梅雨明け前に夏バテ
2011年06月30日 (木) | 編集 |
 昨日、本屋さんで平積みになっている本の買い方という話題でお話しましたが。
 じつはお店では、定期的に平積みの本や雑誌をシャッフルしているので、下から引き出すのは無意味、という情報をいただきました。
 なるほど。(^^;)
 それを広く世間に知らしめれば、平積みとなっている本の山を崩す、不届きものの数も、少しは減らせるかもしれませんね。

 とはいえ、定期的にシャッフルするのは残念ながらすべてのお店ではないでしょうねえ…。
 じっさい、私が買った、見本誌状態になっていた雑誌は、そういうシャッフルが行われていたならああいう状態にはならなかったでしょうし……「暴れん坊本屋さん」でも、とくにそういうシャッフルが行われているという言及もなかったので。

暴れん坊本屋さん(2) (ウンポコ・エッセイ・コミックス)暴れん坊本屋さん(2) (ウンポコ・エッセイ・コミックス)
(2006/03/25)
久世 番子

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 ……ぜんぶの本屋さんで実行できているわけじゃないんだろうなあ。(;_;) ←なんとなく、ホロリ。

 なんにしても、同人誌を含めて、本は――いえ、すべての商品は、丁寧にあつかってほしいもんですよね。(^^;)

       ●

 梅雨明けはまだらしいのですが、いきなり暑くなりまして……さすがに私もバテ気味の昨日でした。
 夜は、夕食後の片付けに引き続き、玄関の掃除をしているのですが、途中でなんともいえない気持ち悪さがこみあげてきて、軽~い吐気さえ覚えたのにはびっくり。

 吐気というのは尋常ではない。夕食で食べたものが、なにか「あたった」のかと思いましたが(とりあえず生肉は食ってません)――掃除を終え、エアコンを効かせた部屋で横になっていたら、そうですね、10分ほどで、さっと治まりました。
 ………夏バテみたいなもんかな? (^^;)

 去年はあの猛暑の中でも、平気で同じように掃除をしていたのですから……まだ、体がこの暑さについていけない、ってことなんでしょうね。
 節電には可能な限り協力したいけど、体調を崩して倒れると、それはそれでご迷惑になることですから、エアコンも使わざるを得ませんね~。(>_<)
 昨日は、体育祭ですか、中学生の女の子たちが熱中症で倒れたとのことで……本当に、この季節は過ごし方が難しいことになりました。

(ですが……最近、体育祭、運動会の開催時期ってヘンじゃないですか? 私が現役のころは基本的にそういうのは、気候のいい春か、秋に行われるものだったんですけど、最近は、黙って聞いていると炎暑厳しい9月に開催したり……昨日も、もう7月になろうというこんな時期に体育祭? と、ちょっとびっくりしました)
(この時期にやるとすれば、どっちかつーと水泳大会では?)
 
 悩ましいなあ……と言いつつ、太陽光線が不足するとすぐに鬱っぽくなる(じっさい、季節性鬱病のケがある)私としては、じつは冬のみならず曇天が続く梅雨もつらい時期でございまして。
 ああいう、光の射さない曇天続きで気が滅入っている時期は、たとえ暑さでばてていても、吐気を感じていても、それでも、明るい太陽をみると嬉しくてたまらない、という気持ちになります。
 ……私は命がけで太陽を愛する人なのでしょうか。(^^;) なんだか因果な気がしてきた;;

      ※

 なんにしても悩ましいのは、そういうわけでエネルギー問題。
 原発を使わず火力でやりゃあいいという無責任なご意見は、きっとまともに石油価格を見てない人なんでしょうね。ふだんから経済の動向に対してなんの興味関心もない当然勉強も情報収集すらしていないということがバレバレ。

 浜岡原発を、なんの根拠もなく「気分で」停止させたもんだから、今度は、電力不足がシャレにならなくなったので、稼働させたいと思っても、「浜岡が停止なのになんでこの原発は稼働なのか」の根拠を示せず、政府は苦労してますね。
 あの停止要請のとき、だーれもそれを――根拠もなく気分で行われた停止要請だと――指摘しなかったというのはどういうことなんでしょうね。(関係自治体からはちゃんと、その根拠を示せと言われていたんですが、華麗にスルーしてパフォーマンスに徹した結果がこれですわ)(なにが「英断」だ)

 今年は総会屋さんの出番がないほど株主総会は荒れ模様のようで。

 それにしても、現状で、電力会社に脱原発を提案するというのはあまりにも無謀ですな。
 なんでこう、発想がここまで現実無視の子どもっぽいものになってしまうのか不思議です。

 原発の安全性を危惧するというところから提案がされるなら、原発の安全対策のための(自前)予算づけを提案するとか、数十年後の脱原発を目指して、独自に、代替エネルギー開発、研究のための機関や設備の設置を提案するといったほうが、ひとまずは現実的だと思うけどなあ。

 一足飛びに原発廃止なんて、夢物語も同然のことを、なぜ平気で言うのか。否決されることを前提にしている、つまり「本気ではない」としか、私には思えないです。

 ――それに、マスコミが嘘を吹聴するのは日本ばかりではないようで、ニューズウィーク誌(アメリカの週刊誌)は、脱原発は世界的な潮流になったみたいなことを書いていますが、これは正確ではありません。
 世界的にみればいわゆる新興国を中心に、むしろ原発はどんどん増設されていく流れにあります。
 脱原発というのは、一部先進国に限った話。あくまで世界の中では「一部」でしかありません。
 それを世界の潮流のようにいうこと自体が、先進国の驕りではないでしょうかね。
 自分たち先進国が世界の中心だという意識がにじみ出てます。

 もっとも私は、New York Times、Newsweek なんてのは、日本でいうなら朝日新聞や日刊ゲンダイくらいにしか、思ってはいないのですが。(^^;)
 かつての「クォリティペーパー」も落ちたものだと思うと、残念ですね。
 
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本を買うとき
2011年06月29日 (水) | 編集 |
 本屋さんで本を買うとき。
 平積みになっている場合はとくに、ですが。
 そこに陳列されている本の中で、下になっているほうからわざわざ引き出しますか?
 そうではなくても、わざわざ、より、きれいな状態の本を選んで買いますか?

 ………私はほとんど無頓着です。(^^;)

 いちどなどは、雑誌を手に取ってレジに持っていったら一瞬、店員さんの顔が、「あ……」というように、ちょっとものいいたげな感じになりました。
 一瞬のためらいののち、「あのう」と声をかけられました。
「ここ、ちょっと破れてますが…」
 と、表紙の隅を指差しまして。
「ああ、はい。大丈夫です」
「よろしいですか?」
「はい」
「ありがとうございます」
 ということでそのまま買ってきました。

 雑誌というのは長期にわたって保存するものではありません(保存するという方もいらっしゃるでしょうが)。ゆえに、多少、表紙の端が切れていたとしても(さんざん立ち読みされた本らしくて、それ以外にもページがぺらぺらに広がってました)べつにいーじゃん、読めれば。というのが私の考え。

 とはいえ、さすがにレジに持っていくときにはどうしようかなと一瞬、迷ったんですけども。
 さんざん立ち読みされたらしい1冊とはいえ、これ、「売り物」なんですよね。同人誌みたいに「見本誌」として用意されているわけではない。
 売り物である以上、買うのはべつに構わないが、しかし、世の中にはわざわざ、積まれた本を雪崩のごとく崩すことも厭わず(雪崩がおきたら他の本が傷むでしょうが。自重してほしいよね)引き抜いていく人がいる、ということは承知している。
 ということは、この一冊。
 私以外の人間で、気にせず買うなんて人は、あんまりいないだろうな。
 買っちゃえ買っちゃえ。
 ということで買いました。

 かの源氏物語では、光源氏の君は、当時としてはもうどうにもならない醜女(しこめ)たる、末摘花(すえつむはな)の君について、「他の男ではとても我慢できないだろう」ということで、そのまま、見捨てることなく関係を継続するんですよね。
 でも、それはべつに妙な同情をしたということではなくて、容貌はそれとしても、末摘花の君の心の美しさ、誠実さというもの――つまり人間としての「中身」を、光る君はちゃんと評価するのです。

 ………光る君の気持ちが、ちょっとだけわかる気がする。
 といったら、それは「思い違い」なんでしょうか。(^^ゞ

 電子書籍も出てきた昨今ですが、しかし、本を買うとき、どーでもいいような「外観」にこだわり、わざわざ、積まれた本の山の、下の方から引き抜いていく人を見たとき、
「なにもそんなことをせんでも」
 と思いました。………電子書籍ならそれこそ、「中身だけ」だから、そのうち、外観に価値を置く、こういう人もいなくなるだろうかとも思ったんですが……。中身だけ、の存在に慣れてしまえば、外観は気にしないようになる、――そう予想してたんですけども。
 そうでもないのかな。実物があるときは、やはりその実物の、外観も気にされるものかな。
 じつのところ、乱丁、落丁、本のページがとれかかっているなど、「読む」ときに支障となるわけではない、ちっとくれーの表紙の傷なんて、べつにどーでもいーじゃないですか。ねえ。

 ただ、今回の震災で、とにかく家財等をいっさい流失してしまった方で、「電子書籍なんか意味がない。本は、本であればいつでも読めるのに、(電子書籍は)電気がないと読めないじゃないの!」と憤然としていたというお話を聞きまして。
 なるほどそりゃあそうだと思いました。

 私ももはや本をしまう場所はない、といって、捨ててしまえる本も(あんまり)ない、ゆえに、保存のみを目的に本をデータ化しようかと思っているところですが。
 データのみ、というのは、あくまで「仮想」の存在であり、本という実体そのものに「とってかわる」ことはできないのだ、と思いました。

 仮想としておけることにはもちろん大きなメリットがあります。
 しかしそれでも、物質として存在するものの意義は、失われない。仮想世界がどれほど充実していっても、仮想は実体の「かわり」になることはない。

 ……んじゃないかなあ、と思って眺めた、「わざわざ本を下から引きずり出す人」でした。

 ちなみに、私はわざわざ下から引っ張りだすことはないだろうと思いますが、どーしても、「美品」を選びたいから、というのであれば、他に買う人やお店の人の気持ちを斟酌して、あくまで丁寧に取り扱ってほしいですね。
 目指す本の上にある本はきちんと両手で取り上げ、褒められないことだがとりあえず、ほかの位置におろし(ということは、他の本の上に置かざるをえないでしょう)、そのうえで目指す本をとり、はずしていた本の山をまた、きちんと丁寧に両手で持って元に戻す。
 それくらいはしてほしいですよ。

 横着にも片手で本を引きずり出して山を崩し、「商品」たる他の本を傷めかねない行為をするとは。
 ………本の外観も中身も愛する人間としては、たまに後ろから蹴りを入れたくなる光景ではあります。(^^;) ←じつはちょっと怒ってたらしい;;

 いえ、本に限らず、どのお店に行っても、そこにある商品は丁寧に扱いましょうね、――というお話(だったのか?;;)。
 

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蒸し暑い…
2011年06月28日 (火) | 編集 |
 お暑うございます。
 暑いというか、蒸しますね。気温としてはまだまだ耐えられるレベルなんですが、湿度が、80%あります;;
 こういうときは汗をかいても、汗が蒸発していきにくいので、熱がこもって熱中症になりやすいということで。
 こまめに麦茶等を飲み、体調が悪い人、昨夜は寝苦しくてよく眠れなかったという人は無理せず、エアコンに頼りましょうね;;

 そういえば塩飴というのはまだ食べたことないんですよね……美味しいかな? それとも味はすでに問題ではないのでしょうか。……んなこたないか。(^^;)

 それにしてもエアコンどころか扇風機もなかった時代……えーと「徒然草」でしたっけ? 違ったかな? 「家を建てるなら夏の気候に合わせて(夏、涼しいように)工夫して建てるべき」というご意見、当然のことだったんだなと思います。

 思いますけど、古い家で冬はすきま風だらけで、そういう家に住む人間として言わせてもらえば、あんまり夏向きにしちゃって冬は風通しが良すぎる場合、最悪、風邪から肺炎になってこれはこれで命に関わるんだけどな………とつぶやいてみたり。

 ようは、暑くても寒くても、人間の体には堪える、ということですね。

        ●

 レディ・ガガさん、すごいですね……。最近ちらほら「ガガ様」という表記を見かけるようになり、「ああ、『様』がつき始めたか…」と思いました。
 ある種の敬意が向けられる人には「様」がつく日本です。
 ベッカム様、カーン様、プル様(フィギュアスケートのプルシェンコ選手)、ヨン様、……そしていま、ガガ様。
  
 いや、冗談抜きでガガ様とお呼び申し上げたいです。
 記者会見のメッセージといい、お出かけになるレストランといい、………本当にこの人は、自分の立場を理解し、自分というものを人々がどう見ているか聞いているかを理解し、それを最大限、利用するだけの賢さがある。
 恐れ入っております。すごいですね。

 そういえば徹子の部屋にもご出演とか。いや、これはぜひ、録画をしておかなければ。(^-^)
 ガガ様もすごいが徹子さんもすごいからなー。「大鐘を撞くには鐘木も大きくないといけない」てなことを言ったのは坂本龍馬でしたが。
 徹子さんの鐘木ぶりもちょっとすごいものがあるので、これは楽しみです。(^^)
 
 本日もちょっと手抜き気味ですみません;;
 
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冷静に
2011年06月27日 (月) | 編集 |
 今朝の新聞に週刊ポストの広告が出ていました。
 ぱっと見て、ぷっと吹き出してしまった見出し。

ちょっと冷静になりましょう
 ガイガーカウンターでは被曝量は測れません


 じつは昨日も、そんな話を聞いたところだったので、ちょっとウケてしまいました。

 昨日お会いした人に聞いた話で。
 なんでも、自分でそのガイガーカウンターを買って、あっちにいったりこっちにいったりして自分で測定している人がいるのだそうです。(ちなみに、静岡です)
 で、値が高いの低いので、訴訟を起こすと息巻いているそうなんですが。

 馬鹿馬鹿しいことに、その人は若いお母さんで、小さい子どもを連れて歩いてそれをやってるっていうんですよね。
 被曝してる! 被曝してるよその子!(笑)(←心配しているのではなく、馬鹿にしてます。いけませんね)
 放射線量が高い、つってて、なんで子どもを連れて歩いてんの?

「馬鹿なんですか? 気違いなんですか?」
 思わず遠慮会釈なく言った私に、
「なに、共産党なんですよ」
 あっさりお返事が。(^^;)
「ああ、道理で……」
 納得する私もどうかと思いますけども;;
 ま、ありがち。

 とあるネットのニュースサイトでもたびたび共産党議員のインタビューを載せていましたが、
「だーめだって共産党の言うことマトモに聞いちゃ」
 と独り言してました。(^^;)
 原発全部停止しても大丈夫なんだ、てなことを言っているのも共産党系だものなー。
 馬鹿ですか、気違いですか。いいえ共産党です、というのはちょっと気に入りましたが、そんなことを言ってる場合じゃないですね;;

 じっさい、ホットスポットが心配されるというので計測するのはわかりますが、ホットスポットではないとわかれば、べつにあとはいーんじゃないですか。
 だいたい、そんな超低レベルの放射線量を測って、何がわかるというのでしょうか。

 低レベル放射線の健康への影響については専門家でさえはっきりしたことは言えないものを、そんな値を聞いて判断できるほど、みなさん、頭がよろしいのでしょうか。

 そもそも、事故前から計測していた値と比較しないとどうしようもないレベルしか計測されないでしょう。ほとんどの場所では。
 なんのためにそんなにぴりぴりして神経すり減らしてるんだか、申し訳ないけど私には理解不能です。

 放射線量があぶないと本気で思ってるなら子どもをつれて歩くなよ。――わけがわかりません。(^^;)

 いやまったく――週刊誌に「ちょっと冷静になりましょう」と言われてしまうんだなあ、と、みょーな感慨を覚えている週始めです。
 今日もミネラルウォーターや、麦茶を飲んで、元気に過ごして参りましょう。
 昨日も救急車3台とすれ違ったので……まさかあれ全部が熱中症ではないのでしょうが、みるとつい、「熱中症の患者さん?」と思ってしまって;;

 冷え性のわたくしは、おかげさまで、新幹線に乗っても、蒸し暑い外気からビルの中へ入っても、いきなり体が冷え込む感覚がない今年、じつにありがたい夏になっております。
 ねがわくば、今年の夏が去年のような酷暑にならないといいですね;;
 そうすれば今年はわりと快適に、自律神経を痛めつけずに過ごせそうな気がします。
 
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果物と野菜の違い
2011年06月26日 (日) | 編集 |
 本日おでかけのため、お休みいたします。
 お出かけ…とはいっても残念ながらイベントではないのです……。
 夏コミには行かないことになったので、今日のイベントには行ってみたかったのですが;;

       ●

 昨日、「きゅうりや西瓜といった野菜や果物」といった文言を書いてしまいまして。
 これ、位置関係をみればわかる通りで、きゅうり=野菜、西瓜=果物、というように考えてますよね私! ←本人、無意識の言動
 違うんじゃないの? と、あとで気がついてちょっと調べてみました。
 ……ら、じつに諸説紛々といったありさまで。(^^;)
 調べてみてもかえって混乱してくるような;;

 国によってもその規定は違うそうですがともあれ日本の行政においては、いろいろありますが、草本性(木にならない。蔓とか草とか)かそうでないか、という区別があるようです。
 
 早い話が、その実が木になると果物、木ではないものが野菜。ということになるみたいです。

 草本というのは草のこと、反対語は木本(もくほん)。

 西瓜の場合はひとまず(日本では)野菜の仲間に分類されるそうです。

 ………野菜か果物かはともあれ。
 西瓜も、その含有成分シトルリンに血液サラサラ効果があり、陰陽五行でいうところの陰性ですから、これまた熱をとってくれる、いかにも夏向きの食べものですね。

 キュウリも同様の働きがあり、その季節の旬のものというのは、結局、人の体の働きも守ってくれるものになるんですよねえ。
 自然界って、よくできてますよねえ。

 ありがたい、と思って、いただきたいと思います。
 ………目下のところ、西瓜の値段はけっこうなものなので、横目にみて通り過ぎ、キュウリを買い込んでおりますが。(^^;)
 
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熱中症対策
2011年06月25日 (土) | 編集 |
 昨日はお中元の申込で、デパートに行って参りました。
 今週いっぱいくらいならまだ、お中元――催事コーナーも空いているんですよね。
 なるほど不況ではあるのでしょうが、そうはいってもお中元、お歳暮は、その時期になりますと、複数ある窓口はいっぱいで、それどころかベンチが数脚並べられて、整理券を手にそのベンチで順番待ちをすることになるのです。

 今週いけばまだ空いている、とか思いつつ、結局昨日、金曜日でぎりぎりでした。
 が、やっぱりさすがに空いていたのでよかった;;

 ということで、お中元申込もささっと片付いたので、久しぶりでちょっとデパートの中をのぞいてきました。
 私が好きなのは生活雑貨の階です。さすがにそこはデパートでして、ふだん、大型スーパーマーケットや量販店では見かけない、素敵な漆器などもあるもので。
 昨日は漆器の手文庫――というのか文箱というのか、そういうものがありまして。あれは素敵ですねえ。(^-^) あのまま部屋に置いても、ひとつのインテリアになりますね。

 しかし庶民のわたくしが買ったのは、ネコ型蚊遣りでした。(^^ゞ
 でも香箱をつくっているネコを象(かたど)ったもので、可愛いんですよ~v

 入浴関係のグッズ類も好きなのでのぞいてきましたが――時節柄、ちょっと暑く感じまして。
 毎年この季節には常備している扇子を鞄から取り出し、ぱたぱた扇ぎながらグッズを見つつ歩いていましたら、ふとお店の人と目が合ってしまい。
「申し訳ございません」
 といきなり言われたのでちょっとびっくりしました;;
「ただいま節電中で、エアコンの温度が…」
 と言われ、かえって、あわわわと思いました。
 すみませんすみません、イヤミで扇子使ってたんじゃないんです~! と内心で思わず慌ててしまいまして;;
「いえ、私、冷え性なのでこれくらいでちょうどいいです」
 これは本音です。
 けど、そう思ってもらえなかったかもなー……。(^^;)

 極端に暑い思いをしてはいけませんが、少し額に汗ばむくらいなら、そのほうが体のためにはいいような気がします。暑いときには暑いように汗をかかないと、自律神経が乱れるもとですから。
 考えてみりゃ、きゅうりや西瓜といった野菜や果物で体を冷やすべき季節に、体が芯まで冷えたつって、生姜湯を飲んだり、温泉の元を入れた風呂で半身浴したり、なんてしているほうがおかしいよ;; 冷房がんがんで寒いからつって熱々のラーメン食べてたり。おかしいって絶対。
 
 そんなわけで、すでに自律神経がおかしくなっているのが「常態化」しつつある現代人は、熱中症になるひとも増えてきていますね。
 水分を摂るのはもちろん大事ですが、すでに軽い脱水症になっているときに、ただの水を飲むと、かえって症状が悪化するので、気をつけたいところです。

 じつは脱水症とひとくちにいっても、原因が異なり、対処法が異なる、2種類の脱水症があります。低張性脱水症と高張性脱水症です。

 汗をじゃんじゃんかいてナトリウムが不足した状態になった脱水症(低張性脱水症)の場合は、単純に水分不足というだけの脱水症(高張性脱水症)とは対処が異なるのでご注意を。

 水分をこまめにとっているので水分は間に合っていても、汗をかいてナトリウム不足になった脱水症の場合、そこで水を飲んでしまうとますます血液中のナトリウムが足りないことになり、症状が悪化します。
 こういうときはスポーツ飲料がいちばんいいでしょう。

 脱水症にはなっていないが、熱中症に気をつけたいときは、そんなわけで、飲むのであれば、真水ではなく、ミネラルウォーターか、そうでなければ麦茶がいいですね。
 麦茶はカフェインはないし、含有成分に、いわゆる「血液サラサラ」にする効果があるし、陰陽でいうと麦茶は「陰性」で、体を冷やす、つまり熱をとる働きがありますし。

 昔の人はそういう理由によらなかったと思うんだけど、ちゃんと理屈に適ったことをしてたんだなと感心します。

 とまあそういうわけで、麦茶は体を冷やすので、逆に、冷房で体を冷やしてしまった、という場合は麦茶は避けたほうがよろしいかと。

 節電に気を使うあまり、健康を損ない命まであやうくするなんてのはいただけない。無理せずエアコンにお世話になりつつ、熱中症対策はしていきたいですね。

 それにしても昨日で電気使用量91%か……。
 今年の夏はさてどうなりますか……。
 悩ましいところですが、お互い、気をつけて過ごしましょう。
 なにをするにしても人間、生きていてこそですからね。お体は本当に、お大事に。
 
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ネコ中毒
2011年06月24日 (金) | 編集 |
 ブラウザ、Safariは、起動しますと、Top Sites というのが最初に表示されまして。
 IEなどはホームとなるページが最初に表示されますが、Top Sites は、いわば「お気に入り」のサイトがサムネイル表示で、ずらっと並んでおります。
 RSSなどで情報が取得できるサイトはそのようにし、そうではないサイトはキャッシュから過去のイメージを表示するようです。

 で、更新されたページには「あれから更新されてますよ」という☆マークがつくので、じつにわかりやすくてありがたいです。

 で。
 私のトップサイツは、そういうわけで眺めてみますと。
 …………ネコブログが多いことに気がつきました……。

・「しろいねこ」様
・「かご猫ブログ」様
・「はっちゃん日記」様
・「くるねこ大和」様

 うーむ。みごとにネコだらけ。

 くるねこ様では本日、保育士をしているオス猫ちゃんの動画が拝見できますが。
 そーなんです………オス猫の中には子育てをする子がいます……。
 
 あんまり子育て熱心ではないメスも、無闇に子ども好きなオスもいるんですよねネコって。
 面白い。

 うちにはただいま、じつは7匹ものネコがいますが(うひ~;;)、そのなかで事実上のボスネコをやっているオスは、子育て――保育士もします。
 いまはすっかり大きくなりました、「元・子猫」3匹も、彼に面倒を見てもらったので、どうもいまだに子猫気分が抜けないらしく………でも見た目はすっかり大人のオス猫(3匹ともオス)なので、たまーに、「もう子どもじゃないんだから!」とばかりに教育的指導をうけていることが。(^^;)

 こういう子育てをするオス猫というのは珍しいのかとおもっていたらそうでもないようで。
 今回の動画もそうですし。
 うちの弟も、以前そういうネコを見かけたそうで。

 コンビニで買い物した帰り、駐車場に子猫がいたんだそうです。
 わー、子猫だ、と思って近づいていったら。
 車の陰から、押し出しが立派なオス猫が、ずいずいっと現れて、弟にガンとばしてきたそうで。
「いや、この子にちょっとエサをあげようと思って…」
 と、買い物した袋からハムを引き出してみせたら、ふとそのオス猫の表情が和み、
「あ、そう」
 という態度でまた物陰に戻っていったそうな。
 子猫がハムを食べているのを、そのオスはどっしりした態度で昼寝しながら(…ってわかるかなあ;; ネコを飼っている人なら雰囲気、わかっていただけるかと;;)そのようすを薄目をあけて見ていたそうな。

 ネコはいまだに、その生態があきらかにされていないところがあります。
 これほど長いこと人間に飼われてきているのに、いまだ、完全には家畜化されていない動物なんだそうですね。

 ということで、見ているとけっこう、ナゾの行動を見ることがあります。
 が、子育て――保育士をするオス、というのは、なんとなく気持ちが和んでいいものです。
 子猫にうかつなことをしてしまい、「シャーッ!!」と(人間がネコに)怒られるときは、ものすごい迫力があって本気でビビりますが。(^^;)

 それにしてもああ……自宅にもネコがいながら、なお、ネットサーフィンでネコを見ずにいられないとは。(すでに日課です…;;)

 ネコの、この中毒性って、なんなんでしょうね~。(^^;)

 あ。そういえば「自分取説」シリーズ(勝手にそう呼んでます;;)に、「ネコ好き自分の取扱書」がありましたが。

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 正直言ってちょっと苦しかったかな……。
 世界に冠たる日本の迷信、「血液型」以上に微妙でしたが、でもまあ、面白くは読めました。苦しいけど面白い。(^-^)
 
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最後の晩餐
2011年06月23日 (木) | 編集 |
 気がついたときには自分でもかなり意外で、ショックでさえあったのは、私は意外と「周囲に合わせてしまう」ところがある、ということでした。
 あれだな…なにかっつーと人付き合いを面倒がり、うっかりするとすぐに(精神的に)引きこもるのは、他人の影響を避ける自己防衛だったんだな、と思いました。

 ということでいささか反省し、それが実行できるかどうかはまた別問題としても、自分が本当に望んでいることは何か、を、できるだけ考えるように努力中。
 しかし長い間に染み付いた習性というのはそう簡単に変わるものではなく、いまだに、「自分の本当の気持ち」とやらがつかみきれず、茫然としていることも多々ございます。

 それでもひとつ、考えるときの手がかりにできるのは「明日には自分は死ぬと決まったら、どうだろうか?」というふうに考えること。
 明日には死ぬ、と思えば、もう、周囲の思惑がとか誰々さんの都合がとか、某さんに悪いから、などといった「周囲の状況を慮る」余裕も義理も、さすがになくなりますんで。

 明日死ぬとわかったら、それでも私はこれを選択するか? ――という自問が、自分の気持ちに辿り着くための、ひとつのツールになりつつあります。
 
 父が亡くなりましてから、どうしても考えるのは自分の死というものです。
 作家の阿刀田高さんがそのエッセイで、
「親父が死んだとき、『次は自分の番』だという意識が漠然と現れた」
 という主旨のことを書いていらっしゃいますが、なるほど、そういう感覚、ありますね。
 次は自分だ、という。

 この世に生きることにあまり熱心ではないタチなので、死というもの自体にはさほどの嫌悪も恐怖もないのですが、ただ、死にいたるまでの、「この世におけるゴタゴタ」が面倒なんだよなー、という、………どこまでものぐさなのかというくらいの感覚です。(^^;)

 それでまあ、よく言われる仮説のひとつですね、「最後の晩餐にはなにを食べたいか」という設問は。

 この設問にはあんまり意味がない気がして、いままで真面目に考えたことはなかったのですが、それでも「食べる」ということもまた、人生の上では欠くべからざる行為ですから、意外と「自分の本当の気持ち」にアクセスできる設問なのかもしれない。
 ということで考えてみました。

 そもそもにおいて明日死ぬとわかるような状況で、まだ、何かを食べられるとしたら、それだけでもう幸せなんじゃないだろうかと思うわけですが――うちの父なんぞは胃ろうにして自力では食事ができなかったし、末期の水さえなかったわけなんで――、仮に自分で好きなメニューが選べるとすれば。
 
 ……うーん。「海苔を巻いた塩むすび(つまり、具なし)」「キュウリのぬか漬け」「おいしい梅干し」「おみおつけ(具は何でもいい)」。ですかね。

 不思議とご馳走は食べたいとは思わないですねえ。なんでですかね。
 この世の名残りと思うと、ご馳走などよりも、つねに自分が――精神的、肉体的コンディションを問わず、食べたいもの、食べたかったもの、食べてきたもの、が、結局、最後には残る気がする。
 和食党の私が、人生においてもっともお世話になったもの。いちばんの「スタンダード」ですね。

 自分というものは、自分が食べたもので作られる、ということなら、やはり最も回数多く食べたものが、自分の構成の基礎、だということでしょうか。
 とすると、意外に「最後だからぱーっといこう」というより、「原点回帰」――「帰れる場所へ帰ろう」とする意識の方が、強く働く、ってことなのかなー。

 おいしいごはんを、具もなしに、おいしい天然塩で握って、香り高い海苔を巻きつけて、それをほおばる。
 なんだかんだいって、これがいちばん、私にとってはなつかしい、基本的なもの、ということになるようです。

 また少し話が変わります。
 退行催眠というのがありますね。
 記憶をさかのぼり、どんどんさかのぼり、自分の子ども時代、赤ちゃんだった頃、胎児だった頃…というように「記憶」を遡る催眠です。
 これでたまに、胎内記憶どころか、「前世の記憶」にまで辿り着く人がいるそうですね。

 ああいう催眠療法がどこまで効果が出るかは、8割はその人本人の素質で決まるんだそうなので、全員が同じ体験ができるわけではありませんが――ともあれ。その退行催眠。
 そういう前世の記憶に辿り着いた人々がみな口を揃えていうのは、「死ぬ瞬間には苦しみはない」ということだそうです。

 病気だったり、事故や事件だったりで、死ぬまではそれなりに大変だとしても、本当に息を引き取る瞬間には、苦痛はないんだとか。
 その語られる「記憶」によると、すっと「抜け出る」感じだそうです。――事実、肉体から「なにか」が離れるのでしょうが。

 断末魔の苦しみという言葉がありますが、それは見ている側が受ける印象であり、じっさいの本人の感覚としてはそういうことではないらしい。

 そういえば、シャレにならない大けがをしたときのほうが、じつは痛みをあまり感じないんだそうですね。これは現代医学でも説明されていることで。
 あまりにもヤバイ怪我をして、本気で生命の危機という状態になると、脳内からは麻薬のような物質、エンドルフィンが出てきて、痛みを感じにくくする。これは医学的にもガチ。

 もしかしたら、いよいよというときには、この脳内麻薬が分泌されるのかもしれません。

 人が死を恐れるのには、最後の瞬間に苦痛があると思っているからということもかなりの割合を占めていると思いますが、そこのあたりは心配しなくてもいいようです。

 となると、死後の世界を信じている人にとっては、であるならば、なぜ、地縛霊や浮遊霊や幽霊といったものになる人がいるのかというのも、疑問でしょうが。
(人は死んだらそれっきりだと思っている人はこの話題、参加しないでいいですよ。いいですよ、というか、参加しないで下さい。(^^;))

 最大の問題は「死んだことに気がつかない」ことじゃないかなあ。と推測します。
 息を引き取って「すっと体から抜け出た」ことに気づいていれば、あ、そうか、と思ってそれっきりでしょうが、ここで、そういう「楽になった」感覚に気づかず、直前の「この世でのゴタゴタ」の意識のままでいると――まあ、俗にいう「迷う」ことになるのでは。

 仏教では、そりゃもうしつこいくらい、執着しないことを教えますが、これは、怒りなり、悲しみなりを発生させるなといっているのではなく、「あ、いま、私は怒ったな」と思ったらすっとその感情から「離れる」ようにしようねということなんですよね。

 感情はある。でもそれにとらわれない。
 妄執や妄想に「こだわらない」。
 怒りや悲しみや、肉体の苦痛というのも、終わってしまえばそれっきり、「実体はない」「無常である」ということがわかれば。
 すっとその場を離れていける。

 これはつまり――その、死に臨んだときのトレーニングにもなるのでは。と思いました。
 息を引き取って本当は苦痛はないのに気づかないのは、ほかの感情や感覚に自分が「こだわって」いるからで。
 過ぎたものは過ぎたのだと、ぱっと自覚し、すっとその場を離れられれば、この世で迷うこともない。

 そういうことかなあ、と考えている昨今でございます。

 妙な話題になってしまった……。(^^;) すみません;;
 
 
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日は高く差し昇り、人は地に身を低め
2011年06月22日 (水) | 編集 |
 本日は夏至でございます。
 日本は、いちばん日が長くていちばん爽やかであるべき季節が雨期なんですよねえ……そう考えると切ないが、でも、植物にとっては大事な季節なので、致し方ない。(^^;)
 夜になると、田んぼの方から蛙の声がそりゃーもーにぎやかに聞こえてきます。
 あの声を聞くと、まあ、雨期もないとなあ……という気持ちになるところがちょっと不思議。
 ちなみに、うちの近所の田んぼでは近年、鴨を見かけます。
 合鴨農法? と思ったんですがそういうわけでもないようで……たぶんあれは野良鴨……。
 彼らがあれほど悠長に田んぼで食事をし、くつろいでいるところをみると、農薬はそれほどキツくないということでしょうか。
 鴨のほか、白鷺、青鷺もよく見かけます。

       ●

 意地の悪いことは百も承知、しかしながら、「日本政府の言うことは信用できない。外国のいうことなら信用する」といっていた人々に、これってどうなのよと聞いてみたいと思った記事。
 アメリカのシンクタンク、へリテージ財団の、今回の原発事故に関する評価です。

元駐タイ大使・岡崎久彦 低レベル放射能それほど危険か
2011.6.22 03:19
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110622/dst11062203240004-n1.htm

 いずれにしても、反原発派の言説は幼稚に過ぎる。大阪府知事にしてからが、「そんなに安全だというなら原発の近くに住め」だと。
 これが政治家の言う言葉ですかね。

 これは実際に、原発が地元にあるという人々に対してあまりに配慮に欠けた発言ではないでしょうかね。よく抗議されないものだと思って聞きました。
 橋下さんは悪い人ではないのでしょうが、どうもこの種の幼稚さがときどき、本気で気になります。

 政治家のみならず、現在は、大人たちがまともな言葉を使えないでいる場面が多いように感じます。
 言いたいことをきちんという、ということが大事なのに、「自分が主張したいこと」ではなく「自分の感情」を露出しているだけなんですよね。
 子どもっぽいなあと思います。

 自分がいちばんやりたいこと、もしくはすべきことはなんなのか。
「主張」をしたいのか。それとも「感情をぶつけたい」だけなのか。
 後者であるなら私はまともに付き合う気はありません。

 政治というのはいずれにしても、「利益」を誘導し守るというのがその役目なんですよね。
 なのに、そういうことより「私は怒っている!」みたいなことばかり言いあって喧嘩しているようでは――。
 付き合いきれませんよそりゃもう。(^^;)

 利益の追求とその保護を実現するには、狡猾なまでに冷たい計算が必要で、そういう場面では脳味噌沸騰させていたら、冷たい計算なんかできるわけもない。
 困ったことには現在、そういうことがきちんとできる人がなかなか見当たらないように思います。

 私が、目下のところでこれはと思って拝見しているのは宮城県の村井嘉浩知事です。
 少なくとも今まで拝見している中では、感情的になるのではなく(感情的になりたいことは、府知事なんぞ目じゃないほど、そりゃもう山盛りあるだろうと拝察しますがそれでも)、主張やその要求を、きっちりとした理知的な言葉で伝えているとお見受けしています。

(でも、震災直後からみるとお痩せになりましたね……被災地自治体の首長さんは、皆さん同じでしょうが)

 それ以外はまあ……国会は言うに及ばず、東京だろうが大阪だろうがうちの地元の静岡だろうがどこだろうがもう。(--;) ねえ。
 放射線は低レベルであればあるほどいいんですが(医療機器は別)、日本の大人たちの知的低レベルは、本当にもうちょっとどうにかなりませんかねえ……。

 
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スパゲティの「正しい」食べ方
2011年06月21日 (火) | 編集 |
 どうも菅さんというかたは、辞めろ辞めろと言われると、辞めたくないもんだからようやくマトモに仕事をする(ふりくらいはする)ようですね。
 ということは、やっぱり、辞めろ辞めろと言い続けなければならない、ってことですねえ。いいんじゃないですか続けてもらえばなんて言おうものなら、まーたわけわかんないこと言ってあらゆることが停滞するんでしょう。

 ………小学生の頃、夏休み最終日、真夜中過ぎても宿題やってたタイプじゃなかっただろうか。ということをつい想像してしまう。

 これで復興基本法が成立してよかったねえと思ったら……そのカナメの復興庁。すぐにでも組織されるのかと思ったら、「できるだけ早期に設置」って。
 できるだけ早期っていつだよ……。
 また「しっかりやる」「ちゃんとやる」って言うんですか;;
 どうしてこう、言うことがいちいち抽象的なんだろう。

 具体的な〆切がなかったら人間なかなかまともには動けないもんなので、無理矢理にでも具体的な期日を決めておくのが進行のコツなんですけど……。

       ●

 昨日ちょこっとお話ししました、男性ファッションについての塩野七生さんのエッセイはこちらでした。

男たちへ―フツウの男をフツウでない男にするための54章 (文春文庫)男たちへ―フツウの男をフツウでない男にするための54章 (文春文庫)
(1993/02)
塩野 七生

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 男性が読んでももちろん面白いとは思うのですが、参考になるかどうかは別でしょうね……。結局はあくまで女性の目から見た男性についてのお話なので。
 教養もあり趣味も高くて面白いが、伊丹十三さんの「女たちよ!」が、女性を背負って生きねばならぬ私には、あんまし参考にならんかったのと同じだろうと思われます……。

女たちよ! (新潮文庫)女たちよ! (新潮文庫)
(2005/03)
伊丹 十三

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 タイトルは「女たちよ」ですが、べつに女性にむかってセッキョーしているわけではなく(さすがにそんな内容だったら私は読まない)、あらゆることに関しての、伊丹さんの識見が示されるエッセイですが(「正しい」スパゲッティの作り方とか、「正しい」目玉焼きの食べ方とか)、ときおり、ちらりちらりと、女性にたいするご意見が出てきます。

 女性とは男性から見るとどうなのか、ということはわかりますが、だからって、「女性である自分はどうしようか」と考えるときの参考になりませんでした。(^^;)
(ゆえに、こーゆーことをいう男と添い遂げた宮本信子さんは、私から見るともう、女の中の女、光輝く女神様そのものに思えます)(ある意味人間じゃねえ;;)

 つまるところ、自分の人生を考えるのと、あくまで第3者として(無責任に)あれこれいうのとでは、所詮、立場が違う、ということですね。
「男たちへ」は面白いのですが、「無責任に勝手なことを言う」と、男性には感じられるところがあるだろう、と、私は逆の立場から推論しております。(^^;)

 しかし塩野七生さんの場合はそれもやむを得ないと思う――なんせ理想のタイプがユリウス=カエサルですもの……。
 人類の歴史の中でもほかに類型がないというくらいの、モノホンの英雄に、そこまで惚れ込んではいけないんですね………と、私などはこそっと考えていたりします。(^^;)

 ま、なんにしても、伊丹さんのエッセイは私の周囲にいる人間、大人たちは誰も示せない世界の扉を開けてみせてくれるものだったので。
 たまに、そういう「無責任な第3者の男性」の、じつに勝手なものいいに軽くイラッとすることはありましたが、でも、高校生だった私には良書でしたです。
 教養も見識もある大人の言うことでしたから、なるほど、という感じで。

 アメリカとヨーロッパの妙な感情的な対立や、アイルランドとイングランドの複雑さを身近なエピソードで示してくれたのは伊丹さんのエッセイでしたし。
 なにより、イタリアのスパゲッティの「正しい」作り方を知ったのもこの本からだったし(《イタメシ》が流行する以前の本です)、そのスパゲッティを食すのにスプーンを使うのは「邪道」だと知ったのも伊丹さんからでした。

 私はいまのところ、スパゲッティを頼んだら、フォークとともにスプーンが出てきたという店は1店しか知らないんですが――あれってアメリカ式なんだそうです。自分たちの「正統な」やりかたにプライドを持つイタリア人には不快がられることもあるそうです。
(ちなみに、ケチャップも下品だといって嫌われるらしい)

 それまで食事は手づかみで食べていたヨーロッパにおいて、初めてあのフォークというものを発明して導入したのはイタリアだそうですから、彼らがプライドを持つのは当然なのでしょう。
 テーブルマナーの勉強というと現在の我々はまずはフレンチのコース料理に連れて行かれますが、歴史的に見て本家本元はイタリア、ってことになるんでしょうね。
 ちなみに、ナプキンを膝の上に置く向きから、スープをいただくときのスプーンの使い方まで、イギリスとフランスは文字通り正反対のことをするので、なんとなく笑っちゃいます。

 ナプキンは二つ折りにして膝の上にのせますが、このとき、輪になっているほうを手前に置く、と習ったのはフランス式だったらしく。
 イギリス式は逆でして、輪は向こう側に置く。
 食事中、ナプキンの端をとってちょいちょいと口を拭いたりするのには、じつはイギリス式の方が便利だと私は感じました。
 自分が使うのはナプキンの端。それが手前に来ているほうがさっと取り上げやすいです。

 スプーンの動かし方は、手前から奥に向かって動かしてスープを掬うか、奥から手前へ向かうか、という違いがありますが、どっちがどっちだったか忘れた;;
 まあ、食べやすいと思う方でいいんではないかと。(イギリス人やフランス人が同席しているのではない限りは)

 また、スパゲッティの「正式な」食べ方というのも伊丹さん(の本)から教わったことでした。
 まずは、皿の上のスパゲッティは奥へそっとおしやり、手前にスペースをつくる。そこへ、フォークでもって、スパゲティ1、2本をそっとひきよせて、そのスペースのところで、心静かにフォークを回して巻き付ける。
 ほんの1、2本でいいのです。そうでないと巻ききれない。
 しかしもののはずみで、巻いている途中でほかのスパゲティがわっとからんできてしまうことがありますね。
 こういう場合は速やかにフォークを外し、また皿の奥へおしやり、あらためて、1、2本のみを引き出してやり直す。
 んだそうです。

 たしかにこの方法ならば、巻ききれないとか、なんとか巻けてもすんごい「太巻き」になって、あーんと大口開ける羽目になるとか、そういう事態を避けられます。
 スパゲティはほんの1、2本をとればよい。
 そうしますとすぐに巻き取れて、しかも、女性でも1口サイズくらいの量ですから、見苦しいことにならずにすっといただけます。

 日本人がよくやっている、途中まではスパゲティを巻いたけれども巻き取りきれず、結局、そのまま口の中に押し込んだあげく、口から数本のスパゲティを垂らして、歯で噛み切ったり、蕎麦のようにずずずっと吸い上げちゃったりというのは。
 日本国内ではべつにOKですが、本当にフォーマルな席に呼ばれちゃったときは、おやめになるほうがよろしいかと。

 とはいえ。
 蕎麦やうどんをすするのを、ひとつの「味覚」としてさえ愛している日本人としてはですね。
「いーじゃねえですかい、ずずっと音を立てて素早くすするのが粋ってもんじゃねえんですかい」
 くらいは言いたいんですけどねー。(^^;)

 郷に入っては郷に従え、は、万国共通の処世術であり「マナー」でもありますから……郷に入ったときのために、知識だけは持つことに致しましょう。

 とまあ、そんなこともこまごま書いてある「女たちよ!」。そしてそれと対をなすような「男たちへ」。
 知識と教養と識見と趣味の高さは保証します。
 私としては一読の価値あり、とおすすめしたい1冊です。
 
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オシャレ感性
2011年06月20日 (月) | 編集 |
 サーバーメンテナンスとかで挙動不審です;;
 ページが開けなかったりエントリーできなかったり;;
 告知によればすでにメンテナンスも終了しているはずなんですが……これ、毎度のことなんですよね、メンテナンスしたはずなのに、メンテ後の方が挙動不審てのは。
 なんのためのメンテなんだよ。(^^;)

       ●

 また不意にへんなことを申しますが。
 …………殿方のファッションというのは、なんかこう……気の毒ですよねえ…。

 聞けばいろいろ蘊蓄は語られるのですが、だからって、ぱっと見てわかるとか、ぱっと見たときに、アラすてきですねということがあんまりない……。
 色使いには限りがあるようにみえ、また、女性のファッションと違って、形状の大きな変化もない……。

 てなことをつい考えちゃったのは、昨夜、EXILEの番組を見ながらでした。
 ピンクレディはやはりすごかった。(^^;)
 どういえばいいんでしょうか、………「見る人を引き込む」「見る人を楽しませる」意識が本当に高いんだな、というのを感じたんですよね。

 こう言ってはファンの方にぶん殴られるでしょうが、ひるがえって、番組ホスト――EXILEの皆様は、男性であることを差し引いても、やっぱり、その「外観」は、ちょっと「見る楽しみ」がないかな………と感じてしまいまして。
(もちろんダンスは別です。ただ、こう、ふつうに話しているときの、ぱっと見たときの画面の印象として、ということで)

 それでなくても男性ファッションというのはバリエーションが少なくて「見る楽しさ」があんまりないというのに、なにも全員で黒尽くめにしなくてもいいんじゃないだろうか……と思ってしまいました。
 黒なら黒でいいんだけれども、黒という色が持つ魅力、――高い硬度、威厳、気品、といったものが活かされているわけでもなく。

 じっさい、黒の衣装というのは、汚れが目立ちにくくていいよねというものでは、実はなくて、それをまとう人の印象を強め、品位や威厳でぐっと「引き上げる」パワーを持つものなんですよね。

 たぶん、男性ファッションというのは、装飾性は高くない。シンプル、といえるんでしょう。
 シンプルである故に、色をどう使うかということが、通常人々に認識されている以上に大事なことであり――難しいことでもあるのでは。
 と思って拝見してました。

 塩野七生さんのエッセイは、その趣味の高さ、感性の鋭さなどが大好きなんですが――男に伊丹十三あれば女に塩野七生あり、という感じで――そのエッセイにはけっこう、男性ファッションのこともとりあげられます。

 出典が思い出せなくて申し訳ないのですが、ヨーロッパファッション対決とでもいうエッセイが印象に残っております。
 イタリア人の医師と、イギリス人女性医師の結婚式に参列したときのものですが。
 その圧倒的な、イギリス人男性のファッションの洗練された美しさの描写には、へえ~と感心して拝読したものでございます。

 が。 
 しかしその美しさに気づくのには、じつは、見るひとにも相当の観察眼と感性が必要とされることもわかる描写でした。
 フォーマルですから外見的には「定型」がある。しかしその定型の中で、タイの形や色、デザイン、カフスボタンの使い方にいたるまで、………それはすてきなんだろうけれど、ぼけーっとしていたら全然気がつかないこまやかさ。

 男性ファッションは気の毒だなあ…と思った一章ではありました。
 それだけ凝っていても、あんまりひとさまの目にはつかない――ついても気づいてもらいにくい。とは。

 しかしこれは女性の側にも問題があるのかもしれませんよ。
 数は少ないかもしれないけれどやはり、ファッションに凝ってみたい、オシャレな男性というのはいるものなんで、そういう人を見つけたら、すばやく気がついて「すてきですね」と伝えてあげなければ、男性だってツマラナイから、だんだん、どーでもいーよーな気分になって、それで、わりと投げやりな外見になっていくのかもしれません。

 オシャレ好きな人を見つけたら、それにすばやく目を留める、そういう感性が、女性にもじつは求められているのではないだろうか。と。
 そのエッセイを思い出すたび、ちらっと考えます。

 女性同士だと、そのファッションにはすんごい鋭敏に反応しますが――意外と男性ファッションにはそうでもない、というところはないでしょうか。

 ちょっとすてきなカフスボタンを使っているとか、よくお似合いのタイを着用しているとか、シャツの形がよく似合っているとか、――そういう細かいところにもピピッと反応できる感性の女性が増えたらいいのかも。
 そんなふうにも思います。

 目立たないところにこそ、オシャレ心と感性を。
 むしろ、そういうものは女性より男性ファッションのほうが、「効いて」いるのかもしれませんね。
 
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「放射能汚染から命を守る最強の知恵」
2011年06月19日 (日) | 編集 |
 先日ちょこっとリンクを張ってご紹介しました本。
 在庫切れで2、3週間はかかるということでのんびりしておりましたが、昨日、届きました。

放射能汚染から命を守る最強の知恵―玄米、天然味噌、天然塩で長崎の爆心地でも生き残った70名放射能汚染から命を守る最強の知恵―玄米、天然味噌、天然塩で長崎の爆心地でも生き残った70名
(2011/04/28)
阿部 一理、堀田 忠弘 他

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 長崎に原爆が投下されたとき、爆心地から1.4kmというところにある病院で、そのスタッフと患者さんが、明らかに原爆症という症状を現しながらも克服して生き延びた。
 その実例から明かされていく、「放射線から身を守る食事」のお話。

 爆心地からそういう至近距離にありながら、秋月医師の指導のもとに、70名は確実に生き延びた。
 秋月医師は、自分自身が、生まれつきの心臓病を、「食養生」で「治した」経験があり、もちろん効果に確信があったわけではないけれども、被爆しつつも生き延びるために、その「食養生」を指示した。
 玄米を、天然塩をたっぷりつけておにぎりにし、梅干し、若布、味噌を使った料理。砂糖は絶対に摂らない。
 これだけで、原爆症とわかる症状を、医師やスタッフたちも自覚しながらも乗り越えた、とのこと。

 そんな馬鹿な、というでしょうか。しかし広島でも、9歳のときに被爆しながらも、――こちらは偶然ではありますが、秋月医師の食養生に近い食事をとっていた女性が、ひどいケロイドも治し、あまつさえ、結婚して7人の、まったく健康な子どもを産んだという実例もあげられています。

 ちなみに、長崎の秋月医師は、病院敷地内の野菜も味噌漬けなどにしながら食べていたというのですね。爆心地から1.4 kmですから、当然その野菜も放射性物質を浴びていたはずですが、それでも、食品からの放射線の影響より、「食養生」の効果の方が上回ったということになります。

 詳しいことは本書を読んでいただくのがいちばんですが。
 簡単に言っちゃうと、「栄養価のある玄米食、質のいい天然塩でミネラルを補充、伝統的な漬け物で酵素をとり、野菜を食べ、味噌やしょうゆ、酢といったものでさらに酵素を補強する」という――まさに日本の伝統食を「徹底」することで、放射性物質の害から身を守れるということです。

 印象深いのは白砂糖の害。
 同じような食養生をしている人でも、甘い菓子を食べた人はみるみる悪くなっていったというのですね。
 精白されて栄養のない白砂糖の害は、私もこれまでさんざん聞いてきたのですが、あらためて、食養生と比較して聞いてみると、白砂糖は「毒」でしかない、ということがわかってきます。

 マクロビオティック、ローフード、酵素、そして秋月先生の「食養生」。
 きっかけやアプローチは違いますが、すべて、同じ結論にたどりつく。
 ということは、その結論は信頼できるということでしょう。

 そういう目で現代日本人の食事を見ますと――いや恐ろしい。
 こんな食生活をしていながら、ごくごく低レベルの放射性物質にガタガタ抜かすなどとは、……措きやがれ、と言いたくもなりますよ。
 自分で自分の体に毒を盛っているのに、じつはそれほどの害はないものについては「人殺し」などと刺激的な言葉を使って罵倒するとは。

 とはいえ。
 当時の食事は、食品自体に栄養価があったし、また、現在みたいに化学物質漬けではなかったから、当時と同じ食事にしてみても、内容はまったく違ったものになる、というのがちょっと切ない。

 それでも、コーラなどの清涼飲料水をがぶ飲みしているのならそれをやめ、食事のたびに漬け物やおみおつけをとり、肉や魚の量を減らし、また、甘い菓子を控えてそのかわりに生の野菜や果物を食べる、というだけでも、「毒の漬け物」状態になっている現代人には、その効果が見えてくると思います。

 玄米食でひとつ注意があるのは。
 ……何を隠そううちも、20数年前にその玄米食に取り組んだのですが、全員、胃をおかしくしてしまい、どうも玄米は合わないようだといってやめておりました。それで現在は雑穀を白米にまぜているのですが。

 じつは、玄米は、そのままの状態のときでは殻の部分に毒になってしまう物質があるそうです。アブシジン酸、フィチン酸です。
 しかしこれらの物質は、一晩、玄米を水につけて「発芽モード」にすると消えてしまうんだそうで。

 ということで、玄米を食べるときは、洗ってすぐに炊くのではなく、前の晩のうちに洗ってそのまま水に漬けておく。それから翌朝に炊く、というのが本来の食べ方だそうで。
 昔の人にとっては超・常識だったことが、すでに我々には失われているということですね。聞いてみればなんてことはない話なんだけど、うちも、その間違った食べ方で胃を傷め、「玄米は向いてない」と言っていたのでした。

 いずれにしても詳細は本を読んでいただきたい。

 小さい子どもさんを持つお母さんは、武田某なんぞのいうことを聞いて不安におちいってないで、この本を読んでいただきたい。
 放射性物質とのおつきあいは、今後もつづいていくと考えるならなおさらです。

 で――じつは、放射能問題とはまったく別に、現代人はしかし、こういう食事を取り戻した方がいい、と、切実に思います。
 
 あのアメリカにおいてさえ、こういう考え方の組織がある。

ガン、心臓病をはじめ多くの病気が増えている。そして進歩したとされるアメリカの医学を活用し、しかも巨額の医療費がつぎ込まれているのに、アメリカ国民は病気ばかり増えてますます不健康になるばかりだ

 医学は進歩しているのに、なぜこんなことになるのか。なにが原因なのか。どうすればいいのか。

 2年もの徹底調査の末、発表されたマクガバン・レポートの結論は、「食事」でした。

葬られた「第二のマクガバン報告」(上巻)葬られた「第二のマクガバン報告」(上巻)
(2009/12/16)
T・コリン・キャンベル、トーマス・M・キャンベル 他

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 莫大な医療費を使うような、大病をしないための食事のガイドラインについてはやはり本文を読んでいただくことにして。

 医食同源と申しますが、それは、我々が考えているよりよほど大事なことなんだな、というのが私の結論です。

 私どもはもっと、人の体がもつ「生命力」を信頼していいと思うんですよね。
 放射性物質怖い怖いで思考停止している場合じゃない。
 急性症状で死ぬような場面に、我々はいるわけじゃない。爆心地から1.4 kmなんてところにいたわけではない。
 もっと体のもつ生命力を信頼し、その力を引き出すようにしてあげればいい。

 いってみればいままでの食事というのは食事というのにも値しない、「毎日ひたすら自分で自分に毒を盛る」行為だったとさえ言えるのではないでしょうか。
 
 とはいえ現在は、味噌醤油にさえ、化学物質が存在しているというあたりが、頭が痛いところなんですが。
 しかし極端な話、白砂糖をいっさい断つだけでも、体に盛られる毒を減らせるわけなんで。

 放射性物質の問題だけではなく、もういいかげん、いままでの毒を盛る食事を、国民全体で意識を変えてあらためる。
 そういう時期にきたのではないかと思います。

 ………私もそういえば、白砂糖は煮物などには使わないし(さとうきび糖使用)、漬け物大好きだし、酵素とローフードもできる範囲で取り入れてやってますが。
 もうあと一歩踏み込むなら、「甘いお菓子を減らす」ことですかね。

 お菓子を減らしたそのぶん、果物、ドライフルーツ(好き♪)、できれば食塩を使ってないナッツ類、あとは、そばクレープにメイプルシロップ(美味しいよんv)あたりを増やせばいいかな。

 白砂糖は真菌や細菌のエサになる。このへんの怖いメカニズムもご一読いただきたい。

 ――食べるものは、すなわちあなた自身です。
 といわれてドキッとしたことがありますが――やはり、そういうことなのでしょう。
 食事を変えれば運命も変わる。
 現状に不満があり未来が不安だというなら、食事を本気で変えることを考えていいんじゃないかと思います。
 
 食事がかわると性格も変わる。芥川龍之介は「性格が運命をつくる」といったが、であるならば、食事が運命を作るということになるし――食事を変える意味が見えてくる。
 そう思います。

 放射能ヒステリーにはぜひ読んでほしい本だけど、不思議と、そういう人に限ってこういうものに触れたがらないんですよね。(^^;)
 つまり、自分で好き好んでヒスっている、ってことになる。
 自分が好きで不安に陥ってて、不安でいる自分を「楽しんで」いるんだから、いちいち他人のせいにすることはないのにな~。

 放射線被曝の問題がなくとも、日本人はその食事を見直すべき状況にある、ということには変わらない。
 そう思って読了しました。

日本を放射線被曝から守る会
http://www.j-r-p.org/index.html
 
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計算例
2011年06月18日 (土) | 編集 |
 昨日、反原発派は頭がいいんだろうから、デモなんかやってないで、人々がちゃんとその主張に耳を貸すような、現実的なアプローチを見せたら、てなことを書きました。
 そうしましたら――やっぱり世の中偉い人はいるものでして、ちゃんとその試算をできる範囲で実行している方がいらっしゃったのでした。
(B様、ありがとうございます~。(^^) またメールしますね!)

「恐るべきさぬきうどん」でおなじみ、「麺通団」団長さまのブログにて、その計算が。

恐るべきさぬきうどん―麺地巡礼の巻 (新潮文庫)恐るべきさぬきうどん―麺地巡礼の巻 (新潮文庫)
(2003/04)
麺通団

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 ……やっぱりあれだ……「現実」を生きる人間には気になりますし、素人の限界は感じながらも計算してみたくなるのが人情ですよね。(^^;)
 そういう人情がいっさい、まったく、カケラもないで、ただ妄想をわあわあ騒ぐ人を見れば、そりゃあ「連中、ホントにホモ=サピエンスなんか?」と疑惑の目を向けたくもなろうってもんですわ。

 ということで、そのブログエントリ。

2011年5月26日
http://www.mentsu-dan.com/diary/bn2011_05.html

 いやあ、こんな数字が出るとわかっていたら、いかに厚顔無恥な民主党といえども、「国際公約」なんかいきなりやらないだろうと思えるのですが、そうでもないか。「二酸化炭素削減25%」を、いきなり、なんの根回しもなく、そもそも根拠もなくぶちあげて、日本国民を顔面蒼白ならしめた「実績」もあるしなー。

 なんにしてもこの記事………ちょっとソフトバンクの孫社長にもご覧になっていただきたい。
 頭のいい方ですから(なんでしょうもちろん)もしかしたら別の計算をしているのかもしれませんが……なんにしても、ちょっとすごいわ。
 200兆円て。
 ………いくら? ( ・_・;)
(↑その昔、自民党の故・金丸信氏の自宅から、不正な現金5億円が見つかったという事件の報に接し、
『自宅の、紙袋なんかに無造作に札束が入ってたんだってさ。5億円。すごいよねえ………5おくえんて、いくらだろう』
 などと寝言をいったところ、経理にいる後輩の女の子に、
『水原さん。5億円というのはですね、一円玉が5億個なんです』
『ほお~。そいつぁ豪気だ』
 というわけわからん会話をした実績あり。
 ……ホントに数字に弱い;;)

 ちなみに、「地球温暖化の原因は(従来言われてきた)二酸化炭素ではない」ということについては、私は判断できないので態度保留とさせていただきます。(^^;)

 かつてオゾンホールについてもあれこれ言われつつ、それでも(主要国では)フロンガスをやめたら、なくなりゃしないがオゾンホールも小さくなったことだし。

オゾンホールの経年変化(気象庁)
http://www.data.kishou.go.jp/obs-env/ozonehp/diag_o3hole.html
 
 フロン規制はできたけど、まだオゾン層を破壊する物質は高濃度で存在する……か。
 じつは、オゾンホールをなくしたいなら、航空機を飛ばさないことがいちばんだという話を聞いたこともあるんですよね;;
 どうしたものやら。

 まあそういうわけで、二酸化炭素が地球温暖化の「主犯」ではないにしろ、だからって垂れ流しがOKとも思えない……ということで、私としては態度保留です。(^^;)
 温暖化云々はともあれ、オゾンホールの害は無視できない。

 再生可能エネルギーって簡単にいうけどね。
 現実はそんなに甘くない。

 とはいえ私は、原発はエネルギー転換の「過渡期」のものととらえるべきじゃないか、という考え方を、少なくともいまのところは、変える気はないんですけども。
 
 日本においては地熱発電が、その発電量を考えるとかなり有効と思われるのですが、これはこれで立地条件が厳しいようで……。うーむ。
 電力自由化という社会制度の問題も含め、みんなで「冷静に」知恵を出し合うのが本筋ってもんだと思っとります。
 
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