ゆく年来る年
2011年12月31日 (土) | 編集 |
 2011年も本日をもって店じまい。
 私はいよいよもって、いっぱいいっぱいです。年賀状もまだです。はやばや印刷は終わっていたのに何をやっていたのでしょうか(涙)
 もうこんだけ追いつめられている年末も久しぶりだなー。大掃除はなんとかなってますが。(やはり小掃除を重ねていく作戦は有効です)

 ということでまだ、今日は予定が山積しております。
 
 今年1年は本当に――山あり谷ありだったと思います。

 印象に残っているのは、(たしか)雑誌でみかけたお話。

 雑誌の、読者投稿欄ではなかったかと思いますが記憶違いだったらごめんなさい。

 まだ幼いお子さんを、事故で亡くされた女性のお話ですが、その女性のお母様が(つまり亡くなった子どもの祖母になるかた)、女性に向かって、
不運があっても、不幸になっちゃいけないよ
 とおっしゃった。
 
 そういうお話でした。

 なるほど、と思いました。

 いっさいの不運に見舞われない人生なんかない。あるとしたら、もしかしたらそれは人生とは言い難いものかもしれない。
 不運は誰の上にも訪れる。しかし、不運だからといって、みずから不幸になってはいけない。
 不運は不幸ではない。

 生きていくことの意味が、そこにこめられているように私は感じました。

 幸不幸はつまるところは自分が決めることなのだとすれば、不運は不幸ではない、というのには、深くうなずけるものがあります。

 来る年は、佳き年になる、と信じて。
 2011年も終了でございます。

 こちらのブログもあいかわらず1年通して寝言ブログでございましたが、おいでくださいました皆様、まことにありがとうございました。
 皆様のご健勝をお祈りしつつ、本年はこのへんで失礼致します。m(_ _)m

 皆様、どうぞよいお年をお迎えください。

 
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コミックマーケット81、1日目へ
2011年12月30日 (金) | 編集 |
 昨日はコミケ1日目に参加しておりました。
 予想よりはマシだったとはいえ、やはり寒かったです。(^^;)
 なんせ、横も後ろもシャッター全開だったんで;;
 それでも、最高気温は10℃を少し超えるくらい、風もあまりなかったので、条件としてはよかったのだろうと思われます。
 今朝は東京はまた冷え込んでいるようですね。少しでも暖かくなってくれるといいんですが…。

 今回はとにかくお天気に恵まれました。
 朝、ゆりかもめに乗って会場へ向かいましたが、日の出桟橋で見た景色の美しさときたらもう。
 遅い朝陽が水平線上にのぼり、モヤがかかっていたのでしょうか、淡いオレンジ色に視界はつつまれ、水面も朝陽を照り返して輝き、浮かび上がる建物や、埠頭の施設のシルエットは幻想的なほどに美しい。
 あの空と海の色はなんといえばいいのか、と思いましたが……紅花染め。
 まだなんども染めてはいない、あの、ほんのりとした、紅とも、ピンクとも、黄色ともつかない、淡い淡い色合い。
 あの色でした。

 去年も同じ時間帯にゆりかもめに乗っていたはずですが、景色については記憶がありません;; 今年は本当にきれいな朝陽と、それに輝く海で、なるほど日の出桟橋…と納得。
(名前の由来がそうなのかどうかは存じませんが。夏だと角度的にどうなのかなあと考えますと……)

 それにしてもやっぱり寒かった。ダウンコートは1日中脱げませんでした。
 昔、「まんレポ」でもありましたが、ほんと、どんなにオシャレをしていっても、コートを着ていなければならないって時点でそのオシャレも意味がなくなるんですよね。
「となると、コート自体をおされにする必要があるわけだが……、コートドレスてのはなかなかいいのがないんだよねえ」
「デザイン的にはOKでも材質がアレだったりねえ」
 と、Nちゃんとコート談義。
 そんなことを話している我々の目の前を、可愛い、ホントにドレスみたいなコートをきたお嬢さんが何人か、通り過ぎていきました。

 私もちょっと探してみたんですが、ああいうオシャレなコートは、現在は10代向けのものが多く、材質が、ポリエステル、アクリルなどなど。
 ぶっちゃけ、見た目ほどには暖かくないんですよね。(^^;)
「デザインがよく、かつ、素材もいいものとなると…?」
「私がいいなと思うのはマックスマーラだけど、値段は数万円~10万円(以上)」
「中間の値段のもんがない?」
「あるのかもしれないけど、見かけないねえ……私は」
 
 2万円以内で、材質は最低限ウールで、かつ、ワンピースみたいにして着られるコートがあったらぜひ、教えて下さい。(^^;)

 ということでたいへんに寒かったわけですが(寒くない冬コミなんてものはない;;)、ちょっと不思議なものを見てしまいました。
 朝イチで、わたくし、東ホール側から西ホールへと移動したのですが、その途中、ケープかマントを着た女の子を見ました。
 しかし、そのケープもしくはマントが、「毛布」っぽいのです。
 毛布を肩から引きかけているように見えるのですが、長さは、ケープよりはちょっと長いかな、という程度でもちろん本当に毛布をかぶっているわけではありません。
 でも、どう見ても毛布に見えるんだよなあと思いながらも途中でその女の子とは分かれてしまいました。

 びっくりしたのは帰り道。(西→東移動はあいかわらずキツイですね;;)
 また、同じように、「毛布みたいなケープをきた女の子」がいるんですよ!
 
 現在、ケープやらポンチョやらが流行っているのは知っていたけど、そのなかでも、ああいう、毛布っぽい素材のケープとかも流行ってんのかな? と思いつつスペースに戻りまして。
 Nちゃんにかくかくしかじかと話したところ、
「あー。それ、コスプレだわ」
「は? ……毛布が?」
「毛布が。――それって長いストレートの黒髪の子でしょ」
「ああ………そうね、そんなんだった」
「コスプレなんだよね…毛布をかぶってひきこもってんの」
「どんなキャラだそりゃ」
「『絶望先生』の、小森霧ってキャラだよ。引きこもりで毛布かぶってんの」
「コスプレだったのか……。なるほど、冬にはいいキャラだねえ」

 あの寒空に、ミニスカートだのノースリーブだののコスプレを見ると、「大丈夫ですか!?」と言いたくなるもんなあ。(^^;)
 「鋼の錬金術師」のキャラならば、ほとんどの人は冬に適した服装なのでいいよねと言っていましたが、鋼を超える、「冬のコスプレ向きキャラ」が存在していたんですね。(^^;)
 とはいえ、Wikipediaをみたら、彼女、冬は本当は布団をかぶってるんですって?
 ………さすがに布団をかぶるコスプレはなー……。

 なんにしても面白いですね。
「コミケでは、たとえ宇宙人が歩いていても、だれも気にしないだろうね」
 という結論になりました。
「宇宙人がいても、みんな、『なんのコスプレだろうね』で終わるね」
「だれもびっくりしないだろうね」
「しないね」
 ………宇宙人より、毛布をかぶった女の子の方が、ある意味、常識破りなところがあってインパクトは大でした。(^^;)

 もうひとつ、今回面白かったのは、みょーに異人さんとご縁があったこと。
 行きのゆりかもめのなかでは、白人のおにいさんと日本人のお兄さんが、流暢な英語でなにやら盛り上がっていたんですよね。(ふたりとも英語ネイティブではないようでした)
 なかなか、アニメにかんするディープな話題っぷりに、
「まさかサークル参加じゃないよね…?」
 と思いつつ聞き耳をたててしまいました。(^^;)

 また、西ホールからの帰りはやはり、同じく白人のお兄さん3人づれとごいっしょになってしまいましたが(狭いスペースに大勢の人がいて同じ方向へ歩いていくので、近くを歩いていると会話が聞こえてきてしまうのです)、こちらのグループには日本人はおらず、どうもわざわざコミケのために来日したらしく、ものすっごいハイテンションなお兄さんがいらっしゃいました。

 それにしてもちと感心したのは、こちらは完全に英語ネイティブな方々らしいのに、「シューティングスター」というのはちゃんと、日本語カタカナの発音であったこと。
  英語の発音でshooting star じゃないんですよ、ちゃんと(?)日本語の発音のシューティングスター。(……遊戯王の話題だったんだろうか…よくわかりませんが;;)
 べつにそのまま、元来の英語のままで話せばいいと思うのに、ちゃんと日本語発音にしているっていうのが、すごいなーと思いました。
 なんにしてもほんと、嬉しそうで楽しそうでハイテンションだった。(^^;)
 途中で行き先が分かれてしまいましたけれど、あのあと、彼らはコミケを楽しんでくれたでしょうか。

 今年のコミケでは、いろんな「出会い」があったような感じがします。(^^;)

     ●

 追記として。
 今回、会場の献血で(西ホールに受付あり)400mlの献血ができた方には、今回のコミケ81に参加している企業さんの、「ポスターセット」をプレゼント!
 
 去年はそういうことをいってなかったと思う。私も去年は400ml献血したけど、べつになにもなかったし。

 ポスターセットの中で私が知っていたのはエヴァだけでしたが。(^^;)
 ファンの方には嬉しいセットじゃないだろうか。

 体調に余裕がある方。ぜひ献血にご協力をv

(今年の私は薬をのんじゃっているので、献血できませんでした………すみません;;)



 
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年末大加速
2011年12月28日 (水) | 編集 |
 おかげさまで、体調も低空飛行ながら維持できているし、仕事の方もトラブルないようだし、今日でもう無理矢理に仕事納めにしてしまいます。
 明日はいよいよコミケです!

 大手を振ってコミケにいくために、用事はすべて片づけていくはずでしたが、じつはまだいくつか残っている、というのは悔しいところ。(^^;)
 ですが、まあ、帰ってきてからでもなんとかなる……と思う…。
 どのみち正月のためには大晦日まで労働はするわけなんで。(^^;)

 コミケに出かけていくために最低限のことだけは片づけて、いってまいります。

 こちらのブログもそんなわけで、今日明日、おやすみいたします。m(_ _)m
 あまりの寒さに会場から、寒い! と、ケータイ使ってわめいているかもしれませんが;;

 本当は今日はまだ書けるはずだったんですが、用事が押せ押せになってしまいまして;;
 そんなわけで本日はご挨拶だけで失礼致します。m(_ _)m
 明後日、無事にお目にかかれますように。

 それにしても……この大寒みたいな寒さ、どうにかならんもんでしょうか;;

 
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「坂の上の雲」
2011年12月27日 (火) | 編集 |
 ということで(?)、NHKがたいへんな労力と時間をかけて製作したドラマ「坂の上の雲」。
 何年かかったことになるのでしょうか……ともあれめでたく完結ということで。

 私は――すみません、最初と最後しか見ませんでした;;

 原作の方は、10代のうちに5回チャレンジして、5回とも挫折しています。つまり途中で放り出しちゃって、読了していません。(^^;) いまだに。
 海軍の話は面白いが、陸軍の話はイマイチで、つまんないからって読みとばしてしまうと、当たり前ですがそのうち、小説の筋がわからなくなるのですね。
 そんなこんなで結局、挫折してきた小説でした。

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 ドラマの方はまさしく願ってもない、画面を見ているだけで目の保養ができそうなくらいのキャスティングとなり、最初はけっこう、見ていたのです。
 が。やはり途中で面白くなくなり、ドラマですから「読みとばす」こともできず、正岡子規のところだけちょいちょいのぞいているくらいでした。
(子規の妹、律さんのけなげさだけが、私の見る目的でした)

 それでもやはりドラマというのはえらいもんだと思ったのは最終回(と、その前の回)。
 クライマックスたるバルチック艦隊との一戦、日本海海戦は、たとえいままでドラマを見ていない状態で見ても、じゅうぶん見応えはありました。
本日、天気晴朗なれども波高し
 というのは有名ですが、具体的に、この言葉にどんな「意味」がこめられていたか。――司馬遼太郎の解釈だそうですが、面白かったです。

 それにしても――
 結局、私の胸に残ったのは。
「だからって、明治を好きになるのは無理ですよー」
 でした。

 司馬遼太郎はむしろ、江戸、徳川幕府の「抑圧」システム、その社会制度を嫌い、明治の爆発的な社会のダイナミズムを評価していたそうですが。
 なにがどうあっても、私はそれに同意しきれない。(^^;) ということを再確認して終わったドラマでした。
 べつに、特別、江戸時代をひいきにしているわけじゃないですが、なんといっても私は保守派のつもりでおりますし、文芸、芸術というものを愛している人間ですから――社会制度の話ではなく「日本の文化」の深刻な断絶と変質を引き起こした明治という時代を、「好き」になることはできないのでした。

 評価するべきところは評価する。
 でも、好き嫌いは、それとは次元が違う話ですから。(^^;)
 評価は「理屈」だが、好き嫌いは「情緒」だ。べつものになるのは仕方ない。

 ゆえに、結局、司馬遼太郎がこの時代に寄せた好意、――「坂の上の雲」を、それを目指した人々の「青春」を、ことに愛でていた、という部分は、私には響いて参りませんでした。
 これはドラマの作りの問題ではなく――ドラマは本当に丁寧に、原作を大事にして作っていたと感心しています――、私の、ごくごく個人的な感情、好み、主張の問題ですので、どうか悪しからず。

「坂の上の雲」は、作者、司馬遼太郎がドラマ化は絶対に認めなかった作品だそうです。なぜそこまで映像化を拒んだのか、具体的な理由を私は存じませんが。
 でも、今回のキャスティングと、そのお芝居は、司馬遼太郎も許容できる範囲にあったのではないか、と思ってもいます。

 いえべつに、本木雅弘さんの、海軍士官の制服姿に萌えたとかいう話では…………、
 ……話かもしれないけど;;

(すみません、ただでさえ海軍関係はどこの国でも制服がカッコいいのに、本木さんがあれをお召しになったときては、制服萌えがある私としては、ドラマそっちのけで、画面だけを見る価値があるほどでした)
(………邪といわれてもいい。麗しいものは麗しい……v)

 ちなみに、ドラマでは触れられていませんでしたが、この日本海海戦の「戦後処理」として、日本政府は国際法にきわめて忠実、誠実な対応をしていたことは、付記しておきたいと思います。

 ……たしかに、文化の断絶という、感情的には許容し難い時代ではあるのですが、――この当時の政治家や軍人は、後の世の――あるいは2011年現在の政治家よりは、はるかに資質にすぐれていた、ということは、私も認めております。
 いつの時代でも馬鹿はいたので、べつに、彼らがとくに「優れていた」とは思いませんけどね。

 ちなみに今回のドラマで初めて、秋山真之(さねゆき)による「連合艦隊解散の辞」というものを知りました。
 まあ、名文ですねえ。文学を志していたというのは、なるほどと思われます。
 名文であることもさりながら、これ、いまの政治家と一部日本国民(いわゆる平和ボケ)には、耳のなかに無理矢理に突っ込んででも聞かせてやりたいくらいです。

「惟(おも)ふに武人の一生は連綿不断の戦争にして、時の平戦により、その責務に軽重(けいちょう)あるの理(ことわり)無し。
事有れば武力を発揮し、 事無ければこれ(=武力)を修養し、終始一貫、その本分を尽くさんのみ。」



 これは「武人」は、と言っていますが、じつのところ、私はこれは武人限定の話ではないと思います。政治家、官僚、ひいては一般市民も、その「心構え」は同じでしょう。
 平時における外交はつまりは戦争です。外交という戦争に勝利しているあいだは、じっさいの戦闘にいたらずにすむのです。
 政治としての外交に失敗すると、じっさいドンパチやるはめになる。――わかりますよね。

 戦争はいけない、戦争はダメだ。戦争は絶対起こしてはならない――そう本気で思うのなら、外交戦争というものに、きっちり勝ち続ける必要がある。
 いいかげん、そこんとこ、せめて政治家くらいはちゃんと理解していてくれないと困るんですよ。
 いまの私はこれ、本気で危機感を感じてます。
 平時における外交に失敗したとき、有事となる。つまり戦争が始まる。この日露戦争しかり、太平洋戦争しかり。
 政治家の失敗のツケを軍人が払うことになる。
 政治の役割がどれほど重要か。
 
 正岡子規は、社会の上層の連中がどれほどダメでも、下層階級がしっかりしていれば、その国は大丈夫だといっていますね。(『病牀六尺』)

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 政治家がこういうことを理解できないなら、私ども一般市民がきっちり理解して、ボトムアップであげていくことが必要なんですよね。

 「連合艦隊解散の辞」については、原文を紹介しているものがありました。現代語訳、英訳もついていますので、興味がおありでしたら、どうぞご覧下さい。
Z旗」様にリンクしております。

「連合艦隊解散の辞」原文
http://www.z-flag.jp/maxim/tighten.html

 
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言葉にできない
2011年12月26日 (月) | 編集 |
 本日は、完結なった、ドラマ「坂の上の雲」についてちょこっと、と思っていたのですが、やはり今日のところは――浅田真央選手について、になっちゃいますね~。(^^;)

 どういうわけでしょうか、ショートプログラム(SP)のときは、べつに何もないのに、見ているだけで涙がだーだー出てきてしまいまして。
「ご本人が『いつもどおり』で競技に臨んでいるというのに、なんで傍観者のあたしがこんなに泣くのか」
 と自分でもいぶかるほどでした。
 なんでしょうね、あの感覚。見ているだけで泣けるの。(^^;)

 で、昨日のフリースケーティング(FS)。
 どういえばいいのでしょうか……回転不足がどうたらあったようですが、そんなことはいい。私としては転倒がないことが不思議でしょうがないくらいの気持ちでしたよ。
 気力。気力にだって限界はある。
 人が奮い立つときのエネルギーって、なんなのかなあ。とぼんやり思っていました。

 ま、少なくともそれはネガティブなものではない。
 今の世の中あまりにネガティブなものであふれかえっているけれど。
 本当はそんなものは、人が生きていくときの真のエネルギーにはならない。どんなにえらそうなことを言ってもね。

 真央選手が演技を終えたときのあの感覚。
 感動、というのとも違う、もっと体の芯から震える、あの感覚はなんだったんでしょうか。

 国分太一さん、解説の八木沼純子さんの声が、やはり涙で震えるのを聞いて、ああ、同じなんだなと思いましたです。

 私どもは何かとても貴重なものを――見せてもらったのだと思います。貴重なものとはなんなのか。
 思いつくことはあるけれども、言葉にするととたんにそれが、ちんまり小さく固まる気がするので、言葉にはしません。
 じつはこうやって思い出して書いているだけでも私は泣けてくるのです。……鼻炎なのに泣くのはつらいぞ(笑)

「有り難い」ものを見た。そう思います。

 ……ということで競技会全体のこととか、男子シングルについてもあれこれ書きたいところですが、今日のところは真央選手についてのみということで。
 八木沼さんもおっしゃっていたように、本当に、もう、「言葉は要らない」かんじですね。

      ●

 ひとつ書くことがあるとするならフジテレビ。

 ………「やればできるんじゃん」。
 この言葉をお贈りしたいと思います。

 満足したわけではない、あいかわらず、アナウンサーが競技とは関係のないツマンネーことを言うので、「黙ってろ」と思わず吐き捨てたこともありましたが、それでも、従前の放送態度よりははるかにマシな今回でした。
 やればできるんだったら、そうしてくださいよ。
 あたしだっていちいち頭に来ながら放送を見ていたくはないですから。

 その点、今回はよかったです。

 
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クリスマス寒波
2011年12月25日 (日) | 編集 |
 寒いクリスマスとなっております。
 3連休最終日、お出かけの方も多いでしょうか。どうぞ体調にはお気をつけて。
 
 私は今日は本当は出かけるはずでしたが、寒さのためにちょっと体調不良で、おやすみすることにしました。
 寒い、ということが、ダイレクトに私の生命力を削っていくように感じています;;

 昨日も夕方に帰宅したら、にわかにみょーな腹痛が。
 ウールのスパッツ、ズボン、さらにフリースのロングスカート、靴下は当然2枚履きで、ガスストーブの吹き出し口に足の裏をくっつけるようにして暖をとりましたら、ようやく腹痛はおさまりました。
 冷えたんですね………。(^^;)

 自分で熱を作り出すことができない感じ。
 私は本当に哺乳類(恒温動物)なんでしょうか。
 たまに本気で自分を疑ってしまいます。

 冬になると冬眠したがるし……もしかしたら、哺乳類の冷血動物なのかもしれない。(^^;)
 静岡の冬でも凍死できそうなんですが、んなこと言ったら笑われるだろうな~。

      ●

 先日は、成人式に向けて振袖着付の打ち合わせ&特訓でした。
 希望者が集まって自分が確認したいところを練習するわけですが、にわかに、建物の外から異音がしてまいりまして。
「な、なにごとっ?」
「何の音?!」
 と思わずざわつく教室内。
 私、じつは聞き慣れた音だったので
「ああ……あれはですね、キャリーバッグの音ですね…」
 教室の目の前は広めの歩道で、いちおう舗装はされているのですが、材質が、ちょっとこう、ごつごつした表面に加工されています。すべり止めの意味がある……のかどうかは存じませんが。

 歩くだけなら不都合はありませんが、キャリーバッグを転がすと、かなりの音がするんですね。

 種明かしをすればなんということもなく、なーんだ、ということで皆、すぐに練習に戻ったんですが、
「それにしてもスゴイ音がするんだねえ」
 と先生、しきりに感心(なのか)してました。(^^;)

 私はすっかり聞き慣れてますが、慣れない人にはみょーな音に聞こえるんですね。

 キャリーバッグの流行も、はやく収まってくれないかと思っているのですが、今のところ、使用が下火になる気配がありません。
 駅のエスカレータでマジで身の危険を感じたことは一度や二度ではないので、最近ではもう、キャリーバッグを見ると思わず避けようとしてしまいます。
 
 私も昔はいっとき使っていたことがありますが、そのときの経験からいって、あれはけっして使いやすいものではない、と思うのです。
 ゆえに、いずれはまた使用者の数も減るだろうと期待していたのですが、いまのところその気配もないので、困ったねえ、と思っているところ。

 先日も駅のホームで、「キャリーバッグの事故が増えている、使用には充分注意を」、という案内が流れている電光掲示板のその下を、おもいっきり腕を伸ばしてバッグを後ろに引いて、つまりは、人が一人通行するときの数倍のスペースを誇示しながら闊歩していくおねえさんがいたりして。

 ………事故に遭わないように、気をつけていくしかないですねえ。(^^;)

 ああしてみるとコミケにくるお嬢さん、おねえさんたちは、さすがというべきですね。
 あそこまで傍若無人なキャリーバッグの引き方をしている人は――皆無ではないでしょうが――まず、見かけませんから。

 コミケもいよいよ目前となりました。
 気持ちよく出かけるために、私も年末の用事、今日は特に集中して片づけていきたいと思います。

 
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あなたと私の頭に論理性を
2011年12月24日 (土) | 編集 |
 昨日、「売られた喧嘩は7がけで買う」くらいの勢いで立腹していた、「自炊」代行業者提訴についての件。
 提訴した作家さんたちは、どうも、私などとはまるで異なる次元を問題にしているのではないか、とは思ったものの、それがなんだかわからないので、「売られた喧嘩は(7がけで)買う!」というくらいに、アッタマにきていたのです。
 
 ということで、ありましたありました。提訴側がなにを問題としているかのヒントと、提訴した側を支持するご意見が。
 探すのに苦労しちゃいましたよ……。

書籍の電子化、「自炊」「スキャン代行」は法的にOK?
 ★福井弁護士に聞く著作権Q&A

http://internet.watch.impress.co.jp/docs/special/20100917_393769.html

自炊代行提訴についての雑感 - 玉井克哉(ブログ)
http://blogos.com/article/27628/?axis=t:5523&gi=4

 あー。わかったわかった。やっぱりぜんぜん想定されている事態が違うんだ。
 わかりましたけど、それならそうとなんで説明してくれないんでしょう。これはもちろん、記事にする側の問題もありますが、記者会見での説明が正鵠を射たものとは言い難いですね。
 じっさい、スキャンのために本が裁断されて「尊厳が傷つけられた」などという、情緒的な訴えはこの場合なんの効果もありません。
 私みたいに「だったら廃棄するのはどうなの」と突っ込んで終わりです……。

 論理性を欠く、というのはこういうことなんでしょう。
 自分が危機感なり不安感なりに襲われてしまって、それを訴えることだけに夢中になり、「聞いている人の耳にはそれがどう届くか」が考慮されていない。

 これはほんとによく見る構図です。
 自分の危機感なり不安感なりを「わかってもらう」「相手に届ける」ためには、情緒的な訴えというのは可能な限り排した方がいいです。私の乏しい経験から言いましても。

 今回のこともなにを問題とし、危機としているのか。ぜんぜん説明されてないに等しい。
 東野圭吾さんのご発言は記者に対する返答だというのはわかるけど、そんな露骨に喧嘩を売られてもなあ、というふうにしか受け止められません。いきなりこんな話を聞かされた方としては。

 記者会見する側は、自分たちが日常的にその問題に接し、詳細も聞いているから、いきなりなんの説明もなしに話をしても「通じる」んでしょうが、記事を読む大半の人は、「なにそれ」ということになる。
 自分が知っているから世間もみんな知っているはずだという認識はまず捨ててほしい。
 なんのことだかぜんぜん知らないというヒトに向けて説明するくらいでいてちょうどいいんじゃないでしょうか。

 それはともかくとして。

 お話はわかりました。
 思うことや反論したいことはいくつもありますが、もうそれはいいです。

 よーするにこの問題解決のためには、きっちりした法律ができ、そのルールのもとにきちんとした運営がなされることが必要。
 それだけですね。

 ……ようは。現時点において違法行為を働いているわけではない業者を訴えたり、代行業を利用するユーザーを盗人呼ばわりするのは、本来、この問題解決には、無意味だということです。

 どこかのコメントか、ツイートで見ましたけれども、個人でこういう業者を頼んで「じぶんで買った本の電子化」をするユーザーというのは、東野さんおっしゃるところの「自分でお金を出して本を買ってくれる」れっきとした客であり、むしろモラル意識が高いユーザーなんですよ。
 その、言ってみれば自分にとっての「お得意様」を盗人呼ばわりして喧嘩を売って、どうすんですか、という話。

 ……先日、「日本人の話し方にはなぜ論理性がないか」という、コラムか、エッセイを読んだんですけど……本当にそうかもしれないと思ってしまいました。
 日本というのはよくも悪くも等質性の高い社会なので、それこそ、「ツーと言えばカー」「阿吽の呼吸」なんてもんが通用する、いきなり本論を語っても、みんなが知っているから、うんうん、と、そのまま話が通じることが多い。

 しかしこのコミュニケーション方法は、未知の相手や、事情を知らない人を相手に話をするときには通用しません。
 そらそうです。事情を知らないヒトに「Aってほんとにひどいよね!」などと憤っても、「Aって誰?」という、まずそこで引っかかります。

「Aさんはこういう素性の人なんだが、彼はこういうことをした。私はこれは、こういう点が問題だと思っている」
 と具体的かつ、ある程度の客観性ももって説明しないと、「Aさんて誰?」という聞き手には、事情さえ呑み込めません。
 いきなり目の前でぷんすか怒られても、「なんでアタシが怒られなきゃいけないのさ」と、聞き手は戸惑い、場合によっては「八つ当たりしないでよ」と怒り出すかもしれない。(今回の私はこれですね)

 日本語は、通常の言葉、尊敬語、謙譲語、卑語を使い分ける、きわめて高い論理性を要求してくる言語。
 ゆえに、その言葉を使いこなすには、話すにしろ聞くにしろ、やはり論理性が求められると私は思います。

 ゆえによく言われる「日本語は論理性に欠ける」という言い方には反対し、
「論理性が欠けているのは日本語じゃない。あんたの頭に論理性が欠けているだけだ」
 と言うのですけれど。

 ………日本でもトップの頭のいい人たちも、その論理性がかけた記者会見をやっちゃった、ということが、私には残念です。

 話を代行業の「悪行」に戻しますと、玉井克哉さんのブログエントリーにある「想定」はいまのところ想定にすぎない、ということと。
 人気作家であれば、その本のスキャンを依頼してくるのはひとりふたりじゃないんで、業者はいちどそのデータを取り込めば、あとはもういくらでも(いちいちスキャンせずに)データを配布できるだろうという話。

 これがもし実現されればこれは、業者はユーザーとの重大な契約違反になるということを指摘しておきたいと思います。
 もしこれをやられたら、私は業者に対して黙ってはいないでしょう。

 自分の本がスキャンされてデータ化されたかどうかはすぐわかります。
 なんでかとというと、私の場合、買った本に、買った日付と買った書店を記録しておくというクセが、長いことあったからです。
 最後の奥付のところにこっそり、日付と書店を書いておく。
 本当なら蔵書印を捺したいのを、それくらいで我慢してきた。

 その本は私にとってはその1冊しかありません。

 自炊代行が、なぜ、私にとって価値があるかというと、単にデータにできるだけではなく、「私にとってのたった1冊を、そのまま、データにする」ことを、代行してくれるからです。

 ほかの顧客の本から作ったデータを、同じ本だからといって私のところに送ってきても、奥付ページをみたらもうイッパツでわかりますよ。
 それ以外にも、いろいろ「私の痕跡」はある。「紙の本愛好家」をなめてもらっちゃ困ります。

 代行業の契約は、送られてきた本をスキャンすることであり、すでにあるデータを配布することではない。
 「私の本」がデータ化されるということが大事なんで、それを無視されたら重大な契約違反だ。あたしゃそんなことされたらお金を払いませんよ。冗談じゃない。

 ということで、どうも、この提訴側、あるいは提訴をした側を支持する人たちの「想定」は、味噌もクソもいっしょにしているようです。同意しきれません私には。

 ただ、これまでも、カラオケや、レンタルビデオ店など、新しく誕生しては摩擦がおき、そして法律によってルールが作られて現在に至るものがあるのですから、紙の書籍をデータにして残しておきたいという「善良な読者」の要求がとおることを私は希望します。

 上記のブログ等、提訴側の訴えを聞いたときの私の第1声は、
「ようは「風俗営業法」が必要だって話だろ」
 という、ひとりごとだったことを、白状しておきます。(^^;)

 それにしても役に立たない記事と記者会見だったということですね。
 話を聞いて意味不明な上に盗人と罵られて、頭にきただけですよ私。
「訴えたいこと」なんか、なにも私には届かなかった。

 ただ頭に来ていてもしょーがないから、つって、わざわざ、こっちから、「どういうことが問題になってんの」と調べにいかなければならなかった。

 記者会見のやりかたがまずかったのか。記事がまずかったのか。
 ――両方だろう。私はそう思います。
 もっとうまく「論理的に」伝えることって、大事ですよねえ……。(ひとごとじゃないんだ;;)

 
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顔を向けている方向が違う
2011年12月23日 (金) | 編集 |
 なんかこう、前提とされる問題が違うんだろうなーとは思うんですが……。

「自炊」代行2社にスキャン差し止め要求 東野圭吾さんら作家が提訴
ITMedia
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1112/20/news086.html

作家・東野圭吾ら”自炊”を代行するスキャン業者を提訴
2011.12.20 15:19:07  ニコニコニュース
http://getnews.jp/archives/158741

 私の手持ちの本は、とっくに本棚からあふれています。
 プラスチックの衣装ケースに詰め込んだものが3つあります。
 なかには読み返したい本もあるのですが、これを押し入れからだして、ケースを開けるとなると一仕事。
「読みたいなあ」
 と思わず恨めし~い気持ちで衣装ケースを睨んでいるこのせつなさ。

 作家さんたちにはわかっていただけないのでしょうか。
 ご自分の家にはたっぷりした書籍の収納があるから?
 お金持ちはそりゃいいわよねーとひがみたくもなろうってもんです。
 作家=お金持ち、ってもんじゃないだろうとはわかってますが今回、名を連ねているのはそうそうたる顔ぶれですから、あたしなんかと違って、そりゃあ本を収納する場所くらい確保されているんでしょうともさ。……って、思っちゃいけません? (^^;)

 いちばん読んでて「は?」だったのは東野さんのご発言で、

「『電子書籍を出さないからスキャンするんだ』という意見にはこう言う。『売ってないから盗むんだ』、こんな言い分は通らない」



 ………あのう。
 私の場合、本はすでに買ってあるんですけど。
 なんですか、その、自炊する人=盗人、みたいなその言い方。そんな侮辱をされなきゃいけないんですか私。
 
 すでに実物の本は買ってあって、もう収納も限界で、このままでは廃棄するしかないけれども、廃棄するのもしのびない、だったらデジタル化して内容だけでも手元に残したい、でも本をばらしてスキャンしている時間もない(ないよ!)から、代行してくれる人があるんだったらお金を払ってでもお願いしたい。
 ていうのが、そこまで言われなきゃいけない犯罪行為なんですか?
 
 あ。いえ。わたし、東野さんの本は持ってないですけど。買う予定もないですけど。当然デジタル化しようなんて思っちゃいないですけど。

 会見場に置かれた裁断済み書籍について、林さんは裁断された書籍について「本という物の尊厳がこんなに傷つけられることはとんでもないことだ」、武論尊さんは「作家から見ると裁断本を見るのは本当につらい。もっと本を愛してください」と話した。



 この部分もちょっと意味不明です。
 私はこのままでいったら、収納できない本を、ひもで括って廃品として捨てるしかないんですが、その場合はそれはもう「本」ではなく「古紙」の扱いになります。
 おまけにこの場合、デジタル化もしてないから本の中身も保存されません。完全な廃棄です。
 古紙の場合はリサイクルにも回されるでしょうが全部ではありません。裁断どころじゃない処理をされますが、それについてはどうなんでしょうか。

 廃棄と比べて、いったい、「自炊」のどこが「つらい」のでしょうか。
 あー。久しぶりに意味わかんね。
 放射能ヒステリーどものいうことにさんざん意味不明だと思ってきたけどそれといい勝負ですわ。

 この人々が言っていることから推定できるのは、――私のように「本はもうこれ以上おけない。処分するしかない。でもそれも忍びない。デジタル化できればありがたい」という個人ユーザーにとって、自炊業者が「救い主」であるということは完全に無視されている、ということと。
 彼らは、私が想定していない、なにかまったく別の状況を考えているのではないか、というくらいしか、想像がつきません。

 あたしゃいよいよ本を捨てるしかないのかってところまで追い込まれてんのよ! それともなに、「買った本は廃棄しません、デジタル化もしません」という契約書を結べばトランクルームを借りるお金を出してくれるとでもいうわけ?
 ………と、ちょっとキレ気味です。(^^;)

 で、結局、「どうせ収納にたっぷり資金を投入できるお金持ちには、あたしみたいな庶民の苦労と葛藤なんかわかんねえのさ」とやさぐれたという次第です。

 しかしなんにしても困りますよこの話。
 お互いに前提としている問題がまったく違う、ということだけはわかるけど、その問題がなんなのかがわからないので、じゃあこうしましょう、という解決案も出てこない。

 私は、もはやハードがないので再生できないビデオテープをDVDにダビングしてくれるサービスがあるように、廃棄するにはしのびない、手持ちの本を(絶版本が少なくないんです! 深刻なんだよ本当に!)デジタル化して残しておきたいだけなのに!
 なんで、見ず知らずの他人から、こんな、盗みをしたみたいな言い方で非難されなきゃいけないんでしょうか

 ――かなり本気で腹を立ててます。
 今回名を連ねている人の本なんか、絶対買うもんか。――というくらい頭にきてます。

 ………どうしましょう。(^^;) ←自分が冷静ではないという自覚「だけ」はある。

 
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冬至の今日は
2011年12月22日 (木) | 編集 |
 本日は冬至でございます。
 陰極まる。そして明日からは陽へ。
 一陽来復ですね。(^-^)

 うちのMacちゃんはスクリーンセイバーに国語辞典を利用しているのですが、……これ、たまに、こちらの事情を見透かしたような言葉が表示されることがあって、たまに、ちょっと怖いです。
 今朝は表示されたのは、「一陽来復」だったんで、ああ、季節だしねーと思う程度ですみましたが、――落ち込んでいるときに「心機一転」が表示されるとか、政治の諸問題についてアッタマきてるときに「瞋恚」なんてのが出てくると、そのあまりのタイムリーっぷりに、
「Macの中には小人さんでも住んでいるのだろうか」
 と思ってしまいます。(^^;)

 いつぞやは「雨に沐い風に櫛る」が表示され、なんか自分の孤軍奮闘を茶化されたようでむかっとしていると、次には「大器晩成」が表示され、なんだそりゃ、とさらにむっとしたら「胆気」が出てきました。
 なんかこう、こっちの心情を見透かされた上に、なだめられたり、軽く注意をされたりしているような感じがして、たまにちょっと無気味になります。

 ほんとにMacの中に小人さんがいたらどうしよう……。(楽しいじゃん)

 スクリーンセイバー、他のものもあるんですが、なんだかあまりにタイムリーな言葉が出てくることがあるので、なんとなく、そのまま使用しています。

 ともあれ今日の夕食はそんなわけで、かぼちゃの煮付けとかぼちゃのポタージュを予定。和洋折衷でもうなんでもいいんです。(^^;)
 あとは何にしよう……。

      ●

 ドコモはユーザー数では業界1位ですよね?
 昨日はけっこう、被害を受けてしまった人は多かったのではないでしょうか。

「あってはならない」個人情報流出の可能性も――ドコモがspモード不具合の経緯を説明
2011.12.21 ITmedia
http://plusd.itmedia.co.jp/mobile/articles/1112/21/news059.html

 最初はサーバーがオーバーフロー(?)というように聞いたので、「サーバーがパンクしたなら、ふつーは、機能が停止するだけでしょう? なんでメアドが入れ替わるの?」と思いましたが、人為的ミスも重なって……ということ……なんでしょうか;;

 私も来年春にはスマホにしようというつもりでいますし、スマホユーザーが増えると、トラブルも増えるということでしょうね。
 いろいろハード面も問題が出てくるんだろうなあ。

 とはいえ、こんなことになるなら、トラブったときには、もう機能が全面停止になったほうがマシかもしれない、と思いました。(^^;)
 メールはそれでなくても(いまだに)ときどきエラーと遭遇するんですよね。まして、メアドが混乱するというのは最悪なんじゃないだろうか。個人情報は……まあ……ドコモだし。(こら;;)

 いまや、スマホではない、従来のケータイにすら、パソコンみたいにリセットボタンをつけたいくらいだという話を聞きましたが(すでに数年前に)、スマホはもうパソコンと同じなんで、ますますセキュリティ対策も、なにかあったときの機能の復帰方法も、充実させていく必要があるんでしょうね。

 にしても、世界を駆け巡るメールのうち、じつに9割がスパム関係という話もあります。
 ただでさえ情報トラフィックが増大しているというのに、メールの9割が「ゴミ」なのかと思うと、本気で腹が立ってきますねえ。
 メーラーの機能で自分がそういうメールを受信する量を減らせても、じっさいの通信量のなかからスパムを追い出せているわけではないのだということを、あらためて感じますね。

       ●

中国行きの船からミサイル69発
12月22日 8時12分 NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111222/t10014825291000.html

 フィンランドで、中国行きの船から、大量の爆発物とパトリオットミサイルが見つかったんだそうですが。
 パトリオットミサイルといえば湾岸戦争で有名になった、地対空ミサイル。
 飛距離はそんなわけでさほどではありませんが……今回見つかったのはミサイルのみなのか、それとも、発射するための装置も含まれていたのか。

 なんにしても、そうホイホイ買えるもんじゃなし……ていうか、正式な武器輸出じゃないことは明白なんで。
 ………政治的にであれ経済的にであれ、中国に深入りしようという人々の気が知れませぬ。個人的には。
 進出するのはかまわないけど、いつでも撤退できる準備は怠りなくお願いしたい。
 民間人を見捨てて逃げた関東軍の轍を踏まないように。(イヤミ……のはずだが本気にならざるを得なかったりして;;)

 
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The Butler
2011年12月21日 (水) | 編集 |
 テレビドラマの「謎解きはディナーのあとで」、昨日が最終回でございました。
 私はなかなか楽しかったです。(^-^)
 現実にお疲れ気味なので、ああいう、肩の力が抜けるような、明るいものがありがたいこのごろです。

 原作についてはあいかわらず、未読です。原作を読んでみようかとちらっと思いましたが、ドラマの方を楽しんでいる都合上(……どんな都合;;)、あんまり脇から余計な情報はいれないほうがいいかなと。(^^;)

 文字通り漫画的な演出と(でも、じつはああいうほうのが時間も手間もかかる)、漫画的なキャラクターは浮世離れしており、ということは全体的に軽いタッチのギャグなのかというとそうでもなく、殺人事件にからむ人間関係やその「人情」の機微は、かなり深刻で陰影も深いものがある、という――軽さと深さのギャップの混在が楽しかったです。はい。

 わたくし、第1話の冒頭は完全に見落としているので、安楽椅子探偵タイプ(……になるのかなあ…。謎解き自体はそうなんだけど、でも、影山さん、ちゃんと働いているしなあ)に属すると思われる、執事、影山さんが、お嬢様の執事としてやってきた事情などは存じません。

 第1話がチャンネルザッピング中に偶然に「ひっかかって」、思いのほか引き込まれて最後まで見ちゃったという感じでしたんで。(^^;)

 そもそも主人公が大財閥の総帥(でしたっけ)のご令嬢という設定だけでもう漫画的なのであり、まして、その執事さんが「お嬢様はアホでいらっしゃいますか」などというのですからこれはもう、肩の力を抜いてみるしかない、って感じですよね。

 でも、その「謎」の背景には必ず複雑な人間関係や、それにからむ人の情というものがあるので、けっして浅薄の印象はありませんでした。けっこう本気で泣けたりして。いやホントに。

 それにしてもたしかにこの影山さんというヒツジさん、もとい執事さんは謎ですねー。いちばんの謎はこの人なんじゃないだろうか。
 毎回毎回、なぜか、お嬢様とはそう年齢も変わらないように見える影山さんが、人生訓とはいわないまでも、「人間とはこういうもの」というセッキョーを垂れるのが、なんだか見ていて可笑しかったです。
 悪い意味じゃなくて「何でこの人、毎週お嬢様にお説教たれるんだろうなあ、趣味なのかなあ」という感じで(笑)

 趣味といえば、この執事さんの慇懃無礼ぶりはなかなかのものですが、しかし、お嬢様をいじめるのが楽しくてしょうがないらしい感じは好きでした。
 お嬢様こと宝生麗子さんも、お美しく、賢く、お茶目で、でも「純粋」なお人柄ということで、素敵なお嬢様でした。
 執事さんがいじめたくなる気持ちはわからんでもないですが、たまに本気でお嬢様には同情していたりして。(^^;)
 ……純粋で可愛い人を、あまりいじめるものではありませんよね。

 なんにしても、けっこう楽しく、毎週みておりました。
 じつのところ映画やドラマを「苦手」にしている私には、これくらい、気軽に見られるものというのがありがたい。
 人間というものはどうしたって根は深刻なものですが、そのまま眉間に縦じわよせて、くらーい顔をしていれば「上等」っぽいんだ、という価値観には私は賛成できません。

 明るく軽い顔をしていても、どうしたって人間のドラマは重くなるのですから、これくらい、やさしく明るいものでつつんで、それでやっとじゃないかと思います。
 日本の映画賞でありがちな、「どんなにつまらない映画でも、重くて暗くて深刻な顔をしていれば文学っぽくなる」という、安易な考え方よりも、B級とされるエンターテインメントに仕立てて、それでもそのむこうに、深いドラマは存在するというもののほうが、私は好きです。

 深刻な顔をしてりゃ格調がでるんだという考え方は安易に過ぎる。

 フジテレビさんにしてはキムチ臭のないことでもあったし、楽しかったです。

 ………それにしても私にとってこのドラマ、最大の衝撃は、エンドロールに現れる、こちらの会社でした。

・日本バトラー&コンシェルジュ株式会社 
http://www.butler-concierge.com/

 な………なるほど、やはりこういう会社があるんですね。
 影山さんの所作などはこちらのご指導によるものらしい。ほへー。

 ちなみにこちらには「紳士淑女のマナー研修」もあります……。
 ………うーむ。

 ブクロなどにある執事喫茶にはあんまり興味がないが、こういうのは興味あったりして……。
 ………深い。(なにが)

 まったくもって蛇足ながら、執事喫茶について私見を申しますと、腐女子としましては――自分がああいうサービスをされることには大して興味がないんですよね。
 腐女子は、自分がサービスされることではなく、誰か(殿方)が、執事に(あまりに献身的な)奉仕をされる姿に萌えがあるのである、――というのは、「オタク女子研究」の杉浦由美子さんのご見解でしたが、まったく同感です私。
「自分」が、奉仕したいとかされたいとかじゃないんだ。
 それを「見る」ことへの欲求なんですよね。
 
 なんだろう。なにが違うんだろう。
 いまさらながら自分の「趣味」を不思議に思ったりして。(^^;)
 
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エンジェルナンバー
2011年12月20日 (火) | 編集 |
 そういえば、サッカーの、クラブW杯。
 いちおう見てたんですが……なぜか今年はあんまり、私の気持ちは盛り上がらなかったんでした。なんででしょう;;
 柏レイソルの試合は全部見ましたよ~。これはそれなりに楽しく見ました。
 が……それ以外の試合はあんまり、なぜか、心惹かれることも盛り上がることもなく……。うーむ。
 いや、それぞれに見応えのある場面も、さすがとうなる選手もいたんですが、なんか、今回はかんばしい意味ではなく「平常心」で終わったような。

 ……フィギュアスケートのGPファイナルとちょっと重なったりしたせいでしょうか。
 やはり日本開催なのはありがたいな、と思っていたんですが。(^^;)

 個人的には現在の、クラブW杯というのには、あんまり好意的ではないせいもあるかもしれません。
 いいんじゃないでしょうか、南米王者とヨーロッパチャンピオンの対決、という、昔の形態で。
 いっちゃなんだが、この2地域以外との実力差がありすぎて、どーも個人的には盛り上がらないというか。
 そりゃまあ、日本のチームが出場しているというのは、嬉しい部分もありますけども。
 子どものころからトヨタカップで育ってしまったので、どうも、「ハコばかりが大きくなっても、中身はともなっていない」感じがしてしまうのでした。

 決勝戦でさえ私はあまり熱心には見ませんで、試合が終わったらさっさとチャンネルを変えてしまったので、日本テレビさんの番組で、またなんか、国際的に恥をさらしたらしい件については、詳細は存じません。
 ニュースサイトの見出しを見て、「またなにかやったのか」と思っただけで、中身も読んでいません。
 なにをやらかしたかは存じませんが………頼むから、恥をさらすのは国内限定にしてください;;
 
      ●

 北朝鮮の偉大なる将軍様がお隠れ遊ばされたとのこと。
 まあ、ここであれこれ騒いでいても仕方がない。ソフトランディングと、それが拉致問題解決へ、よいほうへ動いてくれるように祈るばかりです。

 なんですか北はミサイルをまたぶっぱなしたんだそうですが、弔砲のつもりなんでしょうか。あいかわらずよくわからない話だ。(祝砲や弔砲なら、ふつーは空砲)

 あ、あと、韓国との協力なんか、する必要はないと思いますよー。そんなこと、民主党政権にいってもしょうがないんでしょうけどね。
 李大統領は、ほんと、このクソ忙しい年末に何しにきたんですかね。喧嘩を売りにきただけですか? よっぽどヒマなんですかねえ。
 ――いつ帰ったのかも私は存じませんでしたけれど、とにかく、今回立ち寄った場所や経路には、念入りに塩をまいて、清めておいたほうがいいでしょう。お正月がくるんだから厄は払っておかないと。

      ●

 最近、というかもう、ここ2、3年、めったやたらに目にするぞろ目があります。
「44」という数字なんですが。
 時計を見ても、なにかのファイルをみても、テレビをみても、とにかく、なんでこんなに目につくんだろうというくらい、この44というぞろ目を見るんですよね。
 
 あげくには、先日、ふと前を走っている車を見たら、ナンバーが「4444」でした。
 どうしてもこの数字を見ろと言われているような気持ちになり、なんかこう……思わず、乾いた笑いが出てしまいました。「なんかあるんすか?」と。

 私も日本人ですから、なーんとなく、4とか9とかっていうのには、あまりいい印象がありません。(^^ゞ
 迷信に振り回されるたちでもないので、とくに避けていることもありませんが、それにしてもこうもしょっちゅう目にするというのはなんかあるのかなあ、と思ってきたのですが。

 44、という数字で検索してみたところ、なんだか面白いものがヒットしまして。
 エンジェルナンバーというものがあるんだそうです。

エンジェル・ナンバー―数字は天使のメッセージエンジェル・ナンバー―数字は天使のメッセージ
(2007/01/19)
ドリーン・バーチュー

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 それぞれの数字には意味があるらしいのですが、とくにぞろ目になるとメッセージが強くなる。

 44の示す意味は、

「今、大勢の天使があなたとともにいます。これらの天使に、あなたと愛する人々に安らぎをもたらすことなら何でも助けを求めることができます。天使にどうやって現状を修復してほしいかではなく、ただ修復してほしいとだけ頼んでください。創造主の神々しい無限の知恵は、天使を通じてあなたをすばらしい解決へと導いてくれます。」


 
 修復か……。
 考えてみるとたしかにここんとこ、部屋や家を「大片付け」するのと合わせるように、自分が内側に溜め込んだあれこれを吐き出したり、とにかくぶちまけてから分類したり、そんな作業を続けている気がします。
 しかしここにも1つ問題があり、どうも私はひとさまに、すなおに「お願いします」と言えない、他人を頼れないところがある。

 自分でなんとかしなきゃ、ひとりで頑張らなきゃ、と思ってしまう。これも心のクセですね。
 そのへんも、もうちょっとどうにかしなさいよ、誰かにお願いしますっていってもいいんじゃないの、というサインなのかもしれないなーと思いました。

 思いましたが……だからといって、なにをどうしようという考えも思い浮かばないってあたりが、どうにも頑固ですねえ。(^^;)

 
 
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「病気は才能」
2011年12月19日 (月) | 編集 |
 ものの見方、考え方ががらっと変わる可能性がある本。

病気は才能病気は才能
(2011/09/22)
おのころ心平

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 タイトルに軽いショックを受けて購入してみました。

 これは――極端にいうと、現代に生きている人全員、必読の書ではないかとさえ、じつは、思いっています。

 病気になるというのは「不幸」「不運」なことであり、体調不良は「やむをえないことではあるにしろ、やはり残念な事態」である、というのが、社会では一般的な考え方です。
 だというのに、「病気は才能」ってどういうことよ、と思って読みました。

 価値観が、というより、「世界観」が、がらっとかわりますね~。

 なぜ病気になるのか。――この宇宙において何かが発生、生まれるということは、ひとつのエネルギーである。病気といえどもそれが「生まれる」ということには、エネルギーが秘められている。
 このエネルギーは本来、その人の才能や生き生きしたエネルギーなのだが、諸般の事情でそのエネルギーがうまいこと活かされなかったり、はなはだしくは抑圧されてしまうと、本来、発散されるべき場所からどんどん体の深い場所に押込められ、清流も流れが塞き止められれば水が腐るように、活かされない、行き場を失ったエネルギーは、病気となって「表現」される。

 ゆえに、病気をひっくりかえして探ってみれば、それは必ず、その人のポジティブなエネルギーになっていくのだ――。
 そういう発想の本です。

 じつは私も、「病気をネガティブにとらえることはない、病気はむしろ、自分が受け取るべき(ポジティブな)メッセージだ」というのは、頭じゃわかっていたんですが、感情的には受け入れられませんでした。

 ポジティブなメッセージって、うっかりすればそのまま死んじゃうようなメッセージってあるのかよ。病気にならないでそのメッセージが獲得できればそのほうがいいに決まってるじゃん。痛かったり苦しかったりする病気を、どう「非・ネガティブ」にイメージできるっつーのよ。
 と、たいへん、いじけた考えでおりました。

 私の場合、幼少のみぎりより、とにかくしょっちゅう熱を出す虚弱児だったうえ、長じてもその体質はかわらず、極端に体力はないうえに運動神経は皆無。
 自分の体、健康、体力といったものには、とにかく根強いコンプレックスを抱えています。
 ――私はダメな人間なんだという自己イメージの原因に、この、健康というか病気の問題がけっこうな割合を占めているのは確かだと思います。

 そのままの自分を受け入れる、というのは、それができればなるほどいろんな悩みも苦しみもほどけていくだろうけれども、ネガティブなラベルだらけの自分を受け入れるというのは、並大抵のことではない。
 でかでかと「不良品」とラベルを貼られた商品を「ありのまま受け入れて」買う人はいないでしょ――というように考えてしまう。
 受け入れようとするそばから、すさまじいばかりに自分を罵倒する声が、意識のなかからあふれてくるのですから、それはもろに葛藤になります。

 しかし病気は才能の、ひとつの「表現」であるというのは、なるほどと思いました。
 不良品とラベルを貼った商品を受け入れろという話ではない。病気を「不良」と考えること自体が違うよ、という話。
 そうであるなら、不良品というラベル自体が消えてしまう。

 病気をすると、「なぜこんな病気になったんだ」と思うものです。
 なぜ、というのは、その「理由」を知りたいという意味なんですが、現代医学は、不摂生をしたから、ストレスが強かったから、○○を食べ過ぎたから飲み過ぎたから、あるいは遺伝です、とか、そんなことしかいわない。
 どうかすれば原因不明ですなんていう。(^^;)

 それらは病気の「原因」であって、「理由」ではないのです。
 ゆえに、医者がどれほど病気の原因を説明してくれても「そうじゃなくて」と言いたくなってイライラしてしまう。
 そうじゃなくて、と思ってしまう自分がこれまた、理不尽で非科学的だと感じてしまうと、なおいっそう、病気を、病気になんかなった自分を、「こんなもの」といって責めてしまう。

 本書の著書は、私がいままで知りたくてたまらなかった、「病気になる理由」を、示してくれたのでした。
 
 体の症状が示しているのはあなたの心――、病気はあなたの心を「表現」しているのです。という指摘。
 腑に落ちました。

 水っぽい鼻水がでるのは「考えがまとまらない、落としどころが見つからない」。
 花粉症は「身の回りが片付いていないことへのストレス。やることの優先順位がつかない」等。
 副鼻腔炎、鼻づまりは「親からの束縛感。自分の才能へのフタ」。
 ため息が多いのは「思いどおりに行かないいらだち」。
 空咳は「パーソナルスペースを守りたい」。
 深い咳は「涙のかわり。泣きたい気持ちを抑えている。感謝を要求したい、もしくは、感謝を受け取れない」。
 ぜんそくは「相手の理解が得られないことへのあきらめ」。………


 といったように、体に現れる症状が、その人の心、その状態を「表現」している。
 なんでそういう心理だとそういう「表現」になっちゃうんだろう、という「構造」についての説明は、本書中にありますので。(^^;) 興味がおありでしたら是非、ご一読ください。

 なるほどなー……、と私としては納得です。
 副鼻腔炎、鼻づまりは、「親からの束縛感。自分の才能へのフタ」、というのは、おおおお、と思いました。「なぜそれをご存知で?!」と。

 上記に引用した症状とその心の関係については、体験がない人には「は?」としか思えないかもしれませんね。でも、その症状で悩んできた人には、はっとするところがあるはず。
(ない場合もあるでしょうが、それはもう、かなり、自分の心との対話ができなくなっている可能性がある)

 人の意識のうち、自分で認識できる「顕在意識」はわずか5%。残り95%が「潜在意識」だそうですから、押しこめられた自分の抑圧が、体に症状となって出てくるというのは、私にとっては不思議でもなんでもない。

 ――潜在意識の不可思議さは、著者の体験談に語られています。

 カウンセラーである著者が出会ったクライアントさん。
 当時60代くらい、みずから会社を興して発展させた立派な経営者でしたが、とにかくまあ、性格は頑固、他人に対しては高圧的。尊大。いわゆるワンマンタイプですね。
 息子さん、娘さんたちは、こういう親にはうんざりして、親を嫌っている。嫌っているくらいならいいんですが、絶縁状態だったそうです。
 それぞれ、ご結婚して子どもも生まれているのに――クライアントの男性から見るとお孫さんですね――孫の顔を見せたことすらない、というのですから徹底しています。
 
 このクライアントさんは肺ガンになり、また、ひどく進行が早かったそうです。
 彼の心には非常に根深く根強い「孤立感」と「寂しさ」があり、カウンセリングを続けていたけれども、それがどうやってもとれない。

 しかしそれも無駄ではなかったのでしょう。そのクライアントの男性も少しずつ気持ちが変化していったんですね。
 病気の方は依然、進行していくばかりでした――そういうなかで、ようやく、息子さん娘さんが、お孫さんを連れてお見舞いにいらした。

 そのクライアントさんから、とたんに、頑固な孤立感と寂しさがなくなり、――彼が満足げに言ったことは、「もう思い残すことはないなあ」。
 ここまできたとき、初めて、そのクライアントさんが病気になった「理由」がわかったのでした。

 つまり、この男性、頑固なおじさんでどうしようもなくて、表面ではひじょーに強がっていたけれども、事実上子どもたちに見捨てられ、孫の顔さえ見せてもらえない、ということで、寂しくて悲しくてたまらなかったんですね。

 子どもたちに会いたい、孫の顔が見たい。――そういう強い情動が潜在意識に渦巻いていた。けれども、じっさいの彼はそれを行動に移せない。

「人は、潜在意識の要求が、顕在意識を超えてカラダに現れることがあります。
 がんという、顕在意識では「自分が求めているなんてとんでもない」というつらい症状でも、それを引き換えに潜在意識の要求が満たされるなら、カラダはそちらに従うのです。

 このご主人の場合は「がんになれば、息子たちと会えるかも」と。」




 そんな馬鹿なと笑う人は笑っていればいいと思います。

 しかし、切実に、自分の心――コントロールがむずかしい潜在意識と格闘している人にとっては、とても「よくわかる」エピソードだと思います。
 この「病気は才能」は一読の価値あり、と、強くお薦めいたします。

 自分の潜在意識と「和解」できれば、必ず病気が治るという話ではありません。
 ありませんが、自分を知るということ、自分を本当の意味で大事にするということ、自分とちゃんと対話するということ――それがどれほど大事なことか。

 いままでいろいろな本を読み、自分でもあれこれ試してきて、それでも、まだ、根強い自分の「心のクセ」を持て余し、絶望しかかっていたところなので――まるで、掌(たなごころ)を指すようにして、心と体(病気)の関係を解き明かしてくれるこの本は、私にとっては福音となりました。

 西洋医学、東洋医学、それぞれの知識をとりまぜながら、やさしく解説してくれています。

 自分の心や体と「和解」したい人に、人生に迷っている人に、強くお勧めします。

 わりと根が薄情、ドライで、「人は人。自分は自分」という発想の私が、他人様に「強く薦める」というのは、そう滅多にあることではありませんです。はい。(^^;)
 それくらい、強い衝撃を受けた、ということですね。

 
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太陽で落ちないイカロス
2011年12月18日 (日) | 編集 |
 気持ちが荒んできたときには、「IKAROS-blog」を読むに限ります。ネコブログもいいんですけどね。
 イカロス君はちょうど1年前に金星の近くを通過してフライバイ(スイングバイとも。惑星など天体の重力場を利用して、少ないエネルギーで軌道修正すること)し、全ミッションを無事完了。
 現在、イカロス君はなお航行中。さらなる技術実験を繰り返しているもよう。イカロス君は、かの「はやぶさ」で有名になったイオンエンジンを搭載した宇宙ヨットです。
 
 私にとっては数字を見てもなんのこっちゃらというだけなのですが、それでもついつい、ブログを見ちゃうんですよねー。
「はやぶさ」のときは、まさしく「こんなこともあろうかと!」の、用意周到ぶり、あるいはスタッフの、あらん限りの知恵をしぼりまくった粘り腰には平伏しましたが、イカロス君にもそういうことはあるらしく。

 くわしい状況は、私にはサッパリなので説明できませんが(……オイ;;)イカロス君から送られてくるデータを受信するのもなかなかたいへんなようで、通常の通信がうまくいかない場合、ビーコン運用というもので、地道~にデータを受け取るようです。
 現在は、べつに通常の通信に問題があるわけじゃないんですが、訓練とか、あるいは情報収集、技術研修の意味で、ビーコン運用をしているようです。
 通常の通信が電話だとするなら、ビーコン運用とは、モールス信号みたいなもんかな、と、素人は勝手にイメージにしております。ハズレだったらすみません。(^^;)

 で、その地道な作業でビーコンの解読をするのもたいへんらしいのですが、それでもちゃんとできるのは「実はIKAROSの設計段階で今までになかった、ある機能を入れた」からなのだそうです。

「まさにこれは,こんなこともあろうかと考え追加した機能でした.」



 この箇所を読んだとき、私の脳裏には(宇宙戦艦ヤマトの)真田志郎氏が思い浮かんだのは申すまでもございません。
(じっさいには『こんなこともあろうかと』というセリフは本編にはないそうなんですが。(^^;) それに近い表現があったのがピックアップされて、有名になったというところらしい)

 なんにしても最先端過ぎる科学では、まことにもって、逆に、地道な人間力がものをいうらしい、というのが実感されるブログです。
 派手なことは何もない――というより、ニュースになるような大きな事態がいまあるとすると、それはだいぶ、よろしくない、事故のような事態になってしまうでしょう。そう思うと、何事もない平穏なデータ解析の日々が、貴重だし大事だしありがたいのだなあということが、ひとごとながら、見えてくるのでございます。

 なんにしても、12月16日現在で、
「太陽距離: 0.87AU
地球距離: 227216968km, 赤経=-130.8°, 赤緯=-15.8°
金星距離: 1.52AU(226954021km)」

(AUというのは『天文単位』だそうです。あたしゃ説明を聞いてもチンプンカンプンです;;
 が。ご参考までに。↓
天文単位
http://ja.wikipedia.org/wiki/天文単位)

 という場所にいたイカロス君(……それってどこらへん? て聞いてもなあ;;)、いったい、彼はいま、どんな景色を見ているのでしょうか。
 なんかこう、宇宙空間を旅する「宇宙ヨット」の姿を――「彼」が見ている景色を想像すると、………いいんですよね、魂がどこかに遊びに行く感じで。
 ぎゅーっと縮こまっていた体と心が、一気に広がっていく。

 また、このイカロスブログを書いている方々の文章もいいのです。地道な作業をしていつつ、けっしてこせこせはしていない。むしろ、――なんせ広大な宇宙空間を相手に仕事しているからでしょうか、感覚がなんとなく、茫洋としているというか……いいんですよ、「広く」て。

 小松左京御大の「旅する女」で、NASAで働く人々を評したところがあるんですが、それを思い出します。
 また長めになりますが引用します。

「ケープ・ケネディで働いているアメリカ人たちって、不思議な人たちだったわ…」滝川夫人は手摺に肘をついて顎をささえながら、ふいに関係のないことをつぶやいた。
「やさしくて、しずかで、まじめで、清潔で、すごく専門的で、頭がよくてさびしそうで――まるで、私たちと同じ種類の人間じゃなくて、よその星から来て、もとの星へかえりたがっている人たちみたい……あんなに広いところで、あんなに大きなものをつくっていると、ああなるのかしら…」
 ……………
 拡散された人間――という言葉が、ふと頭の中に浮かんだ。――真空と暗黒の宇宙の虚無までつづいているあまりに広大な空間の負圧に、人格を拡散されてしまった人間……、それに対して、フランスや、インド、東南アジア、中国、そして日本には、圧縮された人間がうじゃうじゃいる……。」


 現世とこの地上の圧縮ぶりに心身ともに擦り切れてしまったとき、イカロス君のことを思うのはとてもいい感じです。
 なんのことだかさっぱりわからん、と言いつつ、うっとり読んでいるイカロスブログ。
 この地道なビーコン機能は、はやぶさ2にも生かされるそうです。

 しかしこの技術を生かすのには、ハードの実装だけでは意味がないんで、こういう、まさに「技術屋さん」たちの、実戦経験そのものなんだと思います。
 最先端技術とは、つまりは「人間」だ、ということなんでしょうねえ。
 
 

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