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2016.12.31 (Sat)

おおつごもり 2016

 大掃除、概ね完了。

 今日はもう「ブログ休みます!」と叫ぶことになるかと思いましたが、まあまあなんとかなったようです。
 まだ大掃除、完了してはいませんが、あと2、3、済ませれば、なんとか妥協できるくらいには(笑)
 どのみち掃除というのは終わりというものはないもので、どの時点でどの程度の状態にしたいか、するか、それだけですもんね。

 とはいえ大掃除スケジュール、今年は順調&余裕で、大晦日もバタバタしないで済むと思っていたのに、思わぬ怪我をして1日半、何もできなかったというのは痛かったねえ;;
 それでも1日半で済んだともいえます。今日あたりはもう、ほぼ、通常通りに右腕を使っているので、助かりました。

 多少、ものを持てないとか、動きに気をつけることもありますが、ほとんどは支障なく動作できるので、午前中に一気に集中してできたからよかったです。

 本格的に靭帯なり腱なりを傷めたんじゃないんでしょうね;; もちろん多少の損傷はあるんでしょうけども、何日も腕を吊っていないとならないというような怪我ではないようです。腫れがあったのは確かで、腫れが引けばおおむね、なんとかなるレベルってこと。

 とはいえ、あああやってしまった! と思ってすぐ整体院で見てもらえたのが大きかったな。本当に、無理を言って申し訳なかったけど、よかったです;;

 現在、重いものは持たない他は、意外と掃除用スプレーに気をつけてます。指先のことではありますが、トリガーを何度も連続して引いていると、あ、これマズイ、という感覚に襲われるんですよね。どういう関係かはわかりませんが。

 ともあれ、本格的な怪我ではなかったようで、ありがたいことでした。

         ●

 ということで2016年、平成28年も本日で終わり。
 今年1年、おつきあいくださいました皆様、ありがとうございました。m(_ _)m

 今年のまとめとか「振り返って」とかは……うーん;; あんまりやりたくない気がしますが。(^^;)
 なんてことを言うようでは、あんまりいい1年だったとは思ってないってことですね;;

 今年の前半は、過去にやったことのないものに参加したりで面白かった。まあこんな機会でもなきゃ一生、やらないよね、という「挑戦」もあったり。
 ぜひ、1回はやってみたい! ということも、時間の合間を縫って慌しかったけれど実現したものもあるし。
 大河ドラマ、楽しめましたし♡

 それでも。
 全体を通して振り返ると、今年はやはり「別れ」の年だった、と言うしかなくて。
 それでついつい、なんとなく、湿っぽくなってしまいます。

 いい悪いはおいといて、「節目」の1年ではあったと思います。

 世にあるすべての別れ、すべての終わりが「悪い」こととは限らないんですけど、そりゃまあ、どうしたって、親しんできたものとの別れとなれば、そのショックはあるよね……ということ。

 それらもいずれ、時間がなんとかしてくれるでしょう。

 むしろ大波をかぶるのは来年になってからだろなーと今からちょっともう戦々恐々、身構えているところもありますが………成るように成る。なるようにしかならない。
 何かと思いつめやすい人間にはこれくらいの「呪文」がちょうどいいそうです。(^^;)

 人を見て法を説けってやつですね。ちょっとのんびりがすぎる人には向かない言葉ですが、意味もなく真面目〜に、硬く考えすぎ、自分で自分にミョーなストレスをかけてしまうタイプには、「成るように成る」くらいのものがちょうどいい。
 そういうことで。

 それでも今年はいろいろ、楽しめたことも多くありました。そのことには素直に感謝しております。

 このブログは図々しくも、「自分の息抜きのためにやってる」と言い続けておりますが(毎日のように何かやってて、すごいねと言われますが、なんせ自分の息抜きですからすごくはない。(●´ω`●)ゞ)、毎度お付き合いくださいます皆様、まことにありがとうございます。

 禍福は糾(あざな)える縄の如しとも、幸不幸は自分の気持ち次第とも、人間万事塞翁が馬とも申しますが、まあそりゃそうだわな、と、過ぎし1年には感謝を込めて、来たる1年には皆様のさらなるご健康、ご多幸をお祈りいたします。

 ありがとうございました。

 みなさま、どうぞよいお年をお迎えくださいませ。m(_ _)m
 
 
13:31  |  身辺雑記2016  |  EDIT  |  Top↑

2016.12.30 (Fri)

コミケ参加者

 人の関節の柔らかさ・固さというのは生まれつきのものだそうですが、お世話になっております整体の先生によると、私は関節が柔らかいんだそうです。つまり怪我をしにくい。
 とはいえ、何かスポーツをしているわけではないし、あんまり意味ないような気もするんですが、確かに振り返ってみると、運動神経が鈍くてトロいわりには、怪我はしたことなかったんだなあ。

 ……と、怪我をしてから気がつく(笑)

 昨日はちょっと重いものを持った拍子に、持ち方が悪かったようで右肘靭帯を傷めてしまいました。

 ほっておけばいいだろうと思っていたけど時間がたつほど痛みが増してきたので、これはダメだな、ということで暮れの整体院へ無理に突っ込んでもらいまして;;
 とにかく冷やすこと動かさないこと、とのこと。
 それでもすぐに診てもらったおかげか、今朝になりましたらかなりいいですね。痛みもあまりないし、昨日は曲げ伸ばしもできなかったけど曲げる方は問題なくなった(といって調子に乗って続けていてはいけない感覚はある)。

 今日はひとまず大人しくしておれ、とのことですが……おとなしくつってもなあ。
 痛みや張ってくる感じが出る直前まで様子を見ながら、仏壇を拭いたり、できることはやってます。

 だって本当に何もやらないなんてこの年末にさあ! そりゃ、逆に無理ってもんですよ。

 諸事、基本的には左手でやってます。腕を伸ばす他には、手首をひねるような動作ができない。手首がどうこうではなく、やはり肘のところで動きがブロックされる感じです。
 顔にあれこれ塗るのと洗髪がやりにくい……。やれやれ。

         ●



 昨日からコミックマーケット91が開催されています。
 過去にも様々な、いわゆる有名人という方々がおいでになっているコミケですが、少なくともこれまでは、だからと言って騒ぎになったことはありません。

 今年の夏は何と言っても西川貴教さんが話題でしたが、今回は! なぜか!! 「あの」!! 叶姉妹がおいでになる、とのことで。

 本質的にはアングラな世界であるコミケとは無縁そうな方々なのに(というより究極の対極だべ)、どーした? 何があった? とは思いつつ、さすがにこれは話題が「すぎる」と思われたか、事前に準備会からもコンタクトしたみたいですね。
 叶姉妹のエライところは、ちゃんと事前に下調べもして、アドバイスも受けて、従って「敬意を表する」態度ですね。

 キモオタの祭典てどんなんだよ(嘲笑)、という態度ではないところが、エライなあ。と。

 で、受け入れ側としては——上記ツイートの通り。

 通常なら叶姉妹がちょっとありえない場所へ「降臨」となれば、勝手に写真撮ってネット上に溢れかえるところ、あれだけの人(昨日の来場者数17万人と発表あり)がいても、そういう非公式の画像が1つもないというのは、立派。

 コミケにおいては参加者はひとしく「参加者」であり、「お客様」はいない。常に法的には黒に近いグレーゾーンにあるコミケは、参加者一人の行為一つで簡単に消えて無くなるものだという危機感は共有されてきた、という歴史がある。

 とはいえ、現在は諸外国からの参加者も増えたし、物見遊山的にくるやつが一人もいないと言ったら嘘になる規模だし(でもそういう人は大抵、泣いて帰ることになると思いますけどね)……今回も、叶姉妹がおいでになるのは構わないけど、周囲がどうかなと思っておりました。

 昨日は来場時間が遅くなったということもあったかもしれませんが、ともあれ、叶姉妹といえども「いち参加者」に過ぎない、ということを忘れた不心得者はいなかったようで、何よりです。この調子でいってもらいたいと思います。
(離れたところから拝むくらいはまあいいでしょう;;)

 でもこういう態度って、当たり前っちゃ当たり前だと思うんですよね。
 何かの仕事できているならまだしも、あくまでご本人のプライベートなものであれば、押しかけたり話しかけたり勝手に写真撮ったり騒いだりって、どー考えても「プライバシーの侵害」。
 そういうものを「有名税」などという開き直った考え方は、「盗人猛猛しい」というものだと考えてます。

 夏コミの西川さんのときも、周囲のサークル参加者は「サークル参加者同士」という枠を出ることなく、ご本人に対応したと聞いております。それでいいんじゃないですかね。コミケ以外の場所でも、そういう考え方がフツーになってくれるといいなと思ってます。

 過去、ちょっとだけ面白かったなと記憶するのはローリー寺西/ROLLY さんで、気がついた人たちももちろん声をかけるなどはしなかったけれど、思わず、そっと跡をついて歩く人が続出し、遠目には「ハーメルンの笛吹き」状態だった、とのこと。
 それでも目につかないように、そっと、ってところが面白いなと個人的には思ったこと(笑)

 面白いといえば、事前の情報としてはむしろ、「叶姉妹が来るのはいいけど」、恭子さんをエスコートする「グッドルッキングガイ」は来るのか!? と色めきたったところでした(笑)
 ご本尊よりも脇侍(きょうじ)の方が話題をさらったみたいな感じ(笑)

 もちろんそちらの同行はなかったようですが、——なんなの、その妙な動揺ぶりは(笑)

 ともあれ。
 有名人といえども「参加者」である、というこの精神は、このまま維持していけたらいいな、としみじみ思ったことでした。

 叶姉妹には、コミケ、楽しんでいただけたのかな。
 楽しんでいただけたならいいんだけどな。
 せっかくなんで。+.(*'v`*)+
 
 

タグ : オタク 腐女子

11:27  |  身辺雑記2016  |  EDIT  |  Top↑

2016.12.29 (Thu)

集合的ぬえ

「あれから電通はまったく変わってない」 突然の社長辞任、現役社員はどう受け止めた?
2016年12月29日 7:01配信  BuzzFeed Japan

 昨夜のニュースで、電通さんの社長さんが辞任なさる由、承りまして。
 誰が何に対して「悪いこと」をして、誰に対して「謝罪」するというのか、はっきりしない話だなと思って聞いております。

 話を聞いていて思うのは、
「いったい、その仕事というのは、具体的には何をやってるの?」
 ということ。
 あれだけの人員がいる大企業でありながら、「人手不足」になるような業務内容って、何をしてるんだろう?

 いわゆる繁忙期というのはどこにもあって、その時期にどうしても残業、というのはわかりますが、そうも1年中死ぬほどの残業が必要というのが事実なら、それはもうマンパワーの不足を意味している。
 とするならそれは管理側の失敗だし、経営者の責任です。確かにね。

 人を増やすか業務を見直すしかないわけですが、そういう方向性での努力がなされた形跡もなく(というより、発想自体がなさそう…)、いきなり社長さんが辞めますと言っても、根本的な解決にならない。
 労働局が入ったからしょーがないわ、「ごまかし」とけ、というように思えますね。

 電通さんのみならず、この異常な長時間労働、残業、サービス残業が「当たり前」という風潮は、どこでどうすれば根絶できるのかな。

 昔は、「自分の仕事は終わっていて帰れるんだけど、上司より先に帰ってはいけないからタラタラ残ってる」なんて話もありました。現在は、そういうものがもっと際限もなく膨らんでいる気がする。

 定時で上がるのが「当たり前」で、残業? なんで? どうしたの? というのが本来ですよね。
 それが、上司より先には帰れないとかいう「暗黙のルール」もおかしいし、——マネージメントには当然、社員の健康状態にも気を配るべきところ、むしろ「殺しにかかる」のが当然とされているのもおかしい。

 電通さんの今回のことが「一罰百戒」となれば社長さんの辞任にも意味が出てくるでしょうけれども、単にこの場を「ごまかす」だけで終わるのでは、残念なこと。

「定時で帰って当たり前」という常識を、日本人が大好きな「空気」にまでしなきゃいかんのでしょうかね?
 その「空気」というものは、どこが発生源でどういう発生メカニズムがあるんでしょう。
 それがわかれば苦労はないでしょうが——最終的には一人一人の自覚、ということになる気がする。

 周りがそうしてくれたら、自分もそうする、それまでは不平不満を言いながら、この異常事態に唯々として従う……という側にも、ちょっと難ありだと思いますね。

 基本的にあんまり「空気」なんか読まない、というより「読んでも従わない」でここまで来ている人間からしますと、そろそろ、「空気」「他人任せ」なところ、やめません? と思います。

 とりあえず今は、
「優秀な人材が集まっている(はずの)立派な企業さんなのに、そうも人手不足状態になるのはなぜか」
「一体全体、「何」をしているのか、業務内容を聞いてみたい」
 というのが、率直な「感想」ですねえ。

 私にはこの状態は「狂ってる」としか思えない。
 この「狂い」は、どこから来ていて、どこで糺せるものなのか——正体不明のバケモノの話を聞くようで、ちょっと不気味にも感じています。
 
 
12:13  |  身辺雑記2016  |  EDIT  |  Top↑

2016.12.28 (Wed)

嘘つきは杭を打つ

「出る杭は打たれる」が、「出すぎた杭は打たれない」って言った方、どなたでしたでしょう。
 聞いたとき、ああなるほど、確かになー、と納得したんですが。

 いじめでも何かの差別でも「出る杭は打たれる」でも、その根絶がなぜ難しいかというと、みんな嘘ばっかり言うから。
 いじめなりなんなりの原因は「自分(たち)とは異なる」ものへの「恐怖」「不安」なんですが、——つまり、あえてその原因を求めるのなら、加害者側が持っている不安と恐怖がすべての始まり。
 なのに、みんなそのことを認めない。

 とはいえ人間、嘘も言い切れないもんだな、と思うのは、いじめられる側に「も」問題がある、という言い方があること。
 も、ということは、自分たち加害者側に「も」問題があるということを、無意識でしょうが分かってはいるんですね。——認めたくないという意識に負けて、その辺指摘をすると基地外みたいになって怒るけど。

 いじめや差別の原因は、加害者側が潜在的にもつ「自分とは違う」ものへの不安と恐れ。

 原因が特定できたなら解決もできるだろうと思われるでしょうが、実際そうはいかないのは、この不安や恐れというのは自分の身を守るというレベルにおいては必要なものだから。
 違和感や警戒心は、それはそれなりに必要なものなので、いじめ差別がけしからんからと言って、不安恐れを全否定もできないんですよね。

 つまるところはバランスの問題で、今、それを機能させていい場面なのかどうかを、本来なら自分でコントロールすることが求められる。
 そのコントロール、バランスをどうするか、と言うところで、私どもはPC含めて、あれこれ試行錯誤中ってことなんでしょう。

「出る杭は打たれる」の場合はまたちょっと事情が違うところがあって。
 直接の利害関係にはないはずの相手から、いきなり攻撃されるのって意味不明ですよね。専守防衛は無論、先制攻撃としても理解できない。
「動機」はわかりにくい。これという理由があるわけではない、ように見える。

 でも、話を聞けばなんのことはない、出る杭に対する嫉妬なんですねあれ。
 わかったときは、なあんだツマンネ、と思ってしまいました。(^◇^;)

 生意気だの調子に乗ってるだの、そういう言葉が出てきたら、ああ嫉妬してんのねと思って間違いない。

 べつに、嫉妬が「悪い」ことだと決めつける気はありません。
 嫉妬という感情は、自分が同じような希望や願望を持つからこそ現れるもの、希望も何もない人間は嫉妬さえしない、ということを私も承知しているので、嫉妬するようなら立派なもんですね、と思うくらい。

 でも、話がややこしくなるのは、そういうことを正直に言わない人が多いからでしょうね。

 不安なり恐怖なり嫉妬なり、自分が持っている「本当のこと」を隠して、他の言葉に言い換え、あるいは「自分は悪くない、あいつが悪い」と責任を転嫁する。

 出る杭をみっともなく打とうとする人に、「ああ、嫉妬してるんですね」などと言おうものなら、もうね——大変なことになる。
 怒られるし恨まれる。しかも半端なく。(^^;) ←経験者

 出る杭を打つ人に「ああ、嫉妬してるんですね」と容赦なく言うのは、何かに半狂乱になって怒り狂っている人の目の前に、いきなり鏡を置くようなものなんでしょう。
 鏡に映った自分の姿に驚き、たじろいで。
 それで、自分の姿を恥じるようなら可愛いんですが、大抵の人は、鏡を置いた人間を恨むんですよね〜。

 まったく馬鹿らしいの一言。だから私ももうああいう人たちを見て、とやかく言う気もなくなってるんですけど。
 でも、自分の「本当のこと」をごまかしたままで、いちばん苦しいのは自分なのになあ、とは思ってます。

 人の意識はなぜこうも「嘘つき」なんだろう。
 最近感じる、最大の疑問です。

 嘘をついているという自覚すらない。でも、嘘はしょせん嘘なので、「本当のこと」にたどり着かない限り、どこかで無理も矛盾も生じる。
 無理や矛盾は誰かを傷つける。
 誰かを傷つければ自分も傷つく。

 嘘をついて、いいことなどひとつもない。——それでも嘘をやめられない。

 業が深い。そんなふうに思います。

 とはいえ。
 なんだかんだ言って、私はこういうところでは、本当に幸せな——オメデタイ——人間なんだろうなと思うのは、こう言うことを言ってここまで平気で生きてこれたと言うこと。

 嘘をつかなければ生きられない環境はある。そういう場所に置かれたときでも、私は同じように、こんな「生意気」なことを言っただろうか、と、ときどき考えます。

 環境次第では、やはりそれはできないことだっただろうなと思います。そう思うと、世辞のひとつも言わずに済んでいる、と言うのは、この上なく贅沢で恵まれたことなんでしょうね。

 世辞は言わないというと、またそれこそ嘘を、と言われますが。
 私の場合は「世辞を言えるほど知恵が無いのです。何かのポリシーあってのことじゃありません。
 おつむのレベルの話です(笑)

 でも、本当に何ひとつ、いいことが思い浮かばないとか、言葉を他の言い方に変えることもできない、なんて事態は、まず、ないですよ。
 お世辞を言わなければならないほど、本当にいいことなどない、なんてことは滅多にない。人間はそこまで絶望的な生き物でもない——ありがたいことに。

 それでもなお、世辞を言わなきゃいけない場面はゼロではないだろう、知恵が無い奴は、そういうときどうしたらいいか? と聞かれたこともあります。
 そういうときはですね——、にっこり笑って黙っていれば宜しいのです。
 多少バカにされたりしますが、バカにされている分には、先様の気分が悪くなることもありません。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ(笑)

 出る杭が、出過ぎた杭になるのにもそれなりに時間も準備もかかるでしょうから、やはりここは、「嘘をつくのもほどほどにな」という確認作業の方を、先に進めておくべきかと、私としてはそんなふうに考えております。
 
 
13:58  |  身辺雑記2016  |  EDIT  |  Top↑

2016.12.27 (Tue)

本当に言いたいことは

 映画「羊たちの沈黙」を見てきた友人が、そんなことってあるのか、と言ったのは、レクター博士が、隣の独房にいる男を、指一本触れずに殺したことについてでした。

 レクター博士は隣の独房の男を言葉だけで殺した。
 そんなことが可能なのか、——と、ちょっと納得しがたい、映画とはいえ「盛りすぎ」じゃないのかという感じでした。
 私の返事はあっさりしたものでした。
「できるよ」

 レクター博士は悪魔的に頭がいいし、その頭脳で人間の心理を知り尽くしている。言っちゃなんですが隣にいた男はあまり頭は良くない方で、それゆえに凶暴ではあるけれど、(博士から見れば)自分の弱点をさらけ出して歩いているような男。
 そんな男を「言葉責め」にして自死に追い込むことくらい、博士にはなんの造作もないことでしょう。

 レクター博士ほどの頭脳を持たずとも——私どもも言葉で人を殺すことは、しょっちゅう見ているし聞いているし、気づかないだけで実行もしてる。何も驚くことじゃない。

 レクター博士はその意図を持って的確に言葉で相手の心臓を刺すことができましたが、彼ほど頭の良くない私どもは、意図を「持てない」ことが多い。
 知らないうちに、気づかないうちに、言葉で誰かを刺し殺していることがある——そう思うと、なかなか恐ろしい。私どもはレクター博士よりも残忍な犯罪者ってことになりますんで。

 殺人事件や、未遂事件において、犯人が「殺すつもりはなかった」ということがありますが、馬鹿なことを言ってるなあ、と思って聞いてます。法律が問うているのはつもりがあったかなかったかではない。「やったのかやらなかったのか」だけ。

 日本の裁判はそういう本質を見落として、妙な慣例、ローカルルールで進行するところがオカシイと思ってますが、犯人にああいうことを言わせるのも、そのおかしな慣例の一つだと思ってます。

 言葉で人を殺すことは可能であり、その罪の重さには、つもりがあったかなかったかは関係ない。——と、そのように考えます。

 ツイートや、あるいはこのブログエントリーで、ちょっとばかりネガティブな話題になるとき、とにかく固有名詞は書かない、というのをポリシーにしていますが、それが、理由です。

 何かの事件に関わることなら実名を伏せて、「こういう人がこんなことをしたそうですが」と書くだけで、大抵の人には、ああ、あの話題かとわかるでしょうし、そうではない人にも「何が起きたか」がわかるようには書いている、つもりです。
 してみると、個人名を出す「必要」はないってこと。

 ある話題を聞いて、それについてガーッと「怒って」書いているときには、固有名詞は必要だろうと言われたこともありますが、必要ないですね。
 どうしても、固有名詞を出して特定しないと「話が見えない」なんて事態はまず、ない。

 例えば誰ぞが不倫しました、なんて話を聞いたときに、書きたいことの本題は、その話題の誰かについてじゃない。
 不倫、不貞行為とされるものについての、自分の感情だったり考えだったりのはず。

 何かの話題を耳にして「意見」を言いたくなるとき、「本当に言いたいこと」は、実は自分の感情、自分の考え、自分の経験、そういうものなんですよね。
 芸能人の誰ぞの不倫の話というのは、「言いたいこと」のきっかけに過ぎない。
 だから、固有名詞を出す必要はまったくない。

 それでもどーしても固有名詞を使わなければならない、というのなら。
 その人は単に、他人のことをとやかく言いたいだけ。
 自分とは縁もゆかりもない、これ以上はないほどカンペキに赤の他人のことをいいだの悪いだのと言いたい。——こういうときには、そりゃ、固有名詞、個人の名前を具体的に挙げることになりますね。

 でも、大抵の人が本当に言いたいことは、自分のことのはず。

 芸能人の不倫疑惑なんて話題で、ものスッッゴイ勢いで怒る人がいるんですよ。
 私はあれが不思議で。

 そりゃまあ不倫なんぞいいか悪いかで言ったら、良いことのわけはないけれど、何にしても他人事であり、なんであんたがそんなことで、そこまで「怒る」必要があるのよ、血圧上がると体に悪いよ? と思っておりました。

 が、あるとき、ふと、その人が漏らした言葉から、その人自身に、パートナーにひどく裏切られたことがあるのだ、とわかりまして。
 なーんだ。と思いました。
 あんたが怒っていたのは〇〇さんじゃなくて、自分のパートナーのことだったんかい。
 そんならそうと最初からそう言えばいいのに。——と思ったけど、さすがに本人には言ってません。

 さらりと聞き流すことができず、過剰に、あるいは過激に反応してしまうのは、原因は自分の中にある。
 本当に言いたいことがあることに気づかず、本当のことを言わないまま、他人の悪口というところで終始するからおかしなことになるんだなと思いましたね。

 自分のことを話せばいいのに、と思ったけれど、まあこれも——過酷なことなんでしょう。
 でも、本当に怒っているのは自分のことについてなのに、その怒りを他人の悪口に転嫁する、そればかりか「正義」を振り回して言葉で人を殺そうとする、というのは、卑怯というだけでは収まらない罪深さ——だと思うんですよね。

 ネガな話題で描くときは、「自分が本当にターゲットにしていることは何か」を考え、そちらに意識を向けるようにしています。
 これ、「固有名詞を出さない」というのを実行するだけで、あっさりできてしまいますからオススメ。
 特別な技法、メソッドは要りません。

 何かの話題について話すとき、固有名詞を出す=噂話をすることを「正当化」しようと、あれこれいう人もありますが、今のところ、なるほどそれはもっともなと思ったものはありませんね。

 本当に言いたいことを隠したまま、別のことにかこつけて話すと、どうしてもどこかで無理が生じたり、ゆがんだりするので、「論理的に矛盾」する。
 自分を正当化しようと屁理屈を考え出すのは人間の脳みそ、新皮質脳の得意とするところだそうですが、でも、何をどうしようと屁理屈は屁理屈ですから、「無理」が生じるんですよねえ。

 私が願いとするのは「世の中からゴシップが消えてなくなること」ですが、それもなかなかないでしょうから——ともあれ、私自身は、ネガな話題なら個人名などは書かない、というポリシーで、今後も続けていきたいと思います。

 逆に「いいこと」「おめでたいこと」「褒め倒すこと」は、そりゃもーがんがん固有名詞でいきたいと思います。

 呪いは小さく祝福は大きく。

 言葉を過たず使っていけるように。
 あらためて、そんなことを願う年の暮れ。

(何かあったか、とは聞かないでやってください。(^^;))
(それは「私の言いたいこと」ではないので/笑)
 
 
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2016.12.26 (Mon)

クリぼっち

 無事今年のクリスマスも終了となりまして。
 面白いなあと思ったのは「クリぼっち」という言葉(新語・流行語大賞にはこういうのを取り入れるべきじゃないの?)(世相や時代を映すっていうんならさ)。

 クリぼっちは「ひとりクリスマス」「ひとりぼっちのクリスマス」ってことだそうで。 
 たぶん私どもいわゆるバブル世代から、クリスマスというと恋人と過ごすというイメージが定着したんじゃないかと思いますが、現在はそれがさらに「深化」して、それが実現できない人の方に注目が集まる事態になってるんですねえ。

 クリスマスにはカップルでの入店お断り、というお店さえあるとか。

クリスマスイブに「カップル入店お断り」の店 去年に続き今年も
http://grapee.jp/125321

 冗談だと思っていたら真面目な話だそうで(スタッフの健康のためって何・笑)、昨日ちょっと驚いたのは、糸井重里さんまで、若き日の思い出ということではありましたが、その「クリぼっち」の気持ちを書いてらしたこと。

 でも本来のクリスマスはたぶん、もちろん恋人とという人もいるでしょうが家族と過ごすもんだよねえ……。
 ありがたいことに、そうは言っても振り返ってみると、クリスマスをほんとーに一人で過ごしたことは(まだ)ないので、私もあんまり偉そうに言えた義理はないのかもしれません。

 でも聞いててちょっと気になったのは「ひとり、ってそんなに『悪徳』なの?」ということ。

 新聞や雑誌などで見る、お悩み相談のコラム、コーナーを見てみると、大抵は人間関係のことですよね。人間にとって、人間関係つまりは他者との関わりというものがどれほど重大事でありストレスとなっているものかがわかろうというもの。
 人は生まれてから死ぬまで基本的にはひとりだし、パーソナルスペースというものが心理的にはあるように、「ひとり」は優しいもの、自分を見つめ直す意味でも必要なものでもある。

 寂しいことがつらい、というのはわかるけど、「ぼっち」が悪徳であるかのように言われるのは、ちょおっと納得できないなあ。——と思って読んでました。

 原始仏教では、孤独を友とせよ、という教えもある。
 正確には、自分自身を自分の友とせよ、というのですが、あの身も蓋もない現実主義の(原始)仏教は、とにかくひとりであることを基本とし、当たり前のものともしてる。
 自分を自分の友とすれば、その人は二度と孤独に苛まれることはない、という。
 そりゃそうだ。(^^;)

 ひとりは寂しいです、というのは勿論わかるけど、でも、「ひとり」があたかも「恥ずかしい」「悪徳」であるかのように騒ぐ現在の風潮には、納得できない。
 それを真に受けてしまって、必要以上に「ひとり」であることを「恐れて」怯える人を見ると、チョットねー……、と思います。

 ひとりというのは、本来は、優しいものだと思います。
 何かあって傷ついたとき、とにかくひとりになる時間が必要ですが(どれくらいの長さになるかは状況やその人次第で違ってきますが、でも、とにかく、ひとりになる時間が必要、ということは変わらない)、それを見てもわかる通りで、本来は、一人であることは、「優しい」時間と空間です。

 人恋しいという感覚がある方が「健全」だとは思いますが(我が身を振り返って;;)、でも、そうもむやみに「恥じたり」、「怖がったり」するもんじゃないでしょう。

 優しい誰かがいてくれるのは幸い。
 でも、一人でいることだって、やはり幸いですよ。

 何も私だって「おひとりさま」を積極的に「おすすめ」はしませんが、でも、今はちょっと、ぼっちぼっちって騒ぎすぎじゃないですかね?
 何事であれ、人を煽るアジテーションて、見てて気分のいいもんじゃない。内容もさることながら、「煽る」行為自体に、嫌悪感があります。

 なので、その煽りに水をぶっかける感じで、たまには誰かひとりくらい、「ひとりの幸い」を言ったっていいんじゃない?——という気持ちで書いております。

 なんでそう嫌なことを言って煽るのさ、と思っておりましたが——なるほどしたたかだなあと思うのは、「クリぼっち商戦」というのもあるんだそうで(笑)
 まあ、それでどなたかの給料になるなら、さほど目くじら立てることでもないとは思いますが。(^^;)

 アジテーションには感心しないし好きでもないけど、そういうものに乗るのなら、「あえて乗ってやってる」という意識でいた方がいいかもしれませんね。

 クリスマスも終わったし、次は年越しそばですよ!(←結局、食べること)
 
 
12:30  |  身辺雑記2016  |  EDIT  |  Top↑

2016.12.25 (Sun)

めりくり

本日は野暮用でお出かけのため、こちらお休みいたします。m(_ _)m

昨日はあれこれ美味しいものを食べて幸せでした♡
今日もいい日でありますように。



サンタより愛を込めて3
 
 
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