ひとまずのんびり…
2011年04月30日 (土) | 編集 |
 ゴールデンウィーク突入致しました。皆様いかがおすごしでしょうか。

 昨日はすばらしい晴天。夜にはロイヤルウェディングを見てうっとり。
 なかなかいい感じのお休みになっています。

 フィギュアスケートですが、これはもうねー。残念ですねー。競技の面白さを運営組織自らが貶めているわけなので、もう言葉もありません。
 とくにチンクワンタISU(国際スケート連盟)会長!(ちなみにイタリア人)
 ふざけんなよ

 高橋大輔選手のスケート靴のトラブルのとき、そりゃあ嬉しそうに笑っている場面が国際放送されたぞ。
 
 高橋大輔選手のスケート靴、――靴には、氷面を滑るブレードがついていますね。ブレードを固定するビスが、なんと競技中に取れてしまったんですね。
 最初は怪我をしたのかと思って息も止まる思いでしたが、ブレード(エッジ)が外れるという、ちょっと考えられないトラブル。
 いちおう応急処置はできるのですが制限時間があり、トレーナーが必死になってビスをドライバーで締めている、そのしぐさを真似て笑っていやがったのですよ野郎は。
 あんなんが会長ですからね。ISUがいろいろボロボロなのには納得です。

 ところで、あのトラブルですが、高橋選手によれば、「ビスの締まり具合は毎晩確認していて、前夜も異常はなかった。今まで試合では一度もなかった」とのこと。
 私としては司直によって調べてほしいと思いました。(……でもロシアだからな…;;)

 過去にもロシアでは、日本選手、スタッフが全員、原因不明の腹痛に見舞われたこともありましたしね。
 高橋選手のスケート靴についても、その管理している時間にどこか「穴」はなかったか、チェックしてほしいと思います。
 悪いけど私は疑ってますよ。

 これですからねえ。あの整合性のとれないスコア、なんの不思議もないですよ。
 フィギュアスケートは、もはやその組織が、組織の体をなしていないと思っていいです。
 このまま放置しているとスポーツ競技として衰退していく可能性があるのですが……そんなこと、あの連中が気にするわけもないですね。

 ただ、各選手の演技自体は素晴らしいので、ツイッターで見た「フィギュアスケートの楽しみ方」を、私もできるだけ、踏襲したいと思います。
 曰く、

「フィギュアスケート観戦の楽しみ方」
 (1)点数を気にしない
 (2)順位を気にしない
 (3)フジテレビで見ない

 (3)は無理なんです残念ながら;; スカパーですか、まともに放送しているところは。

      ●

 ロイヤルウェディングは、じつに30年ぶりのイギリスでしたが、やっぱり見ていてもいいもんですねえ。(^^)
 亡きダイアナ元妃のときはずいぶん晴れやかなイメージでしたが、今回は、地味というより、家庭的な雰囲気で、いいんじゃないかと思いました。
 馬車のバレードはすてきですね。日本の皇室も馬車をもっているので、東宮殿下のご成婚の折りにはやはり、馬車でバレードしてほしかったなーと今更ながら思ってみたり。

 日本で次ぎにロイヤルウェディングが見られるのは、何年後になるでしょう。
 現行のままいきますと、秋篠宮さまの悠仁親王殿下ということになるわけですが、現在4歳。
 ………殿下のご成婚の日まで私は生きていられるだろうか。(^^;)
 ぜひ、がんばりたいとは思っておりますが;;
 
      ●

 宿泊予約をしているホテルから、1週間前の予約確認メールが来ました。
 そうか~。来週の今日はもう、大阪にいくのね! とあらためて思いました。
 月をまたぐと、じっさいは1週間なのに、もっと期間があるように錯覚しちゃいますね。(^^ゞ
 4日のスパコミ、そして来週の大阪……楽しみですv 
 
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七七日
2011年04月29日 (金) | 編集 |
 東日本大震災の発生より、本日四十九日を数えます。

 法要というのはその忌日(きにち)のちょっとまえに行うのである、という話も聞いたんですが……そうなんですか。(^^ゞ
 私もこれまで七日ごとに(自己流)読経をしておりましたが……法要ってほどじゃないからいいかな;;
 そんなわけで今日はひとつの区切りの、四十九日です。

 昭和の日だし、イギリスはロイヤルウェディングの日だし……。
 でもって、特異日でもあるとおり、今日は本当にいいお天気です。

      ●

 中部大学の武田邦彦教授は少し暴走していませんか?

 そのブログで、いわき市が学校給食に福島県産の野菜、牛乳を用いるとすることに、例によってあのヒステリーを起こした決めつけ記事を書いているのですが。

http://news.livedoor.com/article/detail/5519865/

(4/30 追記。不都合があったとかで、上記の記事、私が見たときとは内容がほぼ一変しています。どこがどう不都合だったか、訂正の告知も謝罪もない。卑怯者。……原文をコピーしてとっておけばよかった

 どこをどう探してもそのニュースソースが見つかりません。

 ツイッターでは、市に尋ねたところ、そういう話はない、との答えだったというものがありました。
 福島県の方のツイッターですね。

http://twitter.com/#!/r3o14

 デマじゃないんですか、先生。

 だいたい、福島県産たって、それじゃあ現在、福島県の方はなにを食べていらっしゃるので?
 武田先生の言うことがもしも「デマ」であったら、これは名誉毀損になるのではないですか。

 暫定規制値については議論があるのはわかりますが、はっきりいいますがたとえばEUの基準値というのは日本のそれよりむしろゆるい。じゃあ、ヨーローッパ産の食品はいっさい食べないとおっしゃるのですか。

 ことここにいたって「放射線量ゼロ」の生活はできません。というか、ハナっからそんなもんはできません。
 私はもうさすがに頭にきました。

 市場にあるものは暫定規制値を下回っているし、ヘタしたら(?)線量ゼロだし、また福島県産のみの話でもありません。
 ことここにいたっては我々は、よーするに「放射能と共存」していくという考え方にシフトせざるを得ないわけだし、健康被害についてはいずれにしても「絶対」ということはありません。
 絶対安全とはいえないのと同様、絶対危険とも、科学的立場からは言えないはずです。

 子どもを人質にとった言論を展開し、ひとを脅迫しているのは武田さんの方ではないのでしょうか。
 いわき市はこの点を明らかにし、ことと次第によってはきちんと法的措置を講じるべきでしょうね。
 かりに学校給食に地元の食品を使用するとして、そのことのどこに問題があるのか。武田先生のいうことがどこまで通用するか、考えるまでもないことでしょう。

 まったく、なにが専門家だよ科学者だよ。
 世の中のなにに恨みがあるか知らないけど、自分個人の怨念をまきちらすために、右も左もわからない市民を脅して、右往左往と走らせて、なにがそんなに嬉しいのか。

 専門家なら専門家らしく、放射能との「付き合い方」を述べて、今後必要となる水質や土壌の浄化について、市民が安心できるような情報を(一時的には厳しいことになっても、大事なのは結果なので)広めるくらいはしたらどうなのか。
 
 またこういう人のいうことをいちいちいちいち真に受けて「バッシングしよう」という、犯罪を呼びかけるツイートも見てしまい。
 さすがに頭にきてます。

 先日は、南相馬市から避難を余儀なくされ、友達とも離ればなれになってしまった中学生たちが、大人はもうダメだみたいなことをいうけれど、何年かかっても何十年かかっても、私たちは必ず帰る、と互いに誓い合って別れた、という話を目にしました。
 
 情けない。本当に日本の大人って情けない。
 武田先生はこういう子どもたちに向かってはなんと言うのか。彼らにまた恐怖と不安とを背負わせて、絶望させて喜ぶのか。

 こういう子どもたちのために、まさに、何十年かかろうとも、必ず、この被害を克服しよう、みんなで帰ろう、と、はっきり述べて働く。それがいま、大人がするべきことでしょう。
 健康被害については議論したって無駄です。はっきりしたデータがとれる数値は限られています。その数値以下については結局「見解」しかない。
 だれも「絶対」のことは言えない。
 
 ただ、日本よりゆるい基準でやってきたEUでは、特に食品の放射線による被害は報告されていないとだけはわかっているはずです。
 それさえ疑うのはもう疑心暗鬼という、その人自身の問題であって、事実関係ではない。

 そんなに怖ければ防護服を着込んで飲まず食わずでいるがいい。栄養点滴があれば生命維持はできる。
 他人に恐怖と不安ばかりをあおるようなことしかできないなら、ぜひそうなさるといい。

 人間は長らえるためだけに生きる動物ではない。

 状況は確かに厳しい。けれども、それに怖じ気づいていてはなにもできない。そのことがぜんぜんわかってない、ということに、いい加減、腹が立ってきましたよ。
 あなたはいったい、なんのために生きようとしているのか。ただ生き延びるために生きてさえいられればいいのか。

 とにかく、例によってツイートでくだらないことを拡散しているひとは、ツイートの前に、いわき市の給食については事実関係をきちんと洗ってからにしてほしい。名誉毀損(の危険性)の片棒を担ぐことはありません。
 昔から、ナントカとはさみは使いよう、と言いましてね。
 自分を大事にして、そのナントカにならないようにしてください。

 やっぱりこういうとき、厳しいけれども冷静なことをいってくれる人って限られてるなあ……という櫻井よしこさんの記事です。

チェルノブイリの教訓に学ぶ放射性物質不拡散の重要性
http://yoshiko-sakurai.jp/index.php/2011/04/23/「%E3%80%80チェルノブイリの教訓に学ぶ放射性物質の不/

 本文中、当時の、胎児への影響について言及があります。

 健康被害について心配なひとは、放射線量よりも、喫煙の習慣、栄養状態、生活習慣、飲酒、食品に含まれる化学添加物にじゅーぶんに気をつけるほうがいいでしょう。
 癌の原因は結局は複合的なものですから。

 今日のところはあまりにも頭にきてしまい、本当に支離滅裂なことになって申し訳ありません。m(_ _)m
 
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オタクをして語らしむべし
2011年04月28日 (木) | 編集 |
 またしてもよそさまから話題を引っ張ってきてしまいます。(^^ゞ
 誤訳御免。様の記事で「ボーイフレンドにするならなにオタク?」という、20代女性に行われたアンケートの結果と、それに対する外国人の皆様の反応がとりあげられていて、面白いのですが。

 そういやあ昔はそんな話をしたこともあったっけなあと思い出しました。

 私のオタク仲間である友人ふたりは、「結婚するなら一般人」と主張しておりました。オタクは却下という意味ですね。ふたりとも、じっさいそのとおりにしたところはエラい(かもしれない)。
 私個人はそういうことを具体的にイメージできるほど結婚願望がなかったので、話を聞いても「へー」という以外にリアクションができませんでしたが。(自分は、結婚願望を語れるようなマトモな人間じゃない――そんな生意気なことをいう資格はないという、悲しい思いがありましたので;;)

 このアンケートは「仮にボーイフレンドにするなら何オタクか」という質問であり、「オタクをボーイフレンドにしたいか」という質問ではないので、また状況は違うのかもしれませんが、なんにしても、「オタクはイヤ!」という意見ではないところが、「時代の変化なのだろうか」としみじみ思ってみたりして。(^^;)

 これ、もしも仮に、オタクと結婚するのはアリか、という質問をした場合、どんな結果になるんでしょうね。
 意外と現在の若い女性はさばけているかもしれない、と思ったんですがどうなんでしょう。

 私はオタクにはさしてネガティブなイメージがないもんですから、友人が、なぜオタクを却下としたのかはわかりません;;
 私はむしろ、一般男性のほうがはるかに「つまらない」と思わされることが多かったので、べつにオタクは却下じゃなかったんですけども、なにかを見落としているのでしょうか? (^^;)
 
 それにしてもオタクと言ってもジャンルが増えましたねえ。
 映画オタク、音楽オタク、健康オタク、家電にアニメ。
 ほかにもいろいろあるんだろうな。(^^;)

 私自身はアニメも好きだし、自分自身があきらかにオタク気質を持っている(好きなものには異常な集中力を発揮する、好きのボルテージが並以上、妄想癖がある、好きを『極める』傾向がある等)ので、理解不能ではないし。
 いつぞや書きましたように、「好き」に自分を傾注する人というのは、語らせると、熱いし愛があるしで、聞いているとなかなか楽しい。たとえ、私自身にはなんの話なんだかサッパリわからなくても、です。

 逆に、私がもっとも嫌って「つまらない」と思うのは、なるほどオタクみたいに知識も情報も豊富に持ってはいるが、それは、自分が好きだから、愛して愛して愛して止まぬ情熱があるからではなく、人に自分を認めさせる、「他人様にひけらかす」ためであり、断じて自分が好きだからという理由からではない。そういう場合。

 オタクと「ひけらかし」は、似て非なるものです。

 私もへんなところで気を使うタイプなので、本当はそういう、ひけらかし話には全然興味がなく、それどころか聞いているのが苦痛でさえあるのに、そうはいっても、この人、他人に感心されたくてこんだけ熱心に(知識情報を)集めて覚えて語ってるんだから、それを「つまらない」の一言で無下にもできまい、――などと思ってしまい、心にもなく、すごいですねえ、よく知ってますねえ、くわしいんですねえなどと感心したふうに言ってしまいました。

 今となってはそれも、「若かったことよのう」で終わりますが。
 ――あれ、あとからけっこう、自己嫌悪におちいるんですよね。だからそういうリアクションをやるの、やめました。(^^;)
 現在では、角が立たない程度に「興味ないです」を示すことにしてます。

 そういう点ではオタクというのは、語らせると「愛」があるだけ、面白いのです。
 情報リンク能力の高さというのもその特徴でして、情報や知識のリンクによって、また新たな側面を発見することになる。「深い」ってやつですね。そういう楽しさは私も理解できるから、聞いていて楽しめるのです。

「ひけらかし」にはこのリンクが生み出すイマジネーション(想像力)の深みってものがないからなあ……。そういっちゃうと身も蓋もないんだけど。

 ということで、私は兼ねてから、なにもそんなにオタクを嫌うことないじゃんか、と思ってきたので。
 いまどきのお嬢さん方が、じつはけっこうオタクに寛容になっている(かもしれない)、という話題は、心強く感じました。

 個人的には何オタクであろうと、その趣味を他人に強要しない、ひとさまに迷惑をかけないんだったらなんでもいいんじゃないでしょうか、と思います。
 飲む打つ買う、この3つは本当にどーしよーもないわけで、これらに比べたら、何オタクであろうとけっこうなことだと言えると思います。
(お若い方はこの表現、ご存知じゃないかもしれないので補足しますね。飲む=お酒、打つ=博打、買う=フーゾク の意味です)

 個人的には「家電オタク」さんがいてくれると、なにかと便利なのではないかと思うんですが。(^^;)
 いまどきの家電は限界まで便利になっているんじゃないかと思われるのですが、それだけに、いざ買おうとするとすっごい悩みますんで――そういうとき、指針と知識を示してくれる人がいたら、ありがたいだろうなあ、と、個人的には思う。
 ただ、自分が好きなものをこっちの都合も考えずに押し付けてくるようだと迷惑。

 オタクがOKか、そうでないかは、このへんで線引きされるのかもしれませんね。
 
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夏に、汗止め帯
2011年04月27日 (水) | 編集 |
 ふとカレンダーをみるともう4月も終わり、ごーるでんうぃーくとやら目前でございます。
 ………うへえ…;;
 なんかこう……ホントに怒濤の2ヶ月だったなあ……(遠い目)。

 もがいてもがいて、ふっと手足が軽くなったと思ったら、2ヶ月が過ぎていた、みたいな。
 今年は桜が狂い咲きしたせいもあって、なんだか、すべてが夢まぼろしにも思えます。
 ……今年は桜が咲いたんだっけ?(咲いたよ;;)(とっくに散って今日あたりは葉桜だけどな)

 少しはこの連休で息抜きをしたい。

 ということで、いまのところでは無事に、5/3、4のスーパーコミックシティは開催されるようすで、ホッとしています。
 でもつい先日までビッグサイトにも、避難してきた方がいらしたんですよね。
 なんにしても「日常」というものが本当にありがたく思われるこのごろです。

 で、スパコミと同じ週末には大阪に移動して5/8は大阪のイベント。
 こちらにいくのは年に1回なので、本当に楽しみです。(^^)

 今年は大阪にも着物きていきたいな~と思っているのですが、さて、どんなもんでしょうか。

 今年はなにしろ体調がけっこうえらいことになってしまって。
 でも、着物もきていきたいんだよね~。
 イベントは、きものを着て歩いていても「今日は何かあるんですか」とは絶対聞かれない、貴重な場所なので。

 そういえば、ときどき、着付を覚えて、きものを着たい、きものをきて出かける機会を作りたい、なんていうのをお見かけしますが。

 こういうイベントがあったら着物を着ていこう、なんていうと、意外にチャンスは少ないものです。
 そのへんに買い物にいくのでも、ちょっと時間に余裕があるなら、きもので行ってもいいと思いますよ。私は――ここ1年間はまったくできていませんが、以前はそれ、やってました。
 そうじゃないとなかなか、機会がないですもんね。(^^;)

 しかし、そういうときに悩ましいのは「今日は何かあるんですか」という質問。
 なにかないと着物を着ちゃいけないのかよ。としまいにはもう、面倒になってむくれてくるんですけど。

 きもの=特別な日、という、この鬱陶しい概念を打破するためにも、ぜひ、ふつーの買い物のときに着物、というのを実行してもらいたいと思います。
 ようするにお気に入りのワンピース着るくらいの感覚ですね。そうなりゃ、いちいち「何かあるのか」なんて聞かれることもなくなるでしょう。

 私もようやく、最近きもののことを思い出すようになりました。
 思い返せば去年の7月に、きものを着て出かけたのが最後。
 8月に父が入院してからは、喪服をのぞけば着物どころじゃなかったな~。

 今年の正月にきものを着ようかとちらっと思いましたが、不思議なもんで、どうもそういう気力がわかず、そのまま。
(成人式の着付と、講習会には行ってましたが、自分が着るというのはなかった)

 最近ようやく、「そういえば」と思い出してタンスを見てみたら。
 そこにしっかり残っているのは夏物ばかり。
「あー……そういや、衣替えとかしてないわ……」
 7月に出かけてそれっきりで、秋はもう本当にドタバタで……。
 完全に忘れてた…;;

       ●



 それで思い出したのがこちら。
 
 夏、着物を着ていると、不思議に顔には(あまり)汗をかかないというのは体験上わかっていたのです。
 どうやらそれは、腋の下をおさえると、汗が顔には出てこないという「ツボ」があるから、らしい。

 昔は、よく、ブラをきつめにしておくと、顔には汗が出にくくなるなんて言ってたのですが、それがとうとう商品化されたようで。(^^;)

 着物を着ると、胸ヒモ(使わない人もいる)、伊達締め(の上部分)、帯枕のヒモ(私はガーゼ愛用)、と、まあ、2、3本はこの脇のところにヒモがかかることになるので、それで汗止めになるんでしょうね。
 ことに帯枕を支えるヒモはかなりきっちり、結びます。
 ゆえに――ふつーの着物のときはそうでもないのに、なんで浴衣のときってこんなに顔に汗をかくんだろう、と思ってきたナゾが解けましたね。

 浴衣のときは通常、半幅帯を使って、帯枕はつかいませんから、いわば「汗止め帯」がない状態なんですね。

 暑い時期でも浴衣より、着物の方がきちんとできる感じがして、かえって涼しい気がすると思ってきたのですが、それはこういう理由によるらしい。

 ということで、この汗止め帯、たぶん効果はあると思います。
 ただし、汗が出にくいのは「顔」だけのはずです;;

 着物がそうですが、たとえ顔には汗がなくても、その分、胸から下がスゴいことになりますんで……。
 とにかく化粧崩れが困るという場合には、この汗止め帯、いいんじゃないかと思います。

 ただ。
 これ、胸の形は崩れますね;;

 何を隠そう私、着物を着た次の日は、絶対ファンデーションはロングブラです;
(着物で崩した分を、下から持ち上げて寄せておく………;;)

 悩ましいですよねえ。
 着物の理想体型は「ずん胴」ですが、洋服のときは凸凹が理想となりますから――正反対もいいところで。
 まあ、下着で工夫して対応して、なんとかすることにしましょう。(^^;)
 
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あいさつ返礼
2011年04月26日 (火) | 編集 |
 そういえば私、現在、服喪の身なんでございますが(……そういえばってアンタ;;)。
 学生時代からの友人には、あらためてびっくりさせられたことがありました。

 去年の暮れには、そういうわけで「年賀欠礼」のご挨拶状をあちこちに送りました。

 年賀状を「虚礼」といっていやがる方もいらっしゃるそうですが、私にとっては虚礼ではなく 「実礼」(←造語)なんで、服喪中とはいえ、やはり年賀状のないお正月というのは、ちと寂しいものでございます。
 そういうとき、年賀状というのではなく、松が取れてから寒中見舞いという形で送ってくださる方がおいでなのは、まことに嬉しいものでございます。(^^)
(お礼を言い損なっておりますが、B様、そのせつはありがとうございましたv)

 私も寒中見舞いで、というのはやったことあるんですが、
「こういう返礼もあるのか!」
 とびっくりしたことが。

 年賀欠礼のはがきを送ってから1週間後くらいかな、友人の一人からはがきがきまして。
 これ、なんと、服喪を知らせた返礼のお悔やみのはがきでした。

 なるほど、世の中にはこういう挨拶もあるのだ! と、……いやもう、私のみならず、親も祖父母世代でも見たこともないし聞いたこともなかったことで。
「丁寧だな~」
 と感心いたしました。

 欠礼の挨拶状をいただいたとき、年賀状も遠慮することになるし、なんかこう……手持ち無沙汰というのは適切な言い方じゃないですが、ぽっかりと、何かが空いてしまった、空虚感を感じてきたので――、なるほど、こういうふうに返礼(お悔やみ)もできるんだ! と。

 その文面、ご参考までにご紹介致します。

ご服喪中との由(よし)
  心よりお悔やみ申し上げます

 拝復 いただきましたおはがきで、ご服喪中の由を知り、驚いております。
  遅ればせながら、お悔やみ申し上げます。
  ご遺族の皆様にはお悲しみも深いことと拝察致します。
  来年は、皆様にとりましてよき年でありますよう心よりお祈り申し上げます。
      拝答  


 考えて見ると毎年、家族の誰かに欠礼の挨拶状というものはいただくことになるわけで、それに対して上記の通り、返礼するんですね、彼女。
 上記は印刷になってまして(プリンターで)、空白には手書き私信というはがきの形式。

 うーむ。
 これは私もぜひ、真似させてもらおう。
 と思いました。

 今回は遠方の友人で、ほとんど年賀状が年に一度の「まだ生きてるよ~」のお知らせになっている状態でしたが、もうちょっと近いところにいて、いちおう、服喪中であることは知っていた相手の場合には、それにあわせた文面に変更すればいいでしょう。

 欠礼の挨拶状をもらっても、なんかお見舞いを言いたいけどどういえばいいかわからない……とウロウロし、結局、年明けの寒中見舞いということになっていたのですが、これなら、すぐにでも返礼できます。
 なるほどね~と感心しました。
 教養というのはこういうところに出るのだな……。(^^;)

 年賀状を虚礼といやがる方は、こんな話を聞いてもうんざりなさるのでしょうが、私としては「そういう(返礼の)方法があるんだ!」と、びっくりだったし「いいこと聞いた」と嬉しくも思ったもんですから。

 人間て、なにかしたい気持ちはあるんだけど、どういえばいいか、どうすればいいかわからなくて、ということもあると思うんですよね。
 こういうときは慣例というものがありがたく思えるものなんですが、でも、べつに慣例はなくても、自分の気持ちに沿ったことができる「知恵」があるってすんばらしい、と思うわけです。

 まあ、一年大過なく、どなたにもなんのご不幸もないのがいちばんいいのですが、でも、お見舞いやお悔やみの気持ちを表したいけどどうしようなんてウロウロしてきた私としては「なるほど!」であり、「真似させてもらおう!」と思った、というお話でした。

 基本は「気持ち」なんだけど、その気持ちをどう表現するか、というのは、知恵と教養なんだなあと思った次第。
  
 
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私が同調しない理由
2011年04月24日 (日) | 編集 |
 結局、私自身も本来は「原発やめようよ」派でありながら、なんで、ただいまネット上で吹き荒れている「反原発派」の言論に与(くみ)しないかというと。
 
 一言で言うなら、「そのやりくちが気に入らない」からです。(^^;)

 まーったく、ここを先途とウルセエったらありゃしない。

 私としては、この事故が収束し、通常の日常へ戻っていったとき、現在の「原発アレルギー言論の流行」がどこまで継続するか、見ものだなーと、いささか意地悪い見方をしているのですが。
 どうやらそれは、反原発派も同じらしい。だからこんなに必死になっていろんな工作をしまくるんでしょうね。今のうちだ! という認識があるんでしょう。
 人々が放射能ヒステリーを起こしている、これは(利用する)いいチャンスだと。

 武田邦彦先生は、以前出版なさった本がまたここで大々的に売り出されるようで、印税が入るようでけっこうなことでございます。

 私自身も、原発は、技術ではなく運営する人間を信用できないので、――それでなくても日本人は突発的事態にたいする対応能力が高いとは言えないんだから、やめたほうがいいですよ~という考え方なんだけれども。

 人の不安や恐怖につけこんで、自分が望むように人や状況をコントロールしようというやりかたは、下の下だとしかいいようがない。
 昨日は、人はパニックに陥ると、いい大人でも3歳程度の知能レベルになる、というのを見かけましたが、さあて、3歳レベルもどうでしょう。
 これですもの。パニックをあおるといかに都合がいいか、おわかりでしょう。

 だから、そんなやり口は「下の下」だというのですよ。

 基本的に左巻きの発想は「正義であるなら、どんな汚い手段を用いても正当化されうる」というものだとは知っていましたが、なるほど今回の反原発言論もひどいものです。

 言っている内容が100%間違っているという意味ではない。
 しかし、「丸い卵も切りようで四角、ものは言いよで角が立つ」と申します通り、同じことをいうのでも、「こういう言いかたしたらまずいでしょ」ということがある。
 中国共産党の反日プロパガンダを見ればそのへんの「手法」は顕著でしょう。(あれはだいぶ、創作の率も高いですが)

 武田先生のおっしゃることに私が信用をおかないのはまさにその点にある。
 一般市民は(先生ほどには)具体的な知識がない。そして今の世の中、ご覧になればわかるとおりで人々は簡単にパニックになる。という、ふたつの条件がわかっているのに、
「できるだけ、人々を冷静にさせ、かつ、的確に情報を伝える」
 という配慮が、完全に欠如しているものを、あいかわらず書き散らしているからです。

 真のインテリなら、人々にわかりやすく、ということと同時に、やたらに不安や恐怖(と憎悪)をあおってはならないということも、それは当然の見識としてわきまえているはずです。
 そういう配慮がいっさいない。
 むしろその逆のことばかりやっている。
 確信犯じゃないのかという疑いを私は持っています。一見、一般市民にご親切そうな言い方をするだけタチが悪い。

「こんなことばっかりしつこく、すごいスピードで書き連ねて、いったいこの人は何が目的なのか」
 それが、ただいま、私が感じている不信感です。

 なるほど政府は信用ならないかもしれない。が、こういう言説で他人の不安をあおって状況をコントロールしようとする人も、私は信用できない。

 困るんですよねえ。ホントに。
 あんまり極端なことばかり言ってしまうと、本当にきちんと話しておくべきことにまで手が回らなくなってしまう。

 ということで、ようやく、「冷静」という言葉の意味を把握している記事がありました……と思ったらそれは櫻井よしこさんだったので。
「やっぱり、こういう人材って、ごくごく限られてしまうのだなあ」
 と、……申し訳ないけどガッカリしました;;
 まともな言説を述べることができる人って、じつはすごく限られているのではと思うと……。
 こんなに、星の数ほど言説はあるというのに、本当の意味で一読する価値があるものは………。

『週刊新潮』 2011年4月21日号
http://yoshiko-sakurai.jp/index.php/2011/04/21/「%E3%80%80最悪の原発事故、情報公開の徹底を%E3%80%80」/

 まあ、パニクるひとはこの記事でさえパニクるだろうけどさ……と思うと空しくなりますが。

 冷静、という言葉の「意味」を理解するのはそんなに難しいことなんだろうか。
 原発推進派であれ反対派であれ、そんな無闇に他人の思惑にのせられちゃう人生でいいんですかい――と私は言いたい;;

 ツイッターのタグ検索で集めたときの、リツイートの嵐のうっとうしいこと。
 あれを見ると「そんなに簡単に他人の言葉を真に受けていいのかね」と思うのです。
 ひとつのツイートに同意だという意味ならそれでもいいが、ならば、それを受けて、自分で考えた自分の言葉で言い直すくらいの作業はしてもいいんじゃないんですかね――「考える葦(あし)」の名折れにならないように。

 パスカルがこのありさま見たら泣くんじゃないのと思わざるをえないリツイートの嵐………。

 そういえば昨日の夕刊では、例の「超訳 ニーチェの言葉」の著者のインタビューがありました。
 そのなかで、「恐怖は自分の中にある」というニーチェのことばが紹介され、著者は、この言葉を被災者におくりたいと言ってましたが。
 私としては被災者ではなく、ひろく一般国民に知らせたいよと思いました。

 もちろん、ことあらためてそんなこと、言うまでもなくわかっているという人も、世の中には大勢いるのですが。(だから世の中、それでも、なんとかなってるんだよねえ)

超訳 ニーチェの言葉超訳 ニーチェの言葉
(2010/01/12)
白取 春彦

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自粛の心理
2011年04月23日 (土) | 編集 |
 日経新聞夕刊の、連載コラム欄「プロムナード」。現在の執筆者陣にさだまさしさんがいらっしゃいます。
 今回のコラムは、「東京の人」ということで――「がんばれ東京」ですね。

 さださんの、岩手にいるご友人に、「被災地からなにか言いたいことはある?」と聞いたら、「東京、元気出して」だったそうです。
 いわれてみれば、東京の方がいまはショックを受けているのかもとさださんはおっしゃる。
 あの自粛騒ぎを見ても、じつは東京こそが、いまはショック状態にあるのでは、という。

 自粛もねえ……。
 なにしろ、東北各地ではきちんと今年も桜祭りもやっているようですし、相馬野馬追い祭り仙台七夕祭りも開催するというではありませんか。
 それも軽々と開催するというのではなく――やはり、もろもろ難しい状況を抱えながら、それでも、勇気を持って前進する、そういう気合いで祭りを開催するという。

 それにひきかえ、べつだんハード面の障害もないというのに、しゅーんとしちゃって花見ひとつやらないというのは、いかにも意気地がないではないか。都知事に喧嘩を売るようで悪いですけど。

 自粛については、セルジオ越後さんが、そのブログで書いていらっしゃることが、本当だろうと思いました。

【特別寄稿】自粛ムードはナンセンス。倒れた人のぶんまで、周りが走らなければいけない - セルジオ越後
2011年04月21日16時35分
http://news.livedoor.com/article/detail/5507078/

 これが正論てもんだと思います。
 石原都知事もお年なんでしょうかねえ……、正直言ってああいう発言を聞いたときの私の反応は「意外だなー……」でした。
 もっとこう、前向きなことを言うかと思ってたのに、意外だねえ、と。

 私も震災直後くらいから、自粛なんてするな、働けるヤツは働け、遊ぶヤツは遊べ、そして金を落とせ、と書いておりましたが、あれはなんでそういったかというと、阪神淡路大震災のときの経験があったから。
 おもな被災地となった神戸は地域経済にとっては観光業が大きい。であるのに、多くの人々は被災地に「観光」にいくなんて……と自粛しちゃった。
 それじゃ困る、どんどん観光にきて! というご意見が神戸から出てきたとき、「あ、そうか。そうだよな」と思った。
 そういう経験があったからです。

 それなのに温泉宿キャンセル率90%って……。
 被災地を応援する気があるなら、交通手段があって、先方が営業しているならいきましょうよ。
 日本の力を信じてるとかいうなら、キャンセルなんていやがらせはしないでいきましょうよ。応援どころか足を引っ張ってるじゃないのよ。

 ………ゆえに、私より長生きしていて当然あの状況を見たはずの石原さんが、ああいうことを言うのは、私には意外だったのです。
 むしろ先頭切って観光にいくようにお薦めしたっていいくらいだと思ったんで。(^^;)

 自粛を強く主張する人の人数は、じつはそうは多くないらしいのですが、しかし、ネットではちらほらそういう人をお見かけしました。
 読んでてナルホドと思ったのは、以下のご意見を見たとき。

「いまはこういう状況なのに、花見なんて気分じゃないでしょう」

 ………「気分じゃない」のは、誰なんでしょう。

 問題点はそこです。

 それは「私の」「気分」ではありません。

(あたしなんぞはヒステリー世論にすっかり頭にきちゃって、ホントは地元、伊豆の温泉にいくつもりだったのを、福島の温泉に変更したくらいでございます。
 新幹線もがんばってるんだし「行けない」理由はない。
 この震災のおかげで伊豆の温泉も大打撃なんですが、……すみません今年は東北に行きます)

 被災地でもごらんのとおり、元気になろう、と顔を上げている。だれも「自粛」なんかしていない。
 ということは、被災地の「気分」でもありません。
 ならば、誰の気分か。
 自粛したいと言いはる、「その人」の気分です。

 それはそれでいいと思うんですよ。

 今回はあまりのことに、じっさい被災をしていない人でさえ精神的な衝撃が強く、ショックによる障害を訴える人がいるくらいですから、花を見ても、沈む心を感じるばかり、という人がいるのも当然だと思います。

 思いますが、それを他人のせいにしてはいけません。

 自分がショックを受けて、自分が気分が沈んでいて、自分が、花見どころの気持ちになれないのであって、そういう自分の気分を「これは被災者に対する思いやり」だなんて、「責任転嫁」をしてはいけません。
 こういうのだって、形態は違うけど責任転嫁の一種ですよ。

 花見をしたくないほど気分が落ち込んでいる。自分が落ち込んでいるとき、楽しげにしている他人を見るとむかっ腹が立ってくる、ということもあるでしょう。
 ならば、それは自分自身の感情の問題です。
 被災地を思いやることとは、まるっきり異質の問題です。
 本当は「気分が悪いのは自分」なのに、他人に向かって「こんなときに花見をするなんて馬鹿じゃねえの」という言い方をするから、いらぬ摩擦になってしまう。

 そういうことではないのか、と私は思いました。

 自分の問題を他人に転嫁しないことです。
 よーするに、他人が悪い、社会が悪い、政府が悪い、誰が悪い、なんて、いちいち言うなということです。
 それは本当は自分自身の問題なんですから。

 これほどの災害なんですから、じっさいに被災していなくてもショックを受けるのは当たり前です。
 気分が沈んでいるとき、無理に明るく振る舞おうというのも、また、精神衛生にはよくないことです。

 自粛したいという人を、だから、私は止めるつもりはありません。
 それが、その人にとって必要な「手当て」なら、可能な限り、静かな時間を過ごして心を癒してもらいたい。

 ただ、そのときに、自分の問題なのを他人に転嫁していると、いつまでたっても、そのショックは消えていきません。
 心の奥にいる「自分」は、手当てをされることを待っているのです。
 なのに、こんなときに花見とはけしからん、被災地を思え、などと、他人に理由をおっかぶせ、他人の非難ばかり言っていては、いつまでたっても、「自分」の手当てができません。
 傷ついている自分がほったらかしにされてしまいます。

 ショックを受けている自分をちゃんと手当てしてあげてほしいと思います。

 私は幸い、花見をうとましく思うところまでは落ち込まずに済んだので(不整脈は出たけど;;)、ほかのことにとりかかっていますけれども。
 ショックを受けた人は、自分の手当てをすることが、「いまの自分にできること。いま、自分がやるべきこと」だということを受け入れてほしいと思います。

 で、手当てをして回復したら、また元気になれますから、そのとき、またできることに取りかかればいい。

 それだけのことだと思うんですけどねえ……。

 いいことも悪いことも、あんまり、自分のことを差し置いて、他人が他人がと言わない方がいいと思うよ……というのが、私の見るところです。

 自分自身と、まず、対話しましょう。
 他人をあげつらうのではなく。

 そのように思います。
  

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夏の過ごし方
2011年04月22日 (金) | 編集 |
 今夏の節電方法として、東証が「自発的にサマータイム導入」だそうですが……。
 どーなんでしょうねサマータイム。(^^;)
 どなたかが書いていらしたように、私は「残業なしにするだけで節電」できるんじゃないかと思ってるんですけどねえ。日本の場合。
(あ、そうか、それだとピーク時の節電には寄与しませんね;; ごめんなさい;;)

 残業というのはあくまでイレギュラーの事態、だと思うんですが、それが常態化するって、やっぱりおかしいと思います。
 本当に残業しないと仕事が終わらないのか、という疑問がひとつと、もしもそうであるなら、それは明らかにマンパワーの不足を意味しているわけで、それはもう、経営に問題があるということですね。

 そのへん、これを機会に考え直すのも手ではないかと思います。

 あと、もうひとつ、ちらっと見かけて「それもいいかも」と思ったのは、「シエスタ導入」。
 真夏のクソ暑い時間帯は、シエスタつまりお昼寝タイムにしちゃって休むという。
 …………不便といえば不便なところもあるんですが。

 目が回りそうに暑い時間帯は基本、建物の中にいてゆっくり休むというのは、健康の面からいえば道理に適っているわけで。
 それでなくても夏の夜は寝苦しく、また、朝が早いから寝不足気味になってます。昼寝というのは医学からもお薦めされていること。
 
 その昔、夏の終わりにイタリアはローマへいきましたが、まさにそのシエスタはすげえシステムだと思いました。
 シエスタというか、基本、あちらは昼休みが長いんですよね…たしか。
 ヨーロッパで、日本みたいに昼休みは1時間しかないなんていったら労働争議になる、なんてことも聞くしな~。(^^;)

 そのローマ旅行中、とにかく正午から午後3時まで、美術館からなにから軒並み、休みになってしまうのには、日本人としては参りました;;
 広場の噴水のほとりでぼーっとしているとか、バールでぼーっとしているしかない。
 ……バールはとりあえず開いてたんですね…。あれでバールまで閉まっていたら本当にどうしようもないな;;

「2時間くらいならなんとかなるが、3時間つーのはつらいな~」
 というのが、ホントはあちこちをがんがん見て歩きたい観光客としての本音ではありましたが。

 ただ、ゆっくりと昼食をとり、ゆっくりお茶を飲み、ゆっくり昼寝をして、一日のうちでもっとも暑い時間帯をやりすごすというのは、健康のためにはいいことだ、とも思いました。

 私としてはサマータイムより、シエスタのほうが、日本の気候には「向いて」いるかと思いますが……さて、どうでしょうか。
 あ。無駄な残業はしないというのは「最低限の条件」てことで。

 私も夏の節電についてはあれこれ考えていますが、やっぱりアレですね…「家のなかのどこか一部屋に集合し、つかうエアコンは1台で」。
 エアコンを使わないのは、状況によっては熱中症をまねき、最悪の場合は節電よりも高くつくことになると思われる。

 節電のために、健康を損なう危険を冒す/命をかける必要はないと思います。つーか、それやっちゃうと節電の目的の本末転倒ですから;;

 ただ、もし停電になったらどーしよーかなーというのは頭が痛いところですね。
 涼しく過ごせる場所を、うちのネコたちは知っているらしいのですが、そこは人間には入れない場所だったりするから、参考にはならない…。(^^;)

 いちばんいいのは冷夏になることです……っていっちゃうと、ビールメーカーさん、海の家などは泣いちゃいますよね。うーん;;
 

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「カルバニア物語」
2011年04月20日 (水) | 編集 |
 ちょっとお久しぶり、まんがのお話。

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 カルバニアという架空の王国。この王国では、慣例を破って「女王」が誕生したばかり。
 いままで女性の王さまというのがいなかったので、いろんな慣例や慣習、それどころか装束ついてにさえ一悶着あったりして、本人も周囲も、それらのしがらみとの関係に奮闘中。……というのが物語の背景でしょうか。

 主人公はこの若き女王様(初登場のときはまだハイティーン)タニアと、彼女の幼なじみであり有能な(非公式な)側近、侯爵家令嬢エキュー。

 なんですが、このエキュー嬢が並の令嬢ではない。
 リボンの騎士を思い出すほど中身が男の子。
 ではあるけれども本人はちゃんとドレスをきてオシャレを楽しむこともできる女性らしさもあり、本人に言わせると、男らしいとか女らしいとかは知らん、ただ自分が自分でいるだけだという。

 じっくり考えるとこのエキュー嬢のキャラというのは、ちょっととらえどころがないところもあるのですが、でも、そこはじっくり考えない限りはべつに気にならない(笑)

 私も最初は、シンプルで可愛い絵柄だし、お伽噺ふうのファンタジーでもあるので、のんびり「かわいいな~」くらいで読んでいたのですが、意外とその人間ドラマは深く、葛藤をふくみ、外交問題、内政問題、経済問題を含めながら進行していくのですね。
 奥深いのですよ……けっこう。
 気がつくとかなり引き込まれていました。

 問題はどんなにややこしくても、それが現実ならば是非もないこと、ただ真っ正面から取り組んでいくまでのことだ、という、その覚悟と実践ぶりはすがすがしいです。

 エキューを見ていて思い出したのは、ナウシカに対する批判でした。

 ナウシカというキャラクターそのものに対する批判もしくは反感というのを、昔、見たことがありまして。

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 ナウシカというのは、美しい乙女であり、王女であり、少年のような気質も持ち、戦士であり、学者であり(研究テーマは《腐海と蟲の生態、その役割》ってところですかね)、「聖」なる人であり、同時に人殺しである(映画の冒頭部分に彼女の殺人が描かれる)。
 こんな支離滅裂な人格があるか! という批判を、見たことがあるのです。

 なんとなく、そんな批判を思い出しました。

 たしかに――現実にはそんな人はあんまりいないか、いたとしたら周囲はけっこう大変かもしれないけれども。
 これは「おはなし」なんだから、いいんじゃないでしょうか……と思ったことを、この「カルバニア物語」でも再び思い出しました。

 他人からみたら複雑怪奇な人物でもすんなり生存できるのがフィクションのいいところであり、そういう複雑怪奇な人物の行動や葛藤のドラマの向こうに、人間にとっての不変の価値を見たりする。

 私も、「ウソであってこそ初めて表現できる人間の真の姿」というものはあると思っているので――エキュー嬢の行く末、気になっております(笑)

 ナウシカもそうなんだけど、でもこういう――「八面六臂」というのはこういうときに使う表現じゃないんだけど、でも、人格破綻とさえ罵られるくらいの多面ぶり、人間にとってじつはひとつの憧れではあるんだろうなーとも思います。はい。
 
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ことばのちから
2011年04月19日 (火) | 編集 |
 このブログのPC版テンプレートにはサイドメニューがありまして、筆者プロフィールの下のところにあれこれバナーをくっつけております。
 そのうちのひとつ「イート福島 イート東日本」をクリックしていただきますと、福島県須賀川市にあります、ファーマーズマーケットはたけんぼ、つまりはJAさんの直売所になるのですが、こちらのブログにアクセスします。

 現在こちらでは通信販売も受け付けてくださっているのですが、それで福島のお野菜を購入した方からの声が紹介されていまして。
 不覚にも泣きました。……ここんとこ、利口ぶっていながらじつのところはただの××と××××ばかりが目について、いーかげん荒んでいた私の心に慈雨と明るい日差しとが、同時に降り注いだ感じです。

はたけんぼ 4月18日
http://hatakenbo.de-blog.jp/blog/2011/04/post_6d21.html

 はたけんぼさんに送られてきた、滋賀県の小学校5年生のお嬢さんからのお手紙が紹介されています。
 あるいは怒られるかな、と思いつつ、全文ご紹介申し上げます。

はたけんぼのみなさんへ

こんにちは。私は、みなさんの作ったリンゴとキュウリと
お米を食べています。とってもおいしいです!(^^)
私はテレビとか さわぎすぎたと思いました。人によっては
食べたらあかんとか、ほうしゃのうがどーとか言ってるけれど、
今までだれの作ったもんを食べて生きててんや!!(怒)
よう言えんな!!と思っています。

でも、分かってくれている人もいます。私はその「分かって」
くれる人のことだけ思って、プラスに考えるのが良いと思います。
世の中には良い人だっているんです。

でも人間良いも悪いもないし、自分が良く思えることを信じて、
行動すればいいと。

かげで、いろんなところで、応えんしてくれている人がいます。
外国の人も、西の人も・・・etc・・・がんばって下さい。

はたけんぼのみなさん・東北のみなさんへ


 多くを申しますまい。
 
 あたしゃ、お恥ずかしながら、「人間良いも悪いもないし、自分が良く思えることを信じて、行動すればいい」のところで頭をぶん殴られたくらいに感じました。

 そういう境地に、人生40年やって、未だ到達しておりません。「頭じゃわかってるけど」程度です。
 わかってる人はわかってる、年齢じゃないよな、と本当にしみじみ思った次第です。

 被災地の中学校でしたか、その卒業式の答辞で、涙を流しながらも、悔しいという思いを言いながらも、なお、「天を恨まず」といった少年もいました。
 春の選抜高校野球の選手宣誓でも、感動的なことばを語った少年もいました。

 ひたすら恐れ入ると同時に、「日本の未来は明るい」と信じます。
 
 いま、いわゆる左翼政治家の言葉が、役に立たないをとおりこしてすでに有害でさえあるのはご覧の通り。
 以前から指摘しておりますとおり、左翼思想は「怨念」をその思想のよりどころとし、怨念を「正当化」しています。
 怨念「しか」ないから、人々を鼓舞し、勇気づけ、励ますことばが、ただのひとかけらも出てこないんですね。そういうことがはっきり見える昨今。

 天を恨まずと叫んだ少年のことばが、人間にとっての「真実」でしょう。
 怨念は、破壊こそすれ、なにも明るいものを生み出すことができない。

 私もまた、ちょっと形態はちがうけれども怨念からいまだ解放されきってはいない人間なので、――本当に恐れ入っております。

 今朝の日経新聞のインタビュー(一面)では、かつてのソビエト連邦で外相をつとめたシュワルナゼ氏(グルジア)が、報道をみるかぎり日本政府は適切な情報公開をしている、とおっしゃっています。
(なにぶん、本格的な情報隠しの政府に身を置いた方のいうことですから――その情報が適切かどうかを検証するとき、どこをどう見ればいいかは、わかっておいででしょう)
 私もそう思います。
 私は現政権の「アンチ」ですが、そういうあたりはねじ曲げてものをいう気はありません。
 彼らはいちおう、きちんとしたことは公開している。

 であるにも関わらず、なぜ、隠蔽だ隠蔽だと騒がれるのか。
 やっぱりそりゃあ、情報発信の仕方が悪いからだろうねえ、と、私としては言うしかありません。(迅速、ということの重大さを理解していないとしか思えない……)

 もうひとつには――なるほど情報を発信する側の言語能力が低いということはあるだろうが、同時に、その情報の受け手たちの言語能力も著しく低いということがあるんじゃないですかね。
 身も蓋もないことを言うようだけど。

 ていうか、なにを聞くにしろ、はじめから「こういうことに違いない」と結論を自分で決めつけているのだから、何を聞いても同じことなんでしょうけどね。

 菅首相は、ああだこうだと「いいわけ」をするまえに、本当は、たとえば今回、原発事故のために避難を余儀なくされた人々に対しては、
「皆さんには必ず、町に帰っていただきます。そのために全力を挙げます」
 ということが先なんですよね。

 政治家のもつべきロゴスとは、そういうものです。

 リーマンショックのおり、当時の麻生総理は、「株価1万円台を回復させる」ときっぱり明言しました。
 そのためにこういう手当てをする、こういう政策をとる、と述べていきましたよね。

 リーダーは、大きな方向性をまず示すこと、人々がそちらに顔を向けるようにすることが、いちばんの仕事なのです。

 そのためには、「最小不幸社会」みたいな、後ろ向きで陰気くさい言葉をつかってはならないのです。
 まして今回のように、陰気なことを並べたあげく、いいわけをしているようでは、どうしようもありません。私は「左翼はこういうもの」だと思っているからいいですが。

 こういうときの言葉――情報を含めて言葉――の重大さを、改めて感じています。

 一国の首相より、小学校5年生の女の子のほうが、人を力づける言葉を述べているこの「現実」を噛みしめつつ。

 首相のどんな演説よりも有意義だった、高校野球の選手宣誓の言葉を、最後に掲載させていただきます。

宣誓。
 私たちは16年前、阪神淡路大震災の年に生まれました。今、東日本大震災で多くの尊い命が奪われ、私たちの心は悲しみでいっぱいです。
 被災地ではすべての方々が一丸となり、仲間とともに頑張っておられます。
 人は、仲間に支えられることで大きな困難を乗り越えることができると信じています。
 私たちに今できること。それはこの大会を精いっぱい元気を出して戦うことです。
 がんばろう! 日本。
 生かされている命に感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います


 ――創志学園高(岡山県) 野山慎介主将
 
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現実と未来のはざま
2011年04月18日 (月) | 編集 |
 昨日、福島第一原発の今後の予定というものが、まあ大まかにですが、発表されました。

 原子炉は、地震が起きたときにはすでに自動的に運転停止していたため、この時点ですでに原子炉の熱出力は、運転時を100%とすると6%まで低下していました。
 現在はさらに0.25%まで低下していると見られます。

 原子炉というのは運転停止すればさっと熱が引くというものではなく、核分裂生成物が、放射線を出して別の物質になり、また放射線を出して別の物質になる、ということを繰り返して、温度が下がっていくんだそうです。
 この状態を「崩壊」といい、この崩壊が起こるときに出る熱を「崩壊熱」という。そうです。

 で、この崩壊熱ですが、いつごろまでかかって減少するかというグラフを見ているのですが、運転時の0.005%にまで下がるのはおおむね、運転停止から200日くらい。
 ということはやはり半年くらいはかかるんだなと思ってそのグラフを見ていたので、今回の東電さんの発表した工程表は、まあそんなところなんだろうと思いました。

 今回のことでなるほど原子炉にとって冷却ということは、命綱どころの話ではないほど重要なことだとよくわかりました。
 この炉の冷却をするのに、水を循環させるように施設するとのことですが、それができればまずは「冷温安定」にむけて一安心といえるのでしょうが………。
 現場も必死でしょう。私としては祈るしかない、そんな気持ちです。

 しかし――現実ってやつはホントに厳しいものでして。

 ただいまはチョーシこいている反原発派ですが、それでも、原発というものは「なくならない」でしょう。
「原発やめようよ」派の私がいうのもなんですが。

 先日は、訪日したトルコのユルドゥズ・エネルギー資源相のインタビュー記事が日経新聞に出ていましたが、このお話が、ま、現実てもんだろなあと思いました。
 原発が各国に設置されるその流れは変わらない――と。
 トルコは今回の震災による原発事故でも、日本の原発に対する信頼は維持されているとはっきり述べて、今後の見通しを話していましたが。

 反原発派が聞いたらがっかりするか、怒り狂いそうな内容でした。お気の毒ですが。

 現実というのは――それでも我々は、毎日、ご飯を食べて、働いて、排泄をして、夜は安全なところでやすまなければならない、ということ。
 それを守る、維持するという意味で、原発を「なくす」ことは、非現実的であり、非現実的であるゆえに、原発推進の大きな流れは変わらない。

 まあ、そうなんだろうなあ、と、――「原発やめようよ」派の私でも、それは認めるしかない。

 科学技術という意味で、人類は、核エネルギーを「放棄」することは、できないのだろうと思います。私は科学者ではないので、その「意味」までは正確にはわかりませんが。
 原発は「プロメテウスの火」。そういうことだろうと思います。

 原発、核エネルギー、それを扱う「科学技術」はとめられない。

 けれども、その一方で、自然エネルギーの利用というものも、どんどん技術開発されているので、私としてはそう悲観的でもありません。
 原発推進と同時並行でいい、そういう流れが続いていけば、30年後、50年後には、原発にはあまり頼らなくてもいいようになっているかもしれないし、あるいは、原発が、いまよりも格段に安全なものになっているかもしれない。

 そういう意味では、反原発派の動きも、無駄ではない、必要なものだとも思います。
 思いますが。

 明日から原発なくします、ということは、「現実的ではない」、ということで。

 小松左京のショートショートでも、原発が完全に安全なものになり、はるか未来の我々の子孫が、昔は原発は危険なものとされていたと聞いて「なんで?」と、本気できょとんとする、そんな場面がありました。

 そうなってくれれば、それはそれでいい、と思います。

 個人的には、核廃棄物をきちんと「無害化」処理できないまま、地中に埋めてごまかしているようでは、とても「安全」だとは見なせない、と考えていますが。

 なにはともあれ、事故の安全な収束を祈るばかりです。

 ……あ。それで思い出した。
 ネットのコメント欄ではいくつか、「石棺」を、と書いているのを見かけましたが。

 炉をあのままコンクリート詰めにする「石棺」ですが、それをやろうにも、とにかく炉の温度が下がってくれないとできないし。
 また、燃料棒を残したままの石棺をやっちまうと、本当にあのあたりの地帯には人が入れなくなります。
 たぶんどこかで中途半端な「情報」を聞きかじり、恐怖心に負けて、とにかく状況から逃れたい一心で、そんなアホなことをコメントするのでしょうが、ほんと、いい加減にしてほしいと思います。

 燃料棒を取り出し、きちんとした形で廃炉ができてこそ、人々が帰れる状況が整うわけなんで。

 無責任ないいぐさもほどほどにしてもらいたいです。

 ………やっぱり、ちまたのお話どおり、熱心にコメントする人々って、………アレなんですかね……;;
(ちゃんとしたコメントもあることはあるけど、絶対数が違う気がする;;)
 
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言葉の誘導
2011年04月17日 (日) | 編集 |
 どうも、杉花粉よりヒノキ花粉の方が悪さをしてくれる気がする……。

 鼻炎症状自体は杉花粉の方がひどいのですが、ヒノキ花粉の時期は、鼻炎は大したことはないものの、自律神経がガタガタになる感じ。
 今年は花粉量も多いようですが、それでもなんとか乗り切れそうかな~と思っていたら、先週くらい(11日以後、大飛散ありました)から、異様な眠気、倦怠感、なによりつらい胃腸症状が出てきております。
 今朝はなんとか、ちゃんと起きて用事を片づけたんですが、その後お昼まで撃沈。
 鼻づまりは大したことはないのに頭痛がしてベッドと仲良くしてました;;
 症状がひどくなったら服用してねという頓服薬をのんでお昼を食べて、やっと復活してきました。やれやれ。

      ●
 
 政治はロゴスである、と思うし、言ってもきたけれども、今回ほど、それを実感したことはありません。
「政治はロゴス」が、ぜんぜん機能していない恐るべき現実を見て。

 同じことを言うのでも言葉の使い方がここまでマズイ人々を、私も初めて見た気がします。
 阪神淡路大震災のときは……と思うけれども、そりゃあ、あのときだってひどかった。
 今回、あれよりも政治家の有害ぶりが目立つのは、原発関連の問題があるせいでしょう。この問題を扱うには、彼らの言語センスは無能を通り越して有害でしかない。

 政治家のみならず、学者先生のお言葉も問題だとつくづく感じております。

 放射能ヒステリーがもはやその「信者」になっている、武田邦彦先生ですが。
 さっき、まだ半分気持ち悪い胃腸を抱えつつ、ネットをのぞいてみたら、また新着のエントリーがありまして。

日本の断面図 表現の自由と論文の読み方
2011年04月17日09時04分
http://news.livedoor.com/article/detail/5496025/

 アメリカの論文を引き合いに出して「言論の自由があってうらやましい」だそうです。
 こちらのエントリーのキモは、

論文に示された結果は「ある2人の学者が整理し、考えた結果」であり、それが「事実」とか「真実」ということではありません。

 ということを示したうえで、

「「こんなにガンがでるの!」とビックリするのではなく、「放射線をあびると、誰かがガンになるのだな」とか「放射線をあびる量が多いと、ガンが増えるのだな」というように冷静にデータを見ることです。

 おっしゃるとおりです。
 そのとおりですが、そういうことがおわかりならば、なぜ、いままでご自分の「説」に、これは自分の考えであり「説」であり、必ずしも「真実」ではないということをきちんと明示なさらなかったのか。

 たいへん不遜なことをいって恐縮ですが、私はムカッときました。

 いままで武田さんの書いていらしたエントリを見ては、
「べつに間違いではないだろうが、これを『まとも』に読んだ人は、そんな大変なことなのかと思ってパニクるぞ」
 と思い、事実そのとおりになっていったので、私としてはじつに不安で(先生のいうことが)。

 さんざん(結果的に)恐怖と不安とパニックをあおるようなことを言って、どうやらパニックがあるらしい、あげく放射能差別さえ出てきたらしいとわかって、それでやっとこういうことを――つまり、論文とか学者の考えというのは「考え」「説」であって、事実、真実ではないということを――言いだしたのか。

 と思うと「なにをいまさら」と思ってしまったわけです。

 先生にそういう意図があろうとなかろうと、庶民はパニックになりました。あいにく世の中のほとんどの人は学者の論文やら説やらというのとはあんまり縁がないまま生活しているわけで、そういうものを見ても聞いても「へー」「ふーん」くらいで聞いてちょうどいいということが、わかっているとは言い難いのです。

 専門家は、我々庶民にはわからない情報やデータ、またそれこそ「どういう説がどれくらいあるか」を示してくれる。
 それを聞いて自分なりに判断するしかないわけ。鵜呑みにしてパニックを起こすなんてのは、愚でしかないわけ。

 本来はそうあるべきものですが、残念ながら庶民は、学者先生のいうことだから「そのとおり」なのだろうと判断してしまう人が多い。
 武田さんのおっしゃってきたことが「間違い」だとは私も思いませんが、「これは私の考えです」「真実とは限らない」ということをろくに示さないまま、断定的にきめつけてものを言ってきた結果、「そりゃあ大変だ」とマトモに受け取ってしまい、パニックを起こした庶民が少なからずいたと私は考えます。
 ………ネットのコメント欄でそういうひとを少なくない人数見ちゃっているからなあ;;

 最初は私も武田先生のことは存じ上げませんでした。ただあまりにも、そのパニック意見を書き込む人が、論拠として示したものがことごとく武田邦彦というお名前だったので、それで知ったくらいですから。
 
 ――さんざん不安をあおっておいて、あとから「冷静に謙虚に」かよ。
 
 今日の私は体調がよくないので虫の居所も悪い。そんなせいもあり、なんだかむっとしてしまいました。

 私も空気を読めとかなんとかいう同調圧力は大キライですが、でも、「こういう言葉を聞いた人がどう反応するか」という「計算」は、公で発言する人には不可欠だと思いました。あらためて。

 世の中の人のほとんどが、私みたいな「へそ曲がり」で、他人の言葉は――たとえ学者先生のご意見でも――「ふーん」で聞いておいて、検証する、くらいの態度でいるなら、さほど問題でもありますまいが。
 世の中には少なくない人数、すなおで人の意見を鵜呑みにする人がいるようですから、そのへんは考えてもらわないと。

 世の中は、学者先生本人が思うよりよほど「権威主義」なんです。 

 やっかいなことだとは思うけど、そのへんを考えて対応してもらいたい。

 言論の自由は尊重する。
 しかし言論を自由に行いたいなら、世の中にはそういう「そそっかしい」人がいることを考慮したうえで、それこそ、「これはあくまで私の学説であり、必ずしも事実でも真実でもない」ということを、きっちり示しておく、――つまり、「学者としての謙虚さ」を示しておく必要があったのではないでしょうか。

 私は今回の武田先生のエントリーを読んで「いまごろ何を」とムカッときたけど、先生の「信者」さんたちのパニックが、これで少しは収まってくれるならけっこうだと思います。
 とはいえ、パニックを起こしている人からすれば、いまさら引っ込みもつかないでしょうから、そう簡単に事態が変わるとも、私は思いませんけども。
 
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本日お休み
2011年04月16日 (土) | 編集 |
 本日はまたお休みいたします。
 なんだかみょーな脱力感が……。(^^;)

 仕事の関係なんですが、思わぬところからうちの仕事にも震災の影響が出てきて、じつは怒濤の一週間でした……つーか、まだ終わってないので来週にも続きますが;;
 取引先への納品がちょっと遅れることになってしまったんですが、100%うちのせいじゃないんですけど、でも延滞料とられて軽くショック;; 天災でも遅れは遅れということらしい。
 そりゃそうでしょうけど、……なんだかとてもやりきれない気分です。

 気分転換になればということで今日は髪のお手入れにいってきます。
 考えてみれば震災以来、年度末年度始めのドタバタも重なってのドタバタで、……髪の手入れどころじゃなかったような。
 ちょっとさっぱりして、カラーリングもしてもらう予定。

 先日は半年に1回の歯の検診でしたが、こちらもけっこう荒れた展開に。
 久しぶりで歯石はとられるわ、奥歯の角に染料が残る(つまり磨けていない)わ。
 ………荒れた気分はこういうところに出るんでしょうか。(^^;) 自分のお手入れが行き届かなくなるんですねえ。

 そういえば桜ですが――今年はひどいもんです。
 さんざん、咲かないなと言ってましたが、1週間くらいまえからようやく咲き始め、今週火曜日くらいには満開になりましたが、金曜日、昨日にはもう「落花さかん」状態に。
 あまりにも一気に咲いて一気に散るので、路面にできた花びらの吹きだまりがとんでもない状態になってます。

 今年は咲くのと散るのがほぼ同時という感じです……。
 やはり桜にも異常が感じられる春だということでしょうか。

 今日はすこしさっぱりして、リフレッシュしたいと思います。
 髪がさすがに伸びてしまって………ふだんはちょい長めのセミロングぐらいなんですが、現在は完全にロングになってます。

 いまなら確実に風呂場で貞子がやれる……。(やりませんが)
 
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