ケータイ不正
2011年02月28日 (月) | 編集 |
 拍手くださいました方、ありがとうございました。m(_ _)m

 杉花粉でえれーことになったのも一転、本日は冬に逆戻りの気配です。冷たい雨で、また山は雪になっていると思われます。
 その雪で、杉の花を枯れさせられないものなのか……などと思わず妄想。(^^;)

 本日はお休みしているつもりでしたが、入試のニュースでまたすっごい話を聞いたので思わず出てきてしまいました。

京大試験問題流出、複数人物が協力か
読売新聞 2月27日(日)10時0分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110227-00000161-yom-soci

 前後の事情を考えると、私としても
「問題文をケータイ(かスマホ)で撮影」
  ↓
「外部協力者に写メ」
  ↓
「協力者がヤフー知恵袋に投稿」

 というルートだったんじゃないかと思いました。

 ウチの親は、「だとしても、試験会場でケータイ(スマホ)を取り出して撮影できる?」というのですが。
 どーなんでしょうねー。私みたいな人間は(馬鹿正直、要領悪い、すぐ顔に出る etc.)確実にバレるでしょうが、世の中、はしっこい人っていますものねえ……。
 掏摸(スリ)の才能がある人だったら可能かも。少なくともケータイで問題文を打ち込むよりは、写メのほうがバレる確率は低いと思われます。

 同一のHNで、他の大学の問題についても投稿がある中、立教と早稲田はすでに合格発表済みということで……うーん。
 もしもこんな不正の結果として合格し、一方では真面目に受験して落ちた人がいたとしたら……と考えると、どうにも許し難いことですね。

 ヤフーも珍しく、警察からの要請があれば、個人が特定できる情報を提供する、ということをアナウンスしているようですし。
 私としては、個人特定ができることを祈っております。

 しかしまあ……。
 裏口入学もそうだけど、こういうことってなくならないものなんですねえ。(^^;)
 その昔は、なんと受験生のお父さんが替え玉受験した、ということもありました。
 驚いたのは、ただお父さんが、というだけではなく、娘の受験の替え玉、ということでした。
 つまりそのお父さんは女装をして受験会場にいったわけなんですね。

 ………バレないと考える方がどうかしてんじゃねえかと思った記憶があります。

 ケータイを「活用」した今回の不正は、お父さんの替え玉受験よりは知恵のあることかもしれませんが………でも、そんなわけでどのみちログは残るわけだから……どーなんですかねえ。(^^;)
 で、もしもこのニュースを聞いて「犯人たち」が使用したケータイなりスマホなりを破棄、機種変更、解約等をした場合は、ヤフー以外にも、ケータイキャリアにも協力要請をすることになるでしょう。
 各キャリアには、全面的に協力してくれることを願っています。

 受験でそれなりに頑張った経験があるものとしては、やはりこれは、見過ごすことはできない話題なんですよねえ。(^^;)
 つい、力が入ってしまいました;;
 

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「南へ」
2011年02月27日 (日) | 編集 |
 拍手くださいました方、ありがとうございます~v (^^)

 東京マラソン始まってますねえ。お天気がよいようでなによりです。
 ご参加の皆様、応援やボランティアの皆様にとって楽しい1日となりますように。

 何せ第1回のときがあまりにもスゴイ天気だったので、その印象が強くて、天気がいいとホッとするような。(^^ゞ

        ●

 私は昨日は、野田地図公演、「南へ」を観劇にいっておりました。
 東京芸術劇場へ。
 池袋なんですが、いまだ、駅と劇場の往復のみで、乙女ロードには行ったことがありません。(^^;) いつかは…と思いつつ、このままになりそうな予感。

南へ」は3月31日まで。
http://www.geigeki.jp/saiji/030/index.html

 ということで本日はその感想なのですが、たぶんネタバレ全開なので(話そうと思うとそうならざるを得ない)、もしも、これからこのお芝居を見に行く予定、という方いらっしゃいましたら、本日はここまで。ということで。m(_ _)m

 おつきあいいただけます場合は「続きを読む」からどうぞv

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はなこさん。グラフ突破
2011年02月26日 (土) | 編集 |
 遅くなりましたが、拍手くださいました方、いつもありがとうございます。m(_ _)m

 きましたよ花粉が…;;
 一昨日、2/24までは平和なもんでしたが、昨日、25日は、「雨上がり+晴天+高気温+強風」という……これ以上はないというほど条件がそろったうえ、じつは木曜日、金曜日はうちはちょっと普請がありまして(その理由についてはまたそのうちに;;)家の玄関も窓も開けっぴろげていたので。
 もう、どうにもこうにも。

「はなこさん」のデータはケータイでも見られるのですが、昨日はもう、いきなりとんでもないことに。

環境省花粉観測システムはなこさん
http://kafun.taiki.go.jp/Map.aspx?AreaCode=05

 このグラフの縦軸の、最高目盛をもう突き抜けてるんですよね……。

 また、木曜日は、不慮のことあって冷たい雨に濡れてしまい、急いで葛根湯をのんだものの、やっぱりちょっと風邪気味になったせいもあって症状は倍増。

 昨日の……何時頃でしたでしょうか、午後3時とかで、1立方メートルあたりの花粉の個数が2,000を超えていましたが、……見ていたら、夜、8時とか9時とかじゃなかったかと思うのですが、4,000を超えていたのには目をむきました。
 いままでで最高じゃないかな。4,000……?

 と思って本日26日のデータをみたら、なんと午前1時台で8,671………!!!!
 新記録なんじゃないだろうかこれは;;

 あたし、これから生きていけるのかしら(本気)………。
 サイパンでもどこでもいいから日本を脱出したい…。5月のスーパーコミックシティに帰って来れればいい……(現実逃避の妄想)

 今日はこれから出かけるのですが、出かけた先の方が花粉量は少ない……はず……。
 いちおう、念のために、症状がキツいときのための頓服薬を持ちますが、これを飲むと、たしかに効くけど眠くなるので、どうしたものかと悩み中。
 車の運転がなければもうちょっと気楽なんですけど。(^^;)

 今年は症状が出る前から薬をのみ始めてみましたが、やっぱり大して効果はなかったようですねえ。
 あんまりひどいようだったら、また病院にいって、薬を相談してみようと思っているところです。

       ●

 ニュージーランドの地震について、被害に遭われました方には衷心よりお見舞いを申し上げます。
 救出作業が無事にすすみ、またひとりでも多くの方が助かるように祈っております。
 
 今回それにしても、町のようすをみて思うのは、「やはり、大規模火災がない、ということは大事なことだ」ということでした。
 地震があるだけでもたいへんな被害なのですが、……ただ、それでも、火災がない今回のようすをみて、あらためて、火の怖さを考えています。
 
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「ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。」
2011年02月24日 (木) | 編集 |
 拍手くださいました方、ありがとうございますv (^-^)

       ●

 自分の覚え書きとして。

野茂英雄――日米の野球をどう変えたか

野茂英雄―日米の野球をどう変えたか (PHP新書)野茂英雄―日米の野球をどう変えたか (PHP新書)
(2011/01)
ロバート ホワイティング

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 先だっても名球会で、しごく真っ当な意見を述べた野茂英雄さん。
 あいかわらず男気のある人だなあ…と、感心したりなんとなくニヤリとしてしまったり。
 野球そのものとはまたべつの、彼の人間性という部分で、私も現役時代(……野茂さんの社会人野球の時代から……か)ずっと注目してきたので。
 読了したらまた感想を…と思うけど。
 興味ない人も多数? (^^ゞ

       ●


 さて、本日の本題。

ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。 (ソフトバンク文庫NF)ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。 (ソフトバンク文庫NF)
(2008/03/18)
エレイン・N・アーロン

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 これはかなり、オタクと呼ばれる人の中にも該当する人が多いんじゃないかと。

 些細なことにすぐ動揺する――つまり、繊細で、感じやすく、身体ともに敏感であるゆえ、他人からも自分からも、「弱い」と責められやすい人。

 しかし筆者はそれは「弱い」のではなく、「高度に敏感なだけ」だという――いってみれば、「パラダイムシフト」を見せてくれるのでした。
 そして、そういう「敏感でそれゆえに闘争的ではなく、(感受性が強いので)多くは芸術性に恵まれ、(環境の変化、自分や他人の気分を敏感に察知するので)理解力があり、良心的である」人を、
 Highly Sensitive Person HSP、「非常にセンシティブな人」
 と命名しています。

 これらは、現在の社会(の価値観)のなかでは、神経質、臆病、引っ込み思案、弱虫、などとネガティブなレッテルを貼られがち。
 しかし本書ではそういう問題をひとつひとつ取り上げ、膨大なインタビューによる論証を重ねて、「それはじつは、自分が、あるいは周囲が、そう思い込んでいるだけ」だということを証明していきます。

 何を隠そう、本書冒頭にある「HSPかどうかのテスト」(この記事追記をご覧ください)……私、みごとなほどに、ほぼ、全問該当いたしました;;(カフェイン以外は全部該当…)

 興味深いのは、この著者であるエレイン・N・アーロン博士(心理学)ご自身がこのHSPである、ということ。
 ゆえにHSPとしての苦悩、葛藤、心の傷といったものにきわめて詳しく、じっさい的な見識と経験がある。となれば当然、HSPは、どのように「自分を扱えばいいか」の助言は、ものすっっごく役に立つものばかりです。
 
 じっさい自分を内気で人見知りする、と思い込んでいるHSPを集め、通常の、「人見知り実験」を行ったところ、じつは、べつに人見知りではないどころか、むしろ積極的に他人とコミュニケーションをとることさえした、という結果が出てきたり。

 内気だとか人見知りだとか自分で思い込んでしまうのは、環境の条件や、周囲の人々の理解の程度、といった要因によるものが多い。
 そういう「雑音」を取っ払って、「その人自身」にフォーカスすると、そういう、内気だと思い込んでいる人はじつは社交的な人だとわかる――などの例がばんばん出てくる。

 こういうのを見ていると思うのは、「レッテル貼り」の危険性とその罪深さ、ならびに、「現在の社会の問題点」が見えてきたりするのですね。(^^;)
 HSPは繊細で、かつ、良心的な人が多いので、両親が少し困ったような顔をしただけで「自分が悪いんだ」と、自分を責めてしまう。
 ゆえに、自分の繊細さが諸悪の根源であるとか、そもそも、繊細さが「悪い」ことなのだと認識するようになってしまう。

 しかしながらものごとは、色即是空、空即是色――たびたび私もそんなことを言ってきましたが、「いいか、悪いかは、その人のものの見方の問題にすぎない」んですよね。

 ある人は私を、おっとりして鷹揚で、と褒めてくれる。しかしべつのある人は「のろま」と罵る。
 私、という人間の性質は同じものであるにも関わらず。です。

 そういう「認識」の話はわかっているつもりでしたが、こと、自分自身のことは――私もまた、この繊細さを「神経質」と受け止め、環境の変化に敏感なことを「弱さ」と否定し、他人に対して同情的な自分を「自己が安定していない」と責めてきた。

 しかしその「認識は正しくない」のだと、――なにせ同じような性質の人が、ご自分の経験に基づいて説明してくれるのですから、説得力は抜群でございます。

 これはまた、さんざん、瞑想でもやってきたはずのことでした。説明すると長くなるので過去記事紹介で失礼しますが。(『ブッダの瞑想法』2008/6/28

 同じ人物を、鷹揚だと評価するか、のろまと罵るか、そういう「勝手な思い込み」はすべて取り外して、ただ現実を――あるものをあるままに認識せよ、というのが、釈迦の瞑想法の基本。

 それを、現実の自分には、なかなか当てはめて考えられなかった、というのが実際のところです。
 いちど染み付いた認知方法、「心のクセ」というものは、そう簡単に洗い流せるものではありませんねえ。やっぱり。
 自分が自分を、勝手に、これは私が弱いからだというラベルを貼ってしまい、それゆえに自分を嫌い、自分を否定し、自分を責めていた――とは、じつは、本書を読んで初めて気がついたことでした。

 内観だ瞑想だと言っていながら、肝心なところではそれを実践していなかった――そういうことすら、自分で認識できなかった――それほど、いちど染み付いた認識というものは、自覚しにくいものなのだ。と。
 なかなかの、衝撃体験となりました。(^^;)

 さて。
 そうはいっても人間はひとりで生きているものではないので、社会、周囲、というものとは必ず関係しなければならない。
 そういうとき、どういう点に注意するか、どのように周囲と折り合うか、また――たぶんこれがいちばんのポイントですが、「どうやって自分を守るか」。
 それらについても、丁寧に説明されます。

 HSPであるとはいえ、だからって引きこもってはいけない、と筆者は言うのです。HSPは、たしかにいまの社会が持つ価値観のなかでは否定されがちだが、しかし、だからこそ、この社会の中で(異なる価値観を提示する)HSPが必要なのだから、と。

 社会はHSPをつぶそうとする。けれどもその圧力に屈してはいけません、と。
 それがひいては社会全体のためにもなること。なにより、そうやって自分を守り自分をいかに扱うか、それが自分自身の課題だから。

 HSPを否定しがちな現代社会の価値観とはどんなもんかというと、あの市場主義ってヤツが代表例ですね。(^^;)
 乱暴で、荒っぽく、競争的で、共感能力が欠如し、ゆえに殺伐とした社会になりがち。
 
 そういうなかでHSPは、共感と、調整能力を持ち、また、「調和」をもたらす役目がある――つぶされがちですが。

 そういうわけで。
 私、案外このHSPに該当する人は多いんじゃないかと思いました。

 自分が神経過敏だとわかっており、それをしかもネガティブにとらえて苦しんでいる人には、まあともあれ一読、お薦めしたいと思います。
 
 神経過敏なのは「悪い」ことではない。それはあなた自身の個性なのだから、もっと大事にしてほしい。
 そういうメッセージはどのページを開いても伝わってきます。

 価値観をひっくり返せる良書だと思いました。

 追記部分に、HSPかどうかの簡易チェックを引用してみました。興味がおありでしたら、どうぞ。

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エジプト「革命」
2011年02月22日 (火) | 編集 |
 拍手くださいました方、ありがとうございました。m(_ _)m

 年度末ですねえ。(^^;)
 やっぱり今年もバタバタと。
 というか、仕事関係の他、個人の方で私も確定申告があるんでした……。

      ●

 フィギュアスケート、四大陸選手権も終了しました。
 ……私はあいかわらず、フジテレビに不愉快なことをされて爆発してしまって、個人的にきわめて残念に思っていますが、そうですか、スカパーなら平和に見ることができたんですね;;
 スカパーかあ……。すでにWOWOWに加入していて(テニス目当て)、それだって、じつはけっこうな無駄になっている私にはこのうえスカパーつーのは無理。

 なんにしても、やっぱりフィギュアスケートはいいよねえと思って拝見しておりました。(主にネットで;; 光インターネットのありがたさを噛みしめる)

 浅田選手については「復活」の文字を散見しましたが。
 違うでしょ。ジャンプを徹底的に修正して、いままでみたいなエッジエラーをなくしたうえで、3Aをばっちり決めてきたんだから。
 復活ではなく、バージョンアップというのが妥当だと思います。

 これはきわめて困難なチャレンジでしたが、でも、ほかの選手だってみんな、それぞれがアップデートされているんですもんねえ……。それが見えたのが今回の四大陸だったように思います。

 オリンピックでは、無理からぬこととはいえ過剰なプレッシャーのせいで、どの選手も本当の実力がなかなか発揮できませんが(審判の確実なひいきがあれば別でしょうけどそりゃ)、むしろ、今回はそのへんも適度なプレッシャーだったのかなと思いました。
 
 フィギュアスケートファンにはエキシビションをこそ楽しみにしている人もけっこう多い。それは、やはり、選手ののびのびとした表情が見られる、それが楽しみなんですよね。

      ●

 リビアでは、チュニジア、エジプトに触発されたにしても、この民主化を求めるとかいう運動、始めた以上は絶対成功させないと――つまりカダフィ大佐を打倒しないと――、中途半端なことをしていたらあとで「血の粛清」となるだろう。
 と思って、大丈夫なんだろうかと思っていたんですが、やっぱり……予想どおりの事態になってきたようで。

 リビアというのは、カダフィ大佐が独裁体制を布いているということは知っていても、他のことは――議会がないとか――まったく知らないに等しい状態だったので。
 今回のことも、ただ血なまぐさい事態になっていることがわかるだけで、詳細がわからずにいます。

 だいたい、なんで国家元首が「大佐」なんだろう、とは私も昔から不思議に思っていたのですが、昨日のNHKニュースの解説によれば、カダフィ大佐が敬愛するナセル大統領(エジプト)が、エジプト革命を成功させたときに大佐だったから、という「説がある」といってました。
 そういう説がある――とはつまり、それが事実かどうかもわからないってことですね。(^^;)

 そんなことすらよくわかっていないのが、リビアという国なのだなあとあらためて思いました。

(ぜんぜん関係ない話ですが、わたくし、初めて米沢を訪ねたとき、鷹山公の有名な和歌の碑の前で、よせばいいのについ、
『なせばなる ナセルはアラブの大統領』
 と呟いていたら、同行の友人ではなく、たまたま近くを通りかかっていたご年配のご婦人3名に大笑いされたことがあります。(^^ゞ
 うちの親にも、なんでそんな古い戯れ歌を知ってんの? と言われました……。たまに、年齢不相応に、古いネタを知っている私です……。いえ、本で読んだんです…;;)

 エジプトもまだまだこれからどうなるかわかったもんじゃないですし。
 壊すことは誰にでもできるけど、なにかを作り上げること、ましてそれをきちんと機能させることはたやすいことではない。
 ただ単なるヒステリーが連鎖しているだけとも見えるこの事態が、打開、安定の方向へ動いてくれることを祈るばかりです。

 ということで、エジプトの「革命」(あれを革命と呼ぶことについて、少なくとも現時点では、私はどうも個人的には抵抗があるんですけど、でも、そういうしかないですか……そうですか……)の「読み方」について、こちらの記事が面白かったのでご紹介を。

 情報誌「Foresight」の記事、筆者は池内恵氏(東京大学先端科学技術研究センター准教授)。
 エジプトの体制についての解説と、グローバル・メディアの(今回の)動き、そしてそういうなかで日本のメディアは何が欠けていたかを読み解いています。
 ご参考までに。(無料の記事のようですので)

中東 危機の震源を読む(70)
ムバーラク最後の一日――加速するグローバル・メディア政治

2011/02/16 Foresight
http://www.fsight.jp/article/10247?ar=1&page=0,0&ar=1

 こういう解説はなかなか聞けません。それゆえに情報誌としての価値があると申せましょう。
 ……月額800円です。(←いちおう宣伝;;)

 そういえば、こちら、フォーサイトにも、「フォーサイトフォーラム」という、読者がコメントを投稿するページがあります。それが、このたび、承認制になりました。
 いままではとくに制限もなく、勝手自由に投稿できたのですが……ま、さすがに「荒らし」とはいわないですが、それでも、なんかみょーなことを書き込む人はいたようで。
 とうとうこちらも承認制に。

 私はものがなんであろうとネット上のコメント欄みたいなところは基本的に見ないことにしています。有料サイトにして、読者もそれなりの知的レベルを維持していると予想されたフォーサイトでさえ、やっぱりなんか勘違いしているコメントを見た瞬間から「ここもダメだ」と思って無視している状態。
 ゆえに承認制になりましたと聞いても、「へー」とか「あ、やっぱり」と思うくらいですが。

 これはしかしネットの問題点でしょう。
 ネット上、というのはつまり「公共の空間」です。公共の場所においてはマナーというものが必要になります。
 一般の現実社会なら、公共マナーを心得ない人は、自然と排除されていくのですが、ネットにはそういう機能がない。
 ゆえに、本来なら、こういう場所に出てきてはいけない人、発言の機会を与えてはいけない人までも、見苦しい醜態を、公衆の面前にさらすことになってしまう。

 これは、ネットの今後の課題でしょうねえ…。
 公共性と社会性の維持を、ネットではどう行うか、というのは。
 こうやって道具がどんどん進化しているのに、人間の中身はちっとも、進化どころか進歩すらない、というのが、問題の基本にある、と私は見ております。
 老いも若きも、ネットは公共空間ということを概念的に理解できない人が必ずいる、というのは、どういうことなんでしょうか。

 そういえば、どうして2ちゃんでは、相手がどうだろうとなんだろうと、つねにタメ口なのか(私からみるとタメ口以上のものがあると思うけど…(^^;))、そのスタイルが採用された、いちばん最初の時期の理由を聞きましたが。
 ………基本的に「徒競走なのに、みんなで手をつないで走って、皆でゴールして、みんなが1番」です、という、日教組並みの(アホらしい)理屈だったので、「ホントにそうなの? マジで?」と疑っているところ。この話、どこでどうウラをとればいいのか;;
 
 言葉遣いというものについて、最近も考えることがあったので↓、またそのうち(思い出せたら)書いてみようかなと。

・[ブログエントリ]Twitterの2チャンネル化は防止出来るか
http://news.livedoor.com/article/detail/5357846/

 これを拝見しても思いました……「ネットは、発言させてはいけない人にもその機会を与えてしまう」。
 言論の自由とかの問題ではありません。そもそも自由というのは「放埒」を意味しません。
 そこのあたりを理解できない人間は、あいにくですが社会的動物である人間の、社会性が欠如しているということになります。

 このへんについて、ただいま、またつらつらと考えております。
  
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「奇縁まんだら」
2011年02月20日 (日) | 編集 |
 拍手くださいました方、ありがとうございますv (^^)

      ●

 瀬戸内寂聴さんの、じつに多くの人の思い出をつづる「奇縁まんだら」、日経新聞でなお連載中です。

奇縁まんだら奇縁まんだら
(2008/04/16)
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奇縁まんだら 続奇縁まんだら 続
(2009/05/16)
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奇縁まんだら 続の二奇縁まんだら 続の二
(2010/11/23)
瀬戸内 寂聴

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 じつに多くの分野、多くの有名人が登場するので、ここ50年ほどの日本文芸史、文化史の側面も出てくる。
 新聞コラムなので要領の良い短文。ゆえにすすっと読めて呑み込みやすい。
 基本的に難しいことより、寂聴さんとのおつきあい、という側面からのアプローチなので、「知り合いのお友達」の話を聞くように、気軽に読めます。
 じっさいにはどんだけ気難しい芸術家の話であろうと。(^^;)

 この「奇縁まんだら」を読むだけで、基本的に日本の文化史の主立ったところと、歴史そのものの、ポイントを押さえておけると思うので、お若い人にもおすすめ。

 感心するのは、本当に気難しい、つきあいが難しいと思われる人との交流があること。
 これは寂聴さんのご人徳なのでしょう。わりと、たいていの人のふところに、すっと入っていけるんですねえ。
 また、人間そのものに対する好奇心がじつに旺盛であることと、基本的にそれは決して意地悪ではないことがポイントであり、と同時に、行動力もすごい、というのが、拝読していての私の感想。

 いろんな、思いがけない有名人が登場するのには慣れてきたつもりでしたが、今朝のコラムには久々、思わずあっと声をあげてしまいました。

 先日お亡くなりになりました――永田洋子(ひろこ)さん。
 連合赤軍の主要メンバー。死刑囚。
 ……お亡くなりになったので、もう、永田死刑囚とはいわずにおきましょう。
(死者にむち打つのは儒教国の伝統。ですが私は儒教には帰依しない日本人なので――『人は死ねば皆ホトケ』の日本の伝統に則って参ります)

 いやあもう――なんでこういう人とそんなおつきあいが?! とびっくりしました。ほへ。(←奇声)

 つきあいのはじめは、獄中の永田さんから、寂聴さんへ、著作についての感想をつづった手紙が来て、それの10通に対し1通くらいのわりあいで、寂聴さんもお返事を書いた、というところから始まったそうです。
 そこから、共著で書簡集を発行したり、ついには、永田さんの裁判で証人としても出廷したとか。

 興味深いのはそのときのことで、世間からは「あんな鬼のような女の弁護をなぜするのか」と、ずいぶん――筆致はおさえてありますが、相当、寂聴さん自身も誹謗中傷を受けたようですね。
 匿名の手紙はみんな(読まずに)破り捨てた、という言葉から、そのあたりのことは読みとれます。

 そうなんだよなあ、と思いました。やっぱりそういうのって匿名なんですね。
 誹謗中傷する人は、自分が誹謗中傷しているとは思わず「正義の主張」をしているつもりなんでしょうが、匿名になった時点で「じつは自分でも、自分がやっていることがろくでもないことだとわかっている」んですね。

 本当に正義の主張なら堂々と住所と氏名を書き込んで手紙を送ればいい。それをなんで、コソコソものかげに隠れるような真似をするのか、といえば、「自分のしていることが他人から非難されて当然のことだと(潜在意識では)わかっているから」でしょう。

 このへんの事情は、いつの時代でもかわらないなと思いました。(^^;)

 永田洋子さんについては私はここでは書きません。……私は自分が生まれたあの時代の風俗がなぜか大嫌いという人間で――胎児~赤ん坊~幼児だったんだから、直接の記憶はないので、好きも嫌いもなくて当然のはずなんですけどねえ。(^^;)
 でも、記憶になくても、あの時代のことを聞かされるのはいやなんだよね;;

 連合赤軍や、浅間山荘事件についての本や記事というのを、高校生になってから読みましたが………まあ何と申しましょうか……私としては聞くに耐えない。こんな事件と関わるはめになった警察、検事、弁護士、裁判官には思わず同情しますよ。ホントに。
 こんなことを逐一、くわしく聞かなきゃいけないなんて;;

 ともあれ。
 しかし、寂聴さんが書簡のやり取りで垣間みた永田さんは、むしろ、不器用で、非常に「稚(おさな)い」人、という印象だったようで。
 こういう人が、なぜあんなことを――。
 そういう疑問が湧いて出るような感じだったらしい。

 根っからの悪人というのはそう滅多にいるものではない、ということの、証左ではあるんでしょう。

「私は幸いにして出家者なので」――と、今回のコラムでは寂聴さんはその結びでおっしゃる。
 出家者なので、これまでの人々にたいしてそうであったように、永田さんについても、その冥福を祈る、と。

 昔、永田さんの証人として出廷したときの誹謗中傷の激しさの影がここに差している、と思いました。
 出家者なので、などと、いちいち断ることもないことを言うのは、「あんな鬼のような女の冥福を祈るなんて」とまた非難されることへの、予防線とみました。

 永田さんが行ったリンチによって殺害された人やその家族、関係者はともかく、しかし、本来、部外者である人間は、出家者であろうとなかろうと、誰かが死んだならそっと手を合わせるくらいはできると思うし、それもまた、人間としての「つとめ」だと思うんですよね。
 つまり、人間として生きている以上、死者に向かって手を合わせるのは、出家在家関係なく、人として当たり前の行為。
  
 それをいちいち、「出家者だから」と断りをいれるところに、かつて寂聴さんが直面した誹謗中傷がどんなものだったか、見えてくると思いました。 
 
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愛書家
2011年02月19日 (土) | 編集 |
 拍手くださいました方、ありがとうございました。m(_ _)m

 フィギュアスケート四大陸が始まっておりますが……、昨夜は男子シングルだというので見たかったのですが……。
 やっぱりフジテレビはダメなんでしょうか。(;_;)

 あいかわらずの過剰演出にうんざりしつつも耐えていたのですが、まーたキムヨナがどうのと言いだしたときに忍耐力もぶっちりキレてしまい、NHK「美の壺」を見ているうちに存在を忘れ……。
 すみません。肝心の高橋選手、小塚選手、羽生選手の演技を見ていません;;

 それはそれとしても、「美の壺」、昨日はテーマが香水壜、ということで、面白かったです。
 奥深いですよねえ……。この大量生産の時代となっては、あんな優美なデザインの香水壜はもう実現できないでしょうね。
「香水壜は香りが住む家」でしたっけ。なるほどなーと思いました。
 香水自体はすでに変質して使用できないが、それでもオークションなどでは売れる、という「背景」がよくわかりました…。

      ●

 ほぼ日刊イトイで連載されていました、荒俣宏さんの連載コラム「目眩く愛書家の世界」も、2/14で完結してたんですね;;(←いまごろ見た;;)

ほぼ日/「目眩く愛書家の世界」
 http://www.1101.com/aramata_hiroshi/2011-02-07.html

 愛書家――bibliophile、ビブリオファイルというのは「読書家」のことではなく、――本の内容ではなく、ハードウェアとしての本を愛する、ということだそうです。

 …………またまたディープな;;

 具体的には、その本の装丁はもちろんのこと、
つまり、われわれ愛書家は物質としての本が好きなのです。
 印刷だとか紙だとか、余白の書き込みだとか挿絵だとか、本の来歴だとか部数だとか、

 稀覯本(きこうぼん)であることも当然となり、さっきの香水壜の話ではありませんが、現代ではむしろ製作不可能な、超・趣味の本、といったもののことですね。

 お金は当然かかる。この、「本を愛する」ことを決意した人は、結婚はむろんのこと、ふつーの人間としての生活そのものを犠牲とすることが必要、というほどなんだそうです。

 国語辞典と英英辞典でもこのビブリオファイルという単語を引いてみましたが、それほどの覚悟というニュアンスは出ていない……。辞書というのは便利かつ必要なものだけれども、「生きている言葉」そのものを説明することは、結局、辞書にはできないんだなあと思いました…。余談ですが;;

 で、この、ハードウェアとしての本を愛する、というのは、ああ、わかる……と、とてもそんな世界には足を踏み入れられない私としてはなんとなくうなだれてしまいつつ、でも「わかる」と思いました。

 紙の本に執着する我々を、「先進的」な人々はときに馬鹿にします。(電子書籍に抵抗を見せると馬鹿みたいって言われるんです)

 けれども、たぶん、「紙の本」にこだわる我々の胸には、ビブリオファイルほどではないにしろ、「物質としての本」への愛着が、ひたひたと押し寄せているのだと思いました。
 本、といったら紙に印刷されたもの、ということが「当たり前」すぎて、いちいち、本のソフトウェアとハードウェアを、個別に認識していないだけのことで。

 本屋にいって、あの大量の紙とインクの匂いをかぐと便秘が治るという、みょーな体質である私もまた、本の「ハードウェア」の部分で、なにかが癒されているのでしょう。

 そういえば、夢の中で本を触っていて、はっと目が覚めたときに「あの紙の感触は……マーメイド……」とつぶやいたこともある(ホントです)し。

 電子書籍だってべつにいいんですよ。いいんですけど、やっぱり、装幀をながめ、本の重さを手に感じ、その香りに触れている、ということが「書物に触れる」、ハード的な愉悦であったのか……と。
 荒俣さんのお話をうかがいつつ、あらためて感じました。

 それにしても電子の世界というのは――今後どうなるんでしょうね。

 お金という物質が消え、本というハードウェアが消える。先進的な人々はそれが先進的なことだと喜ぶけれども、一方で、我々は、「自分の体の感覚」を失っていく。
 頭でっかちになるだけで、自分の、ハードウェアとしての体を失っていく。
 現代人の、自分という存在に対するいいしれない不安感は――もはや現代文明に巣食う「病気」といえそうですが、その不安感の元は、自分の体の感覚を失っていることと関係があるように思えてならない。
 土や、太陽の光や熱や、水に触れ、熱いとか寒いとか痛いとか、それだけではない、もっと微細な身体感覚によって、人は、自分がここにいる、「今」「ここ」ということを、意識せず、確かめてきたはずなんですよね。
 それがすでに失われつつある――それゆえの、「理由がない」不安感になる。

 それでも、電子化の流れというものはきっととまらないでしょう。
 でも、人間は自分の体を使ってこそ生きていると実感するところもあるわけなので、失われていく身体感覚をどこかで取り戻さないとならない。そうでないと今度は精神状態のほうがやられてしまう。

 ということの兆候は、現在でもじゅーぶんなほど見られると思うのですが…。
 
 なんにしても、「まともな生活」をすらなげうち、財産を投げ出し、「愛書家」となり、けれどもそれは「本を自分のものにする」ということではない――愛書家は「つなぎ」の存在である。というお話にはちょっと感動しました。

かならず、次の誰かに、渡さなければならない。
 なぜならもうつくれないからです。こんなものは。
 だからわたくしも「つなぎ」のコマのひとつとして保管しているだけなのです。

 いくら何十万も出して買った大切な本だからといっても
 死んだら火葬場でいっしょに焼いてくれなどということは、

 愛書家としてあるまじき行為です。

 これが文化というものだ――と思いましたです。

 エゴというところには文化はない。
 自分は自分ではあるけれど、それは全体の中のひとつのコマだということも認識して、コマとしての役割を全うする。

 この、個と全体の関係の中で、自分というものをきっちり認識していければ。

 生きる、ということは、本当に充足するだろうと思います。

 なんにしても――ホント、奥深いですねえ、荒俣先生の世界は。(^^;)

 こうなってくると先生もすでに、ある意味人間離れしているようにも思われ――、
「幽霊を見たいと思っているのに、私のところにはぜんぜん来ない」
 とおっしゃるのも、仕方ないことかなと思いました。

 幽霊だって少しはきゃーとかぎゃーとか言ってくれないと出る張り合いもないでしょうから………こういう、半分異界に住んでいるような、妖怪じみた人では、悲鳴をあげるかわりに捕まえて標本にしよう、くらいのことはやりかねない。

 荒俣先生が幽霊に遭遇することはないだろうし、また、すでにその必要もあるまい、と思って読了しました。(^^;)
 
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拍手御礼
2011年02月18日 (金) | 編集 |
 拍手くださいました方、ありがとうございますv (^-^)
 一言下さいました方、ありがとうございました。
「続きを読む」からどうぞv

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今夜は満月
2011年02月18日 (金) | 編集 |
 民主党における小沢一郎氏派の国会議員さんが、「会派を離脱」というオモシロイことを言いだしたときは、まさしく失笑でございました。
 これの第一報に触れたときはうちの母は「民主党がまた分裂」と思ったそうですが残念ながらそうではなく。
 離党はしない。会派を離脱する。
 そんなことがどこまで実現可能なのか、わかってて言ってるんだろうなあと思うと――なんと申しましょうか………幼稚ですね;;

 ………あんまりこういうことを言ってはいけないのだ、と思いつつ、しかし、あんまりな××な発言に………なにをどういえばいいのか。
 政治センスがどーたら以前の問題ですよね。こんなことをしているようでは、国会議員としての能力は、聞くまでもないとわかってしまう。

 ……コドモだ。あまりにも言っていることやっていること、つまりその心性=メンタリティはコドモすぎる。

 なんにしても、遅かれ早かれ民主党はまた分裂するでしょう。小沢一郎氏はいったいこれでなんど同じことを繰り返したことになるのか。
 若い人が過去をよく知らず、小沢待望論になるのはいたしかたないところもあるでしょうが、昔っから、あの小沢氏を見てきたはずの年代で、しかもいわゆる知識層といわれる人のなかに「小沢待望論」が根強くある、というのが、私には信じられません。

「火を見るより明らか」なことが、なぜ、頭がいいはずの人々にわからないのか。わかりませんねえ……。謎だ。

 とりあえず参議院では予算について、子ども手当ては否決の見込みも確実だとか。

 衆院での再可決も厳しいそうですが、しかし……予算としてみれば、問題なのは、子ども手当て単体ではなくて、いろいろ廃止される控除の扱いもどーなるんだ、ということなんですが……。
 どうなるんでしょうか;;

 まあ何にしても「最小不幸社会」なんていう、不景気きわまりないキャッチフレーズはほかのものに改めたほうがいいんじゃないかと個人的には思ってます。
 なんか……これを聞いていると、「不幸をまんべんなく社会に広げる」というイメージが脳内に出てきてしまって。(^^;)

 とはいえ……なんどもいうようですが、こうなることは、2年前の選挙のときにはわかっていたことなんで。
「いちどやらせてみないとわからない」
 といって民主党に投票なさった方々には、これで少しはわかっていただけたのでしょうか。
 
 それにしても、ふざけた予算案は廃案にしてほしいが、でも予算がとおらないとこっちもいろいろ滞るので(もう2月も半分過ぎたわよ!!)、早く予算通してほしい……という。
 みょーなジレンマに、庶民としても陥ってしまいますねえ……。(^^;)

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異国の美女
2011年02月16日 (水) | 編集 |
 拍手くださいました方、ありがとうございました。m(_ _)m

 バレンタインデーも済んだところで、次は雛祭りですね。
 今週末には飾り付けをして……あとは、ひな菓子各種、物色の旅に出たいと思います。(^-^)

 ひな菓子もいまやいろんなものがあるので見ていて楽しい…。食べるのがもったいないようなものもありますよね。
 今年も、贔屓にしている和菓子屋さんにいって菱餅などなどを見てこようかと。

      ●

 ホントかあ? と疑いつつ、「本当ならけっこうなこと」(←都知事口調で)と思いました。

「コミケは都条例の対象にはならない」猪瀬副知事と都青少年課が見解示す
NCN 2月14日(月)20時06分配信
http://news.nicovideo.jp/watch/nw31631

 また、ニコ生で放送された特集番組で、規制賛成の民主党、浅野克彦東京都議会議員の発言が、下記見出しの通りだったそうですが。

都条例改正部分で「規制されるものはほとんどない」 賛成派都議が主張
NCN 2月14日(月)15時35分配信
http://news.nicovideo.jp/watch/nw31511

 もし、であるならば、「規制する必要ないじゃん」と思ったのは私だけではないと思います。
 新たに、あんなわけわかんない項目を設ける必要はなく、従来の条例の「運用」で、陳列等のゾーニング(区分)を厳密にすればいい。
 それをわざわざ、「じっさい運用されることがないものをなんで作ったのか」と考えると。

 以前にも書きましたが、
「やっぱり、警察の出向部署を守るためなのね」
 そう解釈しますよ私は。
 現状ではそのように「理解」するしかないです。

 これ、某さんと話しているときにちらっと出た私どもの「個人的見解」なんですけど、――石原都知事がそうも警察に肩入れするのは、就任当初に行われた、おもに新宿をメインとした、不法滞在の中国人、ただ不法滞在というだけならいいけどぶっちゃけ犯罪者中国人を「駆除」したときの関係で、警察に「借り」があるためなんじゃないかと。
 あのときの知事の手腕はお見事でしたが、まあ、裏ではいろいろ大変だったはずで。

 あくまで個人的見解ですが、私はそのように「理解」することにしました。まる。

      ●

 エジプト。
 どうなることかと思って見ていましたが……どーも不思議な気持ちがします。

 あまりに長期政権となってしまったムバラク氏を追い落とすのはいいですが、そのあとが大丈夫なのかなあ? と思って見ているところです。
 エジプトの国内事情を知っているわけではないので、エジプト国民の皆さんがそれでいいというなら、そうですかとしか、私としては言えることもありませんが。

 ただひとつだけ、「これはいかんでしょう」と思ったのが、このどさくさにまぎれて、よりにもよってエジプトの「国宝」が盗まれたり破壊されたりしたこと。

不明の収蔵品、構内で一部発見 エジプト博物館
2011/2/15 10:05 日本経済新聞
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819695E3E7E2E2808DE3E7E2E0E0E2E3E39180E2E2E2E2;at=ALL

 何を隠そう、最初に、あのデモと騒乱の話を聞いたとき、
「暴れるのは勝手だけど、考古学博物館には手を出さないでよ!」
 と、テレビに向かって呟いておりました。

 そしたら、案の定というか。
 この騒乱の初めのころでしたが、あの時点ですでに、「暴徒」が考古学博物館に侵入、収蔵品数点が損傷を受けた、とのニュースが流れて、私は「やっぱりか」と思ったんですが。

 あげくの果てにはツタンカーメン像などが盗難ですと?

 エジプトはただいま、ザヒ博士がドイツにネフェルティティ像を返すよう求めているところですね。
 あたしがドイツ人なら返さないな。――と思っちゃいましたよ。

 今回の、エジプト人自身による、博物館収蔵品の破壊と盗難は、ドイツにとってはいい口実になってくれるでしょう。
 古代エジプトの「遺品」は、ただエジプト一国の「お宝」ではなく、人類全体にとっての宝物であり、後世に残していくべきもの。大事な「人類の遺産」なのですよ。ことは、エジプト一国の問題ではありません。
 それを、自分たちで守ることもできない国に渡せません、――と、ドイツに言われたらなんと返事をなさるのか。

 ザヒ博士も、今回のことは残念に思っていらっしゃるのではないかと――いまのところ、私は博士のコメントなどを聞いていませんので――思っているところです。
 
 どこの国にも××とか××××とか、よーするに箸にも棒にもかからないっていう手合いはいるものですけどねえ……。ネフェルティティ像返還を要求しているこの時期にと思うと、タイミングは最悪だったのでは。

 テレビで古代エジプトの特番なんていうと、かならず、かじりつくようにしてみてしまう(べつに新情報はないとわかっていても!)、古代エジプトにロマンを感じる「ファン」としては、………はっきりいって怒っているのです私。その「暴徒」とやらには。
 ……暴徒というより盗人か。

 ネフェルティティ像はたしかに、その名の通り、現在、エジプトから遠く離れたところにいるわけですが。(ネフェル=美しい人、ティティ=遠くから来た)
 その「遠くから来た美人」が、故国に帰るのか、どうなるのかと思って聞いた、返還要求だったので――このタイミングの悪さ、その肝心の「地元民」の素行の悪さに、完全な第3者である私としても、こめかみのあたりにピキピキくるものを感じてしまいます。(^^;)

 それにしてもあれが「民主主義」ですか……。だとするなら民主主義もろくなもんじゃないよね。日本の政権交代もそうだったけど。

 民主主義の貴重さはわかっているつもりですが、だからといってこれが「絶対至高の政体」とも思ってはいないので。
 どうにも皮肉っぽくなってすみません。(^^;)

 ただひとつ、これまでこの手の騒ぎのあとで、きれいに町を清掃している市民の姿というのは、初めて見たので。
 自分たちで秩序を取り戻そうとしているところには、すなおに感じ入っております。

 私はあんまり、民主主義を信用はしていないのですが(制度を信用していないのではなく、運用する人間そのものを――どの国であれ――信用していない人間嫌いなので)。
 そうまでおっしゃるのなら、今後、うまくその民主制が根付いてくれるよう、祈っております。

 ま、イスラム原理主義に比べれば、何だってマシだろうけど。
(私も子どもでしたが、ギリギリで、サダト・エジプト大統領暗殺は覚えています)
(ゆえにイメージは最悪なんだよな……穏健化したといわれても。→ムスリム同胞団)
(暗殺犯はムスリム同胞団から分派したジハード団だといわれても…;)
 
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草食系の意味
2011年02月14日 (月) | 編集 |
 拍手くださいました方、ありがとうございます~。(^-^)

 本日はバレンタインデー。
 義理チョコという言い方はあんまりなんで、「感謝チョコ」というのがよろしいのではというのが私の見解。ということで私にとっては本日は感謝チョコデーでございます。
(本命チョコですか……昔はそんなこともありましたが;)

 最近では、男性から女性に贈る「逆チョコ」も、ということを聞いておりますので……甘いものがお好き、あるいは、こういうイベントを女性だけに占拠させるのも残念、自分も参加したい、あるいは、告白するチャンスは活用したい、などなどの事情を抱えた(?)男性諸氏、逆チョコ、推進しましょう!
 もちろん逆チョコによる義理チョコ大賛成です!(ヨーロッパの伝統にのっとり、花束、というのもいいですね)

 ……って、なんのこたあない、「アタシもチョコ欲しいな~」ってことなんですけど。(^^ゞ
 ずんだ餅も美味しいですしv
 こんな調子なので、当然、「自分チョコ」、買いましたとも……;;

     ●

 さても。
 そんなわけで、せっかくなので(?)、珍しく恋愛談義なんぞを少々。
 ここんとこ、ちょっと小耳にはさんで、そのまま「うーむ」と唸ってしまった話題があったもんですから。(^^;)

 草食系男子というものについて、私はのんきに、そういう、へんなふうに肩肘張ってない男性がいたっていいんじゃないすか、くらいに考えておりました。
 と申しますのは、最初に私が聞いた「草食系」の定義は、「仕事も趣味も積極的だが、恋愛についてがっつかない」「無用のマッチョイズムとは一線を画す」人のことだったんですよね。

 私は何しろ根源的に男性原理がキライというタチですから(そういう理由で一神教を拒絶するほど。ドグマなんて聞いちゃいねえ;;)、いいんじゃないですか、草食系。コンプレックスを虚勢で隠そうとする暴力馬鹿よりよっぽどいいですよ、というくらいに聞いていたんです。

 それが、なぜだか、メディアによって世間に広まるうち、意味がどんどん悪くなってきたんですよね…。最近では、50歳代ほどの男性の話を聞いていたら、「草食系=去勢された男子」みたいな意味になっていて、「ちょっとそれは違うのでは?!」と、(なぜか)私が焦ってしまった。(^^ゞ

 私が聞いていた意味の変遷は以下の通り。

 恋愛にがっつかない
 ↓恋愛に無気力
 ↓恋愛以外にも無気力
 ↓一見、優しいようだが、実は傷つきやすい「引きこもり」
 ↓傷つくことを怖れるあまりに人生そのものに無気力
 去勢されたも同然の(若い)男性

 ちょっと待て! なんでそうなる?! と、叫びたくなるのは当然ではないかと。(^^;)
 最初と終わりでは、意味が全然ちがってます……。
 
 仮に、「恋愛にがっつかない」が、「恋愛に無気力」の意味になるとしてもですよ(←百万歩くらいゆずってる)――べつにそれは「恋愛に無関心」て意味ではなかったんですよね……。
 おっかしいなあ。なんでこんなにどんどん、貶められてきたんですかね、この「草食系」って言い方。

 まあ、最近なるほど多いのかなと思われる、「自分が傷つきたくないので、恋愛には――女性に対しては消極的な男性」についてですが。
 これをいうと身も蓋もないとは思うのですが――こういう「心性(しんせい)」って、昔からありましたよねえ? ねえ?(←ここは中年以上の男性に聞いている)

 少女漫画に「愚図でのろまな亀」みたいな鈍臭い女の子が、無作為に、ちょっとありえねえだろうというくらいの「王子様」に熱烈に愛される、というものがあったのと同様に。
 少年漫画誌にもちゃんと、これをまるっきり裏返しにした筋書きのものは存在していたわけですよ。
 ………その昔、従兄ん家に遊びにいくとつねに少年漫画誌があった(サッカー雑誌もあった)ので、わたくし、小学校低学年時から、ジャンプ、チャンピオン、サンデーあたりを読み倒していました。ので、このへんは間違いないと思います。

 後年になって、永井豪さんの「ハレンチ学園」や「けっこう仮面」の話題にへーきでついていってしまい、男の友達にちょっとびっくりされた(そしてビミョーに引かれた)のは従兄のおかげ。(^^;)

 で、見ていると、少年漫画のなかにも、チラホラと、少女漫画を裏返しにしたような、同様のモチーフはあったわけです。
 なんという取り柄もないどころか、周囲からはなにかと馬鹿にされるような少年が、これまたありえねーほどの完璧美少女や美女から、モーレツなアタックをされる、というのが。
 私も子どもですからはっきり言語にして考えたわけじゃないですが、「男も女も内実は同じだ」と感じておりました。

 たぶん、男女を問わず、人間としての、ひとつの(永遠の)願望なのでしょう。
「自分はなにも変わる努力をすることなしに、理想的な異性によって、無条件に、無償の愛を注がれる」
 というのは。

 なので、「恋愛に消極的な態度のまま、誰かに愛されようとしている」男性、というのは――昔ならば、ジェンダーの押しつけなり、社会からの圧力なりで隠されてきたというだけのこと。
 で、現在は、そういう圧力も「減圧」されてきて、男性も女性同様にそういう願望を表現するようになっただけ。
 ――というふうにしか、私には思えませんで。(^^;)

 仮に、草食系男子という言葉が「恋愛に無気力」という意味であっても、「昔もいたじゃんそういうの。最近は、ただ表現が露骨になっただけだよね」くらいにしか思えません。

 恋愛に消極的で、女性から言いよられるのを「待っている」男性、――うまいこと言いよってきた女性がいた場合、そして首尾よく(?)おつきあい、という段階にきてすら、自分からはなにも積極的な働きかけをせず、それによって「優位な立場」を守ろうとする男性、というものが、最近ではたしかによく見受けられるというのなら。
(……私がみるところ、こういう、『ずるい』男は昔もいたと思うんだけど、そのずるさのレベルが違うってことですかね)

 そんな人が増えてしまった、というのなら、たしかに、ちょっと困るかもなあ……とは思ってみたり。
 
 ただ。
 これはたぶん、女性の側も事情は同じだと思います。

「ありのままの自分を愛してほしい」というのは――それこそ、漫画でも小説でも、さんざっぱら描かれてきたモチーフです。
 ゆえに、人間がそういう願望や欲求を持つのは「自然」「当然」だ、と我々、無意識に思っているところはありそうですが。

 ありのままの自分を愛して、というのは、現実に、ちょっと無理でしょう……。
 なんで、といわれるかもしれませんが、――逆に考えてみましょう。ならば、あなたは、「ありのままの誰か」を、愛せるのでしょうか。
 甘いものが好きなんていう男は気持ち悪い、などともし言うのなら――「ありのままの誰か」を愛するなんてのは論外ですよ;;

 人間関係というのは、なんにしても努力がいるわけですよね。心理学では、場面や人間関係に合わせて自分の「役目」を変える、その姿を「ペルソナ(仮面)」といいますが。
 ペルソナは「ウソ」ではありません。それが「本体」という意味にはなりませんが、「ウソの自分」ではない。
 相手との関係を構築し、かつ、円滑にするために、少しずつ、調整したりすり合わせたりして、私どもはいろんなペルソナを持っております。ある人にとっての私は娘であり、姉であり、友人であり。そのペルソナはそれぞれ役割が違う。

 異性に対してだけ、そのペルソナがない、ということはありえない。(アニムスとアニマの話になりますが、それを持ち込むとまた長くなるので省略;;)
 どんな人でも「ありのままの自分」とやらは、「理想的な誰か」にはなり得ないでしょう。必要となるペルソナに比べ、だらしなかったり、冷たかったり、自分勝手だったり、劣等感が強かったり。

 そういう側面は誰にでもあるので、そういう側面が「悪い」というのではありません。
 が、人間同士つきあうとき、そういうちょっと厄介な部分は、なんとか努力して、他人様との関係を継続できるよう、努力する――自分をコントロールするわけですよね。
 社会的動物としてはそれは必要なこと。

 親子なり、友人関係なり、師弟関係なり、利害関係なりのなかでは、そうやって、「ありのままの自分」を調整していくのに、こと、相手が異性のときだけはそれはしません、そういう、だらしなくて冷たくて身勝手で劣等感強くて扱いにくい自分をそのまままるごと愛してほしい、というのは。

 どー考えても無理がある、と、私には思えます。

 草食系(男女とも)というのは、かつてあった、ひじょーにがっついた「恋愛至上主義」に対する、アンチテーゼとなる存在だと私は思っていましたし、「恋愛だ恋愛だってみんな言うけど、恋愛だけが人生じゃないでしょ」というご意見には私も賛成です。
(あの極端な恋愛至上主義っていうのも、ある意味、強迫観念ですよねえ;;)

 が。もはやそういうレベルではなく、「自分はなにも努力したくない。でも愛されたい」ということであるなら――これはじつは、恋愛云々ではなく、もうちょっとべつの「病根」の話になると思います。

 思いますが――なんだか予想外に長くなったうえ話が入り組んできたので、本日はここまで、ということで。(^^;)

 ともあれ、私個人は「草食系男子」とは、あくまで、恋愛にはがっつかない人、という定義にしております。
 で、そういう草食系はけっこう好きだ……とも、思っている次第です。
 私も恋愛至上主義にはウンザリしてきたところがあるので――そういう、社会的な強迫観念からふっと解放された人、という意味を「草食系」に持たせるなら、それはいいんじゃないですか、ということで。

(こういうと、また少子化がどうの未婚率がどうのと突っ込まれるかもしれませんが。
 念を押しておきたいのですが、恋愛と結婚は別問題です。
 で、恋愛、という場面において、私は、「私の定義による草食系男子」の感性はけっこう好きです、というだけのことです。

 べつに恋愛しなくたって結婚はできるし、その逆もあるし。本質としてはこのふたつ、関係あるようで、じつはない。
 ここはきっちり、分けて考えておきたいと思います)
  
 
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ホテル法華クラブ京都
2011年02月13日 (日) | 編集 |
 留守をしておりましたが、拍手くださいました方、ありがとうございました。m(_ _)m

 そんなわけで建国記念日にはまた冬の京都へ旅立っていたわけですが……おかげさまで新幹線もさほどの遅れもなく、無事にいってこれました。
 いちばん雪のようすがひどかったのは名古屋近辺でした。本気で積もって本気で降ってる…! と、わけわかんないビビり方をしてました。(^^ゞ
 でも、じっさい、名古屋付近から本当に雪国のような景色になったとき、新幹線車内にはかすかなどよめきが広がりました;;
 いつも関ヶ原のへんで雪が積もっていたり降っていたりするのですが、今回は名古屋の方が雪国でした……。
 京都は、私が着いたのはお昼頃でしたが、小雨も止みかけている感じで――ホテルに引き上げた夕方には、うっすら日の光も差していたりして、結局、雪にはそれほど遭遇しませんでした。

 しかし………寒波はもう勘弁してもらいたいです……。

      ●

 ということで本日はホテルレポート。

 今回、私は初めてお泊まりしました、京都駅(烏丸口)目の前の、ホテル法華クラブ京都。

 楽天トラベルさんのほうから予約をしました。クチコミの情報でも評判もよろしかったので、これなら大丈夫かなと思いまして。
 スタッフの方の応対は親切、丁寧という感じで気持ちよかったです。
 建物自体はけっこう年代物なんでしょうが、手入れも、恐らくそのときどきに改装、改良もしているようで、お部屋の感じはこざっぱりして心地いいです。

 シングルで部屋の広さは13平米、と書いてあるのですが――えー、ほんと? と思ったほど、広く感じました。
 東京都内のビジネスホテルで、やはり13平米という部屋に泊まったことあるけど、もっとこう、部屋に圧迫感があって、ベッドとデスクでぎっちり! だな~と思った記憶がある。
 それに比べると、どういうわけでしょうか、「もっと広いんじゃないの?」と思ったほど余裕を感じたんですよね……。うーん。
 家具類の配置がいいんだろうか?

 ただ、部屋のなかに、やたら、柱や梁の出っ張りがあるのは確かで――部屋が、きれいな長方形を描いてはいません。(^^;)
 風水ではああいう、梁などの出っ張りがベッド周りにあることを嫌いますが――まあでも、1泊、2泊くらいでは気にすることもないかと思います。

 ベッドはロフテー社製、シングルに泊まっても140cmの幅があるベッドなので快適です。遠慮なくごろごろできます。
 枕も、もふもふパンパンで、めったやたらに高くなってしまう、ということはなく、やわらかい、適度な枕でよかったです。
 ベッド周りはこんな感じ。

法華クラブ室内

 なによりありがたかったのが空気清浄機! 加湿機能付き!!

法華クラブ加湿機

 部屋のエアコンはホテルによくあるセントラルヒーティング方式ではなく、ふつーの、ご家庭用のエアコンと同様のタイプが据え付けられております。(ダイキン社製でした)
 なにしろこの冷え込みですから、結局一晩中エアコンはつけっぱなし。加湿してくれるというのはまことにありがたかったです。
 湿度は、表示灯によればおおむね、50%を維持してくれていたようです。本当に助かりました。
 
 そういえばクチコミではエアコンの音がうるさいとかって書いている人がいたんですけど、私が泊まったところはべつに……でした。静かでしたよ。エアコンも、空気清浄機も。

 ともあれ、バスルームはこんな感じ。 

法華クラブバスルーム

 洗面所の水は飲用にできます。…とはいえ、ホテルの水は飲めるんだろうけどマズイ、ということが多いので(と、私はすでに思い込んでいるので)すが、このホテルの水は大丈夫でした。飲めます。(←富士山の湧水をはじめ、基本的に美味しい水が飲める静岡県民なので、水の味にはじつは、相当、ウルサいのです)
 ……だってヘタな水でお茶をいれると、お茶がマズイんだもの~。(←じつはいつも自分でお茶を持参する)

 洗面所には、ポンプを押すと泡が出るタイプの洗顔料(兼、手洗い)と、写真ではわかりづらいですが、バスタブのところには、ボディソープ、シャンプー、コンディショナー(資生堂)のボトルがあります。

 私は、小さいパックを濡れた手で開ける手間よりも、どんと置いてあるボトルをそのまま使用する、こういう方式の方がむしろありがたいです。

 バスタブは……まあ、大きくはないのですが、でも、身長155cmの私が、座って足をまっすぐ伸ばすことはできました。伸ばしてほぼいっぱい、という感じだから、身長160cmを超える人は、足を伸ばしてお風呂に入るのは無理でしょうね…。
 過去、いちばん壮絶だったバスタブは、改装前の品川プリンスホテル本館のシングルでした(いまは本館とは言わず、イーストタワーというらしい)。……私の体格で、「体育座り」するしかないバスタブ。あれでは、バスタブというより「桶」でしたね。
 改装後の品プリ本館にはいったことがないのでわかりませんが。あのお風呂、あのままだろうか。(^^;)

 部屋の鍵はこちらにさしこんで、部屋の照明の大元スイッチになります。

法華クラブ室内スイッチ

 最近はカードキーのホテルも多く、その場合、カードキーは外出の際も自分で持ち歩けますが、このホテルのキーは、出かけるときはフロントに預けていきます。……いまや、なんだか懐かしい感じのスタイルですね。(^-^)
 でも、防犯とかの意味でなら、このほうがいいんだろうなあと思いました。

法華クラブデスク

 ベッドの足許にはこういう具合でデスクがございます。テレビはすでに地デジ対応。
 椅子の、画面向かって左にあるのが冷蔵庫。中身は空っぽで、自分で買ってきたものを入れておけます。自動販売機コーナーは2階にある……んだったかな。私は今回は利用しませんでしたが。

 あ、そういえば、こちらのホテル、客室の照明は天井灯です。
 あちこちにスタンドがあって、それを点けて歩く必要はありません。
 日本人の多くにとっては、やはり、明るい天井灯ひとつで部屋全体を照らすというほうが馴染みがあるスタイルですよね。
 私としても、このほうが面倒がなくてありがたいです。明るいし。

 フットライトはありません。天井灯に、ちっこい、オレンジ色っぽい豆球があるので、それを寝るときの照明にしてもいいんでしょうね。
 私はじつは、部屋は真っ暗じゃないと寝られないというタチで、フットライトすらまぶしく感じるので使いません。(^^ゞ
 今回は、空気清浄機の運転を示すランプの光だけでじゅーぶんでした……。

 ともあれ、この法華クラブ、フロントスタッフの方の応対が本当によかったです。
 人がくればとにかく目を合わせて、いつでも承ります、という姿勢なんですよね。たとえ、チェックインで混み合って、ちょっと並んで待つようなときでも、必ずいちどは、身を乗り出すようにして挨拶して、少々お待ちください、くらいは言うのです。
 エラいなーと思って見てました。

 私は、忙しいときでも無理に応対しろなんていう気はないので、順番が来るまで放っておかれても気にしませんが、それでも、いちど声をかけてくれて、こっちの存在を認識している、ということを示してもらえると、安心感はありますよね。

 ホテルの建物の入り口(1階)に入ると目の前にエスカレータがあり、これをあがって2階に行くと、そこにフロントがあります。
 1階のエスカレータ横にはコーヒーショップがあります。こちらのコーヒーも美味しいそうです。今回は私は立ち寄れませんでしたが、機会があればまたぜひ。(^-^)

 ということで、ホテル法華クラブ京都、クチコミどおりのいいホテルでした。なにせ駅は目の前だし、周囲に食べるところもたくさんあるし、……ローソンも、まあ、近いといえば近い…かな(距離にして100mくらい)、とにかくコンビニもあるし。
 いいホテルでした。

 音は……どうだったかなあ。今回はちょっと疲れていたので耳栓してさっさと寝てしまったのですが……。でも、隣室のシャワーの音が響くとか、そういうことはなかったので、静かだったと思います。
 立地の利便性とお値段と、お部屋、サービスを考えますと、いいホテルだと思います。

 ちなみに料金はチェックインのときにお支払い(預かり金、ということですが実質、先払いですわな)、チェックアウトのときは、部屋のキーを渡して領収書をもらうだけ。

 ちなみに、建物入り口からフロントにいくときのエスカレータは1機しかない。チェックイン時には上りのみだったのですが、チェックアウト時には下りになってました。
 それに気づかずエレベータで1階に下りていた私…。(^^;)

 ともあれ、快適に過ごせたホテルでした。
 
 
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オタク川柳大賞
2011年02月11日 (金) | 編集 |
 拍手くださいました方、ありがとうございます。(^-^)

 本日、じつは、この記事がアップされているころ、毎年恒例となりました、冬の京都への旅に出発しているはずです。
 ……はずですが………どうなっているんでしょうか。

 よりにもよってこの3連休でいきなりの大荒れ。
 新幹線、まともに動いてくれるのでしょうか。(^^;)

       ●

 世の中、こういうものもあるんだなーと感心したもの。

第6回 あなたが選ぶオタク川柳大賞
http://www.575.cc/

 最終候補作が決まった、ということで、拝見してきたのですが。
 なんだか……わりとどれも、「身に覚えがある」気がするのはどうしてなんでしょうか;;

待ち受けを 見た同僚に 謝られ (なんでなんでなんで:40代)

 これは私は経験はないんですが(待ち受けはふつーです…)、……謝られたことが「なんでなんで?」というのがなんとも可笑しい。

売り方が 鬼畜といいつつ すべて買う (出口香織:20代)
 
 これは…身に覚えがあるなあ……。
「ちくしょー。それでも欲しいというファンの足許見やがって(涙)」と泣きながら、DVDボックス買ったとか……あるある。(^^;)
 まさに、これが(先日ちょこっと書いた)ファンダム消費心理。

握手券 買うとCD 付いてくる (おわらい:30代)

 これはねー。すごくよくわかりますねー。
 食玩目当てでお菓子を買うようなもんで、完全に本末もしくは主客転倒ですが、やっちゃうんだよねえ…。

旅先で 観光ガイドに 意見する (マインカンプ:40代)

 これはいかにもオタクなイメージですね…。(^^;)
 気持ちはわかるけど、やめておいたほうが;;

御先祖の 御供養祈る コミケから (ふみあき:20代)

 これも私としては経験ありというか。
 でも、そういう気持ちがあるだけいいと思うよ……とは、なんとなく自己弁護っぽいですね。(^^ゞ

 ということで、昨日2月10日から、投票受付が始まっています。(3月25日まで)
 また、同じページ下に「オタク検定」がありまして。



 私は惜しいところで不合格でした……。やっぱりゲームをぜんぜんやらない、ボーカロイドにも興味薄いというのは、オタクとしては致命的なのだろう…と思いました。
 が、不合格でなんとなくホッとしたような気持ちにもなったのは、どうしてなのでしょう。(^^;)
 
 
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