ピンキーストリート
2007年01月31日 (水) | 編集 |
 拍手くださいました方、ありがとうございました。m(_ _)m

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 コナミさんから、こげな可愛いテニプリフィギュアが!
http://www.konami.jp/th/figure/jmini/tennis/

 あまりに可愛いので思わず某ちゃんにメールしたところ、「これってピンキーストリートだよね?」
 ……ピンキーってなんすか?(^^;) ←世情に疎い

 私の理解もいまいちかと思いますが、……一種のカスタムメイドのフィギュア、なんでしょうか。デザイン的に、リアルなんじゃなくてこういう可愛い感じなんですね。
 パーツを集めて好きなキャラをカスタム、ヤフオクなどで売るお方もあるんだそうですが。
 
 ピンキーストリート、というのは、厳密には、ジャンルの名前じゃなくてきっちり商品名、というか、登録商標なんです……かね?
 ちょっと検索してみたたら、「ピンキーストリートとはGSIクレオスによる新ブランド「VANCE PROJECT」とBABYsue・金谷ゆうき氏が企画・開発したPOP&CUTEなマスコットフィギュアです。
 という説明にいきあたりました。
http://www.biwacity.com/pinokio/index_com.jsp?itemClass=87640
前髪、後髪、顔、服、の上下など共通ジョイントで統一することで、手軽に着せ替え感覚でパーツ交換を楽しむ事ができます。
 
 とのことなんですが、そういうパーツを集めて自分で好きなように作れてしまう、わけですね?
 テニプリキャラを自作しているサイト様なども拝見してまいりましたが。
 先天的に手先が無器用な私は、目を丸くして帰ってまいりました。………すごい世界をみた……。

 この可愛いテニプリフィギュアは、パーツを交換したり組み立てたりってことができるわけではないようなので、厳密にはピンキーではないようですが……。ピンキー仕様にするには商標権とかの話もあるんだろうと察せられますし……例によって例のごとくで、中身を確認して買えないようですんで、カスタムなんぞは当然できないわけですね?
 あれ、箱の中身がわからないっていうのは、毎度のことですが、ちょっとどうかと思うな~。お菓子のおまけならまだともかくさ。

 で、今のところのラインナップを見て――某ちゃんと、「菊ちゃんがないやん」「そうなの、桃ちゃんもいませんの」と、思わず不平を鳴らしておりました。リョマさんの学生服バージョンは嬉しいんだけどさ(←腐ってますね…)。

 ピンキーストリートの詳細を知らないんですけど……パーツって、どのくらいの種類があるんですかね? 基本的には女の子ばっかり? 男の子もあるのかな?
 …………その気になったら、黒づくめの服装で、明るい色の髪の男とか、Tシャツ、ジーパン姿の黒髪の青年とかって、作れるんでしょうか?(←真顔)
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罪を憎んで人を憎まず
2007年01月30日 (火) | 編集 |
 ぽちっと拍手くださいました方、ありがとうございました。(^^)

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 ……出典はなんでしたっけ。「罪を憎んで人を憎まず」というのは。
 そういう精神が、もうちょっとあればいいんだろうな。
 と思う、今日このごろの、一連の騒ぎへの感想です。

 紅白歌合戦での似非ヌードの騒ぎもそう。ブログが炎上しなきゃいけないほどの話かなあ、と思ってみていたら、こんどは納豆……。
 そういう前提のもとで。
 今回のような不祥事が起きたら。
 とにかく、情報として間違っていたというなら、どこがどのように間違っていたか、どの部分については間違いはないかを明らかにしてもらいたい。
 そういう不祥事おこした人には、停職か左遷か、免職か、というのは、まあ、冷静に判断して行ってくれればよろしい。
 
 私が見ていて気になるのは、「罪を憎んで人を憎まず」ではなくて、「人を憎んで罪を憎まず」になってるんじゃないかなということなんですが。
 罪はきっちり問われなければならないが、その人の人格まで、あげつらう必要はないと思う。
 なにか問題があると、その問題をとりあげるんじゃなくて、個人への攻撃になる、というのが、どうにも気になります。

 過ちを犯すのが人間ですから、過ち自体を見逃してはいけないが、人間そのものを社会的に抹殺する必要もないはずだ。と思います。
 人道主義ってそういうもんじゃないんですかね。個人的にはこういうことを、実は言いたくないんですが(←エセが多いので、人道主義に少々不信感がある人)。

 罪を犯したら償ってもらう。それでいいんじゃないでしょうか。これは逆に、冷徹にそうしてもらいたいですね。裁判官にむかって反省してみせたから減刑するっていうのはやめてほしい。反省したから減刑というのも、その罪科本位ではなく、人間本位の発想だと思えて仕方ない。

 罪と、その人の人格は別問題として扱うこと。
 それができれば、こんな集団ヒステリーにはならないだろうにな、と思いました。

 以前、不祥事を起こした国会議員が、一度は辞職して、その後、また選挙に出て当選なさいましたが、そのとき、ご家族の方が応援演説のなかで、その議員さんがいかに「いいひと」で、よき家庭人であるかをアピールしていました。私は、あれはとても気になりました。
 はっきりいって、国政をあずかる人が、家庭人として、夫として父として、いい人であるかどうかは有権者には関係ないのですよ。国会議員とはつまり公人ですから、公人としての見識と能力と実行力を第一に問わねばならんのです、有権者は。
 いくら家庭でよき夫、父であっても、政治家として公益を私しているなら、有権者はその人を公の場から排除しないとならないのです。
 その人がよき家庭人であるというのは、けっこうなことだと思いますし、そこは好意的に受けとめます。つまるところ「それとこれとは話が別」ってことなんですが、集団ヒステリーは、それもこれもごっちゃにする傾向があるようで、そこが気になります。

 極端な言い方ですが、国民としては、その政治家が、すんごい悪党だったとしても、国政を誤らず、国民の生命と財産を守るという責務を全うしてくれるなら、それは「よい政治家」だと思う。
 そこまで極端な例はないと思いますが、本質はそういうことじゃないかと。

 お互いが人間同士であるということを忘れない、というのは、べつにかまわないと思うんですが、公と私的なものがごっちゃにされて判断される/攻撃されるという現状には、ちょっと疑問を感じます。
 罪を憎んで人を憎まず。そうあるべきですが、じっさいにはなかなか難しい。

 かく申す私も、「ガッコノセンコー」には容赦ない非難を浴びせています。
 これはもう、罪を憎んで人を憎まずどころではない、私はまさに、人そのものを憎んでいるのでどうしようもないです、いまさら。子どものころの、いわば「刷り込み」ですからねえ……。
 考えてみたら、やっぱり問題ですよね。高校を卒業して20年たちますが、結局、あれほどひどい人格破綻者には、その後私は(直接には)遭遇していない。
 一般の社会人になれば、多少イカレてる人にももちろん遭遇しますが、小学校、中学、高校で出会った「センコー」(お世話になった“先生”とは区別してこう表記しています)、あれに比べればね、と、そんなふうに思って済ませているあたしって;; と、ほんとにたまに、思い返して愕然とします。

 なにかと心の柔らかな時期に、最低最悪な人種に、しかも「教育者」でございと抑圧された、この状況がいいわけないですよねえ。
 免疫はできたかもしれないけど、アタシの根性が曲がるのも当然じゃないか。もういまさらどうにもならないけど。
 おかげさまで、学校や、先生、と聞くと、全身で不信感を露わにしてしまいます。
 このへんに関してはアタマじゃわかっているんだけど、感情的に解決できませんですねえ。困ったもんだ。(--;)
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拍手御礼
2007年01月29日 (月) | 編集 |
情報というもの
2007年01月29日 (月) | 編集 |
 結局、「発掘あるある」は打ち切りになってしまい、私の、日曜日夜の楽しみがなくなってしまいました。
 ……つ~ま~ら~な~いぃ~~~。

 なんでこう、世の中の反応ってヒステリックなんですかねえ。
 なに、大衆のヒステリーというのは昨日今日のものじゃございませんし、こと日本に限ったことでもございませんが。
「あるある」が打ち切りになったのは、私個人はとても残念です。

 もちろん、データの改竄や、「でたらめ」はいけません。いけませんけれども、今回、どの程度の「捏造」だったか、つまりどの程度の「実害」だったかを斟酌(しんしゃく)すると――番組そのものまでが、なくなってしまったというのは、やっぱり残念です。
 この手の情報バラエティはどこの局にもかならずある番組だと思うんですけど、私は、――そうだなあ、「楽しみ」にして見ていた、ということは、話のすべてを完全に鵜呑みにしていたわけでもない、ようです。
 本気で本気にして当てにするなら、楽しみで見るんじゃなくて、もっと真剣に見ちゃったと思います、自分の性分を考えると。ビデオにとる、メモを取る、サイトを印刷して蓄積するなどしてしまったと思いますね。
 しかしそういうことをせず「へえ~そうなんだ~」「なるほどねえ」などと言ってお茶をすすりつつ見ていたというのは、「そういうこともあるらしい」程度の受け止め方だったはず。
 たかがテレビ、というのではないのです。「情報」とは、本来、そういうものだ、ということ。

 それがじっさい自分で歩いて、自分の肉体と五感と頭脳を使って得られたものなら、単なる情報というだけではない実感、体感、経験、ひいては「知識」となるのですが、情報っていうのはあくまでも、「どこのどんなヤツが垂れ流した嘘かわからない」という“可能性”を除外しきれない、そういうもののことだと思っています。
 情報は、「知識」ではありません。

 たとえば今回の、納豆で中性脂肪値が下がる、という「情報」。あくまで「情報」である以上、フジテレビみたいな「大手」の放送局が放送したから、人気タレントさんが司会している番組だから信用した、というのでは、やはりいけない、と思うのです。
 たとえ、それがどれほど権威あるメディアのもとに発信されたとしても、もしかしたらそれは「ロンダリング」されているのかもしれませんからね。
 マネーロンダリング money laundering ってありますよね。あれと同じ。
 マネーロンダリングは犯罪(窃盗、強盗、殺人、詐欺、賭博など)で得られた不正なお金(表沙汰にできないお金)を、あちこちの銀行の口座を通して、いつのまにか、「不正のない、まっとうなお金」にしてしまうことですが、情報も同じことができるでしょ、ということ。

 ある人が、特定の個人を失脚させるために、中傷記事を金を払って書かせて、大々的に喧伝しまくり、針小棒大、ひどいときには嘘八百、無理矢理にでもスキャンダルにしてしまう、というのも、まあ、「情報ロンダリング」かな、と私は思っております。
 そのさい、発信源が週刊誌やスポーツ新聞だと「またか」と思うけど、テレビ局の、まじめ~な、お堅い報道番組で取り上げたら、「なにい?!」ということになってしまう。

 権威主義は大嫌いだ、と私は口癖のように申しますが、それはひとつには、上記のような危険性を、自分自身に感じているから、いってみれば、自分に対する予防線なんです。

 そんなわけで、「情報」というのは、どれほどご立派な報道機関(って、どんなもんだか想像つかないけど)がもたらしたものであっても、もともとの素性は怪しいと思え、ということ。どんな情報でも、鵜呑みにはしないのは「大人のマナー」だと思います。
 ゆえに。
 その、大人のマナーを忘れてしまった「大人失格」の自分に対する反省もなく、ただ猛然と「怒る」というのは、やっぱりちょっと違うんじゃないかな、と思っております。もちろん不正は不正で、ただすべきですが。

 ちなみに。
 この手の情報バラエティなどで、ダイエット効果を始め、ほかの健康効果があるとされたものの情報に、私がまったく乗らなかったかというと、そんなことはもちろんございません。
 胃腸によい食べ物、などと紹介されると、私はつねづね、消化器が鈍いのが気になっているので、とりあえず「試して」しまいます。あと便秘対策とか、やりましたよ~。(^^;)
 こういうものは、その人の体質や、生活習慣、遺伝なども関わってくるだろうから、「必ず効果がある」とは、ハナッから思っていない。
 お医者さんが処方してくれる薬だって、効果がある人とない人ってありますから。人間の体は微妙なものだというのはわかっているから、まさにそれは「試してみる」だけのこと。
 ちなみに、もずくが胃の調子を整えてくれるというのと、便秘対策は効果ありでした。私の場合。

 試してみて、ほんとに効果があればめっけものだ、という感覚なので、効果がなくても、「な~んだ」と思うだけで、それはそれっきり。べつに誰かを責めるなんてことはない。
 今回のように、「実は、確証となるデータはとってません」というと「な~んだ」が倍増するくらいです。ある意味、発信者には申し訳ないが、はなから、そこまでは信用していないので。
 その情報をどう扱うか、は、ある程度は「自己責任」てことですかね。

 今回、闇雲に「怒って」ヒスった人々というのは、そういうことが全然ないんでしょうかねえ。なんでそこまで怒れるんだ、と、私は逆に唖然としましたよ。
 情報の「処理」も「判断」もしないで、「踊らされた」自分が恥ずかしいって感覚、ないんでしょうか。
 それとも、そういうことじゃなくて、よっぽど「正義感」が強い、清廉潔白な心の持ち主なのかな。いまどき貴重ですよねそれは。
 ……などと。
 こんなことを書いていると、ヒスった人々にまたヒスられてしまうでしょうか。(^^;)
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拍手御礼
2007年01月28日 (日) | 編集 |
 拍手くださいました方、ありがとうございました。(^^)
 本日もまたタイマー投稿しております。
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「小夜まくら」
2007年01月28日 (日) | 編集 |
 千秋――長秀さん、というのは、景虎様や直江のお話からべつのところで主役にしたいような人だ、と思っておりまして、それで、長秀さんを主役にして書いてみた時代物です。
 長秀さんを主役にして書くときは、そんなわけで、直江は出てきますが景虎様は登場しないようにしておりました。話の向うでちらちらはしてますが。
 
 長秀さんはいい人で、んでもって、ここでとりあげたかったのは彼の硬派っぷりでした。私はどうも、俺は男だ男だと言いたがる人(某地方男児タイプ)が苦手でして――そんなもの、見ればわかりますよ(ウンザリ)、という。
 真に男っぽい人って、そんなことを強調しないんですよね。本人、自覚があるかどうかは存じませんが、たぶん、そんなこと強調しなくても、充分、男っぽくかっこいい自分を知っているからなんじゃないかと、私は推論しているのですが。どうでしょうかね。(^^;)

 私の目には、千秋はそういうタイプに見えたんですよね、ふだんはちょっと軟派っぽいというか、ヘラヘラしていて、つかみどころがないようでも、いざというときは意外なほど頼りになる。なにかあれば、さりげなく誰かを背中にかばって前に出る。しかも――それを、恩に着せるようなところがない。
 カッコイイ。というのが、私の千秋(長秀)像でございました。

 そういう彼の持ち味は、景虎様や直江の葛藤とは関係のないところで見てみたい、という気持ちで、こんなお話を考えていたのですが。
 ……しかし、じっさいに書くまでには時間がかかりました。なんだか、「ほんとにこれ、ミラージュパロかい」というシロモノになってしまって;;
 本で発行したときは、「長秀のイメージと違う」と言われるんじゃないかと相当びくびくしてました。なにしろ言葉遣いが堅苦しいから、「千秋」の面影はないんじゃないかということで。
 幸いにしてクレームがなかったので、本当にほっとしておりました。

 虚無僧についても調べたらけっこう面白かったです。
 友鷲(ゆうが)という僧名はじっさいにいた普化宗僧侶のお名前。なんとも優雅なお名前ですねえ。

 さてそんで、「小夜まくら」ではちょっと色っぽいところもございますが、――そこにあるのは色恋ではなくて、それが「必要な」ことだからそうなる、というあたりが、「硬派」なんじゃないかなあ、と思っております。
 ………妄想激しいなあ、と、自分でも思います。(^^ゞ
 

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四方山話
2007年01月27日 (土) | 編集 |
 拍手下さいました方、ありがとうございました。m(_ _)m
 またそろそろ、小説部屋にアップしたいです…。

     ●

 先日いってきました「よみがえる源氏物語絵巻」の図録を眺めているのですが、やっぱり、色が違いますよねえ。
 とくに、「蓬生(よもぎう)」。明石から都へ帰ってきた光る君が、偶然にも、末摘花(すえつむはな)の屋敷前を通りかかり、末摘花がけなげにも、光る君を待ち続けていると知って、荒れ果てた、蓬がびっしり生えた手入れの行き届かない庭を歩み進んでいく、という場面の絵。
 地面にびっしり生えた蓬の葉には夜露が落ち、折から照り輝く明るい月光を、その夜露が映して、輝くような景色になっている。
 その、夜露が照り返す月光の明るさは、本物の輝く銀で表現されていましたが、これはやっぱり、原画ですよね~。印刷だとどうしても、ね~。
 やっぱり原画、見られてよかった…と、図録を広げて、うっとり思い返しております……。

      ●

 いじめ問題の対策ということで、いじめた側(つまり加害者)の出席停止を、という提言が出されたそうですが、私は個人的には賛成です。
 その後のケアをふくめ、整えていくべきことは多いのでしょうが、しかし、なにがいいことで、なにが悪いことなのか、はっきりさせる、という意味で、こういう態度は必要だと思います。
 それでなくても日本の現行の法制度、司法は、被害者じゃなくて加害者の人権ばかりを重要視するという歪んだ状態になってますから。最近ではようやくのこと、被害者の保護ということも言われるようになってきましたが、加害者保護、被害者軽視(というより無視)だなんて本末転倒だと思う。
 こういう、いかにも左巻きなエセ人道主義って、どこが発祥、もしくは原因だったんでしょうね。

 いまの世の中、なにがいけないかって、どいつもこいつも屁理屈ばかりが達者になって、ものごとの善悪をはっきり指摘できなくなっている、という点だと思っています。
 あんまり杓子定規ではいけませんが、権利だの自由だの多様な価値観だのという言葉ですっかりごまかされて、なにがいいか悪いかさえ、いまの大人どもは判断できなくなっている(なぜ人を殺してはいけないのかと子どもに聞かれて絶句してんじゃねえよ! と、そりゃもう、腹が立ちました)。それが、子どもがおかしくなる主要な原因のひとつなのではないでしょうか。

 多様な価値観、というのはけっこうですよ。でも、逆に「多様な価値観を認めなければ」という「縛り」に陥ってしまって、そのあまり、「人殺し大好きという価値観もアリと認めなければ」っていうふうに何故なってしまうんだ? ということ。

 大きな声では言えませんが、そういう、権利だ、自由だ、価値観だ、個人のなんちゃらだ、ということを疑いもせずにきたのが、団塊の世代じゃないかと私は思っております。あくまで個人的な見解ですが。
 若いころは暴れまくって大学の授業を妨害したり(まともに教育なんて受けてない人もいたんじゃないの)、かと思えば、サービス残業を若いもんに強要するほど、会社に過剰適応してみたり。

 団塊の世代が若かったころ、しかしそういう彼らのお馬鹿な言行を、そのころの大人がたしなめられなかった、というのは、事情をかんがみればやむを得ない面もあったのだろうというのは察せられますが(三島由紀夫の言っていたこと自体は妥当だったと私は思いますが、しかし、………あのお方も、ね……;;)、しかし、社会にとっては最終的には不幸なことだった、と思います。

 いまはようやくその揺り戻しというか、これではいけない、という動き――崩壊してしまった善悪をもう一度定めること、伝統や公徳心を取り戻そうとする動きが見られるようになってきている、というところに私は注目しております。このさき、それらがどうなるかはわかりませんが。
 今日日の若い人、団塊ジュニア世代の非常識ぶりが取りざたされるのを聞くたびに、「親を見れば納得するしかないのでは」と思っているのですが、これは角がたちますか。すみません。(^^;)
 私の経験では、若い人は、しっかりしているひとはこちらがひれ伏したくなるほどしっかりしているので、――なんというのか、すごく「極端化」しているな、という印象を持っています。
 北方謙三さんが、「俺ら団塊世代を悪者にしやがって」とお怒りになっているのを以前拝見しましたが、……ある程度は仕方ないんじゃないでしょうか、とひとりごとしておりました。
 私だって、大勢のひとを「なんとかの世代」でひとくくりにする危険性は承知していますが、まあ、便宜上、ということで。………小田和正さんがどんぴしゃ、この世代ですもの……、ファンである私としてはそこを思えば、言いたくない、心苦しいものはあるのです。

 私の世代も、ナアニ、ちっとも威張れない、ということも、もちろん承知しております。なんといってもバブル世代で、ほかから見れば馬鹿の代名詞でしょうし、――ティーンのころは校内暴力、家庭内暴力、いじめ、子どもの自殺といったもののハシリの世代ですから。
 私は経験ないですけど、中学の卒業式に警察がきて警戒にあたった、なんて話もありましたしね。最近の荒れる成人式とやらを見てると、同じだなと思います。暴れている人の年齢が違うけど。
 結局、団塊の世代、というのは、とにかく数が多く、多いというだけで影響力も大きくなるわけだから、たしかにそういう意味ではお気の毒な面があるとも思っております。

 なんにしてもとにかく――学校が、もうちょっとまともに運営できるように祈っております。
 ガッコノセンコーのみならず、保護者の馬鹿さ加減の話もよ~く聞いてますから……。
 わかっている人にはいまさら過ぎて馬鹿馬鹿しいのはわかるけれど、そこをあえて、なにがいいことか、悪いことか、子どものみならず大人に対しても、はっきりさせないといけない、そういうところまできてしまっているんでしょうね。

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拍手御礼
2007年01月26日 (金) | 編集 |
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にわか音楽熱
2007年01月26日 (金) | 編集 |
 なんだかまたテレビ番組の話で恐縮ですが……昨夜のNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」は、いまをときめく指揮者、大野和士さんでした。
 ヨーロッパで活躍中の日本人指揮者。奥様もきれいな方で……。
 ………いか~~ん!! 妄想が!!
 と、内心じたばたしながら見てしまいました……。どうしようもないですね。(^^;)

 のだめカンタービレのほうは17巻が発行されたようですが、私はまだのろのろと進行中。なんだか本気で一気に読んで追いついてしまうのがモッタイナク思えてきております。
 で、私も近頃、もう軽く10年は触っていなかったピアノを触っていたりする今日このごろ。
 なんでこうも単純というか影響されやすいんですかね。(^^;)

 いやもうほんとに久しぶりすぎて、指が硬直してました。
 ロール式の擬似鍵盤の……なんていうんだろう、電子ピアノでもないんですよね、電子式で、「音が出る紙鍵盤」みたいなものを買っておいたので、それでまずは指慣らしをしているところです。毎日練習、というのはなかなかできないんですが。でも、ドレミファソラシド、という運指ですら怪しいのに、不思議と、なんとか弾ける曲の、弾ける部分だけやっていると、思い出すというか、動くんですよね。
 昔とった杵柄ってヤツですか……。できるもんだなあ、と思いました。
 が。
 とりあえず、子どものとき使っていたバイエルを引っ張り出してみたりして。(^^;)

 さて、それにしても。
 大野和士さんのお話は、本当に興味深かったです。人とのつきあい方(というか、“動かし方”)、作品との語り合うこと、といったお話ですね。
 オープンマインドと、バリバリ働くイメージとそれを支える理論と技術。
 すんげえな~と思って聞き入ってしまいました……。

 ま、いろいろ、チラチラと、私の脳内をよぎっていくものは他にもありましたけども。(^^ゞ

 でも本当に、音楽が「わかる」人って、楽しいだろうなあ、と思いました。作曲家との会話、「霊感」という言葉をお使いになったのを聞いて、ああ…と思いました。
 音楽はそれ自身が天上のもの。たしかに関わってるのは生臭い人間ではあるんですが、人間を「憑坐」、もしくは「形代」にして、「音楽」がそこに姿を現したときは。

 地面を這いつくばる人間そのものである文学が、私は好きですけども、でも、こういう人をみると、音楽という芸術にあらためて羨望を感じますねえ。――その高みからは、どんな景色が見えるのだろうと思うと。
 地面に這いつくばりながら見上げる天も、たしかに美しいものですが。
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「よみがえる源氏物語絵巻」
2007年01月25日 (木) | 編集 |
 拍手下さいました方、いつもながらありがとうございました。m(_ _)m

 昨日はお昼から半休とってお出かけ。行き先は佐野美術館。(木曜日休館)
 2月5日まで開催中の、「よみがえる源氏物語絵巻」展へいってまいりました。

 NHKでなんどか放送していたのでご存じの方も多いと思いますが、国宝、源氏物語絵巻(通称、隆能(たかよし)源氏)の、復元模写プロジェクトが先年、完成しました。その復元模写された絵の展示でございます。
 佐野美術館さんはこじんまりしていて、お庭がきれいで、好きな美術館です。こじんまりしているので、なかなかいい展示をしていても、あんまり混まないというあたりが、人ごみが苦手な私にはとてもありがたい。
 のですが、さすがに今回は、土日は厳しいだろうと思いまして――こじんまりしているだけに、激しく人が寄ってくるような事態になると、逆にたいへんなことになるんですよね。(^^;)
 ということで、わざわざ休みをとっていってまいりました。
 しかしチケット買って会場へ入った瞬間、「平日にきて大正解」と思いました。……平日とは思えない人の数でしたので。

 NHKのハイビジョン放送でも見ていたのですが、しかし、やっぱり原画はすばらしい。白く見える部分にはかなり銀が使われているので、ほんとに色合いが、ぎんぎらぎんで輝いているんですよね。私は絵の前で立ったりしゃがんだり、横からみたりして、光の角度が変わると見え方も変わる、その立体的ですらある数々の紋様を見ておりました。
 なんていうのか――ほんとに、色のレリーフって感じです。
 色彩が、ほんとにすばらしい。画材は当時のもの(ざっと900年前)にできるだけ忠実に従って復元されたそうですが、朱の色の鮮やかさはやっぱり間近に見ると違いました。絵の具の名称を忘れましたが、あの蛍光オレンジのような色のあでやかさときたら!
 
 展示では、今回復元されたもののほか、昭和に復元されたものと、国宝である原図(の、デジタル出力されたもの)の、三種類が並んで展示されていましたが、いわば「平成版」の緻密さ、鮮やかさが際立ちました。
 「昭和版」は――桜井清香(さくらい・せいこう)氏が、昭和33~37年に復元したものだそうです。当時の科学技術では、原図の剥落した部分や、褪色してしまった部分についてはどうにもならなかったらしく、今回、特殊な撮影法で明らかになった紋様、草木の様子などがなくて原図のままに近い。これはこれで素晴らしいものですが、あの、輝くような色彩と、絵の中の調度や装束の紋様や草木の表現のこまかさは、平成版とは比すべくもない。
 絵の具の色も、原図の褪色してしまった色から推定しているので、くすんだ色調になってしまうようで。平成版はもう、鮮やかさが全然違う。目にも綾な、というのは、ああいうことなんでしょうか。

 復元作業のようすを知ることができる各種の習作なども見られまして、……ほんとにたいへんな作業だったんだな~と思いました。
 また、当時の衣装、男性の直衣、女性の「紅の襲」の装束も展示され、これもきれいでした。
 ほか、源氏物語に登場する光源氏の住い、「六条院」の模型(架空の建物ですが――べらぼうに広かったんだなということは実感されます…模型でも)と、寝殿造りのキモ、寝殿の模型もありました。
 ……人形遊びがしたくなる…。(よしなさいって)

 夕霧に言い寄られて、それを嫌った落葉の宮が「塗籠(ぬりごめ)」に籠ってしまう場面がありますが、なるほどこれが塗籠かあ、と、眺めていました。
 基本的には御帳台が、まあ、いわばベッドだと思うんですけど、塗籠って本来はどんな役割なのかな……あちこち開けっ放しの当時の建物のなかでは、唯一、壁に四方を囲まれた部屋なので、冬はここで寝たほうが暖かいんじゃないかと思うんですが…。

 源氏物語は、欠点と思われるところも数あれども、しかし、ドラマとしてはよくできてるなあ、と思うこともあって、好きな方です。
 みずはら、というこのペンネームは高校生のころから使っていますが、これもじつは源氏物語からきております。「源」という字は、さんずいと「原」なので、これを分解して「水」「原」にしたというわけでして。

 しかし、――途中で、隣にいあわせた御年配の女性が、しきりに「ニオイの宮、ニオイの宮」と言っていたのには、ちょっと参った。(^^;)
 ニオイじゃなくてニオウです~! と、突っ込みたくてしょーがなかったです。
 まあたしかに「匂った」人なんですけど……。ニオイ、といってしまうと急に臭気ただよう気がするのはなぜだろう。(^^;)

 それにしても、現在残っている図は十九図、ですか。宇治十帖(うじ・じゅうじょう)がこんだけ残っているからには、本来はちゃんと五十四帖、あったんでしょうね。(巻名だけの“雲隠”はどうかわかりませんが)
 もったいないよなあ。じつのところ宇治十帖は私はあんまり好きじゃないんです……。正直、面白くない。源氏物語はじつは作者がふたりいた、という説がでるほど、光源氏の物語に比べると、面白くないし歌もヘボい(と、私ごときしろうとが言うのははばかられますが本音)。薫大将はどうしても陰気だし、匂宮はどうにも軽薄で、人物そのものに「華」がない。顔がきれいならいいってもんじゃないんだ! と言いたくなります。

 してみると、光源氏はやっぱり輝いている人なんですねえ。内面には暗いものもあるんだけど、彼がそこにいるだけで、ぱっと空気が華やぐ、まさに光のような人、なんですね。たんに容姿がきれいっていうだけじゃなくて。
 女性陣もまた――「輝く日の宮」とも呼ばれた藤壷宮、最高の貴婦人六条御息所、若紫の君、夕顔、朝顔斎院、花散里、朧月夜、そして明石の君と、まさに百花繚乱の趣き。「桐壺」から「須磨」までの賑々しいほどの華やかさを、この豪華な絵巻に見てみたかったです。言っちゃなんだが、その華やぎは、陰気くさい宇治十帖の比ではなかったでしょう。
 今回復元された図、各面のほんとうに豪華なこと。どれだけ身分の高い(かつお金のある)お姫さまのために作られた絵巻だったのかと考えると、ため息が出ます。
 また、絵自体は大きくないんですよね。それでいてあの細かさ。もとの絵を描いた人にも、復元にあたった方々にも、頭が下がりました。

 この「よみがえる源氏物語絵巻」展は各地で催されてきたようで、あともう1ケ所、佐野美術館のあとは横浜そごう、「そごう美術館」で、3月1日から4月1日まで開催されるようです。

 横浜じゃあ混むだろうなあ。……三島でやってくれたのには、マジで感謝、感謝でございます。

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「悪夢探偵」
2007年01月24日 (水) | 編集 |
 拍手をぽちぽちっとくださいました方、ありがとうございました。m(_ _)m
 おかげさまで、本日は元気です。(^^)

悪夢探偵
塚本 晋也
4043840012

 同題の映画が公開中だそうですが、そういうことを知らないで買ってしまいました;
 てっきり、映画の原作なのかと思ったんですけどそうではないのですね。映画の監督さんが、みずから小説化したものがこちら。
 ……ね……ネタバレせずに話そうと思ったら、何を書いていいか、わからん……。

 とりあえず、面白いかどうかだけ言いますと。
 面白かったです。(というか、この日記には、ツマラナイと思ったものをわざわざ書くようなことはしませんので;)
 小説としてはたしかに――ちょっと生硬な感じがあります。登場人物の風貌、雰囲気などがいまいちピンとこない(描写がちょっと足りないのかな…)とか、小説というよりも脚本、そのト書きみたいな感じなんで、小説としての「味わい」は、いまいち、と思いますが。
 ということで読み方を切り替えて、プロットを主にして読んでみたんですが、面白かったです。きっとこういうのも、いわばサイコホラーでありきたり、という人もいるんだろうけど(悪口ってのは、言おうと思えば、それがどんなものであっても言えますから)、私は天が下、新しきものはなしと思っているんで。(これはこれでロマンがない;)

 むしろ、読んでいるあいだ、「映画のほうが面白いかも(画像として)」と思っていました。世の中、小説の映画化のほうが多いのですが、これは映画が小説の原作になるわけですね。
 人物ひとりひとりの「ドラマ」は、きっと――文章では表現しきれていないんじゃないかな、書いている人には、文章よりも映像の方が得意な“言語”なんだろうな、映画、どんなかな――と、だんだん、映画の方を見てみたくなってきました。
 こういうこともあるんですねえ。(^^;)

 あとがきでは、映画と、小説では、お話のふくらませる部分が異なっていた、という主旨のことも書いていらっしゃいますが、そうなんだろうな、と思いました。
 映像と、文章とでは、表現できるもの、その「得意分野」が違うんですよね、当たり前だけど。
 映画を見てこちらの小説を読むと、人物の、映画には登場しなかった「裏事情」みたいなものが書かれていて、映画をふくらませてくれるんじゃないか、と思います。私は映画を見ていないので、具体的にどのへんがそうなりそうか、わかりませんが。

 映画と、小説と、それぞれの違いが楽しめるといいなと私は思います。それが、本来のメディアミックスの醍醐味じゃないだろうか。いまだに、その満足感を味わわせてくれたのは「羊たちの沈黙」くらいしか思いあたらない、というあたりに、ちょっと厳しいものを感じつつも。(^^;)

 この「悪夢探偵」、監督さんにはシリーズ化の思惑があるようです。この登場人物たち、どうなっていくのかなあ……。そこは興味を覚えます。

 それにしましても。
 夢というのは、なんとなく、どうしてか、心引かれるテーマですね。夏目漱石に「夢十夜」があるし、「夢オチ」というひとつの定型があるくらいポピュラーだし、フロイトに始まる夢判断があるし。
 潜在意識、というのは、なかなか面白いものだと思います。人間の精神活動のその複雑さが垣間見えるものだから興味を引かれるのでしょうか、夢って。

 私は夢をよくみるほうです(大抵はフルカラーで)。どうも基本的には眠りが浅いらしい。一晩のあいだに複数の夢を見る。
 しかし、自分でも、こういうあたりがヘンタイじみていると思うことがありまして。
 通常、夢というのは、目が覚めかけてきてウトウトしているとき、もしくは目覚めた直後くらいは覚えているが、じっさい起きて、動き出すと忘れてしまうものですよね。
 私の場合、――いつもじゃないんですが、朝、起きたときは忘れていて、完全に覚醒しているはずの、正午ごろになって、「あ、昨夜の夢って…」と思い出すんです。
 ………どういうアタマしてるんだ。私はむしろ表層意識で夢を見ているのだろうか。だとするとやっぱりヘンタイじみている。
 自分で言うのもなんですが……ヘンなの。(--;)

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永久凍土
2007年01月23日 (火) | 編集 |
 拍手ぽちっとくださいました方、ありがとうございました。m(_ _)m

 私は今月のコバルトは買ってませんが(“今月の”というよりは…“も”、か)、あ、なんだそういうことか…と。
(私信: ありがとうございました。m(_ _)m)
 とりあえず今月号はインタビューのみ。で、番外編は赤鯨衆の皆さんだとか。

 話を聞いて、ちょっとほっとしていたりして;;
 もうわりと――私の気持ちは、《永久凍土》なのかもしれません。今後、あのあとにつづく言葉はない、というのを、そのとおりにしてもらいたい、という気持ちがあるようで。
 ……永久凍土は掘り返すのが大変ですが、むしろ掘り返さないでおきたい。
 ちょっとしたことですぐに簡単にキラウェア火山になっちゃうから。火山を凍土のなかに押し込めている感じ。熱いんだか冷たいんだか;;
 
 そういえば、できるだけこっそりと、過去発行してきた感想ペーパーの再録をすすめておりますが、40巻の分は欠番とさせていただきます。
 ほんとはもっとずっと以前の感想のほうが、我ながら、面白いと思うのですが……、当時のファイルは変換できず、いまだにスキャナーは持っておらず、打ち直す時間もなくという状態なので、どうにも手がつけられずにおります。
 んで、それにつけても40巻の感想ペーパーは、もう見るに耐えません。ので、欠番。
 そのかわりに、内緒の本を発行しようと、いまだじたばたしているのですが、「わだつみ」あたりで付箋付け作業が、涙にかすんでできない状態になっているだなんて情けない話、口が裂けたら言っちゃうな。

     ●

 なんかもーちょっと明るく楽しい話題を…と思ったんですが、思いつきません。(^^;)
 いえ、ふだんからなにかと愚痴っぽいんで、いまさら、とツッコまれるだろうな、とは思うんですが。(^^ゞ
 明日はもちょっと、明るい気持ちになれるといいな…。(希望)
 今日のところは――申し訳ありません。m(_ _)m

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拍手御礼
2007年01月22日 (月) | 編集 |