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2008.04.30 (Wed)

今朝の鉄線

20080430104313

拍手くださいました方、ありがとうございました。(^-^)

写真は今朝撮影した、うちの今年最初の鉄線です。

この花が咲くと、春というよりもそろそろ初夏、一年でいちばん好きな季節だなと思って嬉しくなります。

私は今日もう1日頑張れば、ようやく少し落ち着く予定。
日曜日はスパコミだ!というのを励みに頑張ります。

もうちょいもうちょい。
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2008.04.29 (Tue)

休日ドライバーズ

 昨日は日記をお休みしてしまいました;
 拍手くださいました方、ありがとうございました。
 お礼が遅くなって申し訳ございません。m(_ _)m

     ●

 黄金週間で、まさに黄金のお休みの方ってけっこういるのね、と、昨日は私、かえって仕事に追いまくられ、銀行ではぶんむくれておりました。
 いや、むくれてる場合じゃない。世の中にはもっと大変なお仕事を黙々とこなしていらっしゃる方は大勢いるのだ。と自分で葛藤。

 ……うちの休みは黄金週間と言えどカレンダー通りでございます。休みをはさむから、かえって忙しかったりするのでございますよええ。

 それで急いでいるのに銀行へいったらまあ……なんだか大変な人だかりで。
 駐車場は、田舎のこととて、来る客はみんな自動車ですから、それなりに広さはあり、普段ですとかなり余裕があるのに、昨日はほぼ、満車状態。

 これはひがみだ、ひがんではいかん。と自分に言い聞かせたものの、「休みで余裕があって銀行へ来る人よりも、仕事で銀行へきているほうを優先してもらえませんか」と、ほんっっとーに言いそうになってました;;
 窓口のおねえさんたちが文字通りてんてこ舞いになっているのをみれば、そんな言葉はすぐに引っ込みますけども。

 窓口ですらそんな有様ですから、ATMのところなんて、年末以外みたことないというくらいの長蛇の列になってました……。うえええ;;

 行楽客とビジネスの人間の両方がいると、ほんとにもう、どうにもならんな。と思うのは銀行もですが、国道なども同じですねえ。
 ここだけの話、私、休みの日に車に乗るの、じつは、かなり嫌なんです。平日にくらべ、マナーが悪い車が多いから。

 銀行の駐車場もすごかったですよ……。とにかくそんなわけで満車に近い状態で、そのうえ、出入りが激しいんですよね。
 30分以上もかかってようやく片付いて、さて帰るべ、と車に乗り込みましたら。
 私の目の前で、車3台がいっぺんに、出ようと動き出しまして。
 それがどれも、てんでの方向に勢いよく出ようとしたから、私は他人事ながら、きゃーっと叫んで目をつぶってしまいました。絶対ぶつかった! 事故だ! と思って。
 しかしなんとか、みなさん、ほんとに最後の理性は残っていた、って感じでそれぞれ、まさにぎりぎりでとまってました。
 そうなるとまた、お互いに進行方向をふさぎあう格好になって、大変そうでしたが、なんとか、出て行きました3台とも。
 ――まったく。
 なんで私が他人のことで心臓バクバクにならなきゃいけないんだろう;;
 これだから嫌なんだよ休みの日は!

 マナーもなにもあったもんじゃない。法律で「ほかの車に進路をゆずってはいけません」と定められているとでも思ってんじゃないのアンタ! とわめきたくなることは本当に多いです。

 ………やだなあ。みんな、なにがそんなに欲求不満なんですかねえ。休みの日なんだからゆっくり走ればいいのに。(--;)

 田舎は自動車がないと本当になにもできません。なので私も仕方なく運転はしますけども。
 ――人間の反射の速度を考えると、人間が、自動車なんてもんを乗り回すのって、絶対、「科学的に」間違っていると私は信じております。

 夢は、自動車じゃなくて「全自動」車。
 人間が運転しなくても、機械が運転してくれる。というのがいいな。
 車間距離も適正速度もきっちり守って走るがいいや。
 そんで、マナーが悪くて素行が悪い人間がなんかぐだぐだ抜かしやがったら、高電圧ショックでもかけてやりゃいいんだ。

 ――と。
 むやみに危険運転をする「ホリデードライバー」に腹を立てつつ、そんな妄想で気を紛らわせてみました。(^^;)

 じつは今日も、午後から車で出かけるのです……。
 無事に帰って来れるかどうか……祈る思いです;(本気)

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2008.04.27 (Sun)

なんば走りのおすすめ

 拍手くださいました方、ありがとうございます。m(_ _)m

 本日お出かけのため、日記はまた、前日夜に予約投稿しております。m(_ _)m

 NHKの時代劇は、かねて聞いていた通りに、木曜日から土曜日に移動した上、放送時間も短くなって30分となりました。
 ということで「オトコマエ!」みております……が、昨日は見損なった;;
 あ~あ、とがっかりしてていたら、BS hiで午後8時から「伴大納言絵巻」でして、面白かったです。(^-^)

 あ、そうじゃないや…そんなわけで「オトコマエ」ですが。
 遠山の金さんが柴田恭平さんてところが、あぶデカ世代としては大喜びなのでございますが、ともあれ。
 主人公のふたりが、若いだけあって無駄に走ってますね~。(^^;)
「若いねえ」とそっちのほうに思わず感心してしまいましたが、とにかく走っているお姿をみて思い出したのがこちら。

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甲野 善紀


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 たま~に高校野球の入場行進で、右手右足が同時に出てしまっている少年を見かけますが、あれ、じつは、明治までの日本人にはあれがあたりまえの動作だったんですね。
 現在の我々は、歩く/走るとき、右足がまえにでれば左手がまえに出ていますね。
 しかし、日本伝統のしぐさは、右足が出れば同時に右手、左足が出れば同時に左手が出ます。
 ちょっとびっくりしますが、やってみると案外、楽なんです。なぜかというと、こちらの本の著者、甲野さんによれば「体をねじらずにすむから」とのことで、なるほどね~と感心。

 そういう、体を左右にひねらず、体幹をあくまで安定させて走るのを「なんば走り」というそうです。これ、陸上の末續選手が取り入れたとかで、聞いたことがある方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。
 
 で、ですね。
「オトコマエ」の二人が走っていると、どーにも動きにくそうなんですよ。
 左腰に大小を下げて走るとなるとそれだけでも大変そうですが、現代走りのせいで、体が左右にねじれるもんだから、走る振動と、刀が揺れる振動と、体の揺れとで、まあなんだか………がちゃがちゃとたいへんそう。

 戦国時代なら、刀や槍を持って戦場を走り回ったんでしょうから、やっぱり、あれじゃ、いくら(平均)二時間ほどで戦闘は終わったといっても、無理っぽいですねえ。

 せっかくの男前の激走シーンですが、どうも、しぐさとしての美しさがないようで、このさい、古武術の動きをちょっと取り入れてもらったらどうかな、と思いました。刀がああも邪魔そうに見えるのは、お侍さんとしてはいかがなものかと。(^^;)
 
 そういえば、以前、マレーシアにちょこっと遊びにいったとき、私はおよそ、日本人、台湾人、フィリピン人、韓国人、中国人、……いっさい! 区別できずに大変だったんですが、現地、マレー系と思われる、レストランのお兄さんは確実に判別できていたらしいんですね。(日本人と中国人を、できるだけ、同じテーブルにはしないようにしていた;; ホントに;)
 なんでわかるんだろう、不思議だ…と思っていたら、あとで人づてに聞いた話では。
「日本人は、すりあしで歩いて歩幅が広い。中国人は、膝を高くあげて歩いて歩幅が狭い」
 とのことだったそうで。

 えー、ほんとに?! とびっくりしました……。
 でも、内股、すり足っていうのはほかでも言われたなあ。(^^;)
 着物を着ると、自然とそんな動きになるんで、洋服を着るようになったいまでも、なにか、遺伝子のかたすみに残った記憶なんでしょうか?
 私も、体を左右にひねらずに歩くというのを、こんど着物きたときに試してみようかと思います。
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10:13  |  身辺雑記2008  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.04.26 (Sat)

「一万年の天皇」

 拍手くださいました方、本当にありがとうございました。(^^)

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上田 篤


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 ということでこちらも、ちょっと面白いとおすすめいただきましたもの。ありがとうございました。

 いや~、面白かったです。
 日本人のアイデンティティとしてはどうあっても、天皇というものを抜きにしては考えられませんが、しかし、案外、自分のその「ルーツ」は、わからなくなっているものですね。

 天皇制の「男系」か「女系」か、という議論はかまびすしいものがありましたが、男系でも女系でもない、おおもとの、もとの文化を考察した一冊で、面白かった。
 柳田国男の本なども思い出されます。「妹(いも)の力」ってやつですね。

 しかしこちらの考察ではなお一歩進んで、ヒコ、ヒメ、並立の、むか~しの政体(っていうのもおかしい?)を解いていきます。
 じっさい、こういう読み解きの方が、私としては納得がいきますね。

「ダ・ヴィンチコード」と同じようだというのが興味深い。男女、陰陽、ヒコヒメを対立させて考えるのではなく、もちろん両方そろってこそこの世はうまく行く、という――私からすれば「当たり前」にしか思えませんが、そういう世界観ですね。
 
 しかし天皇とはなにか、という話はなかなか実際には難しい。
 天皇、という言葉を最初に「つくった」のは天武天皇、でしたっけ。
 そのころ、「天皇」と「みかど」と「大王」と…あとなんだっけ、そういう名称を使い分けてたらしい。
 天皇というのはEmperorというより、まだしもカソリックの教皇様のほうが、その立場のありかたは近いと思います。現実世界の政治をつかさどるというより、祈りをおもな任務にする「司祭長」という。(明治期のことはのぞきます。私はあのへん、じつに歪んでいると思ってるので)

 政治のことを古語で「まつりごと」といいますが、まさに、古代の日本においては、国の統治と、神を祀ることは不可分の意味があったわけだし。
 ――そうなるとぜひお伺いしたいのは、現在の宮中で祀っている神様は、本当はどなたなのか。ということになるのですが……。
 じつのところ、そんなことさえ、我々は知っちゃいないのですねえ。自分のルーツのことなのに。

 まあそんなことはともあれ。
 「女ならでは夜も明けぬ国」と歌い、伊勢神宮があり、かつてはべつに違和感もなく女帝が誕生していた、かつての「日本人の肌感覚」はどんなものだったのか、考えてみるのは面白かった。

 ダ・ヴィンチコードと同じような――と思って興味深かったのは、さきほども申しましたがこの世のバランスをとる、という意味で、男女同権なぞという無粋な話でもなく、相互扶助とでももうしましょうか、そんな世界観が、少しずつでも語られるようになってきたな、と感じたこと。
 私はほんらい、世の中ってそうあるべきものだと思っています。だから、男尊女卑も嫌いなら、フェミニズムも苦手なのだ。どちらも、世界のありようの本質からはズレている、と感じるからです。

 極端へ走ったがために秩序とバランスを失った世界が、それでも、もとのバランスを取り戻そうとしている、と考えると、ほんの少し、ほっとします。

 信じる信じないは勝手。しかし、自分のルーツにある精神とはどんなものか、この本を読んで「日本的、とは、本来いかなるものか」を考えてみるのは、――なんせここまで混乱しちゃった世の中ですから、たまには頭をシンプルにするという意味で、いいことじゃないかと思います。
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2008.04.25 (Fri)

近況

 拍手くださいました方、本当にありがとうございます。m(_ _)m
 寝言ばかりの日記でほんとに申し訳ない;;

      ●

 MacBookですが、だいぶ、環境も整って参りました。
 サファリにインポートしたIEのお気に入りが文字化けしちゃったのはもーどーしよーもないようです。
 仕方ないので、文字化けしたサイトを開き、あらためてお気に入りに登録。するとちゃんとタイトルが表示されますから、文字化けした方は消去。というようにゆっくり作業中。
 それでも日常、よくお邪魔するサイト様はもう支障なし。
 
 で、RSSが使えるようになりまして。(^-^)
 予想していた以上に、なるほど便利ですねえ。私はあまりネットに接続している時間は長くないのですが、でもニュースをざっと読むにはほんと便利。
 あとはRSSを発信しているサイト様を、自分の好みで登録していけばますます便利に。

 それにしても、昔は、OSXのGUIにはどーもなじめないものを感じてついついクラシック環境にしがみついてしまったのに、こちら、レパードは大丈夫、というのは不思議。
 何がどうとはいえないのですが、マックのいいところである「直感的に操作ができる」感じがちゃんとありますね。なんでかな?
 じつはWindowsユーザーのほうが、OSXの操作には違和感が少ないと聞いていたのですが……私も昔よりは窓の操作に慣れているのでそういう関係もあるのでしょうか。

 いまのところネットにつなぐのに夢中になっていて忘れておりましたが、プリンター……。つながるかなあ;;
 私がふだん主に使っているのはエプソンさんのレーザープリンター(A4)ですが、たしか買ったとき、OSXのドライバーがついていることを確認していたのですが、あのころはまだ、Power PCのみだったと思います……。インテルマックじゃどうなるかなあ…エプソンさんのサイトをみれば、ドライバーはあるとは思いますが、ダウンロードするのが面倒くさい;(←ISDN)

      ●

 着物は基本的に、着る人の体格や身長にはけっこう融通がききます。
 そこで感じるのは「大は小を兼ねる」ということでありまして、逆に、小さいとどーにもならない、というのはございますね。

 そんなわけで。
「着丈が短くてどーにもならないので、あげる」
 と、すてきな着物を一枚、いただいてしまいました……!!

 もとは違う色だったのを黒に染めたものらしいのですが、こまかく、ほんとに細かく、桜の図柄が、なんと「漆」だそうですが入ってまして。
 光があたるときらきらと、青だったり緑だったり、螺鈿のように光る。なんともすてきです。

 いただいちゃっていいんでしょうかと言ったんですが、「着られないから。要るものだったらあげないって(笑)」とのことで、遠慮なく。

 家に帰ってざっときてみたら、なるほど、私ですら、お端折がぎりぎりかな? というくらいでした。ちゃんとははかってませんが、着丈、150cmもないかもしれません。
 私にこれをくださった方も、人から譲られたものだそうで。もとの持ち主はかなり小柄な方だったようです。
 私でも、着丈はまだしも、裄(ゆき。袖の長さ)が、ちょっと短い。着ちゃうけど♪

 母に聞いたら、昔はこんなふうに、漆で柄をつけたものがはやったことがあるそうで。昭和30年代くらい。

 きものって、やっぱりいいですねえ。
 着物を着ますなんていっていると、思いがけないところから「じゃあ、これ着る?」なんて話がくる、とは聞いていましたが、本当だったんですねえ。
 母がみるとちょっと古くない? という感覚らしいですが、いまはアンティーク着物がはやっているともいえますから、帯や小物でちょっと冒険するといいんじゃないかな、と思っております。(^-^)

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10:38  |  身辺雑記2008  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.04.24 (Thu)

正真正銘、ひとりごと

 拍手くださいました方、ありがとうございます~。m(_ _)m

      ●

 いいかげんこの話題はやめたほうが…と思っているのですが、やっぱり鬱陶しいのでつい書いてしまいます。
 今朝の新聞によると、中国人弁護士が北京の裁判所にCNNを提訴、公開謝罪を求めているとか。

 謝罪を求めるというのは相手との和解を求めてのことなんで、和解するためのきっかけとして、謝罪してくれ、というのが通常です。
 和解をする気もなければ、そもそも謝罪を受け入れる気などないのなら、求めるものではございません。
 申し訳ございませんでしたと、ひとが下げた頭をさらに土足で踏みつけるのが中国式ではございませんか。(それとも相手がアメリカなら違うとでもいうのか)
 なぜ、謝罪しろ謝罪しろというのか。そこにはどんな意味があるのか。

 また、この公開謝罪っていうのがどうも……変な連想を生む。
 かの文化大革命のおり、知識人などに首からへんなことを書いた札をさげさせ、街頭にたたせていた、あの異様な光景が脳裏をよぎりましたよ私は。

 中国のこの騒ぎを、中共政府による情報操作があるからだと思っている人は多いようですが、――私も昔は一時期、そんなふうに思っていたこともありますが、違いますね。
 たんに彼らのあの騒ぎが、情報の不足や情報操作の結果なら、諸外国にいる中国人からは違う意見が出てきてもよさそうなものですが、そうではありません。
 アメリカにいた中国からの留学生が「仲裁」にはいったところ、実家は嫌がらせをされ本人は脅迫され売国奴と罵られている。気の毒すぎます。
 あのありさまをみればわかるとおりで、情報が、理由ではないでしょう。

 中華思想というものがどういうものか、私もそのしつこさと(結果的な)下劣さに、これほどひどいものかと、まざまざと見せつけられている気がしております。
 中華思想についてはウィキだけでもけっこう参考になるので――ほか、探せば、ここは日本のありがたいところで関連書籍は山ほどありますから、なお詳細を知りたければお読みになることをおすすめします。

 反日日本人や、そういう傾向がある人は「日本だって同じ」といいたがるようですが、レベルがちがう。と私はいいたい。
 群集心理はたしかにどこにでもあるが、あれほど我が身を省みない精神は、なかなか、まねしようとしてもできるものではありますまい。

 正義がこうだから私はこうなのだ、という論理ではない。私が正義なのだ、というのがその論理です。つまり、「私」がすることなら、人殺しだろうが強盗だろうが詐欺だろうが「正義」なのだ。だって「私」がすることだから。――そういう考え方。

 いちおう知っているつもりではいたのですが、ここまではっきりやられると……。もう、なんといえばいいのか。

 とりあえず、善光寺さんがあの「赤旗」に埋められるなんて冗談じゃないと思っていたので、辞退してくださったことだけは本当にありがたく思っています。
 ついでに、聖火リレー自体をJOCが辞退してくれたらよかったんですけど……。(ため息)

 個人的に中国とゆかりのあるかた、好きという方、いらっしゃるでしょうが、まことにお気の毒ですが、個人レベルではどうあれ、あの群衆となったときの中国とは、絶対に、未来永劫、「友好」を実現することはできないと思います。
 相手がその気がないもの。自分が世界でいちばん偉いのだから、友人などは(対等の存在ですから)要らないし、むしろ友人だなどといわれるのは「侮辱された」ことになるでしょう。

 じつは2002年、サッカーワールドカップのおり、ヨーロッパ某国の人には、「日本はあの国が隣りだなんてたいへんだねえ」という同情のお言葉をたまわりました。
 そういう認識、もうちょっと、欧米の方々にも持ってもらえれば幸いだな。と思います……。W杯のときの「あの国」というのは中国のことではありませんでしたが、ま、にたようなもんだ。

 おつきあいはせねばならぬ。そうであるならなおさら、相手の「特性」は、よくよく承知しておかなければならない。そう思いますね。自分たちを基準にして相手をみてはいかんのですよ。
 
 で、私個人としては、CNNの番組でいわれたというコメントを聞きましたが。
 べつに、謝罪を求めるようなもんじゃないと思う。
 ………(ぼそっと)事実じゃん。
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11:01  |  身辺雑記2008  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.04.23 (Wed)

近代の羞恥心

 拍手くださいました方、ありがとうございました。(^-^)

      ●

 長らく世間様も注視していた裁判で、死刑判決となり、ひとまずほっとしている、というのが個人的な率直な感想です。
 これで厳罰化がすすむ、とかなんとか懸念している人の気持ちが私にはわからない。
 特異な犯罪なら、特異な判決になる。……当たり前じゃないですか? なんかおかしいですかねえ、これが。
 むしろいままでの日本の司法が、「いったい、どっちをむいて、誰のために仕事をしてるんだ」ということで、あまりにも、そこに「人間」がいることを、無意識にか故意なのかはぞんじませんが、無視しすぎてきたんじゃないでしょうか。
 人間は機械じゃねえんだよ。いったい、法はなんのために存在してるんだ。司法の専門家がこんなありさまだから、「裁判員制度」なんてもんが始まることになっちまったんじゃねえのか! と、半ば以上八つ当たりで、ひとりで怒ってました。(--;)

 聞くだに身の毛もよだつ、そして吐気がするほどのおぞましさに、怒りで全身の血が沸騰しそうになる、この、あまりにも特異な犯罪にたいし――裁判官もこの判決を下すのはたいへんなことだったと思いますが、よく肚を決めてくださった思います。

 ニュースでは、「異例の判決」といってましたが、「犯罪が異例なんだから、判決が異例なのは当たり前だろう」と思いました。

 正義というものを私も否定はしませんが、しかし近代の我々は、正義とはしょせん相対的な価値観である、ということを認めてしまったんじゃないですかね。
 相対的な正義、つまり、「正義なんてもんは、じつはけっこういい加減でどーにでもなるもので、100人いたら100の正義がある」ということ。なのにそこで「絶対正義」なんて言い張るやつは、いまだ近代化されていないか、多かれ少なかれイカレてるかの、どっちかじゃないでしょうか。(近代化は必ずしも人の進歩や幸福を意味しない、ということは私も同意しますが、ここではその話は脇におく)

 矛盾する正義を、それでも、「この場合は」「どの正義を通すのが“道理”なのか」、そういう判断をしなきゃいけない、そこが近代の司法の難しいところだと思っております。

 道理、という概念もなあ…。これは正義かどうかの問題じゃないんだよね。
 私はよく、それは道理だ、とか、それじゃ道理が通らない、などというのですが、矛盾だらけのこの世の中で、通すべき筋道はそれでもあると思うし、意外にも、その筋道を示してくれるのは、正義かどうかじゃなく、道理が通るか通らないかという判断だと信じます。

 そういう意味では今回の判決は、現状の日本の司法の条件のなかでは、道理だと感じます。
 
 死刑反対はけっこう。(私は必ずしも賛成しませんが)
 しかし、それならば、けっして社会に出してはならぬ人間を、「無期懲役」といいながら7~10年で一般の社会へ出してしまう、現行の法の不備を、どーにかするのが先じゃないでしょうか。

 とはいえ……性犯罪って事実上、「更生」しない/できないんですよね……。
 基本的人権の尊重はけっこうですが、悪いけど、犯罪者の人権と、無辜の人の人権なら、私は無辜の人々の人権の保護を優先すべきと考えますよ。
 悪いことをする人と、良心的にまともに生きている人間が、まったく同じ権利を有しているなんて考え方、「悪平等」ではありませんか。それこそが不公平ではありませんか。

 しかし、ああいう、弁護団みたいな人ってそういうこと、考えないんですよね。
 近代においてまともな人間は、「相対的な価値観」というものを学んでいるので、自分の言い分を100パーセントだなんて言い張ろうとしても、どうしても羞恥心というものが働くのです。
 しかし、あの手の人にはそういう羞恥心がない。自分の言い分を毛ほども譲る気などなく、それが絶対正義だなんて寝言を言う。幼稚ですね、精神年齢が。

 ………うーん。どうすればあそこまで、恥じらいのない人間になれるんだろう。
 べつにあんなふうになりたいわけじゃありませんが(とんでもない!)、不思議に思うことはあります。
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2008.04.22 (Tue)

大衆の方向

 拍手くださいました方、ありがとうございます。m(_ _)m

 今日はちょこっと時間がどうなるか読み切れないので、日記は予約投稿です。

 ことえりのユーザー辞書、移植できました。o(*^▽^*)o
 なかなか面倒でしたが;
 OS9(クラシック環境)のことえりのユーザー辞書はシステムフォルダーの「初期設定」のなかにファイルが作られてまして、昔なら、このファイルをコピーすれば簡単に移植できたのですが、今回はそういう方法はいっさいだめ。
 ことえりのユーザー辞書を「テキストファイルに書き出す」というのがありまして、まずはクラシック環境の辞書をテキストで書き出す。
 これをレパードのことえりの辞書ユーティリティで読み込めれば話は早いのですが、これもできませんで(クラシック環境、無視されてるよなあ;;)。
 レパードの方のユーザー辞書をテキストファイルに書き出し、それを「テキストエディット」で開く。同じくクラシックの辞書を開く。で、クラシックのファイルの中身を、レパードのファイルへ、コピペして、保存。
 それをまたあらためて、レパードの辞書ツールで、テキストから辞書に読み込んで完了。
 
 ……ふふふふふふ。これでレパードの方でも、「上杉景虎」も「直江信綱」も夜叉衆も闇戦国もばっちりですぜ…!
 ほかのミラージュ用語はともかく、景虎様とかは歴史上の人物なので変換できるのでは? と思われるかもしれませんが……ちゃんと意識して探せばいずれは出てくるのでしょうが、うっかりしていると「影」虎、とか、「春」家とか、やっちゃってくれますよね~。(^^;)
 なのでやっぱり、自分の使い慣れた辞書のほうがいいです。移植できてよかったよかった。

 サファリのお気に入り、インポートの文字化けは、結局ちまちまと手入力してます…;
 URLはちゃんとインポートされてますが、どこのサイトか、というタイトルが、アルファベット以外は文字化け。
 直し方がどーしてもわからないので、手入力中です;; いつ終わるかなあこの作業……。

     ●

 「教養主義の没落」の感想についてはこっちのほうが本来、主なテーマにして話すべきなんだろうなと思いつつ、こんなところで補足的に。

 結局、学生さんが、本をいかに読むか、読まないか、という話なんですが。
 昔の学生さんは、たとえポーズに過ぎなくても(というのは言い過ぎですが便宜上)読書することに価値をおいていたのに、特に戦後にはそういうことがどんどん忘れ去られていく。
 学生はかつては「知的エリート」、「上流階級」であったものが、高校、大学が「大衆化」されて、よい意味でのエリートではなくなり、「俗化」した、というわけで。
 著者自身には、そういう、「エリート」でありえた時代への、やはり郷愁もあるでしょうし、その後の学生さんのあまりの大衆化、俗化に、お嘆きの思いもおありのごようす、とお見受けしました。

 身分社会がいいものだとは私にも思えません。ませんが、ある種の人々みたいに、金持ちやエリートやセレブを、妬んでひがんでそねんで、怨念をぶつける気にもなりません。
 花柳界をふくむ、「伝統芸能」の世界について調べていれば、かつての上流階級が、日本の文化の育成には必要な人々だったことはわかります。
 上流階級にはそれなりの意味も役割も、「ノブレスオブリージュ」もある。

 上流階級=悪、労働者階級=善、という構図には私は納得しません。もはやステレオタイプにすぎて、小説にもなりませんが、ろくに稼ぎもないくせに、酒とばくちに明け暮れ、女房子供を泣かせるようなろくでなし男は労働者階級ですもんね。あれ、善ですか? ってこと。
 
 結局、ゆがんだ人間というのは、どういう社会のどういう身分に生まれようとゆがんでるのさ、というのが私の見解です。自分がろくでもない人間なのを、他人のせいにすんなよ。そう思いますね。

 話がずれてしまいました。
 しかし身分社会が窮屈であるのは確かだし、そういう壁がなくなった時代に生まれ育った人間としては、やっぱり「機会平等」はありがたいこと、と思うのですが。
 ……壁を取り払われたなら、全体が大衆化するんじゃなく、全体で、「精神的貴族階級」へという方向へ、もっていくことはできないもんでしょうか。

 それができたなら、戦後の学生の「俗化」を、先生がお嘆きになることも、なかったんだろうなと。
 そんなふうにも思いました。

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2008.04.21 (Mon)

継続中

 拍手くださいました方、ありがとうございました。(^^)

 MacBookさわりまくりはちょこちょこ合間をみては継続中。
 それにしても起動が速いので感動でございます。まだピカピカの新品であることと、メモリが2GBあることと、やっぱり…インテルマックだからかなと思うと内心は複雑なところもありますが、とにかく速い。
 まあ、使い込んでいるうち、だんだん遅くなってくるんでしょうけれども、いまのうちは、起動の速さを楽しんでみたいと思います。

 なんせいままで、マックの雑誌なども購読しながら、クラシック環境で図々しく過ごしていたので、雑誌の付録でOSXの特集とかchips特集とか、最近ではレパードの設定詳細特集とかいろいろ、持っている、というだけでなーんの活用もできませんでしたから――もう、ここぞとばかりにいじりまくってます。
 なので日記もちょっとおろそかに;;

 まだ辞書の移植とかもしてませんが、ともあれファイアウォールの設定と、あと、コンテクストメニューの設定をしました。
 ノートなんですが、トラックパッドに指を二本乗せた状態で…あれ、なんていうんでしたっけ、トラックパッドの下にあるボタン、あれを押すとコンテクストメニューが開きます。
 Windowsユーザーさんは二つボタンのマウスになれている訳ですが、あれの右ボタンクリックに該当しますね。なかなか便利。

 私はもうトラックパッドに慣れちゃって、ノートを使うときはマウスは使いませんが…ノートでも簡単にコンテクストメニューが出てくるって、いいですねえ。

 昨夜は無謀にも、クラシック環境でつかっていたIE5.0のお気に入りをサファリにインポートしようとしたのですが、……うーん。インポート自体はできたけど、文字化けしちゃってなにがなにやら…。
 いっぱつでまとめて表示を直す方法ってないものか。

 ともあれ、MacBookのキーボードは気に入っています。これだとホコリも入りにくくていいですね。タッチ――キーストロークもしっかりしているし。

 最初にいちばんびっくりしたのは、ノートを開くとき、開閉ボタンのようなものが見当たらず、開け方がわからなかったこと;;
 思わずアップルのサポートに「MacBookってどうやってあけるんでしょう?」などと、サポート以前の問題で電話かけそうになりました;;
 仕組みとしてはきわめてシンプルだったんですね; 指をいれるくぼみがあるので、そこにちょいと指をいれてそのまま、ぱかっと開ければいいだけでした……。あほ……。

 さてそんなわけで……ブラウザのお気に入りインポートの文字化けをどーにかしたいというのと…ことえりちゃんの辞書をうまく移植できるかというのが、ちょっと課題です。

 いきなりクラシック環境からインテルマックのレパードだものなあ。ちょっと無理がありすぎるかなあ…。

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2008.04.20 (Sun)

拍手御礼

拍手くださいました方、ありがとうございました。m(__)m
一言くださいました方、ありがとうございますv 「続きを読む」からどうぞv

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11:54  |  拍手/コメントお返事  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.04.20 (Sun)

MacBook!

 そんなわけでようやく、MacBookを入手!
 ショップからは木曜日には「入荷しました」とお知らせをいただいていたのですが結局、受け取ったのは昨日。
 午後めいっぱい、設定にかかってしまいました。
 設定自体は「設定アシスタント」があるので簡単ですが、ネット接続が……。
 
 うちはいまだにISDNですので、TAっていうんですか、あれをつなぐのが…。
 以前、最後に自分でネット接続設定をやったときはOSXのバージョンは10.2でした。あのときは、OSXのほうが設定は楽だったので、今回も楽勝のつもりでおりましたんです。が。

 7年は、コンピュータの世界では超絶長い時間なんですねえ。
 10.5、レパード君は、もうぜんぜん、インターネットの設定が違う;;

 なんじゃこりゃー! と叫びつつ、「適当に」「勘で」「たぶんこういう意味だろう」と思いつつあれこれ試してみたのですが、2時間くらい、無駄に過ごしてしまいました。
 結局何がいけなかったかというと、TAのドライバー(…でいいのか)が複数あるのですが、その選択を間違えていただけ、らしいんですが。

 まあそんなわけで昨日からMacBookにべたべたさわりまくってますが、すごいですねー……。7年たったら化石かよ~と本気で思いました。

 標準のブラウザ、サファリは表示につかうのがヒラギノ明朝ですが……う、…美しい…。
 自分とこの小説部屋を表示してみたら、ふつうに横書きの書籍ページのようでした。ほ~…。
 ほかのサイト様もうれしくって思わずそのまま渡り歩きましたが、いやあ、どのページも美しい。薄墨?かな?を陰影につかっているイラストなどは、かなりその陰影の微妙さがわかって、思わずうっとり。

 まだまだ、あれこれ直していきたいのですが、いろいろあって、付属のアプリだけでも覚えるのには時間がかかりそうです。

 ちなみに本日の日記はそんなわけでMacBookからなんですが。
 ヒラギノ明朝……マジで美しい。(陶酔)
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2008.04.19 (Sat)

嫉妬

 どーもそこんとこがわからん、といまだに正直首をかしげているのが、その「教養主義」とやらが、かなり左翼思想、マルクス主義と密接に関係しているというあたりです。
 日本において知識人とやらが、なぜかみんな、左寄りばかりが目につくのは(最近は、昔よりは“改善”されてきましたがそれでもまだ)、この教養主義「ブーム」マルクス主義「ブーム」とかなり関係があったかららしい、というのはわかりました。
 あと、もうひとつには「岩波」のせいもある、というのは聞いたことがありましたが、そのへんも。(^^;)

 しかしなお、わからないんですよねー。なんで、マルクス主義が「知的」なものになったのか。
 本書「教養主義の没落」中には、それまではあまり相手にされていなかったマルクス主義が急に「権威」を帯びることになった事件についても書いてありますが……なおわからん。
 最近では聞かれなくなりましたが、昔はことに左寄りの知識人とやらを「進歩的文化人」などという言い方をすることがありまして。
 私は子ども心にも、あれがなぜ「進歩的」なのか、どこが進歩的なのか。「痴呆度」が「進歩」しているのか? と思っていまして、いまだにそこは謎のままです。

 ともあれ私が左寄りや、マルクス主義を理解できない大きな理由が「嫉妬」でございます。
 ルサンチマン、という概念がありますがこのへんの説明はWikiででもご覧いただければ。(^^;)

 ブルジョアがいかん、資本家がいかん、金持ちはけしからん、というのは、いろいろ難しい理由も理屈も理論もあるのですが、私にはどーみても、その根底にあるのが「嫉妬」にしか見えないんですよね~。

 昨今の「セレブ」ブーム、……あの「プチセレブ」という表現にはもう、思わず涙してしまいましたが、でもまあ、ゆがんで嫉妬してわけわかんねえ怨念に自分の心を蝕むよりは、すなおに憧れの目を向けているほうが、人間としてはまともだ、と思います。

 現在ではだいぶ、戦後の左寄り連中の洗脳が成功してきたとみえて、なにかっつーと不平等だ、不公平だ、あいつばかりが得をして自分が損をしている、なんとかしろ、などという、イカレているとしか思えない人種も目につくようになりました。
 話題のモンスターペアレントはまさにこれで、日教組にはおめでとうといいたい。よかったですね、戦後数十年かけて、日本人を破壊しようとひたすら努力してきた甲斐がありましたね。モンスターペアレントは、ひとつの成果でしょう。

 それにしても、なぜあれほど目をギラギラさせて、「自分は不当に扱われているのではないか」のみならず、「自分以外の誰かが、“いい思い”をしてるんじゃないか。そうなら絶対許さない」と、四方を敵とみなしてピリピリしているのか。(で、自分がいい思いをするのは全然OKなわけ)
 私にはその根底には「嫉妬」があるようにしか、見えないのです。

 なぜなんでしょう。だれかが、ほんの少しでも「いい思い」をすることが許せないのは?
 
 しかし、嫉妬というのはむなしいことですから、やめたほうがいいですねえ。
 たとえば誰かが仕事で成功したとして、それを妬み、「あんなやつ、失敗してしまえばいい」と思ったとしましょう。
 他人の不幸を願うということは、とりもなおさず、自分の不幸を願っていることになります。
 イメージトレーニング、というのがありますね。スポーツ界ではあたりまえの方法のひとつになりました。
 イメージすることは実現する。どこまで実現するかはその人のイメージ力の強さや、なにより「自己への信頼」がどこまであるかによって違いますが、ともあれ、たしかに、人には、イメージしたことを実現していく力がある。

 これはネガティブにも働きますよ、ということです。
 誰かの不幸を願って、ああなれば、こうなればいい、ざまあみろ、などとやっているのも「イメージ」です。
他人に向けていることではありますが、それを思い描く主体はあくまで自分ですから、他人の不幸を願えば願うほど、自分の意識のなかに、そういう不幸のイメージが刻まれていくのです。
 「人を呪わば穴ふたつ」といったのは、そういうことなんじゃないですかね。

 ゆえに、できるだけ心は明るく、軽く、前向きに考えるようにしましょう、というのは道理だ、と思いますよ。

 ばかみたいなことだと思いませんか。嫌いなやつのために、自分が不幸になるように一生懸命「イメージトレーニング」して、ますます自分を不幸にするなんて。

 嫉妬は、そんなわけで、それこそが「大損」です。おやめなさいよ、と――あらゆる道徳も、宗教の「戒」でもいっているのは、結局それが人を苦しめ、誰のためにもならないからです。

 しかしその嫉妬心、「逆恨み」の気持ちを正当化し、それをこそ実現しようとしているのがマルクス主義。
 そんなもんが成功するわけナイじゃない、というのが私の見解です。
 他人の不幸を願う、つまり自分で自分を不幸におとしいれる精神から、いったい、どれほど素晴らしいものがうまれるというのか。
 これまでのところ、本当の意味できちんと実現された社会主義共産主義国家はありません。私からみればそれは当然のことです。

 しかし、私などよりはるかに知能指数が高い、頭のいい人々が、なぜ、この程度の理屈に気づかないのか、私は不思議でしょうがない。
 せっかく優秀な頭脳をもっているのだから、もっと建設的に使ってほしいです。

 こういう次第ですから。だれになんと説明されようと、私がマルクス主義を「理解」することはないでしょうし……率直にいうと、理解したいとも思いません。
 ネガティブなイメージトレーニングなんかしたくないやい。

 そんなわけで、なんでこういうものが「知的」扱いされたのかが理解できない。
 教養主義の没落、は、そんなわけで………どうも、ピンと来ないまま、というところもありました。(^^ゞ
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2008.04.18 (Fri)

「教養主義の没落」若者文化

 拍手下さいました方、ありがとうございます~。m(_ _)m

       ●

 やっぱり、本をひっくり返しひっくり返し、悩んでおります。
 なんでこう、「これについて書こう」というのがつかみにくいのか。

 教養はそれとしても「主義」がくっつくと、なにそれ、どういう意味? ということになりますが、ごくごく簡単にいうならば、「(古典や哲学思想などの)読書を通して人格形成を目指す」こと、のようです。

 著者は時系列にしたがうのではなく、戦前と戦後を行きつ戻りつしてその「教養主義」を語るのですが、これが、やはり私にはわかりにくいのです。
 それは著者にはちゃんとした意図があってのことなのですが、……私にはやはり理解しがたいものが;;

 何を言っているのかわからん、となってしまう理由のひとつは、もう身も蓋もなくて申し訳ないのですが、私自身が、教養主義だろうがなんだろうが、とにかく「若者ファッション」にはてんで興味がないから、のようです。

 いきなりここで若者ファッションなどというと、また話が飛躍していると思われるでしょうが……私の目にはそのようにしか映りませんで;;
 若者はいつの時代でも斜に構える。旧態依然の「体制」に、反発してこそ己の存在意義が確認でき(なんにでも反対する政党みたいなもんです)、そういうやつが「かっこいい」とされる。
 それも、社会人になるための、ひとつのステップ、一種の反抗期とでもいうべき「成長過程」なのでしょう。
 が。
 ……昔だろうが最近だろうが、私はそういうものに興味なくて…;

 むか~しの学生さんたちには、読みもせぬ「世界」「中央公論」を小わきにかかえて闊歩し、マルクス主義にそれぞれの好みにあわせて「かぶれ」、きいたふうなことを言って大人どもに逆らうのが、そのスタイルだったのでしょうし。
 全共闘世代は、それが先鋭化し、暴力に依拠するという最低のところにまでそのスタイルが堕落したというだけのことで、「斜に構えた」精神自体は同じに見える。

 早い話。教養主義の昔の学生さんも、ヒッピーも、全共闘も、暴走族も、私には「同じ精神状態」にしか見えないのです。
 ……ひどい話で恐縮ですが;;

 これは、なぜ私が左巻きが嫌いか、マルクス主義を鼻のさきで笑うのか、といったことと根が同じだということに、今回気がついたのが、ひとつの収穫ではございました。

 わたくし、どーゆーわけか、「内省のナイ人」に、我慢ならないところがありまして。
 他人のことばかりあれこれあげつらい、自分で自分を省みない精神構造。
 これが、どうしても我慢できない。
 この種の人間に会ってしまうと、かならず、「そういうテメエはどうなんだよ」と突っ込みたくなります。まともな答えはかえってこないことはわかるので、じっさいにはあまり言いませんが。

 他人のことばかりいっていて、自分を見ない。自分が不幸なのは誰かのせい、世の中が悪いのは何かのせい、社会のせい、制度のせい、役人のせい、政治家のせい………そういう自分はつねに被害者で正義だ。
 被害妄想っていうんですよ、こういうの。(--;)

 ただでさえ、内省がないっていうだけでものすごい精神的怠慢にみえるというのに、そのうえに「つねに私が正義だ」(中国みたい)なんて寝言、そこまできたら、もうほんとうに最低ですよ。世の中でなにが嫌いって、ものごとを屁理屈で糊塗して正義漢ヅラをする、スカしたことをいう、しかもそのことを恬として恥じない精神ほど嫌いなものはないんで。私的なことで恐縮ですが。
 
 もっとも、――内省しすぎて、自分の心の深みに足をとられ、「人生不可解」といって16歳やそこらで身投げされても困りますが。(そんな簡単に人生が理解できたら誰も苦労しませんて;;)
 とはいえ、正直なところ、――郵便ポストが赤いのも電信柱が高いのも、なにもかもを誰かのせいにして勝手に憤っている人間よりは、自分の存在をみつめて疑問に思い、悩むくらいの人の方に、私の同情は向いていきます。すみません。
 
 若者がいう「かっこいい」スタイルは、それぞれの時代時代で違ってくるもの。
 私には、教養主義だのなんだのと言われても、それもまた「昔の若者が、これがかっこいい、としたスタイル」にしか見えないもんで……。困ったもんです……。

 エリートの話は、またこれとは別問題。
 エリートとはなにか、それはどう変わってきたのか、いまはどうなのか、今後のエリートはどうあるべきか……ということは、また別テーマとして、それは興味深く読みました。
 じつはこの話は、学生文化の話ではなく、社会構造の話が、主体ではないかと私は思いました。

 ……ということで…、どうも私には、まったく異質のテーマが混在するように見えております。
 だから感想も書きにくかったようで;;

 若者なんざいつの時代だって基本的にはアレなんだと思う。ただ、昔は、高校や大学に行くこと自体が「特権階級」を意味したために、いまほど露骨に阿呆っぽいスタイルでは周囲も認めちゃくれまいし、なにより本人が――無意識にしろ、「(教育上)特権階級である自分」に、そういうことを許せもしなかった。
 彼らが教養主義をかっこいいものとしたのは、無意識にしろ、社会や周囲から寄せられる「エリート(の卵)」との期待に応えつつ、「若者として、かっこいい」精神の発揮を、求め得たスタイルだったから、ではないかと思います。
 たとえ本人は無意識でも、「学生さん」(知的エリート層)であることの“プライド”は、現在の学生よりははるかに強かったと思われます。
 そういえばいまは言いませんが、昔は「末は博士か大臣か」という言い方があったんですよねえ。

 周囲の大人もそんな具合に「学生さん」には、一種、敬意をもっていたわけですしね。そういう意味では現代では、大学生なんていっても、もはやなんの特別扱いもされません。(^^;) だから阿呆っぽいことをしていても、周囲も本人も平気(昔よりは)。

 若者の阿呆っぽい精神は共通しているが、やはりそこには時代背景や、階級が存在した社会背景が関与していた。
 ……「教養主義の没落」つってもそれだけのことだなと、そういってしまっては、著者には泣かれてしまいそうで、なんだか、本当にもう……、も、申し訳ございません;;(謝るくらいなら黙っているべき?)

 で、それはそれとしても。
 エリート、というものについては、これは真面目に考えました。
 そんな話は、また後日。
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