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2010.07.31 (Sat)

面白い「画」

 拍手くださいました方、ありがとうございますv (^^)

     ●

 昨夜は「交渉人 真下正義」を、見られるときに見るという見方で見てました。(^^;)
 
 この映画は好きでしてv
 「踊る」シリーズとしてというよりも、一本の映画として好き。

 これはあきらかに「劇場版パトレイバー」を意識して作られていると思うのですが、「だから」だと言ってしまうと角が立つのかな。(^^;)


機動警察パトレイバー 劇場版 [Blu-ray]機動警察パトレイバー 劇場版 [Blu-ray]
(2008/07/25)
冨永みーな/古川登志夫

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 あの遠慮会釈ない、しかも technical term 専門用語ばりばりの長セリフ、小気味いいカット割り……ああ…うっとり…v

 じつは、基本的には私はドラマや映画が苦手。
 とくに邦画については昔は悲惨の一言で、その、構図としてなーんにも考えてない画面に、ついにぶちきれて、
「映画っていうのが『絵』の連続だってことがわかってないんじゃないの?!」
 とわめいていたのが20歳のころ。

 よーするに1枚の「絵」として見たとき、構図がぜんぜん面白くない、ということに怒っていたのでした。
 それが1本2本のことなら我慢もしたでしょうが、邦画全体が、ひどい画面を平気で見せているのにお高くとまってたんで。(映画の鬼平犯科帳はあまりにひどかったというので記憶鮮明)
 アニメ映画の方が、はるかに、よほど、「まともな」構図で客の目を楽しませてくれていたんですよね。

 アニメ=子ども向け、という発想から抜け出せない人は世間には相当数いるようですが、アニメーション(日本の場合は基本的にリミテッドアニメーション)というのは「映像手法」のことなんであって、その作品の「内容」まで意味するものではありません。
 どうしてこんな単純なことが理解できないひとが多いのか、私はいまだに疑問に思ってます。

 昔は「アニメ=子どもむけ」という固定概念があり、「だったらアニメで作ったポルノはどーなるの」とよく言っていたのですが、最近では「アニメ=ポルノ」になってきたようで(アニメ、漫画というだけで規制を受けようとしているのが現状です)、あたしゃもう、なにをどういえばいいのか……と頭を抱えております。(^^;)
 「固定概念」「先入観念」「偏見」の強さというものを感じますねえ…。

 よーするに無精なんでしょうね。ひとくくりにしちゃって、楽に判断しようとしている。じっさいには個々に判断しなきゃいけないものを、勝手にラベルを貼り付けて分けてしまう。
 そういえば「オタク」という「ラベル」も、ずいぶん濫用されてらあ、と個人的には思ってます。

 日本アカデミー賞では、画としてもひどいが脚本もひどい、でもなんか高尚ぶって深刻ぶって「文学っぽい」ものが賞をとる、という状況だったし。(ここは過去形で語っていいでしょうか? そうでもない?)

 そして、映画を撮るときにちゃんと絵コンテを切るのは黒澤明監督だけだと聞いて、道理でねえ、とよろしくない方向で納得してました。

 そういう意味では、なんだかんだいってもハリウッド映画の方が100万倍マシでしたね。
 ちゃんと「見る人に、どう見せるか」を考えている「画面構成」がありましたもの。

 いや、日本の映画だって考えてはいたのでしょう。しかし、頭で漠然と考えているのと、ちゃんとコンテをきって「設計図」を作るのとでは、できあがりがぜんぜん違う、というのは想像できますよね。
 青写真だけで家を建てちゃう人がどこにいます。きっちり図面引いて作りますよね。
 細部に神は宿る、のでしょう。

 これはしろうとの勝手な意見でしょうが、しかし映画の客というのはその、しろうと群ですから。

 ということで。
 それじゃあ日本映画も「絵」としていくらかでもマシになってきたのはいつからだったかと考えると、やはりこの「踊る大捜査線」の、テレビシリーズのころからではなかったかと思います。

 カット割りって大事だよねえ、と、勝手なことをほざいてました。(^^;)
 もっとも、現在どのていど、ちゃんとコンテを切って映画が製作されているのか存じませんが。

 そういう意味でこの「交渉人…」は、「ひとつの絵として面白い」画面が多いので、私としては楽しく見ていられるのでした。
 冬の、早々に日が暮れてしまった東京を走り回る木島さんの場面などは、ほんの一瞬で切り替わってしまう場面ですら、ちゃんとその町の景色を映り込ませる「構成」が好き。(^-^)

 もちろん最後には個人の好みということになるのですが、私はどうも――演劇の新派をまんま、ひらべったい画面にコピーしただけみたいなものより、場面を「画」として見せてくれるもののほうが、――映画はせっかく「動画」なのですから、そのほうが楽しくていいのになーと思っております。
 
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2010.07.30 (Fri)

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2010.07.30 (Fri)

できればやさしく白髪染め

 涼しいのはいいんですが、なんですかこの野分みたいなすごい天候……;
 雨が降るのは涼しくなっていいやと思っていたら、そんな可愛いもんじゃなかった昨日の雨。
 うちの古めの簾は、巻いておいたのに風で吹っ飛んでました。
 そろそろ買い替えるかーと思っていたのでべつにいいけど;
 どうも最近は暑いにせよ寒いにせよ雨にせよ風にせよ、極端すぎる気がしません?

      ●

 本日はひさびさ(に感じる)、おすすめ品というか、体験記。

 本日のお題はずばり「白髪染め」!

 30代まではなんとかヘアマニキュアで粘っていましたが、40の声を聞いて、カラーリング――白髪染めに変えました。
 無器用なので、いまのところは美容院でおまかせ。染めてもらう間隔は1ヶ月半。粘れば二ヶ月、なんとかもつ、というくらい。さすがにヘアマニキュアよりは保ちますね。

 いまのところ、私は髪を染めて、髪が傷むとか地肌が荒れるとかの弊害は感じていませんが、それでもやはり、基本的には体にいいことだとは思えませんで。

 ということで、ただいま、うちの母を巻き込んで、2種類の「自然派の髪染め」をお試し中。
 ひとつは、(株)スヴェンソンの「レフィーネ Refine」。

refine.jpg

 もうひとつは、自然派club サスティの「利尻白髪染め」。

risiri-konbu.jpg


 ⇒「レフィーネhttp://www.8341.jp/
 ⇒「利尻白髪染めhttp://www.sastty.com/

 母は利尻昆布、私がレフィーネを使用中。

 どちらも、天然素材を使って髪を染めるというもので、通常の染髪と違い、まあ、いちどには髪の色は染まりません。ただ、有害なものではなく、というより「トリートメント」なので、使用回数に制限はない。髪を洗うたびに使ってもいいくらいです。

 私が使用中の「レフィーネ」について申しますと、まずは香りがいいです。
 こちらは、髪を洗う前、乾いた状態で髪になじませ、20~30分ほど放置。
 それからいつもどおりに洗髪。

 実はまだ白髪が目立たない状態で使い始めているので、使用第1回目のとき、どの程度に染まったか、確かにはわからないのですが;;
 でも、たしかに染まっているようです。あの、髪をめくったときに下から出てくる、半端な色の髪がない。
 まだ、使い始めたばかりなので、目下のところは洗髪のたびに使っていますが、色が安定すれば、週に一度のトリートメント感覚でいいそうです。

 で、母が使っている「利尻昆布」。
 これは逆に、シャンプーをしたあと、タオルドライしたら、髪に付けます。通常のトリートメントと使い方はまったく同じですね。
 5~10分放置後、充分すすぐ。(シャンプーは不要)

 母によりますと、「利尻昆布」を髪に付け、放置後、シャワーで流しているときには、髪がきしむような感覚があるそうです。
 ところが、ドライヤーをかけて乾かすと、ま~さ~に、さらさら、しっとり、なんともいえない髪の手触りになるんだそうで。
 御年70歳の母ですが、たしかに以前よりも髪にはつやが出てきました。ホントに。

 トリートメントできるわ、白髪は染まるわ、体に有害なものはないわで、ありがたいことです。

 染まり具合は、そらまあ、通常のカラーリングよりはるかに弱いです。でも、ヘナのシャンプーとかよりも扱いやすいようですし、ニオイも気になりませんし(レフィーネの場合は甘い香りv)――あと、どちらにも、染まるのを待つ間、保温して浸透をよくする、専用ヘアキャップがあります。
 これを購入すれば、スチーム効果があるようなので、着色もだいぶ効率的になるのでは…と思います。私は目下、自前のタオルスチームですが、これだけでも違いますんで。

 3回染めればもうだいぶ、染まりましたから――そうですねえ、よほど染まりにくい人でなければ、1週間、我慢できれば、充分染まると思います。
 色が安定すれば、あとは週に1回でも大丈夫。

 どうしても、一分の隙もなく染めたいときには美容院にお世話になるとして、日常ではこれらで充分ではないか? と話しているところです。

 そんなわけで2種類使った感想ですが。

 どちらも同じくらいおすすめですね。
 なにせ、髪を染めるタイミングがシャンプー前か、あとか、その違いしかないように感じますんで。
 値段的にもそんなに違いはないし、髪を染める「性能」も同じほどだし、「定期お届け」制度はどちらにもあるし、……なので、どちらを使うかの判断は、お好みで。

 ただひとつ、ボトルの使い勝手だけはレフィーネに軍配があがります。ポンプ式で取り出しやすい。残量チェックもしやすい工夫があるし。(^^;)

 あと、カラーの種類もレフィーネのほうが多いです。明るい色も揃ってますね。
 ダークブラウンとピンクを混ぜて使うなどして、「私の髪色」を自分で調合する使い方もできるそうです。これはけっこう楽しそう。(^-^)
(ただし、あくまで白髪用なので、現在黒い髪をピンクに染めるとか金髪にしちゃうとかってことはない)

 利尻昆布は、黒、ダークブラウン、ライトブラウンの3色。
 でも、使うとすればこの3色があれば充分ですから、色の種類には私はこだわりませんです。
 
 あと、最初は「素手で髪を染めて本当に大丈夫なのか」と思いましたが、大丈夫でした。
 爪の間に入ったものだけはちょっと気を使って洗いますが。
 服にちょっとついてしまい、ドキッとしたこともありましたが、そんなにべったり付けたわけじゃないせいもあるでしょうが、あっさり、洗濯で落ちました。

 これはヘアトリートメントですから、もちろん男性にもおすすめです。(^-^)

 利尻昆布の方には、頭皮の汚れもすっきりとれるクレンジングもあります。夏はこういうの欲しいですよね~。ちゃんと洗髪はしているのに、あんまり汗をかくので毛穴になにかが残っている気がする、この季節特有の、頭皮に残る気持ち悪さときたら。
 なので、頭皮専用クレンジング――これはいいんじゃないだろうか……と思わず、じっと見つめて買おうかどうしようかと検討中。
 夏よりも秋に欲しくなるかも。秋になると明らかに、夏の疲れが髪に出ますよね。(^^;)

 とまあ、そんなところで。
 まだ使い始めて日が浅い(半月)ですが、でも、通常のカラーリング剤だとちょっと不安という方には、いいんじゃないかな、と、お薦めしたいです。

 結果的には美容院で染めてもらうより経済的だし、なにより、つまるところはトリートメントだというところが嬉しい。髪を染めて、髪を傷めるどころか、栄養がいきわたるなんて♪

 ありがたいなあ、と思ったので、おすすめ体験記でした。(^-^)

 
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2010.07.29 (Thu)

自分は自分

 拍手くださいました方、ありがとうございます~。(^^)

       ●

 雨で、涼しい朝となっております。雨だから、じめじめはしているのですが、それでもなんとなく、ホッとしますね。(^^;)

 今年の夏は、異常といいたいほどの暑さで、これだけですでにおかしいっちゃあおかしいんですが、もうひとつ、奇妙だと感じることがありまして。
 それは「秋の気配がしのんでいる」こと。

 梅雨明した、といわれてから数日の間も、たしかに晴天で暑くはありましたが、それでも、空は澄み切って高く、雲は、積乱雲ではなく、風に細く長くたなびく雲。山は稜線がくっきりはっきり見えて、まるっきり、「秋の景色」だったのです。

 それに、ここ2、3日は午後になると強い風。
 通常、盛夏の午後というのは、どんよりと重い空気となり、風があるとしてもあんな風にはなりません。
 吊るした簾(すだれ)が巻き上がるほどの風が吹くのは晩夏のころです。8月20日以降ですよね。
 そんな、秋の気配を忍ばせた晩夏の風が、7月下旬に吹くなんて。

 あまつさえ――
 ツクツクボウシが鳴きました。1ヶ月早いような。
 
 妙な夏です。
 殺人的に暑いにもかかわらず(おかげさまで西瓜が甘くて嬉しいですが)、すでに、秋の気配があるというのは――妙です。
 案外8月にはいったら涼しくなるのかなと思ったりもしますけども――それはないかな。(^^;)

       ●

 だいたい、世の中、馬鹿と基地外は声がデカイのです。
 ――というのが私の思うところ。

 なにか「問題」が出来するときのひとつのパターンが、

 まず、なんてことのない動きや発言がある 
 ⇒ 馬鹿や基地外が過剰反応する
 ⇒ 人数は少なくても、大騒ぎする声がすれば世間様はびっくりして注目する
 ⇒ ますます騒ぎが大きくなる
 ⇒ 良識派の人々が、「なんでこんな大騒ぎになるの」と出てくる
 ⇒ 聞いてみたら、騒ぐようなことではぜんぜんない
 ⇒ 良識派が「そういうことではないでしょう」ととりなす

 というのがありますね。
 これもその典型だなーと思ったのが、プロ野球日ハムファイターズ、ダルビッシュ投手のツイッターのお話。

ダルビッシュ選手 ツイッターで年上男性に説教されるも逆に人生のアドバイスをし返す
2010年7月27日 22時29分
http://www.excite.co.jp/News/column_g/20100727/Himo2_1130400.html

 ダルビッシュ選手が松茸を食べたとつぶやいたところ、「不況なのに」と、よーするに松茸を食べられない人のことを考えろ、という「説教」をされたんだそうで。
 もうこの時点で私には「はあ?」ですが、それに対するダルビッシュ選手のお返事がすてきです。

他人と比較しても良い事はほとんどない。こんな事書く時間があるなら自分が成長するための時間に使って欲しい

 正論過ぎるほど正論です。(^^;)

 これを拝見してつくづく、「なぜか世の中って、どーでもいーことでぎゃーぎゃー騒ぐ××が、まず出てくるんだなあ」と思いましたが、ま、それはそれとして。

 他人と比較することに意味などない。それはむしろ無駄なことだ、というのは、ここ何年か、ずーっと考えていることなので、うーむ、とまたここでも考え込んでしまいました。

 松茸を妬んでいるのをもっともらしい理屈にすりかえて発言し、かえって恥をかいた中年男性とやらもそうですが、たいていの悩みとか妬みとか心配とか憂鬱とかの原因は、「他人と自分を比較する」ことから発生しているんですよね。

 自分自身のことだけに集中する、というのは、できていそうでできていない。
 あの人は持っているのに自分は持っていない、などと比較し、そうすると、自分がなんか、ものすごーく不幸で惨めに思えてくる。

 で、まあ、それで自分にガッカリして落ち込んでいるだけならまだ可愛いんですが、今回の松茸説教オヤジみたいに、「自分が不幸でみじめだなどと思わせるお前が悪い」という、責任転嫁というより単にインネンつけてくるチンピラになりさがるというのは、さすがにそれは、みっともない。落ち込んでいるだけの方がマシですね。社会的には。

 なんにしても「比較」には、なんの意味もない。
 自分が持っているものもちゃんとあるのに、他人が持っているものばかりをうらやみ、ねたみ、自分の持ち物を蔑ろにするということは、とりもなおさず、自分自身を蔑ろにする――はなはだしくは無視する――ことになる。

 自分の持っているものを大事にできない人というのは結局、せっかくその手のなかにあるものに意識を集中させず、よそみばかりしているから、せっかくその手のなかにあるものまでも、ぼろぼろ取り落としてしまう。

 そうではなく、他人が何を持っていようといなかろうと関係ない。ただ、自分が持っているものをまず大事にして、それから、自分はどうしようかと考えることが、まずは大事なこと。
 それができれば、右をみて左をみて、あっちがいいかこっちがいいか、なんてウロウロして、結果的に他人に鼻面をひきずりまわされるなんてことはなくなる。

 他人と比較しておろおろする、ということはつまり、他人に振り回されている、ということなんですよね。まさに「自分がない」ことになる。

 大事なことは自分がちゃんと成長していくこと。誰と比較しても意味などない。ただ、昨日の自分より、今日の自分が成長している、ということが大事。

 ………ということを私も、理屈の上ではわかっているのですが、なかなか、自分の潜在意識にまでは浸透させきれず、じたばたしているというのが現状なので。

 ダルビッシュ選手の言葉を聞いて、「わかる人はわかっている(年齢は関係ない)」とあらためて思いましたです。

 ところで、自分自身が持っているものをまず大事にする、ということは、けっこういいことのように聞こえると思いますがこれ、言い方をかえると、「現実の自分自身の姿をしっかり見る。好き嫌いをいってもしょーがないんで、それをまず受け入れる」ことなんですよね。
 この時点でけっこう厳しい……と思ってしまいます。(^^;)

 おおむね、ただいまある現実を受け入れられない人間は、過去を見すぎていたり将来を考えすぎていたりして、とにかく「心、ここにあらず」「ここでない何処か」にばかり気を取られているようです。

 現実を受け入れる。認める。いいも悪いも判定する必要はない。

 それが、自分が成長するための必須条件(最低条件)ですが、(現状認識を正しくしないと、自分の成長になにが必要か、等を判断できませんからね)、それができたら、それだけでもうすんごい「成長」になります。私の場合には。
 精進精進;;
 
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2010.07.28 (Wed)

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2010.07.28 (Wed)

発酵仮面の甘酒

 本日、午前中は急用のためにアップできませんでした;;

 日経新聞夕刊にて、発酵仮面・小泉武夫先生の連載コラム「食あれば楽あり」で、ちょっと面白いお話が。

(小泉武夫先生についてはこちらのページをどうぞ。⇒「小泉武夫の部屋」)
http://takeobushi.com/fs/add/default.asp?mart_id=takeobushi&page_num=503


 俳句には必ず「季語」が入ることになっていますね。「猫の恋」は春の季語、などと決まっていますが、そういう季語を集めて記載している「歳時記」によると、甘酒は夏の季語なんだそうです。

 小泉先生のコラムによると、昔は、子どもやお年寄りは体が弱り、夏を越せない人も少なくなかった。そういうときの栄養補給として、甘酒が飲用されたということで。
 へ~え。甘酒。そういえば、江戸名所図絵にも、豊島屋というお店が、雛祭り限定で販売する白酒が出ていたっけなーと思ったんですが。

 なんと! 白酒と甘酒は違うんですって?! 

 ⇒白酒と甘酒は別物!桃花酒で大人のひな祭り【All About】
http://allabout.co.jp/family/seasonalevent/closeup/CU20060221A/

 ふーむ。酒粕を使ったものが白酒(度数10ほど)。麹でつくったのが甘酒(度数1以下)。
 なので、白酒は20歳以上。甘酒は子どももOK。とな。

 し…知らなかった;;

 ということで、暑気払いというよりもうちょっと現実的に、夏の「活力源」たる甘酒について、「発酵仮面」小泉先生のレシピ。

(1) 米麹、茶碗1杯に対して、ご飯を3杯分、60℃のお湯を7杯分混ぜ合わせる。
  米こうじ:ごはん:お湯=1:3:7 ってことかな。

(2) それを保温器にいれて一晩、または6~8時間おく。

(3) 翌朝には甘くてトロトロに溶け合った甘酒になっている。
  これを冷蔵庫に入れて、冷えたところをぐっといただく♪

 ――とのことです。

 保温器かあ……ご飯の保温器かな。昔は、ご飯を炊くのはガス釜とかで、炊いたご飯は保温ジャーに移しておいたと思うんですが、それのことかな?
 と思い、まずはAmazonさんで検索したら「保温調理器」というのがありました。
 こういうののことでいいんだろうか。

 自家製でできたら、そりゃあもう、混ざり物なしの安心飲料ですねv

 いまは、甘酒ではなくても、高タンパク質で消化の良い食べ物は他にもありますけども……でも、夏に甘酒というのはたしかに、お腹にもやさしく、消化吸収もよくて、いいんじゃないかな――などと急に、私もいただきたくなりました。(^^ゞ

 それにしても毎回毎回、小泉先生の文章表現はじつに詳細です。
 拝見しているとつくづく、「味覚はじつは香り」だということがよくわかる。

 いちどひどい鼻風邪で、もう完全に鼻閉つまり鼻づまりになったとき、何を食べても「味がしない」ので驚いたことがあります。
 味は――あることはあるのですが、なんかもう、ぜんぜん美味しくないというか、味はあるけど、1メートルくらい先にある、って感じで、「遠い」んですよねその感覚が。

 食べ物を噛み砕いたとき、すーっと鼻腔に抜けていく、その香り、匂いというのが、味覚の大部分を占めているのだと、つくづく思いましたね。

 小泉先生の文章では必ず、その、においの描写があります。ほんの一瞬とも思わないほどの、刹那的なその感覚を、じつに微に入り細に入り表現なさる。
 その、詳細というより執念深いほどの描写を読んでいるといつも出てくる言葉が、
「ほんっっっとーおに! お好きなんですねえ……(発酵系の食品が)」

 もう熱愛とかというレベルをも超えてますよね。この情熱はちょっとうらやましいほどです。

 とまあそんなわけで。
 夏バテしないでなんとか乗り切りたい私としては――まあ、自分で作るのもちょっとアレなんで、いつもお世話になっているお茶屋さんで、じつは美味しい甘酒も作っているので(なんでかな。お茶屋さんが甘酒…)、あれを買って、冷やしても善し、もとから冷え性気味の私は、温めて飲んでもよし、って気がする。
 
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2010.07.27 (Tue)

土用丑の日

 拍手くださいました方、ありがとうございますv (^^)

     ●

 昨日は土用丑の日でございましたが、やはり召し上がりましたか――うなぎ。

 私は味覚がどうこうではなく、あのご生前のお姿がにょろにょろと脳裏によみがえると、どーおしても! 食べる気になれないので、いただきません;;
 長いものは苦手なんです……巻かれる気もないし。(そういう問題?)

 西日本では、土用丑の日に鱧(はも)を食べるそうですね。鱧もウナギの仲間だそうでやっぱり長い。にょろにょろ。
 丑の日はうなぎを食べよう、というキャッチコピーは平賀源内が考えたもの、というのは有名ですが、なんでそういうことを言い出したか、というと、そのもととして、「土用丑の日には『』がつく食べ物を食べると夏バテしない」という俗信があったそうです。
  
 過去、夏バテしたことがない私でも、暑気払いという意味では「土用丑の日」のイベントには参加したい。(^^;)
 なので、うなぎ以外で、それならうがつく食べ物を……と思って考えたんですが。
 「う」がつくっていわれても……うどんくらいしか思いつかないなー。

 といっていたら、牛蒡――ごぼでもいいんです、と聞いてびっくり。
 うがつく、って……頭じゃなくて、単語のお尻でもいいんですか?!
 
 あらまあ。それならだいぶ、うなぎ以外のものが増えるんじゃない?

 ということで、昨日、私が夕食にいただいたのは、もろきゅ
 ちゃんと「う」がついてるもんね(笑)

 なんていっていたら、叔父が夕方、鰹のアラを焼いたのを持ってきてくれまして。
 母は、これを冷凍しておいて、汁物の出汁にしようかと思ったらしいですが、そんなわけで私がもろみ味噌を買ってきたので、急遽、鰹のアラを焼いたものも、このもろみ味噌でいただきました。
 美味しゅうございました。(^^)

 もろみ味噌は金山寺味噌にも似ていますが、金山寺味噌とは違って、ごくシンプルなものなんですね。
 じつは私、金山寺味噌はあんまり得意じゃないですが(食べられないってほどではない。ちょっといただけばもう満足しちゃう)、もろみ味噌は好きです。
 焼いた鰹のアラにも合うとは思いませんでした~。
 もちろん、きゅうりにつけて、もろきゅう。これも美味しゅうございます。
 やや辛口の、きりっと冷えた吟醸酒があればなおけっこうでしょうが(笑)、ま、それはまた次回にってことで。

 そんなわけで私の土用丑の日は――茄子とエビの味噌いため、生でいただく完熟トマト、もろきゅう、焼いた鰹のアラともろみ味噌。

 シンプルですが、美味しゅうございました。(^-^)

 皆様の丑の日は、いかがでしたでしょうか。

 今年の夏は、ほんと、俗信でも迷信でも民間伝承でもなんでもいいから、ちょっと気合いをいれたものを食べておきたい気がしますもんねえ;;
 
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2010.07.26 (Mon)

顔をどちらに向けているか?

 拍手くださいました方、ありがとうございました。m(_ _)m

     ●

 アニメ「黒執事 II」ですが、録画はしてあるのに、いまだにぜんぜん見れていません; どうしましょう;;(どうもこうも…)

 黒執事については、前作でけっこう(ツッコミいれたいところは山盛りながらも)満足してシリーズを見終えたのに、2期目と聞いたときは、えー、どーするんだろう、と思いました。(なんせ主役はお亡くなりになっているので)

 で、2期オンエア開始まえ、製作途中で、サイトにアップされたイラストをみたらば、明らかにシエルくんではなかったので、「あーそうか、新キャラでやるのか~。『次のごはん』はこの子なのね」と思っていたら、そうではなかった、というあたり。
 意外でもあり、ちょっと「ホッとした」こともあり。
 ま、いろいろみごとに引っかかっている私です。(^^;)

      ●

 大相撲、名古屋場所も昨日で千秋楽となりました。

 なんというか、まあ……やっぱり、そりゃいろいろ大変だったんだろうな、とは思いました。横綱の優勝インタビューを見たとき。
 いろいろ問題が起きてごたごたしているときはどうしたって、気持ちも乱れてしまうもの。それをおさえ、横綱として、力士全体の「要」となるというのは、傍目にみるほど楽なことじゃない――それは当然、あったでしょう。

 私としても胸中はあいかわらずフクザツです。
 その後のニュースを聞いている方ならおわかりでしょうが、これはまったく「体質」「伝統」としかいいようがないところに、がっちり食い込んでいる問題なので。

 問題が浮上した人物だけを排除すりゃあ解決するってもんじゃないんですよね。構造、体質の問題ですから。
 なので、元大関、琴光喜関を解雇としたのは、はっきりいえば、ある意味「無駄」なことでした。

 しかし、日本人すら相撲の見所、その精神を理解しなくなっているというのに、海外から、
「そーなんですよー」と思わず言いたくなるような言葉が寄せられるとは。

大相撲は永久に不滅です 英国一のファンがエール
2010.7.25 19:15
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/100725/erp1007251917008-n1.htm

 なかなか、複雑な気持ちです。
 アイデンティティってなんだろう……と思わず遠い目をしてしまいます;;
 もっとも、ネット上でお見かけするコメントについては、その発言者は必ず、絶対、日本人であるとは限らない(国籍、遺伝情報の問題ではなく、アイデンティティが日本人ではない、という意味で)ようですが。
 その場合、部外者なら部外者としての「分」をわきまえて発言していただきたいと思うけれど。

 反社会的勢力の排除、と、言葉でいうほど簡単なことじゃない。あらゆるシステムががっちりできあがっていて、その「がっちり」のなかに、伝統というか因習というか、そういうものが組み込まれているわけですから。
 一部だけを排除というのは難しい。どうしてもというなら、いちど全部ばらばらにして、組み立て直すほかはないが――それは可能なのか。可能だとして、組み立て直されたものは、それはもう――過去の伝統とは、縁もゆかりもないものになっているのではないか。

 そうなったとしても、やむを得ないのだろうとは、思います。
 そう思うしかない「事件」がありましたものねえ。

 理事長代行を引き受けた村山弘義氏のところにきた脅迫。
 名古屋場所初日の、協会挨拶のとき、その村山氏に「帰れ!」ととんだヤジ。

 そのヤジのあとには、ほかのお客さんからの「頑張れ!」といった声援が続きましたが。

 帰れ、と野次った人間と、村山氏を脅迫した人間とは、同一人物か、もしくはきわめて近い種類の人だろうなーと、見ていて思ったのは私だけではありませんでしょう。
 
 ああいうのを見ちゃうと、一般の相撲ファンとしては、「相撲の『伝統』解体もやむなし」と思わされます。……逆効果ということですね。人として「賢い」行為とは言いがたいな。ま、反社会勢力ではそれも仕方ないでしょうが。

 なんにしても長い時間をかけて培われてきたものを。
 それを組み直すというのにも、当然、時間はかかるものなのでしょう。バラすだけでも大変だ、というのがじっさいのところでしょうね。

 それに耐えていけるだけの気持ちが、当事者たちにあるのか。
 ……どうも見ていると、当事者たちがいちばん危機感が薄いんじゃないかと思うので、そこがどうにも不安で。

 マーティン・ホワイトキャンベル氏がおっしゃるように、本来「伝統」になるものには、時間の流れ、時代の変化に耐える力がある。あるからこそ伝統たりえる。ゆえに、相撲もまた、時代に合わせて変化し、続いていける、というのも、その「可能性」はあると私も思うのです。
 思うのですが――

 それは、当事者が、変化を積極的に受け入れて生き残る意志があればのお話。
 変化を嫌い、自分たちはいっさいなにも変えずになお続けようとするなら、――結果は見えていますよね。

 横綱の、いろんな思いがあったことを覚らせた涙を見て、でも、「この人たちが、顔をどちらに向けているのか、それが大事なんだよなあ」と思うと――なにかっつーともらい泣きする私でも、今回ばかりは、しんみりはしつつも、ぴんと張りつめた緊張感を忘れることは出来なかったです。

 来場所までに、どう「変化」できるのか。
 まずは、そこでしょうね。
 
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タグ : 大相撲

10:40  |  身辺雑記2010  |  EDIT  |  Top↑

2010.07.25 (Sun)

晴れと褻

 拍手くださいました方、ありがとうございますv (^-^)

 じつは……今日も今日とて(お出かけにつき)予約投稿中です…;
 なんか反応が悪いということがもしありましたら、それは予約投稿しているせいですので…帰ってきてからリアクトしますということでひとつ;;

 それにしても今週はどうしてこう、この暑いのに予定が立て込んでいるのか;
 答え。――予定を立てたときはこんなに暑くなかったから。(^^;)

      ●

 先日新聞のコラムで読んだことですが、「ハレとケによる精神衛生」というお話について、またぼーっと考えております。(…暑くてねえ、……ふと我に返るとわけわかんないことを考えていたりする)(そういうなかではわりとまともなテーゼなんです;;)

 褻(け)とは日常生活のこと。
 日常を繰り返していると、ぱーっと旅行くらいには行きたくなりますね。で、旅行にいって楽しんで帰ってくると、「やっぱり家がいちばんだなー」なんて、日常のよさを見直していたりする。

 昔の人はこの、「気分転換」の効用を、よくよく知っていたのでは、というお話でした。

 歳時記というものがありますね。
 季節季節の、おもに「節句」行事を行うというのは、これが意外に楽しいです。

 故事来歴にちなむ行事、お祭り、それにかかわる一連のもの――潔斎だったり食事だったり、お供え物や衣装――を実現していく。
 それには手間がかかるので、現代人は「そんなもの」「面倒くさい」「なんか意味あんの」と馬鹿にして、もう、ほとんどのものが行われなくなりました。

 せめて年末年始くらいは、と思うのに、最近ではお餅もない、おせちもない、お飾りもない、という、まさに「褻」のまま、年を越す人もいるそうで。

 でも、お節句やお祭りというのは「無意味なこと」ではないのだ、というのは、私も実感として、つくづく思います。

 褻に対する晴れというのは、ひとつにはお祭りなので、人々のエネルギーを解放させる。これだけでも「生命力の再生」ということになりますが。
 もっと細かなお節句は、春夏秋冬、またそれぞれの季節の「つなぎめ」をも、ひとつの区切りとして行事を行いますが、そうやって節句を祝うことで、季節をはっきり意識させる効果がありますね。

 昔の人は現代人よりはのんびりした生活だったから、そんなヒマなことが出来たのだというご意見はあるかもしれませんが、どうも、逆ではないか、という気がします。
 ヒマでのんべんだらりと過ごすのも、褻の日常にいつのまにかエネルギーが低下していきますが、忙しい日常だけでずーっといってしまうと、これもまた、精神をすり減らし、そうとは意識できない疲労がたまっていく。

 そういうとき、ふと「晴れ」の日があると、もう、ぜんぜん気持ちが違ってくると思うんですよね。
 室礼(しつらい)をあらため、季節をあらためると、「季節の持つ生命力」を意識することになるし、それは褻のなかで強いアクセントとなり、――簡単に言っちゃうとそれは「気分転換」になる、ということですが、気分転換できるということはつまり、「生命力が復活する」んですよね。

 現代は、しかし、その気になれば一年中、祝祭があるともいえる。
 お節句のときだけご馳走をいただけるとか、きれいな服を着られるとか、芝居を見られるとかといった、「特別な、晴れの行事」は、いまや、その気になれば一年中いつでも、体験することは可能。
 てことは逆にいうと、晴れの価値が失われてしまったということかもしれません。

 私が拝見したコラムでは、この、一年中祝祭がある(晴れの場がある)というのは、贅沢で、いいことのようなんだけれども、一年中いつでもあるゆえに、それが「褻」との境界をあいまいにさせたのでは――ということでした。

 よーするに生活のメリハリがない、ってことですね。
 
 ぐだぐだ理屈を言う人は多いでしょうが、ぐだぐだ言う前にいちどやってみたら、と思います。
 季節を意識し、その節句行事を行うというのは、たしかに面倒でもあるし、手間ひまかかるぶんだけ体力を使ったりもしますが。

 それでも、普段の褻とは違う、晴れの日、晴れの場を、「あえて」設けるとき、たしかに、自分の意識も季節にあわせて変わる。
 それは小さいけれどもまぎれもない、自分の生命力の「再生」なんですよね。

 現代人の、病んでいく精神には、この、褻と晴れの区別がなくなり、晴れが晴れでなくなり、ただただ、延々とくりかえす褻ばかりになったことも、ひとつの原因ではないか。――そういうご意見でした。
 
 本当にそうかもしれない、と思いました。

 一年中祝祭ばかりやっていれば、その祝祭は祝祭ではなく、ただの日常の光景になる。かつての祝祭が褻になってしまったとき、それでは生命力を再生させるような「晴れ」を、いったいどうやって見つければいいのか。

 現代人の多くは、祝祭を褻にしてしまうことで、かえって、日常生活の負担を大きくして、しかもそこから再生していく晴れのエネルギーのある場所を失っているのかもしれません。

 一年中、なんのメリハリもない、褻の日常生活が、ただただ延々と繰り返されていくというのは、想像するだに精神的にキツイな~と思います。
 平々凡々、無味乾燥、忙しくて身も心もすり減る「日常」だけが、なんの区切りもなく繰り返される――厳しいですよねこれは。

 生命力を回復させるのに、目の前にある季節の力を、自分の身に取り入れるというのはいいアイデアですよね。
 ちょっとした料理を作ったり、季節の花を供える、それだけでもいいんですから。

 ただいまパワースポットめぐりがちょっとした流行になっているそうですが、これも「晴れ」を――自分の生命力再生の場所を――求めている、無意識の行動ではないでしょうか。

 でも、わざわざそんなことをしなくても――してもいいんですけども――、お金もかけず、手近に「パワー」を与えてくれるものが、かつてあり、いまも、自分がその気になりさえすれば、そこにあるのになあ。……と思ってみたり。

 それは、こちらの本に教わりました。
「日本の室礼」。

日本の室礼―二木屋の作法 (図説歳時記)日本の室礼―二木屋の作法 (図説歳時記)
(2008/10)
小林 玖仁男大橋 賢

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 昨年の秋――お月見の行事から少しずつ、季節の節句ごとにこの本を広げては、由来を聞き、お祭りの内容を聞き、自分で出来る範囲で、その室礼をやってみる。
 これだけで、本当にひとつひとつの季節が、驚くほど鮮やかに、自分の「気持ち」のなかにしみ込んできます。
 じつに、「季節を自分の体にとりこむ」ことが、気持ちいいんですよね~。(^-^)

 これはいいですよ~とおすすめしたい。

 何をするとか買うとか作るとかって問題よりも、そのお節句の由来を聞き、変わっていく季節を「意識する」ことが、いちばん「効く」気がします。
 病は気からと申しますが、季節のパワーを意識することで、そのパワーをいただける、という感じかな。
 季節や、環境が持つパワーは存在している。けれども、それを受け取れるかどうかは、結局は、その人自身の「気持ち」次第。

 そうやって、ひとの精神も、季節ごとに「再生」できれば、社会の雰囲気もまた変わってくるんじゃないかと、ひそかに考えております。

 七月の七夕も楽しかった。
 八月はお盆と夏祭りと浴衣v
 そんなことでもいいんですよね。
 季節をしっかり取り入れて「再生する」楽しみ、その快感。
 理屈をいわないで楽しんでみたら――と、そのようにお勧めしたいです。

 暑い季節です。
 暑い季節だからこそ、お勧めしたいです。
 熱中症には気をつけつつ。(^^;)
 
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2010.07.24 (Sat)

寝坊してお休み;;

 拍手くださいました方、ありがとうございました。m(_ _)m

 今朝はおもいっきり寝坊してしまいました;;
 夜中、寝苦しくて目を覚まし、明け方我慢しきれずに冷房をつけたら、そこから気持ちよーく、すーすー寝入ったらしくて、目が覚めて時計を見てぶっとんでました。
 ………よく寝られるのは幸せです。(^^;)

      ●

 昨日は二十四節季の「大暑」。
 暦どおりの、下手すりゃ命に関わるほどの大暑でございましたね;;

 そういうときが誕生日という方もいらっしゃるわけで。
 で、昨日はこっそり、ひそかにケーキを買ってきておりましたv

 お祝いとはいえ結局食べているのは自分だったりしますが。(^^ゞ
 なので自分の趣味でブルーベリームース。

100723.jpg

 ウチのものには「ケーキ買ってきたよ~♪」の一言で済ませておき、(誰の、なんの用事のケーキかは、そりゃ言えませんや;;)
 お誕生日おめでとうv と、心のうちでハッピーバースデイツーユーと歌いつつ食す。

 美味しゅうございましたv
 やれめでたやv

      ●

 それにしてもこんな夏も珍しい気がする。
 梅雨明したらいきなり、容赦のない猛暑という夏はあんまり記憶にございません。

 通常は梅雨明したとはいっても、しばらくはなーんとなく空がぐずつくものなんだけどなあ。
 今年は蝉が、まだ、間に合っていない感じです。鳴いてはいますが、むしろ蝉の方が遠慮しているというか。

 今年は火山噴火がありましたが、そういう年はわりと冷夏になりやすいと聞いていたので…。
 うーん。でも冷夏も困りますよね。いろんなものが売れなくて困るし、果物や野菜も穫れなくて困るし…。

 今年はビアガーデンブーム再びということで盛況だと聞いています。そういう場面においては暑い夏は歓迎ではありますが。

 やっぱり限度問題だと思う;;

 夏コミ向けの原稿も、入稿時期となっているようですが、本当に皆様、体調にはお気をつけて。

 夏コミには……今年は浴衣で行こうかな♪ と思っていたのですが、やめておこうかとも考え中…。

 そして世の中にはこういうものもあるんですね…ということで。
 その名も「デッドライン・タイマー」。

 デッドラインは〆切。それにむけてのカウントダウンをしてくれるタイマーです。
 私も今年の8月13日に向かうタイマーを作ってみました。
  ↓↓↓
 http://deadlinetimer.com/timer/4799

 コンマ1秒単位の表示がちょっと怖いですね;; (^^;)
 純粋に楽しみのはずなのに、なんでか追われている感じが(笑)
 
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2010.07.23 (Fri)

あれこれ楽しみ☆

 拍手くださいました方、ありがとうございましたv (^^)

       ●

 本日はまたお出かけのため、事実上お休み。

Al Toque フラメンコの飛翔Al Toque フラメンコの飛翔
(2010/07/07)
沖仁

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 もう2年くらい前にはなるのでしょうか、ある日、つれづれなるままにBSのほうをザッピングしておりましたら、血液が沸騰しそうなフラメンコギターにつかまりました。
 
 どのチャンネルの、なんという番組だったのかもわかりませんが、とにかくすんごいギターの音色とリズムで、圧倒されながら見ておりまして。
「これは……もしあるならCDを買わねば」
 と思ったんですがそこはそれ、なにせ3歩歩くともう忘れている悲しいトリ頭、ちょっと変わったお名前だから忘れないだろうと思ってメモもとらずにいたら、――数日後、はっと気づいたときにはやっぱりお名前を失念(涙)

 以来、なんとか思い出せないか、なにか手がかりはないかと思っておりましたら、昨日の日経新聞朝刊文化面に、もろ、沖仁さんの手記が…!

「やややややややったーーーー!」
「ついに求めていたお名前が!!」

 で、上記のリンクというわけです。(^^;)

 フラメンコと聞いても詳しいことは知らないんですが、とにかく耳と心を奪われる演奏だった、ということが鮮烈に残っております。まだCDは未入手ですが…届いたらまたじっくり聞いてみたい。

 テレビでみたときの演奏は……あれはなんというんでしょうか、ギターだけでなく、フラメンコのあの手拍子と歌――とはいっても歌詞はなかったですが、その共鳴が――互いに導き合い高め合うような響きがとにかく鮮烈でした。

 フラメンコの歴史というのもなかなか奥深いようです。スペインは現在でも、その国の成り立ちについての複雑な事情を抱えているわけですし。
 この間のW杯でも、あのスペイン国旗を人々が振った、こんなことはいままでなかった、という地方の話題があったほどで。
 メリメの「カルメン」でも、そのへんの事情が背景にありますし、スペインの国歌にはいまだに「歌詞がない」のも、そのへんの関係だそうですし。
 およそ外国人には計り知れないものがあるんですよね。

 なので、ただフラメンコ音楽を聴いても、私などには理解ははるかに及ばないものがあるとは思いますが――でも、聞いているうちに全身の血液が震え、やがて沸騰し始めたようなあの一種独特の感動は忘れがたい。
 じつは、その現象――血液沸騰の感動――は和太鼓を聞いていると起きるもので、和太鼓限定の現象だと思っていたんですけどねー。じつは和太鼓限定でもなかった、というのも、軽い衝撃でもありました。

 早く届かないかなv (^^)

 あと、同じく、日経朝刊文化面から、こちらも面白そう♪ という本。


医者が診つめた「源氏物語」医者が診つめた「源氏物語」
(2010/05)
鹿島 友義

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 源氏物語の女君(おんなぎみ)たちの病気診断については、他の本でも読んだことがあって、なかなか面白かったですが、上記のご本も面白そうです。
 それは当時のことでは病気と言っても「お悩み」というばかりで、あとは祈祷でもするしかなかったという事情はあるんですが、それでもちゃんと、源氏物語においては描写がしっかりしており、お医者さんが見れば診断がつくというあたりが興味深い。
 紫式部の観察眼は確かだったことが、こんなところでもわかるようです。

 それにしても70歳から、源氏物語の原文に挑戦なさるとは……。頭が下がります。
 私も「与謝野源氏」から卒業して、いいかげん、オリジナルに挑戦してみるべきかな……と思いました。(^^;)
 
 
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2010.07.22 (Thu)

時代を問わず

 拍手くださいました方、ありがとうございました! m(_ _)m

        ●

 よく、もののたとえで、ひどい目に遭っている人にさらに追い打ちをかける、非道なやり口のことを「傷口に塩をすりこむようなことだ」という言い方で非難しますが。

 ………ほんっっっとーにそれはひどいことなんだな。と、文字通り身を以て知りました。
 キュウリの塩揉みで。

 昨日は、ポテトサラダに入れようと思い、きゅうりの塩揉みを作っていたのですが、右手小指外側が、にわかにじんじんと痛みだしました。
 目で見ても傷口はわかりません。傷があるとしても長さは5mm未満という感じ。
 私はよく、本や雑誌のページをめくるときに指先を切るので、たぶんまたやっちゃったんだなと思い、ま、小さい傷だしいいや、と思ってさらに塩揉みをしておりましたが。

 もー我慢できないほど痛くなってきました。
 痛いというより、傷口を焼かれるよう。
 しかも傷口からさらに焼けた火箸を奥に押し込んでくるような、灼熱感を伴う痛み。

 つらい苦しいということにはおよそ我慢がきかない私ですが(だらしないんです色んな意味で)、肉体的な痛みにはわりと強いほうなんですよね。そういう私でも、塩揉み続行をあきらめかけたほどの痛みでした。
 きゅうりがしんなりするところまで我慢して、あとはもう堪らず、水道の水で手を洗いました。

「傷口に塩が触っただけでこれだもの。まして、傷口に塩をすり込むなんて、とんでもない非人道的行為だ」

 結局、塩がしみた傷は、見た目ではほとんどわかりませんでした。
 顔をよせてじーっと見たら、うっすら、皮膚が切れているのがわかりましたが(ホントに本のページで切ったらしい)、たったこれだけの傷があれほど痛むのか、とちょっとびっくり。

 たぶん、キュウリの塩揉みを作らなければ、傷があることに気づかなかったと思われます。
 ……ホントに痛かったです;;

       ●

 宮崎駿監督が、iPad批判した、というのですが、私には別に「ふうん」で終わっていたことが、なんかやたら話が広がっているようなのでちょっとびっくり。

 なんにしてもそのインタビュー記事とやら、全文は読めないし、ネット上に洩れてくる、引用、孫引きではなんとも判断しようがない。
 なんでもそのご発言は、スタジオジブリの発行する小冊子に掲載されたものなんだそうで、――こちら↓で、その詳細がわかります。定期購読もあるし、取扱いのある書店も紹介されているので、入手可能な方はご覧になってみては。
 ↓↓↓
・「小冊子 熱風
http://www.ghibli.jp/shuppan/np.html

 それにしてもきちんと全文にあたりもせず、ただ他人からの伝聞だけで、なんでこんなに、宮崎監督を非難するご意見が(かなり)聞かれるのだろう。
 わかりませんねえ。

 わからないながら、監督に向けられた非難コメントを読んで思いますのは。

 ネットにせよ、電子機器にせよ、こういう「仮想世界」「だけ」で世界を知った気でいる人々に対する危機感があるのは、私は健全なことだと思います。べつに時代や技術革新の話じゃないと思う。人間のあり方の問題だもの。
(じつは、昨日のエントリでもちょっと触れました、野田さんの対談中にもこの話題は出てきたので、現在ちょっと考え中)

 人間はこの現実世界に存在する自分の肉体があって生きているわけで、バーチャルはバーチャルでいいんだけど、存在の根になるのは現実そのもの。バーチャルは、リアリティという「前提条件」があるから成り立つ。その逆はない。

 言ってみれば自分の体を使ったリアリティ体験があってこそ、バーチャルを「道具」として使えるようになるわけなんですが。

 リアリティ体験がとぼしく、情報とやらばかりで頭でっかちになっている人には(情報はどれほど積んでも知識にすらならない――てことも、わからないんだろうなあ)、自分が頭でっかちだという「実感」がこれまた薄い。
 なので、頭でっかちの人に、あなた、頭でっかちになってますよとどれほど説いても無駄なんですよね。
 そのことが自分でわかるようなら、その人はべつにそれほど頭でっかちでもない。
 
 なので、宮崎監督は、誠に親切なことをおっしゃったのだろう、と私は思いました。
 あたしゃそんなこと、いちいち言う気になりませんもの。(^^;)

 ただ、人間生きていれば、どーしたってバーチャルだけでは間に合わない、追いつめられる場面というのは絶対あるわけで、今現在はそうやって、頭でっかちでやっていられるとしても、真面目に自分の人生やってりゃ、どこかで、バーチャルをおりてリアリティにぶつからざるを得ない。そういうことは必ずある。
 そのときに、いやでもわかる。リアリティの重さが。
 だから、放っておいていいんだと思う。いつかはわかるはずのことなんだから、真っ当なことを言って、嫌がられる必要もない――と私などは思います。

 いや、それでも、きちんと言っておこう、というのは、本当は親切な、やさしい、あなたのことをきちんと案じてくださる人なんですよ、と、「薄情なおばさん」としては申し添えておきたい気がします。

 私みたいな、うるさいことはあんまり言わないおばさんというのは、なるほどあまり鬱陶しくはないでしょうが、じつのところは、薄情で、冷たい人なんだよ。――ということがわかるようなら、その人は(年齢にかかわらず)大人ですね。(^^;)

 私はiPad、あるいは電子書籍、肯定も否定もしません。
 それは「道具」ですから。

 道具は使うものであり、使われるものではありません。

 使いたければ使うし、使いたくなければ使わない。
 それだけ。

 ただし。
 うっかりすると、道具に「使われてしまう」ことが、人間には往々にしてある。
 道具に使われるようになると、人間はどこかが壊れてしまうから、お気をつけあそばせ。ということなんですよね。

 ネトゲ廃人とやらも、ケータイ依存症も、メール強迫神経症も、そういう、「道具に使われた人間の姿」のひとつ――といえば、少しはわかっていただけるのだろうか。

 宮崎駿監督がおっしゃったことが、「道具の目新しさにはしゃいで、うかれて、いつのまにか、道具を使うどころか、道具に使われる人間になっている――そうなってはいけませんよ」というご意見であるならば、ごくまっとうなものでしょう。
 人の有り様、その心がけ、注意すべきことを指摘しているのであり、時代が古い新しいは関係ないです。人間が、人間である限り。
 時代を問わない、ひとの有り様の話ですから。

 道具に使われる人間になるな、あなたはあなたでいなさい、とは、なんとも愛情深い、心配するからこそ出てくる言葉。

 ゆえに、――なにもそんなに大騒ぎして人権を侵害されたみたいな勢いで食って掛かる必要はないと思うんですけどねえ。なんなんすか、この大騒ぎ。

 道具に「使われる」危険性という、話の「本質」を見落としているのは、新技術「信仰」に陥っているほうなんじゃないの――と思うけど、それをいうとまた「年寄りは黙ってろ」と叱られるんですかね。(^^;)
 
 
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2010.07.21 (Wed)

石橋を叩いて壊す

 拍手くださいました方、ありがとうございますv (^^)

     ●

 昨夜の、NHK「爆笑問題のニッポンの教養」は、野田秀樹さんでした。(2週目)
 あーやっぱり録画しておけばよかったと思った面白さでした。再放送があるようなので、それは録画しておこうかな…。

 ほんのささいな一言が大変に興味深い対談でした。番組ではそのまま流してしまうけれども(時間の都合上)、ひとつひとつ、いちいちつっこんで深く考えてみたいものばかりでした。

【再放送予定】
・FILE113:野田秀樹「演ずれば通ず 第一幕」
   ⇒7月26日(月)午後4:05<総合>

・FILE114:「演ずれば通ず 第二幕」
   ⇒7月27日(火)午後4:00<BS2>
   ⇒8月2日(月)午後4:05<総合>

     ●

 だいぶ以前から悩んでいるのが、PayPal ペイパルに申し込むか込まないかということ。

国内外で使えるオンライン決済サービス PayPal
https://www.paypal.jp/jp/cgi-bin/webscr?cmd=_home

 ふだんはまーったく海外に送金するとかという用事はないのですが、たまに寄付をしたいとかってことはあったりする。
 クレジットカード情報をダイレクトに入力するのはどうしても抵抗がありますし…、海外のサイトではこのペイパルもOKですよ、というところは多いので、使い勝手はよさそうなんですが。

 じつは、昨夏、友人が運営しているサークルのサイトを作ったんですが――そのとき、画像表示にlightboxというスクリプトをお借りしてみました。
 これ、ちょこちょこ見かけるのでご存知の方もいらっしゃると思うのですが、画像を表示させるのに、クリックすると、それまでのページに黒い半透明の背景が重なり、そこに画像が表示されます。
 closeボタンもありますが、その黒い半透明の背景のどこかをクリックすると、表示されていた画像はすっと消えて、もとのページに戻ります。

 発行している同人誌の、中身サンプルページを表示させるのに、別窓を開くよりもスマートな印象だし、lightboxを使うほうが、リンク元のページも半透明状に見えているのでわかりやすいし、ありがたく使っております。

Lightbox2 (download)
http://www.huddletogether.com/projects/lightbox2/#download
 
 で、このlightbox、有料ということではないのですが、「気に入ったら(よかったら)寄付してね」ということなんですよね。
 かなり便利に使わせていただいてますし、やっぱりここは少しくらいは寄付していいんじゃないかなーと思い。
 
 ということで冒頭の問題になったわけです。

 ペイパル。
 クレジットカードをもろに使用するよりはいいですよね。それに、たしか、ウィキペディアも、ペイパルによる寄付を受け付けていたはずだし。
(ウィキにもけっこうお世話になっているので――ソースとして、内容の丸呑み鵜呑みはしないにせよ――、やはり、いくらかでも支援するのが浮世の義理ってもんじゃないかということで、応じたい気持ちはあるのです)

 申し込んでおいて損はない。かな。
 でも、まーず滅多に使わないんだよね。使用頻度としては相当、低いぞ。
 日本国内の買い物や寄付に使用できるということなら、利用価値は高まるんだけどなあ。うーん。

 海外では一般的らしいペイパル。日本国内においては知名度はいまいち、でしょうか。

 私もへんなところが慎重派というか、石橋を叩いてむしろ壊すみたいなところもあるんで、――できればここはひとつ、ペイパル使用者の感想などをお聞きしたいところ。

 私の場合はたぶん、買い物ではなく、今回みたいに海外サイトに寄付しよう、という場合に限られると思うので、そんなにあれこれ使い勝手を気にしなくてもいいのかなーとも思うのですが。
(少なくとも、海外から自分のペイパル口座に入金があったとき、なんて場合は想定しなくていいと思う)

 すでにペイパルの口座をお持ちの方、いらっしゃ………らないかな;;

 うーんどうしよう。
 と悩み始めてすでに半年。(^^;)

 自分で言うのもなんですが、かなりの優柔不断ぶりです;;
 
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