代替品
2010年08月31日 (火) | 編集 |
 拍手くださいました方、ありがとうございます~。(^-^)

     ●

 24時間テレビも終了し、これで夏も終わりだなあと……、
 ……言いたいところですが、暑いですねえ。(+_+)
 でも沖縄には台風が。
 ………まさに二百十日。
 この台風がくれば秋に……、なるかな?;;

 24時間テレビと申せば24時間マラソン。
 毎度毎度思うことですが、……この企画、いつまでやるんでしょうね? (^^;)
 いえ、なんかもう私は自分が根性ない人間なので、応援するとかいうよりも見ているときの「つらい」気持ちが強くなってきちゃって……。まともに見てられない;;
 
 そして、毎年思うことですが、あれですねえ、十分、十二分、いえ、もう三十分、四十分にも頑張っている人に、なお、「がんばって」というのは、鬼だな;; と。

 もうじゅーぶん頑張ってるって。
 あたしとしては、もう頑張らなくていいよ! と叫びたいくらいなんだけど。
 と、いつも、呟いてしまいます。

 江戸時代までは頑張るというのはいい言葉じゃなかった。(余談ですが『こだわり』も、本来はネガティブな意味でした)
「かたくな」なうえに、「張って」いるのが、いいわけないでしょ、ということですね。
 何を張るか? ――「我」を張っている、ということです。しかもかたくなに。
 うーん、そりゃあよくないよねえと思います。

 なにかに一生懸命に打ち込むのはいいけど、頑固になるのはよろしくない。そういう感覚が、江戸時代まではあったんでしょうね。さらり、さらりとしているほうが、余裕があっていい態度だったんでしょう。
 それが明治以降は……。
 ……いや、わかるけどさ…。(--;)
 そういう言葉が「必要」だったことは。

 いまや、ことあるごとに、人々は何も考えずに、「頑張れ!」などというようになっているわけですね。
 が。
 やっぱり抵抗、あるんです。
 もう十分すぎるほどに頑張っている人に、さらに頑張れってなんだよ。――という気持ち。

 しかし、応援したいという気持ちを、ならばほかにどういう言葉で表現すればいいのか。そう考えると名案も思い浮かばない。

 うちの母の案は、「人に合わせて言ってみる」説。
 決まったフレーズをあらゆるところで無分別に使い倒すのではなく、その人や状況にあった言葉を言う、という案。
 たとえば今回のはるな愛さんになら、可愛いよ、最高だよ、とか。
 たとえ汗でお化粧はとれてしまっても、彼女は輝いて美しい。きれいだよ、というのでもいいですね。

 人に合わせて言う、というのはいい考えですが、これはけっこう、コミュニケーション上級者のやることですね。

 英語だったらグレイト、とか、それこそグッジョブ。スーパー、とかマーベラスとか?
 うーむ、こうしてみると日本語って……ポジティブに、ひとことで、ぽんと人の背中を押すような言葉がなかなか見つからないような。

 さりとて、我々がカタカナで、目の前を走っていくランナーに「グレイト!」とかって言うのもなあ。
 頑張れ、という言葉の代替表現、なにかないですかねえ。

 代替表現と言えば、私があれこれ、ほかに何かないだろうかと考えているのが「小母さん」「小父さん」。

 親戚の、伯叔母さん、伯叔父さんというのは「続柄」ですからいいとして。
 世間一般の小父さん小母さんですね。

 私はこの言葉には悪いイメージはなくて、よーするにそれは「大人の男女」に対する呼びかけでしたから、年を追うごとに、自分の周囲の友人たちが、この言葉を忌避するのをみて、少々びっくりもいたしました。

 が。
 たしかに、もうちょっとこう、大人に対する敬意を含んだ呼称があってもいいような気がする。
 たとえば、私のように未婚ではあっても、もういい大人、と認められる人に対して「セニョリータ」と呼ぶのは失礼である、という言語もありますよね。
 
 そーなんだよなー。若いというより「幼いこと」がもてはやされる本邦では社会通念として存在していませんが、「いい大人を子ども扱いする」のって、基本的には「失礼」だと思うんですよね私も。

 セニョーラという言葉には、あなたを大人の女性として扱いますという「敬意」がある。
 ひるがえって「おばさん」という言葉には、――たしかに私のようにそれにネガティブなイメージはない人間にとってさえ――「敬意」はない。
 
 なんかいい表現がないでしょうかねえ。女性にも男性にも。

 どうも言葉のイメージと、心に抱くイメージが合致していない、と感じる言葉ってのはあるものでして。
 なにかいい代替表現がないもんだろうか、とたまに、ぼーっとしながら考えてます。
 
 
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復活!!
2010年08月30日 (月) | 編集 |
 昨日は留守にしておりましたが、拍手くださいました方、ありがとうございました! m(_ _)m
 
     ●

 今年3月に休刊となってしまいました、国際情報誌「フォーサイト Foresight」(新潮社)が、9月1日より、ウェブマガジンとして復活だそうです。
 これは嬉しい♪ (^-^)

ウェブ版フォーサイト」(準備情報)
http://www.shinchosha.co.jp/foresight/pre/

 フォーサイトはイデオロギー臭が強くない、というところが私が贔屓にした大きな理由。
 好き嫌いでものを言うのではなく、あくまでも、つめたーい現実をどう読むべきかを考えたい、という方針の私には、比較的ありがたい雑誌でした。

「選択」は? と聞かれたこともありますが、あれは、2ちゃんと同じ「全面匿名」というところが気に入らない。朝日新聞、毎日新聞の関係者が、執筆者のなかにさりげなく混ざっているところにも要注意と感じる。
 便所の落書きとはいえ情報は情報なので、いちおうは目を通すけどね、という、なかなか我ながらエラソーな態度で臨んでます。(^^;)

 冷たい現実を考える――とはいえ、そんな、血の温かさの感じられない場所にでも、それでも、国益という「大義」は存在する。ここが大事でして。
 現実を見る視点がなければ意味がない。しかし、「なんのため」という目的を見失っているのはただの根無し草。
 大義を忘れた、「自分さえよければそれでいい」という左翼的発想には、あたしゃついていけまへん。

 リベラルとか「進歩的文化人」とかいう人々はなぜか、この大義を不必要に見下しますねえ。どうしてですかね。

 先だって、日経新聞において、なにかの国際フォーラム――アジア地域のそれだったようですが――の特集記事がありまして、そのなかで、梅原猛先生までが、先の大戦について、日本のやったことは、かの十字軍よりひどい、という主旨のことをおっしゃっていて、あたしゃあもう、腹の底からがっかりしました。
 梅原猛先生ほどの方までがこういうことを言うのか。
 あれほどの学識のある方ですから、十字軍がどういうものだったか、ご存じないはずはない。いっちゃなんだが、あれと同じというくらいならまだしも(私は同意しませんが)、「あれよりひどい」とはひどい。

 たぶん、この世代の人のなかには、自分自身の十代~二十歳くらいのころの体験がトラウマになった人は多いでしょう。
 虐げられた、という思いがある人だけでなく、逆の立場をとっていた――つまり、自身が軍国少年少女だった、ということからの猛烈な羞恥と慚愧と自己矛盾にヤラれてしまった人もいらっしゃるようです。
 そういう葛藤には、人間として同情します。

 しかしですねえ。
 この世代の人がどういうことを思っていようとかまいませんが、それを、我々、後の世代におしつけるのはやめてもらいたい。つねづね、そう思っております。

 たとえば。
 愛国心はあっていい。というか、あるのが当たり前。どれほどひどい土地や、低俗な文化、下品な民族として生まれついても、そういう自分を受け入れ、自分で自分を大事にできない人間は、人間としてやっていけない。

 どういう意味かって。それは、現政権をみればわかるでしょう。

 どんな自分であっても、まず自分を大事にするというのは生存の基本です。自分を大事にするという感覚があって初めて、家族を大事にし、子どもを愛しみ、先祖を敬って、――荒廃した土地でも自分を生んだ「産土(うぶすな)」に感謝し、愛することができる。

 いつぞや、何気なくホイとテレビをつけたらば海外ドキュメンタリーを放送していました。
 いわゆる発展途上国の話題でした。我々先進国からみれば物質的には乏しい生活ではあるが、長老を中心として、きちんと規律が維持されている社会がそこにはありまして。
 で、その長老がさりげなくおっしゃったことがたいへん印象に残りました。

誰かの命を大事にするように、自分の命に責任を持つこと」 
 
 ――自分の命に責任を持つ

 長老はまったく当たり前の口調でしたが、いまの世の中、それはもう崩壊してしまった概念ですね。
 自分の命にも、まして他人の命にも、責任など感じない。「命の大切さ」などとお題目のように唱えているが、その言葉はじつに空っぽです。
 戦争になり、敗戦を迎えたなかで、いろいろな「恨み」を抱えて大人になった人たちが、戦後になり、その恨みをあろうことか、我々子孫にぶつけてきて、できあがったのが、いまの日本ですものね。
 怨念にとらわれれば愛は失せる。自分を愛さない人は、自分の孫子でさえ本当には愛せない。

 いまはそういう言い方をしませんが、終戦当時、ティーンから20歳代くらいだった人たちを「戦中派」と呼ぶことがあります。
 気の毒な世代ではあるのですが、どうも戦後については、彼らの中には、問題行動/言動をとる人が少なくなかったと私は感じています。
 反戦だの謝罪だのと言いながら、自分たちの、解消しきれないトラウマや怨念を、我々子孫に向かって「お前等の先祖はひどいヤツらだった」といって罵倒して、ぶつけてきた。そのように見えます。
 彼らが恨んでいる先祖自身はもうこの世にいない。恨みをぶつける相手がいないから結局、我々「後の世代」を、自分たちの怨念をぶつける対象にしている。

 そういう「つもり」があったかどうかが問題じゃない。
「結果的に」そういうことをしてきた、ということを、私は問題にしているのです。

 考えてみていただきたい。どんな親(=先祖)だって、親は親です。自分の親がそんなふうに罵倒されるのを、ものごころさえつかぬうちから見聞きしていれば、「そういう親の子である自分も同罪」という意識は刷り込まれてしまいます。
 そういう自分を、なぜ、素直にそのまま愛せましょうか。いえ、たとえそうであってもなお愛する思いを、彼らは、それは悪いことだと土足で踏みにじり続けてきた。
 愛なんてものを見かけようものなら、ヒステリックに、基地外同然に、まなじりを決して「軍国主義」だと罵倒してきたのです。

 この点だけは、私は、たとえ相手が梅原先生でも美輪さんでも、看過できません。

 いまの若いものは――と先人たちは言いたがるけれど、その若い者が抱える問題は、多くは愛情の欠乏ゆえであり、さらにその元凶は、先人たちから、お門違いの怨念をぶつけられてきたことにあるというのに。(それだけが理由じゃないですけどね)
 あの人たちはまだ、自分を愛そうともがいている若い人を、踏みにじることをやめない。
 
 自分の命に責任を持つ。自分の命を大事にする。
 愛する。
 その生存のいちばん根底にあるものを破壊してきたのは、先人たちの「怨念」だ。

 そういう「仕組み」が見えたら、なんかもう………まともに反戦なんて言葉、聞く気がなくなりまして。
 きれいな言葉でありながら、その実、そこに込められているのは怨念と呪詛ですから。一見おきれいな顔をしている分、タチが悪いですよ。
 しかもおそらく本人たちは、そこらへんに気づいていない。――もちろん、気づきたくもないでしょう。

 しかし、いかに彼らが自分たちの怨念の深さに「ほっかむり」していても。
 そろそろ、若い人は、そういうカラクリに気づきつつあるのではないでしょうか。

 現在を生き、これからを生きるのは、先祖じゃなくて自分自身なのだということをはっきり自覚して、刷り込まれた怨念は洗い流してもらいたい。存在する限りたとえ細々とでも胸の奥に流れている愛を、思い出してもらいたい。

 愛国心。あるのがフツウなの。自分を愛していてこそ他人を愛することが出来るのだから。
 本当の愛国心を持つ人は、外国人のその思いをも理解できます。(ただし迎合する必要はない)
 問題があるとすれば、そういう、人間が持つ温かな思いを政治に利用する、ということでしょう。

 政治は算盤勘定です。メシがなければ人は生きていけないので、算盤勘定だって大事です。

 ただ、世の中には、そういう算盤勘定に含めてはいけないもの、というのは確かにある。その一例が「愛国心」でしょう。

 このへんを理解せず、「愛国心を持つと軍国主義になって戦争になる」と、わけわかんないこと言って、いまだ怨念をまき散らす進歩的文化人って、なにが、どこが、「進歩的」なんですかね。

 たとえば、愛国心という人のあたたかい思いと、それを政治利用するということを完全にごっちゃにして「愛国心は悪いこと」だという判断をする人たちは、なにが「進歩」しているのか。
 そう考えますと――「痴呆度が進歩しているってこと?」と、私はかなり本気で思ってしまいますよ。
 というか、ほかに答えが思いつかないんですけど;; ほかになにかあるんだろうか。←本気

 ……………えーと。
 
 もう完っ全に話がそれてしまって申し訳ないのですが。
 そういったわけでして。(^^;)

 フォーサイトはそういう怨念からは少しは離れた場所にある雑誌だったので、贔屓にしてました。
 ウェブ版での復活は嬉しいですv
 ――というお話でした;;;(たぶん)
 
 
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拍手御礼
2010年08月29日 (日) | 編集 |
 拍手くださいました方、ありがとうございましたv (^-^)
 一言下さいました方、ありがとうございますv
「続きを読む」からどうぞv

 昨日、復活したかに見えて、今日はお出かけのため、おやすみでございます。
 入院騒ぎでバタバタしていたので、今日はゆっくりしたいところですが致し方ございません;;
 お出かけとはいっても、出かける先はGood Comic Cityじゃないんです(涙)
 いけるもんならそっちに行きたいよ~。(TへT)
 夏コミでは参加日が異なっていたので本を買えなかったサークルさんが、グッコミにはいらしているのだ!
 ああ………「君の名は」のごとき、このすれ違い。
 
 ぶつくさ言ってないで、おとなしく出かけてきます……。
 行って参ります。m(_ _)m 
 
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拍手御礼
2010年08月28日 (土) | 編集 |
 拍手くださいました方、ありがとうございました。m(_ _)m
 一言下さいました方、ありがとうございますv
「続きを読む」からどうぞv

 え~、しばらくはこっちに来れないかもということを昨日お知らせ致しましたが、おかげさまで、なんかもー、拍子抜けするほどあっさり回復しちゃいました…いえ、ありがたいことなんですが。
 入院自体はまだ継続するのですが、日記を書いている時間があるかどうかもわからない、などというほどではなくて済みそうです。
 よかったよかった、と言いつつ、脳裏をよぎる言葉は、
「憎まれっ子世にはばかる」。
 
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作劇に見るダンディズム
2010年08月28日 (土) | 編集 |
 ライブドアのトップページ、いちばん下に「注目ブログランキング」というのがありまして、ここは中身はアレなことが多いので、その見出しだけをざーっと眺めているのが通常なのですが。
 昨日は、あれっと思ったので思わず見てしまいました。
 宮崎駿監督の話題で――「紅の豚の続編を作ろうと思ったけれどそれはあきらめて、ほかの作品に取りかかっている」というニュース。
 ………についたコメント。

 見なきゃよかった。(^^;)
 やっぱりこういうところはいけませんですね;;

 私はこういうところにせっせとコメントをつけるような人々とは(幸い)あんまりご縁がなく、彼らの間でのふだんの話題、その内容を存じませんから、私が知らない事情があるのかもしれませんが。

 ざーっと読んでいって「え?」と思ったのは、なぜですかね。宮崎監督を「ロリコン」と罵る人多数。
 ………へえ。そうかなあ。ロリコンとは遠いところにいる人だと思ってたけどなあ。

 というか――宮崎監督の感性の根っこには、今日日、珍しいほどの「ダンディズム」が息づいているのですが、そういうあたりは無視されているのでしょうか、それとも単に気づかれていないのでしょうか。

 なかには、女性キャラが主人公ではなくて、男性が主人公で少女がヒロイン、というパターンの方が面白いに決まっているというコメントもあり、これは完全に私には意味不明です。なにを言いたいんだろ;;

 男性のみでダンディズムを描いてしまうと、そのダンディズムの「色気」が、じつはあんまり伝わってこない、と私は感じているのです。
 むしろ、ダンディズムを「伝える」装置として、女性の登場人物は「必要」なんですよね。
 ……男の視点だけでダンディズム――「男伊達(おとこだて)」を描こうとすると、やっぱり、ぺらんと平面的なものになってしまう。
(……汗臭いし、いろいろニオウし、筋肉過剰になるし、吼えてばかりでウルサいし)

 その男伊達が、観客を圧倒する色気、香気を放つためには、それに匹敵する「女伊達」が必要である――というように信じております。

 ドン・キホーテの言い分じゃないですが、騎士が騎士たる「美学」を実践するためには、いわば一級の男が全力を掛けるに足るだけの「姫君」が必要。絶対的に「まごころ」を捧げる対象を持っていてこそ、初めて騎士であることの意味が出てくるわけで。

 うるわしき姫がいない騎士殿は、その騎士殿本人がどんだけかっこよくても、そのかっこよさを発揮するべき対象がないので、そのかっこよさは生きてこない。
 もちろん単品でも充分かっこいいんだけれど、「こういうためにこそ」そのかっこよさが必要なのだと思わせる――「存在意義」を明確にする対象があってこそ。なんですよね。

 宮崎監督は、そのへんを――計算もあるでしょうがたぶん、創作者としての本能として――よくご存知ではないかと思います。

 ダンディズムとは、単なるヒロイズム、マッチョイズムとは、明らかに異なる。
 単に男らしいことだけを求めて誇示するマッチョにたいして、ダンディとは、それをいかに人の間で「活かす」か、という視点が不可欠なのです。

 マッチョは自己満足。ダンディはさらに、「自分が持つ力なり魅力なり知識なりなんなり、を他人のためにいかす」という考え方が必要になる。
 素晴らしいものを持っている、ということは、もちろんそれだけでも充分、素晴らしい。
 しかしダンディズムは、その持てる力をいかに「活かす」かを、考慮している。

 カリ城のルパンも、ポルコ=ロッソも、思わず涙が出るほどダンディに徹しているではありませんか。
 彼らは、自分がすでに持っているものを、充分に承知している。なので、彼らはもはや、能力なり知識なり技術なり、また「男らしさ」なりを、いかに自分のものにするか、というテーマには興味がない。
 たとえば、武術の鍛錬に励んで強くなることを目指すとか、職業上の技術や知識、精神面の成熟といったものを、手に入れようと躍起になっていない。
 男らしさを身につけたいと鍛錬に励む「少年」では、彼らはすでにない。

 彼らは大人の男として、それらをすでに持っている。

 ただし――物語の冒頭での彼らは、「持っているだけ」なんですよね。

 やがて自分が持っているものを「活かす」に足る目的や人物を得たときに、彼らは決然として顔を上げ、それまではなんとなく、だれ~っとしていたのが嘘のように、自らの力を武器に戦うのですね。

 そして、宮崎ワールドのみならず、チャンドラーを代表とする、そういったダンディズムを体現する人物たちは、とにかく、「姫君」のために命さえ賭していながら、最後は姫君のもとを去っていく。
 ダンディたちはひとりの女性のものになってはいかんのですね。あとは、同じように「姫君」のために献身的な働きをみせていながら、ハナっから、じつは女嫌い、といった設定のダンディもいます。――このへんもなかなか興味深いけど、まあ、そのへんは置いといて。
 
 ということで。
 ダンディの表現には、彼がそうするに値するだけの理由をもつ女性、というものが、必要になる。
(女性でなければならないってことはないですが、『姫君』以外の目的や理由を、ドラマとして描いていくのは、かーなり難しいことだと思われます)

 宮崎監督は――20世紀どころか、もっと古い時代のダンディズムの系譜を、現代に持ち込んでいる、まことに稀有な御方だと思っております。
 
 監督の作品で、主人公が女の子になっちゃうのは――これは単に作劇の都合上、ではなかろうか。
 基本的に「成長物語」を書こうと思うと、女の子の方が、重層的に作劇できる。
 成長物語に限らずとも、そうなるようです。
「刑事コロンボ」を見ているとつくづく思いますね、これは。
 犯人が女性であるときのほうが、ドラマ自体が複雑なプロットになり、それがためにコロンボさんがとてつもない苦労をすることになります。
(そういえば、シャーロック・ホームズさんが唯一の黒星を喫した相手も、いろんな点で並外れた、スケール違いの『あの女性』でした)

 フェイ・ダナウェイが犯人役を務めた回がとくに印象に残っていますが、ほんと――あれは、犯人が男性だったら成立不可能な、複雑なドラマになってるんですよね。
 こればっかりは――致し方ないところなのでは。

 そしてまた、犯人が女性で苦労をすればするほど、コロンボさんの能力も、人間性も、やさしさも、プロとしての厳しさも、そしてなにより、ふだんの物語のなかでは感じられない男らしさ、その色気が――冴えない中年男性である彼が、ちょっと信じられないほど「かっこよく」見える瞬間も、そこに立ち現れるのでした。

 色気というのは脱いだり見せたりすればいいってもんじゃなく(むしろ露出されればされるほど興ざめ、というへそ曲がりもいるのです――少なくともここにひとり)、結局は、誰とどのように関わっているか、その「関係」のなかに、初めて現れるものなのでしょう。

 お若い人には、古くさくてつまらないと思われてしまうらしい「カリオストロの城」ですが。(ジェネレーションギャップってやつでしょう。仕方ないわそりゃ)

 私にはあのドラマのなかで、それぞれの人物が――ルパンのみならず――見せるダンディズムが、どうにも好きでたまりませんです。
 あのドラマでは銭形のとっつぁんですら(……ですら、って;;)、うわ、と思わせてくれます。
 銭形警部の「騎士道」、その対象は「ルパン逮捕」「警察官としての正義の実現」ですが、その目的を取り上げられたときの彼の荒れっぷり(騎士としての存在意義を否定されたのですから当然ですね)、復活したときの活気、ラストの決めセリフ……。

 一級の男が、一級であることを観客に知らしめるためには、どうあっても、「姫君」は必要なんですね。
(お断りしておきますが、あくまで作劇上の話ですよ)
(間違っても、ここで自分の実生活なんぞを持ち出して考えないように)

 そしてまた現代では、男を主人公にしたものは、残念ながら、描き尽くされてマンネリになってしまっています。目新しさがない、って感じですか。
 となると、少女を主人公にしたほうが、物語は重層的に動き出せる。

 ということではないのかと思い。

 そのコメント欄も、けっきょく最後までは拝見しませんでした。(^^;)
 似たようなご意見ばかりが並んでいるから参考にならず、途中で気力がなくなりますね。

 五右衛門さんのセリフをお借りするならば「またつまらぬものを(つい)見てしまった」というところでしょうか。

 たま―――――――――――――――――に、なるほど、と首肯させられる面白いご意見もあるもんですから、つい、アサハカな期待を。(^^;)
 
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私事で恐縮ですが…
2010年08月27日 (金) | 編集 |
 拍手くださいました方、ありがとうございますv (^^)

 さて、私事で恐縮ですが、ちょこっと、こちらの日記をのんびり書いていられなくなりそうなので、お知らせ。
 父が昨日からちょっと入院ということになりまして――2、3日ですむか、1週間くらいはいっちゃうか、現時点ではなんとも言えないという感じでございます。
 昨日はそれでけっこうドタバタしておりまして。(^^;)

 こういうことをいうのも何ですが、こちらの日記、記事を書くのは私の「息抜き」でございまして、数日とはいえそれがちょっとできそうもないとは、残念ではあります。
 けど、そんなことも言っていられないし。(^^;)
 
 この暑さがねえ……。やっぱり、高齢者には厳しいようです。
 いえ、若いもんにだってじゅーぶん厳しいですが。

 今年は9月も残暑厳しいと聞いてさすがにめげそうになってます;;

 皆様もどうぞ体調にはお気をつけて。m(_ _)m
 
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「会社でうつ 休むと元気ハツラツな人」
2010年08月26日 (木) | 編集 |
 拍手くださいました方、ありがとうございました。m(_ _)m

      ●

 だいぶ長いこと「積ん読」状態で手をつけずにいた本を、ぱらぱらとですが読み始めました。
 まだちゃんと読了したわけではないし、そうできたところで、果たしてちゃんと感想を言えるかどうかは謎ですが、ふーむと思ったことがあるのでちょこっとご紹介。

会社でうつ 休むと元気ハツラツな人―「仮面を脱げない」新しい「心の病」がある。会社でうつ 休むと元気ハツラツな人―「仮面を脱げない」新しい「心の病」がある。
(2008/11)
海原 純子

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 あるいはもう、既読であるという方もいらっしゃるんじゃないかと思いつつ。

 私の場合、タイトルを見かけて購入はしたものの、なんとなく、本の内容に「向き合うのが怖い」感じがして少々疎ましく、読みたいような読みたくないような、ということで本棚の、目につくところにおいておりました。
 最近ようやく手に取る気力が出てきたので、ぱらぱら読みしているのですが。

 これを読んでいると、現代はつくづく、「コミュニケーション困難な時代」なんだなあと思います。
 冷静に考えればどの時代でも、コミュニケーションの難はあったわけですが、現代の場合、「他人は他人、自分は自分」「他所はよそ、ウチはウチ」、という、自と他の「境界」が、もうぐちゃぐちゃになっているのかもしれません。

 親、子ども、夫、妻、それぞれの「役割」にふさわしい「仮面」をつけて、自分の感情を殺し続けることで、やがて自分の感情がどこにあるか、自分でもわからなくなる。

 ディスチミア症候群。――自分で自分がわからない、という病。

 それは、誰かの、なにかの、他人の価値観に縛られているうちに、自分を見失う、ということのようです。
 自分を見失えば混乱する。混乱した人は、最初のうちはまずはおとなしく「引きこもり」、そこをさらに追いつめられれば窮鼠猫を噛むのことわざどおり、とてつもなく他人に対して攻撃的になる。

 いわゆる「勝ち組」となった人でもこの病とは無縁ではない――というよりも、そういう人の方が、むしろかかりやすい傾向はあるかもしれませんね。

 というのは、勝ち組とは、この社会のもつ「文化的ゴースト」、その価値観にきわめて忠実な人たちのことですから、――本人がうまいこと納得していればいいんですが、その人の「本当の感情」が、その価値観にじつは同意していない場合。
 やはりその精神は引き裂かれてしまう。

 私なんぞは負け犬ですらない負けっぷりなんで、まあ、勝ち組だから負け組だからということではなくて、現代人には陥りやすい「コミュニケーションの壁」の問題、ということだと思います。

 が、勝ち組なれば人生安泰というのも「文化的ゴースト」。
 ○○でありさえすれば幸せという価値観、男は仕事、女は家庭にいればよいといった文化的価値観、なんでも親の期待どおりになる「いい子」――意識せずに、自分の意識のなかに強固に作られた価値観に「忠実に」なり、自分の本当の感情を殺してしまい、混乱する。

 ……私自身がそのディスチミアかどうかはともかくとして(ちょっと違うな、とは思うけど)、でも、自分を見失うこと、混乱していること、その混乱を生み出すメカニズムが、かなり、参考になりそうです。

 いろいろな文化的ゴーストが問題なのではなく、そういうものに振り回されて自分を殺すことが問題なんですね。そこは考え違いをしないほうがいいと思いますが。
 ただ――これ、いろんなケーススタディが挙げられているのですが、大人の場合はともあれ、親のディスコミュニケーションの犠牲になった子ども、というのが、いちばん気の毒かもしれません。
 親子関係の中での「トラウマ」が、代々受け継がれていってしまう「メカニズム」が、こんなところでもわかりますね。

 子どもは親を選んでこれないし……と言いたいところですが、美輪明宏さんや江原啓之さん、そのほか、いわゆるスピリチュアルの方面からすれば、「そういう親でも自分で選んで生まれてきている」そうなんで。
 やっぱり、いろいろ問題もあるし時間がかかっても、そういうものに負けたらいかんのだなーと思います。(^^;)
 負けっぱなしの私がいうのもなんですが。

 生まれてくるとき、じつは自分で親を選んでいる、というのは、そう考えるとある意味、腑に落ちるところがあるので、そうかもしれないなあとぼんやり思ってます。
 いや、そうじゃないと、何を好き好んでこんなところに生まれてきたんだ私、という、いちばん根源にある怒りを、解消できそうもないんで。

 それに――先日、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」にご出演になった、市川海老蔵丈が、そんなお話をなさいましたしね。
 いっても信じてもらえないけど、生まれてくるときの記憶がある、というお話でした。

 大勢の人が順番待ちしているのに、「あの家に生まれるのは俺だ」といって、前にいた人々を押しのけて生まれてきた。――そういう記憶だそうです。

 いいなあ。私も、そのへんの事情が思い出せたら、だいぶ現在の心構えも違うし、さまざまな疑問も、ある程度は腑に落ちてくれるんじゃないかと思うんだけど。

 無明(むみょう)でございます。(^^;)
 
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スタッフさんから一言
2010年08月25日 (水) | 編集 |
 拍手くださいました方、ありがとうございますv
 
      ●

 夏コミも終わりましたが、まだゆっくりとコミケカタログを読んでおります。
 まんレポは一通り読了、現在はじっくりと「配置スタッフさんからの一言」コーナーを読んでいるところです。………まだまだ終わりません。(^^;)
 
 それにしてもサークル配置を決めるのも大変ですよね。3日間でいったいどれほどのジャンルがあることになるのか。
 そのジャンルひとつひとつについて、サークル側からの要望があり、それらを検討し、できるだけ実現の方向で努力する……。
 読んでいて頭が下がります。

 それにしてもどのジャンルでも、書類不備になってしまうのはもったいないから、ここ、気をつけて! という注意点が共通しているんですねえ。
 このスタッフさんからの一言コーナーが始まってどれほどになるでしょうか……私もこの企画が始まった当初からずーっと読んでますけども、ほんとにもう、毎度毎度毎度毎度毎度毎度、おんなじことが書かれている、というあたり、……なんとも。

 サークルカットに鉛筆やボールペンを使うな、カップリングは明記、複数ある場合はどれがメインか明記。また、申込書のその説明と頒布内容、さらにはサークルカットの内容がバラバラではどうしたらいいのか、――ということで、これ、たぶん、甚だしい場合は「書類不備」になっちゃうんですね…察するに。(^^;)

 毎度毎度書く方もたいへんですが、毎度毎度、読んでいる私もしつこいのかも(笑)

 これを読んでいるとちょっと気になるのは、たんに、説明とじっさいのサークルカットの内容があってない、といったミステイクではなくて、どうやら、「具体的に書かなくてもわかるよね」といわんばかりの態度の書き方をしてくる人が少なくないらしいという点。

 原作のタイトル、そのサークルさんが扱う登場人物名はちゃんと(わかるように)書く、というのはたぶん当たり前のことじゃないかと思うんですけど。
 なんで、「内輪だけ」でしか認識されないような、符丁というよりほとんど暗号みたいな書き方をしてしまうんでしょうね。

 これほどなんどもスタッフさんからの一言に登場するからには、そういう態度のサークルさんが毎回、かなりの数、いるのだろうと思われます。
 わかりきったことだというのはあくまで「内輪」でのことであり、あの星の数ほどもあるジャンルをさばくコミケの場合、配置担当の方が、そこまで「内輪」でいてくれるとは限らない。

 というか――モノがなんであれ、申込書というもので「自分が何者か」を示す場合は、誰が見ても一通りのことがわかるように、略称符丁暗号を使わずにきちんと書く、というのは、相手に対して敬意を払う態度として当たり前のことだと思うんですけども。

「テニスの王子様」の場合、仁王×柳生を「28」と書いてあるだけ、って……そりゃあいくらなんでもひどすぎる。そのCPのサークルさん同士なら通じるんでしょうが、……しかしそれは「説明」じゃなくて「暗号」でしょう。

「これくらい、いわなくてもわかるでしょ」と横柄な態度をとった結果、「書類不備」扱いで落選、というのは、――もったいないことではありますね。

 しかし、それが後を絶たないってことは、ぜんぜん反省もしないし懲りてもいない、ということなのかなあ。(^^;)
 いちばん読んでほしい人ほど、こういうところをきちんと読まない、というのは本当かもしれないと思う一瞬。

 それはそれとして興味深く思ったのは。
 同じサークルさんでも、扱う傾向としてオールキャラとか、カップリングというよりも、ひとりの登場人物を中心にして活動していますといった場合、配置は「受をメインにして決める」ということだそうです。

 私は腐女子としてはちょっと中途半端なところがあるので、あんまり、そういう受攻にはこだわらないというか、そのへんはまあ臨機応変、内容が面白かったら自分の守備範囲外のCPでも大丈夫~といういいかげんなところがあるので、理解は充分じゃないのですが。

 そういえば、そのへん、こだわる人はこだわるものなー。と妙になっとく。

 あるキャラクターが受/攻なんて絶対受け付けない!! という、それが人生の全てというくらいの勢いでこだわる、というのを見たことはあります。

 そういうこだわりも、受/攻どっちがより我慢ならないかというと、どうやら、受の場合の方がより、アレルギー反応が強くなるようです。
 それでスタッフさんも扱いにまよったら、受けキャラでそろえて配置する、ということらしい。
 ゆえに合体申込の場合、あまりにも「水と油」なサークル同士で申し込まないで~、というのは、スタッフさんの心の叫びであろう……と、しみじみ同情してしまふ;;

 なぜ、攻より受のほうがより強いこだわりをもたれるのかを考えると――なかなか、腐女子というのも玄妙なものだと思ってしまいますね。(^^;)
 具体的な説明は控えさせていただきますが――このへんは、「好きなアイドルの処女性にこだわる男性ファン」と、ほぼ、共通する心理が働いているものと予想しています。(立場は逆になるけど)

 下ネタになるので具体的な言い方を避けてますが……そうするとわけわかんない文章になってますね、このへん。(^^;)
 奥歯にも前歯にもものがはさまるな~;;


 そんなこんなで、スタッフさんのご苦労に思いを馳せつつ、あらためて頭を下げてしまいつつ、腐女子のありようが、その言葉の向こうに見えたりして、なかなか楽しい「読書」でございますよ。
 たぶん読めばサークル参加者にはかなり参考になると思うんですけど、カタログはともかく、CD版には付かないのかなあ、もったいないなあと思っていたらば、公式サイトのほうで「配置担当者の一言コーナー」が読めるようになっていました。
 
 よろしければご参考までに。

コミケット77 配置担当
http://www.comiket.co.jp/info-c/C77/C77hitokoto/hitokoto.html
 
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拍手御礼
2010年08月24日 (火) | 編集 |
 拍手くださいました方、ありがとうございました。m(_ _)m

 どうやらカウンターと拍手の挙動不審も解消されたようです。よかったよかった。
 お騒がせ致しました。m(_ _)m

 一言下さいました方、ありがとうございましたv
「続きを読む」からどうぞv

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おなごのお手入れ
2010年08月24日 (火) | 編集 |
 そういえば昨日は「処暑」だったんですねー……。
 まあ、二十四節季というのは「目安」でしょうけどね…。

 またしてもよそさまからの話題引用で恐縮なんですが…。
誤訳御免!!」様の記事でまたもカルチャーショックというか。
 ところ変わればとは申しますが、面白いもんですね。

日本の面白CMの海外反応「股間がかゆい」編
http://shirouto.seesaa.net/article/160282200.html

 このタイトルからして「え? あのCMのことでしょ? ……なんか変だった?」と、すでにそこで意外な思いがしておりまして。(^^;)
 まあコミカルではあるけれども、そんな強いリアクションが出るほどのことか? と思ったんですが、出てるんですねー。

 どうもアメリカのCMに比べるとこの手の商品のCMが、「かなり直截的」「でもチャーミング」だと思われたようですが、……そうですかあ。私からするとオブラートにくるんだ表現になってると思うけどな~。(^^;)

 日本は湿度が高いので、いろいろ弊害もあるわけですよね。水虫もそうなんじゃないかしらん。
 かゆいんなら洗えば? というリアクションは、そういう日本の気候条件を「わかってない」ゆえでございましょう。不快指数80とか、わからないだろうな~。

 また、いささか尾籠なお話になって恐縮ですが、アンダーヘアの話題も出てますね。

 ……そーなんです…私も最初に聞いたときはえ~っと思ったんです……我々日本女性だってちゃんとお手入れしているつもりなんですが、それでもあちらの方々にいわせると「自然のまま」すぎ、ということになるんですってね。

 あたしゃ古い人間なので「かわらけ」という表現をさせてもらいますが(深い意味はないのですがどーもパ××ンという名称は好きになれない)、なんですか、そういう処理の方があちらでは一般的なんだそうで。聞いたときはけっこう衝撃を受けてました。

 そりゃまあ無駄毛と表現されてしまうものではあるけれど、生物学的には本当に不必要なものじゃないと思うんですよね~……。体毛は基本的に、保護するべき箇所に生えてくるものなので。
 なので、それを人工的に根こそぎ……というのは、顔を美容整形しまくった美女的イメージが……、あるのは私だけなのだろうか……。
 もちろん、衛生面からいえば、きちんとお手入れするのが望ましいです。それはわかります。
 が。
 ブラジリアンワックスの話を聞いたときは正直、ちょっとビビりました…。
(なんだそれと思った方はウィキでどうぞ。……こういうものもちゃんと掲載されているウィキペディア。さすがです)

 まあいろいろあるけど、中をとって(?)このへんならいいんじゃないかな~と。
 ↓↓↓
LCコスメ シナヤカウォッシュ
http://www.lovecosmetic.net/html/97600.html

 …………あ~。なんだかへんな話になりましたね…;;

 いやもう、あんまり暑いのがつづくので脳味噌も焼けているってことで、ご容赦ください;;

 あ、でも、こちら「LCコスメ」さんは、ひそかに、おすすめしたい感じです。
 身だしなみのことでもあり、パートナーへの思いやりのことでもあるのに、こういう話を真面目にできる場所というのはなかなかないですよねえ;
 
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傷ついてあげない
2010年08月23日 (月) | 編集 |
 拍手くださいました方、ありがとうございますv (^-^)

 昨日は大阪で夏のイベントでしたね。
 あいかわらず、気温が高かったと聞きましたが……お出かけの皆様、体調はいかがでしょうか。

 昨日はテレビを見ていたらば「夏の終わりになるとメランコリーな気分に…」とかって言ってましたが、それはいちおうノーマルな範囲にある夏の場合。
 今年の夏は、夏の終わりにメランコリってる余裕はないと思いますよ……。
 今年は秋がきたら、さぞかしホッとするでしょうね;;

 秋はいいんだ。冬が来なけりゃいいんだ。(←それはそれで問題がある)

      ●

 先日、とある人気声優さんがトーク番組で恋愛話を語って、ファン激怒の話題をとりあげましたが。
 その後、その声優さん以外の話で、やはりアイドルのイメージが崩れたことにより、「傷ついた」というファンの声が紹介されてまして。

 ふうん、と思いました。

 大きなお世話なのはわかってますが、しかし、いちいちそんなことで「傷ついてあげる」のは、やめたほうがいいですよ。ご自分自身が可哀想ってもんです。

 まことに、現在の世の中のやりにくさの、その原因のひとつには、こう、やたら「傷ついた」「傷つけられた」とぎゃんぎゃん吼える人の数が増え、その声もデカくなる一方だということがあります。

 いや、そりゃあね。無闇に人様を侮辱し罵倒し、揚げ足を取って貶める行為は私もイヤですよ。マスコミや、ネットの掲示板、同コメント欄、サッカーカルチャーが嫌い(サッカー自体は好き)なのはまさにそれゆえ。

 ネットを見ていると「こういうことを(たとえ直接の対面ではないにせよ)平気で他人に言える人間てどういう人なんだろう。ツラを拝みたい」と、びっくりするものがそこらじゅうに転がっています。
 こういう風潮は本当によくないと思う。私は、こういう人間には本来、発言の場と機会を与えてはいけないと思ってます。なぜかというと、発言することの訓練がされていない、未熟なコドモだから。――未成年者には責任能力がない(とみなされる)ので、当然、その権利行使も規制されてますよね。それと同じこと。

 そういう問題はそれとして、その一方で、めったやたらに「傷つい」てばかりいる人の騒ぎっぷりも限度を超えている場合があるのではないかと思います。
 言葉狩りがその例ですね。筒井康隆御大がキレちゃったのは当然だったと思います。

 じつのところ、言われて不愉快になるのは「ことば」それ自体じゃないんですよね。差別し、侮辱する、その態度と精神に、衝撃を受ける、というのがものごとの本体。

 なにか不都合なことがあって「お気の毒に」と、同じ言葉をかけてもらうのに、ある人には、そういうお見舞いをいただいて「ありがたい」と思うのに、ある人には「他人が不幸になったのがそんなに嬉しいか?!」と、思わず胸倉つかんでやりたくなるほどアタマにくる、という場合があります。

 お気の毒にとかけた言葉は同じ。しかし、その言葉のむこうで、じっさいのその人がどんな思いを持っているか。――そっちのほうが問題なわけでして。

 人になにか言われたからってそうピリピリすることもない――などと、私もそう思うようになったのはごく最近なので、あんまりエラそうには言えませんが。(^^ゞ

 たしかに、言われたくないこと、聞きたくないこと、見たくもないもの、というのは誰にでも、なにかがあるものでしょうが、それらに対していちいち神経質に、何かされるんじゃないか、誰かが自分を傷つけるんじゃないかと神経をすり減らし、ほんのちょっとでも、それに抵触することばを誰かが言おうものなら「私は傷ついた! 精神的苦痛を受けた!」と騒ぐ。

 …………やめたほうがいいですよ、これ。(しみじみ)

 左巻き言論の弊害ですよ。と、私は勝手に思ってます。
 あの左巻きの人々というのは「傷つけられた」という言い方が大好き。
 被害者になり、「加害者」たちを徹底的に痛めつけようとします。

 話を聞いている第三者も、その「被害者」たちの騒ぎっぷりが、どうも常軌を逸しているとは思っても、なにせ被害者ですから――「お気の毒」な側面があることはたしか。すでに被害を被っている人に、あなた、いいかげんにしなさいよ、などとは、思ってもいいにくいのが人情ってもんです。

 いまや、「被害者になる競争」が起きているようでさえある。
 私は傷つけられた、私は踏みにじられた、搾取された、「可哀想」なのだ、弁償しろ補償しろ責任をとれ気の毒がって同情しろ。それが「正義」なのだ。

 ということを、ほんの一瞬でも早く言ったもの勝ち。
 なにせ、「弱者」で「被害者」が主張することは、「正義」なのだから誰も逆らえない。

 いまや、被害者になることが、ある種、正義と権力を手にする方法になっている。
 ゆえに人々は先を争って被害者になり、傷ついた、傷ついた、という。

 ………いーかげん、やめません? こういうの。

 イメージトレーニングってありますよね。
 すぐれたスポーツ選手は必ずこれを取り入れていますね。競技のときの自分の動き、その「いい感覚」をイメージし、脳にしみこませて「覚えさせ」、それをじっさいの現実、競技の場面で実現する、という。

 私は傷つけられた可哀想な被害者だ、という「イメージ」にも、そうやって現実になっていく力がある。そう考えたら、そういう態度が、どんな「現実」となって現れるか、わかりますよね。

 いまの世の中のしみったれぶりの、ひとつの原因じゃないかとさえ、私は考えております。

 被害者であることは正義を意味しない。
 被害者は「ある種の損失をこうむった人」だというだけです。被害者は正義だなんて発想はどこからくるのか?

 被害者として誰かを糾弾していれば、その場では自分の主張が通りやすくなって「得だ」と思うかもしれませんが、結局、自分で自分のイメージを損ない、本当に弱者そのものになって、どんどん自分自身への信頼感を失い、自信を失い、「弱くて情けない自分」になってしまいます。

 誰かの自由や権利を主張するのはいい。
 けれどもその主張を無理矢理にでも通すために、なりふりかまわず、すすんで被害者になり、自分に有利な状況を作り出そうなんて「貧しい」ことは、やめるべきだと思いますね。

 いわゆるリベラル派はどういうわけでしょうか、こういうことを平気でする。
 自分の主張を通すためならなんでもする、その根性は認めますが、やはり手段が間違っていると私は思います。

 それが手段だということを認識している人はまだいいんですが、そういうものを幼いころから見聞きして、潜在意識に刷り込まれて、「こういうことを言われたら傷つく『べき』なんだ」という反応をするようになっちゃった子ども、若者というのは、どうにもマズいと感じています。

 私は何を隠そう、他人に何を言われるよりも自分で自分を罵倒し否定し「傷つけ」てきたもんですから――ただいま、それを少しでも脱却しようと奮闘中――、わざわざ、他人のために傷ついて「あげる」ことの馬鹿馬鹿しさがよくわかります。

 アイドルが、あなたのイメージどおりではなかった、というだけのことで、あなたが傷ついてあげることはありません。あなたはそんなに安っぽい人間なのでしょうか。弱い人間なのでしょうか。無力な人なのでしょうか。
 たとえ他人にそういわれたとしても、他人はしょせん、他人です。「部外者」であるに過ぎません。
 外野なんてのは無責任なもんです。勝手なことをいうけど、だからってあなたの人生になんの責任もとってはくれません。
 他人を、あなたの思いどおりに動かすことはできません。これは誰にも出来ません。
 他人をどうにかするのは不可能ですが、自分を動かすことはできる。
 あなたのことは、あなた自身が決めればいい。

 そういうとき、自分で自分に、弱い人間、無力な人間、だから傷ついてしまう、だから踏みつけられてしまう、私はひとりでは何も出来ない「ダメな」人間だ――なんてイメージがあったら、たまったもんじゃありません。

 私はもとから、左翼思想は「怨念」を「正義」にしようとしているから嫌いなんですが(人としての道を踏み外す原因ですからね怨念なんて)、それがもっと貧弱になった左巻きというのは、こういうところに弊害があるんだなあ、などと思う昨今です。

 被害を被った場合、法的な措置を取ることは当たり前に自分を守ることですからそれはいいです。
 しかし、被害=傷ついた、ということではない、ということを、いい加減、認識してもいいんじゃないだろうか。

 被害を受ければ、それはショックでしょう。精神的なダメージもある。けれども、そこで自分で自分に、「私は弱い、無力な、ダメな人間」だなんてイメージを与えないようにしたい。
 与えられたイメージを現実化していくのは潜在意識の働きです。
 潜在意識というのは「自走しているプログラム」であって、いちど走り出したものをリセットするのは――コンピュータと違って――簡単なことじゃないですが、でも、そういうプログラムが結局、自分で自分を損なっている(=不幸にしている)と気がついたら、少しずつでも修正していきたい。

 そういう共通認識が、いまの世の中には必要なんじゃないかと。

 ………あまりにも「傷つく」人が多い、この事態をどーにかしたいと思うと、やはりそういう結論になってしまいます。
 ちょっと人非人、冷たいものいいに聞こえるかもしれませんが、私としては、つまるところ人が幸せになるのには、そういうものの見方考え方が、とくにいまの世の中には必要になってきている、と感じています。

 もっと自分自身を信頼して、本来の強さを、誰もが思い出せるように。
 
 
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きのう見た夢
2010年08月22日 (日) | 編集 |
 拍手くださいました方、ありがとうございました。m(_ _)m

 ここ数日どうもカウンターと拍手が挙動不審です;
 カウンターはアクセス解析の結果とはあまりに合致せず(多少のズレはかまいませんが)、拍手は、管理画面で見ると頂いている拍手が、じっさいのブログの画面に反映されていない。
 以前にもこういうことがありましたよ……「またかよ」の気分です。
 反映されないくらいならいいんですが、もしや一言いただいているのにこちらに到着していないなんてことはないように祈りたい;

 一言送ったのに、みずはらからレスがない、という場合、お手数ですが、もしよろしければメールフォームからでもお知らせくださいませ。m(_ _)m
 
        ●

 ブログパーツはあんまりつけない方がいいんじゃないかと思いつつ、またひとつ、くっつけてしまいました。
 夢占いというか夢診断というかのブログパーツ。
 ここの夢判断は、キーワードだけではなく、文脈も解析の対象になっているところ。
 夢のキーワードだけでは判定されない部分も判断材料になるんだそうで、たまに、ちょっとぎくっとするほど、図星を指してくることがあります…。

 私は夢をよく見る方です。
 というか、夢というのはだれでも毎晩見ているんだそうですね。ただ、それを覚えているか、いないかに個人差があるようで。
 私は妙なアタマをしておりまして、目が覚めた直後には忘れている。
 のに、お昼ごろになって、はっと昨夜の夢を思い出す――ということが、けっこうあります。

 普通は逆らしいです。(^^;)

 目覚めた直後は覚えているが、起きだして、トイレに行ったり顔を洗ったりしているうちに目が覚めて忘れてしまう、――というのが一般的。
 
 私はまだ寝ぼけているときには思い出せず、午前中の仕事も片付いて、さーてお昼だ、というころになって、ばっちり覚醒したときに思い出す。
 ……本当は昼間の方が寝ぼけてんじゃないの、と言われそうですが。(^^ゞ

 しかしそうなると、たまにですが、「なんでアタシ、こんな夢をみたのよ?」と、我がことながらすんごく気になっちゃうものがあるんですよね。あまりに奇想天外というか、「なんでそうなる?!」という、自分の日常はもちろん、妄想からさえかけ離れていて、思いもよらない内容の夢。
 どこをどう押せばそういうイメージが出てくるわけ? と、本当に自分でも意外なもの。
 これは気になります。

 それで見つけたのが、今回ブログパーツを貼り付けたサイト様。

 文章の書き方によって結果がぜんぜん違ってくる場合もありますし、どのように書いても同じ結果になることもありますし。
 どのみち夢の世界というのはきわめて個人的な世界。フロイト以来、いろんなキーワードが解析されてきましたが、最終的には、「その人個人がそのキーワードにどういう意味を持っているか」が問題になって、一般的な解釈はあてはまらない、ということも少なくない。

 たとえば猫は一般的にそのキーワードは「(意地悪な、あるいは敵対的な)女性を暗示する」ってことになってるらしいですが、私にはこれはどー考えても、ぜんっぜん当てはまりません。
 れっきとした猫バカで、猫にそういうイメージがまるでないんでしょうね。なのでそういう解釈しちゃうとぜんぜん意味不明の夢というのはよく見ます。
 夢のなかに登場する猫はたいてい、自分が飼っている猫のせいもあってか、私の夢のなかで猫が示す意味は、可愛いもの、愛し守るもの、になるようです。
 
 ので、いくら単語のみならず文章そのものも解析するとはいえ、こういう夢解析も、つまるところはあんまり正確ではないのでしょうが、それでも「なんであんな夢、見たんだろう」と気になってしょうがないときには、ヒントになってくれます。

 キーワードという「単語」だけで見るよりは、文脈も解析されると、やはりだいぶ違いますね。

 ただ、以前はあれほど頻繁に見た夢も、最近は忙しいせいかほとんど見なくなりました。見てはいるけど覚えていない、ってことで。

         ●

 フィギュアスケート、高橋大輔選手のプログラムについて一部発表がありましたね。
 SP(ショートプログラム)はラテン。
 FS(フリースケーティング)では、ピアソラのアルゼンチンタンゴ。

 昨シーズンのSP、「eye」はもう、音楽自体もよかったですしね~。なんど見ても飽きないプログラムで好きでした。
 FSの「道」はねえ、……泣けるんですよねじつは。(;_;)
 映画、ドラマが苦手だというのに、なんでか私、あの映画は見たことあるんです。私が好きなタイプの物語じゃないですが、でも、あらすじは知っている状態で、高橋選手のあのプログラムを見ていると、登場人物の心情がふと重ね合わさるように思い出されて、クライマックスはなんとなく、涙ぐんでいたり。
(オリンピックのときだけは、さすがにそんなことを思ってみていられませんでしたが)

 もっとも、あのFS「道」は、映画の内容に忠実に、という意識はなかったとのことですから、ストーリーがまったく同じってことでもないわけですが。
 導入がね。いいもんですから、ついね。(^^;)

 高橋選手の場合はもう、芸術性と、肉体と技術への「挑戦」というスポーツの、両面を過不足なく実現している、稀有な存在だと思うので。

 もう、ご本人が好きなように、楽しんで滑ってくれればいいなと思って見ています。

 それにしても、ピアソラか~。具体的にはどの曲を使うのかな。
 彼の曲は「舞踊曲」ではない、というか、舞踊曲という(狭い)枠にはない、という話を聞いたことはあるので……。
 アルゼンチンタンゴの革命児ピアソラと、フィギュアスケートでの「芸術か、スポーツか」の不毛な論争に明快な答えを打ち出している(と私は思う)高橋選手と。
 この挑戦も楽しみになります。
 
 曲と、プログラムと、高橋選手自身の表現と。
 どうなるのかな、と思うと楽しみですね。(^-^)
 
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足の指の爪
2010年08月21日 (土) | 編集 |
 拍手くださいました方、ありがとうございましたv (^^)

        ●

 以前もちょこっと書きました、三洋さんが発売予定の、お米でパンが焼ける「GOPAN」が発売延期だそうです……。あらら;;

三洋、米から米粉パンが作れる「GOPAN」の発売延期
8月20日19時0分配信 Impress Watch
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100820-00000053-impress-ind

 年内にはパナソニックの完全子会社になってしまう三洋さん(上場廃止です)。GOPAN発売延期と聞いてそっちの関係か? と思いましたがそうではなくて、単に、人気が高いので増産するためということのようで。(^^ゞ
 
 まだ発売されてないのに、もうそんなに人気があるんだ。すごいねえ。

 とか言いつつ私もチェックいれて貯金を始めてますが。
 なんせ小麦粉には弱い体質。でもパン食べたい! という気持ちがあるので、このGOPANはすんごく興味を引かれます。
 小麦粉ゼロでパンが焼けるコースもあるというし。小麦粉零コースは、グルテンのかわりには上新粉を使うんだそうで。
 私は小麦アレルギーはありませんが、そういう人にも、これはちょっと魅力なんじゃないかな。

 あと、私が「これは買い」と思ったのは、お餅もつけるということ。
 毎年毎年、悩んできたんですよね~。お正月のお餅はじつのところ、そうたくさんは要らない。なので、出来合いのお餅を買うんだけれども、これがどうも、積極的においしいとは思えない。
 やはりたとえ機械ででも自宅で作れば、少なくとも材料はわかっているし保存料等は入らないのだから、そのほうがいいのではないか。
 ――しかし、年に一回のイベントのために餅つき機を買うのか。

 と悩んでいたわけですが、「ふだんはパン焼き機」で「お餅もいける」ということならば、それなりに使えるのではあるまいか。
 ということで、いまのところ、かなり買う気満々で待っているのです。
 
 こちら↓のサイトでモニターのご意見も聞けるらしいし……9月30日までの期間限定、1日160食限定ながら、表参道のお店でGOPANのパンも販売されているそうで。うーん、試食してみたい~。
 表参道いってこれを購入した方、いらっしゃいませんかね? (^^;)
 一日160食限定だとそれも厳しいのかな~。

ライスブレッドクッカー GOPAN
http://jp.sanyo.com/gopan/index.html

GOPAN Cafe
http://jp.sanyo.com/gopan/cafe/index.html

 11月の販売となると正月に間に合うかな……。微妙ですかねえ。

        ●



 先日の夏コミでは結局、悩んだ末にこのビュースのサンダルを履いていたのでした。
 さすがにビュースで、足下が軽いのはもちろんのこと、やはりいままで履いていたサンダルとは歩くときの負担がダンチでございまして、歩きやすい、軽い、負担がないというのでご機嫌の私でした。
 が。
 
 家に帰ってこれを脱いで魂消ましたのは。
 まあ、靴に比べるとサンダルは不安定ですから仕方ないんですが、いやもう、足のむくみときたら、恐ろしいほどでした。

 私はどうも足首にかかるストラップに弱くて、ストラップがある靴を履くと例外なく、ちょうどそこでうっ血したみたいにむくみます。自分でも気持ち悪いほどです。
 ビュースでもダメだったか~とがっかりでした。

 さらに問題だったのは、これ、通常サイズよりひとつ小さめのサイズにしてくださいというアドバイスがあったので、そのようにしたのですが(私の場合、ふだん履いている靴は23cm。なので、そのひとつ下のサイズで22.5にしてみました)――これが失敗だったらしい。

 私の足、親指がみょーにデカイんですよ。
 ポインテッドトゥの靴を履くとよくわかるんですが、足のサイズ自体はあっているのに、親指の先端の形が、靴を突き抜けんばかりにして浮き上がって見えるほど、親指がにょきっと出っ張っているのです。

 こういう足だから、まともにはける靴はスクエアトゥばかりということに。(T_T)
(ラウンドも意外に、親指先端は引っかかります)
 甲高幅広、親指でかい、ということで、じつは私の足にいちばん負担がかからないのは、草履、下駄です。(^^;)
 近代化されてない私の足;; 文明開化は遠いねえ。

 とまあそういうわけで、このサンダルでもじつは相当、つま先が窮屈で痛かった。2時間ほどならなんとかなったでしょうが、コミケの場合は早朝から夕方までずーっと、ということになるので、思いのほか、負担になったようです。

 靴を脱いだらむくんでいるのはまあいいとしても、何気なく左足親指をさわったら、へんなふうに痺れている。
 ちょうど、つま先が押し込められたあたりに水が溜まっているかのように、感覚が鈍り、触ると、痺れたような感じが。

 親指の外側です。一瞬思ったのは「まさか痛風?!」でしたが、べつに痛みはないんですよね。痛いとか、歩けないとか、指が動かせないとかっていうことではない。
 ふつうに力も入るし動かせる。そこに触りさえしなければ、しびれがあるとも思わないほど。

 なんだべこれは、と無気味に思いつつ過ごすうち、時間が経つほどに治ってきたので、さほど心配はしませんでしたが。
 結局、その上皮が痺れているような感覚は3日ほどつづきまして。
 3日目の夜には治っていたのですが、正体不明というのはやはり気持ちが悪い。なので、昨日、指圧に駆け込んで、先生に聞いてみました。

 見せてご覧というので失礼して靴下を脱いでみてもらったところ、「爪の伸ばしすぎ」で、「つま先が圧迫されて、爪の神経から、そういうしびれみたいな感覚になった」とのことでした。

 先生がおっしゃるには――巻き爪を警戒して爪を伸ばすひとが増えてるんだけど(私もそうです;;)、これも人それぞれで、爪の形(もともとの爪が生えている形)によっては、爪を伸ばすとかえってつま先を圧迫することになるから、無闇に伸ばせばいいってもんじゃない、とのこと。

 私もそのタイプ。
 無闇にのばすのはやめて、爪の端っこが肉にあたらないように整えた方がよい、とのこと。
 どういう形にすればいいのかイマイチわからなかったので、また次回、爪切り持参で教えてもらうことにしました。(^^;)

 自分で言うのもなんですが、じつにがっしりしてるんですよね、私の足の指。
 親指だけでなく、小指も、じつは長さがあって、まるで猿のようにかなり自在に動かせる。

 小指が短い、爪も小さい、という人は、第2関節ですか、骨がひとつ退化して少ないんだそうですが、私の場合は退化してない、猿の足に近いようで。
 指が長くて爪の大きさがはっきりしているため、素足になってペディキュアをすると映えるというのでうらやましがられることもありますが。

 ………骨が退化していない、つまり二足歩行の人類としては進化していない足だと思うと………どーなんですかねー……。
 ペディキュアが映えるのはありがたいのかもしれませんが。

 とまあ、そんなわけでして。
 私同様、足の親指がちょっとフツー以上に発達している方、巻爪予防で爪を伸ばしていると、かえって靴のなかで足が窮屈だ、痛い、というかた。
 痛いんだったら爪を伸ばさない方がいいかもしれませんね。

 人の体って、やはりなにかと微妙なもんですね~。(^^;)
 
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