広告はほどほどに

 本日はハロウィンですねv
 ケルトのお盆ですよ(←私の理解;;)

 だからなんだと言われるとアレですが。(^^ゞ
 ブラッドベリのファンは多かれ少なかれ、キーワード「ハロウィン」には反応しちゃうってことで、大目に見てやってください。「10月はたそがれの国」。いいですよ〜(厳密にはハロウィンネタではないが;;)

     ●

 私が利用させてもらっているこのブログは、FC2さんの無料ブログです。
 ブログサービスには有料版があるとのことなので、ケータイ、スマホ版の、うっとーしー広告を消せるなら有料でもいいかな、と思いまして、説明を読んでみたんです。が。
 
 有料版にすると広告表示がなくなるというのは、ケータイ版、スマホ版の、バナー広告が消えるという意味ではなかったので激しくがっかり。
 FC2ブログでは、アカマイ(Akamai)を利用して、ブログの表示をちょっと高速にできるという設定があるのですが、この機能(アカマイ)を利用すると、記事の下にけっこう大きな広告が表示されるんですね。

 私はこの広告が鬱陶しいので、——それに、やってみましたけどそれほど表示が高速とは感じなかったので、私は使っておりません。

 有料版になると広告が出ないというのはそのアカマイ関係の広告のことで、ケータイ版やスマホ版で表示されるバナー広告は、有料版でも表示されるんだそうです。

 それじゃ意味ないじゃんよ! ということで、結局、私は無料版のまま。

 あの鬱陶しい広告を消せるなら有料版にするんだけどなー。なんで広告をとめられないのカ。

 とくにスマホの場合、広告表示が画面スクロールを追いかけてくるのはいいけどタイミングが遅いんですよね。
 ゆえに、こちらは、ふつーに記事のリンクなどを触ったつもりが、あとからにゅるんと現れた広告をクリックしたことになってしまい、広告のページが開いてしまうというのが、あれがもう、どーにも頭にくるのです。(^^;)

 そりゃ商売ですからあの手この手でくるのはわかるんですが、あんまりしつこかったり、詐欺まがいの手口だったりすると、ホント、うんざりも通り越して腹が立ってきますね。

 ということであの広告を消せるなら有料版けっこう! と思ったんですがねえ。うーむ。

 そういえば、総務省がDPIを使ったネット広告を認めちゃった(2012/3/3「不誠実なセールスマン」)以降、まったくどこへいっても「以前に購入したものの履歴から関連商品の広告」が出てくるようになり、うっとうしさも倍倍増になっております。

 が。
 うっとうしいだけで、これ、ほとんど役に立たないから、なおさら頭にきますね。

 DPIの利用が認められたとき、個人のニーズや嗜好に合わせた広告表示が可能になる、などと言っていましたが、そういうメリット、感じます?

 私の場合、たとえば、靴なら靴を買いますと、もう、当分、靴は買いません。
 そりゃそうでしょう、買ったものである以上、そうも立て続けに靴ばかり買うはずはありませんよね。もう、靴に関しては買い物済み。

 であるにも関わらず、表示されるのは、買った靴に似たような靴ばかり。
「………もう要らないんですけど」
 と独り言してしまいますね。(^^;)

 この人このあいだ、こんな感じの靴を買っていたから、服はどうだろう。テイストはこんな感じ。あるいは、バッグはこんなんでどうでしょう——と。
 そういう呈示ならわかるんですけど、もう買ってしまったアイテムと似たり寄ったりのものを表示されて、ああ便利だ気が利くねえなどと思う人がどれほどいるものでしょうか。

 まあ、上記のように「こういう靴を買った人だな。だったらこういうバッグはどうかな」などというのは人間の判断力でございまして、それを現在の技術に期待できようはずもないのは、わかっておりますが。

 鬱陶しいうえにぜんっぜん役に立たない広告に、どのサイト、どのページへいこうとも追いかけられるというのは、どーなんですかね実際。あまりにも鬱陶しすぎやしませんか。

 なんだかとても有用な技術であり、ユーザーがより便利に使えるようなことを、かーなり大々的に謳っていたのが記憶にあるもんですからつい、
「口ほどにもない」
 と思ってしまいます。そう思ってしまうと、広告表示が、本気で邪魔になります。(^^;)

 世の中のことはなんでもかんでもタダにできると思っているのも、ちょっとさもしい精神だと思いますが、そういうさもしさにつけこんで、こんな役に立たないうえに鬱陶しいだけ、という広告が、あっちでもこっちでもエラそうな顔をしているというのは、少なくとも私にとっては、好ましいことではありませんです。

 Amazonさんの広告(履歴にもとづく商品の紹介)は最近ようやく、「こなれてきた」感じがしますが、しかしそれでさえ、
「それ、もう持ってる」
 とか、
「だから、それをこの間、買ったんだよ」
 とか、
「……それは人様にプレゼント用に買ったの。あたしのためじゃないの。だからその類似品の提案は無意味」
 とか………よーするに「的外れ」なことになる。そういうケースのほうが圧倒的に多い。

 ということですので。

 ネットの広告。
 気持ちはわかるんだけど、可能な限り、控えていただくってわけにはいかないものでしょうかねえ……。
 この広告表示がなければどれだけすっきり見やすいページになっているだろう、と思うと。
 残念だったり——しまいには広告主にたいするイメージが損なわれたりするから、便利だ便利だというウソはほとほどにして、もうちょっと数を減らしてもらいたい。
 ——というのが、私個人の希望です。

 広告を全否定する気はないですが、そうはいってもあまりのしつこさに、目障りだといわれて不快がられてしまうというのは、広告主にとっても不本意なことじゃないかなあ。
 それで結局、広告主のイメージダウンになるようでは。ねえ。(^^;)

 広告もほどほどに。
 とりあえず、せめて有料版ブログでははずしてくださいよ;;
 
 
関連記事

本日お休み

 本日、またもおやすみです;;

 いやとりたてて何があるということではないのですが………、なんでか時間が足りなくなってきてる……。あれ?

 じつは明日も早朝からお出かけで、ちょっとどうなるかわからないのですが、更新されてなかったら、「ああ、時間に追われてるな」と笑ってやってくださいませ。
 スケジュールは追っかけられてはいけません、というのは基本なんだけど。
 なんか気がつくと、ああ、時間が! と叫んでいる気がするなー。うーん。

 もういいかなと油断していると突発的な出来事が突っ込んでくるという感じですね。
 
 ということで、無愛想なまま、本日はこのへんで。m(_ _)m
 
関連記事

昨日の「平清盛」

 昨日の「平清盛」。
 サブタイトルは「鹿ヶ谷の陰謀」でしたが、陰謀というにはあまりにもこう……詰めが甘いというよりも全部が甘いというか。
 下のものに適当に指示をしておけばあとは「よきにはから」うだろう、という、大雑把というか、無意識の傲慢というか、そんなあたりを感じました。

 あの「瓶子(へいし)が倒れた」は有名なエピソードではありますが、昨日ドラマを見ていたときの、うちの母の、
「…………駄洒落?」
 という、呆れたような一言が可笑しかった。(^^)

 まあしょうがない。和歌なんてのはもう、駄洒落で成り立っているようなところがありますもんね。優雅にいえば「掛詞(かけことば)」ですが、ようはあれは駄洒落。
 オヤジギャグの多くも「掛詞」ですから——オヤジギャグを馬鹿にする人が多いんですが、私はそう馬鹿にしたもんではない、と思ってます。オヤジギャグは日本伝統の言葉遊びを、ちゃんと引き継いでいる「文化」なのです。

 ウケるウケないは別問題。(^^;)

 ちなみに、オヤジギャグを言う人のほうが、とにかくお固くてジョークもいわないような人よりも脳味噌が柔軟でボケにくいそうですよ。
 大事にしましょうよオヤジギャグ。無理に笑うことはないが、虐待することもないですよ。

 ということで本編は。
 …やっぱり清盛さんは悪役にならざるを得ないんだろうなあ、と思ったんでした。
 平家物語はいくらなんでも清盛さんを悪役にしすぎですが、彼を、清廉にして庶民の共感を得るヒーローにするのも難しいところだな、と思いました。

 もっとも、まだこの時代には、本邦独自の(精神的な)美学みたいなものはあんまり確立されていなくて、そういう時代のせいもあり、このドラマの登場人物たちはそれぞれの、自分の生きる欲望に忠実ですね。
 そこらへんが、後世にくらべると洗練されておらず、泥臭くて汗臭い原因になりますが、しかし、その、オノレの生きる欲望に忠実というところが、たとえば現代人である我々にはもうないバイタリティにつながるのだろうと思います。

 じっさい当時の記録を読んでいると、あまりにもこう……道徳も倫理もヘッタクレもない、剥き出しの「生」のエネルギーを感じて、それがケモノ臭くてイヤな気もしつつ、でも、ちょっとうらやましいような気持ちになります。

 逆に言うと、あれくらいバイタリティがないと生き残れない時代であったともいえるわけですね。生活条件が苛酷だものなあ…。
「源氏物語」でびっくりしたのは、40歳を「お祝い」していること。
 後世の還暦の祝い、というのと同じ感覚ですね。たしかに、平均寿命が50歳くらいという時代なら、40歳ではもう「晩年」なんですね;; しかも当時は数え年だから、満年齢では38、9歳ですよ。どへー、と思いましたわこの感覚の違い;;

 ところで今回、OPのテロップに「牧の方」というのがあって、えっ?! と思って注意していたのですが、どこに登場だったかわかりませんでした;;
 途中であれこれ用足しに席を立っていたけどそんなに長時間、テレビの前から離れたつもりもないので……はて、どこで見落としていたのか。

 ………登場してました? 牧の方。
 
 牧(まき)の方というのは、北条時政の妻君。ただし後妻なので、政子さんの実母ではありません。
 まあこの人もいろいろやらかしている人なので、地元民としてはあんまりこう……自慢にはできませんが;; 藤原定家「名月記」に記載があるのは、ある意味、名誉かもしれませんが、なんのことはない、悪口書かれてるのよね;;

 記録を読んでいるうちに、なんとなく人物像が見えてきて、「ああ……いるわこういう女…」と、ちょっとげっそりしてしまいます。詳細不明でありながら、すでにいい印象ではないというのは、ある意味、立派かもしれない。(^^;)
 そういえば政子さんも烈女というか女傑というか、牧の方よりはスケールが大きいとはいえ、しかし、根っこの性格というか性分は(血縁はないのに)共通するものがあるような気がする。
 まあ、荒っぽいんですよね万事。(^^;)

 そういえば、このドラマでの政子さんと頼朝さんは、逢い引きする雰囲気ですらなかったので、「えー。どうすんの、これじゃ駆け落ちなんてしそうもないじゃん」と思っていたら。

 駆け落ちではなく、押し掛け女房でした。(^^;)
 ま、それはそれで面白い。
 
関連記事

暴走する王蟲

 昨夜はいいお月夜——きれいに十三夜さんが見えました。(^-^)
 もちろん月見団子つき♪

 昨日の病院ですが、あんまり待たずに済みました。
 文明の利器のありがたいところですよねえ。受診予約をしておいて、あとはケータイで診察状況を確認、そのうえ、自分の順番が近づいてくると「そろそろですよ」というお知らせメールまで届く。
 
 おかげさまで昨日も、待ち時間を有効に使えました。ブログを更新し、掃除をし、ネコのごはんを動物病院に買いにいき(12歳以上になるばあちゃん猫——もと野良猫につき正確な年齢は不明——は、治療食でないとすぐに吐くのです;; 既往歴は悪性リンパ腫)、自分の買い物もし(月見団子〜♪)、それで病院へ行ったらちょうどよかった。

 これが昔だったら、順番いつだろうと思いながら2時間も待っていたわけですね。文明の利器はありがたやとあらためて思いました。

      ●

 謝罪を「求める」というが、「なぜ」、「なんのために」求めるのか。

 私にとっては謝罪を求める「意味」はじつにはっきりしていたので、世間様もみんなそうだろうと思っておりました。
 が、じつはぜんぜんそうではない、ということを知らしめてくれたのは、韓国とシナの「お国柄」でした。

 基本、私はなにかあった場合、謝罪を求めることは滅多にありません。

 求めるとしたら物理的原状回復か損害賠償のみ。じつに現実的な対処だけです。

 謝罪を求めることの意味、目的は、
「今回のことは残念にも、腹立たしくも思っているが、あなたとの関係までも壊すつもりはないので、その意があるなら自分の非を認めてもらいたい」
「けじめをつけたらもうこのことは終わりにする。そのうえで、今後も、あなたと関係を継続したい——という意志が私にはある」
 ということ。

 つまり、このままでいったら、こちらは損害をこうむっていることだし、不愉快なので人間関係としても終了せざるを得ないが、なかなかそれも人情としてしのび難い。そちらの非を認めて今後こういうことがないようにしてくれるのなら、関係を継続しよう、——という「申し出」ですね。「謝罪を求める」の意味、目的は。

 人間ですから、そりゃ、悪意はなくてもチョンボをやらかすことはある、そうわかっていても、なにかしらやられたんなら、やっぱり腹はたつ。
 それでもなお、関係を継続する意志があるときは、「あなたが、あなたの非を認めてくれるなら、私はそれを受け入れます」ということで謝罪を求めることになる。

 つまり。
 私は、なにかあったとき、基本、謝罪は求めません。
 なんせ心が狭いので、なにかトラブルがあった場合、その人と今後も同じように関係を続けていく意志なんてものは、すでに崩壊している。

 自分でいうのもなんですが、かなりお人好しの素朴な人間なので、本当の意味で、他人様に腹を立て、怒るということは、なかなかあることではない。
 基本、誰とでもなかよくしたいという親和欲求が強い人間ですので。

 そういう人間がキレるときというのは、もう我慢の限界を超えている——それ相応の理由があるときだ、というのを、ご理解いただきたい。

 私がキレたときにはもう、ある意味「手遅れ」なんですよね。
 さんざん、痛い目に遭わされても、一生懸命、好意的に解釈し、我慢し、許し、まあしょうがないかなと思いながら相手の「改心」を待っていた、私なりの努力はした、その結果ですから、もう——私の気持ちとしては、修復不可能になっている。
 私としては本当にぎりぎりまで我慢しているわけで、それでもダメだったらもう見切りをつけるしかないわけです。

 こうなると、むしろ、謝罪なんかしてくれるな、ということになる。

 じっさい、私はうちの親戚が謝って来たときに、最後まで言わせませんでしたからね。
「いいです。けっこうです。そんなことを(いまさら)言われても困ります」
「謝罪はけっこうですから、今後、二度とうちの敷居はまたがないでください」
 で押し切った。(^^;)

 謝罪を受け入れるということは、その人を許し、従来どおりに付き合っていくことを意味する。
 テメエとはもうこれっきりだ、と思っている場合、だから、謝罪されるのはかえって迷惑なんです。

 という次第ですから。
 謝罪を求めるというのは、私の持ってる概念では、ひじょーに大人の態度というか、慈愛に満ちた行為なんですよ。

 さりながら。
 謝罪を求め、そのように謝罪されているにもかかわらず、その謝罪を「容れる」どころか、ますますいきりたち、調子に乗り、怒号を重ねることでさらに興奮し(自分で喋っている内容にますます激高してくることありますよね)、むしろ、謝罪される以前よりも、感情的には状態が悪くなっていく人がいる。

 なんだこれは。——と思いましたねあたしゃ。
 正直言うと、いまもそう思ってます。(^^;)

 この人たちは謝罪しろというわりには、それを容れるつもりはないらしい。
 だったら、「なんのために」謝罪しろなんていうわけ? と、考えてきたんですが。

 素朴にしてお人好しタイプの私にはなかなか想像できないんですが、ようは、ああいう人たちは、相手に謝罪させることで自分が満足したいだけなんですね。
 相手の謝意というものを最初から聞いてないし、じつはそれは問題ではないし、それを受け入れて関係をつくっていくなんて発想はさらにない。

 復讐的な快感を求めて謝罪しろというだけのことであり、私が考えてきたような、謝罪によって「けじめ」をつけ、区切りをつけ、また関係を始めていくなんてことは、鼻毛の先ほども考えてない。

 ——だったらもうこっちが謝る必要なんかない。そういうことになりますわね。

 謝罪を求める理由はなんなのか。
 謝罪を求めるからには、相手の謝意を受け入れる準備くらいは、求める側はしておくのが道理です。
 謝意を容れる=許すのがイヤなら、かつての私がそうしたように、最初から相手に謝罪なんか求めるものではありません。

 復讐したいならすればいいでしょう。それを、謝罪を求めるなんていって、「未来志向で」などとウソをついてまで頭を下げさせて、さげさせた頭を土足で踏みつける。
 こういうやり方が国際標準なんですかね。それとも、私個人が、あまりに世間様とは乖離しているのか。

 どうも不思議に思えます。

 ただ、こういう理不尽な目に遭って学んだことは、「謝罪を受け入れる気もない相手に、謝罪しても無意味だ」ということ。

 私としては、自分が受け入れる気もないものを他人に求めるという、傲岸不遜にして理不尽な態度には感心しません。
 受け入れる気がないなら、求めない。自分から謝罪を求めておいて、じっさい謝罪しているのに受け入れないというのは、筋が通りません。

 そんなことは当たり前——だと思ってきたんですが。(^^;)

 これって世間一般でもよくあることなんですかねえ。他人に謝れ謝れいうくせに、じっさいには、その謝罪を受け入れる気など毛頭なく、ただ自分の怒りに振り回されてわめいているだけ、というのは。

 私はもう先方とは従来どおりのつきあいをする気がないので、「謝罪なんかしてくれるな」と、むしろ相手をとめましたけれども、それが、当たり前なんじゃないんですかね。

 感情は感情でもちろんあるけれども、自分でもう心に決めたことなら、それを他人様にもわかってもらえるように、筋道を通して対応するのは、当たり前じゃないのかな? あたしの対応のほうがへんで、一般的ではない、のかな?

 自分はもうこの人とは付き合う気はありません、だから謝罪はけっこうです、と言えば、周囲で見ている人にも、わかりやすい。相手にも自分にも、必要のない労力を使わせないで済む。そう思ってきたけど。

 謝罪しろとずいぶん熱心に求めるから、そうまでいうからには、謝罪を受け入れて関係を修復する気があるのかと思ったら、どうもその後の反応を見ていると、あまりにヒステリックで復讐的で、話が違うんじゃないの? と、周囲までも混乱させる。
 こういった態度に「道理」があるとは思えませんね。個人的には。
 
 ということで、私はこれまでの人生、ふりかえってみると、他人に謝罪を求めたことはないなあ。

 ——どちらかというとふだんは、「遠慮しすぎ」「我慢をしすぎ」る私がぶっちぎれたときにはもう手遅れ。いまさら謝ってもらってもどうにもならん。ということなんですね。(^^;)

 これはこれでどうかと自分でも思うので、そこまでいくまえに、小出しで、日頃から、ちゃんと(怒るべきことには)怒っておくべきだなと思うのですが。
 なかなか、そのへんは、持って生まれた性分ですから難しい。

 ところで、自分がやらかしたときはどうするか。
 ——そりゃもう全力で謝りますよ;; 謝罪を求められるまえに謝ります。謝り倒します;; いいわけなんぞ言語道断です;;

 それで容れてもらえたこともあるし、結局はダメだったこともあります。
 でもまあ基本、容れてもらえない、というほうが「前提」ですよね。謝ったら許してもらえるだろう、なんて思っていると、謝っても、それは謝ったことにならない。
 謝っても許してもらえない、というのが前提で、それでも頭を下げるべきなら下げる。で、やっぱり許してもらえなかったら——文字通り、それは私の不徳の致すところです。それはもう、仕方ない。
 
 いまのところ、自分でも悪いな、と思っていながら、謝らなかったことはひとつだけ。

 小学校4年生のとき、同級生の女の子をいじめていたガキ大将(ほかの男の子たちも、彼の子分状態で、逆らうものはいなかった)を、怒りにまかせてぶん殴ったことがありまして。
 あれですよ——ナウシカに出てくる——目を真っ赤にして暴走する巨大ダンゴムシ、あれと同じ状態;;
 自分でも前後のことを覚えてないというかなんというか;;

風の谷のナウシカ [Blu-ray]風の谷のナウシカ [Blu-ray]
(2010/07/14)
不明

商品詳細を見る


 あのときばかりは、殴ったこと自体は悪かった、と思いながらも、相手には謝りませんでした。絶対に。
(また、事情が事情なので、私に、ぜひ謝れとうながす大人もいなかった)

 殴られた彼のほうは、私ごときに殴られたというのがよほどショックだったのか、——ひそかに父兄会でも問題になっているようなちょっとした問題児でしたが、以後、だいぶ軟化したそうです。これはもう、何年もたってから私の親から聞いたことですが。

 ………たまーにああいうことが私にはある……。

 ナウシカを、映画館で見たときは高校生でしたが、あのセリフ——
だめだわ。怒りで我を忘れてる
 というナウシカのセリフを聞いたときは、自分のことを言われたようで、ドキッとし、ズキッとし、すみませんすみません;; と謝りそうになってました;;

 あーゆーときの怒りというのも不思議なもんですね。
 自分のことでもないのにと言われましたが、いや、あれ、たぶん、自分のことではないからこそ、リミッター外れて怒ったんだと思うよ……。
 そう言うと「人のことでああまで怒れる」ものか、と言われるでしょうが、私は自分のことなのでわかるのですが、これもちょっとした「卑怯」ですよ。
 自分のことでは怒れないが他人のことなら気兼ねなく怒れる、なんていうのは、まあ、卑怯ですね。

 他人のことなら、自分の利益とは関係がないだけに、私利私欲ではないから、「大義名分」が立つわけですよ。一見、清廉そうでしょ。だから。ね。
 それがわかっているから怒ることが「できる」、ってところに「卑怯」があるんです私の場合。

 …あ。またなんだかヘンな話になりました;;

 
関連記事

本日お休み

 本日は十三夜さんです。(^-^)

 十五夜さんは台風直撃で論外でしたが(涙)、今日はいいお天気で月も見えそう。昨夜もきれいな月でした。
 片月見は忌む……とはいえ、台風には勝てないでしょうよ;; 好きで片月見になったわけじゃないやい。ということで、今日も月見団子を買ってこようかな。(十五夜さんのときは月は見えないけど団子とススキは揃えておいた)

 本日、事実上、お休みです。
 これからまた耳鼻科へいってきます〜。花粉症、副鼻腔炎、扁桃炎、まだちょっとひきずっているので。
 毎年この時期には鼻がぐずぐずしているのは恒例なんですが、今年はちょっとひどいです。どれかひとつでもしんどいものを、上記3つがトリオ攻撃とは。
 ようやくそれぞれの症状もおさまってきたところなので、油断なく過ごしたいと思います。てなわけで本日は病院です。

 ただいまは、耳鼻科へいくのにちょっと時間が空いたのでこんな駄文を書いております。
 と申しますのは——ネットで受診予約ができるのですが、待ち人数が50人を超えていたため。
 ついこの間までは、予約などいれなくてもすすすっと受診できたのに;; 一気に混みましたわ今日は。………先生はご無事だろうか;;

 風邪が流行ってきたのか、インフルエンザの予防接種が始まっているからか。
「待ち人数、50人?!」
 と思わず目を剥き、やめようかと思ったけどそういうわけにもいかず。(^^;)

 ひとまず駄文を書き、掃除をすませ、買い物をしながら病院へ行けばなんとかなるかなと思っているところです。
 しかし50人というのはいままで経験がないなあ……。やはり風邪が流行っているのか。

 皆様もどうぞ体調にはお気をつけて。
 ………気をつけていてもやられるときはやられますけどね。(^^;) 風邪というのはようは疲れなんで。
 まあ、不養生はしないように、ってことで。

      ●

 満を持して(なのか?)リリースされたWindows8。
 かつての超絶・殿様商売のマイクロソフト社(以下MS)からは想像もつかないような、「親しみやすい価格」だったので、私としてはそれがまず、印象的でした。
 殿様商売なんてそんな可愛いもんじゃねえよというくらい、可愛げのない商売していた、あのMSがねえ……。ふーん。へーえ。世の中変われば変わるもんだ(←半分くらいイヤミ)。

 私はWindowsはあくまで仕事用で、仕事ではなんでこれが必要かというと、ようは取引先とのやりとりをしているから。データのやりとりには独自に構築されたシステムを使うので、新しいOSが出ても、システムをいきなり新しいものにできるわけもないから、ま、当分は旧来どおりです。
 中小企業をあんまり泣かせてくれるな、というのはありますね。(^^;)
 新しいOSが出たからってそうホイホイのっていけるわけないでしょ。

 とはいえ——XPはだいぶ粘りましたね。Vistaは事実上無視されたというか飛ばされたというか、システム対応はXPからいきなり「7」になったようなもんです。この「8」はどうなりますかね。(^^;)

 私個人はけっこう「7」には満足しております。
 XPすら、私には辛かったですが、世間の評判とは異なり、私は意外とVistaは扱いやすく感じたし、7はかなり洗練されて使いやすくなったと感じております。
 なので、あえて8を欲しがる理由もなくて……。

 なんにしても、8をインストールすれば、「うちのPCもタッチパネルになる」と思っていたという方々のニュースには、すみません、ちょっと笑ってしまいました。
 いや、がっかりしている方にとっては笑いごとではないですよね;; すみません;;

ああ勘違い、「報道が悪い」の声も Windows 8入れてもタッチパネルに「変身」しません
2012/10/26 18:37 J-CASTモノウォッチ
http://www.j-cast.com/mono/2012/10/26151632.html

 気持ちはすごくよくわかるのですが、タッチパネルというのは、ちゃんとハードウェアとしてタッチパネルになっていないとならないので——液晶ディスプレイが、ソフトを書き換えれば簡単にタッチパネルになるようだったら、そりゃあいいだろうなーと思いました。

       ●

 この件に関してはもう私としては特段のコメントはありませんが、しっかしまー、なんなんですかねこのエラッソウな態度。シナのことですが。

中国“深刻な局面 日本側が努力を”
10月26日 21時47分 NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121026/k10013051821000.html

 なんだか、日本は冷静に、みたいなことをいう人が内外にいますが、日本はハナっから冷静です。ていうか、いままでの流れを一覧表にしてみればわかることですが、日本はなんにもしてませんよ。
 私個人としては、印象深かったのは、仇敵であるはずの中共のお先棒をかついだ台湾漁船でしょうか。
 あの漁船、台湾の漁船のはずなのに、掲げていたのは五星紅旗でしたもんね。どうなんですかね、あれって、台湾人(本省人)にとっては。

 都知事が尖閣諸島を買い上げるというようなことを言い出したそもそもだって、シナが勝手なことをいって喧嘩を売ってきたのが理由ですからねー。
 基本、日本はなにもしてません。一方的に喧嘩を売られているだけ。なのに、おとなしく殴られてばかりいるほうに向かって、冷静に、ってどういう意味よ。これ以上冷静になりようがないでしょうよ。それともさらに殴られて殴り殺されていろというのかね。(共産党あたりは言いそうだな)
 冷静になるべきなのは、拳をふりあげてわあわあ騒いでいるほうでしょうが。

 まったく世の中わけがわかりませんわ。石が流れて木の葉が沈むとはこのことですね。

 
関連記事

死を語る

 為末大さんのツイートがやはり面白いのですが、中途半端な知識や、「そりゃ屁理屈だよ」というものでもって、酔っぱらいみたいに絡んでくる人があいかわらずいる、ということに「またかよ」と独り言した昨日でした。(^^;)

 ……為末さん、ホントに、よくこういうのに付き合うなあ、と、腹の底から感心します。こういう、なんかヘンなことを、意味不明につんけんしながら突っかかってくる人をあしらっていくことも修行、訓練、という感じでいらっしゃるようですが。

 仏教の「無記」というのを中途半端に引き合いに出している人には、
「あー。その無記ってのはそういうことじゃないから」
 と思ってツイートをクリックしたら、ちゃんとそのへん、註を入れている方がいらっしゃいまして、「さすが」と思いました。
 こういうことは誰かがきっちり、指摘してくれるものだな、と思います。

 これは私がひそかにひとつの「法則」として認識しているものですが、
「自分が思ったことの大半は、誰かがどこかで話している」
 ので、自意識過剰になり、自分こそがこれをいわなければ、と思う必要はない、と思っております。
 で、たまに、なぜかちっともこういうご意見を見かけないぞと思うと、この日記でこそこそつぶやいております。(^^;)

 ところで「死という『デッドライン』(これを〆切、と訳すとひじょーに親近感が増すと同時に、切迫感を強く感じるのはなぜだろう;;)があるからこそ、いらぬものを手放し、チャレンジする気にもなれる——という主旨の、一連の為末さんのツイートには、ホントにそうだなーと思いながら拝読。




 これはまったくそのとおりだと思いますね。
 そしてまた、




 為末さんの一言が、ああ本当にそうだろうなと思いましたです。「志半ばではない人生なんてあるのか」という。

 もちろん、自分の人生におおむね満足して、よかったよかった楽しい人生だったと思いながら、天寿を全うし大往生するのが理想ですが、それができる人はどれほどいるやら。

 最近、名だたる芸術家——作家、俳優、映画監督、といった人の訃報にせっすることが多かった気がするのですが、そういうなかであれこれお話をうかがっていると——日本人の平均寿命をこえて長生きなさって、ほぼ、最後まで現役を通した方ですら、「まだやりたいことがあった」というのが、わかりました。

 ご高齢であってもなお、構想を練り、取材を精力的に重ね、肉体を鍛えることをつづけていらした。
 人はほんとうに息絶える瞬間まで、そうやって、生きていようとするものなんだなと思いましたです。

 葛飾北斎も100まで生きられたら本物の絵が描けそうな気がする、といって、89歳で亡くなっていますが、89歳だって当時としたら驚異的な長命。でも、北斎自身は100歳という「未来」を見ていたんだなと思うとき。
 人の、生きようとする意志は——あるいは「欲望」は、ほんとうは、これで終わり、これで満足、ということはないんじゃないだろうか。

 で、じゃあ、志半ばでこの世とおさらばすると、必ず「不満足」か、というと、それも違うような気がする。
 足るを知る、ではありませんが、結局、満足というのは、自分で自分を認める、受け入れる、ということじゃないでしょうかね。

 仮に志半ばで死んだとしても、うん、よく頑張ったよな自分、と思うことは可能だ——という気がするんですよね最近。
 いつどこで自分のこの命がぶったぎられても、「うん。頑張った」と自分を認め、褒めて、満足することはできる気がする。

 結果結果というけれど、本当の意味での結果は、「棺をおおいて事、定まる」てことじゃないかしらん。
 どうも「死」というものをネガティブなものにとらえ、「タブー」にしてしまうというのが、現代人の病んだところかもしれない。

 死は、残されたものにとってはものすごい「絶対」の「現実」で、あまりに苛酷で冷酷なものに見えるかもしれないけれども、自分自身が死に行くものであるということを、じーっくり考えると、死、というのは、さほど他人行儀(?)な、冷たい、恐ろしいものではない、という感覚も出てくるんですよね。

 私はだらしがない人間なので、死というもの自体には恐れは(そんなには)ないんだけれど、死ぬまでの、この世における段取りが、しんどそうでイヤだなあ、と思っております;;
 たいていの人間は病気してから死にますからねえ。「ピンピンころり」が理想であるのは、死にいたるまでの面倒なあれこれを飛び越えて、すっと「新しい世界」へ行けるからでしょうね。

 ところで、死ぬなんて不吉な、ネガティブな、あるいは物騒な? ことをいうな、といわんばかりのコメントを拝見して、うーん、と思ったのは、
「現代人にとっては死(を語ること)は、タブーになったんだなあ」
 ということ。

 もうひとつ思ったのは、——以前よりはだいぶよくなったとはいえ、依然として自殺願望をひきずっている人間(私です;;)との、捉え方が違うということでした。




 そう、これ! これが違うんだよね! と思いました。

 私の場合は、死、というリミットがあるんだから(いい意味で)肩の力を抜いて思い切っていこう! というふうには、ならないんです;;
 どうせいつかは終わるんだもの、いま終わらせたっていいじゃんか、となる。

 よーするに、なにかをしよう、という意欲が、最初からほぼゼロになってるんですね。やる気がない、という状態。
 アパシー。単にやる気がない、というより、正直いうと生きることも死ぬこともどーでもいい、というくらいの、「虚無」。
 
 こういう人間はリミットがあるんだから——よかろうが悪かろうがこの状態はいつまでもつづかないのだから、思い切っていこう、などとは思わない。思えない。

 アパシーの状態というのも、案外苦しいものでして。空虚なままでいる、というのは、なぜなのでしょうか、苦しいんですよね。なぜ苦しいと感じるのかは冷静になって考えるとちと不思議なんですが。

 虚無が本物であるなら、虚無のままにぼーっとしていればいいだけのこと。それなのに苦しいと感じるのはなぜか。苦しいと感じるなにものかがあるからだ。そのなにものかは虚無にはなっていない、虚無になっていることを苦しいと感じる以上、それはほんとうの虚無ではないのだ。
 ——と、最近そこまでは考えついたんですが、まだちゃんと煮詰まってません。(^^ゞ

 なんにしても、この世にこうしている自分というもの、生きていく自分というものを肯定できたら、死というものはポジティブな動機付けになる。為末さんがおっしゃるように。
 そう考えれば、死というのはネガティブなものではないというのは、わかります。

 しかし、自分が自分として存在していることが許せない、受け入れられない、認められない人間には生きる気力がそもそもないので、死というものが、ポジティブなものではなくて「手っ取り早く苦しさから逃げ出す」逃げ場のように見えてくる。

 死というものは同じでも、意味がまるっきり違ってしまう。

 もう自殺願望が目の前をちらちらしている人間には、死によってすべてが終わる、というのは、積極的なリミットというより、救いに見えてしまう。(じっさいには救いではなくただの逃げなんですが)

 こういう、なにかっつーと逃げていこうとする人間には、あんまり死というものについては話さないほうがいいのでは、という危惧も、まあそれなりに、理解はできます私の場合;;
 死ぬことばかり考えているとき、「じゃあ、死んだつもりで生きてりゃいいじゃん」という言葉に触れて、はっとしましたねえ。

 死んだつもりになればなにも怖いものもあるまい。であるにもかかわらず、そうは思わない、あくまで、生きるよりも死ぬことにばかりフォーカスしているのは、それはやはり「逃げ」なんだろう——と思った次第です。
 ですんで、やっぱり、死を語ることをタブー視する必要はないと思いますね。たとえ自殺願望者に対してであっても。

 状況や環境、条件は同じなのに、ポジに動くかネガに動くかは、結局はその人自身の心がどちらを向いているかで変わる。それをあらためて感じます。
 で、ちょっとほっこりしたのはこちらのツイート。




 ——終局。
 そうなんだ、というのか、そうだといいな、というのか。
 とにかくなんだか、ほっこりしました。(^-^)

 
関連記事

キンドルが来ます

 いよいよ来ましたねえ、キンドル。(←え。そっち?)
 iPad mini も発表されまして、「ああそうそう、大きさはこんなもんでいいな」と思ったので、これはこれで、もちろんチェックです。

 キンドルファイアのほうはいいや。ネットをしたいならiPadのほうを考えるから。私は。
 キンドルにはあくまでも「電子書籍」を期待するてことで。
 液晶画面の見辛さをひそかに憎んでいる私としては「Eインク」を楽しみにしております。
 本当に明るい屋外でもきっちり文字は見えるのかな。そうだったらありがたいな。

Kindle Paperwhite (Wi-Fi)

Kindle Paperwhite 3G
(3Gの回線使用料の負担はなし、というのはありがたいですね)

 この予約ページをみてびっくりしたのは、「充電アダプタ」が別売になっていること。

 聞けば、以前には、黙っていてもUSBケーブルと充電器がついてきたのが、今年の春くらいなんでしょうか、パソコンにつないで充電すればいいじゃんといわんばかりに、充電アダプタが別売になったそうです。アダプタはあくまでも別売オプション!

 ………なんだそりゃ、と思って検索したら、……ああ……、やっぱりありますね、USBで、うまくパソコンから充電できないというトラブルが。
 キンドル3を、たぶん、アメリカのAmazonさんで買った人の苦労話を見つけてしまった;;
 不具合なのかなんなのか。これ、本体を交換してもらうようにしたのはいいが、交換のために本体を送るのに、死ぬほど苦労した(送り先は海の向こうなんで、税関とか…;;)ごようすで。
 こういう話を聞くとちょっと引くなー。(^^;)
 ま、今回のキンドル発売は大丈夫でしょうけど。いちおう日本国内なんで;;

 なんにしても、充電用のアダプタは最初から素直につけてほしいな;; 結局アダプターを買うとざっと千円上乗せになる。安いなという印象も当然、目減りしますね。(^^;)
 あと、保証延長というオプションも——なんだかんだで付けたくなるだろうなー。
 通常の保証期間は1年ですが……じっさい不具合、不調が発生するのは使用開始後1年後からなんですよね。本当に保証する気があるなら最初から3年くらいにしていてほしいなー。
 そういえば昔は、ソ●ータイマーなんて言葉がありましたが、現在はもうそういうことはない……ですよね? ●ニーさん。ね?

 iPad mini のほうは。
 こちらは、auさんの料金プランがどうなるというのを見ないとならんし——iPhone5だったらテザリングというのもあるでしょうが、私は4Sを買ったばかりなんで——だとしても、テザリングの料金との比較もあるし——、iPad mini のほうは、まだこれからってところですね。

 ようは、キンドルでいいのか、iPadが欲しいのか、というのはネットをやりたいのかどうなのか、って話なんですね。(ひとまず私にとっては)

 出かけた先でネットを使いたい、というのであれば、今のところは私はiPhoneで間に合ってますし、家にいるなら当然パソコンだし——さて、iPad mini 、私にはどこまで「必要」ということになるか。そして必要経費としてはみあうものになるのか。
 当分はそのへんを検討していくので、購入するとしてもまだまだ時間がかかりそう。
 操作性はそりゃもう、正直言って、キンドルよりはiPadだろうと思っていますが。(^^;)

 電子書籍に関しては、「本を買うほどではないが、ちょっと読んでみたい本」「時事問題に関係する書籍で、ほとんど『読み捨て』になるような本」「雑誌」を、電子書籍で読むというのを期待しています。

 いまの政治や経済に関する本というのも読みたいことは読みたいが、3ヶ月もすれば内容が陳腐化するのがわかっているとちょっと手が出ない、ということがけっこうあるものですから——電子書籍で読めればそのあたりは、ありがたいですね。
 読んだあと、処分するには困らない、というのは気楽でいいですね。

 大事な本、もう何度でも読み直したい本は、従来どおり、「紙の本」で読む。これは譲れない。
 結局、読書家ではなく「愛書家」の傾向がある人というのは、本という「物体そのもの」を愛しているのです。これは、便利がどうとかって問題じゃないですね。

 ……本屋にいってあの大量の紙とインクの匂いを嗅ぐと便秘が治る(←ホントです)というのはいまも継続中だし。
 あれは不思議ですね。図書館でもいいんですが、やはりあの、真新しい紙とインクの匂いのほうが効果は高い。
 アロマ効果………といえるのかどうか……(悩)

 
 
関連記事

たまには地元宣伝

 くだらないことで怒っているうちに、すっかり出遅れてしまいましたが、ともあれ。
 第7回B−1グランプリ、金賞受賞おめでとうございます〜。八戸せんべい汁!!

 地元富士宮焼きそば、三島コロッケ、いずれもおいしいけど、個人的にいちばんのお薦めなのが、八戸せんべい汁だったので、今回の金賞受賞は本気で嬉しいです。
 おめでとうございます〜! o(*^▽^*)o

B―1初制覇 喜びに沸く八戸
2012年10月23日 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/aomori/news/20121022-OYT8T01718.htm

 ……B−1グランプリのために新たに開発されるメニューもいいのですが、それ以前から、その地元で愛されてきた味というものに、やはりまずは心惹かれるものですので。

八戸せんべい汁研究会
http://www.senbei-jiru.com/index.html

 個人的には、ヘルシーで美味しくてあったまる! という八戸せんべい汁、「なんでこれが金賞とれないの」と嘆いていたもんですから。
 こういうイベントで有名になる以前に、もうかれこれ20年ほども以前ですが、青森出身の先輩にごちそうになった記憶がありまして、あれ、美味しかったなあ、といまだに「おいしかった記憶」を反芻していたりして。(^^ゞ

 とはいえ、私は猫舌なので、器によそってもらうと、しばらくはじーっと、冷めるのを待っているのですけども。
 その姿はおあずけをされている犬のようだと言われたこともある………ほっとけ;;

 じつのところ、あのたっぷりした出汁といい、お野菜たくさんの食べごたえといい、……じつはこれ、記憶が薄れているけどあのせんべいの食感も美味しかったという記憶もあり、
「安くて食べごたえがあってでも低カロリー低脂肪で、おいしくて、しかも体があったまる、って、もう、最高じゃないですか!!」
 と、誰も聞いてないのにひとりで力説しておりまして。

 八戸せんべい汁は、過去、かなりいい線までいっていたのに、なかなか金賞とまではいかなくて、「脂ぎった食べものが好まれる世の中だから、この、体にやさしい、本当の美味というものは理解されないのだろうか」などと思っていたのでしたが。

 いやー。よかったよかった。(^-^)
 最初にニュースで聞いたときは「やったー!」と叫んでおりました。
 ………完全に部外者のくせに。(^^;)

 ところで、私ももちろん静岡のあれこれはそれぞれに美味しいと思っておりますが……でも、なんだかまたメニューが増えてるんですね。
 富士宮焼きそばはもう言わずもがなとして……、三島コロッケ、裾野水ギョーザ、西伊豆塩鰹(しおかつお)うどん、静岡おでん(静岡は、『しぞーか』と発音する……らしい)、たまごふわふわ(袋井市)、浜松餃子、……でいいのかな。まだありますかね。

 B−1グランプリに参加しているかどうかはわかりませんが、ともあれ静岡県のご当地もの、まだ他にも……ありますね。
 波乗りバーガー(御前崎)、つけナポリタン(富士市吉原)、清水もつカレー、遠州焼き(浜松)、磐田おもろカレー。
 おもろカレーは豚足だそうです……。なるほど、そらちょっと珍しい。

 袋井の「たまごふわふわ」がこのなかでは一番の古株かな?
 西伊豆のしおかつおも古くからの伝統食ですが、いままではあんまり宣伝もされませんでしたね。
 たまごふわふわは、東海道は袋井宿で、わりとハイソな方々に饗されたものだったらしい。当時は卵は貴重だっただろうからなー。

 たまごふわふわは一度は失われた、まぼろしのメニューでしたが、文献をもとに復元されて、ただいま、B−1グランプリにも参戦中ということですね。

 にしてもB−1もたいしたもんだ。第1回、八戸大会では参加団体数わずかに10団体だったのが、今回の第7回、北九州大会では63団体、来場者数は2日間で61万人と聞きましたが……いやこれはすごい;; コミケの来場者が3日間で50万人くらいと聞きますから……2日間で61万人となると………うわあ、そりゃすごい(←判断基準がコミケ;;)。

 これほど食べることに執念を燃やし、楽しむ国というのもそうはない気がしますね。(^^;)

 ともあれ、第1回からまだ10回もやってない、ということを思うと、この盛り上がりはすごいと思いますね。

 60以上の参加団体があっての金賞はすごい。(^-^)

 個人的には、さすがに、早い安い旨いを求めるB級グルメということで、正直言って、ちょっと健康的とはいいがたいメニューが多いなというのが残念——というのは胃弱人間の情けない感想と思っていただいてけっこうなんですが。(^^;)

 ホント、テレビで見ていても、胃弱の私は、「うわあ。脂肪と炭水化物のカタマリだあ…」と思わず引いてしまうメニューがありますが、そういうなかでは、八戸せんべい汁は、そりゃもう抜群です!

 あらためて、金賞受賞、よかったなあ、と思っております。(^^)

 が、眺めて見るとホント、B−1グランプリ参加のメニュー、どれも美味しそうですよねえ……。ああ、私も、脂肪を分解する酵素(リパーゼ)が山盛りあればなー……。消化不良に苦しむことがないなら私だってあれこれいただきたいやい。
 なんにしてもこのB−1、ご当地メニューは、いずれも、地元愛にあふれているところも、いいもんですよね。(^-^)
 伝統の庶民の味もよし、新たに開発されるメニューもよし。

 なんかもう、皆さん金賞もらっちゃえ! と思います。(^-^)
 
関連記事

一隅を照らす

 昔から、こういう事件が起こるとかならずこういうことを言う人がいる。
 興味深いのは、この種の発言をするのは男女を問わず、ということですね。(比率としては男性の方が多いでしょうが、女性には少ないということも、実は、ない)

田母神氏、ツイッターの発言に批判殺到、炎上状態に
http://news.livedoor.com/article/detail/7068285/

 強姦事件が起こると必ず、なぜか、被害者を責める発言をする人がいます。
 放火事件の被害者には「その家に住んでいる方が悪い」「火を掛けられるような場所にいるほうが悪い」とは言わないくせに。

 私にはこれがどーーーーーーしても理解できない。
 というのは、被害者に落ち度があったかなかったかは、この問題——犯罪発生事由には関係ないからです。

 この種の発言をすることによって、決して許されない犯罪は、なぜ許されないかという論点がボケてしまう。
 被害者にとってのみならず、社会全体にとって、それがよいことのわけはありません。

 社会においてなにが許されないのか、の、線引きをしておくことが、社会の安定その維持のためには不可欠なのに、この種の「被害者が悪い」という発言には、その線引きを崩壊させる破壊力がある。

 この種の発言がセカンドレイプといって非難される理由はそこにある、と考えています。

 が、しかし、この手の発言をする人は後を絶たないということが、私には不思議でなりません。

 興味深いと思うのは、このセカンドレイプをするのが男性とは限らないこと。
 男女差別は、じつは、女が女を男女差別するほうがタチが悪い、というのが私の持論なのですが、これも同様なんですよね。

 ………世の中ってほんとわからない;;

 ちなみに田母神氏は今回の事件の発生時刻を問題視しているようですが、以前、九州地方で連続レイプ事件がおきたときは、朝の通勤時間帯でした。
 朝6〜7時という通勤時間帯は当然、多くの人が出勤していきます。そこを狙った犯行だったわけですね。
 この手の議論は全く空しいので私も言いたくありません。………だから、そういう議論の本質を変質させる、論点をボケさせる、「被害者が悪い」という「犯罪者の発想」をやめたらどうですか、ということなんですけど。

 この手の発言をする人が、脳内では具体的にどういうことを前提にし、どういう精神状態にいるのか、さすがに私にも想像がつきません。
 簡単に言うと、
「なんでこういう馬鹿なことを、しかも真顔で言えんの?」

 誰か、こういうことをいっちゃう人で、そういう自分を自己分析した、論理的な文章を書いた人って、いませんかね。(^^;)
 私にもわかるように、こういう馬鹿を言う人がどんな前提を持っているのか、虚勢も自己欺瞞もなしに、公正に、ご説明願いたい。マジで。
 
 でも、ここで本当にそういう公正さを発揮できる人なら、ハナっからこんな馬鹿なことは言わないわけですから——私のこの要求も、かなり矛盾したものになりますね;;

 私の考えはこうです——「犯罪は犯罪であり、いっさいのいいわけは成立しない。たとえば、痴漢被害にあう女性に向かって、ミニスカートなんかはいているほうが悪いという人がいるとすると、その人は、ミニスカート姿の女性をまえにしても痴漢などと愚かなことをしない、世の中の大多数の男性諸氏にたいし、おまえら皆まとめて無条件で犯罪者と見なすぞ、という、たいへんな侮辱発言をしているのだが、なぜ、そういうことに自分で気がつくことができないのだろうか」。

 1995年の事件のとき、私がいちばん印象深く覚えているのは、加害者の妻という人たちの、記者会見での発言でした。

 加害者の妻というひとが、平気でひとまえに出てくるという神経自体が私には驚きだったのですが、ともあれ、そのうちの一人はこう言いました。
「これは人種差別だ」

 つまり、加害者をレイプ事件の加害者だと告発することが、人種差別だと言うのです。
 その女性は、黒人女性でした。
 私は犯人たちの人種構成は聞いていなかったけれど、この女性の夫も黒人なのだろうかと思いました。(じっさいどうだったのかはいまだに存じません)

 人種差別だと言いさえすれば、まさに黒も白になると、この女性は信じているのだろうか。
 彼女のこの発言を聞いたとき、——人種差別をしているのは、あんたのほうじゃないか。と私は思いました。

 キイロの女など——たとえそれがまだ子供という年齢であろうと——レイプされようが殺されようが、なんの問題もない、と、思っているのがあんたとその亭主じゃないのか。だからあんたの亭主はこんな犯罪を犯し、あんたは平然と、人種差別だなどと、話の論点を完全にすりかえることを言っているんじゃないのか。
(並の神経だったら、テメエの亭主がこんな事件を起こしたら、恥ずかしくて人前になんか出られない)

 田母神さんの発言も、あのときの黒人女性の発言と同じです。
 問題の本質をボケさせる——なにが問題なのかという論点をすり替えるものだ、という意味で。

 じつは私はいまだに、あのときの、犯人の妻という女性の発言には怒っているのですが、今回の田母神さんのような発言は、あのときの怒りを、さらに増幅してくれる働きがあるんですよねえ。(^^;)

 ひとつにはもちろん、セカンドレイプである、ということへの怒り。
 もうひとつは、「被害者が悪い」という発言、発想は、社会の秩序をおびやかすものだ、ということへの、市民としての怒り。
犯罪者の論理を優先させられたら、そりゃ一般市民としては脅威に感じますよ)

 さらに、そういうことを自覚せず、自分が正義であるかのようにふるまっている、その偽善への怒り。

 なにかあるとすぐに他人のせいにする——しかも、はっきりと、立場の弱い人を狙って責めるという、卑怯卑劣愚劣にして愚昧な精神というのは、本当に、どこからくるのか。
 立場の弱い人を選んでターゲットにする。これは犯罪者の論理そのものです。
 であるにも関わらず、自分は正義漢ヅラ。
 これが私には不思議でなりません。

 このへんはいくら考えても私には想像もできない。——これはある意味、ありがたいことです。私にはそういう犯罪者になる要素が少ないんだなとわかりますから。
(犯罪者の肩を持ち、犯罪者の論理を理解し、かつ、その論理を支持するということは、畢竟その人も犯罪者だということです。犯罪をすでに実行したか、これから実行するかの違いでしかない)

 弱きを助け、強きをくじく、という言葉がありますが、この人たちは、立場の弱い人をこそ狙い撃ちして責めるのですから、もう、話になりません。

 たぶん、台湾でおきた事件のニュース↓を聞いて「自業自得」と喜ぶ人は、田母神さんと同じ精神の——つまり犯罪者の精神の——持ち主でしょうね。

【台湾】レイプ犯、刑務所でレイプ被害に
http://news.mynavi.jp/c_cobs/news/terrafor/2012/10/post-3500.html

 私はこの刑務所での卑劣な犯行とその深刻な被害を喜ぶ気にはなれません。犯罪は犯罪。この判断ができないなら、それもやっぱりセカンドレイプになりますね。
 公正という言葉の意味、公正であることを目指す意義は、そんなに理解し難いものなんですかねえ。
 私情を交えず是非を判断するという意味が、なぜこれほどに理解されないのか、私にはそこがわからない。

 だからこういう話題には、私もあんまり触れないようにしております——可能な限り。
 むなしいことになるばかりですから。

 それでもどうも今回ばかりは、堪忍袋の緒が切れた………いえ、もとから大して丈夫ではない、つねに劣化気味の緒なので、すぐにぶっちぎれるんですけども;; ならぬ堪忍するが堪忍というのに、と思うと、やはり恥ずかしいですが;;(^^;)

 本当に立派な人物は、弱い立場にいる人のことを考えてあげられるものなんでしょうにね。
 そう思うと、ただただ、情けない。

 といって、なにかっつーと「弱者の味方」を演じる左巻きも、結局はその弱者を食い物にするわけですから……どうもねえ。

 ああ。またしても、「傷だらけの人生」を歌うしかないのか。(^^;)

・「傷だらけの人生」(歌ネット)
http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=21013
 
 田母神さんと、彼と同意見だという方々には、衷心より謹んで、この歌のフレーズを捧げたいです。1番のほうを念入りに。
 世の中をこれ以上真っ暗にしないように願いたいもんですわ。
 一隅を照らすという心意気がなくて、どうして人が「人間」足り得るだろう。

 一隅を照らすことができないなら、せめてブラックホール化するのはやめれ。
 せめてそれくらいは願いたいもんですよ、まともな市民でいたいなら。

 
 
関連記事

ヒーローなりきり症候群

 しかしどーしてこう、「坂本龍馬」を気取る男というのは、小粒なヤツばっかりなんだろう。
 と思ってしまった、橋下さん関連のお話でした。(^^;)

 週刊朝日が部落差別という愚行をしようとした、この件についての異議申し立ては橋下さんの主張のとおりになり、いちどはツイッターで「ノーサイド」と言っておきながら、またしても、あとからぐずぐずぐずぐずぐずと、ツイッターで、しかもじつに聞き苦しい言葉遣い(いつものことですが)で罵倒を続けるというあたり。

橋下市長、週刊朝日問題で「謝っても済まない話ある」 説明次第では「また戦う」
2012/10/21 17:02 J-CAST
http://www.j-cast.com/2012/10/21150808.html

 あれですね、自分でも冷静に対処しよう、と思うのでしょうが、じつのところは全然ノーサイドだなんて思ってはいなくて、しばらく経つと、またあれやこれやを思い出してあらためて腹が立ってきて、しかもその怒りを制御できないんですね。
 こういう人いますよねえ。………もういいのかと思うのに、あとからまるで牛の胃袋のようになんどでも反芻してくる人。(^^;)
 さっきまで黙って座っていたと思ったら、いきなりぷんすか怒り出して、なんのことかとびっくりしてよくよく話を聞いていると、もうとうに終わったはずのことを、ひとりで勝手に思い出してひとりで勝手に怒ってる、というの。

 迷惑ですよね周囲にとっては;;

 こういう人に「維新八策」などと、坂本龍馬の「船中八策」をパクったネーミングされたのかと思うと、坂本龍馬のファンとしては腹がたってきますわ。龍馬さんが汚された感じ。

 とはいえ——過去にも政治家のなかに坂本龍馬を気取った発言をする人というのは少なくない人数いたのですが、いずれもお話にならないレベルなので、うーん、と思ってしまいます。

 坂本龍馬を尊敬するというあたりまではいいのですが、それで自分が龍馬になった気分になったり、名称をパクってみたりというのは、どうも子供の「ごっこ」遊びのような………。
 ……はっ。
 もしやこれが、いわゆる「中2病」なのでしょうか?

 中2病という言葉はときどき耳にするのですが、いまいち意味が把握できませんで。(^^ゞ
 なんとなく言いたいことはわかるような……わからんような……。
 まだ成長の途中にある自我意識の、一時的な暴走が起こりやすい年齢なので、そのへんからきているのかな、と、漠然と思ってきたのですが。
 ………違う? (^^;)
 違うようでしたらごめんなさい;;

 なんにしても、この非寛容ぶり、「公人」とは思えない品性の下劣さ(市井の人というなら問題ないが)、なによりも——先日鹿児島で行ったという街頭演説をニュースでちらりと拝見しましたが、
「政策なんか問題ではない」
 といった——政策なんか大したことじゃない、だったかな? ともあれ、そんな主旨の発言がいきなり耳に飛び込んできて「はあ?!」でした。
 大切なのは政策よりも「体制を壊すこと」、と。

 壊すだけなら馬鹿でもできる。現政権をご覧なさいまし。

 坂本龍馬は徳川幕府による幕藩体制を壊したが、その後どうするかという青写真をきちんと描いたのみならず、結局それで飯の食い上げになる武士たちをどうするかということまで、きっちり考えていましたよ。蝦夷地開拓がいいか悪いかはともかくも。

 壊すことしか考えてないのと、やりたいことがあるから、不必要になったものは片づけようとするのとでは全然意味が違う。

 と思うので、龍馬さんファンの一人としては「維新八策」などとは片腹痛いわ、ということになるのでした。(^^;)

 …………これ、まったくの余談ですが、龍馬さんの場合、じつは、大政奉還で天皇に政治上の権限をお返しするというのもじつは「一時的な方便」で、最終的には天皇制そのものをなくすことを、考えていたのではないか、という節がある。…ように感じます。
 私は龍馬さんのファンですけれどもちょっと不穏に感じます。(^^;)
 新政府が樹立後は政治には関わらない、「世界の海援隊でもやりますかの」と言っていたそうですから、そこまでの「日本改造」を考えていたとも、ちょっと思えませんけれど。
 たまに、彼の言葉や思考をトレースしているとき、ふっと引っかかりを感じることがありまして、それが、そのへんのことです。

 平等な市民社会。
 ——土佐藩という、他とはまた違う、身分による苛烈な差別事情を生きていた龍馬さんには、それが天国のように美しいものに思えたとしても、私は不思議だとは思いません。が。
 ただ、天皇制に手を出すのはマズイ。(^^;)

 ま、このへんは私の妄想です妄想;; 

      ●

 またへんなことを思い出したのでちょこっと。

 学生時代の友人、TMちゃんは、スレンダーにしてブラジャーのサイズはFカップでした。
 寄せてあげるのではない、通常のブラでそのサイズですからねえ。

 私は彼女がそこまで胸が豊かだということに(鈍いので)なかなか気がつきませんでした。というのは、彼女は、胸を隠すような服装ばかりしていたからです。

 しかし男というのはエライもんで、ぼーっとしている私など気がつかないほどの服装ごしでも、露骨に彼女の胸を注視していく。
 このストレス、恐怖による、TMちゃんの疲労というのは、男どもには理解できますまいな。

 私どもはしみじみ、彼女には同情していたものでございますが——しかしある日、TMちゃんがなにげなく洩らした愚痴は興味深いものでした。

「なんで男の人って、胸が大きい=馬鹿、っていうイメージがあるんだろう」

 よーするに、巨乳美女=おつむがヨワイ女、というイメージがある——たとえ本人無自覚であろうと——ということですね。(経済学部で成績ではSをとりまくっている人が馬鹿なわけはないのに)
 
 若かった私もまた、直感勝負で生きているところが今よりも剥き出しでした。
 TMちゃんのその嘆きを聞いたとき、即座に、

「そりゃ、そのほうが(男には)都合がいいからでしょ」

 一瞬その場は凍り付き、しかし、集まっていた女子連は、「そうか〜〜〜」と、ミョーにナットクしてしまいました;;
 私としては、ほとんど何も考えず、反射のように口をついた出た言葉だったので、そうも納得されるとかえってびっくりだったりして。

 ……なんてことがあったっけな、と、ちょっと思い出しました。(^^;)

 世の中すべての男性が巨乳好きということではない、とは、さすがに承知しておりますが、たしかに、巨乳=おつむがヨワイ、というイメージ、持ってる人いるよなあ、と思うことがたびたびあったりして。
 しかもそのへん、男性本人はほとんど意識していない、気がついていない、というあたりが、もうね。(^^;)

 外見は可愛くておっぱい大きくてしかも馬鹿っぽい女がいい、というのは。
 本当にそれがいいと思われているというより、そういう「共同幻想」が、少なくとも日本の社会においてはあるように思います。

 ………こんな話題でこんなふうに「共同幻想」なんて言葉を出してすみません;;
(出典は吉本隆明さんです。………ホント、すみません;; 便宜上ちょこっと言葉をお借りしたということでご容赦ください;;)

     ●

 10月18日のイカロスブログ。とうとう「心眼」ではなく「神眼」になってる……(笑)

 
関連記事

マウリッツハイス美術館展

03.jpg

 ということで、18日金曜日〜土曜日で、神戸市立博物館、「マウリッツハイス美術館展」をみにいってきました。

 さきに東京都美術館で開催されていたのは知っていましたが、東京ではもうたとえ平日に行ったとしてもたいへんなことになるのではと尻込みしておりまして。
 絵を見るより人を見に行ったようだ、というのが大キライ、というより、あとでげっそりくるので体力的に避けたい事態だし。
 
 などといっているうちに期間は終了。やっぱり残念だったかなと思っていたら神戸であるという! やった!
 と食いついたという次第。

 今回の神戸行きはそんなわけで、本当にこの展示会を見に行っただけで、観光も何もせず、おみやげすらろくに買わずに帰ってきてしまいました。(^^ゞ
 というのは、折悪しく、ちょうど出かけた金曜日から、私の持病である扁桃腺の化膿が始まってしまったため。

 もう半年以上、ほぼ、なにもなくていい調子だと思ってたので、油断してました。
 今朝、鏡で喉をみたらそりゃもうけっこうなもんです;; あした病院へ行ってきます;;
 冗談抜きで3回忌が終わってからこちら、不整脈から始まって、どうも体調が戻らないですねえ…。

 そんなことはともかく。
 まだホテルから送った荷物が帰ってこないので、図録も手元にないのですが、この図録がまた、すばらしく立派!! そして重い!!
 2,000円というお値段ですが、装幀と、ほぼ全ページフルカラー印刷ということを考えるとお高いものではないように思います。

 今回はたとえば「フェルメール展」というような、一人の作家の作品ということではなく、オランダにありますマウリッツハイス美術館の収蔵品をあれこれ展示するというもの。

 ゆえに、あの有名なフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」のみならず、いろんな画家の作品が見られるわけで、これもなかなか面白いです。
 レンブラントの作品も数点ありましたが——やはりあの、本当に自分の目の前に光がさしているかのようなあの陰影、光の描写は、ナマだと見応えありますね。

 待ち時間なしで入れたとはいえ、やはりけっこうな混雑なのであんまりじっくり、絵の前に居座ることはできませんでしたが、人が少なければ、もっと張り付いて見ていたかったな。(^^;)

 ところで「真珠の耳飾りの少女」ですが、これ、昔——中学とか高校のころだと思いますがあのころは「青いターバンの少女」とか「青いターバンを巻いた少女」とか、呼ばれていたと思います。
 それがいつから、現在のような呼び名に変わったのか、どうも記憶が;;

 以前には「真珠の耳飾り」より「青いターバン」のほうが目に入っていたのかな。真珠の光沢も素晴らしい表現だし、ターバンのあの青は、ウルトラマリン——ラピスラズリという天然石を材料にした絵の具で、ひじょーに贅沢なものなんですね。それゆえに、最初は、あちらのほうが注目を浴びていたのかも。

 この真珠の耳飾りの少女だけは、特別にまるごと1室が割当てられていたのはさすがでした。
 入室したお客さんは、絵の前でじっくり見たい人は列に並び、その行列越しに、遠目でも見られればいいやという人は別の位置から見るように分かれていました。面白い。(^-^)
 これもじつはひそかに日本の発明なんでしょうか、行列を蛇腹状にし、右に行ったり左にいったりしながら進んでいくというあの方式。

 絵に近づいていくあいだにも、人の頭越しにでも絵は見られるので、なかなかのもの。
 で、案外、絵の真正面、近い位置に立つと「あ。もう少し後ろに下がったほうがいいな」と思いますね。まあ、近くで見ても少し離れて見ても、きれいなことには変わりない。(^^;)

 あと、風景画や静物画のコーナーも面白く興味深いものがありました。静物画が基本的に「メメントモリ」世のはかなさ、贅沢、華美の空しさと言った、「説教」要素があるものだとは存じませんでした。
 なるほどなー。道理で、静物画に描かれる食べものが、どれももれなくまずそーなわけだ。と納得。

 果物、パン、肉料理や魚料理といったものがならんでいても、なんかこう色彩が暗くて精彩を欠き、まさしく本物そっくりに精緻に描かれているにもかかわらず、ちっとも旨そうじゃないというのが不思議でしたが。

 その一瞬のはかなさ、つねにそこにある「死」の影、そんなものを説教節的に盛り込んでいるのが静物画の伝統であるなら、うまそうに描かれるわけはないのですね。ナットク。(^^;)

 1時間ほどもかけてじっくり周り、出口のところで音声ガイダンス(500円。今回は利用しました)会場の外へ出ると、売店のコーナーになっています。

 記念に、真珠の耳飾りの少女のボードを買おうかなどとも思いましたが、基本、人物画を飾る趣味がないのでやめました。
 青いターバンを巻いたミッフィーちゃんと、マウリッツハイス美術館ができるレゴにはちょっと心惹かれましたがそれもパスして。

 博物館のティールームでお茶を。(^-^)
 これもひそかな楽しみで♪

 ティールームは、なんとなく異人館風というか、洒落ていてすてきです。使用されるカップなども趣味がいい。
 ケーキセットをいただきながら、さっそく図録をめくっておりました。
 そうしましたら、お会計のとき、お店の人が、「過去30年分の図録がある」と教えてくれたんですね。
 レジの横、ちょっと低い位置になるので目につきにくいのですが、そこにたしかに、ずらりと図録が!!

 気がつかなかった! と残念がりましたら、「またおいでのときに、よかったらご覧になって」と言われました。
 ぜひ。(^-^)

 体調的にはアレでしたが、でも、楽しんでこれた展示会でした。
 
 
関連記事

真珠の耳飾りの少女




おはようございます。
今朝は神戸におります。

神戸市立博物館で開催中の「マウリッツハイス美術館展」をみにきました。(*^_^*)

東京都美術館に引き続き、神戸で開催なのを追いかけて来ました。

平日を狙ってきたんですが、それでもなかなかの混み具合でした。待ち時間はゼロだったので、まともなほうだと思いますが。

今回の展示会の目玉である、フェルメール、真珠の耳飾りの少女はやはりよかったです。が、それ以外の絵画ももちろん素晴らしい。
レンブラントの光はやはりきれい。

写真は図録ですが、……やはり印刷だと全然、印象が違う感じですね。σ(^_^;)

ホテルに着いたらこちらでも展示会にちなんだフラワーアレンジメントがあったり、レストランにも記念のランチコースが用意されていたり。
なかなか気合いが入ってますね。

一番気に入った関連グッズは、ターバンを巻いたミッフィーちゃん。
か、可愛い…。
思わず買って帰りそうになりました。
誘惑(?)を振り切って帰って来たら、ホテルの売店にもそのミッフィーちゃんが…!
これはどうしても買って帰れということか? と思いましたが、そんなわけはない(笑)

といったところで、詳細はまた明日(以降)にでも。

やっぱりいまだに、ケータイでちまちま文章書くのは苦手…。(^_^;)
携帯用折りたたみキーボードを買うべきでしょうか。


関連記事

ネガティブキャンペーン

 私自身は橋下氏を支持することはありませんが、それは政治家の資質や、政策の話です。
 たしかに、これはどうかと思いますねえ——その出自をあげつらうって。

会見詳報(1)「週刊朝日、無知の集団だと思っている」
2012.10.18 17:26
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121018/waf12101817330030-n1.htm

 私もちょっと意地が悪いので、橋下氏には「公人にはプライバシーはないとおっしゃっていましたが、そのお考えはあらたまりましたか」と聞きたくなりますが。(^^;)

 しかしなんにしても、出自をあげつらうことは、「身分社会」の肯定にもなるというのはごもっともです。

 私は橋下さんは思慮に欠け、見識に欠け、品位に欠けているとお見受けしていますが、それはもう、ご本人をみればわかること。
 ある地域や血族の出身であることが、それらの「証明」材料になるとは思わないし、また、そんなもんに証明させる必要もないと思いますね。
 そういう意味で、「人物本位」でいいと思います私も。

 佐野眞一さんはそれなりのノンフィクション作家だと思っていたのですが、孫正義さんの評伝あたりで、どうも「?」という感じになりました。
 出自のお話はそれなりに大事ですし、その人の思想というものを考えるときに無視はできないバックボーンなんですけども、……どうもね。

「あんぽん」あたりも私にはかなり「?」というところが多かったですが、しかしあちらは、取材が徹底しているのでまあなんとか。
 しかし今回の橋下さんについては、人物像を探るという、評伝という枠はこえてしまい、単なる「ネガティブキャンペーン」であることが、かーなり露骨だというところに疑問を覚えます。

 正直言って私個人は、部落差別のお話はよくわかりません。これ、西日本の特色ですよね。
 東日本にも当然そういう差別はあったんでしょうが、なんせ、東日本は、部落どうこうじゃなく、東日本そのものが、西日本から差別されてきたという歴史なので。(^^;)

 私のオーナーは伊豆の国一宮、三嶋大社ですが、こちらの神社に奉仕する神人(じにん)は、江戸時代、浅草弾左衛門(あさくさ・だんざえもん)の配下になってまして——江戸時代以前からすでにつながりはあったのを、あらためて家康さんが免許したという感じですが——、そういう、古くからのつながりがあるせいか、非人(ひにん)というものについて、制度上以上の差別は、うちの地元では感じません。

 昔は、農耕の働き手として牛や馬がいまして、牛や馬が死ぬと、その皮をとって加工する専門の職人も当然いました。彼らが、おそらくは非差別部落というところにいたという話もうっすら聞いておりますが。
(動物の肉や皮に触れるのはケガレになるので、そういう皮革業の職人も卑賤視されたわけですね)
 …………それはそれだけの話なんですよね、うちのほうでは。
 高度経済成長期うまれの私としては、そういう差別の話は聞いたことがない。昔はねー、というくらいですね。

 部落差別の話はだから、私は大学に入るまで、ぜんぜん存じませんでした。
 いろんなサークルが出している立て看板のなかに、部落問題がどうこうということを書いてあるものがあったのですが、「なんのこと」とすら、思わなかった。(^^;)

 部落差別のいかなるものかは、その後、この手の週刊誌と小林よしのりさんの著作で拝見して、なんと、そんなことがあるのかとびっくりしていた次第。

 東日本に部落差別がなかったとはいわないが、どうもこれは西日本のほうが苛烈なのではあるまいか。
 と思ってざっと検索したら「そんなことはない、東日本は地下に潜っただけで、かえってタチが悪い」というご意見がありますね。

 ………そうかなあ……。
 もちろん部落差別が皆無とはいわないが、結婚もできないとか、友人に輸血したら死ぬほどいやがられたとか、そーゆーことが、もしあるなら私の耳にも入ってくるはずで(差別ではないが、昔ながらの地域対立の話はちゃんと聞えてきますので。(^^;))、そういう「空気」すら感じないなかで育った人間としては、「東日本はまるごと差別されてるからだろ」くらいにしか思いませんです、はい。

 ゆえに、橋下さんが血相変えて反論している「危機感」は、私には少々、察しきれないところがあるかもしれません。

 逆に、そういうことを全国版の週刊誌で、その出自が決定的な政治的ダメージとなると確信しているらしいネガティブキャンペーンを行うことには、違和感を覚えます。
 ネガティブキャンペーンはわかったけど、だからなに? そんなことを攻撃している人のほうこそ、人格を疑われるよねと思っちゃう。

 週刊誌がアレなのはもうわかってるからいまさらですが、——佐野眞一さんには、大宅壮一ノンフィクション賞受賞者として、もーちょっと仕事は選んでもらいたいと思います。………あのへんの作品はまともだったのに;;

 ところで、私自身のことを申しますと、一族出身地は、戦後、ヒロポン中毒者が大勢いたという、場末もいいところです。
 そんなありさまだったから、お年寄りの中にはまだ、地名を聞くとちょっとだけ、ひっかかるような表情になる人もいます。
 現在の居住地はといえば、昔であれば完全に山の中で、皮革加工の職人さんが住んでいた部落、その周辺の地域になるそうです。

 部落差別をうけるのなら資格充分ですよ私も(笑)

 過去、私の親族も、同じ地域出身の友人たちも、差別らしい差別なんか受けたこともないし、そもそもそういう話は聞かない。
 就職のときに内偵を受けるとしても、問題になるのは、本人の素行と、共産党にかぶれてないか、ということだったようですよ。(^^;)

 西日本の人がなんと言おうと、少なくとも私がいるあたり(静岡県東部)では、こちらには部落差別はありません、と言えます。

 一時期、浅草弾左衛門の関係であれこれ調べたことがありましたが、まあ、入り組んだ歴史ですよね。(^^;)
 しかし、どういう歴史があるにせよ、そういうものを、この21世紀に持ち込んで、それが個人を攻撃する決定打になると考えるというのは——私としてはそっちのほうが問題だと思います。

 近代化してほしいもんですよね、いいかげん。

 ていうか、そもそも、話の本質をがんがん狂わせるネガティブキャンペーン自体をやめろよというお話。
 見苦しいやら聞き苦しいやらで、勘弁してほしいですよホントに;;

 
関連記事
プロフィール

みずはら

ブログ内検索
最新記事
リンク
地球の名言

presented by 地球の名言

カテゴリー
RSSフィード
月別アーカイブ