おおみそか

 そんなわけで2012年も店じまい。
 今年の正月が昨日のことのようなのに、明日はもう来年の正月か……。(←間違いではないが、まぎらわしい日本語;;)

 おかげさまで今年の正月準備は順調に進みました。
 が、なんだか妙にぐったりしてます。(^^;)

 コミケも今日が最終日ですねえ。昨日はうちのほうでは相当な大雨でしたが、お台場近辺もやはり大雨だったそうですね。
 コミケで大雨というのはあんまり記憶がないです…。まったくなかったわけではないが、ここまで悪天候というのはちょっと珍しい。

 伝説のお天気マスターはやはり引退してしまったのか、それとも、お天気マスターの神通力(?)も通用しないほど、なにかこう、邪悪なものがきちゃっているのか。
 昨日の雨を見ながら、
「もしこういう雨がお台場のほうでも降っているのだとしたら、それは、ああいうことになってしまった参加者の『涙雨』かもしれないな」
 と、ちらっと考えておりました。

 脅迫というのは呪詛の実力行使みたいなもんですが、私としては全力で、「呪詛返し」をしていいんじゃないかと思ってしまいます、この犯人には。
 仏教徒としてはあるまじきことなので、もちろん本気じゃありませんが。(^^;)
 こういうことしてると、ろくな後生を迎えられないぞよ。

<黒子のバスケ>コミケで同人誌900サークル出展見合わせ 37年で初の大規模自粛
MANTANWEB: 2012年12月30日(日)13時16分配信
http://news.nicovideo.jp/watch/nw475768

 この執拗な脅迫というのは私もちらちらと小耳に挟んでおりましたが、どうも病的なものを感じますよね。……もっとも、健全な精神の脅迫者なんてもんが、いるはずもありませんが。

 こういう脅迫を通してしまったというのは残念なことです。過去にも、コミケの開催自体のとりやめを求める脅迫がありましたが、それでも頑張って開催してきたのにねえ。
 今回の脅迫については警察、会場側からつよい懸念が表明された結果のようです。過去のそれと比べても、圧倒的にキチガイじみていて、シャレにならないものを感じさせるから、なんでしょうね。
 すでにあやうく、死者が出るところだったとのことなので。

妄想で逆恨み? 50カ所に脅迫状届く 「怨恨」捜査におもわぬ壁 
2012.12.26 14:00
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/121226/crm12122614040011-n1.htm

 単なる脅迫者ではない。この犯人は、立派に殺人未遂犯ですね。

 私は黒子のバスケ(略して黒バス……ですか)はまったく存じません。ジャンプのやり方が気に入らないので、もう、相当以前から、ジャンプは読まないことにしております。テニスにハマったときは、
「だってこれジャンプだよ! まともに終わるわけないじゃん!!(号泣)」
 と、ハマったときから終わるときの惨状を想像して泣いていたほど、本来は、ジャンプが「嫌い」です。

 ゆえに黒子のバスケも存じません。最初にみたときは「ホクロのバスケって何?(←真顔)」などと寝言をかましたほどです。(^^;)

 そういうわけで作品には思い入れはまったくありませんが、それでもこの脅迫者には怒りを覚えております。
 一歩間違えば、まるで無関係の、無辜の人を殺すところだったとあっては、ガキのイタズラでは、もう済まされません。

 これまでの行動を聞いても、相当、ヒマがある人が犯人なんだろうというのは察せられますね。朝から晩まで働いている社会人や、実験やレポートに追われている学生さんには、ここまで実行できる時間がそもそもないわけですからねえ。

 社会との接触がないぶんだけ、警察の捜査も進展しにくいところはあるのでしょう。
 なんにしても、早いところ、犯人が捕まることを祈ります。

 なんだか、イヤな話題になってしまいましたね。すみません。(^^ゞ

 2012年、今年は私にとってはどうだったかと考えますと。
 ………まあ、率直に言えば、あんまりいい年ではなかったかな……残念だけど。

 それでも今年は、ヤケクソになったおかげで、いままで実行できなかったことをいくつか実行できたのはよかったです。(^-^)
 今年いちばんの収穫はなんといっても、バイオリニスト、三浦文彰さんでしょう。
 先々が楽しみな、すてきな演奏家を知ることができたのは、まことにもって、願ってもない僥倖でした。

 個人的にはジャズダンスを始めたことも、よかったです。レッスン2回目で肩こりが治ったのには驚きましたわ。
 いままで、どれほど運動不足だったのかと(笑)

 ダンスを楽しみ、祖母が危篤になったためにお流れになっていた、フジコ・ヘミングさんのコンサートへも行き、三浦さんの演奏に出会い、神戸のリゾートホテルを堪能し、世界の名画を鑑賞し、かねてから憧れのクルーズというものを、ちょこっと味わい。

 そういうところでは、ずいぶん、積極的に動いたなという感じがします。
 それもこれも、じつのところは積極的というより「ヤケクソ」だったからというあたりが、ちょっとアレなんですけども。(^^;)

 まあ、明日には明日の風が吹くとしか、言いようがないですものねえ。この世は。

 たしかにこの世は美しい。それでもやっぱり、もう人生も店じまいしたいな、と思ってしまうのも、偽りのないところ。そのへんでいつも気持ちが揺らいでおります。
 店じまいの日程は、こればかりは、自分ではなんともしようがありません。そのへん、あまり思い出さないほうがいいんでしょうが。(^^;)
 
 これで今年も終わりか、と。

 以前には新しいカレンダーを用意するのも楽しいものがありましたが、さすがに今年は、カレンダーをみるのも、もううんざり、という気持ちがあります。
 いつまでこんな(無意味な)ことやってんだろうなあアタシ。みたいな気持ちですね。

 それでも、まあ今年もそれなりに、大過なく過ごせたのは、ありがたいことと思っております。

 こういう調子で、どうも愚痴っぽいブログでございますが、おつきあい下さいました方、ありがとうございました。

 来る新しい年が、皆様にとりまして、よりよい年となりますようにお祈り申し上げます。

 今年も、本当にありがとうございました。

 みなさま、どうぞよいお年をお迎えください。m(_ _)m

 

裸の王様

 もう先週かその前の週から始まっております……「指先のぱっくり割れ」。
 痛いよー(涙)

 もともと霜焼けなどにはならないので、ぱっくり割れも大きいものではなく、他人の目からはほとんどわからない程度の、ごくごく小さいものですが。
 でも、指先で割れがおこると、痛いんですよねこれが。(;_;)

 通常、このぱっくり割れが起こるのは年を越して、2月頃になるとさすがに……というところなのが、今年はもう12月中旬で出てきてしまいました。
 ………これが春まで続くのかと思うと。(T_T)
 
 絆創膏も、水絆創膏も、アロエクリームもなにも効かない。できては治り、出てきては治りを繰り返すのみ。——春がくるまで。

        ●

 やっぱり新聞てのはおかしいですねえ。
 ここんとこ、ほぼ毎朝、日経新聞のコラム「春秋」が、遠回しにですが、安倍総理をディスってます。
 ほんと、おかしな連中ですよ。なにも仕事をしない民主党のときは黙っていたのに、一生懸命仕事をしている人の悪口をいうとは。

 今朝の悪口はバラマキのことでしたが。あのさー。民主党がやってきたバラマキなんか、その比じゃないわけでしょう。自民党時代におさえてきた赤字国債、民主党政権ではどれほど増額したか、知らないわけじゃあるまい。仮にも経済新聞を名乗っているんだから。

 ほんと、これじゃあ若い人が新聞とらなくなるのは無理もないわ……。と、今朝はしみじみ思いました。
 自分たちが、人としての心からも、道理からも離反することをしておいて、つまり、他人から嫌われるような「みっともない」真似をしておいて、それでいて、嫌われると、自分が悪いのではなく相手が悪いのだと言い張る。

 ………あれ。なんかデジャブだな。こういう人(国)、いますよね日本の近所に。
 
 安倍総理はもう、総理になるまえからばんばん仕事を進めていましたものね。外交であれ、経済問題であれ。

 そういう、真面目に働く人をディスるというのはどういう了見なのか日経新聞。
 なにが「若者の新聞離れ」ですか。
 新聞離れじゃない。あなたがたは、「見捨てられている」のですよ。

 これは電子書籍云々の問題でもない。
 かつては「社会の木鐸」という気概もあり、その気概が認められてもいた時代もあったのでしょうが、結局、それによってメディアは「権力」化し、自分たちには支配力、大勢の人を思うままに動かせる力がある、と驕り。
 あげくのはてには、「裸の王様」は、いま、読者から見捨てられつつある。

 そのことに対する危機感も、反省もなく、かえって国の発展を邪魔しようとするとは、言語道断といっても間に合わない。

 さすがに日経新聞あたりは毎日さんほどには露骨には書かないというだけのことで、なに、言っていることは同じなんですよね。
 
 メディアが左よりなのは、わりとどこの国でも共通することのようなんですが、とうとう、自国の利益の邪魔をするようにまでなるとは、末期症状も通り過ぎたというところでしょうか。
 ただ、これが「自国の利益の邪魔」だから、あんたらおかしいよ、と言われるのでして、これらの行動、言動でも、おかしくはない条件はひとつだけ、考えられる。
 すなわち、こういう記事などをかく人あるいは団体は、「日本人ではない」場合。

 これなら、整合性はある。行動に矛盾はない。

 そのへん、どうでしょうかね、日経さん。白状するなら白状してくれないかしら。(←決めつけ)
 そうならそうだとはっきりしてくれたほうが、こちらも無駄に苛つかずにすむんですけど。(^^;)

 さて。
 本日は掃除の仕上げと買い出しだー。
 お風呂掃除は明日にしました…; 本日は雨のため、風呂場は洗濯物を乾燥させるのに使用中。

 コミケ会場、雨になってませんかね。大丈夫かな。
 シンデレラの気持ちで、でも、ご参加の皆様の無事をお祈りしております。
(未練たっぷりですね、我ながら;;)

 

クリスマスの約束

 さてさて、年末の週末でございます。
 今日からビッグサイトではコミックマーケットが開催ですね。(←舞踏会にいけないシンデレラの気持ち)

 天気予報では最初は、今日は雪とか雨とか言っていましたが、日の出とともにお天気回復のごようす。なによりです。
 気温も高めになるような話も聞いているのですが……一般でおでかけの方にはとくに、体調にお気をつけて、楽しんできてくださいませ。

 今日の私の予定はトイレ掃除、仏壇と神棚の掃除と正月飾りでございます。

        ●

 インフルエンザはそうでもないんだけど、ノロウィルスは本気で怖い;;
 うちのほうでも、症状が出て病院へ電話したら、「来るな」ということを、もちろん遠回しにですが言われた、という人がいまして。

 脱水症にだけは気をつけて、もう、出すものを出すしかない、というのは理屈としてはわかりますけどね。(^^;)

 病院へ行けという説もあるし、かえってウイルスを拡散するだけだから、重症ではないなら来るなという説もあるし。
 どうしたもんでございましょうか……。もし罹患したらの話だけど。(←心配性)

        ●

 小田和正さんの「クリスマスの約束」、録画してあったのを見終わりました。
 あいもかわらずきれいなお声で。

 この「クリスマスの約束」、いつからだったかなあ、と思って検索したら、……ああ、さすがWikipedia、ちゃんとこの項目がありました……。

クリスマスの約束
http://ja.wikipedia.org/wiki/クリスマスの約束

 最初は、深夜に30分の番組でした。しかし、このウィキの記事にもあるとおり、当初は、とにかく、なにを警戒するのか知りませんが、ゲストが来てくれない、という状態だったようです。
 アーティスト同士ってやっぱり仲が悪いのか、くらいにしか、私は思いませんでしたけれども——なんせ小田さんのファンですから、ゲストはべつに、いてもいなくてもいい(←ヲイ)というのが私の本音だったし。(^^ゞ

 ただ、——そうですねえ、「月曜組曲」が(歌謡番組として)当たった、あたりからでしょうか。このクリスマスの約束にも、かなり積極的に、ゲストが来てくれるようになりましたね。

 近年ではことに若いアーティストを引き立てるような構成で、これはこれで楽しいもの。
 別のアーティストの歌を、小田さんが歌うのを聞くのも、新たな発見になって楽しいですし。
(尾崎豊さんの「I LOVE YOU」を小田さんが歌うのを聞いたときは、オリジナルではファルセットになるところが、ファルセットなしでそのままだったことに驚愕)

 ある歌を、オリジナル以外の歌手が歌うというのも聞いていて楽しいものですよね。レイ・チャールズの歌う「いとしのエリー」ではそのあまりの名曲ぶりに、衝撃で椅子から落ちそうになったり、やわらかに歌う槇原敬之さんの「秋の気配」を聞いて、小田さんの歌い方はじつは、たいそう男前だったのだということがわかりましたし。

 それにしても毎度、小田さんの声を聞いていると泣けてきます。
 昔は、それはあの独特のハイトーンヴォイスが好きで、きれいだとは思っていましたが、小田さんが——そうですねえ、50歳代に入って以降でしょうか、……たぶん、事故で大けがを負った、あれからかな、という気がするのですが。
 小田さんの声に、ただきれいというばかりではなく、「癒し」の効果が現れてきた気がする。

 月曜組曲でもときどきありましたねえ。あの番組では、べつに小田さんのファンというわけではない人々が集まっていたことを思うと、すごいな、と思うのですが。
 胸にしみいる、やさしいものが、あの声の中に入り込んでいるようです。

 なぜか、涙が出てくる——とくに悲しいとか感動とかとは自覚がないときでさえ——ああいうのは、本当に、心になにかが触れて、心を浄化してくれるのだろうと思います。

 私はあからさまな、これ見よがしの、ものほしげな「お涙頂戴」ドラマがまったくダメなんですが(いきなり怒り出す始末;;)、小田さんの歌を聞いているときの——自分でもわからないうちに胸が震えてあふれてくる涙は、心地よい、と感じます。素直に。

 それにしても会場に詰めかけたお客さん、年齢層がみごとに幅広かったですねえ。(^^;)
 全体としては女性のほうが人数は多かったと思いますが、それでも、男性もまた、若い人から小田さんと同年代の方まで。

 歌、音楽、というのは、いいもんだ、と思います。

 小田さんのつむぎだす歌詞というものはここ最近とくに、メッセージ性のあるものになってきていますが、今回あらためて、その歌詞を眺めていて、
「こういうメッセージを、ただ、会話の中で伝えられても、これほどには胸は震えないだろう」
 と思いましたね。(^^;)

 たいへん「いいこと」を言っているメッセージでも、場合と人によっては「あーハイハイ」みたいに、かえって軽い反発さえ感じるかもしれないのを、歌になり、また、誰かが歌うと、なぜか、涙が出てくる。

 芸術のもつ、「天徳」ですよねこれは。

 芸術の中でも音楽というのは天上にもっとも近い。

 震災のときに「なにもできない」といじけた芸術関係者の話はよく聞きますが、そういう考えは違うと思う。
 生きるか死ぬかの場面を、やっとどうにか切り抜けたら——もうそのときから、芸術こそが、人の心や魂のために必要なのだということを、私はむしろ強く感じましたよ。

 生きるためにパンは必要だ。けれども、うちひしがれた心のためには、芸術こそが必要だ。

 まだ避難所も落ち着ききってはいないなかでも、私たちは本を集めて被災地に送った。歌を届けた人がいた。その意味を、芸術に関わる人たちには、見失わないでもらいたい。そう思います。

 あのとき、まっさきに、ギターを持って被災地に乗り込み、ことに、自衛隊を慰問したのが長渕剛さんでしたね。
 私個人は長渕剛さんにはあまり興味がないのですが(すみません)、あのときは本当に感心しました。

 若い自衛隊員たちが、長渕さんの歌によって気持ちを「開放」していくのを見たとき、やっぱり歌って、いいなあ、すごいなあ、と思いました。

 歌はいいもんです。
 そして、小田さんは、すてきです。(←30年来のファンですから、この発言はご容赦ください)

 クリスマスの約束は、いまや、私にとっては、七夕みたいなものになってきました(笑)

 

本日、仕事納め

 今年はカレンダーの並びがいいですね。今日で仕事納めというところも多いかと思いますが、ちょうど金曜日なのでキリがいい感じ。
 私も今日で仕事納め。
 家の用事のほうでは、餅つきを昨日(昨夜)すませました。
 GOPANで。(^^;)

 神棚などにお供えする小さい鏡餅の分だけなので、——GOPANでは最大でも3合までですが、充分です。

 つきたてのお餅、見ていると食べたくなりますが、うちの場合は小さい鏡餅6組でちょうど3合になるので、鏡餅を作るだけ。鏡餅を作ったら、余ったお餅をそのまま食べるということはできません。

 でもとりあえず、鏡餅ができるとホッとします。これで年末の準備もおおむね終わりです。
 年賀状も昨日投函してきたので、順調なほうです。

 明日からコミケだというのにお天気はイマイチだそうですが、——大掃除については外回りはもう終わっていて、あとは家の中のこまごましたところを残すのみだから、雨でも大丈夫。

 それにしても1年が早いなあ。

       ●

 アメリカの銃規制のお話なんですが。

 いやはや、全米ライフル協会はあいかわらずのキチガイぶりですね。共和党の議員の中にもトチ狂っているとしかいいようのない発言もありました。
 各学校の校長にライフル(M4ライフル)を持たせればいいんですとさ。
 各校長先生を全員、SWAT並のスナイパーにするとでも?

 話を聞いていて銃の「規制」という言い方をするから、その緊急性と緊張感が伝わらないんだなと思いまして。
 だから、規制じゃなくて、武装解除 Disarmament というべきですよねこれは。
 さすがにこの言葉をつかえば、NRAでも、どんな状況が求められているかがイメージできるでしょう。

 商売あがったりになるので、それこそ半狂乱になって怒るかもしれませんが。(^^;)

 各家庭にごくふつーに火器が——しかも極めて強力なものが複数ある、というのは、どー考えても戦争状態でしょう。

 いつまで独立戦争や南北戦争やってんですかアメリカ。
 規制の話じゃない。兵士でもない、一般市民の武装解除をしろという話なんですよねこれ。

 規制だなんて、甘っちょろい単語を使うから、イメージが伝わらないのかな。……ま、言葉の問題でもないんだとは思いますが。

 治安や警察の能力、住民のレベル、といった諸条件が背景にあるのは事実なので、そこらへんはわかりますけどね。
 でも、日本ではキチガイに刃物という言い方があるのですが、刃物とは比較にならない殺傷能力の高い火器をキチガイに持たせるのは、もうお話にならない、ということは、よくよくわかったんじゃないのか。

 じっさい、同じキチガイによる事件でも、犯人が持っていたのが刃物なのか銃なのかでは、被害の規模が違う。それが問題。
 被害者が数人ですむのか、それとも数十人の犠牲者が出るのかでは、ぜんぜん違う。

 犠牲者の立場にすればどっちにしろたまったもんじゃないわけですが、数十人よりは数人のほうが「まし」である、というのは、酷だけれども現実なんですよね。

 トリアージというのも厳しいものですが、ああいう判断に近い話です。

 イヤな話なので私もあんまり言いたくないことですが、——そこまで言わないとわからない人ってやはりいるんだなと思いまして。
 NRAあたりは、むしろ、そこらへんはわかっていて、そのうえで無視してかかっているんでしょうけどね。最初から。

 その昔——日本人留学生が、なにもしていないのに銃殺された事件(1992年)のころ、私も英会話教室へ通っておりまして、アメリカ人の先生が、「日本人はアメリカがすごい危険だと思っているようだけれど、しょっちゅうこんな事件が起きているわけではない」と言っても、我々日本人は、うーんと言ったきりまともに返事ができなかったものです。

 アメリカは危険じゃない、と思っているのは、そりゃもうそういう状況に「慣れて」いるだけのことだろうと私は思いました。ようは、あなた方はもう感覚が麻痺してんのね、と。

 日本では秀吉さんのときに刀狩りがなされて以来、江戸時代でも、「人切り包丁」をもつ層はきわめて厳密に限定されていたし、その流れはずーっと続いてきたからなあ。
 お国の歴史が違うというのは承知しているのですが、しかしいーかげん、武装解除を考えたほうがよろしいんじゃないかと思います。

 あ。ちなみに、その1992年の事件のとき、被害者は、加害者から「Freeze !」と警告されたにもかかわらず止まらなかった、というのも情報として入ってきていました。
 で、英会話の先生に、「私の耳では、Freeze も Please も区別がつかない」(当時は、ですよ;;)といったら、それこそ信じられない、という顔をされました。(^^;)

 しょーがねーでしょーよ、あたしゃいまだにLとRの区別は得意じゃないですよ。

 日本人がこのふたつの子音を特に苦手にしている(あとはBとV)のは事実ですが、こういう次第ですから、とにかくFreeze だけは、覚えるようにしましょう。身の安全のために。

 辞書をみるとFreezeというのは、ハングアップ! に同じである、てなことが書いてありますが、先生によると、フリーズというのは相当強い命令で、これを無視すると射殺されても仕方ないくらいの、強い警告だそうです。

 たんに「止まれ」ではなくて、「だるまさんがころんだ」式に、ほんとに、全身の動きをぴたりととめなければならないんだそうです。
 ヘタにポケットやカバンに手を伸ばすとそのまま撃たれることがあり、それでも文句は言えないとのことでした。

 ………日本人には想像つかない世界です。

 やっぱりアメリカ本土はいまだに戦争状態なんじゃないのと思いましたが、私の英会話能力ではうまく言えませんでしたそのへん。(^^;)
 

ある判決

 クリスマスも終わったので、ブログのテンプレートも替えなければ、と思いつつ。
 すぐにお正月になるしなあ。このまま年越ししてもいいかな? (^^;)

      ●
 
 いろんなことでドタバタしているあいだに、ひとつ嬉しい知らせがあったのでした。

国側の敗訴確定へ=ネット医薬品販売規制—来月11日に判決・最高裁
2012年 12月21日(金)15時34分  時事通信

 ネットにおける医薬品販売がこれで解禁となってくれればありがたいんですがねえ。
 これで二審の国の敗訴が確定ということだそうですから、もうおおむね大丈夫だろうと思いますが。

 それにしてもこの件は本当に不思議でならない経緯でした。どういう業界団体による圧力だったんでしょうかね。おおむね見当はつくけれど、団体名までは把握しておりません。

 対面販売なら大丈夫というのは詭弁にもなってないのを、無理に押切ったあの過程はまったく理解不可能でした。

 しかももっと不思議でならないのは、地裁、一審判決は国の、このめちゃくちゃな言い分を支持していること。

 地裁というのはどーなってんですかね。今回のことに限らず地裁判決というのは、私から見ると、納得できない判決になる確率が極めて高いんですよね。殺人事件であれなんであれ。

 あれか、一審だとどのみち控訴という手段があるんだから、一審はテキトーに判決文書いとけばいいや、というような意識でもあるのか。
 そんなはずはあるまいとは思うんですがねえ……、それでも、「なんで地裁判決って、納得できないことが多いのかなあ」と、不思議に思ってます。

 被告人の責任は重大であるといっておきながら、求刑から大幅にディスカウントされた判決だったり、執行猶予がついたり。
 納得できないな、と思っていて、2審になると、そうだよね、人を殺しておいて一審のあの判決はないよね。という結論にいたる。

 地裁って、なにやってんの? どうせ2審にいくんだからテキトーでいいやとでも思ってんの? と、つい言いたくなるんですが、そんなのは私だけでしょうか。(^^;)

 奇妙な、特有の言語と「不文律」をもつ、司法のギョーカイならではの、一審判決についての「きまり」があるのかもしれないと疑っているのですが、それは穿ちすぎでしょうか。(^^;)

 司法がこういうありさまだから裁判員制度だなんて、市民に負担をかけることになったんだが、そこらへん、法曹界(裁判官のみならず、です)は反省してくれているんだろうか?
 
 なんにしても、とくに漢方薬の購入でお世話になっていた薬店さん(実店舗ありの、ネット販売店)で、またあれこれ、相談に乗ってもらいながら購入できるというのはありがたいことです。

 省令ひとつでここまでこっちの利便性をガッタガタにしやがって、あいかわらずだよな厚労省は! と、思わず罵倒してしまいます。
 新薬の認可も遅いですしね。大問題ですよ、ドラッグラグって。人の命が関わっているんですから。
 厚生省のころから、この省は、日本国民を病気にし、殺すことが楽しくってしょうがないらしい、と思って私は見ております。

 ゆえに、トクホと呼ばれるものについても、
「あの(国民の健康を損なうことを楽しみにしている)厚生省〜厚労省の認可だなんて、あぶないあぶない(笑)」
 と、冗談というか、イヤミで言っていたのが、とある食品関連のトクホ商品に、発がん性が疑われると発表されたときは、「冗談で言っていたのに、まさかマジだったとは」と思わず茫然としたものでございます。

 安倍晋三総理大臣は、ご自身の経験から、やはり薬の認可速度が遅いというのを身を以て実感なさり、そういうところも改善していきたい、という旨のご発言もあったそうで。
 ぜひ、そうしていただきたいと思います。

 ピルの認可には数十年かかりながら、バイアグラはたった半年で異例のスピード認可したときは、もう、イヤミも出てこない、ただあまりの馬鹿馬鹿しさに苦く笑うのが精一杯でしたけれども。
(そんなに霞ヶ関のお役人様にはニーズが高いんですかねバイアグラは。そんなに××××××が多いの? と、……そこまでいったらちょっと下品でしょうね;; 言っちゃったけど;;)

 選挙やらなんやらのかげにかくれてしまったニュースでしたが、私としては、快哉を叫ぶよりは、ほっとした、というニュースでした。

 ケンコーコムさんも本当に大変だったと思います。その後の経緯をみても。
 私もできるだけこちらで買い物をするようにしてきたんですが……。私にできるのはそんなことくらいで。

 対面販売だろうがネット販売だろうが、薬というのは毒なのだ、ということにはなんの変わりもありません。
 そういう本質論を、屁理屈にもならないもので歪めた罪は重い、と個人的には思っております。

 漢方薬なら安全と思っている人がいるのも、じつは、ちょっとアブナイなと思っています。漢方薬のいいところは、体質の相談をしながら購入できるというところにあるわけなので——漢方薬もまた、毒であることは同じ。

 そういうあたりを周知徹底させるのが、厚労省の本当の役目だと思いますがね。

 なんにしても、石が流れて木の葉が沈むことが、解消されるようで、ホッとしました。

 

千年にも

 ネットを利用しての投票はともあれ、ネットを使っての選挙活動を解禁しよう、という動きについて、うちの母の意見。

「せっかくそういう便利なもの(インターネット)を利用して選挙活動をしようというのだから、その内容は、自分の政策を語ることに限定する。ほかの党や候補者についての言及はいっさい禁止」
「禁止ですか」
「禁止。ほんのちょっとでも他党のことを引き合いに出したら、即、レッドカード」
「え。一発退場すか?」
「それくらい厳しくしないと誰も守らない」
「……ごもっとも」

 総務省にこのへん提案してみるか? (^^;)

      ●

 政治家のみならず、ネット貧民もあいかわらず、口を開けばひとさまの悪口しか言わないのなー。ま、貧民だから仕方ないけど。と、これも悪口を言いながら、(^^;) 「平清盛」関連の悪口を見ておりました。

 そのなかに、なんですか、あのドラマで「王家」という表現があったのが、反日プロパガンダだというご意見がありましたので、ふーむと考えておりました。

 ま、たしかに「日王」はないですわな。そういうセリフがじっさいあったかどうかは私は未確認ですが。……あったんですか?

 しかし、このへん考えるとややこしいことになるんですよねー。日本史を勉強なさった方なら詳しくご存知でしょうが、日本の朝廷はその昔、「皇帝」「天皇」「天子」というのを、場面や状況で使い分けていたそうなんで。

 Wikipediaによれば、祭祀のときは天子、詔書では天皇、外交、対外時は「皇帝」、というような規定が律令にある、とのこと。………へーえ。

 ともあれ、清盛さんの——あの平安末期には「皇室」という言葉は存在していなかったはず。ゆえに王家という表現が妥当か否かはちょっと考えちゃうなあ。

 天皇、という言葉を使い始めたのは、天武天皇ということじゃなかったかな。天皇と初めて名乗ったのが、というべきか。
 それまでは「大王(おおきみ)」ですよね。あるいは大和言葉では「すめらみこと」「すめらぎのみこと」、すめみま、とか。

 王と皇を、どの程度区別していたか、勉強不足で私にはわかりません。ただ、崇徳上皇の、有名な、呪詛同然のあの言葉は、
皇(おう)をとって民となし、民を皇となさん(皇を一般庶民におとしめ、庶民を皇としてやろう)」
 と表記されて伝わっているので、発音はどちらも同じ「おう」ですが、「すめらみこと」は「皇」と表記するという意識はあったんでしょうねえ。

 平家物語ではどうかなと思って見てみましたが、やはり、皇室、皇族という意味のときでも、そういう言葉は使わず、ただ「君(きみ)」というのみです。まあ、それで充分通じますが。
 エライ人のことは直截(ちょくせつ)の呼び方をしないというのが世界共通の「礼儀」でもあるし、当時はわざわざ、皇室などという言い方をする必要もなかったんでしょうし。
 なんせ天皇ならびにそのご一族には姓というものがない。あえて他と区別するための呼称は必要なかったというのが実情でしょうしねえ。

 ——山吹の花の盛りにかくの如(ごと)
  君を見まくは 千年(ちとせ)にもがも

(万葉集、巻二十、大伴家持)
(山吹の花盛りに、このように我が君=天皇を仰ぎ見ることは、千年の末までもと願われます)

 天皇という言葉はすっかりおなじみなのに、その起源、その起こり、歴史、正確な意味を、私どもは知らないままなんですね。
 どうも我々、知った気になっているつもりでいて、じつはなーんも知らん、ということなんじゃないでしょうかね。

 ともあれ日本人自身が日王を名乗ることはたしかにない。ただ、足利義満が、明とのやりとりの際、日王というようなまぎらわしい名称をつかったとかなんとか、聞いたことがあるような。
 義満さんもじつは天皇になろうとしていた、あやしい人ではあるんですよね。(^^;)
 当時のシナの皇帝から自分が日本のトップだと認められることによって、国内的にも天皇にとってかわることを目論んでいた形跡が。

 それにくらべたら、自分自身が天皇になろうとは思っていなかった清盛さんは謙虚なほうかもしれませんね。

 たしか渡部昇一先生のご著書でお見かけしたと思うのですが、違ったらごめんなさい——、日本の歴史は、シナにへつらい、臣下の扱いを受けることで箔付けしようとする勢力と、日本はあくまで独立国家として対応する、という、いわば聖徳太子のように、シナと対等であるという態度で臨む勢力とのせめぎあいの歴史でもある、と。
 なるほど、それは言える、と感心したことがあります。

 義満さんは典型的な、「媚中派」というところでしょう。
 清盛さんはそこまででもなくて、まあ、対等にやろうという意識がどこまであったかは不明ながら、あちらさまに露骨に「臣下の礼」をとって、自分の政権を保証してもらおうとはしていない。

 考えてみたら、そのあたりは、(義満とくらべれば)評価していいことかもしれませんね。清盛さんについては。
 あ。媚中派は清盛さんのそういうところは評価しないのか(笑)

 ここで話題になっているのはシナのことですが、——朝鮮は? というと。
 日本の歴史をふりかえりますと、「媚中派」はいたけど、朝鮮に取り入って自分の政権を箔付け、なんてことは、なかったんじゃないですかね。日本からみて朝鮮が、そこまでの権威が認められていたようには思えない。

 なにしろ元寇のときも、元のパシリで来ていたのが高麗だし。
 秀吉のアレは「朝鮮出兵」とされていますが、じつは秀吉は朝鮮はもう自分の子分くらいのつもりでいて、本当の目標は明だった、というのですね——フロイスの「日本史」によれば。

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 秀吉さんからしてみると、朝鮮に対しては、「これから自分は明へ攻め込むので、おまえら、道を開けろ」というつもりだったんだそうで。

 ……これはまずいわ…。言わないほうがいいわ…、そんな話を聞いたらあの人たちは、また、民族的精神疾患の状態になるわ……と、私も、思わずそっと「日本史」を閉じてしまいました。(^^;)
 自分たちがマトモに敵とさえ認識されていなかったなんて聞いたら、またなんて言うか。

 秀吉さんはしかし、そうやって「単なる通り道」のつもりだった朝鮮で、たいへんな痛手を負うわけなので、なんにしても愚かしい。

 なんにしても、簡単にいうと日本人の意識としては古くから、シナについてはそれなりに認めているが、朝鮮はもう、アウトオブ眼中状態てことですね。シナほどにも権威はない。
 これを言ったらまた怒られるんでしょうけど;;

 かく申す私も、そういう日本伝統の観点を引いているうちのひとりです。対シナについては、卑弥呼や足利義満ではなく、聖徳太子のほうの系譜で。
(卑弥呼も、自分の王権や邪馬台国に箔付けをすることを目的とした媚中派だったと見ていいかなと思うのですがどうでしょうか)(金印もらってるしなー)

 あと、皇室の関係者の描写がひどいというのもありましたが、あれはねえ——しょうがないんだと思いますよ。じっさいの歴史をみると、天皇といえども、こういっちゃなんだが、マトモではない、という人のオンパレードですから;;
 白河院についても崇徳上皇についても鳥羽院についても——残念に思う人はあるかもしれませんが、あのドラマはべつに、誇張して貶めていたわけではありません。

 ……中右記、今鏡、台記あたりを読んでみるといいですよ(腐女子は台記をちょっとチガウ目的で読むが/笑)。
 あのドラマにおける上皇さまがたの描写は、誇張でもなんでもないのがわかりますから;;

(私個人は、雄略天皇、白河院、後白河院、後醍醐天皇には、間違っても好意的ではないです。皇室だからいっさいの批判不可というのも、おかしな話だと思うので申しますが)

 そういう歴史を乗り越えていまの皇室がある、というだけのこと。
 歴史上の事実を述べただけで、現在の皇室が影響されることはない。

 うーむ。櫻井よしこさんなどがご心配しているのはこんなあたりなのかな。
 左巻きに脳味噌汚染されて、自虐行為にうっとりするような、ヘンタイ妄想患者も困りますが、さりとて、歴史は歴史に過ぎないものを、そこらへんをドライに見ることもできないほど、身びいきと自己愛で酔っぱらうというのも、人としてあやうい。

 現在の皇室を、その歴史をひっくるめて敬愛するのはけっこうなのですが、事実を冷静にみたり、理非の判断したりができない、などということは、ないようにお願いしたいところです。

 じっさい皇室の歴史というのも、やはり人間の関わることなので、きれいごとじゃありません。万世一系なんていうのも幻想に過ぎないことも、詳しく調べていればわかってくることですし。
 近親婚とまではいわずとも、近しい血族同士の結婚が続いてしまう影響もあってか(影響ゼロとは言えないでしょう)、まさにキ印としかいいようのない人々が現れてくるのも事実だし。

 そういう事実関係は、事実として眺める冷静さは欲しいところ。

 日本人にとっての天皇とは何かというのはじつに深遠なテーマですもんねえ。
 歴史であり、「祭祀」であり。(厳密な意味での宗教とは言い難いからこう言っておきます)
 権力はないのに絶対的な権威を持つ。——こういう形の「王権」というのは世界的にも珍しい。類型化はできない。

 それほどユニークな文化を持っているのだ、ということを確認していればいいだけのことだと思います。

 私個人は「王家(の犬)」というセリフにはひっかかりは感じませんでした。ただ、もしも本当に「日王」という言葉があったというのなら、そりゃあもう——「へーえ」とは、思いますけれども。

 でも、あのドラマの清盛さんはそういうわけですから、宋に媚を売るようなことはしない人だったですよ。
 それでいいんじゃないでしょうかね。と思っております。

 

しずのおだまき

 ぱしふぃっくびいなす号のお話をと思いましたが、昨日は大河ドラマ「平清盛」最終回でございましたので、そちらのお話を。

 どうするのかなあと思っていたんですが、やはりやっちゃいましたか、壇ノ浦……。
 あれはいけません。
 平家物語でも源平盛衰記でも、ここの場面は共通で、私をどこへ連れて行くのか、という幼い安徳帝に、二位の尼こと、時子さんが「海の底(水の底)にも都がございます」と告げるというのは。

 いままでも物語として「読んで」はきましたが、考えてみるとこの場面を、じっさいの人物が演じるのを見るのは初めてだったりして(……なんでだろう…; それなりにこれまでもドラマにもなっていると思うのに)、うわあやっぱりたまらないな、と思わず涙、涙でございました。

 可愛い盛りの孫を、自分で抱きかかえて海へ飛び込むわけですよ。それはもう、どんな思いがするものだったか。
 また、幼いとはいえ、子どもにだって尋常ではない状況も、自分が殺されるということも、たとえおぼろげにでもわかっていたはずで、そう思うと。ねえ。

 あんましこのへんは見たくなかったなーと思いながらの昨日でした。

 とうの清盛さんはというと、あれ、やるのかなーと思っていたら本当にやった。「水をかけてもたちまち蒸発するほどの高熱」。
 いかに高熱を発しても、じっさいの人間の体から水が一瞬で蒸発するとか、水に全身をつけると水が湯になるとか、現実には考えられないことなのを、ドラマでやるのかなと思っていたら本当にやったので、なんだか、そのへんが……感心したというかなんというか。(^^;)

 西行法師が思いも掛けぬ大活躍でした。
 清盛さんは高熱にうなされる肉体を離れて生き霊となって西行法師のところに現れる。
 ドッペルゲンガー、自己像幻視(オートスコピーAutoscopy は医学用語)てヤツですかね。自己像幻視は自分で自分の姿を見ちゃったりするらしいですが。

 まだこの世での未練をいう清盛さんに、西行さんがはっきりと諭すあたりは、
「なるほど、これが本当の『引導を渡す』ってやつだなー」
 と思いました。
 ようは、あなたはもう死んだのだから、行くべきところへ行きなさいよという諭しですね。

 いちおう葬式のなかでそういうこともしているはずなんですが……、今日日、現代人は死というものへの覚悟がうすいうえ、我が強くなっているせいか、引導を渡されても、ああそうなのかとは言わない人も多いようで。
(葬式のあと、知人の前に現れて、たとえ坊主が引導を渡しても、俺は死んでないんだと言い張った人がいるのです……)

 そこを思うと(このドラマでの)清盛さんは潔くてよかったと思います。
 
 ただ、あの一族の末路をどう見たのかということは、思ってしまいますけれどもねえ…。
 平家物語では、とにかく清盛の悪行のせいで、幼い孫までもがこんなめにあうのだ、という主張をして、物語を閉じるのですが、あれは、かえって無情に思えますね。

 インターネットでもそんな感想をみかけました。
「親の因果が子に報う」。そんなことはある意味いわずもがなのことなんで、……たとえ清盛さんやその一族の悪行の、これが「当然の報い」なのだとしても、これほど悲惨な目にあう人々に向かって、そういうことを言うか?! という反発でした。

 それはわかるなあ。ていうか、同感ですわ私も。
 安徳帝については特にその思いが強いです。

 平家物語では、建礼門院は、壇ノ浦の戦のあと、入水はしたものの助け上げられてしまい、京へ送られていく途中、ある夢を見た、という。
 ——海の底の、竜宮城のようなところで、母である二位の尼、息子である安徳帝など、一族の人々がそろって幸せそうにしている夢を見た、と。
 本当にそうだといいな、と個人的には思っております。

 因果の報いなら、ああいう形での死、ということで、報いは受け終わっているのですから。

 番組最後のおまけコーナーでは、赤間神社の先帝祭のようすもちらりと映りました。ほんと、他のことはともかく、安徳帝のことだけは、人々の胸に痛ましい思いを呼び起こすものがありますよね。

 戦のあと、安徳帝のご遺体も引き上げられて、祭られたという説明を聞いて、あ、そうなのか、と。
 じつは、義経さん同様、「安徳帝はじつは生きていた」という伝説がある、と聞いたことがありまして。
 四国だったか九州だったか、それはたしかにとんでもない山奥、およそ人が村落を作るとは思えないような場所で、でもそこに行宮(あんぐう)があって、安徳帝は生き延びていらしたが、21歳で崩御なさったという伝説。

 21歳で、というところにみょーなリアリティを感じておりました。(^^;)

 なんにしてもこの「伝説」も、安徳帝を痛ましく思う、人々の心ですよね。

 しこうして、源氏のほうも結局は、頼朝さんから3代とつづかないで終わる(将軍職としては3代目でも、実朝は孫ではなくて息子なので、世代で言うなら2代め)。
 こちらもなかなか、空しいことでございます。

 といったところで「平清盛」。
 視聴率は厳しいとのことでしたが、私は面白かったですよ。出演の俳優さんがたはそれぞれに味わいのある、エッジの効いた感じで、じつのところ、それぞれの登場人物の動向を追いかけているだけでも楽しかったです。
 
 登場人物はぞろぞろと大勢さんですが、それぞれがそれぞれの、ドラマを背負っているわけですね。清盛さん一人ではないあたりも、「一蓮托生」の平家らしくて、よかったと思います。
(平家は身内同士は仲が良い。源氏は身内で殺しあってばかりいる)

 清盛さんはやはり悪役イメージがどうしてもつきまといますから、彼を「快男児」にしたいというのはドラマ作りの上で無理もあったかとは思いますが、西行さんが言っていたとおり、その命を燃やし尽くしたという意味においては、みごたえのある人だったと思いますね。

 清盛さんは海が好きだっただろうか、とふと思いました。

 政治上のこと、その財産のことを思えば海と関係が深いというのは当たり前なんでしょうが、こうしてみると、海のイメージが強く結びついている人だなと思いました。

 平家物語、とくに「灌頂巻」は説教クサいところが難点。そういうことはうだうだいわず、ただ、人の世というものを静かに思う、それでいいのではないかと思いました。


 ——いざさらば なみだくらべん時鳥(ほととぎす)
  われもうき世に ねをのみぞ鳴く
  (建礼門院)

 ——しずやしず しずのおだまき くりかえし
  昔をいまに なすよしもがな
  (静御前)

 
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