雑談
2013年06月30日 (日) | 編集 |
 本日で6月も終わり。今年も半年が終わりました。なんてこったい;;
 ということで、私のオーナー、三島大社では、今日は「夏越しの祓」が行われます。

 行けるときには参加していましたが、今日はちょっと無理かな〜。
 禊の人形(ひとがた)はもう郵送してあるのですが、やはりできることなら、自分が直接、参加したいところ。

 あの茅の輪をくぐりながら歌(?)を唱えているのが面白くって。(^^)

 いつぞやは、その夏越しの祓に参加したときは、自宅を出るときは曇りという天気だったのに、儀式が始まるとにわかに雲が切れ、太陽が出てきて——夏至のころの、お昼ごろの太陽ですよ。たまりませんよこりゃ。
 うえ〜、暑い〜、と思いながら茅の輪潜りをしてきましたが、帰ってきたら、肩にはくっきり日焼けのあとが(笑)
 
 今日も、現在は曇っていますが、やはり日傘(晴雨兼用)を持つほうがいいでしょうね。もちろん日傘をさして茅の輪をくぐるわけではありませんが、儀式が始まるまではけっこう待ち時間があったりして(屋外で)、それで日焼けしたようですので。——あとは、大社から駅までの道のりもけっこうあるし。

 本日の私の予定は、夏越しの祓にも参加せず、野暮用であちこちへ買い物がてらおでかけ、というところです。
 雨が降らなければなんでもいいんですけど——しかし——、梅雨明け、してほしいですねえ;; 雨ならもう充分降りました。これ以上降ると災害が心配になるから、遠慮しないで梅雨明してほしい。

         ●
 
 今年も、東京国際ブックフェアのご案内が届いておりまして。

http://www.bookfair.jp">東京国際ブックフェア
http://www.bookfair.jp

 今年は一般公開が平日になったもよう。
 たしか以前は土日だったと思いますが、今年は一般公開が、金曜日と土曜日。7月5日、6日ですね。

 去年も行きたい行きたいと言っていて行き損ねたし、今年は行こうかな〜と思ったんですけども、内容を読んでいて、思わず手が止まりましたわ。

「今年のテーマは韓国です」

 ………頭イカレてんじゃないの?!

 と、条件反射的に叫んでしまいました。………自分で言うのもなんですが、こういう言い方をする、私もちょっとなー……;;

 まあなんにしても、そのブースに寄らなきゃいいだけのことなんですが。

 セミナーは、金曜日のほうが興味あったんですけども、さすがに平日は難しいな;;
 なんていっていたら6日(土曜日)も、しっかり他の予定があったことを思い出しました。
 残念ながら今年も見送りか……。

 コミケとはまた違った散財をやりそうになるイベントなんで、やはり、行けたら行きたいんですけどね〜。
 以前いったときの、割引販売されていたのでつい買っちゃった、きものの図案集はお宝でございます。黒猫「スープ」に出会って悶絶したのもこのイベントだった……。

本日のスープ本日のスープ
(2008/12/05)
大久保 ゆう子

商品詳細を見る


 こんな出会いがあるからと思うと、やはり行きたくてうずうずしてくるんだよな〜。
 こうなったらもうドッペルゲンガーに財布持たせて行かせるとか…!(あれは幻像です;; 分身じゃありません)

         ●

「どうしてワタミを候補者にするんだ?」 過労死した社員の両親、自民党に抗議
2013年06月28日 18:33 BLOGOS 田中龍作

 胸が痛む写真です。
 個人的には私も、「なにゆえにあの方?」「なにゆえに自民?」と思っています。

 政治については以前から色気を見せていた方なので、政治家になりたいというお考えが強いのでしょうが。
 なぜに自民党? とは思いますね。

 都知事選に出たときは民主党の支援を受けていたわけだし、政治家をめざしてはいても、本当の意味でのポリシーはどうなのかしらと疑問に思いますね、正直なところ。

 それはそれとしても。
 私は個人的にはあの比例区というのはやめてほしいと思っております。

 小選挙区なら、有権者の支持のあるなしが見えてきますしね。(かりに落選だったとしても、得票数や、惜敗率も参考にできます)
 
 どうしても比例区というのなら、名簿方式ではなく、有権者が個人名を書いた数で決めていってほしいし、——あと、これがなによりお願いしたいことですが、比例区で議員になった人には、離党を認めない方向で。

 比例区で当選した場合、その人個人が、有権者から認められ、支持されていたかはわからない。
 たとえば、民主党の比例で議員になったのに、議員という身分は手放さず、他党に移るというのは有権者から見たら重大な「詐欺行為」ですのでね。

 どーしても離党したいなら、いちど議員を辞めるのが筋というものでしょう。

 頭から、比例区を全否定する気はありませんけれど、どうもこの点だけは納得できないんですよ。
 
 なんにしても。
 有権者からの支持が充分ではない(かもしれない)人を、ほぼノーチェックで議員にさせてしまう可能性があるというのは、——べつに、この渡辺さんがどうこうではなく、制度として、私も疑問に思っています。

 ところで。
 もうご本人は会社の役職などはおやめになったそうですから、言ってもしょうがないことなんでしょうが。

 うちのご近所の、ともに80歳ごえの、某さんご夫婦。
 おふたりともたいへんお元気で、自立した生活をしていらっしゃいますが、さすがに最近は、お食事は、お弁当サービスを利用なさるそうです。

 あちこちのサービスを試している現状なんですが、ワタミさんのは美味しくなかったとのこと。
 いまのところは生協さんのがお気に入りのご様子です。

 せっかくの食事サービスなんですから、栄養面やカロリー、塩分や脂肪分の配慮といったことも大事ですけれども、やはり美味しさ、というのは、大事にしてほしいですね。
 機械的に弁当を作って、人間の口の中に放り込んでりゃいいんだ的な感じは、いただけません。
 もうちょっと「情」というもの、その機微を、理解していただけるといいんだろうにな——というのが、その某さんのお話を聞いていて思うことです。

 なんでしょうかね……なんかこう、「機械的」な印象が付いて回るんですよね、ワタミさんの場合。
 偏見でしょうか私の。(^^;)
 それはそれで否定できませんけれども;;

 
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浄玻璃の鏡
2013年06月29日 (土) | 編集 |
 人間は、どうしてこう正直にものを喋れないんだろう。
 ——と、Twitterで、いわゆる有名人といわれる人に粘着している人々を見て、考えております。

 こういう人たちのどこが気持ち悪いかと申しますと、へんな正義感を振り回しているところ。
 仮に——本当に仮に、その有名人さんに、粘着者たちがいうような落ち度があったとして。
 ………それが、この粘着者にどんな害を与えているというのでしょうか。

 法的に問題があるなら、法的な対処をしてくれる機関に任せればいいだけのこと。
 一般市民の義務は、法的機関に通報すれば充分に果たされるわけなので、いちいち、ご本人にそのいやらしい言葉を投げつける「必要」は、これっぽっちもありません。

 つまるところ、この人たちがこういうことをする、その目的は何だろうか。
 他人のことを犯罪者であるかのようにいうけれど、そういうご自分がやっていることが名誉毀損であり、ストーカー行為であり、どうかすれば脅迫罪にも当たるのに。

 ちなみに。《本当のこと》を言う分には、名誉毀損は成立しないと考えている人が多いようですが、じつは、たとえそれが事実であっても——たとばその人が過去に離婚歴があるとか——、悪意を持ってその人に社会的な損害を与えようとしたということが認定されれば名誉毀損は成立します。
 さんざん他人を侮辱しておきながら「だって本当のことじゃん」と開き直る、そういう「いいわけ」は、名誉毀損罪の回避理由にはなりません。
 名誉毀損は、気軽にやれちゃうわりに重大な犯罪であるせいか、民事、刑事、両方で責任を追及できるそうですね。長い引用ですが、以下に、刑法の条文をご参考までに。

 第三十四章 名誉に対する罪

(名誉毀損)
第二百三十条  公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。
2  死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない。

(公共の利害に関する場合の特例)
第二百三十条の二  前条第一項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。
2  前項の規定の適用については、公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす。
3  前条第一項の行為が公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実に係る場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。

(侮辱)
第二百三十一条  事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、拘留又は科料に処する。




 まあ、刑法、民法の問題はともかく。

 人間は、自分の気持ちさえ、正確には把握しないことがあるんだな——と思います。

 こういう粘着者にインタビューすれば、自分の正義感をかたり、自分が正義にもとづいて行動しているという主張をくりひろげるのでしょうが、——そうかなあ、と、傍観者としては思います。
 むしろ、この人自身を、ストーカー規制法や、迷惑防止条例、さきほどももうしました名誉毀損の疑いで、警察に通報してもいいくらいのレベルなんだけれども、そのへんについて自分を疑いもしない、ということが、私には不思議に思えます。

 なぜ、そういう批判精神を自分に向けないのか?

 ネットの掲示板で、ぐちぐちと、いやらしい陰口を叩いているくらいなら、まだいいでしょう。(ネットは公共空間である以上、掲示板だからOKという判断にはなりませんがね)
 しかしそれをご本人にわざわざ言う——しかも粘着して——ことの、目的はなんだろう。

 自分の犯罪行為を棚に上げて他人を糾弾する。
 ——その行為の目的は?
 動機は?

 そう考えていたら、この粘着者が「ほんとうに言いたいこと」は、もっと違うことなんじゃないか——と思えてきました。

 どういうわけでしょうかね。感情というものが先にぶわーっと動いてしまうと、自分でも、自分が何を考えていて何を感じていて、本当にはどんな思いでいるのかが、わからなくなってしまいますね。

 そもそも、怒る、というのは要注意です。
 怒りは基本、たいそうネガティブなものをその発生源としています。
 不安、怖い、という思い、自分の無力感、涙にもならない悲しみ。

 ただ、不安だとか、怖いとか、無力感でうちひしがれているとか、——それならそうしておけばいいのに、人間は、素直に、そのようにしておきませんね。

 心の奥にあるときは、そうやって、ただ、不安、恐怖、無力感であるものが、外へ出て行くときには、劣等感となったり、「外」にいる、他人と比較することで、自分が惨めになり、——惨めなんだけれども、惨めな自分を「認めたくない」気持ちも同時に働いて、それで——外へ表現されるときには、怒りになる。

 本人は、義憤、正義に燃える怒りのつもりでいるんですけど。
 じっさいはそうじゃない。

 世の中の、不義や理不尽を見極めて、それに飲み込まれないように対応するというのは、いいことですが。
 そこでいちいち「怒る」必要は、ありません。これっぽっちも。

 私もだいぶ、そういうあたり、自分で自分に嘘をついてきたなということが、ここ何年かではっきり見えるようになりました。
 さらに、気がついたときに「うわ〜」と思ったのは。
 そうやって、本人は、怒ってみせ、他人を批判してみせることで、自分が抱えている惨めな気持ちをカモフラージュ——ごまかしているつもりでいるのですが。

 おおむね、そういうあたりは、他人にはバレバレなんですよね。(^^;)

 裸の王様。
 本人は虎を演じているつもりでも、じっさいには張り子の虎くらいでしかない、と、他人にはバレバレ。

 本当に惨めなのは、自分が抱えているネガティブな思いではなく、そういう思いを見せまいとして、バレバレなことをしている——虚勢を張っている自分の姿のほう。

 自分の姿をそうやって鏡で見たとき、もう、穴なんて自分で掘ってでも入りたいくらいの気持ちになります。

 人間は、一生の間で、誰に最も多くの嘘をつくのかと考えますと——、結局、自分で自分に嘘をつくことがいちばん多いんだな、としみじみ思います。

 これ、気がついたときには本当にもう、恥ずかしいなんてもんじゃないので。
 粘着者の方々には、そういうネガティブな感情をやめろとはいいませんから(やめられるようなら苦労はない)、せめて、粘着という、見え透いたカモフラージュだけは、やめられるといいなあと思って拝見しています。大きなお世話なのはわかってますが。

 裸の王様は、見ている方が恥ずかしいんですよねじっさい。目のやり場に困る。
 
 あとこれは個人的に——自分で自分の、アホだなーと思っていることを、他人がやっているのを見ると、いたたまれない気持ちになるんですよ〜。勘弁してください(涙)
 いや、そりゃ、そうやって、「おまえはこういう馬鹿なことをしてるんだよ」と、教えてもらえることはありがたいと思いますが;;
 でも、それももう、けっこう充分になってきたので。おかげさまで;;

 そういうことで。
 愚痴は愚痴でいいから、へんなふうにカッコつけたことだけは、可能な限り、やめてほしいな、と思っております。

 私も、ひとさまのことばかり言ってないで、他人の振り見て我が振りなおせ、を心がけて参ります。

 
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「結婚」の行方
2013年06月28日 (金) | 編集 |
 今年のウィンブルドンはえらいことになってます……。
 ナダル選手に続き、フェデラー選手、女子ではシャラポワ選手が敗退。
 怪我による棄権者も続出。

 男子シングルスにつきましては——マレー選手の優勝にはかなり、有利な状況になってきたなーというのがあるんですが……。
 なんにしても、たしかに今大会は、選手がよく転ぶ。
 コートがどうしても荒れてくる2週目なら、まあそれもしょーがないかなというところなんですが、開幕3日目にしてあまりにも転ぶ人が多いので、——大会運営側が言うように、芝には問題はなくても、土そのものになにかよくない条件が起っているのではと考えてしまいますね。

 なんにしても、これ以上のけが人がでないことを祈ります。けっこう本気で。

       ●

米最高裁 同性婚の権利支持する判決
6月27日 5時40分 NHKニュース

 結婚とはつまるところ、どういう「意味」があるんだろうなあ、と思いました。

 なんせ、片方では、従来の結婚制度が崩壊しつつあるわけで——せんだっても、フランス大統領の訪日の際、大統領「夫人」ではない人を、「事実婚のパートナー」と紹介していまして、どうも言いにくそうだなあと思って聞いておりました。
 北欧某国では、税金の関係で、かえって、戸籍上は独身でいた方が有利ということがあり、事実婚カップルがかなりいるという話を聞いたこともありますし(20年まえですが)。

 日本はまだそこまでじゃありませんが——30年まえに比べれば、離婚というものがそれほど社会的ダメージにはならないようにはなりましたね。

 ゆえに、むしろ異性愛者のあいだでは、結婚制度は崩壊もしくは変質しつつあるのですが、かえって、同性愛者のほうが古風なところへ、「回帰」しようとしているようにも見える。

 同性婚をめざす人々が求めているのは、たしかに社会保障の面とか、税制の面とかの問題もあるんでしょうが、やはり「社会的に、公式に、認められる」ことが大事なんだろうな、と思うのですがどうでしょうか。

 葬式はじつは死んだ当人ではなく、後に残された人々のために必要なものだ、と私も先日結論を得ましたが、結婚式やその披露宴は、やはり「大手を振って、公式に、社会的に認められる」意味が大きいですよね。
 
 人間はやはり社会的な動物だ、ってことかなー。
 社会というものとの関わりがいっさいないのなら、べつに、結婚、というものには意味がない。好いたもの同士で暮らしていく、とふたりで決めて実行すればいいだけ。
 いいだけなんだけれども、そこに、社会とのかかわり、というものを持ち込んだとき、「当事者ふたりだけ」の問題ではなくなるんですね。

 社会からの承認があろうがなかろうが、当事者たちが幸せに暮らしていくことは可能でしょうが、それでも人間は、社会のなかで、その自分たちのありようを、認めてもらいたいと欲するわけですね。

 社会から認められるとはどういうことか。
 ——国にもよりますが、結婚によって社会的な「身分」保障が得られること、それと同時に、「社会に対する責任を負う」こと、でしょうか。
 社会に対する責任がある存在だと認められる。それが、「社会から認められる」ということ。

 妙な言い方に聞こえるかもしれませんが、社会から「責任」を与えられる、ということも、「権利」だと思うんですよね。
 責任を与えられる——つまりそれは、「お前に任せたよ」と言われること。

 なにかについての役割を「任せてもらえる」というのは、権限委譲であり、その責任を担えるだけの人間だと認めてもらえた、ということです。

 結婚は、当事者たちの「契約」であると同時に、社会とも、契約を交わすこと。
 カップルとして法的に、公的に、認知されるということは、とりもなおさず、社会を支える責任を「任せてもらう」——という、「社会との契約」でもあるのかもしれない。

 責任を任せられたということは、社会が、「この人たちは、社会人として責任を果たす能力や資格がある」と「裏書き」した、ということ。
 社会に認知される意義は、そこにあるのじゃないか。
 結婚と、単なる同棲との違いは、社会と正式な契約があるかどうか、というところにあるのでは?
 ……あ。
 いまなんとなく、「責任と権利」の関係性が、ちょこっと見えた気がする。
 権利と責任・義務の、切っても切れない関係性については以前から考えていたんですけど——いま、その「構造」が見えてきそうな気がする……。——

 話を戻します。
 結婚というのは私には未知の世界なので、あんまりあれこれ喋れないところもあるんですけど。(^^ゞ

 社会から、法的にもきちんとカップルとして認められることの「意味」あるいは「意義」はなんだろうか——と、考えながら聞いたニュースでした。

 なんせ、片方では、従来の結婚制度を否定する動きがあるわけなんで——「なんでいまさらそんなもんにこだわるのか」という気持ちもあるんですよね。見ている方としては。
 ただ、——権利保障とか税制とかの問題ではなくて、「社会的に認められる」ことを、彼らはまず求めているように思えまして。
 社会と、結婚との関わり、その意義とは——と、ぼんやり考えております。

 私はたぶん、同性愛両性愛ふくめ、いわゆる性的マイノリティ、性的少数派にたいしては偏見は——といって怒られるなら「嫌悪感」は——持たない方です。
 学生時代にはゲイの知人もいましたし。
 ゆえに、逆に、こういう人たちに嫌悪感を抱く人の気持ちの方がわからない。(^^;)

 こういうのってもう、持って生まれた感性なんでしょうかね。
 というのは、私は、「性的少数派の差別はいけません」などという教育を受けた覚えもないからです。

 小学校3、4年生のころでしたが——ある暑い日、たいへんきれいな和服美人と、町ですれ違ったんです。
 いまでも忘れもいたしません——淡いきれいな藤色の着物を着て、白い日傘をもった、そりゃもう、楚々とした美人でした。

 子ども心にも、わーきれいな人がいるー、と思って、私はぼーっと見ていたんですね。
 その美人はそのままこちらへ向かって歩いてきて、私のすぐそばを通っていきました。

 美人さんを、かなり低い位置から見上げた私が、その瞬間にみたものは。

 たしかに細身のひとではあったが、それでも、それとわかる、がっちりした下顎——おとがいのライン、あご先の、真下にうっすら見える、青い剃り跡、そうして、女性ではないことがはっきりわかる、のど仏。
 
 それなりに、衝撃ではあったと思います。
 思えばあれが、通常の男女の概念を超えた人との、最初の接近遭遇だったな〜。

 きれいな女性かと思ったら男性だった。

 さすがに衝撃をうけて、しばし、さらにぼーっとしていましたが、そのうち、「そうなんだ」と、納得していた記憶があります。
 そうなんだ、そういう人もいるんだね——という納得ですね。

 気持ちが悪いだの何だのと、そういうことはいっさい思わなかったなあ。
 うーん。

 特にそういう「差別はいけません」という教育を受けた覚えもないわけなんで、——ほぼ、予備知識もなしにそういう人に出会ったときの反応は、私という人間の、「素」の反応だったと考えていいでしょう。

 私はどうも自分で自分のことが好きになれずに困っていますが、こういう「感性」だけは、我がことながら、なかなか気に入っております。

 
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文句があるなら表へ出ろ
2013年06月27日 (木) | 編集 |
 一票の格差なんかより、投票率をどうにかするほうが先なんじゃないの? と言っておりましたが、……こういうものを立ち上げた方がいらっしゃるんですね。

FIRST STEP /投票に行く人を増やす。
http://f1rst-step.com

 説明によりますと、

「FIRST STEPは、世界初のSNSを活用した投票日、一斉告知キャンペーンです。
事前に予約した投稿が、投票日の前日の同時刻に一斉に投稿されることによって、選挙のお知らせを日本中に広げます。」



 具体的な方法としては、

①SNSアカウント(FacebookまたはTwitter)を使いFIRST STEPに登録します。
②投票日前日(2013年7月20日)に登録された全ての参加者のSNSアカウントに、同じタイミングで、同じメッセージが自動配信されます。
③これによりSNS上でバズを起こし話題を創出することで、参加者の投票を後押しします。



 バズ? バズって何?
 と思って調べたら、「Twitter内でただいま流行っている」、「話題になっている」ということだそうです。(バズの語源?は、buzz)

 そうならそうと日本語でいえばいいじゃん……。そんなんだからNHKも、外来語に頼り過ぎで意味がわからない、といって訴えられちゃうんだよね。
 と、こそっと独り言。

「放送で外国語使いすぎ」 NHKに慰謝料求め提訴
2013/6/27 1:11 日本経済新聞

 基本、IT関連とファッション業界の、無意味なカタカナ多用ぶりは、ちょっとひどいなとは思ってます私も。(^^;)
 あと、カタカナでわざとわかりにくいようにして、庶民をだまそうとしているんじゃないの? という疑惑があるのは霞ヶ関ですね。
 ホワイトカラー・エグゼンプション、という単語を聞いたときは、さすがに私も眉間に深ーい縦じわがよりましたもん。
 white collar exemption。
 ただでさえ、サービス残業、過剰な長時間労働が問題になって、うつだの過労死だのが社会問題になる日本で、こんなもんが必要あるか! と叫んでしまいました。(おフランスあたりなら必要なときもあるかもね)

 お役人様は、こうやって庶民をだまくらかそうとする傾向があると思う。私見ですが。
 たしかに、カタカナ用語にはちょっと注意した方がいいかもしれない。
 ん? とひっかかるものを感じたら、とりあえず調べてみるのは大事かも。

 ただ、たまに、調べようにも、何語なのかわからないとか、綴り自体がわからないとかで、困ることはありますね。(^^;)

 閑話休題。

 私もTwitterをやっていないので具体像が思い浮かびませんが、ようは、Twitterで一斉にその話題が取り上げられると、より多くの人の目に留まる状況を作れるから、ということでしょうか。そういう理解でいいかな?

 より多くの人に注意を促し、「いま、投票が流行中!」てなことになると、流行に乗り遅れまいとして、多くの人が投票に行く——という企画なんでしょうか。
 いまいち自分の理解に自信がないんですけど;;

 世の中というものに対してツマンネー愚痴をこぼすのを、あたかも「義憤」であるかのように装うのは、いつの時代でも若者がやることのひとつですが、……ただいまの世の中やオトナたちに文句があるなら、投票くらいちゃんと行けば? とは、私も思いますね。

 そういうあたり、このTwitterを使うことで、「文句垂ればかりが一人前で、投票すらできない(投票するだけの思考力も判断力もない)」人たちに、投票への意識を促す貢献をするならけっこうなこと。

 私はいわゆるSNSに類するもののアカウントはいっさい持っていないので、外部から、へー、といって眺めることにいたします。

 投票率。
 ちょっとはマシなものになるといいですねえ。

 ——でも、ちょっとだけ、こっそり、ろくでもない「本音」をいうならば。

 そうやって、ふだんは投票に行かないような「思考力と判断力のない」人々が、煽動されるままに投票に行った結果が、民主党が政権与党、でしたからねえ。
 まともな思考と判断ができない人々には、本当には、投票しないでもらった方がマシなのかもしれない………と、じつはひそかに考えております。

 こういうことは言っちゃいけないのかしら。(^^;)
 いけませんよねやっぱり;;


 
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心の格
2013年06月26日 (水) | 編集 |
 全英オープンテニス、ウィンブルドンが開幕しておりますが、個人的にちょいとショック状態です。
 ナダル選手が、まさかまさかの初戦敗退。

ナダルがまさかの初戦敗退、ウィンブルドン選手権
2013年06月25日 09:00

 試合後の本人のコメントがあるのを見て、「えらいなあ」と思いました。
 なんせ、メジャー1回戦で敗退するというのは本人にとっては初めてのこと(のはず;;)。
 ショックでないはずもない。

 でも、ちゃんと、試合後の記者会見はおこなったんですね。そこがえらい、と思いまして。

 勝とうが負けようが、記者会見(press conference)に出てくるのはたしかに「あたりまえ」のことではありますが、そこはやはり人間ですからねえ……。精神的にもショックで、やはりキャンセルするということは、けっこうあること。
 
 じつのところ、今回のナダル選手の負けっぷりというのはどうも——同じ負けるのでも、やはり、内容というのはあるものなのでして(結果至上主義の近視眼にはわからんことでしょうが)、今回はほんとに「目も当てられない」という感じ。
 怪我の影響がなかったはずもない。本人、ショックでなかったはずはない。
 それでもちゃんと出てきて、冷静に試合を振り返り、しかしそれはいいわけではなく、また、すなおに相手選手のよいところを讃えたというのは。
 なかなかできることではありません。

 フェデラー選手もいつも、そのカンファレンスにおける態度、言動には感心するのですが、やはりナダル選手もさすがだな、と、逆に感じ入りました。

 私もそれなりにショックで——ビデオを見ながら声も出ないという感じになりましたが。
 ともあれ、またコンディションを整えて、全米オープンで拝見できますように祈っております。

 ということで。
 芝の王者といえばフェデラー選手ですが、今大会は、イギリス、マレー選手が、「77年ぶりの、地元選手の優勝」が期待されているわけで。
 77年前っていつ? ——1936年? 昭和11年? ……戦前かあ。

 マレー選手もいいプレイヤーですが、フェデラー選手はもう、このウィンブルドンについては絶対ともいえるほどの自信を持っているわけですから……さてどうなりますか。

 逆に、ナダル選手は、クレー、全仏においては絶対の自信があるでしょうし。

 私は基本的には精神主義をとりませんが、しかしさすがに、ここまで実力が拮抗すると、最後の最後には、その「自信」のあるなしが、勝敗を分ける、というのを認めます。

 日本人はすぐに根性論、精神主義に陥りますがね。
 精神面での違いの問題というのは、ありとあらゆる物質的、物理的、諸条件が「同じ」になったときに、やっと言えることなんで。
 くだらねえ根性論を振り回してないで、必要な物理的な条件を整えることを考えろよ、と、よく思っております。

 あの自信というか——「絶対勝つ」という本人の、ここまでくるとほとんど「自己暗示」だろうというくらいの思いは、なるほど、こうまで実力が拮抗すれば、ものをいうよなあ、と思います。

 先日の、サッカーのコンフェデレーションズカップでは、敗戦後、日本選手のどなたかのコメントで、イタリアは「勝ち癖」を持っている——絶対に勝つという気持ちがあって、それが「格」になっている、というような主旨のものがあったと記憶しています。

 それはあるだろうなあ、と、私も思います。

 私などは、勝ち癖の反対、負け癖、なにがあるたびに、自分は失敗するんじゃないか、またダメなんじゃないか、今は調子いいけど、そのうち崩れてくるだろうな、というような思いが「くせ」になっています。
 
 勝ち癖、というのはその反対になるわけですね。
 自分の負け癖を裏返して考えますと、なるほど、勝ち癖ってのもあるだろうなと思いますし——クレーコートでの自分に自信を持つナダル、芝の王者と呼ばれて当然の風格を示すフェデラーを見ていると、「そういう、『気持ち』てのは、あるよな」と思いますね。

 自信は、結果がもたらすものではなく、自分にどこまで強い期待が持てるか、ということ。

 根拠のない自信を嗤う人がいますが、自信というのは本来は根拠など必要としません。
 自信とは、自分自身への強い期待と希望のこと。

 他人からなんと言われようと、そういう期待と希望を自分について持ち続け、その希望が指し示す道を黙々と歩いていける(人はそれを努力という)人が、やがて、その期待と希望を現実にしていくのだ、と思います。

 ナダル選手にしろフェデラー選手にしろマレー選手にしろ、最初は、やはり、そういう強い期待と希望を持つところが起点だと思いますよ。
 勝ったから王者になるのではない。
 自分の中に、王者足るべき「気持ちの格」を持ち続けてきたことが、ああいう結果を招く。
 そういうもんだと思います。

 ——日本のサッカーの話にしますと、いちいち敗戦したくらいで、ぐだぐだガタガタ言いなさんな、と私がいうのは、だからです。
 本田選手や、香川選手のコメントを聞いていると、彼らはその気持ちの格というものを、理解しているし、実行しているのだなとわかりまして、たいへん頼もしいのです。

 海外へ日本人選手が出て行くどころか、そもそも、「プロのサッカー選手」ということさえ思い浮かばなかった時代から、ここまでの歩みを振り返れば、サッカーを愛する日本人の「集合無意識」は、ちゃんと働いているのだなあ、と思います。

 気持ちの格。
 私も、ああなるほど、と、最近、気づかされることがありまして。

 本田△とはまっっっったく! レベルの違う、比較にもならない話なんですが、でも、私も私なりに、気持ちの格、というものに取り組んでみようと思いました。

 ああいう「カッケー」人たちを見ていると、まったく人間の格てのは、年齢じゃないなと実感しますわ。

 こうやっていろんなヒントを与えてもらえるのは、ありがたいことです。

 
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イロモノ
2013年06月25日 (火) | 編集 |
 そういえば、大河ドラマ「八重の桜」ですが、ここんとこ、しばらく話題の取り上げていない理由は。
 ——見ているのがつらいから。

 もうねー、ダメですねああいうのは。
 先週はとうとう白虎隊でしょ。それでなくてももとから涙腺がゆるい方なのに——子どもはいけません子どもは。

 ついでにいうと、幕末は面白いが明治(以降)は嫌い、という私が、長州、薩摩が好きなはずもない。それは当然としても、無能なトップというものを見せられると、これはこれでムカムカ腹が立ってくるという次第で、じつのところ、ここ数週間、「八重の桜」は、テキトーにスキップしながら横目で見ているありさまです。

 ………つらいなあ……。

      ●
 
 国政選挙並みの注目を集めた東京都議会の選挙ですが。
 まあ、現状ではこんなもんかなと思って聞いておりました。

 しかしなんですね、一票の格差がどうとかって騒ぐわりには大した投票率ですね〜。
 一票の格差がどうとかなんて、真剣に考えている人がそんなにいるとは思えないわ。
 
 都議会選の最終投票率は43.50%。
 ひとさまのところだけ悪く言うのでは申し訳ないので、先日の、静岡県知事選挙もとりあげますと、こちらは、49.49%。
 ま、似たり寄ったりですね。

 よーするに、社会人としてのまともな意識を持ち、かつ、行動できるひとは、有権者のうちの半分に満たないということか……。
(判断力も意識もマトモなんだけれども、諸般の事情により、投票所へどうしてもいけない、という方もいらっしゃいますから、実態としては、マトモな有権者は全体の5割、と考えてはおりますが、いかんせん証拠となる数字がないので、こういうおおざっぱな言い方になります)

 いちいち一票の格差とやらを訴えた左巻きもアレですが、法的瑕疵はない選挙結果、すなわち有権者の意思、合法的に認められた選挙結果を、なんの法的根拠もなしに「無効」にしやがった判決を聞いたとき、私が真っ先に口走ったのは、
「現実で問題なのは、一票の格差よりも投票率の向上でしょうが!」
 ということでした。

 こうしてあらためて投票率をみると、我々有権者は、現状では、とてもじゃないが、格差がどうだなんてエラそうなことを言える資格はないと思いますねあたしゃ。
 左巻きは、左巻きだからこそ、恥も知らずに言えるんでしょう。

 投票は権利であると同時に大事な義務。
 ——重大な責任放棄しておいて、格差もへったくれもあるもんかい。

 それはともかく。
 今回ひそかに、どうなるかなーと思ってみていたのは日本維新の会でした。
 国政においては民主党からかなり維新の会へ流れていますが、都議会の方ではどうだったのでしょう。
 そのへんの詳細を知らないのでなんとも言えませんが。

 私の予想よりは、票が集まらなかったようだなという印象です。

 まあ、このへんは、橋下代表のせいではないでしょう。
 なにをしようとする党なのかがイマイチわかりにくいし、実績がある人が候補者にいるわけでもなかったようだし、若い新人なら無条件で票が入るというほど世の中甘くもないでしょうし。

 橋下代表についていうなら、私はこの人は支持できません。以前からも言っておりますが。
 石原慎太郎さんがこの人を担いだということが、いまだに私には不思議でなりません。橋下氏を「頼朝」にというのは、本気で言っていたことなのでしょうか。

 私の見るところ、橋下さんはいらぬ敵を作りすぎる。
 これでは一国の宰相としては、とても持ちません。

 敵のいない人間は、かえって信用できない、と言いますね。私はこれは、そのとおりだと思います。

 男であれ女であれ、なにごとかを成そうとする人、というのは、どうしたって、どこかに利害の対立は生じてしまうので、敵があるというのは致し方のないこと。

 敵がいない人、というのは、——もしそういう人があるなら、ようは、人畜無害な人、あるいは俗世から完全に引いてしまっている人でしょう。

 どんなにあちこちに気を配っていても、なにごとか、仕事をするのであれば、敵が生じるのはやむを得ない。
 敵がいない人というのがもしあるなら、それは、仕事をしていない人、なにも行動を起こさない人ということになり、自分の思うところを他人にいっさい明かさない人でもあるでしょうから、「敵がいない人は信用できない」という言い方も、登場するのだと思います。

 まして政治家というのは、利益そのものと関わる仕事ですから——どんなにすばらしい政治家でも、敵は、かならず、いるものでしょう。

 しかし。
 だからっつって、いらぬところで喧嘩を売り、いらぬ敵を増やす、ということは、認められることでもありません。

 敵がいない人は信用しがたいかもしれないが、必要のない敵を好んで作る人というのも、結局は、大きな仕事はできません。

 無用の喧嘩を売り、無用に敵を作り、無用に人に恨まれる。
 ——簡単に言うなら「徳がない」。

 こういう人は結局、寝首をかかれて終わることになる——というのは、歴史を見れば枚挙に遑(いとま)がないでしょう。

 橋下さんは、要らぬ敵を作り過ぎ、不必要に恨みを買いすぎている。
 これでは、一国の宰相どころか、大きな組織のトップとしても、その器ではない。
 
 イロモノとしては面白い人でしょうし、決まりきった約束事の多い世界ではそれなりに、彼を活用できる場面もあるのでしょうが、徳、というものを磨かない限り、イロモノはイロモノのままだろうな、と。

 そう思いながら眺めております。

 
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あの日あの時あの場所で
2013年06月24日 (月) | 編集 |
 昨日はちょっとお出かけで、パソコンはもちろんスマホもいじっていられませんでした; というか、やはり疲れ目のこともあって、週1くらいは完全にデジタル機器から離れていられたらいいよなあと思った昨日。

      ●

 さて、そうやっているうちに、富士山も世界文化遺産登録が正式に決定。
 やはり意外だったのは当初のイコモスの勧告とは異なり、三保の松原が含まれたことでした。

 富士山という山そのものというよりも、富士山を巡る「日本人の文化」、という視点で見るならば、なるほど三保の松原の愛されっぷりも、「富士山の景観が人々にいかに愛されるか」の代表ということにもなりましょうか。
 私は個人的には三保の松原にはそんなに思い入れはなく、どっちかというと「そりゃあ昔はきれいだったんでしょうねー」ということで——現在は、それこそああいう波消しブロックという無粋なものがゴロゴロしてるんで、べつだん、とくべつ、きれいとは思わない。

 天女伝説があるんで、昔はそれはもう——天女が現れそうなくらい、きれいだったんだろうなと思うばかりです。
 ………だまされたと思ってあのへんに流れ込む河川から、不必要と思われるコンクリートをひっぺがしてごらんよ、とつぶやいていることのほうが多いかな。(^^;)

 なんにしろ、今回のことは、文化庁長官、近藤誠一さんがいい働きをしてくださった、という旨、昨日のニュースでみまして。
 外国政府関係者に、三保の松原の話をするのに、やおら千円札を取り出すのを見たときは、
「買収?!」
「千円じゃ無理でしょ?!」
 とアホなことを考えてしまいました。(^^ゞ
 お札の絵にもなるほど日本人には愛されているんですよというアピールだったんですね;;

三保松原逆転登録の舞台裏、文化庁長官語る
2013年6月24日 読売新聞
 
 今回のことは、富士山登録がどうこうよりも、こういう——日本人が大の苦手の「ロビーイング」が(珍しく)奏効した、というところに、個人的には興味を引かれています。

 あとには彦根城と鎌倉が、やはり正式登録を待つ身なのだそうですが。
 富士山は実は、自然遺産をめざす、というところから始めて、じつに20年かかっているんだそうで。
 彦根も鎌倉も、気長に頑張ってもらいたいと思います。関係者はほんとに、身もすり減る思いだろうと想像しますと、あんまり簡単に「がんばって」とは言いがたいですが——そうとしか言いようがないんですよね;;

 それにしても今回は、三保の松原の、『物理的には離れていても、富士山とは精神的に一体』という表現が印象的でした。
 彦根城は——あのひこにゃんの「精神的な魅力」をアピールしたらどうだろう……と、けっこう真剣に考えてみたり。

 おもいっきり馬鹿にされることもあるのは承知してますが、でも、ああいう「かわいい」ものをこよなく愛するというのも日本人の文化ですから。なんせひこにゃんは住民票もお城だし。

       ●

 週末の出来事と言えばあとは、コンフェデレーションズカップですね。
 日本はメキシコに1−2で破れたわけですが。

 私としてはこれでよかったと思います。
 本番は来年。
 調子がいいとやはり気が緩みがちな日本人としては(そんなつもりはないんだけど、どうしても、そうなっちゃう、という傾向はありますよね)、ここでちょっとシメてもらったほうがいいと、ひそかに思っていたので。(^^ゞ
 ダメなところも、いいところも、私は十分堪能できました。

 このあとどうするか——いずれにせよ、もちろん、応援する思いに違いはありません。

 こういうときに厳しいことを言わないとダメだということを言う人が必ず現れますが。
 私に言わせりゃ「勝ったら過剰にほめたおし、負けたら異常に罵倒する」、その近視眼をどうにかしろよと思います。

 良好な結果では喜び、思うようにならないときには怒り狂う、というのは、あまりにも「近眼」すぎる。
 もっとも、結果至上主義の男性原理ではよくあることですけどね。こういう近視眼。

 結果がいいときは良いといい、結果が思わしくないときは悪いという、なんてのは、はっきりいいますが馬鹿でも言えることです。
 見たまんま、ですから。
 見た目だけのことならどんな素人でもいい悪いくらいは言えるでしょそりゃ。

 どこがゴールなのか、ということを見失ったものは、議論にもならない。

 私が、サッカーを取り巻く「カルチャー(文化、風土、雰囲気)」が大嫌いになったのは2006年からですが、——今回、ネットをちらちら見ているかぎりでは、2006年のときよりは、まあ、ファンもましになったかなと思っています。

 セルジオ越後さんにつきましては、私は残念ながら、彼の言うことがなにかの参考になったということはただの一度もありません。
 ゆえに、なぜ、こういう人がこんなにえらそうに口をきいているのだろう、という疑問があるだけです。
 勝てば褒めて、負ければけなす。この態度に見識はあるのか。

 なんにしても、良いところも悪いところもよくみえた今回でした。
 私はアジアカップなんかなんの価値もない(たしかに難しい大会だが、それはサッカーの技術面で難しいからではなく、ほかの、はっきりいってよけーなところで苦労が多いだけだから)と嫌っているのですが、それでも、このコンフェデに出られたのは、よかったんだなあ、と初めて思いました。

 Jリーグ100年構想を、私は支持しています。W杯ももちろんいいですけどね——むしろ、100年構想のためにワールドカップも「利用」するというくらいの見方をしているので。

 この、一部、「自称ファン」の方々の、近視眼て、もうちょっとどうにかしてもらえませんかね。
 肉体の近視は眼鏡などでも矯正できますけれども、ものの見方の矯正は、結局、本人の自覚がないとどうにもなりませんものねえ。

 サッカーファンを名乗ることはもはや恥ずかしい、と言って、ある意味、決別してから数年たちました。
 まだまだ長いこの先——ファンは名乗らないけれど(ああいう近視眼のお仲間とは思われたくない)、私個人は、ひそかに応援してます。

 ちなみに。
 どうでもいいことなんですが、その2006年のときのエントリー↓ です。
 もう7年も経っているのに、いまだに読み返すと、サッカーファンは恥ずかしいという状況は変わってないなあと思いますね。
 選手たちはずいぶん成長しているのに、ファンは(選手たちほどには)成長していないなあと思ったり。

 サッカーファンを名乗るのをやめた理由はこのエントリーに書きました。
「I Have A Dream」 2006.6.25 エントリー

 一部、サッカーファンやメディアの、不見識な罵倒をどう考えるかは、沢木耕太郎さんのコラム引用がすべてですねえ——いまも。
「世界の縮図」 2006.2.27 エントリー

 
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本質を見れば
2013年06月22日 (土) | 編集 |
 富士山の世界文化遺産登録は、当落が正式発表されたら知らせればいいだろう、と、昨日から、もー、テレビ報道がうるさくてうるさくて、うんざりするのも通り越しております。端的に言えばキレかかってます。

 地元のローカルテレビ局までが、独自にアナウンサーなどを現地に派遣して、昨日から文字通りの大騒ぎです。あんまり騒ぐのでもう決定したのかと思って話を聞くとさにあらず。
 今日のお昼もまだ同様に騒いでいるので、さすがにもう……「バッカじゃないの?!」と。
 結果が決まったら知らせてくれればいいだけなのに。

 個人的には、もとからこの馬鹿騒ぎが気に入らないでいるもんですから、どうもね。辛辣になっちゃいますね。(^^;)
 騒いでいる人たちの「取らぬ狸の皮算用」っぷりが、さすがにいやらしくて鼻についてきちゃいましてねえ…。

 富士山を大事にしたいから登録をめざすというのならけっこうなんですが、世界遺産になれば「がっぽりもうかる」から登録だ登録だと騒いでいるわけですよぶっちゃけ。
 本末転倒しきってます完全に。

(もちろんそうではない人々——純粋に富士山を愛し、山とその環境を大事にしたいから、という志のかたもいらっしゃるんでしょうが、そういう人の声は、「儲かる」「試算では○○円の経済効果」「地域が活性化」「商店街が」「お土産が、グッズの売り上げが」「観光客が」という人々の喚声にかきけされて久しいです)

 ということで、「あーもー、うるっっさい!!」と、ニュースもろくろく見ていられません。
 
        ●

 昨日の夏至はあいにくの天気でしたが、今日はまあまあのお天気です。
 お昼になったらだいぶ、季節らしい晴れになり、明るい日差しが降り注いでいて、ほっとしているところです。

 すぐに日光に飢えるんです私。(^^ゞ ←季節性うつ

 じつは先週から、うちのネコが1匹、入院しておりまして。
 原因不明の熱で心配しましたが、なんとか今日、退院できました。
 動物病院も最近、混んでおりまして——やはり人間同様、動物も、こんなふうに気温の変動が大きい日がつづくと、体調を崩しやすくなるんでしょうね。

 ということで今日は、昨日楽しめなかったミッドサマーの日差しを楽しむようにしたいと思います。
 暑くても焦げそうでも、それでもこの強い夏の日差しが好き。
 日が沈んでいったあとも長く空に残る、青く透き通る黄昏の光も好き。

 そんでもって、明日の満月はスーパームーンというのだそうで。
 通常の満月よりもちょっと大きめに見えるんだそうですが、もちろん肉眼で、それとわかるほどの大きさではないらしい。

 夏至と満月が重なってくるというのも珍しいような。
 明日の夜は雲がかかりそうで、せっかくのスーパームーンも、直接拝むことはできそうにありませんけれども、でも、——通常よりも明るい満月と聞くと、なんとなく世の中も明るくなってくれそうな気がします。

       ●

 電車の中などで痴漢の被害に遭うのは女性ばかりではない。
 男性もけっこう被害者がいるわけで、被害者の男性が「きゃー! 痴漢!」て言っていいんだろうか——というのをおみかけしましたが。

 いいと思います。(きっぱり)
 
 で、その加害者側ですが、被害者が女性とは限らないのと同様、加害者も男性とは限らないわけでございまして。

 そういうとき、被害を訴えていいんだろうかと戸惑う男性もいるようですが。いいんです。

 セクハラ、というのはたしかに世の中たいていは、男性が加害者、女性が被害者というケースですが、少数とはいえ、女性がセクハラを働くということは、ありますからね。
 泣き寝入りするこたあない。男だろうが女だろうが、犯罪は犯罪ですから。

 シャレにならない痴漢被害に遭ったのが男性ですと、ちょっと周囲に協力を求めるのも、ぎゃくにためらわれるのかもしれませんが。
 女性被害者と同様、男性も、その痴漢(痴女)に警告のうえ、それでも行為をやめない場合は故意であるということで、「この人痴漢です」と周囲にも知らせて、逮捕の協力を要請してよろしいと思いますよ。

 被害者が男性だから、加害者が女性だから——恥ずかしいという理由であっても、泣き寝入り、あるいは見すごし、ということには賛成できかねます。
 犯罪は犯罪なんで。
 被害者や加害者の性別によって対応を変える、ということがもしあるなら、それこそが男女差別であることを、ご確認いただきたいと思います。

 そういう理由で犯罪を見過ごすと、結局、犯罪者をつけあがらせることになり、通常の(?)痴漢行為を助長することにもつながっていくわけですから。

 被害に遭った人が「俺、男なんだけど……痴漢です! って言っていいのかな」とためらう——。
 奥ゆかしいお考えだとは思いますが、それでいいわいいわにしていたら、それだってやっぱり泣き寝入りしたことになります。
 そうやって、泣き寝入りする被害者をみれば、加害者はそれでいいんだと増長しますからねえ。
 勇気を持って、毅然と、対処したいもんです。男女を問わず。

 また、周囲の人たちにも——痴漢被害は被害なので、被害者が男だったらべつにいいじゃん、などと言わず(差別だよそれこそが;;)、協力するように願いたいですね。

 ま、結局のところ、男だろうが女だろうが、「人間」のすることには大きな違いなんかないということですよね。

 私としては痴女の気持ちはいっさい理解不可能ではありますが。(^^;)
 そーゆーことしてなにか嬉しいのか? と純粋に疑問に思ふ……。嬉しいからやってんでしょうけどねえ…。

 まあ、犯罪者の心情がわからないほうが、まともな市民としては安心でしょうね。(^^;)
 犯罪者に共感するようじゃちょっとマズイ;;

 それはそれとしても、——基本、オトコって触りたいものとは(私には)思えないので、痴女、という人の話を聞くと、犯罪に対する憎悪とはまたちょっと別の次元で、
「物好きな……」
 と思ってしまいます。

 いいオトコがいたとしても——それはやはり、うっとり眺めて楽しむにとどめるほうが、いいような気がするけどなあ……。
 ねえ?(←なんとなく同意を求めてみる…)
 
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こんな天気でもミッドサマー
2013年06月21日 (金) | 編集 |
 台風の影響で、ひどい天気になっておりますが、それでも今日は夏至。ミッドサマーでございますよ。

 そういえば日本ではこの時期は梅雨真っ盛りのせいか、夏至については実感が薄く、春分、秋分、あるいは冬至ですらなにかとお祭りあるいはイベントがあるのに、夏至はきれいに「無視」されてますねえ。
 なんだか可哀想に思えてくる……。

 思えば日本も因果な国だ。1年中でいちばん美しい季節のはずが、梅雨のせいで毎日毎日、鬱陶しいことになり、太陽がもっとも明るく地上に出ていることにも気づかずに過ごすとは。

 ………それでも、この雨期のおかげで緑豊かな地でいられるから——と。
 少々複雑な気持ちがする、毎年の夏至です。

 せめて——たとえ梅雨のなかでも、夏至をぱーっとお祝いできるイベントってないもんでしょうかねえ。
 春分、秋分はお彼岸てことで、ぼたもち、おはぎを食べる。
 冬至は、かぼちゃを食べる。

 となると夏至は——夏至は……、うーん。何を食べたらいいですかね?
(食べることから離れてみたら?;;)

        ●

スイス、銀行口座情報米に提供せず 関連法案廃案に
2013/6/20 20:45 日本経済新聞

 ゴルゴ13の口座情報は守られるのね、と思ったニュース。(^^;)
 スイスの銀行といえばスイス銀行。スイス銀行と言えばゴルゴ13——というのが私の単純な連想。
 依頼を受けると、振込はスイス銀行へ、って言ってますもんね彼。
 ——口座を開いたときの個人情報はどんなんだったのか、すっげえ気になります。いまだに。(住所と氏名くらいは書くでしょうからねえ)

 私のアホな連想はおいといて。

 たしかに、スイス金融機関の口は堅い。

 べつだんスイスがタックスヘイブンということではないのですが(たぶん)、——その口の堅さゆえ、諸外国の、脱税容疑の調査には(結果的に)協力できないのが現状、てことですかね。

 まあ、脱税の調査くらいは協力してもいいのかなあ、とも思えますが、この徹底した口の堅さも、スイスが永世中立国としてやっていくためのひとつの大事な要素になっているわけなので、あんまりごり押しすんのもどうなのかと思いますわアメリカさんには。
 ああいう、けっして大きくはない国が、永世中立国でありつづけるというのは、そりゃ並大抵のことではないはず。そういうあたりへの理解も必要なんじゃないでしょうかね。そんなことをアメリカが理解するようになったら地球も終わるかもしれませんがね。

 日本のマルサも、ちょいちょいスイスには調査に行くそうですが——うまく情報がとれるんでしょうか? あの口の堅いスイスに調査に行って、思うように情報が取れるもんなんだろうかと、昔から漠然と不思議には思っておりましたが。
 銀行業界が、ではなく、スイス議会そのものが、こうもがっちり守備を徹底し、たとえ脱税容疑の調査のためであっても情報公開は拒否するとは。「さすが」という感慨をすら覚えます。

 ゴルゴ13の場合、税金を払う先ってあるんですかねえ? ある意味、彼は住所不定ではないかと思うので。……そんなこといったらパスポート自体がナゾか。(^^;)

 連載開始からすでに45年。連載開始時には「30代なかばくらい」といわれたデューク東郷さんは、45年たったいまも30代っぽいんで、実は彼、人間じゃなくてサイボーグだという説もあるそうですね。
 ………そんなことを考えていたら、スイスのことより、デューク東郷さんの秘密の方が気になってきた……。

        ●

冷えてないお茶売ってます 常温ニーズにコンビニ動く
朝日新聞デジタル 6月16日(日)12時19分配信

 これ助かる! もうすべてのコンビニでやってほしい!

 外出しますと、夏場どころか冬でも、キンキンに冷えた水しか手に入らない。あれはつらい。

 そりゃ、熱中症寸前、体が熱くなってしまってヤバい、というときは、冷えた飲み物を飲むというのも有効ですが、すでに冷房で冷えきった体には、冷たいものどころか、あったかい紅茶、できれば白湯がほしいところ。

 冷たいものはそこらじゅうで売っているのですから、常温の水やお茶も、扱ってくれるとありがたいですねえ。

 私は年中、なにかと薬を飲んでいる身ですが、薬を飲むのにも、できれば常温からぬるま湯くらいのものが欲しいわけです。
 それでも冷たい水しかないときは、しょーがないから飲みますが——内心では、つらいな〜と思っているんですよね。ただでさえ冷房で体は冷えているのに、胃が、冷たい液体でさらにきゅっと冷えるあの感じ。

 これほどあちこちで冷房ガンガンの日本において、冷たい水なんか必要なんだろうか! と、たまに頭に来ているときもあるくらい。
 ゆえに。
 常温の飲み物。
 涙が出るほどありがたい。ありがとうございます。

 ——自販機で常温は難しいでしょうが、コンビニにいけば常温の水がある、というのが「常識」になってくれると本気でありがたいです。
 夏だと常温でおいていてもぬるま湯状態になったりして。(^^;)
 でも、それはそれでかまいませんわ。薬を飲むのには、むしろぬるま湯希望なんで。

 現代人の体調不良の多くには冷えが関わっているのはわかっていること。熱中症でもないかぎり、本来は、冷たい飲み物は必要ないはずなんですよねえ。
 ありがたやありがたや。——ただひたすら、そう思って拝んでしまうニュースでした。

 
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負けて覚える相撲かな
2013年06月20日 (木) | 編集 |
 今日は、午前中、半休をとったひとは全国でどれくらいいたでしょうか。(^^;)
 半休とまではいわずとも、2時間、遅刻させてもらえるだけでもありがたいんですけど。(^^ゞ

 ということでコンフェデレーションズカップ、日本×イタリア。
 いいゲームだったんじゃないでしょうか。
 長谷部選手のファウル判定には私は納得していませんけれども、全体の内容としてはよかったと思います。

 対ブラジル戦のときに感じられなかったものは「勇気」。
 それが今回はちゃんとあったと思うので、私としてはけっこういい感じの今朝です。香川選手のゴールは美しかった。

 ザッケローニ監督になってから、日本はいい感じで成長してきたと思いますが、そのステップも次へ移行する、そういう時期になったのかもしれませんね。

 相撲には「負けて覚える相撲かな」という格言(?)がありますが、今回の試合も、そういうものではなかろうかと。
 十両のうえのほうで、力をつけて、十両優勝して、意気軒昂にして幕内へあがります。
 と、——そりゃもう、こてんぱんにやられるんですよね。(^^;)

 十両だった先場所ではほとんど負けなかったのに、幕内にあがりますと、役付力士とも当たらないのに、まあ負ける負ける。
 たいていの人はそれで、負けて、また十両に戻って、またそこで頑張って力をつけてあがってきて——を、なんどか繰り返す。

 負けることで自分の力量を知り、必要なものがなにかを見極めて、稽古して、力をつけていく。
「負けて覚える相撲かな」——負けないと、わからないことはたくさんある。そういうことなんでしょう。

 本番は、この大会じゃない。
 適度に負けて、でもこうやってまたいいところも確認できて。
 よかったと思っています。

 ということで、今日は簡単ですが以上で。m(_ _)m

 今大会、もう一試合。
 消化試合とは思わず、やりたいこと、できること、必要なことを、もういちど洗い直せる試合になりますように願っております。

 負けて覚えるサッカーかな。

 
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有余涅槃(うよねはん)
2013年06月19日 (水) | 編集 |
 いつものことながら為末大さんのツイート群が面白く、拝読しながらまた倩倩(つらつら)考えてしまいます。
 
 ——それにしても、これもいつものことながら、「読解力の問題なのか、ほかのところが問題なのか?」と、戸惑いますねー。
 為末さんのツイートについてくる、他の人のツイート………、えーと、あれ、メンションて言うんですか、よくわかりませんが;;(自分はTwitterやってないのでわからない;;)
「そ……そういう解釈になっちゃう?」
 と戸惑うものもあるし、いやそりゃ完全に話があさってのほうへ飛んでいるでしょうというのもあるし。
 ……なかなか興味深い。(^^;)

 読解力の問題もあるだろうし、自分の考えに固執して、結局、何を聞いてもぜんぶ自己流解釈にしかならない、という人もあるだろうし。後者の場合は読解力よりも、心のありようの問題でしょうね;;

 解釈とか、その人なりの考えとか、そーゆーものによって、同じ発言がまるっきり違うものに受け取られるということはあるよなー、と思いました。

 それでひとつ思い出したのでお尋ねしますが。
 皆様は、こんなふうに文章を書くとき——意見を述べるとき——、主語をはっきりさせますか、どうしていらっしゃいますか。

 私が以前、どこかでお見かけした意見はこうでした。

「ブログの記事の文章で、私は、私が、といちいち主語を言うヤツは鬱陶しい」

 これは私には衝撃でしたねえ。

 私はまさしく、いちいち、主語をはっきりさせるように、「心がけている」からです。
 こっちはそれなりに「努力」しているのに、それを鬱陶しいと言われちゃうのか……と、しばらくぼーぜんとしてそのご意見を眺めていました。

 私の考えるところは、こうやって意見を述べるときに、「私は〜と思う」と、主語述語をはっきりさせることが、むしろ「必要」だということ。

 主語述語がはっきりしないまま、見解なり、意見なり、あるいは感情なりを書いてしまうと、その意見があたかも「一般的、世間では広く浸透しているもの」であるかのように思われる危険性があるから。
 
 文章というのはどんなに中立公正を心がけても、書いている人間の主観という「フィルター」から、完全に自由になるということはありません。
(あることはある。法律の条文です。あれはもう、誰が読んでも同じ解釈が可能であるように書かれる。そのために、かえってわけがわからない、難解な文章になってますね)
 ……フィルターというより、バイアスですか。

 私個人の意見にすぎないものを、「これは私(個人)の意見です」というのをわからなくしてしゃべってしまうと、人によっては、それが意見を押し付けられたように感じたり、あるいは、自分の意見とは違う意見が「多数派」であるかのように感じ、ひいては、自分が否定されたように感じ、怒りだすことだってある。

 そういうよけいな摩擦は避けたいので、それで「私の意見です」というのを、私はことさらに強調しているわけです。

 これはひとつには私の性格のせいでもあります。
 私はどうも他人から何かを押し付けられる、強要される、なにごとかを当たり前ヅラされる、というのが、ほんとにもう、人一倍、ちょっと病的なくらい、嫌います。

 自分は自分、人は人——という意識がきわめて強く、無言のうちに「あんたもそう思うよね。そう思うでしょ。思わないのは変だよ」と、「押し付けられる」のが大嫌い。

 自分がそうだからこそ、他人様には間違っても、私が意見を押し付けているとは思われないように心がけている。
 そういうことなんだろうと思います。

 じっさい、新聞記事でもブログエントリでもコメントでも——それらを読んでいるとき、「おいおい、自分個人の見解が世間の代表みたいな言い方すんなよ」と思うことは多いし。(^^;)

 自分は当たり前だと思っていても、他人様が同意してくれるとは限らない。

 油断しきってしゃべっているときでも、私が他人様からの同意を「期待」していることは少ないのですが、そういう人間も、さすがに、身内でしゃべっているときは、私が、私が、とは、あまり言わない。
 まったくの赤の他人が、私がそうやって、友人なり家族なりと話しているのを漏れ聞いたら、えらそうに喋ってんなコイツ、とか、なに言ってんだコイツ、と思う(こともある)でしょうね。

 友人、家族には私の食べ物の好き嫌いはわかりきっているので、私もストレートに「酢豚ってなんであんなに美味しくないんだろう」と言えますが、もしかして酢豚が大好物かもしれない赤の他人に向かって話すときは、「私は、酢豚の、甘酢がちょっと苦手でしてねえ」という言い方をする。
 自分の好物をマズイと言われたら、誰だって気分が悪いですもんね。
(かく申す私は、『納豆なんか人間の食うもんじゃない』といった大阪出身の人とは、1ヶ月、口をききませんでした)

 そういうあたりを考えると、「私は、苦手です」と主語述語をはっきりさせて、かつ、「甘酢(の味)が苦手」と具体的な理由も述べる。

 そうでないと、酢豚全否定、というように解釈され、「あんなに美味しいものをマズイだなんて」と、大ひんしゅくを買うことになる。
 これは、私の本意ではありません。

 まあ、そういうことで。

 好き嫌いの話はわかりやすいですが、好き嫌いに限らず、どんなことの価値判断でも、しょせんは「個人的見解」にすぎません。まあ、たいていのことは。
 まれには、どんな人間でも同じように解釈するというものもあるんでしょうが、なかなか、そういうものはなかろうと思います。

 それがために、社会における大きなルール、方向付け、判断するときの基準のある程度の共通化をしておいて、社会の意思疎通がスムーズであるように——そのために、憲法なり、法律なりが制定されているわけでしょうね。

 ということで。
 これは自分の意見にすぎませんよ、あなたに押し付けるわけではありませんよ、あなたは当然、違うご意見をお持ちでしょうが、「私は」こう思うのですよ、と。
 文責、といったら少し大げさでしょうかね、でもそういうものをハッキリさせるために、私はあえて、こういう文章で「私は」「私が」「私の思うところでは」と、いちいち「文責」をつけております。

 そういう努力を、「うっとうしい」と、一気に否定された日には。(^^;)
 
 あんまり読みやすい文章ではあるまいという自覚はあります。ありますが、じゃあ、だからといって、主語を省いた読みやすい文章にして、はたして、「誤解」「誤読」をしないでいてくれる人は、世の中にどれほどいるもんだろうか。——と思うんですよね。「私としては」。

 こちとら、読みやすい美しい文章でおあしをいただいている身でもなし、人様からいらぬ誤解をされないほうが、やはり大事なことだと思うので、この読みにくいスタイルでいこうと思います。

 まあねえ——世の中すべての人が、少々主語を省いたって、誤読をしないでくれるのなら、それはそのほうがありがたいことですけれども。

 それを期待することはできそうもない——と、為末さんのツイートにつけられた、「ぶっとび解釈」ツイート群をみて、その思いを強くするこのごろでございます。

 主観、思い込み、というものは、自分ではなかなか、そうとは自覚できないところが厄介です。

 もっとも、そのへん自覚できて、自分の主観からさえ自由になれたら。
 ——それはもう、かなり、その人には自由な精神を与えてくれることになるでしょうね。
 
 独断と偏見の固まりである私には、想像もつかない境地ですが——憧れるなあ。
 それができたら、無駄に、他人に怒ったり、状況に無意味にイライラしたり、落ち込んだり——そんなことはしないですむでしょうから。

 解脱(げだつ)したいわ〜……。

 
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無題
2013年06月18日 (火) | 編集 |
 ついこのあいだ、キプロスに血も涙もない要求をしたお国とは思えない発言ではございませんか?
 ドイツ。

アベノミクス評価で賛否 独首相「日本は大変な赤字」 伊首相「成長に強い関心」
2013.6.18 09:05 MSN産経ニュース

 あんたがた、こないだキプロスの庶民にどんだけ無惨な要求をしたと思ってんの。

欧州で始まる犯人捜しゲーム-キプロス預金課税案の大失敗で
2013/03/21 10:13 JST Bloomberg.co.jp

 ………以前から、ドイツにはあれこれ気に入らないことがあったんですが、これほどはっきり、ぶん殴ってやりたいくらいの気分になったのは初めてかもしれない。
 というか——「正体見たり」というところか。

 先の大戦のあと、日本人ビジネスマンが、ドイツ人に「次はイタ公抜きでやろう」といわれたという伝説もありますが、次にやるときには、ドイツとこそ、手を組まないようにすべきだなーと思いました。
 さきの大戦の折でも、じつのところ日本はじゅーぶんドイツには裏切られていたわけだし、なんの義理もありゃしません。

 うーむ。なんか、ここ3年の間に、ドイツのイメージが一気に悪くなったな〜。
 KKKとも思えるあの体質は、まあ、べつにドイツだけの話じゃないから置いとくとしても。
 2年前から「ドイツは《放射脳》」のイメージになって、あれあれと思っていたのですが、今年になってからはそういうわけで、さらに「守銭奴」のイメージが……;;
 ん? だからドイツは拝金主義のシナが好きなのかな…?(気は合うだろうなとりあえず)

 ドイツでは現在の中年〜熟年層はどっちかというと「反日」、若い人たちはわりと親日、という話も小耳にはさんでおりますが……。
 こういうことを平気で言えちゃうメンタリティはしかし、そういうこととも無関係に思える。

 こんなにも露骨に、片方には日本の悪質な金貸しよりもあこぎなことを平然といい、片方では「労働コストの安い国」にとっての、おやさしい代弁者であるかのようにふるまう——。
 たいしたものだと思います。

        ●

 今日はまだいまいち調子が上がらないので、ネコ写真で失礼を。
chibi.jpg

 先日もちょっとお話ししました「チビ」です。
 手術したときの毛刈りあともだいぶわからなくなってきました。

 朝早くに人間を叩き起こして、なにをするかと思えばこの態度……。ようはかまってほしいんでしょうが。(^^;)
 写真にブレがあるのは、ゴロンゴロンしているときの写真だからです…。子猫は動きがことさら早いので、なかなかうまく撮影できないんです……、こっちも半分寝ぼけているし(笑)

「くるねこ大和」様の記事によれば、三毛のオスほどではないが、赤トラのメスは珍しいんだとか。
 そうか……珍しいのか…。というか、以前にもうち、赤トラのおんにゃのこがいましたが……。

 そういえば、その子も、このチビ子も、可愛い顔をしているにもかかわらず、なぜか、ちっとも「女の子」のイメージがなく、いつ見ても、いたずら坊主の感じがするのです……。

 女の子なのに、男の子のイメージですね。
 なんでだろう……。ちょっと不思議。

 
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我が妄想
2013年06月17日 (月) | 編集 |
 静岡県知事選挙、そういうわけで、現職の川勝氏(無所属の民主党)が再選となりました。

 まあ、基本、地方の首長選挙なんてのは現職有利ですから、しょーがないのかもしれませんがね。
 あいかわらず、静岡県民は不見識だのう、というのが、私の感想。

 上記で「無所属の民主党」と書きましたのは、前回は民主党から立候補したのが、今回はなんだかぐだぐだいったあげくに無所属ででたからで、その実態はつまるところは民主党である、ということ。

 ちょっと待て その無所属は 民主党——というのがネットにあった、と教えてもらい、腹を抱えて大笑いしていたのですが、自分の地元でそれをやられるとは思わなかったなー。(^^;)
 まあ、そういうことで、民主党です、静岡県は。

 ほんの数年前までは「保守王国」なんて言われていたのにねえ。静岡県民は、基本、不見識だといわれてもしょーがないな、というのが私の思うところです。やれやれ。

      ●

 といったところで、あいかわらず喉が痛いので、今日は病院へいってきます…。
 
 扁桃腺が腫れるの化膿するのはある意味、私にはしょっちゅうですが、今回みたいに、痛くてものが飲み込めないとか、熱が出てふらふらするというのも久しぶり。
 最近ではほとんどが、熱は出ないで頭が痛いとか、ちょっとだるいかなー程度なんですが——今回はキましたわ〜。
 気候がよろしくないのか、もろもろ疲れがたまって抵抗力が落ちていたのか。

 皆様もどうぞ体調にはお気をつけて。

      ●

 トルコの抗議デモの行方が気になっております。

 当初、公園の再開発計画で、木が伐採されたとかされるとか、そういうことに抗議したというのが発端と聞いておりました。

 公園の再開発の、なにがそんなにいけなかったのかと思いましたが。
 再開発計画があるのはゲジ公園で、昨夜、ニュースでもとりあげていた、デモ隊強制排除がされたタクシム広場のとなりにある公園だそうですね。
 せっかくの、きれいな緑地をつぶして、ショッピングモールなどをつくるのだというのは、日本でもすっかりおなじみの、アホな都市計画っぷりですが。

 このタクシム広場には、トルコ建国のモニュメントや、アタチュルクの記念碑もある、いわばトルコ共和国のシンボルがある場所。
 そのすぐ隣でこういう計画をたてたということは、——最終的にはゲジ公園のみならず、タクシム広場のほうにも手を伸ばして、その世俗主義、政教分離を実現させたアタチュルクを否定し、世俗主義を否定し、純イスラム国にしようという、あからさまなデモンストレーションを、このエルドアン氏は考えているのではないだろうか——と、不意に、思いました。

 まあ、私の勝手な想像でしかありませんが、なぜ、よりにもよってここなのか——再開発、大型の近代的な建物を造るのなら、ほかに適地はありそうなのに、と不思議に思いながらニュースを見ていたので。
 で、このゲジ公園やタクシム広場がどういう場所でどんなものがある場所なのかを聞いたとき、脳内に閃いたのは「世俗主義の否定」でした。

 じっさいその再開発計画によれば、せっかくの緑地をつぶしてできるショッピングモールとやらの外観は、オスマントルコ帝国時代の兵舎を模したものだというのですから。

 オスマン帝国はともかくとしても、よりにもよって兵舎かよ。だっせー……。
 と、ついつぶやいた私をお許しください。

 いかにも筋肉脳みその暴力馬鹿である、男性原理ばりばりの、ムスリムなら言いそうなことだなと思いました。

 オリンピック云々はおいといて、私としては、トルコが、純イスラム国へ「退化」しないように、と祈りつつ、ニュースを聞いております。

 日本はそれでも民主党政権を、血でもって下ろすことにはならずにすみましたが。
 あれこれ話を聞いておりますと、トルコも、このままいくと内戦にもなりかねないものを感じることがあり、ちょっとシャレにならないと思っています。

 私の妄想が激しすぎる、ということで済めばいいのですが……。

 
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