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2013.12.31 (Tue)

おおつごもり 2013

 遅くなりました……。なんかもう、こんな時間になっちゃうと、今日は投稿しなくていいんじゃないかという気持ちになってきますね。(^^;)

 大掃除と買い出しで、あたしゃもうげろげろです。年末の1日を遊びに費やすとどうなるかはわかっていただろう自分…!
 また今回のコミケは全力で楽しんできちゃったからなー。

 正直いっていまはもう、何も食べなくていいから寝ていたい;;

 とまあ愚痴ばかりでは申し訳ないので——今年1年の総括は。

 今年は、まあまあの1年だったと思うなあ…。

 凶事はなかったし、夏コミも冬コミも行けたし、なにより、お伊勢さんへいきましたし。

 社会情勢としては、日本の、シナ朝鮮パージが順調に進んで、これはまことにおめでたく、喜んでおります。
 べつに国交断絶とまではいかなくてもいいが(残念ですが、現実的ではないので)、なにが利益でなにが害なのか、はっきりするようになってきただけでも、かなりの進歩でしょう。
 また、私もとうとうキレてしまい、シナ朝鮮への嫌悪の情を隠さない(隠せない)ようになったのは…………、いや、これは「いいこと」とは言えませんね社会人としては;;

 言いたいことや言うべきことを伝えるのにも、自分の品位というものを保つ、というのが、やはり理想のありかた。
 それが全然だめ、というあたりは、いけませんね。(^^;)
 もーちょっと大人になりたいもんです;;

 私個人のこととしては。
 体調面なんですが、長年の悩みの種、扁桃腺がすぐに化膿するというのが、かなり軽減されてきて、これが本当にありがたい。
 これがないだけで、どれほど私の行動は自由になることか。実感しましたホントに。
 動けるって、幸せです。
 熱が出ない、行動してよい、というのは、本当にありがたい、幸せなことですね。
 
 内面的なものとしては、1歩進んで2歩下がる(…後退しとる…)という気持ちでいましたが、少し距離をおいて眺めてみると、そうでもなかったみたい。

 一歩というほどの幅はないかもしれないが、でもまあそれなりに、以前よりは改善されているところはありますし——なによりも、押し入れの奥の奥の奥の奥に隠れていたものが、だいぶ手前に引っ張りだされてきた、という感じ。
 こんなもんがあったのか! というモノが、だいぶ整理されてきました。

 重い荷物を引きずりながら歩いていたのを、自分ではその荷物があることさえ認識できなかったわけですから、——自分が何を引きずっているのか、それが見えるようになってきた、というのは、じつのところはけっこうな進歩だと思っております。

 そういう意味では、今年はわりと、いい1年だったと思います。

 来年は——そうやって少しずつでも押し入れの中身を外へ引っ張りだせたなら、それを処分し、手放し、すっきりして、次の一歩へつながるといいなと思っております。
 が。
 来年は絶対にこうするぞ! とか、へんに力むとろくなことにならないんで。私の場合。
 ゆえに、来年ものんびりと、できることをできるように、無理をせず気合いは入れず、いこうと思ってます。

 今年同様、来年も、こんなん何の役に立つんだろうという疑念を持ちながら、地道〜にアファーメーションするとか、瞑想するとか、重ねて行くつもりです。
 気合を入れると空回りするというのも、どうも妙なクセのようです。(^^;)
 気合いを入れちゃうとどうしても「成果」を期待しちゃうんですよね。期待した気持ちが緊張感を生んで、緊張すると体はカタくなるし気持ちは萎縮するし。

 単に欲の深い小心者、ということですが、それがわかったからには、小心者なりの対応をする、と。それが知恵というものなんでしょう。無理に鋳型にはめこむのではなく、その性向を殺すことなく、コントロールする、と。
 なにごとも、すなおに対応するというのが、理想ですねえ。

 ということで、今年も1年、おつきあいいただき、ありがとうございました。m(_ _)m
 皆様、どうぞよいお年をお迎えください。(^^)

 
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2013.12.30 (Mon)

コミックマーケット 85

 そんなわけで、昨日はコミックマーケット85、1日目に行ってきました。
 今日は二日目ですが、現地の気温、お天気はどうでしょうか。

 昨日は、最低気温が東京も氷点下になるとの予報でしたので、寒がりの私はそりゃもう戦々恐々でしたが、一歩、ホテルから出たときに、「あれ。さほどでもない」と感じました。
 あれはいつだったのか——2011年とかかな? 外気に触れた瞬間、全身が凍りそうに感じた朝がありましたので、アレに比べたら昨日はまだまだ大丈夫でした。

 何よりありがたかったのは風がなかったことですねえ。
 同じ気温でも、風が吹きすさぶと、体温が奪われるので、体感温度は軽く氷点下となりますし、じっさい、低体温症になることだって考えられる。
 ………コミケで遭難というのは…ちょっといやですね。(^^;)

 早朝の「ゆりかもめ」で出発し、会場へも順調に到着。
 友人とも無事に合流し、順調な朝でございました。

 思ったよりも暖かい、と、思っていたのですが、どうやら配置がよかったようです。3ホールつづきのど真ん中になるので、風が直接はあたらない。
 ホールの端、とくに、シャッター前にいってきた友人によりますと、「場所によるね。ここはあったかいけど、あっちはかなり寒いよ」とのでした。

 シャッターが開くかどうかで気温が全然違うしな…。
 お昼頃は暖かくて、コートを脱いでストールを巻いていれば大丈夫、というくらいだったのが、いきなり空気が冷たくなったのでびっくりして顔を上げると、シャッターが開いていたのでした。
 シャッターが開くかどうかは命に関わる…。マジで。(--;)

 今回はなにしろ、黒バス脅迫犯も逮捕されて、本当にすっきり爽やかなコミケでしたね。私は黒バスは未読ですが、とにかく1年前の冬コミは、野郎のおかげで本当にどれほど多くの人が悲しい思いをしたかわからない。
 やっぱりいいもんだねえコミケは、と思って歩いてきました。←ほぼ歩くだけ。

 今回面白かったのは、……えーと、ジャンル名で言うと、オリジナル雑貨、というのですね、そちらと同じ日になったこと。
 私がまいどお手伝いにいく友人のジャンルはおおむね、1日目か2日目にくる。オリジナル雑貨というのは3日目になることが多いんだそうで、同じ日取りになったのは私も初体験。

 本のお買い物のほうはここんとこ、とくに日程でばらけてしまうコミケでは、寂しいことになっております。
 ということで今回は、本のお買い物をすませたら、早々にオリジナル雑貨を拝見に。

 ………いやもう……奥深い世界でした。
 すごい、すごいといいながら歩いてました。

 カスタムドール用の衣装、小物もすごい。
 布製の雑貨(私が食いついたのはブックカバー)の豊富なこと。
 ヘッドドレスはやはり猫耳最高! o(*δ▽δ*)o
 手ぬぐい、粘土細工(?)の可愛い動物の置物、フェルトのぬいぐるみ、ぬいぐるみ。
 革細工、紙で作る飛行機模型(紙飛行機というのとは異なる)、アロマせっけん(ていうのかな)。
 ガラス細工。
 針金細工の時計。
 天然石のアクセサリー。
 丁寧な作りで感動した巾着。
 木彫りのはんこ。
 ちょっとシャレにならない、ハイレベルの彫金……。

「プロだ……。絶対、プロがきてるだろここ……」

 途中からはなんだかもう、茫然となりました。
 ……職人の世界がここにある……!!!

 私もずいぶん歩き回って、あれこれ購入してしまいましたが、はっと気がつくと、あのあたりの地域はもう、立錐の余地もないというくらいの大盛況。
 各サークルさんを見て歩くどころじゃない。もう歩けない。
 なんじゃこりゃ、といいながら、途中で逃げ出してきました;;

 どうも見ていると、雑貨サークルさんにとってもちょっと予想外なほどの人の集まり方だったようで。
 ふだんはおおむね3日目に配置されるとなると、たぶん、買い手のほうも常連さんが多いのではと思われます。で、今回は、常連さんプラス、私どものような新規さんがどっとおしかけていたのでは?

 私のように、ふだんはオリジナル雑貨というジャンルに接触することさえないような人間にとっては、オリジナル雑貨、面白そう、ということになる。
 で、どれどれと足を踏み入れたらそこはもう華やかなパラダイス状態あーんどディープな職人技の世界。
 ああ、めくるめく雑貨天国……! もう帰れない…!(自分のスペースに)

 私はもとから、東急ハンズや伊東屋さんに足を踏み入れるのは危険というくらいの、雑貨、文具好きですから、そりゃもうたまりませんわ。(^^;)

 A5サイズのブックカバーがあるのは、やはりここは同人の世界なのだと思いましたね。(^^;)
 新書サイズというのもけっこう珍しいので買いました。
 本当に1点1点、手作りで丁寧で、それでこの値段ですか、いいんでしょうか? という感じ。
 薬を持って歩くのにちょうどいいと思って、小さい巾着を買ったんですが、これがもう、しっかり裏地の丈夫そうな、いい巾着で。
 うーむ、すごいぞコミケ。

 基本は、そりゃ本なんですけどね目当ては。
 しかし——ふだんのイベントではおみかけしなくても、コミケには参加を申し込む、というサークルさんがいらっしゃるんでしょうねえ。すごかった……オリジナル雑貨。

 危険。これは危険。とくに財布にとって危険…! と思いましたわ。

 じっさい、友人は、久しぶりで「出たきり同人(※)」やりましたからね〜。

(※出たきり同人……自分が出展者でスペースにいなければならない身でありながら、店番は他人に任せて自分が買い物に夢中になり、自分のスペースに帰ってこない人のこと。買い物に出たっきり帰ってこない同人)

 ここ数年は、好きなジャンルはあるんだけれども、買い物の量としては絶対的に少なく、買い物はほとんどないという状態でした。
 が、今回は、あのへんがオリジナル雑貨だってさと教えたら、友人の目の色が変わりまして。
 お昼過ぎ、少し人出も落ち着いたかな、というのを見計らって買い物に行きましたが、まあ帰ってこない。
「こんなことならもう少しお金をもってくればよかった」
 と嘆いていましたが——まあいいじゃん。すてきな小物が買えたんだから。(^^;)

「やっぱり事前のカタログチェックはしなきゃね〜」
 と言ってました。今回はもう、どうせ買い物もないしというので、カタログそのものを買わなかったそうで。

 私は今回も結局、ホテルについてからのチェックになっておりましたが、——それでも、東地区をざーっと眺めていて、オリジナル雑貨のサークルさんの、サークルカットが目につき、「このあたり」と、お宝の地図に印をつけておいたのでした。
 やっぱりカタログは事前に読まなきゃ(笑)

 ということで、今回の大ヒットは、オリジナル雑貨でした。
 夏コミもいっしょにならないかな〜と思ったんですが、残念ながら次回のコミケ(コミックマーケット86。2014/8/15〜17)では、オリジナル雑貨はまた3日目に配置ですね……。うーん残念!

 友人が、とある雑貨サークルさんに、次のご参加は? と聞いたら、とれれば夏コミ、それ以前だと、スパコミなどはいらっしゃらなくて、3月の、オリジナル雑貨の大型のオンリーイベント、とのことだったそうですが。

 ………オリジナル雑貨の大型のオンリーイベントって……なんだろう……。
 行けそうだったら行ってみたいなあ。
 3月にはHARUコミックシティがありますが、そちらにはおいでにならないんですね。……そっか……。

 ともあれそういうわけで、今回はひさしぶりに、ずいぶん楽しんで来れました。

 帰りはふだんよりはだいぶ遅くなりましたが、それでも某所でお茶、美味しいケーキをいただいて、帰路についたという次第。

 思ったより寒くはなかったのと、雑貨の奥深さが印象に残った今回でした。

 コミケも今日、明日とつづきます。

 お天気にも恵まれ、あまり寒くないように、大きな事故もなく、皆様、楽しんでお過ごしになれますように。

 ……私はこれから、大掃除の続きと買い出しです;;

 
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2013.12.29 (Sun)

コミックマーケット85

夜明け前。
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有明の月でございます。
寒さを覚悟してきましたが、思ったよりは厳しくなく、助かりました。

本日はそんなわけで、楽しんでまいります。(^ ^)

お昼ごはんはカロリーメイト、メープル味になりそうですがね。……コミケはケータリングのお店が追いやられているところが納得いかん…。
サークル参加者はそう無闇に出歩けないんだから、少しくらい配慮してくれないかなあ。ねえ? ←誰に…



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2013.12.28 (Sat)

投稿とてする暇もなく…

20131228

ホテルから東京タワーを臨む、と。

大掃除と餅つき、鏡餅作りをすませて出てきました。
ということで、日記はお休みです。さすがに、ゆっくり座る余裕はありませんでした。

明日もたぶん、書いている暇はないと思われます。(^^;;

明日はどのくらい寒くなるかな、と、今からその辺に、戦々恐々。
ともあれ、天気予報では晴れになっていますので、そこはありがたいですね。

これで雨とか言われたら泣くもんね…。
晴れてもらえれば、ありがたい。

やはり今年も、慌ただしく、年の暮れですね。(⌒-⌒;


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2013.12.27 (Fri)

過ちてあらためざる、これを過ちという

 本日はいちおう、仕事納めにできるようにがんばっておりまして、結局投稿が遅くなりました…。
 でもまあこれでなんとか、今年も終わりにできる……(たぶん)

          ●

 ほかのことはわりとどーでもいいんですが、アメリカさんなあ……。

靖国参拝「米政府は失望」
12月26日 16時44分 NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131226/k10014135741000.html

 だーからさー。この問題については「日本の内政問題」といって知らん顔をしているのが、アメリカさんにとってもいちばん無難な対応なんだけどねえ。わかんないかしらねえ、そのあたりが。

 過去、なぜか、民主党政権のときに戦争をおっぱじめる、というのがアメリカという国なんですが(いくつかの例外はあるが、ほとんどが民主党政権時)、やっぱりこう……リベラルの脳味噌って、現実を認識して現実的に対応できないのかなあ?

 以前にも申しましたが、ドンパチやらないためには、日頃の外交が大事なんで、外交というのはすでにひとつの戦争なんですよね。
 で、じっさいのドンパチが始まったときというのはその外交が失敗した、つまり外交戦争に敗北したことを意味するわけです。
 アメリカって国は、民主党政権のときはもののみごとに、きれいごとを言っちゃあ外交政策で失敗し、じっさいのドンパチに発展してしまうんですね。

 1846年-1848年 米墨戦争  ジェームズ・ポーク大統領
 1914年 メキシコ・タンピコ侵攻  ウッドロー・ウィルソン大統領
 1915年-1934年 ハイチ侵攻  ウッドロー・ウィルソン大統領
 1916年-1924年 ドミニカ共和国侵攻 ウッドロー・ウィルソン大統領
 1917年-1918年 第一次世界大戦 ウッドロー・ウィルソン大統領
 1918年-1919年 シベリア出兵 ウッドロー・ウィルソン大統領
 1941年-1945年 第二次世界大戦 フランクリン・ルーズベルト大統領
 1950年-1953年 朝鮮戦争 フランクリン・ルーズベルト大統領
 1961年 キューバ侵攻・ピッグス湾事件 ジョン・ケネディ大統領
 1961年-1973年 ベトナム戦争 ジョン・ケネディ大統領
 1993年-2000年 イラク空爆 ビル・クリントン大統領
 1995年 ボスニア・ヘルツェゴビナ空爆 ビル・クリントン大統領
 1998年 スーダン空爆 ビル・クリントン大統領
 1998年 アフガニスタン空爆 ビル・クリントン大統領
 1999年 コソボ空爆 ビル・クリントン大統領

※大統領は、戦争/紛争開始時の大統領名

 ぜーんぶ民主党。改めて見てみると、なかなか壮観ですね。

 おおむね、アメリカは民主党政権のときに外交をしくじります。
 私が子供のときの記憶でも、カーター政権(1977年1月20日〜1981年1月20日)のときにバカをやらかして、ソ連にいろいろと、軍事面でも、出し抜かれていたんですよね。
 宇宙開発競争でもきっぱり後れを取り、ソ連に「アメリカなんかもう敵じゃない。すっこんでろ」的なことを言われてバカにされた。
  
 これについては、カーター大統領はなんとも思わなかったかもしれないが、アメリカ世論のほうが怒って沸騰してしまったんですね。
 で、次の選挙では、レーガン大統領(共和党)誕生、となったのでした。

 オバマさんは、民主党の伝統を踏襲しているのかなんなのか、予想外なまでの外交音痴ぶりを披露していますね。私としても、オバマさんはもう少し、ものの分かった人かと思っていたのですが、……甘かったかな。

 まあ、中共がのさばっているのはアメリカさんだけの責任ではありませんが。
 といっても——オバマさんがいかんとしても、いまの共和党に、レーガンのようなリーダーを出すだけの力があるだろうか、と考えると、なかなかねえ……。
(ひとまず共和党は、ティーパーティとやらとは、少なくとも、一定の距離を置くようにしたほうがいい、というのが私の見るところです。右だろうが左だろうが、極端に偏った人間には近寄らないほうがいい)

 なかなか厳しいことですが、日本も難しいこの外交戦争には勝たなければなりません。
 じっさいのドンパチになったら負けです。
 そうならないようにがんばっていただくしかありませんが、私ども庶民もまた、外交政策を見極めて、支援できるなら支援すると、はっきり表明しなければなりませんでしょう。

 それにしても、先日の秘密保護法に関する、世間の動きは面白かったなあ。
 おかげさまで、こうやって、シナや韓国との関係が、配慮がどうのこうのとわめいている連中の顔ぶれを見るともう、可笑しくって。

 化けの皮がはがれていることに気づいていない狐や狸の姿を見ているようです。見せ物としてはなかなか面白い。

 日本は、戦後レジーム regime からの脱却、という目標を掲げていますが。
 アメリカさんも——大きなお世話なのはお許しください——、少なくとも、朝鮮戦争以来のそのお国のレジームを、見直し、やり直してもいいんじゃないですかね。

 忘れっぽくていろんなことを学ばず、羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く日本人ですが、それでも、これだけは確実に学んだだろう、ということが、(おそらくは)ひとつ、ある。

「正義は相対的なものであり、絶対正義はない」

 これだけは、さしも政治音痴の日本人も学んだことだと思います。

 アメリカさんもそろそろ、戦争に倦み飽きているところもあるでしょうから、正義は相対的価値観であると、学んでもいいころなんじゃないかなーと、ま、大きなお世話なんですが、思って眺めております。

 ついでにいうと日本人は「正義は絶対ではない」ことを学びすぎて(なますをふいて)いました。
 なにごとも、過ぎたるは猶及ばざるが如しでございまして、膾を吹いているところを、シナや朝鮮につけこまれ、それが戦後の混乱となってなんと現在にまで及んでいます。
 日本人はいま、その膾を吹くのをやめようとしている。
 正義は相対的で絶対ではないが、自分で自分の身を守るということは、生きていく上で必須の「義務」であることを、やっと、思い出そうとしている。

 そんなことを思い出されたら困るという連中が、ああやってわあわあ騒いでいるわけで——申し訳ないが、それはもう、可笑しくて笑っちゃいますって。(^^;)
 
 
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タグ : 時事問題

15:23  |  身辺雑記2013  |  EDIT  |  Top↑

2013.12.26 (Thu)

がっかりさせると殺される

 昨日の、「ほぼ日」の、「今日のダーリン」を拝読。
「ガキの頃は、バカだったなぁ」という、読者投稿企画だそうです。
 
 それで、バカだなあと笑いながら、自分のバカも思い出すんですね。
 でも、「ガキだったから」とはいいつつ、そんな昔のバカを忘れているような年齢になっていても、まだ、やはりどこかに「ガキだったから」的なものが「つきまとっている」感じ——というお話ですが。

 それを読んだら、なぜか、そりゃもう猛然とスキマスイッチ「全力少年」を聞きたくなりまして。

全力少年全力少年
(2005/04/20)
スキマスイッチ

商品詳細を見る


 発表当時はCDを借りて聞いたんでしたが、「そうだ、いまはiTunes(ストア)がある!」と思いたち、検索して、購入しました。
(いまは、といってますが当時もありましたよね、たぶん;; 2005年ごろですか。ただ、売るほうも買うほうも、いまほどは充実していなかったとは思う…)

 なんかこう、突如として、聞きたくなる曲、読みたくなる本、てのがありますよね。(^^;)
 私が本を、どおおおおおおおしても! 処分できない理由がそれです。
 読みたいとなると猛然と読みたくって、居ても立っても居られないという感じになりますからねー。まるっきり、中毒症状みたいになるんですが、あれって、なんでああいう現象になるんでしょうね?

 そういうときに本が見つからないと気が狂いそうになるので(いえホントに。おおげさじゃなく)、それで本を処分できないんです。なにかの実用書とか、試験のための参考書とか、時代が違ってしまってもう読まないものとかは別ですが。

 ということで(?)、昨夜も、毎年恒例、小田和正さんの「クリスマスの約束」が放映されました。
 が、夜更かしができない私は、予約録画して寝てました。
 今日、少しでも録画を見られるといいんですが……。(^^;)

       ●

 基本的には仏教の理屈でいいんですが、その論理でも、私にはちょっと納得できないことがいくつかありまして。
 おもに「因果応報」の考え方と、でも、現実をみるとどうなのそれ、という齟齬。あと、私のような自虐癖のある人間には、仏教の概念は、かえって有害になるところがあり、そのあたりについて。

 そういう限界を打ち破ってくれたのは、スピリチュアルと呼ばれるものの考え方で、これは本当にありがたいことでした。

 スピリチュアルで言われることで、いくつか私には重大なポイントになったものがありますが、そのなかのひとつが、
「他人から拒絶されることにも慣れなさい」
 ということでした。

 他人から拒否される、拒絶されるということへの、ものすっごい恐怖心がありまして、その恐怖ゆえに足がすくんで自縄自縛に陥っていた——いまもまだやってますが——ので、この「教え」は、けっこう衝撃的でした。

 無闇に周囲とケンカをしろということではない。
 ないけれども、でも、世の中、どうしたって、すべての人に好かれるなんてことはない。嫌われる、拒否、拒絶される、ということは、避けられない。

 それはある程度は仕方のないことなので、それを恐れていてもしょうがない。だから、他人に拒否されることに「慣れる」のも、大事なこと——ということでした。

 もうひとつ、私が深く恐れていることがありまして、それは、「がっかりさせること」。

 肉親でも他人でも——それはろくに顔も知らないような赤の他人でも、とにかく、だれかをがっかりさせる、ということに対しての、恐怖心がこれまたすごいのです。

 ある意味、誰かから期待を寄せられるというのはありがたい、あるいは名誉なことではあるのですが、でも、それに応えきれなかったとき、がっかりされるということが、私には本当に怖いことなんですね。

 がっかりされる=見放される=見捨てられる=私にはもう、生きていることは許されない

 というくらいに、思い込んでます。
 ゆえに、しまいにはその恐怖心に負けて、もう誰からも期待なんかされないように、めだたずひっそりと、あるいはどうしようもない「無能」であることをアピールする。

 期待されたのにそれに応えられず、がっかりされるくらいなら、最初から、「あいつは無能だからしょうがないわ」と思われているほうがマシだ、ということです。

 冷静に考えれば、誰かを失望させたからと言って、それで殺されるわけではない、ということはわかるのですが、——うーん。あれですか、これも、家庭内ストックホルム症候群(DSS)の症状なのかな。
 親の期待に添えないと、親に捨てられる。
 子供にとっては親というのは生殺与奪の権を握っている存在ですからねえ。親のご機嫌を損なうと自分は(世話をしてもらえないので)死んでしまう——という、そういう感覚。

 ごく幼いころなら、そういう意識があっても仕方が無いが、いいかげん、大人になったら不必要なこと。

 期待というのは、他人が勝手にしていることで、こちらからお願いしているわけじゃない。
 期待するのもがっかりするのも、先様の勝手でしかない。
 ゆえに、自分がそれに、妙な責任感を感じて、ましてや、失望させることをそうまで恐れて萎縮するというのはおかしなこと。

 ——ということを、スピリチュアルの考え方で学びました。

 私にはまだ、「誰かをがっかりさせることへの恐怖」があるんだなということが、先日、わかりまして。
 あ、がっかりさせたのかな、と思うともうだめ。足がすくむ。怖くて震える。もうその人の顔もまともに見られなくなる。
 たぶん、あちらさまはそこまで深く考えていることではないのに。

 期待というのも、じっさい、罪なことだな、と思いますね。
 これについては以前にも書いておりますんで、ここでは繰り返しませんが、——期待は、するとしたら、自分自身に寄せるもの。

 ひとさまについては——我が子でも同じですよ——、期待はしないこと。

 期待ではなく、応援をする。押しつけではなく、支援、サポートをする。
 それが、ほんとうの愛情を寄せるということだと信じます。

 期待というのはじつは愛じゃない。エゴです。
 
 愛というのは、希望を見ること。応援すること。

 そういう意味では私もつくづく愛の足らん現代人だなあと実感しますが。

 まあそういうわけなので、誰かをがっかりさせることを、いまも死ぬほど恐れている自分を、いいかげん、解放してあげたいと思うこのごろです。

 
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2013.12.25 (Wed)

千変万化

 なにごともバランス。だと思います。




 他人の評価よりも、自分が、自分自身に納得することが大事。
 社会において、自分の居場所をつくることも大事。
 どちらか一方だけで満足するということは、おそらく、たいていの人にはないことでしょう。
 
 自分の内的な事情だけで満たされることもなく、外的なものに自分の満足度をゆだねると、自分というものが消えてしまう。
 ならばどうしたらいいのか? ——両方のバランスをとっていくしかないでしょうねえやっぱり。自分の内面の充実と、社会における充実との。

 なぜ、人間が社会的動物といわれるかというと、自分の事情だけでは生きられず、どうあっても、社会という外的なものとの「関わり」を、なくすことはできないからでしょう。

 自分の内的な満足と、外的な満足——他者との関係、社会のなかで得られる満足というのは、どちらも大事。
 そのバランスが50:50で完全に均衡するということは、おそらくはない。
 それゆえに、どちらをより優先するかを、私どもは日々、考え、選択し、行動しているわけですよね。

 どっちを優先するかというのは、そのときそのときの事情で変化する。
 自分の内的な事情だけでは独善的になるし、人間が社会的動物である以上、人間にはやはり「社会」「他者との関係」を求める気持ちもあるから、社会のなかの自分というものも考えなければならない。

 つまるところ、人生って、自分の内的世界と、外的な「社会」とで、どうバランスをとるか、それについて考え続け、選択をしつづけることなんだなあ、と思います最近。

 他人に振り回されてはだめ。
 でも、自分勝手になってしまうのもだめ。

 その都度その都度、優先順位はかわる。自分の気持ちも変わる。外的な状況も変わる。
 変わったら、それにあわせて対応する。
 その繰り返し。

 自分自身をケアすることをなによりも優先すべき瞬間、というのはあるし、自分のことよりも他の誰かの手をとることがなによりも大事になる瞬間もある。
 その判断と選択を、日々、我々は行っているわけです。

 ゆえに、内的な満足と外的な満足と、どっちが大事か、とか、どちらがあればいいか、というのは不毛な論争です。

 であるにもかかわらず、拝見していると相変わらず、為末さんを言い負かそうとしてくる人が多いようで……。(^^;)

 自分はそう思う、というなら、そのように思ってりゃいいだけのこと。
 それをなんでいちいち、他人にぶつけて「勝とうとする」のかな。

 自分の意見を表明するのはかまわないが、それで誰かを言い負かそうとするのは、結局、不毛なんですよね。
 なぜかというと、人はそれぞれの人生を生きているので、それぞれに課題にしていることが違う。
 大勢の人が、同じ試験会場にいて試験を受けているが、じつは、各人に出されているテストはぜんぶ内容が違う。——という感じですかね。たとえていうならば。

 カンニングは禁止されていないから、したけりゃしたっていいけれど、なんせ試験内容が全員それぞれにちがうので、他人の解答をのぞきこんでも意味がない。
 問題が違うから、そこで自分が求めている答えも違うし、その答えにたどりつくまでに考えること、その過程も、だいぶ違う。

 問題が違うのだから、自分にとっての正解が、隣の席の人にとっての正解にはならないし、隣の席の人の回答は、自分の問題には適合しないわけですね。カンニングには意味がないわけ。

 自分の解答用紙を振り回して、隣の人の解答欄をのぞきこみ、それはちがう、これはこういうことだ、こっちが正しいのだ、と主張しても——いやまあ、どうしても主張したいんだったらしてもいいですけど、なにしろ各人が持っている問題の内容が違うのですから、主張をぶつけあって勝敗を決めようとしても、無意味です。

 この“勝敗論争”にしても、ようは、
「ご自分が信じるように、ご自分が望むようになさればいい。なにもいちいち、そんなことで他人様の人生を否定するこたあない」
 という結論になるんじゃないでしょうかね。

 自分なりにやっているのと違う価値観を耳にすると、自分なりに埋めた解答欄が、間違っているような気がして不安になる。それが、自分が否定されたように感じて、それで噛み付きたくなるんですかねえ。
 他人からの承認を得ることで安心したい、という気持ちはわかります。
 でも、結局不毛なんで、そういうの、やめたら? とも、思います。(^^;)

 自分なりに考えているけれど、どうしても迷いがある。だから、ひとさまに問いかけてご意見を聞き、それを参考に、自分の答えを見つける足がかりにしたい、ということなら、それはけっこうなことですが。
 ただ我見(がけん)に執着し、不安があったり、自信がなかったりするのの裏返しで、——自分の我見は正しいと、他人から認めてほしくて、それゆえに他人を言い負かそうとする「論争」なら不毛なこと。

 私は最近、つまるところこの世に生きるというのは、「自分を愛しつつ、他者をも愛する」ことを学ぶことなんだなと思うようになってます。

 まず、そもそも現代人はそのほとんどが、「自分で自分を愛する」ということを忘れ果てていて、自分に愛がないからこそ、エゴに振り回されている。
 ゆえに、現代人は「自分で自分をきちんと愛すること」——つまり、「世界にひとつだけの花」である自分を受け容れるといった、内的満足、内的幸福感を学ぶことが必須。

 で、そうはいっても自分を愛するということ「しか」考えられないでいると、結局、他人を振り回し、他人を傷つけることにもなってしまう。
 だから、社会というものと関わりを持ち、自己と他者とのバランスを学ぶ。
 そのためにあるのが、この世という場所ではないのか、と。

 してみれば、日々、自分の判断と選択に迷ってしまうというのも道理でしょうね。
 そのバランスをとるのが難しい、難しいからこそ、生涯かけて学ぶべきことなのだと思います。

 諸行無常てことで、内的、外的な事情はつねに動いている。
 だから、○○すべき、とか、必ず○○しなければならない、○○していれば間違いない、ということはあり得ないことだと思います。
 いまの自分に必要なことが、10年後にも必要とは限らない。
 同じことで、いまの自分にとっては正解でも、他人様にはそれが正解とは限らない。
 それを認めてしまえばいいだけなのに、なんで無意味に「私が正しい」と認めさせたがるのか。

 有為転変は世の習い。
 諸行無常であるゆえに、自分がすべきことも刻々変化する。
 変化に臨機応変に対応できること、というのが、じつは、いちばん気をつけるべきことではないのかなと思います。
「絶対」のなにか、は、おそらく存在しない。

 揺らぎ続け、だから変化し続け、変化にあわせたものを選びつづける。
 生きているかぎりは、つづくことだと思います。

 豊臣秀吉でしたっけ、つねに伝令を複数名、待機させていた、っていうの。
 ある命令を出す。伝令が出発する。でも、秀吉は途中で考えを変える。変えたことを次の伝令が伝えにいく。そのうちにまた、「もっといいこと考えちゃった」と、秀吉さんは命令を変える、また新しい伝令を出す——ということをしていたとか、なんとか。

 事実かどうかは存じませんが、(^^;) でも、人生においてはそんなつもりでいて、ちょうどいいんじゃないでしょうか。
 まして、そうやって刻々変化する「意見」の、どっちが正しいかなんて論争は、無意味も通り越して時間と労力の無駄かもしれませんよ。

 
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2013.12.24 (Tue)

人生いろいろ

 昨日はローストチキン(年に1回しか食べない;;)、ワイン、クリスマスケーキでほくほくしてました。
 クリスマス・イブイブかと思いきや、乾杯の音頭は
「天皇陛下のお誕生日を祝しましてー」
 だったり。(^^;)
 
 もーなんでもいいんだおめでたいなら。

 ところで、本来なら、天皇誕生日の祝日は、代替わりしたなら日付も変更になるのが本来でしょうが、昭和天皇のお誕生日(4月29日)は、現在も名前を変えて祝日のままですね。
「だからさ、歴代天皇のお誕生日をぜんぶ祝日にするのはどうだろう?」
「歴代って……。初代(神武天皇)から?」
「そう。……今上陛下って何代目?」
「……百代はこえてるね(※ 数え方にもよるようですが、いちおう125代目)」
「それがぜんぶ祝日……」
「………いや〜、無理でしょう。神武天皇の誕生日ってわかんないでしょ」
 わかりません。(^^;)
 旧暦でもわかっていれば、新暦に換算することは可能ですが……。
 さすがに半分神話の場合は、誕生日の比定は無理だんべ。

       ●

<フィギュア>高橋、満場一致で五輪選出 小塚と比較
2013年12月24日(火)0時38分配信 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131224-00000000-mai-spo

 といったところで、ソチオリンピックへの、選出メンバーが正式決定。
 高橋大輔選手が選出されたのは、私としては妥当なところと思いますが、小塚選手がもれたのが、個人的には悲しいです。
 もちろん、オリンピックへ行ける人数には限りがあるのですが、しかし——このオリンピックの出場枠をとるのに、貢献してきたのは、町田選手じゃなくて小塚選手……とかって考えちゃうともうだめだー!!(涙) 考えるな! そういうこと考えるなアタシ!!!(悶絶)

 小塚選手も、手術をするかしないかという厳しい判断を迫られての今シーズンでした。
 私は彼のきれいなスケーティングが好きなので(彼のイーグルにはほんとにウットリする)、なんかもう……、……ううっ(涙)

 結局、だれが選に漏れても泣いちゃうことにはかわりがないですねえ……。今回の上位入賞者には、全員ソチへいってほしいというのが本音だものなー。
 多士済々というのはすばらしいことではありますが、こういうときには、ちょっと泣けます。

 なんにしても、選抜された皆様のご健闘を心からお祈りしています。
 初出場の皆様、おめでとうございます。(^^)
 オリンピックの神様の祝福がありますように。

 それはそれとして。
 ISU(国際スケート連盟)に聞きたいんだけど。
 オリンピックの金メダルって、いくらするの? あの人たちから、いくらもらう予定なのかしら? ドル建て? ユーロ建て?(←いやみです)

 そして引退を表明の安藤美姫選手。
 すばらしい演技だったと思います。こちらももう、マジでもらい泣き。
 彼女には最大限の敬意を捧げます。

 ほんとに——「人生いろいろ」なんだなあ…。

  
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2013.12.23 (Mon)

冬の祝日

 本日は、天皇誕生日でおやすみ。
 陛下は80歳におなりだそうで……、お誕生日、おめでとうございます。
 どうぞ今後とも、おすこやかに。

 ——皇室の方々っていちいち年齢をバラされるところが、ちょっとお気の毒になるなあたまに。(^^;)
 男性皇族はまだいいとして、女性皇族のほうはたまにね。いちいち年齢をいわなくてもいーじゃん! と思うことはある。

 あと、報道では傘寿(さんじゅ)といってますが、基本的にはこういうのは数え年でいうものなので、陛下は傘寿を迎えられ…と聞いたときは軽く混乱しました。
 やれやれ。

       ●

 フィギュアスケート全日本ですが、昨日はなんかもう、泣けてしまいまして。(T_T)
 高橋大輔選手。

高橋大輔 転倒、流血…絶望的5位「もう、五輪はないんだなと」
2013年12月23日06時59分 デイリースポーツ デイリースポーツ
http://news.livedoor.com/article/detail/8371867/ 

 結局さー、年をとると涙もろくなるっていうけどさー、それって、人の心の動きに対する感受性が増すってことだと思うんだよねー。

 若いときって自分のことで手一杯、他人の感情にはいまいち気が回らないところがあるのが、さすがに人生経験が重なってくると、いろんなこともあるしいろんな立場に立たされるし、そういうことから「他人の気持ちがわかる」部分が増えるんじゃないですかね。
 で、若いときは「へー」なんていってたことにも、感受性が発揮されて、泣けてしまうのではなかろうか。

 選考の話はもちろん私どもにはわかりません。わかりませんが、あれだけのハンディを負いながらもあの、昨日のFSの演技。
 もういちど見せてほしい、という気持ちは、あります。山盛りで。

       ●

 といったところで明日はクリスマスイブ、あさってがクリスマスです。
 これはもとは冬至のお祭りなんであって、たぶん現在のクリスマスの基礎になったのは、ゲルマンのユールという冬至祭りだったかと。
 夏至は夏至でとうぜん、お祭りがありましたし——シェークスピアの「真夏の夜の夢」は、その夏至祭りの夜のお話だし。
 キリスト教は、冬至はクリスマス、夏至は聖ペテロのお祭りにしてますけども。

 基本的には太陽信仰の日本人が冬至祭りで浮かれるのは、ある意味、道理でございます。
 日本の場合は祭りとはいえ、ご神事はあっても、庶民がぱーっと騒ぐようなものではない(なかった)ので、あんまり有名ではないだけでしょう。

 サンタクロースの存在を、ところで、子供のときに信じていたか、という質問、たびたび頂戴するのですが。

 なんとも微妙な問題ですね。
 信じていたとは思いますが、「論理的に考えて、その存在を実在と認めるのは難しい」くらいに思っていたと思います。

 私が聞いたサンタクロースは、煙突から侵入してきて、世界中の子供の(【よいこ】の)枕元、もしくは靴下のなかに、プレゼントを入れてくれる、ということでした。
 が。
 世界中の子供って何人いるのか。
 仮にサンタさんが瞬間移動できるとしても、1晩でそれだけの人数を回りきれるわけがない。

 と考えていたことを覚えています——幼稚園のとき。

 ゆえに、サンタさんの存在を信じてはいても、彼がこの世に「実在」すると見なすことは難しく——つまり、神様の存在みたいなとらえかたですね——、かつ、うちには煙突はないし、うち、日本だし(どうみてもサンタさんはヨーロッパ系の異人さんだ)、うちのほうでは雪は降らないし(ソリは不要。というか使えない)、プレゼントを入れてもらえそうな靴下もないし(子供用で小さいからな。あめ玉くらいなら入るけど)、おまけに、うち、仏教徒だし。
 ま、すくなくとも、うちには来ないわなサンタさん。

 と、そのように考えていた記憶があるのです。

 こうなりますと、サンタさんを信じていたか、という質問には、返答としてはなんとも……。

 その思考をたどりまするに、サンタさんはいる、というのが「前提」ではあるものの、なんかいろいろ、物理的な事情を真面目に考えて、「まず、うちにくることはない」と冷静に判断していて、「自分には関係ない」という冷徹な結論になってます。

 信じていた——のかなあ。
 しかし、サンタさんはいない、とわかってがっかりした、という記憶もないんですよね…。

 ともあれ、物理的に、1夜のうちに世界中の子供にプレゼントを配るのは無理だ、というような判断は、ま、妥当ですね。
 そういう意味では、幼稚園のころにはすでに、私はファンタジーには生きていなかった、ということになりましょうか。

 長じても、読書をするのでもそういえば、やけにファンタジー小説とは相性が悪かったわ。(^^;)
 いまだに、指輪物語もハリポタも、まともに読んでないです。
 マキャベリを読んで感心するような——リアリスト、現実主義というよりは、プラグマティズムに足を突っ込んでいるような人間は、幼少のみぎり、すでに(へんなふうに)ファンタジー音痴だったということかもしれませんね。

 いずれにせよ、サンタさんのお話も、ロマンというものでしょうから、楽しめばよろしいのだと思います。
 存在を信じるかどうかよりは、楽しめるかどうかじゃないでしょうかね。
 楽しめばいいと思う。
 楽しけりゃいいのよお祭りというものは。
 いまの私が気になるのは、南半球は現在、真夏なんだけど、真夏の地域にいくサンタさんは、どんな格好をするのがふさわしいのか、ということだったりする。
 バミューダパンツにアロハシャツとか……。
 ………いかん。俗すぎる;;(私の妄想力が)

 同じファンタジーでも、隣国の「正しい歴史」というファンタジーは、まっっったく楽しくないですが。(^^;)
 虚実の区別ができない人間というのは、もはや精神病理学の対象でしょうから、楽しいとか楽しくないとかの埒外ですね。

 まあなんにしても冬至もすぎた。

 ゆず湯につかる、ラブリー♡ なカピバラちゃん一家の映像に癒されつつ、本日も大掃除です。(^^;)

 クリスマスケーキは予約してあるので、本日の夕食はそれを楽しみに♡

 
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2013.12.22 (Sun)

滅びざるもの

 年をとる、ということが、そんなに悪い——というか、ネガティブな——ことには思えないのです。

 赤ん坊のころから「できなかったこと」ができるようになって、自分がようやく一人前になったと思い、まだまだいくぞ! と思っているのに、あとはだんだん、せっかく「できるようになった」はずのものが、またも「できないこと」へ還っていく、というのは、明らかにがっかり、残念なこと、というのは事実としても。

 肉体面ではたしかに、老いは衰えであり、残念なこと。
 それでも。
 私の実感としては、年をとることで、だんだん生きているつらさが、軽減している、という「ところもある」。
 私個人は、老いというものに、ネガティブなイメージは、それほど濃厚ではありません。

 なんで昔はあんなことに、あんなにカッカしていたのかなあ、と思うことがありまして、そう思うと、年をとるってのはけっこういいことじゃん、と思います。
 まあ、それもそのうちには、やはり生きているのはつらい、というようになるかもしれませんが。

 ただ、そのつらさが、右も左もわからない、真っ暗闇のなかでめちゃくちゃに歩き回るようなつらさから、体のあちこちがしんどい、というほうへ、比重が変わっていっている気がする。
 
 肉体は衰えていくけれど、衰える、という現実に直面することで、生きる、ということに必要な「知恵」がつき、我と我が身を客体化するという「知恵」にもなじんできて、精神的なところはずいぶん楽になってきているのを感じます。

 ときどき、「いまの脳味噌や精神の状態で、肉体だけ、20歳くらいに戻りたい」という気持ちになることはありますが、これはないものねだりというものです。(^^;)
 肉体が20歳ごろに戻るけれども、ここまでで自分なりにつかんできたもの——経験とか思索とか知恵とか、そういうものもぜんぶご破算にするよといわれたら。
 私は、20歳に戻ることは選ばないですね。

 ここまでで自分なりに獲得したものがないものになる、というのはいかにも残念だし、——それに、いまの精神状態が維持されないなら、若返る意味がないように思います。
 精神的にはホントにあれこれ、つらかったですよ;; いまもつらいけど、昔のほうがほんとに、針の山を歩いているようにつらかった。
 いろんなこと、モノがわかっていなかったころ、あのころの「馬鹿」な自分に戻るのかと思うと、それはもう、残念すぎる。

 ということは、私は、やはり、とぼしいながらに積み上げた経験、得られた知恵、というもののほうが、若い肉体よりも大事だと思っているんでしょう。

 自分のこれまでの人生経験をすべて水に流してもいいから、若返りたいという人もいるかもしれない。いても不思議じゃない。
 でも、私は、自分なりに積み上げてきたものを、より、いとしく、大事に思う、ということですね。

 先日の、NHK「仕事の流儀」での、イチロー選手のインタビューは面白かったですね。
 私は、もはやあれほどのひとに、年齢のことをあげて「いつ辞めるの」と聞くのは、無礼千万であるうえに愚の骨頂だと思っております。
 ああいう一流の人は、自分の引き際ぐらい、自分で判断できるでしょう。
 年齢だけが、その引き際をきめる要素ではないことくらい、見ていてわからないものかね。それとも、マスコミはやはりアホなのかね。それとも、自分自身はそんな質問が愚だとは思うが、ほかからの圧力などがあって、質問するように強制されているのか。

 いずれにしても——自分の身体的な衰え、年齢というものを、イチローさんはごく冷静に受け止めていることは、よくわかりました。
 引退するには「まだ、苦しみが足りない」と、独特の表現でおっしゃっていましたが——そこだけ聞いていると、この人、真性のマゾかいなと思っちゃいそうだけれど(笑)

 ようは、衰えを感じつつも、ご自分のなかで、できることがある、という感覚がある、という意味だろう、と私は解釈しました。

 引退ということではなくても——自分が手がけてきたことを、いつか、どこかでやめるときはくる。
 まったくやめることはないまま生涯が終わるという人もあるでしょうが。(ライフワークを手がける芸術家とかね)
 一般の仕事でも趣味でも人間関係でも、「ここが、引き際」というポイントが、ありますね。
 始める、ということは、気軽にできるけれども、やめる、というのは、なかなかしんどいことだと思います。

 好きなこと、慣れ親しんだことならなおさら、これをやめる日がいつかくるなんて、考えることさえ苦しい、というものがあります。
 でも、それはいつかは、やめなければならないということも、わかっている。

 いつ、やめるのか——というのはなかなか難しいことですが、でも、それは、自分の内側にちゃんと示されることだとも思います。
 熟した木の実が、やがて地に落ちるように。
 時機というのは、いつかは訪れるもの。
 それが自分の本意ではなくても、その時機がくれば、手を離すことになる。

 できれば自分も納得して、時は熟したのだ、と思えればいいんですが、そういうわけにもいかないことも多いでしょう。
 事故や病気、災害、あるいは誰かの死、という、不可抗力なものによって、無理矢理に終わらされる、ということもある。
 そんなときはやはり、無念で口惜しい思いをするでしょうが、それもまた、「時宜」というものだと思います。

 老いることは、たしかに、手に入れたものを手放していくことだと思いますが、でも、そのぶん、ちゃんと自分のなかに積み上げられたものもある。そう思います。
 失った、と思っているものは、その役割を終えたから——つまり、寿命を迎えたから、失われていったのではないでしょうか。
 けれども、その失ったもの、すでに去っていったものとともにあったときに学んだこと、経験、思索というものは、知恵という実になって自分のなかに、ある。

 失った、とはいっても、ほんとうにゼロになっているわけではなくて、失うかわりに得たものがある。
 
 そういうことが実感できると、年をとるということの豊かさが、わかってくる。そんな気がします。
 初老というのは40歳のことなんだそうですが、とすれば私などはまだまだ「老人初心者」で、とてもじゃないが老いを語るなど生意気というものですが——でも、そんなあたりが、垣間見えてきたようです。

 この「感覚」は、若い人にわかれといっても、無理ではありましょうが。(^^;)
 でもまあ、若い人は年をとることを恐れずに、またバカにもせずに、ただ、いまを大事にしていただきたいと思います。
「子供叱るな 来た道だから 年寄り笑うな 行く道だから」
 これは至言だと思う。

 検索していたらこれに行き当たりました。
「年をとるほど人は幸せになる」というもの。TEDプレゼンテーションです。

 人生は有限であることを実感した高齢者のほうが、ばくぜんとした未来をもつ若者よりも幸せを感じる——というのですね。
 これは本当に興味深いことなので、ぜひ、ご覧いただきたい。
 日本語字幕もついていますし、時間は11分ほどなので。

TED日本語 - ローラ・カーステンセン::年をとるほど幸せになる(日本語字幕付き動画)
http://digitalcast.jp/v/13330/

 私が興味深く、なるほどと思ったのは次の一言でした。
 少子高齢化社会は、従来のピラミッド型人口比(若い人が多く、高齢者は少ない)とはまったく異なる人口比となる。
 これは人類史上の「初体験」で、初体験には不安と恐れを抱く人が少なくないものだが、悲観する必要はない、と。
 人類初体験の社会はこれからどうなるか?

 カーステンセンさんはこうおっしゃる。

The numbers won't determine the outcome. Culture will.
単なる数字(人口比)が結果を決めるわけではありません。文化が決めるのです。


 
 
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2013.12.21 (Sat)

外来語になった日本語

米政府 山口組幹部4人を制裁対象に追加
12月20日 7時28分 NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131220/k10013981801000.html

 こういうことのために特定秘密保護法が必要なんですけれども、そういう事情を、日本の国賊マスコミが言わないのはある意味当然としても、いまのところ、政府自身も説明にくわえないというのは……なんでだろう;;

 現在、各国ではテロ対策が急務となっておりますが、各テロリスト集団の資金源を断つというのも、大事なことですね。
 ということで、口座情報を各国間でやりとりし、必要と要請に応じて口座凍結というのは、今後もどんどん出てくるでしょうが、そういうときの法的根拠になるのが、「特定秘密の保護に関する法律」、と。

 むしろ、あの法律は国際的に要求されて成立したもの、という側面が強いと思いますが(日本の場合は)、いまのところ、そういうことに、メディアはいっさい触れないですね。
 また、政府自身がそういうことを説明に入れてこない、ということが、むしろ私にはちょっと意外なんですけども。
 やはり、そういうこともあんまりおおっぴらにいうと、テロリストを警戒させるからかなあ。
 どうなんでしょう。
 
 世界的に超有名なスパイ天国日本ですから、いろいろ便利に使っていた個人、団体も多いでしょう。日本国内における勢力というのは、おかげさまでよくわかりましたが、いままで気軽に自由に日本に出入りしていたある種の外国人にとっては、ちょっとイヤな動きでしょうね。

 ということで、ああさっそく始まったか、と思ったんですが(とはいえ、同法は公布はされていますが施行はまだ、ですよね。公布から1年以内の施行だそうですが、いつになるのかな)、面白かったのは、今回対象になった人についての情報。(アメリカ財務省発表)

Treasury Sanctions Members of Japanese Criminal Organization
(日本の犯罪組織のメンバーへの、財務上の制裁措置について)
12/19/2013
http://www.treasury.gov/press-center/press-releases/Pages/jl2250.aspx

 アメリカ国内にある資産凍結、商取引の禁止といった制裁措置についての詳細がありますので、よろしければどうぞご覧ください。
 
 興味深かったのは、今回、日本国内では「山口組構成員」というくらいしか報道されていないことが、詳細にあげられていること。

Individual: IRIE, Tadashi
DOB: December 9, 1944
POB: Uwajima, Ehime, Japan


Individual: HASHIMOTO, Hirofumi
AKA: KYO, Hirofumi
AKA: KANG, Hong-Mun
Date of Birth: January 8, 1947


Individual: MASAKI, Toshio
AKA: PARK, Nyon-Nam
DOB: January 13, 1947


Individual: ISHIDA, Shoroku
AKA: PARK, Tae-joon
AKA: BOKU, Taishun
AKA: PAK, Tae-Chun
DOB: October 30, 1932



 アイデンティファイイング・インフォメーション、ということですが、氏名、誕生日、出身地、まではわかるとして、「AKA」。
 Also Known As ——通称、別称、ですね。この場合は通名、ということ。

 アメリカさん、よく調べたねーというべきか、なんでこういうことを黙ってんの日本のマスコミ、というべきか。
 いずれにしろ、これ、通名と氏名の関係は逆なんじゃないのかと思いますけども;;
 彼らの本名(朝鮮名)の、原語発音よみと、その漢字表記の日本語読みの両方もきっちり書いてありますね。すごいねアメリカさん。
 ……というより、日本がアレすぎるんでしょうが;;

 こういう法による取り締まりが、日本でもきちんとできるようになるなら、まことにけっこうなことです。いままでがいい加減過ぎただけなんでね。
 なーにが言論の自由だ表現の自由だ知る権利の侵害だ?
 
 いえ、昨夜も、ああいうマスコミの宣伝を鵜呑みにして、そのままコピーしたみたいなブログを拝見してしまい、ちょっとげんなりというかうんざりというか、そんな気分でおりましたので。
 日本でも、こういう取り締まりがきちんとできるようになるなら、いずれこういう、マスコミに躍らされる人にでも、わかるようになるだろうと思いました。

 ………そうでないと困るんだけどねえ……。なにしろ民主党政権を誕生させた「前科」があるもんなあこの国の人々には。
 私としてはいまいちどころか、ぜんぜん信用できない気持ちのほうが強いですが。(^^;)
 まったく情けないことです。アメリカ人であるテキサス親父さんが、ああも体を張っているというのに。

 ちなみに、このアメリカ財務省プレスリリースには添付資料がPDFで示されていまして、中身は、山口組の組織略図です。(今回の制裁対象人物の写真付き)
   ↓↓↓
http://www.treasury.gov/resource-center/sanctions/Programs/Documents/20131219_yakuza.pdf

 どーでもいーけど、ファイル名が「20131219_yakuza.pdf」……思いっきり YAKUZA ……。
 なんでだろう。なんか、涙が出てきた(泣)

 やくざ、というのは、またちょっと独特の犯罪組織、その形態だからかなあ。無理に訳さないで日本語をそのまま使うんですねー。ううっ。
 そういえば、松田優作さんご出演の「ブラックレイン」では、「Four Oyabuns(4人の親分)」という台詞があって、ああ親分が英単語になっている、と思ったときもなんだか、お尻がもぞもぞするような落ち着かない気分になったもんでした。

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(2011/04/28)
マイケル・ダグラス、アンディ・ガルシア 他

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 なんで落ち着かない気持ちになるのなあ;; やはり、自慢にもならない自国の恥部が外部にさらされるという「恥」の感覚なのかなこれ。
 阪神淡路大震災のときには、日本政府よりも働いてくれた山口組なのに、と思うと、なんだかもう……、複雑な気持ちにもなる……。


 年末の貴重な3連休初日だというのに、なんだかへんな話題になってしまいましたね。

 気を取り直して、大掃除と買い出し第1弾へ、いってきます。

 
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2013.12.20 (Fri)

日本アンダーグラウンド

 物騒な……。

餃子の王将社長 到着直後に襲われたか
12月19日 18時24分 NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131219/k10013968761000.html

 さきほどには、北九州でやはり銃によるとみられる事件もあったそうですし、どうも、物騒ですね。
 昨日は京都、今日は北九州か、と思うと、暗然とします。
 なにか、世の中がざわついていますね、最近。

 テキサス親父さんのこともちょっと心配ですし(なにしろ相手は民族あげてのキチガイ…)、——それに、なんなんでしょうか、このニュース。

ミス・インターナショナル吉松育美が脅迫被害「大手芸能プロダクションの幹部が付きまとい」
2013/12/12 12:35 J-CAST
http://www.j-cast.com/tv/2013/12/12191518.html

 これは12日付の記事ですんで、現在はまた報道も追加があったり削除があったりしていますが——とうとう、総理大臣ご令室までが、Facebookで発言なさったとのことで。
 なんだこれは。

 芸能界の超絶ブラックな情報というのは昔から聞こえてくるものではありましたが、これまでは、そういう情報が流れてきて、世間が一瞬、動揺しても、なにしろ報道もないし、当然、いかなる意味でも物証も見られないので、私ども庶民としては、「そうかもしれない」と思うのがせいぜいで、そのまま、闇から闇へ流れていく、というところでした。

 が、いまはねえ——こうなるとやはりネットというのは、面白いメディアではありますね。

 それにしても、日頃は、「国民の知る権利」を仰々しくかかげて、芸能人、有名人の尻の穴を調べようとする、芸能レポーターとやらは、どうしちゃったのよ。ええ?
 なーにが知る権利だこの××××が、と、ののしるのも私には日常茶飯事ではございますが、今回のことはちょっとひどいな。
 聞くところによれば、海外メディアが、ずいぶん華々しくぶちあげているそうですね。

 まあ、ミスインターナショナル、ミスユニバース、ミスワールド、というのはいずれにしろ、日本ではそうでもないのですが、海外では立派なセレブリティの扱いですからねえ。F1ドライバーが「騎士 Knight 」の扱いを受けるような感じで、単なる美人コンテストの優勝者じゃないんですよね。
 日本では、そんなにレスペクトされていないから、実感しにくいでしょうけどね。

 ゆえに、海外メディアが怒りをすらにじませて、「日本のマスコミってなにやってんの?」「ヤクザと手を組んでんの?」という論調で、日本のメディアを非難するのは、道理ではあります。

 まったくみっともない。

 ともあれ、私がちょっと気持ち悪く思うのは、あくまでも吉松さんサイドからのお話ではありますが、その谷口氏が、自死して世を去ったことになっている人の名前をあげて、「あの人のようにならないように」と脅してきた、というあたり。

 日本の警察は、ちょっと面倒になるとすぐに自死扱いにして、司法解剖はろくにやらないと聞いております。
 桶川ストーカー事件の犯人の「自殺」も、とてもじゃないが自殺とは思えない状況であるにもかかわらず、自殺ということで終わりましたね。

 そういう「実績」があるし、——また、子供のころからたびたび、聞こえてきたブラック情報も脳裏によみがえり、なんともいえない、暗い、重い気分になっております。

 なんにしても、吉松さんが枕を高くすることができますように、心からお祈りするばかり。

 谷口元一氏については、なかなかめぼしい情報が見つかりませんでした。
 そういうなかで、ゴシップの域を出ないとはいえ、下記記事が興味深かったので、リンクを貼っておきますね。
(この記事も、どうか削除されませんように)

“バーニング系”紛糾! テレビ局・スポーツ紙は谷口元一氏のどんな横暴を放置してきたのか
2013/12/19 19:00 楽天woman
http://woman.infoseek.co.jp/news/entertainment/cyzo_20131219_490081

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2013.12.19 (Thu)

嫌がらせの心理

 こちら、為末大さんのツイート。



 なるほど、と思い、引用したいなと思ったので、オリジナル(?)のツイート↓も拝見に行ってきました。
 



 そうしたら、







 うーむ。Twitterもなんだかいろいろ、たいへんなんだなー…。
 で、その100人にフォローされてあっというまに70人にリムーブされたというのは、もしや、下ネタをお話しになることが原因てことなんでしょうか?? と思いました。

 下ネタかあ。嫌がる人は、みょーに嫌がりますねえそういえば。
 
 で、ああいう下ネタをものすっごい勢いで拒絶する人って、一見、潔癖性に思えるでしょ。でも、そうでもないようですよ。
 むしろ、そういうものがすごく好きで、興味津々だったりするんですが、でも、なにか理由があって心理的な抑圧があり、そういう自分を受け容れられないんですね。
 で、そんなケガラワシイ! なんてこめかみに青筋たてて怒っているけど、それはじつは、他人じゃなくて自分自身に言っている言葉なんですね。

 ということに気がついたのは、あるとき、ある女性に、「(週刊少年)ジャンプってときどき亀甲縛りされてて、立ち読みできませんねー」といったら、いきなり、ものすごい勢いで、それこそ眉をぎりっとつりあげて、
「亀甲縛りなんていわない!」
 と叱られました。
 私としては、きょとん、でした。

 ——あのう。
 亀甲縛りって、日本古来の「結び」「縛り」のうちの一種類なんですが……。
 なにを連想したんだろ、この人。 
 と思いましたが、まあ、おそらくは本人がいやがるものを、あえて指摘して恥をかかせることもない。黙っていました。

 余談ですが、風呂敷の包み方でも昔の人の知恵というのには感心しますが、同様に、結ぶ、ということについても、たいへんなかずのバリエーションを持っているのが日本の古来からの文化です。水引だってそうでしょ。

 そういうことをすっ飛ばして、いきなりSMを連想されてもなー。(←知ってんじゃないかって?/笑)
 
 下ネタを異常に嫌う人が全員、「じつはお好きなんですね」とは限らないけれども、けっこうな確率であるのはたしかです。
 ——もっと気楽にいけばいいのになというのが、私の感想。

 下ネタというのも面白いものでして、これを話させるとその人のセンスというものが、よくわかります。

 上手にやると、ふっとその場を和ませる道具になってくれますが、やはりTPOと人間関係の種類も選ぶ必要がありますし、上記のような潔癖性相手にやったら逆効果ですし、で、ウケたからといって調子に乗って、つい、「下品」なところへ落ち込んでしまうというのも、感心できませんし。

 難しいところでしょうが、でも、その人とどこまで馬が合いそうか、を判断するのに、けっこういい指標になってくれますね。

 私は自分から下ネタを積極的に振ることはほとんどありませんが、血相変えて嫌がることもありません。はいはいあははと受け流すことくらいならできます。
 ただ、世の中には悪いヤツもいまして、こういうジョークに見せかけて、同席の女性に恥をかかせようとする男ってのが、たまにいますね。
 そういうヤツを返り討ちにするのが、私の「趣味」です。
 肝心の、同席のその女性にもドン引きされたりしますけど。(^^;)

          ●

 ほんのちょっと、まくらにするだけのつもりが話が長引いた。(^^;)
 ここからが、上記ツイートから思ったことの本題です。

 ——いやがらせって、なぜ、やるんですかね?
 どういう欲求があって、いやがらせって、するもんでしょうか?
 嫌がらせをするとき、何を考えていますか? なにを目的にしていますか? 目的は果たされますか? 果たされたとして満足しますか? どんな気持ちですか?——

 私にも、そりゃいちおう嫉妬心とか、そういうのはありますが、じつのところ、それに支配されて振り回された経験がありません。
 嫉妬は嫉妬、うらやましいはうらやましいのですが、それは、それだけの話。

 うらやましい、という気持ちから、あえて、嫌ってもいない人に嫌われるために、嫌がらせをするという、そのときの気持ちが、私にはわかりません。

 べつに聖人君子ぶってんじゃないのです。私の場合、身体のほうはそうでもないが、精神的にはかなりの「引きこもり」で、他人のことを自分の意識のなかから徹底排除するところがあるのです。
(身体のほうは、引きこもりというより、出不精ってやつですね。……余談ですが、出不精、って聞いた瞬間、脳内で『デブ症』って変換しちゃいません?;; ものすごいイヤな気分になる……;;)

 他人と比べて自分はどうこう、と、思わないことはない。とんでもない。うつをわずらう人間は、この概念に取り憑かれて苦しむものなので、私も例外ではございません。
 
 が、それでも。
 それで自分が惨めになる、というのはあるけれども、自分のなかでは「アタシなんて…」というのが終着点であり、それで「口惜しくて、その誰かが憎らしくて、嫌がらせをしてしまう」というところが、私にはありません。

 いいんだか悪いんだか——これは精神的引きこもりだからこそ、と思うと、あまりいいことでもない気がしますが;;

 私は嫌いな人間とは、徹底的に関係を遮断します。空気のように無視するようになります。
 とはいえ、それは口もきかない、ということではなく——積極的に話しかけていくことはしないけれども、どうしても必要なことがあれば、まあ、ふつーに会話くらいはする。でも、それだけです。

 いやがらせをすれば、相手からは憎まれる。嫌われる。ということは、そこで相手との「関係」ができてしまう。
 私にはそれが、耐えられない。

 嫌いな人間とは、いかなるものであれ、関係、つながりなんてものは持ちたくもない。

 ゆえに。
 いじめであれ、いやがらせであれ、——嫌いといいながらなんでそんなことすんの? と思いますね。

 私の見るところ——犯罪である「いじめ」はべつとして——、いやがらせをする人というのは、嫌がらせをしている相手を、べつに「嫌い」なわけではないだろう、と思います。
 いやがらせをする理由が「嫉妬」なら、嫉妬の本音は「うらやましい」。
 うらやましい、ということは、裏返しにすると「あこがれ」という感情になります。

 憧れの人には、お近づきになりたい、という気持ちがありますよね。
 顔も見たくない、口を利くのもイヤだ、空気のように無視する、ということにはなりますまい。

 ポジティブな反応であれば、憧れであり、好意であり、好意を寄せる相手には、なんとかお近づきになりたいというのが自然なところでしょう。

 が、それがネガティブに裏返しにされると、ねたみ、嫉妬になるのですが、「なんとかお近づきになりたい」という気持ちが裏返しになって、いやがらせ、になる。

 私にはそういうように思えるのですが、いかがなものでしょうか。

 しかしこれ、いやがらせをされる立場としてはたまらんですよね。意味不明の感情をぶつけられて、しかも、それには対応のしようもないわけだから。

 嫌いなら嫌いというほうがすっきりする。
 嫌いじゃないから嫌がらせをする、なんてのはもうね——やられるほうにしてみたら、理不尽としかいいようがない。頭イカレてんじゃないの? と言いたくもなろうってもんです。

 そういえば、嫉妬心が向上心の起爆剤もしくは推進力になる、という主張も、以前には聞いたことがあります。
 私はこのご意見にも、あまり納得していません。(^^;)
 嫉妬心なんかをスタートにすると、結局、その向上心とやらも努力も、ひねくれてねじれていじけた結果にしか、ならんのじゃないかと思います。

 ………あ〜。これってストーカーにも(ある程度は)あてはまることかな?

 私はこれまで、いじめ、というものや、いやがらせ、というものは、——自覚しているかぎりでは、自分がやらかしたことはありません。無自覚にやらかしている可能性もないわけではないのですが、なんせ精神的な引きこもりで、他人との接触は可能な限り避けようとするから、積極的にやったことはありません。

 ゆえに。
 嫌がらせをする人の「気持ち」は、私には理解不能です。なぜそうなる、と、本気で思ってます。

 嫌いな人に、わざわざそうやって接触を持つってあたりがわからん。と、昔は思ったものですが、最近は、
「そうか、べつに、嫌っているわけじゃないんだ」
 というあたりが見えてきて——、なおいっそう不気味に感じます。(^^;)

 いやがらせをすれば「憧れの人」から確実に嫌われるわけですが、それでいいんですかねえ。
 無視されるより嫌われる、憎まれるほうがいい、なんてなことをいう、小説なども読んだことがありますが、やはり、私にはナゾです。

 嫌がらせというのも、その人との「関係」を望むからこそ、というのは、ご当人たちは無自覚でしょうか。それとも、わかっていてやっているのでしょうか。

 精神的引きこもり、他人のことは基本的に自分の内側にいれない、という私からしますと、どうにも、ナゾの多い、心理であり、行動です。

 どうせだったらぱーっと明るく、素直に憧れて「好きです!」と叫んでいるほうが、楽しそうですけどねえ。
 そうはできないところに、人間の面白さもあるのでしょうか。

 ところで、「嫉妬して、いやがらせをする」自分に気づいたとき、「死にたくなる」というのは、まだ救いがありますね。
 嫉妬して嫌がらせをすることがどういうことか、自覚しているわけだから。

 もう救いようがねえな、と思うのは、そういうことを一切合切、ぜーんぶ他人のせいにしているようなヤツですから。
 自分の感情が嫉妬であることを認めない。認めたとしても、「嫉妬させるほうが悪い」などと言い出すようなのは、もうどうしようもない。

 そこのあたりから考えると、嫌がらせをした自分をさとり、その原因、理由を自覚し、いやがらせのくだらなさを把握できるということなら、立派なものだと思います。

 
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