者が監視するくらいの気持ちで向き合ってちょうどいいくらいでしょうが。

 しかし——抗議してなにもかもを「大衆」の思いどおりにさせるというのも、韓国めいてイヤラシいなあ、それはいやだな、と思うのです。

NYのマクドナルド、韓国人客「居座り」状態で警察沙汰=韓国
2014年1月17日(金)11時30分 サーチナ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140117-00000099-scn-kr

米マクドナルドと韓国系高齢者のトラブルが収束 滞在時間制限の廃止などで合意
2014/01/22 09:39 朝鮮日報(日本語版)
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/01/22/2014012200891.html

 ひとつ譲ると結局、10でも100でも押し込まれることになるから気をつけろよーと(マクドナルド側に)思ったお話でした。まったく世の中図々しいもん勝ちだよな。道理もクソもあったもんじゃない。

 もとから、なにかっつーと大声で騒いだり、大勢人をあつめてシャレにならない迷惑行為に及んだり、脅迫したり、暴力行為に及んだりするのが左巻きの特徴ですが、あれは、まったくのところ、「頭が悪くて、ほかにもののやりようをしらない」人間がすることではありますね。

 それに比べれば、口頭での抗議は抗議でいいんですが、それによって、ありとあらゆることが潰されていくというのは、感心しません。

 いつぞやは、週刊誌に連載されていく予定の記事が、やはりちょっと、その第1回の記事の内容がセンセーショナルすぎて、なんだかしらんが抗議殺到、ネットでも非難三昧(…へんな言い方…)、とうとう、その連載のキモであるところはなにひとつわからないまま、連載も中止になったということがありました。(週刊朝日による橋下徹特集記事問題

 私は話を聞いていて、まあいろいろ、不愉快に思うことはありましたが、それでも、その記事全文を読まないうちに、そうまで抗議される内容かどうかは判断できないなと思いました。
 
 表現の自由があるとはいえ、たしかに、個人の出自をあげつらうというやり方は私も感心しません。やり方としては印象が悪すぎます。いきなりそこにフォーカスしたのは、まずかったな、と思います。

 そういうことを遠回しにしたり、手順を踏んで核心へすすんでいくのは、週刊誌記事のおなじみの手管(てくだ)でしょうに、なぜ、いきなり、あんなタブーを看板にしてしまったのか。そこはたしかに失敗だったと思います。
 が。
 結局あの記事で、なにを言いたかったのか、なにを社会に提起したかったのか。
 それは聞いてみたかった、と思いました。

 そこまで聞いたうえでないと、本当の意味での賛成も反対もできない。

 ようは、あのやり方というのは、「♪たんたん狸の金…」と歌い始めたヤツの口を、みんなでよってたかって押さえ込んで黙らせた。そういうやりかたなんですよね。
 じっさいは、その人が言おうとしたのは「玉」ではなく「時計」だったかもしれないのに、そこで黙らせちゃったらわかんないでしょうが。
 というのが私の考え。

 そんなわけで今回のドラマのことも、
「これでドラマ打ち切り、なんてことになったら、ある意味、大衆による恐怖政治だぜ」
 と、なんともいえず、いやーな気持ちになっていたところでした。

 ゆえに、私は個人的には、ドラマを最後まで放送したい、という発表には、賛意を示したいと思います。

 現実でつらい目にあっていたり、あるいは、このドラマによるイメージダウンを心配している方々の、お気持ちはお察ししますが、これはあくまでもフィクションです。
 フラッシュバックの可能性がある人は、ご覧にならないほうがいいでしょう。

 ドラマの内容に関連する業界あるいは団体の方も、いろいろおっしゃりたいことはおありでしょうけれども、逆に、これは、潜在する問題を社会に知らしめる、啓発へとつなげていくことも可能だという発想で、対処していただければと願っております。

 私個人としては、ようはこれ、フィクションですからね…、まあ、世の中にはたしかに、虚実の区別がつかない人もいますが、それでも、現実はこんなんじゃないですということなら、そのように知らせて、——考えてみりゃ世間様の注目が集まるというのはチャンスでもあるので、このさい、知らせたいこと、啓発をうながしたいことがあれば、発信しまくるのも手だと思います。

 虚実の区別がつかない人って、あれはホントに、不思議ですけどねえ。(^^;)
 それってどういう人? といわれるならば——その昔、NHKの朝ドラ「おしん」が評判になっていたとき、「おしんちゃんに食べさせてやって」といって、米を送ってきた人がいたそうです。NHKに。
 これなんぞは虚実の区別のつかないひとの、最たるものでしょうな。

 それにしてもそのお米、どうしたんでしょうね。スタッフの方々で分けたんだろうか?

 あと、ドラマで悪役をなさる俳優さんを、そのイメージまんまでとらえている人もそうですね。
 私はひそかに、こういう人は、ある種の知的障害、もしくは脳の障害ではないのだろうかと思っているのですが、それを言ったら怒られるのかな。

 でも、ドラマで悪役をなさる俳優さんの子供さんが、学校でいじめられたとか、そういう話を聞くと、
「アタマがどこか悪いんじゃないの?」
 と本気で疑ってしまいます。
 まして、大人でそれをやるとなると、ねえ……。子供だったらまだ、発達途中だからといういいわけもできるかもしれませんが、大人がねえ……。

 そんなこといったら、先だって放送していた「クロコーチ」なんぞ、警察や公安に圧殺されなきゃいけないじゃないですか。(^^;)
 しっかりしてくださいよ。
 
 ——などということを思っていたので、放送継続決定、ようございました。私は見ませんが。

 ドラマのスタッフ、製作ご関係者の皆様には、よい作品にしていただければ、と、遠くから祈っております。

 私の関心事はドラマがどうこうではなく、「大衆による恐怖政治」にならないように、という、その一点でございます。

 被害者や弱者であることをふりかざして他人を脅迫するという手口には、金輪際、賛成、賛同はいたしません。
 思ったのは、そういうことです。

 
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2014.01.20 (Mon)

エルーカ ErucA| スカルプ&ボリューム

 たぶん明日はおやすみするかと思います。
 年度末が………年度末がやってきた…。
 毎年のことではありますが、年度末〜新年度の時期はほんとにもう…いろいろ怒濤になりますね。(^^;)

 季節性うつと、多忙な状況が重なるこの季節は、ほんとにもう………「慣れる」ってことがない気がする…。
 それでも、風邪も引かないインフルでもないというのはありがたいこと。
 おかげさまで、ほんと、だいぶ健康になりましたよ。

        ●

 今日はひさびさ、「おすすめ、お試し」で。

 稲垣吾郎さんがバスローブ姿で町を疾走するというCMが印象的だった(……逮捕されるねえあれは;;)、オイルシャンプーを使ってます。

 最近、商品名がホントに覚えられなくなって困ってんですが……えー……、そうそう、エルーカね。

エルーカ ErucA 公式サイト(株式会社パネス)
http://www.erucahair.jp



 商品説明によれば、エルーカ、スカルプ&ボリュームのシャンプーは、
頭皮にうるおいを、髪の根元にハリ・コシを与え、ボリューム感のある立体的な髪に仕上げるトリートメント スカルプケアです。3Dヒアルロン酸やベリー系のシードオイルなどを配合。髪深部とキューティクルを補修し、健康的な髪と地肌へ導きます。
 とのこと。

「スカルプ&ボリューム」と、「モイスト&リペア」の2種類がありますが、私は「スカルプ」を使っています。抜け毛が気になるお年頃なんで。(^^ゞ

 オイルシャンプーとはまた懐かしい、というのが、最初に聞いたときの印象でした。
 今を去る30年まえにも、オイルシャンプー、と銘打たれたものがありまして、私は乾燥肌の傾向があるせいか、オイルでしっとり、というのが合っていたんですね。
 なのに、それはあっさり製造中止に。1年間も使わなかったと思う。

 いまとなっては、製品名もメーカーさんも思い出せません。(^^;)

 それからいろんなシャンプーを使ってきましたが、ときおり、オイルシャンプー、よかったのになあ、と、どーしても乾燥には弱い髪を見ては思ってきたんでした。

 去年の9月にわけあって、パーマをかけたんですが、どうもそれ以来、髪が落ち着かない。ぱさつくなんてもんじゃない。
 体調がイマイチだったことや、乾燥へ向かう季節だったせいもあるかとは思いますが、なんかもう、朝起きるたびに、櫛もまともに通らない髪にはほとほと困り果てていました。

 ということで、「まあ吾郎ちゃん、逮捕されるわよ」というCMを見つつ、「オイルシャンプーか〜」と、その名前に引かれまして。

 ドラッグストアで、なんと30分ちかく悩んだ末に、こちら、エルーカの「スカルプ&ボリューム」、シャンプーとトリートメントを購入しました。
 もう1種類、エルーカ以外のオイルシャンプーも並んで売ってまして…。
 そちらもいいような気がして、悩みに悩んでおりましたのです。

 髪の乾燥が気になっているので、モイスト&リペアのほうがいいかな、と思ったんですが——そのドラッグストアでは、どのタイプがいいか、というのを考える Yes/No チャートが、特設売り場に置いてありまして。
 やってみたら、スカルプのほうになったので、んじゃ、これを試してみようか、と。

 もう1種類のほうには、1回使い切りのお試しセットが売っていて、エルーカもそういうのがあればいいのにな、と思いながら、どーんとでっかい、あのボトルで買ってきました。
 
 効果は、私の場合、3回目の使用ではっきりわかりました。
 最初に使った日ですでに、「あ、ちょっと落ち着いた」(パーマでばさばさだったのが)、と思いましたが、3回目ではっきりと、しっとり感が出ました。

 朝起きると、パーマ爆発アタマだったのが、ちゃんとおとなしくなり、整髪フォームなどを使わずとも、そのままブラッシングできるくらいにまともになりました。よかったよかった(感涙)
 ほんとに、いっときはもう、どうなることかと思いましたから。

 パーマの関係で、ぱさつきはまだあるのですが、これはシャンプーのせいではありません。もとから毛が細いから、しょうがないんですよね。
 はやいとこ、とれてくれないかしらんこのパーマ;;

 ともあれ、そういうわけで、オイルシャンプー、ようございました。

 モイストシリーズは使っていないのでわかりませんが、このスカルプのシャンプーの香りは、ブルーベリーか、あるいはカシスか、という感じの香りで、フルーティというよりも……、
「ブルーベリーのチューインガムの匂いだ!」
 と、最初には叫びました。(^^;)

 でも、しつこい香りじゃありませんから、大丈夫ですよ。
 洗髪時にはその香りの甘さにビビりましたが、髪を乾かしてしまうころにはほとんど香りは感じなくなります。
 それでいいと思います……最近、柔軟剤でも何でも、香り香りってうるさすぎる;;
 
 洗髪後、髪をすくって鼻に近づけると、ほのかに残っているという程度です。あんまりにおいが強くて「香害」になるようなことはありませんでしょう。
 
 ことさら、冬の乾燥に効く、といえるかどうかはわかりませんが、乾燥肌系&髪が細い(ぱさつきやすい)、という私には、よく合っているようです。

 抜け毛のほうですが、……どうなんでしょうか。これはもう、サプリメントや育毛剤も合わせて使っているので、どれがどうとはいえませんが、でも、気をつけるようになってからはたしかに、抜け毛も減ってます。

 父が亡くなる前後から、かなり抜け毛がひどかったのに、ああひどいなと思うだけでなんの手当もしなかった、自分の心理状態のほうが、いまとなっては、問題だったなーと思います。なんかこう、ストレスで感覚麻痺みたいになっちゃうんですかねえ。
 で、多少回復してきたところで、はっと気がついて、これはいかん、と思う、という。

 
 ともあれ30年ぶりのオイルシャンプーですが、私には合ったようでよかったです。

 モイストのほうも、次には試してみようかな。
 
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2014.01.19 (Sun)

真面目の辞め方

 真面目になるが人の衰え、という言葉の意味を、ときどき考えます。

(真面目になるが人の衰え、とは、江戸時代の俳諧の一句(連句かな)。そこから有名になり、ことわざになったものらしいです。
 明治以降ではあまり聞かれなくなった、というのは、なんだかわかる気がする)

 真面目というのは、まあ、基本的には悪いことではありません。
 が、「真面目一辺倒」というのは、やはり、自分も他人も息苦しくするし、追いつめてしまう。
 
 真面目になるが人の衰え。つまり、真面目真面目でやっていると、活力が失われていく、ということですね。
 なんどもなんども、呪文のように唱えつつ反芻しつつ味わいますと、この「真面目」ってやつ。いいかえると「深刻になる」ということではありますまいか。

 世の中にはいろんなことがあって、いろんな人がいて、いろんなものがあって、——それらはだいぶ、ふざけたもの、ふざけんなと叫びたくなるようなひどいことだったりしますが。
 そういうものにいちいち真面目に反応する、とは、つまり「深刻になる」という意味か、と。

 いろんなことは気の持ちよう、幸不幸は自分の心が決めるもの、——とするならば、どういう気の持ち方、どういう心持ちでいればいいのか。
 と考えますとどうもね——「真面目」って、分が悪いんですよ。

 酔っぱらって管を巻いた人がいて、まあそれはだらしないっちゃあだらしない。
 そういう人をみて、眉をひそめて、嫌悪感を感じて、なんだあいつは、と吐き捨てる——これが真面目な反応。
 
 お説ごもっともであって、だれもその嫌悪感には異議は言わないでしょうが、でも、「誰にでも酔っぱらうことくらいはある。いいじゃないの」と笑ってしまうと、嫌悪感も、腹立たしさも感じなくて済むんですね。
 嫌悪、怒りというのはストレスで、つまり、そういうものを感じるというのは、自分で自分の身を損なうこと。
 
 この場合は、真面目になると、つまり、損になる。
 しょーがないなあ酔っぱらっちゃって、あはははは、のほうは、べつに、誰の損にもならない。

 真面目って。
「不健康」のもとなんでは。
 ——人の衰え、ってことになっちゃうのでは?

 完全に余談ですが。
 学生時代、仲間内に、泣き上戸と笑い上戸がいまして。
 笑い上戸なら明るいお酒でいいだろうと思うでしょうが、まあなにごとも限度問題でございまして、あんまりすごいと、同席者としてはやはり恥ずかしいし扱いにも困るのです。
 泣き上戸のほうは——まあ、お察しの通りで。(^^;)

 ということで、仲間内では、ちょっとだけ、困ったなーという感じだったんですが、あるとき、一計を案じまして、宴もたけなわになったころ、さりげなく、この泣き上戸と笑い上戸を並べてみたんです。
 さりげなく、人がはいったり席を変わったりして、そのふたりが並ぶようにしておいて、ほかの連中はそっとふたりから離れて見ている。

 いやあもう、楽しかったですわ〜♡

「えー、ちょっと、なぁに、泣いてんの? あはははは」
「泣いてないよー(涙)」
「アンタ、なにそんなにめそめそしてんのよー。泣いたってなんにもならないでしょー。ほら笑った笑った。あはははは」
「何がそんなに可笑しいのよぅ(大泣)」

 という調子で、もう漫才そのもの。
 少し離れてみている連中は笑い転げるという、まあひどいことをしたもんですね。(^^;)

 でも、あとから考えると、あれでケンカにならなかった2人はえらいなあ、と。
 双方、相手が笑ったり泣いたりしているのを、怒ったり笑ったりしながらも、ちゃんとおとなしく喋りながら飲んでましたからねえ。

 面白いのは、これ以来、ふたりとも、笑ったり泣いたりが、以前ほど激しくなくなったことでした。

 閑話休題。

 私もどうも、真面目と言えば聞こえはいいが、「すぐにへんなふうに深刻になる」んですね。神経質、神経過敏だから、しょうがないところもあるのでしょうが、しかし、それをあんまりやっていると、神経質だから深刻に感じるのか、深刻ぶってばかりいるから神経が参ってくるのか、ちょっとわからなくなりますね。
 どっちが原因やら結果やら。

 深刻ぶっていると、いい意味での子供の遊び心、ユーモアも身から離れていくし、心は重くなるだけだし(しかも加速度的に)、心がカタくなると、視界は狭くなる、つまり頑固になっていく。

 真面目は真面目でいいんだけど、やっぱり、やり過ぎはいけませんようで。

 ということで、最近私も、「ちょっと不真面目になるかあ」などと考えているのですが、習慣は第二の天性なり(by キケロ)、というのはもっともでして——。
 子供の遊び心、なんていわれても、どうしたらいいかわかりません。やれやれ。

 あと——やはり、真面目、だとちょっと、それはそれで「やりすぎ」になるので、「まじめ」がよろしい、というお話もあります。

「非まじめ」のすすめ (〔正〕) (講談社文庫)「非まじめ」のすすめ (〔正〕) (講談社文庫)
(1984/02)
森 政弘

商品詳細を見る


 夏目漱石の「草枕」ですなあ——、不人情ではなく、非人情、というアレ。

 私に「『非まじめ』のすすめ」をすすめてくれた方は、この本で一発で覚ったようなんですが、頭でっかちになっている私は、「言葉の意味はよくわかる。けれども、それを自分の心にどう実現すればいいかわからない」というところにおりまして。

 ここまできたらもう、ちょっと荒療治で、いちど「不真面目」に振れるしかないんじゃないかと。

 生活態度からなにから、自分で言うのもなんですが、けっこうきっちりきっちりで、自分を縛っているところがある。
 これを適度にゆるめなさい、といわれても、なかなか難しい。
 だからいちど、不真面目でゆるゆるにゆるめて、それから少し「巻き戻す」といいのかな、と。

 それに。
 なんとか真面目をやめよう、と思っているうちに気がついたのですが、私は、真面目をやめる、ということに、たいへんな抵抗があるんですね。
 ちょっとでも不真面目をやると、死ぬ、くらいに思い込んでいる。

 なんでだろうと思って例によって内観していたら、また、うちの親戚が出てきました。
 父方の親戚というのがこれがまた、生活不能者がけっこういるのです。
 生活態度がだらしない。家も、みかけは立派な家なのに、玄関を開けたとたんにわかる、その家の乱雑ぶり。あたしゃもう「荒廃」と呼びたいくらいですわ。
 いちおうものを片付けてはあるのですが、でもなんとなく、態度がなげやりで、心が荒んでいるのがみえるよう。

 ああいうのを見て接して、嫌悪感を持ってきているので、「ああなりたくない」という思いがあり、それが私には、なにかのブロックになっていることもあるようです。

 まあ、あんなふうになることはない。あれはあれ。私は私。
 すこし楽になって「好い加減」になろう、と、思っているところです。

 とはいえ——。
 遊び心といっても、なにをどうすればいいかわかりません、というのが現状ですが。(^^;)
 まあ、焦らずやります。


 蛇足ながら。

 正論、真面目、というのは、本来は「自分を律する」ためのものであり、他人様を傷つけるためにあるものではない。

 他人を傷つけることが目的で正論とやらをふりかざすのなら、やめちまえそんな正論。

 ふりあげたその正論とやらの切っ先を、テメエの胸に向けてみろ。のど笛に押し付けてみろ。
 身が引き締まるだろう、いやでも。

 ゆるみきった自分を律するためにあるのが正論だよ。
 自分で自分の身を美しくする。それが正論の存在意義。

 他人を傷つけるための正論なら、それはすでに正論ではない。
 なにしろ「他人を無闇に傷つけてはならない」というのが、正論だから、その刃を他人に向けた瞬間、それは正論ではなくなる。

 そう思います。

 なにかっつーと正論正論いうのをみますが、あれ、以前からどうにも不愉快で。(^^;)

 本当の正論というのは、そうそうあるもんじゃない。
 誰が見ても「正しい」というしかないもの。それが正論。

 人を殺してはならない、早寝早起きをするべき、約束は守るべき、人にはやさしくするべき、……誰が見ても「正しい」というしかない。そういうもののことでしょう。
 自分の立場や利益を戦わせる場所では、まず、正論には居場所がありませんよ。
 ゆえに、議論のなかで正論なんてものは、そうそう立ち現れるものじゃない。

 どうも見ていると、世間では、「自分と同じ意見」のことを正論という人が多いようで、これはじつにひどい言葉の誤用だと思います。
 
 自分と同じ意見なら正論か。
 ひでえもんだ。

 ——と、本日は言い捨てて、おしまい。(^^;)
 
 
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2014.01.18 (Sat)

劣等感を「自尊心」と言い換える

「誰かを貶しめても自分の人生は変わらない」 為末大「正論発言」にまたまたネットで批判
2014/1/17 19:27 J-CASTニュース 
http://www.j-cast.com/2014/01/17194441.html?p=1

 為末大さんがおっしゃった正論をよみ、図星を指されて発狂した人がいる、というニュース。
 ニュースというより「話題」ですね。ニュースというほどの「事件」ではないから。

 人間てのは面白いもんですね、自分のことについてデタラメを吹聴されるのはたしかに頭に来ますが、どっちかつーと、自分が気にしていること、図星を指されたときのほうがいっそう頭にくる——怒るというより、もはや「逆上」するんですね。(^^;)

 図星を指されたということは、「本当のこと」「事実」である、ということですから、傍(はた)から見ている赤の他人としては、「なにそんなに怒ってんの?」ということになる。
「なんでそんなに怒るの? 怒ることないでしょ、ホントのことなんだから」
 などといって、なだめるつもりがかえって怒らせることになります。(^^;)

 事実だからこそ、人は逆上する。
 
 今回のことも、まあ、怒るのは勝手なんですが、なぜ怒るかということを、いちど、ご自分で吟味してみることをおすすめします。

 自分が他人のことばかりあげつらってむなしい憂さ晴らしをしている「みっともなさ」「不毛」を、自分でも、ほんとうはちゃんとわかっているし、そういう自分をよいことだとも思わないし恥じてもいる。
 ひそかに自分でも恥じているところを、いきなり白日の下にさらけ出された、と思うから、まずはショックを受け、それから、ひとまえでいきなり裸にされたことへの羞恥で、かっとくるわけですよね。

 気にしているところを、わざわざ衆目のなかで裸にされてさらし者にされたら、そりゃあ誰でもイヤですよ。だから怒るんですけれど。

 でも、ひとつ認識として間違っているのは、そうやって、自分で自分の、こういうところがイヤだな、と気にしていて、「隠している」つもり、というところ。
 本人としては自分の恥部を隠しているつもりいでるから、いきなり人前で素っ裸にされたみたいに感じてショックを受けるんですが。

 でも——じつはそれ、隠していると思っているのは本人だけで、周囲の人間にはバレバレですから。傍観者の赤の他人として言わせてもらいますが。

 バレバレなら、なぜ、だれもそれを言わないんだ、と思うかもしれませんが。
 バレバレのはずなのを、周囲の人がいちいち指摘しない理由には、いくつかのパターンがあります。

(1)親しい間柄であるゆえに、あの人はそういうところがあるよね、と、受け容れているから、いちいち指摘しない。
(2)親しい間柄であるゆえに、仲違いしたくないから、不快・不満に思いつつも、いちいち指摘しない。
(3)大して親しくないので、みっともねーな、とは思っていつつも、その人のことを気にしていない——眼中にはないから、いちいち指摘しない。
 自分にとってどーでもいいという人の欠点なんぞ、それこそどーでもいいですもんね。自分に害が及ばない限りは。

 ということで、自分が隠しているつもりのこと、ひそかに気にしていることは、じつは、他人には最初からバレバレです。
 ゆえに、図星を指されたからといって、そんなに逆上して、開き直って、なおさらみっともないことをして、「恥の上塗り」をすることはないんです。

 いきなり裸にされたように感じるかもしれないけれど、それは誤解で、最初から、あなたは裸で歩いているのです。
 だから、傍から見ている他人は、「もうずっと裸だったじゃん。なのに、あんた裸で歩いているんだねって言われて、なんでそんなに逆上するの?」と、不思議に思うくらいなんですね。

 他人から見れば、裸ですねと指摘した人よりも、そもそも裸で歩いている人のほうが、おかしいっちゃあおかしいですから。
 なんだい、自分が裸だと思ってなかったの? と、かえってびっくりしますわ。

 それにしてもすごいですね、今回の逆上のいいぐさも——言うに事欠いて、あなた。

「俺たちは誰かをけなすのが人生の目的。毎日やってるからスキルもアップしてる」
「他人の浮き沈みに一喜一憂して誰かを貶したりするのは大いに楽しい、 人生を豊かにすると思う」



 ほんとの本気で言っているなら、処置無し。
 とはいえ——まあ、2ちゃんですもんねえ。(←すべてをこの一言で片付ける)

 私は、為末さんの言い分はいちいちごもっとも、と思いますし、そこを開き直るほうがみっともないと思います。
 どうせ開き直るのなら、「豊かになる」などとウソを言わないで、「そうです自分はみっともないことをしている人間です」と開き直るほうが、自分にとっては救いになるものを。







 私が、ひとつ補足したいと思いますのは、自尊心というのは本来は、そういうものじゃない、ということ。

 自尊心が高い、と、自分で思いもし、人からもそのように言われる、この自尊心ですが、これは本当は、自尊心ではないと思います。
 朝鮮人やシナ人が、こういうことのいいサンプルになってくれるのですが、——彼らも自称「誇り高い」人々ですが、彼らの言うこと、行うことのひとつひとつを考えていただきたい。
 あれは本当に、誇りある人間の言うこと、することでしょうか?
 シナ人や朝鮮人が、日本に対して言うこと、行うことのいちいちを裏付けているのは、誇りではなく、コンプレックスではありませんか。

 人は往々にして、コンプレックスのことを自尊心というのですよね。
 コンプレックスというのは劣等感のことですが、面白いもので、人は、自分が劣等感を持っているということ自体に劣等感を持つんですね。
 劣等感を持つ自分、というものを、認められない。受け容れられない。
 それでも、抑圧されればされるほど、葛藤が強くなるのが人の心理というものですから、コンプレックスを認めまい、認めまいと押さえ込むほどに、かえって劣等感は増していく。

 私がすげえな、と個人的に思うのは、シナ人や朝鮮人はそういう劣等感を押さえ込もうとはしないこと。直接、言動、行動に移しますね。
 で、そういう、劣等感ゆえの見苦しい言動行動を「誇り高い我々」の「誇りが傷つけられたことへの報復」という、ものすっっごい牽強付会っぷりを見せてくれています。

 あれはわかりやすくていいサンプルだ。
 まあ、ああいうことです。今回、為末さんのおっしゃることに発狂した人々の、発狂メカニズムも。

 自尊心が高い人は、気難しい、あつかいにくい、というのは、それは本当には自尊心ではなくコンプレックスだから。
 劣等感が強い人間が、ひがみっぽく、怒りっぽく、必要以上に他人に対して攻撃的であることはわかるでしょう。
 そういうとき、コンプレックスと言ってしまうと身も蓋もないので、あの人は自尊心が高い、私はプライドが高い人間だ、とウソをいう。

 でも、それが、本来の意味での自尊心ではなくて、ただのコンプレックスであることは、わかる人にはわかる。
 コンプレックスの強いひとがなぜ、ささいなことで自分は馬鹿にされたと過剰に反応するかというと、それは、コンプレックスゆえに、その人自身が自分自身を、俺は馬鹿だ、役立たずだ、能無しだ、と馬鹿にし、見下し、罵倒しては自分を傷つけているからです。

 べつに誰も何も言っていないのに、ものすっごいささいなことで怒鳴り散らす人って、いますでしょう。
 ああいうひとが、結局は何にいちばん怒っているか、聞いたことありますか?
 その人がぶつぶつ言っているのを黙って聞いていてごらんなさい。いろんな言い方をその人はしているでしょうが——あいつはなんて無礼なやつなんだ、とか、あいつは本当に馬鹿だ、とか——、ようは、その人は、「自分が馬鹿にされた」と思って怒っているのです。

 でも、他人から見たらべつにそんなことは全然ない。
 劣等感でピリピリしている人は、ただ、隣に腰を下ろした人がお茶を一服してほっとついたため息にですら、「俺のことを鼻で笑いやがった」などと怒りだす。
 他人から見たら、無礼だったり馬鹿だったりしてんのは、難癖をつけているアンタのほうでしょ、となるわけです。

 それほどに劣等感が強いというのは、本来は気の毒なことで、おつらいでしょう、といってあげるべきところなんですが、せっかくそういうヒントをくれている人にさえ上記引用の通りの悪態をつくようでは、どうにもなりません。

 ひとまず、なぜか社会的に認められている、「劣等感を自尊心と言い換えるウソ」を禁止しちゃえばちょっとは違うんじゃないかと私は思うのですが、しかし、自尊心ではなく、劣等感だとちゃんといいなさい、なんて言おうものなら、それこそ、逆上ではなくて発狂になっちゃうんだろうな。
 どっちに転んでも鬱陶しい。

 それにしても、おそらくは最初に為末さんのツイートを、こういう劣等感のかたまりみたいな人々に知らせた人は、この一連ツイートをちゃんと紹介しなかったんでしょうね。
 これはツイートの弊害なのかなあ。けっこう長い文章のほんの一言だけが、ネット上に流れていくというのは、ちょっと考えものです、こうなると。
 これは他人への批判として書かれたものではなく、為末さんご自身がそうだった、という経験から、人にたいして寛容でいられるときとそうでないときのことを考察していらっしゃる。
 そういうなかでの、ツイートなんですけども、そういうこと、ちゃんと紹介してないんでしょうね。
 



 嫉妬に苦しんだり劣等感に身を灼かれる思いを味わったりして、ようやく、嫉妬心の正体や自尊心のありかを見つけ出したとき。




 自分で自分を受け入れずにいたものを受け容れる。笑いとばす。それが自分と向き合うスタート地点になる。

 そういうお話なんだと思いますよこの一連のツイート【こじれてしまった自尊心の扱い方】のお話って。

 ご自分の経験を語り、自分の心と向き合ったり、殴り合いのケンカになったりして、そういうところから得られた考察、というお話ですよこれ。
 ひとのことを言っているんじゃありませんて。
 ただ、ご自分のことを教材にして考えていらっしゃる。それだけ。

 ——それだけなんだけどなあ。
 自分のコンプレックスにも気づかず、難癖をつけてくる、気難しい人が大勢いるんですね。

 本当はそういう人にこそ、役に立つ教材になってくださるお話なのになあ。もったいないこと。

 人のことばかりいって自分はどうなんだと言われそうですが。
 私の場合、嫉妬という形にはならなかったというだけで、劣等感というのはすさまじいものがありましたよ。ありましたよじゃなくて、いまも同じですけども。(成長がない……)
 ただ、昔よりも相当、自覚的になったので、振り回される度合いが減ってきた。そんなところでしょう。

 嫉妬に狂って他人をゆえなく叩きまくる——のではなくて、私の場合は、他人の言葉や態度、顔色にびくびくして反応し、もう生きていられないというくらいに落ち込みまくった——なんせ自殺願望者ですから、自分を否定し、自分を殺す理由をさがしまくっている状態なので——、でも、劣等感と、それによって自分を苦しめる、基本原理は同じです。

 ちなみに。
 他人のささいな反応を、ものすっごい強引な拡大解釈をし、火を噴く勢いで怒っている人は、私の父親の姿です。
 また、こういう劣等感の塊が発狂するのが、ひとりいるだけでもうっとうしいのに、父方の親戚はほぼ全員が、このタイプです。

 こういうタイプの観察は、そりゃもううんざりするほどしましたよ。
 お望みでしたらこういう人がどれほど愚かか、いちいちいちいち、重箱のすべての隅をほじくりかえす話もできますが——誰が聞きたいかよ、そんな話(笑)
 ごく幼い頃からそういうのを目の当たりにし、被害にもあって成長してきたわけですから、そりゃもう観察のためのサンプルには困りませんとも。

 2ちゃんか、その他掲示板で、こういう寝言を羅列する人々が、私には、きわめて悪い意味で、他人には思えません(笑)

 私の父は亡くなりましたが、その兄弟はしつこくまだ生きてまして、高齢者と呼ばれる年になってもまだ同じことをやってますよ。
 なんて救いのない人生なのか、と思っております。
 大きなお世話だけど。

 
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2014.01.17 (Fri)

船舶自動識別装置

 なるほど、やっぱりこういうことがあるから、海上保安庁はAIS(船舶自動識別装置 Automatic Identification System) の搭載義務づけ(義務は、特定船舶だけですが)、「つねに」システムをONにしておいてくれ、というわけなんですね。
 今回の衝突事故について、すぐさま、海自輸送艦の航跡記録がネットに出回ってきたのはすごいなと思っていたんですが…。

海上保安庁/AISを活用した航行支援システム
http://www.kaiho.mlit.go.jp/syoukai/soshiki/toudai/ais/ais_index.htm

「あたご」のときはマスコミにいいようにやられてしまいましたが、今回は、こういう情報がさっと出てきてくれたので、ありがたいなあ、と思って拝見してます。
 
 じつは私も、ちょっと思うところあって、車に、ドライブレコーダーをつけようかなと思っていたのですが、へんな話ですが、このAISの話を聞いて、やはり、ぜひ取り付けよう、と決めました。

 ………高齢者の事故が増えている、なんて聞きますが、アンタ、そりゃ増えもするでしょうよ! とわめきたくなるような目に、立て続けにあってしまいまして。
 もちろん幸い、いずれも事故にはなっていませんが、「状況を見てはいても認知しない」お年寄りの怖さが骨身に沁みましてねえ。

 歩行者用信号はとっくに赤なのに、よたよたとおぼつかない足取りで横断歩道へ飛び出してきたのを、びっくりして停車しましたが(私の側は、そんなわけで青信号になってました)、それでなぜか、私がそのおばあさんににらまれました。
 ………進行方向の青信号にしたがって発車した車が、歩行者用信号が赤なのを無視して飛び出してきた歩行者にびっくりして停車した場合。
 悪いのは自動車になるんでしょうか?
 自動車(ドライバー)に歩行者の保護義務があるのは事実だが、信号無視の歩行者に睨みつけられなきゃいけませんの? ええ?
 
 ……………さすがに、これには頭にきましてね。

 いきなり飛び出してこられて事故を回避したのに、アタシが悪いみたいに言われんの?! と、頭にきたのと同時に、
「今回は回避できたからいいが、タイミング次第では回避しきれないかもしれない。その場合、相手がお年寄りだと、自分の歩行者側の信号が青だったと言い張る可能性はある。
 証人が何人かいてくれればいいが、田舎の道ではそれが期待できないことがけっこうある。——公正さを期すためにも、ドライブレコーダーは必要なのでは」
 という思いもまた、ふくれあがってまいりまして。

 認知症ではないお年寄りでも、「状況を認知しない」ことはけっこうあるようです。

 以前、テレビ番組中で実験していたのですが、ほんとうに——目の前の信号が赤になったのに、そのまま、すーっと車を走らせたお年寄りが複数人。
 あとで記録映像を本人に見せながら話を聞くと、
「赤信号だ、というのは見えてはいる」
 のですね。でも、そのまま停車しない。

 シミュレーターを使った実験でも、子供がボール遊びしていて、道路側にはみだして立っている。このままではぶつかる! ということは明らかなのですが、「子供がいる」ことは「見て」いても、「危険だから回避行動をとらなければ」という認識にはならない。

 そういう実験をみて、ぞぞぞぞぞーっと背筋が寒くなりまして。

 これはもう、しょうがないこと。そういうことをしてしまうとはいっても、べつに認知症でも何でもないんですね。
 
 私はそれまで、よく、運転中に狭い道などで対向車に道を譲った場合、他の人たちはそれなりにお礼の合図を送ってくれるのが、お年寄りドライバーは、当たり前ヅラして通っていくだけだ、まったくいまどきの古い奴らときたら、と腹立たしく思っていたのですが——そうではないのだ、とわかりました。

 お年寄りは、道を譲ってもらった、ということを認識していない。
 対向車があることは見えているし、対向車が止まった、ということも見えているが、それが「道が狭いので、対向車が道を譲った」という認識にいたらない。

 なるほど、それじゃあお礼の合図なんか、あるわけないんだな——と納得。

 納得はしましたが、怖くもなりました。

 医学上、大きな問題はないということで免許を持って走り回っているドライバーが、じつは危険を危険と認識しないなんて——怖すぎる;;

 ということで、万が一、事故になったとき、認識の違いでもめないためにも、ドライブレコーダー、つけたほうがいいかな、と。
 考えていたところでした。

 それにしても。
 今後は、お年寄り同士、つまり、危険回避をしない同士が事故を起こすケースも出てくるんだろう、と思うと——うーん。

 自動車メーカー各社には、そんなわけで、「全自動車」の実現を急いでもらいたいです。
 人間が運転しなくても走る車を。ぜひ。
 これが実現できると、田舎としては大助かりなんです。切実なんです。

 いろいろ難しいことはわかっていますが、人工知能の開発ふくめ、ぜひ、人が運転しなくてもいい車を——車庫入れくらいは人間がするからさ——作ってほしい。
 私が高齢者になるまではあと15〜20年。
 お願いします。マジで。m(_ _)m

 それはそれとして、あとはやっぱりドライブレコーダーですね。
 ドライブレコーダー設置を思わず決意させた、今回の海難事故のデータでした。

 マスコミのデタラメ報道が現然たるデータによって抑止されるのをみると、やっぱりこういう情報って大事だ……とつくづく思いました。

 
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