今年も一句
2010年11月30日 (火) | 編集 |
 拍手くださいました方、ありがとうございました。(^-^)

      ●

 ――小掃除を重ねて 無理せず 大掃除

 ということで、日曜日には「大掃除に向けて小掃除」第一弾、玄関の三和土磨きを。
 天気もよくて絶好の掃除日和でした。

 三和土(たたき)を水洗い、洗剤洗い、洗い流し、乾燥させてからワックスがけ、乾くまで放置――ということで、乾かす時間がかかるために、どうしても半日、使っちゃいますね。(^^;)

 玄関のドアなどはまた今度。
 なにせ「小掃除」ですから。
 一気にやるとイヤになるので、ちょこちょこやっていく方式です。(^^;)

 天気が悪かったり、自分が風邪を引いていたりするとアウトですが、今年は幸い、順調です、いまのところ。
 
 玄関の三和土にワックスをかけるようになって――えーと…1年はたちましたか。3~5ヶ月に一度というペースなのであんまりマメじゃないんですけど、(^^ゞ
 でも、いちばん最初にやったときのことを思うと、だいぶ滑らかな感じになりました。

 三和土の水拭きは毎日やっていますが、それでもやはり、汚れはついてしまうものですね。
 でも、ワックスがようやく効いてきてくれまして、水洗いの段階で、けっこうきれいに汚れが落ちるようになりました。
 以前はもう、亀の子だわしで必死になって擦ってどうにか、って感じでしたから……。
 最初にワックス掛けたときなんてすごかったです、――なにしろ、それまでがほったらかしだったので、3回ワックスを塗ってもただ吸い込まれていく感じで、ちっともワックスが効かない感じでした。

 だいぶきれいになったぞ、と、ひとりでご満悦状態です。(^^)

 今年は久しぶりに冬コミにいくことにしたので、ちょっと早めに大掃除に着手しました。
 
 体調に気をつけて、順次、家をきれいにして、年末は楽しくお出かけしたいです。

 いよいよ明日から師走です。
 
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フィギュアスケートと龍馬さん
2010年11月29日 (月) | 編集 |
 拍手くださいました方、ありがとうございますv (^^)

      ●

 フィギュアスケート、グランプリシリーズ、フランス杯。
 昨夜の男女フリー、見ました。

 浅田真央選手。
 どうもご本人としてはいろいろ満足がいかない(…そりゃそうだろうけど…;;)ようですが、しかし、傍観者として言わせてもらえば、いや、さすが驚異的な進歩だと思いました。
 9月の段階で聞いた話が本当ならば――また、NHK杯のときのことを思い出せば――長足(ちょうそく)の進歩ではないでしょうか。

 踏み切りどころか助走の段階から、従来のスタイルとはまったく異なるものへ変えるというのは、本当にたいへんな作業なのではと、しろうとにも容易に想像できますよ。
 靴ひもを取り替えることですら、その感覚に影響を与えるらしいとは、オリンピックのときに聞いたことですが、それくらい微妙な感覚だとしたら、助走から踏切からタイミングをすべて変えるなんて。

 それをわずか2ヶ月そこそこでここまで持ってくるのですから、浅田選手の能力の高さが窺い知れるというものです。

 グランプリファイナルへの出場はならなかったけれども、それは今期についてはやむを得ないでしょう。
 本来ならこのシーズン、試合に出ること自体がすんごいチャレンジのはずです。

 それでも、試合に出続けることが大事、という、本人のコメントがあったようですが――そういうもんらしいですねえ;
 これ、相撲のほうでも聞いたことがあるんですよね……相撲では本場所の土俵を「本割り」といいますが、どれほど稽古を積んだとしても、最後のその「土俵勘」――本割りでの力の発揮の仕方というのは、本割りでしか、培えないんだそうですね。

 なので、怪我をして、見ている方が痛々しいので、休場したほうがいいのではと思うのに、本人は、たとえ負けても土俵に上がりたい、というのは、そういうことが理由だそうです。本割りの土俵にあがりたい――たとえ負けても――、休んで、「土俵勘」がなくなってしまうことのほうがはるかにイヤなことなんだそうで。

 あと、よく、力士が休場すると、当日の対戦相手が「不戦勝」ということで、戦わずして白星を拾うことになります。じつはあれも――さぞかし不戦勝というのはありがたいんだろうと思っていたんですが、そうではないらしい。
 一日、本番の相撲が取れないから、調子が狂ったりするらしいですね。なので、不戦勝も嬉しいことではないそうです。

 浅田選手も同様なのでしょう。
 そこまでの徹底改造をするのなら、今期は試合に出ることはやめてもよかったんじゃないかと思っちゃうけど、「練習ではなく、本番で成功すること」が、すでに練習なんですね。

 それに、確かにジャンプは苦しんでいるけれども、ほかの要素は、またいちだんとレベルアップしているように見受けられます。表現力は、本当にすばらしく磨かれましたよね。タラソワコーチについて難曲に挑み、しかも克服した、成果はちゃんと出ている。

 それらを評価できない人もいるようですが――まあ、明きめくらというのはどうしたっているものですからね。雑音は無視するに限る。

 それにしても、本当に厳しいことをあえて自分に課していく人なんだなあ、と、――イヤなことがあるとすぐに逃げ出す私からすると、本当に後光が差して見えます。拝んでしまいますよホントに。

 たった2ヶ月でここまで持ってきたことを思うと、来季がまた楽しみです。
 ファンはわかってます――期待ではなく「希望」を寄せ、邪魔にならないように応援しています。

 小塚選手。
 長足の進歩といえばこちらもですね。
 舞踊的表現力はまだ弱いですが、しかし、スケートは本当にどんどんレベルアップしているんですね~。自己ベスト更新はすばらしい。(^^)
 なにがどうとは私には説明できませんが、やはり彼のスケートはきれいで、見ていて飽きないと感じます。

 それにしても、男女とも、ファイナルへ進出する6人中3人が日本の選手ですか……。

 なんかそのうち、有形無形の「ルール改正」で、それらが妨害される日がくるんじゃないかと思っております。

 昔はこの手の競技で、非白人がトップを取るということは「あり得ない」ことだったですよ。
 フィギュアスケートの場合は、技術点の他に「芸術点」がありまして(現在もあるけど、現在よりはるかに重要度が高かった)、その芸術点では、非白人は、絶対高得点はなかったんで。
 いまでこそ、アジア系の選手も容姿にも恵まれたひとが増えてきましたが、昔はね。

 そうしますと、――露骨にそんなことをいやあしませんが、それでも、「見た目減点」はありましたわけで。

 子ども心にも、スケート技術がどんだけすぐれていても、白人ではないというだけで、芸術評価が低くなるのだなとわかりましたものね。露骨でしたよホント。

 その状況が変わったのは、やはり、……えーと、ソルトレーク五輪のときでしたっけ、フィギュアスケートの採点で不正があったことが明るみになり、現行の採点方式に変わって、それ以降ですね。

 以前のようにきわめて主観的な芸術評価の割合が相対的に小さくなり、ジャンプやスピンのように技術点を細分化、専門のジャッジを置くことでジャッジの不正が「やりにくくなった」(根絶ではない)ことで、もともとスケーティング技術にすぐれていた非白人の選手たちに、やっとまともな評価が出るようになった(それ以前に比べれば)、ということですね。

 ま、現行の採点方式も、「まとも」なわけじゃないんですけどね。しょせん、人間のやることですから、抜け穴なんてものはそこらじゅうにある。
 それでも、昔のことを思えばまともになった(あくまで比較によるが)のは事実だなーと。

 思ったところで不安になる。

 白人にしてみれば、ファイナル出場者の5割超が非白人というのは面白くないはず。
 そのうち、なにかの手を打ってくるのでは……と。
 疑り深い私めは、そんなことも、ちらちら考えながら見ております。(^^;)

 ゆがんだ見方だけど、世の中はけっこうゆがんでいるので、まあそれもしょーがない……と思し召しくださいませ。

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 そんなわけで昨夜は「龍馬伝」が最終回でしたが、フィギュアを見ていたので、ほとんど見ていません。ご……ごめんなさい……;;(←誰に)

 あらかじめアナウンスがあったのかもしれませんが私は聞いていなかったのでちょっとびっくりしてました。今井信郎が、市川亀治郎丈だったのには「あー!!!!」でした。(^^;)

 あんな(史上では)小物の役に、こんないい役者さんを使うなんて!!!

 と、ここでもファンは、虚実を混乱させて叫んでしまいました。(^^ゞ

 やっぱり亀治郎丈はさすがだと思いました……。なんなんでしょう、あの存在感。
 なんの思想性もない、時代も読めない、ものがわからない(幕府は終焉したが、徳川家存続のためにはもっとも殺してはならない男を殺すとは!)、小粒の暗殺者だというのに、あんないい男が演じたら、思わずときめいちゃうじゃないですか!(←ときめいた;;)

 そういえば、朱川湊人さんがやはり龍馬ファンでいらっしゃるそうですが、先だっての日経夕刊のコラムでは、龍馬暗殺の場面について過去の映画やドラマはひどかった、とお嘆きで、この「龍馬伝」はどうだろうか、と書いてらしたんですが。
 どうだったのかしら。満足できたのでしょうか。ちょっと感想聞いてみたいなあ。(^^)
 

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書を捨てよ、町へ出よう
2010年11月28日 (日) | 編集 |
 拍手くださいました方、ありがとうございました。m(_ _)m

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 アジア大会、やっと終わりましたねえ……よかったよかった;;

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 昨日はお芝居のチケット取りで電話にかじりついて……でもないかな。
 午前11時から受付開始で、11時時報と同時に掛けたんですけど、ほんの少しも待ち時間もないまま、ダイヤルした、次の瞬間には「ただいま大変混み合っております…」。
 あれってやっぱり、回線をつなぐこと自体、ブロックされているとしか思えないですね;;
 ハナっからつなぐ気がないというか。

 30分ほども粘ったけれど、どうにもならないので、いちど買い物にでかけ、帰ってきてお昼を食べながら数分おきに電話をかけ続け、やっとつながったのは午後1時半ちょいまえ。
 受付開始時刻からすでに2時間以上が経過。もうチケットないかもと思いつつ粘ってみたら、まあなんとか、なりました。私どもの希望は「土曜日、日曜日いずれかのマチネ」です。
 平日の夜の部でもいけるような近所に住んでいればなあ、といつも思う…。

 このチケット取り、間違い電話の元なのでリダイヤルするなという注意事項が書いてあるのですが、あれ、手動でダイヤルする方が間違いやすくないですかね?;;
 ということで、私はときどき手動、基本リダイヤルで挑んでいるのですが…。マズイのかしら;; ホントは;;

 電話を掛ける→ブロックされる→電話を切る→リダイヤルする→ブロックされる→電話を切る→リダイヤルする→ブロックされる→電話を切る…
 というのを繰り返すうち、手の動きが機械的になり、やっとつながったのに、思わず電話を切ってしまった、という話を聞いたことがあるんですけど。やりそうになりますよね~。(^^;)

 私も、昨日はつながった瞬間、そのまま切ろうとしちゃって、あぶないところでした;;

 それにしても、この電話でチケット取るときの苦労だけは、20年経っても、なーんも変わらないですねえ…。オペレータではなく、自動音声が一般化したくらいですか。

 ちなみに、こちらの先行予約はウェブ受付もあるのですが、これは「抽選制」だそうです……。間違ってもくじ運が強いとは言えない私としては、あぶなすぎて手が出せないです;;

      ●

 私としてはやはり、ゲームやら初音ミクちゃんやらを「恋愛」と言われると、戸惑ってしまいます。
 妄想と恋愛はぜんぜん違うものだよ……なんで真顔でそんなことを話し合ってんですかと思ってしまいました;;

 ↓↓↓

初音ミクへの思いこそ「究極の愛」か 現代の恋愛、人気作家など議論
「若者はコストパフォーマンスで恋愛を考えている」「初音ミクへの思いこそ、究極の恋かもしれない」濱野智史さん、平野啓一郎さん、櫻井圭記さんが現代の「恋愛のアーキテクチャ」を語った。
2010年11月26日 17時34分 更新

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1011/26/news078.html

 恋愛をコストパフォーマンスで考える、というご意見には思わずうなずいちゃったけれど、そんなこといってたら、まともな人間関係なんて、べつに恋愛に限らず、なにも構築できないでしょう。
 人間というのはそういう意味では不合理なものでできているので。
 しかしそれはなにも若者に限った話ではなくて、老若男女の別もなく、そういう発想の人というのはどこにでも、いるものです。
 目新しい話題ではないのですが。

 しかし――この「頭でっかち」ぶりというのは……。(^^;)

 寺山修司はかつて「書を捨てよ、町へ出よう」という本を書きましたが(高校生のころの愛読書のひとつでしたさ)、あれですかな。頭でっかちというのは時代を問わず、若い人の特徴のひとつではあるのでしょうね。

新・書を捨てよ、町へ出よう (河出文庫)新・書を捨てよ、町へ出よう (河出文庫)
(2006/07/05)
寺山 修司

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 昔は「書」だったかもしれないが、いまはネットやゲーム、でしょうか。
(いまはむしろ、漫画でもいいから本を読め! と言わなきゃならないのか;;)

 ネットを捨てよ、町に出よう。――なんて言ったらそれこそネット上で叩かれるわけなんでしょうかね。
 
 妄想と恋愛はぜんぜん違うよ、とだけ、ぽつんと言っては「言い逃げ」になるかもしれないので補足しますが、妄想は自分の内側だけのこと。恋愛は、たとえそれが片思いでも、自分以外の「人間」――不合理で、身勝手で、経済的には『割に合わない』、手間がかかり時間がかかり、自分の思うとおりにはならなくて振り回されてしまう「人間」との『かかわり』であり、それは必ず「双方向性」のものである。

 言ってみれば「閉じこもり」と「オープン」の違い。

 閉じこもった空間は、なにをどう屁理屈をくっつけようと、大きく開いた「外の世界」にはなり得ない。
 
 まるで異質のものを、代替可能であるかのように議論するっつーのは、どーゆーことですか。それも洒落や「遊び」でいうならわかりますが、そんなあなた、優秀な頭脳をお持ちの方々が、そんな真顔で…;;

 と、戸惑いを覚えずにはいられませんでした。(^^;)

 ……まあね…、外に出る、ということは――卵から孵ったばかりの雛のような少年が、思春期のとっかかり、「外」に足を踏み出したとたん、とてつもなく生臭くて不合理な「恋愛」に翻弄されちゃう、ツルゲーネフの「はつ恋」みたいな「危険性」も、たしかにあり得るけれど。

はつ恋 (新潮文庫)はつ恋 (新潮文庫)
(1987/01)
ツルゲーネフ

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 この甘やかなタイトルに騙されて、この本を手に取ったひとは世界にどれほどいるでしょう。(^^;)
「いきなり『初恋』でこんなタフな目に遭わされたら、女嫌いになっても仕方ない」
 と思ってしまった、たいへん印象深い小説でした;;

 しかし、それほどの目に遭うこともまた、人生においては無意味なことではない。その人にとってはなにかの意味があるから、そういうことと出会うのでしょう。

 ならば、狭い部屋にとじこもり、妄想にふけることを恋愛と同列にみなすことは、人生において無意味なことなのか。

 ………どーなんでしょうね……。
 私もわりと精神的な引きこもりなところがあるんだけど、そこに閉じこもったまま、「外」から目を背け続けるということもできないタチなので、そのへんはなんとも。

 結局、なんで「外」へ出ていき、「人間」と双方向性のある関係を持つことが必要かというと、他人と出会うことが、自分と出会うことだからでしょう。
 人生とは、つまるところは「自分自身を知ること」なのでしょうが、自分では自分の姿が見えず、髪型が似合っているかどうかすら、確かめるためにはたとえ小さくても鏡が要るのと同じように、「自分以外のなにか」が、「自分を知る」ためには必要だ――ということなんじゃないでしょうか。

 自分と似た人と出会う。自分とは正反対の人に出会う。
 ほっとしたりびっくりしたり、ショックを受けたり泣いたり怒ったり笑ったり。

 そういうことを経験することでしか、自分を知ることはできないから。

 たまには自分一人の部屋で憩うことも必要だけれども、「町へ出」ていくことが、だから、人間には必要なんじゃないだろうか。

 ことは恋愛だけの話じゃないんだと思うんだけどなあ。
 
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コラーゲンパウダー
2010年11月27日 (土) | 編集 |
 拍手くださいました方、ありがとうございますv

      ●
 
 本日はまたちょっとお薦め商品のお話。

 サプリメントのひとつになるんでしょうが、コラーゲンパウダー。

 本当は、テレビCMでお見かけする、藤原紀香さんがご出演の、明治のアミコラを買うつもりが、



 ちょっとした手違いで、私が買ったのはロッテのコラーゲン10000でした。(^^ゞ



 無理もないこととはいえ、8月末からつづいた極限状態に近い生活態度のせいで、ふと気がつくと、ふだんはなにかと図々しい私のお肌も、えらいことになってまして;;
 
 シミもそばかすもしょーがないが、とにかく乾燥している感覚が――まだ冬にはなってないのに――かつてないほど、ヤバイと感じまして。

 もちろんいろいろ塗るとかパックするとかというテもありますが、……何と申しましょうか、この乾燥ぶりは、かつて経験したことがない異様な感覚。
 なので、外部からのケアでは間に合わない。そういう感覚がありました。

 皮膚というのは「露出している内臓」なんだそうですね。
 今回の乾燥は、単にお手入れ不足とか紫外線対策不足とか、寝不足とかのせいではなく(それらもありますが)、もっと問題としては根が深く、――内臓そのもののお疲れが、肌にでてしまっている。
 そんな感じでした。

 うーむ、どうしよう……と考えていたときに目についたのが、紀香さんのCM。
 なるほどコラーゲンか、と思い、ネットで検索。あれこれ見ているうちについ、ぽちっとしてしまいました。(^^;)

 コラーゲンはタンパク質から生成されます。
 通常の生成過程は、

 タンパク質を食事として摂取
 →アミノ酸に分解
 →そのアミノ酸をもとに、必要に応じてコラーゲン生成

 ということで、コラーゲンを外部から、サプリメントとして摂取しても、体内のコラーゲン量が増えるわけではないので、無駄。
 と、力説するご意見(科学者とおっしゃる方含む)をいくつか見た覚えがあります。

 さりながら、私、医学に携わる専門家が、どんだけ栄養というものに関しては無知で不見識かということを、これは私自身で見聞しているので、まともに言ったらぶん殴られそうだけどイマイチ、「コラーゲンサプリは無駄」という意見が信用できないんですよね。

 なかには、「そんなもんを一生懸命摂取するなんて女は馬鹿」と言外にもせよ言っているのを見たことあるしなあ。
 結局、本当に言いたいことは、コラーゲンサプリが有効か無効かじゃなくて、他人を罵倒することなんじゃないの、と思いますね、ああいうの。
 そういう手合いは無視することにして。

 私ももとからの虚弱体質ゆえ、昔からプロテインには本当にお世話になっておりました。
 たぶん、外見的には実年齢より若く見られることが多いのは、プロテインのおかげであろうと思っているのです。
 お世話になっているのは、分子栄養学の権威、故・三石巌博士の理論に基づいた製品を世に送り出している、メグビーさんのプロテインです。私のお昼はこちらのプロテインです。
 スポーツ用のプロテインも試したことあるんですが、やっぱり、目的が違うせいか、「基礎的な栄養になる」のは、やはりこちらのプロテインだなと思います。
  ↓↓↓
メグビー
http://megv.co.jp/
 
 ――かれこれ30年、プロテインを飲み続けたうちの父も、そのお骨ときたら、そりゃあ立派なものでした。
 斎場で、きれいに形が残ったお骨を見たとき、「骨粗鬆症の心配だけはなかったな、この人」と思いましたほどで。
 歯形からなにから、くっきり残ってたものな~。歯なんか、歯根がきれーに残ってましたからね~;;
 父の実兄である伯父は「こんな姿になっちゃった」と泣いていましたが、私は思わずしげしげ眺めてしまいました。灰にもならず燃え残る骨。ガッツだ。骨だけど。(ガッツははらわたという意味;;)
 あんまり立派すぎて、そのままでは骨壺に収まらないから、少々、叩いて砕いてから収めますがよろしいですかと焼き場の人に聞かれたほど。

 ということで、私も、おそらくプロテイン――タンパク質、つまりコラーゲンの材料が不足しているとは思われないんで、それで、「あらためてコラーゲンてのは、どうなのかな」と思ってきたのです。

 が、なんかもう、10月、11月の、わがお肌の活力のないことといったら、そんな悠長なことを言っていられる余裕はない。
 それで、ちょっとお試しのつもりで、紀香さんのじゃないけど(ロッテさんごめんなさい;;)買ってみました。

 もう半月ほどになりますか――しかも、付属のスプーンで山盛り2杯飲めとあるのに、すりきり1杯しか飲んでないんですが、でも、効果がでてきましたよ。

 理屈はわかりませんが、――コラーゲン不足もしくは体内のコラーゲンが劣化しちゃった人間には、「科学的見地」とは異なる結果になるようで、ちゃんと効きました。
 
 私の場合、真っ先に効果が出たのは髪。
 どうも髪が乾燥していたのが、髪に腰が出たのでびっくり。
 じつは、お肌への効果より髪の方が早かった。(^^;)

 そのうち、爪――甘皮のあたりが荒れ放題だったのもしっとりして、へえ、と思っているうちに、ようやく、お肌にもしっとり感が出てきました。

 それに――意外にも「疲れ」にも効いたようです。

 考えてみれば当たり前なんですかねえ…。「皮膚は露出した内臓」だとすれば、内臓が疲れてくれば当然、その機能も弱ってしまう。結果、肌も荒れる。
 内臓のお疲れを解消することで、お肌も復活する、というのは、わかりますね。

 単に美肌というばかりではなく、健康それ自体にもいいんじゃないかと思います。

 生活習慣や体質のこともあるので、万人に同じ効果が期待できるとは限りませんが――「コラーゲンをとることで内臓も元気になる」かも、というのは、素通りするのももったいない「情報」ではないかと思いまして、書いてみました。

 ところで、コラーゲンというと原材料の関係で、なんかニオイが気になるということが、従前は多かったようですが、このパウダータイプのものは、たしかにニオイは気になりません。

 付属のスプーン山盛り2杯を一気にコーヒーとかに入れたけど、これはさすがに臭う、というレビューもありましたが、1日にその分量を摂取してくれという話なので、なにも、一度に飲む必要はありません。(^^;)

 私はお昼、プロテインと一緒にいれて飲んでますが、お昼にそうやって飲んで、3時のお茶にも一杯入れて飲んで、という飲み方でOKでしょう。

 粘膜の強化にもつながるのなら、これから風邪がはやったり、すでにノロウイルスが来ているようですが、そういうものへの抵抗力ともなるので、美肌とは限らず、おすすめしたいところです。

 もちろん男性にもおすすめです。
 肌が乾いて荒れるということは、内臓の粘膜も弱っていると考えられるわけなので。

 それにしても、こういう、手当てができるものがいろいろある、ということは、やはりありがたいです。
  
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デマを生み出す心理
2010年11月26日 (金) | 編集 |
 拍手くださいました方、ありがとうございました。m(_ _)m

      ●

 うちのブログにも、いろんな検索語からおいで下さる方がいらっしゃいます。
 アクセスログを見ていると、「どういう理由があって、こういう言葉で検索したんだろう」と、すっごい気になる検索語が、ときどき見られます。

 ボディブリファというのは私からすると単なるアンダーウェアなんですが、それが明らかにエロと関係する単語と組み合わせて検索されているのを見ると、
「ボディブリファを使ってどんなプレイが? もしくは、スクール水着に萌えるように、ボディブリファで萌える人がいるんだろうか?」
 とか、たいへん大きなお世話ですが、本気で気になったりします。
(そして、「うちのブログ、エロとは関係ない話題ですみません!」と叫ぶ;;)

 ………ま、人の趣味はいろいろなので、詮索してもしょーがないんですが(笑)

 ということで、先日もまたちょっと気になる検索語に、うちのブログがひっかかったらしきログがあり、気になりました。

 曰く、
「ローフードを食べている人は老けて見える」

 見た瞬間は、なにこの検索語? とびっくりしました。

 ローフードやってると老ける、そういうこと、いう人がいるの?! 逆ですよ逆!
 ………へーえ。
 なんの根拠があってそういうこというんだろう?
 
 この検索語からうちへおいで下さった方が、そういう考えなのか、それとも、そういうことをいわれたけど本当なのかと疑問に思ったか、さもなければ、人からローフードを薦められたが、素直に聞き入れる気にならず、「だってローフード食ってると老けるでしょ」と反論するための、資料が欲しかったのか。

 つい、あれこれ考えてしまいました。(^^;)

 しかし、この手のことにはときどき出会いますね。

 現在ではすっかりDHCさんの回し者みたいなヘヴィユーザーになっている私ですが、その昔は他社さんの化粧品を使っておりました。
 もちろん悪いものではありませんでした。
 が、ある日友人に、化粧品は何を使っているかと聞かれ、某社さんのものだと答えたら、
「え? あそこの製品使っている人って、すっごい肌が汚くなるんでしょ? シミとかしわとかすごいって」

 ………ちなみにこの会話の起点は、「お肌きれいだよね~。化粧品は何を使ってるの?」です。
 つまり彼女は、私の肌がきれいだなと思ってくれ、そのうえで、どこのメーカーさんの化粧品だろうかと興味を持ったわけですよね。
 てことはさ。その某社さんの製品を使っているとシミや皺がすごいことになるという情報を聞かされていたにせよ、それを「お肌きれいね」と思った相手を見たときに「あれ。違うのかな」と、思わないもんでしょうかね。

 世の中には、100%いい話というのはないもんで、これはあやしいと思ってもいいが、それと同じ理屈で、100%完全に悪い話、というのも、ちょっと眉に唾をつけて見た方がいいもんだと思っております。

 あれ、不思議ですよね。なにかの妬みの心理なのかと思うんですが、世の中で、高評価、いい評判をとったもの、人気があるものが、わーっと出てくると、必ず、それを無理矢理に否定する、ネガティブな「噂」が登場するんですよ。

 子どもの頃、すごく美味しいラーメン屋さんがありまして。
 個人経営の小さいお店ですが、本当においしかった。田舎町にあるまじき人気となったのです。

 ところが、誰が言い出したのか「あそこの店のスープは猫の肉を使っている」という噂がたちまして。
 ばかばかしいことこの上ない噂なのですが、子どもの私でも呆れたことには、その噂がひろまるや、そのお店の客足は途絶え、ほどなく閉店してしまったのです。

 妬みというのは恐ろしいと思いました。
 と同時に、人間てやつが、どれほど「テメエの頭でものを考えない、判断しない」ものか、まだ幼い私の脳裏に、くっきりと刻み込まれました。

 ここまで極端ではないけれど同じことが、世の中では繰り返されていると思いました。

 本当に、某社の化粧品を使う人がシミや皺でえらいことになるのなら、その某社、もう長い歴史を持つ化粧品メーカーなんですけど、倒産もせずにやっていられるわけはないんですよ。女性が、そんなことが本当なら我慢できると思いますか。

 ローフードも、生の野菜や果物をといわれ、どういう理由かは知りませんが、信じたくない受け入れたくない、自分はそんなことしたくない、という心理から、なんの証拠もなく、そういうことを言い出したヤツがいる。
 ……のかなあと思いました。

 人間は、自分が信じたいものを信じる。

 それがどれほど理屈に合わず、道理に合わず、支離滅裂なことであっても。
 
 ――不思議なことにそういうことはたしかにあるんですよね。

 いまの世の中、情報化社会といわれ、なにかあるとすぐに他人を「情弱(=情報弱者)」と見下すいやらしい人間も登場するようになりましたが。

 結局、情報というのは「材料」でしかない。
 その情報を見極め、自分の「信じたい気持ち」がどこにあるかを知り、けれども「道理」はどこにあるかを見定めることには、情報は、なにも寄与しません。

 情報という材料から、極上の料理を作り上げることができるかどうか、それはその人の、見識というものにかかっています。

 見識は、情報によってでは培われない。
 自分の体を使って自分で体験して自分で考える、そういう経験のなかからしか生まれない。

 情報が多ければ「えらい」っていう認識、やめたほうがいいんだろうな。
 ――と、新たに見てしまった「デマ」を前に、自戒をこめて思いました。
 
 いえあの……、私も相当、好き嫌いが激しいタチなもので。(^^ゞ
 

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スマホ
2010年11月25日 (木) | 編集 |
 拍手くださいました方、ありがとうございますv (^^)

      ●

 本日はまたお出かけのため、ちょろっと書くだけになっております…って、昨日あんだけうだうだ書いたんだからいーじゃない、といわれそうです。(^^ゞ
 あんだけ書いてもまだ、じつのところ考えたことや感想など、ほとんど何も書いてないに等しい、というのも、すごいかもしれない……。
 とはいえ、鋼も10年かかってますから、それを思えば、こちらとしても思うことが山盛りになるのも当然か。(^^;)

      ●

 スマホはべつに要りません、と、言い続けてきましたが。
 次回ケータイを買い替えるのは、2012年の春を予定しておりますが(2年かけて償却?するプランで買ったもんで)、そのときにはスマホを買うかもしれない…と、思わず真顔でございます。

 iPhoneにはとくに執着はないんで――キャリアがソフトバンクさんのみであるならば、私には、iPhoneという選択肢は存在しないことになります。

 なんだかここんとこ、ちょっと元気がないように見受けられるauさんでしたが、スマホのラインナップについては、だいぶ力を入れてきているようで。

 私も何しろケータイについては、電話は滅多にしない(携帯電話とはいわず、ケータイ、と言い習わしている理由ですね;;)、メインに使うのはネットとメールばかりということになっておりまして。
 ケータイカメラはけっこう使う。ブログにだけど。(^^;)
 ネットブラウジングが快適に使えるなら、いいかもなあ、などと思っているところです。
 
 いろいろ事情はあるんでしょうが、AppleはFlashを切り捨てつつあるようですが――どうなんですか、現状においてネットブラウジングでフラッシュに非対応って、使いにくくはないのでしょうか。

 ひとまずauさんのスマホではAndroidを採用、OSはFroyoということで、フラッシュも見られる――ということは、感覚的にはパソコンでのブラウジングに近くなりますよね。

 ストレスなく、ケータイでネットブラウジングができ、かつ、現在のケータイの機能も維持されるなら、スマホを使わない理由もなかろう……と、ここで急速にスマホに気持ちが傾いております。

 その大きな理由は料金プラン。
 いままでのパケット定額プランよりもお得になると聞けば、そりゃあ、一気に気持ちが動こうというものです。

auのスマートフォン向け新料金「ISフラット」の導入について
http://www.kddi.com/corporate/news_release/2010/1108b/besshi.html

 私はあのICカードをほかの機械に差し替えて使うなんてことはしませんので(ちまちまと面倒くさいですねあれ;;)、そのへんについては検討しておりません。

 パケット定額がいまよりお得になり、かつ、ネットブラウジングが快適になるのであれば、選択肢にいれない理由はない、ということになってまいりました。
 まだ、次のケータイ買い替え検討時期までは1年以上ありますから、次回のときには、使用できる機種であれ、料金プランであれ、どんどん状況も変わっているでしょう。この料金プランを見たときに、かなり気持ちがグラグラ揺れたので――次回はたぶん、私もスマホかなあ。(^^;)

 たぶんそのころには、じゅーぶん「型落ち」機種もあるでしょうし。
 私はケータイを買いかえるときは、最新機種よりワンシーズンくらい古い、つまり型落ちしたものを狙って買います。(^^;)
 きっと1年以上のちには、スマホでも、ちょうどいい型落ち機種があるのでは…と予想しております。

 最初に私がケータイを買ったのは、1996年くらいだったのかなあ。
 あのころのケータイの姿をいまでも覚えております――購入金額は1万4千円でした。
 イベントで使いたいというのが理由でした。なので、1ヶ月のうち、電話をすることは滅多にない。ただ、「いざというとき」使えるように携帯電話を持っていたい、というのが、私のスタンスでした。

 通話料は30秒で100円で、割高ではあるけれども、月額料金が2,000円という、当時としては型破りなプランを打ち出していたのが、auさんの前身、「IDO」(移動高速通信)さんでした。
 当時のシェアは圧倒的にドコモさんでしたさ。圧倒的というより寡占状態だったといったほうがいい。
 でも、すんごい高かったの……ドコモさんは。ケータイ本体も、プランも。
 ゆえに、IDOさんのプランを聞いたときは、待ってましたと飛びつきましたわけで。
(つまり、それ以来、私はキャリアを変更したことは一度もありません)
(我ながら律儀というか;;)

 あのときのことを思い出すと――なんか、もうね~。えらいことになってるなあ、と思いますよ。

 しかしまあ、そのうち、携帯どころか、ウェアラブル(身につける、着ることができる)の情報ツールが出てくるのは予想されていることなので。

 ……技術の進歩とやらはどこまでいくのかと思います。

 人間自身が、その進歩に追いついていけるといいねえ。(^^;)
 
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拍手御礼
2010年11月24日 (水) | 編集 |
 拍手くださいました方、ありがとうございました。m(_ _)m
 一言下さいました方、ありがとうございます。
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「鋼の錬金術師」27(最終巻)
2010年11月24日 (水) | 編集 |

鋼の錬金術師 27 (ガンガンコミックス)鋼の錬金術師 27 (ガンガンコミックス)
(2010/11/22)
荒川 弘

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 いよいよ、「鋼の錬金術師」、完結でございます。

 本誌をご覧になった方にはもっと何ヶ月も以前のことになるわけですが、なにしろ「単行本化をジッと待つ」派なもので。(^^ゞ

 てなわけで待望の最終巻、感想でございます。
 ネタバレはダメという方、本日はここで失礼をいたします。m(_ _)m

 おつきあい下さいます方、以下の追記からどうぞv
  
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拍手御礼
2010年11月23日 (火) | 編集 |
 拍手くださいました方、ありがとうございました。(^-^)
 一言下さいました方、ありがとうございます。
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気楽にローフード
2010年11月23日 (火) | 編集 |
 まいどお邪魔しております「誤訳御免!!」様にて、ヴィーガン vegans のお話を拝見しまして。

 ベジタリアンという言葉自体はそう珍しいものではなくなりましたが、あれもなんだか、奥深い世界らしいですね。
 私もベジタリアンつったら、とにかく肉や魚を食べない人のことだと思っていたのですが、そういうもんでもないんですね。
 肉類の他、卵、乳製品、蜂蜜について、OKだったり、それらのいくつかはOKだったりでグループがある。

 そういうなかで、とにかく、本当に野菜や穀類のみを食す、完全ベジタリアンともいうべき人々を、ヴィーガンというのだそうで。
 ……奥深い。(^^;)

 このヴィーガンという単語、先日ご紹介したローフードの本の中にもちらっと出てきます。
 そういえばマクロビオティックとの違いとかの話もあったっけなー……。

 まあなんにしても、私からみると、あんまりひどく頑固にこだわることもなかろうに(アレルギーがあるとかなら仕方ないけど)、とも思ったり。
 ものがなんであれ、食事というのはありがたく、「いただく」ものだと思っているので、せっかく誰かが、あなたのためにと用意してくれた食事を、ヴィーガンなので食べませんと拒否し、結局、用意された食事をゴミ箱行きにするようなことがもしあるならば。
 ……どうなんですかねそれも。と、思わないでもない。(^^;)

 とはいえ。
 おみおつけの出汁をとるのさえ「面倒くさい」っていう、現代日本人も、もうちょっとどーにかならないだろうか。とは思います。
 なにが面倒なんだ…。お湯が沸いたら削り節を放り込んでちょっとしたら掬い上げればいいだけじゃないか。なにも料亭みたいにきれいに濾してなんてやる必要はないんだからさ。
 いまや、顆粒ダシを使うだけマシ、なんてことになっているようで、私としてはちょっと目眩が;;

 私のようにいささか消化器が弱い人間には、内臓に負担をかけず、栄養を効率よく吸収することが大事なんですが、そういう意味でローフードというのは、なるほどありがたい、と思うこのごろ。

 宅配ピザを食べると、てきめん、体重がその日のうちにはねあがるという、なかなか恐ろしい体質なんですが(あれ、どうも浮腫もあるような気がする)、先月は一度、どーしても食事の支度をする気力も体力もない、ということがあり、仕方なく、ピザを頼んでしまいました。
 が、冷蔵庫にあるレタス、キャベツ、トマト、貝割れ菜を総動員して、大盛りサラダを先に食べてから、ピザをいただきましたら、いつもの体重増加もなく、すーっと通過したのにはちょっと驚き。

 よく、便秘を防ぐには水分を摂ることも大事といいますが、その水分はじつは、ただ水を飲めばいいというものではないようです。口に入れる食事、食品に、水分があることのほうが、腸にとっては大事なんですね。

 生の野菜、果物がなぜいいかというと、生ですから、その葉っぱなり実なりには、彼ら自身の水分がたっぷりと含まれている。
 ローフードは、それらを損なうことなくいただくわけなんで、コップで水をがぶ飲みするのとは比較にならないスムーズさで、必要な水分を吸収できる。そういうメリットがあるようです。

 酵素と水が大事ということの意味が、ちょっとわかってきました。

 アンチエイジングにもいろいろありますが、とにかく、お肌を若々しく、ということはとりもなおさず内臓をわかわかしく、つまりは「健康寿命」を延ばしたかったら、やはり酵素を壊さない食事が必要なんだな――と、おぼろげにですが、見えてきました。

 私も、100%ローフードということはできませんが、できるだけ、それに近いように心がけております。
 ……というか、ようやく最近、自分の食事をなんとかする気力が復活してきました。

 そんなわけで昨夜のごはん。

yukaripasta.jpg

 パスタですが、これに加熱したトマトソースを使うのはやめてみました。

 ミニトマト、貝割れ菜、大根の千切り(生のままです。水にさらしたもの)を具材にし、ソースはつかわず、「ゆかり」ちゃんをふりかけてみました。

 いや、以前から、「ゆかり」ちゃんのパッケージに調理例として載っている、「ゆかりパスタ」が美味しそうで、食べてみたいなーと思ってきたのです。
 意外とここんとこ、スパゲッティを茹でているチャンスがなかったのですが(ある限りはご飯を食べる)、昨日はたまたま、お釜が空いたので、チャンスだ! と思い、ゆかりスパゲティにしてみたということで。

 美味しかったです~♪ (^-^)
 紫蘇の香りがたまりませんvv

 付け合わせのサラダは、「ローフード」の本にあったレシピから。
 アボカドとトマトを1cm角に切って、ボールの中で混ぜ混ぜし、塩こしょうを振っただけ。
 ですが、なにかのソースを使ったかのようになめらかで美味しくなります。
 トマトの水分と、アボカドの油分が、うまい具合に溶け合ってくるんですよね~。乳化っていうんですか。まろやかです。はっきりいってマヨネーズいらず。
 母も、「え、これで塩こしょうだけ?」と驚いておりました。なんか、ちょっとソースらしきものを使ったっぽい食感になるから、驚きですよね。
 
 こんな具合で、出来る範囲でローフードを取り入れているこのごろです。

 先日は、ナッツミルクとアスパラガスのスープにも挑戦しました。
 生のナッツなんて、このへんじゃ売ってないと思ってたんですが、お菓子の材料コーナーにありました。生のアーモンドが。

 生アーモンド(大さじ2)を一晩水につけ、翌日、水300ccとミキサーにかける……というのをフードプロセッサでやってしまいました。(^^;)
 ミキサーに比べるとフードプロセッサは液体の容量が入らないんですが…なんとか小分けでやってみました;;
 で、それをガーゼで濾せば、「ナッツミルク」になります。

 さらに、このナッツミルクとアスパラガス1~2本を、やはりミキサーでガーッとやると、きれいな色のアスパラスープのできあがり。これをやはり塩こしょうで調味するだけ。

 ローフードの方が、火を使わないせいもあってか、短時間で出来たりします。
 忙しい人ほど、じつはローフードのほうが向いているんじゃないかと思います。それに、生ゴミがあんまり出ないというのもいいですねえ。
 
 まるでビシソワーズ(じゃがいもを使った冷製スープ)ふうのお味になりました。
 ガーゼで濾せばなお滑らかなんでしょうが、なんとなくもったいなくてそのままいただきました。

 そしたら、植物のパワーが強くて、お腹にぎゅーっときました。痛いとか気持ち悪いとかではないのですが、胃が、そのパワーを受けて急に動き出したショック、って感じ。
 しばらくしたら落ち着きましたが――なるほど、生のものってパワーもあるんだなと感じました。

 いま、サプリメントで酵素のお話はじわっと世間に広まっているようですが。

 サプリメントもいいけれど、やはり、それと同時に自分で生の野菜や果物をいただくに如(し)くはない、という認識も、一般化するといいなと思いました。
 飽食の時代といわれているのに、体からいわせれば、あたしら現代人て「飢えている」「栄養不良」状態なんですね……。いかに日頃の食事に、「肝心なもの」が不足しているかを感じてしまうほど、ローフードはパワフルです。

 酵素をたっぷりとれれば中年太りなんてなくなっちゃう(消化吸収排泄がパワフルになるから)。
 これはなかなか、すごいことなんで、一般に知られていくといいなと思います。
 なんでも、ローフードに切り替えたら、甲状腺の病気の方の場合、薬をのまなくてもいいほどに軽快したというのですから。(酵素には、自律神経や、ホルモンバランスを安定させる働きがある)
 子どもに食育もいいけど。大人の食生活をまずなんとかしたほうがいいんじゃないかなあ、なんて思ったりもします。

 できることから気楽に――少しずつ。
 お昼に生野菜のサラダ、朝夕には果物をなにか食べる、というだけでも、違うと思う。
 私のおすすめは、「小腹がすいたら干したプルーン」です。(^-^) 甘いし、便秘改善にもなるしv
 
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大政奉還
2010年11月22日 (月) | 編集 |
 拍手くださいました方、ありがとうございます~。(^-^)

       ●

 じつは、見たり見なかったりで過ごしてきてしまいました「龍馬伝」。
 昨夜はいよいよ大政奉還ということで、今回ばかりはちゃんと見てしまいました。

 私としてはちょっと注目していたのは、大政奉還なる、との報に接したときの龍馬さんのリアクションだったんですが。

 ………うーん。ま、しょーがないのかなー。と、ちょっと渋い顔をしてしまいました。

 おそらく当時の日本において、徳川慶喜の苦衷を親身になって感じていたのは、じつは、龍馬さんくらいなもんだったのかもしれません。
 ドラマの中でもちらっと出てきましたが、大政奉還と言葉でいうのは簡単だが、その決断は、どうしようもなく重いものを意味していたし……それに、なんといっても、孤独ですよね。リーダーというのは本当に孤独なものです。

 その孤独と決断の厳しいことを、情理それぞれの面でいちばん理解していたのは、大政奉還を案出した張本人だったかも、というのはなんとも。
(同時代の人々の多くは、慶喜本人の気持ちを、慶喜本人になりきって考えるのではなく、幕臣なり、『志士』なり、それぞれの藩所属の人としてなりの「立場」――といえば聞こえはいいが、ようは『私利』を基準にして考えていたわけなんで。――それは闇雲に責められるべきことではないけれども)

 その苦衷を鮮明に想像し得たからこそ、後藤象二郎には脅迫まがいの手紙を書いて「決意」を促したし、大政奉還なると聞いたときのリアクションが、ああいうものになったのでしょう。

 じっさいには大政奉還の知らせは、土佐藩家老、後藤象二郎から書面にてもたらされまして。
 一読するなり龍馬さんがいったことは。

将軍家、今日のご心中、さこそと察し奉る。よくも断じ給えるものかな。余は誓ってこの公のために一命を捨てん
(慶喜公の今日のご心中、どんなにつらかったかと思う。よく御決断してくださった。俺はこの人のためなら命も惜しまない)

 そういって男泣きした。
 慶喜さんの抱えるつらさを、日本中でいちばん理解していたのは、じつはこの人だっただろう。私はそう思いました。
(なので、今回のドラマ中にあったように、幕府につらなる2万人の今後について『どうでもえい』などとは、史実の龍馬さんはいわないし思わなかったでしょう。金がなければ食えぬ、ということをよく理解していた人ですから)
(じっさい、私としては賛成しかねるところがあるけれども、彼は、そのために蝦夷地開拓というものを考えていたわけで)
 
 ――このエピソードは、坂本龍馬という人の、人間性がどのへんにあるかを如実に物語っていると思うんですけどねえ;; このエピソードを取り入れたドラマって見た覚えがないんですよね。私の記憶力がアレなだけかもしれませんが。

 ということで、昨夜は、ああ、あのエピソードは「龍馬伝」でも不採用か、と、ガッカリしていたのでした。
 まったく、ファンというのはどうしようもないもんですね。(^^;)
 常日頃、ドラマはドラマである、といっている私からしてこのていたらくですから;;

 ただ、これってそんなに扱いにくいエピソードなのかなあ……とは不思議に思います…。(←未練がましい)

 まあなんにしても。
 いくら大河ドラマとはいえ、また、いくら福山雅治さんがその役をつとめたからとはいえ、今年の『坂本龍馬』ブームは、私には、嬉しく意外でございました。
 ファンは、ドラマを見ているとあれこれケチをつけたくなるところがいかんのですが、そういうことはどうあれ、これをきっかけに、彼を知る人が増えてくれたなら、それはまた、ファンとしては嬉しい限りでございます。
 
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求めれば、答えはどこかからやってくる
2010年11月21日 (日) | 編集 |
 拍手くださいました方、ありがとうございました。m(_ _)m

       ●
 
 昨日の日経新聞夕刊に、僧医(そうい)、対本宗訓(つしもと・そうくん)さんのインタビュー記事がありまして。
 僧医とは、――もともとは臨済宗の僧侶。45歳で医学部に入り、51歳で卒業、以後、「僧医」として活動していらっしゃるそうで。

 医学は肉体の手当てはする。しかし、「魂に手を当てる癒しの技は発揮できない」。また、僧はどれほど修行をし、きわめても、「体の世界を救う手だてが身につくわけではありません」。
体を診る医師と、心や魂の世界を説く僧侶の双方を兼ねた」ものが、対本さんの目指す「僧医」だとのこと。

 人は肉体があって初めてこの世を生きることが出来る。とはいえ、肉体だけで精神が伴わなければ、やはり人間として成立し得ないことも事実。
 どちらが、ということではなくて、両方が両方ともに大事だというのは、本当にそうだと思います。

 印象深かったのは次のお話。
誰もが死を怖れますが、怖いのは死の影であって、死そのものではないのではないでしょうか

 患者の看取りを重ねるなかで、対本さんは、亡くなっていく患者さんの眼差しが、仏像や修行僧のそれに似ていることに気づいた、とのこと。
 これを読んだとき、私も、あ、と思いました。

 父は不治の難病ということは承知していつつ、それでも回復の希望をわりと長いこと、強固にもっていました。
 その父が、覚悟を決めてしまったのかと思ったのは、肌身離さず持っていたお守りを、そっと仏壇に返していたのを見たときでした。
 ということで、たぶん、もう、覚悟なのか諦めなのか、そういう気持ちではありつつ、でも最後まで、自分自身であることは放棄しませんでした。
 できることがひとつでもあるなら、そのできることはきっちりやろうという意志は、本当にぎりぎりの最後まで持っていたようです。

 が、それでも、なくなる2週間くらいまえからでしょうか、対本さんのおっしゃるような目をしている時間が増えていきまして。
 あきらめているわけではなく、絶望しているのでもない、ただ、清澄な目をしている、と感じました。
 ただそれが私には、「死」が訪れる合図に思え、とてもじゃないけど、ポジティブな気持ちで見ることはできませんでしたが。

 対本さんの患者さんのひとり、末期がんの80歳代のご婦人はいつも天井をじっと見つめていた。退屈でしょう、と声をかけると、
「いやあ、若いときからのことをひとつひとつ思い出していると、何も退屈でないよ」
 という返事があった。
 ライフ・ビューというらしいですね。「人生の振り返り」。

人生を締めくくるための大切な心の作業をされていたのです」とは対本さんのお言葉。

 父も、天井の隅、ある一点をじーっと見ていました。あんまり凝視し続けるので、なにかあるのかと振り返ったこともあるほどでした。
 父も、そうやって、ライフビューを見ていたのだろうかといまさらに気づきまして。

誰もが死を怖れますが、怖いのは死の影であって、死そのものではないのではないでしょうか。死にゆく仕組みが体と心に備わっていることを知れば不安や恐怖は和らぎ、『いのちの流れ』に身を任せて生を生ききることができます

 死は、本来は祝福すべきことであり、それは新しいスタートだ、ということを、どうも理屈や言葉にならないところで感じている昨今だったので、このお言葉は深く身にしみてきました。

 しかしそれでも、ある種の別れの形になることはしょーがないことで、それが、悲しみをともなうことでもあるというのは、悟りには遠い凡夫には、いたしかたないところでしょうか。(^^;)

 ともあれ、あの「天井の一点凝視」はなんだったのかなあと時々、思い出しては気になっていたので、この「回答」はありがたいものでした。ナゾがひとつ解けた。(^^)
 わからないことがあると、やっぱり気になりますもんねえ。
 ちょっとスッキリした昨日でした。
 
 偶然でしょうが、五十日の斎みも明け、今朝からうちの神棚も再開です。
 
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「ベルサイユのばら」カルタ
2010年11月20日 (土) | 編集 |
 拍手くださいました方、ありがとうございました。(^^)

       ●

 某さんからまた妙な……もとい、楽しいものをいただいてしまいました。
(ありがとうございました~v)

 世の中にはこういうものがあるって……ご存知でしたか? 私は存じませんでした;;(こういうものを、どーやって見つけてくるんだろう;;)

 その名も「ベルサイユのばら」カルタ!!!

 あの少女漫画の金字塔、押しも押されもせぬ一大古典(になりましたよねえ)。歴史大河ロマン、でも立派に少女漫画という、絶妙なバランスとダイナミズムを持つ、名作でございます。

 それの、カルタ。

ベルサイユのばらカルタベルサイユのばらカルタ
(2010/11/10)
池田 理代子

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 内容は、ファンであれば本当に楽しめるでしょうね~。シャーロキアンの「聖典」並かもしれない。
 原作からそのまま使っている絵札。登場人物のセリフやあるいは場面に対するツッコミみたいな、読み札。
 詳細を知っている人ならくすっと笑ってしまう、場面と言葉の組み合わせ、その妙ですね。(^^;)

 私はとくにベルばらのファンというのではないのですが、それでも、全巻読破したし、なんだかんだいってアニメシリーズも全部見ましたから……うーん。なんていうんでしょう、ファンかどうかとは関係なく、「その時代の《共通語》」になるものって、ときどき現れますよね。
 たぶん、ベルばらもそういうものだったんでしょう。

 小学校3、4年の私には、あとから考えるとまったく理解できていないところが少なくなかったと思うんですが、その後はアニメだったりその再放送だったり、原作の再読だったりを繰り返して、徐々に、理解は深めていったと思います。

 とくにフランス革命というのは、単純な見方だけでは当然、理解できないわけで、いまだに、思うところは多岐に亘ります。
 フランス革命は――善かれ悪しかれ、人類の近代化の、いっっちばん最初の「イベント」だったと思います。
 その「近代化」最初のイベントは、自由平等博愛という「スローガン」に比べ、実態があまりにも血なまぐさいですが、その、血なまぐさくて最悪ってところが、いかにも人類の歴史らしくていいですよねえ――と言ってしまっては、あまりに皮肉がすぎるでしょうか。(^^;)

(余談ですが、私、この手のイヤミ、皮肉をちらっということがあるのですが、ふだんの馬鹿面が災い――幸い?――しているのか、イヤミだとは気づいてもらえないことが本当に多いです。(^^;))
(上記の皮肉であれば、「歴史らしいって言い方はヘンでしょ」などと真顔で指摘、訂正されたりします……。でも、イヤミだと気づかれないというのは、いいことなのかもしれないですね。気づかなければ、相手も不快にはならないですから)
(そのかわり、その場では気づかれなくても、あとでバレたら――最悪だろうなあ私の印象って;;)

 20歳すぎくらいのときにも、友人に本を借りて全巻、再読したんですが、このときあらためて、この「ベルばら」が、歴史大河ロマンとしても、本当によく勉強してあること、かつ、複数の登場人物の視点を用意することで、あのフランス革命を複数の視点から照射して、いまはやりの「3D化」している、ということがわかり、感心した記憶もございます。

 超がつくエリート貴族のオスカル、庶民ではあるがその貴族に近いアンドレ、殺される側のルイ16世とアントワネット、庶民そのもののロザリー、「革命」の核心人物ロベスピエール、その他諸々――それぞれの立場と思いを汲み上げているところは、やはりスゴイなと思います。
 このへんが、不動の名作となった理由なんでしょうね。

 で、語りだせばけっこう詳しいのに、なんで私が「ファン」にはならなかったかというと……すりこみが「宝塚」だったから。
 なんていうとヅカファンにはタコ殴りされそうですが。(^^;)
 小学校1、2年だったと思うんですが、すでに宝塚で舞台化されていたのを、テレビで録画放送されていました。
 いまだにミュージカル自体が苦手なんですが、いきなりベルばらを、ミュージカルしかも宝塚で見てしまったというのは、あまりにも衝撃が強すぎたのです;;

 もちろん全編を見たわけではなく、アントワネットとフェルゼンの暑い…もとい、熱いラブシーンを見てしまったのは、まずかったなあと思います;
 苦手なんですよああいうのが。ホントに;; 宝塚だからではなく。
 で、さらに、あの独特の衣装とメイクに「びびった」わけです。(^^;) あれらはやはり舞台用なんであって、テレビで見ちゃいかん。と思う。

 小説でも映画でも、もろ恋愛ものというのは私はもう、対象外といいたいほど、自分では取扱いません。
 それでも少女漫画を読んでたんでしょ、といわれそうですが、当時の私が好んでいたのはこういう暑苦し……もとい、熱いラブストーリーではなく、せいぜいがラブコメ路線のものでした。根性ないんです…いろいろ;;

 なんせいまだに、こうやって、肝心の主人公ふたりのラブストーリーに話が及ぶと、笑うか、逃げるかのどっちかの反応しかできません。(^^;)
 気の毒なアンドレ。彼自身が真面目であればあるほど、私は笑ってしまいます。←殴っていいですよこんなヤツ;;
 いえ、アンドレについてはいろいろエラいなと思うんですけどもね;;
 島崎藤村は、

くろかみながく やわらかき
 をんなごころを たれかしる
 
 をとこのかたる ことのはを
 まこととおもふ ことなかれ
 
 ………………………

 ああ むかしより こひ死にし
 をとこのありと しるや君

 をんなごころは いやさらに
 ふかきなさけの こもるかな
」(『おきく』)

 と、ある意味、身も蓋もないことを詩に謳いましたが――いっちゃなんだが、藤村がいうと説得力があるような。(^^;)
 まあそういうもんだろうと思つつ、アンドレはしかし、そう思う人間にも、はかない「夢」を見せてくれる人ではある。

 フェルゼンに関しては笑わないよ、というのは、彼の場合、その背中に背負っているものに、「人として」同情を禁じ得ないからだと思います。恋愛云々ではなく、――アントワネット処刑後の彼の最期。
 単純に考えると八つ当たりなんですけどね……。
 フランス王家は庶民たちによって、法も道理もクソもなく、ただ感情的なものによって惨殺されたわけですが、それで「庶民」を憎んで、自国のスウェーデンに帰ると、自分の領民たちを虐めまくり、恨みに思った領民に(まあ当然でしょう)殺されてしまいます。

 思うところもいろいろありますが、ただここには、どうしようもない「現実」に打ちのめされた、人間の姿があるわけでして。
 彼の行いが正しいか間違っているかなんてのは言うまでもない。でも、人間としては同情できる「部分」もあるではないか、と思うと、――ここはもしかしたら実在の人物をモデルにしたことの強みかもしれませんが、少なくともアンドレのときのように、腋の下がもぞもぞしてきてうひゃひゃひゃとなることはありません。(^^;)

 とまあ、そんな状態なので。
 このカルタ。
 お正月にこれで遊ぶには…やはり、ファンか、もしくは内容に詳しいメンツがそろうことが望ましいですね。懐かしさもあって盛り上がりそうです。(^^)

 絵札を眺めているぶんにはいいんですが、読み札を読まれたときには(最初の「あ」からして、「アンドレ、青いレモン」ですぜ……!)、笑い転げて札をとることを忘れそうですが。私の場合。(^^;)
 
 
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