戸田温泉行き
2012年03月31日 (土) | 編集 |
 ということで木曜日は午後から急遽、戸田(へだ)温泉へいってまいりました。
 公共交通機関を利用するとなると、修善寺からバスで、ということになるようです。(バスでの所要時間は約50分)

 もうひとつのルートは、沼津港から戸田港まで、高速船、ホワイトマリンで行くこと。
 私が今回利用したのはこちらでした。なんせこちらなら、沼津港から30分でいっちゃう。修善寺からバスでいく時間の半分ほどです。
 料金は、沼津―戸田は片道2,000円。往復チケット(3日間有効)は1割引で3,600円。

高速船ホワイトマリンII
(戸田運送船株式会社)
http://www.hedaunsousen.com/

 昔は「こばるとあろー」号があったんですが現在は存在しておりません(涙)
 こばるとあろーなら沼津から松崎まで行けたのになー……。

 ホワイトマリンはこばるとあろーに比べて船が小さいために、ちょっとしたことでもわりと簡単に欠航してしまいます。ゆえに、事前に(利用したい当日の朝には)電話で問い合わせたほうがよろしいようで。
 欠航の際、代替でジャンボタクシーの利用ができます。(要予約) タクシーの利用代は船の料金のまま。
 ただ、陸路で行くと片道1時間かかるんですよね。(^^;) 冬は途中の峠が凍ることもあるしなあ……。いいところなんですが、交通の便はいいとはいえません。伊豆は全般的にそうだけど。

 ということで、沼津港を出発。
 まずは港の水門「びゅうお」を通過。
 これも津波対策で作られたものです。現在はそれなりに観光スポットになっているようですが私は初めて見ました。
byuo.jpg

 船は小さいのでもろに波が被ります。それでも船室には入らずに甲板部分に居座った私。(ここにいると船酔いしない。船室に入ると酔う;; 乗り物酔いは脳味噌の、空間認識の混乱だということを実感しますね;;)

 船から見るとこんな感じの富士山ですが、この日は本当にお天気がよく、また、乾燥して寒い日でもあったので、本当に富士山がくっきりときれいに見えました。
fuji-3.jpg

 潮風と、光る白波と(やや強風でした)、くっきり見える富士山のおかげで、ホント、いろんなものが吹っ飛んでいった気がします。
fuji-2.jpg
fuji-1.jpg

 
 戸田温泉は私もまったくの初めて。
 今回お世話になりましたのはこちら。
「御宿きむらや つわぶき亭」様。
http://www.tsuwabuki.com/top.html

 事前の電話で、船で行くのを伝えておいたら、ホワイトマリンはそういうわけで欠航が多いので、かなりご心配をいただき、あれこれ教えて下さいました。
 今回は無事お天気にも恵まれたので船で行けまして――あらかじめ連絡しておいたので、港まで迎えにきて下さいました。
(船の時間の都合で、本当のチェックインタイムよりちょっと早めに――1時間ちかく早い――宿に着いちゃうんですが、柔軟に対応していただきました、助かりました)

 貸し切り風呂(露天風呂つき)は2カ所ありまして、うち、1カ所は無料。ただし早いもの勝ち。
 私どもはそういうわけで他のお客さんより早くにチェックインさせてもらったので、すばやく行って参りました。
 家族風呂ということなのでこじんまりしていましたが(有料のほうは広いらしい)、気持ちよく入れました。

 こちらは夕日もきれいということでカメラを持って待ち構えていたのですが、当日の日の入りは午後6時3分。夕食の時間真っ最中。
 舟盛りの刺身に興奮して夢中で食べているあいだに(だって生シラスがあるんだもの! 釜揚げシラスじゃないんですよ生よ生!)だいぶ太陽は傾いてしまい、あわててカメラをとりましたがこんな感じ……。
sunset1.jpg


 太陽は水平線には沈みません。向こうに見えるのは焼津だそうです。焼津……というか、今回は日本平の向こうに夕日は沈んでいったもよう。
sunset2.jpg

 料理はそういうわけで地物の魚介類がほとんど。魚介好きな人間としては堪能しました♪
 あとで教えてもらってやっと気がついたのですが、夕食メニューには肉がなかった。もののみごとに海産物のみ。
 感動したのは生シラスがあったこと! 生ですよ生。
 シラスは以前は豊富にとれたのですが、海流が変わったという説がありまして最近では駿河湾ではあまりシラスがとれなくなったそうで。

 ………そういえば学生の頃、横浜出身の友人は、「釜揚げシラス」のことを「生」だと思っていましたっけねえ…。
 生シラスは本当に鮮度を保つことが、現在の冷凍技術をもってしても「できない」ので、こればっかりは、穫れたところでいただくしかないんですよね。

 久しぶりの生シラス。美味しゅうございましたv
 あとはなんといっても高足蟹。
 朝ご飯のおみおつけはこのカニでしたが、なんともいいお出汁になるもんですよね。甘くて美味しかったです。

 ところでこのお宿には猫が飼われているようで。

 早朝から起き出し、まだ売店も開いてないので自動販売機でなにか買おうと思ってロビーへおりていったら、
「にゃあ」
 と猫の声が。
 辺りを見回すと、早朝、無人の静かなロビーに、アメショーっぽい柄の猫が1匹。
 にゃーにゃーいいながら私に近寄ってきたので、遠慮なくナデナデさせてもらいました♪

 愛想のいい子なのかと思ったらさにあらず。あとから来た母がさわろうとしたらふいっと逃げていってしまいました。
 通りかかった仲居さんのお話では、そんなに「営業」する猫ではないらしい。(^^;)
「いまだに私なんかですと逃げられちゃうんですけど、猫好きの方がわかるんですかねえ」
 と言われましたが――同じ猫好きの母は、その猫に逃げられたからなあ…。

 たまたま、彼女のご機嫌がいいときに私が通りかかっただけなんでしょうね。(^^;)

 朝っぱらから露天風呂も堪能して参りましたv

 で、帰りも船でぱーっと帰ってきまして。
 金曜日の午後ですから、あとは仕事してました。。(^^;)
 我ながら本当に強引な日程をやらかしたもんだと思いますが、それでもやはり、温泉は温泉。
 リフレッシュできましたv
 
 
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温泉行ってきました…
2012年03月30日 (金) | 編集 |
 体調が悪いの年度末進行がどうのと言っておいてその態度か? ――くらいのことは言われそうな気がしつつ、えーと、昨日の午後から急遽、温泉へいってきました。
 当然、日記も書いておりません;
 さっき戻ってきたところで、ただいま、こういう寝言を書いております;;

 と申しますのは、3月、温泉いきたい温泉! とわめいておりましたが、今月はそれどころではない&お彼岸も法事関係で忙しい、ということで、もうあきらめておりました。
 が、ひょんなことから、今週のここで予定がぽっかり空きまして。
 平日だったおかげもあり、いきなりのギリギリで温泉宿をとってしまいました。

 詳細はまた明日にでも。
 本日のところは「温泉いってきました」の寝言のようなごあいさつまで。

 じつは今回は船旅となりまして――いやあもう、最高ですね海! 小さい船で30分乗っていただけだけど、海上から最高の富士山を拝むことができて、もーいろんなことが吹っ飛んでいきました。
 じつに美しい富士山でしたが、甲板はさすがに寒く、夏だったら涼しく感じられていいんだろうな、と思ったら、
「いやあ。夏は富士山、かすんじゃってよく見えないんだよね」
 ……そうでした……。
 夏山は遠目にはかすむんだった;;

 美しさと、それを拝む快適さというのは並立し得ない。
 世の中ってうまいことできてるなあ、と、ちょっと方向が違う感想を抱きました。

 にしても。
 まったく手前味噌というか、アホな自慢に聞こえるでしょうが、あらためてしみじみと、
「ああ、やっぱり静岡県はいいなあ」
 と思ってしまいました。

 じっさい、きいたところでは、ほかの観光地では静岡からの客というのは評判、イマイチ、ってことがあるんだそうで。

 というのは、通常の観光客ならば、きれいとかすてきとか、感激するところ、静岡から来た客は、「あー。きれいだねー」「すごいねー」と、口ではたしかにそういっているけど、他の客に比べると「反応が薄い」。
 あげくの果てには、「ああ、これって(地元の)○○に似てるー」「(地元の)▲▲にそっくりー」などと言い出す始末。
 地元のものと同じなら、あんたらここへ何をしにきたんだ、と言いたくなるようなことを口走っているのが静岡県からの客。

 ――だという話を聞いたことがあるんですよね;;
 事実かどうかはわかりません。が、ほかの観光地ではそんなことも言われているとかいないとか。
 ………それが事実だったらすみません;;

 言われてみるとたしかに私も、「地元のアレと同じだー」みたいなことは口走っていることがあるようなので……、気をつけます;;
 ちゃんとその土地のものに感動してるんだけど、そういう言い方をしてはいけませんよね;; ようは田舎者なんだということで、見逃してやって下さいませ;;

 それにしても生き返った心地がします。いいですよねえ温泉。

 これで、次にやってくる「年度始め進行」、また、がんばっていけます。

 
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はっきり言える
2012年03月29日 (木) | 編集 |
 年度末進行は落ち着いているはずなのに、ちっとも身辺が落ち着かないのはなぜなんでしょう。(^^;)
 ということで本日も一言ぼそっとつぶやくのみということで。

 いえ、これ、ハッキリ言えてうらやましいなあ、という話。
 オーストラリアはハッキリものがいえていいですねー。

豪政府、華為技術の応札排除 中国側の報復も
2012/3/28 11:47日本経済新聞 電子版

 オーストラリアはこのたび高速通信網の敷設事業――オーストラリア全土にブロードバンド網を整備する計画(総工費3,600億豪ドル。約3兆1,400億円)なのですが、この事業に関する入札にあたり、中国企業の応札を拒否したというのですね。
 理由は、「中国からのサイバー攻撃の懸念」。

 よーするに、中国はハッキングしては情報を盗むので、こういう大事な高速通信網の敷設事業には、中国企業の入札は認めない、とはっきり言ったというニュースなんですが。
 いいよなあ。本当のことをはっきり言えて。

 興味深いことにこの中国企業のエライさん――華為技術オーストラリア法人の執行役員が、前豪外相のダウナー氏。
 氏は、この応札拒否とその理由について「指摘はまったく馬鹿げている」と全否定だそうです。
 どこの国でも困ったもんですね、親(媚)中派というのは。(^^;)
 馬鹿げていますか。そうですか。
 同じく昨日の夕刊では下記のとおりの事件が報じられていますが、これも馬鹿げていますかね?

企業秘密複製した疑い、中国人社員を逮捕
ヤマザキマザックで営業担当、容疑は否認

2012/3/27 19:48 (2012/3/28 1:17更新)

 上記見出しでは「容疑は否認」とありますが、本人は機密情報を不正取得したことは認めているのです。ただ、「勉強のため」だと言い張っているということ。

 勉強ね。なんの勉強でしょうか。この容疑者はIPアドレスを再三変えては同じことをしているので、おのれのやっていることの「意味」は、じゅーぶん自覚していたはずです。

 この間はNASAもやられたことが発覚したし。

 オーストラリア政府について申しますと、この決定は防諜機関、豪保安情報機構(ASIO)からの指摘に基づいて行われたそうです。防諜機関が言うんだから、サイバー攻撃の危険性は、役員がなんと言い張ったって排除できない。当然の判断でしょうね。

 こういうこと、はっきり言えていいよなあ。
 日本なんか、堂々と領海侵犯されても奥歯と前歯にものが挟まったみたいに、「何も言えない」わけですから。

 いいなあオーストラリア。と、思わず本気でうらやましがったニュースでした。

 とはいえこのニュース、ざっと検索したところでは日経以外では見かけませんねえ。
 テレビのニュース番組は、ここんとこチェックしきれないからわかりませんが、まあ、とりあげてないんじゃないかなと。(テレビを見ているヒマがない;;)
 
 火曜日にドラマ「謎解きはディナーのあとで」のスペシャル番組がありましたが、録画はしてあるのですがまだ見ていません;; うわーん;;
 用事を片づけながらところどころ横目で見た限りでは、だいぶ今回は脚本にお遊びがあったようですが、……楽しそうだからそれでいいかな、と。(^-^)

 
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つかずはなれず
2012年03月28日 (水) | 編集 |
 冒頭から私信です。
 メールくださいましたFさま。ありがとうございました!(^-^)
 返信が送れていて、申し訳ありません;;
 近々にメールしますので、もうちょっとご容赦ください。

 あ、カバー下。メールいただいてすぐめくってみました。こういうのはひそかに楽しみになって嬉しいですね♪ ありがとうございます♪

       ●

 「ほぼ日マンガ大賞2012」!!

ほぼ日マンガ大賞2012
http://www.1101.com/manga2012/index.html

 ほぼ日で連載することが前提でのマンガを募集ということで。
 ああ、いいなあ、楽しそう。(^-^)
 じっさいマンガを描ける人っていいなーと思います。
 私のマンガを描く友人は「描けるっていってもね…」と笑っていますが。

 というのは、マンガには当然その人の持ち味というものがあるわけで、とくに、あの「絵柄」というのは本人にさえある意味どーにもならないようで、
「どんなにシリアスなネタを思いついても、あたしはギャグしか描けないのよー」
 というのが、私の友人の嘆きでございます。(^^;)

 あー。それはたしかにある……。アンタの絵柄でやほひは無理だわ…。(そういう話か;;)

 ということで、たしかにマンガというのはすごいとは思いますが、だからといって、あの、同人誌のほうでときどーきお見かけする、
「あたしマンガが描けないから、小説書きくらいしかできない」
 というご発言には、わたし、じつは本気でムカついております。

 もう10年くらいまえかなあ、マンガを描く人と小説を書く人の間で、「どっちのほうが大変か」という、不毛な非難合戦が巻き起こったことがありましたっけね(コミックマーケットのカタログに収録の『まんがレポート』上で)。あれは本気で不毛でした……。

 小説「くらい」「しか」、などと発言する人に限って、その自称・小説というのがそりゃもう大変なレベルだったりするもんだから、かつての文学少女といたしましては、「ふざけんなあっ!」と叫んで卓袱台くらいはひっくり返したい気持ちになったことも、一度や二度ではございません。

 文章を書くということをなめてんじゃないの?! と思いましたがもちろん舐めているのです。が、本人には、舐めているという自覚すらない。そんな自覚を持つほどの知識さえない。
 そんで、私などは悶絶するようなスッゴイ日本語が羅列されている――
 たまに怒りも通り越して泣いてます。はい。

 そうはいっても「同人誌」だしなコレ(よーするにアマチュアの趣味)、というのが、かつては、自分で自分に対するいいわけ(?)になっていたのですが――その後ケータイ小説というものが登場しまして。
 話題のケータイ小説が単行本化されたとき、本屋で少し立ち読みしたんですが、ほんの数行読んだだけでぶっとんじゃったんでした。
 これでお金をとって立派な出版社がご商売にしてしまうのか――と愕然としました。

 よくも悪くも、プロとアマの境界があいまいになってきた時代の反映ではあるのでしょう。
 必ずしもそれが「悪い」こととは限らないということは、私も理解するのですが、ただ。
 アマチュアだし、といういいわけすら崩壊させてくれたのがケータイ小説だったというのも、たしかなわけでございまして。
 私が、いい印象を持っているはずもございません。(^^;)
(ケータイ小説好き、という方、ごめんなさい。これは私の独断と偏見であって、決してケータイ小説の存在を否定しているわけではないのです。ご容赦ください)
(じっさい、食わず嫌いだということは自覚しているので――そもそも食べられないから食わず嫌い状態にならざるを得ない;;――、その点については忸怩としているのです……ホントに)

 面白いことに自分がマンガを書く人は他人のマンガ、とくにその絵柄に対する好み、好き嫌いが激しく、同じく文章書きもまた、他人の文体というものには、もう妥協のしようがないほど好みがはっきりしている。
 で、マンガ描きは小説に、文章書きはマンガに、――けっこう基準が「甘い」もんなんですよねー。
 友人たちとあれこれ話し合っているうちにそういうことがわかってきて、これは面白い現象だ、と思いました。

 やはり自分が好きで、こだわりがあり、自分で自分を叱ったり嘆いたり身を削ったりするから、同じ分野の作品に対してはより態度が厳しくなるのだろう、というのが、私や友人たちの結論になっています。

 ということで、私の友人たちのあいだでは、他人の「趣味」には口出ししない――友人が好きなもの、嫌いなものにたいしては、いっさいコメントしない――もちろん自分も好きだったり嫌いだったり、同感できればその限りではないが――という暗黙のルールが成立しております。いつのまにか。(^^;)

 いろんなジャンルが好きだったり、いろんな作家さんを追っかけたりもしくはいやがったり、思えば多種多様な好みの人間同士でありながら、長ーいおつきあいができているのは、この暗黙ルールのおかげかと思います。

 私の友人たちはじつにそれぞれアクが強いと思うのですが(というと、お互いに、アンタほどじゃない、と言いあうのは不毛だわねいいかげん;:;)、それでも長くやってきている、このへんがコツなのかと思います。

       ●

 風邪も治ったし胃腸の不調も克服しつつあるのですが、年度末といままでのお疲れがどっときたのと、あれですかね「春眠暁を覚えず」なんでしょうか、眠いやらぼーっとするやらで。(^^;)
 今日はもう1日お休みモードで失礼致します。m(_ _)m

 
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「拝み屋横丁顛末記」1
2012年03月26日 (月) | 編集 |

拝み屋横丁顛末記 (1) (ZERO-SUM COMICS)拝み屋横丁顛末記 (1) (ZERO-SUM COMICS)
(2003/07/25)
宮本 福助

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 Amazonさんで表紙のイラストを見たとき、京極夏彦さんの「妖怪シリーズ」の同人誌かと思った! と書きましたが。
 ………本当に同人誌を作っていた人だった……;;

 中身を見れば一発でわかりますが、ネット書店のちーいさいサムネイルでは、似てるなとは思ってもまったく確信もてなかったもんで。(^^ゞ
 本が届いてぱらっと中身をみて、そのときあらためて作者名をみて(本を買うときチェックしろよそれくらい;;)「ああっ?!」でした。

 あー。商業誌のほうもやっていて、そちらのほうでお忙しくなったせいもあってか、もうここ最近はぜんぜん京極スペースではお見かけしなくなって……もうおやめになったのかと思っていたんですが。
(京極サークルをやめたのか、同人活動自体をやめたのかはわからない;;)
 そうですか……こちらの作品の作者様でしたか;;

 同人誌を買ってはいても、ご本人の詳細な事情についてはまったく存じ上げませんで、失礼いたしました。

 ということで、この「拝み屋横丁」は、あの妖怪シリーズからインスポイアされているのはよくわかります。
大人の便利な言い回し。これ以外には「オマージュ」がある)

 拝み屋さんばかりが集まっているところだから、人呼んで拝み屋横丁。
 いまどき珍しい長屋が連なり、その大家さん市川文世さん(30代なかば……らしいが、枯れてますねいい感じに)、霊感ゼロの、甥っ子市川正太郎くん(高校生)、店子(たなこ)の小説家・東子(とうこ)さんあたりがメインで、しっちゃかめっちゃかなオカルトライフを送っていらっしゃるようです。

 で、風の噂に聞いた「三爺」ですが。
 私の理想とする「美老人」には程遠いものの、憎めない、「可愛いクソジジイ」3人組で……ええ、これはこれで♪ ね♪

 じっさいこの1巻には、この三爺が若返ってイケメンになって登場する場面がありますが、それを見たときの私の感想が、
「それはいけません、やはり爺は爺でなくちゃ。若返るだけならまだしも、イケメンというのは納得できないわ!」
 でした。

 ………大丈夫なんだろうか私の好みって……。

 自分でもちょっと不安に思いましたが……、(^^;)
 ま、それはそれとして(?)、面白い。
 ということで、以下続巻大人買い決定。ぽん。(←ハンコを押す)

 
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遊びをせんとや生まれけむ
2012年03月25日 (日) | 編集 |
 休むと言っておいてなかなか休まない自分に、それはどうなのかと思わなくもない早春の朝でございます。(^^;)

 日経新聞の朝刊、日曜日には、「俳壇、歌壇」がありまして、見ているとなかなか面白い。

 歌壇の選者のお一人が、ほむほむこと穂村弘さんなのですが、やはり選者の個性が選ばれる歌にも現れるようで。
 先週だったか先々週だったか、――すみません、きちんと記録していないので、お名前もわからないのですが。

 ――もし猫が 人の言葉を話すなら 最後ににゃーをつけてほしいにゃー

 という一首が選ばれてあったのには腹を抱えて大笑いしました。

 で、今週もまた、目を引かれた一首がありましたので。
 千葉県、森 鶯里さんで、

 ――算盤は 五つ珠にて習い来し 使わぬ珠も共に磨けり

 選評には『「使わぬ玉」は磨かない、さらには存在を許さない、現在の我々を取り巻くそんな状況に対する批判になっている。

 そうだなあ、と思いました。

 コストパフォーマンスという言葉と概念があります。
 それはそれで大事なもので否定もしませんが、あまりにもそれに偏ることも危険だということを、いずれまた、思い知ることがあると思います。

 無駄、というのもじつは必要なもの。
 無駄というのは余裕のことであり、遊びのことです。
 余裕のない世の中、余裕のない人、というのがどういうものか、考えてみるとわかることだと思いますね。

 なにごとも、過ぎたるは猶及ばざるがごとし、でございまして、無駄も過剰はいけません、が、まったく無駄がないというのも、不健全な状態です。

 無駄に見えても、役立つときは大いに役立つ。
 しかしこんなふうに役立つとか立たないとかって考えている時点でもう、余裕のない人間である証拠なんでしょうね。(^^;)

 あるものはあるままに。
 あるものをそのままに大事にする。愛する。

 そういう心持ちは「必要」だなあと思います。つまり、一見無駄に見えるものをも、大事にするという心持ち。

 無駄は余裕、無駄は遊び。遊びは問答無用で必要なもの。
 人は結局、この世に何のために生まれてくるかというと、ようは「遊ぶ」ために生まれてくるのだ、と最近つくづく思います……。話すと長くなるので理由は言いませんが。
 遊びと言っても、サボる、怠惰にするという意味じゃないですよ。子供みたいに精一杯、自分の全身全霊をかけて遊ぶこと。これが人生の本来の目的。

 ただいま大河ドラマ「平清盛」で、有名になってきていると思いますが「梁塵秘抄」のあのうた――遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動(ゆる)がるれ――は、そのへん、よく唄っている、と思います。

 ――何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え

 このへんも、例の、「真面目になるが人の衰え」ということを指摘しているんでしょうね。

 ………ああ、お腹減った……。(←まる2日絶食、昨日はようやくお粥。今朝すこし、ふつーのごはんを食べただけ)
(風邪が治ってきたらこんどはお腹が減ってたまりません)

 
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お休み中ですが、一言
2012年03月24日 (土) | 編集 |
 体調不良のため2、3日休みますとか言っといてなんですが。(^^ゞ
 マンガ大賞2012、受賞おめでとうございます!


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 やれめでたや♪

     ●

 もう一件はめでたくないことで。
 放射「脳」の人々というのは、ようは「妄想」脳なんですね、と。

 下記の記事の一部が「削除」されましたそうで。
 訂正、と入ってますが削除です。
 訂正であるならば、どこをどう訂正したのか、正誤表をつけて説明すべきで、そういうことをしていない、というところに、「煽り」派の無責任と卑怯が見て取れますね。
 武田邦彦氏も自分のブログをこっそり直してましたものねえ。共通する体質でしょうか。

 福島の放射線量が「人が住めるレベルではない」という旨、ウォールストリートジャーナルの記者が発言したという部分が削除されています。

【原発崩壊】“放射能汚染”の真実…人体への危険性減らず
2012.03.14
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20120314/dms1203140854005-n1.htm

 削除された部分はこちら。赤枠内の部分が「削除」されたところ。
  ↓↓↓
 http://www.webpagescreenshot.info/img/355896-322201235934AM

 ウォールストリートジャーナル日本語版の編集長、小野由美子氏もツイッター上で、この件に関して訂正を認めているので、ウォールストリートジャーナルの記者はそんなことは言っていないということで、よろしいんですね?

 それでもまあ、「訂正」が入る分だけ、マシなんでしょう。(←精一杯の好意的解釈)
 世の中にはいまだに、訂正もなにもないまま、あいかわらず妄想垂れ流しの人がなんとも多いので。

 しかしこの「訂正」も、上杉氏本人によるものではないってあたりがどうも。(^^;)
 いい大人なんですから、自分のお尻くらい自分で拭いたほうが、結局は自分のためなんじゃないでしょうか――社会的信用を維持できる最終ラインですから。

 ところで、今回の「訂正」とはべつにこの記事、私はまったく信用していません。
 彼らが政府その他を信じられないというように、私も彼らのいうことを信じていませんから。
 連中が行く先々で数値が異常になるというのは、それこそ噴飯ものです。(^^;)


 
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風邪ひき休業
2012年03月23日 (金) | 編集 |
 どうも風邪らしく、2、3日お休みするかと思います。m(_ _)m

 たぶん風邪……だろうという話なんですが、昨日は上げるわ下すわで(すみません尾籠で;;)ちょっと大変でした;;
 いままで、やはり風邪で、ちょっと気持ち悪い、ということはあっても、じっさいに吐いたことはなく……、ここまで本格的に吐いたのは初めてといっていいくらいだったので(感染性胃腸炎をやったときも戻さなかったのに)、さすがに昨日はびっくりして病院へ。

 吐気止めの注射を打ってもらったにもかかわらず、それでも帰宅してからも1回吐いてしまいまして。
 ただ、そのあとは気持ち悪いのはおさまったのでよかったです。

 下すほうについては、
「悪いものを体が出したがっていると思うから、下痢止め(の薬)はやめておきますね」
 と先生にいわれました。

 こちらも帰宅後には落ち着いているので問題ないかと。

 ただ、さすがに昨日のショックで、本日はげっそり;;
 回復するのにも2、3日はかかるかなーということで、お休み致します。
 まあ、休もうが休んでいなかろうが、大したことないブログですけども。(^^;) いちおうお知らせということで;;

 先生の昨日の言葉の端々から察しますのに、ただいま胃腸に来る風邪も、ひそかーに流行っているらしいです。
 私も、ここ最近、胃腸の調子が悪くて、とかじゃなくて、昨日いきなり来たから……どこかで菌をもらっちゃったんでしょうかねえ。

 皆様もどうぞお気をつけてお過ごしくださいませ。m(_ _)m

 
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「振袖日和」
2012年03月22日 (木) | 編集 |
 ときどき、やはりきものがお好きなのか、なんらかの業界関係者なのか、「きものに関する資料を探しているんだろうな」というキーワードで検索して、このブログにお越し下さる方もあるようで。
 ということで、これも参考になりました、の、ご紹介。

 毎年発行されているムックですね。
 いつもの美容院へいって、待っているときにこのムックを見つけ、これはと思ったので帰ってきてすぐAmazonさんで検索、購入しました。(^-^)
「振袖日和」。2012年版と2013年版を購入しました。

振袖日和 2012―ヘアも帯結びもわたし流! (SHINCHO MOOK)振袖日和 2012―ヘアも帯結びもわたし流! (SHINCHO MOOK)
(2010/10/20)
不明

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振袖日和 2013―ヘアも帯結びもわたし流! (SHINCHO MOOK)振袖日和 2013―ヘアも帯結びもわたし流! (SHINCHO MOOK)
(2011/10/03)
不明



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 なにがいいかって、私が最悪に悩んでいる帯揚げ、帯締めの「飾り結び」が載っていることです! とくに2012年版は親切!

 私だってふつーの丸組の帯締めで、藤結びくらいはできますよ。でも、イマドキの振袖って、そういうもんじゃないんです!
 帯締めにバックルみたいな飾りがあったり、片側が3つ~5つくらいに分かれている。
 この、分かれたほうをあれこれアレンジして、可愛い花形にしたりとか。
 ………融通利かなくて応用きかないトーヘンボクの私はいつもいつもいつもいつも、ぼーぜんとしちゃうんですよこれ。(;_;)

 結び方の例を簡単に紹介したプリントを教室でもらったけど、あまりに簡単な説明過ぎて私にはわからんのです。
 どうすればいいんでしょうか、と先生に聞いても、「うん、適当でいいから」とかって言われてしまう。

 適当にできるくらいの能力が私にあればねえ……(涙)

 それにしても、一般に売っている着付の本を見ても、あんな飾り結びの解説というのは見かけない。
 困ったなあと思っていたところ、美容院でこのムックを見まして。

 2012年版のほうが、帯締めの飾り結びを4種類くらい、写真つきで説明しているので、これはもう天の配剤と喜び、さっそく購入した次第。
 なにかひとつ、私でもできる結び方を覚えて、それで、ゆくゆくは応用できるようにしていきたいと思います。

 このムックは京都きもの工房グループの振袖紹介のようです。カタログも兼ねていますね。
 
 自分が着付で苦労することを除外すれば、私、現在のデコデコ振袖、嫌いじゃありません。(^-^)
 人によっては、現在の、フリフリ、ひらひらのデコ振袖、いやがる人もいらっしゃいます。
 が、私は現在のデコな振袖スタイルはそう嫌いではありません。
 なんでかというと、私の2つ3つ上の年代では、振袖が、晴れ着のはずなのにじつに地味~なものが流行っていたから。
 晴れ着なのにそのまま不祝儀にも着られそうなくらい(袖を切れば、ですが)、地味なものが流行っていたんですよね。
 
 夢路好みだかなんだか知らないが、色はそういうわけで黒系で暗くて、金糸銀糸もなくて箔もなくて、ろくに絵羽模様にもなってなくて、成人式よりお通夜のほうが似合いそうというくらい、地味だわ暗いわ、そんな振袖が流行っていたのです。
 なんじゃあれは、と、相当、気持ち悪かったのを覚えているもんですから。

 ああいうものに比べたら、「晴れ着」なんだから、デコるくらいでいいんじゃないかな、と思う。
(自分が着付けるんじゃなければ;;)
(着付ける側としてはそういうわけで、帯締めの先端が分かれていて結びにくいとか、レースのフリフリ伊達衿とか、スパンコールやフェイクパールがついた飾り衿とかは、マジで衿合わせがやりにくいので………本気で勘弁してほしいと泣きたくなるときがあります)
(見てる分には楽しいんですがねー……)

 なんて言っていたら、「あれはすごいよ!」と、私の同期のKさんが興奮気味だったのは、アゲ嬢御用達(?)の振袖。

 ああ……なんというか……あそこまでくるともう、「コスプレ」かもしれませんねえ。(^^;)
 キャバ嬢は、しかし、職場(キャバクラ)では振袖、着ませんよねえ? 着る? 私、キャバクラいったことないんで知らないのですが、しかし、キャバクラのお客さんは、振袖自体は喜ばないんじゃないかと思うんですが――そうでもないんでしょうか。
「着物ageha」というムックも存在しているんですね。

着物ageha2012 (INFOREST MOOK)着物ageha2012 (INFOREST MOOK)
(2011/10/20)
不明

商品詳細を見る


着物ageha 2012 
http://rinzu.jp/group/

 うーん。こちらはまあ……なんか、成人の晴れ着というのとは、ちょっともう、目的が違ってきているかなあ、という気がしますので、ノーコメントということで。(^^;)
 成人式には、まあそれなりの振袖で出かけて、夜の集まりにはこういうコスプレに着替えるというのはいかがでしょうか。スポンサーの親御さんは泣くかもしれませんが。

 私はそういうお客さんには遭遇したことないんですけども、昔の花魁みたいに衣紋を抜け、と言い張るお客さんはたぶん、こっちのage嬢きものをイメージしているんでしょうねえ。うーむ。
 私としてはべつに、夜の装いは夜の装いということで構わないと思うんですが、とりあえず、TPOや、昼と夜の区別、シーンに合わせた衣装選びということも、大人の素養としておすすめしたいと思います。
 そういう恰好がいかんというのではなくて、「その場にふさわしくない服装はしない」というだけなんで。

 そういえば今年の成人式のニュースを見ていたら、まさしく、衣紋を抜くとかというレベルではなくて肩を丸出しにし、髪も、立兵庫(たてひょうご。吉原花魁に多かった髪型。ほかには横兵庫、しゃぐまなどがありました)みたいに結っていたお嬢さんがちらっと映って、我が目を疑ったんでした。(^^;)
 そういうカッコをするなとは言わんが、場所柄をわきまえるように願いたい。「大人」として。

 私は個人的には、そのスタイルに顰蹙するのではなく、「あんな衿合わせ、どーやったらできるの?!」と、そっちに驚いていたのでした。
 ………私が無理にあの衿合わせ(両肩丸出し)をしたら、おそらく、合わせ方がわからないので「動くとオッパイぽろり」になると思われます。
 あれは、着ている人をではなく、着つけた人を、尊敬します。ちょっと弟子入りしてきたい。(←本気)

 
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春分の日2012
2012年03月21日 (水) | 編集 |
 暑さ寒さも彼岸までと申しますが、昨日は春彼岸のお中日。
 ………雪が降ったところがあったんだそうで……。( ̄□ ̄;)
 暖かい春になるという3ヶ月予報を出した気象庁は、内容の訂正をする気はないのでしょうか?

 ということで(?)、昨日、行ってきました、お墓参り。
 彼岸の入りである17日は、雨がひどかったので18日にうちのお墓へいってきまして、昨日は本家のお墓へ。

 ひさびさの上天気でございまして――本家に寄って仏前にお供えするものをおいてきて、それからお墓参りへいきました。
 あまりのいい天気と春めいた日和に誘われて、ほけほけ歩くのも楽しかったです。

 本家のお墓は海岸のすぐ近くにあります。予想されている東海地震が来たらかーなりヤバイ地域ですが、だからといって、このお墓、いまさらどうしようもない。
 考えてみると、少なくとも江戸時代から確実に同じ地域に住み続けている一族なので、お墓の移転をしようにも当てがないし、考えてみりゃ菩提寺自体がちょっとシャレにならない地形のところにあるんですよね……。

 地震による津波がくると、お墓は流されてしまうだろう、と思われますが。
 まあ、厳密にはうちの墓じゃなくて本家の墓なので、そのへんのことに、私どもは勝手なことは申せません。
 ただ、――であるならば、やはり、できるときに、きっちりお墓参りはしておこうと思いました。

 帰りは、ちょっと道を外れて浜へ出て、潮風にあおられながら、途中で買った鯛焼きを食べてきました。おいしかったです。
 やっぱり水平線はいいもんですねえ。気持ちがすうっとします。とくに、この春の日差しに輝く海は。

 昨日は春分の日ということで、本当に12時間ずつに分かれるのかなあ? と思ってちょっと調べてみますと。
 東京ですが、日の出が5時44分、日の入 は17時53分ということですから、なるほどおおむね12時間ですね。

 鯛焼き、今川焼(大判焼き/小判焼き)は、私はどっしりした「田舎餡(あん)」が好きで……と書こうとして、「田舎餡」とはなにか、ふと気になりました。
 そうしたら、辞書には載ってないし検索しても出てこない。
 慣用として田舎餡という言葉を使っているところはありましたが、辞書の類いには載っていない。

 田舎餡ていう言葉は厳密には存在しないの? あたし、なんか勘違いしてたかな? と思ってさらに調べましたところ、「田舎しるこ」というものが出てきまして。
 ようは「つぶしあん」のしるこで、西日本では「ぜんざい」という。
 ――という説明が出てきました。

 関西ではそのまま単に「おしるこ」というものは、関東では「御膳しるこ」という。こしあんの汁粉ですね。
 へー。知らなかった。そうなのか。

 で、鯛焼きなり今川焼なりでは、現在ではクリーム鯛焼きとか、チョコクリームとか、中身にもいろいろ種類がありますが、やはり私は王道の田舎餡のものがよい、――と書こうとした、というところに戻ります。(^^ゞ

 田舎餡というのは本来存在しないが、この場合、ようは「田舎汁粉」のようなつぶしあんのことを田舎餡、という習慣があったのかもしれないですね。
 私は田舎餡という言い方もあるもんだと思っていたんですが。しいていうならつぶしあんの別名、という感じかな。

 ともあれ私はこのつぶし餡、けっこう好きです。いわゆる粒あんも、こしあんも好きですが(あ。ちなみに、つぶしあん、というのは、粒あんをつぶしたもの)、こしあんよりも食べごたえがあり、風味も強く、粒あんよりもごつごつしない、つぶしあんが、いちばん好きだと思います。

 ふだんはあんまり、粒あん(小倉あん)がいいとかこしあんがいいとか、考えてはいませんが。
 鯛焼きや今川焼を食べるときにはしみじみ、やはり餡はこうでないと、と思います。
 味と香りと食感のバランスが好き、というところでしょうか。

 餡というのもそれぞれ、つぶあん好き、こしあん好きという「派閥」があって、けっこうなこだわりを聞かせられることもありまして――なかにはこしあんじゃないと食べられないというようなことも聞きますね。

 ふーんそんなもんかなあ。と、なんでも食べる私としては不思議な気持ちになることもありますね。
 美味しいものはなんでもおいしくいただく。
 しいていえばそれが私のポリシーでしょうか。
 ポリシーというより、単なる食い意地でしょうけど。(^^;)

 
 
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「個性的」が意味するところ
2012年03月20日 (火) | 編集 |
 世阿弥のいう「まことの花」、老人が体現する、「神さび」の美というもの。
 それを考えますのに「磨き抜かれた個性の美」――と、何の気なしに昨日書いたんですけども。

 個性という概念もけっこう「魔物」だよなー、と思いまして。(^^;)

 個性的という言葉に、人はけっこう惑わされます。
 個性的であることが「エライ」、という概念があるようで、個性的という理由で褒めそやされる人がいて、ファッションにおいては相当な価値があるように語られ、芸術においてはそれこそが芸術の価値であるかのようにいわれ。
 そういう風潮を見ているほうは、個性的であることがそれほどに大事なことかと思い、自分も「他人とは違うようである」必要があると思うようになり、「個性的」でなければ価値がないように思い、「個性的でなければならない」という焦燥に駆られる。

 で、なにが起きるかというと、「個性的」と認められたブランドなり流行のものなりを、個性的であろうとする万人が、競って手に入れ、身につけて、街を闊歩するようになるわけ。
 ………皆が持っているものを自分も持っていたら、没個性になるんじゃないのか、という疑問が生じてきますね。(^^;)

 その一方では、本当に個性的であることは――顰蹙(ひんしゅく)され、「なにあれ」と笑われ、KYと呼ばれることもあり、ひどい場合だと、変わり者扱いされてつま弾きされる。
 個性的ってことに価値があるんでしょ? 個性的って素晴らしいことなんでしょ? 個性的というのは「多くの人とは違う」ということでしょ。なぜ、一方ではそれを称揚し、いっぽうでは嫌悪し笑い者にし排斥するのか。

 じつのところ本当の意味での個性的である存在は、集団の中で疎まれるんですよね。
 だったら個性的なんてものを価値化しなけりゃいいじゃない――というのが、私の、子どものころからの疑問でございます。

 私がいちばん頭を抱えたのは「みんなと同じように自分らしくあること」を求める、ということでした。
 私らしく、しかし、流行のレンジの中にはおさまること。
 なんだかえらく対立する概念を同時に求められたようで、意味わからん、と頭を抱え込んじゃっていたことがありました。(^^;)
 ……つまりどうしたいというのか。自分の好みを大事にしたいのか。それとも、流行しているものを取り入れることで注目されたり賞賛されたりしたいのか。

 自分の求めるところと流行とが合致していれば問題ないけど、しかし、なかなかそういうわけにもいかんでしょう。なにせ、個人個人で好みというものは千差万別ですから。

 個性的でなければならぬ、という強迫観念は私にはちょっと不気味です。
 存在というものは本来、放っておいたって個性があるわけなんですから。
 なんでそれをいちいち「商品化」しなけりゃならんのか。

 個性というのは文字どおり、その存在固有の特徴です。
 いってみれば、自分がもっとも欲するところ、欲するもの、希望、充足感をもたらすものに「忠実」であるとき、その個性は発揮される。
 個性的であろうとして、わざと他人と違うことをしたり、「他人と似たようなことをしつつ、目立とうとする」のは、ちょっとどころか全然ちがうんじゃないか。

 個性というのは「その人自身であること」なので、この世には個性的ではない人なんか一人もいませんよということですね。
 
 人の目を気にして、人から評価されようとして、誰かに認めてもらいたくて個性的であろうと「努力」する、というのは、その人本来の姿からは遠ざかるばかりだと思います。

 人間は社会的な動物であるという以上、周囲との「調和」というのも大事なんですが、それはそれとして、まずは、自分で自分と向き合うこと、自分で自分の個性を――自分がどういう人間であるかを――なにを求めて何を欲して、何を好んで何によって満たされるのかを――しっかりと掴んでいる。それが「個性的」ってことじゃないんでしょうか。

 それをもうずいぶん若いころから実現している人というのもいらっしゃいますが、どちらかといえばそういう人は少数派でしょう。
 大抵の人は人生というものを歩きながら、だんだんに、自分というものを「発見」していくのではないでしょうか。

 年齢を重ねるほどに「その人らしさ」が確立されて、外見にも現れてくる。
 
 人間には、他人からこう見られたい、という思いと、そういうこととはいっさい関係なく、ただ、自分はこういうことを求めているのだ、という思いがあり、それは、だいたいの人にとっては、このふたつの思いは対立しがちです。

 自分自身であることと、人からはこういう自分を求められている(仮面――心理学で言うペルソナですね)ということは、まず滅多に一致しない。

 そのへんのバランスが崩れてくると精神的にもいろいろ悪影響がでてくるわけですが。
 ――自分で自分の個性というものをがっちり掴んだ人は、強いですよね。外部に何があろうと揺るがない。

 人生を歩いてくるなかで、自分が本当にはなにを求めているのか、自分が本当に欲するものは何なのかを、いやおうなく実感する場面というのは必ずあります。たとえそれが「後悔」という形であるにしても。

 嘘いつわりのない、虚飾のない、ただ、生まれたときのままの、自分のままであること、そういうことに気づき、向き合い、それをしっかりつかみ取ること。
 自分に「なる」、という感覚。

 それが本当の意味での個性的である、ということだろうと私は考えます。

 じっさいには、長く生きてりゃ必ず、誰もが「自分になる」ことができるとは限らないわけですが――、ま、なにかあるたびに他人や環境のせいにして「責任転嫁」しているようだと、自分自身になる、ということは難しい。というより不可能です。これは断言できますねえ。
 たぶん「自分自身になる」ことに近づいていけるのはやはり(人生経験豊富な)ご老人でしょうし、揺るがない「源=自分」につながっている人には、真正の美、というものが宿る。そんな気がします。

 虚飾は、人を驚かせ、注目を集めるかもしれないが、それはしょせんはギミックに過ぎない。
 自分自身になる、ということは、人の目を欺く「仕掛け」はぜんぶ取り払った、根源の姿になるということ。
 精神からも肉体からも虚飾を取り去った姿に、神さび、というものが現れるのではないかと――思っております。

 ………また、なんだかへんな話になっちゃいましたね。(^^ゞ

 磨き抜かれた個性の美という言い方をしてしまったあと、個性という言葉が私の言いたいところとは違うほうへ「誤解」されたらちょっと残念だと思い、補足説明を――――と思ったんですが、わけわからない話になってしまいました;;

 なんていうんですかね、ようは、「他人のための自分」であろうとすることが、個性じゃないと思いますよ、「自分のための自分でいる」ことが、大事だと思います、ということなんですけど。

 どうもうまくまとまらない話で、失礼致しました。(^^ゞ
(いつものことですが;;)

 
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理想の男性
2012年03月19日 (月) | 編集 |
 某所でおすすめされていて、無闇に興味を引かれたので、さっそくぽちっとな……、の、「予定リスト」に加えてみました。

「拝み屋横丁顛末記(1)」
拝み屋横丁顛末記 (1) (ZERO-SUM COMICS)拝み屋横丁顛末記 (1) (ZERO-SUM COMICS)
(2003/07/25)
宮本 福助

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 ひとまず読んでみて、面白そうなら大人買いという予算をたててみる。
 ただいま給料日前ということで、ちょっともう今月の予算が……なくなって……ごにょごにょ。(^^ゞ
 
 それにしても表紙イラスト、ぱっと見たときには京極夏彦さんの「妖怪」シリーズの同人誌かと思ってしまいました;; 拝み屋、という単語がそもそも、あの中禅寺さんを連想させてしまうということで;; へんな連想をした私をお許しください;;

 聞いたところではこちらの漫画、魅力的なご老人がご登場なさるとのことで。
 ときめいてしまいました

 そのかみJUNEやらアランやらをこっそり楽しんでいた身ですからそりゃあ、美少年も美青年もよろしいのですが、しかし実のところ、美中年をも踏み越えて私の好みはなんといっても「美老人」にとどめをさす。
 笠智衆さん亡きあと、ちょっくら寂しい思いをしているわけでございまして、………キュートなご老人が複数登場しますよなどと言われたら、そりゃあもう、食いついてしまいますとも……!

 はやく給料日にならないかなー。

ビッグコミックオリジナル
http://big-3.jp/bigoriginal/index.html

 ということで3月19日発売のビッグコミックオリジナルで、MASTER キートンの続編連載開始ということなんですけども。
 あたしゃどうしたらいいんでしょうか。
 見たいような見たくないような。考えていると冗談抜きで心臓がばくばくしてくるんですけど。

 なんと申しましても、キートン先生は「理想の男性」ですからね~。

MASTERキートン 1 完全版 (ビッグ コミックス〔スペシャル〕)MASTERキートン 1 完全版 (ビッグ コミックス〔スペシャル〕)
(2011/08/30)
浦沢 直樹、勝鹿 北星 他

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 知性にすぐれ、サバイバル能力にすぐれ、人情に厚く、教養があり、人間の機微を知り、おのれの欲するところを知り、バランス感覚があり、道理を守る。
 強さということを、いっさいの勘違いなしに理解もし、体現もするということで、理想的だなーと思っておりました。

 で、今回の続編は、前作の完結から20年後という設定なんだそうですが……キートンさんの研究内容もふくめてどうなっているかはひじょーに気になる。気になるけれども、………見たいような見たくないような。(^^;)
 ほら、あれですよ。昔好きだった同級生に同窓会で会うことになりそうだというときの、あんな感じ。
 期待と不安と懐かしさと、見たさ会いたさと、でも思い出のままにしておきたいような。

 根性がないから、どなたかの感想を聞いてから自分も買うかどうかを決めようか、などと考えているところです。

 キートン先生ならばそれこそ、私が理想とするところの美老人になってくれる可能性大なのですが、いまのところは美老人というご年配でもないですから……えーと……、「美熟年」?

 世阿弥の目指した「まことの花」、その美。

 私が求めるところはそういうことですから――どうも、セクシャルなものをなおざりにしている気がしないでもない。
 とはいえ、美老人(この言葉には女性も含みます)(謡曲でいうなら『関寺小町』とか)には、それでもきっちり、男性女性という「性」は存在している。そのうえでの、清澄な美である、と思うので(我ながら理想が高いわ;;)、自分ではそんなには、色気から外れているつもりもないんですけどねえ。
 美老人、美老婦人の清められた肉体にこそ、我が萌えがあるのである、といっても、――まあ、たいていの人には笑われるだけでしょうね。(^^;) ……ええ、いいんです、慣れてますから。

 美少女美女はいうにおよばず、美少年も美青年もそりゃあけっこうですよ。そのとき限りの「時分(じぶん)の花」には、「時分」であるからこその悲哀というものがある。それゆえにこそ彼らは天与のままに美しい。
 そのとき特有の(刹那的な)美、というのも、それはそれで美しく心惹かれます。

 さりながら、花も嵐も踏み越えた、磨きぬかれた個性の美、それを包む老人という肉体が放つ美、というもの。
 これがいいんですよね~~。(いいですよねつっても、あんまり同意は得られない気もするが;;)

 ということで、「拝み屋横丁…」の噂のご老人と、復活のキートン先生に、ドキドキしている今週月曜日でございます。

 
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脱力のすすめ
2012年03月18日 (日) | 編集 |
 切羽詰まった状況、ピンチに見舞われたとき、もはや人間の力ではどーしよーもない状況になったとき………、それでも「余裕っしょ!」と、自分に宣言しちゃうのはいい考えだ、ということを、先日、書きまして。
 そのときは、ようは気合いですよねなどと言ってしまいました。
 
 さりながら、気合い、では、どうもなにか違う、と思えてきました。何が違うのか、と、あれこれ考えたんですが――それって、気合いじゃなくてむしろ、「脱力」かもしれません。

 真面目になるが人の衰え(江戸川柳)、という言葉を、以前にもどこかでご紹介しましたが、そういうことのような気がしてきました。
 とんでもない状況におかれたとき、落胆したり、悲嘆にくれたり、泣いたりわめいたり、絶望したりというのはみんな、「真面目」ゆえの、反応なんでしょうね。
 
 でも、ピンチのときにそんなことをしていて、なんの足しになるか。って話。
 
 今回の震災直後から、私はある種の人々を見ていて、「パニックを起こすと生存確率が下がる」というのを、しみじみ、実感しました。
 泣いてもわめいても状況は変わらない。むしろ、パニックを起こすと「馬鹿」になるので、冷静な判断力も、通常の知能も失って、ますます、自分の生命を危うくする。
 ひとまずはそうはならない今の社会システムと、大多数の馬鹿ではない人々に感謝しろよと思いましたが、1年を過ぎた今にいたるも、彼らはそういうことに思い至らないようです。
 ……だから馬鹿だてんだよ、なんていうのは余計ですね。(^^;)

 じっさい、パニック、怒り、落胆といったものは、人の体にもマイナスの反応を起こさせます。免疫力の低下とか、反射が鈍るとか、認知能力が著しく低下するとか。
 
 どうしてそんなふうになってしまうのか。――それは、いちいち、起きたものに対して「真面目に」反応しちゃうから。ではないでしょうか。

 なにかあったときに、うわっ、と思うと肩に力が入る。全身が強ばる。内臓さえ緊張して働きが鈍る。
 いいことなんか、ひとつもない。
 真面目になるのなんかやめちまえ、――つくづく思いましたよホントに。(^^;)

 明治以前の日本人は、本当によく笑う人々だったそうですね。
 ささいなことで実に愉快そうに笑う。
 たぶん、深刻なことですら、彼らは笑い飛ばすことができていたんじゃないでしょうか。ユーモアの精神てやつで。

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 深刻ぶってりゃエライ、みたいな価値観は、捨ててしまったほうがいい。そんな気がします。
 
 真面目には、たしかに、真面目としての美徳もあります。それは否定しませんが、なんでもかんでも真面目で押し通そうとすると、いらぬ負担が増すことになるのでは。

 泣こうがわめこうが変わらない厳しい現実なら、それを受け入れて、少しでも楽しんじゃったほうが、はるかに「ためになる」。
 リラックスしているほうが、パニック状態のときよりも冷静だし、アイデアも柔軟に湧き出てくる、ということは、わかりますよね。体験的に。

 厳しい状況におかれたときに、どんと肚を据えてしまう。――これは、ようは、いい意味での開き直り、脱力して「リラックス」する、それくらいの感覚なんじゃないでしょうか。

 日頃はコツコツ真面目にやっていてもいい。でも、自分の力ではどうにもならない現実におかれたときは、泣くのも怒るのもやめてしまって、これがいまの自分の現実だ、ということを、逃げも隠れもせずに受け入れてしまう。
 ――そのほうが、肉体的にも精神衛生にも、また、結果的に「よいアイデア」にも結びつく。
 そういうことじゃないのかな、と、ふと思いました。

 余裕どころじゃないという切羽詰まった状況でも、あえて「余裕っしょ!」と宣言してしまう。気持ちの余裕、こころのゆとり。
 状況は変わらないのに、一気に、それだけで自分の心持ちが変わる。

 これは気合いじゃなくて「脱力」だなあ、と思いましたので、訂正しておきますね。
 余裕っしょ! のコツは、気合いじゃなくて脱力。

 怒りや悲しみというのは「現実拒否」の態度であり、なんの役にも立たないということは、小池龍之介住職の著作を見ても、よくよく実感できるところ。
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 目の前にどうにか対処しないとならないものが迫っているのに、目をつぶってイヤイヤをしていてもしょーがない。目をつぶってもその現実は消えてくれるわけではないので、目をつぶって対応が遅れた分、命取りになるわけですよね。

 世の中には、まあけっこうなお年になってもまだそのへんを理解せず、あげくには若い人に「怒れ」などとそそのかす、悪い大人もいるようですが。

怒れ!憤れ!怒れ!憤れ!
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ステファン・エセル

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 世の中のことに、それどころか自分自身のことに無関心でいるというのはたしかによろしくない。これはこれで不健全ですが、だからって、いちいち怒る必要はない。
 ただでさえ頭がいいとは言えない人が、無闇に怒るとますます馬鹿になります。なにしろ怒りは人を愚かにさせ(カッとなると碌なことをしない、言わない、というのは経験あるでしょう誰にでも)、悪口も人の知能を低下させるのも科学的に実証済み。

 問題や現実に対し、どうにかしようと思い、考え、行動することはいい。
 しかしそこに怒りは必要ありません。
 動機としてはあり得るかもしれないが、わざわざ自分から馬鹿になることはない。もとからたいした頭じゃないならなおさらですよ。
 馬鹿になったらまともな行動はとれなくなる。だから怒りは有益ではないというより、害でしかない。

 私は「いまどきの若いもんはダメだ」論には与しません。それと同時に「老害」説にも同意しません。
 人間が、人間として賢くあるかどうかには、じつのところ肉体年齢は関係しません。

 難しい現実にも、いい意味でリラックスしながら、よりよい智慧をもとめて行動している人はいる。これには年齢は関係ないです。

 私もじつのところ怒りで馬鹿になっている典型的な愚か者ですが、それでも、たまに、その怒りにとらわれていない人々に気がつくことができるだけ、ありがたいことだと思っています。少しは反省して、あらためよう、と、わずかでも努力しますから。
 まったくしないよりはいいだろうと思います;;

 笑って過ごすのも人生、泣いて怒って過ごすのも人生。
 どっちのほうがいいかは、自分でご判断なさいませ、ってことですかね。(^^;)

 落ち込みやすい人(真面目すぎる人)には、「余裕っしょ!」の一言は、脱力するためにはかなり有効でしょう。

 真面目になるが人の衰え。――これ以上馬鹿にならないように、ときどき、自分が「真面目」になりすぎていないか、チェックするといいんだろうな。
 そう思います。

 
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