筋目を立てる

 いつから日本人はこんなに、筋目を立てる、筋を通すということができなくなったのでしょうか。

 これはまったく筋が通らないことですが、——大阪の、公立高校の入試を中止し、保護義務がある生徒、受験生たちに不当な損害を与えるだけで、本来処分すべきところは手つかずになっているのと、まったく同じですね。
 筋が通らないという点で。

柔道選手告発 全柔連が園田監督を戒告
1月30日 14時44分 NHKニュース

柔道女子暴力問題 聞き取り調査に課題
1月31日 5時24分 NHKニュース

 今朝の新聞にまた週刊誌の広告が出ていて、日本の恥、とありましたが。
 本当の意味で恥ずかしいのは、問題が起きることではなく、問題が起きたとき、きちんとした対応ができないことなんですよね。
 自動車だってそうでしょ。ちょっとした問題が起きたとき、即座にリコールしていればなんの問題にもならない。
 むしろ、リコール相当の不具合を隠蔽すると、隠蔽したことのほうが大問題になる。そういうものでしょう、社会というのは。

 問題はいつでもどこでも誰にでも起こり得るもの。これを100%無くそうというのは無理ってもんです。それこそ「人間だもの」てことで。(^^;)
 ゆえに、大事なことは、問題を起こさないことではなく、問題が起きたときにいかに適切に対処するかということ。

 今回の柔道の監督さんについては、選手から告発を受けるとあっては、もはや信頼関係もヘッタクレもないでしょうし。
 なによりも、この暴力監督をどう処分するのかということが、ほかならぬ全全日本柔道連盟が、暴力というものをどう考えているかを、社会に発信することになります。

 隠蔽しておきたいのが本音なんでしょうが、バレた以上はあきらめろ、と思います。
 同じことは、今回告発した選手側にもこれはお願いしたい。
 いろいろ危惧されることは当然あるのでしょうが、あとにつづく人たちのためにも、このさいですから、表沙汰になることを恐れないで話してほしいです。

 表沙汰にされたくないという気持ちが「弱み」になり、それが、こういう暴力バカをつけあがらせる要因になることを、理解してもらいたい。

 ここでなあなあにして、「本人も反省している」から、戒告程度で済ませるとあれば、「柔道連盟は暴力を認めている」というメッセージを発信することになりますがそれでよろしいか。

 暴力は認めないということなら、本人が反省していようがいまいが、ことの責任をとってもらうというのが筋です。反省はけっこうなこと、たっぷり反省してもらうとしても、肝心の選手たちが、これではまともに指導を受けられる状況ではないので、ここでは辞めてもらうのが、筋というもの。

 筋、というのは結局「ものごとをはっきりさせる」ことですね。
 
 ここで全全日本柔道連盟がいいかげんな対応をとれば、同組織にはきちんとした対応能力がないということと、「暴力を容認する」というメッセージを発信することになる。

 そういうことを、どうも、きちんと考えられない大人が、いまの世の中には大勢いるようです。

 アカウンタビリティ、説明責任と訳されるこの「責任」は、——アカウント、というのはたとえば会社の経理、会計のこともアカウントと言いますが、「つじつまが合う」か、「計算として成り立つ」のか、ということなんでしょう。
(account の語源は中世英語、古語フランス語の、「数える」)

 どうも昨今の大人たちは、計算は計算でも、ものごとの筋道が立つか。道理が通るのか、ということで、インプットとアウトプットが無理なく成り立つかより、自分たちのご都合、個人的な感情や利益の「勘定」を優先するようです。

 子供の教育にはよろしくないサンプルばかりですね;;

 情は情。理は理です。
 それができないなら組織のアタマになる資格はない。

 この監督さんがいかに柔道愛が深く情熱的指導者であろうとも、いわれのない暴力をふるったり、暴力と権力によって選手たちを「支配」するという「間違い」を犯したのなら、そのことを本人にも社会にも知らしめ、かつ、全全日本柔道連盟はこういう「間違い」は見過ごさない、適正に対応する、ということを示すためには、——暴力沙汰が事実であるなら、この段階では、監督、コーチを解任するのが、筋だと思います。

 ここでなあなあにしていると、全全日本柔道連盟が暴力容認だと、日本の柔道は「礼」だのときれいごとをいっているが、あれはウソだぞ、と、世界中にアナウンスすることになるが、それでよろしいか。

 肚を括ってもらいたい。

 ………嘉納治五郎先生は、これを聞いたらなんとおっしゃるでしょうかね。

 いくら高邁な理想を掲げても、関わる人間がこういう態度では……。


 
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岩盤浴・ウエストウォーマー

 当方ブログにおいで下さる方のうち、ガスピタンという検索ワードから、という方が、ここ最近で一気に増えました。

 香水の処分、というのも、春が近づくと増える検索キーワードですね。
 各ブランドから、そろそろ、次の季節の新しい香水がリリースされるころになると、古いものを処分する必要が出てくるんですよね。

 香水のほうは、そろそろ春なんだなーということなので、微笑ましいんですが。

 ガスピタンの効き目やいかに、という人が増えるのは、ちょっと切ない。

 ちなみに。
 おなかのガス溜まりがちょっとシャレにならないと感じている方、ガスによる腹痛がご心配なかた。ガスピタン「ごとき」では、膨満したお腹の改善には至らない、という方。
 ちょっと症状が重いということでしたら、内科へいって、「ガスを消す薬」を処方してもらうのも、手段としてはありますよ。

 私は、一昨年と昨年はちょっと胃腸の調子がシャレになりませんで……レントゲンをとったあげくに処方されました。「ガスオール」というお薬です。

ガスオール 効果と副作用
http://www.qlife.jp/meds/rx12203.html

 私はこれは頓服でもらっていたと思います。服用は、毎食後というような決まった時間ではなくて、症状が出たとき、お腹が張って痛いという、症状が出たときに服用する、という飲み方ですね。

 レントゲンで見ると、ガスというのは丸い玉のように映るんですよね。私はさほどでもありませんでしたが、母がいちど、「腸閉塞様」になったときは、小さい玉が腸の中に数珠つなぎで詰まっているように映ったそうで。

 こういうときは本格的な消泡剤というのはありがたいんですが、しかし、胃腸の調子がいまいちというのまでは解消されなかったりする。

 そもそも、なんでそんなに腸内にガスがたまるのかと言えば、胃腸の働きが悪いから。
 なにゆえに胃腸の働きがそうも悪いのか、というのは、これは原因はいろいろ。

 ストレスもあるし、いまの季節だと「冷え」ということもあるし、私のように肝臓が弱っていることが原因ということもあるでしょうし。

 私の場合、結局、肝臓だなということがわかったので、脂肪を分解する消化酵素を含んでいるキャベジンを飲むとともに、DHCさんの健康食品、「乾杯パワー」というのを飲み始めて、だいぶ、楽になりました。

 この健康食品は本来、お酒を飲む人にどうぞという製品ですが——ようは、肝臓を元気にしてくれるのであろうというので、ただいま、お世話になっております。

 私はべつに酒飲みということではなく、中学のときに肝炎まではいかないけれども、ちょっと不調を起こしたことがあり、もとから丈夫なほうではありません。
 そのうえ、肝臓も冷えには弱いんですよねえ。あと、ストレス。

 肝臓は怒りの臓器ともいわれ、つまんねーことで怒るようだと、たちまち、この肝臓に負担がかかるのですね。
 反省はしているのですが、なかなか。(^^;)

 ということで、胃腸の不調とひとくちにいっても、原因はさまざま。

 しかしその不調をなんとか改善したい、ということで、あれこれ試したり勉強したり反省したり、——そうやって、自分の体と話し合う、お互い主張はあるけど譲り合うようにする、ということが、大事なのかもしれません。

 ガスピタンで検索してくる人が今頃の季節には一気に増える、ということは、やはり、少なからず「冷え」も関係あるんでしょうねえ。(例年、このガスピタン検索は1、2月は本当に多いです。厳寒のころですね)

 私の今年のおすすめは「岩盤浴腹巻き」です。



 以前にはこれのシリーズで「ふくらはぎ温め」…あー…れっぐうぉーまー、つうんですかね横文字で。あれをご紹介しましたが、腹巻きもいいですよ〜。
 ………あ。ウェストウォーマーてんですか……横文字で。

 この岩盤浴というのも大げさではありませんで、本当に、生地はごく薄いけれども、自然な感じでほかほか温かいです。レッグウォーマーのほうは私、冷房の季節には本当にお世話になりました。

 この腹巻きは就寝時につけていますが、なんと、朝起き抜けのイチバンに、出るものが出る、ということが増えまして、快調です。

 体の深いところを温めるというのはなかなか難しいことですが、この腹巻きは、臓器を温めるのには、ずいぶんと役に立ってくれると思います。
 
 冷えが便秘やガス溜まりの原因であるなら、薬を飲んでもあんまり効果はないかもしれない。

 この腹ま…、ウエストウォーマー、けっこういいお値段なんですが、お値段以上の価値はある、と思います。
 もちろん、これではなくても、冷えが不調の原因のかたには、腹巻きはなんであっても有効だと思われますので、オススメします。

 私の場合は、昼間よりも、就寝中にあたためるほうが効果的でした。
 ……いえべつに、寝相が悪くてヘソが出るわけではなく……、就寝時は体温が下がるので、そういう関係かと思われます、はい。(^^;)

 
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あの人の履歴書

 そういえば、NHKドラマ「塚原卜伝」、地上波での放送が始まりましたね。NHK総合。

 OPの、剣舞のような型のような、あの動きがきれいで、見ているとうっとりしてしまいます。あのOPだけでも、録画して残しておきたい。ああいうの、見てるの好きなんですよね。
 堺雅人さんはほんとに不思議な役者さんだなあ、とも思いつつ、見ていました。
 ………なんでこう、どういう役をやっても、こういう色気が出てくるんだろう…。

「こういう」色気ってなによ、ずいぶん抽象的じゃないのといわれるでしょうが——さて。どう表現すればいいものでしょうか。色気。としかいいようがない。セクシーというのとは違うしなあ。……いえもちろん、セクシーさというのも含んではいるのでしょうが、それだけではないし。
  
       ●

 今月の、日経新聞の「私の履歴書」は、作家の渡辺淳一さんなんですが。

 いやあもう。こんなにサイッテーな履歴書は滅多に拝めるものではありませんな!

 え、誰だっけ? という方のために申し上げますと、映画やドラマになって評判になった「失楽園」や、とある会社の社長さんのブログを大炎上させるきっかけになった小説「愛の流刑地」をお書きになった方です。

 私は以前——といってももう20年まえかな、とある男性が、「こんなスケベが医者をやめたというのは、患者の利益のためにいいことだった。小説なら害はないから」と洩らすのを聞いて、へー、と思ったもんでございます。

 女性が言うならまだわかるんだ。
 なんで男性がああいうことを言ったのか。

 じつをいうと当時は私は渡辺淳一作品を読んだことが皆無に近かったので、なにゆえにその人がそういうことを言うのか、見当もつかなかったんですよね。なぜそう思うのか、聞けばよかった。
 いまなら、なるほどとも思うのですが、しかし、スケベ医者の「実害」を、なぜ、彼は指摘していたのか。
 渡辺淳一さんがどれほど悪質なスケベ医者だったかをまるで知っているかのような口ぶりだった、とあとから思い返し、彼はなぜ、あんなことをいったのか、と、たまに不思議に思っております。

 なんにしても、今回の「私の履歴書」を読んで、私も——なるほど、こりゃ医者を辞めてもらって大正解だわ。と納得しております。

 面白かったのが先日の小見出しで、「愛人に浮気がバレて修羅場」というのですが、これを母に言ったら、「は?」と言われました。そうですよね、愛人に浮気がバレてというのは、「え?」ですよね。ふつーは、奥さんに浮気がバレて怒られるのに(笑)

 まあそれくらいお盛んでいらしたということで(あ。これは失礼なことを。現在も続行中かもしれないのに)、私としては「いーんじゃないですかべつに」なんですが、しかし、これほど女が好きで、モテるからにはそれなりに女性の気持ちにも敏い方なんでしょうに、その、浮気がばれたきっかけのところは、「へえ」と思いまして。

 バレたきっかけは、その愛人の彼女がいないときに、ほかの女性をひっぱりこんでいたんですが、その女性が忘れ物をしていったからというのです。
 さささ、ここは女性みんなで声を揃えて申しましょう。
「“忘れ物”のわけねーだろ」

 そのお話の最後に、渡辺淳一先生も「あれは忘れ物じゃなくてわざとだったのかも」と遠慮がちに書いていらしたあたりは奥ゆかしい。
 断言しますがそのとおりでしょう。「かも」ではないです。わざとです。

 これほど女性の気持ちに添える人でも、こういうあたりはわからないものなんだなあと(ある意味)感心して拝見しました。

 愛ルケのとき、この愛ルケを楽しみに読んでいます、好きですといっただけで、いきなり炎上した、某社社長さんのブログは本当にお気の毒なことでしたが、あのとき私が感心したのは、その、女性たちの、渡辺淳一先生に対するものすごい反感でした。

 あのときは、小説のことで、なにもそんなに——夜中に藁人形に五寸釘を打ちこみかねないほどの怨念を持たなくてもいいじゃないですかと思いましたが。

 今回、小説を地でいっている「履歴書」に、なるほどなあ、とあらためて感心しました。
 敏感な人は、たとえそれが小説の形態をとっていたとしても、そこにある男性の邪念や悪意(ただし本人は悪意だとは思っていない。だからこそタチが悪い)を感じ取ってしまうんだろうなあ。だからあんなに嫌って、怒って、憎んだんですね。納得しました。

 だからといって、ひとさまのブログをああいうことで炎上させることには、私は、いっさい同意致しません。

 あの愛ルケのときの、渡辺先生に対する反感、というよりほとんど「怨念」のすさまじさを、私は「なにもそこまで」と思って見ていたのですが。
 彼女たちの怨念にはしかし、根拠がなかったわけでもないんだな、というのを、今回、読んでいて痛感しました。
 まったくひでえわ。(^^;) 土曜ワイド劇場でそのままいけますね、この悪党ぶり。

 私は鈍いのでぼーっとしていたけれど、敏感な人は、フィクションの底に流れるものをしっかり見て取っていたんだな、とわかりました。
 ああいう反感というのも、本来は、健全な防衛本能なんでしょう。
「アタシには関わりのないことでござんす」といって、ぼーっとしているヤツよりはまともなんでしょうね。(^^;)

 こういう人に反感を持つのは健全な本能だとして、とすると、こういう男に関わりをもってしまう女性というのは、どういうふうに考えればいいんだろうか。
 反感を持つ女性は、こういう男と関わりをもつ女性のことをも、まとめて悪く言うのかもしれませんが、私はそういうのを「非難」する気はありません。
 なるほど彼は女の敵ではあるだろうが、そういうことを歯牙にもかけない女性もいるだろうし、女の敵みたいな男にこそ引かれるという「趣味」もあるわけですから。
 他人がとやかくいえることではないでしょうね。

 ただ。
 こうも極端な姿を見せられると、ちょっと興味を引かれる。これも「人間」の姿だと思うと、へー、と言いながら、興味を引かれて首を伸ばしてのぞきこむ。

 ピカソの女の趣味なんかも私はさいてーだと思っていますが、さいてーだからこそ、その最低ぶりはどこからきているのだろうか、という興味を覚えます。

 いずれにせよ、渡辺淳一先生は色情の人でいらっしゃるんですね。いえ、悪口で言ってるんじゃないんです。あの人は数学が得意なんだねというくらいの感覚で言ってます。

 そういう自分の「特色」を生かして、立派に作家をやっていらっしゃる。そこは認めてもいいんじゃないかと思っています。
 また、かようにひとさまからは反感を買うことはご承知の上で、こうも堂々とお書きになるというあたり、ある意味、ご立派でしょう。
 もはや部外者がキーキーいって怒るべきことでもない。

 さいてーなのもここまでくると、かえって爽やかな風が吹くとでも申しましょうか。
 人間が生臭いことはわかっているけれども、こうも生臭くなると。
 尊敬はしないが、興味はそそられる。

 それはかなり、「恐いもの見たさ」の好奇心かもしれませんが。

 しかしまあ、これほど堂々と、過去の悪行を書いちゃっている履歴書というのは記憶にないです。
 2013年しょっぱなから、すごい人を連れてきたねえ、日経新聞は。(^^;)
 
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本日、実質、おやすみ

 うちにも毎日メジロちゃんたちがやってきます。
 ここ数日、むっちゃくちゃ寒いので(今シーズン一番の寒さというフレーズは聞き飽きた)、早朝に見るメジロちゃんたちも防寒スタイル。
 
 すなわち、木の枝にとまり、羽毛のなかにいっぱいに空気をいれて丸くふくらむのですね。
 そのシルエットときたらもう。
「………ひよこまんじゅうソックリ……」

 ひよこというと、本来はそうとは限らないんでしょうが、どうしても鶏のヒナを思い出しますよね。
 あのひよこまんじゅうは、どーみても、本物の鶏のヒナよりも、寒いので空気でふくらんで、ぷっぷくぷーになっているメジロのほうが、そっくりだと思う…。あの、ちょんとした可愛いくちばしと体型の比率なんかもう完璧ですな。

 ということで、ミカンを外に出しながら、向こうの枝にとまってそれを待っているメジロちゃんを、つい、じっと見てから、
「おいしそう……」
 とつぶやいてしまいます。
 メジロちゃんがじゃなくて、(脳内に浮かぶ)ひよこまんじゅうが(笑)

       ●

 日差しが変わりましたねえ。
 日の出の時間も早くなっていく時期にきましたし。

 じつは日の入りの時間というのは冬至を境にして遅くなっていくのですが、日の出時刻は、冬至を過ぎてもどんどん遅くなっていくのです。
 静岡の場合ですと、冬至の日の出は6:45ごろですが、これはどんどん遅くなり、1月には6:55 近くまで遅くなります。
 それも1月14日あたりがピークで、それからはゆっくりと、日の出の時刻も早まります。

 本日1月28日の静岡、石廊崎の日の出は6:45 。
 だいぶ、「まとも」に感じます。

 昨日あたりだともう、なーんとなく、日差しに、力強さが戻ってきているという気配を感じました。
 お昼頃の太陽、午後4時頃の日差しは、以前のそれよりも強く明るいものになっている。

 今年は11月から寒さが厳しいせいか、本当にホッとしますね〜。あ、やっぱり春ってくるのかなという気持ちになる。

 正直なところ、節分の豆だの恵方巻きだのといわれても、なんだか無関心、無気力で「ふーん」としか思わなかったんですが、ようやく昨日あたりから「そうか、立春か」と思うようになりました。

 ひな人形の広告、店頭でのにぎやかな幟もみるようになりました。

 春が待ち遠しいです。
 
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「八犬伝 東方八犬異聞」

 昨日は本当に「ネット物忌み」してました。(^^;)
 たまにはいいですよね、こういうのも。
 長いこと不義理をしてしまった方面へ、メール等を送る以外はネット接続はせず、トイレを磨き、庭のフェンスの修理をし、空気清浄機のフィルターを洗い、そしたら右手親指の先が、またぱっくり割れたばかりか、今回はとうとう出血したので、これはかなり深いのかなと思い、あとは漫画を読み、本を読み返し、ひさびさ、ゆっくりコーヒーをいれて、ふー………っとしておりました。

 あれですかこういうことができれば「ネット依存症」ではない、ということでいいんでしょうかね?
 ネットとは限らずとも、「依存症」というのは、しんどいでしょうね。
 
       ●

 さて。これまた久しぶりで、継続して視聴なるかと思われるのが、「八犬伝 東方八犬異聞」。

八犬伝 東方八犬異聞 (アニメ)公式サイト
http://hakken-den.com/

 ありがたいことにこちらはBS11で放送があります。
 考えてみるとマクロスFを最後に、ここ何年かは、これというものがないまま過ごしてきましたが。
 偶然、第1話のほんの最後の3分ほどをお見かけして、「なに八犬伝とな」と、引っかかりました。
 なにしろ幼児期のある種すりこみで、——幼稚園のころ、NHKの人形劇「新・八犬伝」を見ていたもんですから——「真田十勇士」よりは八犬伝のほうが好みだったんだよな——、どうもいまだに、これを聞くと反応しちゃうんです。(^^;)

 以前にもアニメ作品がありました。あれは原作に従っていた内容だったと思います。

 南総里見八犬伝。——曲亭(滝沢)馬琴の。

現代語訳 南総里見八犬伝 上 (河出文庫)現代語訳 南総里見八犬伝 上 (河出文庫)
(2003/02/05)
曲亭馬琴

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 しかし、私もこれ、きちんと「南総里見八犬伝」全編を読んだことはありません;; なんだか知らないけど、無闇矢鱈に長いというか、馬琴先生も、書いているうちに話があっちへ広がり、こっちへ広がりするタイプだったんでしょうね;;

 ということで私が読んだものは、現代語訳、しかも抄訳されたものでした。……それだってけっこうなもんだと思いましたが——原作をまともに読んだらどうなるんだろう。

 ということで、八犬伝という響きだけで、なんかこう、ロマンスのニオイがするようで、ついついつられてしまいます。

 こちらは「八犬異聞」というくらいですから、原作そのままではなくて、翻案されたものですね。ファンタジー……の部類になるんだろうなあたぶん……。
 基本、舞台は、大正〜昭和初期くらいの日本のイメージでしょうか。銘仙(めいせん)の着物が大流行したのはたしか大正ごろだったはず。
 洋装の人も多いですが、和装の人もそれなりに登場するし。

 アニメの第1話は、まともに見ておらず(ラスト3分そこそこ)、2話をきっちり見て、原作コミックスをレンタル。

八犬伝   ‐東方八犬異聞‐ 第1巻   (あすかコミックスCL-DX)八犬伝   ‐東方八犬異聞‐ 第1巻   (あすかコミックスCL-DX)
(2011/06/01)
あべ 美幸

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 原作のほうは、先月ですか、12巻が発行されてこれが最新刊。私はレンタルで1〜11巻を読みましたが、なぜか10巻は欠番になっていて読んでいません。……まあ、1冊抜けていても話の内容は大体わかるからいいけど;;

 絵は達者な方だと思います。私としては読みやすいです。
 ……と思ったら、この作者、あべ美幸さんの他作品の広告ページを見て、ちょっと凍り付いた(笑)
 あのー、えーと、BL作品を描いていらっしゃるんですね。(^^;)

 BLをべつに嫌っているわけではないのですが、なんとなく今回は「不意をつかれた」ように感じた自分が可笑しい。

 八犬伝のほうはまるっきりノーマルです。殿方同士の色恋沙汰はありません。
 まあ、もっとも、——ひどい形で許嫁(いいなずけ)を失って、その心の傷が癒えぬのをみた弟分に、「次は死にそうもない(くらい強い)女にしろよ」といわれ、そんな女はいないけど、男ならいる! ということで可愛い男の子(信乃)に路線を変えたという人はいますが;;(どういう論理なんですか犬飼さん)

(とはいえ。——現八さんのコレも、どこまで本気で言っているのかは疑問。11巻での犬飼現八さんを見ていると、結局、この人はまだ、許嫁を心に住まわせたままなんだな、と思われるので)

 ということで、八犬伝は、ごくノーマルな伝奇ファンタジー(…へんな言い方…)として楽しめます。BLはチョット、という方でも、ご安心してお楽しみいただけます。
 とくに、犬、猫、その他諸々、動物が好きな方には楽しめるのではないかと。(^-^)
 いやあもう、マジで八房(やつふさ)モフりたい! ああ、もふもふ!!
 
 まあ、腐女子好みの作品であることは事実なんでしょうけどねえ……。まさしくイケメンパラダイス状態だものなー。(登場するのは美形ばかり)(私のひいきは美形というより好青年、の、小文吾さんですが/笑)

 犬塚信乃、犬川壮介、犬田小文吾、大角、現八……と名前が登場するたび、ドキドキしてくるというのは、これはもう完全に幼児体験によるものなんでしょう。
 幼稚園児には八犬伝のお話がじゅうぶんに理解はできなかったはずですが、それでも楽しく、わくわくしながら見ていたんですね。

我こそは玉梓(たまずさ)が怨霊〜」と律儀に名乗って、どろどろという効果音とともに登場する怨霊はインパクトが強かったです。
 ………伏姫もたぶん登場していたんでしょうが、あんまり記憶にはなかったりして……。

 原作はまだまだ続いていますので、今回のアニメシリーズはどこまでいくのかな。
 やっぱり楽しみにして見られる番組があるというのは嬉しいものですね♪ 久しぶりでそういうものに出会えたのは嬉しいことです♡

 で、私はただいま、原作コミックスを買うか、どうするかでお悩み中。
 レンタルで原作をざーっと読んでおこうと思っただけだったんですけども、意外や——といっては失礼ですが、11巻で、ちょっと心臓つかまれまして。

 現八さんの、亡くなった許嫁、沼藺(ぬい。人名です。南総…に登場する名前です)のことを思い、心を乱してしまう信乃を、より傷心のはずの現八さんがなだめ、なぐさめるセリフに、ぐっときてしまいまして。

「おまえは違うだろう? 愛されるために生きるんじゃなくて、愛してるものを全力で愛したいから生きるんだよな。だから俺はお前のことを気に入ってるんだ」
(傍線、引用者)


 先日、私も、なにかっつーと愛されたがる現在の風潮に疑問を感じて、「愛されるより、愛することを」とつぶやいておりましたが、あー、やっぱ、そういうもんですよねー、と思いまして。

 愛されようとすると、おどおどした、怯える心になってしまうのはなぜだろう。
 愛されることもそれはまあ大事なんだけど、でも、人生の「基本」はなんといっても、自分が、なにかを、誰かを愛すること。
 そう思う心には、恐れが——ないとはいわないが、少なくとも、おどおど、びくびく怯える「量」が、圧倒的に少なくなる。

 それもまた不思議なことだな、と思いつつ。

 愛されることよりも愛することに自分の情熱を捧げる、というのは、信乃のみならず、荘介さんも、浜路ちゃんも同じだな。と思いまして。
 その行く末を、見届けたいです。

 馬琴先生に負けず劣らず、長いことかかりそうな気配がしますが——さすがに28年はないですよね。(^^;)

 個人的には、この物語においては、職務に忠実な憲兵さんたちを応援中です。
 なんでかというと、彼らは、たとえそれが自分たちの敬愛する隊長(現八さん)であっても、未成年者(信乃)に対する不穏当な行為が疑われると、即座に逮捕するからです(笑)
 信乃の貞操は憲兵さんたちの働きにかかっている(笑)
 なんて職務に忠実な人々だろう。えらい。(←本気)

 いやホラ、いま、リアリティの世界では、職務に私情を持ち込む人が目につくからさー。
 私情に流されず、不審者にはきっちり対応する憲兵さんが新鮮に見えちゃって(笑)

 ちなみに、見た目年齢が12、3才の信乃さんが、18才くらいに育ったときの姿は、マクロスFのアルトくんそっくりです……。うーむ。
 
 
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Cherisher(2)

 ネットスラムやネット貧民、あるいは「世間様」はまことにケガレの存在ですが、そのネットスラムと同じ思考回路をしているのが橋下大阪市長なんだなということを実感してしまいました。

桜宮高校生徒に嫌がらせ/罵声や自転車被害…/保護者ら危惧の声
2013年01月24日09時32分 しんぶん赤旗

 このあたしが、赤旗の記事を引用する日が来ようとは思いませんでしたわ。
 それを考えるだけでも情けなさ倍増ですね。

 かりにこの記事に書かれていることが虚偽だとしても、私は、これと同様の行いをネット上で見ているので、リアルでもこういうことが行われていても不思議ではないと思い、引用させてもらいました。

 同じ行為をしているコメントやツイートを拾ってきて、ここでご紹介してもいいんですが、あまりにもそれが膨大な数なので、この記事をもって代表にする、ということで。

 私が今回のことで真っ先に心配したのは、自殺した生徒さんの友人、仲間、同級生たちの、精神的なショックのことでした。
 私はいまのところ幸いにして、身近な人が自殺したという経験はありません。ありませんが、その経験者から話を聞くと、周辺の人もたいへんな衝撃を受けることはわかっています。

 こういう人たちの、ましてまだ未成年で、精神的な衝撃にたいし、大人以上に対処が難しいであろう年頃の人々を、ケアするどころか、お前らも同罪だといった(そんなつもりではないという詭弁はなしでお願いします)橋下市長の振る舞いや言動に、私は嫌悪感を感じておりましたが。

 驚いたことには、橋下氏の安易な「正義と悪の二元論」に、嫌悪感を示すどころか、氏に加担する人々があっというまにネットにはあふれかえり、じつに暴力そのものの言動が見られるのには、もう、驚くというのも怒りを感じるというのも通り越して、ただ情けないばかり。
 橋下氏自身が、権力をつかって他人を脅迫したのですから、ネット貧民も、こういう暴力は「正義の名のもとに」許されると思ったのでしょうね。

 ……イスラム原理主義を名乗るテロリストと同じロジックですね。

 私がひとつ気になったのは、「人が一人亡くなっている」という言い方で、安易に、見ず知らずの人々を誹謗中傷していることでした。
 それこそ、こういう「暴力」を苦にしてしまう人が出てくるのではと、私が心配するほど、それはひどい暴力です。
 その暴力の「いいわけ」に、死者が利用されている。

「死んだ人のためなら、誰かを殺してもかまわない。なぜなら、それは正義だから」
 私の目にはそういう論理で、その暴力は正当化されているように見えます。
 この点について、なにか、異論はあるでしょうか。

 たしかに人がひとり亡くなっているというのは重大事だし、いかなる意味でも命は大事にしてもらいたいと私も思います。

 しかし、橋下市長の言動、行動を「きっかけ」にした暴力集団は、自分たちの暴力の正当化のために、亡くなった人のことをことさらに強調しているように見えます。

 命は大事だ、ということに私も異論はありません。
 が。命が大事だということには、生きている人間も、死んでしまった人間も、違いはないはずです。

 彼らの言い方を聞いていると「死んだ人間こそが大事だ。生きている人間はどう扱ってもいい」というように思えてきます。

 死んだ人のことを思うのはけっこうですが、だというなら、同じように生きている人のことも、大事に考えてあげるのが、筋ってもんじゃないのでしょうか。

 その高校の生徒、と一口に言っても、全員が工業製品のように同じ考え、感じ方をしているわけではない。当たり前でしょう。
 それを、事情も知らない赤の他人が、高校の生徒、とひとまとめにし、口を極めて、まして、死者を盾にして、暴行を働くというのはどういうことなのか。

 こういう人々には、今回問題になった、暴行を行ったとされる人物を非難する資格はありませんでしょう、同類なんですから。「教育」を盾にしているか、「正義」を盾にしているか、それだけの違いです。

 命が大事だというなら、死者へ気持ちを寄せるのと同様に、生きている人々にも心を寄せるのが、本来の、「命を大事にする」行いではないのですか。

 私はもとから橋下氏には、「思慮に欠け、見識に欠け、品位に欠けている」という評価をしているので(2012/10/19 エントリ)いまさらですが——、もうおひとかた、尾木ママさんというのがどういう方かは存じませんけれど、この方も、ちょっと今回はご発言が軽率だったのでは、と思っております。

 なにが「命の大切さ」だ。
 ——「命の大切さ」と告げたのと同じ口で、なぜ、生きている命を傷つける暴言を吐きまくるのか、私にはまったく理解できません。

 本当はもうちょっと違うことを書くつもりだったんですが、さすがにこれには呆れもし、ある意味、人間の愚かさに、——自分自身も身が震えるような思いもして、ちょっと進路変更してしまいました;;

 命の大切さ、人一人の命——というのは高尚な(それっぽい)言葉なので、ひごろ高尚なことには縁のない人々を、へんなふうに悪酔いさせる効果があるのかもしれませんが。
 たとえ冗談にせよそういうことをいうのなら、命の軽重に生死は関係ないということも、よくお考えになっていただきたい。
(軽重は「けいちょう」と読みます。念のため)

 自分で自分を殺したがる心理をまだ内側に抱えたまま、それでも、それは本来あるべき「生」の姿ではないとだけは覚り、ジタバタしている人間からの、「お願い」です。

 
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Cherisher(1)

 昨日の日経新聞夕刊で、平野啓一郎さんのインタビュー。
「本当の自分」というものはない、というお話なんですが、そのなかに、ひとつ、「自殺への衝動も、死にたいというより、消えたい、こんな自分を消したい、という感覚なのではないか」というお言葉が。

 うんうん。そうそう。自殺願望というのは、死にたいんじゃなくて——死にたいというより、消えたい、んですよね。自分の存在を消したい。

 私の場合、幸か不幸か、死後の世界というものを信じているので、「死んだところで【自分】は消えない」と思っているもんですから、なかなか実行できずにきちゃったということがあります。

 さんざん、科学教信者さんとかには馬鹿にされましたけどねえ。死後の世界を信じてるなんていうとね。
 死後の世界などない、霊なんていない、と笑う人たちは、私からすると「自殺しろ」とそそのかしてくる、悪魔のような連中なんですが。
 でも、この人たちは、自分がそういう罪なことを得意げに吹聴しているなんて自覚はないんだろう、自分が何を言っているかさえ、わかっていない連中なんだ、と思ったので、私はそのへんは聞き流せました。

 私が言う「死んでも消せない自分」というのは、エゴのことでもアートマンのことでもない、仏典にいう「異蘊(いおん)」つまり、死後に存在する、生前のそれとは異なるskandha=集積のことです。説明すると長くなるので省略します;; 興味があったら調べてみてください。

 とにかく、馬鹿は死んでも治らないというとおり、自死してみたところで自分を消せるわけではない、という思いがあるために、——これ、ある意味、自殺を実行できちゃう人より不幸な認識だと思うこともあるんですが——、「死にたいのではなく、消えたい」という感覚、すっごいよくわかります。

 ただ死にたいというだけなら実行してたよなあ。でも、死んだところで「自分」は消えない、ということが、私には悲しかった。

 一神教の信者が私を折伏(しゃくぶく)しようとしてあれこれ言ってきたときも、あんまりしつこいんで最後にはマジギレしましたが、そのとき私が言ったことは、「造物主なんか信じてないけど、もし本当にいるなら呪ってやる」でしたからねえ…。
 せっかく無であったものを、こんなろくでもない生として生み出しやがって、無に戻せるなら戻せ!——キレた私がそういったとき、さすがに黙りましたね。信者さんは。(^^;)

 もちろん、呪うなんてのは本気じゃありません。ただ、あんまりしつこいから、黙らせようと思って言っただけのこと。

 ということで、——平野さんの「本当の自分というものはない」というのもわかるのですが、あれ、本当は、言葉がちょいと不適切なんだと思っております。
 自殺願望が、じつは「死にたい」願望ではなく、「消えたい」願望であるのと同じに、「本当の自分」を求める気持ちというのはじっさいには、「自己肯定」「自己効力感」を求めている、ということではないかと思います。
(もちろん中には、理想的な自分であろうとする「縛り」につかまっている人もいるでしょうが)

 平野さんのおっしゃることもわかる。

「「消したい」と思う自分以外にも自分はいる。たとえば「いじめられている自分」以外にも、家族や友人と幸せに過ごす「自分」はいるわけで、それを見つけられれば自分の全存在を消す必要はなくなる。これが僕の「分人」の考え方。」



 いろんな場面でのつながり、そこで「演じられる」自分。心理学でいうペルソナ、しかしペルソナもまた、まぎれもない自分自身だ。という。

 これはよくわかりますし、そういうつながりのなかで、なんとか持ちこたえていける人もいるでしょう。

 が、結局、そういう、「ある場面においては幸せ」だということを、「受け入れられない」心理がある。
 これが、「消したい」「消えたい」の、核心だと思ってます。

 私もあれこれ考えたんですが——なにも、完全無欠な人間になろうなんて思っているわけではないんですよね。
 おそらく、「消えたい」願望の原因を尋ねれば、人はそれぞれの事情を語るのでしょうが、突き詰めればそれはいずれも、「自分の存在を認められない」苦痛に行き当たる。

 本当の自分というのは苦し紛れに出てきた言葉なんで、これを真に受けると、ちょっと違う解釈になるかなと思う。

 本来、人は、他人から踏みつけられても傷つけられても、自分で自分を殺すことは考えないはずなんですよね。自分がここにいる、という「感覚」があれば、悲しいと思い、他人を憎みもしても、自分で自分を否定し、根源から自分を消したいなんてことは思わない。
 
 むしろ、因果関係が「逆」だろう、と、私は思っております。

 つまり、環境が劣悪だったり、他人からなにかイヤなことをされて、自分を否定するようになったのではなく。
 もとから、自分の中に、自己否定の思いがあり、それが、環境や、人間関係のつまづきをきっかけにして、表面化したに過ぎない。と。

 自分で自分を消したいと思っている、その感覚の解消のためには、「自分はここにいる」ことを、たしかに受け入れることが必要なんだと、本能的にでも、感じているのではないでしょうか。
 この「自分を受け入れる」感覚がほしいのだ、とは、なかなか言葉になるものではない。なぜかというと、そういう感覚がわからないので、——本能的に求めているものがなんなのか、なかなか、概念化できず、概念化できないと言葉にして説明もできない。
 それで、苦し紛れに、本当の自分、という言葉になってしまう——のではないかと思います。

 ささやかな幸せを感じ取れるなら、じゅうぶん健全ですよ。自殺願望者というのは、そういうささやかな幸せを感じる感覚さえ麻痺しているものなんで。
 もはや、自分が何を感じているかもわからない。感じるものがあったとしても「自分を信用できない」。そこまでいっちゃっている。

 本来、自分というのは、自分にとっての最大の味方であり、愛情の根源なのに、それがわからなくなっている。
 人は、小さくても確かな灯りがひとつあれば、真の闇の中でも歩いていけますが、その確かな灯火さえわからないとなると、これはもう、途方に暮れるしかない。歩けない。無理に歩けば、いらぬ障害にぶつかって、大けがをする。

 本当の自分、とは、小さいけれども確かな灯火、——自分で自分の存在を認める、その感覚を言おうとして、ちょっと失敗した表現だ。幻の「理想」を求めているという意味ではない。私はそのように思います。

 そしてまた。
 
 自殺がなぜいけないか、というのは、私の場合、NHK特集「驚異の小宇宙・人体」シリーズを見て理解しました。

NHKアーカイブス「驚異の小宇宙・人体」
http://www.nhk.or.jp/archives/nhk-special/library/library_jintai_1.html

 これは傑作だと思います。あのころはNHKもまともなNHK特集してたんですねえ。

 人の体のしくみを、当時としては最高レベルのCGを駆使してビジュアル化していたのですが、これを見ていると、人の体というのは、数限りない生命の集まりなんだ、ということを、いやでも理解できます。

 自殺がなぜいけないか? ——それもまた、殺人だから。
 これだけ献身的に働き、生きている、多くの命を奪う、それは、ジェノサイドだから。

 なるほど、殺人や自殺は、してはいけないな。と、思いましたです。
 これほど無数の命が集まっているのが私の肉体であるなら、私には、これらの命を守っていく責任、義務があるのだから、と。

 自殺というのは、なにも、私という人間がひとり死ぬというだけではなくて、これほどまでに一生懸命に生きている無数の命たちを奪っていくことなのだ、と。

 久石譲さんの音楽の美しさもあって、全身に沁みるような感動を覚えたものでございます。

 とくに、免疫——マクロファージの献身的な働きを見ていると、もう、最後には涙が出てくるんですよね〜。こんな私のために、彼らはこれほどまでに働いてくれているのかと思いますと。

 彼らは——細胞のひとつひとつは、人間みたいに、なんのために生きるのかとか、生きる意味があるのかとか、そーゆーつまらないことは考えない。ただ、自分にできることを、自分の役割を果たして、そして、死んでいく。

 ミクロもマクロも同じものなら、人間の存在もまた、こういうものではないだろうか。
 こういう「いのちの営み」を、私自身が勝手に殺すことは、やはり、いけないことだ。
 そのように「痛感」した覚えがあります。

 とか言ってる割に、じつはいまだに「自分を消したい」願望から、完全には脱却できていないあたり、悟りには程遠いってことで、どうにもお恥ずかしいですが。(^^;)

 で、なんで命を奪うことがいかんのか、ということですが、これを話すとまた長くなりますね。(^^;)
 しかし、これこそ、「ならぬものは、ならぬものです」なんだと思います。
 理屈や御託はいいの。

 自分がなぜここにいるのか、説明できないものでもないんだけど、そういうことを考えてもしょうがない。
 殺すことがなぜいけないか、という問いは、「なぜ自分がここにいるのか」というのと同じくらい、しょーもない問いかけだと思います。

 あー……。
 じつは、ここまでのお話は、今日書こうと思っていたことの、前フリのつもりだったんですが。
 なんか、無闇に長くなってきたので、今日はここで終わります。
 明日、本論に入りたいと思います。

 なんで長引くんだろうなあ、こういう話って;;
 いえもちろん、私の書き方がヘボいからというのが、まず第一なんですが、それにしても;;
 
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トラブルを乗り越えて

 これだからニュースのコメント欄なんか、見ちゃいけないんだよな、とすっかり疲れてしまいました。
 ふだん、あまり、掲示板なりコメント欄なりツイッターなりを見ないようにはしていますが、正解だわその態度。と、確信しました。
 ……これらはほんとに「ケガレ」ですねえ;;
 本気で生気を奪われていく;;

 なんかもう、いちいち話をするのもイヤになってくるので、またしばらく、こういうケガレには触れないように気をつけることにします。
 水垢離(みずごり)したほうがいいくらいのレベルですね;;

 BLOGOS のコメント欄をちょっとのぞいてみたら、同じ人が、もう何度も何度も何度も何度もコメントしていることに気がついて、なんだかぞっとしてしまいました。
 この人、1日中、こんなところでこんなことしてるのかと思ったら、なんだか気味が悪くなりまして;;

 なんにしても、——いかに知性に不自由しているかは存じませんが、「〜だそうだ」「〜らしい」「〜ではないか」という、伝聞、推測、憶測、あげくの果てには勝手な思い込み、すなわち妄想に基づいて、ものをいうのはやめてもらいたいです。
 
 なんて言っても無駄なんでしょうけどねえ。
 自分の思考がなにを根拠にして回っているのか、それすら自分で検証できないようでは……。

 自分の妄想を語っているうちに、これもある種の演技性パーソナリティ障害なんでしょうか、「自分が作り出した妄想が、事実であると思い込む、信じ込む」なんてのは、もう、某国の国民的精神疾患並ではありませんか;;
 見てはならぬものを見てしまった……;;

「ネット物忌み」しましょうかね。(^^;)

       ●

 本体が手元に届いたのが11月21日ごろでしたから、ちょうど2ヶ月ですね。
 おかげさまで、やっと、kindle paperwhite が、まともに動くようになりました!

 いやあ、思えば長い道のりでした。トラブル発生(T)、処置(D)、解決(S)、トラブル発生、解決…を何度繰り返したか。

 Wi-Fiがうまくつながらない (T)
  ↓
 手動で接続できた(S)
  ↓
 喜んだのもつかの間、辞書が使えない(T)
  ↓
 問い合わせたら、クラウドからダウンロードしてくれとのこと(D)
  ↓
 ダウンロードしようにも、クラウドからもきれいサッパリ消えている(T)
  ↓
 原因不明。調査。(D)
  ↓
 原因は不明のままだが、とにかくクラウドには辞書が復帰したから、ダウンロードしてくださいといわれ(D)
  ↓
 ありがたや! と、ダウンロードしようとしたら、
「ライセンスできる機器の制限数を超えているので、登録している機器をどれか、解除してください」
 という主旨のメッセージが出て、目が点に。(T)
(あたしが登録しているのはこの新品のキンドルだけなんですけど……?)
  ↓
 再び調査(D)
  ↓
 原因は不明のままだが、とにかくトラブルは解消したので、ダウンロードをしてみて、と連絡を受ける(D)
  ↓
 成功。(S)

 キンドルサポートの皆様、こんなところからなんですが、本当にありがとうございました!
 次から次へとナゾのトラブルを持ち込んでしまって、すみませんでした;;

 Wi-Fiが手動でないと接続できないというのは、ありがちなんでいいとしても、辞書が消えているとか、複数のデバイスを登録しているかのようなエラーが出るというのは怪奇としかいいようがありません。

 そのたびにキンドルサポート様にはごやっかいをおかけしてしまいました;; ありがとうございました。m(_ _)m

 まったく、わけわからんトラブルでした;; 
 
 ということで、購入(入手)以来まる2ヶ月。
 やっとキンドルが正常に動作するようになりました。

 辞書が使えないくらいはべつにいいけどね、と言いつつ、いまのところはあまり使ってはいませんが。(^^;)
 漫画もダウンロードできるというのですが、こればっかりは……。サンプルを見てみたのですが、……うーん。「絵」だからなのか、なんかヤダ。感覚的に「紙の本」じゃないとヤダ。
 と感じてしまい、いまのところ、漫画、コミックスはダウンロードしていません。

 電子書籍のほうが便利だし大量に持っていても、床板が抜けるおそれもなくていいな、というのは、「理屈」ではそうなんですが、じっさいディスプレイに表示されるのを見たときの「感覚」では、うわー、これやだー、ということになってしまいます。
 どうしてなのかはわかりません;;

 ちなみに、とにかく目が弱ってしまったらしい私は、このkindle paperwhite の、バックライトは完全にオフにしています。最初はバックライトに気がつかなくて「Eインクっていうけどやっぱり目が疲れる」と思っていたんですが。
 なにこれ、バックライトがあるの? と気がつき(遅いよ。ていうか、スペックちゃんと見とけよというお話)、オフにしたら、少し楽になりました。

 しかしそれでも——なんとなく「かったるい」感じで、いまのところ、これを本格的に「本」として扱う気にはなれません。
 なにが違うんでしょうねえ。どうしてこんなに目が疲れる感じがするのかなあ。もちろん紙の本なら目が疲れないということではないのですが、……うーむ。もうちょっとこの「感覚」、吟味して、言葉に翻訳できるようにしてみます。

 電子書籍でありがたいのは、夏目漱石の本など、著作権の切れたものが、主に青空文庫様、そのご関係者の皆様のおかげで、無料で読めるということですね。
 子供のころ読みふけった本はほとんどが、図書館で借りた本だから、気がつくと、いま、手元には本がないということが多い。
 
 電子書籍で、そのへん、本棚のスペースと床板の堅牢性を心配する必要もなく、懐かしい本を無料で読めるというのは、ありがたい限りです。
 与謝野晶子の源氏物語もありました。

 あとは、たとえば原文の源氏物語とか、雨月物語とか、古典もあるといいんですが。(^^;)
 古典、読みましょうよ〜。古典は日本語の基礎ですよ〜。今昔物語とか宇治拾遺物語みたいな、短編集みたいなものなら肩も凝らないし、あんがい、「お話」として面白いし。

 久世番子さんの「暴れん坊本屋さん」では、もう家に本の収納場所がないという理由で、新刊の本を買って、読んで、そのまま「捨てる」という店長さんが登場しますが。

暴れん坊本屋さん (1) (ウンポコ・エッセイ・コミックス)暴れん坊本屋さん (1) (ウンポコ・エッセイ・コミックス)
(2005/09/22)
久世 番子

商品詳細を見る


 私はあの店長さんほど、「買って読んで捨てる」を、さばさばと実行できるほど、さばけていないというか悟っていないというか。
 それがいちばん現実的な対処法だとはわかっちゃいるんですがねえ。

 本を捨てるのは難しいが(心理的に)、それくらいなら、電子書籍はいいのでは。と思ったり。
 おそらく再読の頻度はごく低い、と思われる本なら電子書籍で、とは思うのですが、そうなりますと、電子書籍も紙の本に比べると特に安いということもない(圧倒的に安い本もあります。発行からけっこう年数が経過しているものとか)もんですから——ちょっと悩んじゃいますね。
 捨てるよりいいじゃん捨てるより! と、自分に言い聞かせて、それでもまだ、「でも、同じお金を払って読むんなら、紙の本がいいなー…」と、心の片隅に浮かぶ思い。ああ切ない;;(そうか?)

 古典とも言える本を、保持しておきたいなら、電子書籍は便利ですね。
 しかし、読書という、あの陶酔感、思わず惑溺するほどのあの感覚は、やっぱり、「仮想現実」では味わえない、というのも事実。(なんででしょうね)

 やっぱり、ためらいもなく電子書籍で購入できるのは、「1度読んだら2度は読むまいな」という、実用書やビジネス書に、限られてしまうでしょうか。
 と思ってストアを探すと、ビジネス書なんてのは読者が限られるのか電子版は売ってない、ということも、まだまだ多いです。
 サンマークさんはそのへん、積極的に電子版をもリリースしてくれるのでありがたい。

 せっかく正常化なった我がキンドルですから、うまい付き合い方を、またあれこれ、模索してみたいと思います。

 
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陰雨

 本日はうっとうしい雨の朝となっておりますが、私の気分も同様にどんよりしております。
 アルジェリアのテロリストによる事件は、私からすれば最悪の事態となり、本当に言葉もありません。
 というかまあ、——言葉にするとエライことになるので黙っているしかないという状態です。
 犠牲者の方々には、ただ、深く、哀悼の意を表するのみです。

       ●

 大阪の、体罰によって自殺者を出してしまった高校の件ですが。

 結局、橋下市長のごり押しが通った「形」ではあるのですが。
 その詳細な内容を聞いて、さらに、これを絶賛する橋下市長のコメントも聞いて、本気で首を傾げております。

桜宮高募集“中止” 受験生配慮し「折衷案」に 
2013.1.21 22:43 MSM産経

 なるほど「形」は市長のごり押しが通ったけれども、その「実(じつ)」すなわち、内容を聞くと、これはまさに「形だけ」のことだとわかります。

 もともと、この体育科、スポーツ健康学科の入試を中止する「必要」はなにもないわけですから、——今回、あの市長がウルセエので、形ばかりはその言い分を通すものの、じっさいにはこの2科は、事実上、その専門性を残していくわけですね。内容を読むと、ですが。

 そもそも入試の中止がこの2科のみというのも、おかしいんですよね。部活における「問題」なので、普通科もふくめたうえでのその学校の「風土」の問題だったはずですよね。
 なのに、部活にメスを入れるでもなく、なぜか普通科はおとがめなしで、スポーツ関係2科のみが「たたきつぶ」される、その理由がわからない。
 学校全体が悪いというのなら、普通科も含めての話になるんじゃないんですかこれ。

 だいたい、問題があったとして、その問題調査の詳細な報告はできてるんですか?
 調査もろくにしないうちから、勝手に「悪者」を決めつけて吊るし上げる、それのどこに正当性があるのでしょうか。アカウンタビリティの軽視も程々にしてもらいたい。

 結局、スポーツ系2科のみはつぶされるが、普通科は残され、試験内容やカリキュラム予定からするに、スポーツ2科は普通科の中に吸収されて、別コースとして存続する。それが今回の決定の内容ですよね。

 つまるところ、市長のごり押しは表面上では通ったものの、「実」の部分では、これといった大きな変更にはいたっておらず、ただ、形式が変わることの混乱が、そこにあるだけです。
 なんでこんなのを絶賛するのか、意味がわからない。

 政治というのはなにより「実利」を重視するもの。であるにもかかわらず、実態そのものには、調査も、分析も、改善も説明しないまま、ただ形式だけを壊して満足しているというのは、改革でもなんでもない。
 
「素晴らしい決定だ」橋下市長、市教委の体育系2科募集中止を絶賛
2013.1.22 02:09

「橋下市長が強硬路線を鮮明化させたのは、自殺した男子生徒の遺族と今月12日に面談した後。両親から「息子の死をきっかけに保護者も意識を改めてほしい」と求められたことを明かし、「間違っているから正す。亡くなられた生徒の前で誓った」と宣言した。」



 こちらの一文を読んで、「やっぱり私情か」と思いました。
 ま、正直な人ではありますね。そんなことは本来、口にすべきではないのに、こうもあけすけに馬鹿正直に話すわけですから。

 なぜこれが——つまり私情に流されるのがいけないかというと、公のことを考えるべき人が、個人的な事情、利益、感情のために、公のルールを「枉(ま)げた」からです。私物化したといいたいくらいですが、そこまで言うのもどうかと思うので差し控えます。

 市長を支持している人々はそこらへんの重大性がわかっていないようですが、いちいち説明するほど私も親切ではないので申しません。

 ただただ、こんなアホなことに振り回されている生徒、受験生が可哀想だ、というばかりです。

 ほかにやるべきことは山ほどあるのにな。まあいいけど。どうせ維新の会の「改革」なんてのは、こういうものなんでしょうから。

 市長のやるべきことは本当なら、市教委を「敵」に仕立てて大騒ぎすることではなく、教委を——言葉は悪いですが——まるめこんで、問題の詳細なあぶりだしと、その解決に取り組むことだったはずなのに。
(ちなみに、そういうことを本気でやろうとした場合、こんな数週間のごり押しですむことではなく、時間もお金も人手も、優れた人材も、「知恵」も、手練手管も、必要になることは申すまでもありません)
(気が短くて派手な見た目にしか気持ちが向かない人間にはそういう仕事はできません)

 しかし世の中には、派手な花火が好きな人が多いようで。
 口を半開きにして派手な花火を見上げて喜んでいたら、こっそりフトコロのものをすり取られていたなんてことのないように、ご注意願いたいですね。
 民主党政権はみごとにそれをやりましたからね。

 今回のことで嘆いている生徒、受験生の皆様におかれましては、よくよく、こういう大人をみて、ああいう大人の、なにがいけないのか、どうすればよかったのかを、じっくり見定めて、もっとよりよい大人になるようにしてください。
 そうすれば、馬鹿な大人も、少しは利用価値がある、ということになる。なにより、その利用法は、皆さん自身の「身」になってくれますから。

 自分のために。ああいう馬鹿な大人をも、利用してみてください。
 
 
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八重の桜

 いまさらではありますが、消臭剤「消臭力」のCM、あのミゲル君の美声をもってしても、どうしても「長州力〜」に聞こえてしまう。いつかはまともに「消臭力」に聞こえるかなと思ってきたんですが、いまだに私の脳味噌は訂正を加えない。
 もうこの先ずっと、「長州力〜」に、脳が勝手に変換していくんだな、とあきらめモードです。(^^;)

 そういえば「ディラン効果」というのは「俗称」らしいのですが、ともあれ、脳内でエンドレス再生されてしまうアレが、また出てきてしまいました;;
 ジャーマン・クレイ・フェイスソープのCMですが、視聴わずか1回で脳味噌に焼き付いてしまい、昨夜等は「うーん。終わらない、じゃーまんじゃーまん……うーん」とうなされながら寝付いたありさま;;
 だれか止めて〜;;



 昔には、「引っ越しのサカイ」さんのCMがこれまた脳内に残りまくりで、仕事中なのに頭の中でがんがんに響き、本気でめげていたら、同じ職場の先輩(♀)が同じことをいったので、「わかりますー! 私もです〜!」「でしょ? 残るよねアレ!」と、お互い手を握りあわんばかりにして同意していたことがあったなあ…。



 この記憶残像、解消する方法はないものでしょうか。
 いやまあ、無限リピートはかまわないのですが、無意識に歌ってしまいそうな自分が自分で怖いんですよ〜;;

      ●

 書くのをすっかり忘れていましたが、2013年の大河ドラマ「八重の桜」。
 いまのところいい感じなのではないでしょうか。(^-^)

 ネットを見ていたら、イケメンパラダイス♡、と喜んでいらっしゃるご意見があったので、
「え、イケメン?」
 と思ったんですが——そうか、八重さんのお兄さん(西島秀俊さん)と、八重さんの未来のご夫君(長谷川博己さん)のことなんですね。

 たしかに、兄上の覚馬さんはなかなかの硬派であり、ものの理解力もあるらしいところが、男前でいいですね。(^-^)

 私は第1回目の放送の、追い鳥狩りですか、あのとき映された景色がきれいで、いいなあ、と思って見ておりました。

 いまのところはそれぞれの登場人物の紹介という段階なので、のんびり拝見しております。
 にしても——、やはりあれは見なければなりませんか……会津籠城戦。
 あれは……いろいろ辛くてねえ…(涙) あんまり見たくないつーか…(←惰弱)
 いまから、すでに、「あれはつらいなあ」と泣き言をいっている視聴者でございます。(^^;)

 坂本龍馬と、薩摩の小松帯刀が長生きしてくれていたら、ここまで馬鹿なことにはならなかっただろうか、と、まーだうじうじ言ってしまいます。歴史に「もしも」はないというのに;;

 あたしゃどうも、あの官軍てのには好意的になれませんでねえ。官軍が旧幕方の兵士の遺体の埋葬を禁じたのを、清水次郎長さんが、死んだものに官軍も旧幕方もあるかといって、処罰覚悟のうえで、路傍に放置されていた遺体を埋葬していったという、エピソードを聞くにつけても、「この田舎侍どもが(というのは、官軍に対して)」という気持ちがわきあがってくるため。
 10代のころに刷り込まれたイメージというのは、なかなか払拭できないもんですね。(^^;)

 長州も薩摩も、幕府にたいして恨みがあったというのは理解できますが、それで内戦を大きくして、国を危うくした、というところに、「馬鹿どもが」と吐き捨ててしまいます。

 為政者が感情——私情に走るとろくなことはない。これは現在でもまったく同じですね。
 そういう、私情を切り離して思考、行動がとれない人間は、組織のアタマになどなるものではありませんし、我々もまた、そういう人物をリーダーに選ぶべきでもありません。

 見極めが難しいとおっしゃる方もあるかもしれませんが、——そうかなあ。私から見ると、ようは私情に流される人というのは、言行が独善的(そしてご都合主義)という特徴が、露骨なほどはっきりしているので、見誤ることはかえって難しいように思われます。
 が、橋下さんがいらっしゃるしなあ。見極めるのは難しいのかな。ある種の人々もしくは状況においては。

 ともあれ。
 昨日の回では、槍術(そうじゅつ)の殺陣(たて)ということでちょっと珍しくて「おお〜」と思って見ておりました。
 槍は、馬上の人間を地面にたたき落とす、あるいは逆に、馬上の人が周囲に人を寄せ付けないというのが主な使い方なんでしょうが、間合いが長いだけに、あの殺陣は難しいものなんではないでしょうか。

 槍を使いこなすのには下半身がしっかりしていないと、自分が槍に振り回されてグラグラしてしまうでしょうから、へー。と感心してみておりました。

 いきなりもろ肌脱ぎになった覚馬さん役の西島さん、いいお体だったのでこれまた感心。
 現代人では無理もないのですが、武士の役であっても、肩脱ぎになっただけで、たらんたらんの二の腕が見えてしまい「ああ……」と思うことが多いですからねえ。

 べつに脱がなくてもいいのではとも思いましたが、まあ、あの肉体美、脱いで見せたくもなるのかなあと思ってみてました。
 たしかに。
 実用的筋肉は躍動美がいいですねえ♡(←どこを見ているやら;;)

 
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幻想は幻滅の前提条件

 本日は「大寒」でございます。
 暦どおりの寒さですが、今年は、もう去年の11月からずーーーーーっと寒いままなので、大寒もクソもないような気がする;;

 そういうなかで、例の恵方巻きのご予約承り中! というのを見ると、「そうか、もうちょっと我慢すれば、立春なんだな」と思って、はっとします。

 例年なら「ホッとする」というところなんですが、今年は「ハッとする」。
 というのは、もう、この寒さが永遠に続くような気持ちになっていたんですねいつのまにか。

 冬来たりなば春遠からじ If Winter comes, can Spring be far behind ?(※)とはいいますが、なんかもう、わたくし、すでに、春が来ることを忘れている心地がします。
 立春で恵方巻き食べても寒いのは相変わらずなんだろうという気がしますが、それでも……春という言葉を聞くと、はっとしますねえ。

 春って……どんな感じでしたっけ……(遠い目)

(※「西風に寄せる歌 ODE TO THE WEST WIND」Percy Bysshe] Shelley, パーシー・ビッシュ・シェリー。リンクは岐阜女子大学デジタルミュージアム様)

         ●

 またなんの話だといわれそうですが、ふと思い出したので。

 世の中には、女装が好きという男性もいらっしゃるわけです。

 べつにオネエなわけでもなく、同性愛(か両性愛)ということでもなく、ただただ、ふつーの男性が、きれいな服を着たりするのが好き、という。それだけなんですが。

 それだけなのに、なぜかヘンタイ扱いされる。
 私はあれは、本気で気の毒だと思っております。ホントに。

 川原泉さんの漫画でもむかーし、あったんですよね。ズボンをはいた女性はノーマルなのに、なにゆえに、スカートをはいたおのこはヘンタイ扱いになるのかというテーゼが。

 その作品では結局、そのおのこはスカートをはくことを「卒業」してしまうのですが、いやあ、好きなら30歳でも40歳でも、着てりゃいいんじゃないのと私は思いました。当時、私は高校生でしたが。

 ほんで、またひょんなことでそういう、旦那さんの女装が奥様にバレて、大騒ぎになっている事例に行き当たってしまいまして。
 とはいってももちろん、私は100%無関係の傍観者なので、「そんなにひどいこといわなくてもいいのに」と、旦那さんに同情しながら、遠くから見ているだけだったんですけども。

 べつに、ふつーの男性ですよ。その他に性的嗜好に強いクセがあるわけでもないですし。
 なのに、奥様の拒絶反応がすごくて、離婚するとまで言い出す始末。

 ただきれいな服を着たいというだけのことじゃないか。なのに、なんでそんなにひどいこと言うんだろう。
 と、いまだに私、ナットクできておりません。

 スカートをはいた男性がヘンタイだなんて失礼なこと言うなよ。スコットランドや、東南アジアあたりでそんなこといったらフクロにされんじゃないの。
(スコットランドには有名なキルトがあるし、東南アジアあたりでは、暑いからでしょう、男性でも巻きスカート状のものを着用しますよね)

 あの強烈な拒絶反応ってなんなんだろうか、と。
 いまでも、ときどき思い出しては首を傾げております。

 ちなみにそのご夫婦の場合、旦那さんが女装をやめるということでいちおう、離婚にはいたらずにすんだようです。

 私は男女差別はキライですが、これ、案外、女性のほうがひどい差別をしているということがあるんですよね。自分が加害者になっていることに、ものすごい鈍感になっている。あれも、なんでかなあと不思議に思うんですが——それはともあれ。

 ひらひら、フリフリのスカートをはいていても、その男性の性格などが変わるわけじゃない。温厚で、性格もいい意味で男性的で、いい人なのに、女装が好きというのがバレただけで、評価が一転するというのは私には納得できない。

 で、たぶん、関係者の中でいちばん拒絶反応がひどかったのが、その奥様でね。

 これはまあ——よくも悪くも、その旦那さんに対する「幻想」が、強かったからこそなんだろうなあ、と、思っております。

 どういうのを男性的でカッコいいとするかは個人差があるんでしょうが、ともあれ、その奥方にしてみれば、旦那さんにはもちろん、男性としての魅力を感じたうえでご結婚なすったんでしょうから——そのイメージが傷つけられたことが我慢ならなかったんでしょうね。

 私が、「いいんじゃないですか女装くらい。飲む打つ買うなんてのはサイテーでしょ。それにくらべたら」みたいなことを申しましたら、「女装より、飲む打つ買うのほうがマシ」と言われたので、あ、ダメだこりゃと思いました。
 飲む打つ買うのほうがマシなんてことがあるか。
 じっさい、ご亭主がそんなんだったら、とっくに結婚生活は破綻してますよ。(大きなお世話なんですが、収入面から)

 しかし、そこまで奥方がご乱心におよんだのは、逆に言うと、旦那さんのイメージが、それだけ、かっこよくて素敵なものだったということでもあるんだろう、と思いますとねえ。他人にはもう、何も言えませんわ。

 私がのんきに、「いーんじゃないですか。女装。きれいな服が好きってノーマルじゃん」と言えるのは、男性というものにたいして、男性であることの魅力、幻想が薄弱だから、ということも、あるっちゃあるんでしょう。認めたくないけど。

 へんな幻想を持たないゆえに、びしっとカッコイイ男性にも、女装が好き、と言われても、「そうですか。タイトスカートと、ティアードスカートだったらどっちがいいですか?」などと聞いてしまうほど平然としていられる。
 
 これは——いいことなんでしょうか。それとも、なにか、あらためなければならない態度なんでしょうか。

 私個人としてはかねてから、男性のファッションというのは、あんまりきれいじゃないしかわり映えもしないし、あれじゃあおしゃれのしがいもないんだろうなあ、気の毒だなあと思っているくらいですから。
 そりゃ、男性だって、きれいな服を着たいよね、と、納得するくらいです。

 じっさい男性ファッションについては、塩野七生さんのエッセイなどで「ほうほう、男性ファッションのおしゃれというのはそういうところにあるのか」などと感心してはいたものの——でも、あんまり代わり映えしないというのも、事実ですからねえ。

 なんにしても幻想というのは——性、というもののためには、「必要」なものなのかなあ。
 そんな幻想のせいで、ひとを不当に差別することが、いいことだとは思えないんですけどねえ。

 あるいはまた、そういう幻想なしには、男女の関係というのは、どうしても、成り立たないものなんでしょうか。
 疑問は尽きません。

 
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オーダーメイド処方

 ノイタミナ枠、静岡でも見られるそうです!
 F様、情報ありがとうございました!!
 お言葉に甘えてこちらからの私信で失礼致します。m(_ _)m

 やー、嬉しいですー。たとえ周回遅れでも見られるのはありがたいし嬉しいです♪ テレビ静岡の木曜深夜ですね! ありがとうございます!
 ノイタミナは静岡ではないものだと思い込んでいたのですが、状況は変わっていたのですね♡ 嬉しいです〜♡

 エヴァンゲリヲンは——興行収入などもすごいことになっているそうですね。我らが「アニメの孤島」静岡のシネコンすら動かしたのかと思うと、思わず涙が。
 お知らせ、ありがとうございました! (^o^)

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 大阪の、高校の入試中止問題、とうとう感情的な対立になってきましたねえ……。
 だから為政者が感情的になったらダメだというのに。(--;)

 法的な、行政上の対処というのはかなり冷徹なもので、それはときに人情味がないとも思われるでしょうが、「公共の福祉」を考えなければならないとなると、やはり為政者は感情に流されてはいかんのですよね。

 人一人が亡くなったというのはもちろん重大なことですが、私が引っかかるのは、橋下市長がやっているのは、「問題解決のための対処」ではなく「処罰感情」による、「復讐」もしくは、その高校全体まるごとを「懲罰」せしめようとしている。そのように見える、という点です。

 橋下市長を支持する人のコメントもチラチラ見ましたが、感情的に振り回されていることは同じですね。

 ひとひとり亡くなっているのは重大ですが、じつのところ、学校というある意味「密室」において、このような暴行による被害を受けている人は、世の中には大勢いるわけです。
 行政が、ほんとうに果たさなければならない役割は、そういう「社会問題の解決」なんであって、「亡くなった人や、その遺族にかわって復讐すること」ではないはずです。

 発想が「仕事人」的なんですよね;;

 問題がこの学校のみのことであるなら、まだわかりますが、もしかしたら日本の社会における宿痾(しゅくあ。完治しない持病)にも結びついていることですから——こういうことの『被害者』は全国にかなりいるわけなので——、やはり、この高校をひとつ潰しても、なんの「解決」にもならない。それはわかりますよね。

 ではなんのためにこんなことをするのか、と考えると、「復讐」「懲罰」というようにしか、見えないんです。

 こんなことをしているヒマがあるなら、それこそ予算をつけて学校制度を考え直す協議会を設けて、何年かけてでも、部活の「健全化」を制度面から支える方策を考えるのが、為政者の仕事じゃないでしょうかね。

 人間的であることは否定しない、というより、行政には必要なことですが。
 感情に振り回されるのは、とくに避けなければならないことです。

 ………しかしなんですね、橋下さんはもとは弁護士なんだから、そういう、法の運用においてはある種の厳格さが必要だということはわかって………。
 ………いなかったかな、そういえば;; 大阪弁護士会から処分くらった(2ヶ月の業務停止)こともありましたもんねえ;;

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 今週はなんだかタフだったな、と、ちょっとぐったりしている土曜日の朝。

 諸問題はいずれも解決はしておらず、そこを考えているとぐったり感が増すので、あえて考えないことにしよう——とは、思うのですが。
 考えまいと考えている、ということが、意識にべったり貼り付いてきて結局考えている、という、この無限ループ。(^^;)

 考えてもどうにもならないことなら、放り出すということも、大事な「スキル」ですよねえ。まったくのところ。

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 結局、世の中を窮屈にしているのは正義なんてもんを真面目に信じている人がいるからだよなー、と、つい思ってしまう今日この頃。

 正義は正義でいいんですけどね。それはしかし、自分の行動の規範としてあるのがせいぜいで、他人に押し付けるようなもんじゃないと思う。

 正義と正義がぶつかるから喧嘩、紛争、戦争になる。
 自分で自分を律するときには正義もいいでしょうが、正義なんてのはせいぜいがそんなもん。相対的なものであって、絶対正義があるなんて思ってるほうが間違い。

 自分にとっては正しいことでも、他人にはまるきり「適合」しない。

 正義というのはある種のご都合主義のことかもしれませんね。

 自分に必要なものだから正義ということで自分を律する行動規範にはなるが、その規範が、他人にとってもいいものかというと、そうではない。

 体質で——食べられるものとそうではないものが、個々人によって違うのと同じで、その人の性格も千差万別である以上、行動規範として必要な「正義」もまた、オーダーメイド処方の薬のようなものなんじゃないだろうか。

 遺伝子解析がすすんでオーダーメイドの医療というものはこれから実現されてくるのでしょうが。

 精神面でも同じことがいえるんだろうと思いますよ。

 いまだに正義なんてもんを、自分にではなく他人に向かって振り回している人をみたら、
「正義なんぞクソ食らえ」
 と、言ってやるのがよろしいかと。

(ちょっと今朝の私も、ヤケクソ気味ですね;;)
 
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手短に

 昨日、大騒ぎをしていたプリンターは、メーカーさんに修理に出さなくてもなんとかなりました…。が、どのみち、紙送りがなんだかアヤシいので、買い替えはしなければならないのでしょう。パソコンごと。
 昨日、パソコンショップへいったついでにあれこれ、プリンターもパソコンも見てきましたが……Windows8、あれは……。どうなんですかね…。

 どうなんですかねと申せば——冬至からも、もはや1ヶ月が経とうとしていますが、ブログ「誤訳御免Δ」様、いまだ復帰のご様子がなく、個人的に、どうしたんだろうな…、と思いつつ、お待ちしております。

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 ひとつ本気で泣いたのは「銀の匙」アニメ化。
 ノイタミナ枠ときいて泣きました。静岡県では放送しませんので、ノイタミナ。(;_;)

 BSフジで必ず放送してくれるというなら、まだ希望はあるのですが(周回遅れでも)、そうとも限らないしなー。

 アニメ放送の孤島、静岡。山梨や長野でさえ放送するのに、なんで静岡では放送がないのか。
 有線放送に加入すれば見られないこともないんでしょうが……先立つものが。ねえ。(^^;)

      ●

 じつのところ、ここで一気にイヤなニュースばかりで、私もだらしなく、ものを書く気力も減退気味なんですが。(ヘタに書き始めると、ほんとに、ただの罵詈雑言の羅列になりそうなんで;;)
 すみません。これらについて詳細に喋るとまた悪口の嵐になるので、今日は、本気で独り言になりますが、お許しください。

      ※

“体罰”体育科入試なら「予算執行せず」橋下市長
テレビ朝日系(ANN) 1月17日(木)19時33分配信

 暴力反対! といいながら、その主張を押し通すために他人をぶん殴っているというのはどういう了見なのか。
 権力は最悪の暴力になる。そういう恐れを持たない人を支持はできない。と再確認。

      ※

<鳩山元首相>訪中し「尖閣紛争認めることが大事」伝達
毎日新聞:2013年1月16日(水)23時40分配信

 鳩山由紀夫氏が搭乗の飛行機が、成田に着くのか羽田に着くのかは知りませんが、とにかく入管には、この人を国外退去処分にするようにお願いしたい。このさいなのであの宇宙人には「政治亡命」してもらってください。
 早い話が、日本に帰って来んな。二度と日本の土を踏むな。そういうこと。
 お金には不自由してないんだから、どこででも生活はできるでしょう。

      ※

邦人人質が負傷=武装集団、マリ出国を要求―軍包囲で緊張続く・アルジェリア
時事通信社:2013年1月17日(木)19時56分配信

 イスラム教は平和の宗教である——と、たまに真顔で言っている人にぶつかることがあるんですが、これも一種の脳味噌筋肉状態なのでしょうか。
 よくもいけしゃあしゃあとそういうウソを……。

 そういうと、こういうテロリストはイスラム教とは関係ないみたいなことをいわれるのですが、しかし彼らが神の名を利用しているのは事実であるうえ、私は、イスラムの宗教指導者が、こういう不逞の輩を宗教者としての立場で糾弾しているのを聞いたことも見たこともない。

 イスラム教が本当に平和の宗教であるなら、ああいうテロリストを率先して非難し、イスラムとは無関係であることを強調したうえで、破門を言い渡すのが筋ってもんでしょう。
 が。寡聞にして存じませんわねそんなこと。

 むしろ、あちらの宗教指導者が人殺しを奨励し、というか「殺人命令」をくだし、人々を煽動しているのはしょっちゅう見聞しておりますよ。このへんについてはどうなのかしら。
 そこは誰も説明しないんですね。

 あたしゃそれでなくも、男性原理キライ、一神教キライ、という人間なのに、……これ以上、私の人間嫌いを補強してくださいますな。頼むから。

 怒りもあんまり度を越すと、最後には泣けてくるもんなんですね。

 ということで本日は、あんまり長々しゃべらずに、ポイントだけをちょいちょいと書いてみました。

 手抜きなんじゃなくて、ほんとに、「あまりひどいことをいわないようにしよう」と思ったら、こんなふうに書くしかなかったということなんで。どうぞご容赦を。

 昔、映画の「羊たちの沈黙」を見た友人が、レクター博士が、隣りの独房にいるヘンタイ男を、指一本動かすことなく殺した、というところで、「そんなことってできる?」と首を傾げておりました。
 ようは、鬼のように頭が良くて人の心理をよく読む博士が、あのヘンタイ男(名前を思い出せん;;)を、言葉でもって責め殺したわけですね。

 私はできると思う、と友人には答えておきました。
 どんな人間にも、絶対他人に触れてほしくないところ、自分でも見たくもないものがある。それを、残酷この上ない言葉で責め立てられたら、——大抵の人間は心臓が持たずに死ぬか、あるいは自分で自分を裁く。

 言葉というのは、使いようによってはそういうことも可能だと、私も思います。

 であるゆえに、——これも権力と同じで、使い方を誤ってはならないのだと思っております。

 思っている、というだけで、私の場合、なかなか、きちんとした制御ができないところが困り者です;;


 
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