本日お休み

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 昨夜からまたPC版のテンプレート、替えてみました。
 これ、記事本文の文字の大きさをボタンで変更できるんですね。いいかも~、と思って、お借りしています。

 そんでもって。

 申し訳ございませんが、本日は風邪のため、お休み致します;;

 今日は朝イチで耳鼻科へ行ってきました; わりと空いてて助かりました。私が帰るときにどわーっと人が来たので、あのあとは混んでいたことでしょう;;
 さすがに朝イチのこの時間は空いているのかなと思いつつ、帰って参りました。
 ………本当に混んでいるときは、朝イチだろうがなんだろうが、いっぱいになってますけどね。(^^;)

 私の場合の風邪は熱ではなく、とにかく鼻と喉なんですけども……、それでもやはり、頭痛がするということは、熱っぽくはなるようで。常日頃から、ぼーっとしている私ですが、こうなっちゃうと、そのボケぶりがさらにひどくなるので、本日はおとなしくしております;

「毎年、この時期はこんな具合で」
 といったらば、耳鼻科の先生には、
「そろそろくるなと思ったら、あらかじめ、鼻炎の薬をのんでおくのもいいよ」
 と言われました。……ああ、そういうことをしてもいいのかと思いました。症状が出る前に先手を打つ、ってことですね。

 症状もないのに病院に行ったらまずいかなと思ってました。(^^ゞ
 花粉症の時期はまさに、先手を打つことはあるのですが。(これはもう、完全にわかりきってますもんね)

 今日で9月も終わり。いよいよ明日から10月、もう来年の準備が始まるのかと思うと、ちょっとクラクラしてきます。熱のせいじゃなくて。(^^;)

 夏は無事になんとか乗り越えたけど、その反動がどーしても秋に出る私です。

 皆様もどうぞお体をお大事に。m(_ _)m
 
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感動した!

 昨日の日経新聞朝刊、文化面の見出しがすごかった。

「妻に仕える 新・関白宣言」

 なんでも「全国亭主関白協会」、略して全亭協というものがあるんだそうです。
 亭主関白といっても、さだまさしさんのアレみたいな、ああいうんじゃなく、むしろ逆ですね―――私なら「自立している愛妻家協会」と申し上げたいです。

(余談ですが、私の母方の祖母には、なーんかイヤな思い出があったらしく、このさだまさしさんの『関白宣言』を嫌うことじつに甚だしいものがあったそうです。祖母は人のいい、穏やかな人柄だったので、人づてにその嫌いっぷりを聞いても私には想像がつかないものがあるほどです………。なんかあったんだろうなあ……おばあちゃん…)
(私もあの歌は好きじゃないが)

 協会会長の、天野周一さんのお言葉によれば「妻とよりよい関係を築いて夫婦円満になること」。「妻の尻に上手に敷かれよう」――そういうことが目的だそうです。

 十年ちょっと前、天野さんの周囲――友人たちに、離婚する人が続出したそうで。
 で、そのことを天野さんが奥さんに話したら、超・真顔で「次はあなたの番ね」と言われたそうです。
「自立ノート」というものを奥さんから渡されて、その内容は、ようは奥さんがいなくなったときに困らないよう細々としたことが書かれていた(それこそ下着がタンスの何処にあるか、とかも含まれていたようです…マジでか)。
 それをみて、奥さんが本気で別れたがっている、とわかった。そうです。

 しかし天野さんのエラいところはここから。
 そこから自分で家事をするようにしたり、いままでまともに話を聞きもしなかったのを、奥様の話に耳を傾けるようになり。
 関係が改善されるまでに2年ほどもかかったそうですが――でも、あたしゃ久しぶりに、清々しいほど感動しましたよ。

 これはもう、私自身が猛省を促されつつ感動している、ということをご理解いただきたいのですが――人間てのは、なにか問題があったとき、まずは他人や環境に、その原因を求めるものなんですよね。
 それがどんなことであれ、すべては自分の問題だというのが、この世の本質なんですが、しかし、なにかあったときに、これは自分の問題だととらえ、自分はどうすべきか、自分は何をすべきかを考え、「自分を改革する」ことを考えしかも、行動する人はなかなかいません。

 他人が悪いと思い、環境が悪いのだと思い、他人を責め、他人を変えよう、他人になんとかしてもらおうとするんですよね。(って、これ、私の自白です;;)

 なんてエラいんだ。――と、本気で感動しました私。
 夫婦関係の機微は私の関知するところではありませんが、でも、人間関係――とくに自分の家族や身内、親しい人との関係に、難しいことが起きたと感じたとき、自分の問題をまずとらえ、他人をではなく、自分を変えることにトライする、ということは、なかなかできることではありませんです。
 つい――他人を責める、というところに、気持ちも行動も、いっちゃいますよね……(遠い目)。

 それにしても、なるほどねえと思ったのは――そうやってご亭主が変わると、確実に、奥様も変わるんだそうです。そういう奥様を見ていることが、まず、ご亭主の楽しみになる、と。
 これってやっぱり「愛妻家」ですよね。(^-^)

 これだけ殿方が努力なさるのに応じない女がいたら、そりゃあ女が廃るってもんだよね、と思っていたら――やはり、「全女応」全亭協を女性が応援する会、というものがあるそうです。
 じっさい、ご亭主が「全亭協」の会員になると、その奥方様はどんどん女らしくなっていくそうです。
 そりゃうらやましい――いろんな意味で(笑)。

全国亭主関白協会
http://www.zenteikyou.com/index.html

全亭協を女性が応援する会
https://www.gekkle.co.jp/zen/zjo.html

 問題があったとき、他人や環境のせいにしないで、まず、自分の問題を捕まえて自分を変える行動を――、わかっちゃいるけど、なかなか、本当に実行するというのは……というのが、ほんとに身にしみている私としましては、本気で感動致しました。

 感心ばかりしてないで、自分も、少しでも努力を……。(^^;)

  
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健康のビジョン

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 先日は「医者が診つめた『源氏物語』」のご紹介から、WHOが規定している「健康」の条件についてちょこっと書きましたが、それで思い出したことがひとつ。

 うちのブログの、PC版のほうでは「人生が輝きだす名言集」というブログパーツをくっつけております(ケータイ版では表示できないんですねえ…)。下記「地球の名言」というサイト様のブログパーツでして。

・「地球の名言
http://www.earth-words.net/

 ありとあらゆる「名言」がランダムに表示されるので、なかなか面白いのですが、私はひとまず「人生が輝きだす名言集」という、ある意味、無難なものを。(^^;)
 いや、マジでアニメの名言集もあるんですけど……あまりにも自分の趣味丸出しなのもアレかなあと思いまして。(^^ゞ ←アレって何;;
 個人的にはアニメの名言集、興味あるんですけど、いきなり、

「人は思い出を忘れることで生きていける。
 だが、決して忘れてはならないこともある。
(by 碇ゲンドウ)」


 なんてのが表示されたら、自分でもちょっと心臓に悪い気がしまして。(^^ゞ

 話がそれまくりましたが、――そんなわけでうちのブログに表示される「名言」のなかに、どなたの言葉だったのか、「健康」に関する名言がありました。

 具体的な文言どおりじゃないとは思いますが――
 人間、ちっとくらい具合が悪いとか病気だとかでも、本人が、「私は健康だ」と思っている(そういうビジョンがある)なら、その人は健康なのだ。
 といったような主旨。
 なるほどな、と思いました。

 一病息災という言葉もありますしねえ。(本来は無病息災、ですが、人間、一病くらいはあったほうが、自分の体に気をつけるので、かえって健康でいられるというようなことですね)

 なにもかもが完璧でなければならない、というのも、考えてみれば逆にしんどい話だし、もしもほんのちょっとでも不都合があったら「もうだめだ」みたいな発想も、かえって病的な気がする。
 なにもかもが完全に完璧な人間なんてのは、そうそういるもんじゃないと思います。

 病気とまでは言わなくても、その体がもつ「弱点」とか、持病とか――そういうものがあったら、じゃあその人は「不健康」なのか。と考えますとね。

 無理をしろ、ということでもない。
 何かが足りないからダメってこともないし、コンディションが完璧だから必ず健康ってことでもない――健康オタクという言葉もありますが、「なにがなんでも完璧でなければならない」と、それこそ病的なまでに思い込んでいるというのも、逆に不健康な気がする。

 ここの話をつっこんでいくと結局「幸福論」になりそうな気がする。(^^;)

 もちろん、身体的にも精神的にも、苦痛がない、ということは、自分にも他人にも配慮したいし、目指したいことでもありますが。
 だからって――たとえばどこかに持病がある人が、不健康だとは限らない。

 病気と上手に付き合って、溌剌(はつらつ)としている人がいるなら、その人は「健康」なのだと思う。
 逆に、コンディションづくりに気を取られて、あれはダメこれはダメ、ああしなければ、こうしなければと、なにかの思い込みでがんじがらめになっている人は――「そこまでして健康を維持するのも、しんどいでしょう」ってことに。

 人間、なにかやりたいことをやるために健康を維持しようとするわけなんで、健康でいるために健康を目指すわけじゃないんですよね。ややこしい言い方の連発になって申し訳ないのですが。(^^ゞ

 私なんぞは意気地がないもんですから、あっちが痛いこっちが悪いとなると、いきなりそれだけで意気消沈しちゃって、しょぼくれるところがあるのですが、「自分で大丈夫と思えるなら大丈夫」と、無理をしない程度に、自分がやりたいことに集中する。それでいいんだなと思った「名言」でした。

 これは健康論というより、私みたいな意気地なしに活を入れるための「名言」かもしれませんね。

 とはいえ。 
 じっさい、自分の体と相談して、どうやるか、どこまでやるかの決断は、そうたやすいものではない。それも事実。
 それをするためにはやはり、日常、こまめなお手入れと、自分自身を蔑ろにせず、いま、自分は何を感じているのか、なにを必要としているのか、休息が必要か、そうでないか、などなどをじっくり、自分自身と話し合う習慣は必要ですね。

 現代人はあまりに忙しすぎるので、じつはこれこそがもっとも難しいことなのかもしれませんが。

 で、いちばん大事なことは――「これ以上は無理です」と体が訴えてきたら、それは素直に聞く、ということかな。ほんとうにぶっ倒れるまで我慢するんじゃなくて、そういうときは誰かに助けてもらっていいんだ、と。
 そんなふうに思うこのごろです。
 
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饅頭こわい

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 およそゲームというものをやらない私、熱海が、なんとかという恋愛シミュレーションゲームのファン向けのイベントで盛り上がっていると聞いても、「よかったじゃないですか、熱海が盛り上がって」というくらいで……内容がわからないからリアクションもできないほどなんですが。

(往年の新婚旅行のメッカ、その後は団体旅行――おもに社員旅行――の目的地だった熱海も、団体旅行、社員旅行が敬遠されるようになったうえにバブル崩壊後はどうにも……という感じなので、盛り上がったという話を聞くとホッとするし、嬉しいんですよね。――オタク? いいんじゃないですか。海外から×××や×××が大挙して押し寄せるよりは、オタクのほうがはるかにケガレがないです)

 テレビCMで、GREEさんの無料ゲームのCMだったと思うんですが、その、恋愛ゲームの内容がちらっと出てきますよね。
 男性向けではなくて女性向けらしく、美少女ではなく美少年、美青年がぞろぞろ出てきて、「愛の囁き」のサンプルを聞かせてくれるわけですが。

 思わず怖気(おぞけ)をふるったアタシって……。(^^;)

 うーん。CMで聞いただけで背筋が寒くなって腋の下がぞわぞわして叫びだしそうだった。
「歯が浮く」という表現がありますが、あの感覚の千倍くらい。

 なにがそんなに気持ち悪いと思うのかわかりませんが…、なんかこう、「そういうことは人目のないところで!」みたいな。直視できないというか。恥ずかしさのあまり走って逃げ出す、そんな感じです。

 いや、これは恋愛がモチーフの「ゲーム」なんであって、じっさいの「恋愛」それではないとわかってるんですが、……わかってるんだけど、ひとさまにはお見せしないことが基本のものを、ものすごいおおっぴらに見せられている気がして、「ぎゃー!」になってしまう。

 その感覚、強いて例えるなら、自分の入浴をのぞかれて、ぎゃー! ではなく、何の気なしに扉を開けたら、すっぽんぽんの見知らぬ他人がいた! というときの「ぎゃー!! ごめんなさいいいいい!!」――という感覚に近いです。

 見てはいけない開かずの間、みたいな。(^^;)

 ………ゲームのみならず、小説でもお芝居でもそうですが、ああいうものは「その世界に没頭する」ことなくして、楽しめるもんじゃないんですよね。
 ゲームだからではなく、なにかこう……、入り込めない「なにか」が、私にはあるみたいです。そこに足を踏み入れると、自分の「恥部」が白日の下のさらけ出される……みたいな恥ずかしさ。

 そういえば、小説でも、ファンタジーというものが、どうしてもダメなことが多いんですよね。これも不思議…;
 こっちは、何かが恥ずかしくてぎゃー! ではなく、ガラスの壁が目の前にあり、私が、その壁に弾かれている、という感覚ですが……。なんか、ファンタジーの場合は私が拒否しているというより、あちらさまに「お呼びじゃないんだよ。シッシッ」と追い払われている感じです。意味不明ですが。

 その虚構を、虚構だとは知りつつ楽しむためには、現実の自分をある意味「放棄」して、その異世界に入り込むことが必須ですが、……どうしてもそういうことができないジャンルがある、ということでしょうか。

 誰にでも、そういう苦手なジャンルというのはあると思うんですけども。(^^;)
 私が個人的によく聞かされるのは「時代小説は苦手」というもの。これはなんとなくわかる気がする……。私は平気ですが、ああ、こういう『お約束』が嫌われるんだろうな(苦手な人には)、というものの感触を、私も感じることがあるので。

 ファンタジーにしろ恋愛シミュレーションにしろ、嫌がるどころか、普通は喜んで楽しめる要素満載だろうと客観的には思うんですよね私も。

 なので、自分が、具体的にはなにを苦手に思っているのか、その「正体」を知りたい気もします。
 自分でもわからない「理由」を、内観して探っていくと、とんでもない理由がみつかるというのは(たとえば、『些細なことですぐ怒る』のは、気が短いのではなく、『なにかされるのでは、と怯えているから』だとか)、これまでの経験でわかっているので、――知りたい気もしますが、知ってしまうとパンドラの箱かもしれないなーという、こわ~い感覚もあります。
 恋愛シミュレーションを苦手にしている本当の理由。わかったら怖いものが出てきそうな気がする。(^^;)

 怖い話を聞くのが大好きな私ですが、自分にとっていちばん怖いのは、こういう、自覚できない自分の「理由」かもしれません。
 それでも、なにも知らないままでいるより、それがたとえどんなことでも知っておいたほうがいい、ということも、経験上、わかってはいるのです。………ですがね…。(^^;)

 
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医者が診つめた『源氏物語』

 えー。いまだ血圧は上がったままですが、ふだんが低血圧気味なのでちょうどいいかもしれないと思っているみずはらです。こんにちは。
 
 先日ちょこっとご紹介しました「医者が診つめた『源氏物語』」読了しました。

医者が診つめた「源氏物語」医者が診つめた「源氏物語」
(2010/05)
鹿島 友義

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 もっとこう、身体的な部分に話が及ぶのかと思いきや、「病は気から」の言葉どおりで、やはり人間の精神状態、その人の性格、環境、性向などが掘り下げられることになり、なるほどこれも源氏物語の読み方なんだな、と思いました。

 葵の上は「糖尿病前状態による難産」だったとか、これはもう、へー、と感心するしかない医学上の所見ですが、紫の上の「スピリチュアル・ペイン」――症状自体は現代医学ではどれとは診断がつきかねるそうで。
 狭心症その他の発作とも思えるが高熱が出るというあたりで、その所見は違うということになる。

 で、出てくるのが「スピリチュアル・ペイン」。
 これは立派に医学用語なのだそうですが、スピリチュアルを日本語に訳すと「霊的」ということになり、なんとなくおどろおどろしい。
 著者によると、英語のspiritualというのは、日本語には該当する言葉もしくは概念がないということのようで、それで原語のまま、スピリチュアル・ペインとしている、そうです。
 これはまだ一読しただけでは私には意味が把握しきれないので宿題にしたいですが、これはたんなる、精神的苦痛とかストレスとか、悩みとか悲しみとかというのとも、違う「ペイン」(痛み、苦痛)のようです。

 日本の医学は目下のところ、身体的、その機能上のことばかり気にしていますが、――たとえばホスピスも欧米発のものでしたし、本当は医学はもっと、その人の精神活動そのものに、注意を向けてもいいのかもしれません。

 痛みがあるから痛み止め、血圧が高いから降圧剤、胃が痛いから胃薬、腫瘍ができれば臓器をとりまくり――、もちろんそういうケアも必要ですが、もう少し、異なる人間の側面も、見ていくべきかもしれない――というか、もしもこのさき、本当の意味で医学が進歩していくなら、そういう方向へ進まざるをえないのではないかと。

 診察室に呼ばれてはいって、医者は患者を見もせず、目もあわさず、お腹が痛いと訴えても触ろうともしない、ただパソコンのモニターと検査の数字ばかり見ているなんて。
 ………これは、医学そのものへの信頼感をかえってなくさせる。かねてから、私はそんな風に思ってきたので。

 現代医学では診断しきれない紫の上の症状を、それでも、彼女の悲痛な告白から読み取ろうとする著者に「こういう先生だったら、たとえ病気は治らなくても、診てもらえたら嬉しいな」と思いました。

 ちなみに。
 WHOは「健康」を、次のように規定しているそうです。

健康とは、身体的、心理的、社会的に完全にいい状態(well-being)であって、単に病気あるいは欠陥がないことではない。そして、それは、人種、宗教、政治的信念、あるいは社会的な差別なく、各人の基本的な権利である

 そして、この「身体的、心理的、社会的」にくわえ、近年、「スピリチュアル」を加えたんだそうです。
 スピリチュアル……。

 スピリチュアルに「健康」とは、どういうことか。
 ………なんとなくイメージできるような気もするんですが、言葉に直せと言われると……。うーん。

 難しいもんですね。
 千年前も、現代も。
 人が健康である、ということは。

 
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とうとうキレた

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 だからいわんこっちゃないんだ。
 ――ということで、あまりにも気分が悪いので、昨日からテレビニュースはぜんぜん見ていません。ネットでのヘッドラインと新聞ナナメ読みでじゅーぶんだ。
 民主党のふぬけを見るのは。

 ねえ。だから外交は戦争の一種だって言ったでしょう。いかににっこり笑って握手をしていようと、本質が戦争であることにはかわりない。
 喧嘩をするからには勝たなければならない。負ける喧嘩になんの意味がある。

 外交は戦争の一種ですが、だからって本当にドンパチするような、あるいはそれに近いような、事態の先鋭化は(可能な限り)避けなければなりません。ゆえに、常日頃の、事態が大きくならないうちのそれぞれの対応が大事なのです。

 私の願いはとにかく一日も早く民主党が政権から降りて、ベストの選択とは言えないがすくなくとも民主党よりはましなので自民党に戻ってもらうことです。私は自民党支持者じゃない。でも、日本人なのですよ。日本という国をきちんと守れる選択をしなければならない。

 とにかく、子ども手当てに騙されたか、マスコミにだまされたか、自民憎しのルサンチマンで脳味噌がいかれたのかは存じませんが、民主党に政権をとらせる投票行動をしたすべての人に責任とっていただきたい。この場合の責任を取るとは、倒閣運動を起こし、民主党を政権党から引きずりおろすということです。
(国会のリコールができないのは困りますね。こういうときは)
 
 それにしても日本の新聞も不思議ですね。今朝の日経新聞は論説も社説もまるで「まともな日本人みたい」ですよ。どうしたっていうんでしょう。
 そのとおり。アメリカとの関係を強化、確認し、中国がいかにハイリスクな存在かを認識し、理を曲げず、暴力団国家の脅しに屈せず、日本の国益を守る対応しなければならない。

(こういうことを言うとまたアメリカべったりがどうこうとおろかなことを言う人がいますが、私はべつに親米でもないですよ。ただ現実として、その盾に守られているのは事実だから仕方ないです。あれで役に立つというのかと思った人、李承晩ラインで検索してみてくださいよ。十分ではなくても、日本の国防からアメリカははずせないのが現状。誰もその辺をきちんと評価しませんがね)

(私は、左巻きがいうように、日本がアメリカから『独立』するのもいいと思いますがその場合は日本が独自に核武装することになりますよ。自衛隊も強化しなければなりませんよ。いいか悪いかじゃなくて現実として必要なんですよ。そういう覚悟があって言ってるのか? かくも、現実を見ないでテメエの好き嫌いの感情だけでものをいうから、左巻きと呼ばれるのです)
 
 ――なんで、日経ともあろうものがこんなまともなことかいてんの?
 というのが今朝の私の驚きです。(←もちろんイヤミです)

 NHKもそうですが――このマスコミが、中国や韓国との「友好」を喧伝すればするほど私には嫌悪感と不信感が募るというのが現状なわけですが、いわば、軽佻浮薄な世論を煽って民主党政権を実現させたのは、こういった状況に持ちこむためだったはず。
 なのに、なんでこの期に及んで「日本人みたいな」こと書いているの? 日経さん?

 これで我々のもくろみどおりになりましたと正直に書けばいいのにね。
 敵が誰か、これがはっきりするのはいいことなので、正直に書いてほしい。この期に及んでまだ国民を騙そうとするとは、呆れます。

 まあとにかくケッタクソ悪くて仕方ない。どうにも困ったもんです。

 だから、民主党なんかが政権とったらどうなるかは火を見るより明らかだと私、言ったでしょう。――と、言っても詮無いひとりごとが、ついつい、こぼれてしまう今朝でございます。
 私ごときがブツブツ言っていても意味なんかないのはわかってますが。
 ――それにしても、日本の国民というのはどうなっているんでしょうねえ……。

 はっきり申しましょうか。日本の政治が三流なのは、その国民が政治的に三流である、なによりの証拠です。
 今回のことで、少しは反省のうえ、勉強してもらいたいと思いますよ。エラソーなものいいになって申し訳ないですけど、でも、ほかにどう言えばいいかもちょっとわからないほどなので。

       ●

 つぶやきと申せば、頑張っているイカロスくんのツイッターです。

イカロス君 on twitter
http://twitter.com/ikaroskun

 ツイッターはよくわからんと言いつつ、これだけは、なんとなく見てしまいます………。
 そういえば先日打ち上げられた「みちびき」が撮影した地球の写真もこちら↓から見ることができます。

みちびき on twitter
http://twitter.com/QZSS

 きれいですねえ。
 こういうのを見ていると、わずかな間ではありますが、心も洗われる思いが致します。

 それにしても。
 こんなきれいなところに、あんな××みたいな×××がいるのかと思うと……(←落ち着け私)
 
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金満幻想

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 なんだかエラいことになってますね。気候の話ですが。

 昨日の朝、起きたときは、気温はあんまり高くない(私の部屋の温度は26℃にちょっと届かない、くらいでした)けど、蒸してるなあ、湿度が高くて気持ち悪いなという感じでしたが。
 昼過ぎ、強い雨がざーっと降った後、午後4時頃に、なにげなく窓を開けたらその風の冷たさに震えました。

 ………おととしでしたか、やはり夏が暑く、10月ごろまでは暑かったんだけど、それがなくなったと思ったら晩秋を思わせる寒さになり、「今年は七分袖のシャツを着ていない…」と、ぼやいた記事を書いた覚えがあります。
 今年もそんな感じなんでしょうかねー。

 夏が終わったら冬だった、みたいな。(そこまで極端じゃないにしても、でも、わずか1日で気温差10℃ってのは、自律神経には厳しいよー)

 まあ、これで秋物が売れるようになり、アパレル関係はホッとしている……かな。
 この間までは、秋物なんて見ただけで汗が出るわ! という感じでしたものねー。

 それにしても今週はものすごい飛び石連休で、今日の私は曜日感覚がヘンになってます。今日………今日は金曜日……だ、ね。(←怪しい;;)

 ともあれ昨日は秋分の日、お彼岸のお中日(ちゅうにち)。
 お墓参りはちょっと行けませんでしたが(天候がちょっと)、おはぎはしっかりいただきました♪ うふふ。美味しいv

       ●

 日経BP社さんから「DAZZLE」ダズルという、女性向けの雑誌が、月イチのペースで送られてきます。
「富裕層女性向けライフスタイル誌」なんだそうですが…。

 富裕層女性向けと言いつつ、なんで、超庶民のうちに送られてくるかというと、私が日経BPさん発行の雑誌を定期購読しているから、らしいです。
 でも、富裕層じゃなくても日経パソコンくらいは読みますよねえ; 仕事の関係だもの…。
 頂いちゃっていいのかな~、と言いつつ、見ている分には面白いので、「DAZZLE」黙ってそのままありがたく頂いております。(送付は今のところ無料です)
 うちにはほかにも雑誌はいろいろありますが(情報誌からきものの雑誌、ねこのきもちまで)、そのなかでひたすら異彩を放つ雑誌ですねー。(^^;)

 うちの、「リビング」ではなく「茶の間」っつー雰囲気の部屋の中では浮きまくりだ。

 私はいわゆるバブル世代ですが、まあおよそ、バブルとは関係のないところにおりましたので――バブルとは、ものの値段がやたら高くて迷惑だったという感じです。お金持ちにはいい時代だったでしょうが、持たざるものには、――なにせユニクロもしまむらもなく、お高いもの以外の選択肢はない、という状況だった。これはもう本当に不便でしたよ。
 高いから服を買わないってわけにもいきませんし。

 そんな具合で、いわゆる高級ブランドとは縁がない。
 バブル当時の私は、学校で、ちょうど1920年代のアメリカを―――フィッツジェラルドを読むことで――勉強していたため、あの時代、みょーに冷めた目で世相を見ていたと思います。

 投資ブーム、土地投機、正体のない熱に浮かれた「乱痴気騒ぎ」。
 そして訪れる当然の「崩壊」。

 バブルが崩壊したときは、驚きはなく、ああ、くるべきものがきたんだなと思いましたっけ。
 歴史は繰り返すと申しますが、その歴史とは、必ず自国の歴史とは限りません。あの日本のバブル景気とその崩壊は、1920年代のアメリカと、その後の大恐慌、そのままでした。

 2年前のリーマンショックも、まあ、「繰り返された歴史」ですよねえ。人間てのはほんっとに懲りませんねえ。

 世の中の立派な大人たちが、ほんの20歳の学生だった私に見えていたことが、本当にわかっていなかったというのか。わかっていても、どうしようもなかったとでもいうのか。
 これは今でも、疑問に思っております。

 とまあそんな感覚ですから、高級ブランドとは縁がないというのは比喩でもなんでもない。

 服や化粧品などには別に興味もありませんが、見ていて楽しいのはやはり旅行の記事。
 知らない土地、知らないホテルの写真やそのレポートを見ているのは楽しいです。セレブと言われる人々の旅行って、行き先も、ホテルも、その滞在方法も、やっぱり浮世離れしていてい面白い。(^^;)
 豪華客船の旅っていうのがいちばん憧れるな~。
 時間もお金も体力も! っていう旅。

 そして、いつも、いかに自分が庶民であるかを実感するのは、化粧品の紹介のページ。

 撮影時の演出で、よく、パウダリーファンデーションならわざとパウダーを砕いて見せたり、リップスティックなら、ナイフで削って色を見せるようにしている、そういう構図の写真がありますよね。
 それを見るたび気になるのは、その製品の高級品ぽいイメージや、写真としてのオシャレな雰囲気や演出ではなく。
「未使用の新品の化粧品なのに、こんなことしちゃってもったいない!!」

 ただただこの一点が、気になって気になって仕方ない。
 そういう自分には、高級ブランドの世界に足を踏み入れるのは――たとえどれほど財力が得られても――ま、ないんだろうな、と思います。

 というか、本当にそんな財力があったら、オーダーメイドで友禅色留とか、そういう方向で贅沢したいよ~。
 背が低くて手足も首も短い私に、あんな高級ブランドの服なんて似合うわけがない。ゆえに、きもので好きなだけ贅沢するほうがよっぽど価値があるぜ!
 
 と、そんな妄想をしては、妄想している自分に笑ってしまいつつ楽しんでいます。(ちょっと倒錯気味?)

 ああ……今日は眠くて(あんまり眠くて気絶しそう;)支離滅裂になりました; 本当に申し訳ございません;;
 
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十五夜さん

 昨日はそんなわけで中秋の名月でした。
 あんなに暑い中秋も、滅多にないかと思いますが。
 このあいだちょっと涼しかったときにファンデーションをもう、夏用から切り替えていたんですが、汗で化粧が流れた昨日……;;

 夜は雨の予報でしたので、月が見られるかどうかと思っていましたが、意外と夜空は大丈夫でした。風は強かったんですが。(^^;)
 暑い暑いと言いつつ、やはり月は、もう秋でした。
 あの曇りのない冴えかえった光。

 お月見団子。作りました!
 作りました、といばるほどのもんじゃないですが。(^^ゞ
 上新粉買ってきて、その袋に書いてあった通りの水を加えて茹でただけ。
 お団子の数には諸説あるようですが、十五夜さんなので、十五個、ということにしてみました。

 みたらし団子のタレが……しかし……レシピどおりに作ったつもりだったのに、1回目はタレが固くなりすぎ、2回目はゆるすぎ。
 もうちょっと研究してみます……。すなおにきな粉あたりにしておけばよかった;;
 
 まあでも、美味しかったです。神棚にお供えし、月を見上げてからお団子、お茶と一緒にいただきましたv
 例によって写真は撮り忘れ;; いやまあ大した団子じゃないですから。(^^;)

 昔は月見というのはどのくらいの時間で行っていたのでしょうか。
 お団子をお供えしておいて、そのお団子の数がいつのまにか減っていても、「お月様が食べた」ということにしていた、という話を聞いたことがありまして。
 これはもちろん、お供えの団子を、子どもなどがちょちょいとつまみぐい、ということでしょうが、月見のときはおとがめなしだったそうです。(^^;)
 そういうのもちょっと可愛げがあっていいなv

 なんにしても、はて、お供えは、何時頃から何時頃まで置いていたのかなと思いました。
 なんせ――保存料が入らない上新粉のお団子の場合、翌朝にはすっかり固くなってしまうので(←経験者)、やはりその日のうちには食べたんだろうと思うんですけど……。
 まあ、固くなっても、蒸すとか、みたらしのタレで煮込むとかすれば、いちおうは復活しますけども……でも、圧倒的に風味は落ちる。はっきりいえば美味しくない。
 で、昔は、月待ちという風俗があって、これはだいぶ、徹夜か、徹夜に近いことをしていたようですから、月見も同様だったのかなとか。

 うーん。昔の習俗ってそういう細かいところに謎が残りますね。
 当時の人には当たり前すぎて、誰も記録なんか残さないから、意外とそういう「生活感覚」がわからなくなってしまう。
 ちょっと惜しい気がします。

 さて、十五夜さんを見たので次は十三夜さん。
 去年は十三夜さんは雨でした……今年はどうかな。

 あと、十五夜というか、満月というと私もこれをひそかにやってました……。
   ↓↓↓

満月お財布フリフリ会ブログ
http://ameblo.jp/kinkatsu/

 私の場合はここではなくて、ほかで話を聞いて、へーと思っていたのでしたが。

 満月の夜(天候の都合で月は出ていなくても可)、お財布から余計なものは全部抜き出し(キャッシュカードなど)、すっきりしたところで満月に向かってお財布を振る。
 いまの豊かさに感謝し、「満ちる」月の気を財布に受けるつもりで、「来るさらなる豊かさに感謝」するという。
 そうすることで金運アップ、ということだそうです。(^^)

 効果があったかなかったか、と、すぐそういうこと言い出すのが、近視眼になっている現代人の悪いところ。

 月に一回お財布をきれいに整理し、余裕があればきれいに拭いてあげて――これだけでも、自分自身の気持ちがすっきりしますから、どうぞお試しを。
 
 満月に吠えるなら、オオカミになるんじゃなくて「ありがとう!」と叫ぶ。
 これはけっこう、自分の気持ちとして、気持ちいいですよ~。
 私も最初は「へえ~(笑)」って感じでしたが、やってみたら気持ちよかった。
 まして昨日は冴えた十五夜。
 
 お月様とのおつきあいもなかなか楽しゅうございますv
 
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ブルマ悲話

 拍手くださいました方、ありがとうございました。(^^)

 今日は十五夜さんなんですけど、どうもお天気があやしい地域が多いようで。
 うちのほうも、昼間は晴れて暑いのに、肝心の夜に雨が降るらしい予報……。
 なんのいやがらせだ。(^^;)

 あと、また昨日から拍手の調子が悪いようです……。
 コメントしたのに、みずはらから返事がない、ということがありましたら、よろしければメールフォームからでもお知らせください。m(_ _)m

 こないだサーバーメンテナンスやったばかりなのにな~。
 というか、メンテのあとに不具合が起きやすいんですよね……どうにも;;

      ●

 いつも拝見しております「誤訳御免!!」様。
「惡の華(2)」をご紹介くださっているのを見てふと思い出したんですけども。

 体操着。
 現在、学校では、女の子の体操着は、もうブルマーてのはないんでしょうか?

 と申しますのは、私の母校の中学校はブルマーはなくなったからです。
 それは我が母校だけなのか、全国的にそうなのか、ちょっとわかりませんで、いま、ふと疑問に思いました。 

 何年前からになるのか、定かではありませんが――登下校中のわが後輩たちの姿を見るに、女の子も、男の子と同じく、膝小僧が出るくらいの丈の、ややゆったりした短パンをはいています。

 漠然と、――ああいうパンツスタイルなら登下校で着ていてもおかしくないからいいよな~と、体操着といったらブルマーだった世代の私としてはちょっとうらやましい気がしておりました。

 やはり世の中、露骨なヘンタイが増え、なにより、ガッコノセンコーに本格的な性犯罪者が多いため、刺激的なブルマーはやめたのかしら。
 …………と思いました。
(なに、ヘンタイは昔からいた。ただ、最近のヘンタイの特徴は、連中があまりにも露骨だということ。少しは人目を気にするとかすればいいのに)
(ガッコノセンコーは、まともな『学校の先生』とは区別した名称。個人的に勝手に定義)
(ガッコノセンコーについてはホント、その犯罪の内容がシャレにならないですね、現在は…)

 ひとさまの趣味にあれこれいう気はありませんが(いえた義理ではない。腐女子ですから)、しかし、考えれば考えるほど不思議で。

 体操着なかんずくブルマ、それからスクール水着。

 ヘンタイの皆様、もしくはその趣向を理解する方々にはたいへんロマンあふれるものらしいんですが、なんでああいうものがそこまで劣情を刺激するのか(言っちゃったよ;;)、――こればっかりはいくら考えてもわかりそうにありませんね。(^^;)

 まあ、平家物語「敦盛」で萌えた私も、ひとさまから見れば相当理解不能なヘンタイ趣味なんでしょうから……; あんまりこういうことは言わない方がいいですね;;

 私は個人的にはブルマは嫌いでした。ああ、あのころ短パンがあれば……もうちょっと気楽に体育の授業も受けただろうに。

 あいにく美脚には程遠い足だったので(大根というか桜島というか)、そりゃもうコンプレックスでございまして、足をもろに出すブルマって、ほんっっっとにイヤだったです。
 いまから考えるととんでもない羞恥プレイでしたよあれは。なんせ、ブルマの形だけを見ると、単に、ふつーに、ぱんつですもんね。
 ぱんつ姿なんて、お年頃ですから、家の中なら親にも見せない姿なのに、なんでこんなカッコで屋外に出なければならんのか! と思っていましたし、この年齢になって振り返ると本気でそれは思う。
 あんなもんを体操着として強要されたのは、ヘンタイのガッコのセンコーの陰謀だったんじゃないの? と。これ、私は本気で思ってます。

(おかげさまで脚の形だけなら、当時よりいまのほうがマシです……おかげでそのコンプレックスも人に話せるようになりました。――人間、本当に気にしていること悩んでいることは他人には話せないものです――、コンプレックスを解消できたのはいいことだけれど、どーせだったら、ぴちぴちだったころに、こういう形でありたかった、というのは正直な本音。(^^;))

 その昔の女学生はせいぜいが袴だったのに(女袴は基本的にロングスカートであり、パンツスタイルではないが)、なにがどーして、我々のころにはあんなもんが体操着になっていたのだろう、不思議だ。
 戦時中はモンペだったでしょうしねえ。考えて見ると、伝統的には女子がもろになま足を出すというのはタブーだったと思うんだけどなあ。べつに久米仙人じゃなくてもさ。
 戦後30~40年で日本の教育界に何が起きていたのだろうか。(←真剣)

 考えだすとなんとも不思議な、承服しかねる思いがいたします。なんであんなもんを女子の体操着に採用しやがったんだ、と。
(意外と元凶は共産党、社民党、日教組だったりして…。いまの『性教育』を見ているとその疑いは妥当に思える)
(ジェンダーフリーと偽ってフリーセックスを提唱するとは!)
(旧来の『イエ』制度を絶対のものとする気はないが、ヒッピーはある意味、その理念はどうあれ現実としては、人間やめてますからね~。支持はできない)

 うーん。どうもへんな話題になってしまいました……。

 こんなことを大真面目に考えているとこっちもヘンタイになりそうですから、ほどほどでやめておきます。(^^;)
 
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