つぶやき日記・2

大つごもり2017

 昨日はいきなりの無断欠勤(?)で失礼いたしました💧
 午前中ならまだ空いているだろうかというので、年末買い出しに行きましたら、もー気分が悪いわ死ぬほど眠いわで……副腎疲労のひとは寝るのが仕事というくらいなので、眠くなったら寝ておれ、ということでもあったので、ブログ更新も気にしつつコミケの実況も気になりつつ、でも最低限のお昼ご飯食べたあとは寝込んでました💧

 今日はもうほとんどの用事も片付いているか、今年は放棄しているかなので、今日は(比較的)のんびりしたいと思います。
 申し訳ないが、今年は、帰省してくる弟夫婦を完全に当てにしてます。あとは任せた弟よ。

        ●

 さても大晦日。
 毎年、さすがに大晦日のエントリーには「一年を振り返って」みたいなことも書くんですが、今年はそんな気にもならない😅
 もうそういう気力もないというか。(だいぶ投げやりです)

 どんな年でしたか、と言われれば、……うーん。どんな年だったかな……蛹の中に入り込んだ年、って感じかなあ。

 芋虫が成虫=蛾になる過程の、サナギ。
(蝶もですが私のことなので、比喩としては蛾です)
 ちょっと残酷な話ですが、——サナギを割ってみると、中身はどうなっているか、ご存知ですか?
 ドロドロの液状になっているそうです。

 芋虫は蛹の中で、一度、その体組織をドロドロに溶かしてしまうんだそうですね。その上で、成虫の体に作り直す。
 蛹の閉じられた闇の中で、虫は文字通り、「生まれ変わる」んですね。

 で。
 今年は、その蛹の中にこもってドロドロ溶け始めた気がするな。と。
 そんな印象です。
 とはいえ、私ももう年が年ですから、今更成虫もへったくれもないんで、単に棺桶を作っている最中なのかもしれません。そのあたりはまただんだん、来年以降でわかってくるんじゃないかな。
 
 そういう中でも今年も本当にいろんな方にお世話になりまして——「捨てる神あれば拾う神あり」というのも実際のところで、本当にありがたいことだと思います。結果としてはなかなか……というところですが、それでも、もーちょっとやってみましょう、と、手を差し出していただけるこのありがたさ。

 塞翁が馬、って、本当ですよねえ……。
 ありがとうございました。
 
 来年どうなるかは全くわかりませんが、お世話をかけることだけは確実ですので。(^^ゞ
 ありがとうございます。
 これに懲りませず、来年もよろしくお願い申し上げます。m(_ _)m

        ●

 せっかくなので(?)、昨日エントリーにあげるつもりだった話題を一つ。

 今年はいよいよAI——人工知能というものが身近に、いろんなところに入り込んで、一般化が始まった、または進んだ年じゃないかと思うんですが。
 もう皆様の「OK、グーグル」での遊びっぷりが見ているだけでも楽しいものが(笑)

 AIももっとさりげない存在にもなっていくかもしれませんね。

 私の、一番の「これAIでどーにかして」と思うのが Instagram 。
 自分がフォローしている先様や、いいねをしたものから推測されて、🔎のところで「おすすめ」投稿が出てきますね。
 これが私には「よけーなお世話じゃ!」と叫びたくなるものが芋ズル式に出てくるの、本当にどうにかしてくれと思ってまして💧

 🔎で、あら、と思って表示させると、
「同じような投稿をもっと見る」
 というのが表示されます。ここをタップするとさらに、「同じような投稿」が推薦されるのですが、この「逆」の方をお願いしたいと思うんですよねつくづく。

「悪いけどこういう投稿は見たくないから💢」というものがありますので、
「同じような投稿は表示しない
 にも力をいれてほしい。ときどき本気で涙目になってますからね私💦 勘弁してほしいよ💦
 
 と思ったところで気がついたのは。
「そうか、AIがもっと進化したら、そのへん、もっとスムーズになるのかも」
 ということでした。
 これまでの判定では「似たような投稿」でも——極端な例ですが、競泳選手の写真と水着のグラビア写真とでは人間の目には似ても似つかない画像なのを、表示しちゃっているのが現状。

 これを、AIでもっと賢く判別が——スポーツとエロを分けてくれるくらいのことは、できるようになるんじゃないか、と期待してるんですが、……どんなもんでしょ?😅

  Instagram についてはその根本的な考え方からして私とはもう水と油の状態らしいとよく思いますが、それでも、もうちょっとあのアルゴリズムを「円滑に」運用してくれる可能性がAIにはあるのでは、と。

 そんなこともうっすら妄想しつつ、今年もこの辺で。m(_ _)m

 このブログは私自身の息抜きの場所、好き勝手なことばかりやっておりますが、今年もお付き合いいただき、ありがとうございました。

 皆様、どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。
  
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福餅ともいう

 お雑煮に入れるお餅、のし餅は、毎年知り合いの農家さんにお願いしております。
 何件分かまとめてお餅をついてしまうんだそうで(ちゃんと杵と臼で!!!)、機械の餅つき機も進化したとは言え、やはりちゃんと搗(つ)いたお餅って美味しいんですよね〜。(˶′◡‵˶)

 今年はでも、クリスマスイブに、その伸し餅が届いたのにはびっくりでした。
 まだクリスマスイブですよ?! と驚いていたら、
「搗き手の一人が、年末は海外旅行へ行くから」
 だそうで(笑)

 もう昨日あたりからお出かけなのかな。
 今年は土曜日曜の配置がちょっと微妙ですよね。そんなわけで、「年末に一番近い土日」ってことで、餅つきをすませてしまったらしい。

 うへえ、とびっくりしながらも一晩お餅を置いて、翌々日には切り分けてしまいました。
 で、昨日、ちょっとだけフライングで、つぶあんつけてお味見❤️
 やっぱり美味しいですねえ❤️

 今日は29日ですが、皆様のお住いのあたりでは餅つきをなさいますでしょうか?

 うちの方では29日は「苦」餅、と言い、縁起が悪いので餅つきはしない日、ということになってます。
 でも、場所によっては「29」だから「ふく」と読んで「福餅」と言い、こちらは逆に縁起がいいんだそう。
 いーかげんだなーもー。(^^;)

 静岡県には「田子の月」さんという和菓子屋さんがありますが、こちらでは毎月29日に「福餅」と称して大福餅が販売されます。
田子の月 福餅1

田子の月 福餅2

 福餅、という発想はあるのに、お正月の餅つきは29日は「苦餅」になると言って忌むのかなあ…謎だなあ…。
 と、ほぼ毎月、福もちと書かれた幟(のぼり)をみては考えております(笑)

 29日に餅つきをしないとは言え、だからってまさか30日に餅つきをするところもないと思われます。
 まあ、現代だとそれもあり得るのかもしれませんが、——お正月飾りは「一夜飾り」を、これまた嫌うもの。

 大晦日にガタガタと飾りつけて翌朝お正月、というのはあまり意味がない。
 というのは、お飾り、鏡餅などは、新年になるとやってくる歳神(としがみ)様の宿る場所ですから、やはり前日以前には用意しておかないと、神様が来てくださってもお席もない、なんてことに。
 流石にこれはマズイということで、「一夜飾りは忌む」ってことになったんでしょう。

 また、昔の大晦日は、12月31日じゃなくて、30日ですもんね。大晦日に餅つきは、そりゃ、しないわなあ……。
 昔の暦は太陰暦だから、ひと月は30日間。31日、という日付はなかったんですね。

 そうなると、29日に餅つきをしないというのを徹底するために「苦」餅だ、なんて言ってたんじゃないかなーと想像してます。

 とは言え、私も、
「メリークリスマ〜ス! はい、お正月の伸し餅!」
 って言われて、餅を差し出されたのは初めてでしたが(笑)

 現代人は忙しいよねえ。仕事も、遊ぶことさえも。
 
 あんましドタバタして正月を迎えるもんじゃない、という、昔の人の知恵かと思うと、「29日は苦もち」というのも迷信と呼んでしまっては気の毒。むしろちょっとした知恵のように思えてきます。

 もちろん29日で「福餅」というのも——餅つきはどうしたって1日仕事になりますから、これはこれで、福餅にしたい場合は28日までには他の用事をすませておく必要がある。
 いずれにせよ、ドタバタしないで元旦(元日の朝)を迎えましょうね、という、そんな「気持ち」が見えてくるようです。

 お正月に向けての準備、もう一息、頑張ってまいりましょう(笑)

餅つき

 
 

気が抜けた…

 昨日、一昨日と、ちょっと真顔で、しかも長文気味のものを続けてしまいまして。
 それで力尽きた、ってことではないんですが、(^^ゞ なんとなく今日はお休みします。

 ああいう話を続けたあとは、もう思いっきり馬鹿話したいところなんですが、なんだかんだでやはり年末で、いろいろ雑事に追われて意外と時間が取れず💧

 今日、仕事納めというところもあるでしょうか。明日の方が多いかな? 何にしてもこの時期は「年内に」というキーワードが必要以上に人を追い立てることが多いですよね。
 来年、つっても冷静に考えればそれって来週の月曜日(以降)のこと。
 年末年始という枠は一度外してしまって、冷静に、カレンダーを眺めて、平常心で行くのがいいかなと思います。(^^;;

 そんなこんなで、今日のところはこれにて失礼を。m(_ _)m

 じつは今週はもう今日までドタバタ続きだったので、明日こそは、平和〜な気持ちでお目にかかれますように。(-人-)

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「り」も「め」も同じ②

 いじりといじめは違うのだ、という「言い訳」を、何度か聞いたこともあります。
 が——いちおうそれらを聞いて、考えて、あれこれ考え合わせた私の結論は
「いじりもいじめもおんなじ!」
 でした。
 実際、あれは一体、何の言い訳だったんだろう。

 日常のことではなく、「いわゆる」お笑い芸人・タレントさんたちの「芸」としての「いじり」というのは——私は個人的にはこれ自体が好きではありませんが——、まあ、それが芸だと言われれば素人としては、そうですか、へえ、としか言いようがないので、これは、この場では関係のないものといたします。

 で。
 昨日の話題の続きですが、「はあちゅう」さんの、「いわゆる」童貞いじりはセクハラではないのか、というお話。

 ………そりゃあ、セクハラ以外のなんだっつーんだ?
 というのが私の「感想」でした。

 とはいえ私は、はあちゅうさんをよく存じ上げないし、過去の、その童貞いじりとされる発言、ツイートがどんなものか、直接には拝見したことがありません。
 ですので、その発言内容自体について勝手な憶測でものをいうわけには行きません。

 それでも、もしも、はあちゅうさんが過去の発言について「謝るようなことではない」とおっしゃるその理由の中に、自分のいじりの発言は「芸」に分類される、ということがあるなら。申し訳ないですがそれはまず、否定させていただきたいと思います。

 芸としてのいじりとは、いわば「フィクション」として存在する。
 実際にはいじめっ子でもいじめられっ子でもない人たちが舞台上で見せる「コメディ(喜劇)」の一つのパターンを、いじり、と(専門用語で)呼ぶ、——というものとは、そりゃ全然違うでしょう。

 ということで、私としてはまず、申し訳ないけれども、やはり彼女のしたことはセクハラに分類される、と判断します。

 童貞いじりがいいか悪いかよりも気にして欲しいことは、
「なぜ童貞が「人間にとっての弱点」とされるのか」
 ってことでした。

 人がいじめの口実にすることはいろいろあります。体型のこと、頭髪を含む外見のこと、容貌のこと、生まれ、育ち、出身地、学歴、病気、体質、国籍、性別、趣味のこと………まあ何でもあります。
 つまるところいじめは、いじめることができれば理由なんかどうでもいい。

 ではあるけれども、私がはあちゅうさんのご発言を読んでぶっ飛んだのは、その謝罪文の中に

「童貞=社会的弱者という言葉のニュアンスがあること、また、そのように受け止めてしまう人が多いことに対しての意識がありませんでした」


 とあったこと。
 ちょっと待って、童貞って「社会的弱者」なの?! 何で??!!

 何やらここにもいろんな「ねじれ」があるなあ……と、げっそりしたんでした。
 
 私はどういうわけか、思春期のとっかかり、その言葉の意味もろくに「理解」していないような頃から、童貞・処女を「捨てる」、という表現が嫌いだったんですよねー…。
 そんなもんは一つの「状態」を示すものであり、永続的・固定的な「属性」(例えば、医学上の性別がそうですね)ではない。
 なのに、何か不都合な「モノ」と見なして扱うのも意味わからんかったし、ましてや「捨てる」ってさあ。なにそれ。

 いじめや差別の問題は、しかも「弱者」であるかどうかではない。先ほど申しましたがいじめ・差別というのは、いじめや差別自体が目的なんであって、理由なんかどーだっていいんです。私からみれば社会的弱者どころか成功者と言える人々——セレブと呼ばれる人さえ、「有名税」だなどと散々に「いじめ」られてるじゃありませんか。

 いじめ・差別は弱者に対しての行為であり、同じことをしても、相手が「強者」であれば問題にならない、という考えが、そもそも間違っていると思いますね。

 たぶん、一番の問題は。

 童貞の「社会的地位」でもなければ、「いじりはいじめではない」ということでもなければ、差別は弱者にのみ付いて回るものだということでもない。

 とにかく。

 モノが何であれ、たった一つの属性だけで(その属性が、金持ち、セレブというものであっても)他人を差別・いじめることは、やっては「ならぬこと」だという——それだけじゃないですかね。

 私の目にはそう見える。

 いじめや差別をされた人は、その経験から、自分はそのようなことはしないという思いやり深い人になることが多いと思いますが、けれども中には——本人は無意識でしょうが——「復讐」として、自分自身がいじめ・差別する側に行ってしまう人がいる、ということ。

 復讐がしたいんだったら直接、とうの本人に復讐すればいいのに、それができない場合は、そうやって無関係の人を犠牲にするんですよね。

 この心理自体は珍しいものではありません。

 セクハラの極限、レイプというのも心理的には、性行為でもなんでもなくて、目的は「復讐」だというのはすでにわかっていること。(一般社会ではポピュラーではない概念ですが)

 虚しいのう……、と、思わず、テーブルの上に額を載せて、深〜いため息が出てこようってもんです……。

 さらに虚しいのは、そういうことを、人間には良心というものがあるのではっきりとした形ではなくても自分でわかっているのに、さまざま、言い訳や屁理屈を考えて、それを認め(られ)ない、という、人の心なのかもしれません。

 童貞=社会的弱者、という「社会通念」の正体は、昨日のエントリーでご紹介しました、こちら↓のコラムが暴き出してくださいました。

なぜ「童貞」を笑いのネタにしてはいけないのか?
2017年12月20日 cakes/渡辺由佳里
 
 常識や社会通念なんて「絶対正義」なんかじゃねーんだよ、ということ。

 でも、それが正義ではない、むしろ、それは「間違っている」と気がついたとしても。
 常識が崩壊するということは、それまでは絶対確実だと思っていた「基準」を失うということなんですよね。
 その基準が失われると、ボーゼンとしてしまう。
 それはわかる。

 でも、呆然として、戸惑って、……その間違いを間違いだと認めてしまったら、過去の自分までもが「崩壊する」と感じるときの恐怖に、多くの人は負けてしまう。
 
 ……んだな、というのを、私は今回の、はあちゅうさんの姿の中に見た思いがいたします。

 でも、人間が作った基準は——そりゃまあ便利ではありますが、でも、それは「絶対基準」じゃない。
 少し知恵がある人なら、晴れた夜を待ち、北極星を探すでしょう。
 本当に基準と呼べるものがあるなら、そういうもののことじゃないでしょうか。

 そういうものが自分の頭上にはある。
 だから安心して、過去の間違いは、間違いだったと言っていい。

 夜の森の中で、星が見えるようになるのをじっと待ち、やっと星を探す、というのは、怖いことだし時間もかかるし、星から何かを割り出していくのも手間暇かかることだけど。
 間違った基準点にしがみついているよりは、進歩向上ってものが見込めるんじゃないでしょうか。

 いろいろと考えさせられる、今回のお話では、ありました。

 
 差別やいじめの感情って——でも、じつは「消える」ものだとも、私は思ってはいないのです。なので、安易にはあちゅうさんを責める気にもなれない。私もたぶん、同じです。
 いじめは無くならない。
 大事なのは、いじめをなくすことではなく(その努力はもちろん必要ですが)、それにいかに迅速かつ的確に対応するか——ってことじゃないでしょうか。


 ………なんだか真面目に話しすぎて、ちょっと疲れましたね。(^^ゞ
 息抜き。↓
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「り」も「め」も同じ①

 TIME誌では今年いちばんの影響というか反響を呼んだものとして、ハリウッドの大物プロデューサー氏の「長年に渡る」セクハラ、レイプの告発をきっかけとして、セクハラ被害を訴えた人々を選んでいましたね。

 セクハラ被害とは言いますが、個人の責任だけのことではなくて、業界全体の体質、あるいは暗黙の了解、つまるところは「業界での慣行」であることを告発した、というところに告発の「意義」と、問題の深刻さがあるわけですね。

 で、ネットでは「#MeToo」というハッシュタグができ、そういう大物の話ではなくても、自分もまた被害を受けたと告発する動きも起こりました。

 これを腹立たしく思ってみる人も少なくないでしょうねえ……。
 そう思うと私もゼツボー的な気分になるんですが、でも、そういう人には無理やりにでも、セクハラ被害を自ら声にする、その時必要になる「勇気」がどれほどのものか、お考えいただきたい。

 逆にいうと(今の大相撲もそうですが)、被害者が被害を訴えるのは当たり前のはずが、その当たり前を当たり前にできていない、この現状。
 問題としてなお深刻なのはこの状況なのだ、というの、どうにか理解してもらいたい。

 このへんはもうほとんど祈る思いです💧
 なぜわからないのか、と言って怒る気力は、私にはもうない。怒る、というのも、ある意味まだ愛情や期待がある証拠なんで、私にはもう、それらも枯渇しつつある。
 あとに残るのは、なぜ、たったこれだけのことすら理解できないんだ、という人間の暗愚さへの、絶望的な気持ち。

 その深刻さをなお知らせる意味でもぜひ、この「#MeToo」タグの告発は、男性からも行ってもらいたい、と、私も願っております。
 今年日本では強姦罪が改正され、「強制性交等罪」となりましたが、びっくりしたのは、従来の強姦罪の被害者は「女性」に限定されていたということ。

 私はそれが親告罪だということにばかり気を取られていましたが、被害者に性別の制限があったとは存じませんでした。
 バカ言っちゃいけない、レイプ被害に遭うのは女性だけとは限らない、なんでそんなバカな法律になってたの!? と思わず叫んじゃいましたよ。本当に。

 結局、被害者が女性に限定されていたことも、被害者が被害を訴えるのに「勇気」がいるような羽目になっているのも、その背景にあるのは、社会通念や文化というもの。

 男はこうであり女はこうであり、世の中には一人たりとも例外などない、という、「集団の中に形成された思い込み」とでも申しましょうか。

 これが本当に根深くて、しつこくて、しかも自覚されにくく、自覚しても、じゃあどうしたらいいんだろうということで混乱して、結局、自分に目隠しをして、従来の「思い込み」に従い続ける人の、なんと多いことか。

 私はかなり露骨に「男嫌い」ですが、これ、正確にいうと「男性原理嫌い」です。
 現実の、人間を嫌い、というのとは違う。男性原理が嫌い。なので、この原理に支配されている人間も大の苦手。支配されている人間には男性も女性もいる。
 私の「男嫌い」は、医学上男性なら無条件に嫌いというものではなくて、「男性性を”間違った方法”で利用すること/人」が嫌い、というもの。

 ややこしい言い方で申し訳ないですが。(^^ゞ

 アメリカのマッチョイズムが鼻につくのはその代表例ですね。
 私も、こちら↓のコラムを拝見して、「そーなんですよー」と思わず深く頷いてしまいました。
 

なぜ「童貞」を笑いのネタにしてはいけないのか?
2017年12月20日 cakes/渡辺由佳里


 ということで、説明するだけでこれだけ大きく話が逸れてしまうんですが(実際には何も逸れてはいないけどぱっと見はまるで違う話題に見えるでしょう。それだけ、規模も大きいし根も深いわけです)。
 元に戻りまして「#MeToo」、男性からも告発を。と。

 男性のセクハラ被害がないわけがありません。
 私もいつからだったか思い出せなくなりましたが、とにかく、ふと気がつくと、「セクハラ被害だと訴えながら、その当の本人が、平気で男性に対してセクハラをする」女性たちが目につくようになっていました。
 女性ばかりじゃない——どうでもいいことで他の男性を、男らしくないなどと侮辱する男性も珍しくないでしょう。

 そういうのに私どもは「慣れ」過ぎている。そう思います。

 これが、常識とか社会通念とか言われるものの「正体」。

 そういうものだと思い込む。
 でも、思い込もうが世界中から押し付けられようが、間違いは間違い。
 
 常識や社会通念を疑い、抗うのは、本当に難しいことだなと思います。

 図らずも。
 「はあちゅう」さんが、自らはセクハラ被害を訴えながら、そういうご自分が逆に男性に対してセクハラを行っていた、ということ。 
 しかも、それを一度は認めながら、結局「私は悪くない」というところに着地してしまった、ということで。

はあちゅう、「童貞いじり」謝罪を撤回 「よく考えたら、謝るようなことしてなかった」
2017/12/25 15:21 J-CAST ニュース


 常識や社会通念が、「正しい」ものではなかったと気づいたとしても、じゃあどうしたらいいのかと戸惑い、結局、自分に目隠しをしてしまうと先ほど申し上げましたが、その典型例になっちゃったな……というのが、私の「感想」。

 その常識は本当に常識か、社会通念は、ただそれだけで「正しい」と保証してくれるようなものなのか。

 常識や社会通念に戸惑ったら、変わることを恐れて元の場所へ戻ってしまうのではなくて、せっかく少し離れた場所へこれたんですから、そこから離れて眺めて考える、ということが必要なんだろうと思います。

 
 …………本日のお題は『「り」も「め」も同じ』としてはみたものの、そこまで話が進みませんでした💧
 話の前段だけで時間切れになっちゃった💧

 ということでこの話、続きます。
 明日こそ本題に入りたい💧
 
 

クリスマスに寄す

 喧嘩をするときは理論武装していくという嫌なタイプなんですが、でも、だとしても、クリスマスとはそもそも何か、由来は風習は語源は、と、調べていくのはなかなか楽しいです。

 今年のクリスマスイブは日曜日夜になったせいもあってか、昨夜はずいぶんツイッターのTLも華やいだり美味しそうだったり、いつもよりはいい雰囲気だったりで、なかなか楽しかったですよ。

 クリスマスイブに呑気にツイッターのTLなんか眺めていたのかと言われそうですが、まあ、それも楽しみ方のひとつということで(笑)
 クリぼっち、という、わざわざ嫌な言葉も作られていますが(誰が考えるんでしょうねああいうの)、こうしてみるとクリぼっちも集まってみればなかなか楽しいもんだなー、というのが私の感想でした。

 今日の日没までがクリスマスとのことですが、日本ではあいにく、クリスマス休暇というものはなく、むしろ年末年始、お正月というところに日本人は命をかけているところがあるので、今日はふつーに平日ですね。

 なぜに私がそれほど「喧嘩を買う」勢いでクリスマスについてあれこれ調べまくって理論武装したかというと、その昔、キリスト教徒に説教されたことがあって、これがもう気に入らないのなんのって、それで頭にきて調べてみた、というのがそもそものきっかけ。

 調べて、そんな改宗野郎のことなんぞどーでもよくなるほどびっくりしたのが、「とにかく借り物だらけ」というその実態。
 このブログではしょっちゅう言ってますが、現在のキリスト教のお祭りとされるもの、本当のオリジナルの祭りなんて無いに等しい。

 もともとのヨーロッパの民俗信仰やその習慣を、なんだか無理やりなこじつけで吸収したものばかり。

 なんじゃこりゃ、と、理論武装のことも忘れて面白がってしまい、いまだに、あれこれ気がついたものをメモしたりしています。

 まあなんですね、一般の、人間個人のレベルと同じで、「偉そうにするやつって中身がない」って感じです。
 本当に偉い人はエラそうにしない。その必要がない。だって偉いんだから。中身が。

 エラそう、というのは外見のことであり、ハッタリのことであり、ハリボテのことでもある。
 私は何か立派そうなものに遭遇すると、その立派さに感心するより、「何がどうしてこうなっているのか」をみてみたがる——時々いるでしょう、集団でどこそこへ見学に行ったとき、気がつくと姿を消して何処かへ行っちゃうやつ。
 私はまさにそれで、実際子供の頃それで怒られたことも何度かあります。(^^ゞ

 キリスト者になんだか偉そうに言われたのが気に入らなくて調べ始めたこととはいえ、自分のこの性分を思いますと、そういうことがなくても、いずれどこかで「何がどうしてこうなっているのか」については、気になって調べていたでしょうね。

 ……で、その場の人が、見学者の目には触れないように隠してあるものをわざわざ探して嗅ぎつけて引っ張り出し「これってなんですかー?」と空気をいっさい読まないで叫んだりするわけ。
 嫌がられて当然ですよねこれは(笑)

 クリスマスも。

 もう何度ももうしますがこれは元は「冬至」のお祭りであり、新年を祝うもの。
 サンタさんを始め、いろんなものを真似して取り込んで楽しんでいるのが日本人ですが、まあそう堅苦しく考え込む必要はない。春がくるんだな〜と感じるとワクワクしてくるのは自然の心の働きなので、それで浮かれるのに、本来はそんな難しく考える必要も、もったいぶる必要もない。

 キリスト教についていえばひとつだけ感心しているのは、「演出が上手」ということ。

 元のお祭りにあったものを改変し、きれいに魅力的に見せる、その演出力は、大したものだと思います。
 
 もちろん真面目に信仰なさる方を否定する気はありません。
 いちいち私を折伏(しゃくぶく)しようなどとしないでくれれば、それで結構なので。

 そのあたりは異教徒も節度を持って、「立ち入り禁止」区域はどこかを見極め、その場所には敬意を払って立ち入らないように気をつけたいところ。
 これは宗教とかは関係なくて、人間としての節度、そのもの。

 そうやって互いの「領域」を守りあっていられれば、なんの問題もない。
 はず。

 そんなわけで、冬至祭よりやっぱりお正月、というのもいいし、とりあえず一陽来復でおめでたいつって浮かれるのもいいし、それぞれ、お好きなように、楽しんで過ごすのがいちばんよろしいのではないかと思います。

 そんなわけで、慌ただしい年の瀬ながら、皆様、楽しくお過ごしください。(^-^)

 
 

ヤドリギの木の下で

 ということで今日の日没からクリスマスイブ。
 クリスマスイブはクリスマス前夜ということでしょうが、ハロウィンもそうですが、何かのお祭りの前日の夜から、そのお祭り当日になる、ということみたいです。
 
 というのは、昔には、その日1日は日没まで。日が暮れたら、「次の日」になる、という数え方、考え方だったようです。
 日本もそうなのかなあ……。古川柳で「大川の蛍合戦 大晦日」というのがありますが、これ、借金取りが街を駆け回る様子を詠んでいるんだそうで。

 大川は隅田川。
 作者は橋の上からでも眺めているんでしょうか、川端を、多くの提灯(を持った人)たちが行き交うのを見ていると、夏の蛍が飛んでいる様に似ている、ということなんですね。
 
 昔は商売は多くは「かけ売り」。売り買いは即金ではなく、例えば半年を1期として、決済は期末にまとめて支払う。

 大晦日はその半年分の支払いを催促に回る最終日ですが、支払う人はこの日をなんとかやり過ごそうとする。
 やり過ごすと次の期が始まりますから、また買い物ができる——という商慣行があったようです。よーするに借金の積み増し。
 
 ともあれ、その「逃げ切る」のが、ひとまず日が暮れて夜になってしまえばそれで借金取りはタイムアウト。やはり日没で「その日は終わる」「次の日の始まり」になる、という概念だったようで。面白い。

 ということでこのエントリーを投稿するのは24日の昼ごろなので、正確にはまだクリスマスイブではありませんね。日が暮れたら、イブ。そしてクリスマス。クリスマス「当日」は、24日日没〜25日日没、ということですね。

 メリークリスマスというのは挨拶なので……まあ、別に当日以外(以前)でも言えるそうです。この辺は習慣のことなので。
 あと、キリスト教徒ではない人や、キリスト教の中でもちょっと違う考えでメリークリスマスと言わないところもあるとかで、ビジネス関係など、あまり詳細がわからない人相手には言わないほうが無難だと、私はその昔、教わりました。挨拶としてなら happy holidays! とか、カードを送るなら season's greetings の方がいいとか。
 日本人からするとそれくらいいーじゃないと思いますが、……厳しいですよね😅
(クリスマスなんて元は他の宗教、民族のお祭りで、それをキリスト教が勝手にいいように利用しただけなんだから、そんな目くじら立てることないじゃんね💧)

 そんな今日24日の「誕生花」はヤドリギだそう。

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 ヤドリギは文字通りの寄生植物。育てたいのであれば、土に植えるのではなくて何かの植物に(けやき、ポプラ、桜の木など)に種をくっつけるそうです。
 タネはベトベトした粘着性のある液果に包まれているので、それを寄生させる植物にくっつけると、そこから寄生根が出てくるとか。

 ヤドリギは寄生植物とはいえ、寄生した宿主に害があるものではないそうです。よく鳥のフンに紛れてタネが運ばれていくそうですが、見つけても、害はないとのことなので放置して様子を眺めてもいいのでは。


 ただしヤドリギは成長は極めてゆっくり。最初の枝分かれまで4年かかり、以後、分枝は1年に1回。
 よくクリスマスの時期に飾られているような、あんな風になるのには、下手をすれば20年くらいかかるそうです💦

 で、ヤドリギの花言葉は『困難に打ち克つ』『克服』『忍耐』。
 あの成長のゆっくりなことを考えると、もっともな花言葉だと思われますが、その中に異彩を放つ言葉が一つ。
『キスしてください』

 あまりに他の言葉とは趣(おもむき)が違うのでいきなり何?! と思いますが(笑)、これはクリスマスの際、飾られたヤドリギの下でキスをするという風習によるもののようです。
 これまたじつはクリスマス——キリスト教には起源はなく、ケルトの風習というか伝承が元なんですね。

 なかなか面白いお話なので、こちら↓、ご参考まで😊

神秘的な木の下で幸運のキスを
2010/12/15 COCORiLA