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2009.05.31 (Sun)

落ち着いた声にこそ

 拍手くださいました方、ありがとうございます~。m(_ _)m

     ●

 また新聞からの話題で恐縮ですが、金曜日だったか木曜日だったか、日経新聞夕刊にて、「こころのサプリメント」という連載コラムがありまして。
 心理学か、もしくは心療科の臨床医の先生によるコラムですが、今回の話題は、新型インフルエンザにかかった、高校生の気持ちを慮ってのことでした。

 べつに新型インフルエンザにかかったのは本人のせいではない。なのに、まるで彼らが「悪い」みたいな誹謗中傷がある。そのことにより、高校生たちに心理的な負担をかけてしまうのではないかと危惧する内容でした。

 まったくそのとおりで。(--;)

 大人ぶってはいても、まだ中学生や高校生では精神的に不安定であり、オトナどもは、そのあたりをちゃんと考えて「保護」してやるべきところ、声高に彼らを中傷し、保護するどころか傷つけているわけだ。

 私もこのへんが本当に腹立ちましてねえ。
 もっとも、ネットでごちゃごちゃ言っている連中については、いいオトナだけとは限らないんですが、そうだとしても、いわゆる成人が混ざっている率はけっして低いものではないと思われるので、そのように申しますが。

 オトナには、若い人、幼い人を守る義務が、本来的にはあるというのに、それとは逆のことをするとは。
 昔から、もちろんこの手の精神的に貧弱な連中というのはいたとは思いますが、いまの世の中のいけないところは、この手の連中にも発言の場を与えてしまうということ。有り体にいうとネットのことですが。
 おまけに戦後の左巻き教育のおかげで、責任や義務を果たす気がない連中にも「権利」があるなどという、じつに恥ずかしい考えが浸透しちゃって;; 権利が「正義」だなんて、単純に信じてるんだものなあ。
 だからこそ、ああいう恥ずかしいことを、恥ずかしげもなく「できる」連中が目につく世の中となったようで。

 しかし、ともあれ、このように、今回のことであれば、「患者さんには責任はない」と言ってくれる大人が、いてくれてよかったと思った次第です。

 バカと基地外は声がデカイ。――あれはどうしてなんですかね。
 良識ある人々は、けしてぎゃーぎゃー騒ぐ大声で言ったりはしない。わかりますよね。
 なので、世の中は、ぱっとに見には馬鹿や基地外の意見のほうが多いように感じてしまいますが、そうではないのだと、私は思います。

 きちんとした道理をわきまえた人々はちゃんといる。彼らは、良識的である故にけして大声で騒いだりはしないだけ。
 ゆえに、若い人々には、馬鹿や基地外を相手にせず、良識ある人々の言葉にこそ、耳を傾けてほしい、とねがいます。(恐ろしいことに、馬鹿っていうのは感染することがあるんですよねえ;;)(朱に交われば赤くなると古人は言った)

     ●

 自分でも不合理だなあと思いますが。
 どういうわけでしょうか、ちゃんとわかっているんだけれど、「世の中、こういう事態になって、あの人はなんと言うだろう」という思いがわいてきて、ついつい、神楽坂倶楽部にアクセスしているんですよね。

 どこか、気持ちのうえで、もうあの人はいない、ということについて、納得しきれていない感じです。
 4/28で更新がとまったTOPページを見るたび、「アホか私は」と思う。
 そんな一週間になりました。

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2009.05.30 (Sat)

テンプレート変更

 拍手くださいました方、ありがとうございました。m(_ _)m

     ●

 通販大魔王なもので、ほとんど買い物は通販だったりしますが。
 またやってしまいました; 支払い忘れ。(--;)

 カード払いにしているものもありますが、ちょっとした小物、衣類、雑貨ていどなら、郵便振替(コンビニ払い)にしていることが多いです。
 で、支払伝票をとっておくのですが、これをうっかり忘れているのです;
 そして支払い期日を過ぎて、あらためて請求がくるという次第。

 何年かに一度はやっちゃいます。大抵は、――今回もそうですが、身辺がごたごたしていてかつ、自分の体調がよくなくてへろへろのとき。
 外出してコンビニにちょっと寄るくらいはできるのですが、肝心の伝票を持ち忘れ、コンビニを横目で見て、「しまった! 伝票忘れた!」と思いながら通り過ぎる。
 これを繰り返すうちに、伝票の存在自体を忘れている、という次第です。

 基本的にカード払いは好きではなく……便利さでは、ネット銀行に口座があればいいんでしょうが、どーもいまだに、ネット銀行とおサイフケータイ(R)には、心理的に抵抗がありまして。なにがどうとは言えませんが、なーんとなくね。
 そのシステムが信用できないというよりは、自分の、そういうものを管理する能力を見限っているところがあるもんですから。(^^;)

 支払伝票が財布に入る大きさだったら、(外出時に)持ち忘れることもなくて済むんですけどねえ。なにか、いい方法はないものでしょうか; 代引きもいいんですがこれは手数料がかかるしなー……うーん。

      ●

 このブログのテンプレート(ブログデザイン)は、おおむね、月イチくらいで変更しておりますが(飽きっぽいので;;)、またそろそろ、来週あたりで変更したいなーと思っております。
 6月になったところでこのブログが閲覧できなくなったとか、深刻なトラブルがございましたら、お手数ですが、下記メールアドレスまでお知らせください。
 happy_smile34 で、アットマーク、hotmail.com、ということで。

 うーん、いちおうプロフィールのところにメールフォームを置いてあるんですけども、もしこのページ自体が開けなくなったらどーにもならん、連絡手段がないというのが、困りもんですよねえ。
 なにかいい方法はないものか;;

 個人的には、ブラウザやそのバージョンや、OSなどの環境によって、おおきな障害が出てページ自体が開けない場合がある、ということ自体、技術の中途半端さを物語っていると思うので、納得しがたいものがあります。
 デザインがちょっと崩れるくらいは仕方ない。でも、ページ自体が開けないとか、いっきなりアタマから、「このブラウザ、無理」って、機械が勝手に拒絶するのってやめてほしいのよね~。

 テキストと、リンク情報くらい拾い上げてくれたっていいじゃん! ……と思うのですが、ダメなのかしら。

 技術革新はけっこうですが、「使い勝手の良さ」「シームレス感」というものを、もーちょっと重視してもいいのではないだろうか! と、なんとなく握りこぶしで叫びたくなります。(^^;)
 今の状況って、技術屋さんの自己満足が先、という印象があるのです。ぶっちゃけ、顧客満足なんて考えてないでしょ? 自分たちが技術の最先端でリードしてるんだから、客が自分で勉強してついてくるのが当たり前、それができないヤツはネットやる資格ない、くらいに思ってません? 本音の部分で。

 あれができます、これもできます、という前に、ユーザーにストレスのない快適な環境を実現してほしいです。
 機械的な、もしくは技術的な、ゴツゴツした「落差」部分の「尻拭い」を、ユーザーに放ってよこす(丸投げ、てんですか)のはそろそろやめてほしい。

 …………ということを、これで10年は言い続けてるなあ私も……。
 我ながらなかなかしぶとい。
 しぶといけれど、本来は、そういう方向を目指していくべきものと信じます。
 いや、そうじゃないと、webの持つ、本来のメリット(=いつでもどこでも誰とでも、のネットワーク)を生かしきれないことになりますんで。それじゃ宝の持ち腐れになってしまう。

 私の理想は、ユーザーが、OSやブラウザの種類、バージョンの違いなど気にせずにネットサーフィンができること。ですねえ。
 Macユーザーは泣かされることが多いですから。昔よりはだいぶマシな状態になってきまして、ストレスは減ってはいますが。
 アプリケーションソフトのファイル互換性については当座あきらめたから、せめて、ネットくらいは。
 と思ってるんですけど、まだまだでしょうか。(^^;)
 
 ということで、ブログデザイン、テンプレートを変えたさい、もし深刻なトラブルがございましたらお知らせください。
 ひとまず、その前のテンプレートに戻しますので;;

 よろしくお願い致します。m(_ _)m

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2009.05.29 (Fri)

拍手御礼

 拍手くださいました方、ありがとうございました。m(_ _)m
 一言下さいました方、ありがとうございます。
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2009.05.29 (Fri)

やさぐれ

 先日は久しぶりに、国会では党首討論が行われましたが、あいにく私は見ておりません。
 が、事前に「ヤジはほどほどに」という《紳士協定》が結ばれたという話は聞いていたので、「そうだなー、ヤジがひどくて肝心の話が聞こえないときがあるもんねー。いいことなんじゃない?」と言っておりましたんですが。
 ふたを開けたら、紳士協定以前にも増してひどかったんですって?
 なるほどね。国会には紳士はいないという、いい証拠ですね。

 あんまりひどいので子どもには見せられない討論会だったというコメントも聞きましたが。
 なんともはや。
 今度は「無観客試合」にしたらどうでしょう。別室に外野を集めておいて、生中継をみながら、その別室では好きなだけ、双方やじってもらって。
 司会者(?)と放送関係者だけを置いて、党首同士はしーんとした静かな部屋でゆっくりと「討論」してもらうってのはどうでしょうか。

 しかし、なんにしても、ありゃ「討論」じゃないですよねえ。子どもの喧嘩ですよ。
「ばーか」「馬鹿っていうやつ、自分がばーか」「お前の母ちゃんデベソ」………あのレベルです。

 全然関係ないんですが、ニュース番組中に、その討論とやらのようすを見て思い出したのは、昔――なんの事件のときだったのかなあ、思わず、
政治家は泥棒の始まりだね」
 と、口走っていたことを思い出しました。
 正解は、「嘘つきは泥棒の始まり」なのですが。(^^;)

 ああ………どうも、まだ気持ちがやさぐれてます。こういうときって、何を言ってもイヤミと皮肉と悪口になるんだよなあ。いけません;;

       ※

 生きていくことというのは厳しい、と思うことがあります。
 ドラマなどでも、「あなたなしでは生きていけない」みたいなセリフが登場しますし、じっさい、我々、誰かと、なにかと、そういう思いを向け合って生きているのですが、それでも、そういう存在を、失うことはあり得る。
 
 どれほどの人、どれほどの存在を失っても、死んだものが自分ではない限り、自分は生きていかなければならない、というのは。
「あなたなしでは生きていけない」と思っても、その思い自体は「事実」でも。
 じっさい、その人を失ってもなお、自分は生きている、生きていかなければならない。そういうとき。

 厳しいなあ、と思います。

 137億年前に始まった宇宙を大元として、あらゆる存在とつながっていながら、そのひとつひとつの存在は個別に――ひとりひとり、ひとつひとつの存在は峻別されて、個々に存在している。その存在は、独立している。

 すべてとつながっている、ということと、ひとつの存在がひとつの宇宙であるというほどに「個別に」生きている。このふたつは矛盾しない、ということ。
 最近、ちょっとだけ、そのへんが、以前よりは見えてきた気がします。
 
 何を失っても誰を失っても、それでも、自分を見失わずに自分としての「存在」を貫いていく。
 それがこの世の有り様なのだなと思います。

 わかっちゃいるけど厳しいよな――(←寝言)

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2009.05.28 (Thu)

拍手御礼

 拍手くださいました方、ありがとうございました。m(_ _)m
 一言下さいました方、ありがとございます。
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2009.05.28 (Thu)

世界の消滅

 昨日のお昼少し前。
 ネットのニュースサイトを見て、愕然となりました。
 作家、栗本薫さん、ご逝去。

「まさか」という気持ちと「やはり」という思いと。
 先月28日を最後に、更新されなかったサイトを思い出し。
 いや、それでもまさか、――と。

 衷心よりお悔やみを申し上げます。
 なによりも、ご冥福をお祈りしております。
 ――いまは、どちらにいらっしゃるのか。

 最初はショックで茫然とし、次には「怒り」が湧いてくる、という、セオリー通りの反応をしていた昨日でした。
 なんで怒り? と言われそうですが、そういうもんらしいのです。心理学のほうですが、人間が何かつよいショックを受けたときの反応というのが。衝撃で茫然、それから怒り、それから、アパシー(無気力状態)…と進んでいくようです。
 
 昨日の私が、そういう気持ちでした。ショックからなんとか立ち上がってみると、胸をかきむしりたくなるほどの、くやしいという気持ち。
 なぜ、どうして、と。
 責める相手もいないのに、悲しい気持ちがくやしさになり、怒りのようなものがわいてきました。

 そしてしばらくたって、猛然と襲ってきたのは、悲しさ。
 もう、二度と、あの人の言葉を聞けない、読めない、触れられない。
 ――虚無。
 永遠の沈黙。

 子どもの頃から親しんできた「世界」が、崩壊してしまった。
 世界が終わってしまった。
 消滅した。
 もう二度と触れられない。


「僕らの時代」で御大が江戸川乱歩賞を受賞なさったとき、私は小学生。思春期、そろそろ自分で好きな本を見つけていくころに、当時の最年少記録で同賞を受賞し、さっそうと現れた「栗本薫」は、まさに私には「リアルタイム」の作家でした。
 ミステリー、SF、時代小説。JUNE。純文からBLまで、《超》ジャンル・クロスオーバーな評論活動。そして「小説道場」。
「物語」の先達であり、道標であり、パイオニアであり、偉大な灯台であり。

 中学、高校、大学と――つねに、かたわらには「栗本薫の本」が、なにか、最低でも1冊はある、という状況で育ってきましたので。
 あの人はもういない、ということが、半ばは信じきれず、半ばは、失われた衝撃で、足下が崩れ落ちていくよう。

 グインサーガはこれで、永遠の未完となってしまったのですね。あの世界は「消滅」はしないけれど、時間はあのまま、とまってしまった。
 グインの謎は謎のまま。作者がそのまま持ち去っていったのですね。

 御大は、最後まで全力疾走したのだな、と思います。
 少しずつペースダウンをしていって、ゆっくりフェイドアウトするのではなく、まるでなにごともないみたいに全力で走っていて、勢いを失わないまま、突然、ある地点で、ふつっと終わらせた。
 そのように思えます。

 なんにしても56才ではあまりにも若い。
 長年の読者としてはただただ、ひたすら、残念であり、悔しい思いです。

 今日は、いつも以上に支離滅裂ですみません。m(_ _)m
 ただとにかく――
 深く、哀悼の思いを、捧げる次第です。

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2009.05.27 (Wed)

拍手御礼

 拍手くださいました方、ありがとうございました。(^^)
 一言下さいました方、ありがとうございますv
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2009.05.27 (Wed)

音フェチのいうことにゃ

 NHK BS2で放送中の「蟲師」も、そろそろ終盤です。
 あと5話か………。なかなか、お名残惜しいものがあります。
 原作コミックスは全10巻ということですが、アニメ化されたものはその半分ほどなので………このさいだから、残りの原作分も、第2シーズンということでアニメ化してもらえないものだろうか。
 と、真剣に考えている今日この頃。
 本当にもう、見ていると心地よい作品で、寝る前に見ると安眠ビデオということで。(^^;)

 これほど肌が合う感じがするものというのはなかなかないものでして…。原作の「骨」がしっかりしているのもあるとすれば、アニメの「肉付け」も絶妙のものがある。
 かなうなら、ほんと、第2シーズンを願いたい。(^^;)

 この作品を見ているとつくづく、自分の、「音声に対するフェティッシュ」を実感します;; ヘンタイの域にはいっていないと自分では信じたいのですが;;
 BGMも、効果音も、人物の話す声も、その音響だけを、目を閉じてじっと聞いているだけでなぜか、心地よいんですよねー。なにがどうとは説明できないところが困ったもんですが。
 私が好きな音域が、全体に多いのかもしれません。

 私が好むのはおおむね、自然音。葉ずれの音、水音、風の音、鳥の声、虫の声。
 人の声では、男声なら、軽やかさも感じるやや高め、女声なら中音が好き。
 
 楽器でも、そういえば自然音に近いものが好きだしなー…。
 お能の楽器で「能管」(のうかん)という横笛がありますが、あの音は本当に風の音ですね。
 どうやらそういった音が好きらしいのですが、「蟲師」では、――どこまで意図されているかはわかりませんが、そのへんの音域が使われることが多いのではないかと感じております。
 深い森や山の中を歩き回り、人間とは違う異界との間にたたずむことが多い蟲師には、ふさわしい音域なのかもしれません。

 …………残りのお話群を、作ってくれないかなあ第2シーズンとして。
 

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11:02  |  身辺雑記2009  |  EDIT  |  Top↑

2009.05.26 (Tue)

ちょっとしつこい;

 拍手くださいました方、ありがとうございましたv
 一言下さいました方、お言葉に甘えて今回は、拍手御礼のみということで; ありがとうございますv

      ●

 昨日は書き忘れておりました「天地人」。
 ようやく兼続さんが主役らしいポジションにきた、という印象でした。
 御館の乱が終わるまでは、やはりどーにもこーにも、私もよこしまフィルターがはずせなかったようです。
 ようやく、ふつうの状態で(ってどんなん)大河ドラマを見ている、という感じになってきました。

 それにしても…「ご家老様」とすべきところ、「ご家様」と脳内で漢字変換してしまいそうでした。(^^;)

      ●

 先日の着付の講習のとき、「16日から神戸へ行く予定だったけど、扁桃腺が化膿してダメだった」と話したら、お教室の友達ご一同から声を揃えて「よかったじゃん!」と言われました。(^^;)
 まあ、ふつうのときならまだしも、やはり体調が万全ではなかったので、それはしょーがなかったな……と(←まだあきらめきれない気分;)。冗談ぬきで足止めを食らった感じです;;

 なんにしても、そのように患者さんが確認されてから数日後の20日をピークとし、一週間で終息の傾向というのは、よかったですよねえ。まだ油断はできないまでも、ひとまずは、落ち着いてきている「傾向がある」のは、なにより。

 東京方面はこれから広がるのか、それとも、このまま終息へ向かうのか。できれば後者であってほしいものですが。
 しかしまあ、「油断せず慎重に、しかしパニックを起こさずに」というのは難しいものなのかなあ、と、疑問に感じてしまいます。

 疑問に思うことは数あれど、その最たるものは、生徒さんが感染したという学校への「誹謗中傷」ですねえ。なんの意味があるのかね、そんなことして。
 大阪府の橋下知事も、「天に唾すれば自分に返ってくる」とおっしゃっていましたが……まったくそのとおりなんで……というか、罹患することが基本的に「他人事」なのはなぜ。と思いました。

 他人事じゃない、自分だって感染するかもと思うから「えんがちょ」なんだろ、と言われそうですが、………そうかなあ。感染者が身近にいるかいないかなんて、厳密にはわからないんだから、もはや感染することが全員共通の「前提条件」になっていると私は思うんですけどねえ。
 自分だけは安全圏にいようとする。まあそれはいいですけども(実現はほぼ不可能ですが)、それで「誹謗中傷」になるというのがわからん。関係者を誹謗中傷すれば、感染から免れるというのでしょうかね。

 以前にも書いたので、ふたたび書く気はなかったのですが、あまりにも謎なのでつい、書いてしまいました。(^^;)
 

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10:47  |  身辺雑記2009  |  EDIT  |  Top↑

2009.05.25 (Mon)

拍手御礼

 拍手くださいました方、ありがとうございました。(^^)
 一言下さいました方、ありがとうございますv
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10:21  |  拍手/コメントお返事  |  EDIT  |  Top↑

2009.05.25 (Mon)

じゃっじめんと

 例によって「誤訳御免」様にて、日本で裁判員制度が始まるにあたり、諸外国のオタクの方々のご意見が、なかなか面白かったです。(^^)
 ↓↓↓
http://goyaku.seesaa.net/article/120082266.html

 すでに陪審員制度があり、それが定着している国の方のご意見はやはりちょっと興味深いものがありますね。本音の部分では気が進まないにせよ、意識のあり方が違うところがやはりあるようで、「他人任せはよろしくない」という認識が、あるとないとじゃやっぱり違うなあ、と。
 ……正確には陪審員と裁判員は、ちょっと違うんでしょうが。それでも。

 カリフォルニア州の女性、という方のコメントに、まったくだ、と思ってしまいました。

彼らは政府の行動に参加することを拒否すると言ってるの?
そのくせ、政府のやる事が自分の意に沿わなかったら文句をいうじゃないの?自分は参加すらしなかったというのに。そうでしょ?
こんなのは中身の無い議論だと私は思うわね。


 こういうご意見が出てきてもいいはずだと思うのですが、日本じゃこういうのは見かけないです。
 制度の趣旨ではなく、それが実施されるプロセス、過程、その方法に問題があるのだという指摘はごもっとも。このへんの事情はどこも同じでしょうか。(^^;)
 
 ことに日本では、犯罪というのは古来、「ケガレ」として嫌われる、というのも、背景にはありますな。
 伝統文化はだいぶあちこちであやしいことになっている現代ですが、それでも、ケガレを嫌う、そういうものに触れたものまでがケガレる、という「信仰」は、その精神風土の深い部分でまだ生きている。
 ケガレに触れれば、触れたほうまでケガレる、ケガレが「うつる」という発想、それゆえエンガチョ! と騒いでいる(←いわれのない誹謗中傷のことです)――ということが、じつは今回の新型インフルエンザに対する「嫌悪感」にも現れている。私にはそのように見えます。

 裁判に関わると考えたときに感じる嫌悪感が、そういうところから根ざしている人はけっこういると思われますが、そこを自覚している人はあまりいないだろうという気もします。
 現代的に科学的に生きたいならば、そういう伝統や信仰や、すでに潜在意識にしみこんでいる精神風土というものを、ちゃんと勉強しておくべきじゃないのと思いますが、ここをつっこむとまた話が長くなるのでやめておきます。

 なんにしても、日本じゃこういうものの広報までアニメでやるんだねー、と感心(なのか?)されたとき、あらためて、「そういや、外国じゃこういう宣伝の仕方はしないんだろうな」と、はっと気づかされました。(^^;)

 で、「誤訳御免」の管理人様は、「民放やNHKも批判していたようだから……」「裁判員制度はいいんじゃないか」と判断したとのくだりには、思わず大笑いしてしまいました。あははははは。わかりますその判断! 私もじつはよくやります、「古■さんがここまで悪くいうんだから、これはきっといいことなのね」みたいな。

 もちろんそれだけが判断材料ではありませんが、「これでいいのかな」と検証するときの、ひとつの材料になっているのは確かです。
 左巻きと同じことをいうようになったらアブナイぞ私。とか。
 こういうこと言うとまた叱られるんでしょうか。(^^;) ←わかってるならやめとけ;;

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2009.05.24 (Sun)

絽の小紋

 拍手くださいました方、ありがとうございました。m(_ _)m

     ●

 実地に着付師として働くための講習会が始まっております。
 結局、ほかに仕事を持っている身ですので、私の場合はそれをじっさいに自分の職業にしようというのではないのですが、このへんの講習会も受講したうえで、初めて「正式に資格」となるそうなので、おとなしく(?)受講中。

 いままで習ってきた着付は「基本中の基本」でして、実地にお客さんの着付をするための講習となりますと、また気を配る点や、手順もちょっと違ったり、より実戦的で、面白いです。(^^)

 体型補整のやりかたも、――まあ、ふつーは和装用ブラやヒップパッドなぞ、お持ちでないわけですから(私も和装用ブラは持ってません)、タオルや綿花をつかって補整していきます。なかなか面白いです。技ですよね、このへん。

 補整、というとビビる人もあるようですが、よーするにお客さんの着付となると、ふだんに着るような小紋じゃなくて、圧倒的に、振袖、留袖、訪問着といったものが多い。つまりは礼装、準礼装ですね。

 普段着だったら、ウエストくらいは補整するけど、ほかはさほど気にすることはない。ですが、留袖で紋が入っていたりすると、やはり、きものに皺が寄りまくりとなると見た目がきれいじゃないですから――補整はきっちり、ということで。

 洋服と同じですね、洋服だってふだんは、ユニクロのブラトップにゆったりカーディガンを引っ掛けていても間に合うけれども、「礼装」用ワンピースとなればブラトップってわけにもいかず、きちんと下着から整えますよね。ああいう感覚です。

 今回面白かったのは――たまに、久しぶりに出してきたきものに「たるみ」が生じていた、という場合の対処。
 裏地だけが縮んじゃって、表地の裾が、たるんで丸まっているときって、たまにあるんだそうです。

 私もいちど、総絞りの振袖が、裏地のせいか、それとも絞りのせいか、ともあれ裏地と表地があわなくなって、表地がたるんじゃったものを見たことがあります。
 そういう場合、そのたるみをどう調整するか、というのも教わりました。

 知恵と技、ですよねえ。面白いです。
 自分にできるかどうかはともかく。(^^;)

 写真は、今回仕立ててもらった、夏物、絽の小紋の余り布。
 うまく写真に撮れないのでMacBookちゃんに掛けて撮影してみました。

ro-komon.jpg

 端っこ部分なんですが、――写真ではちょっとわかりにくいんですが、ここに生産者印や、織りの種類などがプリント(?)されています。
 例によってネットのお店でお安く購入したのですが、丹後縮緬です。
 先生が、こういう端切れ部分をスクラップして資料にしていらしたのですが、私も、そんなスクラップブックを作ってみようかなと。
 ………私の場合、購入するのはほとんど化繊のものなので、スクラップブックにまでなるのはいつの日のことか…という感じですが。

 夏物なので本当は、逆に、洗える素材のものがよかったんですけどねえ…、気に入った色と柄のものがなかったので、うーん、と唸りつつ、正絹のものになりました………。
 ガード加工をお願いすべきか、とお悩み中。
 丸洗いでは、汗シミはとれないんだそうです。それで、ちゃんと洗ってしまっても、翌年のシーズンのときには出してみるとシミがあったりするのね。
 ……化繊なら、さすがにそういうことは(あまり)ないのになー…。でも、着心地というか肌触りは、やはり圧倒しますよね正絹。
 悩ましい;

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2009.05.23 (Sat)

玄関はきれいにしてますか?

 拍手くださいました方、ありがとうございます~。(^^)

      ●

 いささかわけあって、「FC2ブログ」のトップページには、記事の更新があってもお知らせを上げないようにしております。
 ……いちど、うっかり更新情報をあげる、という設定をONにしていたらしくて、その間に、スパムコメントやスパムトラバがきやがったので、それ以降はとにかくひっそりこっそり内緒に、という調子です。(^^;)

 それでもときどき、面白そうなトラックバックテーマがあるわけで……本日のお題はそちらから。
 でも、こっそりひっそりなのでトラバはいたしませんが。

 ということで玄関はきれいにしてますか?
 ………努力はしてるんですけどねえ…。(--;)

 以前に比べたらきれいになったと思うのですが、――以前は靴箱から溢れ出た、家族それぞれの靴が三和土に所狭しと並んでいたので。
 それをだいぶ整理し、いちいち口で言っていては間に合わないので、もう他人を当てにせず、誰かの靴が出しっぱなしになっているときは黙って片付けるようにしております。
 一日履いてきた靴は乾燥させるためには、しょーがないから一日は三和土(たたき)へおいておきますが……。
 ……ほんとにもう、片付けても片付けても。(T_T)

 私もおよそ、ものが捨てられない女でございましたが、ここ5年ほどは、頑張って、だいぶ「捨てられる女」になりました。
 整理整頓の基本ですものねえ……「使わないものは捨てる」って。

 靴だけではありませんが、捨てるときにはきれいに磨いて(靴底も)、「いままでありがとう」といって廃棄、という方法を覚えたら、以前よりは、思いきれるようになりました。
 昔はどうも、「もったいない」気がするというか妙に「後ろめたい」気持ちがあって、なかなか、「もう使わないなあ」と思いつつ、捨てるということができなかったのです…。

 で、自分がひとまず「捨てられる人」になってみると、自分の両親がいかに「ものを捨てられない人々」であるかがよくわかるようになりました;;

 それでいて、電化製品の取扱説明書はがんがん捨ててるんですよね! もー信じられない!
 ふだんはいいんですけど、ちょっと不調になったときや、設定を変えたいと思って探すと、ないんですよ取説が。
 捨てるべきものを捨てず、保管しておくべきものを捨てるというのはどーゆーことなのか。
 自分の親ながら、本当に謎ですわ……。(--;)

 ともあれ、昔よりは玄関の三和土も整理整頓できるようになりました。
 花は、わりとよく生けてあります。生けているのは私じゃなくて母ですが。
 町内のお花のサークルに参加しておりまして、月に3回は開催されるため、それなりにお花はあることになります。
 玄関にお花があるっていうのは、いいですよね。(^^)

 玄関はきれいにしておきたいのですが、やはり人の出入りがあるところなので、ちょっと油断するとすぐに乱雑になる、という傾向はありますねえ。
 きれいにしておきたかったら、「不要物は捨てる」「使ったらすぐもとに戻す」「ものを買い足すときは慎重に」、これしかないんだなーとつくづく思います。

 それでも冬場、どーしても場所をとっていたブーツも片付けて(うちの靴箱には入らないので三和土に置きっぱなしに;;)、玄関もすこし、春夏向きにすっきりしました。
 これからは雨で湿って、ちょっと匂いも気になる季節となりますので……この季節にはお香を焚いたり(スティックですが)、ハーブ素材のルームスプレーとかも使用します。

 とはいえやはり一番の悩みは。
 靴箱ってどーしてああも、じめじめしてしまうのでしょうか;;
 小さい除湿機を靴箱にいれて、24時間、回しておきたいくらいですが……なにかいい方法ってないもんでしょうかねえ…。

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