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2013.07.31 (Wed)

自分を大切に

 今日で7月も終わりか〜。早いですねえ。
 それにしても……暑いというより「蒸すな〜」というほうが、ちと堪えますね。
 暑いこと自体にはわりと対応するんだけど、湿度というのはどうにも……対応のしようがない気がする。エアコンがなかったらどうなっていることか;;

       ●

 またへんなことを思い出したのでひとつ。

 高校を卒業し、東京都下の大学へ進学いたしました。
 私がいたのは八王子市で、まあ勉学に励むのにはいい環境でした。

 夏休み前にいちど、べつの学校へ進学した、高校のときの友人と待ち合わせて出かけることにしたのですが。
 無事、駅で落ち合い、目標の外出先へ行こうとしましたが、どうも、何線に乗ればいいかがわからない。
(当時はネットもなんにもない時代ですんで)

 ぴあを片手に、駅の切符売り場にある、路線図を見て、確認しようとしたんですが——友人が、いきなり私を引き止めました。
「なに」
「えー、だって、恥ずかしいよ」
 と言い出しました。
「恥ずかしい? なにが?」
「だってさー、ぴあを広げて路線図見てるなんて田舎もん丸出しじゃん」
「なにをおぅ?」
 思わずへんな声が出ちゃいましたね。(^^;)
「田舎もん丸出しって……、田舎もんなんだから当たり前だろう!」

 ………田舎もんというか、この場合「おのぼりさん」ですね。

「路線図みないと、何線にのって、いくらの切符を買えばいいかもわからないでしょうが」
「そうだけど……(もぞもぞ)」
「んじゃ、路線図みないで駅員さんに聞くのか?」
「え〜……(もじもじ)」
「ああそう。わかった」
 ある意味、あたしゃぷちっとキレましたな。
「アンタ、そこの柱のそばで、いかにも人と待ち合わせですみたいな顔して立ってなよ。(私とは)他人の顔してればいいよ。アタシ、調べてくるから」
 思わず吐き捨てて、まだなんだかグズグズ言いそうな彼女を置いて、「田舎者まるだしで」、路線図をみて調べていきました。

 いかがでしょう。
 この友人が言っていたこと、同感する人って、多いんでしょうかね。

 田舎に住んでるんだもの、田舎者なのは「当たり前」でしょうよ。
 おまけに、東京にいる人間なんて、かなりの割合で田舎出身でしょうがよ。
 なんなんだろうああいうものの考え方って。

 いま考えても不思議なんですが、路線図で調べもせず、駅員さんに尋ねもせず、調べる手段を放棄して、——私がいなかったら彼女、どうするつもりだったんですかね?
 まだ18歳くらいの年齢ではありましたが——ああいう「感覚」というのは、年齢とは関係なくて、ものを考えるときの価値観とか、ものの見方とか、判断の仕方、というのは、年をとってもあんまり変わらない気がする。

 けして悪い人ではありませんでしたが——そういえば、その友人とはいつのまにか、疎遠になってしまいましたなあ……。

 田舎者であることは恥ずかしいか?

 私はべつに、恥ずかしいとは思いませんね。
 田舎もの、という言葉に、軽蔑の意味が入るということはわかっていますが、その軽蔑は妥当なものだろうかと考えますと、とうてい、そうとは思えません。
 だいたい、そうやって他人を田舎者と蔑む本人が、田舎出身だったりしたら、意味不明どころじゃないですよ。

 ものを知らないというのを馬鹿にしているのかもしれませんが、それはお互い様。
 田舎者は田舎者で、——かっこいい高級車で田舎へ来て粋がるのはいいが、カーブが続く山道を、時速40kmで走りやがる「東京もん」には、頭を抱えているわけですし。(^^;)
(また、単に速度が遅いだけではなくて、ようはハンドルが切れないみたいで——すみません、ちょっとイライラしております;; でも、無理して事故る必要はありませんから、ゆっくりどうぞ)

 おたがいさま、ということです。

 よそものが、よそさまの土地へ行ったら、なにかと不案内で、勝手が分からずにいる、というのは当たり前のこと。

 それが「恥ずかしい」ってどういう意味だよ。

 しかも——べつに他人からはなにも言われていない時点で、みずから、「田舎者丸出しで恥ずかしい」たぁ、なにごとだ——と思ったんですよね。私としては。

 正直言っていまだにわからない。
 見知らぬ土地へ来て、なにかと不案内で、駅でうろうろしているのは「恥ずかしい」ことですか?

 なんかこう——べつに誰も何も言っていないのに、自分自身で自分を貶めるというのが、どうも癇に障る。

 同じ理由で、自然が豊かなところなのに地元民が「このへんはなにもなくて」などというのを聞くのがいやでしてねえ。
 何もないって——アンタの目はどうなってんだ。これほど豊かにものがあるのに、見えないのか。そう内心でつぶやいていたりします。

 私の目からみると都会のほうがよほど「なにもない」もんなあ……。夏の日、蝉の声が聞こえない街角に立っていることに気がついたときの気持ちの悪さといったらなかったですよ。
 ……「沈黙の春」だ、と思いましたねじっさい。
 このあたりについては私は本気で憂慮しているのですが、それはまたべつの話。

 それぞれの人にはそれぞれの立場がある、ということ。
 それだけのことなんで、いちいち、自分から、自分の立場を放棄して、他人にあわせて、しかも自分で自分を見下げる必要はない。

 で、そうやって、自分の地元を田舎だと馬鹿にするいっぽうで、都会(の人)にたいする「怨念」を語る人というのもあるわけで、あれは——ほんとに勘弁してほしいと思います。
 コンプレックスのかたまりになっている、ということが、自分でわからないか。

 またなんだか変な話になりましたが;;
 他人のことよりも、まずは自分を大事にしましょうよ、ということになるんでしょうかね、この話って;;

 ——自分で自分が何を言いたいのかわからないというのも、困ったもんですね。(^^ゞ
 
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2013.07.30 (Tue)

ふたつをわかつもの

 生死を分けるものは何だろう、と、たまに考えます。
 夏になりまして、水の事故の話を聞くことも増えておりますが——その死亡事故の話を聞くにつけ、自分がまだここにいて生きているということが、不思議に思えることがありまして。

 海水浴では離岸流に流されたこともあるし、川遊びでは、いきなり流れが他とは違う場所に、一瞬だけど、入り込んじゃったこともある。

 いずれでも、死亡事故は起きているということを考えると、「よく助かったな」と思いますね。

 とくに、離岸流に流されたときは、自分でも、運がよかった、と思います。

 小学校3、4年生のころでしたでしょうか。
 家族で海水浴へいっておりまして、母と弟は浜に残っていましたが、父と私はてんでに泳ぎに夢中になっておりまして。

 私はそのとき浮き輪をつけておりました。
 ふと、足下から冷たい水がさーっときて、それに包まれたと思ったとたんに、自分の体が、ぐんぐんと沖に向かって流されていくのがわかりました——なんせ、えらい勢いで浜が遠ざかっていくので。
 なんだこれは、と思いました。

 なにか、潮の流れのようなものに入ったらしい、と直感したと思います。
 で、これはもう無意識に、私は海岸線に平行する方向へ、泳ぎだしました。
 
 流れは、海岸線に対し、直角に、沖へ向かって一直線に向かっているのがわかったので、それから外れるために、私は流れに対して直角、つまり海岸線に対して平行に、泳ぎだしました。
 何十メートルも泳がなかったと思いますが、急にまた、水温が高くなり、解放されたのがわかりまして。
 この時点ですでにけっこう、沖へ流されていましたが、浮き輪をつけていたので、休み休み、浜へ戻りました。

 あれはちょっと怖かったな——という記憶として残っていたのですが、あれが離岸流だったとは、30年ちかくもたって聞いたこと。
 あれがそうだったのか——と、あらためて青ざめてみたりして。(^^;)

 私は流れから出るために、流れに対して左右の方向へ泳ぎましたが、対処としてはあれでいいそうです。
 離岸流は流れが速いのですが、幅としてはそれほど広くない、ということがほとんど。
 流れに逆らって、そのまま浜のほうへ戻ろうとすると、結局、疲れて、力つきてしまいますが、とにかくその流れから脱出しちゃえばいいわけなので、左右に逃げることが有効。

 あれはいつもそうなのかわかりませんが、私の場合、とにかく水温がはっきり違ったので、なにか、マズイものに呑まれたことが、わかりました。
 左右方向に逃げたのはほとんど本能的なものだったな……。

 恐怖感はありましたが、浮き輪をつけていたのでパニックにならなかったことも、その状況をしのげた理由でしょう。
 浮き輪が体からはずれることがなければ、ともあれ溺れることはない、という気持ちが、パニックを防いだと思います。

 最悪、沖へ流されたら、海水浴場の、「これ以上、沖へ出るな」という境界を示すためのブイが見えておりましたので、あれに捕まって、監視員の人に手を振ろう、と、そんなことまで考えていたことを思い出します。

 川でも、穏やかに見えているのに、急に流れが早く、強くなっている場所があったりしますね。
 これまた、小学生のころに、そういう流れにうっかりハマったことがあります。
 このときは浮き輪はつけていませんでした。
 あっと思ったときにはすでに流れに運ばれていましたが、これまた幸い——大きめの岩に体がぶつかるように流されまして。
 強い流れが、私の体を岩に押し付けるようなかっこうになったので、それ以上流されることはなく。
 いそいで岩によじのぼりましたが、さすがにこのときはヤバイ、と全身が訴えていて、岩に登ったときには体がガクガク震えていましたねえ。
 
 流れによって体が岩に押し付けられたとき、私のすぐ目の前を、大きめのバッタが、水のうえを(ミズスマシみたいに、水面に足を踏ん張って)すーっと流されていきました。
 いまだに、あのときの光景は、脳裏に焼き付いて離れない。

 ちなみに、そのどちらのときも、親はいたのですが、ま、ぜんぜん気づかれていない、ということはわかりましたね。
 溺れたりなんだり、事故に遭うときはほんとうに一瞬で、見張っている人も、ちょっと気がつかないくらいに、さりげなく、あっというまに、それは起こるのだと思いました。

 私と同じような状況でありながら、おなくなりになった方のことを思いますと。
 いったい、なにが生死を分けるのだろう、と、不思議に思います。

 まあ、危険と言えば危険ですが、そういう目に遭うことで、なにを警戒すべきか、ということの「経験値」があがるわけだし、「知恵」がつく。そういうものでもある。

 危険だから、こどもにはやらせない、ということが、正しいことだとも、私には思えないんですよね。
 それは生き残ったから言えることだと言われるかもしれませんが。
 しかし、この世に存在するということは、傲慢な現代人が考えるよりもはるかにあぶなっかしい、いつそのバランスが崩れても不思議ではないくらいの、本当に微妙な、あやういものなのだと思います。

 あえて無謀なことをする「必要」はもちろんありませんが、危険だからといってすべてのことを遠ざけていたら、それこそ、引きこもりになるしかない。

 あぶない目にあって、そこを切り抜けるということが、どうあっても、この世にいる以上は、避けられないことではないでしょうか。

 ………とある秘伝とされる占術では、私は、20代後半から30代前半で、寿命がつきる、というくらいの結果が出ました。

 じっさい、それくらいの年齢のときというのは、私にとってはかなり「ヤバイ」状況がつづき、——ホントに、あのころ、私の人生は終わっていても不思議じゃなかったですよ;;
 それが、なんの因果か天慶か、呪いなのか祝福なのか、私には判断できませんが、いまだにこうして生き恥をさらしている。

 よくもあのとき、死なずにすんだものだ、ということがいくつかありますが。
 そのあたりを考えると、——同じような状況にさらされながら生死を分けた、——それはなんだったのか、と、本気で不思議になります。

 天命というのは、やはりあるものだろう、と、そういう結論にしかなりません。
 
 あるいは、天命とはいえ、これは、神仏にも、どうにもならないものだという気もします。
 
 そんな具合に考えておりますと、なるほどこの世にこうして生きているというだけで、たいへんな奇跡なのだなと思いますし——神仏にさえ、人の寿命はコントロールできないものだとすれば、そのあたりは「覚悟」を持って、日々、過ごすしかないんだな、という気持ちになります。

 この世にある限り、100%の安全、絶対の安全なんてものはない。
 傲慢になった現代人はそんなことを忘れ果てているのかもしれませんが、忘れ果てていても、この世があやういバランスのうえにやっと存在しているという「実相」は変わらない。
 で、ある日突然、そういう現実——「実相」を突きつけられてしまう。………そんな感じでしょうか。

 受け入れることと手放すこと、というのは、逆の行為ではありますが、そのふたつをちゃんと実行する心構えは、結局は、同じものだと言う気がする。
 頭ではわかっていても、いざ、そういう場面に遭遇すると、そんな、覚悟もへったくれもなくなっちゃうというのも、私どもの現実だとは思いますが……。

 ちなみに。
 離岸流に流された経験から、あいかわらず、海も川も好きな私には、好きということとはべつの警戒心は生まれていたようで。
 成人後、スキューバダイビングのライセンスをとる講習のとき、むやみに慎重になっている自分を発見したのでした。

 じつは、スキューバで溺死する事故は、その多くが、潜っているときではなく、あがってきた、浅瀬で起きています。
 ボンベの重さは20kgほどもあり、仰向けにひっくりかえったら、まず、自力では起き上がれません。
 たとえ水深が50cmの浅瀬でも、ひっくりかえっていれば顔は水の中にあります。
 ここでパニックになる人が、けっこういるのですね。

 慌てずに、あのジャケットを外し(緊急で、一瞬で外せるようにはなっている)、ボンベを外しておき上がればいいだけなんですが、パニックになると、そのジャケットを外すこともできない。
 また、なかなかジャケットが外せなくても、レギュレーターをしっかりくわえていれば呼吸はできますから、あわてる必要はありませんが。
 これまた、パニックで、あっと思ったら口を開けてしまい、レギュレーターを落としてしまうという人もあるのだそうで。

 そんな話は、講習の前にかなりしつこく聞かされています。
 ということで、私は、完全に浜にあがり、周囲には水なんか1mmもない、というところにいくまで、レギュレーターはくわえたままでいました。
 ほんで、先生に、「もう(レギュレーターを)外していいから(笑) いらないから(笑)」と言われたりしました。(^^;)

 おかに上がって、ボンベ背負ってよろよろ歩きながら、ダースベイダー状態でいるのは、ホントに馬鹿みたいな姿ですが、それでもパニクって死ぬよりはいいと思ってました。(^^;)

 たぶん、生まれついての臆病者でなにかと慎重なのは事実だと思いますが、「自然をなめない」「やられるときは一瞬だから、油断しない」という教訓は、あの離岸流の経験で、骨の髄までしみこんだのかもしれない。

 生き残っていれば——経験とも、教訓ともなってくれる。
 それを思うとやはり、……不思議な気持ちが涌き上がってきますね。

 
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2013.07.29 (Mon)

小指の思い出

 ということで、土曜日、日曜日は南相馬市へお出かけでした。

 で、そのお出かけの間にもエアコンの修理に来てくださいまして……おかげさまで、エアコン、直りました!! よかったーー!!!
 センサーがなんだか悪かったようで、センサーの部品を交換したら、直ってくれました。
 ありがとうございました(感涙)

 自宅に帰ってきて、自分の部屋の、自分のベッドでゆっくり眠れるしあわせ。

       ●

 ♪あなたが かんだ 小指が痛い♪
「小指の思い出」(作詞:有馬三恵子 作曲:鈴木淳)

 と思わず鼻歌が出るのは、馬に噛まれたところがうっすらと変色しているため。(^^;)
 変色はしてますが、痛いわけではありません。

 昨日の記事——モブログでアップした写真は、「相馬野馬追」に関係する神社のひとつ、相馬中村神社の、石橋のあたり。
 野馬追祭りの出陣式は、この神社で挙行されます。

 今回の野馬追往きは、地元民、Fさんに完全にお世話になりまして(またあらためて御礼申し上げますが、本当にありがとうございました♡)、Fさんがおっしゃるには、この神社には馬がいる、とのことで。
 厩がありまして、入り口からちょこっとのぞかせてもらったんですが、その、入り口すぐそばにいる子が、知らない人間が来てもあんまり気にしないという、おおらかなタイプだったようで。

 Fさんが慣れたようすで馬の頬あたりを撫でたりしているので、ならば私も、とちょっと触らせてもらったんですが。
 ………おとなしく鼻面を撫でさせてはくれたものの、私の着ていたモモンガ型カーディガンを噛み噛みし、ついで、右腕の内側の肉をつまむように、その歯でもってきゅーっと噛んでくれたんでした。
 カーディガンは、色といい質感といい、ちょっとまぐさっぽかったかもしれないんで、はむはむしててもいいんですが。
 …………ごめんよ噛めるほどたっぷり肉があって。

 どうも本人(馬)としては、じゃれているつもりだったようなんですが……、なんせ人間はハゲでねえ。毛皮がないんだよね〜。ここ、もろに皮膚と肉なんだよ。噛むなよ。甘噛みでもけっこうなもんだよアンタ。

 ということで、………そうですねえ、人間にやられたものとすれば、強めにきゅーっとつねられて、跡が残った、みたいな状態ですね。
 痛みはないけど、今朝も、うっすらあとが残っている;

 その変色部分を眺めていると、つい、口をついて出てくる歌が「♪あなたが噛んだ 右腕が痛い♪(←痛みはない)」という次第です。(^^;)
 今回の野馬追関係では、これがいちばんの思い出かもしれない(笑)

 私はどうも動物には………慕われるのかなめられるのか、へんなふうにじゃれじゃれされることが多いんですよね。
 猫を飼っていて、猫の匂いがするからだろうか。
 猫がどうこうというより、「人間ではない、動物のにおい」がするので、親近感を持たれるのかなあ? と思ったのは、くるねこさんの漫画を見たときでした。
 なんか……こういう↓反応されるの、すっごい心当たりあるんで……。

くるねこ大和/「犬間商事」(2013/7/11 エントリー)

 今回の野馬追行きにつきましては、詳細はまたおいおいと。
 というのは、今回コーフンのあまり、写真もけっこう撮ったし、動画にも初挑戦しちゃいまして(上手く撮れているとは思えないので、お蔵入りの可能性が高いが;;)、自分なりにそのへん、確認したり編集したりしてみたいので、今日明日じゅう、というのはちょっと無理ですね〜。
 ゆっくりいきます。

 今回は、そういったわけで、土曜日(7月27日)はほとんど移動だけでしたが、相馬中村神社へは、お参りできました。
 どこかへ旅行でいった場合、その土地の神様に表敬訪問できればいちばんいいと思っているので、お参りできてよかったです。

 ちなみに、野馬追に関連する神社は、3社、ありまして、相馬中村神社、相馬太田神社、相馬小高(おだか)神社です。
 お祭りではそれぞれの神社から、ご神輿(しんよ)の出御(しゅつぎょ)があり、本祭りの、会場までのパレード……パレードというとなんかイメージが違うなあ……、行軍ていうんですかね、武者行列。そのときにご神輿も拝見できます。

 そういえば今回は、なにをどうひっくりかえしても、雨が降るのは避けられないようだったので、あれこれ雨のための支度を調えていったんですが。
 私が今回のメインで見に行った、本祭りの「武者行列」と「甲冑競馬」では、さいわい、雨がなかったのです。
 これはありがたかった。

 土曜日の夜は、南相馬もたいへんな雷雨でして、盆踊りがあるとのことですごく楽しそうだったのに、気の毒なことでした。
 これじゃあ、明日の本祭りはずぶぬれ覚悟かなと思いつつ寝て——朝、ふと目が覚めたら、明るいではないですか!!
 ええっ、と思い、窓の外を見たら、本当に空には晴れ間が見えている。

 結局その後は雲が広がり、薄曇り、あるいは、ちょっと怪しい雲がでたり、風が吹いたりしていましたが、それらもだんだんになくなっていき、甲冑競馬が始まる正午ころにはピーカン状態で、蝉の声も聞こえたりして。
 結局、日焼けした……(笑)

 せっかくのハレのお祭りですし——、報道によれば、今回は参加した馬(と人)が400と数十騎で、震災前の90%まで戻ったそうなので——武者行列、甲冑競馬、神旗(しんき)争奪戦は、従来どおりに晴れてくれて、本当によかったです。

 私も観覧席のフェンス最前線へ陣取り、甲冑競馬をカメラに収めておりました。
 私の隣にいたお嬢さんが、その隣にいた外国人のかたに、場所を譲っていました。
 その外国人の方はごっついカメラを抱えていたのですが——、そのお嬢さんとの話を聞いていると、ドイツのテレビ局のカメラマンとのこと。

 ………南相馬市の市長さんも、総大将の相馬さんも、内外からの支援への感謝の言葉をのべていらっしゃいましたし、そういう言葉が、外国にも伝わるのはいいことだとは思うのですが。
 
 ………なんせもう、すっかりドイツは、私の中では株が大暴落している状態なので、
「原発事故とからめてへんなふうに歪んだ報道またするんじゃないでしょうね」
 と、こっそり考えておりました。
 どうもひねくれちゃっていけません我ながら。

 そういえば、今回はお祭り会場、外国出身とおぼしい方がかなりいらっしゃいました。
 サムライがお好きな方々なんだろうか……?
 やっぱり、甲冑きて、馬上にあると、皆さん、超絶、かっこいいですしね〜。(^^) 惚れ惚れしますね。
 よくよく見ると女武者もいらっしゃいます。これまたカッコイイ。
「巴御前みたいだ♡」と喜んでおりました個人的に。

 そんなお話も、また写真の用意が整いましたら、あらためてゆっくりと、申し上げたいと思います。(^^)

 例によって美味しいものもたくさんありますし♡

 まったくのところ、旅の楽しみは美味しいものにつきる、ということでしょうか;;
 
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2013.07.28 (Sun)

相馬野馬追

nakamura-shrine.jpg

そんなわけで、福島県は南相馬市へ来ております。
詳細はまた明日にでも。(^^;;

馬はやはりかっこいいです。(o^^o)

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2013.07.27 (Sat)

正義の味方は殺人犯

 外国で、現在も未解決のままの、子どもが殺害されるという事件がありました。
 どういういきさつかは存じませんが、先日はそれを日本のテレビ局がとりあげ、ご遺族のおひとりに、わざわざ、日本にまでおいでいただいて、番組に出演してもらったようです。

 ご遺族は犯人であるかのように言われたということ、私も覚えております。

 日本でも同様のことがありましたね。
 殺人事件が起き、そのお身内の方が、犯人と疑われたことがありました。

 あれは気分が悪かったです。
 なんの証拠もないのに犯人であることが確定したかのように報道されたということが、私には信じがたいことでした。
 ワイドショーでは例によって、お調子者の司会者が、知ったかぶってしゃべりつづけ、あげくのはてにはそのお気の毒なお身内の方を非難し、あまつさえ、えらっそうに自首を促すかのような発言をした。

 そんなわけであれ以来、みのもんたさんの番組は見ておりませ………、あ。名前を言ってしまった;;

 これらはとくに極端な例ですが、でも、こういうことは本当に日常、よくありますよねえ。
 私は正義というものを大して重視しておらず、むしろ、そういうものを振り回すアホンダラがなにより嫌い、というタチなので、………年々、テレビを見ることができなくなっております。(^^;)

 それと——犯人として疑われるというのも、たいへん人の尊厳と名誉に直結することなので、扱いには気をつけなくてはいけないのは当然として、——とにかく、これはどうにかしてくれと思うのは、——犯人の家族、身内にまで、そのへんな「正義感」でもって、害をなすこと。

 あんまり世の中アホぞろいなので、法律を作って法律で禁止しなければならないのだろうかと私は思うのですが——。
 犯人は犯人。
 その身内は、犯罪に加担しているのでもない限り、他人! 無関係!!

 であるにも関わらず、わけのわからない正義をぶって、無実の人々を迫害する、ということを、はっきり法律で禁止したほうがいいんじゃないかと思います。

 個人的には——子どもじゃあるまいし、いちいちいちいち、アレはダメ、これはダメと言われなきゃわからない、なんて、ばっかじゃないの。とは思うけど。
 本当にそういう馬鹿ばかりだというのなら、仕方ない。
 名誉毀損罪をもっと厳しいものにして適用するしかないでしょうね。

 ああいうのを見れば見るほど、正義なんかクソ食らえだ、と思います。
 
 私から見れば、それがどれほどの重犯罪であるにせよ、その犯罪とは無関係の人々を、無実の人々を、法的な根拠すら持たない「暴徒」どもが——正義どころじゃない、自分の「怨念」に振り回されて、他者を傷つけるというのは、これは、殺人事件並みに深刻な、きつく取り締まるべき、重大な犯罪だと考えます。

 魔女狩りもそうですが、じつに気持ち悪いですね、こういう集団心理というのは。

 あの連中の、正義どころが憎悪で煮えたぎった形相というのも不思議ですが、その憎悪を発生させている、あるいは、憎悪を「正当化するための道具になっている」「正義の味方はどんな犯罪を犯してもいい」という、あの感覚は、どこからくるんでしょうね?

 なぜ、正義のためなら、無実の人を傷つけてもいいのか?
 正義の味方は、なぜ、罪もない市民を殺してもいいのか?
 どんな正義の味方も、無実の人を殺してしまえば、それはもう正義のヒーローではなくなるのではないのか。

 なぜ、そんなことさえ、わからないのか。
 自分が何をしているのか、冷静になって考えてみろ、と思いますね。

 殺人事件の犯人をケシカランといいながら、そういう自分も、その犯人と全く同じことをしているではないか。

 ………それで思ったんですけどね。
 ああいうとき、正義を理由にして犯罪行為に走る人って、自覚があるかないかはべつにして、潜在的に、ああいう犯罪に対する欲求があるんじゃないでしょうか。

 犯罪を犯したいという欲求があるのです、つまり。
 ふだんは、いろいろと自分でも理由をつけてごまかし……、抑圧しているだけのことで。

 けれども、「正義のためなら犯罪は許される」という(愛国無罪とか造反有理と同じロジック)、かっこうの「口実」を見つけると、そりゃもう嬉々として、自分の日常生活を放り出してまでも、その犯罪に没頭する。

 だから、こちらとしては、「そんなお前らは犯人と同じだ」というわけですが、なぜか、そう言われると怒るんだよね。
 結局、図星を指されるから怒るんだろうと私は思っておりますけれど。

 報道は、ネットと同じかそれ以上の「凶器」になり得るものですから。

 たとえ逮捕され、容疑者と呼ばれても、それはあくまで容疑者であって、犯人確定ではない。

 まして、報道というのも社会的な権力であり、「暴力組織」ですからね。
 容疑者ですらない人を、勝手に犯人だと決めつけるその危険性を、自分でよくわかっていないと、自分で自分を監視できないと、本当に「キチガイに刃物」になってしまいますよ。

 本来なら、報道が犯罪者に堕してしまったときは、それを見聞きしている視聴者などが過ちを指摘すべきところなのですが。
 いさめるどころか、尻馬にのって騒ぐ人が、世の中にはなんと多い事か。

 世の中にはこんなにも潜在的に犯罪者が多いのか、と私が呆れ、絶望したくらいですからねえ……。

 こういうことを考えると、いつも思い出すのは、永井豪さんの「デビルマン」なんです。
 物語の終盤、主人公にとっては家族同然の、大切な人々——牧村家のひとびと——なかんずく、美樹(みき)ちゃんの、人々によって殺害された、あの姿が。


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 あれは——じつに胸の悪くなる描写ですが。
 でも、報道にしろ「一般市民犯罪者」にしろ、彼らが正義の名のもとに、やっていることは、ああいうこと。
 考えれば考えるほど気分が悪くなる。

 そのあたりをご理解いただけると、私が「正義なんかクソくらえだ」という意味も、多少は、イメージしていただけるのではないかと思います。……思いますが、どうなんですかねえ……。

 他人を悪に仕立てるとき、自分がどんな顔をしているかいちどチェックすることをおすすめしますね。
 しかも、できれば、そのチェックは、誰かに頼んで不意打ちにやってもらうといい。

 人間てのは、とりつくろいますからね。

 ものすごい形相をしているとき、ぱっと鏡を見せられると、はっとして、悪鬼の形相から、ふつーの、日常の、いつもの自分の顔にかわったりします。
 ホントよ。協力者がいてくれるなら、ぜひやってもらうといい。

 ネットを使って、えせ正義をふりまわし、無実の人を不当に傷つけているときというのは、まあたいてい、パソコンに張り付いて、ディスプレイを見ているでしょうから、その瞬間を狙って、さっと鏡を目の前に出してもらって、自分がどんな顔をしているか、見るといい。
 
 なーにが正義なもんかい。
 無実の人を不当に傷つけているときの自分が、どんな顔をしているか、よく見ておくがいい。

 しかも、その顔は一瞬で消えてしまうんですよね。
 はっと気がついたときに、人間は自分の顔を取り繕ってしまう。
 だから、油断しきった瞬間に、鏡を顔の前にばっと置かれると——我ながら、悪鬼羅刹もかくやという顔を見いだすことができますよ。

 そんな顔をしたヤツが、本当に正義なのか。
 
 ——そんなふうに反省できるようなら、その人にはまだ、人の心としてまともなところがある、と言えますが。
 正義をぶつ人々がどう「ひとでなし」か、検証してみることをおすすめしますね。

 
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2013.07.26 (Fri)

招かれざる客

 エアコン、まーだ直りません。
 というか、これ、もう直らないんじゃないかなー。
 じつはこれ、今はなき三洋電機さんのもので、燦然と輝く「MADE IN CHINA」の文字が、見れば見るほど「ああ。無理だこりゃ」という思いを強くさせる。

 たいへん不本意なんですが、エアコン、買い替えかなあ……。
 あまりにも予想外の出費になるので、さすがに私もちょっと泣きそう(涙)

 でも、夜は自分の部屋でゆっくりしたいし。
 パソコンと布団を抱えて、エアコンのある部屋と自室を往復というのも、いーかげん、飽きてきました……。不便だし。

       ●

 昨日は、取引先の某さんがおいでになったのはいいんですが、彼の靴から小さめのムカデが這い出てきたのにはびっくり。
 体調10cmに満たないくらいの小さいものでしたが、ああいうものがたいへん苦手な私はもう大パニック。
 
 むしろ私の悲鳴に驚いた某さんが、あわててムカデを踏みつぶしてくれました。
 
 ……す、すみません。(^^;) ありがとうございます;;

 聞けば、某さんのお宅は家の裏手に、うっそうとした林があり、家の中にもしょっちゅう入り込んでくるそうな。
 今回は靴でしたが、以前にはシャツの中に入られたこともあるそうで、うっかり驚かすと咬まれてしまうため、そーっとシャツを脱いで外へ出したとか。

 私は小心者なので、見つけた以上は息の根を止めないと気が済みません。

 学生時代に住んでいたアパートにもたびたび出まして。
 アレに対応していると、もうゴの字くらいにはさほど驚かなくなりますが……なんせ久しぶりだったので、……いやはや;;

 それにしても、靴の中に入り込んでいたというのに、某さんにはなにごともなくてよかったです。

 ムカデは咬まれるとけっこうやっかいなんですよねえ。
 咬まれても毒性がないならまだいいんですけど。

 なんにしても、我ながら申し訳ないほどの反応をしてしまいました。(^^;)

 もうちょっとこう、……度胸というものがあるといいんですけどねえ…。
 どうもお恥ずかしいことで;;

 
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2013.07.25 (Thu)

Go East!

 昨日、キリスト教文化圏における、セックスの「不浄」視、と書きながら、なーんか言葉が違う、と思いつつ、そのときには思いつかなかったので、そのままにしてしまいました。
 で、今朝方、完全に目が覚めるまえのまどろみに、ふと思い浮かびまして。

 あれだ。不浄という概念はむしろ日本人のものですね。

 アチラの場合、まあ不浄と言えば不浄なんでしょうが、「罪悪」視、といったほうが、しっくりきますね。
 負い目とか引け目とか、そういうものを植え付ける方向を向いている。
 あとでこっそり、不浄、を、罪悪、と書き添えておこうかと。(^^;)

 言葉というのも困ったもので、その場ですぱっと「当たり」のものが思い浮かべばいいんですが、「えーと、こういうの、なんて言うんだったかな。どういえばいいかなー。なんか、ずばりとくる言い方があると思うんだけどなー」と言いつつ、その場では思い浮かばず、あとから、「そうだ、あれだ!」と思い出したりする。

 迷いなくよどみなく、的確な言葉や表現が思いつく人っていいな〜と思います。

       ●

 てなわけで(?)、福島県は南相馬市の、「相馬野馬追(そうま・のまおい)」でございますよ。
 今年は今週末、7月27日〜29日。

相馬野馬追執行委員会公式ページ
http://www6.ocn.ne.jp/~nomaoi/

いよいよ今年も相馬野馬追開催間近となりました。

夏の暑さよりも熱気あふれる相馬野馬追をぜひご覧ください。

昨年は、JRや常磐自動車道の不通により、各道路が大変混雑した状況です。

今年も同様に限られたルートしかないため、時間に余裕をもってお出かけください。

また、「相馬野馬追祭交通案内・駐車場案内」には、ナビで駐車場を検索できるよう住所を記載しておりますので、ぜひ活用してください。
ただし、当日の交通規制や誘導の指示に注意してください。


 平成23年度には、ほんとうによく実現なさったものだと感銘を受けておりました。

 この野馬追には、平将門の話を調べていたころから(だいぶ昔だな〜…)個人的には興味があったのですが、このお祭りの日程は、私の地元の祭りとおおむねバッティングするので、「いちど見たいんだけどな〜」といいながらダラダラしておりまして;

 しかし、かの震災、津波被害、原発事故の影響もあり、じつに、その伝統行事でさえ盤石な存在ではないことをあらためて思い知り。
 ——私も今年で四十路もなかば、ということで、どうも自分の寿命を考えるようになりましたしね〜。

 もう、あらゆる病気ほ発症率は、40代後半になるとほとんど年齢差はない。(病気ごとの好発年齢はまたべつの話)
 じっさい、50歳までは、年齢と死亡率というのは関係がはっきりしているのだそうですが(つまり、若い年齢であるほど死亡率は低い)、50歳を過ぎると、これ、年齢による顕著な違いはなくなってくるんだそうで。
 まさしく——老少もって前後不同、夢幻泡影(むげんほうよう)いずれならん。ですな。

 ある病気で死ぬとしたら、確率としては、50歳だろうが80歳だろうが、差異はないということ。

 できないものを無理する必要はないが、できることがあるなら、できるときにやっておくのがよろしかろう、と、思うようになりました。

 いえ、それは若いころから考えていたことではありますが、なんかね——「残り時間」のことを考えるようになった、といいますかね。

 その残り時間というものは、本人が気がついていようがいまいが、それが厳然たる「現実」なんですが、私もどうもうっかり、のんびりしているところがありまして、そういうことに、なかなか頭が回らなかったんですね。
 それがさすがに、年齢のことを思い、来し方行く末を思い、好きな作家さんや俳優さんが、50代なかばという若さでお亡くなりになるのを、ここ数年でたてつづけに見てしまって。
 いかなのんびり屋といえども、多少は考えるようになりました。

 ということで。
 震災がかえって背中を押したような形で、——いくぞ平成25年度、相馬野馬追!
 
 体調やら何やら、あれこれ心配したり調整に励んだりしておりましたが、おかげさまで、諸事情、なんとかなりましたので。

 いまからなんだか、どっきどきでございます。

 写真、いっぱい撮れるかな〜。
 
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2013.07.24 (Wed)

テキサス親父さん

 エアコン、いまだ直らず。
 まともに動かないよーといってからじつに半月……。
 そろそろ、直ってくれないものだろうか。(;_;)

 どうも複雑な故障ぶりなんですが、あれこれ部品を換えたり、ガス(冷媒)を足してみたり、いろいろやっているのですが、現象自体は改善せず。

 で、なんですか、エラーがあると本体にそのエラーが記録されるらしいのですが、それを見たサービスの人が、「最初のエラーがかなり以前ですねえ……。——買った当初から冷え方がいまいちだった? そんなことはないですよ、この機種でこの部屋だったらもっと冷えます。ということは、初期不良かも」

 ——保証期限が切れてから初期不良でしたと言われても困るけどな。(^^;)
 もっとも、いまのところは初期不良「かも」、というレベルですが。

 私よりも母のほうが怒っちゃって……、「不良品を売りつけた」といって、もう50年もおつきあいのある、個人の家電屋さんに怒りまくってます。
 さてね……。どうなりますか。

 私としてはエアコンが直ってくれて、自分の部屋で寝られるようになれば文句はないんですがね。(^^;)

       ●

 ご存知の方も多いと思いますが、いつも豪快に問題を解説してくれる「テキサス親父」さんが、このたびは、とうとう、いわゆる従軍慰安婦が「捏造」されたもの、という証拠を見つけてくださったようで。
 テキサス親父については、こちらの記事のほうが(wikiよりも)面白かったのでリンクしておきますね。

テキサス親父とは(ニコニコ大百科)

テキサス親父 慰安婦は売春婦! 証拠はコレだと親父がキレた


原語版
Comfort Women the truth be told


 なんかもう……、テキサス・ダディの背景にあるものがディープさを増している気がする(笑)

 韓国やシナが喧伝(けんでん)する、「いわゆる従軍慰安婦」が「デマ」であることが、かつての敵国アメリカの、公文書によって証明されるというのも不思議な気もしますが、なんにしても、ありがたいこと。
 
 とはいえ。
 今回は話題が話題であるだけに、親父さんの毒舌もいささか、「いやそれは言い過ぎ…」と感じるところがあります。
 逆に言えばこの手の嘘について、親父さんが本気で頭にきちゃっている、ということでもあるんでしょう。
 
 欧米社会——キリスト教文化圏における、セックスのイメージの悪さというのを、私も、親父さんのキレっぷりをみてあらためて感じました。
 ご本人たちは意識していない可能性が高いのですが、それでも、私から見ると、やはりアチラでは、セックスを不浄視する——不浄というより「罪悪」視する——ことはあいからわず、はなはだしいですね。
 その昔、イエズス会の宣教師が、日本人の性の放縦さに卒倒せんばかりに驚いていたのと、あんまり変わらんのだなと思いました。

 橋下さんが「風俗のすすめ」を語ることに大して抵抗がなかったことと、それにたいして、おそらくは橋下さんの予想をはるかに超えた反発が、海の向こうにはあったことの背景が、コレですね。

 なんだかんだいっても、日本人はまだ、欧米などにおいて「セックス」がどれほど不浄視され、「罪深い」ものと見なされ、蔑視されているか、理解はしきれていないなーと思いました。
 私もある程度は理解しているつもりでしたが、この親父さんのキレっぷりをみるに、——この従軍慰安婦については、もちろん嘘を言って他人を貶めるという行為に対する怒りがあるのは当然ですが、数ある嘘の中でも、最低最悪の侮辱をした、ということへの怒りも、少なからず、あるようです。

 今回の親父さんの言動からは、ただ、不正、嘘への怒りという以外に、セックスそのものを不浄視し、その不浄なるものを踏みつけようとする心理を感じます。

 私は、「売春婦」それ自体には偏見はありません。かつての公娼制度、吉原をはじめ、非正規でそういう職業についた人々について調べまくったこともあるし、そのなかで思うこともありましたから、——それもまた職業のひとつ、というとらえかたをしているので、どうもいまいち、今回の親父さんのキレっぷりに「いや、それはいいでしょう、そんな言い方しなくても」と思う部分があります。

 文化の——彼我の違いを、強く感じます。

 私が、気持ちとしてつらいと思うのは、もちろんこのデマによって私どもの先祖が、不当な汚名を着せられているということもありますが、それと同時に、売春婦として働いた人々をも、——売春という職業それ自体が、へんなふうに貶められるように思えるところです。

 このビデオの中でも、当時の女性の言葉に、「じゅうぶんには兵士の相手をしきれずに申し訳なく思った」という主旨のものが紹介されていますが。
 これは、——親父さんにはちょっとわからなかったかもしれませんが、慰安婦にもまた、快適とはいえない外地に赴くのも、兵隊さんに奉仕し、ひいてはそれもまた、国というものへの自分のつとめである、という意識があったように感じます。
 つまり、慰安婦には、慰安婦としての、職業人としての使命感と矜持があったのだ、と。

 ある種の価値観を持つ人たちから見れば、売春婦などは、存在自体が汚らわしいものであり、もはや人間ですらなく、彼女たちに「職業人としての誇り」があるなどとは、とうてい理解できないことでしょうが。

 不思議なことに、日本語から英語へ翻訳された、彼女たちのうちの、だれかの、この言葉を聞いたとき——その仕事に従事することへの、「使命感」があったことが、見えたように感じました。

 世の中の人がなんといおうと、——戦後の、パンパンと呼ばれて軽蔑された女性たちも多くがそうであったように、自分の使命を見つめ、誇りをもっていた、——そういう「像」が、ふと脳裏に浮かんで、私自身もちょっと驚きました。

 もちろん、この「インタビュー」に答えた慰安婦が、日本人であったかどうかは、これだけではわかりませんが。
 それでも。
 充分なことができず、申し訳ない——、日本人がそう口にするとき、その言葉にはどんな思いがこめられているか。
 これは、外国人にはわからないことだろうなと思います。
 こういうことをいうとき、日本人が、具体的に、なにについて、「申し訳ない」と思っているのか、外国人にはなかなか(というより、ほぼ、絶対)理解されない。
 だから日本人はやたらに謝る、すぐに謝る、なんて言われちゃう。

 この「申し訳ない」は、そういうことじゃねえんだよ、と、私も過去なんどか、イライラしたことがありましたっけ。そういえば。(^^;)

 このへんは言葉の問題ではなく、文化の問題なんでしょう。

 いずれにせよ、こういうことを考え合わせて、アメリカは、少なくとも、ああいう銅像を自分たちの地元に建てるのを認めるべきではないと思います。
 ——詳細を知らないんだろ? 事情がわからないんだろ? だったら「部外者」の立場を守って黙ってろ——、というのは、私もよく思うことなんですが。
 どうしてアチラの人々って、よく知りもしないくせにエラそうにものをいうんでしょうね。

 嘘か本当かが問題ではない、誰かの——ことに日本の——悪口を、言えさえすればいいのだ、というのであれば。
 私はその人が、どこの国の人であろうと、これ以上ないほどの軽蔑の念を捧げます。

 悪口を言うために悪口をいいふらすのだ、ゆえに事実か否かは考慮しないしその必要もない、嘘でもいいんだ、と言うなら、好きにすればいい。
 ただし、その口で正義だの真実だの愛だのと二度と抜かすなよ——とまあ、そういうことで。

 なんにしても。
 このテキサス親父さんも、日本と妙なご縁があるようになっちゃったんですね。
 最初は、こんなことになるとは思わなかったんでしょうにねえ。
 縁は異なもの、とは言いますが、——男女のことではないにしろ、これはちょっと異すぎる(笑)

 
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13:50  |  身辺雑記2013  |  EDIT  |  Top↑

2013.07.23 (Tue)

大暑2013

 今日は諸般の事情により、あれこれ書けそうもないからおやすみするつもりでしたが。
 今日は、「お誕生日おめでとう!」を叫びにやってまいりました。それだけ。(私信よりもプライベートかもしれない。(^^;) わからない人にはぜんっぜんわからないという;;)

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 ↑ 心ばかりのケーキ画像。 ああ、お腹が減る…。

 今日は「大暑」なんですねえ。
 夏も本番。

 そういえば、先日は土用丑の日でしたが、今年は「二の丑の日」がありますね。8月……2日だっけ3日だっけ? たしかそのあたり。
 うなぎはなくても、丑の日に「う」のつく食べ物を食べよう、というのが本来の習わしですから、「うし」でも「うり」でもいいじゃない。
 とはいえ——瓜だと、涼やかではあるでしょうが、精はつきませんかな。(^^;)

 私は寒いよりは暑いほうが好きなので、さほど苦痛ではありませんが(冬だと季節性うつが出るので、体調以外、メンタル面がホントにキツイ;;)、でも最近の暑さはシャレにならないので、ほどほどに願いたいですね。
 東京を例に挙げると、40年まえにくらべ、年の平均気温が3℃上昇しているとか。
 これはやはり、冬は暖かく、夏は暑い、ということなんでしょうね。

 私が子どものころの30年まえは、熱帯夜があると「昨夜は熱帯夜でした!」とニュースになるくらいだったのに、いまや、夏の間は熱帯夜が当たり前になりました。

 誰のせいとはいえないことなんでしょうが………、もうちょっと、気候も穏やかになってほしいもんです。
 殺伐としているのは人間だけでたくさんだ;;

 ということで、イギリス王室には新たに王子様ご誕生ということで、おめでたさも限りなく。

 熱帯化しちゃっている日本は、サマータイムなんかどーでもいいが、「シエスタ(スペイン語 siesta)」を社会的に、強制的にでも、とりいれたらどうだろう。
 工事現場を通りかかるたび、「正午から午後3時まで休みにしたほうがいいのでは」と本気で思います。

 そんな今年の、7月23日。

 
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14:25  |  身辺雑記2013  |  EDIT  |  Top↑

2013.07.22 (Mon)

目には見えないもの

 ということで、参議院選挙も終わりました。

 今回の選挙結果を聞いて、ホントは笑い事じゃないけど笑うしかなかったのは、「放射脳」アイコンと化した、山本太郎さんの当選でした。

 ………まさしく、「終わってる」わ、日本。(^^;)
 と思ったけれども、考えてみれば、民主党が政権をとったときに、事実上、いちどは「終わった」と思うので——まあ、いまさらなのかもしれません。

 選挙も終わったから言いますけどね。
 日経新聞にも彼の選挙広告が出たんですが、「事実を言ってなにか不都合でも?」というようなコピーが記載されていましたね。ごらんになりました?

 事実であっても、TPOをわきまえない発言や、言葉の使い方を間違えたものは、とうぜん、指摘されて訂正を求められるのが世の常ですが。
 山本氏のいうことの、何%が「事実」なんでしょうか?

 おのれの妄想と事実との区別がつかないということを自ら語ったコピーなので、もう乾いた笑いしかなかったんですが、しかしあなた——これが当選しちゃうとはねえ……。

 山本氏は、あまりおおっぴらには言えないような組織、団体からの支援を受けている、という「噂」も聞いておりますが、それにしたって、それだけではああいう票数にはなるまいと思うと、「イタマがアタい」です。

 ていうか、この「放射脳アイコン」、日本を脱出するって言ってましたよねえ? 海外へ移住するとか。
 ………どうして、そうしてくれなかったんだろう、と、しみじみ思った昨夜でした。

 最終的な投票率はまだ聞いていないのですが、前回よりはけっこう下がったようですね。
 ふだん選挙にいかないような人々が大挙して動くと、民主党政権が実現しちゃうわけですから、これくらいでいいのかもしれません。
 まともな思考力と判断力のない人は、投票しないでくれたほうが、社会のためなんでしょう。

 共産党は票が取れたと喜んでいるようですが、なんのことはない、いままで民主党に集まっていた「左巻き」の票が、しかたなく共産党へ戻っただけのことで、あらたな支持を得られたということではないでしょう。
 そもそも民主党が支持を集めていったのは、それまでの共産、社民が、あまりにもあんまりだったので、さすがの左巻きも、これではしょうがない、と考え、民主党のほうがちっとはマシか、と思われていたからでしょう。

 ……そのへんわかっているのだろうかと思いながら、ご党首様の会見を見ました。
 
 自民党。
 さて。
 ——難しいのはこれからでしょうね。

 こうやって人が増えてくると、どうしても「雑魚の魚(とと)交じり」というか、民主党さんもそうでしたけれども、ものの道理や、政党であればその主義主張、政策といったところをのみこみ、消化したうえでの「人材」ではなく、ただ勝ち馬に乗ろうとしただけ、みたいなのが、どうしても出てくるんですよね。

 そういうことを含めて、これはこれで、運営が大変だろうと思っております。

 さりながら——それでも。
 あのまま民主党政権が続いていたら、と思うと、本当にゾッとする。
 ここで安倍さんが再登板してくれた——麻生さんが復活してくれたというのは、本当にギリギリのところで間に合ってくれたというのも、事実であろうと私は見ております。

 民主党の野田佳彦さんは、あれこれ言われることもあるのでしょうが、あのとき、解散を決めてくれたことだけは、ほとんど唯一、日本の国益に適うことをしてくれた——唯一にして最大の——と思います。

 今後、これらがまたうまくいってくれるように祈ります。

         ●

 大河ドラマ「八重の桜」。
 昨日でようやく——会津戦争も終わりまして。

 なんかもう、見終わって、ふー、と息をついて、脱力してしまいました。(^^;)
 やっと終わった……という感じ。

 それにしても、途中で、「この会津が嘗めた辛酸を、数十年後は日本全体が味わった」と書きましたが、考えてみると本当に——その規模が違うだけで、なにもかも——追いつめられていくあの状況が、拡大鏡で写し取られている絵のように「同じ」だということが、考えれば考えるほど見えてきて、なんとなく、ぞっとしておりました。

 いずれにせよ、負け戦というのは、同じような軌跡をたどることになる、ということではありましょうが。

 それにしても、日本も、先の敗戦から半世紀以上たって。
 いまだに「正義」なんか、信じている人がいるんだものなあ、と思うと、けっこうこめかみのあたりがピリピリしてきますね。(^^;)
 いえ、正義は正義でいいんですが、それは「立場の違い」程度の意味しかない。本来はね。

 自分なりの立場や利益を考えるのは当然のことですから、それはそれでいいんですが、正義というのは相対的なものであって、「絶対の正義」などはない。

 結局、人が、ほんとうにいちばん大切なことは、正義でも、あらゆる虚飾でも、そういうものがどんどん奪われていって、ようやく最後に気がつくものなのかもしれません。

 何があっても生きのびよ、と。

 死を称揚していたのに、最後の最後に追いつめられて、丸裸にされたときに、ようやくたどり着くものが、それだった。

 それまでは、当たり前のこと、そんなもん、あって当たり前だと、傲慢にも思い込んでいるもの。
 でも、本当は、正義もなにも脱ぎ捨てたところにあるものが、ほんとうに大切なものなのだと。

 その大切なものは、あって当たり前、持っていて当然のものなんかじゃない。
 それこそが奇跡。ほんとうは。

 ………それがわかるタイミングが、あまりにも遅すぎる。

 歴史を見ていればそういう例は枚挙に遑(いとま)がないどころか、「それしかない」くらいだというのに。

 人間てのは、まったく学ばない生き物なんですかねえ。(^^;)

 結局は、歴史であれ今回の選挙のことであれ、「他人事」だと、心のどこかで思うから、そういうことになっちゃうのかなと思います。

 たったいますぐにでも、自分の命が終わる、という瞬間。
 そこまで追いつめられないと、わからない、というのは。
(そこまで追いつめられてもまだわからない、という人もあろう)

 万物の霊長を(おこがましくも)名乗る人類としては、ちょっとなさけない事態なのではないだろうか。

 大切なものは目には見えない——
 そう喝破したサン=テグジュペリは偉大だ……とあらためて思ったり。

星の王子さま星の王子さま
(2012/12/17)
アントワーヌ・サン=テグジュペリ

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2013.07.21 (Sun)

本日おやすみ&投票へいきましょう

 今日は先に投票へいってきました。
 伯父は出口調査を受けたそうな。

 私はあれ、聞かれたことがないんですよね。
 以前、父が出口調査の人にあれこれ聞かれたことがありましたが——あれを見ていると「私にも聞いて」と思っちゃうのはなぜだろう。(^^;)

 あの調査も、回答者を抽出するわけなんで、無闇に誰にでも聞くわけじゃないんでしょうね。
 調査の皆様、暑い中、お疲れさまでございます。m(_ _)m
 
 出口調査の結果は、でも、たいてい、じっさいの結果と同じになるからエライもんですよねえ…。

        ●

 今日は日曜日ということもあり、おやすみということにいたします。

 今朝の、日経新聞の、書評ページ(日曜日は大胆に、見開き2ページ分、どどーんと書評が並びます。いつもいろいろ悪口を言っている日経新聞ですが、このページは大好き)に、今朝はちょっと気になる言葉が。

 ——フィリア。

 いま新聞が手元にないので、また詳細は後日まとめて申し上げたいと思いますが、精神病理を扱った複数の本(とその著者)を紹介したコラムに、登場していた言葉です。

 うつ病について考えるなかで、筆者の方が書いた言葉ですが——フィリアと書いて、カッコ書きに、「“わたしたち”という意識」と解説してあるのをみて、あ、——と、引っかかるものがありました。

 わたし、ではなくて、「わたしたち」。

 ひとまず哲学のほうで言うフィリアは、Wikipediaにあったのでざっと読んでみましたが——。

フィリア——Wikipedia

「わたしたち」の概念——「あの人のために」という思い——「自給自足」とは衝突する概念

 先日、わたくし、プライバシー至上主義の人てのは、プライバシーが世界でいちばん「エラい」ものだと勘違いしてんじゃねえの? と書きました。

 プライバシーというもの、個人を尊重するということについては異論はないが、現在においては、あまりにもそれが偏重されている、もしくは、それを「絶対視」している人々が増えすぎてきているのではないか、というのが、私の密かな疑問でございます。

 といって、現在の社会において、旧来の階級社会的な、「〜であるべき」という規範を押し付ければいいとも思えず(俗にいう保守派と、私の意見が合わないのがこのへんの問題)(女は家庭に引っ込んでろみたいなヤツね)(時代遅れのべき論で解決するなら苦労はないわ)、世の中のバランスのためには、なにが必要なんだろうかと考えておりました。

 このフィリアという概念。
 これが、おおいにヒントになりそうな気がして、またちょっと、関連書籍探しの旅に出たいと思います。

 そういうことならこの本がおすすめ、というものがありましたら、メールフォームからお知らせいただければ幸いでございます。m(_ _)m

 
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2013.07.20 (Sat)

理屈はあとからやってくる

 エアコン、直らないんですよねー…。
 もう連日のようにサービスの人が来てくれて、あれやこれやと部品をとりかえてくれるのですが、ぜんぜん直りません。
 みたところ、どうもセンサーが死んでるんじゃないかと思われるのですが。

 …………買い替えなんだろうか。
 
 軽く青ざめてみたり。
 これ、買ったの2009年の9月なんで。
 買い換えするのはひじょーに不本意です……。

 だからといって日本の夏、いまやエアコン無しでは寝られませんしねえ。
 やれやれ。

       ●

 今朝はとうとううちの母がキレておりました……。
 なにかと刺激的な話題であることは理解しますが、朝っぱらから気分が悪くなるような情報を、微に入り細に入り垂れ流すのは、本気でどうにかしてくださいテレビ各局の方々。

 16歳の子どもたちが犯したと言われる殺人事件がらみのことですが。

 ニュース番組じゃなくてワイドショー、もしくは情報バラエティといわれるジャンル。
 朝っぱらから、——飯時に聞かせる話じゃないだろうよという話を延々と。

 以前には、朝から、どのチャンネルにしても、葬式か、そうでないならお通夜ばかりという時代もありまして、しまいにゃ頭に来ちゃってテレビはぜんぜん見ない、ということもありました。

 いっときはよくなったかと思ったんですが、結局いまは、聞きたくもない殺人事件の、どうでもいい話を根掘り葉掘り。
 いいかげんにしなさいよホントに。

 以前にも書きましたが、社会の雰囲気が悪くなっているのだとしたら、このテレビというやつ、そうとう「貢献」しているのじゃないかと思っております。
 言霊(ことだま)とまではいわずとも、いかに鈍い脳みその人でも、言葉を聞けば意識せずに脳内にそのイメージというのは現れているものなんですよね。

 物質的にも、精神的にも、荒廃した、むごいイメージを、しかも朝から聞かされるというのが、人の精神衛生にとって好ましいこととは思えません。
 そういう事件があったというのは痛ましいことだけれども、それ以上のことをあえて放送する必要はあるまい。

 ということで、今朝もまた、テレビ無しの朝になりまして。(^^;)

 ついでに言うと、じつは私、NHKの朝ドラというのも、ぜんっぜん見ません。あえて8時15分になるのを待ってから、テレビをつけるほどです。見ない、というより、はっきり「避けている」のです。

 理由は、上記のことと大して違いはありません——現在放送中のものはそうでもないでしょうが、ものによっては、朝っぱらから登場人物たちがイヤな感情を見せ合い、イヤな言葉を投げつけ合ったりしますが——ドラマだし、人間を描こうとすればそういうことのほうがむしろ中心になるから当たり前なんですが——、そういうの見るのも聞くのもイヤなんです。

 なんで朝から他人の痴話げんかなんか見てなきゃいけねえんだよ、といって、「朝からドラマ」というのも、私はおおいに苦手にして、避けています。
 そんなら、朝以外ならいいのか、というと、——結局、昼休みの再放送も見ないので、ようは「ドラマは見ない」だけのことだったりしますね。(^^;)

 自分でもちょっと不思議に思います。——ドラマや映画というのが、むしろ「苦手」らしいのですが………なんでだろう;;
 まったく、好き嫌いというのは不思議なものです。自分でもその理由がぜんぜんわからないんですから。

 でも、好きにしろ嫌いにしろ、その理由がわかったときは、ホントに、はっと腑に落ちますけどね。
 で、腑に落ちたときに、「自分がどういう人間か」が、理解できたりする;;

 このニュースもそうでした。

花王、中国市場に傾斜 「新製品 日本より先に」
 2013年07月18日07時57分 産經新聞

 アジエンスという、シャンプー類の製品が初登場したのはいつでしたでしょうか。
 私、あのCMが、大嫌いだったんですよー。

 アジア系の女性の、長い黒髪がきれいであるというのはいいのですが、それを、白人の、ブロンドの女性たちが、ねたましげな顔で眺めているというコンセプトの、そのCM。
世界が嫉妬する髪へ

 なんってイヤラシい宣伝なんだ! ——と、私はそれを見るたびに不快に思っていたんです。

 嫉妬、という概念が、そもそも気に入らない。

 なにごとであれ、比較したうえでいいとか悪いとか、あるいはそれ以外の「判断」をする、ということが、基本、嫌いなんですよね私。
「自分」てものがないから。
 相対評価は馬鹿でもできるの。
 大事なのは、(自分にとっての)絶対評価であるということを——それほど意識しているわけではありませんが、そういう思いがある。

 そもそも昔から、他人をみては、いいな〜いいな〜というヤツ、他人が持っているものをなんでもほしがるやつ、そのわりには本当に入手すると全然大切にはしないヤツ、という人々について、嫌悪感と——本音を言えば軽蔑の念を抱いてきておりまして。

 ゆえに、黒髪の美しさを讃えることに、いちいちブロンド美人を持ってくる必要などないだろう、と、このCMのコンセプト自体が、癇に障りました。
 みるたびに不快で、——いちいち他人を貶める、というその精神が、気配り、心遣いを美徳とする日本人としては違和感があり、「日本人的な感性じゃないよなこんなの」と思っておりました。

 そうしましたら、その数年後、花王さんが、韓流押しに賛成の態度を示すということがありましたね。
 あのとき、ものすごい勢いで、「アジエンスのCMが、あんなんだった理由」が腑に落ちました。

「ああ! だからあんなCM作ったんだ。だから私、あのCMが大嫌いだったんだ…!」

 膝を連打する勢いで納得しました(笑)

 ということで。
 このニュースも——花王さんが、日本よりもシナを重視というのは、わかりやすくてけっこうなことだと思い、納得した次第でございます。

 ちなみに。
 調べてみたところ、うちでは結局、花王さんの製品はひとつもありませんでした。洗濯洗剤から台所用洗剤、その他もろもろ。
 いちばん多いのはP&Gさんだったりして……。

 意識していたわけではもちろんなくて、使ってみて、これはいいと思うものを買う、その結果がそうなっただけのことなんですが。
 ま、ああいうイヤラシイCM流して、恬(てん)として恥じないような会社の製品が、まともなわけはないんだよなー、と、へんなふうに納得。

 好きや嫌いの理由があとからわかるというのも、なかなか奥深い気がする…。

 好きとか嫌いとか、言っているその瞬間には、理由を認識できないんだけれども、あとから、理屈としてわかってくると、なるほどなー、と、自分のことながら、「ナゾが解明される」快感があります。
 そんなわけで、私は「不買運動」など、する必要もなかった、というところに、「嫌いの理由は一貫していた」のを感じ——そういうあたりを徹底する自分に、ちょっと感心しておりました。

 ……感心している場合でもない気もしますが。(^^;)

 
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2013.07.19 (Fri)

公共とプライバシー

 アメリカの政府、公的機関が、ネットから個人情報を含め、まあいろいろ、情報をとっていた、ということが暴露されて大騒ぎになりましたが。
 冷戦時代に生まれて成人まではその政治状況にある時代に育った私としては「なにが問題なの」という感じ。

 いやまあそりゃ、きれいごとをいうなら、問題っちゃあ問題でしょうが、いまさらといえば、いまさらすぎる。
 ——なにを皆して、カマトトぶってんのよ? というのが、正直なところ。(^^;)

 そりゃあね、いちおうこういうことがバレたからには、「けしからん」と言わなければならないというのも大人の事情ですが、必要以上に騒ぐというのも、——ティーンエイジャーなら仕方ないが——、なんか、みっともない、という印象です。

 日本は昔からスパイ天国と呼ばれて、いいようにやられる一方でしたからねえ。なにやら私としては、たいへんな「いまさら」感があって。
 ただでさえウルサイ左巻きが、こういうことになるとたいへんに喜んで、お祭り騒ぎになるでしょう。私としては、そちらのほうがはるかに鬱陶しい。

 防犯カメラを監視カメラと呼ぶ、破防法についての議論が起こると過剰に騒ぎ立てる——こいつらよっぽど、ふだんから後ろ暗いことやってんだなと、つい、思いたくもなるような反応ぶりですね。

 じつのところ。
 良心的に生きている市民としては、「防犯」カメラのおかげで、ひったくり犯であれ、その他の重犯罪であれ、容疑者の速やかな逮捕が実現されるのをみれば、ああやっぱり、あったほうがいいものなんだなあ、と思うだけですよね。
 プライバシーがどうこうというのは必ず言われますが——そもそも、街、という、「公共の場」にいるときに、プライバシーというのはどの程度あるものなんでしょうかね。
 
 口を開けばプライバシー、プライバシーという方々は、プライバシーを過剰に重視し過ぎ難じゃないでしょうか。
 世の中でいちばん「えらい」ものがプライバシーだとでも思ってるんでしょうかね?
 水戸黄門の印籠くらいに思っている人って、いるみたいですね〜。
(あのドラマでエラいのは本当は印籠じゃなくて葵の御紋なんですが;;)

 そりゃプライバシーも大事でしょう。
 でも、その「個人」というのは、個人だけで独立して存在しているわけではなく、独立した存在であると同時に、社会を構成するメンバーでもあるわけです。

 社会は個人の生活のことを考えるが、その社会からの恩恵を受けるためには、個人は、社会にたいして奉仕する必要がある。
 ギブアンドテイク、ですよね。

 だいたい、そのプライバシーとやら、社会の安定があってこそ、そんなのんきな事を言っていられるんであって、たとえば日本が外国から侵略されて戦闘状態になった場合、ゆっくりお茶も飲んでいられなくなる。

 プライバシーというものが、じつは相当にあやうい、はかない、簡単にひっくり返るものだということを。
 わきまえておく必要はあるんじゃないでしょうか。

 これは個人とは限らない話で。
 地方自治体レベルで、無防備都市宣言を求める動きがありますが、これなぞは愚の骨頂でしょう。
 日本自体が交戦状態になっているとき、県なり市なりが、「うちは関係ありません」といって、それが守られるとでも本気で思っているのでしょうか。

 プライバシー、というものは、その個人が所属している「公共」体自身と、ある意味、運命共同体的に結びついている。
 というよりも、そのプライバシーとやらは、自分が所属する「公共」体によって不断に守られているというのが現実なんで、その公共体になにかあれば、個人にも、当然、その影響は及ぶ。

 つまるところ、自分のプライバシーを守りたいなら、公共体の安全が、まず優先される。
 それが現実だ、と言うことです。
 
 プライバシーは錦の御旗でもなければ黄門様の印籠でもない。
 プライバシーなんてもんは、社会においてはほんとうは、なにも「えらい」ものではない。
 ——そういうあたり、わかってないんじゃないの。左巻きは。

 これは白か黒かの話ではなくて「優先順位」のお話。

 プライバシーを制限して、公共体の安全なり利益なりを確保しなければならない、というときというのは、基本、非常事態、緊急事態。
 ゆえに、ひごろから、そういう事態にならないように、それぞれが少しずつ譲り合って助け合っていくことが、重要なんですがね。

 どうもそういう「常識」を、——故意なのか、素なのかは知りませんが、頭から完全に欠いている人がけっこういる、というのは、どうしたもんでしょうかね。

 テメエは公共サービスをしっかり受けているくせに、税金払うのはいやだ、選挙もいかない、と威張っている×××××というのは。
 こういう×××××は「全滅」することはない、とは私も承知していますが、×××××の人数があまりにも増えると、いまのシナみたいな社会になっちゃうので、そこは警戒しないといかんのかなー、と思っております。

 プライバシーがいちじるしく制限されるような事態は、私だってイヤですよ。だからこそ、日頃の小さな我慢や譲歩で、公共体が守られるのなら、そのほうがいいじゃないか、といっているわけです。

 それはそれとして。
 国家のインテリジェンスとしてはむしろ必要なものだと私は考えるので、そんなにギャーギャー大騒ぎするようなことではないとは思いますが。
 そういうことを暴露して国を危うくする、スノーデン氏のような×××××を「無効化」するためには。

 たしかに、情報収集についての、一定のルールづくりと、「三権分立」の考え方による、監視組織は設けたほうがよろしかろうな、と思います。

 それにしても。
 たしかに私もかねてから不思議に思っていたんですよね———今回話題になったNSAでもCIAでも、MI6でもいいが、ああいうのって、どうやってリクルート(人材募集)するんですかね?
 書類審査とか面接とか。
 特殊な技能が必要なときは、相応の組織からスカウトするとしても、一般の事務とかね。
 そういう募集って出すのかなあ、出すとしたら、「MI6事務員募集」みたいな感じなんだろうか——とか。

 007を読んでいると、そういう、どーでもいいことが、ふと気になったりしたっけな〜と、へんなことを思い出したんでした。(^^;)

 
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