四方山話とゼノンのパラドックス
2012年09月30日 (日) | 編集 |
 ときどき、意味があるのかないのかわからない言葉を思い出す私の脳味噌。

 今回は——昨夜から、
「巧言令色、鮮(すくな)し仁(じん)」
 という囁き声が、ずーっと脳味噌の片隅で聞こえ続けている。
 なんだろう。なにか、こういうことに絡むことがあったかな。それともこれからあるのかな。

 ちなみに、鮮し、は、意味は「少なし」に同じです。
 ウソか本当か知らないが、「朝鮮」て「朝貢、鮮し」から来ている、と聞いたことがある……。
 いや、冗談かなにかでしょうけど;;

        ●

 本日は中秋の名月——のはずだったんですが;; 台風か〜;; 今年はすでにこれで「片月見」決定! ですね。

 昨年の秋と今年の6月の台風で、木々はみな塩でやられて枯れ枯れなのに……これ以上塩でやられたらどうなるんだろう。うちの近所一帯、木がみんな枯れて病気になって、なくなっちゃうんだろうか。

 ……それでも今日は、見えない月をしのんで、月見団子をお供えします。

        ●

 わたくしごとですが、昨日病院へ行って、先日の検査結果を聞いてきました。
 血液検査と、あと、甲状腺の検査もしてもらいました。すべて異常なし。やれやれです。

 ということは、私の不整脈、頻脈(に、なりかけ)、動悸は、やっぱり自律神経——ありていにいうと精神的なものの影響ということですね。
 安定剤としてはもっともポピュラーと思われる、「デパス」というお薬が私の場合はよく効いてくれて、おかげさまで、かなりよくなりました。もう胸が苦しい感覚はありません。

 1週間、なんとなく手抜きして、だらだら過ごして、ようやく回復してきたようです。回復しますと、ああ体が弱ってたんだな、と逆に実感しますね。
 人間てのはどーしてこうなんでしょうね。なにかの渦中にあるときって、案外その大変さとか困難さとかを感じない。通り過ぎてから、わあけっこう大変だったんだなあ、よくやってたなあアタシ、と思うんですね。

 渦中にいるときはやはり、夢中で頑張っているところがあるからかな。(^^;)

        ●

 日本政府が、韓国に対しては国際司法裁判所への提訴を呼びかけ、中共にはしないことを「ダブルスタンダード」だというご意見があるようですが、これ、認識が間違ってます。

 島根県の竹島は日本固有の領土であり、「日本の立場としては」、韓国に不法占拠をやめて返還するように求めます。
 尖閣諸島については、「日本の立場としては」、尖閣諸島が日本の領土であり、中共が一方的にウソをついているだけのことですから、「何を言ってんだ」のひとことで終わることです。
(台湾の李登輝氏の、シナの態度は「美人を見るたびに、あれは俺の妻だと言うようなもの」というメタファはさすが、と思いました。的確な表現だ/笑)
 
 日本としては、国際司法裁判所に訴えなければならない問題などない。だから訴えない。

 強いて言うならば、どーしてもっていうならシナが日本を訴えるべきことであり、日本のほうからわざわざ訴えなければならないような理由など、まったくないわけです。だから日本は訴えない。

 シナが国際司法裁判所へ持ち出すこともせず、いきなり武力をチラつかせているというのはあくまでもシナの側の事情であり、日本のほうから、じゃあ国際司法裁判所で話をしませんか、などと言い出すべき義理も理由もありません。

 ゆえに、べつにダブルスタンダードではない。むしろ日本の態度は一貫している。

 そもそも、尖閣諸島を巡る問題については「棚上げ」にしただけだという中共の主張も、「日本の立場としては」認められない。過去、少なくとも日本の政府が公式に、その棚上げに同意したことはないからです。(ヘンな政治家が裏で何を言ったかまでは存じませんがね)

 中共が棚上げだといっただけで、日本としてはそうですね棚上げにしましょうねと応じたことはない。ゆえに「契約」は成立していない。日本としては、中共の言いがかりには、「何言ってんだこいつ」と思って知らん顔をしているだけのこと。

 韓国が日本をダブルスタンダードだと非難するのも、そういうわけですから、お門違いってもんです。(もっとも彼らのいうことは、つねにお門違いですが)(法の支配の乱用、って意味がわからん)

 韓国や中共になにかちょっと言われると、すぐにおたおた、おろおろして、こちらの立場を放り出して、そうだそうだと同調するのは、いーかげんみっともないのでやめてほしい。
 大人の指示がないとなにもできない中学生ですか。
 いいかげん「12歳の子供」から、成長してもらいたいもんです。

 冷静に対応、というのはこういうこともふくまれますよね。
 自分の立場をちゃんと認識すること。自分があって相手の立場がある、それだけのことなんですよ。
 
 日本はダブルスタンダードだ、などと言われただけで泡を食い、そうだそうだというような人は、ゼノンのパラドックスを少し勉強なさるとよろしいかと存じます。

 有名なアキレスと亀の話は、もっともらしそうなデタラメっぷりが面白い。(^^)
 三段論法もそうですが、論理ってやつは、「一見もっともらしそうに見える」ように構成することはいくらでも可能だと、笑いながら実感できますわねああいうの。
 
 だとしても、アキレスと亀の命題は、現実のまえにはあえなく崩れさるわけですから、どんなに一見もっともらしそうな論理を組み立てられたとしても、それが真か偽か、冷静に現実的に考えれば「だまされる」ことではないので。
 はやく正気に返ってくださいね、と、私としてはお願いしたい。

 
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カレー談義
2012年09月29日 (土) | 編集 |
 たしかに、あんまりカツカレー、カツカレーいわれると、なーんとなく食べたくなりますねえ。サブリミナル効果みたいなもんでしょうか。(^^;)
(サブリミナル効果はじっさいには、直接そのものを認識させないようにしているので、この場合は該当しませんが)

 とにかく油ものにヨワイ私は最近ではカレーすら、あんまり食べなくなりました;;
 まして、カレーにカツレツという油ものダブルパンチでは、食べたら一発で撃沈されますね。(^^;)

 カツカレーを食べたのはこれまでの人生で1度きり。
 中学校の修学旅行で、初日のお昼がカツカレーでした。

 5月下旬にいったはずですが、とにかくそのときは好天に恵まれたのはよかったけれど、もはや夏至も近づいている季節のこと、じりじり照りつける太陽のせいなのか、むやみやたらに暑かったうえ、行き先は京都で、盆地特有のなんともいえない湿気の籠った暑さに、本物の夏ではないにも関わらず、いきなり夏バテ状態になりまして。

 清水寺を拝観してから、あの参道にある、土産物屋の地下? のような食堂にて、いかにも団体様向けの、どーでもよさそーなお昼をいただいたのでした。

 そのメニューがカツカレー。
 もう夏バテ状態で食欲なんかないというのに、よりにもよって油もの+油もの、の、カツカレー!!!
 半泣きになって食べた覚えがあります。
 すでに半分トラウマかも。(^^;)

 しかも、各、長テーブルに無造作に「勝手に飲め」といわんばかりにおいてあった、でっかいやかんには水が入っていたのでしたが、この水がもう、信じられないほどマズくて、さらにショックでした。
(いちど口に含んでそのまま吐き出しそうになりました。辛うじて我慢しましたが)
(数年後には、大阪のホテルで同じことをしましたっけ、そういえば……)
(大阪の水も現在はかなりよくなったと聞いておりますがいまだ試す勇気なし;;)
(ホテルに着くなりコンビニに駆け込んで2リットルのミネラルウォーターを買っています……)

 ………うちのほうは水道の水すらうまい、富士山の湧き水を利用している地域なので、無意識のうちに贅沢になっているのです、すみません;;

 泊まったお宿の洗面所には、水道のところに「この水は飲めません」的メッセージがあったし……水道の、カランをひねってでてくる水で、「飲用ではないものがある」というのは大ショックでした。

 ほかの土地へ出かけていく価値はこういったところにあるんでしょう。ふだんまったくなんとも思わずにいる水が、じつはどれほど貴重でぜいたくなものだったか、本気で思い知りました。
 帰宅したときにはまっさきに台所に駆け込み、水道水を飲んで、おいしいなあ、としみじみしたもんです。
 じっさい、静岡のお茶がうまいというのは、水がおいしいからなんですよね。あ、いやもちろん茶葉もおいしいんですが;;
 ふだん飲んでいるお茶を、東京、八王子の水で煎れて飲んでみたときのショックときたら;; お茶の味がぜんぜん違っていたので、水がどれほど大事かがよくわかりました。
(ちなみに、やかんのふたを外し、お湯が沸いてからさらに3分沸騰させ、これを冷ましてお茶を入れれば、だいぶお茶も飲みやすいものになります)

 ということで、私の場合、カツカレーと言われると、脳裏には、あの暑かった日のめくるめく思い出がよみがえるのです。
 カレーは子供の好物の代表なのに、カレーをこんなにまずく作れるのかというのも、ひそかに衝撃でしたっけね……。(おかげで、京都は食事がマズイというイメージが……いまだに払拭しきれない;;)(いえ、もちろんじっさいには、京都でもおいしいものをすでに何度かいただいているのですが、刷り込み的なイメージですね)
(不幸な幼児体験のせいで、30歳近くになるまで、寿司、という単語を聞いただけで軽く吐気をもよおしていたのと原理は同じでしょう)
 
 そんなことはともかく。
 ——ホテルのカレーというのは本気で美味しいですよね。

 神戸に行ったときにはホテルオークラにお世話になることが圧倒的に多いのですが、あのルームサービスのカレーは、もー、ほんっとーに! 美味しいです。
 遊び回ってホテルについて、もうへとへとで、レストランまでいく気力がないとき、なんどかルームサービスのカレーを頼んでいるのですが(値段は2千円台だったと思います。サービス料込みで)美味しいんですよ、これが。
 付け合わせの漬け物類——紅ショウガのみならず、しば漬け、奈良漬け(たぶん)、らっきょうの甘酢漬け——もさすがの美味しさ。

 カレーはごはんのうえに掛けられてはおらず、ソースボートに入れた状態で出されます。ごはんの食感を損なわないためには、食べるときに、食べる分だけずつ、カレーを掛けるのがよろしいということなんでしょう。
 ビーフカレーとシーフードカレーでは、微妙にそのカレーのお味も異なる。一般家庭ではできないような、手の混んだことをしているのでは、という気配がありました。
 カレーというより何かのエキス、と呼びたくなるような、「旨味の凝縮」といった趣で、たかがカレー、されどカレー、でございますね。

 しかし、そのカレーの値段のことでぐだぐだ言っている人たちの、間抜けなお顔は、もーちょっとどうにかならないもんでしょうか。(^^;)
 私なぞは彼らの言うことなんか聞いちゃいない、ただ、「あー。美味しそうだなー」と思うばかりです。
 
      ●

「平家物語」を読み始めましたが、……やっぱり面白いですね。やめられないとまらない。
 中学生のころは軍記ものとして盛り上がっている後半ばかりを読んでいましたが、読み直すと、前半部分もなかなか面白い。

 中学生のとき、あまりこのへんを面白いとは思わなかったのは、歴史の知識自体があんまりなかったせいだろうなと思いながら再読しています。
 いま読むと、重盛さんの人物設定が興味深いし、平家と後白河院にいいように振り回されている人々の「心情」がわかるので、やはり、10代のころにはなかった感慨がありますねえ。

 ただ、いまちょっと困っているのは。
 昔はごくふつうに平家物語を読めていたのに、いま読むと、登場人物たちがみな、現在放送中の「平清盛」のキャスティングで脳内を動き回るので、たまに、うひゃ、と思うことがあります。
 とくに清盛さんが……、なにしろ平家物語では徹底的に悪役に描かれているので、「これでは清盛さんはただの馬鹿ではないか」と思ったりして、清盛さんがちょっと気の毒になります。いくらなんでもここまでアホじゃないよあの人、と。(^^;)

 悪者であることを強調するあまり、かえって清盛さんがアホで間抜けな、底なしに考えなしの、衝動的な人間に描かれてしまう(結果的に)。
 そんなわけないでしょうよ、そこまでアホだったら、いくらなんでも太政大臣にまで昇進できるわけはないんだからさ、と思わずひとりごとがもれる。
 で、そのぶん、小松殿(重盛)が、思慮深くて清廉な人物になるわけで…。こちらは、あのキャストどおりで異議なし。
 
 後白河院も、昔はなんだかひどい「タヌキ親父」のイメージで読んでいましたが、——松田翔太さんのイメージが麗しいので、こちらは、「ま、いっか」という感じです。(^^;)
 
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本日お休み
2012年09月28日 (金) | 編集 |
 じつは先週末からちょっと体調崩し気味で、まだ完全復活できていないため、本日おやすみいたします。m(_ _)m

 震災の2日後に不整脈が出ましたが、今回も、あれと同じ不整脈が;; トントンツー、トントンツー、という脈が気持ち悪かった。
 あいにく病院はお休み。で、日曜日には不整脈はなくなっていたので、もういいかなと思ったんですが、月曜日の夜、左胸が痛いような苦しいような、筋肉がひっぱられているようなへんな感じで熟睡できず。

 朝(つまり火曜日)、起き出して見ると、不整脈ではないけど心拍数がちと多い。あまりに気持ち悪いので朝イチで病院へ。
 基本的な検査では異常なし。脈も、ちょっと早いけど、脈自体はしっかりしていて問題なし。それでもいちおう、血液検査などもしてもらいまして。

 じつはまだ血液検査の結果は聞いていないのですが、「何か(問題が)あれば、病院から電話がいきます。なければ、異常なしだと思ってください」と言われているので、まあ、少なくとも、大きな異常はなかったもよう。明日、土曜日に結果を聞きにいってきます。

 ということで、なんとなくこの数日は、てれんてれんと休んでおりまして、昨夜も日記も書かずにデパスを飲んでねてしまいまして。

 今日はまだ、ときどき、胸が苦しい「気配」を感じるような、妙な感覚は残っていますが、最初のころにくらべたら問題なし。
 ようは、これ、各種疲れが重なった「秋バテ」だと思われます;;

 親に言わせると「風邪を引いたんだろう」とのことでしたが——そうですねえ。以前なら、扁桃腺が腫れ上がって寝込んでいたところだろうと思われます。
 風邪をひかないと、私は大丈夫だと思って動き続けてしまいますが、今回は体のほうから「少し休め」と言われたということのようですね。
 
 ぶっちゃけ、自律神経でしょうねこれ;;

 本当に血管なり心臓なりに異常があるわけではないので、そこは安心しておりますが、自律神経というのもなかなか扱いがやっかいなところがありまして。
 いままでさんざん暑かったのに、いきなり涼しくなったところで、私の神経が失調をきたしたのでしょう。
 いつもだと、胃腸に症状がくるところですが——胃腸よりも今回は心臓にきたか。やれやれ。

 ということなので、しばらく、てれんてれん、たらんたらんと、のんびり、やらせてもらいます。(^^;)

 皆様もどうぞこの季節の変わり目、体調にはお気をつけてお過ごしください。

 休む勇気も必要ですよねホントに;;
 
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中国国防動員法
2012年09月27日 (木) | 編集 |
 たぶんおおむね、「中共」といえば「中国共産党」のことなんでしょうが、「中国」といってしまうと、本邦には中国地方があるのでまぎらわしい、ゆえに、中華人民共和国を略して「中共」ということにいたしました(個人的に)。
 中国共産党でも国名でも実体は同じだし。

 あと、「中国軍」という言い方を聞くこともありますが、これはちょっと誤解を招くかなあ、といつも思います。たぶん中国人民解放軍を略したつもりで言うのでしょうが、こう略しちゃうと、国軍であるかのような印象になりますよね。

 中国軍という「国軍」はじつは、存在していない。人民解放軍は「共産党の軍部」なんであって、「国家が有する軍隊」ではないんですよね厳密には。
 同じことなんじゃないのとお思いかもしれませんが、やはり違う。一党独裁国家だから「同じこと」に見えるんで、ようは、日本でいうと自民党が独自に持っている軍、ということ。
 これがどういうことか、想像つきますか。

 ふだんはいいですよ、ふだんはね。
 ただ、もしたとえば国内で内乱、紛争が起きたとき、国軍ではない、「共産党の軍」はどういう立場を取りどういう行動をするか、ということ。

 共産党の軍ですから、彼らは、国家国民にではなく、あくまで共産党に忠実であることが第一、なんですよね。
 ようは、お隣の国は、とにかく日本の常識なんか通用しませんよということ。
 そういうことがわかっていて発言しているんだろうか、と気になることが最近ちらほら……。
 
       ●

 そういえば先日も、石原都知事の記者会見において、日本のマスコミはシナの不利な情報は流さないという協定がある、という話がでていたそうですが。

【YouTube】中国人記者が日中記者交換協定を暴露 -都知事記者会見12/08/31


 そういえば、この協定の話は聞いたことあるなあと——なんかもう、それってある意味「当たり前」になっているので、半分忘れていました;;

 が。私は間抜けなことに、つい昨日知りましたが、これも、その「記者交換協定」の弊害なんでしょうね。
 もう2年も前から「国防動員法」というふざけたもんが施行されていたなんて、あたしゃちっとも知りませんでしたよ。
 どーなってんだ日経新聞、日経ビジネス! ……と思ってしまいました。

 これはようは有事の際、国内の(というのはシナ国内)あれこれが動員されるという法律です。
 まあべつにそれはいいです。有事の際の備えが必要だということ自体には反対する理由は私にはありません。

 ただ、我々外国人にとって問題なのは、その動員、徴用の中身。

「有事の際は、交通、金融、マスコミ、医療機関は必要に応じて政府や軍が管理する。また、中国国内に進出している外資系企業もその対象となる
「国防の義務を履行せず、また拒否する者は、罰金または、刑事責任に問われることもある」


http://ja.wikipedia.org/wiki/国防動員法

 外資については活動が制限されるもしくは問答無用で退去させられるというくらいならわかりますが、図々しくも外資系企業も徴用されるというのです。
 ………これ、やられたら、日本が持ってる技術も丸裸にされて持っていかれますな。

 もともと、シナにおいては外資は単独では進出できず、地元企業との合弁であることを強要されるわけですが(ゆえに、今回の反日暴動の破壊行為は、じつはなにも日貨排斥などではない、というところが馬鹿らしいわけ)——さらにそこから一歩も二歩も踏み込んできたわけですね。

 なるほど、こういうことを知っていて、かつ、現在のように、いつ日中が「有事」となるかもわからないとなれば、外資がじりじりとシナから撤退していくわけですね。
 対中投資はじつのところ、各国、じわじわと減らしている。そういうなかで日本だけが、対中投資を増やしているのですけれど。

 これって——この国防動員法が、日本国内ではほとんど報道されていないせいもあるんじゃないですか?
 この期に及んでまだ、シナへの出店を宣言した、ファーストリテイリングの柳井氏は、これをご存知なのでしょうか。
 ………イオンは当然、承知のうえでやってるんだろうという気がするので取り上げません。(^^;)

 いやはや、まったく情けないことで。
 私も久しぶりで、日経新聞にねじこみたくなりました;;

 日経新聞は、とにかく日本企業のシナへの進出を「洗脳」してきた経緯があるわけですが(バスに乗り遅れるな、ってヤツ)、こういう、単にその企業のみならず、日本という国全体にかかわる「大事」について、いままでまったく報道しなかったということは、さすがに、問題視しないわけには参りませんねえ。

 私ごときからの情報では信じ難い、という方のためには、こちら↓をどうぞ。
 PDFファイルで、末尾にその翻訳があります。

中国国防動員法—国立国会図書館(PDF)

 つまりどういうこと? という方にはこちらを。櫻井よしこさんのブログです。

中国『国防動員法』の脅威を認識せよ
2010年06月24日

 2年前か……。
 2年間も、これほどの重要事項を知らずに過ごしていたのかと思うと、私も、自分の情報に関するアンテナの精度の悪さにはめまいがしてきます。

 逆に言うと、今回の反日暴動、反日国家テロのおかげで、そういうことも浮き彫りにされてきたのは、タイミングとしてはギリギリですが、まだよかったのかもしれません。
 それにしてもあの騒ぎの中で、邦人に対して渡航延期勧告すら出さなかった日本外務省って……(政治家にはもとより期待していない)(私は個人的には、レベル4、退避勧告をだすレベルだと思いました)。

 平和ボケくらいならいいんですが(よくはないが)、日経新聞あたりは確実に、故意に、こういう情報を「かくしてきた」と思うともう——これを売国行為とよばずになんといえばいいのか、と思いますね。

 シナにからむ形でご商売をしている方もいまは多いと思います。そういう方が身近においででしたら、この情報は、すみやかにお伝え願いたいです。

 ユニクロもなー……、大丈夫なんですかねあの会社。それぞれの意味で。

 ま、洋服くらい徴用でもなんでもすればいいと居直れますが(しかし、在地日本人を人質にとられることになると思うと…)、軍事転用可能な技術を持っている企業には、即刻、シナから退去するようにお願いしたい。

 この法律を知っているのといないのとでは、たとえ現地で商売するにしてもやりかたが違ってくるはず。
 マスコミのみならず外務省からもろくにアナウンスがない、経団連も知らないんじゃないか、というのは、あまりにも由々しいことと思いますが、如何なものでしょうか。
  

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人類は退化しました……か?
2012年09月26日 (水) | 編集 |
 秋彼岸も無事終了。
 私はあんまり無事じゃなかったですが、まあなんとか乗り越えられたかと。(^^;)

 時事問題。
 台湾も難儀ですねえ。

 他国領海でああやって放水などの「実力行使」をすることは完全に国際法違反であり、これは、中共ですら(いまのところは)していない行為なので「おやまあ」と思います。
 中共のお先棒担いでどうなさる。
 
 今回の台湾漁船による行為は、中華人民共和国、略して中共(中国というのは、本邦、本州の中国地方とまぎわらしいのでもう使用しない)で大もうけしている会社がスポンサーだそうですが……やれやれですね。

 台湾も、悪いことは言わないから国民党(または外省人)には本国へ帰ってもらえばいいのに。もしくは、外省人を「外国人」としてあつかい、公権の制限を設けるか。

 申し訳ないが、あまりに露骨な「お先棒担ぎ」には、笑ってしまいました。(^^;)

      ●

 とある女性アイドルグループから「卒業」となった方があり。
 いいんじゃないでしょうかおめでたくて、と思っていたら、彼女のファンが「詐欺」だと訴える、と息巻いていると聞きまして。
 
 ………冗談だと思って笑っていたんですが、なんだかマジっぽい………。( ・_・;)

 いえまさか、本当に警察に被害を届け出るわけではないと思いますが。
 
 うーむ。なんだかすごい世の中だなあ。ファンだといってはいるが、実際にはそりゃ、なにもファンじゃないですねえ。
 「卒業」に「怒っている」人のコメントをいくつか聞きましたが、そのうちのひとつに、そのアイドルグループ関係の商品などを購入してきたことを「投資」と表現しているのがあって、さすがにのけぞりました私。

 投資って、どういうものかわかっていってるのでしょうか?;;

 もしもこれがじっさい裁判になると、投資、というものについての定義をめぐって争うことになるんでしょうが(想像しただけでイタマがアタイ;;←(c)小松左京)、——ひとまずここではその定義を、ものすっごく大雑把に、なんらかのリターンを得ることを目的に金銭を投じること、と考えますと。

 …………あのー。
 好きなアイドルの、たとえばCDとか買うのを「投資」だと考えていたという理解でいいのでしょうか?
 ………好きなアイドルのCD買うことを投資とすると、そこでどういう「リターン」が想定されていたのだろう。
 わかりません。(^^;)

 これ、裁判になったら勝ち目はないと思うんですが、それよりもなによりも、こうやってなにもかもを自己利益のためと考える、そういう人がいる、ということに、なんともやるせない気持ちになります。
 ………愛がない。

 そういえば以前日経新聞でも、そういう、なんでもかんでも「投資」と「リターン」で考える、現在の市場主義経済を揶揄した小説が連載されたことがありましたが(申し訳ありません、作者と作品名を失念しました)、——現実にもそういう人がいるわけですね。

 人間関係を投資対象として考えるのは、これは空しいからやめたほうがいいですよとしか、申し上げられませんけれど。(^^;)
 なんで空しくなるかというと、人間関係には投資によって期待できるリターンなど存在しない、すなわち、そこで投資という概念を持ち込むほうが「間違っている」からです。

 なんてことを、いちいち言わなきゃならないというのも、不本意なことですねえ……。

 ただいま、ちょうど、故・中村元先生生誕100年を記念して発行されている本を——なんせ『普及版』と銘打つだけあって、価格的に、かなり私にも入手しやすくなったのがありがたいのです——読んでいるところなのですが。
 いま読んでいるのは「ゴータマ・ブッダ」(全3巻)。

ゴータマ・ブッダ 上 〈普及版〉ゴータマ・ブッダ 上 〈普及版〉
(2012/08/16)
中村 元

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 この女性アイドルの、「自称ファン」についてのアホな話を私が聞いたときは、パーリ語教典「律蔵」のエピソードを読んでいたところだったので、………「人類の使うツールは進化しているが、人類自体はむしろ退化している」という感を懐いてしまいました;;

 お釈迦様がベナレスを発ってウルヴェーラーに向かう途中で、30人ほどの若者に会った、というお話。けっこう有名なお経なので、聞いたことがある、という方も多いのでは。

 30人の若者はそれぞれに自分の妻を連れて、いわばハイキングですかね、出かけていたが、うち一人はまだ独身で妻がないので、遊女を連れていた。
 この遊女が、一行の隙をみて、金品を盗んで逃げたので、その遊女を追っている、というのでした。
 で、お釈迦様はこの若者らに尋ねて、

「青年たちよ、きみらはどう考えますか? 君たちが婦女を捜し求めるのと、自己を探し求めるのと、きみたちにとってどちらがすぐれていますか?」
「尊い方よ、もちろん、私たちにとっては、自己を求めることのほうがすぐれています」
「きみら青年たちよ、ではすわれ。わたくしは、きみたちのために教えを説こう」



 ここで、「どちらが大事か」ではなく「どちらがすぐれているか」という問いかけをしているところがミソだなーと私は思うのですが、それでもまあ、この若い人たちは、お釈迦様の説法を聞き、真理を悟るわけですからえらいもんです。

 しかし、自分がファンであるということも忘れ(もしくはファンであると詐称し)、好きな誰かのために費やしたものを「投資」とよび、いったいどんな「期待」があったかは私には想像もできませんけれども、その期待の実現を「リターン」と見なし、投資の回収ができないといって「詐欺だ」とまでいう。
 こういう人は「婦女を探し求めるのと、自己を探し求めるのとどちらがすぐれているか」と問われても、問われている内容そのものをすでに理解しないんだろうなあ——と思いますとどうも。(^^;)

 まあ、人の振り見て我がふり直せ、でございますね;; 自戒致します;;

(いま「じかい」を、「自戒」ではなく「自壊」と変換したことえりちゃん。………性能ではATOKなどには敵わないけど、たまに、こっちのことを見透かしたような変換するところが侮れない;; だからやめられないんですよ、このMac標準のIMは/笑)
 
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30年ぶり鐘の声
2012年09月24日 (月) | 編集 |
 「平清盛」。
 視聴率がとやかく言われるわけですが——その視聴率って、どうとっているんでしょうね?
 
 と申しますのは、私、NHK総合、日曜日午後8時〜のほうは、なにしろテレビの前に座っていられないので、いつも見ているのはBSプレミアム、日曜午後6時〜のほうなんですよね。
 時間の都合で、8時からのほうを見られないという人も、放送が早いから6時からのほうを見るという人もいると思うんですが、この両方を合わせてる……てことはないですよね? (^^;)
 まあいいけど。

 ともあれ昨日の回。
 ………気の毒でしたねえ、重盛(清盛の嫡男)さんが;;
 自分が間違っていたというのか、といってキレてましたが、あれは気の毒でした。もちろん重盛さんのほうが正しい。
 平家が真実、権力を握る一族であろうとするなら、ああいう、アカウンタビリティとでも申しましょうか、「公明正大さ」というのは大事なこと。

 人心を掌握するということが、2代目以降には大事なこと、と考えれば、重盛さんのやり方のほうが正しい。(ただし同じことが繰り返されるようならまた考えなければならないけれども、ひとまずは。あのケースでは)
 まあ、重盛さん以外の平家のご面々は、もう調子に乗ってる暴走族みたいなノリですからねえ…。面白いもんです、武士だったはずが明らかに「公家」化したにもかかわらず、その暴力的なところだけは、へんなふうに残っていたのですね。

 平家物語はこの事件を「世が乱れはじめた根本」としています。
(蛇足ながら、殿下乗合事件の「殿下」は、読みは「でんか」じゃなくて「てんが」となってますね……平家物語では)

 なんとなくこのへんから平家物語を思い出し、思わず本を引っ張り出してみました。
 その昔、じつに1983年の正月に、とぼしいお年玉からお金を出して買った、小学館の豪華装丁本「平家物語」2巻セットでございます。2冊セットで買うと5千円ちょっとで、当時の私としてはそりゃもう高価なものでした。

 学校の授業で「敦盛最期」を読んで、熊谷次郎直実×平敦盛で萌えてしまって大興奮、熱情余って思わずこの本を買ったんですよね。思い出の本でございます。大事にしていたので今にいたるもじつにきれいなもんです。
 ただし、例によって、蔵書印がわりの、署名や購入に関する記録を書き込んであるので、売れませんけどね。(^^;)

新編日本古典文学全集 (45) 平家物語 (1)新編日本古典文学全集 (45) 平家物語 (1)
(1994/05)
市古 貞次

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(↑ 昔私が買ったものより千円ほど安くなってる…;;)

 とりあえず、あの「殿下乗合事件」と、禿(かぶろ)は平家物語の、まだ頭のほうのお話なのですが、「あーなんかなつかしー」と思って本を出してきた次第。

 平家物語では、重盛さんにナイショで勝手に報復したのは清盛さん、ということになってますね。やっぱりドラマではそこまで主人公を悪役にはできないのかなあ。本来なら清盛さんがやった「悪行」を、時忠さんに押し付けるつもりだろうかこのドラマでは(笑)

 ちなみに、平家物語のほうでは、委細を聞いた小松殿(重盛)は、あらためて叱責したうえ、資盛を(当時13歳)伊勢の国に送ったとあります。ちっと頭を冷やしてこいというのですね。
 このへんは「物語」の脚色ということになるようですけど……。うーん。まあいいか。

 禿のほうもまた、平家物語にもありますし、これは歴史の上でも実在したようです。
 禿とは、本来は童形、また童子のことのようですが(子供はその昔は、おかっぱ頭だった。あのヘアスタイルを禿と呼んだんですね本来は)、平家がつかった禿は、13〜15歳の子供で、ああいう髪型に赤い直垂(ひたたれ)姿で市中を徘徊、平家の悪口をいうものがあれば探って調べ上げ、徹底的に打ちのめしたそうで。

 ……紅衛兵か。

 権力者って「赤」、好きですよね。(^^;) 威圧、脅迫するのにはいい色なのかな。

 なんにしてもこの大河ドラマでの重盛さんはお気の毒なことになっていて、ストレスが大きいし、「なるほどこれじゃあ長生きしないよね……」と思わずしんみりしてしまいました。

 早死にしたのは残念ですが、しかし重盛さんはそれゆえに、その後の一門の無惨な滅亡を見ないで済んだともいえる。重盛さんと、滋子さんが生きてありせば、安徳帝の御代はもうちょっとどうにかなったかもしれず、平家も、落ちぶれるにしてもああも悲惨なことにまではならなかったかも………と、つい考えてしまいます。

 とはいえ、平家というのは、暴力団みたいなものでもあったので、重盛さんおひとりでは、どうにもならなかったかもしれませんね。

 こうしてみますと平家物語の作者は、もしかして重盛さんが好きだったのかな、と思えてきます。なにしろ、彼が亡くなるエピソードはじつに、巻之第三「医師問答」「無文」「燈炉沙汰」「金渡」と4章にもわたって細かく語られている。それもじつに、哀惜と同情をこめたやさしい描写なんですよね。

 たしかに「殿下乗合事件」は平家の没落の、序章の序となり、重盛さんが早々にお亡くなりになってから、平家は「下り坂」になるので、大きなターニングポイントではあるのですが、それにしてもなあ、と、今回、ざっと見直して思いました。

 物語の面白さを出すために、悪役:清盛をひきたてるための、重盛さんのキャラ設定、というのもあるんでしょうが、それにしても。

 そんなふうにあれこれ想像してみるのも楽しいものでございます。(^-^)

 なんにしても平家物語、考えてみると私がよく読んでいたのは、2巻セットのうちの2巻のほうばかり。ようは、源氏を含めての「軍記物」として盛り上がっている部分ばかりでした。「木曾最期」とか。
 巴御前は萌えるわー。お前は女なのだから落ち延びよといわれ、ならば最後のひと働き、といって、御田(おんだ)八郎師重なる武将の首をへし折って(原文によれば『(八郎を)むずととって引き落とし、我が乗ッたる鞍の前輪におしつけて、ちッともはたらかせず、頸(くび)ねじきッて捨ててンげり』)から逃走するんですよね。どんな女丈夫だ。

 平家物語後半はそういうわけで、そりゃもうドキドキハラハラ。
 また、当時の武士の鎧というのは「大鎧(おおよろい)」といって、後の戦国時代のものにくらべると、かなり立派な、大掛かりな装束なんですよね。
 で、装束の色目の説明もよくでてくるので、軍記物でありながら、脳内イメージは、まるで王朝文学のそれのように色彩豊かでウットリ。このへんも、平家物語の特徴でしょう。

 そうやって後半が盛り上がるかわり、物語序盤、平家の繁栄、そこを通り越しての爛熟ぶりはあんまり真面目に読まなかったんですよねー。当時はこのへん、私にはじつに退屈に思えたので……。(清盛さんの悪辣ぶりは途中でちょっと食傷をおこす;;)

 30年ぶりに、真面目に読み返してみようかな。(^^;)
 
       ●
 
 ちょっとこれ、よかったです、ということで。



 ペーパーフィルター要らずのコーヒードリッパー。
 
 以前、カップ一杯用の、やはり洗って繰り返し使えるフィルターを使っていたのですが、1杯しか入らないとなると、ちょっともの足りない。

 その点、このコーヒーポットは2杯分なので、「おかわり」ができるのがありがたい。(コーヒーカップ2杯分、というのを基準にしているので、たっぷりしたマグカップでは、2杯分はないですが)
 ポットの大きさも邪魔にならない程度で、手頃です。
 ペーパーフィルターの後始末も要らないので、気軽にコーヒーを入れられます。
 あのフィルターのセットと片づけがけっこう面倒に感じるときもあるので。(^^ゞ

 ちなみに、ポット側面には、「このライン以上にはコーヒーをいれないでね」という印があるのですが、これを見ると……私、いままで、コーヒーをずいぶん薄くしていれていたことがわかりました;;;

 付属の計量スプーンでコーヒー2杯分を量って豆をいれ、その目印のところまでコーヒーをいれると……、「えっ、これだけ?」とびっくり;;
 いままで、同じ豆の量で、かなりお湯をたっぷり入れてました私;;

 いままで私はずいぶん薄めていたのでは……。
 と、美味しいコーヒーをいただきながら反省中;;
 
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ねずみの嫁入り
2012年09月23日 (日) | 編集 |
 そういうわけで私は、私用ではパソコンはAppleのMacintosh(現在はMacBook)。
 仕事では、Windowsマシン。

 べつに、それで何の不都合があるでなし、誰に迷惑をかけるわけでもないのに、なんかみょーに喧嘩を売られることがあったんですよね。

 すなわち、Macなんか使っているヤツは馬鹿で、Windowsマシンこそが「絶対正義」、それ以外は「認められない」んですとさ。
 仮にそうだとしてもだ。それがアンタになんの関係がある? ばっかじゃないの。——というのが、私の思っていたところです。
 じっさい、私が使うMacを買うのに、そいつらには鐚一文、払ってもらったわけじゃないですからね。
 思い返すだに意味不明ですわこの議論。

 おかげさまで最近では、自分が年をとると同時に当然、周囲も年をとりまして、ま、お互い、大人になれたかどうかはともかく年をとったことには変わりなく、そうなりますと亀の甲より年の功、昔よりはちったーものもわかるようになった(ところもある)ようで、意味不明の喧嘩を売られることはなくなりました。

 が。
 ネットを眺めておりますと、ニュース記事のコメント欄などではなお、この、意味不明の喧嘩が繰り広げられているんですね。にやにやしたり、最後には呆れたりしながら、そのようすを拝見しています。

 私はとにかく他人から何かを強要されるということが大キライで、それはもう子どものころからそうですから、もういまさらどーにもなりゃしませんこの性格。
 社会人になったときにいちばんウンザリしたのは「自分の好きな文房具も選べないのか」ということでした。

 万年筆やボールペンであれば、どこのメーカー製のものを使っていようと、ようは字が書けて、それを周囲の人間に読んでもらえればいいだけのことですが(私が使用している万年筆がセーラーだろうとパイロットだろうとモンブランだろうとパーカーだろうとペリカンだろうとウォーターマンだろうと職人さんの手作りであろうと問題ない)、中途半端な技術の発達のせいで、パソコンは、まったく「選ぶ自由がない」状況にある、ということに、本気で腹を立てていたのでした。

 もっとわけがわかんないのは、私がそういって嘆くと、そういうことを嘆く私が如何に愚かで馬鹿でものしらずでものの価値がわからないトンチキか、ということを、親の仇に出会ったかのような憎悪をこめて非難しやがるヤツがいるわけです。しかも複数。
 というか、人数を頼んで嵩に懸かってくる、ってヤツですね。あーもーサイテー。

 じつのところ、パソコンの操作における「優位性」などというものは事実上、存在しない。ユーザーごとの「好み」と「都合」の問題でしかない。現在においてもそこには「絶対優位」などというものはありません。強いて言うなら「相対優位」ですかねえ。
 
 パソコンは昔ながらの文房具よりも遥かに高い。今から見るとおもちゃにもならないようなパソコンに40万円とか言っていた時代です。それほど高価なものなのに、私の好みは踏みにじられ、「皆がそれを使っているから」という理由だけで、私には使いにくいうえに高い「文房具」を買わねばならない。
 この理不尽。

 もうパソコンなんかなくなって、昔みたいに手書き&カーボンコピーの時代に戻ってしまえと本気で思ってました。

 これまた子どものころから、「皆が持ってる」みたいないいぐさ、嫌いでねえ。親に欲しいものをねだるのでも、このセリフだけは私、1回も言ったことはないです。それくらい、こういう言い草はくだらないと思っている。

 なにか悪さをして大人に叱られたとき、どうしてあんなことをしたんだ、などと言われると、「だって●●ちゃんが」「だって皆が」とか言うガキ、必ずいたもんですが、あれは私の最大の軽蔑の対象でした。
 それくらい、「みんなが」「誰かが」どうしたから、という考え方が嫌いなんですよねえ。虫酸が走ります本気で。

 という次第ですから——その昔、ビールの銘柄で先輩方相手に論争して黙らせたこともある(ref.: 2006/4/26 エントリー「同調圧力」)けれど、このパソコンについては、まあとにかくしつこいんですよね。「正義は我にあり」と思っているようで。
 正義なんかクソ食らえだ、世の中正義が多すぎる、と思っている私には「正義」は通用しませんけれど。(^^;)

 なぜ、「好みは人それぞれ」ということを、このデジタル機器という「文房具」については、認められないのでしょうかねえ。

 といったところで、ここでiPhone5がリリースされまして、またぞろ、iPhoneか、Android OSのスマホかということをあげつらっているのを見かけるようになりまして。

 自分の予算と、好みと、使用目的に合ったものを使ってりゃいいんじゃないですか。
 自分にはスマホは必要ないからフィーチャーフォン、という人がいらっしゃるのも当然のこと。(スマホとフィーチャーフォン2台持ち、という人もいらっしゃいます。これ最強ですね)

 十年一日(いちじつ)どころか、百年一日なんでしょうかねえこの光景。(^^;)

 なんなんだろう、こういう論争したがる人って、ようは「俺はすごいんだ」と言いたいし、他人にもそれを認めさせたいんでしょうかね。
 …………基本、人間嫌いの私にはちょっと理解不能ですこのへん。

 他人がどうだろうと関係ないじゃん。自分が好きなものを持てば?
 ——この一言ですべてが終わる……はずなのになあ。(謎)
 
 
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秋分の日
2012年09月22日 (土) | 編集 |
 iOS6に、わがiPhone 4S もバージョンアップしてみました。
 私は自宅では無線LAN、Wi-Fi接続していますが、——safariの表示が早くなったようです。いままでと同じサイトを開くのに明らかに短い時間でぱっと開くようになりました。
 特筆すべきほどのことでもないですが、でも、「あ。早い」という感じ。3Gだとどうなんですかね。(まだ試していない)
 それはいいんですが——バッテリーががんがん減っていく気がする;;

 LTE、早いみたいでいいですねえ。さっそくベンチマークテストをしているサイトがあったので見てみましたが、なるほど早いなあ、と感心。(あ、ちなみに私のキャリアはauさんです)
 私はこの4Sは4月に買ったばかりなので当分、関係ないのですが、2年後にはまた、いろいろ環境も変わっているんでしょう。そのへん、楽しみにしておきます。

 で、なんでこういうことをするのか、ぜんぜんわかんねーなー、とブツブツいいながら、YouTubeと、Google maps は、自分で(手動で)「ホーム画面に追加」しました。
 Googleマップを切り捨てたAppleさんのマップですが、これはもう、皆様すでにお聞き及びのとおりの代物で。(^^;)
 ………なんの必要があってこういうことをするんだろうなー。ナゾだなー。

      ●

「うまいもんドットコム」さんにオーダーしていた福島県ケーキが届きましたv

ふくしまの“旬”
「伊達の桃と南郷のトマトのムース」

http://www.umai-mon.com/user/scripts/p_product.php?product_id=23487

 ケーキの真ん中にあるものが福島県の形をしているそうですが、………すみません、上下が………というか南北がわからないので適当な撮影になってます;;

mousse-1.jpg

 で、画面左上で、ちとクリームが崩れているのは私のせいですごめんなさい;; ケースから出すときにちょっと傾いだらこんなことに;; せっかくきれいに飾られていたクリームが;; あああああ;;

 ………味には影響ないけど。(^^;)

 うっすらと可愛らしいピンクが印象的なケーキですが、お味のほうもその印象のままの、ひかえめでやさしくて、なんとも可愛らしいお味です。(^-^)

 桃のムースとトマトピューレの合わせ技。でも、これがびっくりするほど「合う」んですね。桃とトマトの味が渾然一体となり、黙って出されたら、「何の味だろう」と本気で悩むと思います。
 桃の香りと甘さに、トマトの甘さと酸味が絶妙に合っていて、このムースの名称を知らないまま味わったら、「果物? 果物だよな? でも、このさっぱりした酸味はなに?」とさぞかし悩むだろうと思いながら、おいしくいただきました。

 トマト……、お菓子になるんですねえ。(感心)

 ところで、トップにある飾りの福島県……。
 ここに包丁をいれるにはしのびず、これだけは一口で、私がいただいてしまいました;;
 なんかこういうのってへんにこだわるとき、ありません? たまに鯛焼きで、「頭から食べるのと尻尾から食べるのとでは、どっちが残酷なんだろう」などと悩んでいるときがあります;;
 これを友人に申しましたら、「え、鯛焼き? あたし、手で二つに割って食べる」と返答され、「な、…なんと大胆な……!」と感動(?)しました。

 さて本日はお彼岸のお中日。
 おはぎを買ってお供えですね。

 今日はいきなり涼しくなりまして……体としてはあの猛暑から解放されて楽になっているはずなんですけど、さっきからじつは不整脈になっておりまして;; ひさしぶりに。
 夏の疲れが出るのか、気温の変化で自律神経がかえって乱れるのかわかりませんが。

 不整脈というのも気持ちが悪いもんなので、早いところおさまってもらいたいです;;

 
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「ユダの福音書」
2012年09月21日 (金) | 編集 |
 これで一息つけるかな、甘いかな、と言っていたら。
 やっぱり甘かったようで。(^^;)
 来週こそは……来週こそは少しはまともに書けるかなと……;;(毎週そんなこと言っているような気がする)
 明日は秋分の日です。早いもんです。これからは日が短くなる一方なんですね。
 
       ●

 イエス様にじつは妻君がいた?! ということでニュースになっていた件。

イエス・キリストは既婚だった?
2012年09月20日11時50分 読売新聞


 もとからマグダラのマリアはイエス様の妻君という説もあったことだし、まあそうパニックを起こすこともないだろうと、異教徒はのんびり考えるのでございますが。

 むしろ、「ダ・ヴィンチコード」にあったような、「陰陽そろって宇宙は完成」という概念のほうが、私には好ましい。私としては——マッチョイズムなところが鬱陶しいから、一神教はどれも平等に嫌いだ、などと口走るようなヤツなので——イエス様に奥様がいらしたと聞いても、ふーん、というところです。

 それで思い出してまた本棚から引っぱりだしたのが、「ユダの福音書」。
 面白いですよ。ユダの福音書が発見されるまでを追ったノンフィクションと合わせて読むのがよろしいでしょう。

ユダの福音書を追えユダの福音書を追え
(2006/04/29)
ハーバート・クロスニー

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原典 ユダの福音書原典 ユダの福音書
(2006/06/02)
ロドルフ・カッセル、 他

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 今の世の中は男性原理が働きすぎ、殺伐としすぎている、と思っているので、——現代の、人類の文明の基礎となっているキリスト教において、もーちょっと女性性が入ってきてもいい。そう思います。

 ユダの福音書はとにかく、なるほど他の福音書と比べるとあまりにも内容が違う。
 そもそも、この宇宙を作った神というのは、「愚か者」という名前の「下等な神」であり、本当に崇高な神はほかにいて、そちらはあまりにも人間のいる次元とは違いすぎるため、物質世界には関われない、というところからして、「へー」という感じ。

 あまりにも高次元の存在であるゆえに、人間のいる物質世界とは関われないというのは、じつのところ、仏教徒としては「ああ。わかる〜」ですね。
 如来、というのがそういう概念。人間とはあまりにも違う次元にいるために、直接、人間の世界には関われない。
 ゆえに、如来はもうちょっと俗な存在に「身を落として」この世に現れる——「菩薩」というのがそれになります。

 菩薩というのは厳密には仏ではなく、「これから仏になる人」といったところ。仏道修行者で徳の高い人のことも、尊敬をこめて菩薩といったりしますね。
 仏典では、覚者となるまえのお釈迦様のことをボーディサッタ(菩薩)と表記する。

 ということで、この世を作った神はじつは「下等な存在」であり、そんなヤツが作った世界だからこの世は欠陥だらけなのだという説明は面白い。神様、形(かた)なしです(笑)
 本当に崇高な世界というものがほかにある、という考え方は、私にもすっと馴染める概念です。そういうあたりが面白い。

 このユダの福音書を読むと、カソリック教会などのいうことが、すべてひっくり返るので面白いです。ユダは裏切り者なのではない。彼こそが、イエスをよく理解し、「肉体を離れ、神の『王国』へ行きたい」というイエスの願いを受け入れ、かなえた、ただ一人の人間だということになります。
 ユダの福音書におけるイエスというのは預言者でもない「ラビ(ユダヤ教の教師)」であり、そういうわけですからあんまり神様も出てこない。(人間に関わっている神様は下等な神なので、イエス様はスルーしている感じ)(バルベーローという『本当の神の王国』の話ばかりなさる)

 信じる信じないは置いといて、ひとつの「視点」として受け入れて読むと面白い。世界がまるっきり違って見えてくる。

 従来の説ではユダはお金のためにイエスを売ったことになってますが、イエスの死後、ユダもまた、自害している。
 ここんとこが、どーも私には理解できなかったし、「つじつまがあわない」感じがしていたのですよね。
 そのへんの疑問が、ユダの福音書の考えに則って話を聞くと、ものすごく「あーなるほどねー」と腑に落ちるのです。

 ただ、イエスの死後のユダについては、さあこれは、わかりませんねえ。ユダは本当にイエスの処刑後に死んだのか。
 ——本当に「自殺」だったのか?

 これを証明してくれるものはなにもありません。(^^;)

 もしもユダこそが、イエスにとって「真の理解者」であり、ユダこそが、イエスに愛されていた弟子だったとしたら。——ほかのお弟子がユダをどういう目で見たか、彼にどういう感情を抱いたか、想像に難くありません。
 そう思って読んでいくと、なまぐさい人間の姿が立ち上がってきます。

 グノーシス派をふくめ、いくつかの「異端」とされるキリスト教の宗派というのはけっこうあるもので、カソリックとそこから派生したプロテスタントだけがキリスト教ではないということが見えてきて面白い。
 無意識に、私のような異教徒ですら、従来のカソリックなどの「言い分」に、ずいぶん「洗脳」されているのだな、ということが実感できます。

 カソリック教会は昔々「縄張り争いに勝った」一派だというだけのことで、彼らが「正統」であるとは限らない。ということに、あらためて気がつきます。

 このユダの福音書にはなにしろ「イエスの復活」はありません。もしも真実、イエスが「神の王国」へ赴くことを、これほどに熱望していたのなら、なんでわざわざ、いちど捨てた肉体にまた舞い戻ってくるものか——ということですね。

 なるほどこれは、カソリック教会などが、徹底的に異端として弾圧するはずだよなあ。そしてまた、現行の教会が、認めるはずもないわなあ。——と、異教徒は気楽〜に思うことができますね。

 とにかく、異教徒の私ですら(主に)カソリックの主張に洗脳されていたのだという感覚が、楽しかったです。
 思い込みというのは、自分で思い込んでいるときには、それが思い込みだとは自覚が持てないものです。思い込みからふと解放されたとき、いかにその思い込みが強固だったかに気がつく。

 初期キリスト教というのも、現在のキリスト教とはまるっきり姿が違うので、それを見るだけでも面白いです。

「原典ユダの福音書」が発行された当時、じつはまだ、発見されたものすべてが復元、解読、翻訳されていたわけではなく、まだほかにも古文書があるのを、ひとまず、緊急に(世界中から注目が集まっていたので)ユダの福音書だけを急いで発行した、とのことでした。

 今回出てきた、イエス様の妻君に関する発言というのも、復元途中の古文書の一部なんでしょうね。
 まだまだ、なにかの発見があるかもしれませんね。(^-^)
 
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思い出のC翼
2012年09月19日 (水) | 編集 |
「誤訳御免」様のエントリーをみて、しばし郷愁にひたってみたり。(^^;)
 
 エントリーのリンクですが、現在、サイトとミラーサイトがあるそうで、以下のリンクのうち、上記の「。」のほうが、特定の話題やらエロっぽいアフィリエイトなどがないほう、「Δ」のほうが、通常版と言ったらへんなんだろうか、ともあれ、そういうブツも表示されているサイトになるそうです。

 エロっぽいものや、特定の政治がらみの話題は見たくないわーという方には「。」のほうをおすすめ、とのこと。

 私は気にしていないので通常の「Δ」を拝見しております。
 ……………管理人様もたいへんですね;;

日本のアニメ(キャプテン翼)が有名なサッカー選手たちに影響を与えてたらしいぞ!【海外掲示板】
  ↓↓↓
http://japancool.sblo.jp/article/58350112.html(『誤訳御免。』)
http://goyaku.blog45.fc2.com/blog-entry-575.html(『誤訳御免Δ』)

 私は個人的には、スマホなどで見るニュースサイトをどーにかしてほしいですわ。
 ものすっごいエロ漫画の広告バナーが表示されやがるので、新幹線のなかで気軽にニュースをチェックすることもできません。画面が小さいから大丈夫だろうといいたいところだけど、あれ、なにげなくスマホの画面を見られたらと思うとどうもねえ……。

 昨今の女性のふるいまいなどを非難する声を聞きますけども、ナニ、テメエらがこういうものになんの違和感もなくなっているということを、まず気にしたらどうだねと言いたいところです。
 自分ができないことを気軽に他人に求めるなっつうの。ねえ。

      ●

 といったところで「キャプテン翼」(以下、C翼)。
 あれがジャンプで連載開始をされたとき、翼くんは私よりもちょっとお兄ちゃんだったんだよなーと思うと、思わず遠い目をしてしまいます。(^^;)
 時の経つのは早いもんですねー。

 ともあれ、日本においてのみならず、諸外国の名選手たちの口からも、C翼に関する発言があるというのは、なんともビミョーな気持ちになりますね。(^^;)

 私はその昔「ドカベン」で野球のルールを覚えたのですが、C翼ではサッカーのルールは覚えられませんでした……。
 テニプリにおいても、わりと、テニスの基本ルールは覚えられなかったしな。(ステップのお話やらサーブのお話やらはふむふむと聞けましたが。あのころはテニスだったんだ……いまはテニヌになっているから論外だけど)

 そのあたりから考えあわせると、水島新司さんはやはりエラかったですねえ。
「どうしてみんな、ボールを打つと右側へ向かって走るんだろう」
 などといっていた、小学生の(たぶん3.4年生)女の子が、ひととおりのルールを覚えて高校野球を見るようになったわけですからねえ。

 ちなみに、私は周囲とは意見がまったく合わず、好きだったのは、里中くんではなく、素直に主人公の山田太郎さんでした。……ものすごい好みだったんです……体型から性格まで。
 子供心に印象に残ったのは、ドカベンこと山田太郎さんが、試合中、こまやかに、ホームベースにかかった土を手で払ってきれいにしていたところでした。

 C翼ではそんなわけで、サッカーのルールがぜんぜんわからなかったので、本屋でルールブックを立ち読みして覚えたというのが印象深い。(地元、某書店様。ごめんなさい;;)
 私も連載開始すぐに読み始めたわけではなく、ちょうど自分の周囲にいたサッカー小僧が本格的にサッカー漬けになっていった都合もあって、きっちりC翼を読み始めたのは小学校6年の後半くらいだったかと。

 あれ、たぶん単行本を従兄に借りたんだと思うんですが、とにかく、まともに基本的なルール説明もないまま、いきなり出てきた用語が「オフサイドトラップ」でしたからねえ。
 いちおう従兄に説明を受けたものの、オフサイドがなんなのか、が、そもそもわかっていないわけだから、「??????」状態。
 
 で、登場人物がなにをいうかと思えば「君は僕の心臓のことを知っているのかい」。
 そんなこと言われりゃ知らなくたって「えっ」と思って足はとまるよ;; そういうフェイントだったんかアレ。

 という具合ですからね。自分でルールブックを読むしかないですよね;;

 ドカベンなどはおそらく、野球をまったく知らない読者というものも、ある程度想定していたか、あるいは、水島新司さんの構成力がすばらしかったか、というところなんでしょう。

 いまや多くの名選手の口の端にのぼるC翼ですが、あれではルールは覚えられなかったよなあ、ということを思い出してみたり。(^^;)

 アニメに関して申しますと、まあ、ゴールはいったい何キロさきにあるんだろうとか、なんで空中で停まったままなんだろうとか、シュートを打つ体勢に入ったまま、いつまでしゃべってんだろうとか、………いろいろありましたね。(^^;)
 しかしそういうところにツッコミを入れつつ、楽しんで見ておりました。

 なにもかも、みな懐かしい……。(しみじみ)

 私はC翼がいちおうの完結となったところでおつきあいはやめてしまい、現在に至るまでの、翼くんたちのことは知らないのですが、しかしあれほどデタラメなものが、これほどまで人々に愛されるということには、やはりちょっとした感慨を覚えます。

 テニプリが、もはや行われているのはテニスじゃなくてテニヌであるように、C翼のアレも、厳密にはサッカーではないのがじっさいのところなんでしょうけれども、でも、多くの人に愛されているというのは、やはりいいもんですよね。(^-^)

 嗚呼、懐かしい……と思って映像画像を眺めました。
 鈴置洋孝さん(故人)がかつて語った「日向小次郎っていう気持ち悪い小学生を演ってます」という言葉をふと思い出して、でも好きだったなあ、と涙ぐむ。

 年をとると涙もろくなっていけません(笑)
 
 
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月曜日は何をしていたかというと、
2012年09月18日 (火) | 編集 |
 怒濤の3連休が終わりました……(←魂ぬけてる)

 昨日はお彼岸にはちょっと早いですがお墓参りでした。じつに3年ぶりでした。(2009年にいったきり。2010年は、行こうとしたら父が危篤になってキャンセル、2011年は一周忌と重なって動けず)
 3回忌が終わってそのままお墓参りということになりまして、なかなかタフでしたが、でも、いい流れだったと思います。そのまま父をお墓まで連れて行ったみたいな感じ。

 ということでじつのところ、本日もまだ魂が抜けているような状態なので、実質おやすみということで;;
 もうこれでいいかげん、私も落ち着けるのではないかと思っているのですが……。甘いかなあ。(^^;)

 ところで、昨日はそんなわけで3連休最終日、幸いにしてお天気もよろしかったせいでしょうか、新大阪駅はたいへんなにぎわいでございました。
 が。
 ——なるほど、今回は見かけませんでしたね、シナからのツアー客。

 新幹線に乗ってからも外国語は聞いていません。

 考えてみるとこれはけっこう、久しぶりの現象なのではあるまいか。

 ほんで——昨日の私が何を思ったかというと。
「快適だなあ……」
 ということでした。

 うーむ。べつに、いままでそんなに、シナからの観光客がいるとウルサいとか、見苦しいとか、そんなには気にしていなかったのですが。
 昨日のように、まるっきり、あの大声で話すのも聞こえないというのが——思いのほか、快適で。

 なんなんでしょうかね;;

 もう最近ではすっかり、朝鮮語だのシナ語だのが聞こえてくるのは常態化してしまい、べつになんとも思わなくなっていたのですが、——昨日はなぜか、あれほどの混雑の中を歩いていても、なにかが「楽」でした。
 あの「楽」な感じ。快適さ。……いや、ここで快適とかって思っていてはいかんのでは、と思いましたが、——いかんのでは? といってもなー。うるさいものはうるさいし、見苦しいものは見苦しい。これは私のほうではいかんともし難いこと。

 神戸の布引ハーブ園のトイレに、繁体字と簡体字で「(使用後の)トイレットペーパーは流してください」という注意書きに「どういうこと?! 紙を流さないでそのへんに捨てる人がいるってこと?!」とカルチャーショックを受けてから数年。
2006/05/25 エントリ「ところ変われば」参照)

 なんかもう、そういうもんだという諦観もしくは達観の域に達しておりましたが。

 こうしてあらためてみると、あの人たちがいないと、静かで清潔でいいもんだなーと思ってしまいました。
 ………もういっそ、このままの方向で。といったら怒られるんだろうか。……怒られるとしたら誰にだろう;;

 なんだか変なことに気がついてしまった昨日でした……。

 あ、ちなみに。
 いつもお弁当を買うのに悩んでしまうのですが、新大阪ではありがたいお弁当があって、助かっております。

 新幹線中央口まえの大きいお土産ものショップ、文楽人形の隣り——というのだろうか——、ここのショップにあるお寿司なんですが。
「姫ずし」というんですが、1辺が15cmほどの正方形の箱に、一口サイズの握り寿司が12個はいっております。

 お味もよろしいですし(大絶賛するほど美味しいということでもないんですが、でも、いける)、一口サイズなので食べやすいし、握りのミニチュアみたいなお弁当ですが、質、量ともに私にはちょうどいい。

 私がふだん、お弁当をほとんど買わないのは、たいてい量が多すぎるから、ことに、ごはんの量が多すぎるから、なのです。
 多いのなら残せば、といわれますが、それができない;; ごはんは残さず食べましょうというのが、もう骨の髄までしみついていて、どーしても、食べきってしまいます。
 で、あとで苦しがっているという;;

 ところがこの「姫ずし」はそんなわけでじつに可愛いサイズで、買うときは「これだけだと足りないかな」と思うのですが、そんなこともない。大丈夫。
 握りは、文字通りごはんを握ってあるので、じっさいのごはんの量は、パッと見よりもあるんですよね。私にはあれくらいが多すぎず少なすぎずでちょうどいい。
 
 ちなみに1つ(1箱)で880円です。

 一昨年くらいに一度買ってみて、よかったのですが、今回新大阪駅についたら、なんだか内装が変わってまして。
 おおまかなレイアウトは変更ないようですが、なんとなく売り場のようすが変わっているので、「姫ずし」が見つかるだろうかとちょっと心配しました。ちゃんとあって、よかったです。(^-^)

 ショップのすみのほう、タクシー乗り場などが見えるサイドで売ってました(昨日は)。

 あのお弁当、私がほかにも行く先々で売っていてくれるとありがたいのですが……。というか、あんまり胃が丈夫ではない人間用のサイズのお弁当もあると嬉しいんだけどなあ。(^^;)

 通常の弁当だとどうもごはんの量が多くて、という方に、ちょっとおすすめですv

 
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個人的見解
2012年09月16日 (日) | 編集 |
 昨日、無事に父の三回忌法要も終了しまして、その後の精進落とし(でいいのかな)の、親族との会食も終了しました。
 なんだかこれでようやっと——ホッと一息というところです。

 次は七回忌ですからちょっと間があきますんで……。あー。やれやれ。

 親戚の顔を見るとストライキを起こす私の胃袋、そこを見越して昨日は夕食をほとんど食べずにいましたがこれが大正解。
 りんご、小松菜、レモンのジュースにプロテイン、朝の残りのおみおつけだけで済ませておいたので、さしもの私の胃袋も「これくらいならいいか」と納得してくれたようです。(^^;)

 ジュースについてはまたそのうちお話ししたいと思っておりますが。
 ——そう思って、じつはもう1年が経つ…。
 おかげさまでその1年で私は体重が2kg減り、母は、血液検査の結果がオールグリーン。
 ほかにもいろいろやっていますので、ジュース「だけ」で効果があったとは申しませんが、中性脂肪値が正常上限値の3倍を超え、お医者さまから「痩せて。野菜食べて」といわれても、なかなか実行できずにいた母には救世主となってくれたようです。

 ……私よりも母のほうが効果を実感しているかも。(^^;)

 ここ最近、グリーンスムージーやらなんやらのダイエットも評判になっておりますが、そのへん取り混ぜていろいろネタはあります。(^^;)
 結果的に、生姜紅茶、ローフード、酵素ジュース、スムージー、……ぜんぶ試してみちゃったんですよね、ここ3年ほどで。
 結論としましては、それぞれにメリットもデメリットもあるので、自分でうまいこと使い分けていけば、どれもかなり有効だと思います。

 そのへんのお話は、またそのうちにでも。



      ●

 私、「日本維新の会」は支持しません。
 橋下氏ももとから支持していませんが。(大阪の地方の話であればもちろん私が首を突っ込むことではありませんけれども国政となりますとね)

 例の八策も支持できません。少なくともいまのところは。

 民主党が政権を取ったときと同じことが、もっと悪い形で繰り返されようとしているとしか思えませんで。(^^;)

 世間は、自分では何も考えず、ただ大声でわめいている人についていく。
 橋下氏はそういう世間の「性質」を、上手に使っている。それが私の見ているところです。

 メディアや政治家が愚かだというのなら、それは国民そのものが愚かだからだ——というのはもう、充分、目に見えていると思いますけれども、問題は、その愚かさがどこらへんでとどまってくれるか、なんですよねえ。

 ちなみに、民主党から維新の会へ鞍替えした国会議員は、いちど国会議員をやめるのが筋ってもんだと思います。比例区で議員になっていた人はなおさらです。

 そういう筋を通すこともできない人を、当選させることは、よもやなかろうと思いますが、各選挙区の皆様の「常識」はいかがでしょうか。

 私がいちばん警戒しているのは、橋下氏本人はまだしも、その尻馬に乗ったり、日和見している連中ということになりますね。
 そういう不見識な人は有権者がきっちり見定めて落選させるのがいちばんいいのですが、なにしろ「ハーメルンの笛吹」に誘導される人が多いようなので。

 民主党はダメだと私は2009年には申しました。支持するとかしないとかの問題ではない、彼らは外国政府の出先機関であるので、支持するしない以前の問題だと申しました。
 しかし世間の多くは「やらせてみなければわからない」といって、政権を取らせました。

 火を見るより明らかなのに本当にわからないのか、と私は愛想も小想も尽き果てましたが、その「やらせてみた」結果はご覧のとおり。

 日本維新の会についてはその民主党と同じと見ています。
 橋下さんおひとりはまだいいとしても、とてもじゃないが、政党としては支持などできるものではありません。

 そりゃあね、昔の、ボケるほど平和だった日本であればこういう人々に「遊ばせる」余裕もあったかもしれませんが、現在の日本は民主党のおかげで危急存亡の秋でございます。(って、3年前にも言ったけど、現在はあのときよりもさらに状況が悪くなってる;;)
 申し訳ないが、いまは、素人集団に「お遊戯」をさせておく余裕はない、と私は見ております。

 なんにしても、現行の小選挙区制度って困っちゃいますよねえ。
 以前の中選挙区制度の頃なら私もこれほど危機感を持たずにすんだかもしれませんが、死に票が多くなり、白か黒かの極端な結果になりやすい小選挙区制度は、有権者の思惑を超えて極端な結果になってしまう。
 それで、私は危機感を強めてしまうわけです。

 小選挙区制度……あらためてもらえませんかねえ;; 中選挙区制度って、なにがいけないからやめることになったんでしたっけ?;;

 とにかく「死に票が多い」のと「結果が極端」なのは本気でどーにかしてほしい;;

  
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迷惑とは
2012年09月15日 (土) | 編集 |
 本日から3連休ということに、いちおうなっておりますが。
 今日は法事。明日は午前に仕事、午後移動、月曜日には墓参り。

 思わず遠い目をしてしまいますが……ここを……ここをさえ乗り切れば……。

      ●

 なぜなんでしょう、私はどうもこういうことをいちいちいうのに恥ずかしい気持ちがしてしまうのですが。
 すみません、また、アメリカさんのホワイトハウスへの請願署名のお知らせです…。お気持ちがおありの方、どうぞよろしくお願い致します。

Persuade South Korea (the ROK) to accept Japan's proposal on territorial dispute over islets.
 ↓↓↓
http://p.tl/uNJm

 早い話が、「韓国に国際司法裁判所へ出てくるように働きかけるにあたり、アメリカも100%他人事じゃないわけなので、ご助力願いたい」という旨の請願署名です。

 私としては「いちいちよそさまを巻き込むのも…」と気が引けるのですが、なんせ韓国がああいう態度ですから、しょうがないかなあ、と。

 ………シナですか。シナについては、まあ馬鹿馬鹿しいの一言ではあるのですが、……私がいまもっとも懸念しているのは、通州事件の再来とならないか、ということです。いや冗談とかイヤミとかじゃなくて本気で。
 なにしろシナですから。

 日本政府は、邦人がすでに襲撃されているにもかかわらず、なんの声明も出してないし……。

      ●

 誰かに迷惑をかけたくない、ということで、あれこれに配慮し、自制して行動するというのは、基本的にはいいことだと思います。
 自分の尻は自分で拭くというのは、自立した人間の基本ですもんね。

 ということで、なにごとであれ、人様に迷惑をかけないよう、迷惑にならないよう、と気をつけているのに、なぜなのか、周囲から孤立したり、あげくには、ひとさまから(迷惑だからという理由ではなく)非難されたりする。

 こういうのは、本人にしてみたら、たいそう不本意なことでしょう。
 自分は他人にめいっぱい気を使って行動しているのに、なんで非難されなきゃいかんのか、と。

 人に迷惑をかけたくない、という心がけはいいことなんですが、しかしこれ、場合によっては、「人に迷惑をかけたくない」のではなく、「人に借りを作りたくない」というサインになることがあります。

 迷惑をかけまいと配慮することは円満な人間関係や社会生活のためには尊いことですが、——そうは言いましてもね。人間、どうしたって、なにがしか、ひとさまにはご迷惑をおかけするものなんですよね。
 そのへんは「お互い様」というものでしょう。

 ここで、お互い様、という言葉が出てこない社会というのは、夏目漱石が(『草枕』で)いったところの「人でなしの国」になってしまいます。
人でなしの国は、人の世よりもなお住みにくかろう」——とは「草枕」冒頭にある言葉ですが、じっさい、そのとおりですよね。……ね。(←思わず念を押す)

 ことに、親しい間柄であれば、迷惑をかける、ということが、ひとつの親愛の情の表現だったり、「自己開示」だったりします。
 つまり、迷惑をかけるということは、自分のなにがしかを、相手に任せるということでもあるので、——迷惑というのは、信頼していない人にはかけられないものなんですよねえ。

 好意を持っている人からは、多少の迷惑をかけられるというのも、逆に嬉しいものだったりして。(^-^)
 買い物を頼む、送迎をお願いする、ちょっとだけ、愚痴を聞いてもらう、——というようなことは、やりすぎれば本当に迷惑ですけれども、でも、親しい人間同士の間ではむしろ、それらは、「あなたを信頼します」「お任せします」というサインにもなるわけで。

 ということで。
 自分はただ、迷惑をかけないようにしているだけなのに、なんだかよくわからない非難をされる、ということがあった場合。
 もしかしたらそのときには、「迷惑をかけない」のではなく、「あんたには借りを作らないよ」という、『拒絶』のサインになっているのかもしれません。

 せっかくの親切な申し出なのに、「迷惑かけたくないから」とぴしゃりと断る。……これ、かなり感じ悪いですよね。迷惑かけたくないというのは「正論」でも。(^^;)

 差し出された手を、いきなり叩き落とすような真似を——そのつもりがなくても、やっちゃっていないか。考えてみるのも、悪くはないと思います。

 先日、どなたのお言葉だったか、「Give and Take」ではなく「Give and Given」だ、という言葉を目にしまして。
「テイク」ではなく、「ありがたく受け取る(与えられる)」ことも、相手に対する信頼を表す行動だな、と思いました。
 日本語には、「頂戴(ちょうだい)する」という奥深い表現がありますが、そういう感じでしょうか。

 人間、生きていれば誰かに迷惑をかけるもの。と同時に、誰かからの迷惑をこうむるものでもある。
 でも、そのへんはお互い様なので、お互いに、許しあっていくというところで社会のバランスはとれるようになっているのではないかと思います。

 なんにしても、「頑固」というのは、心が固くなるのでよろしくございません。
 迷惑をかけないという心がけに固執するあまり、「他人に借りを作らない」という態度になってしまうというのも、言ってみれば、頑固、ということになりますよね。

 傍若無人な態度よりは、ひとさまに迷惑をかけまいという心がけを持つことは尊いこと。
 ですが、あまりにもその「自分の事情」に固執すると、誰かがそっと差し出してくれた思いやりを、手ひどくはねつけるという無礼になる。

 どんなに「いいこと」でも、やっぱり、頑なになってはいかんのでしょう。

 心はできるだけ柔らかに——というのが、自分にもひとさまのためにも、いいことなんじゃなかろうかと思います。

 私も「他人に迷惑をかけない」「自分の尻は自分で拭く」ということをつい、考えてしまうほうで、若い頃には、心密かに、そういう自分をちょっと誇ってもおりましたが。
 ——ある日、気がついたわけでございます。
 他人に迷惑をかけない、と、全身を鎧(よろ)っているというのは、他人に対して、「おまえには用はない、あっちへいけ」と言っているのと同じことだ、と。

 ——他人に借りを作らない、というかたくなさを、そういってしまうと身も蓋もないので、外面(そとづら)はいいように取り繕った表現が、「他人には迷惑をかけないように」だったんじゃないだろうか。と。

 ひとさまにご迷惑をかけないようにという気持ち自体にはウソはないんですが、これ、あまりにも頑固にやると、そういうことになっちゃうぞと。
 気がついたときはけっこう、自分で自分に青ざめてましたねえ。(^^;)

 人に迷惑をかけない、というのは「誰のため」か。
 自分の事情にばかりこだわっていないか。
 他人に迷惑をかけないという配慮は本来は、相手のことを「思いやる」ということのはずなのに、相手の思いではなく、自分の事情にとらわれていないか。

 相手に取ってどうなのか、相手はどんな気持ちなのか、というのを考えず、ただ、馬鹿の一つ覚えで、なにがなんでも、どういう状況でも、「他人に迷惑はかけない」のだ、それが私の流儀だ、などとこだわるのは。
 ——ま、ある意味、本末転倒。

 そんなつもりはなくても、「他人に迷惑をかけない」というのは、ときに、ものすごい拒絶の態度になっちゃうんだ、というのは。
 迷惑をかけたほうがマシだというくらい、無礼なことしてたんじゃないのかアタシ。

 人の心持ち、行動、というのは、まったくもって微妙なもんです。
 同じような心がけのつもりでいても、「迷惑をかけない」のと「借りを作らない」のとでは、まるっきり、違う行動になってしまう。
 まるっきり違う行動だけれども、その違いをもたらしているのは、「ちょっとだけ、相手の気持ちに添うてみる」視点があるかどうか。それだけ。

 最初はほんの少しのズレでも、長い直線を引いていくと、角度にしてたった1度の違いでも最後にはえらく離れていってしまうようなものですね。

 そのズレがごく小さいうちに、ズレがあることに気がつくこと。そのためには、やはり、柔軟な心持ちが、必須だと思われます。

 心はできるだけ、柔軟に、やわらかに——頑固ではないようにしておくのがよろしいようです。
 私も、それがわかっただけでも、ちっとは、年をとった甲斐がある、と申せましょうか。

 そのくらいしか甲斐がないのか、と言われますと、どうもお恥ずかしいことで、というより仕方ありません。
 昔の人風にいうなら「汗顔(かんがん)、汗顔」てところですね。(^^;)


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