【自己流・和訳】Artist Spotlight: One OK Rock April 19, 2017
2017年04月21日 (金) | 編集 |
こちらの記事↓ を自己流和訳いたしました。
http://www.whatsin-storemusic.com/single-post/2017/04/18/Artist-Spotlight-One-OK-Rock

たぶん、公式にちゃんと日本語訳した記事が出そうな気がしますが…。
いわゆる「下訳」程度のものなので、ざっと内容がわかればいいや、くらいでご覧いただければと思います。
誤訳等ございましたらこっそりツイートかメールフォームででも教えてやってください。

公式の日本語記事がもし出たら、このエントリは削除するつもりですけども。(●´ω`●)ゞ

---------------------------------------
ONE OK ROCK は日本のロックバンドで、日本武道館や横浜アリーナのような(大型の)会場でコンサートを行うくらいに、彼らの母国では極めて人気が高い。ワンオクはアメリカにおいてもすでに大きな印象を残し、2014年のVans Warped Tour のほか、世界中の音楽フェスを回っている。 ONE OK ROCK はアメリカのファンの間でも人気を広げていて、シングル『American Girls』は週ごとに何千もの再生回数を記録している。
(訳注:これは多分、アメリカンガールズのPVの再生回数のことを言っているかと思われます)

このバンドは、ヴォーカルのTaka、ギターのToru、ベースRyota、そしてドラムは Tomoya である。

——どうやってこのバンドは生まれたのでしょうか? メンバーそれぞれのバックグラウンドは?

Taka:トオルがこのバンドを作りました。僕は最初は別のバンドで歌ってたんですが、トオルがアプローチしてきました。最初は僕は辞退したんですが、でもトオルはしつこくって、結局、加わることになりました。みんなそれぞれバックグラウンドは違います、トオルとリョータは元々はダンサーでしたし、僕は(別のところで)歌っていたし、トモヤも別のバンドにいました。

——あなたの音楽に影響を与えたのは?

Taka:最初にリンキンパークを聞いた時は衝撃を受けましたね、それから The Used, Good Charlotte, Story of the Year も。

Toru: Linkin Park, Good Charlotte, Sum41, Hoobastank, Story Of The Year.

Ryota: Flea from RHCP. I discovered RHCP in high school, and was really taken aback.

Tomoya: The Used

——”アメリカンガールズ”について教えてください。この曲はどこから思いついたんですか?

Taka: この曲は(他の ONE OK ROCK の曲とは)かなり違ったサウンドで、これまでの作品とは違う感じだけど、でも、みんなで一緒に歌える歌を作ろうと思いついたんです。

——バンドのなり立ち、名前の由来は?

Taka:僕らのリハーサルはいつも午前1時から始めていて名前はそこからきています。” ONE OK ROCK
”は日本語では、これで「ワン・オクロック(1時)」と読みます。でも他ではスペル通りに「ワン・オーケー・ロック」と言っていて、いいロックは午前1時にスタートするんですって言ってる。

——アメリカでのツアーにかなりの時間をかけてきましたね。ここアメリカで演奏するときの一番の楽しみはなんでしょうか? ここで皆さんが達成するべきゴールはどんなものだと考えていますか?

Taka: ゴールですか。僕らはまだまだアメリカでたくさんの公園、演奏をしていく必要があります。観客はいつも僕らと一緒になって(楽しんで)くれる、それがすごくいいですね!

Toru: 皆んなが一体となってくれるのが楽しいですね、オーディエンスはすごく盛り上がって( 訳注:is pumped upはやる気満々という感じの言い方ですね)、インスト演奏のときも身を乗り出して絡んでくる、そういうのを楽しんでいます。ゴールは、それぞれの国や地域に僕らの音楽をもっと広めていって、それぞれの場所でコンサートを通じてコミュニケーションをとること。

Ryota:ゴールは、どの国でもアリーナツアーができること。

Tomoya:ヘッドライン・アリーナツアーですね。




行ってきました「ONE OK ROCK 2017 “Ambitions” JAPAN TOUR」(随時追記)
2017年02月20日 (月) | 編集 |
この記事を閲覧するにはパスワードが必要です
パスワード入力

PMC——ぴあMusic Complex vol.7 感想
2016年11月03日 (木) | 編集 |
PMC——ぴあMusic Complex vol.7
2016.10.31 発売
【特集】スーパーライブの現場から
ONE OK ROCK ×渚園


感想を、と思ってきたけれど、どうにも言葉にならないので、このエントリーだけ作っておいて、後から、箇条書きでも書けることが出てきたり、思いついたことがあれば、追記していきます。

完全に自分だけのためのメモです。(^^;)
人様にご覧いただくようなものでもない。けど、自分のパソコンに入れておいたらすぐ行方不明になりそうなファイルなので当座、こちらに。

……

いちおう、感想というものを描いてみましたが、まだ追記か書き直し、やるかもしれません。
ここまで考えがまとまらないのも、ちょっと珍しい。
それくらい、「過去に例のない」ことなんでしょう。いろいろと。

……

ライブが素晴らしいものだったとか、1度あるだけでも凄まじいのに「2度目の渚園」があったらすごいなとか、関係者各位にはほんとうにあげる頭もないくらいに敬意を表したいとか、いろいろありますが、そのへんはもう、だいたい語り尽くされていると思うので。

クロスレポートについても、あるいは他誌の記事を読んでみても、取り上げられているものや場所や言葉はおおむね同じ。
てことは、それらが極めて印象の強い、強烈なものだったんだろう、ということは察せられます。

そうなると私としてもあらためていうことはないし、というか現場にいないんだからいうべきことがあるはずもない。
すごかったんですねえ。とひたすら、お話を聞いては感嘆し、想いを巡らせる。それだけですね。


ただインタビューを読んだなかから思ったことで、あんまり他の人は触れていない点についていうなら、
「内と外」
「人の流れと足元」
 のバランスは、やはり気をつけていないと難しいものなのかもな……、と。

 単純に、国内国外、海外、「世界」という話じゃなく。


私はもともとコスモポリタン(世界人)という理想は「夢想」に過ぎない、と否定してきたし、移民については「労働市場の開放は賛成だが、それが人間の根をぶった切ることになる『移民』になる意味がわからない」と思ってきました。

世界がいかに開いていこうと、人や物や情報の流れが大きく、活発に、もはや「国境」などないかのように流れていこうと、人間というものが、「土地」の上に立って歩いて生きている、ということは変わらない。

目には見えなくても足の裏には「根」がついていて、「根差す」ものは必ずある。
これがない人間など、根無し草に過ぎない。

この先、世界が開いていくことには疑いはないし、それはもう誰にも止められない動きというものなので、そういう意味では、世代を経ていくごとに垣根も扉も小さくなっていくだろうけれど。
そうなればなるほど、「ルーツ」を持つことが必要は強まるだろう、と予想してます。

なぜと申しますのに——強い根を持つ人は、どこへいってもその人自身でいられるから。
変化に適応することを恐れない「根拠」は、その根の強さと無関係ではいられない。

「土地」自身もまた同じ。

こうやってさまざま、人も物も流れていくようになればなるほど、「どこへいっても同じよう」になっていく危険性がある。
でも、その土地にはその土地に合ったもの、その土地だからこそ生み出せるものがある。
それらを守っていく必要も、開けると同時に出てくるはず。
それができなければ、——開けたはずの世界の、少なくない場所が、強引な変化に晒されて破壊された荒土になってしまう。

開けていくと同時に、土地そのものの姿も特徴も「根」も、あえて守られていくだろうとも予想します。
生き残りたかったらそうせざるを得ない。それくらいのものだと思いますね。

自由な奔流が起こると同時に、それぞれが揺るがない「根」を持つ。
そうであって初めて、本来の意味での自由というものにたどり着く。
……のかな、と。

開けていくことと、守ること。
矛盾して見えるこれら二つのことがバランスを取ろうとして、しばらくの間は、ずいぶん、揉めるんだろうな——と思います。


それが、インタビューを読んだ「感想」だというのも、ちょっと妙な話に聞こえるでしょうか。(^^;)
たぶん私の脳内では、いろんな論理の飛躍が起こっているんでしょう。——いつものことですが。


何にせよ、そういうわけなんで、「フロンティア」は探すまでもなくそこら中にある——開けていく時代はまだ始まったばかり。
楽しめる限り楽しんでもらいたい。
もし、楽しめなくなったら、その時は、また違う節目になっているんでしょう。
そのときの信号を見落とすほど、鈍い感性であるはずもない方々のことですから、私はそのあたりは心配しません。

楽しめる限り、痛みながら、楽しんでもらいたい。

それが「感想」ということになるようです。


………わけがわからないのでたぶん、また書き直しだな〜これ。(^^;)
 
 
「Taking Off」
2016年09月29日 (木) | 編集 |
 お久しぶりでまた勝手な感想などを。(๑`・ᴗ・´๑)

 過9月16日よりデジタル配信始まっております、 ONE OK ROCK 「Taking Off」。

【iTunes Store】https://itun.es/jp/iZXMeb?i=1151016142
【OTOTOY】http://ototoy.jp/_/default/p/65991
【Amazon】http://amzn.to/2dbqX0j

……他。

・”Taking Off”歌詞、和訳:http://ilovekasi.com/takingoff

  ONE OK ROCK さん(以下OOR)に限った謎現象は健在です。脳内で音楽プレイヤーがあるみたいに、最初から最後まできっちり1曲分再生される現象。
 印象的なフレーズだけが脳内で際限なく流れ続ける俗称「ディラン効果」とは違う。
 本当に1曲分を正確に再生するんですよねこの脳みそは。
 これが仕事中だろうが食事中だろうが始まると無限ループというところも変わらず。
 この中毒性は相変わらずだなあ、と。(^^;)

 思い返せば私がOORさんを知ってそのまま坂道を転がり落ちる勢いでハマったときというのは、横浜スタジアムのあのライブがあり、「35xxxv」が作られている時期だったわけで、ちょうど、その音楽も、また変化の時期にあったんでした。

 その時期から見ているにすぎない「にわか」から見てさえ、この2年の間の成長なり変化なりには、凄まじいものがある。
 長足の進歩、という言葉がありますが、そんなもんじゃない。
 何もない暗黒空間から、一瞬ですべてが誕生したというビッグバンくらいの「変化」に思えますね。(^^;)

 で、現在以上に「にわか」であり、キョロキョロしていた時期に私が見聞きしたのは、にわかではないファンの方々からの、戸惑い、その声でした。
「らしくない」というのはどうも漠然としすぎで困った言い方ですが、でも、以前の「何か」ではないものが、そこにあるのは、にわかにもわかることでした。

 これは好き嫌いや、個人の感覚のことなので、変化か進歩かに「同意」できない人があるのも、仕方のないところ。
 それよりも「35xxxv」を聞いて思ったのは、まだ遠慮してる、まだ「使いこなせて」はいない、——ということ。

 新しいもの、今までになかったものを手に入れて、以前から望んでいた「音」に近づけたという気配は濃厚でしたが、でもまだ、自動車運転なら「若葉マーク」がくっついている印象もあって。
 ピカピカの道具を手に入れて、これを使いこなすのはこれからなんだな、と思ったことを覚えています。

 で——その後も何曲か聞いてきて、正直、まだ手探りの気配もありました。
 でも、「Taking Off」は——、新しい道具に「手が馴染んできた」印象があります。
 
 全く抽象的な「印象」の話でしかなくて申し訳ないですが、「熟(こな)れてきた」音、に思える。
 その個性と、新しい道具の、心地のいいバランス、融和する感覚。

「Cry out」が発表されたとき、これは日本人ではなく外国の(アメリカ在住)方のコメントでしたが、「 ONE OK ROCK の個性がなくなり、いかにもアメリカの音楽となって、かえって平凡なものになる」ことへの危惧を語るものがありまして。

 日本人はどうも「洋楽」というと恐れ入ってしまうところがあって、洋楽っぽい、というだけで、うわーと思っちゃう。すごいね洋楽みたいだね! ……って、ちょっと待て、それ褒め言葉なのかよ、という。(^^;)
 実際、私もそんなふうに浮かれたところがあると思いますが、そのコメントを見て、そうか、と、すっと頭が冷えた気がしました。
「こちらかすれば、うわあすごいね、となるけれど、洋楽がアタリマエの人からすると、むしろ、平凡でありきたり、ってことになるのか」

 なるほどねえ、と思ったものの、でもそれも、きっと杞憂だろうとも思いました。

 そうして「Taking Off」を聞いて、やっぱり杞憂でしたね、と、思った次第。

  ONE OK ROCK らしさ、というのはどうにも困った言葉で、じゃあそのらしさって何よと言われても、困るしかないんだけど。
 でも、確かにある個性というものが、新しい道具によってさらに際立ってくるはず、と、直感的に感じていたことを、「ほらね」といえる。

 変化とも成長とも進化とも進歩とも——言葉ではなんと言えばいいかわからないような、「この音」を聞くまでに、2年もかかっていない、というのは。
 そうなるまでにじっさい何が起きているのかは、私どもには窺い知ることもできませんが。
 
 ただ、すごいねえ、というばかりです。

 けれども、どれほどの進化なり進歩なりがあっても、その「本質」にあるものは今も変わらず聞こえている。
 いっときは戸惑いを見せたファンも、今はすなおに酔いしれるのも、変わらない魅力を受け止めているからだと思いますね。

 このブログカテゴリーでは何度か書いておりますが。
 ………物質であり、同時に波動でもある「音」の不可思議であること、不可思議だから魅了されていくことを、これほど感じられるものはありません。
 
 
グラウンディング
2016年04月25日 (月) | 編集 |
 フィギュアスケートの羽生結弦選手が、大会本番、演技前に ONE OK ROCK さんの曲を聴いているということで話題になりまして。
 羽生選手自身は、その理由を簡潔に語っておいででしたが——それに加えて、もしや「この感覚」があるからだろうか? とふと思ったことについて、ちょっと。


 昨日は、身内みたいな集まりではありますが、ちょっとした「コンテスト」に参加させていただきまして。(^^;)
 声をかけていただいたことには可能な限り参加することにしているのですが、それにしたってコンテスト参加とは図々しいところ、ま、枯れ木も山の賑わい、頭数(あたまかず)があるほうが盛り上がるところもあるんだろうしと思って行ってまいりました。

 ちょっと困るのは、少しではありますがスピーチがあるということで。
 基本的にはあがり症なので、挨拶と自己紹介にちょっとイロをつけた程度であっても緊張はする。でも引き受けた以上はしょうがないなと思いつつ、本番前のちょっとした空き時間は、イヤホンを取り出して ONE OK ROCK さんを聴いていました。

 グラウンディング。

 スピリチュアルがどうこうというものを聞くと毛嫌いなさる方には申し訳ないのですが、でも、言葉はこれがいちばんしっくりくるのでご容赦を。

 なにもアヤシゲなスピリチュアルの話じゃなく、もともと、グラウンディングという概念はあるわけでございまして。
「地に足をつけた」感覚、ということですから文字通り。

 緊張でも、精神的な動揺でも、あるいはショック状態、あるいは単に「いいかげん、ずぼら」であることでもなんでもいいんですが、人の気持ちがふわふわと「現実」から浮いてしまうというのはよくあること。
 というより、きっちり現実をとらえ、「今」に意識を置いているほうが、たいていの人間には珍しいはず。
 現実逃避でも、妄想でも、仕事しながらお昼ご飯なんにしよう……なんてことも、「ふわふわ」です。(^^;)

 緊張して心臓どきどきいっているときも、精神状態としては「現実からはなれてふわふわ」している状態と言えますね。

 集中とはリラックスのことである、と申しますが、緊張はじつは集中ではなくて「気持ちがふわふわ浮いてる」状態のこと。

 ふわふわ、ふらふらしている精神状態を落ち着かせ、可能な限り「リラックス」状態に近づけることが、できることなら望ましい。
 そのためには、自分の意識を「いま」「この場所」「現実」にちゃんと据えること、つまりグラウンディングが必要。

 グラウンディングするための方法は、いろいろ言われていますね。深呼吸もそうだし、各種呼吸法、瞑想法(ヴィッパサナー瞑想はことに)、ヨガのなかにもメソッドがありますし。
 日本では「丹田」に意識を置くようにというのが、よく言われる方法かな。

 とはいえ。
 緊張とネガティブな「妄想」で心臓が口から飛び出そうなときって、もう、そういうメソッドどころじゃない、やってみても形をなぞっているだけでなにもその効果がない、——だからこそ「緊張している」というわけで。

 でも、それが。
  ONE OK ROCK さんの曲を聴いているうちに、それこそ「丹田」の場所がわかる、という感覚になってきたのには、ちょっと驚きました。

 なるほどそういう「効果」もあるんだなーと。

 好きな音楽を聴けば気分があがる、というのはそのとおりでしょうが、あの「ふわふわ浮いたものが、あるべき場所へ落ち着く」感覚は、そういうこととも違う。

 労せずしてグラウンディングできる。
 羽生結弦選手は本当にいろんなジャンルの音楽をお聞きになるようですが(プログラムを作る関係もあるんでしょうか)、そのなかでことさらに本番前には ONE OK ROCK さんを選ぶことに理由があるなら、「これ」ゆえではないだろうか? と思いました。

 これはたぶん、ファンであってもなくても、得られる感覚じゃないかな、と思います。
 音楽としての好き嫌いとは違うところにある「波動」としか言いようがなく——っていうとまたスピ嫌いの人にはいやがられるのかなあ。(^^;) そういう物質じゃないものの話、いやがられますよね?
 
 でも理屈はともあれ、これだけ曲はありますから、なにか、自分にとって「添う」曲はあるはずなのでちょっと探してみていただいて。
 それひとつでもいいので、ちょっと「ふわふわしている」とき、聴いてみていただきたい。

 ヘソより少し下あたりに、力が入るようになる。そんな感覚があるはず。

 日常ではたぶん、ほとんどわからないと思います。やはり自分にとって強い緊張やストレスがあるときに、わかることだと思われます。

 もうね、 ONE OK ROCK さんについてはいろんな怪現象つづきなので、もーいまさらなにが起きても驚かないつもりでおりますがね。
 なるほどグラウンディングを助ける音でもあるんだなあ、と。

 ファンの方それぞれが、自分の人生に向き合うときに「力になった」という感想を漏らすのをずいぶん見聞きしてきましたが。
 自覚するしないにかかわらず、それはグラウンディングの手助けを受けている、ということではないだろうか。
 
 ふと目が覚めたような感覚や、とくにお腹にちゃんと力が入る感じがあれば、それがグラウンディングと思って間違いないと思いますね。

 なるほどなあ、と。
 それで、羽生選手もよくお聞きになるのかもなと思った次第です。


 スピーチのほうはおかげさまで問題なくできまして。(^人^)
 ………枯れ木も山の賑わいのはずでしたが次のステージへ進んでしまいました(笑)
 その節にはまたお世話になります(笑)
  
 
ONE OK ROCK 2015 “35xxxv" JAPAN TOUR LIVE & DOCUMENTARY
2016年04月13日 (水) | 編集 |


■まず雑話

 これはいいな! と思ったのはリージョンフリー(全世界共通)ってこと。
 昔は、パソコンのリージョンコードの設定を変えながら見るってことをやっていたので(しかも設定変更できる回数の制限があった;;)、リージョンフリーってありがたいとつい条件反射的に思ってしまいます。

 ということで。
 例によって、まともに「感想」と言えるほどのものは、私なんぞにとうてい書けるものではありませんから、気楽な寝言を書きたいと思います。
 思ったことを、いくつか。

【内容紹介】
ONE OK ROCKの全24公演26万人を動員した全国アリーナツアーのさいたまスーパーアリーナ公演をDVD/Blu-ray化決定!
このアリーナツアーは、ONE OK ROCKが2015年5月からスタートさせ全24公演で26万人動員したアリーナツアーで、その中でさいたまスーパーアリーナ公演をあますことなくパッケージした作品となっている。
今作は2枚組となっており、1枚目はライブ、そして2枚目はツアーに完全密着した裏側に加え、サポートアクトとして各地のライブを彩ってきたアーティスト達へのインタビューも含むドキュメンタリー映像となっている。



 ……とのことで。

 異様にくじ運が悪い私が奇跡的にツアー2日目に行けたというだけでも、個人的にはエライことでした。(^^;)
 たぶんあれでくじ運、使い果たした。
 だからもう2度と行けない(当選しない)と思うけど、でも、それでもいいやと思えるものでした。

 昨年のいまごろには「ONE OK ROCK 2014 “Mighty Long Fall at Yokohama Stadium”」のDVDを見て、思いもかけない衝撃で、文字通り悶絶してしまいまして。
 ライブに行ったのはそのあとのこと。



 DVD鑑賞時の私の動揺ぶりを知っているTさんが、「ライブ途中で気分が悪くなったときの避難方法」を伝授してくださったのも、すでにいい思い出です。その節は、ありがとうございました。
 幸い当日は夢心地でおりましたので、大丈夫でした。

 ジャンルに特にこだわりはないとはいえ、ロックというものには縁がなく、その「文化」を見るにつけ、私には一生ご縁のない世界だろうと思っていたので、ライブに行くのは相当な覚悟が要りました。チケットを申し込みながらも、まず当選しないだろうと思っていたので、当選がわかったときは逆に動揺しましたもんね。
 右も左も分からない、というのが比喩でもなんでもないという。(^^;)

 ということで、正直なところ「部外者」があまり勝手なことを言うと、的外れなことばかりになるんだろうなという感覚が、今もあります。
 感想をいうのも、じつは、ちょっと気がひけます。
 それでも、ドキュメンタリーを見て、ついでライブ映像を見て、すごいなあ、とあらためて思いましたので、そのへんでちょこっと。



■刹那の生きもの

 このDVD(Blu-ray)のレビューでも、ほかのコメント欄でも散見される感想に、泣ける、泣いてしまった、というものがあります。
 私も、じっさい——なんで泣けるのかあ。と思います。(^^;)
 泣けるとは言っても、これみよがしの、さあ泣けホレ泣け、という、イヤラシイ演出があるわけではないので念のため。
 そんな演出があったら逆に席を蹴っていきますねあたしゃ(笑)

 それは、ただカッコイイとかスゴイとかいうのではなく、もっと深いところにある感情そのものが揺さぶられる感覚です。
 感動した、といえば感動なんですが、——泣けるというのは、つまりは「浄化」。
 ふだんは深い場所に眠っているなにかが、揺り動かされ、クリーニングされる。涙はそんなときに出てくるもの。

 その「浄化」の感覚を受け取る人が少なくないってことなんでしょうね。
 すごい、かっこいい——そんな言葉じゃ間に合わない。
 だからいつも迷うんですよねえ……言葉が見つからなくて。

 今回、ディスクの再生開始時に注意書きが表示されまして、「途中、音の歪みがあるけれども不良品ではないのでご了承を」ということでした。
 たしかに、そういう箇所はありますね。(^^;) 歪みというのか音割れというのか。
 でも、それは瑕疵(かし)とは思えない。ライブ——「生きもの」であることの、証明に思えます。
 それくらいの迫力。
 というより、「凄み」。
 きれいに設計された音が聞きたいならCDを聞けばいい。ライブの魅力はそれとは違う。

 ライブという「なまもの」の音は、その一瞬にしか現れず、二度と再現されることはない。

 DVD、Blu-rayってようは録音録画ですから、「本物の生もの」ではありませんが、それでも、その魅力と中毒性は十分、伝えてくれる。



■神降ろし

 ドキュメンタリーを含めて見て思ったことは、 ONE OK ROCK さんはたしかに時代というものに呼ばれているし、ある意味気の毒な気もしますが、神様に見込まれてしまったのだ、ということでした。

 今回ツアーにはいろんなアーティストがサポートアクトで加わっていらっしゃいまして、それはもう、それぞれが素晴らしい方々ばかり。
 私は序列というものが好きではなく、じっさい、「本質」から考えればそんなもんはこの世にはないと思っているので、滅多に懐(いだ)く感覚ではないのですがそれでも、
「 ONE OK ROCK さんはやはり、どうしても、図抜けている」
 そう思いました。

 簡単に一番二番とは私にはいえません。それでも、「図抜けている」と思う。

 そりゃあまあ、 ONE OK ROCK さんのDVDなんだし、編集はそのようになされるわけだし、ファンというのはそういう目で見るわけですから、私の言葉も多少は割り引いていただくのが妥当ですが。
 割り引いてもらってもなお、彼らがほかのアーティストから「図抜けている」のは、「客観的事実」。

 ファンではない人にも、程度の差はあれ、その「図抜けている」ところはわかるはず。
 好き嫌いはまた別の話になるけど。
 ファンではない人がみて聞いても、なにも心に響かないということはないはずです。

 なにが図抜けているかという具体的なことはなかなかいえません。なにかどれかのひとつの要素だけがスゴイのではなく、いろんな要素それぞれが集まって生じるものとしかいいようがない。
 つまりはそれがバンドというものでしょうか。どれが、だれが、ひとつだけが素晴らしいのではなく、それぞれに素晴らしいものが絶妙のバランスで押し合いへし合い支え合い響き合いしている。

 触れることもできないどころか、息をすることもできないほどに突き詰めた形の、描きこまれた砂絵——というイメージかな〜。
 とくにチベット仏教のそれは何日もかけて描きながら、行事が終わると消してしまう。
 描く途中でくしゃみでもしようものならすべてやり直しになります。咳ひとつできない、息詰まる作業を重ね、恐ろしいほど精緻に描かれた曼荼羅は、あっさり崩されて消されていく。

砂絵マンダラ
ブログ「棚からぼた餅--岩淵龍王丸」様エントリより
7ca4a8306a091fb076d2b94c1ddbbe84.jpg

 ライブは砂絵に似ていますが、ここで見る・聞くことができる「砂絵」は、ただの絵ではなく、それ自体に命が宿ったようです。
 だから、天に見込まれちゃいましたね、と、私は思う次第で。(^^;)
 音楽は芸術の中でももっとも天に近いもの。
「神降ろし」にもにた、絶妙のバランスとエネルギーの上に生まれる「生き物」の魅力を、完全に無視できる人はいない。

 どうしても、その図抜けた力を認められない人がいるとしたら、それは「結論を最初から決めている人」でしょうね。
 好き嫌いであれ、音楽はかくあるべきという主張であれ、「『らしさ』とはこういうもの」という思い込みであれ、なにかの信条であれ、ものごとの結論を最初から決め付けている人は、どうしても間口が狭くなりますから、ちょっと「入りきらない」だろうな。

 それ以外の人々には、この「図抜けている」「事実」はわかるはず。そう思います。



■音の量子

 音というものが、私には不思議に思えてなりません。

 量子物理学で見ると、音は粒子、つまり「物質」なんですよね。物質としての音の最小単位は、「音子 フォノン」という量子です。
 粒子であると同時に、空気振動である音は、波動でもある。
 空気のないところでは音は聞こえません。

 でも、真空の宇宙でも音は「ある」んですよね。
 空気がないから振動はない、だから「聞こえない」、というのはたしかにそうですが、でも、音が「ない」わけではない。
「存在はしている。聞こえないだけ」。

 ONE OK ROCK さんの音の中では、この、聞こえない音が、いつも鳴っている。
 だから、人の心のうちの、ありえない場所にまでやすやすと侵入してくるし、「なぜかわからないけど泣ける」し、ファンというわけではない人にも「届く」。

 好き嫌いはべつのこと、でも、「滅多に触れることができない音」に触れる、そんな体験ができる作品です——と、私としては、そのように太鼓判を押せます。



■蛇足

 以下、蛇足。
 というか、寝言です。(^^;)

 時代に呼ばれるというのも神様に見込まれてしまうというのも、たしかに素晴らしいことで、許される人はそう多くない。
 それはたしかに、この世において「頂点」となるものでしょう。
 だから人はそれを羨望する。
 自分もあのようでありたいと思う。

 でも、羨望する「だけ」の人は、その「リスク」を顧みない。だから呑気に嫉妬なんてしていられるんでしょうね。

 たしかに祝福ではありますが、——時代の方はともあれ、神様に見込まれるとねえ……たいへんなんですよねえ;;
 ハードワークになるのはもちろんのこと、「心得違い」「勘違い」をしない人間であることが求められる。
 これはたいへんだと思いますよ、じっさい。(^^;)

 高みであればあるほど、谷底も深い。
 吊り橋などで足がすくんでしまった高所恐怖症の人には、「下」を見るな、というアドバイスが与えられますよね。
 高みを許される人は、上、または前だけを見て、谷底を振り返らない人なのかもしれません。
 谷底があるのを知らないわけではないし無視するわけでもないけれど、視線を上へ向けていられる。
 それはとても、勇気のいることではないでしょうか。

 だれだって、高さを意識すればつい、足元(下)を見たくなりますよね。
 それでもあえて視線をうえに、あるいは前に、向け続ける。
 
 私には、これだけで、たいへんな偉業に思えます。


 ただ、いちファンとしましては。
 高みにいようと谷底にいようと、あの「音」が聞こえているかぎり、場所は問題じゃないのです。

 すごいね、といいながら、本当の意味でふるえる思いがするのは、高い低いの場所のことではなくて、この音が鳴り続けている、そのことだけなんですよね。
 どこまで行くのかはわからないし、それはご本人たちの願うようであればいいと思いますが、この音がありさえすれば、ファンというものはじっと耳を傾けつづける。

 視聴しながら感じていたことは、そんなことでした。


 掛け値なしに、とりとめのない寝言ばかりとなりました。
 長々駄文で、失礼いたしました。m(_ _)m
 
  
iTunesの小人さん
2015年09月23日 (水) | 編集 |
 先日の、 ONE OK ROCK さんのお話の、ちょっと補足。
 遊びにいくタイミングを逸したこの連休、時間(だけ)はあったので、ほけほけと考えるともなしに考えることができまして。
 そうこうするうちに、あ、そうか、と思うことがありまして。
 で、自分のメモ書きとして書いてます。
 人様からみればわけわかんない寝言だろうと思いますが、個人のメモ書きと思ってご容赦を。(^^;)

 iTunesで、アーティスト選択にして再生すると、そのアーティストの全曲を再生できますね。
 これをさらにシャッフル再生にしますと、時系列関係なく、iTunesが曲順を組んで再生してくれます。
 
 これがなかなか面白くて、ときどきこの方法で聞いているのですが、選曲がいつもながら、すごいんですよね。
 そのときの私の体調やら気分やらを見透かしたような選曲をしてくれる。

 iTunesのアルゴリズムってどーなってんだろう、と不思議に思い、それがなんども続いた結果、
「iTunesのなかには小人さんがいるのだ」
 という結論になりました(笑)
 いえ、ほんとにそうとしか思えないくらいなんで(笑)

 そんなわけで、「変化はある。でも変質はない」ということについて、ぼんやり考えながらその再生をしておりましたが、これがもう、もののみごとに、何年分かの変遷と、「いま」(に近いところ)を比較するような順序で再生されていく。
 小人さんあいかわらずだな、とかアホなことを考えながら聞いておりました。

 変化はある。変質はない。
 その考えはかわりませんが、変質はないというとき、私は何を聞いているんだろうな、と思いまして。
 変化というのなら、その変わりようは目覚しいものがある。
 けれども、バンドとしてみるなら、「何も変わっていない」と、誤解されそうなことを言いたくなるほどの「一貫性」もある。

 それを聞いているんだろうけれど、それは具体的には何、あるいはどこ、なんだろうなー、と。

 iTunesの小人さんの仕事ぶりを聞きながらぼーっとしてました。(^^;)

 技術的なことも、あるいは機材のこともふくめて、ずいぶん変わっている、と思う一方で。
 底に一本、ピンと張られた弦(げん)のようなものがあって、それがずーっと鳴り続けている。
 
 それをもーちょっと、ひとさまにもわかりやすい説明にできればいいんでしょうが、まあ、知識も教養も語彙も足りてないので、こういう漠然とした表現になります。

 音。
 音の、なにを聞いているんだろう。

 昨年の公演のようすをDVDで最初に見たとき、胃のなかに直接、手を突っ込まれたみたいな感覚におちいって、吐き気すら感じながら文字通りの悶絶状態で、それでも音を聞いておりましたが。
 長い間放置してきた、自分でも忘れていた感情のわだかまりに音が触れた——油断しきっていたせいもあって、フラッシュバックのような状態になりまして。

 消化しきれないものがあるならさっさと吐いたほうがラクになる。ほとんど酔っ払いの介抱みたいなことをいってますが、(^^;) そんな感じで古い感情を解放したとき。

 その音のなにを聞いていたんだろう。
 誰にも教えていない場所にまであっさり届いたあの「音」は、なんだったんだろう。

 不思議です。

 その「音」は、あらためて聞いてみればずっと以前の音のなかにもちゃんとあって、それは変わらずに鳴り続けている。

 変質はしていない、と私が感じる理由はこのへんですね。

 ですけども、——人に話してわかってもらえるようなことでもないですねえ;;

 でも理屈にはならないところで、そのへん、わかっている人も大勢いるんだと思います。


 いま、あらためて、MVを見ながら思うのは、よくもこれだけ「きれいな」人が揃ったもんだ、ということ。
 きれいな、というのは外見のこと(だけ)ではなくて。
 個々がきれいで、それがバランスが取れたところでまたきれいで。

 だからあの「音」が鳴っている。

 人類の宝——と、こそっとつぶやいてみたり。