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2013.10.31 (Thu)

「振り向かれたら怖い」その理由

 本日はハロウィンですね。(^^)
「万聖節イブ」でございます。

 ございますが、もとをただせばキリスト教とはなんの関係もない、ケルトのお祭り。
 これで秋も終わり、いよいよ冬を迎える季節のお祭り、ということでもあったようです。

 私は今日は、かぼちゃのケーキをいただく予定です♡
 楽しければなんでもいいのさ♡

       ●

小泉進次郎氏が初答弁、「TPP」問われ答えに窮する場面も
2013年10月30日 TBS News
http://news.tbs.co.jp/20131030/newseye/tbs_newseye2042700.html

「核のごみというのは最大のツケだと思っております。そこをかつて私は『ソーリ、ソーリ』であなたのお父さんの小泉元総理とは激しく激論を戦わせましたけれども、改心されたのかなと」(民主党 辻元清美 元国交副大臣)

「父は父、私は私であると、父の考えについて子どもはどう思うのかと言われれば、原発のことに限らず色んな問題がなんだってここに呼ばれて答えなければいけないのかと。父は歌舞伎も好きですけど、私も落語や文楽も大好きでして」(小泉進次郎 復興政務官)



 さすが辻元“ピースボート”清美さん。
 公私混同はなはだしいですね。
 ちょっと大麻の吸い過ぎなんじゃないの? と思うけど、辻元さんの場合はナチュラルな状態で充分ラリっているから、必要ないのかな。

 ともあれ。
 この、完全に公私混同した質疑にもなっていないものを誰も止めないというのは驚きですね。

 小泉元総理と、進次郎議員とになんの関係があるのでしょうか。
 親子関係であるというのは私的な部分になります。
 政治家、国会議員、という「公」の場においては、血縁があろうがなかろうが、それぞれが独立した別個の存在であり、逆に言うなら、その政治活動のなかに、親子だからどうこうという事情を持ち込むようならそれこそ問題でしょうが。

 進次郎議員もこんな質問にマトモにお答えになる必要はまったくありません。可哀想にそれでも答えたんですね。
 気の毒に。
 馬鹿は適当にあしらっときゃいいんです。
 馬鹿にまともにつきあっていると、移りますよ。馬鹿は移るんです。気をつけましょうお互いに。

       ●

 あんまり私としては積極的に話したくはないことなんですが、でも、やはり、私と同じようなことで自分を責めている人はいるんだなあ、と思いましたので。

 誰かのご参考になるようなら、かつての私も浮かばれるだろうと思いまして、ちょこっと書きますね。

 片思いで、熱烈に人を好きになる。
 憧れて、尊敬して、夜となく昼となく面影にも恋いこがれ、これほどに好きな人はもう現れないだろうと思うくらいの、片恋をする。

 ところが。
 そうまで好きだったはずの人が、こちらを振り向く。
 嬉しいのも一瞬で、とたんに心は不安に震え。
 相手のほうから言いよってこようものなら、気持ちが凍り付く。

 あれほど好きだった人にふりむかれたとたん、気持ちは冷えて、興味も失せる。
 尊敬の思いはなくなり、好きを裏返しにしたように嫌悪さえ抱く。

 ものすごい自己嫌悪に陥ります。
 あれほど好きだったはずなのに、振り向かれるととたんに熱が失せる。サイテーだなあたし。と思うほどに心臓まで冷たくなる。

 それを二度も三度もくりかえす。
 片恋をするたびに今度こそ、と思い、じっさい、以前よりはすこしおつきあいの期間も長く保つことができたとしても、結局は同じこと。

 そういう自分を、冷たい、結局は恋を遊びにしている、最低最悪な人間だと思う。

 振り向かれたとたんに気持ちが冷える原因を自分なり考えもするが、これといったことは思いつかない。
 ただ欲しかったおもちゃを手に入れると興味をなくす子供のようなものだと思い、自分で自分を傲慢で幼稚で情がなくて自分勝手な、最低な人間だと思い、そのうちには、片恋さえ拒絶するようになる。

 私も、そういうのを、自分の身勝手さだと思っておりましたが。
 じっくり内観をした結果、話はそれほど単純ではないとわかりました。

 あれほど好きなのになぜ冷めるのか?
 それは、自分で自分をこのうえなく嫌い、見下し、嫌悪しているから。

 自分で自分を最悪の人間だと思って、嫌悪もし、軽蔑している。ゆえに、誰かが、そういう自分に好意を示すと、「そんなはずはない」と、まず、パニックを起こす。
 醜くて最悪な自分を、好きになる人がいるはずがないという、無意識の思い込みがあるんですね。誰よりも自分自身を軽蔑しているので、そういう人間を好きだなんて言うヤツが現れると、
「あんなヤツ(というのは自分のことです)を好きだなんていう、こいつもサイテーなんだ」
 という、強烈な軽蔑の念が起こるのですね。

 自分は人に愛されない。愛されるはずがない。そう思っているので、ある意味、ぜったい自分のことなど相手にしないだろう人を、まず好きになる、ということをしているはずです。
 まずこちらのことなど興味すら持たないだろうというひとをわざと選んでいるので、仮に告白してみても見事玉砕する確率が高い。

 失恋するとやはり大ショックですが、心のどこかで「ほらね」と、安心してもいる。
 ほらね——アタシみたいなのが、人から好きになってもらえるわけないんだよ。と。

 さりながら、たまーに、そういう予想を裏切ってしまう人というのもいらっしゃるわけで。
 そうなると、逆にパニックになるんですね。なんでこの人、そんなことを言うんだろう、と。
 誰にも好かれないはずの自分を好きだなんて言われると、もう対応に困ってしまう。
 しばらくはそれでなんとかやっていくけど、そんな馬鹿な、という思いはこんどは相手に向かっていって、
「わかった。こいつも結局アタシ同様に最低なんだ。だから、最低な女を好きだなんていうんだ」
 という結論になり、これでやっと納得し——、「気持ちが冷える」んですね。

 ひとさまから好意を寄せられたとたんに気持ちが冷えるのは、あなたが最低の人間だからではありません。
 冷たいからでもわがままだからでもありません。

 あなたが、あなた自身を嫌っているからです。
 それはあなたの「投影」です。

 自分が持っている感情、ものの見方というものを、「他人も同じであるに違いない」と、相手に投影する。

 相手から好意を寄せられたとたんに気持ちが冷える、ということを繰り返し、そのたびに、自分を冷たい人間だと責める。

 でも、そうじゃないんですよ。

 ほんとうに冷たい人間なら、そうやって、誰かの好意を充分に受け容れられない自分を責めたりしません。
 本当に冷たい人は、自分で自分のことを、なんて冷たいヤツなんだ、などと思いません。

 あなたが他人の好意を受け取れないのは、あなたが、自分は好意を与えてもらう価値などない人間だとして、自分に愛情を禁止しているからです。
 あなたが冷たいからではない。
 あなたが自分を嫌い、あるいは憎んでいて、その憎い自分が人から愛されるなんて許せないと思っているから。

 ——ということを、かつての私のように、自分で自分を責める人には、申し上げたいと思います。

 ともあれ。
 解決策はただひとつ。

 自分で自分を嫌うのをやめて、心を開き、すなおに自分を愛すること。

 そこまでは、私もわかったんですけどね。(^^;)

 なんにしても、ああ昔のアタシと同じだ、というのをお見かけしたら、どうも切なくなって、なにか、書きたくなりまして。
 それで、私の——ここ5年くらいの「内観」で得られたものを書いてみました。

 自分への憎悪というものが相当、根深いものになってしまうと、改善するのも簡単ではなくなってしまいます。
 それは自分が冷たい人間だからだなどと、自分を責めないように。
 冷たいのではありません。
 あなたが、自分自身に愛情を許していないから。それだけのことです。

 自分を責めず、自分を愛するように——陰ながら願っております。
 
 
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14:32  |  身辺雑記2013  |  EDIT  |  Top↑

2013.10.30 (Wed)

「女紋」続

 10月いっぱいは、当ブログのトップにおいておく予定の、「緊急 支援のお願い」、ブログ「まいにち譲渡会」様のその後の経過を拝見して、ちょっとホッとしました。

 まだ保護できていないにゃんこが20数頭いるということで、これまで保護された猫たちの状態から察するに、その、保護が難しい子たちがどれほどの状態に置かれているかを考えると、胸が痛みます。

 それでも、もう30数頭の猫たちが、安心できる環境にいられることを考えれば、よかった、と思います。
 些少ですが、今後も支援はしていきたいと思います。

       ●

 もうけっこう以前になりますが、ちょっとご紹介しました「女紋」。

「女紋」2013.05.10 エントリー
http://hsmile.blog4.fc2.com/blog-entry-3874.html

 その後、本を購入しておりまして。
 
 買ってよかった。勉強になりました。

 いろいろなことがナゾだった女紋ですが、だいぶ、その全体像がわかった、と思います。

 まず挙げておくべきなのは「女紋は西日本の風習。東日本ではほぼ皆無」だということ。

 母系の維持、女性の財産権という意味でも、女紋は興味深いものですね。

 で、結局女紋とはなにか? ということなんですが——これ、いろんなバージョンがあって、一通りではないのですね。

 ポジティブに考えれば母系を表現するもの、ネガティブに考えれば、「家紋は男のものなので女には使わせない」表れともいえる。

 とはいえ、女紋=母系というほど、話は単純ではなくて、家によっては、単純に男女で紋を分けているだけ。家紋はひとつと限ったことではなく、複数あることが珍しくないが(これホント)、そのうちのひとつを女性が使っているだけ、ということもあるし、母系ではなく、お姑さん→お嫁さん、として伝えるものもある。

 男紋だとどうもなにかと武張っているので、女性が身につけるのならもっとやわらかな、女性らしいデザインにしよう、という理由によるという側面もある。

 ということで、女紋とはこういうもの——とは、単純にはいえないんですね。

 地域ごと、はては家ごとに異なる考え方や伝え方のせいで、——皆さん、それぞれが「自分ちのやりかたが当たり前」だと思い込んでいるもんだから、そんなの常識じゃないの、なに考えてんの、と反目し合い、縁談が流れたというあほらしい話までがあるとなると——知らないということは、じつに罪なことですね。

 家紋と女紋で「格差」はないそうです。
 また、女紋にまつわるいろんな誤解は、じつは、呉服屋さんをはじめ、業者さん自身が(そのつもりはなくても結果的に)誤解を広めていることがけっこうあるみたいですね;;

 いずれにしても、わが東日本には本来的には女紋という習慣はないので、私が、ほぼ、そういうことを知らなかったのはなんの不思議もない、とわかって、腑に落ちました。

 私の場合は個人的に、自分が生まれた家を呪いまくり、こんなクサレた家の紋を着物に付けるなんてイヤだ、いっそのことぜんぶ洒落紋や「個」紋にしてやろうか、とまで思い詰めていたときに、「女紋」というものがあると聞いて、思わずふりかえった、——というのが実情。(^^;)

 母系のあかしの女紋が使えるなら、このクサレ家の紋なんか使わずに済むじゃないか! と、思わず身を乗り出しちゃったんです。
 が、案に相違して、「おたくの地域では、もともと女紋の習慣はないでしょ」といわれて、ちょっとがっかりでした。(^^ゞ

 でもまあ、東日本では女紋は「やってはいけない」というものではないし、西日本に嫁入りする人はあちらの風習に合わせて女紋をあらたに作って、支度をしていく人もあるわけですし。
(実家の紋を女紋として使う、お嫁さんのお母さんの実家の紋を使う、あらたに個人的に好きな紋を作っちゃう、と、やりかたはいろいろあるそうです)

 それに——本に載っている女紋の例というのは、なるほど、女性らしくてすてきなものが多くてですね。
 家紋の○を「雪輪」にするだけで、やわらかさと華やかさが出たりして、そのデザインのフレキシビリティ——柔軟性、融通性には、ちょっとびっくり。
 ほんのすこしデザインを変えるだけで、女性のものとわかる——そういう「印」になります。これはじっさいのものをご覧になっていただきたい。

 日本の家紋のデザインの面白さを褒めていた外国の方もありましたが、いやあ、これ、ちょっとしたアレンジだけで雰囲気ががらっと変わってくる、って、すごいですね。
 
 父の葬儀のときには私もだらしなくレンタル着物にしてしまいましたが、あのときの紋所が、丸に五三の桐でした。
 たぶんこれ、「山田」姓みたいに、ひろく一般的な紋だからこれになっているんだろうと思っていたんですが、じっさいは、五三の桐というのも、女紋として使われることが多かったデザインのひとつなんだそうですね。
 それでレンタル着物にも採用されているのかな。
 面白い。

 ともあれ、興味がある方はこちらの書籍を購入してもよろしいでしょうし、特設サイトもあります。

特設サイト「女紋」
http://omiyakamon.co.jp/onna-mon/index.html
トータルきものケア大宮華紋森本 (有)染色補正森本 様)

 こういうことがきちんとわかって、研究内容から由来も示すことができれば、せっかくの縁談をこんなことでこわすこともなくなりますから、頭の片隅にでも、こういうことは置いといてほしいです。 

 ということで私の場合、女紋というより「個紋」にしてもいいわけだ、——と思うとなんだか、いっきにつながれていた鎖から解放されたみたいな感じで、ちょっとウキウキしてきます。(^^)
 いろんなサンプルをみながら、個紋を作るとしたらどんなのがいいかな——薔薇が好きだからバラのアレンジとかってできないかなー、とか、考えているのも楽しいです。

 
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2013.10.29 (Tue)

お門違い

 昨日は為末大さんのツイートと、そこに寄せられたツイート群を眺めて、しまいには笑ってしまいました。(^^;)


 ——なんども言っていることですが、ホントにもう……、為末さんは、よく真面目にご親切にお答えになるなあ、と感心したのと、なんともいえない方向違いの各種ご意見が。
 この「意の通じなさ」ときたらもう、……ここまで来るとギャグですね。
 と思ったら、ちょっと笑っちゃった……。(^^ゞ

 他人様に向かって言うことではない、聞くことではない、他人様にいうまえに、自分のなかでもうこれ以上は無理だというまで考え抜くほうが先だろう、ということの、この羅列。

 自分のなかで、頭の中が真っ白になるまで考え抜くということも、たまには必要だと思ってます個人的には。
 わからないことは遠慮せずに尋ねるということも、もちろん大事ですが。——聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥ってやつで。

 結局ぎりぎりまで、脳味噌からは出ないはずの油を搾り取るくらいに考え抜くということが必要なところ、あまりにも安易に尋ね過ぎなのでは——。
 そう感じるのは毎度のことですが。
 自分で考えるってことが、苦手な人が多いのかな?
 もっとも、これほど親切な人がいらっしゃるなら、つい、あれこれ気軽に聞いてみたくなるのかもしれませんけども……。

 ちなみに。

 私も為末さんのご意見には賛成です。

 ある意味、努力というのは「当たり前」のものであって、——努力さえすればなんとかなる、なにかあったら努力が足りなかった、といって、自分も他人も「責める」のは、なんの意味もないどころか、かえって有害なことになるというのは——なんか昨日も言っていた気がするけど、「だってそれが現実でしょ」。

 そんなに見るのが難しいもんか現実って?
 ——まあたしかに、左巻きお花畑を見ていると、難しい人もいるんだなあとは思うけど。(--;)

 なにか精一杯努力したけどダメだったとき、必要なのは、冷静な反省、分析をすることなんであって、自分や他人を責めたり、努力が足りなかったと言ってなおいっそう激しいマゾ行為に励むことではない。

 そんなん当たり前と言われるかもしれませんが、ホントか? ホントに当たり前か?

 私はそういうとき、無意味に他人をぶん殴ったり、殴りゃしなくても理不尽な「しごき」で「可愛が」ったりする人々を、ずいぶん見ているんですが。

 そうではなくても、目標設定が適切だったか、あるいはなにが不足していたか、これがホントの行き詰まりのどん詰まりなのか、そうであるなら次の道を探す時期にきているということになるが、そうなのか、そうなのならどこへ向かうのか——などなど、冷静に考えるというのは、案外、難しいものですよ。
 自分を、本当の意味で客観視し、評価し(期待も悲観もなく冷静に)、また方向を見定めるというのは、ヒステリーを起こすより数百万倍難しい。

 だいたい現実というものは、あんまり見たくないものが山積みになってますよね。
 
 努力では埋めがたい現実がそこにあるとき、それをすなおに受け容れられる人というのはそうはない。
 受け容れるにしてもある程度の時間がかかるし——受け容れられたとしても、傷心は残る。

 結局、為末さんのおっしゃることは、単純に「努力すれば成功する」みたいなサクセスストーリーではないんですね。
 そういう、勝者となった人の「英雄譚」は世の中にあふれているし、誰もがそういうものに胸を躍らせるけれども。

 でも、そういう英雄になる人というのはごく限られている。
 
 たいていの人間は、英雄ではない自分という「現実」のなかで生きている。

 英雄譚は世の中に多くあるけれども「非英雄」としての生き方、その人生を説いたものは、あまりない。

 おそらく為末さんご自身が、そういう、英雄譚と現実とのあいだで揺れてきた、その揺れている真っ最中にはこれといって道標となってくれるものがなかった——と、お考えなんじゃないでしょうか。
 
 ゆえに、為末さんのお話しになることは、「険しい現実の受け容れ方」「現実を生きる方法」「現実の『読み解き方』」といったことだと思います。
 英雄などよりはるかに数が多い「非英雄」のための物語がなかった、もしそういうものがあったら、少しは道の歩き方も違ったんじゃないか、という思いがあるゆえに。
 これから道を歩く人のために、いま迷いながら歩く人のために、少しでも道標になれるように、と、思っておいでなのでは。
 私はそのように拝察しています。

 たったひとりの——あるいは、ごく限られた——人間しか英雄になれないのが現実。
 世の中はほとんどが、非英雄として生きるしかない。
 
 非英雄が、世の中の「圧倒的多数」であるにも関わらず、その圧倒的多数がまるでないかのように、非英雄については人々は目をそらし耳を塞ぎ、口をつぐんでいる。それが現状でしょう。
 
 非英雄として生きていく指針、方法論、あるいは道しるべになるものがあれば、もう少し、同じ道でももっと速度を上げて歩いていけるはずなのに。
 為末さんはそういう「無視される多数派」のための道標を、道の脇に打ち立てていらっしゃるのではないでしょうかね。

 ゆえに。
 こちらさまは「非英雄」のためのメソッドなりなんなりを言っているのに、「そんなんじゃ英雄になれない」と噛み付いてくるというのは、お門違いとかなんとかいうよりも、「人の話、聞いてました?」ということになる。

 それにしても。

 そりゃあ、英雄になろうと思って頑張るというのはいいことですから、そういうものを目指す人は、そういうお話をしていればいいのに、なんでいちいち、「英雄ではない人生をどう生きるか」を研究する人にむかって、「そんなんじゃ英雄になれないぞ」と、怒鳴り込んでくるのかなあ。

 私はあんなごつごつした岩山なんかイヤだ、腐葉土でふかふかの山道、木が豊かな森がある天城山(あまぎさん)へ行くんだ、と思って歩いているのに、なんか関係のない他人が急に出てきて「そっちの道じゃない。そっちへいったら富士山へいけないだろう。富士山へ行くんだ」と、強引に腕を引っ張られた、みたいな感じだな。

 大きなお世話だ、あたしゃ富士山なんかいやだっていってるだろう、天城山へ行きたいんだから道が違うのは当たり前でしょう! といっても、ぜーんぜん聞く耳を持たない。

 私の目には、たまに、為末さんにへんに絡んでいる人々が、そういう人々に見えます。

 ようするに「お呼びじゃない」のですよねお互いに。
 それなのに、なぜ出てくる。なぜ、そもそも目的地が違うことを認めない?

 わからんなー。と思いつつながめ。
 また、「お門違いです」とは言わず、「自分は、あなたとは違う山に行こうとしているだけです」と、ほんとに丁寧に答えるお姿に、敬服するのでした。

 ………あたしゃとっくに、そういうあたり、ガラガラと音をたててシャッターをおろしちゃったタイプですんで。(^^;)
 
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11:34  |  身辺雑記2013  |  EDIT  |  Top↑

2013.10.28 (Mon)

現実路線

 ついにこたつを出しました……。

 とはいっても、こたつに掛け布団をかけただけですが。
 こたつやぐら自体は、シーズンオフにはテーブルとして使うから1年中おいてあるし、敷きのほうは、電気絨毯をつかっているし。
 それでも、こたつ掛けを出しただけで、冬気分ですねえ。

 こたつには電源は入れていません。
 電気絨毯の熱がなかにこもるから、ちょうどよい暖かさです。

       ●

 こういう話題はアンタッチャブルだなやっぱり。(^^;)

世界経済フォーラム「男女平等、日本は105位」に対する国内外の声
2013/10/27「誤訳御免Δ」様
http://goyaku.blog45.fc2.com/blog-entry-616.html

 個人的にはこの手の話題になると、いかにも頭の悪い男の意見が涌いて出てくるので、基本的にはあんまり見ないことにしています。(^^;)
 まっとうなご意見もあるのですが、たいていは、なんかトチ狂っている男のほうが目につくというのは、残念。
(奇妙なことに、こういう場になると女性の側からの意見というのは圧倒的に少ない)(ネットサーフィンで遊んでいるのは男性のほうが多いのかな?)

 この手の調査とやらも、具体的な数値以外は見るものもない。その国独自の文化や風俗、歴史というものを考慮すべきところ、そんなことをいっていたら膨大な量のレポートになるから、しょうがないんでしょうけどね。(^^;)
 ゆえに、そんなに真に受けることはないでしょ、としかいいようがない。

 個人的には——結局、看護婦さんや、保育士さん、あるいは介護士さんが代表例になるでしょうが、いままで主な担い手が女性だった労働市場の場合、「どうせ女がやる仕事だから、安くていい」と、不当に低い報酬体系にされていましたね。

 現在、男性がその労働市場に参入しつつあるなか、はっきりいって業務内容に対して給料が安いために、なかなか人材が定着しない。
 本来なら「男性向けに」報酬をあげたいところなんだけれども、長いこと、女性が働き手だと思ってろくに手当してこなかった——制度設計とその運用において——ツケで、改善するのが難しいことになっているのが現状。

 ………まあがんばれ。
 と突き放したいのが心情ですが——そうも言ってられない。
 
 本来なら、報酬としては不当に低く設定されている賃金体系を見直すべきところ、何を言い出すかと思えば、
「いまさら給料はあげられないので、安い外国人労働者をいれよう」
 
 ………あほかい。というのが個人的「感想」です。

 男女の経済格差を、世の中の男性諸氏は、自分には都合がいいからということで黙殺してきた結果、ただいま、男性の労働者にも同様の問題となってふりかかっている。
 結局どんなことも他人事ではないのだという好例なのですが、そういうあたり、いまだにわかっていない人が大勢いるというのは困ったもんです。

 育児休業、介護休暇、あるいはフレックス労働の設計と運用など、「俺には関係ない」と横を向いていたことが、結局、父子家庭の増加、親の介護、ということが情け容赦なく男性にもふりかかってきている。
 理想論だの妄想論だの寝言や御託はどうでもいい。
 現実にどんな問題があり、現実に、それをどう解決するか、ということでしょう。

(なにかあっても、自分には関係がないと思っている女というのもいますけどね。——そういう女性のものいいというのも、男顔負けのものがあって壮絶ですよ/笑)
(ものがわかっていない、ということについては、ほかのことと同様、男女の違いはないってことですね)

 どんな問題も、自分と無関係ということはない。
 社会というのはそういうもの。
 現実は、情け容赦もありませんよねまったく。

 福祉について、あるいは家庭の在り方のついての寝言を聞いているあいだにも、父子家庭、母子家庭、介護、学童保育のような子供の福祉といった「現実」は、怒濤となって押し寄せる。
 本来なら寝言を言って遊んでいる暇はないはずなんですけどねえ。

 男女のことについて、ほかの側面をいちいち書いているときりがないし、どうしても不快な話題になっていくのでさわらない。
 実質「社会問題になっていること」を取り上げて、考えていけばいいんじゃない。と思うけど。(^^;)
 
 目下のところ、労働市場のゆがみを是正することが、結局は誰にとっても利益になること。
 難しいのはわかってますが、安易に安い労働力を探すのではなく、報酬のゆがみがただされることを願っています。

 社会問題が解決されればいいんであって、そこでいちいち、自己弁護や、コンプレックス丸出しにして、ののしり合う必要はありません。
 いいかげんやめてほしいわそういうの。鬱陶しいから(←超本音)

         ●

 ただいま、つらつらと考えていること。

 ああ、それはけっこうつらい——と思うのが。

 たとえ、それが自分の望んだようにではなかったとしても、自分が愛されていたということを、認め、受け容れよう。
 ということ。

 基本的には親子関係の話になりますかね。

 自分は親には愛されなかった、と、そう「信じる」ことが、トラウマになり、親が自分を否定したように、自分で自分を否定し、親が自分を拒絶した通りに、自分で自分を拒絶する。

 ということがあるとき。
 問題の原因は、望ましい形で愛情を示さなかった親が悪い——と思いがちですが。

 たとえ、子供を束縛し、子供を「自分の所有物」扱いし、子供の自尊心、尊厳というものを、認めなかった親だとしても。
 それでも、その子を生み、育てたのは、親は親なりに、子供を愛していたからこそ。

 子供自身が望んだとおりの愛し方ではなかったが。

 それでも、親は親なりに子供を愛していたのだ。と。
 そこは認めよう。
 受け容れよう——と。

 形は問わない。
 ただ、愛されていたことを、認め、受け容れよう。

 というテーゼについて、ただいま取り組んでいるわけです。
 が。

 ………言っている「意味」はわかる。
 わかるんだけれども、——いやあ、そりゃつらいわ。
 ということで、ただいま、うーんと唸った「まま」でいます。(^^;)

 人間てのは不思議なもんですねえ。
 虐待する親も、子供を愛していると思っているし、たしかに心の深い場所には愛情はあるんですね。
 しかし、その親自身が持つトラウマや葛藤のせいで、その愛情も、きわめてゆがんだ「形」で現れる。

 親との関係がうまくいかないことが、結局いまの自分の苦しみの根源にあるというとき。
 自分は親には愛されなかったのだという「思い込み」があるけれども、それは「思い込み」に過ぎない。

 その親は確かにいろんなことを間違っていたがそれでも、愛情はあり、子供のことは愛していたのだ。
 愛されていた、という、その事実だけにフォーカスして、受け容れよう。

 というのですが。
 言っていることはわかるんだけれども、それができたら苦労はないよねえ。と、考え込んでます。(^^;)

 ただ。
「源氏物語」を漫画にした「あさきゆめみし」を読み返していたとき、ああ、この人はこういうところが偉大なんだな、と思ったのが、紫の上。

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(2008/07/25)
大和 和紀

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 彼女は、女三宮(おんなさんのみや)との結婚を受け容れた源氏には、ある意味、「愛想を尽かしている」んですね。信頼はうちくだかれ、紫の上の愛情は踏みにじられた。

 それでも——原作のほうはわかりませんが、少なくともこの漫画においての紫の上は、それでも、源氏が自分を愛した、ということは、受け容れているんですね。
 ここが、この人のえらいところだ、と、思いました。

 まさに、紫の上は、「自分が望んだようには愛されなかった」のですが、それでも、源氏が自分に向けてくれた愛情、それ自体は、みとめ、受け容れている。
 
 ——裏切られ踏みにじられたというのも事実ですが、それでも、自分はこの人を愛したし、この人も愛してくれたのだ、という、そのことは受け容れる。

 紫の上はちゃんと成仏できただろうな、と、私は思いましたです。

 昔はなにげなく、すーっと読み流していたけれども、こうしてみると、やはり、紫の上はえらい、すごい、とあらためて思います。

 自分が望んだ通りではないにしろ、それでも、愛情を向けられたことは認めて受け容れる。

 結局、「自分はこうしてほしかったのに、そんなふうにはしてくれなかった」という恨みの思いというのは、ようは「エゴ」ですよねえ。
 そのエゴを乗り越えたら、なによりも、自分自身が救われるんだなあ。

 ——ということはよくわかりましたが………。
 うーん………。(←凡夫)

 
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2013.10.27 (Sun)

本日お出かけ

本日お出かけのため、おやすみいたします。

今日は久しぶりの晴天で、気持ちがいい朝ですね。
二週間ぶりか?(・・;)

今日、コミックシティスパークへお出かけの皆様、お天気が良くて何よりです。楽しんできてくださいね。(o^^o)

こんな日には、ごち豚も、ゆっくり歩いて楽しめますねえ♡

私も行きたかった。(>_<)

それでは行ってきます。
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2013.10.26 (Sat)

ものいう幸せ

 先日お話ししました、オリンピック公式スポンサーのなかでもとくに影響力を持つ、コカコーラ社へ、ロシアの「反同性愛法」への反対声明を出すように求める動きにつきまして。
 反対声明を出すようにと求める12万5千ものメールが、コカコーラ社へ送られたそうです……。すごいもんですね;;
 現在、コカコーラ社は、来週には、この要請に対する返答をする、と発表しているそうです。

 世界規模で、コカコーラ社自体が反感を食らうだろうというのも、そらプレッシャーでしょうね。
 
 ………私としては、脅迫してものごとを動かすというのは好みではありませんし、結局のところコカコーラ社は反対声明は出せないだろうと踏んでいるので、……うーん。というところです。

 最終的にはコカコーラ社は動かないだろうと言いつつ、なんでこの、メールを送るということに「加担」したのか、と言われそうですが。
 それはもちろん、私自身は、「反同性愛法」に反対だからです。

 日本人はなにかっつーと、どうせ変わらないといって「オトナ」を気取りますが、たとえ表面の事態は動かなくても、今回のように10万人を超す人々が「意思表示をする」ことは、やはり意味があるのです。
 時間はかかる。それはしょうがない。
 でも、だからといって黙り込んで殴られっぱなしでいる必要は、これっぽっちもない。

 なにをどー考えても、反同性愛法には理はない。誰にとっての利もない。
 誰のためにもならず、誰のことも(最終的に)傷つけるものであるなら、やはり撤廃するのがよろしかろうということですね。

 私自身はゲイでもバイでもありませんが、やほひ本を愛好する腐女子である以上、ロシアに入国したら同法でしょっぴかれる可能性があるから、他人事じゃないんですよね。(^^;) マジで。
 じっさいの腐女子のなかには、現実の同性愛者差別をする人もいるわけなので、そうなりますとじつに同法は理不尽てことになります。ややこしい。

 だから、同法は誰のためにもならない、誰のことも傷つける、と、私としては、言うだけは言っておきたいと思います。

 それに、ロシアの人々のことを思うと、こうやってものを「言える」ことは、やはり幸せなことなんだと思いますしね。
 言える幸せをかみしめつつ。
 言うべきことは、言えるなら、言っておきたい。

         ●

「死んでも死にきれない」 野田前首相、政権奪還へ思い
2013年10月24日 千葉日報Web
http://www.chibanippo.co.jp/c/news/politics/162703

「野田佳彦前首相は23日、千葉市内で行われた加賀谷健元参院議員の慰労パーティーであいさつし、「(民主党が)今のままでは死んでも死にきれない。倍返し、10倍返しする」などと述べ、力強く政権奪還への思いを口にした。」


 わかってないですねー。
 倍返ししたいのはこっちのほうなのよじっさい。
 
 でも、それはよろしくないことですから、控えているんですよ私どもは。

 それをなんです、言うに事欠いて「倍返しする」?
 誰に?

 内ゲバ騒ぎのことを言っているなら、どうぞどうぞというだけですが、もしも万が一、民主党が政権与党ではなくなったことを言っているのなら、日本人に対して倍返しする、という意味に解釈できる。
 そういう意味ですか? そういう解釈でよろしい?

 ただいま「特定秘密情報保護法」が閣議決定されたところですが……これの新聞記事でもリンクしようかと思ったら、もう、どいつもこいつもお話にならない偏りぶりなので、引用する気にもなれません。(^^;)
 新聞記者もさあ、自分たちのほうが「大衆」よりエライから、大衆を「啓蒙」するのだ、という意識を持つの、やめなさいよいいかげん
 アタシもいい加減馬鹿ではあるが、あんたがたに騙されるほどの馬鹿じゃないよ、もう、見え透いているからやめなさいよそういうの

 もちろん同法案には問題点はある。けれども、このコンセプト自体は独立国家には必要だ、という前提にたつくらいはしなさいよ。
 もはやアメリカさんのカサも当てにせず、独立国家としてやっていこうというのなら、その意気やよしではございますがね。独立するなら自分の身を守るというのは、大前提でしょうが。
 情報管理についての法律がまるっきりない、という現状の異常さと、それによる不利益、というものをきちんと指摘しないと、偏った、例によっての「印象操作をしている」と言わざるを得ない。

 そんなにいうならそのままずばり、「スパイ防止法」でも作ってやれよと思いました。
 日経でも朝日でも毎日でも、あんたがた、ここが中共の支配下だったら、あんたがただってどんな目に合わされるかわからないよ。——自分たちは大丈夫と思える、それとも根拠があるのか?
 それはどういう取引なのかしらね。——私はここでこそ、「知る権利」を行使したいがそれについてはどうなのか。
 ふん。(←鼻息)
 
 日本がスパイ天国といわれるほど、どーしよーもない丸裸国家なのは、ご存知の方はご存知の通り。
 アメリカさんが、じつはドイツ、メルケル首相のプライベートなケータイをも盗聴していたのではなんて話も出てきて、菅(すが)官房長官に、「官房長官の電話は大丈夫?」なんて聞いていた記者もありましたが。

 日本はもとからです。
 傍受だの盗聴だの、する必要がないくらい、日本の情報なんてのは丸裸ですよ、もとから。

 国民の知る権利だ? ——へーえ。それはまたご立派そうなことを。
 それなら、民主党政権のとき、世間には公表されてないことで、連中が何をしたか、ぜひ公表してもらいたいもんですね。

 私が聞いているだけでも、民主党政権はただ売国行為というのではすまされない、「外国による日本侵略」「日本の奴隷化」工作をしていたわけですが、だーれもそのへん、なーんにも言いませんわね。

 日経も朝日も寝言を言っているヒマがあるなら、こういう情報をどんどん公表したらどうですか。

 と、私としてはすっかり頭に来ちゃっております。

 事実上のスパイ防止、あるいはスパイ行為の摘発ができることを、私は日本国民としてかなり切実に願っております。

 が。
 日本人が政権を取っているときなら現法案でもいいが、民主党や共産党あたりの、「非日本人」が、またも政権についたらどうなるかと考えると——。
 どういう歯止めを設けておくのが有効なんだろうか、と、そこは考えてしまいますね。




 どんなによいシステムであっても、時代の流れや状況の変化により、システム自体の変更を求められるようになることは仕方のないことでしょう。
 ということで、いずれくる変化のときのことをいまから心配してもしょーがない。

 結局、私どもはつねに現在に生きているので、現在必要なものなら、さっさと作ってスタートさせろということですね。
 そのシステムがかえって悪いものなったら作り替える。これしかないでしょう。

 それとも、こういう情報管理に反対するのは、じっさいは、そうやって、この国が現在必要とする手当を邪魔して、べつの誰かの利益をはかっているのか。
 そういうことなら、ある意味、納得もできますが、どうなのかしらね。




 ちなみに。
 なにがどうだろうととにかく日本が土下座をしてりゃいいんだ、という主張の方々には、以下の言葉をお送りします。



 
 
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2013.10.25 (Fri)

生きてるよ

 取引先の某さん(推定40代、男性)が久しぶりで顔を見せにきてくれました。

 あれ。ちょっと痩せたな。と思いながら世間話になったんですが(仕事の話もしますよもちろん)、
「僕ねえ、7月にちょっとね〜。アチラに呼ばれたみたいで」
「アチラ?」
「ええ、あの、もともと高血圧なんだけど、2、3ヶ月、薬をさぼっちゃったんですよ。そうしたら、会議中に倒れて……大動脈乖離だって」
「ええええええ!!!!」
 アチラって……彼岸かい!

 動脈瘤とかいうのかと思ったら、大動脈乖離!
 ようは、体のいちばんぶっとい血管が裂けたってことですよお客さん!!(誰)

 倒れたのが会議中ですから周囲には人がいる。すぐに救急車呼んで、病院へいって、その2時間後には緊急手術。

「よ……よかったですねえ、会議中で」(←軽く動揺中)
「人がいますからね〜。あれ、ひとけのないところで、夜中だったら、助かってませんよね〜」
 と、ご本人はいたって呑気なごようすでした;;

 それでも、そういうわけなので、もういつお迎えがくるかわからないから、担当が急に変わったらごめんね、みたいなことをおっしゃる。
「いやあ。それだけのことをしたらもう、体には気をつけますでしょ? 薬も飲むし」
「そうですねえ、それはまあ」
「昔から、なんかちょっとした病気があるくらいのほうが長生きするっていいますから」
 と、なぐさめなんだかどうなんだか、わけわからないことを言う私。

 ………そういうのは「一病息災」ていうんだ……。その場ではとっさに思い出せませんでした。(--;)

 まあ、じっさい、健康なのが取り柄とかいっちゃって、生活ぶりがとんでもない人のほうが、いきなりあっさり持っていかれるというのもありがちなこと。
 先日お亡くなりの、やなせたかしさんも、あれほどご長命で、本当に最後まで現役でいらっしゃりながら、じつはあれこれご病気があったとのことですし…、かの松下幸之助さんもご長命でしたが、もとは体は弱いほうだったとのことですし。

 殿方の場合とくに、お酒、タバコ、食べ過ぎ、ということを、女性よりもやりがちなようですからねえ。体にどこか不具合があって、自分で節制するくらいでちょうどいいのかもしれません。
 どうか皆様、元気で健康で長生きしてください。

 ということで、某さんもご無事で本当によかった。
 7月下旬に倒れて、10月1日から復帰だそうで……。短期間によくご回復なさいました。

 私のほうは、まあ、あれですよ。しょっちゅうあっちが悪いこっちが悪いといって、病院とはお友達状態だし、——また心配性なんで、ちょっとでも異常があると大病なんじゃないかとドキドキしてすぐに病院へ行くタイプですから、逆に、いまのところは、大病にはならないようです。

 でも、心臓発作は予兆もヘッタクレもないからなー。
 そのあたりは結局は、神様におまかせですね。(^^;)

         ●

 この秋、最大の感動。

 うちの金木犀。

 一昨年の台風と、その半年ちょっとあとにきた台風のせいで、塩にやられ、西南のほうから、葉っぱも枝も枯れ枯れになってしまいました。
 元気なときはこんもり枝を茂らせ、小鳥たちの休憩場所になっていたのに(枝と葉がたっぷり茂って重なり合って、鳥にとっては、ちょうどいい隠れ場所になるんですね)、そういうわけで、ほぼ、丸裸の状態に。

 今年の初夏、植木屋さんが来てくれて、もう完全に死んでしまっている枝などは切り落とし、回復を待つことになりました。

 もう、小鳥の休憩所どころじゃない——枝が丸見え、わずかに風をよけられた北側に、葉っぱがしょろしょろと残っているだけという、あわれな姿になってしまいました。

 また肥料もおいて、来年の春には新芽が出るといいな、などと思っていたのですが。

 一昨日の夜——もう日が暮れて、雨戸をいれようとガラス戸を開けたとき。

 ほんのりほのかに——、あのあまい香りが。
 まさか、と思って窓から金木犀の木を振り返りましたが、暗いので見えず。

 朝になって確認したら、ちゃんと、いくつか、金木犀の花が咲いていました。
 朝の冷たい風にのって、あの香りが。

 もう泣きそうでした〜;;

 植物というのは偉大なもんですねえ。南側半分が、ほぼ死んだような状態(に見える)なのに、重なり合った枝の奥のほうは、ちゃんと花芽をつけて、咲いていました。

 いい香りです。
 元気なころに比べたら、ほんとうにほのかなものですが、でも、ちゃんと今年も秋を知らせてくれました。
 五行の考え方では、秋は「金」の季節。
 やはり、秋の空気には、金木犀のこの香りがよく映えますね。

 
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2013.10.24 (Thu)

名よりは実をとる主義で

 意外ですかと聞かれれば、いいえと答えるし、じゃあ、表示を信じてないかと言われると、信じないわけにもいきませんわねと答えますね。

阪急阪神8ホテル、食材誤表示…約8万人に提供
2013年10月22日 読売新聞
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20131022-OYO1T00763.htm?from=main1

 現在名前が挙がっているなかでは、ホテル阪神さんにお世話になったことがあり、レストランで食事をしたこともあります。
 ホテル阪神はビジネスホテルになると思うんですが……、朝ご飯が高いなと思った記憶がある……ような。

 まあ、けっこうなお値段のものの場合、ちょっと珍しい食材や、やはりお高そうな食材を表記されれば、うんまあそうなのかな(値段が)、と思いますよね。
 こういう食材を使っているなら、このお値段も当然かな、と納得した側としては、通常の豚肉でした、高いエビではありませんでした、レッドキャビアじゃなくてとびこでした、などといわれると、ええ〜? と思いますよねそれは。(^^;)

 でも、お値段お高めという場合、やはり料理がおいしいとかお店の雰囲気がいい、ということもまた、お値段の考慮になるわけなので。
 ——特別な銘柄の食材でなくても、おいしいな〜と思えるものなら、それでよかったはず。

 結局、食材が珍しいかどうかよりは、料理が美味しいかどうかのほうが問題なんで……、食材が、鮮度のいいものであればたいていはおいしい。いくら珍しくてお高い銘柄のものでも、鮮度が落ちてしまえば、お肉であれお野菜であれ、味が落ちるのは当然ですもんね。

 だいいち、調理されちゃったものをみて、「これ、表示の食材とは違う」とはっきりわかる人というのはそうは多くないような気がする。
 客の立場としては、何を使っているかよりは、どこまで美味しいか、雰囲気ふくめて美味しく、リラックスして、楽しんで食事ができるか、ということのほうが、大事だと思う。

 ということで。
 消費者庁に報告するのは当然として、返金、というのはどうなのかいな、と思いました。

 レシートもなしに、証明できるんだろうか、ということがひとつと、銘柄牛肉と、じっさい使用された牛肉とでは、どこまで差額があるのか、ということ——原価の話ですもんね、なにしろ。

 返金なんてことは、この場合はいわないほうがよかったんじゃないかなあ。かえって混乱しません?
 以前にもこういうこと、ありませんでした? 返金しますなんていったら、本来はなにも買い物とかしてないヤツが、お金を不正にせしめようとして押し寄せてきて大混乱、ということが。

 じっさいちゃんと買い物をした証明になる、レシートなり領収書なり、カードの利用控えなりがあれば別ですが、そういう証明ができないものについて返金というのは、やめたほうがいいんじゃないかなと思っています。
 こういうとき、自分は関係ないのに被害者を装ってお金をせしめようとする不届きな「窃盗犯」は、絶対出てきますものねえ……。

 個別に返金するよりは(大口の、結婚披露宴とか、パーティ、宴会のお客さんは領収書はあるし、ホテル側も、名前はわかっているでしょうから対応できるとしても、個人客には難しいでしょう)、なにかほかのサービスで還元するほうが、いいんじゃないだろうか。
 差額分にイロをつけるくらいの、特別メニューを出すとか期間限定で、全般的にお値段をお安くするとか。
 
 窃盗犯を防ぎつつ、お客さんへの償還もできつつ、レストラン側もお客さんを呼び込めるということになると思うんだけど——ダメかしら。(^^;)

 で。
 こういう話を聞くたび、べつに怒りもしないで、「やっぱりね」とは言わずとも、ふーんと冷静に聞き流す自分の心理について、ちょっと考えました。

 最初から、「なんとかという銘柄牛だなんて、ウソだろ」と思っていたということではなく——その場では「へー。○○牛」と思いながら食事をして、あとから「あれ、じつは○○牛ではありませんでした」と言われても、ああそう?(平静) と言ってしまうのはなぜか。

 さんざん食品偽装の話は聞いてますから、まあそんなもんだろ外食産業なんてのは、という、冷めきった気持ちがあるのは事実。
 ただ、こちらもいちおう社会人やってますから、儲けを出すことの厳しさは身にしみているので、——もちろん不正はいけませんが、そうせざるを得ない状況については想像がつくんですね。
 で、妥当なことではないかもしれないが、同情心が働いている、ということもある。

 世の中は持ちつ持たれつ——そういう気持ちが大きいかな。

 ただ。
 私としては、そんな大げさな銘柄食材であったかなかったかよりも、食事が美味しかったか、ということのほうが問題です。

 いかにブランド食材を使っているとしても、調理のほうがイマイチだったら、釈然としません。

 最終的には、食材で判断するのではなく、おいしいかどうかのほうが大きいなあ。

 京都でなんどか経験したことですが、——食べるものについてあれやこれやとけっこうな講釈がつき、能書きをたれられ、もったいつけた説明を聞かされて、そんなにすごいものなのかと思ったら、味のほうはそうでもない——という経験がありますと。

 食材どうこうよりは、じっさい食べてうまいかどうかのほうが大事だ、というのが、私の判断になりますね。

 ということなので、なにもいちいち、嘘をついてまで、高級食材や珍しい食材をつかってますなんて、謳わなくてもいいのになー、と思って聞きました。
 高級食材使っていても、味がイマイチだったら、そのほうがガッカリですよホント。

 それでも、世の中はやはり、食材のほうに気を引かれる人が多いのかな。

 食材は銘柄よりはじっさいの味と鮮度だと思います。はい。

 あ、あと、産地偽装はちょっと勘弁してほしいですけども。(^^;)
 シナと朝鮮はご勘弁ご勘弁。

(韓国産の海苔から大腸菌、と聞いたときは、なんでそんなもんに大腸菌?! とビビりました。どういう処理、あるいは管理をしてるんだろうと思うと本気で怖い。
 ——てなわけで、先日、スーパーで、安いと思って買ってきたお菓子が、じつは韓国からの輸入品とわかったとき、うちの母は、あっさり捨てていました。
 ふだんはそういうことをする人ではないので、ちょっとビックリしました;;)

(イオン系のPB商品、原産国表示がないってホントですか?)
(うちはイオン系のスーパーには行かないので存じませんでしたが………;;)
(…て、最後にはシナや朝鮮の悪口になるのは申し訳ないのですが、でも、これが現状なのでしょうがない……)

 
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2013.10.23 (Wed)

大和撫子

 本日のどうでもいいつぶやき。
 
 ——除菌、滅菌、殺菌の違いは何か。
 抗菌てのは具体的にはどの程度の効果なのか?

 ということでちょこっと調べたんですが。

石けん洗剤基礎知識 | 日本石鹸洗剤工業会
http://jsda.org/w/03_shiki/a_sekken30.html

 こうしてみますと——除菌率99%という言い方は、そうとうおかしな表現なんじゃないかと疑問。
 おかしな、というよりも、ようはウソじゃんそれ。と思う。
 
 思うけど、ああいうの、あんまりまともに信じていないので、どうでもいいっちゃどうでもいいですね。(^^;)
 
         ●

 またこういうのを引っ張ってきてごめんなさい。
 こちら、発狂している朝鮮人に対するメッセージ動画ですが、日本語字幕もあることだし、むしろ日本人のほうに、視聴することで益があるだろうと思ったのでご紹介をば。
(なぜ日本人に益があって、朝鮮人にはないかというと、よーするに、このメッセージに対してまともな対応ができない人々だから)
(どんなにいい話を聞いても、本人がそれを消化しないことには意味がないわけです。馬の耳に念仏ってこと)

[Dear Korean People] 誹謗中傷を繰り返す韓国人達へ
http://www.youtube.com/watch?v=FXIYFvyVKBo


 私はもう30年からの年季が入った嫌韓派ですが、ビデオのアップ主、Yokoさん(以下、ヨーコさんと表記)はべつにそういうことではないとのこと。
 べつだん、特に韓国(人)を嫌っているということではないが、日本人として、不当な差別や侮辱にはきちんと、日本人として主張する、ということですね。

 嫌韓派とは呼ばれたくないごようすなので、そこは私も、確認事項といたします。
 
 さて、なんにしても、ヨーコさん。
 ご立派だと思います。(--;)
 私も、ヨーコさんと同様の気持ちになろうとさんざん努力してきたんですが、2002年でキレました。もうやめましたそういう理想論。
 そういう、寛容の精神、隣人愛、相互尊重の精神、——んなものは、これっぽっちも通用する相手ではないということが骨身に沁みましたので。

 さりながら、人間の「理想の姿」としては、まったくヨーコさんのおっしゃるとおりなので、思わず反省しながら視聴しました。

 本動画を見ながら、
「この動画、すごくいいものだと思うんだけど、無駄だろうなー。朝鮮人は、反論できなくなると発狂するだけだもの。反省とか内省とかって概念、皆無だもん」
 と思いながら見まして、見終わってからコメントをのぞきにいったら……案の定。

 ほんと、救われない連中………。

 こんなに親切に、寛容の精神でもって、「公正」とはどういうことかを説明してくれる人はなかなかいませんよ。
 私などは、動画の最後のほう、韓国が本来ならば取るべき指針を示したあたりは、
「や〜め〜て〜! よけーなことは言わないで〜」
 と叫んでしまったほど、彼女の言っていることは、寛容であり、公正ですね。

 やっぱりねー、朝鮮人はこういうもんだよねーと思いつつコメント欄を見ました。ハングルで書き込んでいるのは無視することにして、日本語と英語のほうをみましたが。
 日本語のほうはもうね——日本語が達者なのは、これ、在日朝鮮人なんでしょうね書き込んでいるの。
 もう、こちらのほうも毎度のことなので、驚きもない。並んでいる言葉は、代りばえしないですね。芸がない。もうちょっと面白いのをお願いしたい。
 
 で、あとは、英語にしろ日本語にしろ、なんだかむちゃくちゃなので、もうちょっとどうにかならんかと。(^^;)
 自動翻訳をつかっているのでしょうが、もうちょっと自分なりに推敲しないと、まともな構文になってないから、英語に堪能ではない私には、なおさら意味不明。
 もっとも、何を言っているかはよくわかりませんが、だからこそ、発狂ぶりはよくわかります;;
 
 自分で自分のバカがわかれば、馬鹿じゃない——と。
 高校生だった私に、じつに適切なことを教えてくれたのは誰だったのでしょう。半分やさぐれていた私は、下手な慰めだとしか思わず、まともに聞かなかったせいで、誰に言われたかを思い出せないのです。
 ああ若い日の私は(今よりも)愚かでありました、——あれは、真実だったのですね。
 どなたかはわかりませんが、当時はまともに聞かなくてごめんなさい。ありがとうございました。
 
 なんにしても、ヨーコさんの寛容と公正の精神には、恐れ入りました。
 私としては、「よけいなことはいわないでください。断交してほしいんです」と言っちゃいますけど。(^^;)

 でも、私のそんな思いも杞憂というもの。
 ——大丈夫。朝鮮人がまともに話をする日が訪れることはないから大丈夫だ、と。
 確信できたコメント欄でした。よかったよかった。

 おおむね、英語のコメントは発狂した朝鮮人のようですが、たまに、まるで部外者となる地域からの、小さな応援メッセージもありまして、こちらはありがたい限りです。

 問題が何であるにせよ、本来なら、発狂などせずきちんと話し合うのが最善の方法だということは、どこのどなたも、反対なさいますまい(シナ朝鮮をのぞく。あ、あと、テロリスト集団)。
 いかなる理由があれ、ひたすら侮辱と中傷を繰り返すだけの態度が、支持されるはずもない。
 ——ということで、アメリカとラテンアメリカはあなたとともに、というコメントがありまして、頭が下がりました。

 もちろん、このコメント主は韓国を侮辱しているのではなくて、そういう態度は自身のためにならない、そういう態度をあらため、話し合いができるだろうことを願う、とおっしゃっていて、ごもっともな態度です。

 あるいはべつのコメントのなかに、EU出身と名乗る方のコメントがありまして——現在ソウルに赴任中らしいのですが、いったいなにがあったのやら、おそらくは日本とは関係ない方なんでしょうに、それでもじゅーぶん、無礼なことをされたり不快な目にあっているとのことでした。

 朝鮮人て、全方位型差別主義ってところがすごいですね。

 私も、以前には、日本は過去の因縁があるから朝鮮人に嫌がらせをされるのだと思っていたのですが、じつは彼らは、全方位に嫌がらせをするのだ、ということを知りました。2002年の日韓分催W杯のときに。

 日本相手になら何を言ってもいいと思っているのは事実でしょうが、しかしこれは日本「のみ」に行われることではなく、彼らは、ありとあらゆる国に対して、同じことをするのだ、とわかったときは、衝撃でした。
 
 そうそう、この動画の冒頭、ヨーコさんは、発狂コメントを寄せる朝鮮人たちに、「愛国心が強いんですね。うらやましいです」みたいなことをおっしゃってますが。本気なんですかねこれ?
 日本人が本来の意味での自尊心を崩壊させたのは事実ですが、朝鮮人のアレも、プライド、などというものではありません。
 たまにコンプレックスのことをプライドと見誤る人がいるようですが、彼らの場合はプライドが高いのではなく、あまりにも劣等感が強すぎるのです。だから発狂するんでしょう。
 まともな自尊心がある人間だったら、ああいう醜態をさらす自分というものには耐えられませんよ;;
 そこのところは間違えないようにお願いしたい。

 まちがっても、ああいうものをうらやましいだのとは言わないようにお願いします。

 なんにしても、ヨーコさんご自身はよく勉強もなさっているし、公正の視点をお持ちであり、じつに理路整然とお話をなさる、ということで、感心致しました。
  
 従来の、男にとって都合がいい幻想の女性像とはまったく異なる意味になりますが、大和撫子これにあり、というところだなと思って拝見しました。

 —— 一本(ひともと)の なでしこ植ゑし その心 誰に見せむと思ひそめけむ
(万葉集 巻十八 大伴家持)
 
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2013.10.22 (Tue)

見るまえに跳べ

「Best」に縛られるあまり、「完璧」を求めるあまり、身動きがとれなくなっている——批判するばかりでじっさいの自分の行動がとれない、という件について、あれこれと私も考えておりまして。

 私も、——完璧主義というよりは、並外れた臆病者で、「石橋を叩いて壊す」ところがあるので、なんともひとごとではないことよのう、などと考えているとき、ちらっと脳裏をよぎったのが。

 ——見るまえに跳べ

 という言葉でした。

 あれ、これのオリジナルって、なんだっけ、と気になりまして。
 いえ大江健三郎じゃない。大江健三郎よりさらにさかのぼれるオリジナルがあるのです。

見るまえに跳べ (新潮文庫)見るまえに跳べ (新潮文庫)
(1974/05/28)
大江 健三郎

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 あたしゃ20歳くらいのときに大江健三郎は挫折しましてね——なんで挫折したかは、この人の反日活動を見て納得しました。
 そういうものが作品に反映されるわけでも(必ずしも)ないんですが、でも、なーんとなくダメだった、という理由が、はっきり見えた気がしましたよ。(^^;)

 閑話休題。
 はてこれはなんだったか、と調べたところ、W.H.オーデンの詩とのことでした。
 私はこの人の作品は読んだ記憶がないのですが、アメリカ文学になるのかイギリス文学になるのか、いまいち判然としませんが、学校では、そのどちらも文学史概説を取っていたので、どこかで頭のすみに残っていたのかもしれません。

 見るまえに跳べ——Leap Before You Look.
 短いので、本文をご紹介しますね。


 Leap Before You Look
               W. H. Auden
The sense of danger must not disappear:
The way is certainly both short and steep,
However gradual it looks from here;
Look if you like, but you will have to leap.


   見るまえに跳べ
               W. H. オーデン
危険の感覚を失くしちゃいけない。
君の行く道は、たしかに、急で険しいものだ、
ここから見ると 緩やかなものに見えるけれどね。
好きなだけ見ていていいさ、でも君はどのみち跳ばなきゃならないんだ

(拙訳)




 wikiでみたら、オーデンさんというのはかなり経歴が複雑な人でした……。
 この詩も、なにか事情を含んでいるのかもしれませんが、よくわからないので、すなお〜にこの詩を読みますと。
 まさしく——Bestのもの、完璧な状況、完全無欠の環境など待っていないで、「跳べ」、ということなんですね。
 
 そんなことをいくら考えても、最後には跳ばなきゃならないんだから、時間を引き延ばすなと。
 もちろん、リスクはある。
 だから「危険の感覚」をなくしてはならない、と。

 事前にどれほど「見て」、つまり、調べても検討しても対応策を講じても、道が険しいものだ、ということからは、逃れられない。

 ゆえに——「危険の感覚」を忘れずに持って、跳べ。

 なにかを始めてみようかと思ったとき、あれこれ調べてみるというのは当たり前なんで、それはそれでいいんですけれど、あれがダメだこれができてない、いまの自分はこれが足りない、あれができない、それらの問題をぜんぶクリアしなければ——などと言っていたら、いつまでも、「見ているだけ」で終わっちゃう。

 そんなことをいっても、どのみち、「危険」「険しい試練」はやってくるのだから、——逃げられるものではないのだから、もう、さっさと跳べ。

 ………至言だなあ。
 
 面白いのはこれは、英語のことわざ「転ばぬ先の杖」——Look before you leap (跳ぶまえに見ろ)のもじりであり、また、逆の意味の助言になっているというところですね。

 どちらのことわざも、間違いではない。
 事業計画もたてずに起業するのはバカとかいうレベルの話じゃないですし、しかし、計画書を積み上げてはそれに難癖を付けているだけで、 結局、行動しないとうのでは、意味がないわけですし。

 どうも自分はそそっかしくていけない、という人は、「跳ぶまえに見」て、挑戦したいけど怖い、という気持ちで揺れているなら、「見るまえに跳べ」と、自分を鼓舞するのがよろしいでしょう。

 なるほどなー、と思いました。

 脳味噌にちょっとひっかかって、ん? なんだっけこれ? と思って調べてみたことの、覚え書きとして、本日は書いておきます。

 
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2013.10.21 (Mon)

シンクロニシティ

 昨日の「八重の桜」。

 のちの徳冨蘇峰ですが、それが恩師だとはいえ、考えてみればキリシタンに取り囲まれてキリスト教の話をされているのに、笑顔で「どうも信じる気になれないんですよー(にっこり)」ということを、言い切ってしまうところに、うっかり惚れそうになりました。
 
 えらい。

 あの一神教の押し付けがましい布教だか説教だかのしつこさというのはまったくすさまじいものがありますよね。
 私が嫌いな、マッチョな正義感たっぷりですから、そういう神を信じないという人の言い分なんか、猫の毛の先端ほどにも聞かない。

 お釈迦様は「人を見て法を説け」とおっしゃったが、そういうやわらかい対応など期待のしようもない。

 ということで、私もそういう、けっこう強烈な説教を、しかも何ヶ月間かにわたってくりかえされ、そのしつこさには辟易するのを通り越してマジギレしたという経験があるものですから。

 たとえそれが恩師や親友たちであっても、ああいうしつっこいのを押し付けられても、にっこり笑って「勘弁してくださいよー」はえらい! かっこいい!! 猪一郎さんたら超クール!! あの地獄の責め苦を笑顔でしのげるなんて!!
 ——と、真剣に感心しました。

 ………私にとってのキリスト教のイメージの悪さ、わかっていただけるでしょうか。(^^;)

       ●

 昨日はちょっと面白かったですねえ。ちょっとしたシンクロニシティを感じました。(^^)
 
 「ほぼ日」の、糸井重里さんの「今日のダーリン」は、野球の試合を見ているとよく感じるしよくいわれもする「流れ」についての考察でした。
 流れ、というけれども、それは、(野球の試合なら)両チームでもって作り出しているものなのでは、と。
 片方が、攻めていけるぞ、と思い、片方が、「やられちゃうかな」と思うとき、試合、勝敗の流れ、が生まれる。

 これもしかして、両手をぱちんと打ち合わせて音を鳴らしたとき、右手が鳴ったのか左手が鳴ったのかという、有名な公案みたいなものかしらと思いました。
 
 でも、そんな流れなんかに飲み込まれず、自分有利であるように、わざと「誤読」しちゃえ、というような話になり。

 「流れ」は読んでつくるものだと思うんだ。
 問題は、その読み方の説得力じゃないのかなぁ。



 という結論で終わるのですね。

 で、同日 NHK BSでは、アメリカのメジャーリーグのリーグ優勝がかかった試合を放送してまして、ゲスト解説が川崎宗則さんでした(3連続登板・笑)。
 正直言って試合の内容より、ムネリンこと川崎選手のお話のほうが何かと面白かったのですが(…をい)、こちらでも、川崎さんの
「(自分は)流れは読まないですねー」
 というお話があったので、おお、シンクロニシティ、と興味深く思ったのでした。

 その、(勝敗の)流れが来ているとかいないとか、「流れを読んで」考えていると、ようは、その流れとやらに呑まれちゃう。いい流れだろうが悪い流れだろうが、考えない。ただ、打席に立てばヒットのことを考えるだけだし、守備につけばいい守備をすることを狙う。
 試合中は、流れがどうこうなんかじゃなく、ただ勝つことだけを、そのために自分がすることだけを考えている、と。

 なーるほどなー。と思いました。

 あうんの呼吸と申しますが、「流れ」を読む、ということもまた、ある意味、阿吽の呼吸でしょう。
 で、あえて、そういうものから外れてしまうのだ、と。

 たぶん、阿吽の呼吸を考えるときというのは、「自分がセンターにいない」んだと思うんですね。
 それがいいときもありますが、それを遣り過ぎちゃうと、自分自身を殺すことになっちゃうときもある。

 そんなときは、「自分をセンターに」することが大事、と言えるんでしょう。
 しかし——意識というものにおいて、自分をセンターにするって、これがもう、口で言うほど簡単じゃないんですよね〜。

 わがままであることとは違う。けれども他人に流されるのももちろん違う。

 ということで、その「あえて流れは読まない」川崎宗則選手は、スゴイ人だと私は思います。
 ………あやかりたい。(-人-) ←思わず拝む。

           ●




 自分で自分に期待して、わくわくしている人と、「こんなんじゃダメだ。ああいう風じゃなきゃダメだ」と思って自分をいじめている人と。
 傍目には、どちらも、「努力を続けている人」にしか見えない、というところが、厄介なんでしょうかな。

 日本人は圧倒的に、後者のほうを好みますね。
 努力するときさえ、堅忍不抜、ストイック、というよりももはやマゾヒスティックな「求道(ぐどう)」「修行」みたいなの。

 ただ。
 その人の努力がどちらなのかは、じつのところ、他人には(見た目では)わかりません。

 こんなんじゃダメだ、というのは、妥当な向上心なのか、それとも、ある意味、自分の身のほどをわきまえない、その人には高すぎる理想を掲げているだけなのか、——これは、傍目には、なかなかわからない。

 周囲からの評価が低いのをものともせずに、コツコツやってきて、ある日、ついにブレイクスルー。ということがあったり、逆に、周囲から、この人ならできるだろうと期待をかけられていたし、本人も努力はしていたが、なにかに押しつぶされたような結果に終わるとか。

 これはつまるところは、「他人から見たのではわからない」ものが、あるからだと思います。

 自分で自分に期待して、自分でわくわくしている、それゆえの努力と。
 自分を否定しながら高い理想をかかげて、本人は悲愴なくらい真面目だし努力もしているが、風車に突進するドン・キホーテの「妄想」に過ぎない「努力」。

 他人にはわかりません。その人がしている努力は、それらのどちらなのかは。
 わかるのは自分自身だけ。
 他人がどうこうではなく、人からの評価があれこれではなく、自分はどんな思いでどちらを向いているのかは、自分で自分に問いかけてつかむしかないんですよねえ。

 妥当な目標なのか、それとも、無謀すぎる理想なのか。
 自分を楽しんでいるのか、自分を否定しているのか。

 人間は何よりも自分自身に嘘をつく。
 潜在意識にあるものを、表層意識はへんなふうに言い訳したり、責任を他へなすりつけたり、それを正義だと信じていたり。

 そのモチベーションが、自分への健全な愛から起きたものか、それとも、自分を否定していじめるためにこじつけたものなのか。
 見極められるのは自分だけです。

 もちろん、理想や高い目標を持つというのはいいことですが、それが「なんのため」なのか。
 それは本当に「自分の心からの本心」なのか。

 これは、他人様に聞いて回っても、誰も教えてくれないこと。

 けれども、自分で自分を否定し、いじめぬくための目標であり努力であるなら、それはもう、成功するほうが奇跡だというくらいのもんでしょう。

 今回のこの「Best」に縛られるという心理状態についてのツイートでも、やっぱり、へんなふうに為末さんに絡んでいるものが見られるのですが、——よそながら拝見して、
「それは他人に聞くことじゃないな」
 と思いました。

 右も左もわからずにいるとき、その混乱状態はようは、潜在意識にあるものと、自分つまり日頃の表層意識が「信じ込んでいる」ものとが、ぜーんぜん一致していないときに起こるものだ、と、それがわかるだけでも、人間、少しは気が楽になります。
 為末さんが繰り返し書いているのは、ご自分の経験から、ぱっと見ではわからない内心のありさまを、簡易な地図を書いて、こうなっているよ、と示しているんですね。

 真っ暗闇のなかで茫然としている人間には、けれども、かんたんな地図ではあっても、自分がどこにいるのかという現在地をつかめるだけでも、ありがたい光明になる。
 おそらくは、そういうことで、書いていらっしゃることだろう、と拝見します。

 地図は簡単なものなので、じゃあどの道をどう歩きゃいいんだよ、などと、それは他人に聞くことではない。
 あとは自分で歩きながら、簡易な地図を、具体的にわかりやすい地図に、自分で確かめては書き込んでいくしかありません。

 内側にある葛藤が、どこからどう始まって、こんがらがって、自分が何にしがみつくがゆえに苦しんでいるか。それは、自分で覚り、自分でほどいていくしかないんですよね。

 冷たかろうが厳しかろうが、それが存在のありようなんだからしょーがない。

 とりあえず、あんまり人様に八つ当たりはしないようにしましょう……と思って拝見しました。
 私も、でも、これはよくやるので(八つ当たりする相手は人間ではないというだけ)、人の振り見て我が振りなおせ、気をつけようと思いました。(^^;)

 
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2013.10.20 (Sun)

危機への「正しい」感受性

 今朝は水をコップ1杯飲んだだけで、「朝飯前」で働いてきました……。
 お腹減らして帰ってきて、がーっと食べて、片付けをして、ただいま、やれやれとパソコンの前に座ったところ。

 久しぶりでゆっくりコーヒーを淹れて、基本、私はコーヒーはブラック紅茶はストレート派なんですが、胃の調子のことを考えて豆乳を少し。

        ●
 
外国人は日本の放射能汚染をどのぐらい恐れてるのか? 海外の意見を覗いてきた
ブログ「誤訳御免Δ」様 2013/10/19 エントリー
http://goyaku.blog45.fc2.com/blog-entry-612.html

 そういえばこういうニュースもありましたね。

福島県産の食品購入、「ためらう」17% 消費者庁調査
2013/10/7 20:26 日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0703C_X01C13A0CR8000/

 私としては、1%でも多いと感じるところなので、頭蓋骨のなかに脳味噌じゃなくて赤味噌が漬かっていそうなのが2割弱もいやがんのか——と思い、
「もう、馬鹿を相手にすんのやめようぜ」
 と独り言が出ました。
 なぜ馬鹿と呼ぶかは説明しません。説明ならほかで親切にしてくださっている方が大勢いらっしゃるので。

 ということで、外国人はどうなのかな——というのは私も興味ありましたが、冷静ですね〜。
 こうなると、世界規模で見ても、朝鮮人がいかに××なのかが浮き彫りになりますね。
 
 日本政府は、韓国を相手にWTOの会合で理路整然と、禁輸措置解除を求めていますが——まことにけっこうなことだと思います。
 日本からの、禁輸解除の要請に対する韓国側のものいいというのは、奥歯と前歯にものがはさまりまくったみたいでしたが、——情報不足、提供された情報を精査、なんていってましたが、……こういう理知的なものの思考と判断ができない人間は、どんだけ科学的データを積み上げても、無駄なことでしょう。

 それでも、韓国がさらしてくれたこの手の馬鹿を、ひとつの代表格として扱い、公の場で、秩序立ててその非を指摘していくというのは有効です。

 外国人がおおむね、冷静なのをみて、私もホッとしました。
 ドイツあたりの報道はあいかわらずみたいですがね。(^^;)
 報道関係者がアレで、案外、一般市民のほうが冷静、というのは、全世界的な傾向なんでしょうかねえ?

 ブンヤの皆さんはそれでも、大衆よりは自分たちのほうが「優れている」と思い込んでいるところが、笑えますけど。

 私のなかでは、ドイツのイメージと株は大暴落中です。
 最近じゃ、「ドイツぅ?」なんて、聞いただけでイヤな顔をする始末。

        ●

 今日はうちのほうでも雨になっていますが、伊豆大島はもう、激しい雨になっているそうですね。
 避難勧告も出されて避難となっているようですが——島の地形をみますと、島の中央部分に火山があって、ああなるともう、全島に土砂崩れの危険性があるという感じで、事実上、島内には安全と思われる場所は、ほぼ、ないのでは、という気持ちがして、胸がざわざわしてきます。

 今年はとにかく台風が大量発生で、これ以上の被害が出ないことを祈るばかりです。
 ひとことじゃなくて、うちのほうもだ。(山の麓なんで)

 避難勧告についてはあれこれ言われていますが、勧告は「命令」ではありませんし、行政がなんもいわないから避難しないというのも、それはちょっとどうなのかと思われるところもありますし——地域全体としては問題なくても、たまたま、自宅裏にある山の斜面で異常があるのをみたら、勧告なんか待っていないで避難してもいいでしょう。
 行政による指示や勧告がなければ「避難してはならない」ということはないですから。

 自分の身は自分で守る、ということを、社会認識の基本にしたいですね。

 どうもこう……なにもかも、他人任せ、おんぶに抱っこ、それなのに行政から指示があってもおとなしく言うことを聞かない、ぶーたれる、そのわりには事態が起きたときにはまた他人のせいにする、というパターンが聞こえてくると、こんな意識では、助かるものも助からないのは当たり前だと言う気持ちになってきます。

 私の場合は小学生のころから東海地震のことを聞かされ、1年を通じて、あれこれと災害の話や、防災訓練、町内のお祭りを兼ねて炊き出しの訓練(……ほとんどお祭りのノリになっちゃうんですけどね。(^^;))、と、そういう感じで過ごしているのと、なにより私自身が相当な心配性で、わりと、災害の話は「自分のこと」で聞くところがあるもんですから。

「自分だけは大丈夫」
 という意識はなぜ、どこからくるのか、聞いていて、不思議に思うことがありますし。

 かりに行政に何らかの落ち度があったにせよ、致命的な落ち度と思われるものはじつはほとんどない。
 それとも、なにもかも行政任せにするひとは、行政側を神様だとでも思っているのでしょうか。なにもかもを予見し、なにもかもを完璧に対応「できる」スーパーマンの集団だと?

 震災のとき、被災地には古来から、津波のときは、「命てんでんこ」だという言い伝えがあったと聞いて、なるほどと思いました。

 もちろん行政の役割も小さくありませんが、それでも、「緊急時」では、自分の身は自分で守る、各自がそうすればみんなで助かることができる、というのは、現実的な対応でしょう。
 それくらい、緊急事態、というのは厳しい、死と隣り合わせの場面のことなのだと。

 ………どうも現代人はそういう認識が崩壊しているようで、こういう説明していても、意味不明の反発をしてくるひとも少なくないんですよねえ。
 いや、べつに私はいいんですよ。危機感を持って、いざというときは自分で判断、行動する、という気構えをもったほうがいい、といっているだけなんで。
 他人様におんぶに抱っこでなにが悪いと開き直られたら、ええもうどうぞお好きにというだけです。

 それで生存のチャンスを逃しても、それはその人の選択の結果ですから。あたしのせいじゃない。
 危機感があれば生き残れるという話でもありませんしね。
 ただ、自分の身は自分で守るという意識があれば、逃げるチャンスにも敏感でいられるというだけのことなんで。

 現状、いちばんヤバイのは、行政でも気象庁でもなくて、「危機」にたいする心構えがない、ということなのかもしれません。
 私個人はそのように思うことが多いです。

 いずれにしても、台風が無事に通過することをいまは祈るばかりです。

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2013.10.19 (Sat)

警笛は無しで

 今日は朝から、箱根駅伝の予選会(生中継)を見て、耳鼻科へ行ってきました。

 本戦たる箱根駅伝とはまた違う面白さのある予選会です。
 途中まで中継を見て、それから病院へいきました。
 結果発表の時間までには戻って来れないなと思ったので、録画して出かけてきました。

 うーん。いつものことながら、結果発表は過酷ですねえ……。まあ、しょうがないことなんだけれども。

 ところで。
 今日、中継をご覧になっていて気がついた方、いらっしゃいますかね?
 立川駐屯地を出てほどないころだったと思うのですが、——沿道には各学校の応援がいて、学校の幟(のぼり)も相変わらずのにぎやかさで林立していました。
 その多くの幟のなかに、異彩を放つ幟があったのを。
 すなわち、

 ——自衛官募集

 と。

 なるほど、ここには体力気力横溢の青年たちが集まっているわけだから、絶好のリクルート場所かもしれない! と思わず膝を打ちました。

 その後、画面をずーっと見ていたのですが、自衛官募集の幟はあれっきりでしたねえ……。
 駐屯地を貸しているんだから、もうちょっと派手に並べてもよかったかもしれませんよ。けっこう視聴率とれていると思われますし。

 それにしても、スタート地点は駐屯地内の滑走路だったとか。道理で広いわけだ……。
 滑走路か。入りたくてもなかなか入れない場所だ。(^^;)

       ● 

 あー。これ、ちょっとだけワカル。

お礼のクラクション勘違い…警官まで殴った男
2013年10月18日11時02分 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20131018-OYT1T00404.htm

 基本的にクラクションはそうめったやたらに鳴らさないことになっています(道交法)。
 じっさい、私も、道を譲ったらパーッと鳴らされて、それがまたちょっととっぽい感じの車とドライバーだったため、素直に礼を言われたとも思えず、
「いまの(クラクション)、どっちの意味だろ?」
 と考え込んじゃった経験があります。

 基本的にはクラクションは警笛ですから、あんまりこう、やさし〜いニュアンスは出せませんよね。
 いくら軽いタッチで鳴らしても、やられたほうにはどうしたって、威嚇されたような感じがするはずなので、お礼の意味なら、やめたほうがいいと思う。

 基本はやはり、ちょっと手を上げる(対向車に合図するなら、左手を上げたほうが、見やすいですね)ことでしょうが、私はよく頭を下げてしまいます。
 路上教習のとき、通常、教習車なんてのは一般車からは嫌がられるものですが(トロイから)、右折するのを譲ってもらったことがありまして。

 教習というのは法律に厳密に従った運転になるので、ゆずってもらったとしても、直進車がいるのに右折はできないのが本来ですが、教官が「行かせてもらいなさい」というので、そうさせてもらいつつ、対向車に向かって深々と頭を下げて通りました。
 教官には、
「お礼を言うのはいいけど、そんなに頭を下げない(笑)」
 前方不注意になりますからね。(^^;)

 面白かったのは、朝の通勤中、超絶混雑しちゃった国道へ、脇道から入ろうとしている車があったのですが、当たり前でしょうが、ぜんぜん入れない。
 渋滞中となるとみんな気が立ってくるし、そうではなくても車の流れの切れ目というものがないので、なかなか、入れないんですね。

 さすがにこれは気の毒だと思って、私の前に、どうぞと譲ったんですが。
 その人は、私の前に入ったわけですから、私から見えるのはリアガラスごしになるのですが、ふと見たら、先方のルームミラー(バックミラー)越しで目が合いまして。
 そしたら、そのおにいさん、思いっきり左手を振ってくれました。
 ちょっと和みました(笑)

 やはりいちばん確実なのはアイコンタクト、ってことでしょうかね〜。
 できれば自動車も、和やかに運転したいものです……。

     ●

 テレビ番組というのは不思議なもので、チャンネル数がどれほどに増えようとも、見たいと思う番組が、ないときには、ほんとにひとつもない。

 であるのに、見たいものがあるときは、複数重なってしまって、どれを見ようか悩むことになる。
 もうちょっと上手い具合に割り振れないのか——と、うちの母がぶつぶつ申しておりました。(^^;)

 昨夜は、2時間もののサスペンスドラマと、連続ドラマの「クロコーチ」の時間帯がバッティングし、母は双方のチャンネルを反復横跳びしながら見ていたようです。
 録画しようか? と言ったんですが、「そこまでではない」というつれないお返事。(^^;)

 ああ、でも、「クロコーチ」、面白いですよねけっこう。
 あの3億円事件には私も興味があるのですが……。
 原作、読んじゃう?(笑)

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