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2009.06.30 (Tue)

かの人からの手紙

 拍手くださいました方、ありがとうございました。m(_ _)m

 NHK BS2で放送されていた「蟲師」も、26話をもって終了。
 …………ああ。楽しみがひとつ終わってしまった……;;
 DVD box、買おうかと真剣にAmazonさんをのぞいているこのごろです。
 DVDか……まだハードを持ってないんだけど将来を見越してBlu-rayか?(そのまえに財布と通帳をチェックしましょうね;;)

 蟲師、2期ってありませんかねえ。原作はまだけっこう残ってるのにな~。

「蟲師」の後番組は「プラネテス」だそうです………。好きだねえNHK……。
 蟲師のあとにはなにをやるかな、本当にテニスの全国大会編(OVA)やらないかな♪ と、ひそかに思っていたのですが、やはり無理だったようです。

「巌窟王」以来、見続けてきたので、つごう、1年たったんですね……。
「プラネテス」は丁寧に作られている良品ですが、2度も3度も見ようとは思わないので、これで当分、日曜深夜(月曜日未明)は呑気に眠っていられそうです。

      ●

 稀代(けだい)の劇作家にして演出家、俳優の、野田秀樹さんが、東京芸術劇場の芸術監督に就任なさったというのは、うっすら、新聞記事を通して聞いておりました。

東京芸術劇場
 ↓↓↓
http://www.geigeki.jp/
 
 したらば先日、野田地図(NODA MAP)から、劇場のご案内が来たのにはびっくり。
 いえ、お芝居のご案内だけならびっくりしませんが、今回のお知らせには、野田さん直筆のお手紙(印刷)が入っていたこと!

御無沙汰しています。野田秀樹です。

 という挨拶から始まるので、驚天動地たあこのことだぜと思いました。
 いやまあ、べつに世間様が驚くことではないかもしれませんが、私の心情としては。(^^;)
 こういう挨拶を野田さんからいただけるとは。
 長生きはするもんだねえ……。

 野田さんについてはおよそ、………なんというか、ファンなり観客なりと「馴れ合う」ことはしないのは当然としても、絶対的な距離を持ち続け、それを崩すようなことは決してない、と思い込んでいたので。
 たとえ印刷にしたって「御無沙汰しています」なんて言われるとは!!
 
 初めて目にする野田さんの筆跡は、意外に丸く流れるように「可愛い」印象でした(うまい、という字ではないが)。勢いがあるところと緻密な印象を受けるところとが並存している……。
 なるほど人柄が出るもんですかね、筆跡って。

ノダマップの先行会員の皆様に、こうして直接に手紙を書くのは初めてです。……(中略)……私は日頃、ノダマップのお客様に、心から感謝するようなシャラクセエ真似をすることなく生きて参りました。

 よっく存じております。

けれども、私は自分の芝居を見続けてくれる人間たちとともに、いい芝居を創り続けてきた、創り続けている、そしてこれからも創り続けていくのだと言う自負心があります。

 ありがたいことです。

 私からすると超プレミアな、この「手紙」の主旨はなにかというと、東京芸術劇場、芸術監督就任にあたり、イギリスの小劇団「プロペラ」を招聘したので、見ていただきたい、ということです。

 しかし。
 あたしゃ思わず泣きましたね。公演時期というのが7/2~12、という、もうどうにもこうにも身動きがとれない日程なんですよ! 7月中旬以降ならスケジュールは空いているのに(旅行に行こうかな~などと言っているほど)、よりにもよってここですかい! という。(TへT)
 私はふだんは田舎住まいをいいものだと思っているのですが、こういうときばかりは、東京ならびにその近郊にお住まいの人がうらやましいです。
 いくら新幹線を使っていくとしても――そうだなあ、品川や東京駅で新幹線を降りた目の前に劇場があるなら間に合いますが、平日の夜公演なんていうのはどうやっても間に合いません。

 野田さんが「良質。志がある」ということで、はるか大西洋を越えて引っ張ってきたお芝居ですから、そりゃ、見てみたい。が、スケジュールがどうにもならない。
 無念でございます。

 それにしても。
 志(こころざし)か。……たしかに、久しく聞いていない言葉だと思います。
 志を立てて郷関を出づ。学、もし成らずんば死すとも帰らず。てなことは、現代日本じゃなかなか、ね。

 インターネットで「便利」にはなった。けれども、その便利さは、文化の質の向上に、なんら貢献するものではない。
 であるにもかかわらず「便利」であることに眩惑され、文化の質の低下や「志の喪失」、つまりは文化の劣化、という重大事態が起こっていることが、見過ごされているのではないか、という野田さんの「危機感」は、これまた「うっすら」ですが、わかる気がします。

 その危機感が、芸術監督就任という、「へー。遊眠社時代を思うと嘘みたいだねえ」ということになり(けっこうな《傾奇》っぷりでしたからね)、さらには今回の「手紙」、ということにつながったのでしょうか。

 なんて言っていたら、これまた珍しく、「Foresight」という、ちょっと硬派な情報誌に野田さんのインタビュー記事が!
 ……本気なんだなあ、野田さん。
 と思いました。

 私には正直をいえば、その「危機感」がどれほど深刻なものかは見えていません。が、その世界の浅いところも深いところもよくご存知の人であり、また、すぐれた芸術家には不可欠の要素、余人にはわからないその「感性」の鋭さについて、私は野田さんをいささかも疑うものではありませんので。

 ――ああ、今ってそんなにヒドイのか。
 あらためてそう思ったりしております。

 ひどい、というよりは、なにかの分岐点へきている、という感じはします。こういう芸術のみならず、世の中のあらゆることが。
 よくなるか悪くなるかの、分岐点へ。

 よくなる、悪くなる、という言い方も、ちょっとどうかなとは思います。正確には、「変わろうとしている」というべきか。いい悪いというのは主観ですから。

 人間は安易にしているとどんどん低いほうへいってしまう。野田さんの活動が、上昇する気流を生み出すものであることをファンとしては願いつつ。

 今回、そんなわけで「プロペラ」のお芝居を見られないのは残念ですが、海外のカンパニー招聘はこれっきり、ということではないので、また今後に期待していきたいと思います。

 ちなみに野田さんからのメッセージ。
 ↓↓↓
http://www.geigeki.jp/saiji_052_message.html

 東京都も太っ腹。(^^)
 なぜかこの国は、エラい人ほど文化音痴の気味があるなかで、頼もしいですね。(と言っておこう)


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2009.06.29 (Mon)

自由

 拍手くださいました方、ありがとうございます。(^^)

「天地人」。………なんだか結局、毎週、一言二言は書いてしまいますね。(^^;)
 真田幸村……ユッキーが何やら不憫でございました……。(とうとう呼称がユッキーに;;)

 社会の中のメインストリームではない立場というのは、たしかに不自由なものです。その立場の弱さから、行動の制限も制約も多い。
 しかし、ときの権力者であっても、なにもかもが自由なわけではなく、むしろ、その立場にいるからこその不自由さ、行動の制限も制約も出てくる。

 つまるところ、人間は、綱につながれた犬と同じで、いずれにしても制限も制約もある、「不自由」の身なのだなと思った回でございました。
 この世に生きるということは、なんにしても、そういうことなのだと。
 隣りの家の芝生は青く見えると申しますが、その綱の長さには多少の違いはあるにせよ、綱につながれた不自由の身であることには変わりない。

 他人のことをあれこれ言うものじゃない。言っても仕方ない。自分ができることを、それぞれが精一杯、果たしていくしかない。
 そういうものなんでしょうね。


     ●

 児童ポルノ取締法案が、ただいま国会で審議中とか。
「所持しているだけ」でも禁止ということが、主眼のようですね。
 与党案の中では、アニメやゲームまでも含めて取締対象とするようですが。

 このへん、どうなんでしょうかねえ。
 はっきりいうと、そりゃ小児性愛なんてのは、いいか悪いかといわれりゃ、いいことだなんて言う人はいないでしょう。取締、規制、と言われれば、まあ仕方ないんじゃないですか。といいたいところではあります。
 日本は小児性愛者天国なんていわれるのは、国辱、と感じますしねえ。本音を言えば。

 表現の自由とか、ナントカの自由というものを臆面も無くふりかざし、常識や良識というものを蔑ろにすることには、私自身は強い羞恥を感じます。

 が。
 とりあえず法律の話といたしますと。

 今回の法案の第一義には、
 児童ポルノの被害者をなくすこと。また、その救済。
 ということになるはず。
 
 とするならば、じっさいの被害者は存在しないアニメにまで、規制対象を広げるのは、その第一義からは外れているのではないか。
 と思います。

 現実の被害者をなくし、被害者がいた場合は速やかに救済する、ということが目的なのか。
 それとも、とにかく、「児童ポルノ」というものを、全面的に社会から排除する、ということを目的とするのか。
 それによって、法律の内容は変わります。

 当面の問題は、児童ポルノの被害者となる子どもを、これ以上出さないこと。被害者にたいする手当てをきちんとすること。
 ではないかと私は考えますので、「社会通念として、小児性愛は抹殺されるべきかどうか」は、またべつの議論としておくのが、現状においては適切と考えます。
 表現の自由云々は申しません。恥ずかしいから。

 なんでこんなことに「自由」「権利」だなんていわなきゃいけないのよ、と思うのも事実ですからねえ………。(--;)
 小児性愛者の肩を持っている、などとは、たとえ冗談でも言われたくないから、自由だ権利だという話には、個人的には持っていかない。ってことで。

 それにしても、自由だ権利だって言葉。
 ますます嫌いになりそう…;;(概念がじゃなく言葉が。厳密には、その言葉が大好きな人々の、その《精神》が。かな)


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11:06  |  身辺雑記2009  |  EDIT  |  Top↑

2009.06.28 (Sun)

「ウェブはバカと暇人のもの」

 拍手くださいました方、ありがとうございました。m(_ _)m
 
 ブログのテンプレート、せっかくなので七夕仕様にしてみました。(^^)
 七夕は新暦でやると、まさに梅雨の真っ最中ですよねえ。「日本人の知らない日本語」にもありましたが、――旧暦でやると、「秋の気配のお祭り」になるんですねえ。

       ●

ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)
(2009/04/17)
中川淳一郎

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 だいぶ話題になっているようで、ついつい買ってしまいました。
 ネットに特有の「症状」に、どう対処すべきか、というお話は、私には有益でした。

 じっさいにネットを、なにかご商売に利用しようとして、なおかつ、なんか引っかかるものがあるなーという方にも、参考になるところが多いのではと思われます。(呑み込んで実践するかどうかはべつ)

 つまるところ。
 道具(=ウェブ、ブログ、SNS)が問題なのではなく。
 それを使う人間に、問題がある、と。

 まあ、そりゃそうですねえ。(^^;)

 これは以前から思うことですが、こうやって明らかに、道具は進化しています。
 が。
 我々人間のほうは、はたして、百年前と比べてどこまで「進化」しているでしょうかね。

 たかだか百年で、我々の脳味噌に、旧皮質に新皮質がかぶさってきたと同じような進化が起きるわけはないのですが、道具の進化に比べ、それを使う人間はどこまで進化しただろうかと――このへんを考えると「アンバランスなんじゃないかなあ」と思うことがよくあります。

 私は自動車の運転はしますが、「人間が、こんなもんを運転するのは間違っている」と思っておりますじつは。(^^ゞ
 人間の反射神経の速度(の限界)や、認知能力、聴覚、視覚のことを思うと、時速100kmまでもぶっとばすなんてのは、言語道断のはずなんですよね本当には。

 ネットにも、同じことは言えるのかもしれません。
 一見、閉鎖空間に見えていながら、ものすっごい「公共の空間」だという矛盾する性質。……じつのところはぜんぜん矛盾じゃないはずですが、矛盾と感じるところに、人間性のダメっぷりが現れている。

 ものすごい公共空間とは。
 ありとあらゆる人が入れてしまう場所、ということ。

 基本的にこの世という場所は、あの世であれば天国と地獄はきっぱりわかれているのに、それがクソミソ状態で混在しているところだと私は思っておりますんです。
 物質の肉体をなくした状態で存在できるとするなら、物質がなければ、まさにその精神状態が剥き出しになる。とすれば、極楽に往生しているような、満ち足りた精神と、貪りに苦しむ餓鬼とが、同じ場所に存在はできない。おそらくは互いを認識できないんじゃないかと思います。
 精神状態の話なんで。

 しかしこの世は地獄から天国までが同時に存在している場所なんで、ある意味「ボーダーレス」で「オープン」な場所だと思いますが。
 ネットは、目下のところ、ボーダーレス、オープンというよりは、「混沌」状態なのかもしれません。

 雑誌であればある程度、読者はターゲットとして限られる。男性向け女性向け、若い人がターゲット、アラカンがターゲット。音楽雑誌、ファッション雑誌、釣り、車、外国語、プラモデル………。
 そうやって、自然と棲み分け、というか、それぞれの「世界」として分かれています。

 故ナンシー関さんのことが例として挙げられていますが、ああいう毒舌は、あの雑誌上だからよかったので、ネット上で同じことを書いたら、まあ、とんでもないことになっただろう、という予測は、もっともだと思います。

 そういう、シャレや冗談がわからないような「コドモ」が読むような雑誌じゃなかったから、彼女の独特の感性による「毒舌」はなんら問題はなかったわけですが、………まあたしかに、すぐにネット上で荒れまくるような「コドモ」(年齢じゃなくて精神状態の話)が見たら、謝罪をしろだのなんだのと、大騒ぎになるだろうというのは、かなり強く同意できるところ。

 つまりネットというヤツは、「本来、来てはいけない人までも、混ぜ込んでしまう」場所なんだなと思いました。

「イヤならわざわざ見なけりゃいいでしょうが」というのは、ネットではない、同人誌においても起こる「トラブル」ですが、ネットは、そのトラブルを、あえて、故意に引き起こしては楽しむ、どうしようもない人々にまで、「オープン」になっている。

 ………関わる人の、レベルや嗜好を、雑誌みたいに、ある程度限定できればいいんだろうけど………でも、それをやろうとすると、ネットの即時性と公開性は失われる。
 
 しかしまあ、掲示板やらなにやらで、他人さまを困らせて楽しむというのは、上等な趣味とは言えませんね。「小人閑居して不善をなす」という言葉がありますが、閑居している人………つまりは「暇人」というのは、昔から、ろくなことをしない、ということのようで。

 ネットは、いままでの通信手段からすれば、数段進化した道具です。
 人間は。
 それにふさわしく進化しているわけではない。

 よーするにそういうことかなと思いました。
 いままでのメディア同様に、ある程度、関わる人、読者、ターゲットで「棲み分け」できればいいのですが、それができない。

 このへんをどうするか、なんでしょうかねえ。
 ネットの能力を制限するか。
 人間を制限するか。
 それとも人間が――進化するか。

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2009.06.27 (Sat)

拍手御礼と…

 拍手くださいました方、ありがとうございましたv

 じつはこのページ、こっそりカウンターを置いておりまして、キリ番設定ができるので設定してみまして。
 キリ番に当たる(?)と、メッセージを表示するそうなので、わりとこまめに表示されるよう、設定しております。
 こんなブログをのぞいてくださる方に、ちょこっと御礼が言える機会を作れるというのはありがたいことで。
 カウンターではありますが、数字自体はもうあまり意味が無いというか目安になっているだけなので、……比較的頻繁に、キリ番になるかと思います。

 ということで。そちらからメッセージくださいました方、ありがとうございました。
「続きを読む」からどうぞv

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2009.06.27 (Sat)

予定を変更して

 今日は本当は、べつのお話について書くつもりでしたが予定変更。

 マイケル・ジャクソンさん死去。
 ――と聞いて、最初は信じられませんでした。

 この方については、もう何年も、――他人のうわさ話やゴシップが嫌いな私を、いらだたせる話題ばかりだったので、彼についての話題のほとんどをまともに聞かない態度が身についちゃって。
 私がいら立つのは、もちろんマイケル・ジャクソンさん本人ではなく、よくわからないことを騒ぎ立てて金を儲ける連中についてですが。

 嘘か本当か確かめようも無いこと、私にはなんの関係もないことを、どれほど吹き込まれてもウルサいばかりです。
 それでもなお、わあわあ騒いでいる連中には、最後には「興味ねえっつってんだろうが!」と、キレて終わり、です私の場合。
 ………ホント、私みたいな人間ばかりなら、ワイドショーもゴシップ紙も消えてなくなるでしょうね。それはそれでつまらない世の中なのかとも思いますが、ああいったものの「犠牲山羊」にされる人をみると、つまらない世の中上等、と思ってしまいますよ。

 ということで、私は彼の特別なファンではなかったのですが、それでも、必ず、私自身の過去とどこかでリンクしてくる「音楽」だというのは事実。
 あの場面ではこの曲が、その思い出にはあの曲が、かなり濃厚にリンクしている、と、あらためて気がつきました……昨日。
 
 ジャクソンファイブのころは存じません。個人的に、私にとっての、マイケル・ジャクソンの、《ファースト・インパクト》は「Beat It」。
 それから、「Thriller スリラー」。あのゾンビダンスは目を奪われましたねえ。(^^;)
 「Billie Jean ビリー・ジーン」については、その歌詞をちゃんと(訳して)聞いたときは「そういう内容だったの?!」と軽く衝撃を受けた思い出があります……; 中学生にはちょっと濃い内容でしたわ……。

 でも、私がいちばん好きなのは彼の高音。バラードになると、したたるような甘さを匂わせて、「男声なら透明感のある高めの音、女声なら中音」が好きな私の好みどおりだったと言えましょう。

 なんにしても、ここ最近、50代という若さで亡くなる方が続出している気がして、さすがに気持ちが沈んでくるようです。……昭和という時代が終わったとき、気持ちが悪いほど、昭和を象徴するような人々が相次いでお亡くなりになり、時代が終わるとはこういうことなのか、と思った覚えがありますが。
 こうも次々と、予想もしない訃報を聞くと、またなにかが、変わっていこうとしているのか、と、妙な妄想にとらわれそうになります。

 なんにしても「マイケル・ジャクソン」は、まごうことなきスーパースターでした。
 巨星墜つ、の感がございます。
 謹んでご冥福をお祈り致します。

     ※

 ところでこれまた最近、間違っているのをよく見かけるので蛇足ながら。

「享年」は、従来的には「数え年」でいうものです。満年齢ではありません。
 数えは、その人の、その年の誕生日の満年齢に1才が加わった年齢となります。かつて日本では「ゼロ」才、というものが存在していなかったので。

 なので、マイケル・ジャクソンさんの場合、今年の誕生日で51歳になるところでしたから、「享年」を言うならば、「享年、52」というのが本当。
 ただ、外国の方ですしそういう習慣もないでしょうから、「お亡くなりになったときの年齢が50歳」といえばいいでしょう。享年とか行年とか、言わないほうがいいんでしょうね本当には。
 と、余計なことをつい思いながら、ニュースを聞いていました。

      ●

 木曜日午後10時~のドラマ「BOSS」。
 最後までいろいろだましてくれて、楽しかったです。(^^)
 主人公の恋の結末は………少し残念でしたが。

 男前でしたねえ………最後まで。
 惚れ惚れしましたv (*^-^*)

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10:23  |  身辺雑記2009  |  EDIT  |  Top↑

2009.06.26 (Fri)

「日本人の知らない日本語」

 拍手くださいました方、ありがとうございました~。(^^)

      ●

日本人の知らない日本語日本人の知らない日本語
(2009/02/18)
蛇蔵&海野凪子

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 日本語を外国人に教えている日本語の先生の「コミックエッセイ」とのことで、もう、ご存知の方も多いでしょう。
 遅ればせながら、読んでみました。面白い~。(^^)

 日本語を母語としない人々の、日本語に対する、素朴ゆえに難しい質問に、先生がいろいろ調べまくり(…偉い…。これ、すごく勉強になります)、「さあ来いマニアックな質問!」と身構えているお姿に思わず苦笑。
 私の場合は逆の立場で、先生を凍らせたことがあるので、思い出して、つい。(^^ゞ
 あのときの先生の気持ちって、きっとこんなんだったんだわ…と思うと申し訳なさがあらためて湧いてきます;;

 こちらとしては、ごく素朴な疑問なのですが、聞かれたほうにしてみたら、「そんなこと、考えたこともない…」という、闇討ち同然の質問になるんですよね。
 身近なことほど、あらためて質問されてみると「ええっ?!」と思いますよね。

 私が先生を凍らせた質問は、不定冠詞「a」は、なぜ(母音には)「an」になるのだろう、ということでしたが。……なぜと言われても困ることだったらしく。(^^;)
 ……語源を聞かれてもぜんぜん困らないような言語学者なら大丈夫なのかもしれませんが、ふつー、日常ではそんなこと考えませんよね;;
 逆に、先生(アメリカ人)からは「神社の鳥居って、どーしてあんな形?」と聞かれて私が凍ったこともあります。
 その質問に答えられる日本人は、いることはいると思うけれど、人数的にはかなり限られるよね………ということで。

 身近なものほど知らない。疑問にも思わない。
「固定観念」のなんたるかを、ああいうときに思い知りますねえ。

 ということで、外国人の皆様のエピソードには思わず笑ってしまったり、感心したり。
 
 で、いちばん頭を抱えたのは、「じつは日本語がいちばんダメダメなのは日本人?」と思ったこと。
 途中途中のコラムに、「日本語能力検定試験」の問題や、数詞、敬語の問題があるのですが、「ひえええええ;;」と奇声が出ますよホントに;;
 ダメダメだあアタシ!!

 あれですね、ネイティブのほうが「疑問に思わない」だけに、勉強不足になっているところがあるんですねー;;
 ああ、これじゃなんのための高等教育なんだかわからないじゃん~;;
 恐れ入りました;;

 ということで、本文中にも、日本人こそが間違っている敬語について触れている章がありますが、心当たりにズバズバきます。
 …………日本語能力検定試験……日本人が受験しちゃダメかな?;;
 日本語を母語としない人々のための検定らしいのですが、…私、いちおう日本語ネイティブなんですけど、…な……何級なら取れそうかな;;(←本気)
 
「おっしゃられた」は、わりとちゃんと敬語を話す人でも、やっちゃっていることは多いですね。大河ドラマでもこれはけっこうあるので、「それは二重敬語です……」と、こっそり呟いていたりしますが。
 しかし「おっしゃる」という動詞が出てくるだけマシなんですよね。最近はめっきり「言われる」が多いです。言われた、された、食べられた、乗られた、来られた……; 嗚呼。中でも「なにをやられてるんですか」の破壊力は最強にして最凶。
 
 読んでいて「さすが」と思ったのは「なにげなく」という言葉がちゃんと出てきたこと。
 なにげなく、さりげなく。これらから「無く」がおちて「なにげに、さりげに」というのは………これはもう。ねえ。
 あきらめました。(^^;)

 何気なく。「なんの気なく」。その「なく」が落ちると「何の気」、何かの気、なにかのつもり。
 なにげにカッコイイ、などというのを聞くと、なにせ妄想アタマの持ち主なのでつい、「どういうつもりで、どんな下心があってカッコイイのだろうか」などと考えております。こういう妄想は妄想でけっこう楽しくはなるのですが。(^^)

 しかしさすが日本語の先生。ちゃんと「なにげなく」とおっしゃるのだなと思って読んでいたところがありまして。
 日本語を勉強している「学生さんの手前、気をつけて」と、日本語学校の職員さんにも話していらっしゃるのですが、これは、世間一般の人々にも言えることですよね;
 
 若い人の言葉がどうこうというまえに、大人連中が、若い人たちのお手本になるような、ちゃんとした言葉を使うべきなのでは。と思っているのです実は。
 もちろんこのへんはTPOですけど; オフィシャルとプライベートでは言葉が違ってくるのは当たり前ですから。
 そういうTPOの区別がちゃんとできる、というのも、大人への第一歩。

 若い人や、外国の方々に笑われないような日本語スピーカーでありたいなあ、と、思わず反省してしまいました。(^^;)

 それにしてもほんと、他者を知ることで自分を知る、自分を知ることで他者を知る、んですねえ。
 ここ数年サボっていましたが、じつは、私もちょっと英語を真面目にやったほうがいい状況が出てきたところでして(難しい内容ではぜんぜんないが、英語の手紙でやりとり)、また英語の勉強を始めようかなと思いました。

 あ。今回読んでいて、本当に勉強になりました! ありがとうございます! と叫んじゃったのが。
 目上の人に「頑張ってください」はおかしい。というか失礼。(ご苦労様、は当然。じつはおつかれさまでした、も、本来的にはダメなのだそう)ならば、どういうべきか。

お疲れの出ませんように」。
 
 おおおおお…! なんという格調の高さ! なんという品位!
 絶滅する前にこういう表現を教えていただけてよかった……!!
 目上の人にも、大事にしてほしい、という気持ちを伝えたい、けれども失礼があってはいかんというときはこれなんですね…!

 ということで。

 梅雨も真っ盛りとなりまして、体調を崩しやすい気候となっております。
 皆様も、お仕事や、お勉強でお忙しいとは存じますが、どうぞお疲れの出ませんように。m(_ _)m
 

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2009.06.25 (Thu)

窓辺の来訪者

 拍手くださいました方、ありがとうございました。m(_ _)m

      ●

 日曜日、思わぬ来訪者が窓の外に。

 二階の自室におりましたところ、窓の手すりに、なにかがやってきた気配。
 飼い猫のぴーちゃんが存命のころはよく、こんな雨の日には、廂の下をつたって帰ってくるのでしょうか、二階の屋根を通り、私の部屋の窓にたどりつき、「開けれ」と鳴き声がするまえにすでに、窓の手すりのうえを歩く、彼の足音が聞こえてきたものでございます。

 ぴーちゃん亡き後は、たま~にほかのネコが同様のことをしますので……また誰かが、雨をよけて帰ってきたのかと思い、たちあがって窓を開けようとしましたら。
 そこにいたのは猫ではなかった。

 最初は、鳩かと思いましたが。
 しかし、やけにころんと丸いフォルムはどー見ても鳩ではなかった。

 おまけにそやつときたら。
 ――窓の手すりにとまり、ウーンといきんで、なかなかご立派なものを排泄中。
「ちょいと、おまいさん……」
 思わず呆れて眺めてしまいました。

 日曜日はけっこう雨が降っておりまして、そのナゾの鳥も濡れネズミ。……鳥だけど。

 体のいろは全体的に茶色っぽく、体長は20cmくらい。体つきがころんと丸く、一瞬鳩かと思うけれど鳩よりは少しちいさく、また、鳩よりも首が短い。頭が丸い。
「おまいさん。なにものだい」
 と話しかけてはみたものの、むろん返事はない。

 私は鳥類を飼ったことがないのですが、鳥って、人間とは目を合わさないものでしょうか?
 二階の部屋にいると、ちょうど、鳥がとまる電線と同じくらいの目線の高さになりまして、カラス、すずめ、山鳩、目白、ヒヨドリ、その他名称不明の山鳥と、ほぼ、真正面から向き合ったかっこうになることがあるのですが。

 …………鳥って絶対、シカトするんですよね。
 この状態で(ほぼ正対して向き合っているんだから)人間(=私)が目に入ってないわけはないのですが、ものの見事に、「見ない振り~」という感じなんですよね。
 その状態でアタシに気づいてないわけないじゃん! ちょっと! なんか言ってご覧、何か! などとしつこく話しかけていると(………傍からみたらアホそのもの)、そのうち、「うるせーなー」と言わんばかりに飛び立ってしまいます。

 ということで、この丸っこい鳥も例外ではなく。
 ガラス一枚を隔てているとはいえ、目と鼻の先に人間がいてじーっと見ているというのに、横を向いちゃって、あたかも私がそこにいないかのよう。
 逃げていくようすもないので、「はて、なんという鳥だろう」と思ってしばらく眺めていました。

 ケータイのカメラでいいから写真を撮ればよかったのですが、どうもそういうことをとっさに思いつかない頭で。
 おりからの雨の中、すでにかなり濡れているようすだし、へたに脅かして、この雨の中をまた飛んでいくのも可哀想だろうと思い、そっとその場を離れました。

 しばらくたって見に行ったら、例の立派なものだけを手すりに残して、いなくなっておりました。

 しばらく考えてからふと気がつき、ネットで画像を探しましたら、………やはりそれは、うずら、でした。
 うずらって野生の子がいるんだねえ、などと思わず口走ってしまいました。(^^ゞ
 うずらといったら、スーパーで売っている、パックに入った卵のほうが、おなじみだもんな~;; 親鳥の姿って、考えたこともなかったですそういえば。

 ということで、ウィキペディアでも見て、初めて知りました………彼らが「渡り鳥」だということを。
 私もいろいろ山鳥を見てきましたが、うずらを見たのは初めて。
 おまけに、野生のうずらは、つがいではなく、群で行動するとのこと。
 あのうずら……まさか、はぐれウズラってことはないですよねえ?;;

 その数日前には、うちの裏の塀のすきまに、山雀(やまがら)の夫婦が巣を作っていたらしく、やけににぎやかに鳴いているなあと思っていたら、ちょうど巣立ちの日だったようです。
 それまで、たびたび、虫を捕まえては飛んでくる姿を見ていたのですが、あんなところに巣があったとは;;
 うちは猫がいるというのに、よくも無事にヒナを育てたものです。エライ。

 ということで今年の6月は、山雀あり、うずらあり、でございました。
 まあそれはいいんですけど………手すりに残されたうずらの糞は、本当にびっくりするほど立派。鳩のそれよりも立派。
 来るのはいいけどトイレはほかで済ませてくれ……と思いつつ、掃除をしておきました。
 

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2009.06.24 (Wed)

拍手御礼

 拍手くださいました方、ありがとうございました。(^^)
 一言下さいました方、ありがとうございますv
「続きを読む」からどうぞv

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2009.06.24 (Wed)

「アーサー王ここに眠る」

アーサー王ここに眠る (創元ブックランド)アーサー王ここに眠る (創元ブックランド)
(2009/04/28)
フィリップ・リーヴ

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 ――人には物語が必要だ。
 ――人は自分が見えると思うものだけを見て、信じるように言われたことだけを信じる。

 本文中で繰り返し繰り返し、語られるそれら。
 じっさい、その通りだろうと思いながら読了しました。

 巻末、訳者あとがきで紹介されている、ミヒャエル・エンデの言葉がまた興味深い。

歴史は(新事実が発見されたり、史観が変わったりすれば)変わるものだが、フィクションは永久に不変である

 物語は、完全なフィクションよりも、いくばくかの事実に尾ひれがついて発生したもののほうが、往々にして面白くなるようですが、この「アーサー王ここに眠る」は、「事実→物語」の変化ではなく、「物語→事実」に、巻き戻しているようです。
 
 iPS細胞は、いちど成長してしまった細胞を、分化する前の状態に「巻き戻した」細胞ですが、なんとなく、それを思い出しました。

 外国人の私ですら、なにやら心引かれる、ほとんど神話状態のアーサー王物語群。
 その「物語」に、ついた尾ひれの、尾を取り、ヒレをはずしていって、まあ面白くも可笑しくもない「事実」に巻き戻すと、こんなんかな――と、そういう物語。

 歴史の事実なんかはすぐに時間の中に泡と消えてしまったり、白が黒になるほど(いいかげんに)変わったりする。(それこそ内股膏薬ですかね)
 けれども、物語はフィクション、作り話ではあるけれども、そこに人の心を動かし、あるいは人の心を潤すものがあれば、不変なものとして語り継がれる。時間の中を悠々と生き延びていく。

 たしかにそういうものだろう、と思いました。
 世の中「真実」という言葉が大好きな人々がいますが、じつのところ人間にとっての「真実」は、案外、「事実」「実話」のなかにはないのかもしれません。
 絵空事、作り話のなかにこそ、人間にとって大事なもの、変わらないもの、揺るがないなにかが、あぶり出しの絵のようにひそんでいる。

 ともあれ、そういうわけでこちらのお話は、「アーサーと、その関係者を、じっさいその目で見、耳で聞いていた少女」のお話。
 神話の毛皮をはがされた「アーサー殿」は、まあ、気の毒なくらい「リアルに」つまらない男です。(^^;)
 あー、いるいるこういうヤツ。って感じ。英雄もクソもございません。
 しかし、ま、たしかに「事実」ってこんなもんかもなあ――と思わされる。
 
 これだけで終わってしまっては、「現代人にありがちな、うがったといえば聞こえはいいが、ようはネガティブで無意味に悲観的でひねくれて邪悪なものの見方をしているだけの根性悪」なおハナシ、になりますが、そうではない。

 この物語の主役は、「物語」そのものと思いました。
 つまらない事実を種に、千年も人々の心に残り語り継がれる偉大な「物語」の、誕生のお話。
 
 アーサー王物語のなかでのマーリンに位置づけられる、物語の生みの親となるミルディンは、虚実さまざまなことを話す。
 なにが嘘でなにがほんとうなのやら、主人公の少女にさえわからないなかで、彼が、その死の床で語る、彼自身の「物語」は、あまりにも悲しく、胸を打たれます。
 しかしこの物語でさえ、フィクションではないという保証はない。
 でも、それでもいいんじゃないかと思う――それが嘘でも、聞き手の心の中に、人間にとっての普遍の思いが伝わるならば。

 私としては、伝説のなかの、グィネヴィアとランスロットに擬せられる、アーサー殿の(政略上の)妻、グウェニファーとベドウィルの話が、どーにもやりきれないものとして残りました。
 ベドウィル少年の純愛に対比するだけに、まったくヤダねえ暴力馬鹿な男ってさ……と思ってしまうので、べつにアヴァロンへもいかぬアーサー殿の末路には、同情する気も起こらない。
 むしろ、そんなつまらない「事実」が、輝く「物語」になる、そのことに、感動を覚えます。

 ところで、この本は、児童文学書ということになるようです。(本文中、漢字には多く読みがなが振られています)
 ………で、気がついたんですが、これ「ファンタジー」だったんですねえ;;

 私はちょっとひどいファンタジー音痴でして、読めと言われりゃ読むけれど、ファンタジーを面白いとか楽しいとか、思ったことはほぼ、皆無。
 そんなヤツがよく手に取ったねえといわれそうですが、そこは「アーサー王」ブランドの力ですね。(^^;) いちおう英文学をかじった身の上、アーサー王とベイオウルフには、つい、反応してしまいます;;

 おまけに、私は子どもの頃、児童書、児童向け文学みたいなものは、わざわざ避けて通るということをしてきたので――そういう人間が、この年になって児童文学書を読むとは。と思ったら、さすがに自分でも可笑しくなりました。(^^ゞ
 児童文学書をバカにしているイヤなガキだったわけですが、それはつまるところ、「子ども向けゆえ、説教くさいところ」がどうしてもあり、それがイヤで、横を向いてきたわけです。

 説教臭い児童書というのはしかし、児童書の中ではあまり上等の部類ではなかったに違いない、というのは、エンデの「果てしない物語」「モモ」を読んだとき思ったことでしたが。
 しかし、ファンタジーオンチ、というのはいまだに治りません;;

 今回のこの本も、アーサー王がらみでなければ手が伸びたかどうか。また、「その世界の中に入り込む」ことができたかどうか。あやしい。
 ファンタジーの多くに、私はどーしても「入っていけない」。その世界のようすはちゃんと目に見えているのですが、ガラス越しにながめている、もしくは上空から「ふーん」つって見ているだけ、という、「入っていけない」疎外感が、どうしてもあります。

「アーサー王ここに眠る」にはそういうことがなかったのは。
 すでに親しんできたアーサー王の世界がベースにあるからなのか。それとも、作者の腕がいいのか。

 いまのところは判断できずにいますがともあれ。

 こちらの本、面白かったです。小学校高学年くらいであれば、お子様にもおすすめ。
 ………でもその場合は、アーサー王物語を、先に読んでおいたほうがいいかな……。そうでもないか?
 

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2009.06.23 (Tue)

拍手御礼

 拍手くださいました方、ありがとうございました。(^^)
 一言下さいました方、ありがとうございますv
「続きを読む」からどうぞv

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10:37  |  拍手/コメントお返事  |  EDIT  |  Top↑

2009.06.23 (Tue)

とうとうわうわう

 昨夜、とうとうわうわうに申し込んでしまいました。
 わうわう……じゃない、WOWOW。(^^;) 平仮名で書くとちょっと可愛いなv

 ウィンブルドンが開幕となりましたが、NHKは、受信料が徴収できないのか、たしか予算は従来とくらべてさほどかわりないまま国会で承認されたように記憶しているのですが(勘違いだったらごめんなさい)、それとも予算とは関係なくなのか――ともあれ一昨年あたりから、さりげなく、ウィンブルドンの放送は縮小傾向にありましたが、今年はまあ、ひどいもので。

 BSでは放送なし。地上総合のほうで、しかも録画のみ。(決勝戦は生でやるらしいですが)
 さすがにこれにはがっかりし、さんざん悩んだ末、WOWOWに申し込みました。
 ………ああ。敗北感があるのはなぜだらふ。

 予算の関係なのだとしたら………誰のためにもならない偏向特集番組なんかやめりゃいいんだよねえ。ああいう洗脳目的プロパガンダ番組をやめれば、ウィンブルドンの放送予算くらい軽く出るでしょうに。

 今年のウィンブルドンは、昨年男子シングルス優勝の、ラファエル・ナダル選手が欠場なので………これもまた、私としては果てしなくがっかりではあるのですが、でも、ウィンブルドンは年に一度のお楽しみなので、やっぱり見たいし。
 しかも、ただいまキャンペーン中! と言われた日には、心揺れまくり、グラグラしまくり。
 いいやもう、申し込んじゃえ、ということで、昨夜、ネットのほうからちまちまと。

 しかしびっくりしました。うち、テレビが2台、録画機1台があるのですが、契約は、一世帯に対してではなく、装置一台につき一契約、なんですね?
 つまり、リビングでもWOWOWを見て、自分の部屋のテレビでも見たい、という場合、契約は2契約せねばならぬ、わけです。
 なんだよそれ~、と思わずブーイングでした。
 NHKの受信料が良心的に思えてきた……;;

 べつにお金がおしいわけじゃないけど(惜しいんだけど)、月々「たったの」2,400円とかっていうの、かえって頭に来るんですよね~。私の貨幣価値では、「たったの」というのは、せめて大きいほうのワンコインのこと。(それがアタシの限界か;;)
 2契約したら割引がありますったって総額では、月額3,000円を超えるのだ!
 そういうのを、「たったの」とはいわないねえ、私の感覚では。

 テレビというのは妙な存在なんですよね。見たくても見られないということも多いので、契約をしたはいいけど、録画しまくり、ということになり、録画が溜まりまくればやはりどこかで切り捨てることになる。
 でも、これほどチャンネルが増えても、見たい番組がないとき、というのは必ずある。うまく言葉にならないのですが、このへん……理不尽に感じるのは私だけでしょうか。(--;)

 そもそもあのB-CASカードというものも、テレビを購入したときに、なんと面倒な! と、少なからずむかっ腹をたてておりました。(←ものぐさなので面倒が嫌い)
 最初の設定のとき以外は用はなかったので忘れていたけれど……。

 デジタル放送の微妙なことは理解できますけどねえ。「戦場のヴァルキュリア」、放送冒頭で、早い話が「YOUTUBEなんかにアップしてんじゃねえ。違法行為だぞ!」という「注意書き」が長々と出てきますしね。(正直いって鬱陶しい)
 たいへんなんだろうなとは、思うんだけど。

 とまあ、ブツブツ文句をいいつつも、これで今年もゆっくりウィンブルドンを楽しめる………と、そこはホッとしております。

      ●

「誤訳御免」管理人様一押し(らしい)の「化物語」、放送が BS JAPANだそうで、よかったです。(^^) それなら「アニメ放送の孤島」静岡県でも見られます♪
 「東のエデン」も結局DVD待ちなんだものな~、………なかなか面白かったようなので楽しみにしてますが。(^^)

 ほんで小耳にはさんでちょっとびっくりしているのは、
「黒執事、二期決定!」
 の報。

 ええええ、マジなんですか。そりゃ原作はまだ続いているけど、アニメはあれで大団円……とは言わないな、なんて言うんだろ……ともあれ、なかなか美々しく終幕となったのに。
 …鋼みたいに、リメイクっぽくなるのだろうか。それとも、一期とはアナザーワールドってことになるのだろうか。

 ちょっとドキドキしてしまった。(^^;)
 

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2009.06.22 (Mon)

insecureness

 拍手くださいました方、ありがとうございます~。(^^)

      ●

 さても「天地人」。
 主人公の爽やかさがパワーアップしてきた、というか、「本領発揮」な感じ。
 上杉の殿様も、いい味出してますね。いろいろ気の毒だけど。

 真田幸村くんが出てくるたび、「ユッキー」と呼びかけたくなる、というみょーな衝動を覚えております。(^^;)(参考:『殿といっしょ』)

 真面目なことを申しますと。
 ………嫉妬深い人って、なんで嫉妬深いんでしょうかねえ。

 嫉妬の正体って、なんでしょうか。

 本編中で、どーして秀吉さんは、他人の人間関係を壊そうとするのか、というセリフがありましたが、「そりゃ、妬ましいからだよね」と思ったとき。
 なにがそれほど妬ましいのかなあと、ふと思いまして。

 傍目には、すでにもう、金にしろ権力にしろ地位にしろ、充分すぎるほど持っているのに、ひとさまが持っているものをみると、それを横取りしたがるというのは、嫉妬による。
 ひとさまのものをほしがってはいけませんというのは道徳の基本です。盗むのはいけないが、ならば「買う」のならいいだろう、というのは、「盗人猛々しい」論法ですね。

 主な目的はひとさまのものを横取りし、その誰かを破壊することにあるので、横取りしたもの自体には、じつは、すぐに飽きるし薄情でもある。
 いやもう、考えれば考えるほどサイテーだよな。と思いつつ。
 これほど妬み深い人間の、精神にあるものはなんだろうかと思いました。

 妬む、ということは、基本的に他人ばかりを見ている精神ですよね。自分や、自分の身近にあるものをちゃんと見つめて大事にしている人間は、あまり、他人のことには左右されないものです。

 自分のことを大事にせず、自分をないがしろにし、ということはつまり、自分に自信がない。
 ために、ほんのちょっとのことで不安になり、恐慌に陥る。
 そういう自分をちゃんと認めて、「自分は、実は自信がない人間だ。私はいつも不安なのだ」と自覚し、そういう自分をともあれわかっているならまだ可愛げもありますが。
 自分ではそういうことを認められず、他人から指摘されれば逆ギレし、あまつさえ、そういう自分の不安を見透かされまいと虚勢を張る――それだけのために他人にチョッカイを出したり傷つけたり壊したりして、自分をなんとか守ろうとする。

 哀れではあります。が。

 こんなんが自分の上司にいたら、もーサイアクの一言では間に合いませんよねえ;;

 嫉妬は、他人を傷つけるのみならず、最後には自分の身を滅ぼす。
 そんなことになるまえに、自分でちゃんと自分に向き合えればいいと思います。

 でも、自分が他人を妬んでいると自覚できれば、まずは上等、なんだろうなと思うこともあります。
 あんた、なにをひがんでんのよ、などと言おうものなら、本当に殴られそうなときってあるものなあ。(^^;)

 コンプレックスというのは誰にでもあることでしょうが、まずは、それがコンプレックスだと、ちゃんと自分で認める、ということが、第一歩でしょうか。

 ドラマ中の、兼続さんや景勝さんに清涼感があるのは、自分で自分をごまかしたり、他人のせいにしたり、なんてことはせず、黙って自分と向き合って、そこから一歩を踏み出しているからだな、と思った回でございました。

「梵天丸も、かく、ありたい」。(元ネタわかる人は同級生以上だろうな……(^^;))

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2009.06.21 (Sun)

悪口の変遷

 拍手くださいました方、ありがとうございました。(^^)

      ●

 現在使用している(Macの)スクリーンセイバーは、辞書からランダムに言葉を選び、解説文を表示してくれます。
 スクリーンセイバーなんで、私が席を離れているときがほとんどですから、じつは私自身はあまり見られなかったりするんですけども。(^^;)
 それでもときどき、間がいいと表示している言葉を見ることができますが、先日、画面に現れていたのは、

 ――内股膏薬。

 うちまたごうやく?

 なんじゃいそりゃ、と思って解説を読むと。
 意味としては、日和見主義というか、都合次第でころころ立場をかえたり言うことをかえたりして、しっかりした主張というものがなく、当てにできない人のこと、だそうです。

 内股に膏薬、まあ湿布がイメージに近いでしょうか、貼り薬ですが、これを貼ると、内股ですから両足の間でこすれてしまい、膏薬が、右足にくっついたり左足にくっついたりする。
 いやもう(思わず想像して)腹を抱えて大笑いしてしまいました。
 いきなりスクリーンセイバーをのぞきこんで大笑いしているヤツっていうのも、傍からみたら無気味ですよね。(^^;)

 昔の人の悪口って面白いなあ。ひねりがある。
 そういえば幸田文さんの随筆にも、そんなお話がありましたね。露伴が言った言葉が、意味はわからないけど悪口だということはわかった、どういう意味の悪口かがわかったときはむしろ感心した、と。

 悪口を言われた、ということはわかるけれども意味が分からず、「それってどういう意味?」とつい聞いてしまい、解説を聞いて、怒るよりも思わず感心しちゃう。
 これは古典落語にもよく見られます。

 面と向かって「てめえはまったくとんだ内股膏薬だ」と言われると、雰囲気からして悪く言われたことはわかるけれど、「どういう意味?」などと聞いてまた「だからテメエは頓馬だてんだよ」と罵られる。
 うーむ目に浮かぶようだ……。

 謎解きにも似ていますね、●●とかけてなんと解く? というあれ。

 考えてみると昔からいわれる悪口にはこういうのがけっこうありますよね。
 夏目漱石「坊ちゃん」では、うらなり、というのが出てきますし、一般的なところではドテカボチャ、おたんこなす、というのもあります。
 茄子にせよカボチャにせよ、せっかく実はなっているんだけれども、食用にはならない、役立たずというところからきているのはわかる。

 けっこうひどいんだけど、ひねりがあると、「あ、なるほどね!」と、つい感じ入ってしまう。(^^;)

 この手の悪口って、わりと可愛いな、と思うようになったのは、英語の勉強を始めてからでした。
 アチラの悪口って、すごいのがあるんですよね………あまりに下品で訳しようがないっていうのが。さもなきゃあまりにストレート過ぎちゃって、可愛くも何ともない、って感じ。
 ああいうのにくらべたら、おたんちん、なんて、響き自体が可愛い。

 まあ、可愛いの何のといっても所詮は悪口ですからいいわけないんですが、使っている単語のレベルが、ということで。(^^;)
 
 夏炉冬扇とか昼行灯とかひょうたんなまずとか。ストレートに馬鹿とか間抜けとか意味不明とか、とは、いわないところにユーモアを感じます。

 そういう文化もあったわけですが、しかし、昨今の、ことにネットでみかける悪口は、ひねりも芸も何もないってところですか。(^^;)

 悪口といえば、子どもの頃、「おまえの母ちゃんデベソ!」というのを言ったことがあります。
 デベソだからなんだ、と思いますわねえ。まあ子どものことですから意味があって言うわけでもないんですが。

 だいぶ大人になってから、あれって不思議な「悪口」だったなあと思っておりましたところ、中世――鎌倉時代くらいですか、あのへんで、「シャレにならない名誉毀損」ということで、当時の裁判にまでなった、というお話に遭遇しまして。

「ははぼぼ」と言われた、といって「名誉毀損だから訴える。発言を取り消せ」という訴えなんです。
 ははぼぼ。「母開」と書くようです。母は、母で、開は女性の性器を意味しますから、近親相姦した、と言われた、名誉毀損だ、ということになったようです。
 ↓↓↓
中世の罪と罰
(網野善彦、石井進、笠松宏至、勝俣鎮夫/東京大学出版会/1983.11)
 ……Amazonさんで在庫はあるようですが……本のイメージがない;;

 当時はそういう「ははぼぼ」なる罵言があったというわけですが、「もしやこれが、『おまえの母ちゃん、デベソ!』のご先祖様?」ということが、本文中にも触れられています。(話はそれだけでは終わらないが)なるほどねえと思いまして。

 いくら現代人が羞恥心を失っているといっても、ここまでひどい罵言は使わない(……だろうと思う)。
 いくらなんでもこの表現はどうだろう、ということで、だんだん表現がやわらぎ「出べそ」になったのだろうか? と、ちょっと考えてみたり。

 問題なのは開だったりヘソだったりするんじゃなく、その人の母親、つまりその人にとっての大事な人(との関係)を貶める、というのが攻撃の目的ではあるのでしょうが、こういうのにも「言葉の変遷」があるのかな、と、興味を引かれたことでした。

 最近の子どもさんはもう、こんな悪口は使いませんかね。(^^;)
 私が、通りすがりの小学生の会話を聞いて、椅子から転げ落ちんばかりにびっくりしたのは「アンタ、地獄に堕ちるわよ!」だったですが。(^^;)
 ………あれも可愛げはなかったなあ……。ううむ。
 
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