ワインの行方
2013年11月30日 (土) | 編集 |
「DAZZLE」という雑誌を頂戴しております。
 
 頂戴している、というのは、これ、無料でもらっているから。(^^;)
 日経BP社発行の雑誌を定期購読している女性に送られてくる雑誌なんだそうです。
 お金持ち感たっぷりの雑誌で、「なるほどお金持ちの世界ってこんなんかー」というあたり、雰囲気だけかいま見ては楽しんでます(笑)

 ということで、店頭で売っている雑誌ではないため、検索してみましたが、見つかるのは、同誌に広告を掲載するご案内だったりして;;

「DAZZLE」広告掲載案内
http://adweb.nikkeibp.co.jp/adweb/mad/daz/daz_mda.html

 こちらで、フランス文学者の鹿島茂先生のエッセイが連載中でして、ただいま、グランドメゾン——高級レストランにまつわるお話がつづいています。

(余談ですが、高級レストランを意味することが多いグランドメゾン Grande maison は、直訳すれば「大きい家」。
 メゾンは女性名詞であるので、Grand ではなく Grande となり、カタカナで表記するなら「グランド」となります。
 つまり、グランドメゾンというほうが、まあ原語に近いということになりますが、なぜか、日本ではグランメゾンという言い方のほうが広く流布しており、グランドメゾンで検索すると、ハウスメーカーがらみのものばかりが引っかかってくるんですよね……)
(鹿島先生は専門家ですから、グランドメゾンと表記なさいます)

 とあるグランドメゾンで先生がお食事をなさったとき、ひとりの老紳士が食事をしているのに遭遇した、というお話で。

 どうやらお店の常連らしく、入店すると、メートル・デ・トル(maitre d'hotel 給仕長)となにやら話してからテーブルへ。
 おひとりで、じつにゆったりと、しかし食事に集中して、食を楽しむごようすに、先生もかなり感服なさったようですが、私が、へー、と思ったのは次のところ。

「最後にひとつ、その紳士の食事の態度から私が学んだことを書いておこう。それは、一人で食べるときでも、ワインはグラス・ワインやハーフ・ボトルといった貧乏くさい注文の仕方はせず、ちゃんと一本頼むべきだということである。紳士が会計を済ませて立ち上がった後、テーブルにはボルドーのグラン・クリュが半分残されて置かれていた。もったいない、というなかれ。これこそが、グランドメゾンでの一人ディナーの礼儀なのである。」



 ——そういえば。
 と、私も思い出しました。

 どなただったか——ソムリエの修業時代、そうやってお客さんが残していったワインをもらって、ワインの勉強をなさったというお話。

 私はお酒に強いほうではないので、食事中のワインとくれば、グラス2杯がせいぜい。ハーフボトルのさらに半分。
 それ以上だと悪酔いするんだからしょうがない。
 ということで、まさに、私も——べつにひとりディナーではなくても——グラス・ワインや、ハーフボトルを頼むほうですが。
 
 そうか。残してもいいんですね。
 こうしてみるとやはり、「食事で出されたものを残してはいけません」という、子供のころに受けたしつけが、かーなり根強く残っているんですねえ。(^^;)

 安いワインならどってことはないでしょうが、高級ワインを残すというのはなかなか良心が痛みそうです。だから「もったいないから」と、「貧乏くさい」グラスやハーフボトルということになるんですよね。
 でもそうやって、お若いかたの勉強のお役に立つようなら、安心して、残していけますね。
 と思って検索したら、次の記事がありました。

高級なワインや持ち込みワインは、少し残して帰ると、ソムリエに喜ばれる。
http://happylifestyle.com/8896

 こちらの記事ではやはり高級ワイン限定、ということですし、——これはやはり、ある程度、見知ったお店、ソムリエ/ソムリエールのときに限られますかね。(^^;)

 しかし——高級ワインというのは、たとえば価格的にはどのへんからになるのかしらん。(^^;)
 ワインもいまや、実に多種多様となっていて、お高いものでなくてもじゅーぶん美味しいものがありますよね。 
 若い方が勉強のためにということなら、数をこなすことも必要でしょうから、値段はあんまり考えなくてもいいのかな。
 さてどうだろう。

 先日、私も、ひさーしぶりでちょっと気取ったお店でお食事でしたが、すみませんねその「貧乏くさい」グラス・ワインをいただきました。
 チリ産とのことでしたが、おいしかったです。
 私は赤は、重く感じることが多いということで、肉料理だろうがなんだろうが、辛口の白をいただくことが多いのですが、さすがにソムリエ、私でも大丈夫というくらいの、ミディアムボディで香りがフルーティな赤を選んでいただきました。

 私としては、味のことも然(さ)り乍(なが)ら、お酒が飲める体調である、ということがなによりありがたかったりして。(^^)

 ああなってくると人間、現金なもので、やはりグラスじゃなくてハーフボトルでもよかったかなーと妙なイロケも出てきますが。
 もしも、ワインを残しても、たとえばどなたかの勉強に使ってもらえるということなら、安心して残していけますね。
(たぶん私ひとりではハーフボトルでも残すから……;;)

 
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カルシウム考
2013年11月29日 (金) | 編集 |
 まずはカルシウムの働きから。

●骨や歯をつくる
●内臓機能を調整する
●心臓などの筋肉を動かす(筋肉の収縮弛緩)
●血液を弱アルカリ性に保つ
●止血作用
●脳神経細胞の興奮抑制
●神経伝達系の調整
●血圧を調整する
●ホルモン分泌調整(成長ホルモンをはじめとする様々なホルモンの分泌)
●免疫機構に関与(細菌やウィルスを撃退する白血球やリンパ球の情報を伝えます)

 単純に、カルシウムが少ないと骨粗しょう症になるよという話じゃないんですよね。
 私はその程度にしか理解していませんでした。(^^;) 甘かった。いろいろ。

 ということで、カルシウムが不足すると、

■成長不良
■骨そしょう症
■椎間板ヘルニア
■イライラ
■高血圧
■肩こり
■感覚鈍磨
■心筋衰弱
■動脈硬化
■腎臓結石
■各種アレルギー
■腕や足の筋肉がピクピク動く

 血流が滞りがちになることから生じる不具合の症状はいろいろあるので、上記以外にもあると思われます。私の場合、白髪と抜け毛も関係していたようです。
 不気味だったのは、筋肉がピクピク動くこと。
 動き回っているときはなんともないのですが、横になると、足や腕の、あちこちの筋肉が、ピクピクと動くんですね。
 
 あと、神経の伝達に関係するのでしょうが、テーブルのうえのコップなどに手が触って倒す、というような、なんかこう、体の動きがままならないような気がしました。
 父がALSでしたから、なんだか似てるかなあと思うと、ちょっと怖い気がしました。(ALS にも家族性のものがあるようですが、割合としては低く、遺伝は関係ないことが多いです)

 まぶたの細かいけいれんもありまして。そんなにしょっちゅうではないし、そのけいれんがひどくなっていくということもないので、眼瞼けいれん等とも思えない、まあ疲れ目かな、とは思っていたんですが。

 そんな具合で、べつに病院へ行くほどではないが、どうも体があちこちうまく動かない感じがあり、それも、だんだんとひどくなっていく感じでした。
 いちばん、え〜と思ったのは、「指先の痛み」。

 爪を切ると、爪が、肉から離れるような、いやーな痛みがあったんですよね。
 爪が剥がれているのかと思いましたが、そういうことでもない。
 でも、そういう感じの痛みがある。
 こういう意味不明、正体不明の痛みがほかにもあり、さすがに不気味に思い、また、筋肉の細かいピクピクした動きも気になり、そこからあれこれ調べたら、「カルシウム不足」ということに行き当たりました。

 カルシウムが不足するとこんな症状、現象があるよ、というのが、——全項目、当てはまる。(^^;)
 あー。もしかしてこれ? と思いまして。

 不整脈についても不気味に思っていましたが、NHK「ためしてガッテン」で、更年期の女性に多く、更年期障害のせいにされて見過ごされてしまう「微小血管狭心症」の回を見るに至り、ああ、と思いました。
 この微小血管狭心症の治療には、カルシウムをお薬として服用するとききまして——なるほど、カルシウムなのか、と。

 ということで、7月中旬から、意識して、カルシウムをとるようにしてみました。
 豆乳とヨーグルト、小松菜、という、食品からとることと、あとはやはり、症状がこうもあちこちに出ている以上はしょうがない、と思い、サプリメントのお世話に。
 
 DHCさんの「カルシウム」と、メグビーさんの「メグビーボーン」



 心がけて1週間以内には、筋肉とまぶたのピクピクは治まりました。
 なんともいいようのない気だるさがなくなり、——あれは不思議ですね、そのときはとくに気にしていなかったですが、改善されたときに、「あ、だるかったんだな」と気がつく。
 爪がはがれるような、指先の妙な痛みはなくなり、脈が安定し、寝つきがよくなり、——抜け毛がかなり減りました。(^^;)

 それで夏を乗り切ったので調子に乗っていたら、この秋にはまたちょっと、ぶりかえしたものもありますが(鼻炎と皮膚炎がちょっと;;)、筋肉とまぶたのぴくつきがないだけでもありがたい。
 また、手足の動きがなんだか自分の思う通りにいかない感じ——つまづいたり、手の動きでものをひっかけて倒したり、ということも減りまして。
 認知症との関係が言われるのも、こんなあたりかと思いました。

 そんなわけで。

 日本人の食生活ではことさらにカルシウムは不足しているのだそうですが、不足するとこうなるよーという症状、見てみると、ほとんどが老化現象と呼ばれるものだと気がつきまして。
 
 タンパク質や、それ以外のビタミン、ミネラルがそろっていることにくわえ、カルシウム、というのは、日本人にとっては気をつけるべきところなんじゃないだろうかと思っております。

 また、ホルモンバランスにもカルシウムが関係するとか。

 これはですねえ、じつはカルシウムをせっせととるようにして以来、私にとっては頭痛の種だった「中間期腹痛」がなくなり、あの下腹部が腫れ上がるような、異様な鈍重感がかーなり軽減されたんですよね。
 私は生理痛はほぼゼロなんですが、そのかわりのように、中間期のほうがいろいろ、体調が悪くなってしまいます。
 察するに、プロゲステロンあたりがうまく出てこないんだろうなと思っていましたが、——その辺りがさっそく影響を受けたもよう。

 漢方薬や、サンシュユエキスにお世話になって、それでだいぶ楽にはなったものの、やはり腹痛と不快感はあったので——それがほとんどなくなったというのもありがたいこと。

 現代人に、アレルギーが増えていること、こういう、ホルモンバランスの乱れから起こる体調不良や病気には、案外、このミネラルが関係しているかもしれませんね。

 医者に行くほどではないが、しかしどうも不調があってつらい、という方で、上記項目にお心当たりがあり、カルシウム不足が考えられる方(ストレスが強いひとは、摂取量が多くても消費量も増えますので、結果、不足、ということになります)、どうも食品からは摂取、吸収がしにくいものらしいので、サプリメントもいかがでしょうか、というおすすめです。(^^)

 もちろん栄養というのは、なにかひとつを摂っていればいいということではなくて、ありとあらゆるものを、バランスよく取り入れるのが理想ですね。
 消化吸収のためには酵素も必要ですから、食品の生食というのも必要ですし。

 ただ、いまの自分にはとくに、この栄養素の強化が必要だということがわかったら、そうしてみる、ということも、大事なことだろうと思います。

 私のように、病院へいくほどではないが、どうもいろんな不調があって気になるという方は多いと思われますので、どなたかのご参考になれば嬉しいな——ということで書いてみました。

 私もこのへん、体を張ってやってます(笑)

 
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予告編?
2013年11月28日 (木) | 編集 |
 今日、明日と、第26期竜王戦(第5局)ですねー。そわそわ。
 とはいってももちろん私は昼休みにのぞくくらいしかできませんが……、ニコ生で、プレミアム会員様にどつかれつつ食い下がります。(^^;)
 ダメなら棋譜とブログを拝見しますから、いいんです。
 私の場合、プレミアム会員になってもとがとれるほど、ニコ生などは利用しませんから、しょーがないんですよね〜。
 そんなに長時間パソコンの前に座ったままでいるというのは、どのみち無理だし。(^^;)

 さて、それにしても。
 今日のおやつ(のオーダー)はなんだろう……。(←しろうとの関心)

       ●

 今日はまたなんだかドタバタしておりまして、事実上おやすみいたします。m(_ _)m
 
 そろそろ、自分の体を使ったカルシウムの不足と摂取のお話などもしたいが、今日のところは時間がない。
 ので、一言叫びます。
「カルシウムパラドックスはけっこう怖いぞ。日本人の場合どんなに心がけても『カルシウムのとり過ぎ』にはならないから、皆さんせっせとカルシウムとりましょう」
 
 じっさいにはカルシウムというのはきわめて吸収されにくいものなんだそうで。
 カルシウムだけでなくほかのミネラルも必須ということはわかってきていますが。

 カルシウム不足は骨粗しょう症だけじゃないんですよね。
 私の場合、抵抗力の低下、筋肉のけいれん、傷の回復力の低下、視力の低下、アレルギー、不眠、神経症、歯、口内環境の悪化(抵抗力の低下と関連する)、軽度ながら歯肉炎、皮膚炎、爪の異常、痛いはずはないのに感じる痛み(神経痛の一種)、自律神経失調、それによる不整脈、心筋梗塞様の胸痛、白髪、抜け毛(気がつくと頭頂部がやけに薄くなってました)……といったところでした。

 これらはカルシウム不足によって引き起こされていた、もしくは増悪していたということのようです。
 もしやカルシウム不足? と思い、サプリメントとヨーグルトと豆乳で補給に努めて3ヶ月ちょっと。
 だいぶ結果が見えてきたのでそのあたり、お話しできそうです。

 今日のところは予告編? (^^;)

 それにしても——「カルシウム不足とは、老化現象のことである」といいたいくらい、諸症状に関係があるみたいです。
 まだ充分な臨床結果は得られていないながら、カルシウム摂取によって認知症の症状も改善したという例もあるんだそうです。
 血流とカルシウムが関係するなら、それも納得できますねえ。
 
 そんなこんなで。
 今日のところはこのへんで。m(_ _)m

 
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時代の流れ
2013年11月27日 (水) | 編集 |
 これマジな話で、や〜め〜て〜。静岡の恥が日本の恥になっちゃう!!
 カンボジアが教員不足というのはわかる。でも、だめだよ静岡の教委なんかとこんな話をまとめたら!
 静岡のセンコーには性犯罪者が多いのよ!?

静岡県教育委員会とカンボジア協力隊派遣プロジェクトの合意書を締結
-自治体と連携して現職の教員を協力隊派遣-

2013年11月21日 JICA プレスリリース
http://www.jica.go.jp/press/2013/20131121_01.html

 思わず動揺してしまったニュースでした。

 そりゃあ、日本の男が東南アジア方面でスケベで鳴らしているのはもうどうしようもないことでしょうけどもさ、教員といったら学校の先生でしょ? まずいでしょ子ども相手は。
 ………理由もしくは原因は知りませんが、ホントに静岡県の教員は、下半身がらみの不祥事が多いんですよね。
 教職員の不祥事というのはどこでもあることですが、性犯罪にかかわるものが、なぜか多いんです静岡。

 国内だったらまだ、「静岡はヘンタイ」と言われていればすむことですが、これ、国際的に恥をかくことになるので本気でやめてください。JICAにおかれましては、事情もおありなんでしょうが、もうちょっとましなところとこういう話をしてください。

 先だっては、まあ冗談ではあるのでしょうが、静岡県はアニメ放送がない「陸の孤島」状態であることと、風俗店があまり多くない、それによって、性犯罪も多い、なんて言われました。
 事実かどうかは知らないが、そういうイメージなのね……。すでに。

        ●

 kindle Paperwhite を購入して、1年が経ちました。
 どんなもんかなーと思ったんですが、いまのところはヘビーユーザーとは言えないようで。(^^;)

 旅行などに出かけるさい、おそらく待ち時間が長いだろうから本を持っていきたいが、かばんのスペースの都合で、ちょっと本は持ちにくいというとき、持っていくくらいです。

 それでも思わず、ありがたい! と叫んだのは、小松左京の本が、電子書籍にあったこと。
 けっこう数があって、しかも未読が多くて、思いがけず、嬉しいことでした。

 ということでそのうちの1冊。「流れる女」。kindle 版です。

流れる女 (文春文庫 176-5)流れる女 (文春文庫 176-5)
(2012/09/20)
小松 左京

商品詳細を見る


「女シリーズ」は、小松左京のファンのあいだでも、好きだという人が多いのではないでしょうか。
 御大はSF作家ではありますが、一般文芸の作品群も好きでして、でも、一般文芸のなかにSF要素が入ってくるものもあり、そのあたりは遊び心があって楽しい。

 この「流れる女」は短編集ですが、あらためて思うことが多かったです。

 そのなかのひとつ。「無口な女」から。
 主人公は推定40代後半の男性ですが、ゆえあって、「女敵(めがたき)」になった25歳の青年に、結婚、引いては夫婦というものについて述べている台詞から。

「……それは彼女の“世界”だ。私は、そういう“世界”に生きているあれが好きになり、結婚しようと“決意”した。
 結婚というのは、男にとって決意であり、“義”だ。嫉妬や憎悪と対になった愛——自分以外のものを愛してはならん、心を捧げてはならんと相互に求めあうという“嫉みの神”の愛など、必要条件じゃない。
 愛するの愛さないのという言葉は、どうも日本の若い人たちの間じゃ、セックスの照れ隠しにつかわれてるみたいだ。
 セックスの場合でも、かならずしも愛は必要条件じゃなくて、いつくしみであり、思いやりであり、やさしさだと思うが、どうかね? ——そのほうが、歴史的に見て、ずっとベイシックなような気がする。西欧流の“愛”がなければ結婚してはいかんというならば、全世界の大部分の夫婦は“不倫”ということになる……」


(下線は引用者)

 なにやら久しぶりで、おお、と思った言葉でした。

 こういう考えは、聞けそうで聞けない。

 私が小松左京御大を好きなのは結局、男にであれ女にであれ、ひとしく「やさしい」ところでした。
 その作家を好きになるかどうかは、女性をどう描くか、ということがかなりのポイントになるのですが、こうしてみますと、御大はやはり——人というもの、人そのものに、やさしさを寄せていた、と感じます。

 御大の「くだんのはは」を読んで、ものすごい勢いでハマってから30年余。
 いろんな本を読んできましたが、いまだに、あれほどに、「やさしい」ものを感じさせてくれる作家さんは、残念ながら、いらっしゃいません。

 それはともかく。

 結婚とは? みたいなことは、いろんな人が語りますが、上記のものは、久しぶりで、うーんと唸りました。
「決意」までは私も考えた。
 しかしさらにそこに、「義」がくるとは。

 セックスについても同じで——セックスを娯楽としか見ない態度にも、セックスを罪悪視、ケガレ扱いするというのにも、私は反対。
 それはコミュニケーションの方法のひとつであり、問題はセックスそのものよりも、人間関係のほうがメインだ、という考えでおります。

「本題」は、その人自身であって、その人の性器じゃないよ、ということ。愛情の対象はその人自身であり、その人の性器ではない。性器はその人の一部にすぎない——そういうこと。
 本体はその人。性器はその人の付属物のひとつ。
 付属物ばかりを見ていると、しまいには道をあやまる。
 こういう思考の積み上げは、私としてはそんなに難しいことじゃないと思っております。

 がしかし。
 そういう考えに、世の中ではなかなか遭遇しない(気がする)のはなんでだろう。

 ということで、御大のこの言葉に、ああ、やはり——という思いがしたのでした。
 やはり——御大はいいな。と。

 それに。
 愛と一言で言ってもいろんなレベルのものがありますが、「“嫉みの神”の愛」とは、いい表現だと思いました。

「“嫉みの神”の愛」は本来の意義から言えば愛ではないのですが、でも、そういうものを愛だと思い、信じる人は大勢いる。

「嫉みの神の愛」は、本来の意義から考えれば愛とは言えないが、でも、この愛がなければそもそも始まらない人間関係が、恋人であり夫婦である、とは。
 けっこう皮肉が効いている気がする。

(おそらく、その「嫉みの神の愛」から、本来的な愛というものへ進んでいけるかどうかが、人間関係の深さ強さの違いになるんだろうと思いますが、私にはそのへんを語る資格もありませんので)

 この「無口な女」の初出は昭和49年、1974年。
 やはり、ものの考え方、世間にあるものの見方の「基本」が、すでに違ってるなーと感じるところがありまして、そういう「時代の違い」を眺めてみるのも、楽しいものですね。

 昔のほうがよかったことも、いまのほうがよくなっていることも両方見えて、面白いです。
 変わるもの。変わらないもの。その両方がそれぞれに。

 
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そこに愛はあるか?
2013年11月26日 (火) | 編集 |
 私は個人的には、まーた馬鹿なことやっとるな、と思っていたのですが…。
 ゆるキャラグランプリ2013の結果です。

組織票批判が響いた? ゆるキャラグランプリ2013は家康くん惜しくも2位 キモくて話題の「巨人くん」は510位に
2013年11月25日  14:23  記者 : Taka ガジェット通信
http://getnews.jp/archives/462495

 ゆるキャラだっつってんのに、いっちゃなんだがあの「家康くん」とやら、ゆるいか? 可愛いか?
 ゆるキャラの主旨がわかってないんじゃないの? と、いちおう同県ながら、応援どころか、冷たい目で見ていたというのが、私の事情です。(^^;)

 同県とはいえ、この浜松市長の鈴木康友氏は、「道州制が実現したときには、浜松は、名古屋側に編入してほしい」と言っていたので、たぶん、静岡県がどうこうという枠組みは考えていないと思われます。
 文化的には名古屋のほうが昔から近いからと言ってましたが。

 ………私、浜松出身の人に、なにげなく、「浜松って、文化的には名古屋に近いよね」といったら、あなた、そりゃもう、ものすっっごい勢いで怒られましたよ?

 浜松の人って名古屋に親近感があるんじゃないの? ちがうの? と、私もそりゃもうビックリ——という経験があったものですから、市長のこの発言にも、驚きました。
「え。浜松の人って名古屋といっしょにされるの、いやなんじゃないの? それとも、文化的にはいっしょになりたくなくても、金勘定はべつ、ってことなの?」
 ナゾです。

 閑話休題。
 ということで、その金勘定からの発想らしいですが(…なんも閑話じゃないじゃん…つづいてんじゃん…)、おそらく本来的には何の興味もないゆるキャラなんでしょうに(あの市長さんだと『ポンチ絵』とかって言いそう……)、そのゆるキャラが、けっこうな経済効果と知名度を上げる効果があることに目を付けて、それで完成したのが家康くん——という事情だったと私は解釈していますがどうでしょうか。
 
 ゆるキャラってどんなものだかわかってないだろ? というのが、家康くんを最初に見たときの私の感想。
 あれだったら「ちっちゃいおっさん」のほうが、はるっかに可愛いわ。(いちおう「おじさん系」ということでの比較サンプル)

 私、ちっちゃいおっさん、好きです。(^^)
 公式の支援はないのに、じつに明るいんですもん。
「徳を以て徳に報いる」というすごいポリシーを持ち、子供たちにそれを伝えよう、なんて、エラいなーと思わせておいて、じつはけっこういい加減、という人間くさいところ、応援したくもなるってもんです(笑)

 私はおおむね、ちっちゃいおっさん(たしか、45歳)と「同級生」なんですが——でも——、ただ一点、思っているのは、イマドキの45歳は、もうちょっと若い感じがするんだけどなー。(^^;)
 福山雅治さん(44歳)は例外だろうとしても。

 ネットでは「組織票なのでは?」と反発を食らったそうですが、それももっともです。私もそう思いましたもの。こんなことに動員されるお役人様も気の毒ですわ。

 本来ならそれもこれも、ゆるく楽しむのがゆるキャラなのに、昨日、地元ローカルテレビが流した映像——準優勝がわかったときの、家康くんを推進しているらしいお役人様たちの、お通夜のような顔ときたら。
「気の毒に。優勝しなかったときには、お前ら、ああだぞ、こうだぞ、と、なにか、市長に脅されてるんだろうな」
 と思いました。

 また、市長の言葉も、何を言うかと思えば、「臥薪嘗胆」で、また優勝を狙うんだそうですわ。
「頭痛が痛い」発言です……。
 ゆるキャラ、ご当地キャラとはどんなものか、ほんとにわかっていらっしゃらないのでは?

 ゆるキャラには「愛」が必要なのですよ。愛が。
 金勘定も大事だけど、ベースにあるのは愛です。しかも、ゆるいの。(ここがいいんだよね♡)

 道州制には私は懐疑的ですが、もしも、本当にそんなもんが実現するなら遠慮なく、浜松は静岡をパージしちゃってください。(--;)
 昔どおり、遠州(遠江)、駿州(駿河)、豆州(伊豆)になって別れましょうね。

 ……にしてもホントに、道州制ってなにを狙っているのかよくわからないなあ…。基本的には、地方に入る税金(その権限)の関係からきている発想なのだろうと推測しますが、なぜか、何度聞いてもその趣旨が頭に残りません。(^^;)
 
 なんにしても。
 さのまるも可愛いし、個人的にはぐんまちゃん可愛いし。
 静岡県内で言うなら、磐田市のしっぺいを応援したい。
「悉平太郎(しっぺいたろう)」という、伝説のわんこの、涙の物語。

 本来はご当地キャラというのは、こういうものだと思うんですよね。ご当地というからには、なにか、その土地や、そこに住む人々にとっての愛ある思いが、伝わるもの。

 ゆるキャラたちそれぞれの、今後のいっそうのご発展をお祈りしてます。(^^)

 
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月曜日、雑話
2013年11月25日 (月) | 編集 |
 震災、津波被害なみの災害となりました、フィリピンの台風被害。
 もちろんフィリピンもたいへんな被害ですが、マカオとパラオも大きな被害を受けているそうです。
 ………が。
 情報が入ってこない;;

 ひとまず、パラオのほうは義援金の受付を開始してくれたそうなので、お知らせまで。

パラオ大使館が台風30号被害の義援金受付を開始
2013-11-18 太平洋諸島センターPIC
http://blog.pic.or.jp/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=1207


パラオ政府観光局
http://www.palau.or.jp

Topics■台風30号パラオ被害状況と義援金受付開始について
[2013.11.19更新] パラオ政府観光局
http://www.palau.or.jp/news/news2013.html#16

 パラオは一部の州(アンガウル州)では公用語のひとつに日本語があるくらいの「親日国」。
 マカオも親日的だと聞いたこともあるのですが——え、ホントに? とちょっと身構えちゃいますね。(^^;)
 特異な歴史の地とはいえ、いまは中共の施政下だものなー。

 なんにしても、こうしてあらためて見ると、情報が少ないんですよねえ;;

 援助が必要ならがんがんアナウンスしていただければと思うのですが……、マカオはそういうあたりどうなんでしょうか? 中共支配の程度がどのくらいなのかがちょっとわからない……。

 こんなときにいうのもなんですが、パラオはいちど行ってみたい国のひとつです。
 直行便はたぶんなくて、グアム経由になるんでしょうか。

        ●

 この連休は(といっても土曜日は基本やすみなので、私としては実感なかったりして。(^^;))、2日間とも、ちと土木工事っぽいことをしておりました。
 敷地の一部にコンクリートの敷石を敷くというだけのことですが。
 今回使用しました、こちらのコンクリート平板は、1枚の大きさが20cm四方。
 1枚あたりの重さは大したことはなく、私のような腕力のない人間でも無理なく作業できます。


(↑色は、レッドのほかにも、ブラック、ナチュラル、ベージュ、ブラウンがあります)

 なんせふだんは椅子に座りっぱなしに近い生活ゆえ、たまにそんな作業をすると疲労がけっこうきますね。(^^;)
 筋肉痛まではいかないんだけど。

 ひとりでちまちまと、土を敷いて平に均(なら)し、コンクリート板を敷いていく。
 2日間で……そうですねえ畳、1.5畳分くらいでしょうかね、できたのが。
 いままでは砂利で歩きにくかったところですが、これでいちおう、歩くのにはさほどの苦労はなくなりました。

 ここは以前から砂利砂利で、どうも足下が悪くて、下手をすると足をくじきそうでした。
 通路部分だけコンクリートにできないかなと思ったものの、どこにお願いすればいいのかわからないし、そもそも、うちは猫が庭や敷地を闊歩するので、絶対、コンクリートが固まるまえに猫の足形がつくし……と、考えておりました。

 そうしたらこういう、小さいコンクリート板があるのを知りまして。

 おかげさまでだいぶ歩きやすくなりました。
 頑張った甲斐がありました。(^^)

         ●

 ただいま将棋の竜王戦が行われていますね。
 
 私はあのルールがまったく覚えられなかったのですが、どういうわけですか、囲碁、将棋を見ているのは好きです。
 ルールを覚えればもっと楽しいんだろうなーと思いつつ、大盤解説を聞いております。

 ルールはわからないながら、ようは、双方の陣地取り合戦ですから、ものすごーくおおざっぱには、何をしているのかは見える。——守るのか攻めるのか逃げるのかブービートラップおいてるのか、ということになるから、それほど「わからない」ことはない。
 
 それで私としては、細かいことはわからないけど、それぞれの駆け引きや意図を(ものすっごく大雑把に)眺めているのが面白い。

 先日も第4局、ネット中継で見ました。面白かったです。最後までは見ていられませんでしたが;;
 公式サイトにある棋譜は、一手ずつ駒が動くので、動きが見えて、これは面白い。
 1枚の平面の棋譜にされると私にはサッパリですが、ああやって「じっさいに駒が動く」棋譜はいいですね♡ 素人にはありがたいわこれ。

竜王戦中継
http://live.shogi.or.jp/ryuou/index.html

         ●

 セブンイレブンさんではいま、お買い物をするとくじ引きができますが、母がそれで、レッドブルなるものを当ててきました。

 

 そういえばけっこう耳にする名前だなと思いまして。
 聞くところによれば、オロナミンCみたいなものだとか。

 へー、と思って私もおすそ分けしてもらいましたが。

 ……あのー…。
 ……これ……子供のころ、病院がくれた、子供用の液体かぜ薬のニオイがするんですが……。(^^;)

 美味しいのかと言われると、いやあ……という感じなんですが、とくにマズイというほどでもない。
 ただ、このにおいが、あの子供用の薬のにおいと同じなもんで……。
 うわ、というのと、「懐かしい」という感じでした。(^^;)
 咳止めシロップとかもこんな感じで——子供のころにはあれが美味しいように思えて、もうちょっと飲みたい、と思っていたのを思い出しました。
 薬だから、ちいさいキャップ1杯分くらいだったんですよね。1回あたりに飲む量が。

 たしかにあのころは、コップ1杯くらいは飲みたいと思ったものですが……。

 ………思いがけずレッドブルでそれが実現できたようですが、あんまり美味しくはなかったです。(^^;)
 おまけに、これで元気になったかというと、それもちょっとわからない……。

 ここだけの話、オロナミンCも、あれ、飲んだからどうってことはないですよねえ? 私はあまり効果は感じないんですが。
 もっとも、ああいうものは、効果があればあったで、こりゃヤバイと思いますけどもね。(^^;)
 ユンケルはホントに効果はありましたが、反動もけっこうなもので、——あとですんごいガックリくる。
 それがイヤなので結局、あの手の栄養ドリンク系は飲みません。

 CMなんかでも、疲れてももう一踏ん張り、とか、眠いときにはコレ! みたいなのを見ますが、
「疲れたら休め(疲れるまえに休むのが本当は鉄則)」
「眠かったら寝てくれ」
 とつぶやいております。

 お仕事などで、諸事情あることはわかりますが、でも、基本はね。
 休むことって、ほんとに大事だし、「きちんと休む」って、働くより難しいと思うこのごろです。

 あ、あと。
「風邪ひきは出てくんな」
 これは、もはや社会常識にしてもらいたい気がする。(^^;)

 頑張ることは尊いかもしれない。
 しかし自分の体調を的確に判断し、しかるべき行動をとり、風邪やインフルエンザを広めないことは、もっと尊い。そう思います。(早い話が、学校や会社に来んな! 頼むから! …と)
(切実です……)

 天気もイマイチで気温も平年を下回る、なんともけだるい月曜日ですが、体調には気をつけつつ、今週も元気にまいりましょう〜。 
 
 
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「真の保守とは……」(5)
2013年11月24日 (日) | 編集 |
 それでは「真の保守とは」ジュゼッペ・プレッツォリーニさんの諸項目、つづき、参りましょう。

「真の保守とは……」(1)
「真の保守とは……」(2)
「真の保守とは……」(3)
「真の保守とは……」(4)


25。
 保守主義者は、官僚制度の膨張、自国の防衛を他国に頼ること、長期にわたる重税、平価の切り下げなどが、常に社会の衰退の始まりであったことを知っている。そして、民族の独立の終わりであったことも知っている。


 まあ、この項目についてはいろんなひとが、自分の立場や主張につごうのいいように解釈するであろう項目なので、私としてはノーコメントにしたい。
 
 そういえば、ただいま国会審議中の「特定秘密保護法案」について、取り締まられる立場にある、あるいは取り締まられるとやべーと思っている連中が、あり得ない寝言をいってはディスってますが(原発の情報が得られなくなるだことの、ボジョレーヌーボーが特定秘密にされるだことの………、馬鹿というより気が狂ってる)。
 もう面倒だからはっきりと「売国禁止法」「スパイ防止法」という名前にして審議したらどうですか。

 ボジョレー・ヌーボがなんで特定秘密になるんじゃボケ! この人ボジョレーヌーボーってなんのことだか知らないんじゃないの? 自称ジャーナリストが言ったことだそうですけど。

26。
 真の保守主義者ならば、富が才能の代わりにならないことを、かといって貧困がメリットにならないことも知っている。
 そして、よき社会とは所詮、より積極的なものがより正直であるものが、また、より知恵のあるものがより才能のあるものが、指導的な立場についている社会を指すのだと言うことを熟知しているのだ。



 熟知はしてても実現が困難であることもまた、よくよく承知しておかねばならないことがらではありますねえ……。

 果敢な人で正直で知恵があって才能があって。
 ——そういう人がいないとはいわないが、そういう人を指導的な立場につけるということは本当に困難です。

 というのは、人間は、自分よりレベルが低い人間のことはよくわかるのですが、自分よりも高いレベルの人のことは、なかなか理解できないものだからです。
「馬鹿と天才、紙一重」
 なんてことわざが、もっともらしく言い伝えられてきたのは、そのせいでしょう。

 馬鹿と天才は、まったく異なります。あたりまえです。
 でも、大賢は大愚に似たり——「大賢は愚なるがごとし」ということわざは、ほんとーにエライ人というのは、馬鹿みたいに自分のエラいところをひけらかさないので、他人からはなかなかわからない、だから他人からは愚、つまり馬鹿に見える、という意味だそうです。

 さりながら、私に言わせればこれは「馬鹿のいいわけ」。
 英雄は英雄を知るの言葉どおり、レベルの高い人が見れば、いやべつに、見りゃわかるでしょ、ということになるんですね。

 自分が人を見る目がないのを棚に上げて、「馬鹿と天才紙一重」とはなにごとだ。

 と、私は以前から、このへん、不満に思っているのです。
 あるいは世の中の人の傲岸ぶりに頭に来ている。

 そのことが理解できないのは自分が馬鹿だからだが、テメエが馬鹿なのを棚に上げて「あの人は難しいことばかりをいう」といって馬鹿にする。
 馬鹿はどっちか、わかりますよねえ?

 真に優れた人は気の毒だ。私はそう思います。
 英雄は英雄を知るというのはいいんですが、よのなか、本当に、あ、あの人すごいんだ、と、ぱっと(馬鹿が見ても)わかるエライ人、というのは数が限られている。

 馬鹿というのはある意味、「理解者」は大勢いるのですが、賢者というのは理解者は少ないのですね。
 孤独ではあるだろう、と思います。

 でも、たぶん——真に賢い人は、孤独と友達になる方法も、ちゃんとわかっている。
 孤独と孤立は違うということも。

 社会的動物である人間としては孤立はちょっとマズイですが、孤独はむしろ「友」であります。
 孤独は本来は恐れるべきものではありません。

 私の望みは——自分が賢者になることは無理でも(あーそりゃ無理無理・笑)、賢者に会ったとき、この人は賢者である、とわかる、そういう目を持ちたい、ということです。

 今昔物語だったと思うんですが(違ったらごめんなさい;;)、そんな話がありますね。

 琵琶の名手、蟬丸法師は山のなかの庵に住んでいる。あるとき客人があったので、法師は客人のために琵琶を演奏するのですが、山のどこかから、法師に挑むようにやはり琵琶を演奏する音が聞こえてくる。
 それが二日続いた。
 1日目の相手は最後まで、1曲、蟬丸法師と引ききったが、つぎの日の演奏者は、途中で、蟬丸法師の音色を聞いて、ふっつと演奏をやめてしまった。
 客人は法師に尋ねる。——1夜目の奏者と、2夜目の奏者では、どちらのほうが(下手は下手なりに)上手でしょうか。
 法師は、途中で合奏をやめた、2夜目のほうですね、という。
 腕は同じくらいの演奏者たちだが、2夜目の奏者は途中で、蟬丸法師の音色を聞き、自分との腕の違いを理解してそれで演奏をやめた。
 自分の演奏のつたないことを理解したからで、そういうことが理解できるほうが「上手」だと。

 で。
 世の中は悲しいかな、その1夜目の演奏者ばかりなんです。だから賢者や天才は「紙一重」などと揶揄される。
 お気の毒ですよ。ホントに。


27。
 保守と任じている人は総じて、人間一般に対してペシミストである。人間は皆、生まれるときは善人で、悪人は社会の所産であるとも思っていないし、善人もまた、何の努力もしないでも一生善人であり続けるとも思っていない。
 善であることは、言い換えれば悪に染まらないことは、ほんのちょっとした個人の意志によることが多いと知っているからである。



 そりゃあなた——26。のところで書いたようなことを見て取れば、人間に対して楽観的になれるもんですかい。
 個人個人は違っても、なぜか、世間様、世の中、という集団ともいえない「かたまり」になったとき、人間というのは不気味な性質を発揮する。

 それを知っていたら、いろんなことを考えるのなら、まずは暗い側面から予測を建てるようになっちゃいます。

 ——2夜目の奏者が増えることが、まずは、社会には必要なことだと思います。
 そうすれば、真に優れた人を指導者に選びやすい世の中になるということですから。
 
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幸せな記憶遺伝
2013年11月23日 (土) | 編集 |
 昨日は「小雪」だったんですねー。
 暦どおりの寒さですが、気温としてはすでに12月中旬並みとのこと。

 今年は夏が早かったんですが、冬も早いのでしょうか。
 秋がなかった気がする……。

        ●

 阿刀田高さんのエッセイ本「恐怖コレクション」に、「遠い記憶」というエッセイがありまして。

恐怖コレクション (新潮文庫)恐怖コレクション (新潮文庫)
(1985/04)
阿刀田 高

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 もう何度も何度も見る、怖い夢のこと。

 阿刀田さんは夢のなかで、真っ暗な海のなかで泳いでいるんだそうです。
 灯もない、星すら見えない、本当に漆黒の闇のなかを。

「私は浜へ戻ろうと思って水を掻く。どちらが陸かわからないというのに。もしかしたら沖へ沖へと泳いでいるのかもしれなかった。
 水音だけが——おそらく大海のまっただ中にまで出たとしても決して音色の変わるまい水音だけが、コロコロと耳もとで快く鳴っている。空は黒く、海は黒く、闇はどこまでも果てしない。
 案の定いくら泳いでも浜辺に到着しない。海はかえって深さを増したようだ。不意に波が立ち塩水を飲む。疲労が急に激しくなる。体がますます重くなる。死がすぐ近くにいると気がつく……。」



 海というのは泳いでいると、昼間であっても方角が分からなくなったりします。
 波の高さがほんの30cmでも、視界が遮られるからです。
 ましてや、月も星もない夜の海では。

 この怖い夢を阿刀田さんが最初に見たのは小学校6年生のとき。その当時はご本人はまだ泳げなかったんだそうです。
 不思議でならないのは、じつは、この夢は、阿刀田さんのお父様がじっさいに体験したことであり、当時の阿刀田さんはそのことをまだ、お父様から聞かされていなかった。
 父親からその話を聞いて、あの怖い夢はこのことかとわかったのは、もっと何年もあとになってから、とのこと。

 生物学の世界には、“後天的な形態変化は遺伝しないが、学習内容は遺伝する”という見解があるらしい——というのですが、これはじっさいの実験でそういう結果は得られているんだそうですね。
 つまり、ネズミのシッポを何世代にもわたって切り続けても、シッポが短いネズミは生まれてこない。
 が、左の通路に行くと電流でビリッとくる巣箱でネズミを飼い続けると、とうとう左の方向へいかないネズミが数代のちには誕生するんだとか。

 なかなか興味深い。

 阿刀田さんのお父様は、お若い頃、会社の同僚と海水浴に出かけ、真夜中にいたずら半分で海に入ったんだそうです。泳ぎは得意だったので、大丈夫だと思ったのでしょう。
 最初は浜の灯が見えていたのですが、折悪しく停電になってしまい、あかりがいきなり消えた。
 とたんに方角が分からなくなったそうです。
 仕方がないから、たしかあちらのほう、と思ったほうへ泳いだが、「手に砂が触れるまでの時間が長かったこと、不安だったこと」。

 私は真夜中の海で泳いだことはありませんが、夜の浜辺で、文字通りの漆黒の闇、「鼻をつままれてもわからない闇」を経験したことがあるのと、じっさい海で泳いでいるので、それらの経験を組み合わせて、どういう状況でどれほどの恐怖だったかは推測できます。

 それは本当に怖かったでしょう。

 そういう記憶が遺伝子を介して子孫につたわるという思考は「おそらく科学者のものではあるまい」と阿刀田さんはおっしゃる。
 でも、そうとしか考えようのない感覚があるのも、また事実。

 私は、——媒体が遺伝子かどうかはともかく、そういう「記憶の遺伝」はあると思います。

 よく、何かに追いかけられて必死で逃げる夢を見ると、遠い昔、人類の祖先が、恐竜などの外敵に襲われた記憶です、なんて説明がつきますよね。

 遠い——それこそ何万年も何百万年も昔の記憶が伝わっているのを疑わないのに、もっと近い世代の先祖の記憶が伝わるのを、なぜ疑うんでしょうか。

 人類がまだ類人猿にもなっていないころの記憶があるなら、自分の親、祖父母、曽祖父母、高祖父母、それらの世代の縁者たちの記憶があって、なんの不思議がありましょうか。

 媒体が遺伝子とは限らないというのは、これは、潜在意識、集合的無意識というものが、現在では考えられているため。
「百匹目の猿」現象を、聞いたこともおありでしょう。ああいう、集合的無意識、集合知の存在を、私は疑ってはおりません。
 ゆえに、そういう、記憶の遺伝は、それとは知らずともあるんじゃないかなと思います。

 ということで。
 先日のエントリー「むかしばなし」2013/11/21 で、記憶の遺伝の可能性はある、と書きました次第です。

 それにしても。
 こういう、命に関わる恐怖の記憶のほうが伝わりやすいんですかねえ。
 死というものを感じることほど、生命体にとっては切実な問題はないわけですから、それは当然ではありましょうが。

 恐怖とか、いやな記憶がつたわるなら、好きとか愛してるとか「幸せな記憶」も、伝わってくれてもいいんじゃないかなあ。

 なぜと申しますのに、私の母方の曾祖母は、当時としてはキャリアウーマン的やり手で、商売を切り盛りし、身寄りのないまま亡くなった女性の面倒を、その死後も含めていっさいがっさいしてあげたりという「侠女」だったから。
 大きな声では言えませんが、やくざものに追われた人をかくまったなんてことも、あったそうです。
 本人はいいけど家族は迷惑だったんでしょうね。祖父は、曾祖母のことは、実の親ながらきらいだったみたい。(^^;)

 ——私がなにより、かっとんでいた曾祖母をうらやましく思うのは、けっこうな「男好き」だった、という点。

 べつに下半身がだらしないとか節操がないとかそういうことではない。ただ、商売柄、やはり人と多く接するわけですから、あちこちに「好きな人」がいたようです。
 べつに不倫する必要はない。(田舎だし昔のことなんで、そんなことをしたらもう、あとあとがかえって大変;;)
 ただ、ちょっといい感じのボーイフレンドがいた、ということのようで。
 楽しそうで、うらやましいです。

 私としては、なにかを嫌いでいるよりも、好きでいるほうが、なによりも自分が楽しくていいと思うんですよね。

 好きなものはひとつでも多く。嫌いなものはひとつでも少なく。
 そのほうが人生楽しいと思う。

 曾祖母の、商売の才覚もさることながら、人好き、男好きだったというのはうらやましい。

 どうせだったら、そっちの記憶が伝わってきてくれないかなー。(←目が本気)

 
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ニュースあれこれ
2013年11月22日 (金) | 編集 |
 昨夜は、金目鯛のお刺身をいただいて、ほくほく♡ でした。
 金目ちゃんは基本、お刺身など生食にはしませんが——そういえば私も「金目鯛といったら煮付け。さもなきゃ開き」と思い込んでおりましたが——金目鯛って足が早いのかな?
 新鮮なのがきたから、というので刺身にされたものをおすそわけしていただきまして♡
 美味しかった♡

        ●

 風邪っぽかったり持病が出たり(不整脈と動悸)しておりますが、かかりつけの先生がおっしゃるには、今年の秋はそうやって、体調を崩す人が多いんだそうです。
 夏の疲れが秋に出る、とのこと。
 
 私もそう思って、ぼちぼちテキトーにさぼっているつもりだったんですが……、「きちんと休む」って、きちんと働くよりも難しいなあ;;

 皆さまも、ほんとにくれぐれもお大事に。

        ●

 ということで、ふわふわしている間に、世間ではまたいろんなニュースがかけめぐっておりまして、どれも興味深いものがあるんですが……。

 韓国についてはもう、あいかわらずというかなんというかで、もはやコメントする気もありませんが、あのテロリストを顕彰している件について、菅(すが)官房長官の安定した対応には、もはや本気で惚れそうです。

菅官房長官「過剰反応」 安重根めぐる韓国批判
2013/11/19 17:29 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201311/CN2013111901001997.html

 これだけ安心しきって見ていられる政治家がいてくれたのか、というのも感動。官房長官には、内閣のスポークスマンという性格もありますが、こんなに安心していられる官房長官も本当に久しぶり。

 私もつまらないことですぐにカッとくるタイプで——つまり、人間が浅いんですよね。
 そういう「浅い」人間からすると、ああいう腹芸ができる人には、ものすっごい憧れと尊敬の念がわいてくるのです。

 ああ。馬鹿を相手にしているとつい、こっちまで馬鹿になってしまうというのに(馬鹿はうつるんです本当に。だからあたしゃ特にシナ朝鮮はいやだというのです)、言うべきことはきちんと言いつつ、眉ひとつ動かさない、あの沈着ぶり。
 すてき。
 憧れるわ〜。
 ——もういっそ「菅官房長官ファンクラブ」を作りたいくらいですわ。(^^;)

 私もあんな大人になりたいなと思ってきたんですが、これは大人かどうかよりは、人格のレベルの問題のようで、………うん……、まあ今生でも努力はするけど、結果が出るのは何世先になるかな、というところです。(^^;)

        ※

 へえっと思ったのは「造島」を見られたこと。
 
小笠原諸島「新陸地」噴火続く
11月21日 21時5分 NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131121/k10013241711000.html

 私のオーナー、伊豆の国一宮、三嶋大社は、もとは下田にいらした神様。
 延喜式によれば、伊豆七島が海底火山の噴火によって造島された、そのパワーを神としてまつったもの。
 ゆえに——おそらくは本来はミシマは、「御島」だったと思われます。

 つまり三嶋明神の「ご神体」は、「造島のパワー」。
 物体ではないというところが面白く、また、その由緒の古さもわかるのですね。

 その昔、400年くらいまえに、本殿ぶっこわして「ご神体がない神があるか、なーんも怖くないわこんなん」とほざいたヤツが山梨のほうから来ていましたが、ご神体が物体として存在しているんじゃないんだよこのたわけ。

 ということで、三嶋明神を破却していった人物は歴史上ふたりいますが(武田信玄と豊臣秀吉)、いずれの家もその後2代と続かずに滅んだというあたりは興味深い。
 神罰とか天罰とかという話ではありませんが——そんなもんをいちいち下すほど神様もヒマじゃなかろうと思う——、まあ、いくら戦争中でも、あまりよけいなことをするもんじゃないなと思うエピソードです。

 海底火山の噴火となれば、いろいろ気候の変化があり、人間のほうにも、生活に支障が出るような影響はあったと思いますが、古人たちは、そういう自然界のパワーを神としてあがめたんですね。
 今回私も、テレビ映像ではありますが、ああやって新島が生まれる姿を見ることができて、ちょっと感動でした。

 とはいえ、これがしっかり島となるかはまだわからないとのことですが。
 ——このまま消えてしまうとしても、でも、いいものを見た、と思っております。

 それにしても、そんなわけで、三嶋明神はご出身は下田。いまも妃神は下田に残っているということで、「三嶋明神は、ようは単身赴任てことか…」と思いました。

       ※

 日経新聞の11月21日夕刊で、「米中『G2論』容認を示唆 ライス大統領補佐官」という見出しの記事がありました。

 この米中G2構想というのは以前からたびたび、聞こえてきては消えるというのを繰り返していましたが、まーた出たのか、と。
(なぜ記事の引用がないかというと、有料会員にならないと見出し部分さえ見られないから。ふん。)

 よーするに、アメリカが、中共の台頭を認める——軍事上のプレゼンスを含めて——ということですね。
 やっぱり、民主党はしょせん民主党かねえ、と思いました。
 オバマさん、もうちょっとマトモかと思っていたんだけどなー。
 私もまだまだ甘い。(^^;)

 シナはかつてのソ連よりもヤバイでしょう。話が通じないという点で。
 キューバ危機のときのフルシチョフにはアメリカさんも参ったことでしょうが(外交上のロゴスというものが通じなかった。——あ。それは日本も同じか;;)、たぶん、中共はアレよりももっと悪い。
 話が通じないうえに凶暴さはソ連を上回る。
 太平洋を米中で半分こしよう、と真顔でいう連中だもんなー。

 それが何を意味するか、オバマ大統領はわかっているのだろうか。
 日本がどうこうではなくて、アメリカ自身にとって、です。

 不思議なもので、欧米にある「シノワズリー chinoiserie」(なんて訳せばいいんでしょうかね。シナ好み、……かな)というのは政治の上でも生きている。私も最初はびっくりしました。
 シナというものに不思議な(美しい)幻想をいだき、その幻想に対して勝手に好意を寄せるという、——不気味な話ですが、政治家にもあるんですよね。

 日本よりもシナのほうと仲良くやっていけるという幻想を持つのは、こういうタイプ。

 日本がヘテロ(異質、異種)なら、シナだって同じことなんだけどな。
 欧米の「ロジック」「ロゴス」とは、まったく違う文脈をもつ、という意味では。

 欧米の人々に驚かされるのはこういう面です。
 あれほど研究もするし、ロジカルな思考を重んじるくせに、なぜ、シナにしろ日本にしろ、まともに現実をふまえて判断しないのか。
 ときに彼らは日本人以上に情緒的というところがあるようで——私にはそのへんが理解不能;;

 もちろん、相当痛い目にあえば考えも改めるようですが、そのときにはだいぶ、まずいことになっているでしょうね。
 2次大戦後、ソビエト連邦の台頭をむざむざ許したときのように。

 当時はまだアメリカも「世界の警察」という意識もなかったせいもありましょうが、ソ連というものを、アメリカ含めて世界はそんなに重大には考えていなかったんですよね。
 それが、あっというまにその勢いが強まり、東ヨーロッパがだいぶやられたときにやっと、「世界征服」を本気で考えている連中だと気がついたけれども、——冷戦状態にもちこむのがやっとで、ソ連を押さえ込むことはできなかった。
 
 ソ連は自壊しただけであって、西側やアメリカが、彼らに「勝った」わけではない。
 そのヤバさが、わかっているのだろうか。
 いまシナへの対応を誤ると、同じことを繰り返すことになる可能性がある。

 ということを。
 ………シノワズリーの連中に言っても、わかってはもらえないだろうなーというあたり、なんだか気持ちがずーんと重くなりますね。(^^;)
 
 日本もこのへんのことは人ごとではありませんが。
「反日日本人」、本気でどうにかしないといけないところにきたという気がします。
 彼らがいかにヤバイ連中かは、民主党(日本の)政権が、よくよく見せてくれましたもんねえ。

 昨今のニュースで目についたのはそんなところでしょうか。

 なんだか気が重くなることのほうが多いようですが——それでも今日も、地球は元気に自転と公転をしているわけか……。
 なんであろうと淡々と頑張っていくしかない世の中ですね。(^^;)

 
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むかしばなし
2013年11月21日 (木) | 編集 |
 ドラマや映画を、基本的には「苦手」にしているわたくしは、NHKの朝ドラも、もー絶対みません。
 朝っぱらから人間の汚いところなんか見ていたくないということで。

「あまちゃん」はそういうことでもなくて、楽しそうでよかったですが、基本、あの朝ドラは「女の一代記」みたいなのが多くて、はっきりいえば苦手です。
 平日はなんとか逃れられますが、土曜日にまで放送するのはやめてほしいと本気で思っています。(^^;)
 べつに、自分が見なければいいだけのことですが。

 ところが今朝、チャンネルを変えるのを間違えてうっかりNHKに合わせてしまい、そしたらなんだかすんげー女が映っているではありませんか。
 うわ、あたしこういうのダメ。
 お姑さんかと思ったら小姑とのことでびっくり。
「お……鬼千匹……」
 姑より「すさまじい」小姑というのも、すごいですな(呆)

 うわ、何だこの人、キモチワルイ、と、その「鬼千匹」にぞっとした瞬間。
 へんなことを思い出しました。

 私、いわゆる適齢期といわれるころ、結婚にはものすごい恐怖を抱いていました。
 ちょこっと結婚という話が出そうになったとき、ぞっと身震いし、
「あんた、あたしを殺す気か?!」
 と、叫びそうになったことがありました。
 じっさいには、叫びそうになった自分に驚いて、言いませんでしたが。(^^;)

 結婚=「姑と亭主にいびり殺される」、という、なんだかソーゼツなイメージが自分のなかに根深くあるのを自覚したのはそのとき。

 それで、そのイメージはなんだろうと思って、自分のその恐怖の感覚を、自分なりにたどっていったら、
「結婚したら殺される。亭主と姑に殺される。——いじめられるだけいじめられたあげく、病気になって死ぬ。28歳で死ぬが、そのむくろは、40婆のようだ」
「子供はないか、あっても、姑らに取り上げられて、自分は母親などとは認めてもらえない。奴隷よりもひどい扱いのなかで死ぬ」

 ……そんなイメージがかなりしっかりと脳のなかにありまして。
 それが根拠のない妄想、ドラマの見過ぎ——ということならよかったんですが、私の場合それがかなり、「自分の記憶」の感触でした。
 ゆえに、いかに理不尽でバカバカしかろうと、結婚と言われた瞬間に全身を突き抜ける恐怖は、私にすれば、「本物」でした。

 だいたい、「40婆」とはなにごとだ。
 そりゃ現代でも40代は40代ですがね、栄養状態もよくなり、化粧も発達した現代では、四十で、本当に老婆ということはない。(48歳で物故した、天璋院篤姫の晩年の写真がありますが、そういうわけで40代ですが、——ちょっと現代人の40代とは違いますね……)
 つまり、28歳なのに、40歳の「老婆のよう」と口走るのは、けっこう古い時代の感覚だということ。

 それでもって、なにかあるとそういう記憶から「殺される!」という恐怖心に心臓を掴まれる。
 これは誰に話しても信じてもらえることではないだろうと思い、あまり人にも話さずにいて、ただ、こんな恐怖の記憶を持っているのではどうにもならないな、と思っていたのでした。

 おかげさまで、いわゆる適齢期というのはとっくに通過してしまい、いまはもはや枯淡の境地に近づいておりますが——そういうなかでいつのまにか、そんな恐怖に震えていたことも忘れかけていました。
 
 もはや、そういう恐怖心を持たなくてもいいということになって——それで安心し、気が抜けたのか、最近また、ひょいと思い出した、という感じです。

 それにしても、そうやって殺された恐怖、という、あの感じってなんだろうな、と思ってきたのですが。

 祖母の実家の、私からすると遠縁の、血縁の女性にそういうことに近い状況の人がいた——と。
 なんせ古い土地で、お寺さんも古いもんですから、なにげなく、お年寄りが昔話をしてくれますが、そのなかに、そういう話がありまして。

 結婚とはいえ、正式なそれではありません。「妾奉公」というやつですね。
 子供はいなかったか、いても、取り上げられていた、というのは、そういう事情から。

 それが私の前世、とは思ってはいません。
 記憶の遺伝という可能性はありますが——。

 でもまあ、そういう目にあった女性というのは昔は珍しいことでもなかったでしょうし、そう考えるとまたムカムカしてきますが、——そういうものを自分のなかに持っていた、というのは、なんとも難儀なことだったな、と、いまは、ぼんやりと秋の日差しを見ては思うばかり。

 いびり殺される恐怖の記憶。

 ——その正体がなんであれ、成仏させてあげたいです。

 
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大事なもの
2013年11月20日 (水) | 編集 |
 へーえ。そういう人がいるもんなのか。と思った話題。

ネタバレを許せますか?「はい47.7%」
マイナビウーマン  2013年11月18日(月)17時51分
http://news.nicovideo.jp/watch/nw843907?cc_referrer=nicotop_news

 以前にもちょくちょく書いた記憶がある話題ですね。ネタバレ。

 私はネタバレはいっこう気にならないタチで、ネタバレが気になるという友人には、
「いま読んでいる推理小説の、犯人は○○っていきなりいわれたらどう思う?」
 と、責めるような口調で言われたことがありますが。
「——平気」
 と答えたら、その友人は黙ってしまいました。(^^;)

 なにしろ、図書館でエラリークイーンの本を借りてきて、ぱっと開いたら、あの本のカバーの折り返し(?)のところに、登場人物が書いてあるのですが、とある名前に丸をつけ、矢印線でひっぱって「犯人」て書いてあったことがありました(笑)
 そんなことでいちいち動じていたら本なんか読めませんて。

 ということで、意図的に、故意に、私の楽しみを邪魔してやろうということでネタバレされたときはさすがに怒りますが、それはネタバレされたことに怒るのではなく、悪意を向けられたということへの反応として、ですね。
「テメエ、わざとやってんのか」
 という怒りであって、ネタバレそのものに怒っているわけではない。

 上記記事にあるように、ネタバレ容認派の私も、ネタバレされたことで、その小説なり映画なりの「価値」が、減るということはありません。
 犯人は誰なのか? トリックは? 動機は? というのを、ドキドキしながら読むのも楽しいし、結果を聞いても、結局、その過程にあるものまでは、さすがにバラしきれる人はそうはいません。
 そんなにすぐれた要約能力がある人は、そうそう滅多にいるもんじゃない。

 ということで、「そっかー。犯人は●●かー。どんなふうに犯人を追いつめていくのかな?」と、そっちに興味のフォーカスがずれることで、「過程の楽しさ」はそのままですから、べつに、どってことはない。

 むしろ私にとって興味深かったのは、ネタバレは許せない派のいうことを聞くと、結果を知ることで、その「すべての価値が崩壊する」ということでした。

 これはどういう意味なのか、私にはぜんぜんわかりません。いえホントに。
 結果をポンと聞いただけで興味が失せる。楽しみではなくなる。

 ——なんで?

 こういう人は、たとえば推理ものなら、最初の1、2章だけよんで、あとはとばして結果のところだけ読むということをしても平気なのだろうか?

 上記記事ではフィクションのみならず、スポーツの試合結果を聞いただけで、テンションが下がる、という人がいらっしゃるわけですが——そういうものですか?

 うーん。それは私にはわからないなー。仮に「エスパルス勝ったってよ!」と聞いたら、「あ、そう、よかった! だれがゴール決めたの? スコアは? …また1−0? 勝つときは1点差で負けるときは3点差ってのが直らないねー。……で? ○○選手は出たのかな? 交代は? けが人とかいなかった?」と、すぐさま、興味と聞きたいことは広がっていく。

 結果だけをぽつんと聞いただけで、興味とテンションが下がるというのが、どーもわからないんですよね。

 なにか——「大事にしていること」が、違うんだろうなあ。
 とは思うけれども、それがなんなのかは、わかりませんすみません。(^^;)

 結果を知らないときにはドキドキしますが、その「ドキドキ」こそがいちばん「好き」、いちばん大事、いちばん価値がある、そのドキドキが「目的」、ということなのかな?
 私の場合、そういう感覚はもちろん楽しみのうちのひとつですが、それだけが突出した楽しみということはない。
 ネタバレですべて無価値化、という人にとっては、そのドキドキすることが目的なんであって、モノが小説か、ドラマか、スポーツかは(そんなには)問題ではない、というところなのかな。

 結果を聞いただけでそんなにぷしゃーんとつぶれてしまう「楽しさ」って。
 えー、それだけで一気に興味なくなるの? へーえ。と思って読んだ記事でした。

 ネタバレを異様に(と私には見える)嫌う人の話を聞いても、へー、そうなんだーくらいにしか思わなかったのですが、今回はこの記事を読んで、なにか、「価値観というよりも、『大事にしているもの』が、違う」んだな、ということを感じました。

 そのへん、せめて理屈だけでもわかればいいんでしょうが、いまのところは理屈としてもいまひとつわからない。
 ネタバレを容認できない、結果を聞いただけで他のことへの興味もすべて吹っ飛んでしまうという、私から見るとけっこうな「ゼロか1か」という価値観に見える。
 そういう「All or Nothing」が大事にするものって、なんなんだろうな。

 そのあたり、わかりやすく説明してくれる人がいるとありがたいのですが。

 ともあれ。
 今回の記事に登場する、ネタバレ平気、という人々のご意見を聞きますと、やはり、結果よりはその「過程のなかに存在するもの」に、より強い関心があるという方が多いようで、「容認派」は、結果以外のところを見ている、とは、言えるようだな、と思いました。

 まあ、理屈としてもよくわからないながら、嫌がらせのように思われるのも悲しいですから、ネタバレはしないように注意してまいりたいと思います。
 

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見かけ倒しの秋冬
2013年11月19日 (火) | 編集 |
 寒くなって参りまして、冬物をあれこれ物色中。
 ……なんですが。
 今年はちょっくら、頭にきております。

 と申しますのも、ニットものの素材が、なんかしらんが無闇にアクリルが多いからでございます。
 アクリルじゃあなんにも暖かくないやい! 秋物ならまだしも、真冬にこんなもん着てられっか! と。

 なにしろ通販大魔王でございまして、通販会社のカタログをかたっぱしからチェックしているのですが、——どれもこれも、見かけ倒しのアクリルばかり。
 たとえ5%でもいい、ウールなどの素材を使ったものを探すのに本気で苦労しております。

 カシミヤやダウンが、理由は存じませんが価格高騰、材料が以前に比べると入手困難の状態にあるとも聞いていますが、そのせいなんでしょうか。
 ニットやコートで、まともな素材のものがない。

 プチプラと呼ばれる、若い人向けの安——じゃなかった、お手頃価格のものばかりではなく、私どもオトナ向けのものですら、そんなありさまです。

 アクリル、ポリエステル、ナイロン。——あったかいわけないでしょうが! とわめきたくなるほど、今年は天然素材の暖かなものがなかなか見つからず——ちょっとキレ気味です;;
 なにしろ寒がりですからこのへんは切実なんですよ………。

 ダウンコートは暖かいものをお得なお値段で入手しましたが、ウールのコートは壊滅状態。気に入ったものが見つからず、今年はダメかとあきらめつつあります。

 しかし驚くのは、今年の秋冬物の全体的な「ぱちもん」ぶり。
 ダウンコートに見えるけれども、じっさいは「中綿入り」コートだとか、ニット類はとにかくアクリルばかりだとか。
 
 いちばん頭に来たのは「カシミヤタッチのセーター」。
 カシミヤではないんです、カシミヤタッチ。カシミヤ風。
 てざわりはそんな感じだけど実態はアクリル、ナイロン。
 なんなのその「シャネル」じゃなくて「チャネル」、「ホンダ」じゃなくて「ホングタ」みたいな紛らわしさは!


 ぱっと見、外見としてはそれらしく、暖かそうに見えるものでも、そんな素材ではなんもあったかくないな、というものばかりなんですよね。
 
 何枚重ね着しようと、アクリルはアクリル。
 フリースは風を通さないところがありがたいのですが、保温という意味ではあまり——効果はない。
 本物のウールやダウンの、「空気を溜め込んであたたかくする」というのは——なぜでしょうか、化学繊維では実現できないようです。

 あるいは、世の中にはあれで間に合う人もおいでかもしれませんが、私はとにかく超絶冷え性なので——ヒートテックのような、科学的に暖かい、という素材も、これはこれで「肌に合わない」難儀ぶり。
 化学繊維系のものも、使い方次第では使いますが、これはあくまで補助的な感じ。

 冬でも、厚手の綿の肌着、ウールのアウター、1年中愛用するのはパシュミナストール(夏は夏で冷房よけ;;)、コートはウール、アンゴラ混、フォーマル用に奮発したカシミヤのコート、そしてなにより、昔よりも格段にスタイルがよく着やすくなったダウンコート。

 じつはパジャマも冬の間はネルのものばかりです。
 腹巻きやらなんやらは化学繊維でいいんですが、——長時間着てストレスを感じない、心地よい、暖かい、となると、やはり天然素材でないと落ち着かない。

 これは私の趣味というか、「体質」かもしれませんね。(^^;)
 世の中の人々は、あんな寒いアクリルナイロンポリエステルのコートで平気なのか? と、つくづく不思議に思っているところです。
 なんで今年は、あきらかに「なんちゃって素材」のものばかりなんでしょうか……。
 中綿(ポリエステル綿)のコートが暖かいとは思えないなー。世の中の皆さんはあれで平気なのか……。うーむ。

 秋物のシーズンも過ぎて冬物の季節になれば、あたたかな天然素材のものが出てくるだろうと思っていましたが、いまのところ、そういう予想も裏切られております。
 
 安物を狙うからそうなるんで、それなりの値段を出せばいいんじゃないの、と言われるでしょうが、プチプラではない、ある程度の値段を出してもダメなんですよね。そのあたりがどうも納得いかない。
 もちろん10万円前後を出す気ならなんとかなりますが。

 それにしても今年はあまりにも、マトモな素材の冬物が少ないので——あたたかそうなコートに見えても、じつは素材は保温性はほぼ機能しないアクリル……という、「見かけ倒し」の商品ばかりであることに、文句を言うお客さんが少ないのでしょうか。
 自分が冷え性だというのは自覚しているので、「そんなことに怒るのは私くらいか」という気持ちもある。

 皆様はいかがでしょう。冬物、気に入ったものは見つかりましたか?

 カシミヤにしろダウンにしろ、材料が不足気味というニュースがある一方で、ユニクロさんが、「それ本物か?」と言いたくなるような価格と量で、カシミヤ、ダウンのものを販売してますよね。
 まさか、材料が不足気味って、——ここが原因てことはないよねえ? と、まさかまさかと思ってはいても、ついつい、ひっかかるものを感じて、ユニクロさんのCMや、折り込みチラシを眺めています。(^^;)
 濡れ衣だったらごめんなさい;;
  
 今年の秋は寒いあまり正気じゃなくなっているんだなと、あわれんでやってくださいまし;;
 
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人類数千年の愚痴
2013年11月18日 (月) | 編集 |
 年の納めの九州場所が始まっておりますが(というか、……昨日で中日(なかび)か…)、土日以外、平日の客席のガラガラぶりがあいかわらず凄まじい。
 東京はもとより、名古屋、大阪も、最近では客足も回復基調にあるのが見えるなかで、九州の人の少なさはホントに目立つ。
 
 あれをみるともう——九州で本場所をやらなくてもいいんじゃない? と思ってしまいます。
 九州場所をなくして、名古屋場所を移動して11月にし、7月は北海道場所にすれば、北海道なら梅雨でもないし、死ぬほど暑いということもないから、力士の皆さんの体調のためにもいいんじゃないかと。
 以前からそんなことを、ぼんやり考えていたのですが——いえ名古屋場所は、梅雨明け前でも本当に暑そうなことが多いので、北海道なら涼しいのになあ、と思っておりました。
 
 福岡でああも客がこないのなら、おなじ人が少ないなら気候がいいほうでやればいいじゃん、と、無責任にそんなことを考えています。
 あの客席の空きっぷり(平日)は、見ているほうが寒い……。

       ●

 人間の記憶というのは、時間が経つほどに、悪いことよりもいいことのほうにフォーカスされていく、昔のことがみょーに美しく思えるのは、そういう、記憶の補正がかかるから、という話も聞きますが。
 そうなのかなあ。どうなんでしょうかね。
 人生80年といわれる現在では、その半分しか来ていない未熟者がいうのもおこがましいかもしれませんが——私にはそういう実感がないんですが;;

 30年たっても、大してかわんねえ、と思う記憶がかなりある。
 以前に比べて現在は、少し記憶が美化された——なんて実感はないなあ。イヤだと思ったことは未だにイヤなまま、という気がする。(^^;)
 その昔、高校生だったころ、「私は30年たってもかわらないラジカルティーンエイジャーを目指す!」と、どこまで本気か知らないがそういうことを言っていたクラスメートもおりました。

 気持ちが若いのはいいことだと思うけど、30年たってもラジカルティーンエイジャーというのは、けっこうみっともないことではなかろうか——と、30年たっても記憶の補正を実感できない私は思います。(^^;)

 大相撲中継を見ていると、もと小結の舞の海さんの解説をよくお見かけします。
「技のデパート」といわれた、技巧派力士で、——子供のころからソップ形で技巧派力士が好きな私としては当然、贔屓にしていたのでした。

 引退後は廃業(……いまは廃業とは言わないんでしたっけ? ようは相撲協会を辞めること)し、スポーツ関係のジャーナリストとしてご活躍。
 大相撲中継でも、技巧派らしい的確な取り組み内容の解説で、ひじょーによかったんです。が。

 どうも——ここ数場所、舞の海さんのお話を聞いていて違和感が。

 以前なら、けっして力士を悪く言うようなことはなかったのですが、最近どうも、「年よりの愚痴」っぽい気配が。
 露骨にはそうはいわないだけで、まさに「今時の若いものは」的な、それ解説じゃなくて個人的な愚痴ですよね? というものが、ちょいちょい、耳に触れる気がします。

 ——昨日の、NHK大河ドラマ「八重の桜」でもやってましたが——「今時の若いものは」系列の愚痴って、どうしても避けられないものなんでしょうかね。
 ああ舞の海さんあなたもか。と、思わずテレビの前でがっくりのわたくし。(^^;)

 不思議ですよね。若いころには、この人ならそういう愚痴は必要ないだろうというくらい、感情よりは論理的な話をする、そういう印象の人でも。
 20年もすれば、やはり、そんな情緒的な愚痴を言うようになるものか。

 今時の若いものはだらしがない、を裏返すと、出てくるのは「俺らが若いころはもっとすごかったぜ」なんですが。
 ………同世代のものとして言いますが、「そんなことはない」。

 じゃあ、どうすごかったのさ、と喋らせてみると、そこに出てくるのは、先ほど申しました「記憶の補正」です。
 もちろん若いころは努力もしたしがむしゃらにやったし、殴られ蹴られて、砂の混じった涙を味わったことでしょう。
 けれども。
 その一方では、ぶざまな無気力相撲、気の抜けた立ち合い、姑息な駆け引きの果てに土俵下に落ち、対戦相手がどうこうではなく、自分自身が抱える恐れと不安に負けた取り組みが。
 ………いまの若い人に比べてなかった、あるいは、少なかったか?

 もちろんそのへんは舞の海さん個人のことじゃなくて、舞の海さんが現役のころのお話ね。
 ………ちなみに、舞の海さん現役というと、例の「若貴時代」と言われた、お茶屋さん経由でさえ相撲のチケットがとれなかったほど相撲が大人気だった時代ですが、この時代については、私に喋らせると、悪口がとまらないところがあるので自粛します。
 若貴人気ゆえに相撲のチケットが売れていたのに、協会あげて二子山部屋(当時)つぶしにかかってやがって。
 ふざけてましたよねえアンタがたも相当。ええ?(←記憶の補正なし)

 閑話休題。

 とまあ、そんなわけで、そんなエラソウに、いまの力士に注文つけられるほど、えらかったかなあ? と、往時を知るものは首を傾げます。

 今時の若いものはという愚痴は、数千年前の遺跡に刻まれていたそうですから、人類誕生以来、延々つづくものなのでしょうが。
 無意味だなと思って聞いています。

 私は自分の過去の記憶があんまり風化も美化もされない傾向があるらしい。あんまりいいことでもない気がする;;
 それゆえに、自分の同級生たちの語ることを聞いて「え? おいおい、大丈夫か?」と思うんですね。(^^;)

 人間てのは不思議ですねえ。人間は生まれていきなりおじさんおばさんになっているわけではなく、自分だってちゃんと若い日を経験してきているんですよね。
 若い日の自分は、年寄りたちのそういう愚痴を、どう聞いた? もう忘れたの?

「今時の若いものは」に並ぶ、年寄りの決まり文句、「俺が若かったころはなあ……」という、セッキョーの形を借りた自慢話についてはもっと悲惨。
 私は長幼の序には従う人間ですし、人生経験というものに敬意をいだくタイプなので、けっして、先輩方の過去をないがしろにするものではありません。
 
 ありませんが——、この手の「若いころの自慢話」って、参考にならなかったですよね?
 時代が違う、環境が違う、条件が違う。
 そういうなかで昔はこういうことが効果的だった、という話を聞いても、もう、時代遅れそのもので、参考にはならない。

 ほんとうは参考になるのは、苦難にぶつかったときの迷いや恐れがどういうものか、それをどうやって乗り越えたか、という、「人生経験」のほうなのに。
 なぜか人はそういうことよりも、当時の手法や結果などを語りだす。

 聞いて本当に参考になるのは、結果じゃなくてプロセス、過程なのに。
 恐れと不安に七転八倒した、そのときの気持ち。揺らぎ。失敗を重ねているときの気持ち。失敗するたびに泣きそうになるのをそれでも歩いていたときの気持ち。
 結果なんてのは見りゃわかる。成果は成果でそりゃご立派でしょうよ。

 でも、いま、その苦闘のただなかにいる人に参考になるのは、どんな成果をあげたかよりも、そのときの、人生との格闘がどんなふうに行われていたか。そのプロセスですよね。
 外部の諸条件は変わっていくが、人の心のありよう、葛藤、格闘ぶりは変わらない。
 こんなんでいいのかと日々、暗中模索の人にとって、先人の、カッコ悪い格闘=プロセスの話は、いまの自分が、どのあたりにいるのかを知る、道しるべになってくれる。

 ゆえに——先人から聞きたいことがあるとすれば、その先人のあげた成果じゃなくて、どんな思いで、そのときには先の見えない道を歩いていたか、ということじゃないでしょうかね。

 いまではとっくに陳腐化した、手法なり技術なりの話を聞かされても、現役としては困りますよね。ある意味、そんなことはとっくに知っているし、それはもう陳腐化している。
 現在という「フロンティア」にいるものとしては、そんなことを言われてもなー、というのが、ホントのところでしょう。

 そういう経験を自分もしているはずなのに。
 なぜ、人類はそれこそ、若いころの自分の経験に学ばずに、延々、代を重ねても同じ愚痴を言い続けてきたのか。

 考えてみれば不思議な話です。

 その原因のひとつが、「記憶の補正」つまり「過去を美化する」ことかもしれないな——と。
 
 いつでも、この世にいる人は誰でも、その人なりに日々、戦ってますよね。
 年齢による違いがあるとすれば、人生経験くらいなもので——本質では、つまりこの世にいま生きている人は、誰しもが、フロンティアにいる。
 そういう本質では、年寄りも若い人も、じつは違いはない。
 それぞれのフロンティアで、日々戦っている、という意味では全員同じ。

 そういうあたりを忘れずにいれば、この、最低でも数千年つづいているらしい愚痴を、克服できるのではないかと思うのですが………。甘い? (^^;)
 

 
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