ユーモア

 本日はこれといった用事もない日曜日ですが、なんかみょーに脱力しているのでお休み。
 7月は……お盆があったせいか妙にドタバタしていた気がします。(^^;)
 気温は大変動してますしねえ……。みなさま、体調は大丈夫でしょうか。

 それに、梅雨明したかと思ったらまた梅雨に戻ったというのは、ちょっと納得いかない。天候に文句を言ってもしょうがないけど。

 大雨もどうにか峠を越えてくれたようです……この打ち続く災害、お見舞いの言葉もなかなか見つからないほどです。
 こうも災難災害が続くというのは……ちょっとなー。
 うちの親の、コレに対する「対応策」は。
「民主党政権を終わらせること」
 
 ………やっぱりそれが一番ですかね。(^^;)

 ちなみに、現在、フジテレビの日である8月8日に、フジテレビをみない、という呼びかけがあると聞いて笑っていたのですが、茂木健一郎さんがフジテレビを見ろ、といったので、先生おっしゃるところの「アホ」である私は、1秒たりとも見ないことを決めました。ありがとうございます先生。

茂木健一郎氏がフジの不視聴運動を批判 / 幼稚な自国文化主義はアホ! フジテレビみろ
2011年7月30日 13:42 (ロケットニュース24)
http://topics.jp.msn.com/wadai/rocketnews24/column.aspx?articleid=653422

 いえ、もとからそんなに見ているわけではないのですが(女子W杯もフジはガン無視したし……というか、見たくないでしょあんなレベルの実況で)(NHKの野地アナはさすがでしたよ、フォーメーションの変化は的確に指摘してた)。
 テレビ自体あまり見ないのですが、チャンネルザッピングはするので、このさいにも「8」は触らないということで。
 韓流とやらになびくのがグローバリズムであるかのようなことを言われたら、「えー」としかいいようがない。(^^;) そういう認識をしない人間をアホだというのなら私はアホでけっこうです。
 それってTBSの「くらべるくらべらー」と同じレベルの認識ですもんね…。
 そんなレベルに落ちたくはないです。

 茂木先生のおっしゃったことは、私に限っては逆効果でした。ほほほ。

       ●

 今朝の日経新聞、文化/社会欄では、チェコ出身で、茂山七五三(しめ)さんに弟子入りした狂言師を取り上げています。
 日本をへだつること9000kmのチェコから、この日本の古典芸能の世界に本気で飛び込むというのには驚きますが。

 ふと胸を衝かれたのはこの一言。

狂言の笑いは誰も傷つけない

 ………狂言がチェコで上演されたと聞いたときも一瞬「え。大丈夫? 笑える?」と思いましたが、大丈夫だったようです。(^^;)
 私も最初に狂言を拝見にいったときは、笑えるかな、大丈夫かなと心配していたのですが、大丈夫でした。
 笑いとは、「間(ま)」が大事だということを感じましたね。
 
 狂言は、お大名や、いばっているご主人、えらいお坊さんなどを対象にした喜劇ですが、だからといって彼らをこき下ろしているのではないのですよね。
 最後は「そんなアホな(笑)」という落ちで、観衆をやわらかな哄笑につつんで終わる。

 私が好きなのは「二人袴」「鬼瓦」です。庶民の姿を描くものが好きなんでしょうね(「鬼瓦」の主人公は地方の大名ですが、中身は恐妻家的愛妻家の話なので感覚は庶民的v)。落語でも「長屋の花見」なんてのが大好きだし♪

 ああ、言われてみれば狂言の笑いって、そういうものだな、と思いまして。

 ……コメディというのはそういう意味ではきわめて上質な娯楽なんでしょうね。コメディであれば上質ということではなく、上質さがないと、かえって厳しいものになるというか。

 当然私はみていませんが、せんだってのフジテレビ27時間テレビでは、ギャグというのにも笑えない「余興」がありましたそうで。
 いろいろ誤解も曲解も重なっているとはいえ、とてもコメディとも、コントとも言えないものになってしまった、という顛末を、ただ記事で読んでいるだけなんですが――なるほど笑いというのは難しい、と思いました。
 
 誰も傷つけない笑い。
 本来のユーモアというのは、そういうもののはずだと思います。
 ユーモアは人の心を軽く、明るくし、心を開くもののことですから。
 
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無理を通せば道理が引っ込む

高岡蒼甫、嫌韓ツイートで事務所退社
2011.7.29 09:33
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110729/ent11072909370010-n1.htm

 嫌韓ツイートというより、日本のテレビ局がなんであんなに韓国のことばかりプッシュしてるの、おかしいじゃないのという指摘だったと思うんですけどね……。嫌韓ツイートってことにされちゃったか。事実歪曲ですな。

 静岡県では、フジテレビ系列のテレビ局は「テレビ静岡」です。
 最近ふと気がつくと、日経新聞の番組欄では、このテレビ静岡の欄が端に追いやられていました。
 静岡県では一部地域でテレビ東京が映るんですよね……デジタルになったらどうか知らないんですけど。あとはCATVでは見れるはず。
 ということで、うちでは映らないけど、新聞の番組欄、端っこに、いままでテレビ東京の欄がありました。
 それが、テレビ静岡が右端に追いやられ、テレビ東京がセンター寄りになりました。

 これはどうやら、地上デジタルに移行し、チャンネルが少し整理された関係のようです。いままで、映る地域ではテレビ東京はチャンネル12だったようですが、デジタルになったら7になりまして。
 1…NHK総合、2…教育 4…だいいちテレビ(日テレ系) 5…静岡朝日テレビ 6…SBS(TBS系) 7…テレビ東京 8…テレビ静岡(フジ系)
 というように、番号順に整理したということのようです。

 べつに、フジテレビがふざけているから番組欄からハブ気味にした……というわけでは全然ないようで。(^^;)
 当たり前だけど、一瞬、そんなことを考えてしまった私の頭;;
 
 しかしまあ――確かに、フジテレビ系列に限らず、現在は韓国ドラマの押し売りぶりはひどいものですね。
 なにが悲しくてこんなに韓国ドラマばっかりやってんだろう? BSもスゴイですよ。冗談抜きで「ここはどこの国?」くらいは言いたくなりますね。
 どのみちドラマは苦手なんで私は見ませんが。(^^;)

 しかしま、たしかに現行、気持ち悪いのは事実です。
 フジテレビについては2002年の日韓W杯の際、これ以上ないほど私を怒らせてくれて、以来、フジテレビはもはや「耳の穢れ」くらいにしか思えないわけですが。(フィギュアスケートも同様である)

「冬のソナタ」が人気出たというのは自然発生的なものだったのでかまいませんが、これはイケルということになってからの、気色悪い猛攻は確かに勘弁してほしいですわ。
 
 せんだってはTBSの「くらべるくらべらー」が、情報バラエティ、世界の様々な事物を比較するという番組だったはずが、いつのまにやら韓国の情報番組になりさがり、視聴率もさがり、放送も終了となったそうですが。

 油断してはいけませんようで、今度はNHK「セカイでニホンGO」もちとあやしいです。
 たしかに番組概要自体は韓国や中国限定ではないにしても、「なんでそこでいちいちその二カ国を話題に出すの?」という感じ。さらっといくだけならまだしもけっこうな時間をかけるんですよね。
 私も過去2回みましたが、2回とも「それ以上韓国/中国の話題を続けたら(チャンネルを)替えるぞ」つって時計を睨み、3分我慢したところで、他チャンネルへ替えました。
 ………あやしい。

 こう言っては悪いんですが、もはや見ても聞いても耳目の汚れでございましてね。なにも見たくないし聞きたくないの。あの二カ国は。(北朝鮮も含めて)

 じっさい、これは詐欺師の手口ですよね。親切そうな、いかにもさりげないように言葉巧みに近づいて相手をだますという。
 べつにいいんだけど、わかっているほうからすれば見え透いていて気分が悪いだけなので、やめてもらいたい。
 NHKはそれでなくても受信料の徴収がけっこうヤバイんだから、自重すればいいのに。(^^;)

 放送する番組のうちの、外国番組を規制しようという台湾の動きは、こうなってしまうと、やんぬるかなというか、当然というか……。そんな気がしてきました。
 それにしてもどうしてこう、あの二カ国はやることなすこと気持ち悪いんだろう。(^^;)

 なんにしても高岡蒼甫さんのおっしゃたこと、フジテレビ批判というのはあたりまえの感想だとおもうので、そんなことで事務所を辞めなければならないのなら、なるほど日本も韓国/中国化が進んでいると言わなければならないでしょうね。
 
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我が巨人

 26日に、小松左京さんがお亡くなりになったそうです。
 80歳でいらっしゃいました。
 謹んで、ご冥福をお祈り致します。

 私にとってはあらゆる点で「別格」の作家でした……もう創作活動そのものは、事実上なくなっていても、それでも。
 知の巨人でした。
 私が腹の底から御大と呼ぶのは、正直言ってこの方だけですから――さすがに寂しい思いがしております。

 広範にして詳細な知識――つまり「なんでも知っている」うえに、それらをどんどんどんどんリンクさせ、発展させ、思いも寄らない想像の世界を広げていく。
「知るは楽しみなり」という言葉があるそうですが、知るということの楽しさ、その豊かさを教えてくれた人でした。

 頭のいい人、いろんなことを知っている人、というのはその後にも出会ってはいますが、私にとっては、小松左京さんに匹敵するという人はほとんどいません。荒俣宏さんがそれに近い、という感じか。
 よく男性には、「俺って物知りだろう」的な自慢を(言外にでも)する人がいるのですが(女性にほめられたい尊敬されたいという気持ちはわかるんだけども……ねえ)、あいにく、そういう人たちに心から感心したためしがない、というのは私の場合、小松左京御大を知っていたからかも、と思います。(^^;)

 御大の世界は豊かでした。ただものを知っているというだけでは、その豊かさは現れない。
 人間にとって大事なのは、知識をどう活用するかということであり、知識があるというだけでは――下手をすると「宝の持ち腐れ」になってしまう。
 そうならないために必要なものはなにか。
 知識を駆使するためにもうひとつ上位にあるもの――見識でもあるでしょうし。
 すぐれた見識とはつまるところ、すぐれた「人間性」だということになります。

 噺家(はなしか)さんで、「芸は、つまるところは人柄」とおっしゃっているのを聞いて、なるほどと思ったものですが、それはじつのところはすべてのことにあてはまるのかもしれませんね。

 私の、「その作家をどう評価するか」というときのひとつの基準が「女性をどう描くか」ということなんですが、これまた、御大の「女シリーズ」の影響だと思います。
「昔の女」「秋の女」「旅する女」「待つ女」「歌う女」、――女性というものをどう見て、どう描くか。その「視線」を逆探知みたいにたどっていったとき、心地よい「気持ち」があるかどうか。
 そういうあたり、御大は、まことに気持ちのいい方でした。

 結局、考えてみるといまだに、そういう意味で本当に気持ちのいい作家には、他には出会っていないんだなあ……うーん。

 最初の出会いは中学1年か2年のとき。
 アンソロジーで、あの……、笑われるでしょうが「怖いお話」を集めた本でした。(^^ゞ
 さまざまな作家が書いたさまざまな怪奇譚の集まりで、どれも面白かったのですが、いちばん印象に残って面白かったのは小松左京御大の掌編、「くだんのはは」でした。

 その「くだんのはは」がたいそう気に入って、著者名が小松左京の本を探しては、かたっぱしから読むようになり、その作品数の多さに驚愕、世界の広さに驚愕、「多次元」ぶりに目を回しつつ驚喜、見識の高さに心酔……という感じでしたねえ。

 基本的にはもちろんSFですが、SFだけにとどまらず、先ほど申しました「くだんのはは」は怪奇ものともいえましょうし、女シリーズは文芸作品だし、ジュブナイルつまり少年少女向けもあるし、「ゴルディアスの結び目」という超シリアスで、重い短編もあるかと思えば、「短小浦島」(戯曲)なんていうおちゃらけ作品もあるし、歴史物もあるし。
 
 御大と言えば、「日本沈没」といった長編が代表作になるのでしょうが、私は圧倒的に短編やショートショートのほうが好きです。(^^;)
 私が好きな「女シリーズ」も、長くても中編ですね、そういえば。

 ショートショートは、そのイマジネーションの豊かさが、長編よりもむしろ際立つので、好きでした。
 私はあいにくリアルタイムの読者とは言い難く――リアルタイムだったといえるのは「さよならジュピター」くらい――、ほとんどは私がまだ生まれるまえ~乳児~幼稚園~小学校くらいの作品だから、入手できたのは文庫本ばかりでしたけれども。
 その文庫本をずらりと本棚に並べていました。――いまでも並んでます。

 知の豊かさ、面白さを教えてくれるのにこれほど適した小説群はなかったと見えて、うちの弟が読書家になったきっかけも、私が本棚に置いていた小松左京の作品群だったようです。

 いちど、「旅する女」という本が好きすぎて、持ち歩いているうちに紛失してしまい、絶版になっていた(文庫すら)ので入手できずに泣きの涙でいたところ、「小松左京ホームページ http://www.nacos.com/komatsu/」が開設され、オンデマンド出版で、自分が好きな作品を選んで本にしていただけるとわかったときは、そらもう、狂喜乱舞でございました。
 私はまだ充分なネット環境を持っていなかったので、申し訳なかったのですがひとさまのお手を煩わせて、入手致しました。

 そのとき入手したオンデマンド出版「旅する女」は、もはや門外不出でございます。

 ちなみに。
 芸術家には猫好きが多いようですが、御大もそうだったのでしょうか。(『猫の首』という掌編もあることだし……)(猫好きには身につまされるお話です)
 ホームページにもあります御大のお言葉(と写真)、大好きです。

幼くは親に従い
 婚しては妻に従い
 老いれば子に従い
 惚ければ猫に従う


 また、報道によれば、亡くなる数日前の、御大のメッセージ。
 このたびの震災に際して。

今は大変な時期かもしれないけれど、この危機は必ず乗り越えられる。この先、日本は必ずユートピアを実現できると思う。日本と日本人を信じている

 
 ………本当に寂しいです………。
 
 
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道程

 せんだっての、女子サッカーW杯、決勝戦の前のスピーチというのは、残念ですがぜんぜん報道されていませんね。
 私は当日はそんなわけでのこのこ起きだしたのが延長後半になってからでしたし、再放送も見ていませんし; そもそも再放送でもその決勝戦前のスピーチを流していたかどうか。

 昨日付けの日経新聞夕刊の、幸田真音さんのコラムで、そのスピーチのことを初めて知りました。
 くわしい内容がわからないのですが、どうやら差別撤廃のことだったんでしょうかね。

女子サッカー決勝試合のキックオフ前、差別撤廃を訴えるスピーチを聞いて、思わず涙したのは私だけではないだろう

 とのこと。

 ざっと検索してみますと、どうもベスト8以上の試合前に、人種差別撤廃を訴えるスピーチが行われることになっているようですね。これはFIFAの方針で。
 で、決勝ではなくスウェーデン戦のとき、澤選手も、スピーチをしているようです。
 こちらの記事がありましたのでご参考までに。

対スウェーデン戦
http://d.hatena.ne.jp/dj19/20110715/p1

Say No to racism.
澤穂希選手のスピーチ。
 日本代表チームは、人種、性別、種族的出身、宗教、性的指向、もしくはその他のいかなる理由による差別も認めないことを宣言します。
 私たちはサッカーの力を使ってスポーツからそして社会の他の人々から人種差別や女性への差別を撲滅することができます。
 この目標に向かって突き進むことを誓い、そしてみなさまも私たちと共に差別と闘ってくださるようお願いいたします。


 決勝戦ではどなたがスピーチしたんでしょうね。アメリカの選手かな?
 
 幸田真音さんは「金融市場で女の声が聞こえるだけで嫌だ」と正面切っていわれた経験があるそうな。
 よく、男は理知的で女は感情的、女は感情的だから嫌だ、なんてことを聞きますが(驚くなかれ、女性にもこれを言うヤツがいるんだぜ!)(男女差別をするのは男だけではない)(あなたは自分をどういう人間だと思ってんの? と問いつめたくなる)(男が女性を差別するより、女が女性を差別する場合の方がタチが悪いと私は思う)。
 幸田さんがいわれたこのセリフのどこが、感情的ではないというんですかね。
 
 今回はなでしこチームも、試合前、ここまでの日本女子サッカーの歴史を振り返るビデオを見て、先人たちの苦労を思い、また、ここへいたる道を切り開いてきたことへの感謝を、あらためて思った、という話も聞いております。

 私はフェミニズムが正直言って嫌いですが(男尊女卑の焼き直しだから。本質は同じものなんですよ)、しかしそれでも、私が現在、このようにあれるのは、このフェミニズムを標榜し、頑張ってきた先人たちのおかげもあることは、よくよく承知しています。
 だから、個人的にはいい感情はないながら、あまり厳しい指摘はせずにいるわけですけども。

 ただね。
 そうはいっても、もちろん女性たちも頑張ってきたんだけれども、それを「既得権益」にこだわらず、なるほど差別はいかん、ということで、女性を応援し、サポートし、環境整備に助力をしてくれたのもまた、男性である、ということも、忘れちゃいかんと思うのですよ。

 なでしこジャパンでいうならば、本当に信じられないほど劣悪な、はっきりいって見捨てられていたも同然の女子サッカーを、これではいけませんというので、ずいぶん(以前に比べれば)しっかりとしたサポート体制を敷いてくれたのは、川淵三郎さんでした。

 フィジカルの管理や栄養のサポート体勢を調えたこと、あるいは海外チームに所属することを事実上奨励する金銭的なサポート(……ささやかなものですが、でも、それでもずいぶん、海外への挑戦はしやすくなったそうで)そういったことの積み重ねもあっての、今回の結果でしょう。

 私も、根っこのところがけっこう男嫌いだったりするので(すみません。しかしこれは幼少時の原体験の問題なんでご容赦ください。私自身にもどうにもならない問題なんだよねえ……)、わりとこう、男女を対立軸としてとらえていたのですが。

 しかしよくよく考えれば、それは本当に少しずつのことではあったかもしれないけれども、それでも、やはり、「差別撤廃」にむけては男性自身の行動がなければ、ものごとはここまでもくることはなかったでしょう。それは確かだと思います。

 もちろん今でも、いろんな意味でふざけたヤツというのはいるもので、それに対する憤りも当然ありますし、それを放置していてもいいとも思いませんが。
 しかし、であるならば――怒りが強いのならばそれと同じかそれ以上に、差別はいけませんといって、行動してくれた男性たちに、感謝をあらわすのが、筋ってもんじゃなかろうか。
 最近では、そんなふうに思います。

 いずれ性差というものはあり、いずれ価値観の相違はあって、たぶん、それは差別問題とはまったく違う次元で存在し続けるし、そのことをお互いに乗り越え難い壁か溝としてとらえ、感情的には対立することはあるでしょう。
 しかし、それはそれとしても、憤るだけではなく、感謝を寄せるべきことには、また、きちんと思いを致すことが大事だと思います。

 感謝というのは自分自身をも浄化してくれます。
 決してスムーズなことではなかったでしょうけれども、それでも陰になり日なたになり、差別撤廃へ向けて行動してくれた男性たちに感謝することで、――女性自身が無意識に持っている、「被害者意識」から「成仏」できると思います。

 被害者意識がなんでいかんか、というと、ようはこれ、怨念であり、ひがみなんですよね。(^^;)
 ネガティブな感情の最たるものだと思います。
 こんなものを抱えていて、いいことはひとつもないです。

 自分自身のためにも――感謝すべきひとびとに、すなおに感謝をしたいですね。

 たとえばなでしこジャパンならば、川淵さんに、そしてまた佐々木監督に――そして目立たないところで応援しサポートしてくれた人に、………過去30年分の感謝を。

 選手たちはもう数えきれないほど感謝という言葉を口にしていたけれど、そういうことじゃないかな、と思いました。

 
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風評被害の定義

 プリンターもまたなんだかえらいことになってたんですねえ……。

エプソン A4 カラーレーザープリンター
http://shop.epson.jp/laser/

 A4カラーレーザーが3万~5万円で買えるとは!!!

 ……パソコンやOSはあれこれ見てたけど、プリンターや複合機についてはここ数年、考えてみたら、ぜんぜんチェックしてませんでした私;;
 各OSもお利口さんになって、最近では、プリンターをつなげば自動的にドライバをインストールしてくれるんで、動作環境がどうとかも気にしなかったし。
 そうか……A4カラーレーザーが5万円出す気ならなんとかなるのか…。
 時代は変わりましたなあ……。しみじみ。

 その昔、ようやく実用に堪えると思えた初のカラープリンターは、やはりエプソンさんのPM シリーズでした。A4インクジェットプリンターで、税込みで5万円くらいでしたね。
 A4カラーレーザーが出たときは20万円くらいじゃなかったでしたっけ?

 それがいまや、昔のインクジェットと同じ価格でカラーレーザーが買えるんですねえ……。

 かなりいま、心が揺れています。
 現在、モノクロレーザーLP1400を使っていて(何年前に買ったか思い出せない;;)、こちらはなんの問題もなく使用していますが、カラーのPX-V500が、ちょっと挙動不審になってまして。
 カラー印刷はそんなに需要はないんですが、でも、たまに使いたいときがある。あとは年賀状ですね。
 現在はそんなわけでモノクロとカラーが2台並んでいるのですが、カラーレーザー1台で間に合えばじつにありがたい。……はがきに印刷ができればですが。
 パソコンショップにいってちょっと相談してみようかな……。

       ●

 まだ考えはまとまりませんが、途中経過として。
 またしても「日経ビジネス ON LINE」にあった記事を読んで「風評被害」とはなんなのか、を考えております。
 まえまえから気にはなってたんですけどね。この言葉。
 この記事は会員登録しないと読めないようなんで、リンクは……、貼るだけ貼っといてみますか。

風評被害は「リテラシー」では防げない
『風評被害 そのメカニズムを考える』の関谷直也・東洋大学社会学部メディアコミュニケーション学科准教授に聞く

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20110721/221584/

 それにしてもこのコラム(シリーズ)のタイトルがすごい。
「脱・幼稚者でいこう」
 ほんと、「幼稚」はねー……。やめられるんならどんどんやめたいわ。なんの自慢にもならないものね。
 このコラムの主旨は以下の通り。

「誰かのせいにする。そこで考えを止める」--我々はつい、こうした「幼稚」な道筋にはまってしまう。そこから抜けて冷静な議論をするには、あらかじめ知っておきたい、考えておきたい材料や課題がある。しかし、それらは研究機関や専門家の中では常識でも、メディアに分かりやすい形で出てくることがなかなかない。
 この企画は、若手研究者をつなぎ、「知のプラットフォーム」を謳うグループ、SYNODOSを主催する芹沢一也氏に、アカデミックの先端で活躍する若手研究者と我々を接続してもらおうというものだ。現代の中で求められる「知」を、くだけた対話によって手に入れ、「幼稚」から脱出する手がかりをつかもう。



 ということで上記記事は、この「脱・幼稚者でいこう」のなかのひとつ。
「風評被害 そのメカニズムを考える」の著者、関谷直也さんのインタビュー記事です。
 なかなか面白い。興味深い。

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(2011/05/17)
関谷直也

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 まず、最初の定義は、「うわさ」と「風評」は違うということ。
 風評被害とは、「実際の影響はないのに経済的な被害が生じること」。

 なぜ風評被害は起こるのか。その原因は3つ。

 

第一にメディア。現代は情報があふれ、誰もがメディアの影響を受けざるを得ない「情報過多社会」です。
 第二に「安全社会」であること。人々が「安全である」ことを無条件で前提としているために、危険だとされたものへの忌避意識が強く働きます。こうした環境下では「この食品は危険だ」「この土地は危ない」という情報が加速度的に広がります。
 第三に、「高度流通社会」であること。流通が発達すると、商品の選択肢が増えるわけですから、たいていのモノは代替品が手に入る。売る側も「同じことなら安心な方が売れるだろう」と判断します。結果、実際には汚染がなくとも危険だと感じられた食品などが売れなくなり、経済的な被害が発生するわけですね。


 うーんなるほど、と考えております。やはりこれはできれば本をちゃんと読んでから書いた方がいいかな。(^^;)
 
 ともあれ私も今回の放射能ヒステリーを見ていて「知ることの不幸」を感じております。
 中途半端なことを聞きかじり、またそれを充分理解できないもんだからかえって不安が増大し、不安が恐怖を呼び、恐怖は妄想を生む。
 で、結果、自分の想念、恐怖の観念の中で怖い怖いという「感情」に食われている。理性も知性もあったもんじゃない。

 そういう人がけっこういるのを見てしまうと、「聞いてもわからない話なら、ハナっから聞かないほうが精神的に健康でいられるんじゃないの」と思わざるを得ない。

 私は、以前も書きましたが、「自分が今いる場所が断崖絶壁だというのなら、それをしっかり見て、足許をみて、歩いていきたい」人間なので、知ることの不幸とは、言いたくないんですけどねえ……。
 
 現在の牛肉の騒ぎもそう。
 稲藁に注意すること、牛肉の検査をすること。そういう事実がわかったら対応してるんだから、いいじゃないですか。全頭検査の実施には少し時間がかかるでしょうけども。
 だいたい、暫定規制値を超えた肉を食ったとしてもですよ。1回食べたくらいで影響が出るわけがない。だいたい、食ったってどのくらい食ったのよ。ひとりで1キロも2キロも食べたわけじゃあるまい。

 そもそも、稲藁を食べた牛の話を聞いた瞬間思うのは、「これは福島県(産)だけの問題じゃないな」ということのはずなのに、でましたよ、福島県産のみの出荷自粛要請と(政府のやっていることもいいかげんアレですね)、福島県のものは絶対たべない! という消費者のヒステリー。

 なんでそう、いちいちヒス起こすのよ……と、さすがにもうウンザリも通り越しています。
 話を聞いていればわかるでしょう。もし「問題」があるとするなら、それは福島県だけのことじゃないですよ。東北だけのことでもないですよ。すでに全国の問題ですよ。

 こういう状況でありながら、絶対食べない! といっている人にはいいアドバイスがあります。飲まず食わずで、栄養点滴だけで過ごすことです。これだったら絶対、食品による放射性物質の摂取はあり得ません。いいアイデアでしょ?
 ――くらいのことは言いたくなる。(--;) 言ったって、じつのところは何を指摘されているのか、わかりゃしないだろうけど。

 ということで、「消費者のリテラシー」はやはり問題にしたいのですが、リテラシーを高めるだけでは風評被害はふせげないだろう、とも、この記事の中では出てきます。まあ、そうなんでしょうね。
 リテラシーというよりも、ここまでくると、もはや、その人の生きる姿勢そのものが問われる気がしますしねえ……。

 しかしさすがに、個人の人生観は、「メディアコミュニケーションはどうあるべきか」、という問題には関係しないから、措いておく、ってことで。

 我々が求めるところの「安全」とはなんだろう。――そういう疑問に、私は行き当たりましたです。
 
 うーん、やっぱり考えはまとまらない。
 ちゃんと本を読んで、もうちょっと練り直して、出直します;;
 
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夏と言えば

 中国の、「自称・国産」高速鉄道の大事故。
 犠牲者に哀悼の意を表したいと思います。

 とはいえ――その犠牲者の数さえ、なぜか正確なところがわからないという……。

 車両の性能はともかくとしても、運用システムそのものには問題があるようで…;
 やはりあちこちの技術つぎはぎには無理があったのだろうかと思いましたが考えてみたらこれは「中国産」でしたね。自称。

 運行開始から47年、いまだ深刻な事故は起こしていない日本の新幹線ですが、しかし、もしも、万々万万が一、200 km/hで走行する車両が事故を起こしたらどうなるかを見てしまい、こちらとしても、やはり衝撃ですよね。

 新幹線はわりと雨にも地震にも強い一方、しかし、止まってしまうとどうにも融通がきかなくて参ってしまうこともあるんですが、それは、こういうフェイルセイフ Fail Safe というものが働いているおかげなんだなということも痛感しました。
 もし、雨や大雪等が原因で新幹線がとまっても、私、もう二度と文句はいいません;; 文句を言うどころじゃない、ちゃんと安全を守ってくれてありがとうというべきところですよね。ごめんなさい;;
 
       ●

 夏でございますよ~。(天気自体はなんだか梅雨に戻った感じがするけど;;)
 昨日の朝だけでうちの庭でセミの抜け殻が2つありました。前日にもひとつありました。
 そして、始まってます蝉時雨。
 ああ、夏だなあ。
 蝉はやっぱり、梅雨明けがいつかとは関係なく、季節の運行に従うんですね。やっぱり蝉は例年どおり、大暑あたりから、ということになりました。

 で。
 夏と言えば怪談ですね。ふふふ。

「ほぼ日」でも怪談、あったんですねえ! ただいま本年分の怪談募集中だそうです。

ほぼ日の怪談
http://www.1101.com/fear/index.html

 不覚にも「ほぼ日の怪談」があることに、ぜんぜん気がつかずにいまして、昨日初めて知りました。
 ひとまず昨年の分から読み始めましたが、けっこうな数、あるんですね。しかもアーカイブを見ると数年分あるではないですか。
 怪談がいっぱいvv
 しばらく楽しめそうで嬉しいですv(嬉しいのか;;)
 この「ほぼ日」のアーカイブだけで、百物語、楽勝♪ ですねえ。
 百で怪至る、というのですが二百も三百もある場合はどうなるんだろう。(^^;)

 ちなみに私が好きなのは「お話を聞くこと」であり、ホンモノに自分が遭遇しちゃうことはもちろん、シャレにならない写真、映像も、かたくお断りいたします。
 自分で言うのもなんですが、私もそのへん、けっして鈍感なほうではないので、写真や映像はいけませんのです。(^^;)

 それでも怖い話を聞くのが好きというのは………どうしてですかねえ;;

 私自身もそれなりに見たり聞いたりしているのですが、それが「怖い」かというと……そうでもない。ありがたいことに。
 でも、私の判断としては怖くないからと思って人に話すと、話した相手によってはえらい怖がらせてしまうので、基本的には相手の了解を得てからということにしています。

 私の友人もとくに霊感があるというのではないのですが、どっちかつーと芸術家系統の人間のせいか、ちょっとそういうものに反応してしまうんですね。たまに。
 そういう体験を話すときの彼女はしかし、やはり実に慎重です。あらかじめ、こういう話をしてもいいか、苦手ではないか、怖がらないか、あるいは「非科学的」といって必死になって否定することはないか、よくよく瀬踏みしてから話すようです。
 私はそういう話を聞いても大騒ぎすることはないので、ふんふんと聞いております。

 こういう話を必死になって否定する人ってなんなんだろうと思いますね個人的には。
「おはなし」なんだから、へえそうかなあといって、――おはなしですから、誰かの体験談という「形式」であっても、ちゃんと物語としての、起承転結の「構造」があるわけですよ。
 小説を読むのと同じように、その筋書きや構造を楽しめばいいだけのことだと思うんだけどな。

 この世ならざるものがあろうがなかろうが、関係ないんです。その「おはなし」を「楽しむ」のには。
 嘘でも本当でもどっちでもいい。それは「おはなし」の本質には関係しない。

 私の目には、ああいうものを必死こいて否定する「おとなげない」人というのは、ようは、そういう話を「怖がっている」ようにみえるので――なんだかやけに私自身が馬鹿にされたり、はなはだしくは罵倒されるわけですが――、こういう手合いにはもう、「ああそうですか」といって、それ以上接触しないようにしています。
 興ざめだものね。(^^;)

 私自身も、その友人と同じで、霊感があるというほうではありません。が、たまに、ちょっと妙な体験をすることがある。
 とはいえ、おかげさまで私の場合、本当に怖い思いはほとんどしたことがないです。一度だけ、ちょっとシャレにならないことがありましたが、でも実害はなかったし、あとはまあ、――べつに、ふつーにスルーできるくらいでした。「ん?」といってそのまま終わるくらい。

 アチラも、生きている人間と同じで、いい人もいればちょっとタチの悪いのもいるわけですが、ありがたいことに私の場合はタチが悪いものには遭遇したことはありません。

 昔、友人がすんでいたアパートは、霊感があるひとにいわせると「いる」ところだったそうなんですが、私はその友人宅に泊まったときも、部屋を真っ暗にしてひとりでぐーぐー寝てまして、なーんも感じませんでした。ということはつまり、そこに「いる」ものは、とくに悪意も害意もないものだったと思われます。

 そう考えると、生きている人間と同じじゃんと思えてきます。

 ということで。
 私の怪談好きというのはあくまで、小説を楽しむのと同じレベル――「おはなし」を聞くのが基本的に好きで、怪談は、そのおはなしのなかのひとつのジャンルに過ぎない、というところです。

 しかしこれがなんで「夏の風物詩」なのかな、と思うことはある。
 冬に聞くのもそれなりに趣(おもむき)があっていいものなんだけど、やっぱり、季節感としては夏になるんですねえ。
 ちょっと涼しくなれるからかしらん。月並みだけど。(^^;)
 
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テレビの存在

 アニメ放送の孤島、静岡県では、「夏目友人帳・参」をみるすべがありません;; せめて系列のBSジャパンで放送して~(涙)
 ………DVD待ちですかね。(;_;)
 
       ●

 まあいろいろありつつ、テレビも地上アナログ放送が昨日の正午をもって、3県をのぞいて終了しました。
 大丈夫なんですかねいろいろ……。
 しばらくはあれこれとトラブルがあるのではないかと予想しておりますが…なにごともなければそれがいちばんですけども。

 というところで「日経ビジネスON LINE」でテレビ業界についてちらりと書いたコラムを読んで、ああそういえば…と思ったので私もちらりと。

 テレビ。
 見なくなりました。
 いちおうチェックしているのはNHKのニュースくらいなもんじゃないだろうか。毎週楽しみで見ているというとコナン君くらいなものかなあ。先だってのドラマ「BOSS」の第2シーズンは見てました。
 ドラマや映画は基本的に好きではないので(映像メディアにあんまり興味ない)、たまに面白いと思うものがあれば見るという程度だから、基本、ドラマはみない。

 アニメは子どものころはよく見ていたけれども最近はもうねえ……全国ネットというものがほぼなくなってしまい、なぜかは知らんが静岡県はアニメの孤島状態だから、よほど自分で努力しないと、見ることができなくなりました。

 で、たぶん、もっとも見ないものはいわゆるバラエティでしょうねえ…;;
 これはもとからの傾向だとは思うんですけども。
 中学生くらいのころは「ひょうきん族」がすんごい人気で、放送翌日は学校では必ずその話題でみんなが盛り上がっているという状況。しかしそれを横目にみて、私はぜんぜん見ませんでした。
 後年、親から、「あんたあれでよくイジメられなかったね?」などと言われるほど見なかった。「いいとも」すら興味なく、萩本欽一さんの番組はわりと良質であることを認めつつも見なかった。
(田舎の学校のことで、お互い、へたしたら幼稚園からの持ち上がりなんで、私が周囲とは周波数が違う場面があるということについて、彼らは『あきらめていた』から、イジメもなにもなかったんではないかと思われます)

 ………現在は、いわゆるトークバラエティは、もう、絶対見ない、ということになっておりますねえ。
 武田邦彦氏についてぜんぜん知らなかったというのもこのへんが関係しているんですね。さんまさんのナントカという番組に出てるよといわれても「なにそれ」でした。(^^;)

 バラエティを見ないのも、とくに悪意があったり主義主張があってのことではなく、「何が面白いのかぜんぜんわからん」ということと、なにか盛り上がった話題の、いざ核心部分へというとき「つづきはCMのあとで!」というあの手法。
 あれをやられるとシラケてしまい、もとからそんなに興味があるわけじゃないから、
「なんだいご大層に気を持たせやがって」
 ということで、べつにどーでもいいや、ということになって席を立つ、テレビを消す、風呂にいく、トイレに行く、ということをやってしまうんですよね。(^^;)

 テレビって。
 こういうものだったかなあ。
 
 昔はどういうものだと思っていたかというと。
 まあ貴重な情報源であり、大事な娯楽でした。世間様では、どの番組をみるか、というので、家族の間でチャンネル争いというものが勃発し、マジで殺人にいたったことさえ、あったのでございます。

 が。
 いまは――どうなんだろう。
 確かに、見る側も、テレビにかじりついているということは少なくなって、昔に比べると情報であれ娯楽であれ、その「地位」が低下したのはたしかだけれども。
 テレビの「中身」も、実は相当、末期的になっているのかもしれませんね。

 本当に見る価値のある、良質なもの、というのは、作るのにはそれなりに、時間も手間も予算もかかるのですから――朝から深夜すぎまで(……27時って何時?!)、しかもこれほど複数あるチャンネルで、常時、そんな「良質」なもの、放送できるわけはないんですよね。

 だからといってネットが優勢かといえばそれもない。
 実社会において、ネットの影響力なんて、テレビに比べたら微々たるものです。
 ネットにべったりの人々は、それはネットを使わない/使えない、年配者のせいだというのですが、果たしてそうでしょうか。
 ネットはなぜか、いまだ「仮想」の域を出ないんですよね。
 仮想であるかぎり、影響力という意味では、中身が空虚に感じられるテレビのほうが、まだ、依然としてつよいものがある。

 テレビか、ネットか、というのは不毛という以前に無意味な議論ではあるのですが、なんとなく、――影響力という意味においてだけは、テレビの力を感じないわけにはいかない。
 であるにもかかわらず、そのふだんの内容はだいぶ空虚なものになった、と感じているのも事実です。
 となりますと、
「空虚で通俗的でくだらないはずのテレビに、まだ影響力はあるんだから――このへんでテレビ関係者も心を入れ替えて、その影響力に見合うだけの良質なコンテンツを作っていけないものだろうか」
 なんてことを考えてしまいます。

 いまのテレビのありかたは「宝の持ち腐れ」に思える。
 もっといいものを発信できれば、もうちょっと「いいもの」になれるはずなのに。

 地デジに移行ということの「意味」は、そのコンテンツには関係ないように思われますが、ふと、「テレビって、どういうものなんだろう」と気になった昨日でした。
 
 あんまり見ない、とはいいつつ、でも生活の中では失い難いツールではあるんですよね。それが現状かな。

 すみません、とりとめのない話になってしまいました。(^^ゞ ←それはいつも。

 
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神さびる

 昨日のノルウェーでの事件は、最初に聞いた以上に、あまりにも被害が大きいので、茫然としてしまいます。
 使われた火薬の量が半端ではない――単独犯行だとしたら、これほどの火薬をどうやって入手したのか。
 なんにしても。
 こういう犯罪はどうあっても許すわけにはいかないですね。

       ●

 俳優の原田芳雄さんが不帰の客となられました。
 慎んでご冥福をお祈り致します。

 亡くなる数日前、映画の舞台挨拶に現れた姿を拝見したとき、胸を衝かれた思いがしました。
 うちの父が亡くなったときの姿、雰囲気にそっくりだったので。

 元気だった頃にはがっしりした感じで、声が大きく、またよくしゃべる、なんていうタイプが、ああいうふうになっていくと、なんかこう……、ちょっとショックを受けたりするのも事実なんですが。
 あの姿を見るとき感じる印象は、「清浄」さです。

 清らかさを感じるんですよね。

 この世の人間であるときの、どうしてもこびりついてしまう垢のような、よけいな皮下脂肪のような、そういうものがどんどん削ぎ落とされて、清らかになっていく。

 やせ衰える、という言い方はたしかにできるし、それもそのとおりではあるんです。
 あるんですが、しかし、なにか――この世で抱え込んでしまったものが、削ぎ落とされ、清められていく……そういう姿にも見えたんですよね。私には。
 そりゃあ元気なころを知っている人間からすると、本当にせつないというか、胸に応えるというか、つらかったり悲しかったり、そういう感じは当然、あるんですけども。

 しかしそれでも、そういう感情から一歩下がったところからあらためて見てみると、ああやって、少しずつこの世から離れていく姿には、清らかな――神さびたものさえある。そのように思いました。

 芸能の根源と思われる田楽、その系統を引く「翁(おきな)」なども、神様はご老人の姿で表現されますね。
 初番目物(しょばんめもの)、脇能(わきのう)と呼ばれるお能の曲のジャンルは、神様が出てきて、この世をことほぐといったものです。神は、清らかな、格調の高い老人の姿で表現されます。

 老女はというと、これは「高砂」に、翁と媼、という姿で住吉の神様が登場しますね。
 能で老女ものというと「関寺小町(せきでら・こまち)」が「秘曲」とされるほど、格調高いものがありますし。

 老いるということを、現代の我々は、ただネガティブな価値観でしかとらえることができなくなっていますけども。
 本来は――人間全員ができるとはいいませんが、老いるということ、老人とは、この世の不浄や垢を削ぎ落としていく、人間が、清らかな世界に近づいていく姿かもしれません。

 世界的に見てもお能のように、老人というものをあれほど清らかな存在として表現する芸能というのは、ちょっとないようです。
 能といえば観阿弥、世阿弥ですが、しかしその根源はそれよりもはるかに古く、素朴なものです。庶民のお祭り、田楽というものにたどりつく。日本の古代の庶民たちは、神の祝言を老人の姿に仮託したんですね。

 よくよく考えると、こういう姿で神様を表現している芸能その感性って珍しいよねと漠然と思ってきたのですが。

 ――古代の日本人は、ああやって、この世の穢れから「解脱」していく老人というもの、そこに内包される「清らかさ」を、素直にとらえ、また、敬ってもいたのではないか、と思いました。

 もちろん誰にでもできることではない、というのも確かなんですが。
 世阿弥が「時分の花」ではない、「まことの花」を、(若くて綺麗な人ではなく)老人のなかにこそ見ていたのは、なんか、わかる気がする――と、あらためて思っておりました。
 
 
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まごわやさしい

 今朝のニュースでノルウェーの連続テロと思われる事件を報じていました。
 与党である政党の集会会場でとのことで、反対勢力による事件かと推測されますが。

 うちの母が危険水位です。
 このニュースを聞くやぼそっと、
「日本の(現)政権にもこれくらいやりたくなるよね」
 
 …………お母さま……。( ̄□ ̄;)

 ならぬ堪忍、するが堪忍と申しますが。
 ウチの母の堪忍袋の緒があぶない……;;

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 先日、自由報道協会とやらが招いた科学者が、自由報道協会の思惑とはまったく違うことを喋ってしまい、招いた側は大慌てというお粗末がありましたが。

放射能を恐れすぎるな、フクシマの危機は過ぎた。
2011年07月11日13時30分
http://news.livedoor.com/article/detail/5699797/

 今度は、自由報道協会が喋ってほしい通りのことを喋ってくれる人を見つけたようです。よかったですね。(棒読み)

欧州放射線リスク委員会(ECRR)科学議長 
「子どもの年間被曝量20mシーベルトは犯罪的で無責任」

2011年07月22日07時00分
http://news.livedoor.com/article/detail/5725347/?p=1

 とはいえ、このECRR、以前からちょこちょこ見かける名前ではありましたが、どういう組織なんだかさっぱりわかりませんで。
 ご存知の方は「あんな胡散臭い団体」というニュアンスでお話しになるのですが、どのへんが胡散臭いのか、私にはちょっとわからなかったんですよね。

 そしたら「緑の党」と関係の深い、簡単に言っちゃうと反核団体でした。
 なるほどそれじゃあ、その結論なんぞ聞くまでもねえや。(^^;) と思いました。
 私にはWikipediaくらいしか参照できる当てがないのですが、ともあれ、そちらから見ますと、同団体について、

英国健康保護局(en:Health Protection Agency)による批判が加えられた。同局は、ECRRを「公的機関と関わりのない独自(self-styled)の組織」とした上で、「恣意的であり、十分な科学的根拠を持たず、ICRPについては多くの曲解が見られる」とした[7]。

 早い話が、「市民団体」が、母乳から放射性物質が出たの子どもの尿から出たのといって、事実以上に大げさに騒いだ状況を考えればよろしいようで。
 あの市民団体よりは手が込んだ、おおがかりな組織だというくらいなもんで、本質的な姿はそういうこと。

 しかしまあ、科学者としては無視できない、とお考えになって検討を加えているものもありましたので、ご参考までに。

ICRPとECRRそれぞれの勧告について:専門家コメント
http://smc-japan.org/?p=1941

 私がこういう反核団体のいうことを信用しないのは、広島、長崎の状況を考えると、どうしても彼らのいうことと符合しないからです。目の前で見ている事実が、聞かされるものとずぇんずぇん合っていない場合、ふつーはどっちを「軸」にして考えるかというと、そりゃあ、目の前の事実のほうですよねえ。
 ここであくまでも「こうあるべき」「こうあってほしい(たとえそれが他人の不幸でも)(いや、他人の不幸だからこそか)」という、おのれの妄想のみを「正義」にするのは、それこそ共産党レベルの脳味噌くらいなもんでしょう。

 それに、ガンだガンだと大騒ぎしますけどねえ、日本人の大半はガンに罹患するのが現状ですよ。
 そんなにガンになるのが怖ければ、まずは乱れた生活態度と食生活を正せばいいじゃないですか。
 理想の健康食は、日本の伝統食。
「まごわやさしい」だそうですよ。
 
 ま⇒豆類
 ご⇒胡麻類
 わ⇒ワカメ。海草類
 や⇒野菜
 さ⇒魚
 し⇒椎茸。キノコ類
 い⇒イモ類

 あと、――ガンについては、これ実は、「死病」ではないのではないか、という考え方があるんですよね。
 体内の血液が汚れるとガンが発生しますが、ということは、ガンというのは一種の、「体の自浄作用」であり、ガンを治したければ、ガンを切除すると同時に血液をきれいにすればいいのではないか。と。

 むろん西洋医学では認められていない考え方です。しかし私はその西洋医学を、「生命」というものに対する考え方として、あんまし信用していないので。

 ともあれ、では、体内の血液を浄化するにはどうしたらいいか、というと、腸の中をきれいにするということです。
 悪玉菌が蔓延っている腸を抱えたままでは、いずれ病気になるわけなんで。その代表格が癌だということなんでしょう。

 では腸内をきれいにするにはどういう食生活がいいかというと――上記の通り、脂肪は少なく、良質な油をとり(EPA, DHA、αリノレン酸等)食物繊維をたっぷり、野菜たっぷり、乳酸菌たっぷりの、体の生命力そのものを助ける食生活がよろしいですよ。ということになります。
 食生活以外ではやはり精神生活というのも大事なんで。
 あんまり、放射能怖い放射能怖いで、ビクビク、ピリピリ、神経症になっていると、そっちが原因で病気になります。

 科学的な知見と情報はちゃんと提示されている(議論は紛糾してますが)。リスクを怖がる気持ちはわかるけれども、いずれにしてもリスクは「ゼロ」にはならない。これはそれこそ科学的な常識てやつですよ。
 べつに放射能に限らずとも、この世はリスクだらけですからねえ……、それをゼロにしようなんてのは、太陽を西からのぼらせようというようなもの。
 冷静な判断に基づいて、適切な行動をとれるよう心がける。それしかないんじゃないでしょうかね。
 パニックに乗じて他人をコントロールしようとするいやらしい輩は大勢います。注意してほしいと思います。

 さて、それにしても。
 前回、自由報道協会の質問は、ライブドアBLOGOS記事ではちゃんと質問者と質問内容が記載されているが、肝心の自由報道協会のサイトではなぜか質問が「略」となっている、ということを不思議に思ったわけですが。
2011/7/13のエントリ
 今回は質問者の名前は見あたらず、ただ質問部分が「Q:」となっているだけなんですけど。
 ………なんででしょ?
 ぜんぶを司会者が代表で質問したんですかね?

 ささいなことですが、そんなあたりからも、なんかアヤシイ印象を受けてしまうのは、私が「彼らは左巻き」という偏見を持っているからでしょうか。(^^;) ←自覚があるなら黙っていれば;;
 
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やりきれない…

 秋ですねえ……。
 と言いたくなるほど涼しいです。ちょっと風が強いですが。(^^;)
 しかしまた明日から暑さが戻ってくるそうなので………体調には気をつけてまいりましょう。
 しかし、セミは今日からだいぶ本格的に鳴き出しました。明日は大暑です。セミにとっては梅雨明けがいつかということよりも、通常どおり、季節に従うということかもしれませんね。
 例年だと、大暑とはいいつつ、まだ梅雨があけるかあけないか、みたいな時期ですものねえ。
 暗い天気と湿度が苦手な私としては、今年の梅雨明けは早くて助かったんですけども。
 なんにしても、こうも極端な天候が続くというのは、悩ましいですよねえ……。

       ●

 イギリス人女性が殺害された事件で、昨日、地裁判決が出ましたが。
 被害者のお父様のお言葉を聞いて、切なくもなり、また、ちょっと疑問にも思いました。
 日本の無期懲役というのは終身刑ではないのです。そこのあたり、ご遺族にはちゃんと説明されているのだろうか。
 その場合、ご遺族は納得して下さるのだろうか。
 そこが少し、「どうなんだろう」とひっかかっています。

 そもそも今回は求刑が無期懲役なんだものなあ。私は求刑を聞いた時点で激しく落胆しておりましたよ。
 性犯罪は、犯罪というより、人格障害の結果であり、いわゆるところの「更生」はない。そう考えます。

 性犯罪は窃盗などに比べれば再犯率が低いという説が最近出てきているそうですが、申し訳ないが窃盗とは根本的に犯罪の内容が違う、と私は考えております。
(だいたい、性犯罪って基本的に親告罪じゃないですか。再犯率が低いなんて話は鵜呑みにはできない)

 ゆえに、初犯であろうが何であろうが、性犯罪者というのは死刑もしくは終身刑に処すべきであるというのが私の考えでございます。

 犯罪者にもそりゃあ人権はある。あるけれども、それは被害者の人権よりも優先されるべきものではないと考えます。
 優先されるべきは、被害者もしくは、被害に遭う可能性がある一般市民の人権であり、犯罪者の人権は「犯罪者としての」人権限定されなければならない。

 ということをつねづね考えているのですが、今回の裁判を報道越しに聞いていて、あらためてその考えを補強されたと感じています。

 人格障害というのは精神病ではありません。ありませんが、ある意味、「病気」より悪いかもしれませんね。

 計画性があろうがなかろうが、常習であろうがなかろうが、裁判においてはその犯人がやったことの責任を厳格に問うてもらいたい。
 私は今回のこの事件は、死刑以外は考えられないと信じます。

 それにまた――死刑についての賛否はともあれ、終身刑というものをきちんと設けなければならない、ということも、今回強く感じたことでした。
 話としては簡単で、犯罪者の人権より、無辜の市民の人権の方がはるかに優先され、守られるべきものだからです。

 ………うーん。どうも過激な意見に思われるだろうなと自分でも思ったりして。(^^ゞ
 とはいえ、ほかに犯罪の予防と、犯罪の責任を負う方法が思い浮かばないんですよね。
 性本能は人間の基本だけれども、性犯罪者というのはその本能がもうぶっ壊れているわけで、病気ではない、ってところが、かえって解決が難しいところなのかもしれません。

 なんにしても山口県光市母子殺害事件とならんで、本当に悪辣としかいいようのない事件で。
 こういうことを可能な限り防ぐにはどうしたらいいのかと、本当に考え込んでしまいますね……。

 ところでこういう事件のとき「被害者にも非がある」などということを、ちらりとでも考えた人は、おのれの愚かさをよーく反省してもらいたいと考えます。
 多いんですけどねえこの手のことを平気でいう人って。(^^;)

 私はただでさえ人間嫌いの傾向があるので、このへんについてはあんまり考えないように努力したいと思います;;

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謎のシステム

 台風は暴風域がなくなったというのはよかったです…。
 今朝はこちら、じつに爽やかな風が(ちょっと強風ですが)吹いておりまして、……なんというかこう………秋の気配です。( ・_・;)
 過ごしやすくて助かるけれど……また暑くなるんですよね。
 ナニユエに「ほどほど」ってことがないんだろうか最近の天候は。(^^;)

       ●

 もともと、敷金礼金てやつが納得できないのに、さらにこれは納得できないんだよな。と個人的に思っているお話。

賃貸マンション:更新料「有効」判決 便乗請求懸念の声 貸主側、全面的評価
http://mainichi.jp/life/housing/news/20110716ddm041040109000c.html

 私が学生だった20年ほどもまえには、あまり更新料というのは聞きませんでした。
 ふと気がついたらこんなもんがあたかも常識であるかのように語られており、「なんかのどさくさに紛れて言い出したシステムが、なんでこんなに大手を振って歩いているのさ」というのが、私の率直な感想。
 昔はそんなもんなかったじゃん。――ということで、それが昔からの慣行で当たり前、というツラをされるのは、不思議でなりませぬ。

 現在も、この妙なシステムがある地域は限られているんですよね。主に東京と、都市部と言われるところ。我が静岡県ではあんまり聞きません。
 ゆえに更新料は全国区、業界全体の当たり前の慣行とも言い難いんじゃないかと思うので、この判決は正直言って意外ですねえ。

 貸し主側としては、いろいろ経費もかかるので更新料は必要ということのようですが、本当に必要な経費であるというのなら、――更新料ってことは期間がわかってるんですよねあらかじめ。2年契約とか3年とかって。
 その必要な経費とやらを更新料にしているのでしょうから、ハナっから、そのぶんを2年契約なら24ヶ月に割り振って家賃にしとけばいいだけのことじゃないの?
 そもそも家賃というのはそういう、建物の償却を予想してその費用も見越して設定されているものですよねえ?
 だから礼金はまだしも敷金にも納得いかんということになるわけですが。
 なんか納得できないんだよな……と、いまだ首を傾げたままのニュースです。(^^;)

 まあ、なんでもかんでも合理性、という気はないですけども。
 でも、それでなくても日本の賃貸物件というのは内容が貧弱ですからねえ……。とてもじゃないが、長い間、人が住むことを前提にしている建物だとは思えない。

 うちの近所にもありますよ……私が学生の頃住んでいた安っぽいアパートと同じような建物だと外観でわかってしまうくらいのアパートが。おまけにあれ、学生向けでもないってあたりが……。
 もうかれこれ、ここも10年以上になりますが、まあ、店子が居着かない。人が入ったかと思ったらすぐ出ていっちゃう。つねに空き室があり、つねに「入居者募集中」の看板や幟が立っている。
 まあ、あの外観からするに、隣りの部屋の会話は筒抜け、足音は響きまくり、なんていう状況なんだろうなあとわかるので(経験者なのでわかります……)、無理もない、と見ています。

 一方、そのご近所には、すんごく立派な貸家がありまして。
 いちおう種類としてはアパートになるのでしょうが、外観からして「家」という感じにしっかりしているんですよね。一棟は、二階建ての家が連結している、みたいな(…すみません変な説明で)感じです。一戸が二階建てになってます。
 こちらのアパートは建てられるや、すぐに全室が埋まり、爾来、7、8年。住人は現在も変わっていません。家賃はこちらのほうが遥かにお高いでしょうに、定着率…といったらおかしいかしら、とにかく人が長く居着いています。

 つまるところ、大家さんにしてみれば空き室というのがいちばん困る事態なのでしょうから、店子が長いこと心地よく生活できるようなものを、ハナっから作ればいいんじゃないだろうかと思いますよ。
 家賃は当然高いものになってしまうのでしょうが、私が見るところ、そういうわけで、やはりきちんとした物件の方が、人は長く居着くようです。家賃に見合う、と納得すれば、そうなりますよね。
 なにせ自分の「家」ですもの。居心地が悪いところに、いくら安くても住みたいはずはない。

 私の場合は学生でしたから住む期間もわかっていますし、長期休暇もあるのでその間は、そのアパートから離れていられる。だからなんとか我慢できたようなもので。
(仲間内では私は、試験が終わったら即、実家に戻るヤツということで知られていたそうです。つまり付き合いが悪いと。………え~。だってさ~。(^^;))
(じつは、そのアパートはいまだに夢に見ることがあるのです………悪夢として)
(目が覚めたときはホッとしますよ;; よかった夢だった、と)

 学生でもない人がああいう住環境で我慢できるわけないっしょ……と、そのいかにも安普請のアパート、すっかり日に焼けて文字も薄れた「入居者募集中」を見るたびに思っております。

 一生賃貸、という場合と、持ち家を持った場合の生涯貯蓄額の計算といった話を聞くこともあります。
 それで試算すると、その人のライフスタイルによっては賃貸でも持ち家でも差はないか、もしくは賃貸の方がメリットがあったりするんだそうですが。
 そういう概念がもう少し世の中に広まるためには、賃貸物件が、「ちゃんとした人間の家」たるレベルを確立する必要があると、個人的には思っております。

 ナニ、持ち家なら「人間の家」たれるかというと、必ずしもそうではない……とは、これまた身にしみておりますけれど。(^^;)

 家主さんのほうにも、店子の納得を得られるように、改善すべき点は多いんじゃないですか、と思いながら聞いた判決でした。
 
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気は優しくて力持ち

 それにしても、すごい台風がきていますね。
 予想進路を見ていると、被災地には(直接には)いかないらしいのがせめてもの…、というところですが、これ以上の被害が出ないことを祈るばかりです。

      ●

 大相撲、大関魁皇関が引退とのこと。
 気は優しくて力持ち。相撲は真面目正直、謙虚。

 全盛期の横綱貴乃花に勝ったとき、他の関取は嫁さんは涙ぐむわ赤飯炊くわでばか騒ぎをしたというのに、魁皇関は喜ぶどころか、取組後、支度部屋で囲んだ報道陣に対して、怒っているような表情で、
「横綱、どこか悪いんじゃないですか」
 そう言っただけでした。
 じっさい、そのときの貴乃花は40℃の熱があったそうです。しかし、貴乃花は、場所中は、どこが痛いの熱があるのなんてことは、ひとっことも言わない横綱でした。
 
 あの横綱が、自分にこんな負け方をするはずがない、どこか悪いはずだ、――冷静にそういう判断をし、「病人に勝って自慢になるか」くらいの気持ちがあることが察せられ、「さすが」と私は思ったものでございます。

 病人に勝ったといって赤飯炊いた関取はその後大成はせず、魁皇関はご覧の通り、すばらしい記録を打ち立てた、立派な大・大関としてつとめあげました。
 
 いまはただ、お疲れさまでしたと申し上げるのみです。
 
 ………なでしこジャパンのW杯優勝で、わーっと盛り上がっていたのですが、魁皇関引退の報に接し、すみません、なんだか、しゅんとなってしまいました;;

       ●

 なんにしてもなでしこ。
 何はなくとも澤選手。
「苦しいときは私の背中を見なさい」
 チームメイトにはそういって力づけたという話を聞いたときは感動しました。
 なかなか言えることではない。

「覚悟」があるんですね。
 自分で自分を寄る辺とする、そういう感覚もすでにつかんでいるのだろうと思います。
 自分というものをしっかり掴み、自分自身として生きることを獲得している。
 なかなかこういう人はいないものです。サッカー界としても日本としても、こういう「人財」は、大事にしていきたいですね。

 ところで今大会、けっこう試合をちゃんと見ることができたのはNHKのおかげ。
 試合後のインタビューもきっちり放送してくれたのも嬉しかった。勝ったときだけチョーシくれて揉み手して寄ってくるフジテレビごときとはやっぱり違うと言わざるを得ませんね。まがりなりにも「公共放送」(NHKは国営放送ではありません)だということでしょう。
 ほかのジャンルはともあれ、スポーツに関してはNHKは国内ではまともなほうですよねえ。

 で、その試合後のインタビュー。
 ドイツ戦のあとなんですが。

 さすがに、開催地ドイツとの試合ということで、最初のうちはドイツの観客も余裕でしたが、日本が勝ち越したあとは、けっこうなブーイングがありました。
 しかし、私もそれをほとんど気にせず、途中で、ブーイングを気にしていない自分に気づき、ふん、と笑ってしまいました。
「中国に比べたらこんなの屁でもないもんね。鍛えられたよな~」

 したらば、試合後のインタビューで監督さんが、インタビュアに「アウェイの雰囲気の中でしたが」と言われて、
「ええ、選手たちは中国で、もう慣れてますから」
 とぽろっと(じつにさり気な~く)言っちゃいまして。
 私は腹を抱えて大笑いしてました。
 まったく、中国より下品なところはそうはないでしょう。(^^;) そういう意味で、あの世界一下劣な観衆に感謝すべきでしょうかね。

 あれはなんの大会のときでしたか――ホスト国たる中国に敬意を表し、「ありがとう中国」みたいなバナーを持って観衆のまえに出たなでしこたちに、あの連中がどれほどひどい仕打ちをしたか。
 さしものなでしこも泣き出す選手もいましてね。
 私はあの光景を、一生忘れない。

 ……まあ、ああいうのと比べてしまっては、ドイツの観客には本当に申し訳ないんですけども;;

 そういうことも含めて、いろいろありつつ、それを乗り越え、鍛えられてきたんだな、なんてことも、つい考えてしまった、帰国後の記者会見でした。

 それにしても今回のW杯決勝は、決勝にふさわしい、素晴らしい試合になったのは確かなようで、アメリカが放送した視聴率、男女併せて、サッカーの試合としては最高の視聴率になったそうですね。
 アメリカではサッカー人気は(ヨーロッパと比べると)イマイチ、という話も聞きますが、これでサッカー、なかんずく女子サッカーの人気が出てくれたら嬉しいですねえ。(^-^)

 そういえばコパアメリカ。(……そういえばってアンタ;;)
 ブラジルもアルゼンチンも敗退ですねえ……。うーむ。
 アルゼンチンもなんだかいろいろ気の毒で……。強いチームというのも過度にして不当な批判にさらされることが多くて、気の毒に感じます。勝負というのは強い方が必ず勝つとは限らない。だからゲームは見る価値があるのではないでしょうか。
 
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なでしこ

「その者、青き衣をまといて金色の野に降り立つべし」ネタはあちこちで見かけるので(というか……これ、男子のアジアカップのときにどなたかが言っていたのが最初だと思うが)、他のところから。

山がつの垣ほ荒るとも をりをりに あはれはかけよ なでしこの露」(源氏物語)
山がつのかきほにおふるなでしこに 思ひよそへぬ時のまぞなき」(拾遺集/恋三/村上天皇)

 万葉集にはないそうですが、平安時代になると撫子の別名に「常夏(とこなつ)」もあり、これは「床(とこ)」に掛けてやはり恋の歌になるんですね。
 なんにしても、なでしこは、可憐で、いとおしい女性のイメージ。ですが。
 じっさい可愛いわ……と思いながら見てました。
 外国の選手と比べるとほんと、可憐で可愛いですよね。でありながら、あのスピードあのテクニックあのスタミナ。
 女子サッカーも洗練されてきたんだなあ、と、ホントに、感心しきりの今回でした。
 なでしこについては「女バルサ」という声も聞きましたが、それもあながち大げさではないですよね。見事に華麗なパスサッカーでした。

 しかしなにより感心したのは――これは以前から言ってますが、「男子などよりはるかに思い切りがいい」「攻めていくサッカーの徹底」ぶりです。
 ためらわない。攻める。ゴールマウス前で逃げない。
 ある時期の男子の腑甲斐なさに、「なでしこに混ぜてもらって、ちょっと可愛がってもらったら?」などとつぶやいたこともあるほど。

 じっさいうちの母は、「女の子のサッカーのほうが思いっきりがいいじゃないの」といって、準々決勝からですか、午前4時半起きで試合を見てました。(^^;)
 ………まあ、男子にはありましたからね……すげえ絶好の位置に(しかもほぼフリーで)いながら、なぜかシュートを打たずに隣りにパスを出したなんてことが……。

 ということで、そういう前を向く、戦う精神、スピリットと、テクニックなどの面がきちんと噛み合った今回のチームだったと思います。

 決勝は……まあぶっちゃけ、実力そのものはアメリカが上だと思います。軽くひねられてしまった今までと比べたら、なでしこも本当に成長しましたが、いわば「地力」については――体格面の問題がそもそもあるけど――まだ。ね。
 けれども、それであっても気持ちの上で絶対、おじけづかない。あきらめない、絶対に勝つ、という姿勢には、本当に微塵の揺らぎもなかった。
 もう、それだけで充分泣けましたよ。

 じっさい今回の決勝も、延長までやって引き分け。
 PK戦ですから公式記録上では、別にアメリカに勝ったわけでもないんですよね。
 決勝の場合は、延長まで戦ってイーブンだったら、同時優勝みたいなこと、できないのかなあと思いました。はい。

 決勝についてひとつ安心したのは、……じつは私、アメリカ対ブラジル戦を見ていたのですが、なにがあったか知らないが、アメリカのラフプレーがすごくてですね;; ご覧になりました? 肘でどつく、蹴る、足を引っ掛ける、ジャージを引っ張る。
 その肘打ちも顔面に入ったりして、「サッカーをしろ。格闘技はよそでやれ」と私がかなりムカついたほどでした。(ブラジルもやり返していたとは思うが荒っぽさが違うと思いました)
 それで赤いカードが出てきてアメリカは10人になり……それでも勝ったわけなんで、まあ実力はわかりますが。
 あんな野獣みたいなのがうちの「なでしこ(可愛い子)」と試合をやるのか……大丈夫なのか……というのが、じつは私の、一番の心配でした。

 ところが豈(あに)図(はか)らんや。ふたを開けたら決勝のアメリカさんはクリーンな振る舞いだったので………あれ? という感じでした。(^^;)
 あれは――あのブラジル戦のときは、なにかあったんだろうか……。

 なんにしても今回は本当に、サッカーの試合として見応えがあり(あたしゃラフプレーやマリーシアとやらが嫌いでしてね;;)、女子すげえ、と思いました。
 
 私が見たのは…すみません後半途中からですが、(^^ゞ いやもう、延長後半、同点ゴールのときは、わーっと騒ぐんじゃなくて「………え………?」みたいに放心しました。1、2秒でしょうが。
 え、入ったの? ……入ったの? ボールが? ゴールに? ……マジで?(このへんで我に返る)…や、やったー!!!! 澤さんヤッター!!!!(興奮)
 みたいな。
 恐竜みたいな反応しちゃった;;

 優勝が決まった瞬間は単純に喜んでいるつもりでしたが、……気がついたら泣いてまして。
 これが自分でも意外。なんでしょうかこの涙は。
 
 しかしなんにしても、女子サッカーも面白い、ということが広く世間様にも認識してもらえたら嬉しい、と思います。
 今回のドイツ大会は、ホスト国のドイツの配慮というもの、あるいは会場にもたらしてくれた雰囲気に、感謝したいと思います。「女子」サッカーだからね…という(ちょっと見下した)雰囲気は感じなかった。
 観衆のサッカー好きという気持ちが、ああいう、盛り上がる雰囲気を作ってくれるんでしょうね。
 なんにしても観衆ほぼ5万でスタジアムいっぱい、というのは素晴らしいと思いました。

 澤選手のことも書きたいんだけど……今日のところはこのへんで。

 本当に本当に、おめでとうございました。(^-^)
 
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