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2016.05.26 (Thu)

真澄さま、つぶやく。

 ひさしぶりに「紫の薔薇」のあのかたが、つぶやきをこぼされましたわ皆様。



発売延期から3年…『ガラスの仮面』50巻がついに発売!?
 にわかに沸き立つTL、「出る出る詐欺か?」

http://togetter.com/li/979012

 もうここまでくると、どうあってもその最後は見届けたいという気持ちになる作品。(^^;)
 
 かなりのご長寿(現役)作品はほかにもありますが……王家の紋章もまだ続いているわけですよね?
 あとエロイカとか。
 きっちり連載ではなく、ときどき読み切りとして登場するという形式であるにしても、ご長寿現役であることには違いない。息長いということもひとつの偉業ですよね。

 そういうなかでも「ガラスの仮面」は読み切り単発形式ではなく、ひとつの物語としてつづいているだけに(……1976年。今年でちょうど40年!)、「これからどうなる」という気持ちは強いですよね。
「紅天女」というまぼろしの名作(劇中劇)を描くこともたいへんだろうしなー……と、思わず作者のかたに同情を禁じ得なかったりして。(^^;)

 じっさい最後がどうなるかについては20年くらいまえにはできていたそうですが、脳内にあることと、じっさいに現実のモノとして作品になるのとではぜんぜん違いますもんね。

 作者、美内すずえさんの体調不良のこともあり、あるいは「完璧」に仕上げないと原稿を編集者に渡さないという伝説もあるし、………まーだまーだ先でしょうかね;;
 私もそろそろ人間の平均寿命なんぞが気になるお年頃になってきて、「結末をみないうちに私も世を去るのかもしれない」という気がいたします。
 いやまあ、そうなればなったでしょーがないですけどね。
「グイン・サーガ」はもはや、永遠の未完結になったことを思えば、作者がとにかく元気でいる方が大事だ。

「ハリーポッター」の作者、ローリングさんは、小児がんの、死期の迫る読者のために、まだ未完結だったハリーポッターの結末を語って聞かせたというお話もありましたね。

「物語」に溺れる意味を、なんとなく考えてしまいます。

 東日本大震災のあと、おおくのアーティストが、自分にはなにもできないという無力感を訴えるのをききました。
 たしかに、本を読んでも空腹感は満たされることはないけれども、でも、こういうときだからこそ、「物語」が必要なのに、と思いました。
「こんなとき」だからこそ芸術の力は発揮される。——だというのに、なにを言ってんですかこの方々は。と、それこそ無能の凡夫は思っておりました。
 あの自責の念と罪悪感は——ちょっと不思議に思えたな。

 被災地へ、だから、絵本を送ろうという呼びかけを聞いたときに一も二もなく(ちょっとだけど;;)協力させてもらったのはそういう次第。
 あのときは皇后陛下からは、それはもはや稀覯本では?! というお宝絵本が寄贈されたと聞いて、さすがだなあと思ったもんです。

 ガラスの仮面の結末を見ていないからといって、迷って出てくることはないようにしたいとは思いますが(笑)、でも、それなりに気にはなるだろうな、という予想(笑)

 魂の平穏な時間のためにも(笑)——いろいろたいへんだろうことは容易に察せられますが、なんとか、ガラスの仮面も物語が進み、終幕を拝見できますように。

 50巻でるってよ! という話についてどう思うかというと。
 ……まあ、ここまでの経緯もいろいろありましたし、「当てにしないで待ってる」としか、いいようがありませんねー。(^^;)

 がっかりするのは、期待したから。
 期待しなけりゃがっかりもない——冷たい言い方に聞こえるでしょうが、でもまあ、そういうもんなんですよね。

 いたずらにプレッシャーをかけるのも本意ではない。
 なにはともあれ美内すずえさんの健康長寿を祈ります。(やっぱりそれが基本だわ;;)

 ちなみに、この Togetter まとめ、さまざまあるツイートの中でも思わず笑ってしまったツイートがこちら。
 気持ちはわかる(笑)


 
 

 
12:08  |  アニメ・漫画  |  EDIT  |  Top↑

2016.04.04 (Mon)

「きのう何食べた?」



 現在、大量にお借りしている(ありがとうございます!)うちの一冊が、よしながふみさんの「きのう何食べた?」。
 Wikipediaによりますと、『モーニング』誌(講談社)に、2007年12号から月に1度のペースで連載中……ってことはもう9年になるってことですか。
 2014年5月16日のあさイチで紹介されたとのことです。………なんであの番組で?;;

 それだけ長いこと連載しているなら、ご存知の方はとっくにご存知で、「いまごろ読み始めたの?」と言われそうですね。(^^;)
 モーニングも、沈黙の艦隊以後は足が遠のいておりまして;;

 いちばんの特徴は「料理漫画」ってことですかね。
 主人公はゲイカップルではありますが、JUNE 的ではまったくなく、リアルな人間関係のお悩み、行き違いその他がもう、しみじみ身にしみる感じ。

 とはいえ重苦しいものでもなくて、1話完結方式で、そのなかでかなりのページ数が料理に割かれているため、人間関係のあれこれはあっさりした描写となります。
 現実に疲れた大人どもには、これくらいの描写でじゅーぶんだと思う;;

 料理レシピはいずれもすなおに家庭料理レベルなのがありがたい。(^^;)
 台所にあるもので作れること、というのは、大事なことですよね;;
 
 単行本巻末に、登場したメニュー、お品書きが書き出されているので、レシピ本としても使える、とおもわれます。
 
 現実世界でいろいろあって行き詰まると、悩んでいるのをふとやめて、よろり、ふらりと台所に向かう、主人公の一人、筧(かけい)さんのお姿に、ああそうそう、と思ったり。
 角田光代さんもエッセイに書いていらっしゃいますが、料理するって、人を救ってくれるところがありますよね。

 作っている間はそちらに集中しているのでちょっとのあいだでも「そのこと」から離れられるし、てことは悩んでもしょーがないことでうじうじしていることから、距離がとれる。
 抱えている「問題」について今日はなにもできなかった、今日も何も進まなかった……という空虚さに落ち込むときも、それでも、でも今日はちゃんとごはん作った、という「事実」だけで、心が少し、救われる。
 
 このへんは、料理が「好き」ではない人にも、もたらされる「効果」だと思ってます。
 それがなんであっても——ホットケーキを焼くのでもいい、とにかく「なにか」を「作る」ことは、人の心を救ってくれるようです。
 不思議なもんです。

 私も料理が好きというタイプではなく、可能であるなら誰かが作ってくれた美味しいものを美味しくいただきたいのですが、でも、「作る」ことに、すでに、かなり救われている人間でもありますね。
 
 昨今の当方ツイッターをみて、料理とかけっこう好きなんだね、と思われているところがあるようですがとんでもない。
 その昔、親がいない時の留守番時には、弟が料理好きなので、もっぱら弟が作る人で私が食べる人(で、片付ける人)という「分担」でした。

 ローフードにハマったことをきっかけに少しずつ開眼しておりましたが、一昨年くらいから、なにかが「解禁」されたようです。
 気が向けば面白がって料理するけど、いつ気が向くのかは本人にもわからないというありさまだったので、まあ、変われば変わるもんだと自分でも思っております。(^^;)

「きのう何食べた?」のレシピは、そういう、いわばテキトーな、あまりにもテキトーな初心者にも、ハードルが高くない、材料も凝ったものは登場しない、身近で親しみやすいあたりがいいなあ♡ と思います。

 これだけ料理上手なのに、じつはてんぷら(かき揚げ)が苦手な筧さんが、そのコツについてお母様に助言を求めたところ、
「(てんぷらのコツは)思い切りよ!」
 と言われるあたり、思わず笑ってしまいつつ、「あー。わかるわー」と(笑)

 あれはたしかに、どうしようどうしよう、もういいかしらまだかしら、なんていってると、温度加減を誤りますよね。
「思い切り」。
 筧さんに決定的に不足しているものである、というあたり、(お母様はやや過剰らしい/笑)料理って人となりとも関係深いのかも(笑)


 お借りした分もまだ読み切ってはおりませんが、参考にしたり勉強になったりで、楽しく拝読中。(ありがとうございます♡ もー少しお借りします♡)

 なお、「きのう何食べた?」通称「なにたべ」の、公式ツイッターとブログも拝見しましたが、どちらもひたすら料理写真てところに、なんとなく迫力を感じました(笑)

「きのう何食べた?」 公式ブログ
 
 
11:42  |  アニメ・漫画  |  EDIT  |  Top↑

2016.02.29 (Mon)

「3月のライオン」11巻



 ……といちおうエントリのタイトルはそう書いてみたものの。
 これたぶん、正確には、3月のライオンの「感想」ではないと思います;;
 そこから触発されて考えたこと、ということで。たぶん。

 はっ。でもでももしかたらネタバレになっているところがあるかも?
 ということで、未読かつネタバレ却下、という方は、本日はここまで。
 失礼いたします。m(_ _)m

        ●

 こうしてみると我らが桐山くんは本当に成長してるなー、としみじみ。
 まだお酒も飲めないヒトなんだった、とあらためて気がついた今回でした。(^^;)

 感想と言えるものかどうか怪しみつつ申しますが——、あかりさんが、お父様について言っていたのは「演技性人格障害」ってやつですね。
 人格障害は、病気ではありません。
 病気ではないからいいのかといったらそうではなく、病気ではないので「治らない」わけです。
 一生。
 死ぬまで。
 この世で呼吸をしているかぎり。

(追記:いちおう演技性パーソナリティ障害にも治療法があるようです。……本人が治療が必要だと思ってくれるようなら、それだけでマシなほうでしょうね;;)

 このお父様もまた、人間のクズといってしまっては、あまりにも、屑(くず)に対して失礼だというくらいのクズ。このクズとはちょっとばかり守備範囲と行為が異なるというだけで、おおむね同種の人間を知っている身としては、今回のお話には、しみじみ以上のものがありました。

 この種の人間と手を切るというのは本当にたいへんなことでして——今回のお話のように、追い払っても追い払ってもつきまとってくるのが常なんですよね。こちらになんらかのメリットがあると思われているあいだはどうしようもないのです。ゆえに、手を切りたいなら、そのメリットを潰すしかない。

 しかし、その「メリット」を潰すということは多かれ少なかれ、こちらもまた、自分自身のなにかを切り捨てることが——それこそ、腕の一本も切断するくらいのことが必要になる。
 つらいことです。
 でも、あかりさんも、ひなちゃんもやり通したんですね。偉かったね、と思います。

 いちばん考えてしまったのは——あかりさんのこと。
 自分の体をつぶすことで、やっと「全部 終わりに」できたけれど、文字通り、力尽き果てて倒れてしまったというのは、無理からぬこと。
 ただ自分の身をつぶしただけではなく、彼女の場合、「自分を責める」ことが最大の重荷でした。

 家族うちのことだけではなくて、なにか思わしくない事態に遭遇したとき、力を尽くしても避けえない結果になったとき。
 自分が役に立たなかったから、自分に力がなかったから、自分が悪かったから、と、自分を責めてしまう。

 あかりさんも同様ですね。
 あの親父がクズなのは本人の責任なんであって、あかりさんにはなんの責任もない。いやらしい言い方をするならあかりさんはむしろ「被害者」でしょう。
 それでも、自分が役に立たなかったからこんなことになったと自分の罪として引き受けてしまう。

 どうしてでしょうね。
「いい人」ほど長生きしない(憎まれっ子世に憚る)のは、こんなあたりが原因だろうな;;

 大きな事故があって、救助にあたった人たちの多くが、後日、自分はもっと助けられたんじゃないか、自分はなにかを「間違った」んじゃないか、助けられる人を助けられなかったのではないかと自分を責め、罪悪感に苛まれることがありますね。
 これもいわゆるPTSDの症状、というのはわかるとしてもでも——ものの理屈で考えれば、まったく違う、そうではない、むしろそんなことで責任を感じる方が「まちがっている」くらいのことが、なぜ、人の心には起こってしまうんでしょうね。

 PTSD の現れ方もそれぞれですが、この、「まちがった」罪悪感を持ってしまうというのは、あまりに悲しいことだと感じます。

 この罪悪感というのは目に見える「症状」を見せることなく、ただ心の深いところで、癒されることのない傷となることが多いようです。
 時間をかけてゆっくり、でも確実に生命力を削いで、——ある日気がついたら重度のうつ病になっていたということも、多くある。

 あかりさんの今後がちょっと心配だったり。(^^;)
 桐山くんが「あかりさんに必要」と思ったものについては基本的には異論ないんですが、——「入れ物」は用意できても、「コンテンツ」は、こればっかりは、人間の意図だけではどーにもならないものだったりしますからねえ……。
 がんばれ主人公(笑)

 あとがき的に巻末に書かれたコラム、作者の羽海野チカさんがおっしゃる「成長」も、そのとおりだと思います。
 人は必ず変わっていくし成長もしていく、それでいて「三つ子の魂百まで」という(変わらない)こともホント。
 この一見したところでは矛盾に見えるものを、なるほどきれいに「図」になさるものだと感心いたしました。

 真顔モードは以上で切り上げて、先崎 学先生のコラム、これからじっくり拝読します。楽しみです(笑) 
 
 
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2014.05.26 (Mon)

いい男の基準

カリブの北朝鮮=キューバがハマる「宇宙戦艦ヤマト」…放映時間になると街角から人影が消えた
2014.5.20 07:00 MSN産経west
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140520/waf14052007000001-n3.htm

 産経さんのはすぐにリンク切れするから、あんまりリンクしたくないんだよな……なんていったら怒られるかな? (^^;)

 でも、ほかのニュースサイトの記事はまだリンク生きているのに、産経さんのはもうはやばやと、どうかすれば3ヶ月ですでに「記事は存在しません」みたいなことになるんですよね;;
 サーバーの都合もあるのかもしれませんが。

 ということで上記記事の内容を要約すると、
「とある日本人男性がキューバへいったところ、ホテルのテレビをつけたら例の「♪さらば〜地球よ〜」が聞こえてきてびっくり。
毎回の放映時間、ハバナの街頭から人影が消えるほどの人気だったと現地で聞いた
 このヤマトは1974年版の最初のヤマト。キューバの人々は「悪の帝国ガミラスに挑むヤマト」と、「悪の帝国=アメリカと戦うキューバ」を重ねあわせているという。
「デスラー総統は米大統領、一方でヤマト指揮官の髭の沖田艦長はカストロ、古代進はゲバラ」に見立てている。
 ソ連崩壊後のキューバは「観光立国」を目指している。
 じつは日本とキューバは親交が80年以上もある。キューバにおける日本のイメージは、侍、おしん。
 かつてアメリカと戦ったということで、日本に親しみを感じる人も多い」


 ちなみに、日本人女性と結婚して、遊んで暮らしたい、という現地男性のお話も出てきますが、これはキューバ以外でも聞かされる話なので、まあいいや。省略。(^^;)

 ともあれ、左翼嫌いの私としては、デスラー⇒アメリカ大統領、沖田艦長=カストロ、ここまではまあなんとか我慢するが(カストロさんは、おひげのイメージで、まあなんとか)、古代進がゲバラっつーのは納得できない! ふざけんな!(←そこまで言うか…?)と言いたい。
 ……幼稚園、小学校と、憧れの人だったからなあ、古代進。(^^;)

 あたしゃ左翼は嫌いなの。なーにが革命だよスカポンタン。くらいにしか思わない。いちおう伝記も読んだけれども、こういうのを読んで大感動する人もあるようだけど、なにがそんなに感動のポイントになるのかわからない。
 という次第なので、「その見立てはビミョーだな」と、笑いつつもつい頬がひきつります。(^^;)

 そういえば、フィギュアスケート、ロシアのリプニツカヤ選手が愛読書にゲバラを挙げていたと思うのですが……、どこらへんがツボなのか、ちょっと教えて欲しいと本気で思いました。
 説明を聞いて納得できるとは限らないにしても、私には「なぜアレがそんなに?」としか思えないので、こういうところが魅力なのだと教えてもらえると、もしかしたら、なにかのヒントになるかな、と。

 ………説明してもらって、その「言葉の意味」は理解できても、「実感」としては、ぜんぜんわからない、ということがあるのは、それは仕方のないことです。
 でも、想像もつかないものについては、とにかく、せめて「言葉の意味」だけでも、教えて欲しいと思うことはけっこうあります。

 それで、ほんのりとでも、「ああそういうものか」と思えれば占めたものですし。
 そうとすら思えないとしても、まあそれはそれで、しょうがないわけだし。(^^;)

 ゲバラさんがもーちょっといい男だったら、私もこうまでも反発しないかもしれませんが(なんせ、日本において実写版・古代進を演じたのは木村拓哉さんですぞ)、……それとも、あれか。アチラではゲバラさんはハンサムなのかしら。

 美女の基準は文化によっても左右されますが、これは男性にも同じことが言えるのではないでしょうか。
 とあるハリウッド俳優さんが「もっともセクシーな俳優」に選ばれたとき、首を傾げまくってましたからねえ私;;
 すりこみが故・大川橋蔵さんだし、好みはどうあっても、いわゆる「おしょうゆ顔」なので、異人さんの基準が、イマイチどころかぜんぜんわからない;;

 キューバではゲバラさんはハンサムなのよ! ということでしたらすみません;;

 ともあれ、ヤマトも意外なところで意外なウケ方をしているのだなと思いました。
 放送時間になると人影が……って、そのかみのラジオドラマ「君の名は」の伝説みたいですね;;
(放送時間になると銭湯の女湯が空になったという伝説)

 ヤマトのリメイク版、2199でしたっけ? あれはあれで、なるほど時代の変化を感じて、面白かったです。
 おおもとのヤマトに比べると「ライト」だなと感じましたが、まあそれはそれで。

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 沖田艦長といえば「なつかしい」の他には、やはりなんといっても、これですね。↓

【馬鹿め】
http://www.youtube.com/watch?v=SjCqNrVwNxc


 シリーズ第1話。ヤマトが登場するまえ、地球側がいかに危機的状況かを説明するシーンのひとつですが、やはり妙に印象に残ります。
 降伏を勧告されて、返電は、「馬鹿め」。

 すでに玉砕を覚悟している、ということと、降伏すれば助けてやるなんて、嘘に決まっとろうが! という状況では、こうとしかいいようがないだろうな、と思います。
 この場合は降伏してもしなくても同じ結果なんですもんねえ。降伏を勧告するほうがどうかしている。(タマがもったいない、と思ったのかもしれませんけど)

 子供のころはあんまり深く考えず、カッコイイ、なんて思っていたシーンですが、さすがに中年にもなって参りますと、こうとしか言えない状況のことを、つい具体的に考えてしまい、しーんとなっちゃいますね。(^^;)

 なんにしても、懐かしくてつい、反応してしまいました(笑)
 
 
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2014.03.14 (Fri)

まぼろしの名作

 私は食べ物の好みについてはまことに節操がなく、うどんの腰があってもなくても、うどんの器の底が見えても見えなくても(つまりおつゆの色の濃さですね)、こだわりはありません。美味しいものはおいしくいただきます。

 まあ、体質で、からいものが食べられないとか(刺激物に弱くて、唐辛子いりのものは、どんなに少量であっても、食べるとたちまち、尿が出なくなる;;)、脂っぽいものは胃がもたれるので得意ではないとか、生卵はなぜか胃袋が全力でリジェクト(断固とした拒絶)するとかはありますが、私自身の「好み」とは別問題。

 そのあたりをべつにすれば、ほんと、たいていのものはおいしくいただけるし、「ねばならぬ」はほとんどない。自分で言うのもなんですが、味覚についてはかなり寛容です。

 ………この寛容さが、どーして人間には適用できないのだろうか、と。(--;)
 自分でも、ほんとに本気で考えちゃいますよ……。
 
 私は「味覚が狭い」人をみると、あらもったいない美味しいのに、と思うのですが、これは人間についてもまったく同じことが言えるんですよね。
 好き嫌いが激しいのはもったいない…と思いつつ、やっぱり放射脳や左巻き、反日日本人、軽躁浮薄、浅慮にしてじつに暴虐の限りを尽くす、そのくせテメエは正義ヅラをする「世間様」——こういうものへの嫌悪感とリジェクションが、どうにもできません。

 生卵を、味覚的には嫌いだとは思わないのに、私の胃袋にはよほど都合が悪いのか、ほんとに全力でリジェクトしてきます。
 温かいというより、きっぱり、やけどしそうに熱い山菜そばに、生卵がぽんと載せられていたのを食べたことがありました。
 おつゆの熱さで生卵も、ちょっと温泉卵に近づいたような気配があったので、これなら大丈夫だろうと思って食べたんですが、…………ダメでした。

 そのまま胃袋が卵をつっかえそうとしてくるのを、しかし、胃の構造上、卵「だけ」が返ってくるわけではありませんから、私はそれこそ「せっかく美味しいおそばだったのに、もったいない!」と、意地になって吐き気を我慢し、顔面蒼白、脂汗までにじませながら我慢して、無理矢理、胃袋に消化させたことがあります。

 あのときの胃袋と、同じ目には遭いたくないなと思っておりますが……。(^^;) さて。

        ●

 これはまことに懐かしい。
 1980年4月ですか……。すごくいいアニメ作品だったんですよ。「マルコポーロの冒険」。

 もはやNHKにもマスターがない、という話を聞いてはいたので、すっかりあきらめていました。

 が、昨日、ふと思い立ち、検索してみたんですね。まったく何の気なしに。
 そうしたら——家庭用の8mmとかなんですかね、当時のテレビ放送、そのテレビ画面を録画したものらしい映像が出てきたので、びっくりするやら嬉しいやら。

(追記ならびに訂正:当時すでにあった家庭用ビデオ、SONY βマックス SL-7300で録画したものだそうです。
 いいなあ。うちにビデオ録画機がきたのはこの3年後くらいですよたしか。(^^;)
 うちのビデオデッキも、ソニーさんのβ方式のものでした。VHSよりも画質がきれいでしたが、それが証明されていますよね、この動画)


 EDテーマの「大空から見れば」、本当に好きで好きで。
 懐かしさで胸が震えて、涙が出る……(マジ泣き)

アニメーション紀行 マルコ・ポーロの冒険 #43話最終回OP ED

http://youtu.be/7JY7PCbLqV8

 やっぱり名曲だと思う。(^^)

 いまでもよく覚えているのは第8話「バクダッドの幻想」。イスラム教徒によって、あの巨大な仏像の顔が削り落とされるエピソードを中心に、時間が交錯する物語。

 シルクロードという名前も、その旅も、——命の危険を冒すという「リスク」をふくめても、やはり心引かれるものがありましたねえ。

 シルクロード取材の、そのドキュメンタリー映像は実写、物語はアニメ、という構成も面白く、アニメのみならず、シルクロードという「異国の旅」ドキュメントの面白さもあったんですね。

 ああそれなのに。
 マスターがまったく残ってないってどういうことよNHK!!!
 ——と、またにわかに怒りがこみあげてきたりして。(^^;)

 マルコポーロの声は富山敬さんでいらっしゃいまして……、あたしゃホントに、アニメ好きとしては、富山敬さんと神谷明さんに育ててもらったようなもんだなー。
 富山さんが物故なさって以来、アニメからはなんとなく足が遠のくことになったのは、偶然ではないかもしれませんね。

 ところで、このシルクロードですが、このアニメ作品の他にも、シルクロード取材の番組が当時、NHKではつづいておりました。
 このころは、「日中共同製作」と銘打たれたものが数多くありました。
 共同製作とはしかし名ばかりで、NHK側は取材にからむ権利料その他、あれこれ金をふんだくられ、あげくのはてには、その録画録音、放送用器材各種をも、現地に置いてきた——とは、あとから聞いた話です。
 ………追いはぎだねまるで。

 その話を聞いたときは、シルクロードのロマンも何もふっとんで、ただ鼻白んでしまいました。

 が。
 このアニメ作品そのものに関しては。

 おそらく、もう2度と見ることはできない、それこそ「幻の名作」ゆえに、宝物のような記憶になっていくんでしょうねえ。

 この動画、本当に拝見できてよかった。
 ありがとうございました。

 
12:07  |  アニメ・漫画  |  EDIT  |  Top↑

2013.09.03 (Tue)

雲のまにまに

 いっちゃなんだが、最初に聞いたときの私の一言も思わず、「またですか」でした;;

スタジオジブリ「宮崎監督が引退へ」
9月2日 0時12分 NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130901/k10014201521000.html

 何度目になるかは覚えていませんでしたが、ともあれこれが初めてではないのは事実なので、「またですか」。

 なにしろ今回は、ベネチア国際映画祭の開催期間中だし、タイミング的には現地上映の直前くらいになりましたよね。
 まあいいタイミングなのかしらね注目も(集まるところからは)集まるだろうし。と思って聞きました。

 私も宮崎駿監督の創造力には敬服しておりますが、………あれですよ、作家とか芸術家とか、そういう人たちの実像とやらに迫っちゃいかんよな、としみじみ思うのは、もう、私としては彼については聞きたくもない情報を聞かされて、うんざりしているところがありまして。
 それでつい、引退、と聞いても、わー大変だ! とはならず、「そうですか」という反応になるようで。(^^;)

 我ながらそりゃひでえ反応だと思ったのは、以前、NHKの、「仕事の流儀」みたいな番組で、宮崎さんではなく、プロデューサーである、鈴木敏夫さんの特集を見たのですが、そのとき、テーブルのうえにおかれていたのが朝日新聞だったので、
「わー!! こりゃだめだ!!」
 と思わず叫んで頭を抱えたという……。(^^;)
 
 そういう私だって、購読しているのは日経新聞ですけどね。
 あたしだって日経なんだし、朝日がおいてあったというだけでその態度は失礼だよねと、一生懸命、気を取り直していたのですが。
 その後の発言を聞いていると、やっぱり、「ああ………、朝日新聞…(遠い目)」と思うことがよくある。
 いやまあ、いいんですけど;;

 いいんですけど、エンターテインメント作品を見るにあたっては、あんまり事前に知りたくない情報ではあります。
 以前からたびたび、私もここで愚痴を言っているのですが、こういう虚構の世界を構築して人を楽しませるというお仕事の人の場合は、あんまり、その素顔をさらしてくれるな、と思います。

 学生時代にも、文学の評論において、作家の人物像や人生といったものを、作品の背景として読み合わせていくか、それとも、あくまでもその作品本位で見るかということが話題になったとき、私はひとり頑固に、「作家のプライバシーを作品を読むときに組み込む『必要』はない」と言い張っておりました。

 必要はない。——ということはつまり、ひとさまの私生活を、根掘り葉掘りしたあげく、週刊誌並みにこのときの彼の心情はああだったのではないか、こうだったのではないか、と勝手に「推測」して、目の前の作品に付箋をつけていくということを、「したい」ならしてもいい、ということ。

 だけど、そういう手法は感心しません、ということですね。

 まして、ご本人がお亡くなりになっている場合、書いた人の恋愛関係まで、想像をたくましくして、ひとさまの私生活に土足で踏み込んでいくというのは、どうにも抵抗があります。
 お亡くなりになった方は、異論があっても、ものを言えないわけですから。
 フェアじゃないと感じる。

 ときどき、ブランドについての意地悪な実験をする人がいますね——あなたがその絵画に感心するのは、その絵が、絵としてすばらしいと思うからなのか、それとも、そこにピカソのサインがあり、先日、おいくらで落札されたということに感心しているのか。ピカソのサインがなかったら、この絵をどう思うのか——。
 そういうことです。

 作品としてすばらしいなら、作った人が、もう人間としてはサイテーで、箸にも棒にもかからないような人だとしても、作品を鑑賞する側としては関知しなくていいわけです。
 作者が誰であるかによって評価が変わる、ということに、私は根深い不信感を抱いております。

 日本ではあまり聞きませんが、欧米では「テクスチュアル・ハラスメント textual harassment」というものがときどき言われます。
 我が心の友、「嵐が丘 Wuthering Heights」もそうでしたが、男性名で発表された当初は高い評価を得たのに、作者が女性だとわかると評価が一気に下落した、という。
 これは立派な差別、偏見、てやつですね。

 こういう偏見差別は男が行うものと思っちゃいけない。なぜかは知りませんが、女が女を差別するというのはよくあることだし、私はこっちのほうが根が深いと思っています。なんせこれ、男性の価値観への過剰適応であり、自己否定そのものですからね。

 同じ物体(作品)が、作者が男ならすばらしいが女だったらゴミだというのは、あまりにも定見を欠いた態度だ。
 なんでそういうことになるわけ? と思うと、むかっ腹がたってきますが、それはそれで仕方ない。偏見というものがいかに解消しがたいものかは私もわかる。
 ひとさまのお宅のテーブルの上にある朝日新聞を見て、ぎゃー! というくらいですから。(^^ゞ

 であるならば、その偏見の影響を最小限にするために、なにかを見聞きするとき、評価するときは、作品本位で行うようにくせをつけておくしかないじゃないのよ、というのが、私の思うところです。

 宮崎駿さんが引退を宣言するのはこれで5回目とも聞きましたが。
 いやあ、べつに、引退したけりゃ黙ってしていればいいと思うんだけどなあ、なにか、宣言しておかないと不都合な筋があるんですかね?

 とはいえ、ものを作る人というのは、なかなか深い業を背負っているようで、妙に長生きして、その最後ちかくまで、創作をやめない(やめられない)ものらしい、という例は、数多くあることですし。

 やめるというのならおやめになればいいと私は思いますが、それをいちいち宣言するというのは不思議ですね。

 やめたきゃやめるし、やりたきゃやるでしょう。
 あんまり、私ども観客にはそのあたり、関係ないと思うんだけどな——といったら、薄情にすぎましょうか。(^^;)
 

タグ : オタク

10:46  |  アニメ・漫画  |  EDIT  |  Top↑

2013.08.24 (Sat)

立つ風の噂に

 とある雑貨屋さんの前を通りかかったら、夏のセール品を載せたワゴンにこの子が…!

oyasumi-chiffon-cat.jpg

 その名も「おやすみ Chiffon ねこ」(って、タグに書いてあったの)。

 ネットで検索してみたら、こちら、「(株)りぶはあと」さんの商品なんですけど、これ、季節ごとに商品も入れ替わっていくのかな……。私が買ったにゃんこ抱き枕は、同社オンラインショップにはなかったのでした。
 Amazonさんのマーケットプレイスで何件か出てきましたが。

 抱き枕を買うことになろうとは私も思っていませんでしたが、思わず買っちゃいました。(^^;)
 ちなみに、このにゃんこの後ろに写っているのは、コミケ84のカタログです。まだ全部読んでないので。

 この抱き枕、じっさいの就寝時に使うのではなく、昼間、ゴロゴロしているときに使うことに致しました。
 私は仰向けで寝るというのが基本姿勢なので、抱き枕はじつのところ必要ない……。

 昼間、ごろりと横になったときの枕にすると、ちょうどいい感じです。
 この手触りがなんともいえず心地よく、つい、用もないのになでなでしてしまいます……

         ●

 夏の疲れが出てきたのでしょうか。
 体調としてはべつにどこも悪くはないんですが、怠くてたまりません。やる気が出てこない。もとがやる気レベルが低い人間なので、もう廃人寸前です;;
 夏の疲れをとるには、ぶどうか、梨か。

 という次第で、なんかもー、ほんとにダレダレでお恥ずかしい次第です。
 夏の映画は面白そうなものが並んでいたのに、今年も結局みにいくこともない。
 ひとさまの映画感想を、ふんふんと聞く(読む)ばかり。

 そういうなかでも、ああ、これで映画を見る必要がなくなった(笑)と思ったのは、岡田斗司夫さんの「風立ちぬ」評でした。
 ネタバレは………していることになるのかな。直接、ストーリーを語るわけではないのですが、ま、ある意味、ストーリーを語る以上のネタバレかもしれない。物語、プロットを語るより、その映画の「本質」を語るというのは、このうえないネタバレでしょうね。

 究極のヌード写真といわれて示されたものが、全身のレントゲン写真だった、みたいなもんだ。(^^;)
(個人的にはあれはウケました。骨格しか写ってない、究極ヌードもなるほど、と。/笑)

ブログ「岡田斗司夫なう」
http://blog.freeex.jp/

「風立ちぬ」は宮崎駿の作家性が強い「残酷で恐ろしくて美しい映画」
http://blog.freeex.jp/archives/51395088.html

「風立ちぬ」については、今回はかなり「大人向け」のものらしいなとは思っていたんですが、岡田さんのこちらのインタビューを拝見して、ちょっと興味深く思いました。

 この映画が終わったとき、周囲の観客で泣いている人がけっこういたんだけれども、この映画、そんなに素直に感動して泣くような「きれいな恋愛」の話じゃないぞ、と岡田さんはおっしゃる。
 以下、滔々(とうとう)と、この映画が語る残酷さを解説なさる。
 解説を聞けばなるほどねーと思うのですが、であるならば、なぜ、多くの観客は、そうまでも露骨な残酷性に気づかず、きれいな恋愛物語だと思って泣いてしまうのか?
 なぜ、みんな、気がつかないのか?
 ——という疑問についての岡田さんの答えが、身もふたもなくて、思わず大笑い。

「みんなアニメの見方がまず分からないから。すべてのものに意味があるので、すごく注意深く画面を見なきゃいけないのに見ていない。台詞しか聞いていない。あとアニメだから「このくらいの見方でいいだろう」と見ちゃっているので、人物像に対して映画的なアプローチで見ていない。「こう言っているけど本当はこうだ」という見方をしていないですね」


(下線、赤字:引用者)
 
 昔のことになりますが、「紅の豚」のときも、お客さんは、宮崎駿ということで、ナウシカとか——えーと、なんかこう、壮大なヒロイックファンタジーなものを期待して見に行った人が多かったようですね。
 そういう人には、あの「大人のおとぎ話」は期待はずれ、予想外、ずいぶんがっかりされた——と聞いて、
「同じ人が制作したからといって、前作と同じものを作る理由はないだろう。というか、優れた芸術家というのは、同じことの繰り返しをことのほか嫌うものなので、前回がこうだったから、今回の作品もこうだろう、という『予見』を持つほうが間違っている」
 と私は指摘し、むっとされました(笑)

 こういうことは日常茶飯事にあることでしょうが、アニメとか漫画とか、世間一般では見下されているものを題材にするとイメージしやすいですね。

 アニメ=子ども向けのもの、というイメージは——たぶん今でもあるのでしょうが、昔はもっと固定化されていました。
 アニメ=子ども向けという概念に縛られている人に、そんなわけがあるか、と、私は噛み付いたことがありました。(なにがきっかけだったかは忘れた……)

「アニメというのは、アニメーション、動画、という、映像手法のひとつにすぎない。たまたま、実写よりも『可愛い』表現もしやすく、子どもにも親しみやすいものに『できる』から、採用されることが多いというだけのことで、手法は手法にすぎない。
 その手法を使ってなにを表現しているのかのほうが主体なんであって、じゃあ、アニメで作ったポルノはどうなのか。そのポルノは子ども向けなのか?
 また、実写だから『えらい』、アニメだから『くだらない』ということもない。
 単なる手法の違い。——油絵だったらえらい、水彩画だったらくだらない、なんて、絵画のほうではいわないだろう」

 と主張したのですが、不満げな顔をされて終わりでした。

 そしたら、その後数年のうちに、はっと気がつくと、マジで、アニメのポルノがかなり作られるようになり、いまや、欧米あたりではアニメ=ポルノ、ヘンタイ、というイメージのほうが先行していると聞いて、あたしゃちょっと泣きました。

 どっちにしろ、そういうのを「固定観念」、「思い込み」、「偏見」というのです。

 昨日もちらりと書きました、坂本龍馬のいった「牡蠣殻に引きこもる」、というのの、牡蠣殻というのは、こういうものも含まれる。

 偏見、固定観念、先入観。思い込み。

 アニメとわかると、映画であるというまえに、子ども向けのものだと決めてかかる。
 ジブリだというと、ああいう作品だろうと思い込む。
 宮崎駿と聞くとヒロイックファンタジーの、しかも「傑作」だろう、と勝手に期待する。

 いずれも「牡蠣殻」です。

 じっさいに映画を見るのなら、「映画を見る」ということにだけ集中して、そういう牡蠣殻からはいちど、よっこらしょと外へ出なければならないのです。ほんとは。
 そうでないと、牡蠣殻をほんのちょっとだけ開けて、そこから一部だけを見て、見えているのは一部なのに、他の部分を無視したり(結果的に)、あるいは、一部を見て全部を見た「つもり」になったり、一部から全体を勝手に「憶測」してみたり。

 まあいいかげんになさいませよと言いたくなるときはある。

 あるものについて賛成でも反対でも、それは自由なんだけれども、牡蠣殻のなかからちょろっと覗き見をした程度で、自分で勝手に妄想し、思い込んだうえで、好きだの嫌いだのいわれたら、そりゃあ、いわれたほうの立場がない。
 ほんとうの意図するものや、実像を、いいとか悪いとかいわれるなら、それはもうしょうがないが、じっさいにそこにあるものとは全く違うものを妄想されて、その妄想の上で、ありもしないものを決めつけられてぐだぐだいわれたら、言われるほうはたまったもんじゃありませんやね。

 ということを、私も、昔からぼんやりとでも思ってきた人間ですので。

 アニメだから、こんな程度の見方でいいだろう、と思い込んで、この「風立ちぬ」も、じつはまともに見ていないという岡田さんの指摘を見て、思わずウケてしまったという次第。

 私も独断と偏見のかたまりみたいな人間ですから、この牡蠣殻のしぶとさは、よくわかっております。
 いちばんやっかいなのは、この牡蠣殻——自分がそのなかにすっぽり入り込んでいるときには、自分が牡蠣殻のなかにいるということを、なかなか自覚できないということです。

 なにかのはずみで、貝をぱかっと開けてみたり、人から引きずり出されたとき、えっ、という衝撃を味わい、自分が今まで入り込んでいた牡蠣殻を振り返って、自分はあんなところにいたのかと茫然とする。

 そういう経験をすると、また自分は牡蠣殻のなかにいるのではないかと検証することを覚えるものなんですが。

 ——案外、せっかくいちどは牡蠣殻の外へ出たのに、あわてて帰っていき、よりいっそう、固く貝を閉じる人というのが、世の中には少なくないということも、わかってきた昨今でございます。

 ともあれ。
「風立ちぬ」については、岡田さんの解説を聞いて、おおむね、概要は見えたなーと思いました。
 されど、そういう思い込みもまた「牡蠣殻」。
 やはり、自分で実際に見てみないと、私自身がそれをどう感じるかは、わかりませんけどね。当たり前だけど。(^^;)

 で、見たいの? と言われると——
 どうなんでしょうね〜。見たいのかな。
 私はどうも「風と共に去りぬ」みたいな、馬鹿な男女の話には冷淡なところがあるしな〜。(外観がきれいでも中身がアレでは)

 見たいんだとしても、今日の私は、映画館にたどり着く前にぶっ倒れそうなんでございます。

 映画を見るにも健康第一ですよね〜。(^^;)
 
 

タグ : オタク 腐女子

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