ときめきではないけれど

 ふだんなかなか手をつけられないのが、本や古雑誌、手帳類の処分。
 手をつけたら最後、きっちり片づけ終わるまで、やめるわけにはいかなくなりますからね〜;; 最後までやりとげないと今晩眠る場所もない、みたいなことになります。

 思うところあって、いわば断捨離とばかり、ためこんでいたものを処分し始めて、爾来7年。
 もうだいぶ片づけたつもりでしたが、じつはまだ、ほぼ手つかずのところが残っておりました。
 CDラック。最後の「魔窟」(……だといいな)。

 CDラックが何で魔窟かと言うと。
 たしかにパッと見は、CDがぎっしり詰まった単なる棚ですが、この棚はCDを入れるにしては奥行きがある。
 CDの後ろには、そういうわけでじつは、懐かしい「アニパロコミックス」(知っているひとは同世代以上でしょうね〜)や、本人が見たら悲鳴をあげるであろう、友人の高校時代の同人誌、その他、「若気の至り」のものが詰まっている。

 これらを思い切って処分することにしました。

 まあ、恥のかたまりみたいなところもある(同人誌はね;;)けど、ある意味、思い出の品でもあるのです。だからいままで処分できずにいたのですが、このたび、いろいろと自分と対話した結果、「もう手放してもよろしかろう」ということになりまして。

 片づけには「盲点」があります。自分にはなじみすぎてしまい、片づけるべきところが認識できない、というものが。
 他人が見れば、「なんだあの荷物」と思うところ、もう本人の目には景色としてなじみきってしまい、片付いていない、なんか汚い、ごちゃついている、という認識ができないことが多いんですよね。

 このCDラックはまさにその状態。
 じつはあそこはまだぜんぜん片づけてないぞと気がついたのは2、3ヶ月まえ。
 気がついて見ると、「なんで今まで、あんな状態のものを平気で放置できていたんだろう!」と思うんですよね。(^^;)

 いろいろ考えて片づけることにしたものの、——なんせ一度手をつけたら、完全に段ボールに詰めるなり、ヒモで結束するなりして、きちんと処分できる形にまとめて部屋の外へ運び出さなければ、部屋に私がいられなくなることは目に見えている。

 いちど手をつけたら完全に終了するまでやめられない、というのはわかっていたので、ついつい、延び延びになってたのを、このGWを利用して、やっと処分したというわけです。
 
 おかげさまでまた少し、本を収納するスペースができました。
 CDも、今後少しずつ、処分することになると思います。

 後悔しない処分方法については近藤麻里恵さんの本がじつに参考になりました。
 で——処分するのはたしかにある種の快感ですが、その快感にのせられるまま処分して、あとから後悔することも、じつはあったりするわけです。

 それを避けるために「ときめき」を基準にするというのは、あれはいいですね。本当にこれは間違いがありません。自己との対話にもなりますし。
 ——逆にいうと、自分自身ときっちり話ができる感性が休眠状態になっている人には、これは時間がかかる作業になるのかもしれませんね。

 ともあれ。
 今回、そういうわけで下手すりゃ中学生のころから持ち続けていた「お宝」を処分しましたが、これだけは処分しなかった、というものが、ひとつだけあります。
 自分自身に問いかけて処分しなかった——つまり、「ときめき」が、現役であったもの。

 ——1993年11月17日付け、「Newsweek」日本版のコラムページ(を切り取ったもの)です。

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 俳優、リヴァー・フェニックスの訃報。

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 彼は同年10月31日、午前1時頃、ロスアンゼルスのナイトクラブを出た直後に倒れ、そのまま不帰の客となりました。

 ………さわやかな、秋晴れの朝、通勤途中の車のラジオで、このニュースを聞いたときのショックをいまだに忘れられない。

 あのときは本当に頭が真っ白になりましてねえ。ハンドル握ったまま。あとから考えるとなんてあぶない状態だったのかと思います。事故らなくてホントよかった;;

 彼は当時、まだ23歳。

(余談ですが——このNewsweekの記事中にも『享年23』と書いてありますけど、享年、行年というのは通常、数え年でいうものなのでこの表記は間違いです。慣習として)
(寿司の1貫という数え方が無理矢理変更されたのと同様、享年は数え年で言う、というのも、そのうち概念として絶滅するんでしょうね)
(寿司の1貫は、本来は、握りが2個)
(江戸時代の度量衡の関係で、通常、1貫の米なら握り2個分だったので、寿司1貫=握り2個だった)
(なのに、なんで握り1個が1貫という間違った言い方のほうが広まったのかは私にはナゾ)
(ご存知の方がいらしたらぜひご教授を;; いえホントに。マジで)

 有名な菜食主義者で健康オタクのイメージがあった人だから、死因にドラッグが指摘されたときはなんともいえない、やりばのない怒りと悲しみを感じたもんでございます。
 
 ……そうですか……あれからもう、19年ですか……(遠い目)

 1970年生まれだから、生きていたら今年8月で42歳か〜。どんな俳優さんになっていてくれたんだろう、と思うと、やはりいまでも、胸が痛みます。

 独特の雰囲気を持った、——さりとて、いわゆるハリウッド俳優という「におい」もしない、特別の雰囲気を持った俳優さんだったと思うんですよね。そうでなければ私がここまで興味を持つはずもなかった。(あんまり好きじゃないからねえ……ハリウッド映画。(^^;) )

 年をとることにネガティブなイメージが強い人って世の中には大勢いると思いますけど、わたしはやはり、人は、可能な限り、長生きすべきだと思う。
 なんでかというと、あんまり早死にされると、残された側の未練が、執着というレベルにまでいってしまうことがあるから。

 加齢というのも成長ですよ。どこまで、どのように成長するかは人それぞれですけども、なにもそう嫌うようなことじゃない。
 42歳のリバー君を、やはり私は見たかった。23歳でいきなり死なれてしまって、涙もでないほどのショックを味わうなんてのは、やはり嬉しいことじゃない。
 もしかして42歳になるまでの彼に失望することはあったかもしれないけれども、それもまた人生ではないでしょうか。
 早死にされるよりは100万倍ましです。
 20年もこんな雑誌の切り抜きを捨てられずにいる自分を顧みたとき、つくづくそう思いますよ。
 
 できるだけ頑張って踏ん張って長生きして、お互いの成長を言祝いでいきましょうよ。
 天命というものがあるなら、たしかに、若死にするのも天命じゃあるんでしょうが、それでもね。ドラッグなんかやらないで自分を大事にするのは、必要なことじゃないだろうか。

 ちなみに、同じページではイタリアの巨匠、フェリーニの死も報じられていました。
「え? フェリーニも93年だったっけ?!」
 と、切り抜きを見てちょっとびっくりでした。

 こちらも73歳ということで、男性の平均寿命が80歳ほどある日本人からみると「ちょっと早いなあ」と思いますがまあ——23歳よりはまだいくらかましか;;

 当時の私もリバー君のことで頭がいっぱいになって、フェリーニのことはいまいち、印象が残らなかったんでしょう。(^^;) いちおう「甘い生活」くらいは見ているのですが…;;

 なんにしても、19年まえの記事の切り抜き、ここでも捨てられませんでした。
 こんまりさんお薦めのとおり、胸に残るものがある限りは、やはり捨ててはいけないんでしょう。(捨てたのを後悔するのはやはりいかんと思う)

 こんまりさんお薦めの処分基準は「ときめくか、ときめかないか」ですが、——この切り抜きについて言うとまだ、——ときめきというのとはちょっと違うかもしれませんが、生々しい思いがあるのは確か。
 胸の奥がぎゅっとする感覚は、本来ならときめきなのかもしれず、しかしその対象がお亡くなりになっていることへの悲傷がまだ——生きている、と感じます。

 いつかは、これもまた、すなおに手放せるときがくると思うので、いまは、そっとファイルにはさんで残しておきます。

 
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お楽しみ♪

 今年も4月29日はいいお天気。
 この日は「特異日」なんじゃないのかなというくらい、私としては毎年ほぼ晴れ、というイメージなんですが……今年もうちのほうは晴れです。

 爽やかでいいですねえ。(^-^)
 GW前半、お出かけの方も多いと存じますがどうぞ道中はお気をつけて、楽しんでいらしてください。
 私は今年は家事に精を出します。
 窓を拭いたり壁を拭いたり廊下を磨いたり(ワックスがけですね)庭木の手入れをしたり。
 予定は山積みですわ(笑)

 そういえば行楽地、沖縄はいきなり平年より11日もはやい梅雨入りだそうで;; ……なんだか意地の悪い天候ですね;; せめてあと1週間待ってくれれば;;
 梅雨入りが早いとその分梅雨明けが早い……というわけもないですしね。
 うちのほうはどうなるのかなあ。

 そういえば先日の気象庁の長期予報(3ヶ月)、発表されましたね。

<向こう3か月>
予報期間 5月から7月
平成24年4月25日
気象庁 地球環境・海洋部 発表

<予想される向こう3か月の天候>
 向こう3か月の出現の可能性が最も大きい天候と、特徴のある気温、降水量等の確率は以下のとおりです。
 この期間の平均気温は、北・東・西日本で平年並または高い確率ともに40%です。

5月 北・東・西日本では、天気は数日の周期で変わるでしょう。東日本日本海側と西日本では、平年と同様に晴れの日が多い見込みです。沖縄・奄美では、平年と同様に曇りや雨の日が多いでしょう。

6月 北日本日本海側では、天気は数日の周期で変わるでしょう。北日本太平洋側、東・西日本、沖縄・奄美では、平年と同様に曇りや雨の日が多い見込みです。
 気温は、北・東・西日本で平年並または高い確率ともに40%です。

7月 北日本と東日本日本海側では、平年と同様に曇りや雨の日が多いでしょう。西日本と東日本太平洋側では、前半は平年と同様に曇りや雨の日が多く、後半は平年と同様に晴れの日が多い見込みです。沖縄・奄美では、平年と同様に晴れの日が多いでしょう。


 以上が3ヶ月予報ですが、気象庁の長期予報は外れる、と思い込んでいる私としては、平年並みといわれると悩むんですよね。(気温が)上にはずれるのか、下にはずれるのか? さあどっち。

       ●

ドラマ「三毛猫ホームズの推理/日本テレビ」
http://www.ntv.co.jp/mikeneko/

「猫が可愛いのよ〜」
 と、ウチの母が申しますので、昨夜、私もちょっと見てみました。「三毛猫ホームズ」。

 ドラマのエンドロールによるとあの三毛ちゃんは「シュシュ」ちゃんでよろしいのでしょうか。
 長毛種っぽい外見で三毛……、ああああああ、可愛いいいいいい〜♪(悶)

 赤川次郎さんの三毛猫ホームズシリーズは過去にもドラマ化されていたと思いますが、今回ぶっとんだのは、ホームズが人間の姿になって現れること。(このへんネタバレってほどじゃないですよねえ? これくらいいいですよねえ? 公式サイトのキャストや相関図にも載ってるんだから)
(どうも自分がネタバレをぜんぜん苦痛にしないもんだから、いまいち、ネタバレの範囲が理解できない)

 いきなりマツコ・デラックスさんが登場なすったときはなにごとかと思いましたが、あの肉球棒を見て、「おお!」と思わず膝を打ちました。
 なるほどこのホームズは喋ってくれるんですね!
 
 登場の度にファッションが違うようですが、昨日はとりあえず、ゴルフのキャディさんだったようです……。
 コスプレの趣味でもあるのかしらホームズ。

 ちなみに、最初に猫の名前を聞いたときのうちの母のツッコミは、
「ホームズ? 三毛猫で?……三毛ってふつうはメスだよ?」
 でした。

 あー……まあそうなんですけどね……。

 オスの三毛猫というのはいないわけでもないそうです。ただ、数が少なくて珍しいというだけで。
 三毛猫でオスというのは、ようは性染色体の異常の結果(ふつうは、性染色体XXか、XYであるところ、XXY、XYXになっているとか)ですが、これまた、さらには稀に、繁殖能力を持つオスの三毛猫というのもいることはいるそうです。
 激レアどころじゃない存在ですが。(^^;)

 まあ人間なんて勝手なもんで——レアな三毛だろうがなんてことないミックスだろうが猫は猫なのに、勝手な付加価値をつけて値段が吊り上がったり、そうでなければゴミのように捨てたりするんですね。

 ………数十万円もお金を払って猫を飼うなら、ガス室送りにされるような猫を、1匹でも引き取ってほしいと思いますよ。
 猫は猫なのに。

 ちなみにうちにいる猫はみんなタダです。もとはといえば野良猫がうちにいついて子供を産んでいったから。
 ……もうしょうがないから母ちゃん猫には避妊手術はさせましたが、その子供たちはみんな元気です。
 
 ……あれ。また話がズレている;;
 
 えーと(気を取り直す)——事件のほうは1話ごとで完結するのかと思ったら、昨夜は「来週に続く!」になっていたので、ありゃ、と思いました。
 来週まで話を覚えていられるだろうか私。(^^;)
 そして来週にはホームズの活躍を見られるのか(昨夜の第3話では、ヘソを曲げてサボタージュを決め込んでましたもんね……猫だから、それでいいと思うけど;;)。

 またちょっと楽しみができて嬉しいです♪

 
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今日の話題はガーデニング

 今朝はさわやかでございます。
 いい風が吹いて、新緑もどんどん出てきて——いいですね〜。本当に自分自身も全身がほどけて、開いていくような気がする。
 
 毎年のことでございますが、毎年この季節は、目を洗うようなすがすがしい緑をみるたびにはっとと胸を衝かれ、感動し、と同時に、「よくもいままで平気で生きていたものだ」と思うんですよね。
 あの冬枯れの景色の中でよく平気だったな。と。

 自覚がないだけであんまり平気でも正気でもなかったような気もしますが。(^^;)

 冬には冬の美しさがある、というのは、「理屈としては」理解しますが、感覚的にはやはり、まったく納得も賛成もできない体質ですね私は;;
「言っている意味はわかるんだけど、実感はできない」

 今年はうちの庭も、牡丹や鉄線が数年ぶりに咲いているのが嬉しいです。
 もう枝がカサカサに枯れて、ダメになってしまったかに見えたツツジやサツキも柔らかい葉を出してくれたので大感動。

 父が発病して以来、まったくもって庭の手入れどころじゃなかったから、昨年の春などはもう、うちの庭はなかなか寂しいことになっていたのでした。
 それでも去年の秋に、ちょいちょいと撒いておいたのが、万田酵素さんの、植物用酵素肥料「万田アミノアルファ」。

万田酵素
http://www.mandahakko.com/

万田アミノアルファプラス 100ml
http://www.mandahakko.com/goods/E240.php

 HBー101も利用していますが、この「酵素」というのは、肥料とはまた違う働きがあるようです。なんていうんでしょうか、植物を、というか、「土」そのものに効果がある感じ。

 土壌改良にすごくいいんじゃないかなあ、という感じがするんですよね、万田アミノアルファは。
 たぶん、うちの庭木が弱っていたのは、もう、土そのものにパワーがない、栄養がないという感じになっていたんだと思います。
 HB−101を撒くと、たしかに、撒いたところの植物は元気になりますがそれも限定的な感じでした。

 が、この酵素を撒いてあげると、あまり熱心に撒かなかったところの植物までが、いきなりがんがん生えてくるんですよね。(有り体に言えば雑草ですが、しかしいままでは、その雑草もろくに生えなかったのです)

 昨年秋に酵素を撒いたといっても、容量2リットルのバケツに2杯分くらい。まったく申し訳程度にぱしゃぱしゃとまいただけ。
 正直言ってとくに期待もしていなかったのですが、今年は明らかに、その効果が現れている——もう葉も出てこずに枯れてしまったと思い込んでいたツツジが、今年は花は無理ですがともあれ、新しい葉を伸ばし始めているのですから、そりゃ感動ですよ〜。

 いままでなんの手入れもしなくてごめんよ、というわけで、今年は、ちゃんと殺虫剤もまいて、いろいろお手入れします。今日の午後にはそういうわけで、木を消毒する予定。お天気もいいですしね。(^-^)

 今年の春はこれでもう2回、庭に万田アミノアルファを撒いております。
 というのは昨年の台風で、南側に植えている庭木がかなり、潮の被害を受けて、葉っぱがちりちりに枯れていたため。
 見ておりますと金木犀の葉などは、いちどは新芽を出したのですが、すぐに茶色に変色、枯れたような状態になってしまいまして。
 まだ塩が残っているのか、それとも木そのものがもう、枯れかかったようなダメージを食らっているのかと思い、2週連続でせっせとアミノアルファを撒いたんですよね。
 そうしましたら、先ほどみたら、こんどの新芽はちゃんと、変色もせずに順調に育っています。……がんばれ。また肥料も撒くからがんばれ。

 秋にはやはりあの黄金の花と、その香りに出会いたいです。

 ちなみにこの金木犀は、「雀の休憩所」でした。
 もさっと枝が茂っているうえに葉っぱが何重にも重なって生えるのがちょうどいいのか、通りかかると雀の、にぎやかに鳴き交わす声がしょっちゅう聞こえてくる場所だったんですよね。

 葉っぱが茂っているので人の目につきにくいうえ、内部の枝が細かいので止まりやすいんでしょうね。
 それがいまや、葉っぱが枯れて中がよく見えてしまうので……あまり雀が立ち寄ってくれません(泣)
 これから夏に向けて、雀の休憩所復活を目指したいと思います。

 ……昨年の春は、ようやく介護疲れ+葬式法事疲れから立ち直ろうとしている時期で——はっきり言って自分がヘロヘロだったので、庭木の手入れどころじゃなかったです。今年になってようやく、そんな気力も出てきました。

 新しい緑、新しい花。やはり嬉しいしありがたいもんです。花が咲くというのは本当には、なんとすごい奇跡だろう、と感じております。
 鉄線が咲いたのは4年ぶりですが、これ、去年の秋に手のひらに酵素液をとってぱらぱら撒いたという程度だったのに、——ものすごい効果。

 万田アミノアルファは、私のように、あまりきっちり庭木や植物の手入れをしてあげられない人にも、よろしいのではないかと思います。
 もちろんこの肥料を使って農作物を作っているプロの農家さんもいらっしゃいます。こちらもやはり素晴らしい作物が収穫できるようですね。

 その万田酵素さんの肥料で育てた、お米、じゃがいも、たまねぎがセットになったものを毎月、定期で購入しています。美味しいですv
(サイトをみたら紹介が出ていないようで……、特別なプランなのかな?)

 今日はあまりのいいお天気に、思わずこんなお話に。(^^ゞ

 
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石を沈めて木の葉を流せ

 これはありがたいことです。私にしてみりゃ「当たり前じゃん」というところではあるのですが、そうはいっても、司法の判断は世間の常識とはまったく違うときがあるので。(^^ゞ

大衆薬ネット販売、高裁認める 規制見直し論議加速
2012/4/26 19:47 日本経済新聞

 私もネットの医薬品、おもに漢方薬の購入にお世話になっているので、2009年のあのばかばかしい法改正のおりは、頭に血が上りまくりでした。

09/02/28「最近のお怒り」 ・09/04/11「つける薬なし」

 このブログのサイドメニュー、「リンク」のところにも、署名活動サイトを貼ってあります。

 とはいえ、国はこういう場合上告をしないというのは滅多にない。小泉内閣のおりのハンセン病患者に関わる訴訟のときは上訴はしなかったのは、あれは役人の判断ではなく政治判断でしたが——この医薬品販売については業界団体がものすっっごいロビーイングをしているらしいので………さて、どうなりますか。
 
 ネット販売と薬害(おもに副作用による被害)の関係についての、厚労省の見解は、牽強付会もいいところで、まさに突っ込みどころ満載ってヤツですが——とにもかくにも2年間、2類以上の医薬品販売はなかったわけだ。
 厚労省や薬害被害者とおっしゃる方々の見解が正しいのなら、ネット販売が禁止されたこの2年で、市販薬の副作用による薬害件数は激減しているはずですね。………ですよね?

 どんだけすんばらしい規制効果があったのか、示してもらおうじゃないの。
 厚労省は今回の判決が不服ならそのデータを引っさげて上訴すればいい。
 ですよね?

 法改正時にも申しましたとおり、私は店頭で薬を買うときよりも、ネット薬店さんで買うときのほうが、はるかにご親切に相談にのってもらっているので、本気でこのロビーイングには頭に来ているのです。意地でも大型ドラッグストアなんかで薬を買うか! と言いたいところですが、大型ドラッグストアに(結果的に)つぶされた、個人経営の薬店はすっかり数を減らしているんですよね。

 自分たちがほかの業態をつぶしてきた、ということを思えば、ネット販売を脅威と感じるのは理解できるけど因果応報なんじゃないですか——と、私はそんなふうに感じます。

 私がネット薬店で購入することを支持するのは、やはりメールや電話での問い合せに丁寧に対応してもらえるということが大きいです。
 とくに私が利用するのはおもに漢方なので、——あの「体質」を見てもらえるというのは、本当にありがたい。

 大型ドラッグストアで何かを購入するときあんなに丁寧に対応してもらった記憶はただの一度もございませんが、私の体験ケースはレアなんですかね?

 ………言い出すとまたイヤミがとまらなくなりそうなんでこのへんでやめときます。(^^ゞ

 ということで、今回の判決は私はありがたいと思いつつ妥当とみていますが。だからといってあの「国民を殺したり病気にしたりすることに熱心な厚労省」がこのまま引き下がるとも思えないし、現政権での政治判断はさらに期待できないから、まだ時間がかかるんだろう——と思っているところです。

 石が流れて木の葉が沈むようなことは、実は人間の世界ではけっこうあることですが、しかし、いーかげんにしてほしいわ、と思っております。

 
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軽くブーイング

 えー! と叫んだニュースでした。
 えー! にもいろいろありますが、これはかなりブーイングの「えー!」です。

フィギュア:羽生結弦がコーチを変更 B・オーサー氏に
毎日新聞 2012年04月25日
http://mainichi.jp/sports/news/20120426k0000m050020000c.html

 コーチ変更はともかくなんであの人なのよ?! と、はっきり言いましてかーなりブーイングを繰り返しました昨夜。
 ……深い意味はないのだが、日本人としてはオーサー氏には喧嘩を売られたことがあると感じているので、「なんであんなの(失言)に?!」というのが私のまごうことなき本音。
 ほかにもっといい人材なかったんですか。これで、ここぞとばかりにスポイルされたらどーすんのよ(スポイルというより、ignore ね。 ようは、“つぶす”)。悪いけど私、ISUと同様に、日本スケート連盟もぜんぜん信用していないので、激しく不安を感じております。

 とはいえ……阿部コーチと師弟関係を解消というのは意外でしたなあ……。なにかの事情はあるかもしれませんが……、技術面のコーチとはまたべつに「理解者」としてのコーチというのは必要なものだと感じるので、ちょっと意外というか……心配というか。
「そんなことして大丈夫なの?」
 というのが、私の率直な感想です。

 じつのところ浅田真央選手はあれほどの逸材でありながら、これまた率直に言うとコーチに恵まれたとは言い難いところがあり、現在の佐藤コーチに師事してやっと、という感じがあるんですよね。
 羽生選手はせっかくいいコーチが——彼の魅力も能力も、なによりその個性を、よくよく理解してくれているコーチがいたのに、それを、あんなの(失言)に切り替えるというのは、どうなんだろう。

 ここだけの話、私はあまり、オーサー氏の、コーチとしての能力そのものはさほど高く買っていません。むろんとくに凡庸だとも思ってはいませんが、彼の評価すべきところはそういうこととはまた別の方面なのでは、と感じております。

 羽生選手の、世界を見据えた次のステップへという気持ちはよく分かるし、その意気やよしとも思うのですが………コーチがアレですか(失言)……というところで、「えー……(ブーイング)」になっちゃうんですよね。(^^;)
 
 なんにしても羽生選手を応援することには変わりませんし、彼のいっそうの成長は期待しております。
 ただ、彼にとって、すべてのことが善かれと祈るばかりでございます。
 
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根拠のない自信

 自信を持って、などといいますが、自信というのは何でしょう?

 根拠のない自信、というのを、嘲笑するご意見を見たことがありまして、しかし私がひっかかったのは、
「根拠のある自信というものがあるとするなら、根拠というのは具体的にはなんのことなんだろう」
 でした。

 例によってごちゃごちゃと考え事をする頭なので、途中の経路の説明は省きますが、「根拠ができたら自信を持つ」なんて言っていたら、永遠に自信なんかもてないよ、という結論になりました。
 つまり——自信に根拠は必要ない。ゆえに根拠のない自信を嘲笑するのは間違いである。

 こういうことができたら自信を持てる、こういうことがあったら自信を持てる、——と、つい考えてしまいがちですが、こういうことができた、こういうことがあった、というのは、いわば「結果」が得られたら、ということですよね。
 しかし結果を得るためには行動しなければならない。
 行動するためには、自信が要るのです。

 自信がなくて不安で臆病で、いつもいつも、びくびく、おどおどしている人間に、いかほどの「行動」ができましょうか。
 行動というのは失敗を恐れず(失敗するつもりで動いてはいけませんが)、目的と意志をしっかり持っていないと、実行はできない。——このへんは了解いただけるものと思います。
 で、目的と意志をしっかり持つには当然、精神力が必要ですが、その場合の精神力とはなにか。
 自分に対する、揺るがない信頼。つまりは、自信(self-confidence)です。

 自信を持つためには根拠になる「結果」がいる。行動しないと結果は得られない。行動するには自信が必要。
「根拠のない自信」を嗤う人々の価値観に沿って考えると上記のとおりになるわけですが、これ、おかしくないですかね。堂々巡り、鶏が先か卵が先か。
 自信を持つには根拠が必要である、という命題について考えると、根拠を得るには行動が必須だが、行動のためには自信が必須である、となってしまう。
 となると「自信を持つには根拠が必要である」という命題は「偽」だということで、よろしいのではないでしょうか。

 早い話が、自信を持つためには根拠がいるなんて、そんなのは嘘だ。ということ。
 根拠ができるのを待っていたら半永久的に自信なんか持てない。

 では、自信というのは本来はなにか。

 それはようは「自分に期待する」ということ。
 きっとこうなる、きっと実現してみせる、必ずこんなふうになる、と、自分に期待することが、自信、というものではなかろうか。

 もっと簡単に言うなら「希望」を持つ。ということですよね。

 こうなりたい、こんなことをやりたい、実現したい、きっとできる——と信じたとき、そんなことを実現しちゃう自分に期待を寄せたとき、わくわくしてきて、敢えて行動しようなんて決意しなくても、足が勝手に走り出す。

 失敗しても大丈夫。失敗するとそれが「次の成功のための参考資料」になる。経験という得難い「ポイント」になる。

 自信、というのは、つまりは、そういうことなんじゃなかろうか。

 暗ーい考えや予想にとりつかれて、ダメに決まっている、自分はダメだダメだと思っていたら、そりゃあもう、行動なんかできませんよね。
 自分がしたいこと、実現したいことに意識をおくこと。それが実現したらどんなにすてきかしらと考えているだけでわくわくする。
 基本、人間は楽しいことは好きなわけですから、自分が本当に好きで楽しめることなら、言われなくても行動するし努力する。また、こういうときの努力や苦労は、努力や苦労ではあっても「苦痛」にならない。

 自信に満ちた人というのは、ようは、そうやって、「自分に期待を持っていられる人」ではないでしょうか。

 根拠のない自信? 自信にはもとから根拠なんか必要ないよ。
 必要な物があるとしたら、自分で自分に期待すること、希望を信じること、自分を信じること。
 自分を信じるのに根拠はない。
 根拠がないのになぜ信じられるのかという人はいるでしょうが——これ、経験者だから私も申せますが、「信じられない人は、たとえ確かな根拠を示されても、それでも信じられない」ものなんですよね。

 信じられないのは、根拠がないからではなく、勇気がないからです。
 勇気がない人間は、どんなに大丈夫だと言うことを説明されても示されても、それでも足がすくんで動けないのです。
 根拠云々は、臆病者のいいわけです。もっともらしいことをいって、行動しない自分を正当化しているだけです。
 なぜ勇気が持てないか?
 勇気が持てないのは、愛がないから。

 また愛かー。と自分でも思っちゃいますが、そういう結論になったんだからしょーがない。(^^;)

 愛というとまた大げさなものに思われるかもしれませんが、それはようは「心を開く」ということなんで、じつはそう大したことではない。
 素直に心を開くとは、子供のとき、遊びに夢中になっていたときの、あの感覚だと思えば間違いないでしょう。

 無心に楽しむ、無邪気に喜ぶ、全身を使って笑う。——あの感覚。

 自信を持つということの「感覚」は、喜ぶこと楽しむこと、「現在」「この瞬間」にのみ生きること。心を開いて、わくわくすること。

 自信を持ちたいと願うなら、根拠なんか待たずにいまの自分というものを許して、楽しいことにわくわくすること。——これに尽きますね。
 自信とは自分への愛ですが、愛は無償のものであるゆえ、根拠なんぞ必要ないのです。
 根拠を求め、「報酬」を求めるのなら、それは愛ではない。これは断言しちゃっていいと思う。

 まあこれも、言うは易く、行うは難しといったことの一種なんですけども。
 勇気も愛もない臆病者は生きていくのはホント、たいへんです。(^^;) 大仕事ですよじっさい。
 臆病だけど頑張って生きている自分を、よく頑張ってるね、と認めてあげる。まずはそこから「愛」を始めましょう、という。

 そんなお話。

 
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「こゝ ろ」

 昨日の「平清盛」……お父上の忠盛さまがお隠れに……。
 母が一言。
「いい男がいなくなっちゃったねー」
「ねえ……」
 何を目当てに大河を見てるんだか。(^^;)

       ●

 そんなこんなで、夏目漱石「こころ」を電子書籍で読了。
 感想は……。
 そうですねえ。まあ、感動、ってことはないです。
「こころ」を大絶賛する知人の顔がちらほら脳裏に浮かび、「感動しないなんて言ったら怒られるかなあ」と思ったり。(^^ゞ

 読みやすいというのはありました。誰かの「語り」で進行するので、読みやすいというか聞きやすいというか。

 10年前までの私なら「先生」にシンパシーしまくりで、……なんていうんでしょう、自分の傷口にナイフを突き立ててぐりぐりやって傷口を広げたうえに塩をすり込むような感覚に陥ったことでしょう。
 ようは、「先生が何を言っているかはわかりすぎるほどわかる」のです。結局、自分はもう死ぬしかないんだなというところにいくまでの心理も含めて。

 ……私としては「ああ、この人はこれでは死ぬしかなかっただろうな」と、腹の底から納得せざるを得なかったのは、芥川龍之介の「或る阿呆の一生」(事実上の彼の遺書ですね)、それ以上に、「河童」でした。
 芥川の「河童」はねー。とことんまで落ち込みたいときにはいいですよおおお〜〜〜。これ以上ないほど厭世的、人間嫌い、それ以上に「自分嫌い」の感覚を、口の中に砂を詰め込まれるように、実感できますからね〜〜〜〜。(←ちょっと話し方が怪談調に……)

 ともあれ「こころ」については。
 まーなんと申しましょうかね。ようは、人間、ネガティブになろうと思えば、どんな些細なことにでもネガティブになれる、ということですね。

 このネガティブを徹底的に味わって味わい尽くして、自殺したい気持ちは痛いほどよくわかるけどそこもこらえてこらえてこらえていると、もしかしたら、ブレイクスルーがやってくるのかもしれない。
 ……と、最近は思います。

 仏教いうところの「諸行無常」でございますよ。諸行無常というのは、この世のはかなさをばかりいうのではなくて、ありとあらゆることは変化していく、一定に定まっていることはない、という意味ですから、ネガティブななにかも、永遠にネガティブなままではない、ということになります。
 ネガティブなものも、それはあんたの「思い込み」にすぎない、実際はそのとおりではないよ、ということになりますね。

 で、思うのは、ネガティブを味わい尽くした人間が、ブレイクスルーを体験すると、ひとつの「悟り」になるのではなかろうか、ということなんですよね。

 ネガティブなだけでは不健全であるのと同様、ただむやみにポジティブなだけというのも、——まあ暗いより明るいほうがいいだろうと私は思いますが——じつのところは、あまりいいものではないのかもしれない。

 ネガティブで苦しみ抜いたすえに、そこを突破してポジティブに転換できたとき、ポジでもないネガでもない、対立する二元論から自由になったべつの次元に至るのではあるまいか。

 と、現在の私には思えております。
 ゆえに——先生の言うことはよくわかるけれども、これに「感動」するということは、やはり私にはないようです。
 近代における人間の自我、その葛藤というのはよくわかるんですけども、「そこで死んでしまってはいけませんでしょう」というのが、読了して感じたことですね。

 とはいえこれは時代性というやつで——いやおうなく近世というものから近代へ、ほとんど無理矢理に移行していた明治に生まれ(漱石先生はぎりぎり江戸時代うまれ——慶応3年の生まれですが)明治とともに成長し、生きていた人にとっての「人間というもの」の考察だったと思われます。
 そういう意味では、この「こころ」にも登場します、明治天皇崩御というのが、象徴的ですよね。
 明治はよくも悪くも「それいけドンドン」だった。司馬遼太郎はその「それいけドンドン」を「ダイナミズム」と言い、お好きだったそうですが。
 天皇崩御はそういう時代の終焉を人々に実感させたということ、「先生」の持つ不安と恐れも臨界点を超えたというあたりに、当時の「時代」がありますね。

 明治維新から100年以上たち、「近代」も、だいぶ熟成したのか腐ったのかした、ただいま21世紀は、またちょいと事情が違う、ということはあると思います。
 そこらへんはまた割り引いて考えないと。(^^;)

 とはいえ。
 読んでいて感心するのは、夏目漱石の文章って、なんでこう古くならないんだろう、ということでした。
 表記の仕方を現代風に変えてしまえば、その日本語についてはほとんど、古さを感じません。「坊っちゃん」などは口語に近いせいかなおさらそう感じます。
 近世の文語体から、現在の言文一致体のまだまだ黎明期にあったはずの漱石作品の、しかし「時代の差を感じさせない」この感覚ってなんだろう、と、読みながら何度も思いました。

 ……ていうかむしろ、言文一致体の文章って、二葉亭四迷で始まって、漱石で極まって、あとはひたすら、退化しているだけなのかもしれない——なんていったら張っ倒されますかね;;
 
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「つかってみんしゃい よか石けん」

 お久しぶりでおすすめのお話。
「つかってみんしゃいよか石けん」、使ってみました。もう2週間以上経ちますね。

長寿の里
http://www.chojyu.com/index.html

 私が購入したのはチューブタイプのこちら。↓

「つかってみんしゃい よか石けん」(チューブタイプ)
http://www.chojyu.com/cosme/soapsoft/index.html

 どうも最近、洗顔しても肌がすっきりきれいになった感じがしないなあ、と思っておりました。
 どういえばいいのか、………肌がみょーに汚い感じだったんですよね、
 うーんさすがにこれはトシかなあと思ったんですが、これまた直感で、「今使っている洗顔料が『弱い』のでは?」という気がしました。

 で、ふと目についた広告がこちらの「つかってみんしゃいよか石けん」。
 広告を見たとき、同じく直感で、「試してみようかな」と。

 成分その他の説明は、興味がおありでしたら上記サイトをご覧いただくことにして、——使用感につきまして。
 洗顔は、たっぷりとした泡でやさしーく洗うのが理想的。手でごしごしこするなんてのは最悪で、泡で肌をそっと撫でるくらいでよろしい、といいますね。
 しかし、なかなか、たっぷりと泡立てるというのは現実的ではない、と思ってきたんですけども。

 こちらは泡立てネットを使うと、そりゃもー、すっごい泡ができます。泡というより、かなりしっかりしているのでクリームといっていい質感。じっさい、うっかり顔に塗り広げてしまうと、鼻の穴を塞ぐことになって呼吸ができなくなりますのでご注意を。(^^;)

 で、洗顔第1回目から、洗い終わると顔が白くなったようだったんですよね。
 洗顔後、タオルで水気を拭き取って顔を上げ、鏡に映った自分と目が合ったとき、肌に透明感を感じる、というのを久しぶりで体験しました。
 気のせいかなあと思っていたのですが、気のせいでもなかったらしい。

 と申しますのは、以前にもご紹介しました、ミネラルファンデーションをつけたとき、肌馴染みがよくなっていたため。

 ミネラルファンデーションを使うようになってどれほどになるかな——基本としては「オンリーミネラル」のパウダータイプを使っておりまして。
 これはこれでよかったのですが、やはり固形になったものがあれば、持ち運びには便利だしと思い、パウダリーファンデを買ってみたのです。

ミネラルパウダリーファンデーション トゥヴェール(ルファーマ)
http://www.tvert.jp/fs/tvert/101

 そしたら、レビューにもありましたとおり、「ふだんと同じ色のファンデーションを買っても、なぜか、この固形のファンデはやけに白くなる」のでした。
 私はふだんはピンクオークルを使っておりますので、そのつもりでミネラルパウダリーファンデーションを買ってみたら。
 白浮きするとはいわないけど、でも、あきらかに、地の肌の色よりもファンデのほうが白いことがわかってしまうようでした。
 これはちょっとショック。(^^;)
 せっかく買ったけどこれじゃあちょっと使えないかなあ、だからって捨てるわけにもいかないし、——ということで、自宅にいるときにちょいちょい使ってました。

 が、この「よか石けん」を使い出してから1週間後くらいに、またパウダリーファンデーションを塗ってみたら。
 へんに白くならないんですよね!
 肌の透明感が増したということなんでしょう。そのまま、ファンデの色が(白く見えず)すうっと肌に吸収されるように馴染む。
 ついこの間まで、このファンデを塗ると皮膚が白くなる、と嘆いていたのに。
 嬉しいやらびっくりするやら。

 それで、ここでちょっとご紹介しようという気になったというわけです。

 不思議なのは、クリームで皮膚を撫でている、みたいな感触なのに、明らかに、角質なのか汚れなのかが吸着されていくこと。
 じつは私は左目の下に、ちょっとこう、イボではないのですが、角質が溜まった? みたいに膨らんでいたところがあったんですよね。
 それが明らかに厚みを減らし、存在感がなくなり、いま、ほとんど消えかかっております。

 無理なピーリングなんぞしなくても、ちょっと穏やかに時間をかけるつもりなら、この洗顔で充分なのでは? と、ただいま経過観察中。これでほんとうに完全にきれいになったらすごいな。

 いわゆるくすみというのは、なんらかの「汚れ」なんでしょうかね。それが、この「よか石けん」で洗うと、きれいに取り払われていくようです。

 お肌のトーンがひとつ明るくなる、というのは体験済みなのではっきり申せます。
 シミはどうだかわかりませんが、そばかすは明らかに薄くなりましたよ〜。肌が明るくなるというのはそういうことなんでしょう。

 不思議だなあ、と、夜の洗顔後はおもわずしげしげ鏡に見入っておりますが——なに、世界でいちばんきれいなのは誰? などとはやっていませんのでご安心を——、洗顔料にお悩みの方のご参考にでもなればと思って書いてみました。

 ちなみに、「よか石けん」は泡立てネットがないと泡立ちません;; 
 お買い求めの際には泡立てネットは必須ということで。

 私はお風呂場でも使いたいので、チューブタイプを買いました。ジャータイプを買うと、風呂場でフタを開けるとどうしてもなかに湿気が入っていくでしょうから、チューブタイプのほうが衛生面からもいいだろうなと思いまして。

 「長寿の里」様サイトにあります、泡立て法を紹介した動画を見るとかなりの量の石けんを使っていますが、私はそんなに使っておりません。チューブから1cmくらい出せば充分。
 それでさえ泡立てると泡がたっぷりで余るので、入浴時に洗顔する時は、余った泡で首〜デコルテも洗っております。

 もとから私はクレンジングはしっかりやっているほうで、——じっさい10年前には、DHCさんのクレンジングオイルのおかげでくすみがとれていたのですが、ここでさらに、洗顔料でくすみがとれたということになりますね。

 世の中には他にもいいものがいろいろあるわけですが、ひとまず、よいものとご縁をいただけたと喜んでおりますです。(^-^)

 
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三角関係にもの申す


こころ (新潮文庫)こころ (新潮文庫)
(2004/03)
夏目 漱石

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 ただいまiPhoneで、夏目漱石の「こころ」を読んでおります。
 たぶん、私は、まあなんとか、夏目漱石のファンと言えるくらいだと思うのですが、いままでこの「こころ」は、どうしても読む気がしないで、読んだことがないものでした。
 あらすじを聞いただけでうんざり、みたいなところがあったんですよね。(^^;)

 三角関係というのは珍しいモチーフでもないんですが……どうも私はこのシチュエーションが好きではないらしい。武者小路実篤の「友情」なぞは、あらすじ聞いただけで思わずぶん殴りたくなる(誰をだ)——というあたりが自分でもよくわからない。(^^;)

 ともあれ「こころ」も、他の漱石ファンには、絶賛というよりもう「聖典」のような扱いを受けることが少なくない作品だったりしますんで——いちどくらいは読むのも義理か(何のよ)と思って、電子書籍をDLしてみたという次第。

 いまのところは——なんせあの文豪ですから人物描写、心理描写などといったところにはなんの文句もございません。が、はたして「聖典」的に崇めるところまで、私がいくかどうかは疑わしいところ。
 なんせ漱石作品でベストは「草枕」だと信じているし、好きな作品は「倫敦塔」「薤露行」「幻影の盾」という、マイナー短編を挙げるくらいだし……いちばんしつこく読み返したのは「夢十夜」というくらいですから、……恋愛問題には薄情ではないにしろ、三角関係には興味ないのは当然でしょうか。夢十夜の第一夜なんてのはもう、100年ロマンス、純愛一路みたいなもんですし。(^^;)

 漱石先生にもこのモチーフは多く、「坊ちゃん」にもその片鱗がすでにあり(マドンナ自身の思惑は完全に埒外におかれているから、厳密な三角関係とは言い難いですが)、「草枕」は非人情をテーマとしながら、やっぱり「長良の乙女」という三角関係の挿話が登場しますしね。お好きですね先生、と言いたくもなる;;

「三四郎」も三角関係、事実上の続編「それから」(「門」とあわせて三部作とされる)も完全な三角関係——というより横恋慕か——だったりするし、絶筆となった「明暗」もそんな感じだし。

 とはいえ、なんで三角関係がモチーフのもんが嫌いなのか、というのも、けっこう疑問。
 思えば初代「マクロス」は好きではあったが、あの鬱陶しい三角関係だけはどーにかならんか、と言っていたしなあ。
(最初にマクロスが放映された時は私は中学生…)
(“板野サーカス”に目を回しながら、大好きでした)
(CG全盛の現在ではああいう演出はもはやできまい……逆に。少なくとも現行のCGは『遊び』がなさすぎる)
(ローテクだからこその味わいでしたよねえあれは)

 三角関係にすることで、登場人物の心の揺れ、「エゴ」というのはどういうものか、どう働くかというのを、際立たせることができる、というのは、理解できないわけではないのですが。
 私の目には三角関係というのは「気が散っている」ように見えるのですね。(^^;)

 私自身はなにをするにも一点集中型なので(……融通が利かないともいう)(シングルタスクもあやしいもんなのに、マルチタスクなんかできるもんかい;;)、自分の気持ちが向く対象が同時に複数存在しているというのは、正直言って「想像できない」んですよね。
 ゆえに、結局アンタ、誰に対しても本気じゃないんでしょ、というようにしか思えず、登場人物たちがみんな、ものすごく「注意力散漫」に見えてくるんですよね。
(『こころ』の場合は登場人物たちはべつに、だれも、いわゆる二股をかけているわけではないんで、このへんはマクロスの話をしているんだと思ってください;;)

 ——もちろん当事者としてみればそうではない(らしい)ことは、現実の、友人、知人の話を聞いて、感覚としては理解しているのですが。
 しかし叶うことなら、できるだけ、「対象が複数存在する」状況に陥らないほうが、関係者の誰にとっても望ましいことだという考えはかわりません。

 望ましいといっても、好きになっちゃったもんはしょうがないじゃん、というのも、人情というものなので、そこは否定する気はありませんけれども。……さすがにそこまで野暮は申しません。

 でもそういう、ごちゃごちゃぐちゃぐちゃな話を聞かされるのは現実だけでたくさんなんで、なにも虚構の世界でまでそんなぐちゃぐちゃには付き合いたくない、というのが、私の感じるところなのかもしれません。

 夢十夜、第一夜に萌えたくらいですから、私としては、エゴの働きであれ心の揺れであれ、ただひとりとの関係の中でがっつり味わうほうが「深み」があるように思えますね。

 ただ「こころ」の場合は三角関係はモチーフではあってもテーマではないので……どうなりましょうか。読了したときにはやはり感動しているでしょうか。

 ……ところでこうやっているうちに電子書籍のためのハード……欲しくなってきたんですが、どうしましょう。(^^;)
 ……iPadを買うのか——他のものにするか。(iCloudにもだんだん慣れてきて、ああなるほど、こりゃありがたい、という感じになってきまして。となると、どーせだったらiPadかな——アプリでもデータでもバックアップが超・楽なんで——、という気持ちがある…)

 
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「銀の匙」(3)


銀の匙 Silver Spoon 3 (少年サンデーコミックス)銀の匙 Silver Spoon 3 (少年サンデーコミックス)
(2012/04/18)
荒川 弘

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 昨日本が届きました。
 Amazonさんで予約していたんですけど………届いたの昨日なんですけど……。
 予約って………なんの意味があるんだろう。と思わず遠い目をしてしまいます。
 発売日に本が届くようにはしてもらえないものなんだろうか。それは望みすぎというものなのでしょうか。
 いつぞやは発売日から3日後に届いたこともある、あれはさすがにむっとしましたが……。うーん。

 ともあれ内容。
 たぶん私、あっさりネタバレすると思いますので、ネタバレすんな! という方は、本日はここまで、ということで。
 (ネタバレがダメな方々は)ごきげんよう♪
 ネタバレOKな方は、下の「続きを読む」(Read more)からどうぞv

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「毛」あれこれ

 またしてもよそさまの話題から。
 例によって例のごとくで「誤訳御免Δ」様のエントリを見て、私自身の変な嗜好を思い出しました……。

ヒゲ、肥満、オタク、どれが一番嫌い?
http://goyaku.blog45.fc2.com/blog-entry-494.html


以下の特徴を持つ男で一番好きじゃないのは?

1) フェイスヘアー(口ひげや顎ひげなど)
2) ちょっぴり太り過ぎてる男(数ポンドぐらい)
3) オタク系男子(メガネ男から、頭の良い男、アメコミ/カートゥーンファン、ビデオゲームマニア、パソコン狂、アニメ/漫画ファンなどなど、とにかく何かしらのオタクという意味で)
4) 1〜3のあらゆる組合わせ



 という質問が、ヤフー知恵袋アメリカ版にあったということで紹介されているのですが、なかなか面白い。
 いえ、質問者にしてみるとそれなりに深刻な——というか真面目な問題なんでしょうね。

 私個人はどれもべつにいいんじゃないですか、というところですが、強いていうならヒゲはパスかなあ。
 いえべつに、ヒゲがちょっと見苦しいことになっているから嫌うなんてことはありませんが——まあ、爽やかな印象ではないのは確かでしょうね。
 男性はすべからくヒゲを生やすべし、ヒゲがあるほど男らしい、ヒゲがないのは男じゃない、みたいな文化のところ、ありますでしょう、あの文化圏を私が毛嫌いしている(文字通り!)のも、むべなるかな、と、いま自分で納得してしまった。(^^;)

 日本人男性の場合はそれとはちょっと事情が異なりまして——きれいにヒゲを生やすことが難しい人が多いようですね。あれは男性ホルモンの関係なんでしょうか? きれいに生えそろうのが難しいようで、どーしても「無精ヒゲ」状態になりますよね。
 申し訳ないことですがやはり、無精髭はいい印象には、どうしてもなり得ないですねえ……。うーむ。
 きちんと手入れがされた芝生のような感じにはなかなかならない人が多いようにお見受けしております。

 そう思うと明治期の男性陣は大変だっただろうと思われます。よくもまああんだけヒゲを生やしていたもんだ……。なかなかご苦労は多かったんじゃないでしょうか。
 心理学ではヒゲを生やすのはみずからのコンプレックスを隠すためだという説があるようですね。

 といったところで思い出したのは、
 私にはしかしみょーな嗜癖(しへき)があることでした。
 毛を剃るのが大好き。そういう嗜好があります。ゆえに自分の無駄毛処理も楽しんでしまうところがあります;;

 また、自分のじゃなくて他人様の無駄毛となるともうたいへんで。
 日本人男性にはあまり多くはないもじゃもじゃの胸毛、のみならず腹毛、そして指毛、というものを見ると、カミソリでそそそっと剃りたい誘惑に駆られます。
 しかも、安全カミソリではいけません。肥後守(ひごのかみ)みたいなの——何それ、という方は画像検索してみてください——もいいし、願うものなら、理容室で使う、あの伝統的な(なのか?)泡立て器みたいなカップと、泡を塗りたくるためのブラシがついたフルセットのカミソリで、そりそりと剃ってみたい。
 ——という、つよい誘惑、衝動を覚えるのでございます。

 男性のもじゃもじゃしたすね毛なんかはもう、なんとも言えない誘惑を感じます。
 以前には、大相撲で、背中一面に毛が生えているお関取がいまして。かの坂本龍馬も、聞いたところでは背中に毛があったとかで。
 ああいうのを見るともう猛然と、「ああ、剃りたい!」という衝動を覚えます。
 自分で言うのもなんですがかなりヘンタイじみておりますね。(^^;)

 母には「あんたの前世は床屋か?」と言われましたが、そういうことでもないようです。
 と申しますのも、この「剃りたい」誘惑を覚える「毛」のなかに、なぜか、ヒゲはふくまれていないからです。

 すね毛、胸毛、腹毛、指毛、背中毛といったものを見ると、「剃りたい!」と思うのに、ヒゲにはそういう衝動を覚えない。
 ふうんと言って気にしないか、あるいは、——「ヒゲが男らしさの象徴」という文化圏の男性のヒゲをみると、はっきりした嫌悪感を持って、「ヒゲくらい剃ってほしいよね!」などと、吐き捨てる口調で言ってみたりする。
 前世が床屋だったから、という理由からなら、ヒゲを剃るのには抵抗ないはずですが、ああいうもじゃヒゲは、剃りたいなんて思わない、むしろ触りたくもないから自分で剃ってこい、という感覚になる。

 自分でも、なにがなんだかわかりません。
 ま、ヘンタイのいうことですから。(^^;)

 なんにしても、もともと体毛は体の保護するためのものなんですから、そう毛嫌いすることもないんですよね。本当には。(^^ゞ

 しかし、それでもヒゲというのはなぜか、不潔っぽい印象を与えてしまうものなんですよねえ。うーむ。やはり人にとっては顔というのは大事な「インターフェイス」なので(GUI——グラフィカルユーザーインターフェイスですね文字通り;;)、できればお肌をきれいに「整地」していてほしい、ということなのかも。

 とはいえ、お肌が弱い男性にとってはヒゲのお手入れも大変ですよね。毎日、カミソリを当てなければならないというのも、不自然なことなんだろうと思います。
 お肌が弱くてカミソリが使えない男性には、おひげの永久脱毛、——あるいは、私もじつはお世話になっている、「無駄毛を徐々に生えにくくさせる」乳液とかも、いいかもしれません。

 私もカミソリ負けするタチなもんで、無駄毛処理には悩んできました。私はDHCさんのヘヴィユーザーなので、こちらの「DHCレスコントロールボディミルク」というものを使っております。効果はたしかにあります。
 いきなり毛が生えてこなくなるというわけではありませんが、毛が細くなっていく(毛の成長を阻害するから)だけでも、処理がずいぶん楽になりますよね。

・DHCレスコントロールボディミルク
22206_L.jpg
http://www.dhc.co.jp/goods/goodsdetail.jsp?gCode=22206

 さて、あとの2点。
 オタクかどうかは問題じゃないですよねえ。私はオタクと呼ばれる人には悪いイメージはないので(一般男性はむしろ退屈に感じることが多い;;)、それがネガティブな要素にはなり得ないです。

 オタクかどうかより、しばしば電車をとめたり勝手に公共地や私有地を荒らす、傍若無人な「撮り鉄」みたいなのは、勘弁してくれと思いますけどね。もっとも、あれはオタクかどうかというよりは、犯罪者かどうか、という問題ですからねー。(^^;)

 寄せられたお答えのなかには、自分の彼氏がまさにこの3条件に合致していて、そんな彼を愛してる! というのがあるわけですから、まあ最終的にはね。どっちみち、たいした問題じゃないということになるのでしょう。ようは相性、ということでしょうか。
 質問者の彼にすてきな出会いがあることを祈ります。——3年前の質問だそうですが、その後、彼にもすてきな春が来ているといいですねえ。

 
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今年の春は

 おかげさまでだいぶ、iPhoneにも慣れてきました。
 最初は、スリープからの復帰方法もわからずに焦っていたくらいですが(たしかに説明書は内蔵されてる。されてるけど、買っていっちばん最初は、そんなもの、見るだけで苦労するんですよね〜。基本操作の取説はやはりちゃんと紙で添付すべきだと思うなあ…)現在はSiriちゃんともだいぶ、折り合いがつくようになってきました。(使いこなすところまではまだまだ;;)
 
 スリープから復帰しようとすると現れるボタン。あれがスライダーになっていることに気がつくのには、私はちょっと時間がかかりましたよ……。最初は意味が分からず、あのボタンを押したり「ロック解除」の文字部分を押したり……しかしスリープから復帰できず、すぐにまたスリープに戻っちゃうから、「?????」状態でした;;
 たしかに直感的に触ってなんとなく操作できる設計はすごいと思うけど……、基本操作の取説はつけていてほしいと思います。iCloudの説明なんかどーでもいーから! 最初はそんなもん使う余裕もないから!

 なんにしましても。
 じっさい手にしてみるとわかるけど、なるほど、ケータイとスマホというのは似て非なるものですよねえ。

 知人の某さんは私よりちょこっと年上、おおむね同世代の40代女性ですが、せっかくスマホにしたけど、2年の(割賦)期間が終わったら、スマホからまたケータイに戻すとのこと。
 スマホは扱いにくいと感じているようです。(^^;)

 日本のケータイは独自の進化をしてしまいましたし、我々世代はちょうど、その携帯電話が広くひろまる黎明期から——携帯電話が普及し、その機能や使い勝手の進化というものにずーっと付き合ってきた世代なので、やはり、ケータイそのものが「なじんで」いるんでしょうね。
 スマホにしたけどやっぱりケータイに戻す! と言いたくなる気持ちも、わかる気がします。

 とはいえ私がひとつ心配しているのは、2年後、はたして、そのケータイはどれほど残っているだろうか、ということ。
 いまのところはスマホ市場は順調に伸びていまして、必然的にケータイの市場はどうしても小さいものになっていくと予想されます。
 某さんみたいに、やっぱり使うならケータイだわ、という人がそれなりの数になればまた話は違ってくるでしょうが、現在のままのスマホの勢いがつづくと………どうなんでしょうね、2年後。
 いきなりゼロにはならないにしても、いままでのような充実したラインナップというわけには、いかなくなっているかもしれません。

 私はいまのところ、スマホからケータイへ戻る予定はありません。
 ワンセグテレビが使えないのは残念だけどねえ、と思ってきましたが、iPhoneでもワンセグ、使えるようになったんですねえ。チューナーが要るけど。

 iPhoneのOSが、iOS 5.1になりまして、ワンセグチューナーが使えるようになったんだそうですね。
 ワンセグチューナーは8〜9千円前後というところでしょうか。
 こちら↓のチューナーはバッテリー内蔵なので、iPhone本体のバッテリーを消費しないで使えるそうな。なるほど。



 荷物が増えるのはありがたくないですが、………非常時、災害時のためには持っていたほうがいいものなんでしょうね。
 私としては、おサイフケータイはもとから使ってないからいいとしても、箱根駅伝を初詣でやお年始で、出かけた先で見られないのはちょっと残念かな、と言っていたところだったので、「iPhoneでも(その気になれば)ワンセグ見られますよ」というのはありがたい。(^-^)

      ●

 ありがたいことに今年の杉、ヒノキ花粉はほんとうに少ない量で済んでいるんですね〜。環境省の観測システムのデータを見ますと、去年と比べたらもう「ゼロ」だったと言いたいくらい少ないです。

 花粉が飛び始めたときだけは、やはりアレルギーが出てしまい、あわてて耳鼻科へ駆け込みました。そのとき1ヶ月分の薬をもらいましたが、まだ半月分くらい、薬は残っています。
 アレルギー反応を抑える薬というのはなんにしても神経に働きかけてしまうものなので、飲まなくていいなら飲みたくはないですもんね。(^^;)

 で、ほとんど症状がないなというときは薬は飲まず、また症状が出てきたときには服用する、というようにしてきたんですが、そんなわけでまだ半分くらいは薬が残っています。

 ひどかった時は2月から5月いっぱい、薬を飲んでいたときもあります。ふだんでも、2月中旬〜4月いっぱいは服用しますから、通常は、2ヶ月半は服用を続けるんですよね。
 それが、いまだ半月分しかのんでいないというのは、本当にありがたいです。(-人-)

 最近の花粉症の薬はかなり改善されてきまして、昔みたいに、服用すると死ぬほど眠くなるということはありませんが、「インペアード・パフォーマンス」と呼ばれる状態——眠いといった自覚症状はないものの、やはり集中力が落ちていたり、反応が鈍っていたり、パフォーマンスつまりその人の能力は充分に発揮されない状態になっている、というのは、どうしてもあるようです。

 ゆえに、飲まずに済むなら花粉症の薬は飲まない、という方向で。

 今年は本当に、天の恵みのような春になりましたねえ、そういう意味では。
 ありがたいありがたい。

 花粉症仲間の皆様。今年もあと2週間ほどの我慢です。耐えましょう。

 私などは反応が出る閾値(いきち)は低いほうではないので(ようは、花粉に対してとくに敏感でもないタイプ)、今年は本当に楽でしたが、少しの花粉量でも反応が出る方にとってはどうだったでしょうか。少しでも楽に感じられるといいのですが…。
 
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万緑のころ

 そろそろ、スーパーコミックシティも近づいて参りました。
 毎年GWの過ごし方といえば、このスパコミのあとは大阪のイベントにいくことになっておりました。が。
 今年は大阪、欠席します;;

 いつも一緒にいく友人が、今年は諸般の事情からどうしても行けぬ、ということになり、となりますと、私が一人で行くのもつまらんし。ということで、今年のGWは、東京のイベントにのみ参加ということになりました。

 なんせいい季節ですからねえ……どこかへ旅行にはいきたいなーと思っております。イベントとは関係ない日程で、5、6月あたり、京都、神戸へいってこようかしらと考え中。
 7月末にはまた福島に行くという選択肢もあります。相馬野馬追がありますから——ここへいって、あとは、温泉か、または果物狩り。

相馬野馬追執行委員会公式ページ
http://www6.ocn.ne.jp/~nomaoi/

 7月末だと、えーと、…さくらんぼはもう終わってる? 桃になりますかね?
 ………福島にいくんなら、でも、6月のほうがいいかなあ。いえ、くだらない理由ですけどいちおう、「方位」というものを気にしますとですね、私は東北に行くなら5月がベスト、6月がまあまあ、7月だと残念ながら東北は塞がっているという状態に。
 ま、1泊2日の予定であればそうも神経質にならなくてもいいんですけど。
 どうせ旅行で行くのなら、縁起がいいほうがいいやな、と思っただけのことで。(^^ゞ

 あー、でも、5月はいいですよねー。私はもちろん桜も好きですが、いちばん気持ちがはずむのは、5月の新緑のころがいちばんでございます。この季節は、新緑の美しい景色を求めて旅行にでかけたくなります。

 緑がきれいで、かつ、おいしい果物も食べられるとなると、福島へいくなら6月かな〜。6月も初旬のほうなら、まず、梅雨入りの心配もないわけだし(たぶん……)。

 あ。福島といえば、福島市のウェブアンテナショップが閉まっちゃったよーと泣いておりました件ですが、よくよく聞きますとこの話には続きがあったんですね。
 装いもあらたに、「ふくしま特産品応援サイト」開設予定!!

ふくしま特産品応援サイト オープン予告
http://www.ganba-fukushima-tokusan.jp/user_data/pre_index.php

 オープンは4月中旬〜下旬とのことで。
 ああ、そうしたらこちらでまた、みそぱん、買えるかしらん。
 ちなみに前回はみそぱんとともに、果汁マジで100%のリンゴジュースを購入しましたが、本当に美味しかったです。通常のジュースではあり得ない消費期限の短さが、「果汁100%」に偽りなしを証明していました。
 1ダース購入して、消費期限が短いので、最後には、やや焦りながら飲んでおりましたが、ランチタイムのおともにちょうどよかったです♪

 ………そういえば昨日もNHKの朝の情報番組でも、例によって食品の放射線規制の話をしていたようですが、もはや、ああいうのを聞いても私の反応は「ふん(冷笑)」で終わるようになってしまいました。
 もはや何を話しても、お互いに無駄ですからね。まあせいぜい気がすむまで長生きしてください、というだけですね私としては。

 ていうか、本気で長生きしたいんなら、ああいう過剰な神経症的強迫観念に脅かされることを、まず自分で気がついてやめるほうが大事なんだけど。
 無駄なんだろうなあそんなこと言っても。(^^;) ……ああ、本当にジャコウネズミさんになりそう;;

 ちなみに原発に関しては、「おいてあるリスクは同じである以上、動かせるものはさっさと動かしたらいいじゃない」というのが私の意見です。
 使えるものを使わないほうがよほど無駄だし、いま、そんな無駄をしている余裕はこの国にはありませんので。

 こういうことを言うと左巻きや放射能ヒステリーがなにをいうかはわかっていますが、もはや私はああいうのを相手にする気にもならない。そういうところまで来てしまいました。

 自分は薄情な人間だとは思ってきたけど、なにかを見切るところが、あまりにもハッキリしすぎてんだなあアタシ。と、いっそう強く感じているこのごろでございます。
 この状況になってもまだ、ああいう連中と話をしようという努力を続けている方はいらっしゃいますから——あれは本当にすごいことだと思う。頭が下がります。
 話し合いの思いを捨てない人というのは、言葉を信じているのか。人間を信じているのか。——すぐに「見捨てて」しまう私には、奇跡のような忍耐強さに思えます。

放射線は本当に微量でも危険なのか?―直線しきい値なし(LNT)仮説について考える放射線は本当に微量でも危険なのか?―直線しきい値なし(LNT)仮説について考える
(2012/04/23)
佐渡 敏彦

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 私はたぶん、言葉も人間も、たいして信じていない。これは本当によろしくない、と思っています。
 ………結局、人間不信の根っこというのは「自己不信」、自己否定なんですよね……、このへん、もうちょっとどうにかしたいと、鋭意努力中です。
 なかなか、実践的な効果が、いまのところは現れておりませんが。(^^;)

 ともあれいまは——これから1年でいちばん好きな季節を迎えるので、どのように楽しんで過ごすか、あれこれプランを考えていきたいです。
 旅行の計画って、考えているだけですでに楽しめますね。(^-^)

  
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