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勝利の意味

 太平洋の向こう側、アメリカはメジャーリーグベースボールのワールドシリーズ。
 ………個人的にはタンパベイ・レイズを応援していたのでがっかりしているところです;;
 残念でしたね;;

 とはいえしかし、新設のチームは11回のシーズンで、最下位になること9回。
 いつみても、ホームゲームでもお客さんが少ないチームでした。(ホームなのに、対戦相手の応援の方が多いって、切なすぎる……)
 それが、まあいろいろと、関係者の努力により、今年はリーグ制覇ですよ。
 リーグ優勝を決めたときは本当によかったなあと思いました。(^^)
 若い人が多いチームなので、また来年、再来年と、ワールドチャンピオンを目指してほしいです。
 
 私はなにしろ「判官(ほうがん)贔屓(びいき)体質」なので……そう、これはもはや「体質」です。主義主張のレベルではございません。
 体が勝手に応援してしまうのです。

 まったく中立の立場でなにかの試合を見ていても、いつのまにか、形勢不利になったほうを応援する。
 金満球団と弱小球団の対戦なら、どっちを応援するかなんて愚問。
 で、弱小球団が、だんだん強くなり、ほぼ、例年のように優勝戦線に残るようになると、たいして応援しなくなります。
 あたしゃ一体なにをやってるんだろうかと思うこともあります。(^^;)

 ふつうはさ、人間は景気がいいものが好きなんだ。勝者と敗者なら、勝者のがわにつくんだ。勝ちそうな馬に乗るものなのさ。強そうな人と弱そうな人がいたら、強そうな人の側について、あわよくば、そのおこぼれにあずかろうとするのが人間さ。

 ということはわかっているのですが、私もよくよく、へその曲がった人間らしい。
(これをいうと、うちの母が怒るんですけどね; あんたはちゃんとまっすぐ臍をつけてきたわよ! と。一般的な修辞じゃないですか母上……;;)

 しかし、私はそれでも、今回みたいに弱小球団が出てくると身を乗り出して応援してしまう。
 じっさい、こういうチームが勝つときの感動というのは、「優勝して当たり前」と思われているチームのときとは、比較にならぬものがあるのです。正直をいえば、クセになります。

 勝つことがなぜ素晴らしいのか。
 さんざんこれ、考えたんですよ。私は単純な男性原理主義者じゃないので、勝つこと自体を称揚することはない。
 勝つことそのものではない、ちょっと違うところで私は感動している。なにに感動しているのか?

 今回、レイズのリーグ優勝を見たときに、そうか、と思ったのは。
 勝つ、ということは、ひとつの「成長と、学びを得た」「形」なんですね。
 誰かを負かしたからエライんじゃない。
 なにか、課題や、困難があって、それを乗り越えた、乗り越えることによって成長した、だから、勝てる。そこに価値がある。
 勝つことに価値があるのではない。勝てるほどに「成長した」ことがすばらしいのです。……この言い方でいいのかな;;

 わざと相手に負けてもらう八百長のすえの勝利には意味などない。(ある人もいるが、ここでは論外とする)
 勝つというのは結果に過ぎないが、その結果を得る、得られるように「なった」ことが、素晴らしいのだ。
 だからこそ、対戦相手への敬意が大事なんだな。とも、思いました。

 日本の武道では基本的に言われることですね。対戦相手に敬意を払うこと。勝ったからって、相手を侮辱する態度を取るのは「下の下」であると。(この点で、《世界標準》は下の下なんだよなあ…見てて気分が悪いんだよね外国の応援は)
 
 そういえば以前、「トリビアの泉」で、あれは高校生でしたか、剣道の公式戦で、勝敗がついたときガッツポーズをして、相手を侮辱したとみなされ、「反則負け」となった例が取り上げられていましたね。(参考:全日本剣道連盟『試合審判規則』)
 ……あれって外国の人に理解できるかなあ。というか、日本人にも理解しない人は、少なからず、いそうではある……。

 オレは勝ったぞざまあみろ。オレが勝者だ偉いんだ。――これが男性原理。
 しかし、ものごとってそんな単純じゃない、というのが、私の見ているところです。

 勝つことがなぜこれほどに難しいのか。
 そしてなぜ、感動するのか。

 なにしろ、敗者には見向きもしないのか、というと、少なくとも私はそうじゃないですから、勝つことだけに意味を見ているのではないのことはたしか。
 敗戦について「残念」と思い、悔しい気持ちもありつつ、でも、本当の真剣勝負、全身全霊を傾けた挑戦そのものには、やっぱり感動しちゃうんだよなあ。

 勝利が、学びと成長の形ならば、敗戦もまた、その人の学びと成長のかたちだと言える。
 そして、勝つことも負けることも、「次のチャレンジ」の形。
 外から見たときの単純な「結果」と、本人の内心の満足とが、必ずしも一致しないのは、だからなんだな、とも、思います。
 なにか、誰かが、成長し、「伸びて」いく姿はやはり美しい。困難に直面してのたうちまわり、そして壁を突破したとき、そこに本当の充足がある。

 充足、満ち足りるとは、すなわち幸福のことですから。
 幸せな人を見ると、見ているほうも幸せになる。(ならないどころか、それを妬む人もいるが、それはここでは論外とする)

 そういうことなんだなあ、と思った、今年のレイズでした。

 逆にいうと、それほど、チャレンジ(=困難、難題)を通して成長するということは、実現が難しい、つらい、ということなんだなと、わかるわけですが。(^^;)
 この世にある人はみんな、自分なりのチャレンジがあるはずなんで――そのチャレンジのなかで成長した人を見て感動し、困難の向こうにいく素晴らしさを教えてもらい、「私も頑張ろう」と思う。
 そういうことらしいです。
 私の場合ですが。(^^ゞ

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 うーん、いよいよ寒さがやってきましたね。
 皆様も、どうぞ風邪などお召しになりませんようにお気をつけて。

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持ってっけ~♪

 買ってしまいました。
 マクロスF(Frontier)の、サウンドトラック。2枚ありますが2枚とも。(^^;)
 私は楽天さんで買ったのですが……もしや、Amazonさんで買った方が安かった……???(ちょっとだけど)

マクロスFO.S.T.1 「娘フロ。」(こちらのリンクは楽天市場さん)

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菅野よう子
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 CDが届いて、iTunesでアルバム、曲の情報を取得っつーのを初めてやってみたのですが、………便利ですねえ。一瞬だ~。

 音楽、というか、歌が重要な要素になるマクロスですが、今回のマクロスFについてはとくに、楽曲が評判になりました。
 アニメの劇中歌とは思えぬ売れ方をしちゃったんですね。(^^;)

 しかしたしかに、アニメどうこうとは関係なく、ふつうに、ドライブのお供にしたい感じでございました。
 着うたフル(R)で「ライオン」「ノーザンクロス」をDL、さんざんケータイで聞いて、「買うか……」と決めました。

 歌にはどれも「いかにも劇中」感がなく、よーするにJ-POPですわなという感じ。
 ランカ・リーこと、中島愛さんの歌は、なんか、本当にアイドルっぽいので……いや、なんとなく懐かしさを感じるということは、昔のアイドルっぽい、ということか。(^^;)
 中島さんの歌はごく素直で可愛いですv

 私が「買おう」と思ったいちばんの理由は、「歌シェリル」ことMay'nさん(これでメイン、とお読みする)ですねえ。
 シェリルの「トップアーティスト」という設定にふさわしい楽曲ばかりですし、……うーん、やっぱり上手いな。聞き入ってしまいますついつい。
 ノーザンクロス、ダイアモンドクレバス……これは泣ける;;
 デュエットになっていますが「トライアングラー」も、なるほどこの人が歌うとまた違うな……と感心しました。
 聞いた回数は、他の曲よりも圧倒的に少ないはずなのに、「き~みは誰とキスをするぅ~♪」が、頭にこびついて離れない;;(←デュラン効果)

 ちなみに、坂本真綾さんのバージョンでは「君は誰とキスをする/わたし/それともあの子」となっているのが、ランカちゃんとシェリルのデュエットバージョンでは、
「君は誰とキスをする/わたし/それとも わたし」
 と、ランカちゃんとシェリルそれぞれがパートをわけて「私」と聞いているのが、ちと怖い;; ………頑張れ色男……;;

 同じ曲でも、歌っている人が違うとか、サウンドトラックなので、アレンジが全然違うとか(アカペラで歌っている設定の場面とかね)、少しずつの、でも大きな、それらの違いを楽しむこともできます。

 サウンドトラックということで、番組中に使用されたBGMもちゃんと(?)入っていますが、そうか、ほとんどがオーケストラ曲だったんだ…! とあらためて気がついて、その贅沢さにちょっとびっくり。
 重厚さがあって、こちらも聞きごたえがあります。番組を見ているときはじっくり、曲に注意を払ってないからなー。あらためて聞いて、おお、と感動してみたり。
 ブックレットの解説にあったんですが、「ヒーローは軽快に3拍子、ワルは4拍子で表現してある」んだそうで………、(聞いて)……あ~。なるほどね~~。

 iTunesでまたあれこれと、自分のプレイリストつくってCDに焼いて、車に積んでいくんだ♪ と、ちょっと楽しみにしています。じっさい、ぜひドライブのお供に、という感じなんで。

 いや、おすすめするとかしないとかって話じゃないんですけども;;
 アニメの楽曲CD買っちゃうのは私にはけっこう珍しいことなので、つい書いてしまいました。(^^;)
 
 最終回をもりあげに盛り上げた、ランカとシェリルの歌の競演、「娘々(にゃんにゃん)サービスメドレー」はあらためて聞いても、いいですよ~。アレンジが面白い。
 ランカちゃんの「星間飛行」の「キラッ!☆」が可愛いです。(^^)

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読書週間なので

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 最近そういえば、本の話を書いていません;
 本を読んでいないわけではありませんが、読むペースがやけに落ちているのは事実ですねえ;; いかん。
 着付の勉強でぶつぶつやっているのと、これに疲れるとつい音楽を聞くとかDVDを見るとかに流れてしまうし。

 そんななかで心の癒しになったのはレイ・ブラッドベリ、「夜のスイッチ」。
 アメリカでの発行は1955年ですが、日本で発行されたのは今年になってから。




 絵本ではありますが、でも子ども向けという印象でもない。小学生なら読めると思いますが、孤独、偉大、といった、ちょっとカタイ単語が出てくるので、純粋に子ども向けという印象にはならないです。……これはどっちかというと、訳文の問題ですかね。(^^;)

 スイッチは、「明かりをOFFにする」のか「夜をONにする」のか。
 とてもやわらか~い発想で、すてきです。
 ああ、いいなあ、ブラッドベリは…。
 この本を夜に読んでいると、本当にしみじみ、楽しくなります。(^^)
 しみじみ楽しいって、へんかな。でもそんな感じ。じんわり幸せv

 あと、これはまだ読書中なのですが、なかなか面白い。「サイエンス・イマジネーション」。

サイエンス・イマジネーション 科学とSFの最前線、そして未来へ
小松 左京
4757160399

 昨年、2007年の第46回日本SF大会/第65回世界SF大会での、シンポジウムを書籍化したもの。
 じっさいの科学と、SFとの相互の関係について、その発展性について、あるいは科学者の側からの問いかけもあり、なかなか面白い。
 読了したらちょっと書いてみたいと思います。
 まだちょこっと読んだだけなんですが、最先端の科学においてさえ、ひとの「想像力」「創造力」が大事なんだなあと思います。

 目に見えないもの、科学が実証しないものは認めない、という、「科学教信者」さんよりも、よほど、トップの科学者は想像力(イマジネーション)が豊かですね。そうでないと、自分の研究テーマを見つけることができないから、まあ、当然と言えば当然なのでしょうが……。

 で、現在、寝る前に読んでいる一冊はこちら。「イタリア遺聞」。

イタリア遺聞 (新潮文庫)
塩野 七生
410118108X

 もう何度目の再読になるのかわかりませんが。(^^;)
 塩野七生さんについては、受け付けないひとは本当に受け付けないらしいですが、私は好きです。
 私がみるところ、塩野さんの特徴のひとつは、まさにイマジネーションの力。
 15世紀のイタリア語、しかも方言で書かれている文書を読む、というのには、私などはひれふす以外に何ができようと思ってしまいますが、それ以上に問題なのは、そうやって文字を読みながら、当時の人々のようすが脳裏にはじつに生き生きと映し出される、その能力。

 梅原猛先生もそうですが、本当は、なにかを「読む」とは、こういうことなんでしょう。
 小説よりもさらに、じっさいの文書(味気ないはずの公文書や法律、条例)や手紙を読み解くのに必要なことは、その文字からイマジネーションによって、「見えないはずのものを眼前に見る」こと。
 この能力がなければほんとうには、「読む」ということはできないのだと思います。
 
 そのイマジネーションによって活写されたものを「それはようは“フィクション”ではないか」と批判する人もあるようですが。
 ――それがどうした。(←『宇宙最強の言葉』)

 これは半分くらいはヤケクソの意見ではありますが、我々は、ひとりひとり、自分が生み出すフィクションの世界からは抜け出せないのです。主観と呼ばれるもののことですがね。
 我々は所詮、この世のありのままを見聞きしているのではない。自分なりの理解や判断や思い込みやこだわりやささやかな経験や好き嫌いといったフィルターを通してしか、つまり「色眼鏡」によってでしか、この世を見ることはできない。(色眼鏡をはずしたり、色を変えてしまえる恐るべき人々もいるけれど、人数は多くない)

 そういうなかで、特にすぐれた感性、霊感によって、鋭い洞察や、「面白い」イマジネーションを示す人は、やはり貴重ですよ。好き嫌いはしょーがないですけど。

 ………そんなことをあらためて思ったりして。(^^;)

 私が持っているのは新潮文庫版なんですが、解説が佐々淳行さん。
 佐々さんも見識がある方なので、その解説っぷりも楽しい。
 のですが、塩野さんの、「男性にたいする理解力」に感心していらっしゃるのには、なんとなくニヤニヤしてしまいます。

彼女は女にはわからないはずのこの戦士たちの心を、なぜか理解しているのである。

 ねえ。どう思いますこの感嘆ぶり。
 女にはわからない? そうかなあ。
 私も戦記物を読んではそういうものをべつに抵抗なくイメージしてきたから、「わからない」というのは誤解だと思います。
 わかりますよ。その死にたがりと殺したがりと見栄とねっとりした精神性は。
 ただ、塩野さんと、たとえば(まことに僭越ながら)私の“理解”に差があるとすれば。

 塩野さんはそういうものを、理解した上、さらに「共感」できる。そういう感性がある。
 しかし私は「言っていることはわかるが、馬っ鹿じゃないの」になるわけ。

 理解、という言葉に「賛成」「好意的」「共感」の意味までは、私は込めません。
 理解する、ということと、それに同意する、ということは、別だと思っています。
 世の中、理解すればするほど、いやになることというのもありますのでね。
 
「女にはわからないはずだと男が思っている世界」に、なぜ共感できるのか、不思議に思えるというのが私の本音ですが。
 さりとて、塩野さんが「女らしくない」ということでは全然ない、というのは、トルコのスルタンの寵妃を描いた章を見ればわかるわけで、こういう感性が、見ていてまったく面白い。

 そういえば。
「ローマ人の物語」。
 気軽で楽しく読めるエッセー「イタリア遺聞」にたいし、「ローマ人の物語」は本当に硬派な論文(集)ですが、歴史を学ぶとはこういうことだ、と、つくづく思います。
 私は自分が興味あるところだけを読んでいるのですが……文庫版も出たことだし、少し真面目になって全巻読破をめざそうかな。
「イタリア遺聞」から、かたい論文のことを思いつつ、そのまま夢の中にはいっている最近です。(^^;)

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状況

 株は記録的な株安、一方では常識はずれの円高。
 おかしいじゃないのそんなの。と、みかんの皮をむきながら言ってみる。
 じっさい、おかしいですけどね~。どちらも、じっさいの経済状況(実体経済つーんですか)を反映しているとは言いがたい。
 ファンドの現金化がとまらないんだそうです。

 なにもそこまでガタガタしなくてもいいんじゃないかと私は思うのですが(とくに日本の場合)、でも、私はもとから、充分な知識も「こころがまえ」もない素人が、半端に手を出すことには反対だったので――実体経済とからめて状況を冷静に判断することができないならば、こういうことで心臓がこわれそうな思いをしているのならば、健康にも悪いことですから、そういう人々にはここで手を引いてもらう方が、「市場の健全化」にとってもよいことではないかと思ったりもします。

 ………バブルの頃、個人投資家とやらが、証券会社に、かげでなんて呼ばれていたと思います? 「ゴミ」ですよ「ゴミ」。
 それがバブル崩壊後は個人投資家を取り入れていままでやってきた。
 結局、プロから見るとしろうとなんて、いくらでもだませるし操作しやすい、ということなんだろうと思います。
 しろうとは、そういうことも承知の上で、本当は、関わっていくべきなんでしょうね。

 ところでこの株安、(いまのところは)じっさいの経済状況を反映しているものではないので、もし、株をお買いになりたい方がいらっしゃるなら、いまはまさに買い時でございましょう。じっさい、ここで逆張り――株を買いに出ているひともあるそうで。
 なんにしても、しばらくは静観するしかないんでしょうね。

 投資はべつ。しかし「投機」はならぬ。――という、松下幸之助翁の言葉を、やけに思い出すこのごろだったり。

 本来の意味での「投資家」なら、ここでガタガタすることはないだろうと思ってみています。……心臓に悪いことは、変わらないでしょうが。(^^;)
 このまま株価がさがるということはない。永遠にこのままということはない。よくも悪くも世の中は動いていくのですから。いまの状況が「すべて」ではないでしょう。

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それぞれに楽しんで

「襤褸(ぼろ)は着てても心は錦♪」という歌がございますが、今月号の「Sakura」は、その錦織の特集記事がありました。
 お能の装束のひとつ、唐織(からおり)も、錦になるんでしょうか……、あれも美しい装束です。錦の御旗、故郷に錦を飾る、錦秋、といった言葉にもあるように、「錦」とは、非常に立派で美しいイメージの織物ですね。
 今年6月に、見に行った西陣織もすばらしいものでしたが、しかしつくづく……、こういうものって本当に素晴らしいし、後世に伝えてほしいとも思うのですが、庶民としてはなんのお力にもなれず、申し訳ございません;; という気持ちになります。(--;)
 じっさい、美しい。こんな織物で帯を作れたら素晴らしいだろうとも思うけれど、お値段がそれ以上に素晴らしい。私などはそのまま昇天しそうです;;
 けれども、その材質や、かかる時間、手間、そして職人さんのそれぞれの技術と、その育成といったことを考えれば、けっして、「高い」値段ではない。

 だから。
 私は、お金持ちはいてくれないと困る、と思うのです。
 正当なものに、正当な代価を支払える人々が必要です。世の中には。

 またくだらないマスコミが、日本の首相がホテルのバーで会合しているのが、高いの安いのと、本気でくだらないことを言ってますが(もはや怒る気力も失せた……)。
 いいじゃんか、お金があるんなら。
 税金や業者にたかる役人に比べたら、よっぽどまともでしょうが。

 有名ホテルのバーの、カクテルが、たとえば一杯で二千円くらいするとして、それは私にとってはかなり思い切った値段ですが、財力のあるひとなら、私がそのへんの自動販売機で120円のペットボトル飲料を買うくらいの感覚になるでしょう。
 そういうことの、なにがいかんのか?

 お金持ちがいてくれないと、経済が成り立たないところもある。
 
 錦織、西陣織、友禅染、螺鈿細工、漆器、和紙……こういった伝統工芸の話を聞くと、後継者問題のことはべつにして、「市場」が維持できなくなり、必然的に、そういう工芸品も、風前の灯なんて事態を感じたとき、私はつくづく、庶民であることが悲しい。
 ふだんは庶民であることを楽しんでいるくらいですが、ああいうものを見たときだけは。
 こういう伝統を継いでいくには、どうあっても、職人さんがそれで食べていけるような市場が必要だし、その市場は、残念ながら、庶民の我々には支えようがないんですよね……。

 そういうことを考えると、お金持ちを嫉んでる場合じゃないよと思います。
 庶民が顰蹙(ひんしゅく)すべきなのは、お金持ちであることではなく、お金持ちが、そのせっかくのお金を有効につかっていないこと、吝嗇(りんしょく)であること、ではないのか。
 吝嗇、けち、というのは、これも「貪り」の形態なんで。
 使うべき金を使えないケチは、その経済力の規模とは関係なく、やはりそれも「貧しさ」なんですよね。
 貪らざるを以て宝となす、というのは、事実だと思う。庶民金持ち関係なく。人として。

 すばらしい錦織の写真を拝見しながら、そんなことを思っておりました……。
 じっさい、お金持ちがちゃんとこういう市場を支えていてくれたら、私のような庶民は安心して、B反やらネットでの「在庫処分」やらを、庶民の市場として楽しめるというものなんで。
 よろしくお願いしたいです。

 きものについては。
 そんなわけで「Sakura」11月号の、「きものとわたし」のコーナーは、俳優の山本耕史さん。
 ただいまNHKで「陽炎の辻」第2シーズンが放映中ですが、あの磐音さんの装束でご登場。
 ああ………目の保養……v

 山本さんがインタビュー中で、きものって、もっと柔軟に楽しんでいいのではないかという主旨のことをおっしゃっているのですが……本当にそうですねえ。
幕末の坂本龍馬なんかの写真を見ても、昔の人はもっと着方がラフでしたよね
 たしかにそうですね。袴にブーツの草分けですねあの方。
 ほかにも、当時の写真を見ると、いまの着付の先生には叱られそうなものが多々ございますね。
 着付じゃないんですが、私が、じつは印象に残っているのは、当時の女性の写真、みなさん必ず、袖の中に手を隠していること。あれ、当時の作法なんでしょうか。だらしなく手をむぞうさにしているよりも、つつましやかで美しいしぐさに見えます。
………けど、現代人がやると、かえってへんに思われるかな……。

 正装は、これはもう「格」の決まったことですからきちんとしておきたいのですが、日常着としてのきものは、もう少し、ラフに楽しんでもいいかもしれません。
 きものを着て歩くたび、「すてきですね」と褒めていただけるのはそのままに、「今日は何かあるんですか」とは聞かれずに過ごせるようになるといいなと。(^^;)
 それが、いまの私の希望です;;

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来た来た♪

 拍手下さいました方、ありがとうございました♪ (^^)
 なんか……暑いです…;;
 いまって…10月下旬ですよねえ……??

       ●

 一ヶ月ほどもかかると聞いていたのですが、今月の頭にお願いした、「袷の長襦袢」が届きました♪
 ちゃんと裏地がついてます……写真でわかるかな?
awase-juban.jpg

 なんか、荷を開けるときってわくわくしますね。(^^)
 で、とりだして、羽織ってみましたが、やっぱり総裏だと温かいですねえvv
 祖母の作ったという袷の長襦袢も温かいのですが、やはり、40年前(!)のものとでは違いますね。(^^;)
 祖母のは、もう地襟がくたっとしているくらいだから、やはり、生地そのものが痩せてしまっているのかも……うーん。

 今回お仕立てをお願いしたところは、その地襟に、すでに衿芯があるみたいにしっかりしているので、なんか、感動しました。衿芯ではないと思うけど…半襟つきv だし、新品のうちは、このまま、衿芯や台芯を使わなくてもいけそうなくらい。
 ネットのお店で見つけてお願いしたわけですが……このお値段でここまでしていただけるのか……。
 ……じーん……(←感動)

 さすがに総裏、袷ですね、きものを一枚、きるのと同じ感覚ですね。だから温かい。
 ああこれなら冬にはいいなあ、と思いました。(^^)
 無双袖(袖と裾だけに、共布の裏がついたもの)というのは、本来は、真冬以外の季節、「きものが袷、長襦袢も袷じゃ暑い」、というような季節向けなんでしょうね、本当は。

 とはいえ…、「袷の長襦袢」を仕立ててくれるところって、あんまり見当たらなかったんですよね。
 なんでかなあ。裏地がべつに要るからかしら。それとも、昔よりは暖房器具もあるし、建物の断熱もいいからかしら。……寒がり&冷え性&低体温気味の私にはどちらもあんまり関係ないんですが;;

 ほんでまた。
 ただいま、そんなわけで、着付の資格取得にむけて頑張っていますが、もし、予定通りにいけば、来年4月に試験、合格すれば5月に「卒業式」があるんだそうです。ふつーにお免状をもらうだけかと思ったら、地元の宴会場(?)(結婚式場もあるけどほかのイベントにも使える)をかりて、けっこう華やかに行われるらしいです。
 このときには、訪問着などの盛装で出席となる、と聞き、思い切って、訪問着を買うことにしました。
 色無地はもっていますが、やっぱりねー……華やかさという点ではねー。んで、たしかに未婚じゃあるが振袖着るほど図々しくもないし;; やはり、一枚くらいは訪問着を持っていてもいいかなと思いまして、これを機会に。

 が。
 お稽古ごとというのはなべてこういうものなんでしょうが、受験料のほか、合格すればしたで、「認定料」とかといった名目で、お免状をもらうのに、もろもろ、お金がかかるわけです。(^^;)
 なので、総額ではけっこうなことになるので、訪問着もまた、ぐっと予算を抑えてネットで探してしまいました;;

 長襦袢といっしょにその訪問着も、仕立て前の下見、確認のために送られてきたのですが。
 ……ネットで探して充分ですよねえやはり……。
 お仕立て代、胴裏、八掛、送料、消費税までいれて、4万5千円ほど。
 いわゆるB反だって、なかなかないんじゃないだろうか。
 ニッセンさんのきものカタログにも、お安いものはありますが、あちらは、お仕立て上がりだし、胴裏とかはポリエステルなんですよね。驚いたことに今回私が見つけたのは、胴裏も八掛も、正絹だと言う。

 訪問着そのものには金銀の量が少ない、というか、ほとんどないのですが、私としては充分です。はい。
 慶事用の袋帯はあるので、それと合わせれば。

 
 訪問着や留袖は「仮絵羽(かりえば)」の状態で柄付けされるので、ちょっと羽織ってみたのですが、……やっぱり(色無地より)華やかでいいな。(^^)

 それにしてもこのお値段でこの品質。お仕立ては、さすがにハイテクミシンだそうですが、充分です。
 やっぱり、こうなると、町の、ふつーの呉服屋さんにはなかなか足が向かないよなあ;;

 ネットのお店と、町にある呉服屋さんとは……いったい、なにがそんなに違うもんなんでしょうね;;
 いや、今回の訪問着、よくよく見ると、シミか汚れか、ちょこっとだけあるのですが、本当にちょこっとだけだし、たぶん、仕立てると、見えない場所にはいっちゃいます。しかも背中なので、どのみち、帯を締めれば隠れてしまう。
 それだけのことでも、B反てことに、なるわけですかねえ。うーん。

 お店で買ったら、お仕立てをしてもらえば、十万円未満はないですよね。
 申し訳ないと思いながらついつい、ネットで探してしまう私……。
 …………。
 お許し下さい……;;(←なんとなく謝ってしまふ;;) 


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心に錦を

 拍手下さいました方、ありがとうございます~。(^^)

       ●

 なんだかなあ、と思った話。
 野球の、WBC World Baseball Classic の、全日本チーム監督人事のお話。
 星野さんが就任を辞退なさったというのはともかく、その辞退の理由のなかに、ご親族のことがあったのには、どうにもお気の毒で。(--;)
 と同時に、相変わらずの世間様に腹が立ちました思わず。

 オリンピックでも世界選手権でも、スポーツの勝ち負けというのは、スポーツの勝ち負けにしかすぎません。それ以上でも以下でもない。
 それでなくても根性論が嫌いなんですが――根性そのものを否定してるんじゃなく、そんなもんにすぐに頼る、無能な輩のもっともらしい理屈が嫌いという意味――、サッカーではもうさんざん聞かされて、ついにはちゃぶ台ひっくりかえす勢いで怒ってしまった、そういう、「ものごとをはき違えた話」には、うんざりを通り越してしまいました。

 たしかに今回のオリンピックでは、野球は残念な結果でしたが、でも、勝負なんだからしょーがない。相手があることなんだから。
 チームというのは本当に微妙なものだと思うし、女子ソフトボールの話を聞くだに、「勝ち運」というものはあると思わざるを得ない。
 実力が拮抗したら、運がいい方が勝つに決まっている。
 野球チームが良好な成績を残せなかったのは、不運だったのか実力不足だったのかは、私にはわかりませんが。
 なんにしても勝敗がどうなるかは人智の及ばぬところ。だから「人事を尽くして天命を待つ」と古人も言ったのでしょう。

 ……星野さん個人を非難するのは(かろうじて)わかる、と言えないこともないと思わないこともなくもないといったら嘘になるから言いませんが、なんで、その余波が、星野さんの娘さんやお孫さんにまでおよぶのか。
 この愚劣な行為の理由をきちんと説明できる人があるなら、ぜひ聞かせてもらいたい。

 ほんとうに世間様って、恥ずかしいですねえ。(--;)
 ノーベル賞受賞とか、スポーツなら国際大会で優勝なんていうと、急に、「恩師、親戚、先輩、友人(親友)、その他関係者」が一気に増えるでしょう。
 恥ずかしいですね、あれは。見ている方が。
 ぜんぜん関係のない他人なのに、テメエが得々とした顔しちゃって。
 じつは私、地元の人とかが「郷土の誇り」などというのさえ、恥ずかしいなあと思ってみてしまいます。
 近所のよしみで嬉しいね、というくらいならまだわかるし、お祝いは、ぜひ盛大にしてあげてほしいけど。
 なんで人様の名誉に自分が乗っかろうとするのか?

 で、星野さんのご親族の件です。
 なにかあると、こういう見境のない「いじめ」をする人間の精神って、ああいう「おこぼれにあずかりたい精神」と同じなんですよね。ポジとネガの違いだけ。

 とにかく自分の名誉欲を(勘違いによって)満たしてくれるものにすりよる。
 自分と他人の区別がない。

 自分は何もしないくせに、勝手に感情移入して、勝手に自分が関係者になった「気分」になって(妄想だ)、「部外者」のくせに、じっさいに頑張った人を罵って楽しむ。
 現実と妄想の区別がない。
 
 こういう、精神の貧乏人というのは絶滅しないものでしょうか。

 みずはらもずいぶんひどいことを言う、と思われるかもしれませんが、精神の貧乏は、見過ごしてはならないと、じつは思っているのです。なんでかというと、お金がない貧乏はうつりませんが、精神の貧乏は、わりと伝染しやすいからです。

 どうしてなんでしょうね、人間て、高潔なもの、有徳のものにはなかなか同調しないのに、下劣、下品なことには、わりとさーっと流れていく。
 また始末が悪いことには、そういう人間は、その下劣さを指摘されると怒るんですよね。逆ギレっていうんですか。
 ……人間、本当のことを言われると腹がたつものだというのはわかっているけれど。
 でも結局、そういう下劣なものになじむことで、損をするのは自分自身なんですから、腹が立っても、気がついたら、踏みとどまることをおすすめしたい。

 できるだけ、その感染の範囲が広がらないうちに、下劣なことは下劣だと、はっきりラベルを貼っておくことで、いちおうの予防を試みたい、と思う次第です。

 なんにしても。
 星野さんにはお気の毒だと思っています。
 予選のときはあんなにおだてられていたのにね。
 二階に上げておいてはしごを外す。星野さんがおっしゃるとおり、そして落ちたところを叩く。――最低ということばさえ間に合わない最低ぶりです。

 ところで、WBCがらみの記事を読んでいると、リベンジ revenge、という言葉が使われているのですが、リベンジというのはこの場合、当てはまらないんじゃないかなあ……。
 いいとこ、「リターンマッチ」じゃないでしょうか。

 じつはけっこう以前から密かに気になっていたんですけども。(^^;)
 リベンジは「個人的な恨み」による復讐。
 今回みたいに「オリンピックのリベンジとして、WBCを位置づけることは……」などと言われると、なにがそれほど「恨み」なのか、ちょっと不思議に聞こえます。
(不正行為によって被害を受けた、それにたいする報復――敵討ち――はアヴェンジ avenge ですが、オリンピックで負けたのは、べつに不正による被害じゃないし……)
 やはり、この場合、言うならば「リターンマッチ」だろうと、私は思っているのですが……。

 例によって重箱の隅をつついてしまって………すみません;;
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 福岡県で、亡くなった方の身元を間違えて確認した…というニュースがありましたが。
 身元を確認し、火葬後、亡くなったはずの人を見つけた、というのは、いったいどういう事情でそうなったのか、アウトラインを聞いただけではわかりかねますが、聞いた瞬間、思い出したのは古典落語でした。
 粗忽長屋(そこつ・ながや)。
 そんなことを考えて笑いそうになっているのはきわめて不謹慎なのですが――世の中、そんなことが本当にあるんだなあと、………感心したというとヘンですが……。(^^;)

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 昨日の記事でぶつくさ言っていたことの補足。
 ――そんなわけで、ある時期、私としてはもう相当、投げやり、ヤケクソ、自爆寸前にクサクサしていた時期があったわけですが、それでも、へんなふうに爆発しないですんだのは、友人のおかげでございました。

 ひとさまに気遣いはするとしても、だからって自分を曲げる気などさらさらない(…ないですねえ…)私ですが、それにしても、あまりにも異なる考えを言われ続ければ、さすがにメゲてきます。
 それでなくても自分で勝手に内圧たかめて爆発しやすい体質(?)なので、このへん、けっこう危ないのですが。
 でもそういうとき、身近にいる友人とは意見があった、ということが、考えてみたらすんごい救いになってくれたんですよね。

 考えすぎて迷路にはいりこみそうになったとき、隣りにいてくれた人に、ぽんと肩を叩かれて、はっと正気に戻ることができた――そんな感じです。
 そうなんだよ、わかるよ。と、気持ちを分け合えることって、ありがたいことですよね。

 あたまに血が上ってどうにかなりそうなとき、思い返せばじつにいいタイミングで、「そうなんだよ~」と言ってもらえました。
 そういう友人たちが身近にいてくれたことに、感謝、でございます。
 身近すぎて、ついうっかり、その場ではありがとうと言い損ない、あとからこんなところで、こっそり言っている、というのが、どうも困ったもんですが;;

 ただ、あらためて考えて、ああ、ありがたいなあ。と、しみじみ思いました。
 いろんなことを努力はしますが、人に出会う、ということだけは、自分の努力だけではいかんともしがたいものであることを思うと。
 人とのご縁というのは、やっぱりありがたいものなのだと思います。思わず合掌。

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