2010年05月 / 04月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫06月

2010.05.31 (Mon)

「化粧にみる日本文化」

 拍手くださいました方、ありがとうございました。m(_ _)m

     ●

 化粧というと、女性のみが行うもの、と、現在は思われているわけですが。
 決してそうではないということが、よくわかる一冊。

化粧にみる日本文化 だれのためによそおうのか化粧にみる日本文化 だれのためによそおうのか
(2009/09/10)
平松 隆円

商品詳細を見る


 というか、「化粧とは何か」ってことなんですよね。そもそも。
 現在の社会通念として、化粧は女がするもので、男が化粧するなんて、と顰蹙(ひんしゅく)されてしまうわけですが。
 歴史を振り返ってみるに、これは不当な言い分です。
 古代から近代まで、男性もまた化粧をしてきたのでした。

 おそらく現在において男性の化粧を顰蹙する人は、「化粧とは、異性の気を引くため、異性に気に入られるために行うもの」という意味しか、認めていないからなのでしょう。
 まあ、たしかにそういう面もある。しかし、人間にとって粧うとは、それだけの意味ではない。

 白粉を塗って紅を引く。これだけが化粧だというのは違う。間違いではないが、それだけが化粧ということではない。化粧、というものの、ひとつの側面、ということですね。
 整髪や、爪の手入れ、肌を整えるといったことも化粧のうちに含まれる。なので「化粧は女性だけが行うもの」「ではない」、とは、すぐに分かる話。

 人間は中身が大事で、外見はさほど重要ではない、という言い方があります。
 これはこれで間違ってはいないのですが、しかし――外見が「どうでもいい」もの、という意味でもないだろうと思います。

 人間が社会的動物である以上、自分の姿は、誰かの目に触れるもの。人の目に映った自分の姿には、他者に対するメッセージが、必ず存在する。

 本人にそんなつもりがあろうとなかろうと、自分がどんな姿をしているか、が、他人にはひとつのメッセージになる。

 これは美醜の問題じゃないですね。身だしなみ、という考え方がそもそも、他者の目に映る自分の姿、それが他人にどう影響するか(快、不快の感情を起こすとか)を考慮している考え方ですもんねえ。

 となると、男性の化粧というのは、社会的な意味において「必要」なものだ、というのは、わかるんじゃないかなあ。
 この本を読んで印象的だったのは、古代から近世までの、日本の男性たちのオシャレぶり。
 そのオシャレというのも、異性にモテるモテないということ以上に、身分階級を示し、所属をはっきりさせ、自己主張を示し、あるいは精神性を伝え、自己を演出するものだった。
 
 男性は――むしろ男性であるからこそ、化粧が必要だった、のですね。
 戦場に赴く武士も、また、先の戦争のときの軍人も、化粧をしていたのでした。

 死というものが現実として自分とともにある、と思うとき、その最期の「身だしなみ」として化粧する、というのは古代から言われていたこと。
 じっさい、軍人――将校には「ほほ紅」は必携品だったとか。

 戦場において極度の緊張となれば、将校と言えど顔面蒼白になるのは当たり前。
 そのためにほお紅を塗ったというのですね。
 ほお紅を塗っておけば、「顔面紅潮して悠々せまらず、部下の眼は指揮官たる将校に集中して信頼感深く、士気をますます鼓舞することが出来る」(小沢親満『ノモンハン戦記』新人物往来社)。

 男性こそ化粧をした、という「理由」「意味」は、このへんから、おぼろげにでもわかっていただけるのではと思います。

 モテるモテないの話じゃなく、社会との関わりという部分で化粧は重大な意味を持つ。
 ということがわかってきたところで。
 これは戦後になってからの調査ですが、「化粧行動」についてちょっと面白い結果が。

 いろいろな調査やアンケート、追跡調査の結果、「他者との関わりが高く、他者の視線に多く触れる機会がある公的自我意識の高いものほど、メイクアップ化粧を行い、自己中心的で他者の目をあまり気にせず内省的な私的自意識の強いものほど、自己のための基礎化粧もしくは、化粧自体を行わない傾向にある」(下線、引用者)ということが浮かび上がってきたそうで。

 つまりどういうことかと申しますと、「外向的な人はよく化粧し、内省的な人はそういうことに興味をもたないし行動もしない」傾向があるということ。

 善かれ悪しかれ現代の「社会」というのは基本、男性社会でありますから、より他者との関わりが高いというのは「男性的」である、という意味になります。
 男性社会により適応しているひとが「男性的」だと評価される、ってことですね。

 で、そういう、「男らしい」と見なされる行動をとる人ほど、化粧に関心を持ち、じっさい化粧をする。――そういう傾向が見られた。
 ということはつまり、「化粧は女の専門」ではない、ってことです。
 男らしい人ほど化粧する。社会と接する自分というものの意識が高いゆえに。

 同じく化粧に関心を持ち、化粧をする、といっても、男性と女性とではその動機や傾向が違うのは当然ですが、男女ともに共通するのは、社会意識が高いことと化粧行動とが結びついているということ。

 私も、あきらかに「自己中心的で内省的」で、化粧にはたいして熱心ではない――まさに、身だしなみ程度の関心しかない――ので、なんか痛いところを衝かれた気がします。(^^ゞ
 自分に心当たりがあるだけに、「あー。わかる」と納得がいきました。

 自分の意識に「他者の存在」がどのように、どの程度、関わるか。
 そこに化粧行動はおおいに関係している。

 異性にモテるモテないは、数ある「他者との関わり」のうちの、「場面」のひとつにすぎませんから、異性関係にだけこだわって話をしていると、本質を見誤ることになってしまいます。

 男のくせに化粧(エステ含む)なんて――などという人は。
 じつのところは化粧の意味を、ほとんど理解していないということになるんですね。

 男のくせに、という言葉を聞くたび私が思ってきたことは、
「男だろうが女だろうが、薄汚いよりは、身ぎれいにしてくれたほうが、見るほうとしては嬉しいに決まってるじゃん」
 そうつぶやいたときに気がつくんですよね――身ぎれいにする、身支度する、身だしなみを整えるというのは、じつは、相対する相手に対する、思いやりや敬意の表れなのだと。

 自己中そのものの人は気づかない。その装いは、自分のためだけにあるのではなく、「私は、他者であるあなたのことを思っています」というメッセージを表現しているのだということを。
 他人のことを思いやってなどいないのなら、見る方が不快になるような、薄汚れたかっこうをしていても、そりゃあ平気だよね。ってこと。
 
 化粧が持つ意味はじつに多方面に及びます。この一冊を読むだけで、歴史も、文化史も、化粧品の発達そのものの歴史も(鉛毒の話は恐すぎる;;)、一通り網羅できます。万華鏡をのぞいているようで実に楽しい。
 労作の一冊でしょう。
 
 考えたこと、感じたことはじつにいろいろあるのですが、そのなかでも一番印象に残ったのは、「戦争による文化の断絶」です。

 男性が化粧すること、女性が化粧すること、それらの「文化」が、戦後になるまでに完全に分断された。
 戦時においてもともとあったはずの文化も意味も失われ、――物資の不足により化粧そのものが根絶され、いくらか落ち着いた世の中になった戦後にようやく「化粧」が再び現れたとき、「化粧」の意味は、まったく変わっていた、ということです。

 これはじつは、きものについても同じことが言えるわけでして。
 私も、着付師/講師の資格を取るのに勉強していて、本当にびっくりしたんですよね。
 現代の「お直しおばさん」をどーにかしないといかんとけっこう本気で思うようになったのは、まさに、「戦前と戦後で完全にきもの文化の断絶があり、戦後のそれは、かーなり誤解されたうえに硬直化している」ことがわかったから。
 お直しおばさんは、その「誤解と硬直化の権化」みたいな存在ですよ。私から見ると。

 きもののみならず、化粧文化もか――と、愕然としたといっては大げさですが、まあ、軽いショックはありました。

 先の大戦、と一言で言っても具体的にはどこからといえばいいのか、ちょっと考えてしまいますが、ともあれ、戦況が悪化し、贅沢は敵だ、になってしまって、あげくに敗戦し、文化どころじゃない、1000万人規模の餓死者が出るのではといわれた戦後まで――それは年数で言えば、人間の一世代(約30年が一世代と言われる)もの時間がかかっていたわけではありません。
 真珠湾から昭和30年までと考えても、20年はないのです。

 それなのに、その間に、完全に文化の断絶が起き、戦争の前と後とでは、正反対と言えるほどの「変質」が起きてしまった、ということが。
 きもののみならず、化粧の歴史にも見られるのだな、と思いましたら。
 こんな話題においてさえ、なるほど戦争は恐ろしいと思いました。

 戦争は恐ろしい、戦争はしてはならない――ともしも本気で思うなら。
 外交で負けないこと。外交で勝つことを本気で考えることです。
 外交を成功させているあいだは、じっさいのドンパチには至りません。

 先の大戦だって結局は、その前段である「外交戦争」で負けたことが原因(のひとつ)だったのですから。
 だから外交が大事なんですよね。
 平和平和とお題目みたいに唱えていれば平和になるなんてことはない。外交とは相手があることなんですから。
 しかし。

 ………そういうことを、この国では、庶民も政治家もどこまで理解しているだろう……などと、思わず、化粧とはぜんぜん関係ないつぶやきが洩れてしまいました。(^^;)
 
関連記事
10:14  |   |  EDIT  |  Top↑

2010.05.30 (Sun)

「MY WORLDS」Justin BIEBER

 拍手くださいました方、ありがとうございますvv (^^)

     ●

 日本における化粧文化史の本をようやく読了したところで、またつらつら、考えていることもあるのですが。
 今日のところはそれはおいといて、珍しく音楽の話。

 とくに音楽が「わかる」ってタイプじゃないもので、いろんなアーティストやアルバムをチェックするというマメなこととは無縁。
 なのですが、なにやら無視しがたい事態になったのでその件についてちょこっと。

 たった一度、その曲のビデオクリップを、ほんのちょっと見ただけでハートがっちり鷲掴みされまして。ほんの数秒きいただけのフレーズが、もう頭から離れない。
 Amazonさんで検索し、ついでiTunesストアでも探し、見つかりましたので。
 しばしiTunesストアで悩んだすえ、――そのままアルバムを買ってしまいました。

 ジャスティン・ビーバー、「マイワールズ」。

マイ・ワールズマイ・ワールズ
(2010/05/19)
ジャスティン・ビーバージャスティン・ビーバー&ショーン・キングストン

商品詳細を見る


 不肖わたくし、音楽についてはおよそぼけーっとした人間でして、まして好き嫌いがじつは激しく、「好きな曲」はあっても「好きなアーティスト」は片手の指でもまだ余る、というくらいにしか存在しない。

 なので、もしかしたらこの「一耳惚れ」っぷりは、「さよなら」の小田和正さん以来――ざっと30年ぶりの現象なのでは。……って考えると、おおすげえ、と思います。(^^;)

 冗談はともかくとしても、この「マイワールズ MY WORLDS」。いいですよ~。
 どんなに好きなアーティストでも、アルバム一枚のなかには、どうも感覚的にチガウ、と感じて、ほとんど聞かない曲がひとつくらいはあるものですが、この「マイワールズ」、最初から最後まで、聞けてしまいました。

 久しぶりに、すなお~にポップスを楽しめている気がする。
 出色の出来、なのかどうかは私にはわかりません。
 ただ、のびやかで透き徹るボーイソプラノの、素直な歌いっぷりのせいか、どの曲も素直に聞ける、という感じです。

 ポップスは基本的には、いい意味で大衆的であるもの。なのに、素直に聞けなかったのか、といわれそうですが、わりと――そういうことは多いです。
 これは致し方ないところだと思います。セールス、そのプロモーション、というものを否定はできないし、そういうものを重視すれば、素直とばかりはいえない外連(けれん)は、むしろ「必要」でしょう。

 私が外連と感じるものも、それがそのアーティストの「個性」「特徴」であることも事実ですから、否定はしない。
 が、私自身はそういうものに、すなおに乗っかれないことが多い。

 13-15歳の「男の子」であれば、いかに天才的な音楽性を持つとはいえ、その歌声には、私が外連と感じるものは顔を出すヒマはほとんどないらしい。
 うまいなあ。声、きれいだなあ。と思いつつ、やっぱり感じることは「可愛いなあ♪」であることは否定できない。(^^;)
 なんだかとても、一生懸命な感じがして、この美声で「 I never let you go」とかって言われると「いや~んも~か~わいい~vv」とニヤニヤしてしまいます;;

 ああああ、どうかこれが「年増女の●●趣味」ではありませんように(祈)!!!!
 自分でもそこらへんが把握しきれんのです~; 大丈夫だよなアタシ?!(←なにが)

 与太話はともかくとして、でも、本当に声がきれいです。歌も驚異的に「こなれて」いるしなー。すごいなー。デビューしたときのクリスタルケイちゃんにもぶっとんだもんですが。世の中にはこういう、まさに早熟、っていう人々がいるんですねー。

 こうなると、男性には変声期があるというのが残念になります……。もちろん、人間の声は男女問わず、年齢を重ねれば少しずつでも変わっていくのですが、男性の場合はやはりかなり顕著ですから。

 今後、この声がどうなっていくのか、ということと、なんだか知らんがやけにがっちり心臓つかまれた、この感覚が、「ほんもの」なのかどうかも、楽しみにしつつしばし観察していきたいと思います。

 それにしても……1994年生まれですか;;
 友人のご令息である●●くんと同じくらいじゃないか……と思った瞬間、背中の方から黒いものがぞぞぞぞぞと這い上がってくる。
 な……なにかしらこのインモラルな感覚;;;

 でも、この先、こういうことがどんどん出てくるし、戸惑いも出てくるんだろうなー。すてきねーとうっとりしていたら、自分の息子くらいの年だとか、そのうち、孫と同じくらいだとか。ねえ。(^^;)
 そりゃたしかに、尊敬できる人物に、年下も年上もないとは言ってきましたけどもさ。

 小田さんの声に運命的にうちのめされてから都合30年、以後も好きなアーティストとも出会ってはおりますが、まーさか、またこんなふうに、天啓のようなハートの掴まれ方をすることがあろうとは。(^^;)
 なるほど人生は面白い。

 基本的に、男声は高音、女声は中音を好む私ですが、やっぱり男声は高音が私のツボなんだなあと、いまさらながらに思い知らされました。小田和正さんの場合は、じつは変声期がなかったんじゃないかという噂がある……。そんなわけはないんだけどね。(^^;)
 私も声はわりと高めの音が出ますが、小田さんの曲は、原曲どおりのキーで私がそのまま歌えます。

 現在はどうなっていますかね、以前は、カラオケにいきますと、小田さんの曲は、歌う人が男性であることを想定していたのか、原曲よりもキーを少し下げてあることが多くて、それをリセット、原曲どおりにすると私にはちょうどよい、ってところになりまして。
 女声高音寄りの私がそのまま行けるキーが小田さんのキー。
 やっぱり小田さんの声は高いんだなと思ったものでございます。

 小田さんには今後、変声期の予定はないはずですが(笑)、ジャスティン・ビーバーくんの場合はいかがでしょうか。
 この先どうなるかはわかりませんが、いまはともあれ、「マイワールズ」に聞き惚れていることにします。

 ことにこの季節――爽やかな緑の風が吹く、こんな季節に聞き入るのにはおすすめのアルバム、と思っております。
 
関連記事
10:43  |  身辺雑記2010  |  EDIT  |  Top↑

2010.05.29 (Sat)

浪費と贅沢

 拍手くださいました方、ありがとうございました。m(_ _)m
 
     ●
 
 またしても日経新聞夕刊、「プロムナード」、市川亀治郎丈のコラムから。
 お忙しくてお部屋がなかなか片付かない、というところからお話が始まり、思い切って部屋の荷物を減らし、改装に当たって収納を減らしたが、これで不自由はない、とのこと。

 つまるところ、片付かない部屋にあふれていたのはほとんどが「不必要なもの」だった、ということ。
 これは――よっっくわかります;;

 私もあれこれ処分「できる」ようになり、ようやく、「まだ使える」「もったいない」「また使うかも」という、呪いの言葉からも解放されつつあります。
 こうなると、いままで、いかに「いらんもんを一所懸命かかえこんでいたか」を痛感するんですよねえ。
 そんなつもりはなかったけれど、あれもこれもと容量を超えるものを「もったいない」を免罪符にして必死に抱えていたんだなあと。
 免罪符。――なにが罪? かというと。
「むさぼり」ですね。(^^;)

 もったいない、まだ使える、使うことがあるかも、という「もっともらしい言い訳」をしてはいるが、それは、「本当なら手放すべきものを抱え込んでいる」ということ。これも、これも、それも、あれも、私のもの! といって無理に懐に抱えこんでいるということ。
 これはどうみても、「貪り」ですね。必要ではないものに執着しているのです。

 これもまた、「貧」でございましょう。
 
質素とはケチということではなく、不必要なものを持たないことだと思う。必要なものを持とうとしないことがケチである
ちなみに、必要な物にお金をかけるのが贅沢で、不必要なものにお金を使うのが浪費だと考えている

 ………うーむ。たしかに。

 金運がいい人というのは、単にお金持ちの人ということではなく、「生き金を使える人」だ、という話を聞いたことがあります。
 無駄使いなんてのは論外。人を活かし、自分を活かすために、お金を使う。そういうことが「できる」人が、金運のいい人だと。
 たしかにそうだなあ――と思います。意外と、お金をちゃんと使う、というのは難しい。博打ですっちゃうなんてのは無駄遣いの最たるものですが、「生き金」は――なかなか。

 ものすごい資産を持っていても、それをケチケチ守ることだけに専念し、自分は襤褸(ぼろ)をまとい、粗食に甘んじ、何億という資産を持っていながら最後には栄養不良でお亡くなりになったりする……これでは何の意味もない。

 亀治郎丈のお言葉はなおつづく。

巷には多くの物が氾濫している………自分が何をするかではなく、自分は何をしないか。………この選択を誤れば、世間に振り回されることになる
数あるもののうち、自分が何をしないかという選択をすることで、逆に何をするかを決めることの方が、これからの正しいアプローチの仕方のような気がする

 かつては、世の中に、世間に、人の心に、「ものがあれば、選択肢が多ければ、幸せになれる」というベクトルが働いていましたが。
 じっさいに、ものが増え、選択肢も増えてみると幸せになるどころか――人々は、あれも欲しいこれもほしい、あの人が持っているなら自分も欲しい、いや、持たなければならない、持っていないと自分は価値がない、というところに落ち込んでしまって、幸せを感じるどころじゃない、つねになにかを追って追われて、絶え間ない不安感に取り憑かれた、ということかもしれません。

 現在、お若い人々は、先の世代に比べるとあまり、あれこれを欲しがらない、と聞いております。
 これはある意味、当然の精神状態かもしれませんね。

 手に取ろうと思えばとれるけれど、その選択肢があまりにも多すぎると、結局、人は選べない。――といった主旨の、経済学でしたか、そういう「法則」を、テレビCMで見たことがあります。
 あれを見たとき、「うーん、たしかにそれはある」と納得しておりました。

 欲しい欲しいでやってきたけれど、あれもある、これもある、それも、これも、どれでもどうぞ、と目の前にずらっと並べられたら、逆にもう、選択する気力はなくなり、かえって人は硬直してしまう。

 左を見て右を見て、周囲のものをあればありったけ、とにかく自分の懐にかき込んで、なんでもかんでも所有しようとしてきた。そうするうちに、自分が本当に欲する物を、見失ったということかもしれません。

 いまの若い人々は欲しがらないのではなく、なにを欲したらいいのかが、わからなくなっているのかもしれません。

 まずは、「欲しがることをやめてみる」。
 手に取ろうと思えば取れるけれども、あえて、それをやめてみる。「選ばない、ということを選ぶ」。

 ミスユニバース日本の栄養コンサルタント、E.アンギャルさんのご本にもありましたね。まず、美しくなりたい、と思うなら、「そのために、なにを食べて、食べないか」を「選択する」と。

 あれがほしいこれもほしい、をやめて。
 目を閉じて、深い呼吸を繰り返して。
 外を見るのではなく、自分の内側を見る。
 身ひとつになったうえで、自分はどうしたいのか(したくない、ということは考える必要はない)、を自分自身に問いかける。

 そういうことが、必要な時代になっているのかもしれません。
 
「次のステップ」に、我々はさしかかっているのかもしれませんね。
 従来のありかたが「間違っていた」わけではないと思います。
 ひとつの目標はクリアした。だから、「次の目標」へ向かう時期になった。そういうことなんじゃないかな。

 基本的には私は選択肢があるということは人には必要なことだと思います。
 その環境は整ったとするならば。
 次に考えるべきなのは、何を選び、何を選ばないか、――自分自身と対話することで、それをたしかに決めていく、「選択力」とでもいうべきものを、鍛えていく。
 そんなことが必要になっているのかも。

 ケチにならずに、贅沢に。
 生き金を使える人間になりたいもんだと思います。(^-^)
 
関連記事
10:30  |  身辺雑記2010  |  EDIT  |  Top↑

2010.05.28 (Fri)

B型の食卓

 拍手くださいました方、いつもありがとうございますv (^^)

     ●
酵素でやせるローフードダイエット!酵素でやせるローフードダイエット!
(2008/06/18)
笹生 暁美

商品詳細を見る


 ローフードの若葉マークをくっつけて、少しずつ、できるところからお試し中。

 いちばん簡単なのはジュースやスープ類。
 スープといっても加熱しないから、やっぱりジュースっぽいですが。(^^ゞ

 上記の本を参考に、最初に作ってみたのは「グリーンスープ」。
 青汁、かもしれません。見た目。(^^;)

 小松菜、ホウレンソウ、リンゴ、レモンの絞り汁、塩少々、昆布の戻し汁(出汁)。
 材料はこれだけでして、これをガーッとミキサーで。

 ……で。
 うちにはフードプロセッサがありますが、本には「ミキサーにかける」と書いてある。
 ミキサーかあ。ミキサーはないんだよねえ。
 そもそもフードプロセッサとミキサーとジューサーの違いはなに? と思い、検索窓にフードプロセッサ、と入力したとたん、ミキサーの違い、とか、ジューサーとの違い、とかいった、過去の検索語がずらっと出てきて、
「ああ……やっぱり悩む人が多いんだ…」
 と思いました。

 調べてわかったのかといわれると、……え……えーと。(^^ゞ
 なんかあんまり違いはないような(ジューサーが違うのはわかる)。

 強いていうならミキサーは、混ぜるときに液体が要る、ということのようです。
 フードプロセッサは、お肉等もそのまま加工できるわけですし、液体を加えるのも大丈夫――なので、やっぱりフードプロセッサでいいようです。

 一昨日はガスパチョにも挑戦。
 トマト、玉葱、パプリカ(赤)、キュウリ、りんご、刻みニンニク。
 水にオリーブオイル、塩、こしょう、レモンの絞り汁。
 これらを加えてがーっと…、
 やったら、少しあふれてしまいました。(^^;)
 容量がいまいちわからない;; 4人前だというレシピどおりに作ったら、うちのフードプロセッサにはちょっと多かったようで。2回に分けて作った方がよかったようです;

 ガスパチョ。本来のスペイン料理としてはどう作るものなのか知らないのですが、今回のローフードガスパチョ、美味しかったです。(^-^)
 おまけに冷製スープなのに、食後、体がぽかぽかしてきて汗だくだく。うーん。なんてパワフル。

 なんだかだんだん、この野菜ジュースみたいなものを夕食のときにとるのがクセになってきました。夕食のときにないと落ち着かないというか。

 これらは面白いことに、プロセッサで作った直後より、30分くらいかな、少し置いたほうが「味が馴染む」ようです。できあがった直後に味見をすると、なんかこう…それぞれの材料がてんでに主張している感じですが、少し時間をおいてから味をみると、渾然一体となっている。
 人工的な味はほとんどつけていないので――なんとも形容しがたい味です。が、おいしい。

 もともと私は味付けは薄味が好みですが、このジュース/スープをいただいていると、ますますそんなふうになります。味覚が鋭敏になるというか。また、鋭敏でなければこの「ほとんど素材だけの味」を、味わうことはできないだろう、という気もします。

 何を食べるときであろうとも、ソースぶっかけまくり、しょうゆつけまくり、マヨネーズかけまくり、という、濃い味つけが好きというより、人工的な味でないともはや味だとは感じない人には、この野菜とくだものたっぷりのスープは……どんな味に感じるでしょうか;

 ともあれ。
 目下のところ、私が試していけるのはこのくらいなのですが(意外に、ちょっと凝ったものを作ろうと思うと、材料が手に入らないのです; 生のナッツ類なんて…近所のスーパーにはない)、昨日は買い物にいけませんで、ほうれん草も小松菜もない。
 冷蔵庫の野菜室をのぞいて、あるものを適当に取り出し、自己流で、適当に作ってみました。

 キャベツ適量(というか適当)、キーウィ1個、キュウリ1本、レモン絞り汁大さじ1杯、DHCさんの「昆布だし」を水に溶いたもの100 ccくらい、塩少々。
 …をプロセッサーで、ガー。

 なんだか謎の液体になりましたが、美味しゅうございました。
 ホントですって。(^^;)
 キュウリとキーウィが意外に相性よくてイケたんですよ、レモン汁が「月下氷人」で。ホントなんです信じて~;;
 で、キャベツは、ほうれん草や小松菜に比べれば、青っぽさもそこそこですから、上記グリーンスープよりもマイルドでした。

 よりフルーティな感じでおいしかったです。
 じつは青味野菜には、りんごよりキーウィのほうが(あ。ゴールドキーウィです、ちなみに)合うのかも。果肉が柔らかいからすごく馴染むし。

 冷蔵庫にあるものでナゾのグリーンスープ。でもイケる。
 B型の食生活……。(^^;)

 学生のときも友人にはよくいわれました。
 冷蔵庫にあるものでテキトーに作ってごはんを出す。
「美味しかった。なんて料理?」
「さあ?」
 名前なんてありませんのさ。(^^;)
 強いていうなら「残り物メシ」?
 事情を話すと、「B型だねえ」と、感心したような呆れたような顔をされたことが何度かあります。

 特徴のもうひとつは、「これで盛りつけに凝ったらもっといいんだけど」。
 ……すみませんねえ。
 そこらへんは、「胃に入ればおなじ!」と思ってしまうので。つい。(^^ゞ

 ところで、このグリーンスープ系ですが、本来は朝ご飯メニュー、というところに分類されて、紹介されてます。
 朝、食欲はない、という人には、これ、いいかもしれませんよ。

 ここだけの話、なんで夕食時のコレがやめられなくなりつつあるかというと、朝のお通じがミョーに快調だからです。
 とくにガスパチョは、ニンニクや玉葱も入ったせいか、その翌朝のさわやかなことったら、もう。

 そんな感じでマイペースにやってます。(^-^)
 
 
関連記事
10:00  |  身辺雑記2010  |  EDIT  |  Top↑

2010.05.27 (Thu)

「聖☆おにいさん」5

 拍手くださいました方、ありがとうございました。m(_ _)m

     ●


死ねばいいのに死ねばいいのに
(2010/05/15)
京極 夏彦

商品詳細を見る

 
 先日は、こちらの新刊がiPad向け「のみ」なのかと思って思わず動転してしまいましたが、ちゃんと本になっていたんですね。(^^;)
 でもあの記事の書き方だとそうとれますよ…;; まぎらわしい;
 ともあれ、ちゃんと、バーチャルじゃなくてリアリティで出版されてよかったよかった~。ホッとしました。

     ●


聖☆おにいさん(5) (モーニングKC)聖☆おにいさん(5) (モーニングKC)
(2010/05/24)
中村 光

商品詳細を見る


 昨日届きました、「聖☆おにいさん」5巻!
 最初は4月発売と聞いた気がするけど5月になったおにいさん!
 お待ちしておりました~。(^^)

 今回もこの聖ペアは最強です。この漫画を読んでいるときほど「ああ日本人に生まれてよかった」と思う瞬間はない(笑)
 なぜかというと、宗教的に厳格な国では、こういう作品はそもそも日の目を見ることもできないし、万が一にもそんなことになったら即座に、出版社ともども焼き討ちに遭う――まあ時代が時代ですからまさか本当に焚書はされずとも、大規模な抗議デモくらいはやられそうですもんね。

 のんびり読んで、あはははと笑っていられるこの幸福vv(←本気)

 ともあれ今回はまた、…いままでお話の向こうで語られていた人々も、聖地・立川市へご降臨。
 はたまた龍神様(水龍様)大活躍♪ なんだかとてもぷりちーなv
 仏教関係者はアーナンダさんがなかなか素敵なお姿で。もとが超美形なのに、そんなファッションでおいでではやはり婦女子が煩悩してしまうのでは、と思ったり。(^-^)
 ……ドトールのトイレの豪華さに悩むラーフラさん。でも、聖ペアがお住まいのアパートのトイレについては安心なさるのですね(笑)
 
 いやあ、私もほとんど忘れていましたが、冬のトイレの便座って本当に悲鳴が出ますよねえ。
 いまや電気式で温められた便座がほとんどですが、たまに――駅のトイレ、洋式便座にうっかりまともに腰を下ろし――コンマ一秒ほどでしょうが無防備に腰掛けた次の瞬間、反射的に立ち上がりながら「ぎゃー!」という声を飲む。あのショックを思い出しました。

 今年の冬は、夜中に停電していたらしいことが一度ありまして。
 朝起きて、寝ぼけ眼をこすりつつトイレにいって、いつもどおりに腰掛けたら………いやあもう、本当に悲鳴が出ますよね。停電で暖房が切れていたトイレの便座の冷たさときたら…!
 あの瞬間、私は「聖☆おにいさん」、イエス様が冬はトイレのたびに、例の「エリ、エリ、サバクタニ…」をおっしゃるというのは無理もないわ…! と思っておりました。
 あたしゃ仏教徒だから……どうしよう; ギャテイギャテイハラギャテイ、とか?
 なんとも形容しがたい冷たさですよねえあれ。(^^;)

 十大弟子も12使徒も天使の皆様も、あいかわらず、下界を楽しんでおいでです。それにしても悪魔って;;

 今回、あはははと笑いながらなるほど! と思ったのは地獄のお話でした。
 閻魔様のお顔にはそういう理由が! なるほど!(閻魔様の本地は地蔵菩薩様なので、本来的にはおやさしいはず)

 そういえば、三途の川の河原(賽の河原)にいる、脱衣婆(だつえばば)も、本当は仏様だと聞いたことがあるなあ。
 衣というのは生きていたときの執着とか怨念とかの象徴なんですよね。そういう「重い」ものを身につけていると三途の川を渡りきれず、途中で川に沈んで彼岸に渡れない(ちなみに三途の川は地獄に通じています)。
 なので、もう死者になったのだから、生前のさまざまな思いや執着や欲望は、ここで捨てていきなさい、とせっかく仏様が教えてくださっているんだけれども、その仏の姿が、浅ましく欲深いものには、身ぐるみ剥がそうとする怖いおばあさんの姿に見えるのだ、という。

 なるほどそういうことはあるんだろうなと思った覚えがございます。
 ちなみに、そうやって脱衣婆が剥いだ服は、「懸衣翁(かけいおう)」というおじいさんが受け取り、かたわらの木の枝に掛ける。
 その衣が重いと、枝はしなる。そのしなり具合を見て、生前の罪の重さを量るということでした。

 ……そんなお話に比べ、この「聖☆おにいさん」が語る地獄は、なーんとなくアットホームというか(笑)

 イエス様のほうも、イースター(復活祭)がすごく楽しそうです(笑)
 しかし、孵化したアレが、お神輿のてっぺんについている鳳凰に見えますが、いいんでしょうか…。それともフェニックスというべきなのだろうか。(……ん? あれはエジプトの神話でしたっけ?;;)

 ということで今回も楽しい聖おにいさんズです。(^-^)

 で、このたび、「聖☆おにいさん」の、公式携帯サイトができました! というのでのぞいてみましたが、やっぱり、しっかり、有料サイトでした(苦笑)
 しっかりしてるなあ講談社。まあ、今日日、出版社もたいへんなんだと思いますが……。

 それにしても……どーしてPCのネットは無料で見られるのに、ケータイは何でもかんでも有料になるんでしょうねえ。
 無料サイトとかもあるじゃんといわれそうですが、そういうところってたいてい、無料とはいいつつ、会員登録が必要ですよね。
 いまどき、こっちの個人情報をそうホイホイ渡せるかい。ある意味、しっかりした有料より怖いわ。と思ってやはり近づきません。(^^;)

 私はそんなわけで「ああそう。有料…」とつぶやいてそのまま帰ってきてしまいました。(^^;)
 アドレスはこちら。→ http://st023.jp
 
関連記事
10:28  |  アニメ・漫画  |  EDIT  |  Top↑

2010.05.26 (Wed)

拍手御礼

 拍手くださいました方、ありがとうございます。(^^)
 一言下さいました方、ありがとうございましたv
「続きを読む」からどうぞv
関連記事
10:47  |  拍手/コメントお返事  |  EDIT  |  Top↑

2010.05.26 (Wed)

なのに・のくせに

 今週は、日経新聞夕刊の、スポーツ関係のコラムでは、フィギュアスケートの高橋大輔選手のコーチ、長光歌子さんの特集をとりあげています。

 第1回の一昨日はまず、高橋選手との出会い、先だってのバンクーバーオリンピックの舞台裏などをとりあげ、昨日、第2回では、まず、長光コーチご自身の、フィギュアとの出会いから語り始めています。

 なかなか面白いのですが、昨日、今日の記事の中で、こつん、とつっかかったのは。
「男子なのに」という表現。

 一昨日の記事の中では、長光さんによれば、(フィギュアスケートは)男子こそ踊るべき、表現力が大事、というお話でした。
 コーチがおっしゃるには、男子の方が筋力体力ともにあるので(そりゃあるわな)、男子こそ、表現、というものができる。男子こそ「踊る」のだ、とのこと。

 これはわかりますねえ。
 芸術を裏付けるのは技術力だ、と、私も兼ねてから――あらゆる分野について――思っております。artという単語は、技術という意味もあるんで。

 でもやっぱり、男子が「踊る」ということについて、冷やかしたり揶揄したりする声はあったとそうで。もっとも、そんなことを気にする方ではないそうですが。(^^;)

 ほんで、今日の話では、長光さんご自身が現役の、20歳のころ、試合で見てその演技に感化されたとある男子選手は――「男なのに踊ったのよ」。
 現在ですら、「踊れる」男子選手がイロモノみたいに言われることもあるんだから、昔はさぞやと思われます。

 私はどうも、この、「~なのに」とか「~のくせに」という言い方が嫌いでしてねえ。また、この言い方に抵抗がない人、疑問を持たない人の鈍感ぶりにはたまに本気でむかっ腹をたてていたりします。

 男女の話ばかりじゃありません。子ども、大人、学生、なんでもよろしい。中学のときは「一年生のくせに」もあったっけなー。(^^;)
 そりゃあまあ、子どものころというのは年齢差は一歳でも大きいけどさ……同じ中学生同士でさ…2歳ばかりの年齢差で、「一年生のくせに」ってどういう意味よ。――と思ってました。言われたときも、自分の友人がそういうのを聞いたときも。

 のくせに、なのに、の、その言い草を正当化できる根拠はなんだ。――そのように思うことが多いです。
 放埒を推奨しているのではございません。
 私が言っているのはたぶん、「偏狭な価値観の押しつけ」が我慢ならん、ということなのでしょう。

 フィギュアスケートでいえば、なんで男子選手が「踊って」はいけないのか。
 ――というと、「悪いとは言ってない」とかっていうわけですよね。
 嘘こけ。
 悪くないなら、ぐちゃぐちゃケチをつけることはない。悪いと思っているから「男のくせに踊るなんて」という言葉になるわけでしょう。
 男性が、その感性に従って、確かな技術力でもって「踊る」ことが、なぜ「悪い」と思うのが、じっくり考えてからものを言ってもらいたい。

 悪いことはないのです。
 悪くはないはずのに、批判者にごちゃごちゃ言わせているものは何か。

 それはようは「男子選手はかくあらねばならぬ」という「思い込み」であり(偏見とも言う)、「規格から外れたものは許せない」という押しつけであり(偏見とも言う)、そのわりには新しい挑戦がとか言いやがる矛盾があるわけですが、それを自分では矛盾とは思わず、「規格の中で目新しいっぽいことをやってりゃいいんだ」という怠慢であります(独断とも言う)。

 なぜ規格から外れたものを許せないかというと、「規格におさまっている自分が否定されたように感じるから」。
 英語で言う insecure。これ、まともに該当する日本語がないんですよねえ……。よーするに、なにかに自分の存在を脅かされていると感じ、不安を感じている状態のこと。

 しかもその規格とは何かというと、ようは「私に理解できる範囲内」のことだったりする。

 つまるところ、それは自分自身の好悪の感情に過ぎません。いい、悪いとは、まったく別次元。
 批判者は、自分勝手な好き嫌いだけで、他人を判断し、否定し、その正当な根拠もなく、彼をくさしているのです。

 ………こういうのを笑って見過ごせない私も、やっぱり「独断と偏見の塊」であります。(^^;)
 たぶん、自分で自分のそういうところがイヤだと感じているから、ひとさまのそういう態度についてもつい、敏感に反応してしまうということなんでしょうねえ。
 だから悪口ってブーメランになるんですよね;; 自重しよう……とは思ってるんですが;

 ま、気分の悪い話はそれくらいにして。

 フィギュアスケートについては、私は、男子選手の表現力というものは、もっと求められてもいいし評価されてもいいと思っております。

 なんかね。現時点であれこれ言う人のことを聞いていると、「自分ができないことはとりあえず否定する」ように聞こえます。
 表現力を重視する人は技術力を。技術力を重視する人は芸術性を。
 ――そんなもの。といってクサしている。
 そう見える。

(まあ、表現力といっても、なにを意味するか、という問題は確かにありますけどねえ。芸術か猥褻か、ということは過去も現在もつねに論争になることだし)
(ただ、私個人は、フィギュアスケートにおける『表現力』とは、「ここはストリップ劇場か?」と言いたくなるようなもののことでは金輪際ございませんけどね。でも、ああいうものが大好きという人だって少なからず、そりゃ、いらっしゃるでしょう)

 私が、(同国人としての)身びいきではなく高橋選手を尊敬するのは、彼は、「表現するために必要なのは技術力」ということを、過不足なく理解し、それを実践しようとしている――口先ではなく行動で示している――それを目指している――からです。

「結果」については、――結果は、じつのところは、「水もの」ですからねえ…;
 これについては、あんまりどうこう言う気にはならない。

 結果がともなってくれば、それは一番いいことではありますが。
 それこそ、ふだんはフィギュアなんて見もしない興味もない、オリンピックのときだけ「にわか評論家」になる連中ですらわかる、という部分なので、「わかりやすい」のは確かですが。

 結果は、選手ご本人だけが考えてりゃいいこと。じっさい試合で競技するのは選手本人しかいないんですから。
 我々「部外者」が見るべきものは、そういうところじゃない、と思っております。
 フィギュアスケートの「内容」を愛するものからすれば、結果よりも、「内実」こそが、やはりもっとも大事なものなんじゃないかと。

 フィギュアスケートは、そのパッと見からは想像できないほど、スポーツの中でも苛酷なものに分類されると思います。
 でありながら、バレエ舞踊のような豊かな芸術性を伴うことができる「可能性」を持っているのも事実。

 スポーツとしての肉体性も、個人の感性が生きる芸術性も、どちらをも伸ばす手助けを、ファンもできたら、ファンとしては最高だよなと思います。
 この点については男子も女子もございません。

 今週の長光コーチについての特集、拝読していきたいと思います。
 
関連記事
10:45  |  身辺雑記2010  |  EDIT  |  Top↑

2010.05.25 (Tue)

きれいな字を書くと頭が悪い?

 拍手くださいました方、ありがとうございました。m(_ _)m

      ●

恋人が勝手に携帯をいじったかが分かるアプリが登場
 http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/jikenbo_detail/?id=20100122-00001187-r25

 先日、別れる覚悟もないのにパートナーのケータイをのぞき見るなんてのは感心しませんなあ、てなことを(無責任に)書きましたが。
 とうとう、誰かが勝手に自分のケータイを見たかどうかがわかるという、iPhoneのアプリが登場したそうで。
 日本でも購入可能だそうです。お要り用の方、いらっしゃるかしら。(^^;)

 iPhoneでのみ、ということにはなりますが、「勝手にケータイをチェックされたかどうかをチェックしたい」向きにはありがたいアプリでしょうね。(^^;) ……たぶん。
 しかしまあ、どっちに転んでも人間関係を壊しそうで怖い話だ……;;

      ●

 NHKで、「COOL JAPAN」という番組がありますね。
 我々日本人には珍しくも何ともない日本の習俗、風俗、物品その他を、外国人の方々の視点で見てみる(そのうえで外国の人からみてクールなものを見いだす)、という趣旨のようです。

 なかなか、ちゃんと1回分を見ることができないのですが、ちょこちょこ再放送しているんですね、ときどき、思いがけないときに見ることができたりします。

 いつぞやちらっと見た中で印象に残ったことがありまして。

 テレビをザッピングしているとき、その「COOL JAPAN」にいきあたりました。
 とあるフランス人女性が、「きちんとした文字を書くと、体制に従順に順応して(=すりよって)いるというイメージになって、頭が悪そう。自分なりのクセのある字で書く方がクール」と、なんだかしらんがすごい勢いで熱弁を振るっているところに、チャンネルが合ってしまいました。

 ………なんの話よ? と思いつつ、じっくり見ていられずそれきりだったのですが、ただ、印象的だったのは。

 文字をきれいに書くと「頭が悪そう」、そういうことをいう文化もあるんだねえ。ってことでした。
 そんなことってある? 教養がある人はきれいな字を書く、というイメージがあるのは、日本だけなのか?

 おおむね、アメリカ、ヨーロッパの人の書く文字というのは、たしかにひどいもんです。はっきりいって判読不可能なものがあります。
 よくあんなんでコミュニケーションとれるねえと思っていたんですが、その番組中でもどなたかの発言にありましたが、たしかに読めないことは多いんだそうです――書いた本人でさえ!
 読めない文字に何の意味があるんじゃい。

 どうやら、あれ、アルファベットの筆記体の話だったのかな。
 日本では中学校で、英語の授業中に習いますよね、筆記体。というか、試験の回答は筆記体で書いていたような気もする…;;

 なので、きれいな筆記体で書くのが「だせえ」と言われるとは予想外でした。

 自分が留守をしているとき、掛かってきた電話のメモをとってくれたのはいいが、「………なんて書いてあるんですか?」と、マジで途方に暮れたことがある。
 本気で勘弁してほしかったけれども、あれはそういう理由だったのか。きれいな字を書くのはダセエって?
 ……ところ変われば品変わる、と申しますが、まさに「へえ」ボタン連打、って感じでした。(すでに懐かしいなあ…)
 
 これは――どうなんですか。きれいな筆記体を書いたとしても、その筆跡というのはやはり、個人個人で違ってくると私は思うのですが、アルファベットのように単純な文字ばかりだと、そうも言ってらんない、んでしょうか。

 本邦はなにしろ、漢字と2種類の仮名文字がありますし――とくに、筆で書く、ということは、その人のクセと言おうか個性と言おうか、そういうものを如実に映し出しちゃうんですよね。

 源氏物語ではしょっちゅう、署名もないナイショの手紙なのに、筆跡でもって「だれそれからの文」だと皆にバレちゃう。
 個人の特定はともかくとしても、日本人では、書かれた文字を見れば、書いた人が男性か女性かくらいは、なんとなくでもわかるもの。

 手書きの文字というのはきれいに書いてもなおかつ、その人の個性や、書いたときの心情さえ映し出してしまうということが、暗黙のうちに知れ渡っている日本人からすると、「カッコイイと思われるために、わざと、読むことさえ難しい、汚い字を書く」というのは。
 ………驚きですよね(←かなり控えめに表現してます)

 なるほど世界は広いわ、と思いました。そんな発想がこの世にあったとは。

 私の場合、べつに下手な字というのではないのですがだいぶクセの強い字であるらしく、書いたものを見ただけで、私が書いたということがバレるようです。(^^;)
 中学生のときなんぞ、答案用紙に名前を書き忘れたのに、ちゃんと「みずはらかな?」とメモ書きされた上でかえってきたことがありました。
 しかも、国語とかじゃなくて、書いた文字のほとんどが数字ばかりになる、数学で;;
 どんだけすごいクセ字なんだ、と思いました……;;

 たまに、きれいな字と褒められることもあるのですが、これは面食らいます…うーん、どういう加減なんだろう。お世辞かなあ;;
 読めないほど汚い字ではないけど、きれいな字でもない、という自覚があるのでちょっと悩む;;

 手書き文字は、字の上手い下手のみならず、線の太さ細さ、勢い、力の入り加減もぜんぜん違うし、じつに、まさに個性的ですよね。

 それは、3種類の文字を使う場合でも、わずか26文字(英語の場合)しかない場合でも、同じことのような気がしますが……; 違うのかな;
 面白いもんですね。(^^;)
 
関連記事
10:23  |  身辺雑記2010  |  EDIT  |  Top↑

2010.05.24 (Mon)

拍手御礼

 拍手くださいました方、ありがとうございますv (^-^)
 一言下さいました方、ありがとうございましたv
「続きを読む」からどうぞv
関連記事
10:25  |  拍手/コメントお返事  |  EDIT  |  Top↑

2010.05.24 (Mon)

砂糖あれこれ

 金星探査の「あかつき」からの映像。
 美しい……vv

・あかつき特設サイト(JAXA)
http://www.jaxa.jp/countdown/f17/live/missionphoto_j.html
 
「あかつき」はやはり「明けの明星」からなんでしょうか。そりゃまあ「宵の明星」から、衛星の名前が「たそがれ」じゃあ盛り上がりませんよね……などと妙なことを考えてしまいました。

 ……どうでもいいことなんですが、「あかつき」と言いたいのに、勝手に舌が滑って「あさつき」と言ってしまいます;;

      ●

 さとうきび糖から三温糖の話になり、そういえば三温糖ってなんだったんだろう?(うちではあまり使わなかったので…)と思い立ち、独立行政法人・農畜産業振興機構のサイトを見てみました。

 そしたら。
 私も漠然と、「三温糖は茶色いので、黒糖と同じく、精製がまだ粗いもの、ミネラル分も残されているもの」と思っていたのですが。
 これ、とんでもない勘違い! うへ~~~。

 砂糖の作り方。

(1)まずは、沖縄県や鹿児島県などの産地で、サトウキビの絞り汁から、半製品の「原料糖」を作ります。

(2)製糖メーカーさんがこれを仕入れて、その原料糖に含まれる砂糖(ショ糖)以外の成分や、色、匂いを様々な工程を経て丁寧に取り除き、「ファインリカー」と呼ばれる原液を作ります。ファインリカーは透明な糖液。

(3)ファインリカーを濃縮すると、液と、結晶に分かれます。
 遠心分離機で、結晶を取り出します。これが「砂糖」でして、「一番糖」と言います。

(4)液と結晶を分離して、結晶を取り出したあとの液にはまだ糖分が含まれているので、また、(3)の工程を繰り返します。以下、二番糖、三番糖…と呼ばれます。

(5)この製糖過程で早くに取り出された糖ほど、純度が高い。つまり、三番糖より一番糖のほうが純度は高い。

(6)濃縮、分離を繰り返し、もうこれ以上は砂糖ができない、という、最後に残ったものには色が残ります。これが、三温糖等の色がついた砂糖となります。

 早い話、三温糖を精白したのが上白糖、なのではありません――だそうです。むしろ逆。
 純度の高い糖をとっていって、最後に残ったのが三温糖。

 ひえええ。全然知らなかったよ~!

 ということで三温糖は最後に残った液から作られるので、液中のミネラル分をどうしても含むことになる。
 ので、上白糖よりミネラル分があるというのは嘘ではないが、数字で言うと100%中、0.01%と0.22%であり、「三温糖からはミネラル分を摂取できる」とは言えないレベルである。とのこと。
 なので、栄養価がどうこうと言えることではなく、使い分けるのなら、風味とか、使う素材(食材)に合わせてどうぞ、ということに。

 …………知らなかった……。(思わず茫然)

 詳細はこちら↓を。

・お砂糖の疑問~第7回「白い砂糖と茶色い砂糖」 ――精糖工業会
http://sugar.alic.go.jp/tisiki/ti_0403.htm

 ちなみに黒糖についても調べてしまいました。
 私はこれをおやつ代わりに齧る、と申しましたが、なんと! 

なお、黒砂糖ブームにのって最近、粗糖や糖蜜、輸入含みつ糖などを加工して黒砂糖に似せた商品が出回っています。外見は黒くても、風味や成分が異なるので沖縄県産を買い求めるときは黒糖マーク(下図)に注意して表示があるかどうか確かめてください

・黒砂糖について (1) ――沖縄県黒砂糖工業会
http://sugar.alic.go.jp/tisiki/ti_0404.htm

 なんとまあ。こんなものまでパチもんがあるとは;;
 黒糖マークか~。今まで気にしたことありませんでしたよ~; 次回買うときはちょっと気をつけて見てみます。
 油断のならぬ世の中ですね;

 しかし; こうなりますと気になるのは「ほんじゃあさとうきび糖って、具体的には『何』なんだろう」ってこと。
 気になったので、取扱い店のサイトをのぞいてみたんですが、……よーするに「普通の砂糖とは違う製法で、さとうきびの糖蜜を残している」、ということのようです。

 ようですが……ここまでくるともう、消費者としては、そのお言葉を信じるしかない、あとは、じっさいに使用してみて、自分がいいと思うか思わないかの判断をするしかない、ってことですね。
 ううーん。ま、それはなにごとにつけ、そういうものなんだけど。

 しかし、「わかった気でいる」「知った気でいる」ことってある、とは、わかってるつもりでしたが、三温糖とはなにかとは、気にしたこともなかったので……いや、勉強になりました。

 ともあれさとうきび糖(きび糖)、煮物等は本当にいい甘さに仕上がるので、今後も使っていこうと思います。

 あらためて砂糖の製法や、砂糖の種類を見ていると、なるほどこれはすごいなと思います。
 日常使っているものなのに…あらためて見てみると奥深いなあ。(^^;)
 さとうきび糖も、具体的な製法を聞いてみたい。しろうとが聞いてわかる程度に噛み砕いていただければありがたいです。
 
関連記事
10:24  |  身辺雑記2010  |  EDIT  |  Top↑

2010.05.23 (Sun)

マッチョなりグーグル

 拍手くださいました方、ありがとうございました。(^^)

       ●

 さとうきび糖、続報です。

 昨日はカボチャの煮付け。
 味付けをしたときは、しまったさとうきび糖を入れすぎた、と思ったのですが(甘さが強いと感じた)、煮詰めていってできあがってみると、べつに、そんなこともありませんでした。
 というより、さとうきび糖の甘さは、野菜本来が持つ甘さと「溶け合って」しまう感じ。カボチャ本来の味と不可分に溶け合うので、多少、量を失敗しても (^^;)、なんとかなってしまう感じがします。

 これ……もしかしたら料理下手にはありがたい調味料かも(笑)

       ●

 やっぱりグーグルの「本質」ってマッチョなのかねえ。と思った話題。
(ちなみに私の場合、マッチョというのは褒め言葉ではありません。罵倒語でもないけど、いいニュアンスでもない…)
(おおむね、脳味噌が筋肉、って感じだ…)

グーグルは熟女お姉さまたちがお嫌い? 広告差別に抗議殺到中!
2010年5月21日 12時59分 (ギズモード・ジャパン)
http://topics.jp.msn.com/digital/gizmodo/column.aspx?articleid=289753
 
 説明によりますと、これはアメリカでのお話ですが、「クーガーライフ Cougar Life」という、年下男性との真剣交際を望む(おそらく中年以上の)女性を支援するサイトがあるんだそうで。
 なんでクーガーですか、と思ったら――フランス語の俗語だそうで。
 あれですね、日本でいう肉食(系)女子ってやつですね。
 ただ、肉食女子で、かつ、ある一定以上の年齢で、さらになおかつ、お相手には年下男性を希望している人、のことをクーガーと。………なんだべ、この条件付け。(^^;)

 ともあれ、こちらのサイトがグーグルに広告掲載を依頼。広告料はちゃんと払っているし、いままではべつに問題なく広告掲載されていたのに、ある日、突如として、「不適切なサイト」なので掲載はお断りと言われた。とのこと。

 クーガーライフ側からの問い合わせ(というか抗議)に対し、グーグルの回答はこう。

Cougar Lifeのグーグル掲載広告には、なんら性的に露骨な画像や文章が含まれているわけではないことを認識しています。
 しかしながら、広告掲載に当たっては、リンク先のウェブサイト全体との関連性などで総合的に判断が下されており、一般家庭でのインターネット閲覧には不適切なアダルトサイトであると判断されるウェブサイトの広告を、コンテンツネットワーク上に掲載することはお断りしております。
 とりわけグーグルの広告ポリシーで問題視されているのは、フランス語に由来する若い男との付き合いを望む年配女を指したCougarという言葉のコンセプトが関係しています。
 個々のサイトの判断基準に関する詳細なコメントは差し控えさせていただきますが、こうしたコンセプトを助長するサイトの適切性をめぐって、広告掲載をお断りさせていただく場合がございます

 
 楽しい回答です。
 早い話がクーガーの存在は「わいせつ物」であると。(いや、18禁か)

 それならば、若い女性との付き合いを望む年配男性のためのサイトも当然、ポルノ扱いなんでしょうねえ? と思いきや、そうではないそうで。

 そりゃあたしかに偏見だわ。(^^;)

 とはいえ。
 男であれ女であれ、交際したい相手の年齢を限定するのはどうしてかなあと思いました。
 またわかりきった、無粋なことを、と言われそうですが。

 あいにく私は、社会通念上、「常識」とされている「理屈」「いいわけ」「屁理屈」「欺瞞」を聞かされて、ああそうですかと納得するようなタチではないので。(^^;)
 私が聞きたいのは、そういうものの「底」にある、「本当の理由/事情」です。実相、と言ってもいい。

 こういうものって言葉にするととんでもなく身も蓋もないものになる、とはわかっているので、そんなに厳しく追及はしませんが、でも、なんでかなあ、とときどき思い出しては考えていたりします。

 尊敬できる年下も、箸にも棒にも掛からない年上もいるのが現実ですので、私個人は、「交際したい相手の条件」に、年齢をくわえて考えたことがないもんで、やはり不思議で。

 いくつになっても「素敵な恋愛をしたい」ということには賛成なんですが(男女ともにですよ)、素敵な恋愛は、相手が年下じゃないとできないと限ったことじゃありますまい。

 ようは、その相手に何を望むのか、ということですから、本音のところにある「目的」は、年齢(差)そのものではないんでしょうね。(この先は言わぬが花)
(言わぬが花と言いつつ――そうまで“若い”ことにこだわる原因はなにかと考えると、……人を頼る前に、自分で自分のその不安感や焦燥感や自己否定を片づけるほうが先じゃないかと思えてくる)
(他人がどうにかしてくれる問題じゃない)
(そんなことで依存された相手も迷惑でしょう)
 
 自分が何を望むのかを、きちんと把握できていないのも困りものですが(ふわふわと状況に流されるだけになるから)、しかし、自分で挙げた条件に、自分が縛られるようなら、それは本末転倒じゃないかなとも思います。

 それにしてもグーグルは楽しすぎる。
 いつぞや見たNHK特集のインタビューでは、グーグルのエライさんは(すみません、お名前を覚えておりません;)グーグルは、人々が持つ(個人的)情報を支配することで世界征服をするのだ、ということを――要約するとそういうことになる――おっしゃるのを聞いて、なんとも言えないえげつなさに、筆舌に尽くしがたい嫌悪感を覚えたものでございます。

(不肖わたくしめの、そのへんについて書いたエントリ。
→「グーグル」Posted at 2007.01.22  身辺雑記2007
→「グーグル・2」Posted at 2007.03.04  身辺雑記2007)

 ゆえに、今回のお話については「やっぱりそういうコンセプトの会社なのね。マッチョだよね~(←褒めてない)」と、納得の度合いを深めこそすれ、驚きはありませんでした。

 もとからアタシ、この会社にはいい印象ないし――ってことで。(^^;)
 
関連記事
10:36  |  身辺雑記2010  |  EDIT  |  Top↑

2010.05.22 (Sat)

さとうきび糖とグレープシード

 拍手くださいました方、ありがとうございます。m(_ _)m

     ●

 なるほどこれはいいなと思ったもの。
 またDHCさんかい、と言われそうですが、「おまけ」でもらったものを使ってみたら美味しかったんで。(^^;)

 さとうきび糖。

satoukibitou.jpg

 それにしても……知らなかった。DHCさん、楽天市場に直販店が;;
 自分の自前サイトとは別なんですね。



 ともあれさとうきび糖。

 精製されていない状態の砂糖です。
 精製されちゃった白い砂糖よりもミネラル分は豊富。
 味は極めてマイルド。砂糖の突き刺すような、自己主張の強い甘さではなくて、もっとマイルド。

 昨日はこれで肉じゃがを作ってみました。なんともいえないほんのり加減の、甘い、いいお味になりました。
 煮物は、薄味すぎても、味が強すぎても美味しく感じられませんが、このさとうきび糖だと、ほんのり、丸い、いい感じにまろやかな味になりますね。(^-^)

 精製されていない、栄養価の高い、というと黒糖も思い浮かびます。
 黒糖はおいしいですよねv どーおおおしてもお菓子が我慢できないとき、黒糖をひとかけかじると、みょーな空腹感が落ち着くので、ときどき齧っていますが。
 さとうきび糖は、黒糖よりは調理向きではないかと。

 あと、これはDHCさんとは別口。
 地元のスーパーにあったのでちょっと買ってみたのが「グレープシードオイル」。
 文字通り、ブドウの種から作られた油。



 びっくりしたのはこれ、コレステロールゼロ! ということ。
 私はまだ、高脂血症だの、LDLがどうのとは言われておりませんが、うちの母がちょっと。(^^;)
 そんなに深刻なものではなくて、薬を服用しはじめてからは正常値になっていますが、でもまあ、気をつけるにこしたことはない、というところ。

 ということで、――コレステロールゼロというのはすごいねえ。と感動。

 おまけに、ビタミンEや、ポリフェノールの含有量はかのオリーブオイルをしのぐ。
 ポリフェノールが多いせいでしょうか、抗酸化力が極めて強く、加熱調理にも向いているそうです。

 オリーブオイルはじつは、150℃以上の熱で酸化するということで、……たしかに健康的な食用油ですが、天ぷら等にはご使用にならない方がいいでしょう。
 グレープシードはいかがか、というと、加熱には強いですが、リノール酸が多いとのこと。

 リノール酸は必須脂肪酸のひとつですが、摂りすぎると炎症を引き起こしやすくなったり、アレルギーや心疾患の原因にもなるとのこと。
 リノール酸は、マーガリン、マヨネーズ、ドレッシング、スナック菓子には「豊富」に含まれているそうなので、摂りすぎなきゃいいんでしょとはいえ、気づかないうちの摂りすぎることになるようです。(^^;)

 そんなこと、買ってから言われても…と思いましたが、まあ、私の場合はマーガリン、マヨネーズ、ドレッシングはいっさい使用しないので(外食のときは仕方ないが、外食は滅多にしない)、そんなに神経質にならなくてもいいかな。

 リノール酸が多いのは、コーン油、大豆油、サラダオイル等。

 そういうあたりをもろもろ考慮しますと、おすすめは、αリノレン酸を多く含む、紫蘇油、エゴマ油、ということになるとか。
 αリノレン酸は、リノール酸の悪影響を減らしてくれるそうです。

 そんなわけでグレープシードオイルもちょっと惜しいところ。
 油としてはさっぱりして、べたついた料理が苦手という方は、サラダオイルより、グレープシードオイルはいいでしょうね。

 それにしても、一長一短ですねえと思っていたら、オイーブオイルとグレープシードオイルを合わせて使う、という手もあるそうです。なるほど。(^-^)

 健康オタクとは言って下さいますな。人並みとはとうてい言えない肉体をひっさげて、ここまで苦労して生きていているのです。

 それに、健康になること、あるいは健康を維持すること自体が目的じゃないんで。
 目的は――その先にある。
 そのために、自分の体のメンテナンス方法をなんとか覚えたい、ということですんで。

 そういうなかで、なるほどよくしたもんだ、と思うのは。
 いわゆる「体にいいもの」というのは、たしかに美味しいんですよね。体が喜ぶ美味しさ、という感じがする。

 扱いや調理にはちょっと手間がかかったりしますが、やっぱりそういうところで手を抜かないことが、「自分を大事にする」ことになるんだなという気がします。
 
 
関連記事
10:34  |  おすすめ・お試し  |  EDIT  |  Top↑

2010.05.21 (Fri)

拍手御礼

 拍手くださいました方、ありがとうございます。(^^)
 一言下さいました方、ありがとうございますv
「続きを読む」からどうぞv
関連記事
10:41  |  拍手/コメントお返事  |  EDIT  |  Top↑
 | BLOGTOP |  NEXT