口だけ動く人々
2013年05月31日 (金) | 編集 |
三浦雄一郎さん下山にヘリ利用で議論 野口健さん「エベレスト登頂と言える」
2013/5/27 19:28 J-CASTニュース

 自分は何もしない人こそが、他人のことをとやかくいうのはなぜだろう。
 しかもエラそうに。

 登山ではじつは、事故や、死亡するケースというのは下山時の方が多い。
 下山の方が、ある意味では、登山よりもリスクが大きいんですよね。

 私は登山はしませんが(金を積まれたっていやだ)、そういうお話はけっこう聞いているので(………土地柄か、富士登山者が周囲にいるからだろうか…)、今回のことも、最初、ヘリを使ったことを聞いたときは、
「ご無事でよかった」
 と、ホッとしただけでした。
 心疾患のことを思えば、ヘリを使ったとしてもあぶなかった、と言えるのではないでしょうかね。

 ですんで、世間様で、今回のような意味不明の——ヘリを使って下山したらエベレストに登ったことにはならない、という、てんであさっての方角からの批判を聞いたときは、「はあ?」でした。素で。
 冗談抜きで、何を批判しているのか、ホントに意味がわからなかった;; 韓国政府ですかこの人たちは;;

 その批判にはあたらない理由は、上記記事にある、野口健さんの解説のとおりだと思います。

 先日も、日経新聞の土曜版で、小さいコラムでしたが野口さんの経験談のひとつが紹介されていました。
 事前の健康チェックその他でまったく問題なかった仲間のひとりが、下山中に急に体調を崩して、そのままお亡くなりになったときのお話でした。

 抑制された言葉遣いでしたが、それでも、その切迫した状況はよく伝わってきました。
 仲間の遺体を置いて下山しなければならないことへの、深い悲しみも。

 ああいう極限の中に「つねに」いることの「意味」を、今回の批判者たちが理解しているとは私には思えない。

 そういうことを理解しない人たちとはどういう人か、と想像してみたんですが、
「結局、なにかにチャレンジなんか、なーんにもしない人なんだろうな」
 と思えてきました。

 たとえ登山はしなくても、なにか、自分にとっての極限と思われるものに挑んだことがある人、べつに好きでそうなったんじゃないけど、そういう状況に置かれてしまい、もがきながらも乗り越えてきた経験がある人は、極限に挑むこと、その状況に置かれたときの厳しさを、「類推」することができます。

 それができないということはつまり、自分自身は「なにもしない」んだろうな、としか思えないんですよね。

 パソコン画面に張り付いて、文字情報をみるばかりで、「現実」を知らない。その経験がない。
 あるいは、ネット情報は現実と「同じ」だから、ネット情報から離れて自分が現実の中に出て行く必要はないと信じ込んでいるか。
 そういう人じゃないと、こういう、とんでもなく方向音痴の批判は「できない」だろう——と私は想像しました。

 私はなにしろ、富士山ですら七合目まで行けずにリタイアしましたからねー。(^^;)
 小学校の学校行事で強制的に連れて行かれたんで、私自身はまるっきりやる気ゼロ(むしろマイナス)だったせいもありますが、高山病になったのも事実。

 へえ、と思ったのは、ふだんはなにかと高圧的で、強制するからにはなにがどうあろうと強制する先生が、高山病の症状を訴えたら、あっさりと、その場で休んで、みんなが帰ってきたら合流して下山すればいいよといったことでした。

 なにかと軍隊式にうるさい先生が、そういうことをあっさり言うとは、と、私は意外に思ったんですが。
 いまにして思えばそれは当たり前だったんですねえ——山というものを知っている人間なら。
 
 無理して高山病が悪化して、自力で下山できなくなる可能性もゼロではない。山の天候は変わりやすいので、下山のときに悪天候になったら、そのリスクはさらに増す。
 とすれば、そりゃ、具合が悪ければ休んでいなさいと言われるわけですわね。

 富士山の7合目未満て、海抜でどれくらいですかねえ……。
 エベレストから見れば子どもの遊び場みたいな富士山でも、死亡事故は起きています。
 今回の、三浦さんのチームのベースキャンプは、すでに富士山の山頂より高い、標高5,300メートルだそうですから、そういうことを考え合わせていけば、山の過酷さは、想像できるんじゃないですかね。よほどのアレじゃない限り。

(もうひとつ考えられるのは、そういうこととは関係無しに、とにかく、他人を見たら悪口をいう、と決めている、という人。他人の業績を聞いたらとにかく罵倒しないと気が済まない。賞賛される人をみたら絶対、悪口を言う、と心に決めている人。そういう可能性もありますね)

 今回は三浦さんの快挙と前後して、エベレストでの、邦人の死亡が相次いでいます。
 極限状態、という言葉の意味が、そんなに理解しにくいものとは私には思えないんですけどねえ。
(極限状態どころか、じっさいには死神に袖を引かれるくらいはしてたんじゃないですか;;)

 エベレストで雪崩に巻き込まれ亡くなった女性の、ご長女という方が、取材に応じて答えているようすを拝見しましたが、もう、この人にとっては、母親が山で亡くなるということについての覚悟は、とっくにできていたのだなと思いました。

 かつては、遠く旅に出る人があれば、みんな「今生の別れ」という覚悟を決めていったわけですが(松尾芭蕉の『奥の細道』の冒頭部分に、なんと大げさなと思ったことがある現代人は多いはず)、じつのところ、本来なら、その覚悟は、なにもエベレスト登山に限らずとも、必要な覚悟なんだろうと、私は思いました。

 現代人はそのへん、認識が大甘の甘ちゃんなうえに、傲慢ですよね。——死というものが、遠いものだと思っている。

 傲慢でもなければ、命がけのチャレンジから生還したひとに、こんな馬鹿なことを言えるはずがない。

 蛇足ながら(って、全文蛇足みたいなもんですが;;)、今回、三浦さんのあとに、エベレストに挑んだ81歳の、ネパールの男性は、途中でアタックを断念なさったそうですが。
 これもまた立派なことだと思います。私も未練がましい優柔不断人間なので、コレはダメだろうと思ったときでもつい、でも、とか、もしかして、とか、ぐずぐず考えちゃうところがある。決断ができない。

 ダメなものはダメだと見極めて、ちゃんと命をひっさげて帰ってくるというのも、立派なこと。

 このかたもまた、エベレストに挑むんじゃないかなと思っています。

 年齢がどうとかね——そういうことじゃないんだなあ、と、それが、今回のアタックについての私の感想です。

 年齢のこともさることながら、心疾患で4回の手術って……。

 私も過去、なんどか(ごく軽い)不整脈をやっていますが(心疾患というより、神経の混乱)、あれだけで、だらしなくメゲメゲになって、自分の心臓の誤作動が怖くなっていたのに、と思いますと。
 すごいなあ、と思います。

 ………三浦さんの爪の垢が販売されたら買っちゃうな。(^^;)
 
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伊勢旅行こぼれ話
2013年05月30日 (木) | 編集 |
 どうもここんとこ、エントリをアップする時間に遅刻したり、結局おやすみしたりしておりまして。
 ——来週……来月になれば落ち着くと思うのですが……、って、もしかしたら毎月言っているかもしれない;;

      ●

 本日は肩の力を抜いて、伊勢旅行のこぼれ話を。

 母にお土産で買ってきた箸ですが、どうも使うほどにいい感じになってきたようです。ホントに使いやすいようで、なんだかうらやましくなってきました(笑)。
 私も買ってくればよかったかしらん。

 旅行中のレシートを整理していたら、そのお箸屋さんのものも出てきました。
「手作り箸工房 遊膳」さんだそうです。
 うーむ、やっぱり手作りだと違うのかなあ、「この箸、いいよね〜」を言い続けるうちの母の言動をみても、細かい工夫があるみたいですね。

 レシートに記載の住所には、「『百鱗房』内 伊勢『遊膳』」とありまして。……そういえば、1つの店舗の中に複数のお店が入っていたのかな。私もぼーっと歩いているので、そのへんはあまり気がつきませんでしたが……。

 お箸は何膳かまとめて買っても荷物にもなりませんし、お土産としても、いいんじゃないかと思います。

 次回、また伊勢にいくことがあったら私もお箸を買おう——とひそかに決意中。「また」がいつになるかは全く不明ですが。(^^;)

      ●

 そういえば宿泊したホテルレポートがまだでした。

 今回お世話になったのは、伊勢パールピアホテルさま。
 近鉄線伊勢市駅から徒歩……えーと、5分くらいだろうか(私の足で;;)。

 駅にはホントに近くてよかったですよ。お向かいにはスーパーマーケットがあり、なにか買いたいものがあったときにも便利かと。
 コンビニもあるとかって聞いていたけれども、場所が私にはわかりませんでした。今回はそういえば、コンビニに行く用事がなかったんですよね。

 お部屋は快適でした。冷蔵庫は空で、自分で買ってきた飲み物などを入れておく、というタイプですね。

 お食事、美味しかったです。和食処では、1日10食という限定ながら、女性用に、量が少なめの御膳がありまして。
 ちゃんと食べておきたいが、脂っこいものはいかんし、量が多すぎるのも……と思うことが多いのですが、ああいうセットがあると本当に助かりますね。

 ああいうセットがもっとあちこちにあれば助かるんだけどなあ。(^^;)

 朝ご飯は、——あわよくば参拝後に、おはらい町で伊勢うどんを食べたいというもくろみもあったため、きわめて軽いものにいたしました。

 同ホテル1階には、パン屋さん「ピッコロカフェ piccolo cafe」がありますが、パンは店内で焼いているんですよね。この焼きたてパンの匂いときたら、そりゃーもーたまりません!!
 ふだんはごはん党の私ですが、あの香ばしい香りには誘われましたわ〜。

 このパン屋さんには、ホテル前の通りからも出入りできますし、ホテルの中からも行けます。イートインがありまして、朝ご飯はここでいただきました。
 五穀+ごまのクロワッサンと、サラダ、飲み物のセットで550円。

 朝は軽く済ませて参拝へ、と考えていたので、これは最適かつ美味しい朝ごはんでした。
 焼きたてクロワッサン、美味しかったなー……(←味覚の記憶を反芻中)

 写真は、洗面所にあったドライヤー。
drier.jpg

 これ、クラブメッド(マレーシア。チェラティンビーチ)に行ったときにも見ました。
 壁に取り付ける式のドライヤーですね。

 これなら盗難にも遭いにくいでしょう。
 ……て、昔は、こういう感想を思い描きようもなかったもんです……。まったくねえ…。

「落書きや割り込みはダメ」、中国政府が旅先者にマナー指南
2013.05.29 14:53 CNN.co.jp

 この壁掛け式ドライヤーは、ホースをフックから外すと自動で風がぶわーっと吹き出します。
 が、風力(と温度)が、弱いと感じる人も多いようです。
 ということで「通常のドライヤーをご希望の方はフロントまで」といったことも書いてありました。

 私は今回は体調不良で(発熱のおそれがあり)、洗髪はしませんでしたから、このドライヤーを使いませんでしたけども。
 クラブメッドでは「ちょっと風が弱いなー」と思いながら使った記憶があるから、そんなに性能が悪いものでもないと思います。ようは慣れ、ですかね。

 全般的に使いやすい、いいホテルでした。
 夕食も朝食も美味しかったですし♡

 結局、旅行先ではおいしいものを食べたいんですよね。そういう意味では今回の伊勢行きも、よかったですよ〜。(^^)

 基本そんなに贅沢はいわないほうなんで、たいていのものは美味しくいただけます。

 あのパン屋さんのパン——あれこそお土産にしたかったのですが、あれは、やはり、その場で焼きたてをいただくからこそなんでしょうね。

 本当にもって帰りたいものほど、その場所だけの「特権」なので、持ち出しは不可。
 それを味わうのが、「現場」へ行くことの醍醐味でしょうか。

 
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手帳のゆくえ
2013年05月29日 (水) | 編集 |
「女性手帳」結論先送り 批判相次ぎ
2013/5/28 23:29 日本経済新聞

 個人的にはいいと思ったんだけどなあ。
 女性手帳。そういうわけで、結局、実施は先送り——事実上の中止ですね。

 具体的な中身を見ていないのであんまり積極的にも話しにくいですけども——ただ、女性が、女性としての自身の健康に、案外知識がないというのは現状、たしかに言えることなので、そのへんを啓発すること自体は、私は賛成なんです。
 が。

 なんだか、いまの論調を見ていると、35歳以上は子どもを産めない、という決めつけがあるようで、そこがちょっとなー。
 こういう「雰囲気」の醸成って、誰が悪いんだかわかりませんが。(^^;)

 もちろん若い方が妊娠・出産にまつわるリスクは低いですが、若いからリスクゼロということではない。
 私の友人なぞは、産科のお医者様には、「医者としては、出産までは(年齢に関係なく)妊婦さんにはおとなしく寝て過ごしてほしいくらいだ」と言われたそうです。

 妊娠は病気ではないので、働け働け——というのは、昔はそうでないと、やっていけないところがあったから。
 病気じゃないのは事実だけれども、だからって、体をいためつけるようなことはしないでほしい、というのが、お医者さんの本音である、とのことでした。
 そりゃあそうだろうな;;

 不妊症の「治療」にしても、そうであるなら若いうちから発見し、治療した方が有効だというのも事実ですし、となりますと、きちんとした知識を持ち、婦人科検診ふくめて自分の健康を把握しておくというのは、私は、なにも少子化対策に限ったことではなくて、有効なことだと思いますよ。

 きちんとした知識を広めていくというのは、いいことだと思うんですが。

 ただ、現在の少子化の問題を、女性だけの問題として扱うのは、これはいかんでしょうね。

 ということで——なにかっつーと「女が悪い」と言いたがる、思いたがる社会の風潮の問題と、女性の健康についてあまねくその知識を広めるというのは、あんまり関係ないことなんでは…と思って、個人的には首を傾げております。

 少子化対策、未婚率上昇への対策をいうのであれば、——ひんしゅく買うのはわかっていて申しますが、本当に、どうしても、その解消をしたいのであれば、「母系社会」にすればいいじゃん、というのが、私の思うところです。

 早い話、結婚と出産の強い関連付けを、もっとゆるやかにしたらどうか、ということ。

 結婚願望はあんまりないが、子どもは欲しいという気持ちが強かった私の願望ではありますが。(^^;)
 そんなに子どもを産んでほしいのなら結婚しなくても子どもを産めるようにすればいい。簡単じゃん。——なんていうとまた怒られるんだろうなあ(笑)

 ただ、そのむかしの母系社会というのを調べてもらえばわかると思いますが、単純に、女性に子どもを産んでほしいなら、こちらのシステムの方が有効なのは事実。
 現在は男性の方も結婚をしたがらないそうですが、そういう男性にとってもメリットは大きいですよ。基本、自由恋愛ですし、「子どもができたから、責任とって結婚しろ」などと言われることもありません。もちろん、子どもの養育義務はありません(母系社会では、女性に財産権があるため)。

 えっちして子どもができても、なんの責任も取らなくていいのです。男性にとっても理想的でしょう。

 ——なんてことを、私も、なにも 100%本気で言っているわけではありませんが。(^^;)
 この世のなにもかも——電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、すべて「女が悪い」という男を見ると、面倒になってこういうことを言いたくなるわけです。

 そんなに義務と責任を負うのがいやならそれでけっこう。ただし、いっさいの権利も放棄してもらう。
 ——それでいいんじゃないでしょうか。ねえ。

 こういうことを言っていると、子どもの養育にはやはり両親がそろっていたほうが、なんてことを必ず言われますが、私はこれには賛成しません。
 児童心理学によれば、不仲である両親に育てられるというのはきわめて有害とのこと。
 いがみあう両親をみるのは子どもにとってはたいへんな負担になり、心の傷をもたらすというのですね。
 そんなんだったら、離婚して、片親でも落ち着いた雰囲気の家庭のほうがはるかによいんだそうです。

 これは、同性婚のカップルが、養子縁組などで子どもを育てたいというときの話題にもつながりますが。
 結局、子どもにとってなにが最大の「福祉」かといえば、それは、親から愛情をもって育てられること、なんですよね。

 両親というものがいる「意味」は、また別の問題で、——なにが子どもにとって「必須」かといえば、両性の両親がそろっていることよりも、とにかく、愛情をもった養育者によって、たっぷり愛されること。これが、いちばんの基本でしょう。

 愛情を持った養育者がいるかどうか。
 私は、両親がそろっているかどうかより、そのことが、なによりも優先されるべきことと考えます。

 余談ですが、母系社会では、子どもが小さいうちはそうやって母親を中心とした女性たちによって育てられますが、ある程度の年齢になると、男の子は男の子だけの組織へ組み込まれていきますね。
 昔の日本の、「娘組」「若衆組」などは、そういう母系社会の名残だったように思えます。

 子どものころは子どもとしておもに女性の手で育てられ、男性としての教育は当然、男性の方が適しているでしょうから、そういう年頃になったら、男の子だけの組織の中で、男性としての社会性を学ぶ。

 本来はそれでよかったと思うんだけどなあ、——と、たまに、そんなことを考えております。
 もういまさら、そこまで社会のありようを「戻せる」とは(さすがに)私も思っちゃおりませんから、ま、いってみれば私の「妄想」ではありますが。(^^;)

 ただ、そういう母系社会の「知恵」を、ちょっとアレンジしながら拝借してもいいんじゃないか。とは、思います。

 なんにしても、なにごとも面倒くさがって責任を負えず、なにかちょっとでも問題が起こるとすーぐに他人のせいにばかりにしている人々(男女ともです)とは、何を話しても、話すだけ時間の無駄ではありましょうが。

 女性団体とやらも、もうちょっと、そのへん、冷静にものごとを見てくれるといいんですがねえ。私は男尊女卑が嫌いですが、同様にフェミも苦手だというのは、そういうあたりです。
 フェミは完全に、男尊女卑と「同じもの」だもの……。ポジとネガの違いしかなくて、そこに浮かび上がる「絵」はまったく同じ。

 よく、男権主義者と女権主義者がいがみあっていますが、私から見ると「鏡をみてぎゃんぎゃん吠えている犬みたい」です。
 どちらとも、私はお友達にはなれそうにありません。(^^;)
 というか——私はそのどちらからも、怒られるんですが(笑)

 なんにしましても。
 現状、女性は、自身の健康の知識が案外ありませんが、これは男性にもいえることなんで——女性手帳、ではなく、双方の知識を、双方が得られるように、——そういう啓発の方がいいかもしれませんね。
 不妊に悩むご夫婦を調べると、その半数は、男性の側に原因が見つかるそうですし。
 
 本来は両性というのは、いがみあうために存在しているのではなく、協調しあうために生み出されたと思うんで——なんかこう、もうちょっと、「本論」を見失うことなく話をしてくれればいいなと願っております。

 
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トップレス考
2013年05月27日 (月) | 編集 |
ニューヨークで、ついに「女性のおっぱい露出」が解禁に
ガジェット通信 2013年05月23日02時10分

 数日、伊勢参りで浮かれておりましたが、その間、このニュースはちと気になっておりました(笑)
 おっぱい露出すなわち「トップレス」ですね。

 男性は上半身裸でもOKなのに、女性は逮捕されるのはおかしい、ということだそうで。
 ………まあ基本、男性といえども、無闇に上半身裸になれるわけでもないと思いますが……。

 あいかわらず、面白いことをいうなあ。

 ところで、アチラの女性はなにかあるとトップレスで抗議、てなことをしますが、あれはどうしてなんでしょうか。
 いつぞやは、イタリアのベルルスコーニ元首相に、なんの抗議だったか忘れましたが(………)、とにかくいきなりトップレスの女性が同氏につかみかかって抗議ということがありました。
 もちろんすぐにSPであろう人々に取り押さえられていましたが、取り押さえにくそうで、ちょっと気の毒でしたね。

 あれを見たとき、
「若いオネーチャンが大好きな男に、抗議をするのに脱いでどうする(喜ばれるだけじゃん)」
 と思ったものでございます。

 ございますが——なんでいちいち脱ぐのかなあ、と不思議にも思っています。
 まあ、アチラの女性は体格もよくて骨格そのものが立派で、豊かな乳房をお持ちの方が多いので、是非、ひとさまにもお見せしたい、という気持ちがあるのかもしれませんが。

 上半身裸の男はいいのになんで女がいかんのか。
 ——そりゃあ、おっぱいがセックスシンボルである以上は、しょうがないでしょうね。

 おっぱいがとくにセックスシンボルとは見なされない地域、民族では、ごくあたりまえに女性が半裸状態で生活しているわけですから、ようは、「その社会において、どういう意味付けがあるか」ということなんで。

 酒見賢一さんの「後宮小説」に、女性が、誰かに裸を見られてハッとしたとき、とっさにどこを隠すかという話が出てきますが。
 そういえば、そういうとき、とっさに股間を隠すのは東洋、胸を隠すのが西洋、という説を聞いたことがあったなあ、と思い出しました。

 日本もかつては、そんなにおっぱいにはこだわらない民族だったんですよね。
 江戸時代のポルノグラフィティ、春画を見ますと、性器にはもう、執念を感じるほどにこだわった描写があるのですが、胸についてはあんまりこだわってません。というか、服を着たまま「ちんちんかもかも」であることがほとんど。
 
 明治期の風刺画家、ビゴーの絵にもありますね。——夜通し走ってきた列車が朝、駅に着く。乗客たちは手洗い場に集まって、水を汲み、手ぬぐいをしぼって体を拭いてさっぱりするのですが、そのときの絵では、女性も堂々ともろ肌脱ぎ、つまりはトップレス。でも、誰も気にしない。

 私がごく子どものころは、けっこう、町でも、お母さんたちは赤ちゃんがぐずると、おっぱいを出してふくませているということがありました。
 いまはなんだか窮屈なことを言い出して、そういうことができなくなりましたが。

 ようは、トップレスがアリか無しかは、その社会の中でどういう概念があるかという問題なんで、女性のトップレスは、本来的には、べつにタブー視されるべきものではない、とは思います。
 思いますが——社会通念てやつを変えていくのは、時間も手間もお金もかかる、とも、思っております。
 まあ、脱ぎたい人がいるなら脱いでもらってもいいんじゃないかと思いますけどね。
 目的もなしに脱いでいるわけじゃなし、授乳くらいはいいじゃんよ、と、個人的には思っております。

 
 とっさのときに何処を隠すか、ということなんですが、——本来、女性のトップレスに性的な意味をほとんど持たなかった日本ですが、現在ではだいぶ、西洋の概念も浸透しております。
 ということで——温泉にいったとき、脱衣所で、ちょうどぜんぶ脱いだところで、からりと脱衣所の戸があいたとき(他の女性客が来ただけなんですが)、私の隣にいたお嬢さんが、——片手で両胸を覆い、内股にきゅっと足を強く合わせて股間を隠すように片手を置いたのをみて、「なるほど」と思ったんでした。

 東西の文化がごっちゃになった結果、当代の日本女性はとっさのときには、胸も股間も隠すのですね。
 なるほど面白い。

 なんだか変な話になりましたが。

 やっぱりいちばん気になるのは「なんでそんなに脱ぎたがるのか」ということだったりします。(^^;)
 酔っぱらうと脱いじゃう人もいますが——あれは——心理学的にはどういう解釈が成り立つんでしょうね?
 
 
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鯉の吹き流し
2013年05月26日 (日) | 編集 |
 とても客商売とは思えない態度で、客を追い返したという、とある飲食店のオーナーシェフ。
 伝聞ですからそれほどまともに取り合う気もないのですが、その人物が過去、どんなことをツイートしているかをさかのぼって見てみたという方から、
「どうもふだんから、ああいうことを平気で言う、すくなくとも、もともとが、ああいう口調の人みたい」
 と聞いて、ふーんと思いました。

 いますよね。生まれが悪いのか育ちが悪いのか、その両方か、それとも環境に関係なく生まれつきなのか、無闇に口が悪い、他人を見下したものいいをするのが「デフォルト」という人。

 こういう人は当然、他人を怒らせることも嫌われることも多くなるわけですが、そういうとき、この手の人や、この手の人と親しい人はなにを言うかといえば、——その失礼な言動を反省したり、相手に謝ったりするのではなくて、「悪気はない」「根は悪い人ではない」「口は悪いけど、それだけ」。

 ——寝言言ってんのか。

 と、私は思います、こういう言い草を聞くたびに。

 そういう人間が複数、自分の身内にいるもんですから。他人様ならいざ知らず、アタシには、その肚は見え透いてるんですよ。

 早い話、私自身、子どものころから、そういう「口が悪い」人たち——父方の祖母、叔父(×3人)、叔母———から、不当な言動で傷つけられてきたもんですから。
 そりゃーもー根に持ってますともええ。じっとり、いまだに、根に持ってますよ〜。
 死ぬまで忘れないねあたしゃ。

 そはさりながら。
 こういう連中も、たまには、私が衝撃を受けていることを悟り、あ、これはまずかったかなと思う瞬間はあったらしいんです。
 それで、そういうときに連中が何を言うかと言えば、上記の通り、自分の発言を謝罪するどころか、「悪気はない」といい、いかに自分が「根はいい人」であるかを主張し、ゆえに、「そんなことを気にする、傷つくほうがおかしい」と言い出すわけですね。

 口は悪いが、人はいい?

 嘘を言うな嘘を。

 賭けてもいいですが、結局、口が悪くて人を傷つけ、怒らせるような人は、腹の中にもちゃーんとそういう悪意を持っているんですよ。
 ただそれが、あまりにもその人には「日常」になってしまい、それが悪意であることさえ認識できないだけです。

江戸っ子は五月(さつき)の鯉の吹き流し 口先ばかりで はらわたは無し
 なんていう戯れ歌がありますが、これも嘘ですね。

 鯉の吹き流しはものを言わぬ。たしかにはらわたはないが、吹き流しには、喉も舌もない。ゆえにものを言わぬ。
 吹き流しならぬ人間は、「はらわた」があるからこそ、そういう毒のある言葉が出てくる。
 なにしろ、身近にいる人間は、その人が何を言うかはもちろん、「どういうときに、どんなことをするか」も見ているわけですから。
 人間の心の底にあるものは、行動のほうに、むしろ如実に現れるかもしれませんね。そういうのを見て、その人の「はらわた」が見えている人間に向かって、
「自分は確かに口は悪いが、悪気はないんだ。ただ口が悪いだけなんだ。だって俺って、気のいい人間だろ?」
 などということ自体、正気の沙汰ではありません。

 口が悪いうえに性根まで腐ってんのか——そう思うばかりです。
(因果関係としてはじっさいには逆でしょうけども。性根が腐っているから、口が悪いうえに、そういう自分を反省できず、噴飯ものの自己弁護を展開できるわけだ)

 ということで、私は、「あの人は口は悪いが、悪い人ではない」などという評価は基本的に信用しません。
 そういう人もいるかもしれませんが、割合としては少ない。そう思っております。

 あと。
 この「口先ばかりで はらわたはなし」の解釈としては、「悪気はないんだよ」のほかに、「口先では威勢のいいことをいうが、いざとなるとまるっきり腰抜け」という意味もある、と聞きました。

 なるほど、これは納得がいきますね。身近な「実例」どもを見ている身としては。

 なんにしても、こんなことに引っ張りだされる、鯉のぼりが可哀想になりますねえ。(^^;)
 なにかほかに、わかりやすい例はないものでしょうか。



【追記】
 いま辞書をみましたら、「五月の鯉の吹き流し」は、「鯉幟(こいのぼり)のように腹に何のわだかまりもなく,さっぱりしているということ。江戸っ子の気質を言い表した語」とありました。
 江戸っ子はそういうことでいいのかもしれません。失礼いたしました。
 私がこの記事でとりあげたのは、江戸っ子、という人々のことではなく、この戯れ歌を引き合いに出してくる「口の悪い人々」のことですので、どうぞご了承ください。m(_ _)m

 
 
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伊勢参り(3) お土産編
2013年05月25日 (土) | 編集 |
 内宮、宇治橋鳥居を出て右手に進むと、「おはらい町」です。有名な「おかげ横丁」は、このおはらい町のなかにあるんですね。

 じつはこの内宮へのお参り、なんで朝9時という、ほぼ朝イチという時間でお参りしたかというと、体調があやしかったため。早くお参りして早く帰ろうということだったのでした。

 前日夕刻、ホテルに帰ってきたらやけに体がだるい。もしやと思って鏡で見てみたら、左の扁桃腺の一部が膿で真っ白。
 これ、私の持病なんですよ……。なにかあると扁桃腺炎、とくに、化膿してしまう、という。

 こうなると熱が出ることが多いので、翌日の体調次第では、内宮へ参拝するのは無理だろうかとあやぶんでいたんでした。
 幸い、翌朝、起きてみたら、前日よりもむしろ腫れは引いているし、膿も引いているし、体がだるいとか頭が痛いとかもない。
 よかったこれならお参りはできる。できるだけ、さーっとまわって、さーっと帰れば大丈夫だろうと踏みまして、それで、朝イチでいきました。

 参拝後、そのまま帰るという選択肢もありましたが、ここまで来たからには、おはらい町には行ってみたい。幸い、体調は思ったよりも改善しているから、なんとかなるだろう——ということで。

 平日の午前10時。さすがに、飲食関係のお店は「準備中」のところが多かったり、お休みのところもあったりでしたが、それでも通りはにぎやかで、フレッシュジュースあり、ソフトクリームあり、コロッケあり、串揚げ——しかも牡蠣!——、豆乳ドーナツ、栗、おせんべい。
 あとは、海産物。
 二見浦が近いし、なんといっても志摩がある。海産物は豊富で、見ていて目移りするほどでした。

 本当にどれも美味しそうでしたが、なにしろ胃袋には自信がないので、ひたすら見ているだけでした。(^^ゞ
 ランチタイムというのには早いからお腹も減っていないし、どうしようかなと思いながら歩いていました。

 お店をざーっと見て引き返すつもりもあったんですが、見ているととにかく楽しくて、あ、あんなお店がある、こんなものが売っている、へーえ、などといって歩いているうちにどんどん奥の方へ進んでおりまして。
 気がつくと、そこまで行くつもりはなかった、おかげ横丁に着いていました。

 ここにたどりつくまえに、ひとつお土産を買いました。
 お箸。

 食器洗い機に対応しているお箸や、参拝記念の縁起箸、十二支の箸。
 そして、全部ではありませんが、箸に名入れサービスもありとのこと。

 現在、母が使っている箸は、もうかなり年数がたち、飾りのところも色あせているということを思い出しました。
 どうせだったら可愛くて使いやすい箸がいいんでは、ということで、母には箸を買って帰ることに。

 ものすごい種類豊富で迷いに迷いましたが、——選んだのは、食器洗い機対応で、角箸っていうんですかね、六角形になっていて、先端にはすべらないような加工がされていて、軽いし使いやすそうなもの。
 いっぱんに女性向けの箸になる、長さ21cmのお箸を購入。
 
 軽いし使いやすいし、ものをとりやすい、というので気に入ってもらえたようです。
 私もまた行くことがあれば、箸を買おうかな〜。(^^;)

 ちなみに、名入れサービスは、3分ほどでできるそうです。

 おはらい町ではないのですが、前日、外宮前参道で買ったお土産もちょっと面白かった。
 「真珠漬け」というものです。

真珠漬け
http://www.marutenn.co.jp/pearl/item-shinjuduke.html

 伊勢志摩、とまとめていわれるほどですから、志摩が近い。こちらには英虞湾。英虞湾といえば養殖真珠。かの田崎さんのお膝元。
 おはらい町にも、真珠のアクセサリーなどを扱うお店が、私が歩いた範囲だけでも、3軒はあったと思います。

 ということで、真珠を育てるアコヤガイの貝柱を、粕漬けに漬け込んであるものだそうで。
 なるほどこれは珍しい——と。
 珍しいものにヨワイんですよね。(^^;)

 珍しいばかりではなく、お味もよろしゅうございました。酒粕ですが、全体に甘く、お酒のおつまみにも、ご飯にも合うものでした。
 この真珠漬けを、おすすめのとおり、レモン汁をくわえてサラダに混ぜたら——これがなんとも旨い♡

 そのまま、貝柱を食べてもおつまみとしても美味しいですが、ちょっとなにかを加えて、ドレッシングにしたり、ディップにしてみたりも、イケますね。
 お酒が弱い人にはちょっと無理だな、というのは残念ですが、でも、この酒粕自体が美味しいんだと思います。
 体調がこんなんだからお酒は飲まなかったけど……、またの機会にはぜひ、お酒も味わってみたい。

 ちょっと迷ったんですが、結局、おかげ横丁の「うどん屋 ふくすけ」さんで、伊勢うどんをいただきました。
 まだ午前10時半……朝ご飯は軽くしておいて正解。
 伊勢うどん、食べてみたかったんですよね。どうしても。(^^;)

 気持ちのいい晴天でもあり、外にある縁台のところでいただきました。お茶が入った急須と湯のみがあるので、お茶はセルフサービスで。
 伊勢うどんの食券を買い、引換券を持って待っていると、席まで持ってきてくれます。

 伊勢うどんはくたくたにやわらかく、おつゆではなく、「タレをからめる」感じですね。
 で、お店にあった看板によれば、最後に、ちょっと残ったつゆを飲むのがよろしいそうで。

 美味しかったです。(^^)

 讃岐うどんのようにこしがしっかりしたうどんが好きな人には、歯ごたえがないように思うかもしれませんね。私はどちらもおいしくいただけますので大丈夫ですが。

 ところで、これ、おはらい町にあるとあるお店で説明が書いてあった、しめ縄(……たぶん)です。
simenawa.jpg

 言われてみるとなるほど、各お店にしめ縄がある。由来はあの「蘇民将来」らしいのですが、形が面白いですね。

 ともあれこれでなんとか、やりたかったことはやりました。
 赤福さんにも寄りたかったんですが、これもまあ、またの機会に。(^^)

 
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伊勢参り(2)
2013年05月24日 (金) | 編集 |
 翌日には内宮へ。
 時間は朝9時、ということで、ちょっと早めにいきました。
 が、すでに、ご覧の通り、内宮の入り口になる「宇治橋鳥居」のところにはすでに団体様が;;
naiku-brg.jpg

 ちなみに、この鳥居にむかって左手に「参宮案内所」があり、ここで案内図をもらえるそうです。私は今回は、ガイドブックを持っていたので利用しませんでしたが。

 ではお参りに。
 ちなみに、外宮は左側通行でしたが、内宮では「右側通行」です。

 宇治橋。
naiku-ujibashi.jpg

 これだけすっきり人がいない状態で写真が撮れたのは、わりと早朝で人が少なめだったからでしょう。

 宇治橋からの眺め。
naiku-from-uji.jpg

 ここでなにに感動したかって、カジカガエル(河鹿蛙)の声がしたこと!
 
カジカガエル 姿と鳴き声
兵庫県立 人と自然の博物館 様
http://www.nat-museum.sanda.hyogo.jp

 コンクリート詰めの無惨な川岸では生息できない動物です。久しぶりにその声を聞いて、ここはいいところなんだなあ、と実感。

 ともあれ、宇治橋を渡って右手へ。参道。広いです。
naiku-sandou.jpg

naiku-garden.jpg

 ちなみにこのとき、散水車が参道をゆっくりと往復して、「打ち水」をしていました。
 砂利道がいい感じに湿り気を帯びて、埃っぽくならないんですね。さすがだなあと思いながら歩いておりますと、アゲハが来て、その水が撒かれた砂利のうえに止まりながらヒラヒラしている。
 
 おや、と思って歩きながらアゲハを見ていると、職員の方らしき男性が、軽々と私を追い抜いていきながら、
「アゲハが水を飲んでるんだよ」
 と教えてくれました。

 ………それにしてもさすがの健脚(けんきゃく)でした。その方。
 というか——私があまりにも歩くのが……遅いっつーか。
 なんせ普段は車でばかり移動して、ドア・トゥ・ドア(この場合、正確には from door to door)が当たり前、車を置いてから目的の建物まで5分歩くと文句を言う、くらいになってますんで。(^^ゞ

 そして、やってきました「五十鈴川(いすずがわ)御手洗場(みたらしば)」。
naiku-mitarasi.jpg

naiku-mitarasi-2.jpg

 ここで手を清めつつ、あの河鹿の声がいちだんと近くなり、うっとり聞き惚れて——いたかったんですが……、周囲の人たちの話し声がにぎやかで。
 ………カジカガエルの声なんか珍しくもないのか、それとも、あれがカジカガエルの声だとは気づいていないのか。
「ちょっと静かにしてもらえませんか」
 と、内心で思いつつ、がんばって耳を澄ませていました。

 それにしても内宮は広い。
 行けども行けどもまだ着かない、という感じ。

 とはいえ、いまや珍しい森の中を歩いていくのは、なんとも気持ちのいいことですんで、あんまりそのへんは気にならない。
 きれいだな、気持ちのいい風だなあ、古い木が多くて、立派だなあ、と感心するうちに、正宮へたどり着く。そんな感じ。

 お時間がおありでしたら「滝祭神」「風日祈宮」へもご参拝をどうぞ。今回私は諸事情あって、参りませんでしたが;;

 正宮へお参り。例によって写真なし。

naiku-tree.jpg

 それにしても——外宮もそうでしたが、この内宮正宮まで上っていく石段の、石がけっこう気になりました。
 色は薄い、青みがかった緑色で、一枚が大きいんですよね——かなり大きい石を切り出してこの1段になっているんだなとおもいまして。

 色がきれいだし、なんといっても、足で踏んだとき、「やわらかい」感触。
 通常、石のうえを歩くというのは、石が硬いので、頭にまでそのショックが響く感じがあるんですが、この石はそういう感じがしない。足をのせ、体重をかけたとき、その重さをそのまま、やさしく受け止めてくれるような感じで、頭に衝撃が響かない。
 
 石の種類はなんだろうか、と気になりながら上り下りしておりました。——写真とるべきだったかな。(^^;)

 外宮もそうでしたが、すでに遷宮となる新御敷地(しんみしきち)には社殿がたっておりまして、その神明づくりの屋根にある、ピッカピカの飾りが見えました。

 お参りを済ませて、帰り道は、来た道とは異なりまして、神楽殿のところで、右折して進みます。
 参集殿(さんしゅうでん)が、おやすみどころでもあり、また、お守り、お札なども授けてもらえます。
naiku-sanshukan.jpg

 ということで、その参集殿のまえで一服。
 きれいな池があり、鯉がのんびり泳いでいました。
naiku-ike.jpg

naiku-ike-2.jpg

 参集殿ではお茶なども用意されています。お手洗いをお借りしました。ここは授乳室もあります。

 そこをでて、宇治橋へ戻り、お参りも終了。
 しばし橋の上でまた、河鹿の声を聞いておりました。

 蛇足ながら。
 前日の外宮では、鳥居のところで一礼する人が多くて感心したわけですが、この内宮ではそういう人をほとんどお見かけしませんでした。

 鳥居をくぐるときに(行きも帰りも)一礼するのが本来なんですけど——なんか、実行しているアタシのほうが馬鹿みたいな;; いえいいんですけどべつに;;

 外宮ではそういう人が多くて、ああ、やはりお伊勢さんは違うな、と思ったのは私の誤解だったのでしょうか;;

 さて、そういうわけで名残惜しく宇治橋を渡り、鳥居を出たら一礼して——めざすは「おはらい町」。
 色気より食い気。花より団子♡(←罰当たり)

 
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伊勢参り(1)
2013年05月23日 (木) | 編集 |
 ご無沙汰でございます。m(_ _)m
 そんなわけで、伊勢参り、いって参りました。
 
 最初の週間予報では、21日(火曜日)は、ちと雨まじりかな〜と思ったんですが、その後、火曜日水曜日、両日暑いくらいの晴天の予報となり、じっさいその通りになりました。
 すんばらしー晴天で、あんまりすばらしすぎて、暑さでおこげになるかと思いました;;

 夏至まであと1ヶ月というこの時期の太陽は、じつに、日差しだけなら8月よりもジリジリですね;;

 おまけに今回は、当初雨を心配していたくらいだったから、カッパ……、あー。レインポンチョ(フード付)はしっかり持っていたのですが、当日は、日傘を持つのを忘れまして。
 幸い、外宮の参道にあるお店で日傘を売っていたので、ずいぶん助かりました;;

 今回は私もお伊勢さんは初めて。ようすがわからないし、自分の身の回りにもお伊勢さんへ行ったという人もいないので本当に見当がつかない。
 お宿は、近鉄線伊勢市駅至近、「伊勢パールピアホテル」にしていたんですが。
 地図で見るのと実際歩くのとでは感覚が大違い。

 電車ご利用の際には、伊勢神宮外宮へは、JR線の出口から出てください。
 JR線の駅を出て、駅前の広い道が、それがもう外宮への参道です。

 私はさきにホテルに荷物を預けようというので、近鉄線出口から出ておりました。ホテルには至近です。
 が。——ここからその、JR線出口へいくのが、思ったよりも歩きました。
 入場券かって駅の中を突っ切ればよかったんでしょうが……、まともに、ぐるっと歩いてJR側へ出るだけで、もう、日差しと暑いのとでげろげろに。

 参拝前にすでにげろげろというのはいかんだろう……と思いつつ、ふと顔を上げたら日傘を売っている! ありがたかったです。
 ということで、すでにへろへろになりながら、外宮前。
 画面右のほうに「清盛楠」があったはずなんですが、すでにへろへろだった私の目にはとまらず。

geku-mae.jpg
 
 外宮についての説明。
geku-explain.jpg

 お定め。
geku-jo.jpg

 ではお参りに。
 表参道火除(おもてさんどう・ひよけ)橋というそうです。
hiyoke-brg.jpg

 橋の上からの眺め。奥に見えているのは「せんぐう館」に併設の、参拝者休憩所。
from-hiyoke.jpg


 参道。とにかく、森は深く、緑の香りが濃厚。
 ちょうど新緑の頃ですから、写真ではわからないほど緑がきれいでした。
 ほんでもって——どうでもいいんですが、人間が多くて、人の顔が映らないように(最低でも個体識別が可能なくらいはっきりとは写らないように)するのは、たいへんでした。
 多少、人が写っていても、このへんが限界だったということでなにとぞご容赦を。
geku-sandou.jpg


 ちなみに、外宮では、「左側通行」だそうです。
 参道の真ん中は神様がお通りになるところなので、人間は真ん中を歩かないというのは基本中の基本。

 さてこの先はしばらく写真はございません。(^^;) 
 外宮正宮(しょうぐう)のほか、風の宮、土の宮、多賀(たか)の宮へもお参りしましたが、撮影は禁止。
 正宮以外には撮影禁止とは書いてなかった気がするけど、まあ、原理原則は同じことですよね。

 なんにしましても、本当に森の中が、きれいで。
 あの空気の中にいるだけでも清々しい気持ちになれますねえ。

 そういえば、手水舎(てみずしゃ)で、きっちり作法ができている人はあんまりいなかった、というのはしょーがないとしても、今回、へー。と思ったのは、鳥居のところできちんと足を止め、一礼している人が、かなり多かったこと。
 鳥居はくぐるたびに一礼するのが基本。帰るときも、鳥居を出たら、拝殿なり本殿なりのほうへ向き直って一礼します。
 
 がしかし、これ、ちゃんとやっている人って、滅多に見ない。(^^;)

 それが今回は、かなりの人々がちゃんと一礼していくので、へー、やっぱりお伊勢さんへいくとなると、そのへん、ちゃんとするもんなのかな、と思いました。(そうではないことはあとでわかりましたが)
 お伊勢さんでやるんだったら、地元の神様のところでもやりましょう……。マナーですから。
 
 なんにしても。
 境内にいるときはあまり感じませんでしたが、あとからあの場所のことを思い出すと、とても峻厳(しゅんげん)な場所にいたのだ、という感覚がやってきます。
 もちろんその場にいるときもそれなりに、身の引き締まる思い、というのはあったんですが、——厳しいといえば厳しいけれども、……あれはやはり、荘厳、というものなんでしょうかねえ…。

 あの境内を満たす空気は——神様にお食事を1日2回差し上げる「お祭り」を、それはもう荘厳な儀式として、——毎日、千数百年、欠かさず行われてきたという、——場所と、神様と、奉仕する人々とで、作り上げられたもの、かもしれません。

 といっても、むやみに厳しくておっかない、ということでもない。
 包み込まれる心地よさ、というものもあって、いつまでもいていいんだったら、いつまでもいられる感じでもあります。

 いずれにせよ、「お願いごと」をするようなところじゃない、ということは、はっきり感じ取れると思いますね。(^^;)
 パワースポットがなんちゃらというのも、やっぱり「違う」なこれは。と思いながら境内を歩いておりました。

 写真は、正宮まえの池。
geku-ike.jpg

 うっそうとした印象ですが、それもまた、静かな森のたたずまいで、心地よい。

 参道を巡り、休憩所へ向かいますと、勾玉池に出ます。
magatama-ike.jpg

sengu-kan.jpg

 池のなかに奉納舞台がありました。
 奥にあるのが「せんぐう館」。
 入場料、大人300円なり。

 神宮についての詳細な説明、歴史、そして、滅多に見られない調度——遷宮のたびに新品が作られるという、神様の「御物」が、——ようするに日用品、お道具類ですが、これがもう、すっごいものなので、——伝統工芸の極致でしょう——よろしければ是非お立寄を。
 正宮の「実物大の模型」もありまして——すごい迫力でしたよ〜。

 ちなみに。
 とっくに足は痛かったのですが、せんぐう館を見学して外へ出たら、いきなり足がつりました;;

 あーこりゃあぶないな、ホテルまで歩けるかなあ、と思いましたが——歩けました。
 また、じりじりとおこげになりそうな日差しのなかを、今度は日傘を差しながら、無事に帰りました。
 帰り道はもう夕暮れの日差しなので——ナナメの日差しって、これはこれでやっぱりジリジリするんですよねー。(^^;)

 なんにしても。
 外宮へいくならJR駅の出口から出てください、ということで。

 ………近鉄線出口から、まさかあんなに遠いとは思わなかった……;;
 
 勾玉池の花——たぶん——たぶん、杜若(かきつばた)ではないかと……;;

kakitubata.jpg


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柄杓は持たぬが、伊勢参り
2013年05月21日 (火) | 編集 |
ということで(?)、本日は伊勢詣でに出発です。
行けるときに行く、というやり方なもんで、決まるときはけっこう急だったりします。σ(^_^;)

そんなわけで、今日、明日、ブログ投稿もおやすみいたします。
デジカメのバッテリーもバッチリ充電してきたので、いろいろ写真を撮る気でおりますが、どうなりますでしょうか。

ではでは、行ってまいります~。m(__)m
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フォーリンアフェアーズ日本版
2013年05月20日 (月) | 編集 |
 このブログをスマホで見ると、本来表示されないはずの広告バナーが表示されてしまう件について、早々に回答のメールをちょうだいしました。
 わー、こんなに早く来るとは思わなかった! と嬉しく意外に思いました。ありがとうございます。

 ……原因ですが、テンプレートの最後にくっつけている、カウンターのタグだそうです。
 これをはずすと、広告バナーも出てこなくなるという……。

 ……たしかに。

 でもなあ、カウンターはつけておきたいんだよな〜。それに、今月前半は、カウンターをつけていても、問題なく広告バナーは消されていたわけですから……どうもわからない。
 現在は仕方なく、カウンターをつけていますが、……さてどうしたものか;;

       ●

 そういえば、生後7ヶ月ちょいになる子猫「チビ」ですが、避妊手術を終え、帰ってきております。
 手術のためには、食事をとらずにお腹をあけておくことが必要ですが——猫エイズキャリアだからなのかなあ、2泊3日で帰ってきたときには、もう、お腹がえぐれたようにへこんでおりまして。

 いままでの子で、ここまでいきなりお腹がへこんでしまったうえ、なーんとなく食欲がにぶってしまったことはなかったので、……元気に見えても、やはり赤ん坊のときに死にかけたくらいだと、体力的には弱っちゃうんだろうなと思いました。

 今日あたりはもうだいぶ、食欲も復活して、おおむね、入院以前なみに食べています。

       ●

「安倍首相、大宰相の可能性」右傾化批判一転、米国で高評価の兆し 
2013.5.20 08:43  MSN産経ニュース

 ああそりゃあよかった、…というか、ここまでこないとそういう妥当な評価が出てこないというのは、アメリカさんも鈍ったもんですな。
 たとえ「いまごろ」ではあっても、こういう論評が出てくるだけマシなんでしょうけれども。お隣の精神病者よりは。

 こういっちゃなんですが、ニューヨークタイムズはもう「人民日報アメリカ版」みたいなところに落ち込んでますからねえ。
 フォーリンアフェアーズはいわば外交情報の専門誌ですから、——専門誌、といって日本人がイメージするよりも、もっとこう、政治の中枢に食い込んでいる雑誌ですんで(考えてみるとこれに該当する雑誌って日本にはないか…?)、信頼性は高いです。

 政府が発行しているわけではないのですが、それに近いところ、もしくは政府にも影響力があるくらいの人たちが執筆するような雑誌ですから、そこでこういう論評があるというのはありがたいこと。

 というか——論より証拠とでももうしましょうかね、ロビー活動でどんなデタラメを吹き込まれていたにせよ、じっさいの安倍さんを見て、その行動をみて、言動を見ていれば、デタラメはデタラメだとわかるのがふつーだと思うので。
 ようやくまともなご意見がでてよかったわ。と思いました。

 それにしても不覚。
 この「フォーリンアフェアーズ」、日本版があったんですね;; 
 デジタル版はありませんが、紙版のほうは定期購読があります。うへえ。知りませんでした;;

FOREIGN AFFAIRS JAPAN
http://www.foreignaffairsj.co.jp

 以前には、ほかの日本の雑誌で、一部、翻訳記事が掲載される程度だったと思うのですが、——wikiによれば2008年から日本版があったとのこと。

 とりあえず、サイトに掲載されるレポートを見るだけでも面白いんじゃないかと思います。
 インターネットで、さっくり日本語でレポート、論文、記事が読めるとは!!
 いい時代になったもんです。ありがたい♡

 目下のところ日本にはこれはぜひ、という雑誌がないのが残念なところ。私もこれまで、ニューズウィーク日本版、Foresight、正論、日経ビジネス、選択、諸君! などなど、いろいろ見てきましたが——うーん。どうもなあ……。長い年月の間には、ずれを感じてしまったり、ものたりなくなったりで、結局、これはというものが、いまだに定まっておりません。

 ということで、いろんな雑誌を、時々に応じて、つまみ食いしている状態です。(^^ゞ
 考えてみると政府にも食い込んでいくような、実力のある雑誌というのは、日本にはないか……といまさら気づいてみたりして。

 シンクタンクというのも、どうも日本ではいまいち、存在感が薄いしなー…。
 情報の収集はもちろんですが、それをどう分析し、見通していくか——そういう意味での「情報」が「的確」である、ということの難しさを、あらためて感じてみたりして。

 まあなんにしても、ここんとこ、アメリカさんにはがっかりすることが多くて、「やっぱり『民主党』はダメなのかしらね」と思っているのですが。

 とくに右でも左でもない「超党派」のフォーリンアフェアーズから、やっとまともな論評が聞けて、「ほっとした」感じです。
 
 それにしても、知能と見識は、高さにおいて一致しない(=知能指数が高い人が、高い見識を有するとは限らない)という現象について、あらためて考えてしまいますねえ。
 
 人間にとって、本質的な意味で「頭がいい」というのは、どういう状態のことだろうか——と、最近けっこう、考え込んでおります。

 
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ああ勘違い
2013年05月19日 (日) | 編集 |
 せっかく、うちのブログも有料版にしたんですが、金曜日の午後、ふと気がついたら、スマホ版の広告が表示されていました。
 FC2ブログさんの、無料版でも私はまったく不都合はないのですが、それでも有料版へ申し込んだのはなんのためかというと、あのうっとうしい広告バナーを消したかったから。
 たしかに、有料版を申し込んだらバナーが消えたのでよかったよかったと思っていたのですが、わずか半月でまたバナーが出てくるというのはどうなのよ。
 
 と思い、これはもう「よくある質問」とかの問題ではないので、メールで問い合わせをいたしました。
 
 たぶんメールで問い合わせをしても直接返信があることはないだろうと思っていたのですが(昔は完全にそうでした;;)、意外にも数時間後には返信が。
 ありがとうございます。

 とはいえ。
 その現象については調査、修正中とのことで、いまだに解決はされていないんですよね……。
 障害情報にはあがっていないのですが、有料版で、広告を消す設定もしているのに、なお、広告バナーが出てくるのは私だけなんでしょうか。ほかのブログではどうなのかなあ。

 ヘビーユーザーならともあれ、私にとっては、有料版のメリットというのはほとんど、どうでもいい——というと角が立ちますね、とくにこだわらないものばかりで、唯一、「それは是非!」と思ったものが、「スマホ版の広告バナーを消せる」ことでした。
 それなのに、広告バナーはまだ現れる……というのは、なんとも、がっかりでございます。(^^;)

 いつだったかな、通常なら表示されないはずのエロゲーム、エロコンテンツのバナーが表示されてしまい、苦情を申し立てるとともに(あ、あのときは返信なかったんだ)、規約違反だけどブログテンプレートの、広告表示の部分をコメントにしてとめちゃおうかと真剣に悩んだことがありました。

 あのときも、なんだかんだで10日もかかり、さすがに私もお引っ越しを真剣に考えたんでした。
 お話にならないエロコンテンツが表示されるよりは、消したはずの広告バナーが出てくるくらいはマシだとは思うんですが……。

 …………とにかく早いところ、どうにかしていただきたいです。(;_;)

       ●

 乙武洋匡さんが、とあるレストランで、予約をしていったにもかかわらず、車椅子であることを理由に入店拒否されたという件。
「(お店側が)意識が低いんだよなあ」
 というのが、聞いて、私が最初に思ったこと。

 お店はビルの2階にあり、そこへいくのにエレベーターもないので、いくとすれば、ちょっと手を貸してもらって、2階まで連れて行ってもらうしかないわけですが。
 そのお店は、そんなことはしていられないから、とのことで拒否だそうです。
 それが、入店拒否の正当な理由になりえるのだろうか。

 なりえるとしたら、どういう「条件」が考えられるでしょう。

 たとえば——そのお店、ひとりで切り盛りしていらっしゃるのかなあ。調理とサービスをひとりでやっているのであれば、確かにちょっとつらいかな。
 
 なお、この件についてはすでに、お店側と乙武さんとのあいだで(つまり当事者同士で)話は済んでいることなので(Twitter上で、ですが)、そのあたりはご承知おきくださいまし。

 私がちょっと、おやと思ったのは、乙武さんが、お店の名前をツイッター上で知らせたのを、「店名をさらした」と非難する人があったこと。

 もちろん、公衆の面前で「つるしあげ」、他人を侮辱するのはよろしくないことでしょうが、この場合は、ある程度、公共性はあるのではないでしょうか。
 つまり、他の人にとっても、知っておいたほうがいいと思われる情報がふくまれているので、他の人にも知らせておく「べき」「必要」があったということ。
 
 同じように車いす利用者で、このお店を利用しようと考えている人がいたら、——じつは「車いす利用者はお断りの店です」とは知らなかったために、いらぬトラブルを起こすくらいなら、あらかじめ、こうやって、「このお店は車いす利用者はダメだそうですよ」と聞かせてもらうのは、いいことだと思いますが、如何。

 それにしても。
 やはり、全体的には、意識が低いですよねえ……。

 乙武さんのところに寄せられたツイートを見ても、ようは「障碍者は外出をするな」という考えが見受けられます。

 これは妥当なことでしょうか?
 
 どうしてこう、「ある一定の枠」からはみ出す人があると、排斥したがるんですかね。
 
 私は、障碍者もどんどん外へ出ましょうという考えです。
 社会生活にふつーに参加してもらい、ふつーに働いてもらって、ふつーに税金その他を払ってもらったほうが、誰にとっても「お得」ですから。

 障碍者を受け入れるのには、それなりの設備が必要だったりして「投資」も要りますが、障碍者を排除しようという考えの人は、そういう投資を、投資ではなく、「無駄」とみなすんですよね。
 たとえば、エレベーターを設置する、スロープを造るといったことが、果たして「無駄」なことでしょうか。

 障碍者用の自動車を購入するのに補助金を出す、バリアフリー化への補助金を出す、——たしかにそこでは多少のお金は必要ですが、そうやって、ひとりの人が自由に外出し、働き、買い物や外食にもいくことで、税金をおさめてくれ、社会保険等の負担もして社会保障を支えてくれ、消費活動もしてお金を世間にまわしてくれれば、結果、「少ない投資で大きな利益」になります。
 
 私の計算、まちがってますか。

 どのみち、こういう排除を「好む」人というのは視界がせまいし心も狭い。——なに心の狭さでは私も人後に落ちないつもりでおりますが(なんせ好き嫌いが激しいので。とくに人間については)、そういう、「損得の勘定」となれば話は別です。(^^;)
 心が狭いのはお互い様ですが、そういう、利益の話になれば、心の狭さも脇に置けるでしょう? ——置けない?

 余談になりますが、私は障碍者などを「社会的弱者」と呼ぶのは好きではありません。はっきり「嫌い」です。

 人間てのはどのみち、他人様の手を借りてこそ生きていられるわけなんで。
 ただ、おもにどの「ジャンル」でお世話になることが多いかは個人差がある。それだけのこと。

 それなのに、自分は一人前で、障碍者は「邪魔者」だと思うことも、いーかげん不遜(ふそん)ですが、その不遜さを黙らせようとして、「弱者」と呼び、「かわいそうなんだから、そんなこと言っちゃダメ」という「教育」をするのも、結局は、不遜だと思うなあ。

 弱者といってしまうと、そんじゃあんたは自分が「強者」のつもりかい。ということになる。
 他人を哀れんで、かわいそうに、といってあげて、そういう自分はなんていい人、といってウットリする。
 コレも相当、不遜な態度だと私は思っているのです。

 以前にも書きましたが、あらゆることを完璧に、たったひとりでこなせる人なんか、この世にはひとりもいません。
 いちおう健常者とされていても、性格的に障害がある人、私みたいに記憶力に障害がある人、病気とはいわないが体質で、ある気象条件下におかれると、なかなか通常通りには働けなくなる人もあって、これだって軽度の身体上の障害でしょう。

 私の見るところ、いっさい、なんの障害もない人はいない。
 その障害の程度や範囲に違いがあるだけで、世の中の人はみな障碍者だと言える。
 だからこそ、お互い、「相身(あいみ)互い」で、できるときに、できることをして、手伝い合っていくことが必要なのであり、それを、曲がりなりにも実現しようとして構築されてきたのが社会というものだと思います。

 人間は社会的動物だという言い方もありますが、なぜ、これほど大規模かつ複雑な「社会」が「必要」なのかといえば、それは、他の生物に比べると、人間の個体は脆弱で、「障害」だらけで、放っておけばすぐ死んじゃうからじゃないんですかね。
 
 それをなんだい、自分だけは一人前で生きてるみたいなツラしちゃってさ——というのが、私がよく言う「悪口」です。(^^;)

 そういう勘違いを撲滅するにはどうしたらいいのかしらねえ、と、最低でも年に数回は思うのですが、今回もそんなふうに思いました。
 2013年もそろそろ半年たちますが、今年も、年内にあと何回、こんなことを思うのかな。

 
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「So Far from the Bamboo Grove」
2013年05月18日 (土) | 編集 |
 午前中はちょっと病院へいっておりまして、時間がないのといささかぐったりしているのとで(病院がかなり混んでいまして;)、本日は事実上、お休みみたいな感じで。

 それでも、これについてはちょこっとしゃべっておきたい——ということで、いまごろ、ゴソゴソ出てきてエントリーをアップしてます。

So Far from the Bamboo GroveSo Far from the Bamboo Grove
(1994/05/01)
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 中国残留孤児というのは悲劇ではありますが、引き揚げはシナからのみだったわけではない。
 台湾では日本人は傷つけられることもなく引き揚げできたのは、台湾の人々の性質を思えばなるほどと思いますが、同じように考えると——つまり、「あの人たち」の性質を考えると……、と、考えただけでぞっとするのが朝鮮です。

 朝鮮からの引き揚げについては、私は詳細を知りません。
 知りませんが、ほんのわずか、聞きかじっただけでも、胸の痛む思いがして、情けないことですが、具体的なことを聞く勇気はありません。

 ということで、この「So Far from the Bamboo Grove 竹の林から遠く」のことを聞いても、ちょっと「ポチッとな」ができずにおります。

 これはアメリカで社会科の教科書——というか副読本として採用されているのだそうですが(もちろん全米ではありませんが)、韓国が、まさに気狂いの様を呈して、ありもしない慰安婦問題とやらを声高に叫ぶのは、この本の存在と、それがまた学校の教材に採用されつづけているせいもある——と聞きまして。

 それは充分にあり得ることだと思いました。

 レビューを見ても、けれどもこの本の著者は、けっして朝鮮を憎悪して——朝鮮人が日本人にするように——、恨んでいるのではない、とのこと。
 ただ過酷な体験を、歴史の中に埋もれさせていくのはしのびないという思いから、本書を著しただけ。
 他人を憎悪することによってやっと自分を保てる、朝鮮人がすることとは、まったく動機が異なるようです。

 じっさい、その引き揚げの過酷な旅路においても、手助けをしてくれる朝鮮人たちもいたわけで、そういう人たちのことも、著者はきちんと書いているし、感謝の思いも述べている。

 であるにも関わらず、在米の朝鮮人たちは本書に猛反発し、著者に謝罪させたというのですから、論外というしかない。

 本書については、日本人を被害者とし、朝鮮人を加害者と描いたことがケシカランのだそうですが、もう、こういう言い草を聞いただけで私は彼らを軽蔑できる。

 そういう感想は、著者の思いとはまったく異なるので、著者を悲しませる感想でしょう。
 そのことについては申し訳ないとは思いますが、従軍慰安婦などという、精神病者の思い描く、ありもしない妄想によって不当に痛めつけられている現状を思うと、私の感想につきましては、お許し願いたいと思います。

 なんにしても、なぜ、彼らがああもしつこく「あくまでも被害者」たらんとするのか、日本とのことなのに、アメリカにその記念碑をたてようとするのか。
 それは、この本に書かれたことが、彼らの考えではきわめて「不都合な真実」だから——という話を聞いて、なるほどと思いました。

 誇大妄想狂の精神病者でも、彼らの妄想の中なりに、精神病者の論理というものは存在するのだなと納得です。

 それはそれとしても。

 やはり、この本の存在を、この本が伝えてくることを、日本人としてはとにかく、知って、聞いておかなければならない。
 そう思いまして、私自身も未読ながら、ご紹介いたしました。

 とはいえやはり読みきる自信がなくて(語学力の問題よりも、私の心臓の問題で)、まだ、このページを開いては、うーんとうなっているだらしのなさです。
 ひとまず、「kindle 化を希望する」旨、リクエストをぽちっとしておきました。

 なお、上記リンクはハードカバー版ですが、ペーパーバックもあるそうです。
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だいなし
2013年05月17日 (金) | 編集 |
飯島氏訪朝、韓国外務省「ためにならない」=官房長官「言っている意味がわからない」と舌戦―中国メディア
2013年05月17日05時46分 Record China

 官房長官というのは、これくらいの「すっとぼけ」ができる人の方が適しているんだろうなあ——といつも思う、菅 義偉(すが よしひで)官房長官。
 細田 博之(ほそだ ひろゆき)さんが、小泉内閣で官房長官をしてらしたときも、「のれんに腕押し」的な感じでよかったなーと思っております。

 記者会見などで、変な質問、無礼な質問、勉強不足の質問、落とし穴へ誘導する質問が出てきて、それらにイライラするのは、人間としてはたいへんよく理解できるのですが、しかしそこで、いちいち、そのイライラを表情に出してしまうというのは——とくに、揚げ足を取られることは絶対に避けなければならない政治家としては、感心できることではありません。
 そういうことで、こういう、なにがあっても淡々としている、というのは、政治家には必要な資質でしょうね。

 細田さんがそういう点では、私が直接(とはいってもテレビごしにですが)見たなかでは、いちばんよかったかな、と思っておりましたが、菅さんも、そういうあたり、たいへん安定感があって、安心してみていられます。

 記者のいらつく質問に、いちいち気色(けしき)ばんでいては、かえって墓穴をほることになる。
 細田さんも、さらっとやり過ごすようでいて、じつはけっこう強烈なアッパーを食らわせているというところがあり、私はテレビのまえで、うひゃひゃひゃひゃと、へんな笑い方をしていたもんです。

 菅さんも、そんな感じです(笑)
 いいですね。「言っている意味がわからない」。
 揚げ足を見せることもなく、でも、こちらの立場は揺るぎもしない。かつ、角はたてない。
 
 てなことをうちの母に申しましたら、
「じっさい、なに言ってんの、って思うしねえ」
 韓国の話ですね。(^^;)
 ええ、そりゃたいていの人はそう思いますよね(笑)
 自分から、日本外しをしておいて、ああそうですか、そんなら、と、日本が独自に行動したら「協調によくない」とは。
 意味がわからない。たしかに。

 おまけに、また虚言癖が出たのか、という感じだしなあ。
(いま辞書を引いてみたら、虚言癖という言葉は載っていませんでしたが、『虚言症』という、精神病の解説がありました。——そうか。クセなんじゃなくて、精神病か)

 私も昨日のニュースで見ましたが、韓国政府は、あたかも日本政府から「連絡が遅くなってごめんね」という表明があったかのようにアナウンスしましたね。
 おやそんなことを謝罪するのかしらと思っていたら案の定。
 昨日の官房長官の記者会見では、——上記、レコードチャイナの記事にある通り、「外務省の役人同士で(オフレコでの)そういう発言はあり得るかもしれないが、日本政府として公式には言っていないはず」だという主旨のことを言っていました。

 なんだ、まーた韓国政府は嘘を言ったのか。

 それよりも、これはどうなのかと思ったのは今朝の日本経済新聞。
 韓国政府が「日本政府から謝ってきた」といった、ということは記事になっていますが、そのあとのフォローが、記事本文中にないというのはどういうこと。
 つまり、菅官房長官のコメントはいっさい記事になってないんですよね。

 わざとだとしたら、悪質ですね。
 わざとかもしれないな。先日も、この期に及んで、日本の中小企業に、よりにもよって韓国への進出をそそのかすかのような記事があったくらいだし。

 ホントに、日経やめて東海新報さんにしようかな……。郵便購読もできることだし。

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 ちなみにうちはいちおう日経新聞をとっていますが、電子版は申し込んでいません。
 電子版しか読まない人から、電子版の購読料をとるというのはわかるのですが、すでに立派にお高い紙の方の購読料を支払っている読者から、さらに電子版の追加料金をとるというのが気に入らないのです。
 電子版独自の記事なりコラムなりがあるのは知っておりますが、追加料金を払ってまで読みたいと思うものでもないんで。

 それに——なんだかんだいっても、電子版て、あまり読まないしなあ。
 キンドルをお試しで買ってはみたものの、やはり、目の疲れがおもな理由で、ほとんど見ません。
 重い本を担いでいくのはしんどいなーという、旅行のときにはちょっと重宝する、というくらいです。

 紙と同じくらい、目の負担を減らせる技術って、まだ登場しませんかね?
 
 
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